血塗れた拳に絡みつく、艶やかな髪が嫌いだ。
私の人生も父の名声も、この蜘蛛の糸に絡め取られ、永遠に弄ばれている。
「ああ、つまらないわ」
顔面に叩きつけた拳から伝わる、骨の軋み。濡れた指の隙間から、嘲りを孕んだ風が吹き抜ける。
「頭蓋を粉々に砕いて、脳漿を撒き散らすような刺激を求めていたのに……。とんだ期待はずれね」
なめらかな白磁のおとがいを、朱の釉薬が彩る。 華奢な鎖骨の窪みへ注ぐ、ワインレッドの雫。
幾度も嗅いだ、錆びた鉄の匂い。鼻腔が熱い湿り気を帯び、喉が小さく波打つ。
「駄目よ、死合いの最中に視線を逸らすなんて。ふふ、そんなことだから、狙った獲物を仕留めきれないのよ」
薄い紅唇に縁取られた皓歯が、三日月を描く。
暗闇に蠢く、ひとりぼっちの私を嘲笑い、見下し続けた白い月。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
「そういうところ、よく似ているわ。やっぱり親子ね」
はらわたが煮えくりかえる。頭皮から汗がぶわりと滲み、ブツンと何かが切れる音がした。
「輝夜あぁッ!!!」
怒声を放った途端、あふれ出す虹色の光彩。輝夜が手にした蓬莱の玉の枝が、私の腹部に押し当てられていた。
「これで今日の戦績は、二勝一敗」
光球が膨らみを帯び、血液が沸騰する。私の身体は、内側から盛大に爆ぜた。
くるりくるり、世界がまわる。重力から、理から見捨てられた身体が宙を舞う。
眼下に、アイツの姿が見える。私の人生をめちゃくちゃにして、振り回しておきながら、悪びれることもなく悠然と佇んでいる。
どさりと、冷たい雪の上へ墜落する。
後頭部を強く打ちつけ、瞼の内側に星が飛ぶ。肺に穴が空いているのだろう。うまく呼吸ができない。
だが、感じるのは痛みでも、苦しさでも、冷たさでもない。
「……熱い」
胸と鳩尾、腹部に開いた大穴から、酸素と血液が溢れ出していく。穢れを知らぬ新雪が真っ赤に染まり、澄んだ冷気が白く霞む。
ぶるぶると震える指で、雪を鷲掴みにする。たった一握りの雪が、おそろしく重い。取りこぼしそうになりながら、焼け爛れた傷口へ押し込んでいく。
「そんなに詰め込んだら、お腹冷えちゃうわよ?女の子なんだから気をつけないと」
「……お前が言えた台詞か?」
雪からの冷気を避けるように、熱い血液が胸から喉元へせり上がってくる。鼻の奥がツンと痛み、喉の奥で血泡が弾けた。
「そうねえ、外傷性気胸に肝破裂。その他もろもろの重傷で、保って三分といったところかしら」
「げぷっ」
犯人による、一切悪びれる様子のない危篤宣告。返事代わりに血まじりの噯気で応える。
「傷口に詰めた雪が、血で滲んで真っ赤ね。ぷるぷるとした赤い塊が果肉みたいだわ。苺シロップのかき氷食べたくなってきちゃった」
「お前の頭、どうかしてるんじゃないの」
悪態をついて悪寒が走る。視界が霞み、歯の根が震える。全身が小刻みに痙攣し始める。輝夜の見立て通り死ぬのは癪だが、どうやら終わりが近いようだ。
袴に手を突っ込む。くしゃくしゃになった紙巻き煙草を取り出して、震える指先から小さな火を灯す。
「ああ、その指先の火が消えた時、妹紅の生命も消えて失せてしまうのね」
袖で目元を脱ぐような仕草で戯ける輝夜を睨みつける。当然だが、目元はまったく濡れていない。それどころか涙袋がふっくらと盛り上がり、薄目でこちらの様子をうかがっている。
「……くそッ」
舌打ちが漏れる。輝夜に対する怒りではない。今更この程度のおちょくりを受けたところで、腹も立たない。これは、煙草に火が点かないことに対する苛立ちだ。
彩りを失った瞳では視認出来ないが、煙草は血を吸って湿気っているのだろう。指で確かめようにも、もはや触覚すらも定かではなくなっていた。
「私、煙草って嫌いだわ。口吸いする時に臭いんだもの」
突如として飛び出した、生々しい言葉。止まりかけていた心臓が、ドクンと跳ねた。頬に熱が帯びていくのを感じる。
「はん、口吸いだって。したことあるのかしら」
動揺を悟られまいと、口が挑発の言葉を紡ぐ。
「これから逝く地獄で、お父様に聞いてみたらどう?」
霞む視界の中、輝夜が意地悪く笑う。
上等だ。復活したらボコボコにして、口の中に爆竹と一緒に煙草の吸い殻をねじ込んで、臭い煙を嫌というほど吸わせてやる。
「あら、着火できたじゃない。私のおかげかしら?」
鼻につくのは、輝夜の恩着せがましい台詞だけではない。立ち昇る煙草の香りが、鼻腔をくすぐる。
「……ああ」
返事とも呻きともつかない声が漏れる。
思い起こせば、いつも消えそうになる私の心に火を灯してきたのは、輝夜への怒りだった。
身体中の関節が、まるで錆びついたように軋む。肘を曲げて、煙草を指で挟むことすら難しい。それでも、輝夜の前で一服することなく逝くのは避けたかった。
煙草を咥える。フィルターに付着した粉雪が唇の熱に溶け、舌を濡らす。最後の一服がシケモクなんて、締まらない。
「……ふ、うぅ。すぅ……」
煙草を咥えて、深く吸う。味など、分からない。匂いも感じない。目の前が真っ暗で、何も見えない。
「はあ、煙たいわね」
憎たらしい囁きが鼓膜を揺らす。五感の中で最後まで機能するのは、触覚と聴覚だという。
指の間から、煙草が引き抜かれる感覚。血濡れた唇の皮が、ぺりぺりと剥がれる音がする。
「すぅ……」
小さな呼吸音。次いで、咽せて激しく咳き込む声。
最後の力を振り絞り、口角を上向かせる。
「嫌いじゃなかったの?」
少し間を置いて、心臓の鼓動が止まった。私の中から熱が引き、生命が失われていく。
「嫌いよ。臭くて、髪に臭いが染みつくし。それにーー」
輝夜が、唇から煙草を離す。先端の灯火が色を失い、指の間で灰となって崩れていく。
地上を彩る紅白の雪。唇から立ち昇る一筋の煙が、灰色の空へと吸い込まれていく。
血肉を裂く狂宴の終わり、つかの間の静寂。
「吸い続けていると、やめられなくなりそうだもの」
私の人生も父の名声も、この蜘蛛の糸に絡め取られ、永遠に弄ばれている。
「ああ、つまらないわ」
顔面に叩きつけた拳から伝わる、骨の軋み。濡れた指の隙間から、嘲りを孕んだ風が吹き抜ける。
「頭蓋を粉々に砕いて、脳漿を撒き散らすような刺激を求めていたのに……。とんだ期待はずれね」
なめらかな白磁のおとがいを、朱の釉薬が彩る。 華奢な鎖骨の窪みへ注ぐ、ワインレッドの雫。
幾度も嗅いだ、錆びた鉄の匂い。鼻腔が熱い湿り気を帯び、喉が小さく波打つ。
「駄目よ、死合いの最中に視線を逸らすなんて。ふふ、そんなことだから、狙った獲物を仕留めきれないのよ」
薄い紅唇に縁取られた皓歯が、三日月を描く。
暗闇に蠢く、ひとりぼっちの私を嘲笑い、見下し続けた白い月。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
「そういうところ、よく似ているわ。やっぱり親子ね」
はらわたが煮えくりかえる。頭皮から汗がぶわりと滲み、ブツンと何かが切れる音がした。
「輝夜あぁッ!!!」
怒声を放った途端、あふれ出す虹色の光彩。輝夜が手にした蓬莱の玉の枝が、私の腹部に押し当てられていた。
「これで今日の戦績は、二勝一敗」
光球が膨らみを帯び、血液が沸騰する。私の身体は、内側から盛大に爆ぜた。
くるりくるり、世界がまわる。重力から、理から見捨てられた身体が宙を舞う。
眼下に、アイツの姿が見える。私の人生をめちゃくちゃにして、振り回しておきながら、悪びれることもなく悠然と佇んでいる。
どさりと、冷たい雪の上へ墜落する。
後頭部を強く打ちつけ、瞼の内側に星が飛ぶ。肺に穴が空いているのだろう。うまく呼吸ができない。
だが、感じるのは痛みでも、苦しさでも、冷たさでもない。
「……熱い」
胸と鳩尾、腹部に開いた大穴から、酸素と血液が溢れ出していく。穢れを知らぬ新雪が真っ赤に染まり、澄んだ冷気が白く霞む。
ぶるぶると震える指で、雪を鷲掴みにする。たった一握りの雪が、おそろしく重い。取りこぼしそうになりながら、焼け爛れた傷口へ押し込んでいく。
「そんなに詰め込んだら、お腹冷えちゃうわよ?女の子なんだから気をつけないと」
「……お前が言えた台詞か?」
雪からの冷気を避けるように、熱い血液が胸から喉元へせり上がってくる。鼻の奥がツンと痛み、喉の奥で血泡が弾けた。
「そうねえ、外傷性気胸に肝破裂。その他もろもろの重傷で、保って三分といったところかしら」
「げぷっ」
犯人による、一切悪びれる様子のない危篤宣告。返事代わりに血まじりの噯気で応える。
「傷口に詰めた雪が、血で滲んで真っ赤ね。ぷるぷるとした赤い塊が果肉みたいだわ。苺シロップのかき氷食べたくなってきちゃった」
「お前の頭、どうかしてるんじゃないの」
悪態をついて悪寒が走る。視界が霞み、歯の根が震える。全身が小刻みに痙攣し始める。輝夜の見立て通り死ぬのは癪だが、どうやら終わりが近いようだ。
袴に手を突っ込む。くしゃくしゃになった紙巻き煙草を取り出して、震える指先から小さな火を灯す。
「ああ、その指先の火が消えた時、妹紅の生命も消えて失せてしまうのね」
袖で目元を脱ぐような仕草で戯ける輝夜を睨みつける。当然だが、目元はまったく濡れていない。それどころか涙袋がふっくらと盛り上がり、薄目でこちらの様子をうかがっている。
「……くそッ」
舌打ちが漏れる。輝夜に対する怒りではない。今更この程度のおちょくりを受けたところで、腹も立たない。これは、煙草に火が点かないことに対する苛立ちだ。
彩りを失った瞳では視認出来ないが、煙草は血を吸って湿気っているのだろう。指で確かめようにも、もはや触覚すらも定かではなくなっていた。
「私、煙草って嫌いだわ。口吸いする時に臭いんだもの」
突如として飛び出した、生々しい言葉。止まりかけていた心臓が、ドクンと跳ねた。頬に熱が帯びていくのを感じる。
「はん、口吸いだって。したことあるのかしら」
動揺を悟られまいと、口が挑発の言葉を紡ぐ。
「これから逝く地獄で、お父様に聞いてみたらどう?」
霞む視界の中、輝夜が意地悪く笑う。
上等だ。復活したらボコボコにして、口の中に爆竹と一緒に煙草の吸い殻をねじ込んで、臭い煙を嫌というほど吸わせてやる。
「あら、着火できたじゃない。私のおかげかしら?」
鼻につくのは、輝夜の恩着せがましい台詞だけではない。立ち昇る煙草の香りが、鼻腔をくすぐる。
「……ああ」
返事とも呻きともつかない声が漏れる。
思い起こせば、いつも消えそうになる私の心に火を灯してきたのは、輝夜への怒りだった。
身体中の関節が、まるで錆びついたように軋む。肘を曲げて、煙草を指で挟むことすら難しい。それでも、輝夜の前で一服することなく逝くのは避けたかった。
煙草を咥える。フィルターに付着した粉雪が唇の熱に溶け、舌を濡らす。最後の一服がシケモクなんて、締まらない。
「……ふ、うぅ。すぅ……」
煙草を咥えて、深く吸う。味など、分からない。匂いも感じない。目の前が真っ暗で、何も見えない。
「はあ、煙たいわね」
憎たらしい囁きが鼓膜を揺らす。五感の中で最後まで機能するのは、触覚と聴覚だという。
指の間から、煙草が引き抜かれる感覚。血濡れた唇の皮が、ぺりぺりと剥がれる音がする。
「すぅ……」
小さな呼吸音。次いで、咽せて激しく咳き込む声。
最後の力を振り絞り、口角を上向かせる。
「嫌いじゃなかったの?」
少し間を置いて、心臓の鼓動が止まった。私の中から熱が引き、生命が失われていく。
「嫌いよ。臭くて、髪に臭いが染みつくし。それにーー」
輝夜が、唇から煙草を離す。先端の灯火が色を失い、指の間で灰となって崩れていく。
地上を彩る紅白の雪。唇から立ち昇る一筋の煙が、灰色の空へと吸い込まれていく。
血肉を裂く狂宴の終わり、つかの間の静寂。
「吸い続けていると、やめられなくなりそうだもの」