Coolier - 新生・東方創想話

寂しがりやのルーツ

2026/03/25 18:09:18
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 淡い黄緑色の芽が、春の陽に透けるように輝いていた。
 皮手袋をつけた左手で、枝を手繰り寄せる。タラノキは棘を持っているので、皮手袋は必需品だ。
 枝の先端には、黄緑色のタラの芽が三つほど実っている。私は空いた右手で、先端の一つだけを摘み取った。
 二つはそのまま残しておく。タラの芽とはタラノキの新芽のことだ。すべて取ってしまうと、木の成長が止まってしまい、場合によっては枯れてしまう。採りすぎは厳禁だ。
 摘み取ったタラの芽を、籠に放る。籠の中は、タラの芽やふきのとうでいっぱいになっていた。
 籠の中の山菜が、てんぷらやおひたしになっているところを想像する。きっと鯨呑亭のお客さんたちも満足してくれることだろう。

「ちょっと気が引けるけれどね……」

 人里が管理している山は利用者が多い。野放図に使えば山の資源が枯渇してしまうため、入山や採集には厳密なルールが存在する。
 そこで私が目を付けたのは、妖怪の山だった。人間たちは神社への索道を除けば、足を踏み入れることは基本なく、山の資源が比較的手つかずになっているはずと考えた。
 もちろん天狗たちもその恩恵にあずかっているだろうが、拠点は基本的に北側であるため、南側は未利用の資源が豊富に残っているはずだ。
 もし妖怪の山には入れたら、ということは前々から考えていたのだが、萃香さんの前で口を滑らせたところ、話がトントン拍子でまとまってしまった。やはり天狗は鬼に逆らえないらしい。少し申し訳ないと思う。

 改めて籠を見やると、もう少しだけ詰め込めそうだ。あと少しだけ粘るか悩む。
 いや、山の天気は変わりやすい。今は晴れているが、遠くを見やれば、少し空模様が怪しくも感じる。
 今日入山するとき、声をかけた白狼天狗は、最近この付近で土砂崩れがあったと言っていた。万が一ということもある。
 変に欲張るのも良くない。これで切り上げよう。

 そう思ったとき、妙な臭いが鼻先をかすめた。
 嗅いだことのない臭いだった。少し腐ったような臭いを含んでいるような気もするが、不快な感じはしない。硫黄の臭いとも違う。
 一体何の臭いだろう。ただ、完全に知らない臭いでもない。似たような臭いを嗅いだときがあるような気がする。
 そんなことを考えていると、森が急に暗くなった。

「え」

 太陽に雲がかかったときの、あの感じとも違う。
 急に夜が訪れたのか。いや、それほど暗くはない。
 何か異変が起きているのか。妖怪の仕業なのだろうか。心臓が早鐘のように脈打ち、じっとりと額に冷や汗が浮かぶ。

 何が起きても良いように身構える。あたりを見回し、耳をすませた。
 木々が風でさざめくだけで、目立つ動きは見当たらない。
 しかし、そのさざめきに交じって、何か音が聞こえる気がする。それは最初、山の遠くで鳴っているように感じていたが、気が付けば耳の奥で鳴っているようにも感じる。例えるなら深い笛のような音だ。
 頭蓋の中で音が反響するに伴って、頭がぼうっとしていく。いつの間にか私は、音に導かれるように歩き始めていた。
 何だか鼻の奥がつんとするようで、胸がきゅっとなる。胸の内に喜びが溢れ、涙が出そうになる。

——嬉しい。

 何故かはわからないが、私はそう感じていた。胸の内が、温かいもので満たされている。
 酩酊しているときの感覚に近い。ぼうっとする自分と、それを冷静に見下ろす自分が併存している。
 そうして歩き続けていると、足元に嫌な感触がした。

「——あ」 
 
 踏み外した。
 下生えの上をずるりと滑る。
 その先は崖になっていた。ぼんやり歩くうちに、自分から崖に落ちてしまったのだ。
 体が宙に投げ出される。体感時間が圧縮され、スローモーションに感じる。籠の山菜が空中にこぼれるのを見て、もったいないな、と場違いなことを一瞬考えた。
 それから眼前に迫る地面が視界に入り、血の気が引いていく。このまま落ちればただでは済まない。
 ただなぜか、それと同時に胸中に謎の罪悪感が沸く。

「————」

 地面への激突に備えて、私は目をぎゅっとつむった。
 しかし激突は訪れず、代わりに誰かに抱き留められる感触があった。
 恐る恐る目を開くと、目の前には一人の白狼天狗がいて、不安そうに私の顔を覗き込んでいた。

「大丈夫ですか、美宵さん」

 知り合いの犬走椛だった。
 彼女が私を空中でキャッチしてくれたようだ。私は空中で抱きかかえられる格好になっていた。どうやら命を救われたようだ。
 心臓がバクバクと鳴っていた。追いつくように冷や汗が流れる。これでも私は妖怪の端くれなので頑丈だが、頭から地面に突っ込んだらただでは済まなかったはずだ。
 気が動転しているせいもあっただろう。傍から見た今の自分たちの構図を想像して、私はまた場違いなことを思った。

「……何だか今の状況の私、お姫様みたいですね」

「は?」






 哨戒の白狼天狗が使っている小屋に通された。
 今いるのは、取調室兼客間とのことだった。今のところは、容疑者ではなく客として扱われているように思う。

 新人と思わしき白狼天狗が、お茶を二人分持ってきてくれて、頭をペコリと下げてから退室した。
 机を挟んで対面に座った椛さんが口を開く。

「フラフラと歩く貴方を見て、様子がおかしいと思いまして。声をかけようと向かっていたら、崖へ歩いていくので、急いで飛んでいったんです。間に合って良かった」

 椛さんは千里眼を持っている。それで私のことを監視していたのだろう。
 入山許可を出すにあたり、監視は付けさせてもらうと天狗から条件が出されており、それは私も承知していた。

「本当にありがとうございました」

 頭を深く下げて、最早何度目になるかわからない御礼を伝える。何度言っても言い足りなかった。
 彼女は困ったように両手を胸の前に挙げた。

「や、やめてください。それに異常が起きていたのに、事態を軽く見て入山を制限しなかった、我々にも責任がありますから」

「異常?」

 彼女は姿勢を正し、こほんと咳払いをした。

「ええ。あの近辺で天狗や河童から、あたりが急に暗くなったり、妙な臭いがするという噂や報告がありまして、調査中だったのです」

「それって……」

「ええ。美宵さんの身に起きたのと同じことが、何回か起きていたということです」

 あれは結局何だったのだろう。
 あの臭いを思い返してみる。臭いの正体を考えたいが、嗅覚の記憶というのは曖昧なもので、後から思い出そうとしても難しい。どこかで似たような臭いを嗅いだことがあるような気もするのだが。

「特に害があるわけでもないので、浅間浄穢山の件だとか他に優先すべき事項があり、あまり重く見ていませんでした……我々の落ち度です」

 申し訳ありません、と彼女は頭を下げた。私は「とんでもない」と両手を振った。
 椛さんが助けに来ず、あのまま落ちていたら、どうなっていたかわからない。
 
「それで、何かわかっていることはあるんでしょうか?」

「何も。ただ情緒に異常が生じるというのは、美宵さんが初めてです。今までそんなことはありませんでした」

「なるほど……」

 天狗たちではなく、何故私の身にだけ発生したのか。
 それからしばらく二人で話し合ったのだが、これといった結論は得られなかった。
 二つの頭を突き合わせてうんうん唸っていると、部屋の扉が開いて、先ほどの新人さんがドタドタと入ってきた。
 どうやら事故現場に戻って、散らばった山菜をざっとだが拾ってきてくれたらしい。助けてもらった上でそこまでしてもらうなんて、本当に申し訳ない。
 これ以上話し合っても無駄だろうとのことで解散とすることにし、私は何度も頭を下げながら、その場を後にした。






 その晩、私は夢を見た。
 何もないただ広い空間が広がっている。しかしよく目を凝らすと、上等のシルクのように光がいくつも折り重なっている。それは上から降りてきているようだった。
 そして何より、またあの独特な臭いがした。

 夢の中のせいか、うまく自分の意識を制御できず、私はただぼうっとするだけだった。
 何も考えず、私はその光のレースをかき分けて進んでいく。
 するとあのときと同じように、また頭の中で音がした。頭蓋の中で音が響く。
 繰り返し聞いている内に、それが歌だとわかった。何故昼に聞いたときにはわからなかったのだろう。
 寂しげな音色だった。消えてしまいそうな、声にならない嘆きのような音。それは孤独を歌っていた。

 音と光をたどって進んでいると、頭上に光が特に集まっている場所があった。重なった光が、一つの何かを成していた。
 歌っているのは、その光だった。

「どうして、寂しいんですか」

 その言葉は、自分でも驚くくらいすっと出た。何者ともしれない彼のことを、気遣うような発言だった。
 私の声が聞こえたのか、集まった光が揺らめいた。何故そう思ったかわからないが、彼がこちら側を見たような気がした。





 
「それはねぇ、憑りつかれちゃったんだよ」

 焼き味噌にがっつきながら、紫苑さんはそう言った。
 丑三つ時の鯨呑亭は、妖怪向けの居酒屋だ。暗い店内を、提灯の明かりだけで照らして、コッソリと営業している。

「憑りつかれた……ですか。紫苑さんはそういうの、お詳しいんですか?」

「あたぼうよ。完全憑依異変での、私らの活躍を知らないな? 特に最後は、私一人で霊夢やスキマ妖怪相手に互角の大立ち回りを演じたんだ」

「はぁ……」

 にわかには信じがたかった。
 泣く子供妖怪も黙る博麗の巫女と、幻想郷の支配者の一角と目されるスキマ妖怪。幻想郷最強の二人がタッグを組んで、互角に戦えるとは到底思えない。萃香さんでも難しいだろう。

 ただし、憑りつかれているという話は信ぴょう性があった。
 私が崖から落ちかけた一件以来、妖怪の山で異常は起きていないと椛さんが教えてくれた。元々あの異常は頻発していたわけではないらしいので、たまたままだ報告がないだけかもしれない。しかし、私が原因を持ち帰ってしまったからと考えれば、腑に落ちるような気がした。
 言われてみれば一人で過ごしているときも、周りに誰かいるような気配を感じる。

 「とにかく、私は憑依には詳しいんだ」と紫苑さんは胸を張る。胸を張ったら、いつも猫背なのに慣れない真逆の動きをしたせいか、わき腹を攣ってうずくまった。
 しばしの間呼吸を整えて、また話し始めた。

「体を乗っ取る憑依っていうのは、憑依の中でも最高峰のスキルなの。基本は心にも憑りつくだけだ。心を完全に支配した結果、体も動かせるわけ」

 確かに、大概の憑依は体を乗っ取ったりしないかもしれない。貧乏神に憑りつかれても、勝手にその人が貧乏になるだけで、貧乏神が意識を乗っ取って体を動かすわけではない。

「夢を足掛かりにして憑りつくのは常套手段さ。完全憑依もスレイブ側が、マスター側の夢の世界で待機する。結果、マスター側の夢にいた夢人格が押し出されて、現実で暴れたりひと悶着あったけど」
 
「……」

 完全憑依だのスレイブだのはよくわからなかったが、いちいち聞いていると話が進まなさそうだ。黙ってその先を促す。

「美宵ちゃんが山の中で情緒がおかしくなったのは、憑りつかれて、ソイツに共鳴というか共感してそうなっちゃったんだと思う。肉体という膜なしに、心が直に触れ合うとそういうことが起こりがちなの」

 私はなるほど、と頷いた。
 泣いている人とずっと一緒にいると、自分も悲しくなってくる。逆に常に笑顔の人と一緒にいれば、こっちも明るくなってくる。肉体越しであってもそうなのだから、心が直接触れ合ってしまったら、より強く相手の強い感情に引っ張られるというのは、わからない話でもない。
 私があのとき、急に嬉しくなって涙を流したのは、憑依した何者かが嬉しかったからだろう。
 ただ、もしそれが本当なら、何故彼は——彼と呼ぶのが正しいのかもわからないが——嬉しいと思ったのだろうか。
 紫苑さんは神妙な声色で話を続ける。

「とにかく、このまま憑依が進めば美宵ちゃんの体ごと乗っ取られるかもしれない。危険な状況だよ」

「そう……ですかね。あまり敵意は感じないんですが」

 妖怪の山でも夢の中でも、私の体を乗っ取ってやるというような悪意は感じなかった。崖から落ちかけたというのに、甘い考えだろうか。
 あれは憑りついた彼の心に共感し気分が高揚するあまり、足元がおろそかになっただけではないか。実際彼は私が落ちたことに対し、罪悪感を抱いていたように思う。
 それに日々の生活に支障があるわけでもないし、このままでも問題ないといえば問題ない。

「駄目だよ!美宵ちゃんの身に何かあったらと思うと不安だよう」

「紫苑さん……!」

 意外なことに、彼女は私のことを心配してくれているようだった。

「タダ飯にありつけなくなっちゃうじゃない」

「紫苑さん……」

 そんなことはなかった。
 心配されてちょっと嬉しく思ったのが恥ずかしい。

「とにかく、このままじゃ美宵ちゃんに害が及ぶかも。この異変は私に任せてよ」

「…………はい」

 彼女は親指を立て、両目をぎゅっと瞑って言った。恐らくウインクがしたかったのだろう。
 異変解決に乗り出してくれるのは良いが、正直不安だ。
 ここ最近鯨呑亭に起こったことを考えると、彼女は異変に対して解説してくれるだけで、解決したことはあまりない。さも紫苑さんが解決したように感じる事件もあるが、よく考えると結局は霊夢さんのおかげだったりする。
 強いて言うなら最初の疫病神の投資詐欺を暴露したときくらいだが、あれも本人は本音で喋っただけであり、基本はマミゾウさんの指示で動いただけである。
 もっとも、そもそも貧乏神に異変解決を期待するのがおかしいのだが。財禍から守ってくれる側面はあるらしいが、あくまで彼女は災いを成す神だ。

「大船に乗ったつもりで任せておいてよ。早速今晩、連絡取ってみるね」

 お願いします、と私は頭を下げた。
 どうやらツテがあるらしい。恐らく解決してくれそうな知り合いを紹介してくれるのだろう。それなら大丈夫そうだ。

「それじゃ、お礼をしないとですね。たまには高いおつまみもどうですか?」

「本当!?」
 
 紫苑さんが目を輝かせる。
 私は店の奥の棚から紙袋を取り出し、中身をザラザラと皿に取り分け、カウンターの上に置いた。
 すると彼女はげんなりとした表情になった。

「ええー、豆?」

「はい。でもこれ、幻想郷では育たないんですよ」

 紫苑さんは不満げな顔をしながらも、皿の上に置かれたものを鷲掴みにして、口の中に放った。
 ボリボリと咀嚼していると、何かに気づいて目を丸く開く。

「あっ、これピスタチオか」

「ご存じなんですね」

「ま、こう見えて私たちは少し前まで外の世界にいたシティガールだからね」

 それにしても、と紫苑さんはピスタチオを一粒つまんで続けた。

「これ、幻想郷だと育たないんだ」

「栽培は試したみたいですけどね。扱っている問屋さん曰く、元々乾燥した土地のものらしくって、幻想郷の風土でうまく育たないらしいです」

 紫苑さんは「ふぅん、こいつがここじゃ高級品か」とつぶやいて、残った粒をぽいぽいと口の中に入れていく。

「ん? じゃあこれはどうしたの?幻想郷じゃ育たないんでしょ」

「マミゾウさんだとか、それなりの格がある妖怪は、自由に外の世界と往き来できますからね。そういう方が外に行ったついでに買いつけては、高値で売りさばくみたいです」

 鯨呑亭では常にそういった食材を取り扱っているわけではない。ただ、店主さんの付き合いだったり、常連さんの希望を汲んだりして、たまに市場に流れた外来の食材を仕入れることがある。
 それを聞くと、彼女は顔をしかめた。

「しくったなぁ。幻想郷に来たときに、色々持ってれば良かった」

「まあでも色々大変みたいですよ。検疫とか」

 へー、と気のない返事をしながら、彼女は最後の一粒を口に放り込んだ。
 全て食べ終わると、楊枝を使いながら、こう言った。

「焼き味噌の方が美味いな」

「……まあ、そういうものですよね」

 彼女の言うことも否定できないので、苦笑するしかなかった。
 高級な食べ物が、必ずしも美味しいとは限らない。ましてやピスタチオは、紫苑さんの口ぶりからするに、外の世界だとありふれた食品のようだ。
 実際お客さんたちも、味というより外の世界の食べ物という物珍しさに、高い値段を払って注文しているのだろう。
 
「そうだ。美宵ちゃんを助けるために、必要なことを一つ言い忘れてた」

「な、なんでしょう?」

 知り合いに助けを求めるようなことを言っていたから、その人へのお礼を用意しろという話だろうか。
 それとも重要な見落としがあって、実は危ない状況に置かれているとかだろうか。
 少し不安になりながらも二の句を待っていると、予想外の言葉が飛び出した。

「今から言う枕を買ってくれる?」

「枕……?」






 西洋のお城がそびえたっていた。
 といっても本当のお城ではなく、おもちゃのハリボテのようなお城だ。もっともここは夢の中なのだから、本物なんてそもそもあるわけないのだが。

「このたびはスイート安眠枕をご購入いただき、誠にありがとうございます」

「わっ」

 先ほどまで誰もいなかったはずなのに、その人は急に現れた。
 ブカブカの赤い帽子に、白黒のゆったりとした服を着ている。彼女は胸に手を当て、自己紹介を始めた。

「ドレミー・スイートと申します。以後お見知りおきを。枕が合わない等ありましたら、遠慮せずお申し付けください」

「あっ、これはご丁寧にありがとうございます。仕込みの作業が多い日は、疲労で寝るときに肩こりが気になったりすることもあるんですが、この枕だと全然快眠なんです」

「ありがとうございます。そう言っていただけると、メーカー冥利につきます。ちなみに最近ベッドも手がけるようになったのですが、ご興味はありますか?」

「へー、ベッドですか……じゃなくて!」

 夢の世界のせいか、どうにも思考があっちにいったりこっちにいったりしがちな気がする。さっさと本題に入らなくては、関係ない話を延々と続けてしまいそうだった。

「紫苑さんが呼んだからきてくださったんですよね? ありがとうございます」

 ドレミー・スイートといえば夢の支配者という大物である。
 紫苑さんがパイプが持っていたのも驚きだが、夢の世界の主とどうやってコンタクトをとったのだろう。

「呼ばれたというか……まあ…………そういう言い方もできますよね」

 何とも歯切れの悪い答えだった。眉間にしわを寄せ、複雑そうな表情をしていた。
 
「どうしたんですか?」

「いえ、貧乏神が夢の世界で”美宵ちゃんを助けてくれないなら、また以前の異変みたく暴れてやる”と叫び続けるものですから……また夢の世界が被害を受けるのは勘弁願いたいので仕方なく……」

「す、すいません……」

 流石の紫苑さんだった。
 とはいえ、そのお陰でこうして夢の支配者と出会えたわけで、感謝しなければならないのに違いはない。ピスタチオはお気に召さなかったようなので、また別の料理を用意しよう。

「まあ私もスイート安眠枕のユーザー様には快適な眠りを提供したいですしね。今回は購入後のアフターケアという形で対応させていただきます」

 紫苑さんの言う通り、枕を買っておいてよかった。私は「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「さて」

 彼女がパチンと指を鳴らすと、背後のお城が畳まれて消えた。
 景色がぐるぐると回り、洋風の廊下が現れた。ただし、その廊下は上下左右の四方が廊下の床になっていて、天井や壁が存在しない、妙な廊下だった。

「枕を通して一旦私の夢に案内しましたが、美宵さんの夢に向かいましょうか」

「はいっ」

 ドレミーさんの後ろの数歩後ろを付いていく。
 廊下は真っ直ぐではなく、曲がったり上がったり下がったり、波打っていて歪んだ形をしていた。本来壁であるべき方を歩いたり、天井の方を歩いたりと、しばしば彼女は歩く場所を変えるのだが、私も黙ってそれについていく。
 
「あらましは貧乏神から聞きましたが、もう一度美宵さんの口から説明してくださいますか?」

「は、はい。ええと、妖怪の山に山菜を取りに行ったときなんですが……」

 謎の臭いを感じたと思ったら、あたりが急に暗くなり、臭いに加え謎の音がしたこと。それは私以外の身にも起こっていたこと。
 ただし私の場合は、情緒にも異常が生じ、フラフラと崖から落ちそうになったこと。
 夢の中でも同様の臭いと音を感じ、音の正体は寂しげな音色の歌だとわかったこと。
 紫苑さんいわく、それは何者かに憑りつかれている証左だということ。

 話していくうちに、廊下がゆるやかに解けていき、やがて以前夢見たときのように光の帯になっていく。
 ドレミーさんは何も言わずに、ただ私が話すのに黙って耳を傾けてくれていた。一通り話すと、彼女は口を開いた。

「それで美宵さんは、何かどうしたいんですか?」

「憑りつかれている何者かを払いたい……のでしょうか」

 このままだと紫苑さんは危ないと言ったが、正直あまりピンときていない。
 崖から落ちかけたのは事故のように思うし、彼に敵意はないように思う。日々の暮らしに差しさわりはないし、このままでも特に支障はない。
 私が言いよどむのを見て、ドレミーさんは私の気持ちをこうではないかと代弁するのかと思ったが、続きを促すように、ただ黙って私の顔を見ている。
 私の悪い癖だ。結論を相手に任せて、合わせることばかりを考えてしまう。よく私を優しいと言ってくれる人もいるが、それは違う。ただ主体性がないだけだ。
 自分の感情と向き合って、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……彼の歌の音色は、ひどく寂しいものでした」

 それに対し、私は自然と「どうして寂しいのか」と問いかけた。多分、その寂しさに寄り添いたいと思ってのことだった。
 何故か。きっと私も寂しかったのだろう。

 以前の私は、自分が何者かもわからず、誰からも覚えてもらえなかった。酔わせたの夢に入り込んでちょっかいを出すこともあったが、それはきっと構って欲しかったのではないだろうか。
 私は座敷童だ。座敷童は家に憑りつく。ある意味、人との関わりの中でしか生きていけない妖怪とも言える。
 そんな私が、誰にも覚えてもらえない日々を過ごしていた。そのことに、心の奥底でずっと寂しさを抱えていたように思う。
 鯨呑亭に居続けるのも、ひょっとして色んな人が訪れる賑やかな場所を無意識に好んでいるのかもしれない。
 
 今では霊夢さんや魔理沙さん、それに常連客のマミゾウさんや萃香さん、最近はよく来てくれる紫苑さんだとか、沢山の人妖に囲まれている。
 以前のようなどこか満たされない寂しさを感じることは、ほとんどなくなっていた。それはきっと、霊夢さんや魔理沙さんとの出会いがキッカケだったように思う。
 だから私は、同じように彼の孤独を何とかしてやりたいように思う。手助けになるようなことがしたい。

「その寂しさを何とかしてやりたいと……そう思います」

 あまり大きな声ではなかったが、自分にしては珍しく芯の通った声だったように思う。
 それが私の望みだった。
 自分が憑りつかれていることどうこうよりも、彼の孤独の方が気になってしまう。
  
「お優しいですね」

 夢の支配者は、目を細めて微笑んだ。
 さて、と両手を叩いて彼女は仕切りなおす。

「そのためにはまず、彼の正体を知らねばなりませんね」

 私たちの頭上で、また光の帯が一か所に集まっている。以前見た夢と同じだ。
 何より、あの謎の臭いがする。

「私は全知の存在というわけではありません。ですが伊達に長年夢を渡り歩いているわけではない。知識として彼のことを知っている。だから彼の正体が私にはわかります」

 ドレミーさんは彼の下に立ち、そして私を振り返った。木漏れ日のように、彼女の顔に光と影が落ちる。

「もったいぶるのはやめましょうか。結論から申し上げます」

 そして彼女はその名を告げた。

「彼の名は——アエティオケトゥス」

「あ、あえてぃ……?」

 聞きなれない響きだ。海外の人の名前だろうか。羅馬の皇帝にいそうな名前だ。
 彼の正体は、迷い込んだ外来人が、亡くなって生まれた幽霊なのだろうか。
 私が首をひねっていると、彼女は楽し気に微笑む。

「美宵さん。この臭いと似たような臭いを嗅いだことがあるそうですね」

「はい」

 確かにそうなのだが、それが思い出せない。
 先ほどから思い出そうとしているのだが、夢の中で意識がぼんやりしているのも手伝って、どうにもうまくいかない。

「それは、鯨呑亭の料理ではありませんか?」

「ああっ……でも、うう……」

 ドレミーさんの言葉で何かを掴みかけて、思わず声が出る。しかし掴もうとすると、煙のように記憶は指をすり抜ける。それが何とももどかしい。ほとんど喉元まで出かかっているというのに。
 私が頭を捻っているのを見て、彼女はふふふと笑う。謎かけを楽しんでいるようだった。

「もう少しヒントを出しましょう。それは外の世界の食材ではないでしょうか」

「外の世界の……?」

 たまに鯨呑亭で外の世界の食材を取り扱うことはある。今まで店に出したものを思い浮かべてみる。
 ぱっと出てくるのは、この前紫苑さんに振舞ったピスタチオだが、それは違うだろう。臭いは似ても似つかない。
 思い出せ。思い出せ。
 扱った食材を脳内で挙げていく中で、ある一つの食材が、ピースが嵌るように思い出された。

「あっ、ワカメ!」

 扱ったのは一度きりだから、すぐに思い出せなかった。ぬるぬると独特の臭いのせいか、お客さんからはちょっと不評で、再び仕入れることはなかった。
 ドレミーさんは小さくパチパチと拍手する。

「そうです。そしてワカメは"それ"に近い臭いを持ちます。というか、香りの源の一部でもあるのですが」

「——そうか」

 頭上の彼以外の周囲の光の帯は、空から差し込む太陽の光に変わっていた。
 いくつもの魚の群れが泳いでおり、群れの魚が揃って向きを変えるたび、光を反射して銀色にきらめく。足元では海藻が潮の流れにあわせて揺れていた。
 髪が波に揺られて広がるのが、妙に心地良い。私の唇から泡がこぼれ、顔をかすめて上へと昇っていった。

「これは、海の臭いだったんですね……」
 
 私たちは海中にいた。当然私は今まで見たことない景色だったから、ドレミーさんか彼のイメージが反映されたのだろう。
 あくまでイメージだからなのか、呼吸ができず息苦しいということはない。
 
「気づけないのは無理もありません。美宵さんも山の天狗たちも、海を知らないのですから」

「そうですね……」

 もし臭いを嗅いだのが、外の世界から来た早苗ちゃんとかだったら、すぐに何の臭いかわかっただろう。恐らく彼女たちにとって、海とは当たり前の存在だ。しかし私たちにとっては未知の存在なのだ。

「ええ。少し腐ったような臭い、と評されていましたが、実際海の臭いは海藻や魚、プランクトンが分解されている臭いでもありますからね。海、という先入観のないフラットな認知では、猶更そう感じやすいのかもしれません」

「なるほど、臭いの正体はわかりました。それじゃあ彼は———」

 そうやって話しているうちに、あたりが暗くなった。妖怪の山のときと一緒だ。
 何故すぐに気づけなかったのか。あれは太陽が雲にかかったのでも、夜が訪れたのでもない。頭上に巨大なものが現れたから、周囲が急に日陰になったのだ。
 
 頭上を仰ぐ。彼を成していた光の帯は、気づけば明確な輪郭を成していた。
 山を思わせるような巨体。そのほとんどを占める、細い溝が並ぶ灰色の部分はきっと腹部なのだろう。溝は呼吸するようにかすかに伸び縮みしている。
 端っこの方には幅広い尾ヒレが見え、重厚感を感じさせるほどゆっくりと上下に動いている。左右にも厚みのあるヒレがついており、静かに揺れている。

「アエティオケトゥスは今から約三千万年前に海に生息した————鯨です」
 
 大きな生き物はそれだけで恐ろしいものだが、不思議と恐怖は感じなかった。そのゆったりとした動きは、どちらかと言えば雄大さを感じさせた。
 しばらくの間、その姿に見惚れていたが、はっと我を取り戻す。

「でも、何で鯨がこんなところに」

 鯨は海の生き物だ。海のない幻想郷にいるはずがない。鯨という概念が幻想入りしたということなのだろうか。

「地殻変動はご存じですか。三千万年前、幻想郷……というか日本は海の底だったのですよ」

 鯨呑亭でお客さんが語っているのを聞いたことがある。陸も生き物で動いているのだと。かつて世界は一つの巨大な島だったと。
 外の世界ではそんな与太話を信じているのかと、その客は周りに馬鹿にされていたが、どうやらその証拠が幻想郷にもあるらしい。
 彼女は続ける。
 
「恐らく地震か何かで、彼の遺体——化石でしょうが、それが地上近くに露出して、それで目を覚ましてしまったのかもしれません」

 鯨はまた歌い始めた。
 その音が寂し気な理由が、今ようやくわかった。彼は遥かなる時を超えて目を覚ましてしまった。仲間を呼ぶ歌をいくら歌っても、答えるものはどこにもいない。時は全てを押し流し、故郷の海は影も形もなくなっていた。
 彼の歌は、孤独と望郷の歌だったのだ。
 
「でも、何故私だったのでしょう」

 彼は何人かの白狼天狗にも出会っていたはずだ。彼らには憑りつかず、私に憑りついたのは何故なのだろう。

「さあ。自分の孤独をわかってくれそうな優しい娘だったから。鯨呑亭という鯨にちなんだ場所で働いているから。いくらでも考えられます」

 鯨は頭上を泳いでいる。振り向くようにその巨体をゆっくりと翻した。何となく、私を見ている気がした。
 ドレミーさんがそれを見て、クスリと笑った。

「案外、その帽子のせいかもしれません」

「えっ」

「鯨をモチーフにした帽子に、在りし日の仲間の姿を見出して、嬉しくなってしまったのかも」

「ははは……」

 でもそうすると、私と出会った彼が、泣きそうになるほど嬉しくなっていたのにも合点がいく。
 こんな帽子でも、彼が仲間を思い出す助けになれたのなら、悪い気はしない。

 鯨がゆっくりと近づいてくる。
 その巨体に少し怯んでしまいそうになるが、彼に失礼なのは嫌なので、努めて堂々と背筋を伸ばす。
 彼は私の目の前で動きを止め、差し出すように鼻先を突き出した。私は恐る恐る彼に触れた。

「アエティオケトゥスは大昔に絶滅しています。断絶した系統ですので、彼をルーツに持つ種もいません。外の世界で鯨を見ても、仲間と思えるかどうか……」

「そう、ですか」
 
 彼の仲間と言える存在はもういないかもしれない。
 それならせめて、故郷の海に帰してやりたい。彼の遺体が化石になっているというなら、その化石を海に帰してやりたい。
 難しいとは思うが、マミゾウさんたちを頼れば、何とかなるのではないか。いや、何とかしてみせる。

「私が海に帰してあげるね」

 優しく彼を抱きしめた。
 彼と言葉を交わすことはできないが、今は心がつながっている。彼の胸中に喜びと感謝が溢れてくるのが伝わってきた。






 とはいえ、私は大した力もない非力な妖怪だ。
 色んな人に助けを求めるしかなかった。

 まずは彼の身体を探すところからだった。
 椛さんにお願いして一緒に探したところ、土砂崩れが起こったところの地表近くに埋まっているのがすぐに見つかった。発掘作業は少し大変だったが、これも河童たちの力を借りることで何とかなった。
 問題はその後だった。御礼として手伝ってくれた白狼天狗の方たちを夜の鯨呑亭にお招きしたときのことだった。天狗の中で下っ端扱いを受けている彼らは相当鬱憤がたまっていたらしく、荒れに荒れた。紫苑さんが十人くらい暴れたような惨状だった。後から来た椛さんに、部下たちが無礼を働き申し訳ないと平身抵頭平謝りされた。 苦労しているな、と思った。

 そして何より、彼を海へ送り帰すのが大変だった。
 マミゾウさんを頼れば何とかなるのでは、という目論見が甘かった。鯨の化石はかなりの大きさで、このサイズを持って外の世界と行き来はできないと断られてしまった。
 色々と奔走した結果、最終的に人里に買い物に来ていた九尾を捕まえた。そして油揚げフルコースでもてなしたりして、何とかスキマ妖怪に繋いでもらい、彼女にお願いして海に弔ってもらった。
 こうして彼を海へ帰すことができ、一件落着となった。

「何だか忙しかったみたいだけど、もう落ち着いたのかい?」
 
「ええ。ありがとうございます」

 店主さんと一緒に、今日の仕込みをしていると、声をかけてくれた。いつも賑やかな店内だが、まだ開店前なので、私と店主さんしかおらず静かだ。
 お店に穴を空けないよう努めたつもりだが、事情も説明せずに東奔西走していたので、少し申し訳ない。
 焼き鳥の串打ちをしながら、ふと彼に聞いてみる。
  
「そういえば、何で鯨呑亭って名前なんですか?」

「そりゃあ鯨飲馬食って言葉もあるだろ。鯨みたく沢山呑みたくなるような、良い居酒屋にしたいって、そのまんまの意味さ」

「ですよねぇ」

 文字面を見ただけで由来が察せられるような名前だったので、今までわざわざ聞いてこなかったが、やはりそのままの意味のようだ。
 店主さんは少し考えた後、目じりが下がり、ため息をついた。

「鯨呑亭って名前をつけてはいるけどよ、本物の鯨は見たことないんだよなぁ。ちょっと恥ずかしいかもな」

「普通ですよ。虎とか麒麟とかの名前の店の人が、みんな本物を見たことあるわけでもないですし」

 確かになぁ、と彼はもごもごと喋る。そのフォローでは、十分には納得できなかったのだろうか。
 しかしどうやら、真意は少し違ったところにあったようだった。

「一度くらい、この目で見てみてぇもんだがな」

 私に向かって話しかけるというより、遠くに思いを馳せるような、しんみりとした声色だった。
 幻想郷で生きる人のほとんどは、海を見ずにその生を終える。生まれた土地から一歩も出ずに生涯を終えることは、そう珍しいことではない。わざわざ嘆いたりしない。
 それでも、どこか憧れを抱いてしまうのは確かだ。

「私、鯨を見たことがあるんです」

 話しながらもずっと手元の作業に集中していた店主さんが、ぎょっとするようにこちらに顔をあげた。

「本当かい、美宵ちゃん」

 驚いたのか、いつもより少し大きな声だった。
 私は満面の笑みでこう言った。

「ええ。夢の中で」

 店主さんは少しきょとんとした後、破顔して優しげな声になった。

「夢かぁ。そうかぁ、そいつは良い」

 夢の中とはいえ、一生見るはずのなかった鯨と海を見ることができたことは、幸運なことだったかもしれない。
 きっと私はあの景色を、生涯覚えているだろう。 あの光景は、彼との出会いがもたらしてくれた宝物だ。

 もう一度、あの鯨と海を脳裏に思い浮かべてみる。
 錯覚だろうが、鼻先を海の臭いがかすめた気がした。





鯨を見たことない美宵ちゃんというネタ自体は長年抱えていて、ストーリーを考えあぐねていたのですが、こうして形にできて嬉しいです。
創作の励みになりますので、コメント等いただけると嬉しいです。
真坂野まさか
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
近しいものに思いをはせる美宵がとても良かったです。あたたかい気持ちになりました。
4.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
意外と見ない美宵ちゃんと鯨のお話ですが、綺麗で優しいエピソードで纏まっており良い読了感になっていたと思います。
美宵ちゃんの鯨要素がそもそもあまり活かされないイメージでしたが、鯢呑亭という飲食に関わる要素と絡めて自然なお話になっていてよかったです。
美宵ちゃんがほぼほぼ他の人頼りなのにちゃんと主人公だなと感じられたのもよかったです。人望
5.100南条削除
面白かったです
幻想郷に鯨という本来あり得ない組み合わせなのにそれが化石となるとこんなにも映えるものなのかと感動しました
彼の亡骸も海へと帰れたようでよかったです
6.100東ノ目削除
話の美しさに加えて、「海を知らない人々が海の臭いをなんと表現するか」という描写が見事でした。面白かったです