――夕暮れ刻の秋姉妹の家。外からカラスの鳴き声が聞こえている。
「姉さーん。今日の夕めしどうするー?」
穣子の問いに、静葉は壁にもたれて読んでいる本から目を離さずに答える。
「別に食べなくてもいいわ」
「またー。そんな味気ないこと言わないでよー」
「別に食べなくても生きていけるもの。神だし」
「もう! それとこれとは話が別でしょー!」
不満そうに頬を膨らませる穣子を尻目に、静葉は読んでいた本をぱらりとめくる。芥川龍之介の『芋粥』だ。
「そーんな小難しい顔して何読んでんのよ? 何……芋粥? なーんだ、姉さんやっぱり何か食べたいんじゃないのよー」
「違うわよ。別におなかが空いてるから芋粥読んでるわけじゃ……」
そこまで言うと、静葉は片眉をぴくりと上げて呟くよう告げる。
「……いえ、やっぱり空いているわね。知的好奇心という胃袋が」
そう言って、にやりと笑みを浮かべる静葉を、穣子は妙なモノを見るような目で見つめながら尋ねる。
「……よくわかんないけど、そんなに食べたいんなら作ろうかー? 芋粥」
「いらないわ」
「ほら、前に作ったことあるし。芋粥」
「いらないわ」
「もう、遠慮なんかしなくていいのよー?」
「あなたに遠慮なんか、いらないわ」
にべもなく言い放つ静葉に、穣子は思わず眉をひそめて呟く。
「はぁ……。意味わかんない。芋粥読んでるのになんで芋粥食べたくないのよ」
「それじゃあ私からも一つ聞いていいかしら。穣子」
「なによ」
「あなたは焼き芋って小説読んでて焼き芋食べたくなるの」
穣子は間髪入れず答える。
「そんなの食べたくなるに決まってるでしょ! つーか焼き芋ならいつでも食べたいくらいだわ!」
鼻息を荒げて答える穣子に、静葉は思わず首を振りながら一人ごちる。
「……あぁ、私としたことが。イモ神にイモ食べたいか聞くなんて、猿にバナナ好きかって尋ねるくらい愚の骨頂だったわね」
「はっきり聞こえてんのよ! 誰がイモ神よ!? この枯葉大明神! っつーか人を猿なんかと一緒にしないでよ!?」
穣子の抗議を華麗に受け流して静葉は再び尋ねる。
「……それじゃ、あなたは納豆汁粉って小説読んでて納豆汁粉食べたくなるのかしら」
「な、なっとうじるこ? ……なにそれ!? そんな小説あったら読んでみたいわよ!? ってかなによ納豆汁粉って? 納豆なの? お汁粉なの!?」
目を白黒させながら尋ね返す穣子に、静葉は不敵な笑みを浮かべて告げる。
「あら、穣子ったら知らないの。お汁粉に納豆を入れて冷やしたものよ。昔、外の世界で流行ったらしいわ」
「そんな情報どこで仕入れたのよ。どーせまたブン屋あたりのガセネタなんじゃないの?」
「違うわ。前に貸本屋で借りた本に載ってたのよ」
「どっちにしても眉唾モノじゃないか」とばかりに穣子は、怪訝そうな表情で首を傾げる。
すかさず静葉が、フッと笑みを浮かべて言い放つ。
「ま、今度ミスティアにでも聞いてみなさいな。きっと外の世界の定番スイーツだったのよ」
「スイーツって……。だって納豆とお汁粉よね?」
「ええ、そうよ。ちなみによく冷やすのがおいしく作るコツらしいわよ」
「いや、そんな豆知識いらないから」
「そう、納豆だけにね」
「やかましい!」
不敵な笑みを浮かべている静葉に、穣子は呆れたように深いため息をつく。
「……はぁ。それにしても、納豆汁粉なんてゲテモノにもほどがあるわね」
思わず顔をしかめる穣子に、静葉はさらっと言い放つ。
「あら、何言ってるの。そもそも納豆の時点ですでにゲテモノじゃない」
それを聞いた穣子は目を開いてすかさず言い返す。
「あーっ!? 姉さん! それ、納豆好きが聞いたら黙ってないからね! 黙ってないからねー!? 私、しーらないっと」
「あら、そうなのかしら」
「そーよそーよ! だって納豆って、ようは腐った豆よ? そんなもん好き好んで食べる人たちが、マトモな神経してるとは到底思えないわ! きっと今の姉さんの言葉に対して過剰なくらいにキョーレツにバッシングしてくるわよ!?」
鼻息荒げてまくし立てる穣子に、静葉は真顔で言い放つ。
「……穣子。そっちこそ全ての納豆愛好家たちを敵に回すセリフだと思うんだけど」
「……えっ?」
□
「……さて、穣子。よく聞きなさい。納豆というのは、豆を発酵させたものなのよ。腐らせてはいないの。腐敗と発酵は違うのよ」
「ふーん。どう違うのよ?」
「ズバリ美味しいか不味いか、ね」
「ふーん。じゃあ、納豆嫌いな人にとっては腐敗なんじゃないの? それって」
穣子の質問に静葉は、呆れたように両手を広げて答える。
「……ずいぶんと腐った考え方ね。今はイモの季節じゃないから、きっと脳まで腐っちゃったのね」
「余計なお世話よ!? あと人を芋扱いするな!」
ビービー騒ぐ穣子に構わず静葉は説明を続ける。
「もっと詳しく言うと、人間にとって有益か否かということの違いよ。有益なのが発酵。そうじゃないのが腐敗」
「ふーん。じゃあ、私たちには関係ないじゃない」
「どうして」
「だって私たち人じゃなくて神様だもん!」
「あら、神様だって美味しいもののほうがいいでしょ」
「そ、そりゃ確かに腐ったもんなんて食いたくないけどさー。……つーか、姉さん、さっきっからやたら詳しいわね? もしかして誰かに教えてもらったりしたの?」
「ええ。だいぶ昔にね」
「へー誰誰? ミスティアあたり?」
「あなたよ」
「へ……?」
「だいぶ昔のあなたが教えてくれたのよ」
「……あれ? そーだったっけ」
きょとんとした様子で首を傾げる穣子に、静葉は思わずため息をついて告げる。
「……あなたねぇ。なんで昔教えてくれたこときれいさっぱり忘れているのよ。もしかして記憶までイモで上書きされちゃったのかしら」
「しっ失礼ね!?」
「じゃあ、聞くけど穣子。昨日の晩ごはん覚えてるかしら」
「えっ? ……き、昨日は、えーと……。確かタケノコごはんと山菜のみそ汁だったような……。 ほら、竹藪医者んとこのウサギからもらったヤツ。……あ、あとカブの漬物もあったかも! いや、やっぱ二十日大根のサラダだったかな? あと、ご飯のあとにお団子食べたよね? ほら、里の玉兎の甘味屋のやつ! 山ぶどうソースの。ほんのり甘酸っぱかったよね。確か、ほうじ茶と一緒に食べたような……」
しどろもどろに答える穣子に、静葉は首を振って言い放つ。
「はい残念。ハズレよ」
「ええっ!?」
「……もう、穣子ったら本当に忘れちゃったのね。昨日の夜はあれ食べたでしょ」
「あれってなによ……?」
「決まってるでしょ。納豆汁粉よ」
「いや、絶対食べてねぇーし!?」
即答する穣子に、静葉はフッと笑みを浮かべながら告げる。
「あら、本当にそうかしら。本当に自信持ってそう答えられるのかしら」
「え? え……。そ、そう言われるとなんか自信が……。あれ、私、実は食べたっけ、納豆汁粉……。昨日の夜……? うーん……」
思わず腕を組んでブツブツと小声で自問自答を繰り返す穣子に、静葉は笑みを浮かべたまま言い放つ。
「ま、食べてないんだけどね」
「ふざけんなっ!? この枯葉っ! 煮て焼いて、もみじおろしにすんぞ!?」
穣子の怒声に、静葉はニヤリと笑みを浮かべる。
それを見て穣子は、ふと我に返ったように天を仰ぎ呟くように告げた。
「……それはそーと姉さん」
「なにかしら」
「そろそろ、夕めしにしよーよー……」
静葉は目を細めて、しばらく何かを考える素振りをしていたが、やがてふっと自嘲じみた笑みをこぼすと、ボソリと答えた。
「……ええ、そうね。そうしましょうか」
「よーし! じゃあ今日はアレにするからね!?」
「アレってなによ」
「そんなの決まってるでしょ!」
半刻後、穣子が上機嫌そうに持ってきた大皿によそられていたのは、山盛りの芋粥だった。
静葉は、そう来たか。と、ばかりに思わず手に持っている『芋粥』に視線を落とす。そして『芋粥』と芋粥をしばらく見比べていたが、やがて『芋粥』をパタンと閉じると小さく呟く。
「……ま、食べるけどね」
静葉は苦笑しながら、山盛りの芋粥に手を付け始める。
気がつくとカラスの鳴き声は、聞こえなくなり、辺りはすっかり闇夜の静けさに包まれていた。