学校行事の中で一番嫌いなものは修学旅行だと声にして言いたい。
体育祭は、運動音痴が適度にサボっても何も言われない。
合唱祭は、適度に声を出していれば何も言われない。
修学旅行は、集団行動が求められる。
コミュニケーションなど取りたくないというのに、グループで行動し、動かなければならないことの何と苦痛なことだろうか。
一緒のグループになったクラスメートから嫌な顔はされなかったが、どことなく引きつった笑みで「よろしくね」と言われた。
この瞬間、自分は孤独な修学旅行を過ごすことになるのだと悟った。
案の定、自分の意見は聞き入れられることなく、自由行動で回る場所は決まり、最後にこれで良いかという確認だけが回ってきた。
先生から誰かを省くような真似をするなというお達しに上辺だけの忠実に従っているだけにすぎない。先生も忙しいため、全員に確認を取ったかという問いに代表の学生が「はい」と答えれば、追随してしまうだろう。
この平凡さが退屈で仕方がない。
あり得ないものを否定するこの世は苦痛でしかない。それでも、普通でいなければまともに生きることさえも叶わない。
自分が家族以外には秘匿にしている力を共有できないもどかしさと虚しさ。何百回目かの苦痛に嘆息する。もう慣れてしまった痛みは人としての道徳を失っていくことが分かる。だが、人間社会で生きていられるのだから構わないだろう。
どんなに建前の良いことを言っても出る杭は打たれる。ましてや怪異に映ってしまう能力を喜ぶものなど、清い心だけを持つ純粋無垢な少年少女だけだ。
仮に今ここでこの学校を崩壊させることも可能かもしれない。それぐらいの刺激のあった方が世の中面白いと思うが、平穏無事が普通の人間にとってかけがえないものなのだろう。
「じゃあ、これで。楽しんでも良いが、羽目を外しすぎるなよ」
他の連中に合わせて、一番小さい声で返事をする。
この憂鬱な気分を理解してくれる人間などいない。
二ヶ月後、紅葉のシーズンが始まり、やや肌寒くなってきた季節。
遂に始まってしまった修学旅行に菫子は朝から憂鬱になり、気分から来る体の怠さに悩まされていた。とはいえ、ズル休みでもしてみれば、親から無用な心配をかけられるし、学校側にも迷惑がかかる。
朝早くに集合して高速バスに揺られ、長野県の諏訪大社に着いた。
旅程を初めてバスの中で見た。どうやら最初は全員で参拝し、それから自由行動に移るらしい。
神様に祈ることなどしなくても自分で何とかできる自分にとって、参拝などくだらない無駄なものの一つにすぎない。殊更、バス移動するからと本宮、下宮の全てを回るらしい。
正直、関東よりも少し涼しく、湿度が低いことぐらいしか良い点が見当たらない。
神様はすでにこの科学世界の中では否定された。神による加護が否定され、神社仏閣は神聖な場から観光地へと様変わりしてしまい、厳かな雰囲気は騒がしい学生達によって、今こうして失われている。
自分が持つ超能力も、もはや一笑に付される。
古来、神の声を聞くことができる者は選ばれし者として、人々から崇め奉られた。それが今や新興宗教によるカルトだの、歴史ある神社仏閣でさえも神職の存在に疑いを持つ者さえもいる。
信仰とは何と儚いことか。
らしくもなく、見えない存在しない神への同情をしながら、だらだらとグループの一番後ろを歩く。前の連中はすでにフィールドワークに飽きたのか、ホテルに着いたら何をするかを話し合っている。
露天風呂、枕投げ、恋バナ。どれを取っても生産性のないことばかりで、苛立ちと胸焼けがする。
「続いて、舞台で行われる巫女さん達の舞を鑑賞します」
説明はよく理解できなかったが、作物を収穫できたことの感謝を伝えるものらしい。
先生の先導で、舞を行う舞台の前へと整列されられる。椅子はないらしく、三角コーンでできた囲いに敷かれたビニールシートに靴を脱いで座らせられる。
周りには地元の人達らしいが集まっていて、酒を飲んだり、屋台の食べ物をいただいている。
あまりにも狭く、周辺の連中からは不満の声が聞こえる。他人も通るような参道に、広く椅子を置いて置く方が迷惑だろうという考えを持っていないらしい。
とはいえ、狭いことに変わりなく、少しでも体をよじれば左右の女子生徒に当たってしまいそうになる。
終わる頃には足が痺れているだろう。
左側に傾く微妙な傾斜が鬱陶しい。ビニールシート一枚しか敷かれていないため、地面の凸凹がしっかりと痛覚を刺激してくる。
早く舞が始まって、早く終わってほしい。全学生が抱いているであろう思いだろうが、耐えるしかない。
左隣の名前も覚えていないクラスメートに気を遣いながら、真面目そうに舞台を眺める。
徐々に日が傾き始め、両膝同士を擦り、寒さを誤魔化そうと試みる。全身まで暖まるような効果などあるはずもなく、さらにと足の指を動かしたりするが、焼け石に水である。
目を瞑り、他のことを考える。最近見たアニメ、漫画、ニュース。どれを取っても変わり映えしない、ただの暇つぶし。菫子は大人しく諦めて、舞が始まるのを待つ。
そうこうしていると神楽殿の周りに巫女達が集まってきた。
ようやく始まるという期待によって、少し寒さが和らいだ気がする。
白い装飾を身にまとった二人の巫女が出てきて、音楽と共に舞を始める。動きや流れについてはよく分からない。綺麗だということだけは分かる。
一人はおそらくそこそこのベテランの方だろう。顔が少し老け気味だが、化粧の美味さと従来の美しさと高貴さがカバーしている。アルバイトではない、生粋の巫女の血筋を引く者だろう。
しかし、と菫子は思わず蔑むように口を歪ませる。もはや科学世紀の中であのような神事は、心から神へ感謝するものではなくなった。背後で参加している地元の農家の人達もきっと神ではなく、自分達の努力、文明の利器によって自然に向き合った結果だと思い、あくまでも付き合いで来ている。
きっとそうだろう。
もう一人の巫女は若い。もう一人の巫女の娘だろうか。顔に化粧をしていて、分かりにくいが、顔の形や背丈がよく似ている。だが、大きな違いも血筋とはいえ、あるのだろう。
「あの奥にいる巫女さん、凄え綺麗だな」
「な、ああいう人を彼女にしたいな」
「男子ってどうして、そういう話題しかないのかしら……でも、綺麗だったわ」
「ね、あんなに綺麗な黒い髪だったら、染めたりしなくて良さそう」
「……は?」
周りから聞こえる下劣な話の中で違和感を感じ、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。幸い、周りには聞こえなかったようで、こちらを見られた様子はない。
舞台から響く鈴の音にかき消されたのだろう。
菫子は改めて舞台を見て、周囲を蔑むように肩をすくめる。彼らの視力はいよいよ終焉を迎えているらしい。若い巫女の髪はどう見ても綺麗な緑色である。だが、染めているにしても随分と自然体が過ぎるような気がしてならない。
それに、神職に就いている人があのような髪色は御法度ではないだろうか。黙認されているのだろう。そうでなければ、あれだけ目立つ色を許されているはずがない。
それにしても、と菫子は首を捻る。日本人で、人間であれだけ綺麗な緑色の髪が遺伝子の観点から存在するのだろうか。先祖還りだとしても、そのような異様な髪をした者を巫女にするのだろうか。
菫子は文系授業について、ほとんど関心を持たずに生きてきた。それに波及する民俗学、神学のようなものなど触れる理由がない。
だが、と菫子は最初に抱いた疑問に戻る。
結局、その疑問だけが脳内を巡り、舞の内容など記憶に入らなかった。
舞が終わった後、参拝を全員で終えるとなけなしの自由時間が与えられた。班行動を求められたわけではないため、菫子はもう一度神楽殿に向かった。片付けをする巫女や残って雑談している地元の人達がちらほらといる。
「いやー、今年の舞も良かったな〜」
「だな。東風谷さんも次代の巫女が様になってきて良かったよ」
「そうね〜。子供の時はちょっと変わった子だったけど、やっぱりそういう家柄だからだったのかしらね」
「今じゃ、すっかり大人しくなったからね〜。お母さんに似て、すっかり美人になって」
「東風谷さんの家も安泰ね」
「年甲斐もないけど、あれだけ別嬪になったら婿にも困らないだろうしな」
「ほんと、何もかも若い頃のお母さんにそっくりだわ。むしろ、美しすぎて怖いぐらい」
「ご加護のおかげだな」
盗み聞きした話の中の違和感が徐々に不信感へとなっていき、混乱を招いた。何もかもと言っていたが、彼女の母親が舞台に立っていた巫女だとすれば、あの髪色さえも似ていると言っているのはおかしい。母親の方は綺麗な髪だったが、間違いなく黒色だった。あれだけ人がいて、誰も否定しないというのはおかしい。
自分だけが見間違えていたのだろうかとも首を捻るが、あり得ないと早々に結論付ける。
自分の色覚が狂いでもし始めたのだろうか。それもない。そうでなければ困る。周りを見回しても金髪、茶髪以外に奇抜な髪色をしている人はいない。
さらに頭が混乱し、頭痛がし始めてきた。眉間に指を当て、誤魔化すが、加速する疑問は止まらない。
超能力以外は真っ当な人間の感性を持っているはずだ。遂にここまで来てしまったのだろうか。最低限は必要だと思っていた一般の人達との関わりさえも絶たざるを得ないのか。
「あの……」
かけられた綺麗な声色に顔を上げる。声の主は正しく思考回路を狂わせたその人だった。
よく見ると背丈は自分よりも高く、大人びて見えたが、顔付きが同じぐらいの年頃で間違いないだろう。
「えっと、大丈夫ですか? 先程から具合が悪そうでしたが……」
声を改めてよく聞くと間違いなく学生の声である。
「あ、えっと……」
またとないチャンスだというのに、声が出ない。ここしばらく、こちらから声をかけることがあっても、かけられることがなかったため、この経験が緊張を加速させている。ましてや、同年代と話しかけられるというのは、さらに珍しくなり、頭の混乱を増大させる。
しどろもどろした対応が巫女の表情をさらに怪訝なものへとさせていく。聞きたいことは一つしかない。時間もない。意を決して、いつもより大きな声を出すようにゆっくりと口を開いた。
「……綺麗な髪ですね!」
「……ありがとうございます」
寂しげに笑った巫女は奥へと下がっていった。
「緑色の……」という言葉が出てこなかった。
自分が確信を持てなかったのか。
それとも、彼女の哀れな笑顔を汲み取ってしまったのか。
背後からさらに声をかけようとしたが、口が動かない。悔しさが拳を強く握らせ、爪が手のひらの肉に食い込む。下唇を上の歯で噛み、もう一押しで噛み切ってしまいそうになる。
それから地元の人らしい同じような心配をされたが、無機質な口調で「大丈夫です」と答えただけで終わった。
それからの菫子は制限時間いっぱいまで神楽殿の片付けをしている巫女達をぼんやりと眺めるだけだった。
再度、目をこらして見る巫女の髪は緑色である。
改めて思い返すと間近で見た彼女の髪に緑色へ染めたような気配はまるでなく、地毛そのものだった。何故、自分しか気付かず、周りの人達は気付かないのか。何も言わずにこのまま去って良いのか。
菫子は疑問と後悔が渦巻く中、集合場所へと向かう。時間もなく、このままでは先生から叱責をもらうだけ。そのリスクを乗り越えてまで聞こうという度胸はない。
確信があるのに。自分は他の人とは違うのに。ここで聞かなければ一生聞けないと言っているのに。
彼女に聞けない虚しさによって、後ろ髪が引かれても、歩みを止めることが出来ない。
情けなくても、結局自分は普通の人間でなければ生きていけない。理解されない、理解したくもない輪の中で生きていくしかない。
「くっそ……」
誰にも聞こえない呟きがどこかへ消えていく。
本殿前の開けた場所に出て、再度神楽殿へを見る。相変わらず、巫女達が片付けの仕上げに右往左往し、地元の人達がそろそろ帰ろうとしている。
もはやタイミングは無くなった。
足取りが段々と重くなり、出入口の前までに来るのに数分以上かかったような感覚を覚えた。
このまま出て良いのか。出入口の端で前後に動かない足踏みを繰り返す。周囲からの奇異な視線も痛くなり、恥ずかしさからふと腕時計を見る。
いつの間にか、集合時間まであと五分となっていた。ここからバスが止まっている駐車場まで歩いて丁度集合時間になる。
菫子は意を決して、鉛のように重たい足を駐車場へと向ける。
諦めるしかない。
普通の人間ばかりのこの世の中で、巫女の髪の色に惑わされて遅れたなどと言い訳が通じるはずもない。上手く誤魔化したとしても、他人の時間を守ることには理不尽なほどに厳しい先生達が許すはずもない。
気付けばバスの席に座っていて、扉が閉じる音が聞こえる。
どうやって参拝客を避けて、歩道を歩いてきたのか覚えていない。
この後悔は生涯引きずるだろう。いつか、なんてきっと来ない。
あまりにも弱い。
自分の力も意志も理解者も。
この能力は最期まで現実のものと受け入れられない。そんな世界などどこにもない。
(そんなもの、所詮は夢物語……)
菫子は通路側の席で天井をぼんやりと眺めるしか出来なかった。
体育祭は、運動音痴が適度にサボっても何も言われない。
合唱祭は、適度に声を出していれば何も言われない。
修学旅行は、集団行動が求められる。
コミュニケーションなど取りたくないというのに、グループで行動し、動かなければならないことの何と苦痛なことだろうか。
一緒のグループになったクラスメートから嫌な顔はされなかったが、どことなく引きつった笑みで「よろしくね」と言われた。
この瞬間、自分は孤独な修学旅行を過ごすことになるのだと悟った。
案の定、自分の意見は聞き入れられることなく、自由行動で回る場所は決まり、最後にこれで良いかという確認だけが回ってきた。
先生から誰かを省くような真似をするなというお達しに上辺だけの忠実に従っているだけにすぎない。先生も忙しいため、全員に確認を取ったかという問いに代表の学生が「はい」と答えれば、追随してしまうだろう。
この平凡さが退屈で仕方がない。
あり得ないものを否定するこの世は苦痛でしかない。それでも、普通でいなければまともに生きることさえも叶わない。
自分が家族以外には秘匿にしている力を共有できないもどかしさと虚しさ。何百回目かの苦痛に嘆息する。もう慣れてしまった痛みは人としての道徳を失っていくことが分かる。だが、人間社会で生きていられるのだから構わないだろう。
どんなに建前の良いことを言っても出る杭は打たれる。ましてや怪異に映ってしまう能力を喜ぶものなど、清い心だけを持つ純粋無垢な少年少女だけだ。
仮に今ここでこの学校を崩壊させることも可能かもしれない。それぐらいの刺激のあった方が世の中面白いと思うが、平穏無事が普通の人間にとってかけがえないものなのだろう。
「じゃあ、これで。楽しんでも良いが、羽目を外しすぎるなよ」
他の連中に合わせて、一番小さい声で返事をする。
この憂鬱な気分を理解してくれる人間などいない。
二ヶ月後、紅葉のシーズンが始まり、やや肌寒くなってきた季節。
遂に始まってしまった修学旅行に菫子は朝から憂鬱になり、気分から来る体の怠さに悩まされていた。とはいえ、ズル休みでもしてみれば、親から無用な心配をかけられるし、学校側にも迷惑がかかる。
朝早くに集合して高速バスに揺られ、長野県の諏訪大社に着いた。
旅程を初めてバスの中で見た。どうやら最初は全員で参拝し、それから自由行動に移るらしい。
神様に祈ることなどしなくても自分で何とかできる自分にとって、参拝などくだらない無駄なものの一つにすぎない。殊更、バス移動するからと本宮、下宮の全てを回るらしい。
正直、関東よりも少し涼しく、湿度が低いことぐらいしか良い点が見当たらない。
神様はすでにこの科学世界の中では否定された。神による加護が否定され、神社仏閣は神聖な場から観光地へと様変わりしてしまい、厳かな雰囲気は騒がしい学生達によって、今こうして失われている。
自分が持つ超能力も、もはや一笑に付される。
古来、神の声を聞くことができる者は選ばれし者として、人々から崇め奉られた。それが今や新興宗教によるカルトだの、歴史ある神社仏閣でさえも神職の存在に疑いを持つ者さえもいる。
信仰とは何と儚いことか。
らしくもなく、見えない存在しない神への同情をしながら、だらだらとグループの一番後ろを歩く。前の連中はすでにフィールドワークに飽きたのか、ホテルに着いたら何をするかを話し合っている。
露天風呂、枕投げ、恋バナ。どれを取っても生産性のないことばかりで、苛立ちと胸焼けがする。
「続いて、舞台で行われる巫女さん達の舞を鑑賞します」
説明はよく理解できなかったが、作物を収穫できたことの感謝を伝えるものらしい。
先生の先導で、舞を行う舞台の前へと整列されられる。椅子はないらしく、三角コーンでできた囲いに敷かれたビニールシートに靴を脱いで座らせられる。
周りには地元の人達らしいが集まっていて、酒を飲んだり、屋台の食べ物をいただいている。
あまりにも狭く、周辺の連中からは不満の声が聞こえる。他人も通るような参道に、広く椅子を置いて置く方が迷惑だろうという考えを持っていないらしい。
とはいえ、狭いことに変わりなく、少しでも体をよじれば左右の女子生徒に当たってしまいそうになる。
終わる頃には足が痺れているだろう。
左側に傾く微妙な傾斜が鬱陶しい。ビニールシート一枚しか敷かれていないため、地面の凸凹がしっかりと痛覚を刺激してくる。
早く舞が始まって、早く終わってほしい。全学生が抱いているであろう思いだろうが、耐えるしかない。
左隣の名前も覚えていないクラスメートに気を遣いながら、真面目そうに舞台を眺める。
徐々に日が傾き始め、両膝同士を擦り、寒さを誤魔化そうと試みる。全身まで暖まるような効果などあるはずもなく、さらにと足の指を動かしたりするが、焼け石に水である。
目を瞑り、他のことを考える。最近見たアニメ、漫画、ニュース。どれを取っても変わり映えしない、ただの暇つぶし。菫子は大人しく諦めて、舞が始まるのを待つ。
そうこうしていると神楽殿の周りに巫女達が集まってきた。
ようやく始まるという期待によって、少し寒さが和らいだ気がする。
白い装飾を身にまとった二人の巫女が出てきて、音楽と共に舞を始める。動きや流れについてはよく分からない。綺麗だということだけは分かる。
一人はおそらくそこそこのベテランの方だろう。顔が少し老け気味だが、化粧の美味さと従来の美しさと高貴さがカバーしている。アルバイトではない、生粋の巫女の血筋を引く者だろう。
しかし、と菫子は思わず蔑むように口を歪ませる。もはや科学世紀の中であのような神事は、心から神へ感謝するものではなくなった。背後で参加している地元の農家の人達もきっと神ではなく、自分達の努力、文明の利器によって自然に向き合った結果だと思い、あくまでも付き合いで来ている。
きっとそうだろう。
もう一人の巫女は若い。もう一人の巫女の娘だろうか。顔に化粧をしていて、分かりにくいが、顔の形や背丈がよく似ている。だが、大きな違いも血筋とはいえ、あるのだろう。
「あの奥にいる巫女さん、凄え綺麗だな」
「な、ああいう人を彼女にしたいな」
「男子ってどうして、そういう話題しかないのかしら……でも、綺麗だったわ」
「ね、あんなに綺麗な黒い髪だったら、染めたりしなくて良さそう」
「……は?」
周りから聞こえる下劣な話の中で違和感を感じ、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。幸い、周りには聞こえなかったようで、こちらを見られた様子はない。
舞台から響く鈴の音にかき消されたのだろう。
菫子は改めて舞台を見て、周囲を蔑むように肩をすくめる。彼らの視力はいよいよ終焉を迎えているらしい。若い巫女の髪はどう見ても綺麗な緑色である。だが、染めているにしても随分と自然体が過ぎるような気がしてならない。
それに、神職に就いている人があのような髪色は御法度ではないだろうか。黙認されているのだろう。そうでなければ、あれだけ目立つ色を許されているはずがない。
それにしても、と菫子は首を捻る。日本人で、人間であれだけ綺麗な緑色の髪が遺伝子の観点から存在するのだろうか。先祖還りだとしても、そのような異様な髪をした者を巫女にするのだろうか。
菫子は文系授業について、ほとんど関心を持たずに生きてきた。それに波及する民俗学、神学のようなものなど触れる理由がない。
だが、と菫子は最初に抱いた疑問に戻る。
結局、その疑問だけが脳内を巡り、舞の内容など記憶に入らなかった。
舞が終わった後、参拝を全員で終えるとなけなしの自由時間が与えられた。班行動を求められたわけではないため、菫子はもう一度神楽殿に向かった。片付けをする巫女や残って雑談している地元の人達がちらほらといる。
「いやー、今年の舞も良かったな〜」
「だな。東風谷さんも次代の巫女が様になってきて良かったよ」
「そうね〜。子供の時はちょっと変わった子だったけど、やっぱりそういう家柄だからだったのかしらね」
「今じゃ、すっかり大人しくなったからね〜。お母さんに似て、すっかり美人になって」
「東風谷さんの家も安泰ね」
「年甲斐もないけど、あれだけ別嬪になったら婿にも困らないだろうしな」
「ほんと、何もかも若い頃のお母さんにそっくりだわ。むしろ、美しすぎて怖いぐらい」
「ご加護のおかげだな」
盗み聞きした話の中の違和感が徐々に不信感へとなっていき、混乱を招いた。何もかもと言っていたが、彼女の母親が舞台に立っていた巫女だとすれば、あの髪色さえも似ていると言っているのはおかしい。母親の方は綺麗な髪だったが、間違いなく黒色だった。あれだけ人がいて、誰も否定しないというのはおかしい。
自分だけが見間違えていたのだろうかとも首を捻るが、あり得ないと早々に結論付ける。
自分の色覚が狂いでもし始めたのだろうか。それもない。そうでなければ困る。周りを見回しても金髪、茶髪以外に奇抜な髪色をしている人はいない。
さらに頭が混乱し、頭痛がし始めてきた。眉間に指を当て、誤魔化すが、加速する疑問は止まらない。
超能力以外は真っ当な人間の感性を持っているはずだ。遂にここまで来てしまったのだろうか。最低限は必要だと思っていた一般の人達との関わりさえも絶たざるを得ないのか。
「あの……」
かけられた綺麗な声色に顔を上げる。声の主は正しく思考回路を狂わせたその人だった。
よく見ると背丈は自分よりも高く、大人びて見えたが、顔付きが同じぐらいの年頃で間違いないだろう。
「えっと、大丈夫ですか? 先程から具合が悪そうでしたが……」
声を改めてよく聞くと間違いなく学生の声である。
「あ、えっと……」
またとないチャンスだというのに、声が出ない。ここしばらく、こちらから声をかけることがあっても、かけられることがなかったため、この経験が緊張を加速させている。ましてや、同年代と話しかけられるというのは、さらに珍しくなり、頭の混乱を増大させる。
しどろもどろした対応が巫女の表情をさらに怪訝なものへとさせていく。聞きたいことは一つしかない。時間もない。意を決して、いつもより大きな声を出すようにゆっくりと口を開いた。
「……綺麗な髪ですね!」
「……ありがとうございます」
寂しげに笑った巫女は奥へと下がっていった。
「緑色の……」という言葉が出てこなかった。
自分が確信を持てなかったのか。
それとも、彼女の哀れな笑顔を汲み取ってしまったのか。
背後からさらに声をかけようとしたが、口が動かない。悔しさが拳を強く握らせ、爪が手のひらの肉に食い込む。下唇を上の歯で噛み、もう一押しで噛み切ってしまいそうになる。
それから地元の人らしい同じような心配をされたが、無機質な口調で「大丈夫です」と答えただけで終わった。
それからの菫子は制限時間いっぱいまで神楽殿の片付けをしている巫女達をぼんやりと眺めるだけだった。
再度、目をこらして見る巫女の髪は緑色である。
改めて思い返すと間近で見た彼女の髪に緑色へ染めたような気配はまるでなく、地毛そのものだった。何故、自分しか気付かず、周りの人達は気付かないのか。何も言わずにこのまま去って良いのか。
菫子は疑問と後悔が渦巻く中、集合場所へと向かう。時間もなく、このままでは先生から叱責をもらうだけ。そのリスクを乗り越えてまで聞こうという度胸はない。
確信があるのに。自分は他の人とは違うのに。ここで聞かなければ一生聞けないと言っているのに。
彼女に聞けない虚しさによって、後ろ髪が引かれても、歩みを止めることが出来ない。
情けなくても、結局自分は普通の人間でなければ生きていけない。理解されない、理解したくもない輪の中で生きていくしかない。
「くっそ……」
誰にも聞こえない呟きがどこかへ消えていく。
本殿前の開けた場所に出て、再度神楽殿へを見る。相変わらず、巫女達が片付けの仕上げに右往左往し、地元の人達がそろそろ帰ろうとしている。
もはやタイミングは無くなった。
足取りが段々と重くなり、出入口の前までに来るのに数分以上かかったような感覚を覚えた。
このまま出て良いのか。出入口の端で前後に動かない足踏みを繰り返す。周囲からの奇異な視線も痛くなり、恥ずかしさからふと腕時計を見る。
いつの間にか、集合時間まであと五分となっていた。ここからバスが止まっている駐車場まで歩いて丁度集合時間になる。
菫子は意を決して、鉛のように重たい足を駐車場へと向ける。
諦めるしかない。
普通の人間ばかりのこの世の中で、巫女の髪の色に惑わされて遅れたなどと言い訳が通じるはずもない。上手く誤魔化したとしても、他人の時間を守ることには理不尽なほどに厳しい先生達が許すはずもない。
気付けばバスの席に座っていて、扉が閉じる音が聞こえる。
どうやって参拝客を避けて、歩道を歩いてきたのか覚えていない。
この後悔は生涯引きずるだろう。いつか、なんてきっと来ない。
あまりにも弱い。
自分の力も意志も理解者も。
この能力は最期まで現実のものと受け入れられない。そんな世界などどこにもない。
(そんなもの、所詮は夢物語……)
菫子は通路側の席で天井をぼんやりと眺めるしか出来なかった。
早苗の髪のへの違和感を言葉に出来なかったのが人間らしいなあと思いました。
面白かったです。