「阿梨夜に奉納品?」
ピラミッドから解放されて季節は進み──山が紅く染まりつつある、ある日のこと。
すっかり馴染みの場所となった、旧友の神社を訪れていたユイマンに、早苗が小さな木箱を見せる。
「そうなんですよ、里からいらしたご夫婦が石長姫様に是非……って」
石長姫。
磐永阿梨夜の、石の女神として人々の間に広まる名。
そして、ここ幻想郷では──妖怪の山の化身としてもその名を知られている。
その女神の元を参拝したかったものの、何処へ行けばと迷った夫婦がこの神社を頼ったという経緯らしい。
「以前から、時折こういう参拝客はいらっしゃったんですけどね」
里の人間達は、石長姫が妖怪の山の神だと寺子屋で教わるらしいが、この場所──守矢神社が出来る前は、妖怪の山に人間のための神社などは存在しなかった。
「よっぽど熱心な信徒は、自力で山頂まで登ったりするらしいんですが」
「山頂って……」
事も無げに早苗は言うが、その名の通りこの山は妖怪達の領域だ。
山を仕切る天狗達の目をかい潜ってそこへ到達出来るのなど、人間を辞めたような一部の者達だけだろう。
「お酒とかお米とか……あの頃は色々持ってくる方達が居まして」
新しい環境に馴染もうと奔走していた頃のことを思い返し、早苗は言う。
「突っ返すわけにもいかないから、ありがたく頂いちゃいましたけど」
「ケロリと言うわねぇ」
この子も中々肝が太いな、などとは思うが、あのふたりと暮らしているならこれくらいは当然か。
ユイマンは旧友とその相棒の顔を思い浮かべていた。
「けど、今はこうして御本人にお渡し出来るようになって良かったです」
そう言って手渡された真新しい木箱には、達筆な字で「奉納」と書かれている。
「へぇ、なんだろう。やっぱりお酒かな」
手に伝わる確かな重みに、つい期待が膨らむ。
「なんでもご夫婦で石工を生業にされてるとの事で、お二人で手ずから仕上げた品だそうですよ」
「ああ、それで」
石を扱う職人が、石の女神に作品を捧げたいというのは自然な感情だろう。
彼らが思う「石長姫」の像がどこまで阿梨夜と一致しているかはともかく──
何千年という時代を越えても、彼女を慕う人間が居るというのは喜ばしい事に思えた。
「……ねぇ、中身見てみない?どんな品か早苗も気になるでしょ?」
屈託ない子どものように、ユイマンは笑って言う。
「えっ、いいんですか? そりゃあ気にはなりますけど……」
言葉を濁した早苗の視線は、木箱に施された厳重な封へと吸い寄せられていた。
「平気よ、阿梨夜は優しいもの」
自分で言うのもなんだが、阿梨夜は私には甘いし、共に祀られていた昔から奉納品はいつも二人で分かち合って来た。
こんな事で彼女の機嫌を損なうような事にはならないだろう。
「……それじゃあ一目だけ」
「そうこなくっちゃね。それじゃあ開けるわよ、せーのっ」
そうして木箱はその封を解かれ──神社には早苗の悲鳴が響き渡った。
「それで気まずい空気になって、逃げるようにこちらへ来た、と」
「だって……」
妖怪の山の麓に広がる「聖域」と呼ばれる場所。
その地下深くに密かに佇む神社で、共に祀られる彼女を出迎えた阿梨夜は、事の顛末を聞いて呆れた顔をする。
──膨大な情報を処理する中で、そういった信仰が存在するのは知っていた。
しかし映像として知っているそれらの品と比べても、この「奉納品」の造形は随分と生々しい物に見えた。
「職人気質が発揮された結果でしょうね。それだけ真摯に願いを込めて造られた物なのでしょう」
そんなこちらの心を読んだのだろう、阿梨夜が言う。
「丁寧な仕事です。それに、使われている石も良い物だ」
そう言って「それ」を指でなぞる阿梨夜の仕草に、思わず息を飲む。
「これは妖怪の山の石、それも上質な玄武岩です。里の人間が手に入れるのは苦労した事でしょう」
「王女にとっては少々面を喰らう代物だったでしょうが……これも私に捧げられたひとつの祈りの形なのです」
そう言って阿梨夜は目を細める。
自らを永遠の冬の化身と称するこの神の、この地上で懸命に生きる命に向ける眼差しは、いつも優しい物だった。
「それ……これからどうするの?」
「さて、私もこうして直接品を受け取るのは初めての事ですから。祭壇でも作って霊力を込めましょうか」
──尤も、この不変の石の力がどこまで助けになるかは分かりませんが。
そう零した阿梨夜の横顔には、僅かに自嘲の色が見えた気がした。
「本当に作ってる……」
あれから一夜明け、地下深くの神社のその一角には、簡素な祭壇が出来上がっていた。
その中心に鎮座するのは……阿梨夜が泉で清めてきた「あれ」だ。
正面に対する阿梨夜は、神妙な面持ちで「それ」を手に取ると、自身の霊力を込め始めた
滑るように一撫で、両の手で持ち上げると、目を瞑る。
その所作には妙にどぎまぎしてしまう物があったが、当人は至って真剣な面持ちだった。
「……」
「真面目な神、なのよね」
そうして彼女を見つめていると、行為を終えた阿梨夜がこちらに気付き──いや、最初から気付いてはいたのだろうが。
「そんなに興味深いものでしたか?」
そう、静かに微笑んだ。
「……」
神域では心は筒抜けのはずなのに、ずるい神だなとユイマンは思う。
何もかもお見通しのはずのこの神様は、しかしそれを暴くようなことは決して言わない。
ユイマンにとっては昔から、それが居心地良くもあり──もどかしい部分でもあった。
「別に……阿梨夜が珍しく神様らしいことしてるなーと思ったら気になって」
バレバレなのは分かっていても、そう受け取って欲しい形を言葉にする。
そうやって形にしてしまわないと、胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。
「……あれで、お仕舞い?」
「ひとまず朝の分は」
「こういうことは継続が大事なのです」
そう言って、阿梨夜は静かに祭壇へ視線を戻す。
それはまるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
そんな「儀式」が日常となって数日が経った頃、何時ものように朝の祈りを終えた阿梨夜にユイマンは声を掛ける。
「ご夫婦のお願い、叶うといいね」
「……そう、ですね」
まただ。
阿梨夜が浮かべる、僅かに自嘲めいた笑みに、ユイマンの心がさざめく。
「……ねぇ」
「神奈子がね、守矢神社に分社を作らないか、って言ってくれてるのよ」
旧友の名を出し、ユイマンは切り出す。
「大勢居るらしいわよ? 貴方に詣でたい里の人達」
「……私の力は」
「彼らが期待するような物ではありませんよ」
そう言って阿梨夜は、また力無く微笑む。
「……」
「こういうのって、大事なのは信じる方の気の持ちようでしょ?」
健康長寿に始まり、子宝祈願に安産祈願、縁結びに縁切り、恋愛成就。
全ては「石長姫」の御利益とされている物だ。
「神奈子だって、参拝者の願い全部なんて到底叶えられないけど、気にすることなく振る舞ってるわよ」
丁寧ながら尊大な、旧友の姿を思い浮かべてユイマンは言う。
「……真面目過ぎるのよ、貴方は」
生きることも死ぬことも出来ない、恒久不変の石の力。
阿梨夜が、自分の力に対して抱いているのは諦めだった。
「……かつて」
「外の世界にも、ああいう物を『私』に捧げる信仰がありました」
「私が封印されていなければ……そもそも、生命の輪の外の石の神でなければ……もっと、彼女達の力になれたのかもしれません」
「『これ』だって……私にそんな力があるかなんて……」
言い終えたところで、阿梨夜の言葉がふと途切れる。
まるで、自分で投げた言葉の行き先を見失ったかのように。
「……それでも貴方は」
「祈ることを止めないじゃない」
「私には」
「それしか出来ないのです」
「阿梨夜……」
ユイマンは少しだけ間を置いてから、いつもの調子で笑う。
けれど、その笑みはどこか軽さだけではないものを含んでいた。
「阿梨夜が……自分の力に自信が無いなら、私も力になるからさ」
「この神社は……私達ふたりの神社でしょ?」
夜の「儀式」の時間、何時ものように阿梨夜は祭壇の前に立ち、何時ものように「それ」に手を伸ばす。
──何時もと違うのは、隣にユイマンが居ることだ。
滑るように一撫で、両の手で持ち上げると、目を瞑る。
何時もと同じ、その所作を終えた阿梨夜は、隣のユイマンに視線を移す。
「それでは……」
「う、うん……」
躊躇いがちに返事をすると、ユイマンはおずおずと「それ」を受け取る。
──やっぱりちょっと生々しいな。
そんなことを、つい思いながら。
溜め息をひとつ吐いて、ユイマンは阿梨夜の所作の真似をする。
滑るように一撫で、両の手で持ち上げると、目を瞑る──
そして真摯に、丁寧に、自身の霊力を「それ」に注ぎ込んでいく。
何時も阿梨夜が、そうしているように。
阿梨夜はそれを、ただ静かに見ていた。
教えるでもなく、止めるでもなく。
こうして新たな習慣がひとつ増えて、ふたりの「日常」は続いていく。
「いやぁ! 本当にありがとうございました!」
季節が一巡する頃、阿梨夜は半ば強制的に守矢神社へと連れ出されていた。
件の石工夫婦が、「念願」が叶ったお礼をさせて欲しいと強く希望したためだ。
「あの後、すぐにこの子を授かれたのもそうですが、経過もとにかく盤石その物でして……石長姫様のご利益だとみな言っております」
やや歳の行った真面目そうな夫婦の、男の腕には──ひとりの赤ん坊が抱かれている。
「……私は何も、特別なことは」
実際の所、これが「祈り」の結果なのかどうかは阿梨夜にも分からなかった。
自身の不変の力に生命を産み出すような力は無いと、阿梨夜はそう思っている。
作用があったとするなら──
「……? 良かったね阿梨夜!」
阿梨夜の視線に気付くと、ユイマンは笑顔で言った。
「……ええ、本当に」
そう言って浮かべた阿梨夜の微笑みには、もう自嘲の色は見当たらなかった。
「もし良かったら……抱いてやってはくれませんか?」
「えっ」
石工の唐突な提案に、その意図を掴むのは一拍遅れ──
気付けば、赤ん坊がそっとこちらへ差し出されていた。
「……」
「柔らかいな」
腕の中の重みと熱を確かめるように、阿梨夜の口元が自然と緩む。
それは、自らの手にある「不変」とはまるで別のものだった。
「実は稼業の方も……お蔭様で景気が良くて」
「お蔭様?」
「ええ、ええ! 実は話を聞いた里の者達が、それなら是非うちもと、こぞって注文をしてくれてるのです!」
「……」「……」
ユイマンはまず、大量の「あれ」が神社に並ぶ様子を思い浮かべてしまい、静かに首を振る。
阿梨夜はというと……また、何処か不安げな面持ちをして佇んでいた。
「ねぇ、阿梨夜」
そんな阿梨夜の様子に気付いたユイマンは、彼女にそっと耳打ちする。
「私なら……いつでも『手伝う』からさ」
──真面目で、優し過ぎるこの神様は、きっとまたひとりで抱え込んでしまうから。
しん……と辺りが静まり返る。
「ユイマン」
旧友である、神奈子が切り出す。
「あまりその……若い娘の前でそういう話は止めた方がいいですよ」
その顔には苦笑が浮かんでいる。
「……?」
急に何を言っているのだろう、神奈子は。 ユイマンがそう思っていると──
「てっ……手伝うって……」
わなわなと震える早苗が口を開く。
「えっ……あ、やっぱりそういう感じなんです……? こういうのって……」
「……違うから!?」
そこでようやく、ユイマンも自分がどんな誤解を招いていたのか察しが付いた。
「違うのよ!!」
「私はただね……? 阿梨夜が自信無さそうだったから助けてあげられたらな、って……!」
弁解を試みるユイマンだったが、今の早苗には何を言ってももう、「そういうこと」にしか聞こえない。
『ほら……大丈夫よ、阿梨夜』
『私に、全て委ねて……?』
「はわわわわ……」
その脳内でどこまで話が進んでしまったのか、早苗はすっかり顔を紅くして狼狽えている。
「……? ええ、ユイマンには大いに助けてもらいましたが」
「阿梨夜!!」
普段神域の力に頼りきりのせいか、こういう時の阿梨夜はとにかく鈍い。
余計なことを言わせると火に油だ。そう思っていると──
「……次からは、もうちょっと小振りにした方が良かったりします?」
とうとう石工まで、妙な気を遣い始めた。
「違う……違うんだって……」
「そんな躍起になって否定しなくてもさぁ」
「別に悪いことってわけでもないんだし」
そう呑気に言うのは神奈子の相棒の祟り神だ。
ユイマンが否定すればするほど、周囲の視線は変に温かい物となっていく。
不思議に浮ついた空気の中、阿梨夜は腕の中の命を見つめていた。
「……元気に育つのよ」
赤ん坊だけが、その言葉をただ音として聞いていた。
ピラミッドから解放されて季節は進み──山が紅く染まりつつある、ある日のこと。
すっかり馴染みの場所となった、旧友の神社を訪れていたユイマンに、早苗が小さな木箱を見せる。
「そうなんですよ、里からいらしたご夫婦が石長姫様に是非……って」
石長姫。
磐永阿梨夜の、石の女神として人々の間に広まる名。
そして、ここ幻想郷では──妖怪の山の化身としてもその名を知られている。
その女神の元を参拝したかったものの、何処へ行けばと迷った夫婦がこの神社を頼ったという経緯らしい。
「以前から、時折こういう参拝客はいらっしゃったんですけどね」
里の人間達は、石長姫が妖怪の山の神だと寺子屋で教わるらしいが、この場所──守矢神社が出来る前は、妖怪の山に人間のための神社などは存在しなかった。
「よっぽど熱心な信徒は、自力で山頂まで登ったりするらしいんですが」
「山頂って……」
事も無げに早苗は言うが、その名の通りこの山は妖怪達の領域だ。
山を仕切る天狗達の目をかい潜ってそこへ到達出来るのなど、人間を辞めたような一部の者達だけだろう。
「お酒とかお米とか……あの頃は色々持ってくる方達が居まして」
新しい環境に馴染もうと奔走していた頃のことを思い返し、早苗は言う。
「突っ返すわけにもいかないから、ありがたく頂いちゃいましたけど」
「ケロリと言うわねぇ」
この子も中々肝が太いな、などとは思うが、あのふたりと暮らしているならこれくらいは当然か。
ユイマンは旧友とその相棒の顔を思い浮かべていた。
「けど、今はこうして御本人にお渡し出来るようになって良かったです」
そう言って手渡された真新しい木箱には、達筆な字で「奉納」と書かれている。
「へぇ、なんだろう。やっぱりお酒かな」
手に伝わる確かな重みに、つい期待が膨らむ。
「なんでもご夫婦で石工を生業にされてるとの事で、お二人で手ずから仕上げた品だそうですよ」
「ああ、それで」
石を扱う職人が、石の女神に作品を捧げたいというのは自然な感情だろう。
彼らが思う「石長姫」の像がどこまで阿梨夜と一致しているかはともかく──
何千年という時代を越えても、彼女を慕う人間が居るというのは喜ばしい事に思えた。
「……ねぇ、中身見てみない?どんな品か早苗も気になるでしょ?」
屈託ない子どものように、ユイマンは笑って言う。
「えっ、いいんですか? そりゃあ気にはなりますけど……」
言葉を濁した早苗の視線は、木箱に施された厳重な封へと吸い寄せられていた。
「平気よ、阿梨夜は優しいもの」
自分で言うのもなんだが、阿梨夜は私には甘いし、共に祀られていた昔から奉納品はいつも二人で分かち合って来た。
こんな事で彼女の機嫌を損なうような事にはならないだろう。
「……それじゃあ一目だけ」
「そうこなくっちゃね。それじゃあ開けるわよ、せーのっ」
そうして木箱はその封を解かれ──神社には早苗の悲鳴が響き渡った。
「それで気まずい空気になって、逃げるようにこちらへ来た、と」
「だって……」
妖怪の山の麓に広がる「聖域」と呼ばれる場所。
その地下深くに密かに佇む神社で、共に祀られる彼女を出迎えた阿梨夜は、事の顛末を聞いて呆れた顔をする。
──膨大な情報を処理する中で、そういった信仰が存在するのは知っていた。
しかし映像として知っているそれらの品と比べても、この「奉納品」の造形は随分と生々しい物に見えた。
「職人気質が発揮された結果でしょうね。それだけ真摯に願いを込めて造られた物なのでしょう」
そんなこちらの心を読んだのだろう、阿梨夜が言う。
「丁寧な仕事です。それに、使われている石も良い物だ」
そう言って「それ」を指でなぞる阿梨夜の仕草に、思わず息を飲む。
「これは妖怪の山の石、それも上質な玄武岩です。里の人間が手に入れるのは苦労した事でしょう」
「王女にとっては少々面を喰らう代物だったでしょうが……これも私に捧げられたひとつの祈りの形なのです」
そう言って阿梨夜は目を細める。
自らを永遠の冬の化身と称するこの神の、この地上で懸命に生きる命に向ける眼差しは、いつも優しい物だった。
「それ……これからどうするの?」
「さて、私もこうして直接品を受け取るのは初めての事ですから。祭壇でも作って霊力を込めましょうか」
──尤も、この不変の石の力がどこまで助けになるかは分かりませんが。
そう零した阿梨夜の横顔には、僅かに自嘲の色が見えた気がした。
「本当に作ってる……」
あれから一夜明け、地下深くの神社のその一角には、簡素な祭壇が出来上がっていた。
その中心に鎮座するのは……阿梨夜が泉で清めてきた「あれ」だ。
正面に対する阿梨夜は、神妙な面持ちで「それ」を手に取ると、自身の霊力を込め始めた
滑るように一撫で、両の手で持ち上げると、目を瞑る。
その所作には妙にどぎまぎしてしまう物があったが、当人は至って真剣な面持ちだった。
「……」
「真面目な神、なのよね」
そうして彼女を見つめていると、行為を終えた阿梨夜がこちらに気付き──いや、最初から気付いてはいたのだろうが。
「そんなに興味深いものでしたか?」
そう、静かに微笑んだ。
「……」
神域では心は筒抜けのはずなのに、ずるい神だなとユイマンは思う。
何もかもお見通しのはずのこの神様は、しかしそれを暴くようなことは決して言わない。
ユイマンにとっては昔から、それが居心地良くもあり──もどかしい部分でもあった。
「別に……阿梨夜が珍しく神様らしいことしてるなーと思ったら気になって」
バレバレなのは分かっていても、そう受け取って欲しい形を言葉にする。
そうやって形にしてしまわないと、胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。
「……あれで、お仕舞い?」
「ひとまず朝の分は」
「こういうことは継続が大事なのです」
そう言って、阿梨夜は静かに祭壇へ視線を戻す。
それはまるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
そんな「儀式」が日常となって数日が経った頃、何時ものように朝の祈りを終えた阿梨夜にユイマンは声を掛ける。
「ご夫婦のお願い、叶うといいね」
「……そう、ですね」
まただ。
阿梨夜が浮かべる、僅かに自嘲めいた笑みに、ユイマンの心がさざめく。
「……ねぇ」
「神奈子がね、守矢神社に分社を作らないか、って言ってくれてるのよ」
旧友の名を出し、ユイマンは切り出す。
「大勢居るらしいわよ? 貴方に詣でたい里の人達」
「……私の力は」
「彼らが期待するような物ではありませんよ」
そう言って阿梨夜は、また力無く微笑む。
「……」
「こういうのって、大事なのは信じる方の気の持ちようでしょ?」
健康長寿に始まり、子宝祈願に安産祈願、縁結びに縁切り、恋愛成就。
全ては「石長姫」の御利益とされている物だ。
「神奈子だって、参拝者の願い全部なんて到底叶えられないけど、気にすることなく振る舞ってるわよ」
丁寧ながら尊大な、旧友の姿を思い浮かべてユイマンは言う。
「……真面目過ぎるのよ、貴方は」
生きることも死ぬことも出来ない、恒久不変の石の力。
阿梨夜が、自分の力に対して抱いているのは諦めだった。
「……かつて」
「外の世界にも、ああいう物を『私』に捧げる信仰がありました」
「私が封印されていなければ……そもそも、生命の輪の外の石の神でなければ……もっと、彼女達の力になれたのかもしれません」
「『これ』だって……私にそんな力があるかなんて……」
言い終えたところで、阿梨夜の言葉がふと途切れる。
まるで、自分で投げた言葉の行き先を見失ったかのように。
「……それでも貴方は」
「祈ることを止めないじゃない」
「私には」
「それしか出来ないのです」
「阿梨夜……」
ユイマンは少しだけ間を置いてから、いつもの調子で笑う。
けれど、その笑みはどこか軽さだけではないものを含んでいた。
「阿梨夜が……自分の力に自信が無いなら、私も力になるからさ」
「この神社は……私達ふたりの神社でしょ?」
夜の「儀式」の時間、何時ものように阿梨夜は祭壇の前に立ち、何時ものように「それ」に手を伸ばす。
──何時もと違うのは、隣にユイマンが居ることだ。
滑るように一撫で、両の手で持ち上げると、目を瞑る。
何時もと同じ、その所作を終えた阿梨夜は、隣のユイマンに視線を移す。
「それでは……」
「う、うん……」
躊躇いがちに返事をすると、ユイマンはおずおずと「それ」を受け取る。
──やっぱりちょっと生々しいな。
そんなことを、つい思いながら。
溜め息をひとつ吐いて、ユイマンは阿梨夜の所作の真似をする。
滑るように一撫で、両の手で持ち上げると、目を瞑る──
そして真摯に、丁寧に、自身の霊力を「それ」に注ぎ込んでいく。
何時も阿梨夜が、そうしているように。
阿梨夜はそれを、ただ静かに見ていた。
教えるでもなく、止めるでもなく。
こうして新たな習慣がひとつ増えて、ふたりの「日常」は続いていく。
「いやぁ! 本当にありがとうございました!」
季節が一巡する頃、阿梨夜は半ば強制的に守矢神社へと連れ出されていた。
件の石工夫婦が、「念願」が叶ったお礼をさせて欲しいと強く希望したためだ。
「あの後、すぐにこの子を授かれたのもそうですが、経過もとにかく盤石その物でして……石長姫様のご利益だとみな言っております」
やや歳の行った真面目そうな夫婦の、男の腕には──ひとりの赤ん坊が抱かれている。
「……私は何も、特別なことは」
実際の所、これが「祈り」の結果なのかどうかは阿梨夜にも分からなかった。
自身の不変の力に生命を産み出すような力は無いと、阿梨夜はそう思っている。
作用があったとするなら──
「……? 良かったね阿梨夜!」
阿梨夜の視線に気付くと、ユイマンは笑顔で言った。
「……ええ、本当に」
そう言って浮かべた阿梨夜の微笑みには、もう自嘲の色は見当たらなかった。
「もし良かったら……抱いてやってはくれませんか?」
「えっ」
石工の唐突な提案に、その意図を掴むのは一拍遅れ──
気付けば、赤ん坊がそっとこちらへ差し出されていた。
「……」
「柔らかいな」
腕の中の重みと熱を確かめるように、阿梨夜の口元が自然と緩む。
それは、自らの手にある「不変」とはまるで別のものだった。
「実は稼業の方も……お蔭様で景気が良くて」
「お蔭様?」
「ええ、ええ! 実は話を聞いた里の者達が、それなら是非うちもと、こぞって注文をしてくれてるのです!」
「……」「……」
ユイマンはまず、大量の「あれ」が神社に並ぶ様子を思い浮かべてしまい、静かに首を振る。
阿梨夜はというと……また、何処か不安げな面持ちをして佇んでいた。
「ねぇ、阿梨夜」
そんな阿梨夜の様子に気付いたユイマンは、彼女にそっと耳打ちする。
「私なら……いつでも『手伝う』からさ」
──真面目で、優し過ぎるこの神様は、きっとまたひとりで抱え込んでしまうから。
しん……と辺りが静まり返る。
「ユイマン」
旧友である、神奈子が切り出す。
「あまりその……若い娘の前でそういう話は止めた方がいいですよ」
その顔には苦笑が浮かんでいる。
「……?」
急に何を言っているのだろう、神奈子は。 ユイマンがそう思っていると──
「てっ……手伝うって……」
わなわなと震える早苗が口を開く。
「えっ……あ、やっぱりそういう感じなんです……? こういうのって……」
「……違うから!?」
そこでようやく、ユイマンも自分がどんな誤解を招いていたのか察しが付いた。
「違うのよ!!」
「私はただね……? 阿梨夜が自信無さそうだったから助けてあげられたらな、って……!」
弁解を試みるユイマンだったが、今の早苗には何を言ってももう、「そういうこと」にしか聞こえない。
『ほら……大丈夫よ、阿梨夜』
『私に、全て委ねて……?』
「はわわわわ……」
その脳内でどこまで話が進んでしまったのか、早苗はすっかり顔を紅くして狼狽えている。
「……? ええ、ユイマンには大いに助けてもらいましたが」
「阿梨夜!!」
普段神域の力に頼りきりのせいか、こういう時の阿梨夜はとにかく鈍い。
余計なことを言わせると火に油だ。そう思っていると──
「……次からは、もうちょっと小振りにした方が良かったりします?」
とうとう石工まで、妙な気を遣い始めた。
「違う……違うんだって……」
「そんな躍起になって否定しなくてもさぁ」
「別に悪いことってわけでもないんだし」
そう呑気に言うのは神奈子の相棒の祟り神だ。
ユイマンが否定すればするほど、周囲の視線は変に温かい物となっていく。
不思議に浮ついた空気の中、阿梨夜は腕の中の命を見つめていた。
「……元気に育つのよ」
赤ん坊だけが、その言葉をただ音として聞いていた。