Coolier - 新生・東方創想話

二人残るとき

2026/03/18 13:24:24
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序.
 妹紅は山の一角、かつて聖域の森と呼ばれていた区画を歩いていた。
「程よく曇り空で登山日和だな」
 呟いたが、これは空元気だなと肩が少し重くなる。足も。座って休もうかとも思ったが、座るのと休んだ後必然的に必要となる「立ち上がる」という動作がより面倒だから、消去法で重い足を惰性で前後させる方を選んだ。
 この、薄灰色の雲が空を覆った天気は今や必然なのだ。地面には若干の雪が積もっているが、曇天の寒空の下ではそれ以上増えもしなければ減りもしない。随分と前からずっとこういう天気。
 森の木の多くが葉を落としていた。枯れてしまったものも多い。逆に花なんてものはここ数年見ていない。
 幻想郷は事実上滅亡した。この滅亡は、例えばある日突然巨大隕石が落下してきて、というような急激な変化ではなく、緩やかな衰退として至った。
 その衰退の初期、賢者に就任したときのことを妹紅は思い出していた。




一.
 滅亡の始点を幻想郷の中で求めるならば、一つの新聞報道が出された時がそれになるだろう。内容は、外の世界で人間が絶滅したというものだった。
 天狗が発行した新聞の中で、この号が最も読まれた。記事は大きな反響を呼び、当時、これに対する幻想郷の民の予測は楽観と悲観に真っ二つに割れた。曰く、自然環境は結界の影響を受けにくいから外の世界とは無関係に幻想郷は続くだろう。曰く、幻想郷は外の世界に大きく依存しているのだから長くは保たないだろう。
 結果的には残酷なほどに悲観論者の言う通りになった。悲観論者とて持論は「このままなにも手を打たなければ」というエクスキューズを含むものであったが、現実には「外の世界に人間を送り込んで外の世界に人間がいる状況を作り続ける」という措置をとってなお、妖精は数を減らし、妖怪は寿命を迎え、神は消えていった。かの天狗の記事が載った号も、幻想郷で最も読まれた新聞にして幻想郷で最後に発行された新聞となった。救いのない衰退の中で一つ美談があるのだとすれば、件の新聞の記者、射命丸文の死顔は、大願を成就した者特有の実に穏やかなものだったということだろうか。
 妖怪が数を減らしたから人間も数を減らさなければならなかった。とはいえこの課題により大きな混乱が起こることはなく、不気味なくらいに平和裏に人口は減っていった。確かに食人もなされたが、それは老人のみを食す姥捨あるいは安楽死に近いもので、人口が減った一番の要因は出生率の激減だった。里の人間はいずれも自発的にそれをした。自分達に「子を産まない権利」があるかのように出産を除いた一生を謳歌した。この時代においても意外と婚姻率は高かった。結婚についてはした方が幸せというのが常識であり続けた。ただ、その先については、圧倒的多数が強固な(自分の子孫を遺さないという方の)反出生主義者と化したのだった。そして老いたらひっそりと里を出て妖怪の餌となり一生を終える。
 そのうちに空き家が増えたから、姥捨は人が里から出ることで行うのではなく、残った若者が里の中心部に住み外縁部に老人が住むという住み分けをすることで行う風習が生まれた。この里の中心部は年々縮小していき、やがて点となった。点として残った稗田家では、最後の御阿礼の子が、短命の宿痾を背負いながらも里最後の生き残りとなった皮肉を噛み締めつつ、誰にも読まれることのない縁起の最終巻を書いて一日を過ごしていた。
 そういう衰退の途中のあるとき、妹紅の住むあばら家に八雲紫はやってきたのだった。
 その日はうだるような酷暑だったかもしれないし、炬燵に引きこもってなお歯を鳴らすような厳冬だったかもしれない。妖精が数を減らした幻想郷の気候はこのとき既に壊れていた。その日その日の天気がどうだったまで記憶するのは困難だった。
 確実に覚えているのは、失礼な言い方だが、紫が老けていたということだった。神秘のヴェールの消滅は妖怪を定命に変え、それは大妖とて例外ではなかった。化粧で取り繕い少女であろうとし続けた彼女の目尻に皺が入っているのを妹紅は見た。
「私もおそらくそう長くはないから、引き継ぎをしなければいけないの。何分ここまで衰退するとなると適任者は限られていてね。不死が最低条件、できれば不老でもあって欲しい。なので先に言っておくと、貴方に拒否権はありません。倍率が一を切ってるから」
 妹紅は不機嫌に煙草の煙を紫に吹きかけた。
「賢者様達でもどうにもならなかったってか」
「それについては説明をしなければいけないわね。例え話をするのだけれど、エコスフィアって知ってるかしら」
「知らん」
「そう言うと思って実物を持ってきました」
 紫はスキマからガラス球を取り出した。中は水で満たされていて、水草、小エビ数匹といった動植物が入っていた。
「ガラスの玉の中に生態系、大体は川を模したものを再現した物がエコスフィア。外の世界で使われていた時代の用途としてはインテリアだったり教材だったり。綺麗でしょ」
「すまんが美術はさっぱりなのでね」
「綺麗なのよ。見た目がというのもだけれど、孤立した生態系として均衡を保っている。でも、これが今回重要なのだけれど、エコスフィアの綺麗さは長続きしない。時々玉を開けて手入れするならともかく、閉めたまま放置してたらどんなに初期状態や置いてる環境がよくても数年といったところでしょうね」
 「数年経ったのがこれね」と、紫は料理番組かのごとく、スキマからガラス球、今度は茶色に汚れた水しか入っていないような見た目の物を取り出した。
「無常だな」
「そう無常。ただ、こうも早く崩壊するのには別に原因があって、要は高々直径十何センチとか数十センチとかいうガラス球では持続可能な生態系を構築するのには小さすぎるの。そして、これは今の幻想郷の姿でもある」
「いやそれはおかしいだろ。数年どころか何千年も幻想郷は続いた」
「そりゃ今までは外部から手入れされてたから。幻想郷は、外の世界の人の常識や信仰といったものよあり方により変化し、拡張されてきた。だから例えるならば外部から継続的に物の手入れがされるエコスフィアだったし、あるいはドーナツの穴だった。外の世界の人類が絶滅したでしょ? 何らかの常識を持つ人間がいなかったら『非常識』も定義のしようがないし、生地がなければドーナツの穴も存在しえない」
「結果このきったねえ泥水が今の幻想郷と」
「正しくは泥水というか腐った水だけれど言いたいこととしては合ってるわ」
「待て。まだ納得がいかん。この玉が長続きしないのは小さすぎるからだって言ったよな? なら玉を割ればいいじゃねえか。外の世界って馬鹿みたいに広いんだろ? しかも今は無人だから好き放題使える」
「残念ながら、それでは解決しないの。理由は二つ。一つ、幻想郷の広さを定義してるのは物理的なものではなく人々の想像力だから。今やかつて地球上には人類がいたという歴史の残滓でかろうじて現状維持しているに過ぎない。もう一つ、幻想郷と外の世界では厳密には物理法則が違う。分かりやすいのは気候で、こっちだと妖精の影響が大きいけれど外の世界の気候は妖精の存在抜きにして成立してる」
「ああ、おかげで妖精がいなくなって気温もガタガタ。こっちの体調も危ねえや」
「なので現状、仮に移住するとしても妖精抜き。長期的には、幻想郷を成立させていた理論の応用で世界のありようを『テラフォーミング』すれば外の世界にも妖精は持ち込めるだろうけれどね。というか、そういう計画を進めてはいるのよ」
「初耳だが??」
 妹紅は驚愕した。
「天狗が新聞仕事をしなくなったものだから情報が回るのが遅いのね。幻想郷から外の世界側に人間を拉致して記憶を消して過ごさせる。妖怪や神にも何人か外の世界に出てもらって小型の幻想郷を再構築していく。規模としては現状地球の面積は全然使えていなくて、本当にエコスフィアって規模なのだけれどね。文明レベルもせいぜい新石器時代くらいに逆戻り。千年くらい経てばまともな神話や妖怪譚も出てくるかしら」
「気が長い話だ。賢者の仕事を引き継ぐってことはその尻ぬぐいをしろと」
「いや別にしてもしなくてもいいわよ。後に遺る側にその辺の後始末をしろってのはあまりにも傲慢だし」
「お前はいつだって傲慢だっただろうがよ」
「あらやだ。そんな風に思われてたの?」
 紫はいたずらに笑った。その顔に、妹紅は紫の少女性の残り香を感じた。
「まあともかく外の世界の世話はしてもしなくてもいいわ。『一度目』よりは進歩してる分条件がいいから計画が完遂する前の人類滅亡には多分ならないでしょうし、万一滅んでも貴方の責任じゃない。この話をしたのは、むしろ無理に仕事をしなくてもいいということを伝えるため。察したかもしれないけれど、幻想郷の現状は正直沈みゆく泥舟でどうにもならないの。それをどうにかしようって考えになられたらこっちとしても忍びないからね」
「後は死ぬだけってところで最後のバトンリレーか」
「外の世界に脱出するか、艦と運命を共にするか、それも貴方に委ねます。役職として誰かしらを置いといた方がいいだろう以上の理由がないから何かをしてもらうつもりは本当にないの。……ああ、結界の操作についてだけは引き継がないとね。貴方が何をするにしても必要になるでしょうし」
 妹紅は紫から呪文を教えてもらい、また光る鍵のようなものも貰った。曰く、呪文で結界を開けるのは龍神様へお伺いを立てるという意味合いがあるが、このご時世龍神様が消えるとも限らないので無理矢理開ける最終手段として鍵があるらしい。別の呪文とともに地面に叩きつけることで割れるとのことだ。
「幻想郷の最後、私も見届けたかったなあ」
 引き継ぎを終えた紫はぼそりと呟き、そのまま慟哭した。この不遜な大妖怪が泣くところを妹紅は初めて見た。
 死により願望が果たされないことの辛さは、永遠の人生の中で何度も聞く話ではある。だが同時に不死の蓬莱人たる妹紅にとっては根底のところで理解のしようがないことでもある。このときも彼女はどうすればいいか、どう声をかければいいのか分からずただ佇んでいた。



 そのまま、実感のないまま妹紅は賢者になった。
 最初の一週間だけは賢者らしいことをした。幻想郷中を周り、この時点でまだ生き残っていた者達に外の世界への移住を勧めたのだ。
 しかし結果はさっぱりで、一人とて首を縦には振らなかった。声をかけた者には妹紅の知己も多かったが、全員幻想郷に残ることを選んだ。どうも自分が一番情報の回りが遅い場所に住んでいたのであり、紫の代で移住者募集は既に済んでいたらしい。
 あとこの活動の過程で副次的に判明したこととして、賢者になったからといってその肩書きにより威厳が付与されるということも特になさそうだった。よくいえば普段通り、悪く言えば多少舐めた感じで皆妹紅に接した。面白いつまらないなどと言ってる場合ではないことは理解しつつもこれはつまらないことだった。
 以降妹紅はただ朽ちゆく幻想郷をその目で見続けるだけとなった。人も妖怪も消え、ついには花も咲かなくなった幻想郷。花の妖精が絶滅したのか。
 あるいは。花については忌々しくも妹紅には一つ心当たりがあった。久方ぶりに活動らしい活動する気になった妹紅は、山(妖怪が消えた今、「妖怪の」とつけるのは適切ではなかろう)に入ったのだった。




二.
 森の奥にはピラミッドがある。かつて森に住んでいた山姥からは祭殿と呼ばれていた。今は祭殿として信仰する存在がいないから少しずつ朽ちゆく只の石製の四角錐でしかない。
 入り口の近くには碑が建っていた。ヒエログリフで文字が刻まれている。これもまた腐朽の過渡期にあるがそこは石、もっと先進的な記録媒体を差し置いて長期記録の手段として推奨されていただけあり文字は未だ判別可能ではあった。
 ただ、この判別可能というのは、例えば二つ並んだヒエログリフがそれぞれ別の文字だとかその片方が鳥をモチーフにしているのだろうとかそういうのが分かる、というだけの意味だ。読めるわけではない。長い年月を生きていても知らないものは知らない。万年生きるだけで全知になれるのなら地球文明の支配者は人間ではなく亀だったに違いない。妹紅は少し眺めて、それが自分の手に負えないことを再確認した。
 とはいえ、仮にヒエログリフが読めたとして碑を理解できたとも限らない。書かれているのは意地の悪い謎掛けで、それを解いて初めて碑の意味、かつての祭殿の役割と碑を建立した道祖神の名が判明する。
 妹紅はその道祖神に会ったことはない。ただそれなりに噂にはなっていたので存在は知っていた。曰く、長年誰も来ない祭殿の前で番をし続けて霊夢と魔理沙(この名前も随分と懐かしくなってしまった)が来たことをきっかけに再び人間社会と接触を持つに至ったと聞いていた。
 経緯を考えればまた人が来なくなってもじっと待ちわびているのが自然な帰結だ。それだけに祭殿前が無人なことに、妹紅は肩透かしを喰らった気分になった。なんなら謎掛けを解くための頭の体操をここに来る準備に含めていたくらいだというのに。
 妹紅は知り得ないことだが、ここの道祖神は外の世界に移った神の一人なのだった。曰く、「人が多い場所の方が楽しい」。祭殿を守る使命は逆に言えば彼女を祭殿に縛る鎖になっていた。彼女を造った存在も、彼女が守る祭殿を支配していた存在も、彼女が守る祭殿を信仰していた存在も全て消え去った今、彼女は自由になった。自由になったということは、生きる目的を自分で見出さなければいけないということである。外の世界に出た彼女の目標は、人類の繁栄と繁栄した人類と共に憧れの地、エジプトはナイルの川に辿り着くことだそうだ。
 という夢は当然道祖神は祭殿には遺しておらず、妹紅は一人寂しく、施錠もされていない石扉を開けて祭殿内に侵入するのだった。




三.
 外の崩壊具合に反して祭殿内は鮮やかな色合いをそのまま保っていた。
 壁面の一部には青色の塗料が幾何学模様を描くように塗られていた。この時点の妹紅には知る由もないことだが、壁に青色の線が入っているのは、ここが祭殿の北側であることを示している。
 祭殿内に入ると四角錐や菱形の空飛ぶ石が襲ってくるようになった。無生物ではあるが、今の幻想郷においては数少ない活動的な存在だ。そして石がいるということは妹紅が会おうとしている存在がまだ消滅していないということを意味する。
「花が消えてもやはりお前は残ったか。世界は最後の最後にお前の方を選んだのかねえ」
 妹紅は火符を飛ばした。石だからといって極端に硬いということはない。ただ数が多いから進むのにも面倒ではある。
 祭殿は迷路になっていたが、比較的単純なものだった。左手法を使うまでもない。彩度の高い壁の色とこれまた彩度が高い色味な上に物量で襲ってくる石共に目を傷めはしたが、数度袋小路に迷い込んだくらいで妹紅は大部屋に到着した。
 大部屋は竪穴である。ここから下に「落ちる」ことで目的地に到着する。なぜかこのことは妹紅はあらかじめ知っていた。大昔に誰かに聞いたことがあるのだったか。今でこそ秘境になっているが、かつては観光名所でガイドブックが発行されてたような時代もあったのか。
 ガイドブックという線は薄いだろうが(石の波状攻撃に疲れて冗談の一つでも思いつきたくなったのだ)、穴の景観は観光名所に相応しいものだった。色鮮やかなだけではなく、各面にどこかの世界の四季の風景が投影されている。ここで妹紅は自分が北側の冬の面から入ってきたことに気がついた。春は桜が咲き乱れ、夏は青々とした山肌であり、秋は紅葉。
 幻想郷から失われた四季。妹紅はしばし郷愁の念を抱いたが、しかし、最初の感動が薄れるにつれて違和感というか冷笑というか苛立ちというか、言葉にするのは難しいが、美しい景色を目にしているときには相応しくない感情が湧き起こってくるのに気がついた。
 これがなぜなのかを思案し続けた。幸い、竪穴は相当深いらしく考えるための落下時間は十分にあった(それに、その気になれば滞空して時間を稼いだっていい)。石共も無機物のくせして空気は読めるらしく竪穴には入ってきていない。
「美しいんだがな……」
 疑問でもあると同時に、これが答えの一文目であるようにも思えた。景色の美しさに自分は苛立っている。
 美しすぎる? 逆にどのくらい景色が美しくなければ許せたか。
 春。溶けかけて茶色く濁った雪。杉が花粉を猛烈にばら撒いている(何百年か前を境に杉は有毒になった。曰く「外の世界で無花粉の杉が一般的になったから」。畜生め。幻想郷はゴミ箱じゃねえんだぞ)。
 夏。うだるような暑さ。陽炎か目に入った汗かで景色は歪んでいる。地面には短い一生を終えようとしている蝉が転がっていて揺れている。
 秋。枯れ葉が美しいか美しくないかは諸説あるだろうが、少なくとも地面に積もるそれは、「秋の美しい景色」を撮ろうとしたときに積極的に画面から外される存在である。
 冬。積もった雪でどこかの廃屋がひしゃげている。池は凍り、脱出に失敗したかそこで一生を終えたかした哀れな虫が琥珀のように閉じ込められている。
 わざと美しくない景色を思い浮かべようとするとこんなものか。列挙してみて妹紅は一つ理解したことがあった。幻想郷がこうなる前ならどうでもいいか不快と思っていた景色を、今の自分は愛おしく懐かしいものと思っている。
 竪穴の景色が美しすぎることに負の感情を抱くのは、それが郷愁の念を引き起こさない作り物感のあるものだからなのだろう。精一杯好意的な言い方をしたとして、壁の景色は「思い出の中で美化された景色」だ。壊れた絵を修復するとして、下手な方向に上書きするのは当然論外だが、「上手く」修復するのも復元としては間違っている。
 これはあくまで究極的には主観でしか判断できない問題だ。もう一方の主観には理想化された景色を求めるという嗜好もあるのだろう。多分ここにかつていた者はそういう価値観を持っていた。だが、妹紅はかつて確かにあったものを見たいという考えだから、竪穴にははっきり言って貶されたくらいに感じた。
 妹紅は壁を蹴ったが、長年放置されても風化の兆しすら見せなかった竪穴は、当然一蹴り如きではヒビの一つも入らなかった。その手応えのなさに苛立って、妹紅はもう一度無意味に壁を蹴った。




幕間.
「殺し合いしましょう?」
 輝夜が妹紅を誘ったのは夏の日のことだった。
 妖精が数を減らし気候が狂い始めていた時のことでもあった。この前日には幻想郷観測史上最高気温を更新。一週間ほど前には雹が降っていた。とはいえ逆に言えば当時はまだ夏は夏ではあるというくらいには正常だったということであり、そういう季節が残っていた最後の時代に輝夜が申し出をしたのは必然だったのかもしれない。
 しかし、直球に殺し合いを申し出るというのは数百年、下手すれば千年の間なかったかもしれない。そのくらいには異例なことだったから、妹紅の返答も「どういう風の吹き回しだ」という感じになった。
「風の吹き回しじゃない。こんなにも月が輝いてるから」
「鬱陶しい夜になりそうだな」
 自分達のものではないような台詞を吐きながら二人は相対した。場所は竹林……ではなく湖だった。かつては常に濃霧が立ち込めていた湖だが、ここしばらくは晴れ渡っていた。
 畔には二軒の廃洋館が建っていた。かつて騒霊が住んでいた洋館と、かつて吸血鬼らが住んでいた洋館。輝夜は紅魔館の屋根の上に立った。運命を操る吸血鬼の館。輝夜は果てた運命の上に立っている。
 妹紅も一度紅魔館の屋上に登ったが、自分がいるべき場所はここではないという予感が働き近くの木の上に足場を替えた。
 二人は無言で技を撃ち合った。会話ができるような生ぬるい弾幕は二人とも撃たない。言葉がなくとも阿と吽の組の如く互いに理解しあえると思っている。
 輝夜は長い年月の中で、蓬莱の玉の枝の他に龍の顎の玉も所有していた。難題のうち二つが手元にあるということは積み重ねた年月と執念の象徴であり、三つが未だ手に入らずじまいということは難題が難題たる所以の象徴だった。
 本物の龍の玉から放たれた光線は妹紅の火符を全て引き裂き、彼女の身体中に突き刺さった。妹紅は死に、また復活する。
 妹紅は遠距離戦を止めて接近戦を挑むことにした。神器を増やした輝夜に対して、妹紅の攻撃は経験による洗練こそあれど、根本的に変わるようなものではない。当然熾烈な攻撃の前に何度も死んで、何度も復活した。
「難題の残りは見つからなかったわけだけれども」
 弾幕を仕切り直しにしたところで輝夜が妹紅に話しかけた。
「見つからなかったって、見つけるのを止めて結論を出したみたいな言い方だな?」
「んー、まあねえ。残りのうち、少なくとも燕の子安貝ってないと思うのよ」
「幻想郷で物のあるないをいうか」
「例えば外の世界でも幻想郷でも『平面の地球』ってないでしょ? ないものはないのよ。その上で、燕の子安貝は理論的にない側なの。永遠だから」
「お前が、私がいる前で、『永遠はない』とほざくか」
 妹紅は顔を歪めて冷笑した。
「ああ、少し言葉足らずだったわね。永遠で『いる』ことはできるのよ。永遠で『ある』ことはできない。つまり、私達が永遠なのは、そうあろうとし続けているからなの。意志のない貝みたいなのは短い目で見たら永遠に錯覚するかもしれないけれど、そのまま永遠であり続けることはできない」
「エコスフィアか」
「言いたいことの半分は。もう半分、永遠でいようとする意志がなければ、私達は永遠であることはできない。だから、殺し合いをしましょう?」
 妹紅は輝夜がなぜ自分を誘ったのか、なぜ満月の夜にそれをしたのかを理解してしまった。正直「嫌だ」と拒絶したい気分だったが、輝夜が言うように永遠であるないが意志により決まるのならば、輝夜の運命は妹紅がどうしようが変わらないのだ。妹紅は殺し合いをするしかなかった。自身がまだ永遠でいることを証明するために。輝夜から課された難題を解くために。
 妹紅は不死鳥を憑依させ火鼠の皮衣の弾幕に突撃した。実在しないのはこっちであるべきだと思っていた。まだそれを模した弾幕でしかないから妹紅側の攻撃が通るが、もし輝夜が本物を入手してしまったら妹紅は勝てなくなってしまう。文字通り永遠に。
 輝夜がいた方の廃洋館から火の手が上がった。かつては危険な魔法実験やら危険な悪魔の妹やらといった主に内側の脅威から館を守るための防護結界が施されていたが、しばらく前に結界の効力は切れていた。
 洋館近くの森も燃え始めた。大昔、竹林で輝夜とやり合っていたらボヤ騒ぎになり天狗が飛んできたということを妹紅は思い出していた。森が何ヘクタール燃えようが野次馬に来る天狗は幻想郷にはもういない。
 炎の中を二人は飛び応酬を繰り広げた。蓬莱の玉の枝の弾幕を出す輝夜とそれを削る妹紅。本物の玉の弾幕は苛烈ではあったが、しかし妹紅は正直思っていたほどではないとも思っていた。蓬莱の玉、優曇華の木は穢れによって咲く。穢れを失いつつある幻想郷において玉が力を弱めているのは必然なのかもしれない。決着は近づいていた。
 そして、ついに妹紅の蹴りが輝夜を捉えた。その一撃を加えつつ妹紅は火符を輝夜の胸に釘を打つかのように刺した。
 輝夜は目を閉じて、スローモーションで湖に没した。



 妹紅は湖の水面に立ち輝夜が入水した地点をじっと見つめていたが、余韻、あるいは呆然が解けると自らもその場所に飛び込んだ。
 妹紅は人生で二人目に人を殺した。妹紅は殺人が嫌いだ。人を殺した後の取り返しのつかない後悔が嫌いだ。まして今回は、この世界で自分以外に生き残った最後の一人か二人かという存在を殺めてしまったのだ。
 カインがアベルを殺した――当時の人口の四分の一を殺めた神話史に残る大事件――ときもこういう感情が湧き起こったのだろうかと、かつて暇つぶしに読んだ聖書の一部分が頭の片隅一パーセントくらいによぎった。残り九割九分は後悔でありせめて死体の埋葬と供養だけはしなければならないという使命感。
 しかし、藤原妹紅という人物は、殺人を犯した直後は極端に不運になるという宿命の元にある。今回の不運は殺したはずの輝夜の遺体が見つからないというものだった。妹紅は湖の中で窒息して死に、肺に空気がないまま蘇生し、再び気絶するまでのわずかな時間で水中を捜索しまた死ぬ。この行程を幾度となく繰り返し湖底に魚の骨は何十体分と見つけたが、輝夜の遺体は底にも水面にも間の水のどの領域にも見つからなかった。
「死なずに逃げたか。おい、出てこいよ。なあ、おい」
 妹紅は呟いたが返事はなかった。
「おい!!」
 今度は空に叫んだが、ただ虚空に声が消えるだけだった。空は白んでいた。夜の間確かに輝いていた満月も、もう西の山の裏側に消えてしまっていた。




四.
 竪穴の底に分岐があり、右に進むと月に着くらしかった。

「↑月 三◯先(◯の部分は何らかの単位と思われるが妹紅もとい地上人は知らない文字だ)」

 という案内標識も立っている。
 ただし、実際に右に進むことはできない。大岩で道が塞がれているのだ。
 いつからこうなっているのだろうかと妹紅は岩やその周りを観察した。岩には苔のようなものの類はついていなく、代わりに細かい砂がついていた。岩を触るとほんのりと冷たいような気もするし、別にそんなことはない気もする。岩の上の天井が抜けているから、転がしてきて設置したのではなく落石でこうなったのだろうと推測される。
 そしてその落石は最近起こったことのように何となく思えた。そう思ったところで妹紅は考えるのをやめた。この場所はどこだってそうだ。どこも、設置されてからの年月を考えればあまりにも不自然に新しい。だからこの落石だって、何百年も前に起きた上でそのまま放置されているのかもしれない。
 むしろ重要なのは何百年か何ヶ月か何日か何時間かは知らないが、落石が取り除かれないまま放置されているという事実で、これは妹紅にとっても暗い要素だった。
 妹紅は一旦、一番楽観的に考えようとしてみた。この場所が実は月の都の施設でその維持のために使われていた。ここまでは彼女も何となく知っていた。月の都を月の都として維持するということは、幻想郷とは異なる環境にするということだろう。ならば幻想郷が月の都のような場所になりつつある今、わざわざそういう施設を運用する意味はない。だから閉鎖して放っておいている。
 これは駄目だな。この説が正しいのであれば月は地上との接触を絶ったということだ。月の民と地上人は二度と会わない。互いに会えず干渉もし合わないのならば、それは生きていないのと同じことだ。
 もう少し悲観的な可能性は……。その先は考えたくもなかった。
「おい、出てこいよ」
 妹紅は叫ぶ気力もなく、抑揚すらない声でそう言った。声は岩の表面で全部消えた。当然返事はない。
 輝夜が水の底に姿を消した日の翌朝、鉛になったかの如く重く動かない足をむりやり引きずりながら永遠亭に向かったときのことを妹紅は思い出した。せめて輝夜の消失を従者に伝えなければならない。従者は聞きたがらないだろうし妹紅の方だって言いたくはなかったがそれは「しなければならない」という責務でもあった。
 結論としては、建物自体が消えていた。
 思えば輝夜だって従者を置いて勝手に一抜けするほど薄情ではないし、永琳の側だって輝夜が消えようとするのをみすみす見逃すような奴ではなかった。どちらが先だったのかは鶏と卵の前後問題のように分からないことだが、永琳が地上にいれなくなったから輝夜も消えることにしたし、輝夜が消えることにしたから永琳も消えたのだろう。
 そして今、祭殿地下の分岐にて。もし二人がいるのなら大岩の向こう側だと妹紅は確信していた。しかし、声も、おそらくは光も届かない程に隔絶されていて互いの存在には最早干渉しあえない位置関係にある。それもまた確信しつつあることだった。
 妹紅は暗い気持ちで大岩に背を向け、分岐のもう片方、浄穢山最深部へと重い足を引きずった。




五.
 山の最深部には石の鳥居があった。額束の部分は三角形と見開いた目を組み合わせた意匠だった。来た者に異様なデザインだと思わせることが狙いなのかもしれない。妹紅は見飽きたと思っていたが。似たような敵をここまでの道中であまりにも多く見すぎた。それに、退屈ないしそれに類する感情が、今の妹紅の心理に残された最後のものだった。
 そのため鳥居は一瞥だけしてそのまま境内に入ろうとしたのだが、不可視の障壁で閉鎖されていた。妹紅は鳥居の見た目よりもむしろそのことに驚いた。中にまだ妹紅が探している者がいるとして、その者が外部からの接触を絶つ論理的理由が妹紅の立場からは思いつかなかった。この点が月への道が封鎖されていたこととは決定的に異なる。
 なので何かしら抜け道があるか、ないしは障壁を開ける方法があるという前提のもと周囲を観察し、鳥居から少し離れたところに筐体が置いてあるのを見つけた。
 筐体は液晶画面とキーボードで構成された、外の世界の物品で例えるならばパソコンをアーケードゲーム機のような形にした代物だった。画面の上半分に文字が書かれている。

「黒き月は吠えているか?」

 この文は、かつて外の世界で流行した怪奇創作でしばしば使われていた一種の小規模なミームだ。この場所は外の世界から流れ着く情報を処理していたからその過程で目に留まった。つまりは、月の都はその文明の最晩年についにジョークを理解する心を手に入れたということである。
 しかし、小規模なミームというのは砕けた言い方をすれば身内ノリということであり、部外者である妹紅は別段面白いとは思わなかった。
 代わりに困ったことになったと思った。妹紅はこれを「秘密組織でよく用いられる合言葉のようなもの」と解釈した(偶然にもこの解釈は合っていた)。合言葉であれば対応する鍵となる言葉が必要である。妹紅はそれを知らない。部外者なのだから。知らなければ入れないのだろう。
 キーボードで文字を入力するのだろうというのは機械に疎い幻想郷人の妹紅にも分かった。なんせキーボードには平仮名が書いている。あらゆる文字の組み合わせを試すというアイデアが浮かんだ。寿命を考えれば時間は無限にある。
 だが、「あ」のキーに指を触れたところでこの方法は、幻想郷自体の方の寿命が保たないという致命的な欠陥があることに気がついた。不老不死として永く生き過ぎた結果、タイムリミットがあるというのにどうにも慣れない性分になってしまった。
 というより、妹紅は再度画面を見直して間一髪のところで気がついたのだが、画面の下半分にある合言葉(画面の表示通りの言い方をするならばPassword)を入力する場所には既に文字列が入力されているのだった。

「月はなく、ただ一人あるのみ」

 これが合言葉であるというのには納得感があった。少なくともよく分からない気取った上半分の文よりは感情が動かされた。「もう少しキーボードを操作してしまっていたらこの文が消えてしまっていてかもしれない」という動揺を差し引いてもだ。妹紅は純粋にこの文の方に共感を覚えていた。
 妹紅はキーボードの中からかな文字ではなく「決定」と書かれたキーを探し出し、それを押した。

「Passwordが異なります」

 障壁が解除されないことに妹紅は面食らった。書かれていた文字列は明らかに合言葉っぽかったし、合言葉でないのだとしたらわざわざあらかじめ入力されていた意味が分からない。
 考えられる可能性の一つとしてはこの文を書いたのは妹紅の前の侵入者で、最終的に解錠に失敗し文のみを遺して去った。ただこの説は、自分以外にここに来て、かつこの内容の文を残す存在に心当たりがないという理由により棄却された。心当たりがないからというのは主観的過ぎるかもしれないが、この場所まで到達可能な実力者なら自分が知らないということはないだろう。
 文を遺したのが障壁の外側の存在でないのだとしたら内側にいるのであって(これは文を見た瞬間になんとなくだが感じ取っていたことでもあった)、であれば、考える問いは言い方を変えれば障壁の内側にいる者はどういう意図でこの文を置いたのか、ということである。
 それで言うならば、自身が抱いた共感は「正しい」、出題者が意図した感情であるように妹紅は思えた。共感させた上で、しかしこのままでは合言葉としては違うのだ。
 ……むしろ、共感したからこそこの文が違うと分かる? 妹紅は一箇所変えたい場所を見つけ、キーボード操作に苦戦しつつも修正を施した。

「月はなく、ただ二人あるのみ」

「認証済み」

 鳥居の向こう側から音が鳴った。妹紅は鳥居で隔てられていた境界を跨ぐ。障壁は消えていた。




幕間.
 恒久の女神、磐永阿梨夜。彼女は地の底のような場所で孤立していたが、外の世界が滅亡したことは知っていた。浅間浄穢山は外の世界のあらゆる生命情報が流れてくる。ある日を境に、氾濫という言葉すらふさわしかった人間由来の情報は数を減らしていき、ついにゼロになった。
 阿梨夜はなんとも思わなかった。邇邇芸が自分を選ばなかった時点で決まっていた運命だ。歴史にifはない。
 続いて幻想郷の住民も減り始めた。これについても、阿梨夜はほぼなんとも思わなかった。どうせ自分が最後の一人になる。慣れていることだ。
 唯一、ユイマン・浅間が月の都から「解放」されたときだけは激昂した。
 解放といえば聞こえがいいが、実際には「情報処理の必要性がなくなったので解雇して捨てる」という扱いだった。解雇されたユイマンは山で数日鹿狩りに興じた後、阿梨夜の元に別れを告げに来た。そのときの彼女は片足に松葉杖をはめていた。
「怪我しちゃってね。こんなこと始めてなのだけれど、つまりは神としての力が薄れてきているのだと思うの。それで考えたのだけれど、やっぱり故郷に骨を埋めたくてさ」
 あえて月の都を擁護するならば、人がいなければ神の力が弱まるのは必然であり、この時代、殆どの神は外の世界に打って出て再起を図るか運命を受け入れるかの二択を迫られていた。前者を選ばなかったユイマンが弱まったのは月のせいとも言い切れない。
 が、阿梨夜は月を恨んだ。彼女の視点では、ユイマンを必要とし信仰することを止めた月の民の行動こそがトドメになっていた。ついに阿梨夜は直接的な反旗、月への武力侵攻を目論んだ。
 そうして神社から月への通路に向かった阿梨夜が見たのは通路を塞ぐ大岩だった。
「石の女神を岩で止めようとは、相変わらず冗談が下手だな」
 無論阿梨夜は神通力で岩を退かした。が、結果はまた同じような大岩だった。
 不毛な、一歩たりとも進まない進軍を延々と試みたことで、物理的に塞がっているのではなく山と海を繋ぐ綿月の姉の能力の応用で遮断されているのだろうということを阿梨夜は悟った。
「下手な冗談を……」
 岩は単に、中指を立てるような意味で置かれているだけ。豊姫がそういうことをする性格には阿梨夜は思えなかったが、月の民の中には露悪的な奴など他に何人もいる。そいつらが豊姫の最後の仕事に干渉したのだろう。
 とはいえ実際の意図がどういうものだったのかというのも、阿梨夜には最早どうでもよかった。ついに自分と月は互いに拒絶という見解の一致を見たのだ。阿梨夜は復讐を諦めた。
 以降、阿梨夜はただ神社で一人佇むだけになった。自身の不変の能力で神としての死をも拒絶し続け、他の神が外の世界に行くか消えるかする中、幻想郷の一番奥で、阿梨夜は阿梨夜のまま孤立していた。




六.
「ようこそ、生存者さん」
 神社の本殿と思われる場所(と思われる、というのはその建物が化石と石を組み合わせて建てられたあまりにも異様な外見だったからである)の前に、左右非対称な翼を持つ仮面を被った女神が立っていた。
「やあ、あんたに会いに来た。石長姫。私は……」
「存じております。藤原妹紅さんですね?」
「知ってたのか。いつの間に私は有名人になっていたんだ」
「ここは月の都の施設で、あらゆる生命情報が流れていました。かつてはね。月の都が接続を絶ったので今では情報は入ってきませんが、最後の時点での情報は覚えていますから。今日はどのようなご用で?」
「その情報はないのか」
「施設としての機能が残ってたら分かったんですがね。例えるならば今は最終更新時点でのトップページのスクリーンショットが残っているだけで検索はできない、という状態なのです」
「例えは何一つ分からんが、さとり妖怪みたいに黙っててもお前が勝手に理解してくれることはないってことでいいんだな?」
「そういうことです」
「なるほど。今回ばかりは勝手に理解してほしかったんだが……」
 妹紅は口ごもった。
「どうしました?」
「自分でも何で来たかよく分かってないんだよな……。まず、私はお前の妹に因縁がある」
「咲耶が? 心当たりが……ありすぎますね。いつのことで?」
「富士の山で薬を燃やそうとしたときだな」
「ああ、少女一人を除き全員惨殺されたという。愚妹がご迷惑をおかけしました」
「いや、そのこと自体は今はいいんだ。時効も時効だしな。ただ、そのことを最近ふと思い出した。思い出したんだが、きっかけが幻想郷には花が咲かなくなったってことだから、お前の妹には会いに行こうとしても会えないだろう」
「それで代わりに私に、と」
「そう言うとお前が補欠みたいになるが、本命だよ。つまり、あー」
 妹紅が言葉を詰まらせるのを見て阿梨夜は首を傾げた。
「???」
「分かれよ」
 そう言われたところで阿梨夜は心を読むことはできない。
「つまりだなあ、生き残りがいるんだから会いに行こうと、そういう人恋しさみたいなのはちゃんとあるんだよ、私にも!!」
 妹紅は顔を真っ赤にして咳払いをしたが、聞いてなお、それが自分にはない感情という理由で阿梨夜には理解できなかった。
「なるほど。お会いできてよかったですね?」
「分かってないな? というかだ、来客が来てただ立ち話してるだけってないだろ」
「ああそういう。貴方もその口でしたか。久しぶりですが、やりましょうか」
「やりましょうか?」
 阿梨夜は八枚の札を取り出した。
「そうそう目が合ったらバトルしないとな、って違う。『立ち話も何ですし中でどうです?』だろうが」
「戦わないので?」
「戦うけどさあ」
 妹紅と阿梨夜は弾幕を撃ち合った(言わずもがな、互いに防御が攻撃を上回り引き分けだった)後拝殿に入った。
 外観の奇抜さに反して内装はごく普通だった。確かに木造の温かみ、みたいなのはないが、石造りというのは西洋風の城のような建物でも見かけるから変ではない。
「飲み物はないのか?」
「身内と関係者以外の人を入れた経験がないんですが、客人って図々しいものなんです?」
「私は紳士的だろ。ほら、筍も土産に持ってきた」
 妹紅は風呂敷包みを机に置いた。阿梨夜は奥の方でそれを一瞥だけして、棚の中を確認している。
「で、飲み物はないのか?」
「お茶と……あいや、茶葉を切らしてますね。酒なら」
「いいね。種類は一通りあるのか?」
「果実酒はないです。好きではないので」
「じゃあ日本酒を頂こう」
 阿梨夜は酒瓶と盃を二つ持って戻ってきた。日本酒を飲むのにお猪口などではなく盃というのが神様らしいと妹紅は思った。
「乾杯」
「乾杯」
「うむ、美味い。しかし果実酒が嫌いとは、味か?」
「いえ。要は果実って花の結果なわけですよ。そういう酒が持て囃されるたびに私を差し置いて妹が栄華をきわめているような気がして」
「となると味じゃなくて情報に左右されてるわけだ。難儀なこった」
「それはまあ、情報の波の中に塩漬けされてきたような神なので」
 二人は酒をちびちびと飲んだ。つまみはない。妹紅が持ってきた筍があるからそれを調理すればつまみになるのだが、二人とも今は面倒だと思っているから筍は生のまま卓上に鎮座している。
「この神社、建てられてからそれなりの年月が経ってると思うんだが」
「そうですね、年にして四桁単位で」
「それで私が初の来客かい」
「こんなところに閉じ込められる前はちゃんと参拝客もいましたよ? でも参拝客っていわゆる客とは違うじゃないですか。賽銭とお参りはしてくれるけれど私が客殿に招くわけじゃない」
「それで、経緯は聞かないが、とりあえずここに移ってからはゼロ」
「立地の悪さはどうにもなりません。遺憾ですが、信仰を集める場所ではなくなったので……。いや、貴方の前に二人いましたよ。客と言っていいのかどうかだいぶ怪しいですが」
「ほう?」
「二人とも異変を解決するためだって言ってやって来て、私を倒した挙句賽銭箱にはビタ一文入れず帰っていきましたよ。いや確かに彼女達は自分が為すべきことを為したってだけですし正しい行動なんでしょうが、こう、神に対する経緯ってものが少しはあってもよかったんじゃないかと」
「ああ、あいつらだろ? 霊夢と魔理沙」
「そうです。いやあ、あの頃が一番幻想郷に血の気が多かった時代ですね」
「辻斬りみたいなもんだからな。私も意味もなく戦わされたことがあるから分かるよ。それはけしかけてきた輝夜の奴のせいな気もするが」
「上手いこと動いてくれたおかげで助かったところもあるんですがね。私があの二人に退治された直後にも、貝の化石が暴走してたのを改心させてもらったり」
「化石が暴走?」
「化石がね、妖怪化したんですよ。ここは古い地層な上に情報が流れてくる場所だったので、昔は化石という箱に情報という魂が注入されて、みたいなこと自体は割とよくあったんですが、あのときは入った情報がよくなさすぎて世迷言ばかり言うくせに妖力だけ強すぎる厄介者みたいになっちゃって」
「ほーん」
 食べ物としてのつまみがないので、二人は昔の話をつまみにした。話の流れで博麗の巫女が霊夢だった時代の話になったが、この時代から少しも時代は前後することなく話題は延々と移っていった。

「月の民はよくない」
「そうだ、あいつらはよくない」

「慧音という奴がいてだな、いい奴だったよ」

「あの時代、御阿礼の子は阿求さんでしたね。私のことを篤く信仰してくれていたようで。でもその割には記録で毒舌吐かれたらしいのですが……」




七.
「昔の話で随分と盛り上がるものですね」
「そりゃそうだろ。今が滅亡状態で未来はないんだ。必然的に話題は過去になる」
「うーん、そういう悲観的な考えではなくて、もっと前向きな意義があると思うのです」
「意義が?」
「昔がよかったのなら、それを目指すというのも考え方の一つとしてあるでしょう? 懐古に囚われてあるべき未来を見逃すのはよくないでしょうが、特にこういう見るべき未来もない状況なら」
「ううむ。帰ってこない過去に囚われたまま終わるというのもなあ」
「帰ってきますよ、帰ってこなければならないのです。それが私のエゴであろうとも少なくとも私自身はそう信じています。つまるところ、錦上の京には添えられるべき花があるのです」
「花か。妹さんでも迎えに行くのか? それとも月」
「なんであんな奴ら」
 阿梨夜は眉間を狭めて顔の筋肉と血管で怒りのマークを作った。
「維縵の国ですよ。姫を連れ戻しに行きます。筍も持っていきますね」
 阿梨夜は風呂敷包みを持って拝殿を出ようとした。
「それ生だぞ。せめてあく抜きして茹でるくらいはしろって」
「善は急ぐべきです。そんな時間も惜しい。まあ大丈夫ですよ。私は神様やらせてもらってるんで。それにかの国は死の世界との狭間にある危険地帯にありますからね。黄泉の道には筍、古事記にもそう書かれています」
「お前そんなそそっかしい奴だったか? 姫とやら一人のことだけで……」
 妹紅は完全に納得して「あー」と呟いた。そういう人を他に一人知っていた。月の賢者がそういう手合だった。経験として、こうなるともう止まらないことも妹紅は知っていた。
「神社は空にして大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ、姫に再会したらきっとこっちに戻って来ますし。そう時間は掛からないはずです。幻想郷の維持だけ、よろしくお願いしますよ、妹紅さん」
「ああ、やるだけやっておくさ」
「助かります」
 そう言って阿梨夜は鳥居を潜り、そのまま姿を消した。



 その場の流れで大見得を切ってしまったが、別に何かあてがあるわけではないんだよな、と妹紅は思った。神社を出て竹林に戻ったのも、そこで何かをやろうというのではなく、竹林にいるのが普段の暮らしだからルーティンに従ったというだけのことである。
 なぜ阿梨夜に会いに行ったのか、道中も、阿梨夜と話しているときすら自分でも理由をまとめることができなかったが、帰路にようやく理解した。自分は生きる理由を探しに向かっていたのだ。しかしこのことに気が付いたのが遅すぎた。阿梨夜に会って問うことは(少なくとも当面の間)叶わないし、逆にその阿梨夜の方が生きる理由に「勝手に」答えを見つけ出してどこかに行ってしまった。
 梯子を外されたような気分だ。いっそ最後の一人の特権としてこの世界を滅茶苦茶にして自分も消えてやろうかと妹紅は考えたが、考えるだけで実行には移そうともしない、そういう義務感の強さも藤原妹紅という生き残りの性分だった。
 生きる理由はなく、それでも自分は生き続けている。このこともまた彼女の中では疑問であり続けていたことだが、こちらには朧げながら答えを見つけつつあった。
 まず、自分は生きる理由があるから生きているのではなく、死ぬ理由がないからしなないでいる。輝夜が能動的な不老不死であったならば、自分は受動的な不老不死に近い。
 別の視点では、自分は生かされている、ということである。思えば運命もそういう方向に向かっていた。そして外の世界との関わりについても。老いることと死ぬことへの恐怖とは人類、否おそらくは全生命の最も基本的な感情であり、この裏返しの不老不死への憧れは最も原初にして最後に残るのに相応しい幻想だった、そういうことなのだろう。
 妹紅は失意の感情で林の竹を眺めた。こんなにもなった幻想郷の中で竹は濃い緑に色づいた直立の姿を保っていた。竹は生えてからおよそ六十年経ってようやく開花し、そして枯れるという。竹は死ぬ理由があって死ぬ存在であり、それは花を咲かせること。しかし花が咲かなくなった幻想郷でこの宿願が果たされることはないだろう。生きる理由はないのに、死ぬ理由がなくて死ぬことができない。その姿が妹紅には自分自身に重なって見えた。
 今自分がすべき願いは二通りあり、一つは死ぬことであり、もう一つは生きる理由を見つけることだった。前者はもうとうの昔に諦めた。後者を他力にせよ自力にせよなすべき、ここまでは妹紅も分かっていた。が、これもまた、彼女にとってはしようと思っても簡単にできることではないのだった。
「せめて光の一つくらいあれよ」
 変わらない薄曇りの中で妹紅はそう毒づいた。
 すると、竹林の中に光るものを見つけた。とある竹の根元が光っていたのだ。
 妹紅は確信めいた希望に胸の高鳴りを覚えた。彼女は竹の中にいる「者」を確認すべく、一旦ナタを取りに小屋へと向かった。
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コメント



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3.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
4.100のくた削除
ラストの希望がとても好きです
5.100Lucy削除
絶望だけかと思いきや最後のシーンがなんとも
6.100夏後冬前削除
滅亡によって世界が収縮していった結果、自分の意識そのものが世界の生き死にになるタイプの世界系でした。良かった。
7.100名前が無い程度の能力削除
何度も倫理が巡った末にたどり着いた穏やかな滅亡の様が美しくさえ思えます。そこでただぼんやりと理由もなく生きている妹紅も、終わりを見送る者として最も”らしい”存在でした。欲やなにやらが失せ清浄に近づく世界で、残された側の妹紅はいまだに因果に囚われているようにも見えます。死に対してある意味では怠惰で、ものすごく人間らしさがあると感じました。
8.100南条削除
面白かったです。
幻想郷が消えてなくなる話はいくつかありますが、ここまで静かに終焉を描いた話は初めて読みました。
紫が泣きだすシーンがとてもよかったです
最後の最後に残った幻想が不老不死、というところもとても最高でした
外の世界は野生動物の楽園でしょうね。