Coolier - 新生・東方創想話

水底に眠るのは

2026/05/23 06:50:54
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 大嫌いなものを全部集めて、丸めて、塊にしたような、恐ろしく、気持ちの悪く、忌々しく、悍しく―――でもその異形さのあまり、目を離すことができないような、そんな夢。
 「母さま、母さま。」
 決まって始まりは幸せ。自分を呼ぶ声に優しく答えて、笑い合って。「自分は今、この世で一番幸せなんだ。」そう確信する瞬間。
 「母さまっ母さまああぁっ!」
 ほんの一瞬の間、視界が暗転する。しかし、その一瞬は、母から子を奪うのに―――永遠と思っていた幸せを全て崩すのに、十分だった。
 叫び声で我に返り、最初に目にするのは、見たことも無いような悪夢の世界。床には、果なき湖のように広がる、紅く玄い血。その中には、まだ温もりの残る幼い身体。
 「かあさま…かぁ、さ、まぁ…」
 顔を上げると、刃物を持ったまま狂気的に笑う夫と、その隣で不敵な笑みを浮かべる「彼女」の姿があった。
 亡骸となった身体を抱き、立ち上がろうとした所で、
 ―――意識が途切れた。いや、夢から冷めたのだから、意識が戻った、というべきか。純狐はゆっくりと起き上がった。額には大粒の汗が浮かび、心臓は通常より速く脈打っている。じんじんと痛む胸に手を当て、深呼吸を繰り返していると、段々と涙が零れてきた。見たくもない苦しい夢でも、最初だけは幸せなのだ。その先にどんな悪夢を見ようと、優しく甘い夢から覚めるのは、辛く苦しいものなのだ。
 もう何年、同じ地獄絵図を毎晩見たことだろう。吐き気を抑えながら、純狐は息子を失った時の、あの心に茨が巻き付くような感覚を忘れようとしたが、脳に刻まれたそれは、簡単に消すことはできなかった。
 以前、地獄の女神・ヘカーティアと手を組み、「彼女」―――嫦娥の住む月の都を襲撃した時。人間や巫女、元・月の兎に倒され、純狐は地上、特に幻想郷に興味を持った。ヘカーティアやその部下、クラウンピースと人里を回り、巫女達の神社や、人間の魔法使いの住む魔法の森、そしてあの兎が元・月の姫や賢者と暮らす竹林にも行った。しばらくは充実した日々を過ごし、悪夢を見ることも少なくなっていたのに。
 「潜在意識というのは、恐ろしいものね。」
 もう、耐えられなかった。怖かった。このまま毎日同じ夢を見続けたら、精神が崩壊してしまうのではないか。そう思うと、心臓の鼓動が一層速くなるのを感じた。
 「ここで終わらせた方が、いいのかしら…」
 嫦娥への復讐心が弱まることはなかった。いつも、その命を断ってやりたいと、そう願っていた。でも同時に、それも怖かった。もう何年も復讐心だけで生きてきたものだったから、仮に嫦娥を亡き者にして、復讐心が収まったとしても、純狐には生きる理由がなくなる。いや、そもそも自分は底なき憎しみ、苦しみ、悲しみが純化し、今の仙霊という存在になっているのだから、最悪の場合消滅するかもしれない。
 「つっ…!」
 息子が死んだ瞬間が、まさに走馬灯のように、脳裏にちらついた。かつてはきらきらと輝いていたのに、その時全ての光を失った虚ろな目。小さく軽かった身体。そして、最後まで自分を呼んでくれた、自分を信じてくれた、自分を愛してくれた、あの高く優しい声。一瞬で溢れ出した記憶に、純狐は激しい頭痛を覚えた。
 「もう、駄目だわ…終わらせなきゃ」
 消えてもいい。それで、この苦しみから解放されるのなら。胸を押しつぶす、この底なきどす黒い感情を失くすことができるのなら。そして立ち上がり、部屋を出た。
 「あれ、ご友人様。どこか行かれるんですか?」
 廊下を歩いている時に、地獄の妖精、クラウンピースとすれ違った。
 「ええ、ちょっと散歩にね。すぐに戻ってくるわ。」
 「分かりました。お気をつけて〜」
 (クラウンピースに知られたら、ついていくって言うかもしれないし…これは私一人の問題だもの、大丈夫)
 そう心を落ち着かせながら、純狐は月へと向かった。

  一方その頃、月の都では

 「じょ、嫦娥様?」
 屋敷から出ようとする嫦娥を見て、使用人の一人が訝しげに尋ねる。
 「どうかなさったんですか?」
 「ええ、少しね。なんとなく、彼女が来る予感がするの。」
 「か、彼女って、まさか…!?駄目です嫦娥様、ここに残ってください!こんな夜遅くに、夫様に知られたら…!ただでさえ嫦娥様は…!」
 「いいの、大丈夫。すぐに戻ってくるわ。」
 そう言いながら嫦娥は、彼女の住む豪邸を去った。

  月面の海付近

 「やはりいましたね、嫦娥」
 「やはりいたのね、純狐」
 二人の声が重なった。
 「今日こそ、積年の恨みを晴らします」
 「はぁ、うっとおしい。諦めて帰ればいいのに。」
 そう言いながら二人は、お互いに弾幕を出し合った。
 戦いは長かった。どちらの弾幕も美しく、狂気的だった。その戦いの中で、純狐は違和感を覚えた。
 なんだ。なんだ、この違和感は。嫦娥の動きが、あまりにも不自然だ。まるで、何かを守っているような…
 (腹部に何か、隠している?)
「何を隠し持っている、嫦娥」
「…」
 純狐は弾幕で剣を作り、嫦娥に向けた。この時初めて、嫦娥の目に、恐怖が見えた。
 『…っ』
 純狐は、その剣で、嫦娥の腹を割いた。
「っ…!」
 中から、何かが出てきた。
 そのナニカは、赤く、小さく、肉々しい形をしていた。
 遠い昔に嗅いだような、鉄っぽく、それでもほんの少し優しい香りがした。
 最初は内臓が出たのかと思った。でも、それにしては、大き過ぎる気がした。瞬間、純狐は自分が犯したことを悟った。
 血塗れの嫦娥はふらふらと立ち上がった。ナニカを拾い上げ、
 「これが、あの時の貴女の、気持ち、だったの…?貴女は、どうして、あんな気持ちを味わってから、未だに生きているの…?」
 そう残して立ち去った。
 純狐は、身体の力が全て抜けるのを感じながら、それを見ることしかできなかった。
 やがて嫦娥の姿が消えてしばらく経った後、純狐も立ち上がった。意味もなく辺りを一瞥した。少し離れたところに、透明な海が見えた。
 純狐は、ゆっくりとその海へと歩んで行った。つま先から少しづつ、固く軟らかい水へ降りていった。意外にも、体はそれを拒絶しなかった。きっとこれが必要なことだと分かっていたのだろう。
 すでに腰あたりまで全て水に呑まれていた。純狐の重い服は、すぐに水を吸収し、まもなく動くことさえ難しくなってきた。
 そうして体が完全に水に呑まれた時、純狐は初めて、自分が愛する者たちに感謝と別れを告げなかったことを悔いた。鼓動が速くなるのをだんだんと強く感じながら、純狐は最期に別れの念を想った。
 (ヘカーティア、月の都の襲撃に協力してくれてありがとう。クラウンピース、いつも私たちに元気をくれてありがとう。うどんちゃん、こんな私を拒絶せずに、嫌々でしたでしょうけど、受け入れてくれてありがとう。)
視界は少しずつ狭まり、今になって体が理解したように、腕を、脚を、動かそうとする。ただ、その時にはもう遅かった。
 (最期、か。そうね、『純粋』が取り柄の私には相応しい最期、かもね)
 少し開いた口から、小さな泡がいくつか零れた。
 (さようなら、私が、憎みながらもどこか愛していた、不倶戴天の敵、嫦娥よ)
 ゆっくりと目を閉じ、碧く黎く、冷たい水底に堕ちる姿は、まるで人形のように美しかった。
 水面は一瞬揺れてから、また静かになった。
 清らかな海には、かつての幸せだった母と子を描くような、満天星が映っていた。
エピローグ

地獄
 「ねえ、クラピちゃん。純狐を見なかった?今日は一緒に人里の貸本屋さんに行く予定だったんだけど」
 「ご友人様ですか?見てませ…あっ!そういえば昨日の夜遅く、お散歩に行くって言ってました!そろそろ帰ってくるんじゃないでしょうか…?」
 「あ、そうなの?それなら私も一緒に行けばよかったわぁ。それにしても遅いわねぇ…無事に帰ってきてくれるといいんだけど」
 …きっと、大丈夫よね。純狐は強いし…それに、流石に夜遅くに一人で月の都に行くなんて、そんな事しないわよね…はぁ、早く帰ってきてくれないかしら

月の都
 「嫦娥様!ご無事で何より…って、嫦娥様!血塗れじゃないですか!」
 「悪いわね、一人にしてくれるかしら?それとあの人が帰ってきたら、私の元に来てくれるよう言ってくれる?」
 「あの人って、夫様のことですか?わ、わかりました…」
 「お願いね、ありがとう」
 そう言いながら、部屋に戻る。私の趣味で金銀煌めく部屋になっているが、今となったらもう何の意味も感じられない。
 私と彼の間には、ずっと子供が生まれなかった。もう諦めようかな。何回もそう思いながら、それでも私たちは、毎月決まった日に、行為を続けた。そしてようやく恵まれた子供だったのに。
 「これが、因果応報…?私は確かに彼女の息子を殺す計画に賛成してたし、協力もした。でも直接手を下したわけではないのに…それとも、誰かを殺めようと思ったこと自体、それと同様の罪になるの…?」
 どうしていいのかわからず、私は無駄に飾られた部屋の中で、殺された2人の子供のことを想いながら、ひたすら涙を流した。

永遠亭
 「…」
 「優曇華?どうしたの、さっきから手が止まっているようだけど」
 「あ、すみませんお師匠様。なんだか、念を送られた気がして」
 「念?」
 「はい。ほら、私って波長を操れるじゃないですか。だから誰かが私のことを強く想うと、それを感じられるんですよ。要するに、一方的なテレパシーですね。」
 「あら、そうなのね。誰からのものか、分かるの?」
 「うーん、距離が遠すぎて、わかんないですね…なんとなく、月の方からかな〜って感じはするんですけど…あとは、なんだろう、私に感謝?してるっぽいです、うまく聞き取れませんけど」
 「あら、そう。月からなら、玉兎か豊姫達か、あるいは…」
 「お師匠様?」
 「いいえ、何でもないわ。それより、また手が止まってるわよ。最近寝不足で悩んでいる、あの仙霊に快眠薬を作るんじゃなかったの?」
 「あっはい、今すぐ…って!なんで知ってるんですか!」
 「ふふ、いいこと教えてあげる。日記っていうのはね、机の上に置いたままにしておくと、それはもう読んでくださいって言っているようなものなのよ。同居人が悪戯兎だと、尚更ね。」
 「っ!てゐのやつ〜!っていうか、お師匠様もからかわないでくださいよ〜!」
 なんだろう、よく聞き取れなかったんだけど…あの凄く優しく哀しい念は、純狐さんの声に似ていた気がするけど…別に私、特に何もやってないしなぁ…気の所為、かな?



 最後まで読んでくださり、ありがとうございます。始めまして、水雨未謎波(みずうみなずな)です。
 この作品を読んで、かなり不快な気分になった方もいらっしゃると思います。そんな方には、心から誠実な謝罪を送らせていただきます。
不定期ですが、これからもシリアスだけでなく、ほのぼのなものも書いていくつもりなので、読んで感想を教えてくださると嬉しいです。
水雨未謎波
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