冬の紅魔館、その正面に門番の姿はなく、鋼管を成形して黒く塗装した両開きの正門と、それを挟み、その上に照明灯を構えた赤レンガ造りの2本の角柱、そして降り積もる雪だけが外敵の侵入を阻んでいた。
犯人はそれらを飛び越え、除雪の行き届かない表庭をエントランスドアへ向けまっすぐに駆けた。
重厚なエントランスドアに背を当てて、背後に誰の気配もないことを確認する。犯人は懐から1ねじりの針金を取り出して、前方後円型の鍵穴へと差し込んだ。この時のために、犯人は毎日のようにこの扉の前を通り過ぎては錠の形状、構造、開錠の手段を確認、考察、検証していた。まだ雪の降り積もらない頃に花壇の隅で拾い上げた針金と有り余る時間を駆使して、その錠を素早く、誰にも感づかれない間に破り開ける準備を、犯人は徹底的に整えていた。
開錠し、片側の扉を開き、館へ踏み入り、扉を閉めて、施錠した。
扉の施錠は逃走時の手間を増やすことを意味する。しかし犯人には逃走時にロスタイムが出ることよりもむしろ、犯行の完遂までに犯人の侵入を紅魔館の住人に察知されることの方が怖かった。
エントランスホール。左右に別館へ繋がる廊下が伸びて、正面に中央館1階に移る大扉、舞踏会をひらける広間の両脇には2階へ続く階段と、その脇には地下へと続く階段があった。犯人はまず地下へと降りた。
柔らかなレッドカーペットを素早く走り犯人は地下へと降りて行く。角型のらせん階段を次々に下り、片開きの木製扉に差し掛かる。1、2秒背を当てそこに侵入して扉を閉じる。
左手に本棚が並び、右手は手すりを経て再下層まで吹き抜けている。それは紅魔館地下図書館の上階に位置する出入口の1つだった。犯人は手すりを飛び越え、空中ブランコのように回り下へ降りる。それを再下段まで繰り返した。
再下層に到達する。正面から左にかけて巨大な本棚がどこまでも並び、右には数個の本棚を経てそれを横切る大通りが設けられていた。犯人は右には行かなかった。
こちらに接近するように大通りの中央を何者かが飛んでいる、今誰かに見つかるのはまずい。
犯人は誰かが接近するのとは反対方向へ行き並列にそびえる本棚を次々と飛び越え、図書館の奥へと突き進んだ。しかし犯人はその途中で突然止まる。
すぐ次の棚の向こうに誰かが立っている。音を立てずに棚の上へ登り、恐る恐る床を見下ろす。霧雨 魔理沙が本を物色していた。犯人はそこに降りることなくひと飛びで次の棚に移り、再び奥へと進み出した。
図書館の奥に扉があり、それを超えると天井から足元まで引き出しが並んでいて、それがカンテラ光の届かない向こうまで続いていた。引き出しには全て名札が打ち付けられていて、斜体アルファベット、カナ文字、漢字、記号で何かの名前が記されている。中には本当にこの世に存在するかも疑わしい文字で書かれた札もあった。そこはパチュリー ノーレッジの材料庫だった。
犯人は迷いなく倉庫を歩き名札を見て回り、すぐに1つの引き出しを掴み引き開けた。
いびつな棒状の1本の子実体の根元にミイラ化した蛾の幼虫が付いている。札には斜体の学名と「冬虫夏草」の表記があった。
犯人は迷いなくそれをつかみ取り、空の引き出しを元に戻して材料庫、次いで図書館をあとにした。
エントランスホールに戻る、ホール中央の扉を抜け中央棟1階の廊下を素早く駆ける。犯人は厨房へ向かった。のんきに談笑する妖精メイド、鼻歌を歌ってかなりエレガントに小躍りを踊る吸血鬼から隠れ通し、甲冑の中にねじり込もうとする野良妖精、カーテンの裏に包まる野良妖精、2匹を探し回る野良妖精の頭上を天上に貼り付き素通りした。
別の吸血鬼の接近に気付き近場の一室に飛び込んだ。ほとぼりが冷めた頃に部屋を出て、どこか遠くの一室で掃除を続けるあるメイドに近付かないよう回り道して、犯人は誰にも見つかることなく厨房のドアをくぐり抜けた。
戸を閉めて内側から施錠し、紐をノブと付近の適当な突起にきつく縛り付け、ノブをひねって2度3度前後させた。それが確実に開かないことを確認してから、犯人はその日初めてひと息ついた。
コンロに薪をくべ、小鍋に水をくみ、それを火にかけながら調味料や野菜を揃える。
犯人は肩から布袋を降ろして竹皮に包まれた鴨肉を取り出す。こっそり山に入って捕まえ、雪の中に隠していた主原料だった。ここで時間を取る訳にはいかない、屠殺、血抜き、解体といった下ごしらえは既に済ませていて、あとは切り分けて鍋に投入するだけでよかった。
野菜、薬味を捌き、次に鴨肉を分割する。羽の部分は骨を残したまま先と元の2パーツに分け、腿や胴体の骨はきれいに取り出して個別にまとめた。肉はいずれも一口分の大きさに切り揃え、全体の半分程度を捌いて残りは竹皮に包み直した。水の沸騰を待ち、鴨の取り分けたガラ部分を投入し、アク取りする。6割方アクが取れたところでガラを除いて肉を入れ、野菜を入れ、薬味を入れ、冬虫夏草を入れ、2、3度混ぜてふたを被せた。
野菜のヘタ、鴨のガラ、蛾の幼虫のミイラを布袋に捨てて丸めて縛り、薪を継ぎ足し、息を殺して10数分待った。その間まな板や包丁を洗浄する等証拠隠滅に尽くし、コンロに酸素を送り込み火を強め、やることがなくなると、間違いなく誰にも見られていないことを確認した後呼吸を整え、最後にはひとりで頭を抱えて悶絶した。
2度3度ふたを開け4度目に取り払い、調味料を5度振って1さじすくって味見した。
犯人は目を輝かせて歓喜した。
「ん~美味しい!我ながらうまくできた。あとはこれを持ってお屋敷から抜け」
「つまみ食い?」
凍り付いたような声が背後から聞こえた。
犯人は気付かなかった。いや気付いていたが無視していた。元々不可能であったことを。
いかに気を読み取り、紅魔館全住人の所在を気配だけで察知できたとしても意味がないということを。こちらが知覚する間もなく、彼女にだけは気付かれてしまうということを。
誰の侵入を拒むために確実にその扉を施錠し、縛り付けた所で無駄であったということを。彼女には全てを片付ける時間的猶予があったこと、それを外側から開錠し、紐を切り、内側から確実に施錠し直し、犯人を逃げ場のない完璧な密室の中に閉じ込めて、その首に銀のダガーを突き付けてもまだ余りあるだけの永劫の時間が、いや彼女は時間を超越していたということを。
「良い度胸じゃない。」
「は、はい。。。」
笑うしかなかった。凍り付いた体を無理やりにひねり、凍り付いた笑顔をむやみに見せて、凍り付いた瞳で全てを覚悟した。
つまみ食い未遂の犯人、紅 美鈴は十六夜 咲夜を目の前にして、謝ることもできなかった。
左手でひじを抱え、右手であごを抱えた十六夜 咲夜は凍り付いたような視線で彼女を見ていた。何も言えない彼女の代わりに、凍り付いたように笑わない十六夜 咲夜は静かにつぶやいた。
「すごく、おいしそうね。」
おわり
犯人はそれらを飛び越え、除雪の行き届かない表庭をエントランスドアへ向けまっすぐに駆けた。
重厚なエントランスドアに背を当てて、背後に誰の気配もないことを確認する。犯人は懐から1ねじりの針金を取り出して、前方後円型の鍵穴へと差し込んだ。この時のために、犯人は毎日のようにこの扉の前を通り過ぎては錠の形状、構造、開錠の手段を確認、考察、検証していた。まだ雪の降り積もらない頃に花壇の隅で拾い上げた針金と有り余る時間を駆使して、その錠を素早く、誰にも感づかれない間に破り開ける準備を、犯人は徹底的に整えていた。
開錠し、片側の扉を開き、館へ踏み入り、扉を閉めて、施錠した。
扉の施錠は逃走時の手間を増やすことを意味する。しかし犯人には逃走時にロスタイムが出ることよりもむしろ、犯行の完遂までに犯人の侵入を紅魔館の住人に察知されることの方が怖かった。
エントランスホール。左右に別館へ繋がる廊下が伸びて、正面に中央館1階に移る大扉、舞踏会をひらける広間の両脇には2階へ続く階段と、その脇には地下へと続く階段があった。犯人はまず地下へと降りた。
柔らかなレッドカーペットを素早く走り犯人は地下へと降りて行く。角型のらせん階段を次々に下り、片開きの木製扉に差し掛かる。1、2秒背を当てそこに侵入して扉を閉じる。
左手に本棚が並び、右手は手すりを経て再下層まで吹き抜けている。それは紅魔館地下図書館の上階に位置する出入口の1つだった。犯人は手すりを飛び越え、空中ブランコのように回り下へ降りる。それを再下段まで繰り返した。
再下層に到達する。正面から左にかけて巨大な本棚がどこまでも並び、右には数個の本棚を経てそれを横切る大通りが設けられていた。犯人は右には行かなかった。
こちらに接近するように大通りの中央を何者かが飛んでいる、今誰かに見つかるのはまずい。
犯人は誰かが接近するのとは反対方向へ行き並列にそびえる本棚を次々と飛び越え、図書館の奥へと突き進んだ。しかし犯人はその途中で突然止まる。
すぐ次の棚の向こうに誰かが立っている。音を立てずに棚の上へ登り、恐る恐る床を見下ろす。霧雨 魔理沙が本を物色していた。犯人はそこに降りることなくひと飛びで次の棚に移り、再び奥へと進み出した。
図書館の奥に扉があり、それを超えると天井から足元まで引き出しが並んでいて、それがカンテラ光の届かない向こうまで続いていた。引き出しには全て名札が打ち付けられていて、斜体アルファベット、カナ文字、漢字、記号で何かの名前が記されている。中には本当にこの世に存在するかも疑わしい文字で書かれた札もあった。そこはパチュリー ノーレッジの材料庫だった。
犯人は迷いなく倉庫を歩き名札を見て回り、すぐに1つの引き出しを掴み引き開けた。
いびつな棒状の1本の子実体の根元にミイラ化した蛾の幼虫が付いている。札には斜体の学名と「冬虫夏草」の表記があった。
犯人は迷いなくそれをつかみ取り、空の引き出しを元に戻して材料庫、次いで図書館をあとにした。
エントランスホールに戻る、ホール中央の扉を抜け中央棟1階の廊下を素早く駆ける。犯人は厨房へ向かった。のんきに談笑する妖精メイド、鼻歌を歌ってかなりエレガントに小躍りを踊る吸血鬼から隠れ通し、甲冑の中にねじり込もうとする野良妖精、カーテンの裏に包まる野良妖精、2匹を探し回る野良妖精の頭上を天上に貼り付き素通りした。
別の吸血鬼の接近に気付き近場の一室に飛び込んだ。ほとぼりが冷めた頃に部屋を出て、どこか遠くの一室で掃除を続けるあるメイドに近付かないよう回り道して、犯人は誰にも見つかることなく厨房のドアをくぐり抜けた。
戸を閉めて内側から施錠し、紐をノブと付近の適当な突起にきつく縛り付け、ノブをひねって2度3度前後させた。それが確実に開かないことを確認してから、犯人はその日初めてひと息ついた。
コンロに薪をくべ、小鍋に水をくみ、それを火にかけながら調味料や野菜を揃える。
犯人は肩から布袋を降ろして竹皮に包まれた鴨肉を取り出す。こっそり山に入って捕まえ、雪の中に隠していた主原料だった。ここで時間を取る訳にはいかない、屠殺、血抜き、解体といった下ごしらえは既に済ませていて、あとは切り分けて鍋に投入するだけでよかった。
野菜、薬味を捌き、次に鴨肉を分割する。羽の部分は骨を残したまま先と元の2パーツに分け、腿や胴体の骨はきれいに取り出して個別にまとめた。肉はいずれも一口分の大きさに切り揃え、全体の半分程度を捌いて残りは竹皮に包み直した。水の沸騰を待ち、鴨の取り分けたガラ部分を投入し、アク取りする。6割方アクが取れたところでガラを除いて肉を入れ、野菜を入れ、薬味を入れ、冬虫夏草を入れ、2、3度混ぜてふたを被せた。
野菜のヘタ、鴨のガラ、蛾の幼虫のミイラを布袋に捨てて丸めて縛り、薪を継ぎ足し、息を殺して10数分待った。その間まな板や包丁を洗浄する等証拠隠滅に尽くし、コンロに酸素を送り込み火を強め、やることがなくなると、間違いなく誰にも見られていないことを確認した後呼吸を整え、最後にはひとりで頭を抱えて悶絶した。
2度3度ふたを開け4度目に取り払い、調味料を5度振って1さじすくって味見した。
犯人は目を輝かせて歓喜した。
「ん~美味しい!我ながらうまくできた。あとはこれを持ってお屋敷から抜け」
「つまみ食い?」
凍り付いたような声が背後から聞こえた。
犯人は気付かなかった。いや気付いていたが無視していた。元々不可能であったことを。
いかに気を読み取り、紅魔館全住人の所在を気配だけで察知できたとしても意味がないということを。こちらが知覚する間もなく、彼女にだけは気付かれてしまうということを。
誰の侵入を拒むために確実にその扉を施錠し、縛り付けた所で無駄であったということを。彼女には全てを片付ける時間的猶予があったこと、それを外側から開錠し、紐を切り、内側から確実に施錠し直し、犯人を逃げ場のない完璧な密室の中に閉じ込めて、その首に銀のダガーを突き付けてもまだ余りあるだけの永劫の時間が、いや彼女は時間を超越していたということを。
「良い度胸じゃない。」
「は、はい。。。」
笑うしかなかった。凍り付いた体を無理やりにひねり、凍り付いた笑顔をむやみに見せて、凍り付いた瞳で全てを覚悟した。
つまみ食い未遂の犯人、紅 美鈴は十六夜 咲夜を目の前にして、謝ることもできなかった。
左手でひじを抱え、右手であごを抱えた十六夜 咲夜は凍り付いたような視線で彼女を見ていた。何も言えない彼女の代わりに、凍り付いたように笑わない十六夜 咲夜は静かにつぶやいた。
「すごく、おいしそうね。」
おわり
つまみ食いしたことと侵入者を放置したこと、どちらの罪が重いんでしょうね
面白かったです。
面白かったです。
流れるようなスピード感がすばらしかったです
ぼくはなかなかの推理達者なので「は、はい。。。」のところで犯人に気付けました
試みは面白かったです