緑眩しい初夏のある日のこと。
宿の客室から窓越しに見える太陽は一日の役目を終え、地の底へと沈みかけている。
四方をざっと見渡すと値段の割にしっかりした部屋で、清潔さも悪くない。
荷物を下ろしたところで、先刻の出来事が脳裏を過る。
本当は村の入口が見えたあたりで、薄々面倒な予感はしていた。
しかし、この時間から別の村や集落を探すのに無理があったのは否定のしようもない。
現在私は幻想郷の世情を把握すべく、極端に小さい同行人を連れて旅をしている。
ある大きな行動を起こすために。
その間、いろんな場所で寝泊まりをしながら目ぼしい地域を巡った。
今日も暗い夜が訪れる前に宿のある村を見つけ安堵したのだが。
「ねえねえ、私達も行こうよ!」
一日歩き続けて疲れているだろうに、同行人の少名針妙丸は嬉しそうにはしゃいでいる。
「駄目です、人間の多い場所に不用意に近付くのは危険だとこの前教えたでしょう」
丁度間が悪く、今日はこの村でなにかの祭りが開催されるらしい。
入口にのぼり旗や紅白幕が見えた時点で針妙丸が興味を持って参加したがるのは予想通りのことではある。
しかし、私自身は全く気が進まない。
針妙丸はまだいい。
同じ年頃の子どもに比べて背丈が小さいこと以外、容姿は人間と変わらない。
お椀を被っている点は多少目立つかもしれないが、なにせ見た目も中身もただのお子様だ。
他所の子どもの格好に赤の他人がいちいち興味を持って絡んでくることなんてまずない。
現に、これまでもそうだった。
それよりも、問題なのは私の方だ。
貌と角を隠すため、前頭部と面の下半分に包帯を巻いている。
これでは不審者と思われてもおかしくない。
幸いにも今のところこの装いのせいで宿に困ったり、トラブルに巻き込まれたりしたことはない。
時折こちらを怪しげに凝視してくる奴は一定数いたが、それ以上のことは起きていない。
大抵の人間は一瞬怪訝そうな表情を浮かべた後、避けるように道を譲る。
祭りとなれば一つの場所に多くの人間が密集するのは確実。
万が一私の顔や正体を知る者に出くわす可能性もゼロではない。
「平気だよ、だって正邪がいるもん」
「私がいても危ないものは危ないんです。さあ、宿で大人しくしていましょう」
話を切り上げて湯浴みに行こうとしたところ、服の裾を引っ張られた。
「お願い……」
普段は我儘を言わないのに、今日は随分と珍しい。
腰にも届かない小さな躰でこちらを見上げ、必死に私を引き止めようとしている。
当然、これだけの体格差があってはどれだけ力を込めたところでなんの意味もない。
やろうと思えばこのまま無視して押し通ることも出来るのだが。
不意に、ここまでの道のりが追想される。
この小人を連れ出し、旅を始めてから今日で丁度一週間。
最初、私は彼女に言って聞かせた。
小人族は長い間他の多くの種族から迫害され続けてきた。
また小人に限らず、この世界には肩身の狭い思いをしながら暮らしている者が大勢いる。
そんな弱者達に救いの手を差し伸べることが出来るのは貴女だけだ。
だから私と一緒に、この幻想郷をひっくり返そう。
弱い者が平穏に暮らせる世界を共に創ろう。
そんな、嘘で塗り固められた誘い文句。
だが彼女はその日出会ったばかりの私の話を全く疑わず、聞き終えた頃にはぱっちりした真ん丸の目を強く輝かせていた。
ろくに外の世界に出たことがなかったからだろうか。
それから一緒に、二人でいろんな場所を歩いた。
山、川、それに様々な人間の暮らす集落。
針妙丸はどこに連れて行っても楽しそうにはしゃぎ回った。
きっとここ数日でのあらゆる体験が、本人にとっては新鮮で特別なのだろう。
そのせいもあってか、彼女は子どもの割に意外なほど我慢強い。
毎日長い道のりを歩いても文句ひとつ言わず、新しい村や集落を見つける度にその足を速めた。
これは異変を起こす前に今の幻想郷の世情や他の勢力、強者達の動向を知るための旅。
だが、その終点がどこにあるのか。
そこまではあとどのくらいかかるのか。
これらについて、私は一切の説明をしていない。
突っ込んだことを聞いてこないのはこちらからすれば都合よくはある。
だが、彼女が本当にそのあたりをなにも考えていないのか。
それはまだ、分からなかった。
初対面の印象は、世間知らずのただの子ども。
だが、私は針妙丸を一目見ただけで彼女に声をかけ連れて行くことを決めていた。
鬼の秘宝、打ち出の小槌。
これを扱えて、私の思うようにコントロール出来る相手ならそれでよかった。
そのつもりでいたが、思い返してみるとあの時の私は他の択を思い浮かべることすらしなかった気がする。
まさか。
針妙丸がなにか言葉では言い表せない、特別な力を持っている?
そして私はそれに惹かれた?
いや、そんなはずはない。
単に、あまり派手に動けば私の計画に気付く者が現れかねない。
だから慎重にリスクヘッジをした、それだけのはずだ。
あらためて目下の彼女に視線をやるとまるで縋るような視線を向けて来る。
―いくら我慢強いとはいえ、相手は子どもだ。
行動、異変を起こす前にへそを曲げて癇癪でも起こされては面倒だ。
一応、手持ちに多少の余裕はある。
仕方がない。
私は溜息とともに懐から財布を取り出し、言った。
「……分かりました、行きましょう」
途端、両手を離した針妙丸が破顔しながらそのまま腕を振り上げた。
「やったあ! 正邪ありがとう!」
「……あんまりなんでもかんでもは買えません、いいですね?」
「うん!」
面倒なことになったが、これも計画のためだと自分に言い聞かせる。
それにどうせ参加するなら私も酒の一杯とちょっとした軽食ぐらいは食べたい。
ここしばらくは缶パンばかりで飽き飽きしていたのだ。
宿の受付にいた男が言うにはもうすぐ出店が並び始め、陽が完全に沈んでから花火を打ち上げるということらしい。
お祭り自体は毎年深夜までしているらしいが、どうせ二十一時あたりには針妙丸が眠気に負けるのが目に見えている。
少し見れたら本人も十分納得するだろう。
脱衣場で包帯をよりきつく締め直してからいつものグレーの外套を纏う。
人混みの中に妖怪が混じる以上、警戒は最大限しておかなければならない。
針妙丸が文字通り跳ねながら急かしてくる。
「はやくはやく!」
「はいはい、今行きますよ」
***
村の入口に近付くと、既に至るところに祭りの飾り付けがされている。
提灯に垂れ幕、のぼり旗まである。
ここには滅多に来ないし、普段私が暮らしている人間の里からはかなり遠い。
少なくとも人間が気軽に行き来出来るような距離ではない。
一先ず、大きな広場がある中央に向かって歩を進める。
あっちで人間に混じって生活するのにもだいぶ慣れてきた。
とはいえ、いつまでも同じ住居や職場で五年、十年と暮らし続ければ私が人外であることにいつか必ず勘付かれる。
年をとらない人間などいるはずがないのだから。
だから私は定期的に引越をし、名前も変えている。
人間達の間で噂が広まるのは、異様に早い。
私が里で暮らすようになってから、一番驚いたことかもしれない。
里の人間は、少なからずお互いを「監視」している。
現在、私は人里西側の外れに位置する長屋に部屋を借りている。
移り住んでからまだそれほど長くないが、十二ある部屋は常に満室で住人の出入りもそれなりに多い。
顔を知る人数が増えればそれだけ正体がバレるリスクも大きくなる。
そのため私は周囲の人間と必要以上のコミュニケーションは取らず、両隣の住人の名前すら知らずに生活している。
だが、仕事に出掛ける時間や共用スペースを使うタイミングが重なった時。
成り行きで挨拶程度に言葉を交わすのだが、住人達は当たり前のように私の偽名を知っている。
加えて、日雇いの仕事で世話になることが多い斡旋所。
先週の朝一番に訪れた際に受付の男から聞いた、近所で起きたばかりの盗難事件。
仕事を終えて戻ったその日の正午には長屋の共用スペースに十人近い人間がたむろし、話題はその件で持ちきりになっていた。
しかも、よくよく見ればここ以外で暮らしている者まで騒ぎに混ざっていた。
誰が誰を監視する、というような話ではない。
きっと実態はもっと単純で、人間からすればこれが「当たり前」のことなのだ。
誰かがなにか事を起こせばそれが善かれ悪しかれ、すぐに周囲全てに伝わる。
尤も、人間がこうでなければこうして一つの区域で集団生活を行うことなど不可能だろう。
彼ら彼女らの大半は一定以上の社会性、秩序を重んじる心を持ちそれに反する行動は取らない。
そんなことを考えていると、中央の広場が見えてきた。
環を描く形で出店が並び、一部は既に客を呼び込み始めている。
ただの暇つぶし、気分転換に来たつもりだったが事前に耳に挟んだ情報よりも人が多く賑わっていそうだ。
さて、何を買おうか。
いつかの霧の湖での出来事が追想される。
竹林で暮らす影狼と、霧の湖の水底に住居を持つわかさぎ姫。
今では既に何度も顔を会わせたことのある仲。
交流を持つようになったきっかけは、ただの偶然だった。
正確に何年前かは思い出せないけど、夏の暑さがひどい年だったのは覚えている。
当時の私は涼める場所を求め、霧の湖に足を運んだ。
この場所は日中濃霧がたちこめているので日光が届きづらく、夏季でも比較的涼しい場所だと風の噂で耳にしたことがあった。
尤も、妖精の悪戯で被害に遭う者が後を絶たないせいか人間はあまり近寄らないようだが。
そうしてしばらく畔を歩き続け、他の場所よりも霧が濃くて避暑に丁度いい場所を見つけた。
休憩も兼ねて適当な岩場に腰かけると、誰かの話し声が聞こえてきた。
声のする方に目を向けると、はっきりと人影が見える。
思ったよりも近い。
そして二人は一目で妖怪と分かる見た目をしている。
一人は和服姿で下半身が魚の尾ひれになっている、青髪の人魚。
もう一人は妖獣特有の長い耳が特徴的なロングドレス姿の狼女。
霧の濃さのせいもあり、二人はかなりの至近距離にいたのにすぐに気付くことが出来なかった。
気配を消すのはそれなりに得意だと自負していたが、狼女の方がすぐにこちらに視線を向けた。
長い耳が小刻みにぴくぴくと動いている。
目を凝らして貌を見やると、こちらの様子を探るような眼つきをしている。
殺気は感じないし、勿論こちらにも争いを起こすつもりなどない。
私はここで涼みたいだけだ。
とはいえ、二人からすれば見知らぬ闖入者に話を聞かれるのを面白くないと思った可能性もある。
無用な衝突は避けるべきだしこちらが少し離れればいいだけだと考え、私は来た道を引き返そうと踵を返した。
そうして何歩か歩を進めたところで急に後方から声が聞こえてきた。
「待って、ねえ待って!」
後ろを振り返ると、先程のドレス姿の女が小走りでこちらに近付いていた。
今度は表情がはっきりと映る。
先程と違い、どちらかと言うと慌てているようだった。
こちらが足を止めると、相手もドレスの裾を押さえながら立ち止まった。
「なに?」
「……ねえ、貴女って人里の近くで暮らしてるよね」
初対面のはずだが、相手は何故か私のことを知っているような口ぶりだ。
ここは不用意に答えず、適当にはぐらかした方がいいか。
こちらが黙っていると、湖の方からちゃぷちゃぷと小さな水音がした。
私から見て左手側から、先程うっすらと姿を視認した人魚が水面から頭だけを出した状態で現れる。
「もう影狼ちゃん、まずは自己紹介しなきゃでしょ」
「あ、姫、そうだったわね……」
人魚の咎める言い方に目の前の狼女はたじたじになっている。
どうやら名前は影狼、と言うらしい。
念のため湖からさらに半歩距離を置くと、人魚の女が今度は私に言った。
「あ、待って待って。私、わかさぎ姫って言うの。で、この子は影狼ちゃん」
「……そう」
一見すると妖獣の方、影狼よりもずっとひ弱そうに見えるがこの人魚は随分はきはきと喋る。
私の気のない返事を気にした様子もない。
視線を合わせたことを確認したのか、彼女は私に向かって続けた。
「私達は野良妖怪だけど、ちょっとしたグループを作ってるの。
ねえ、貴女のお名前も教えてくれないかしら?」
「……赤蛮奇」
「じゃあ、蛮奇ちゃんね。ねえ、一緒にお喋りしない? 貴女のお話、色々聞いてみたいわ」
人魚、わかさぎ姫が穏やかな笑みを浮かべながら湖の端まで寄ってきた。
影狼はと言うと、私達のやり取りを落ち着かない様子で見ている。
心なしか尻尾が少し震えているように見える。
「私、ここに涼みにきただけだから」
そう言って立ち去ろうとすると、影狼が先程までより大きな声を出して言った。
「待って、お願い! 少しだけ、少しだけでいいから!」
急な大声量に、反射的に肩が強張る。
わかさぎ姫はと言うと、驚いた様子もなくにこにこしている。
一方の影狼は本人の必死な気持ちがそのまま顔に現れている。
今日会ったばかりの私に、何故ここまで食い下がって来るのか。
構わずにこのまま立ち去ってしまってもよかったが、妙な後ろめたさが私にそれをさせなかった。
気付けば私の口は自然と言葉を紡いでいた。
「……それで、何を話せばいいの?」
「えーすっごーい! じゃあずっと人間の里で暮らしてるの?」
「……まあ、そう」
「人間のお仕事とかもやってるの?」
「……まあ、お金に困らない程度に」
「それってどんなお仕事?」
「……色々」
「すごいわ、蛮奇ちゃんは信頼されてるのね」
わかさぎ姫が大きく頷きながら言った。
随分と感心しているようだが、実際のところ任される仕事の半分ぐらいは単純作業で別に難しくもない。
勿論中には複雑な物もあるが、そう言った仕事は斡旋所である程度件数をこなさなければまず回ってこない。
それはどうでもいいとして。
わかさぎ姫は終始こんな調子だった。
人間の里で暮らす妖怪が珍しいからなのか、私の気のない回答にもいちいち嬉しそうな反応を見せる。
そう言えば、さっき影狼はすぐに私が里で暮らしていることに気付いていた。
聞かれるばかりではかなわないし、私は影狼の方を向いて言った。
「……私が人里で暮らしてるの、どうして知ってたの?」
すると、なぜかわかさぎ姫が誇らしげに胸を張り割り込むように答える。
「ふふん、影狼ちゃんのお鼻はすごいのよ」
成程、自分では気付かなかったが長年人里で暮らすうちに匂いが身体に染みついていたということか。
途端、影狼が恥ずかしそうに手を振りながら言った。
頬がうっすらと紅く染まっている。
「ちょっと、恥ずかしいからその言い方はやめてよ」
影狼に咎められてもわかさぎ姫は相変わらず、口に手を添えて楽しそうに笑うだけだった。
別に影狼に同情したわけではないが、私は話を変える形で先程から気になっていたことを訪ねた。
「それで、貴女達二人はなにかのグループに属している野良妖怪でこうして情報交換をしながら暮らしてる、ってこと?」
「あ、そうそう。それを言いたかったの!」
わかさぎ姫が手をぽんと叩く。
話の流れでなんとなく予想は付いていたが、本題に入るのが遅すぎる。
というか、私が言い出さなければそのまま忘れていたのではないか。
「草の根妖怪ネットワークって言うの、ねえねえ蛮奇ちゃんも入ってよ!」
「いや、入らないけど」
なんか、面倒くさそうだし。
私の返事にめげた様子もなく、わかさぎ姫は交渉?を始めた。
「お願いお願い、今なら私の綺麗な石コレクションからどれでも一つあげるから!」
……そんな物渡されても、いらないし。
環状に並ぶ屋台をざっと見て周ると、成程様々な店が出店している。
見た所大体三分の二ぐらいが飲食物を提供しているようだ。
思い出してみても、何故自分が今も彼女達と定期的に会う程度に付き合いを続けているのかは分からない。
もうかれこれ十数回は会っているが、未だにグループに入って欲しいとお願いしてくるし。
私に声をかけて来た理由を聞いても、わかさぎ姫は「なんかいい子っぽかったから!」と答えになっていないことを堂々と宣うだけだった。
影狼に至っては「姫の見立てに間違いはない」などと何故かこちらも自信満々に言い放つ始末。
結局、わかさぎ姫が半ば強引にプレゼントしてきた石については思ったより色が綺麗だったので自室の作業机の上に飾っている。
(調子に乗りそうな気がしたので本人には言っていないが)
最初、二人は人里周辺の動向を知るために私をメンバーに誘ってきたのではないかと考えていた。
相手が人里の情報を欲しがっているのなら、引き換えにこちらも湖と竹林の近況について知れると思えばそう悪い話でもない。
だが、実際に二度三度と顔を会わせているうちにそんな意図はないように思えてきた。
なにせ会合の半分以上は単なる雑談で終わるのだから。
その内容も「昨日は水底でこんなに綺麗な石を見つけた」とか、「竹林で美味しそうな筍を沢山見つけた」とか、そんな平々凡々とした話ばかり。
一応、「竹林には狡賢い白兎がいて沢山落とし穴が掘られているから歩く時は気をつけないといけない」とか、
「夜の湖の近くには稀に吸血鬼が姿を現すからあんまり近寄らない方がいい」とか、有用な情報が全くないわけでもなかったが。
そう言えば、少し前の会合では影狼が沢山のキイチゴを持ってきた。
わかさぎ姫の石と言い、彼女達に物を渡す時の恩着せがましさのようなものは基本的にない。
私はネットワークのメンバーでもないのだし。
だが、まだなにも渡していないのが私だけになってしまった以上、このままもらいっぱなしというのもなんだか落ち着かない。
里での暮らしについて簡単に説明したとき、二人が甘味にやたらと食いついてきたのを思い出す。
丁度、屋台の一つが目に入った。
……あのカステラ玉でも買って行こうか。
***
目線があちこちに飛んで落ち着かない針妙丸の動きに注意しつつ、出店を見て周る。
何かの拍子に余計なことをしたり言ったりしないか心配だったが、思ったよりも大人しいので一安心していた。
買ってやったりんご飴を食べるのに夢中になっているだけな気がしないでもないが。
人気のある食べ物なのか、私達が買った時にはあと五、六本ほどしかなかったので売り切れていないのは幸いだった。
すれ違う人間共も私の包帯姿に無遠慮な視線を向けてくる奴こそいるが、今のどころはただそれだけだった。
皆、呑気に祭りを楽しむのに忙しいということか。
なんにせよ、好都合。
「ねえねえ、今度はあれ食べたい!」
針妙丸がいつの間にかりんご飴を食べ終え、別の屋台を指差している。
多分何かの焼き菓子だろうか、甘い匂いがここまで漂ってくる。
人混みの中に出来た僅かな隙間から目を凝らす。
どうやら売っているのはカステラ玉のようだ。
まあ、なんでもいい。
買ってやるのは二つだと事前に言い聞かせているので、これで終わりだ。
「はいはい、次で最後ですからね」
「うん!」
この人混みではぐれでもしたら面倒だ。
私は針妙丸を前に立たせる形で、二人で列に並んだ。
ふと、前に並んでいる赤髪の女が妙に気になった。
背丈は私と大差ないが、恰好と纏う雰囲気に違和感がある。
こんな人熱れ漂う場所に、わざわざ丈の長い外套姿。
それを首どころか口のあたりまで覆うほどに前をきっちりと閉めている。
私も同じようなものを羽織っているが、さすがにこの暑さだ。
前は途中まで開けている。
この女は平気なのだろうか。
そんなことを考えていると列が進み、前の女の番がきた。
直後、微風とともに流れてきた髪の匂いに私は確信した。
露骨なまでに人間臭い生活臭を纏っているが間違いない。
この女は妖怪だ。
一瞬、こいつもまた私が妖怪であることを察している可能性が頭を過る。
だが、仮にそれを看破されたとしてもこんな場所で騒ぎを起こす理由はないはず。
先程からこちらを振り向きすらしないし、私の正体に気が付いているかどうかはまだ分からない。
気付けば女と齢若い男の店主がやり取りを終え、お金とカステラ玉の入った袋を交換し終える。
強い妖力を感じるでもないし、ただ単に祭りに混ざりたかっただけの野良妖怪なのだろうか。
そうこうしているうちに女は店頭から離れ、すぐ近くの石で作られた休憩用のベンチに腰掛けた。
私達も先程の女と同様にカステラ玉の詰まった袋を一つ買った。
店主の男が針妙丸に袋とお釣りを握らせる。
「はいよ、お嬢ちゃん」
「わあい、ありがとー!」
列を離れ、針妙丸がお釣りを私に差し出そうと手を伸ばしてきたので、受け取ろうとしたその時。
彼女が握りそこねた硬貨の一枚が地面に落ちてころころと転がり始める。
「あっ!」
全く、なにやってんだ。
落ちた硬貨は先程の赤髪の女の足元まで転がり、靴にこつんと当たった。
「ごめんなさーい」
針妙丸がカステラ玉の袋片手に、小走りで女に近付いていく。
女は外套の首元のあたりに右手を添え、伸ばしたもう片方の手で足元の硬貨を拾い手渡した。
受け取った針妙丸が頬を緩める。
「お姉さんありがとう!」
「……どういたしまして」
外套姿の女は口調と表情こそ硬いままだったが、足元の針妙丸に向けて小さく手を振った。
やはり妖怪からも、針妙丸は普通の人間の子どもとしか見られていないようだ。
とにかく、これで最初に約束した分の買い物は全て済ませた。
あとはこの人混みから離れて適当に時間を潰して終わりだ。
花火なんて興味ないが、あいつが疲れて寝るまでは付き合わなければならないだろう。
広場中央の時計台に視線を向けると、さっきのカステラ玉の屋台で店主をしていた若い男がよく通る大声で言った。
「すみませーん、カステラ玉売り切れですー! ありがとうございましたー!」
後ろにも何人かいたはずだが、どうやら私達が並んだのは売り切れギリギリのタイミングだったようだ。
りんご飴に続いて、妙に運がいい。
とにかく、これだけ付き合わされたのだ。
早く私も酒の一杯ぐらい買いたい。
ツマミはなににするかを考え始めたところ、急に眼前を黒いなにかが横切った。
それは赤髪の女の足元、いや針妙丸目掛けて突っ込んでいく。
針妙丸がびっくりしてその場に尻餅をつきかける。
チッ、カステラ玉の匂いに釣られてきたカラスか。
駆け寄って追い払おうとしたが、それより先に女が針妙丸の手元目掛けて突っ込んできた黒いそれを裏手で振り払った。
幸い、カラスはすぐに逃げ去った。
針妙丸も転ばずに済んだようで、ふらつきながらもそこに立っている。
だが、地面から中々顔を上げない。
どうしたのかと考えたが、その答えは足元にあった。
カラスの襲撃に驚いて落としてしまったのだろう。
買ったばかりのカステラ玉が無残にも袋から飛び出て散らばっていた。
溜息すら出なかった。
……ああ。
酒とツマミ、どっちを我慢するか。
いや、もうカステラ玉は売り切れているから代わりを買ってやることも出来ないのだった。
なにかお子様のあいつが喜びそうな屋台がまだ残っているだろうか。
人混みに邪魔されながらも小走りで二人のもとまで辿り着くと、針妙丸が散らばったカステラ玉を手で拾い集めていた。
赤髪の女も無言でそれを手伝っている。
「姫、大丈夫ですか」
針妙丸が私の声に反応し、小さな肩をびくりと強張らせる。
振り返りこちらを見る顔はくしゃくしゃで、今にも泣き出しそうだ。
彼女は嗚咽混じりに掠れた声で言った。
「ごめんなさい……正邪がせっかく、買ってくれたのに、ごめんなさい……」
こんなところで私の名前を、と思ったが今そんなことを言っても仕方がない。
私は一瞬でいつもの従者の面を着けて言った。
「姫が無事なのが一番ですから、そんなこと気にしないでください。……一応言いますが、食べちゃいけませんよ」
さすがに落ちた物を食べるつもりではなかったようだが、針妙丸が申し訳なさそうに視線を向けたのはさっきのカステラ屋だった。
「でも、お店のお兄さんが作ってくれた物なのに……」
ああ、そういうことか。
そうは言っても、落とした物はどうしようもない。
そうだ。
何を考えているのか分からないが、この女にも礼を言っておかないと。
私が赤髪の女に声を掛けようとしたところ、丁度最後の一つを拾い終えて針妙丸の持つ袋に入れたところだった。
私はきっちり四十五度頭を下げる礼をしてからその女に向かって言った。
「お礼が遅くなり申し訳ございません。姫を助けてくださって、ありがとうございました」
女は半歩下がり、気まずそうに手を振りながら応える。
「ああ、いえ……」
土で汚れたカステラ玉を元の袋に詰めた針妙丸が彼女に一歩近付いて言った。
ショックのせいか声が弱々しい。
「……お姉さん、ありがとうございました」
両手を前で合わせた、丁寧な礼。
無論こういった作法や挨拶など、私は一切教えていない。
それなのにこういう時きっちりとした礼が出来るのは育ちの良さのせいなのだろうか。
針妙丸が礼を終えて一歩下がると、急に女がその場にしゃがみ込み肩にかけていた小さな鞄を開いた。
その中からさっき自分で買った分であろうカステラ玉の袋と、別の小さな皮袋を取り出して中身を半分移した。
そして、分けた片方の袋を針妙丸にそっと握らせる。
表情と同様、抑揚のない声でぽつりと呟く。
「……あげる」
どうしていいか分からないのか、針妙丸が視線でこちらに助けを求めてくる。
私は一歩前に出て、代わりに応えた。
多分人間ならこういう時最低一度は断るのだろうが、生憎私は妖怪だ。
「……重ね重ねすみません、本当にありがとうございます」
私の返事を聞くと、女は無言で頷き鞄の口を閉めた。
そのまま立ち去ろうとしているのを見て、針妙丸が慌てて駆け寄る。
「あ、あの!」
女は足を止めて振り返り、再びその場にしゃがんで針妙丸に目線を合わせる。
「……うん?」
「えっと……お姉さん、ありがとうございます!
あの、お名前、なんて言うんですか?」
すると女は初めてほんの僅かに頬を緩め、自分の鼻の前に人差し指を立てて言った。
「……秘密。じゃあね」
「あ……」
結局、女は名乗ることなく雑踏に消えていった。
人混みの中とはいえ、急げば追い付ける距離。
だが、追う気にはならなかった。
針妙丸ももらったカステラ玉の袋片手に、その後姿を眼で追い続けるだけだった。
「……ねえ、正邪」
「なんです」
あの後、私は針妙丸を連れて広場の一番端に移動した。
あまりいい場所ではないが、一応花火も見えるであろう位置。
先程の騒ぎで少なからず注目されてしまったし、とにかく人がいない場所まで離れたかった。
そう言えば、結局酒もツマミも買えていない。
だが、今更買いに戻る気にもならなかった。
花火が上がる時間が近付いているからか、広場の中央付近に人間達が集まり始めている。
私達のいる広場の外周部分にはもう人っ子一人誰もいない。
出店もいくつかは既に灯りを落としている。
幻想郷の暗い夜空をぼんやりと眺めていると、針妙丸がさっきの女から分けてもらったカステラ玉の袋を差し出してきた。
なお、落としてしまった方は本人がなかなか捨てようとしなかったので私がたまたま見つけた蟻の巣の近くに捨てた。
まだ浮かない顔をしていたが、「落とした分は私達の代わりに蟻が喜んで食べますよ」と言い添えてやると針妙丸は少し元気を取り戻した。
受け取ったカステラ玉の一つを口に入れると、予想以上の甘ったるさが口内に広がった。
それにまだ出来立てだったせいか、思ったより熱い。
だが、空きっ腹には丁度いい。
隣で一つ目を食べ終えた針妙丸が言った。
「さっきのお姉さん、もしかして妖怪?」
「……姫も気付いていたんですね」
「なんとなく、正邪と同じ感じがしたの」
この小人は、妙なところで勘が鋭い。
「……そうですか」
「ねえ」
「なんです?」
「あのお姉さん、強い妖怪なのかな」
「さあ、どうでしょうね」
少なくとも、私が見る限り力ある妖怪には全く見えなかった。
それに、どこかの組織に属しているというわけでもなさそうだ。
「……正邪と、どっちが強い?」
おや。
針妙丸が異変と関りのある話を自分から始めるのは珍しい。
大抵は私が言うことをただ肯定するだけであることの方が圧倒的に多い。
私はなんとなく興味が湧いたので少し付き合うことにした。
「最初に説明した通り私は弱者です、間違っても強い妖怪ではありません。ですが、先程の彼女よりは私の方が強いでしょうね。
……何故、そんなことが気になるんです?」
「……よかった」
「よかった?」
「……うん、だって」
針妙丸が一旦言葉を切り、一息ついてから続けた。
ようやくいつもの調子を取り戻したのか、声色も普段のそれに戻っている。
「……私達が世界をひっくり返したら、あのお姉さんも喜ぶってことだよね」
……ああ、成程。
確かに私は彼女に「ともに虐げられている弱者達を救いましょう」と言い続けてきた。
しかし、その救うべき弱者達が具体的にどんな存在で、どこにどのくらいいるのかは全く説明していない。
焚きつけるためだけに用意した作り話である以上、当たり前のことだが。
「……そうですね」
針妙丸にしてみれば、今日会った赤髪の妖怪が本当の意味で初めて知り合った「救うべき弱者」なのかもしれない。
「……また、会いたいな。この袋も、ちゃんと返さなくちゃ」
そう呟いた直後、大きな音とともに広場の方から歓声が上がった。
赤、橙、緑。
他にも様々な色の閃光が闇夜に花開き、弾幕を形作る。
針妙丸が嬉しそうにそれを指差して言った。
「わあ、綺麗! 正邪、見て見て!」
「はいはい、ちゃんと見てますよ」
「あのお姉さんも、どこかで見てるかな」
「……どうでしょうね」
この会話を最後に、五分ほどしたところで針妙丸は嘘のように寝てしまった。
時計台の時刻を見るときっかり丁度二十一時。
やれやれ、正確な時計をお持ちのことで。
この手のかかる同行人をおぶって宿に戻る途中、耳元に寝言が聞こえてきた。
全く、普段は軽いのに寝ている時はやたらと重い。
「むにゃ、また行こうね、正邪……」
その直後、先程まで居た広場の方から花火が打ちあがる音が聞こえた。
今日まで散々子守紛いの刺激のない毎日が続いているのに飽き飽きしていたが、旅の終点は近い。
この私、鬼人正邪が幻想郷をひっくり返す。
そして虐げられてきた弱者達が力を持ち、強者を征す。
日常のぬるま湯に慣らされ、刺激を忘れた愚か者達が慌てふためく様が今から楽しみでならない。
決行の日は、すぐそこだ。
***
翌日、霧の湖。
二人と最初に会った場所が今ではいつの間にか会合の集合場所と化していた。
特にこれと言って分かりやすい目印もないのに。
鞄に入れてきたカステラ玉の袋を取り出す。
昨日の子どもに半分分けた結果、中身は明らかにスカスカだ。
しかし、それでも二人には好評だった。
「おいしい! 蛮奇ちゃんありがとー!」
「はいはい」
わかさぎ姫が嬉しそうに二つ目を口に入れた。
影狼も一つ目を食べ終えてから言った。
「うん、美味しい。ありがとう。……ねえ、蛮奇は食べないの?」
「私はお祭りの時に食べたから」
実際には一つも食べていないが、仕方がない。
元々一袋に十五、六個ぐらいしか入ってなかった物を半分こにしているのだ。
それをさらに三等分したら一人二、三個ほどしか食べられない。
「……いいの?」
「お気になさらず」
「……ありがとう!」
影狼もはじめは残りを食べるのを躊躇っていたが、最後はわかさぎ姫と同じように残りのカステラ玉を口に運び始めた。
ふと、昨日の出来事が頭を過る。
振り返ってみればあの小さな子どもとの関わりは、全てが突発的なことだった。
別に人間の子どもに対して、特別情や庇護欲を持っているつもりはない。
ただ、普段から人里の往来で子どもが駆け回っている姿。
そして、日々仕事に励みながらそれを見守る大人達の姿。
里で暮らすようになってから、私はそんな人間達の営みを否が応でも見続けてきた。
勿論、見苦しい光景だって散々目にしてきた。
単なる噂話に振り回され、確証もないのに平気で他人への誹謗中傷をする者。
財力、権力を楯に他者を圧し服従させようとする者。
そんな連中のこともまた、人里で暮らしていれば勝手に目と耳に入ってくる。
だが、それを理由に人間全てを一緒くたにしようとは思わなかった。
そもそも、私は物事をそんなに単純に割り切って考えられるほど器用ではない。
昨日、私は無意識のうちにお椀を被った不思議な少女に手を差し伸べていた。
落としたカステラ玉を健気に拾い集める姿を見て、なぜか放っておけなかった。
面と向かって理由を問われると、多分今もはっきりとは答えられない。
「「ごちそうさまでしたー!」」
気付けば二人がカステラ玉を食べ終えていた。
お礼とともに熱い視線が注がれている。
私は軽く息をついてから言った。
「……またそのうち機会があったら買って来るけど、あんまり期待はしないでよ」
「やったー楽しみ!」
「蛮奇ちゃんありがとー!」
そのままいつも通りに雑談という名の会合が始まる。
予想通り、お祭りについていろいろと聞かれた。
どんな出店があった、どのくらい人間がいた、花火は綺麗だったか、等。
詰問というほど激しいわけではないが、わかさぎ姫は湖以外の場所を見る機会がほぼないからか特に興味津々だった。
ふと、彼女の纏う緑色を基調とした和服が目に入る。
たしか昨日のお椀を被った子どもも和服、着物姿だった。
お祭りに関する質問攻めがまだ続きそうなので、私は話を変えるべくその少女のことについての話題を出した。
「そう言えば昨日一緒の屋台に並んでた人間の子、わかさぎ姫みたいに付き添いの大人から姫って呼ばれてた。
直接話したわけじゃないから、詳しいことは知らないけど」
予想通り、まずは影狼が興味深そうに反応した。
興奮した時の彼女の癖なのか、耳と尻尾が小刻みに揺れている。
「お姫様!? もしかしてかっこいい騎士様がお仕えしてるのかも!」
少なくとも昨日一緒に居た包帯姿の女は騎士という感じではなかった。
武装もしていなかったと思う。
だが私がそれを伝える前に、わかさぎ姫も話に食いついてきた。
「素敵! それできっとそのお姫様はお城に住んでて……でも幻想郷にお城なんてあったかしら」
影狼達は外部の文化との接点が少ないせいか知識がやたらと偏っている。
多分、二人の中で「人間の姫」はお伽話に出てくるようなそれなのだと思う。
ドレス姿で、お城に住んでて、重そうな鎧を着た従者がいる。
それが彼女達のイメージする「お姫様」像なのだろう。
どこに住んでいるのかは知らないが、少なくとも昨日の子どもはどれにも当てはまらない。
私の持った印象は、不思議な雰囲気を纏った人間の子どもというほかない。
そんなことを考えていると、二人が姫談義で盛り上がり始めていた。
「違うわ姫、もしかしたらまだ誰も知らないだけでどこかにお城があるのかも!」
「そっか、それで昨日蛮奇ちゃんが会ったお姫様はそこからお忍びでお祭りに参加してて……」
たった数十秒で早速話があらぬ方向に飛んでいる。
まあ、いつものことではあるのだが。
実際のところ、私が興味を感じたのは呼び名よりも昨日の二人組の関係性だった。
まず、親子や姉妹にしては髪の色も顔つきもあまりに違い過ぎる。
最初はあの包帯姿の女が血縁者以外の、付き人かなにかだと考えていた。
しかし、去り際にこれらの推測は私の中でほぼ否定された。
何故なら前頭部と顔の半分を白い包帯で覆っていた女からは自分と同じ雰囲気を感じたからだ。
多分、人間ではなかったと思う。
人里で長く暮らしたことで、昔より人外の存在に敏感になったのかもしれない。
だが、だからといって別に何をしようと思ったわけでもない。
もし仮にあの子どもが妖怪に誑かされた、攫われた人里の子どもなのだとしても私に助ける義理などない。
極力、面倒事には関わらないこと。
それがこの世界で平穏に過ごす秘訣なのだ。
この後、姫談義に飽きた二人が言ってくるかもしれない。
「今度そのお姫様に会ったらもっといろいろ聞いて欲しい」と。
幻想郷には人間の里以外にもあちこちに村や集落が点在している。
約束もなしに定住地すら知らない相手と再会する機会などまずないし、深く考えることもないだろう。
ふと急に、影狼がはしゃいだ声で問いかけてきた。
「蛮奇もお姫様っていうの、憧れたことない?」
私が応える前にわかさぎ姫が囃し立て、再びいつもの漫才が始まる。
「そうそう、私みたいな!」
「姫は蛮奇が昨日会ったお姫様とは違うんじゃない? 姫にはお城も騎士様もいないし」
影狼がさっきからやたらと騎士に拘っている。
そもそも、私は昨日会ったあの子どものことは呼び名以外なにも説明していないのだが。
わかさぎ姫が水中に浸かった尾を振りながら言った。
水面が軽く波打つ。
「そんなことないわ、きっと姫同士お友達になれるんだから! で、蛮奇ちゃんはどう? お姫様に憧れたことってある?」
ようやくゆっくり発言出来るタイミングが来たことを確認し、私は一息ついてから言った。
「私はいいかな。……なんか、疲れそうだし」
途端、二人がつまらなさそうな顔をした。
何か言いたそうに頬を小さく膨らませている。
私は続けた。
「……二人と過ごしてるだけで、退屈してないし」
直後、二人の頬ははっきりと分かりやすく緩んだ。
強い調子でうんうんと頷いている。
「影狼ちゃん、これは決まりよね」とわかさぎ姫。
「ええ、間違いないわ」と影狼。
続く二人の声は綺麗にハモった。
「「ついに蛮奇(ちゃん)も草の根妖怪ネットワークに入ってくれる気になったのね!」」
後に、幻想郷上空に大きな逆さのお城が顕現する異変が起きる。
同時に私達三人は急に自分が強くなったような気になって、人間に勝負を仕掛けるも呆気なく打ち倒されることになる。
その後すぐに異変は収束し、人里の新聞で昨日の子どもと包帯姿の女が黒幕であることをこの目で確認することになるのだが、今の私にそんなことを知る由はない。
「……いや、入らないから」
私にとっての日常、それは今以上の変化なんて起きなくても。
「むー! 蛮奇ちゃんが心変わりするまで諦めないんだからね!」
「そうよ、もう会員用のバッジも作ってるんだから!」
十分にぎやかで、刺激的だ。
宿の客室から窓越しに見える太陽は一日の役目を終え、地の底へと沈みかけている。
四方をざっと見渡すと値段の割にしっかりした部屋で、清潔さも悪くない。
荷物を下ろしたところで、先刻の出来事が脳裏を過る。
本当は村の入口が見えたあたりで、薄々面倒な予感はしていた。
しかし、この時間から別の村や集落を探すのに無理があったのは否定のしようもない。
現在私は幻想郷の世情を把握すべく、極端に小さい同行人を連れて旅をしている。
ある大きな行動を起こすために。
その間、いろんな場所で寝泊まりをしながら目ぼしい地域を巡った。
今日も暗い夜が訪れる前に宿のある村を見つけ安堵したのだが。
「ねえねえ、私達も行こうよ!」
一日歩き続けて疲れているだろうに、同行人の少名針妙丸は嬉しそうにはしゃいでいる。
「駄目です、人間の多い場所に不用意に近付くのは危険だとこの前教えたでしょう」
丁度間が悪く、今日はこの村でなにかの祭りが開催されるらしい。
入口にのぼり旗や紅白幕が見えた時点で針妙丸が興味を持って参加したがるのは予想通りのことではある。
しかし、私自身は全く気が進まない。
針妙丸はまだいい。
同じ年頃の子どもに比べて背丈が小さいこと以外、容姿は人間と変わらない。
お椀を被っている点は多少目立つかもしれないが、なにせ見た目も中身もただのお子様だ。
他所の子どもの格好に赤の他人がいちいち興味を持って絡んでくることなんてまずない。
現に、これまでもそうだった。
それよりも、問題なのは私の方だ。
貌と角を隠すため、前頭部と面の下半分に包帯を巻いている。
これでは不審者と思われてもおかしくない。
幸いにも今のところこの装いのせいで宿に困ったり、トラブルに巻き込まれたりしたことはない。
時折こちらを怪しげに凝視してくる奴は一定数いたが、それ以上のことは起きていない。
大抵の人間は一瞬怪訝そうな表情を浮かべた後、避けるように道を譲る。
祭りとなれば一つの場所に多くの人間が密集するのは確実。
万が一私の顔や正体を知る者に出くわす可能性もゼロではない。
「平気だよ、だって正邪がいるもん」
「私がいても危ないものは危ないんです。さあ、宿で大人しくしていましょう」
話を切り上げて湯浴みに行こうとしたところ、服の裾を引っ張られた。
「お願い……」
普段は我儘を言わないのに、今日は随分と珍しい。
腰にも届かない小さな躰でこちらを見上げ、必死に私を引き止めようとしている。
当然、これだけの体格差があってはどれだけ力を込めたところでなんの意味もない。
やろうと思えばこのまま無視して押し通ることも出来るのだが。
不意に、ここまでの道のりが追想される。
この小人を連れ出し、旅を始めてから今日で丁度一週間。
最初、私は彼女に言って聞かせた。
小人族は長い間他の多くの種族から迫害され続けてきた。
また小人に限らず、この世界には肩身の狭い思いをしながら暮らしている者が大勢いる。
そんな弱者達に救いの手を差し伸べることが出来るのは貴女だけだ。
だから私と一緒に、この幻想郷をひっくり返そう。
弱い者が平穏に暮らせる世界を共に創ろう。
そんな、嘘で塗り固められた誘い文句。
だが彼女はその日出会ったばかりの私の話を全く疑わず、聞き終えた頃にはぱっちりした真ん丸の目を強く輝かせていた。
ろくに外の世界に出たことがなかったからだろうか。
それから一緒に、二人でいろんな場所を歩いた。
山、川、それに様々な人間の暮らす集落。
針妙丸はどこに連れて行っても楽しそうにはしゃぎ回った。
きっとここ数日でのあらゆる体験が、本人にとっては新鮮で特別なのだろう。
そのせいもあってか、彼女は子どもの割に意外なほど我慢強い。
毎日長い道のりを歩いても文句ひとつ言わず、新しい村や集落を見つける度にその足を速めた。
これは異変を起こす前に今の幻想郷の世情や他の勢力、強者達の動向を知るための旅。
だが、その終点がどこにあるのか。
そこまではあとどのくらいかかるのか。
これらについて、私は一切の説明をしていない。
突っ込んだことを聞いてこないのはこちらからすれば都合よくはある。
だが、彼女が本当にそのあたりをなにも考えていないのか。
それはまだ、分からなかった。
初対面の印象は、世間知らずのただの子ども。
だが、私は針妙丸を一目見ただけで彼女に声をかけ連れて行くことを決めていた。
鬼の秘宝、打ち出の小槌。
これを扱えて、私の思うようにコントロール出来る相手ならそれでよかった。
そのつもりでいたが、思い返してみるとあの時の私は他の択を思い浮かべることすらしなかった気がする。
まさか。
針妙丸がなにか言葉では言い表せない、特別な力を持っている?
そして私はそれに惹かれた?
いや、そんなはずはない。
単に、あまり派手に動けば私の計画に気付く者が現れかねない。
だから慎重にリスクヘッジをした、それだけのはずだ。
あらためて目下の彼女に視線をやるとまるで縋るような視線を向けて来る。
―いくら我慢強いとはいえ、相手は子どもだ。
行動、異変を起こす前にへそを曲げて癇癪でも起こされては面倒だ。
一応、手持ちに多少の余裕はある。
仕方がない。
私は溜息とともに懐から財布を取り出し、言った。
「……分かりました、行きましょう」
途端、両手を離した針妙丸が破顔しながらそのまま腕を振り上げた。
「やったあ! 正邪ありがとう!」
「……あんまりなんでもかんでもは買えません、いいですね?」
「うん!」
面倒なことになったが、これも計画のためだと自分に言い聞かせる。
それにどうせ参加するなら私も酒の一杯とちょっとした軽食ぐらいは食べたい。
ここしばらくは缶パンばかりで飽き飽きしていたのだ。
宿の受付にいた男が言うにはもうすぐ出店が並び始め、陽が完全に沈んでから花火を打ち上げるということらしい。
お祭り自体は毎年深夜までしているらしいが、どうせ二十一時あたりには針妙丸が眠気に負けるのが目に見えている。
少し見れたら本人も十分納得するだろう。
脱衣場で包帯をよりきつく締め直してからいつものグレーの外套を纏う。
人混みの中に妖怪が混じる以上、警戒は最大限しておかなければならない。
針妙丸が文字通り跳ねながら急かしてくる。
「はやくはやく!」
「はいはい、今行きますよ」
***
村の入口に近付くと、既に至るところに祭りの飾り付けがされている。
提灯に垂れ幕、のぼり旗まである。
ここには滅多に来ないし、普段私が暮らしている人間の里からはかなり遠い。
少なくとも人間が気軽に行き来出来るような距離ではない。
一先ず、大きな広場がある中央に向かって歩を進める。
あっちで人間に混じって生活するのにもだいぶ慣れてきた。
とはいえ、いつまでも同じ住居や職場で五年、十年と暮らし続ければ私が人外であることにいつか必ず勘付かれる。
年をとらない人間などいるはずがないのだから。
だから私は定期的に引越をし、名前も変えている。
人間達の間で噂が広まるのは、異様に早い。
私が里で暮らすようになってから、一番驚いたことかもしれない。
里の人間は、少なからずお互いを「監視」している。
現在、私は人里西側の外れに位置する長屋に部屋を借りている。
移り住んでからまだそれほど長くないが、十二ある部屋は常に満室で住人の出入りもそれなりに多い。
顔を知る人数が増えればそれだけ正体がバレるリスクも大きくなる。
そのため私は周囲の人間と必要以上のコミュニケーションは取らず、両隣の住人の名前すら知らずに生活している。
だが、仕事に出掛ける時間や共用スペースを使うタイミングが重なった時。
成り行きで挨拶程度に言葉を交わすのだが、住人達は当たり前のように私の偽名を知っている。
加えて、日雇いの仕事で世話になることが多い斡旋所。
先週の朝一番に訪れた際に受付の男から聞いた、近所で起きたばかりの盗難事件。
仕事を終えて戻ったその日の正午には長屋の共用スペースに十人近い人間がたむろし、話題はその件で持ちきりになっていた。
しかも、よくよく見ればここ以外で暮らしている者まで騒ぎに混ざっていた。
誰が誰を監視する、というような話ではない。
きっと実態はもっと単純で、人間からすればこれが「当たり前」のことなのだ。
誰かがなにか事を起こせばそれが善かれ悪しかれ、すぐに周囲全てに伝わる。
尤も、人間がこうでなければこうして一つの区域で集団生活を行うことなど不可能だろう。
彼ら彼女らの大半は一定以上の社会性、秩序を重んじる心を持ちそれに反する行動は取らない。
そんなことを考えていると、中央の広場が見えてきた。
環を描く形で出店が並び、一部は既に客を呼び込み始めている。
ただの暇つぶし、気分転換に来たつもりだったが事前に耳に挟んだ情報よりも人が多く賑わっていそうだ。
さて、何を買おうか。
いつかの霧の湖での出来事が追想される。
竹林で暮らす影狼と、霧の湖の水底に住居を持つわかさぎ姫。
今では既に何度も顔を会わせたことのある仲。
交流を持つようになったきっかけは、ただの偶然だった。
正確に何年前かは思い出せないけど、夏の暑さがひどい年だったのは覚えている。
当時の私は涼める場所を求め、霧の湖に足を運んだ。
この場所は日中濃霧がたちこめているので日光が届きづらく、夏季でも比較的涼しい場所だと風の噂で耳にしたことがあった。
尤も、妖精の悪戯で被害に遭う者が後を絶たないせいか人間はあまり近寄らないようだが。
そうしてしばらく畔を歩き続け、他の場所よりも霧が濃くて避暑に丁度いい場所を見つけた。
休憩も兼ねて適当な岩場に腰かけると、誰かの話し声が聞こえてきた。
声のする方に目を向けると、はっきりと人影が見える。
思ったよりも近い。
そして二人は一目で妖怪と分かる見た目をしている。
一人は和服姿で下半身が魚の尾ひれになっている、青髪の人魚。
もう一人は妖獣特有の長い耳が特徴的なロングドレス姿の狼女。
霧の濃さのせいもあり、二人はかなりの至近距離にいたのにすぐに気付くことが出来なかった。
気配を消すのはそれなりに得意だと自負していたが、狼女の方がすぐにこちらに視線を向けた。
長い耳が小刻みにぴくぴくと動いている。
目を凝らして貌を見やると、こちらの様子を探るような眼つきをしている。
殺気は感じないし、勿論こちらにも争いを起こすつもりなどない。
私はここで涼みたいだけだ。
とはいえ、二人からすれば見知らぬ闖入者に話を聞かれるのを面白くないと思った可能性もある。
無用な衝突は避けるべきだしこちらが少し離れればいいだけだと考え、私は来た道を引き返そうと踵を返した。
そうして何歩か歩を進めたところで急に後方から声が聞こえてきた。
「待って、ねえ待って!」
後ろを振り返ると、先程のドレス姿の女が小走りでこちらに近付いていた。
今度は表情がはっきりと映る。
先程と違い、どちらかと言うと慌てているようだった。
こちらが足を止めると、相手もドレスの裾を押さえながら立ち止まった。
「なに?」
「……ねえ、貴女って人里の近くで暮らしてるよね」
初対面のはずだが、相手は何故か私のことを知っているような口ぶりだ。
ここは不用意に答えず、適当にはぐらかした方がいいか。
こちらが黙っていると、湖の方からちゃぷちゃぷと小さな水音がした。
私から見て左手側から、先程うっすらと姿を視認した人魚が水面から頭だけを出した状態で現れる。
「もう影狼ちゃん、まずは自己紹介しなきゃでしょ」
「あ、姫、そうだったわね……」
人魚の咎める言い方に目の前の狼女はたじたじになっている。
どうやら名前は影狼、と言うらしい。
念のため湖からさらに半歩距離を置くと、人魚の女が今度は私に言った。
「あ、待って待って。私、わかさぎ姫って言うの。で、この子は影狼ちゃん」
「……そう」
一見すると妖獣の方、影狼よりもずっとひ弱そうに見えるがこの人魚は随分はきはきと喋る。
私の気のない返事を気にした様子もない。
視線を合わせたことを確認したのか、彼女は私に向かって続けた。
「私達は野良妖怪だけど、ちょっとしたグループを作ってるの。
ねえ、貴女のお名前も教えてくれないかしら?」
「……赤蛮奇」
「じゃあ、蛮奇ちゃんね。ねえ、一緒にお喋りしない? 貴女のお話、色々聞いてみたいわ」
人魚、わかさぎ姫が穏やかな笑みを浮かべながら湖の端まで寄ってきた。
影狼はと言うと、私達のやり取りを落ち着かない様子で見ている。
心なしか尻尾が少し震えているように見える。
「私、ここに涼みにきただけだから」
そう言って立ち去ろうとすると、影狼が先程までより大きな声を出して言った。
「待って、お願い! 少しだけ、少しだけでいいから!」
急な大声量に、反射的に肩が強張る。
わかさぎ姫はと言うと、驚いた様子もなくにこにこしている。
一方の影狼は本人の必死な気持ちがそのまま顔に現れている。
今日会ったばかりの私に、何故ここまで食い下がって来るのか。
構わずにこのまま立ち去ってしまってもよかったが、妙な後ろめたさが私にそれをさせなかった。
気付けば私の口は自然と言葉を紡いでいた。
「……それで、何を話せばいいの?」
「えーすっごーい! じゃあずっと人間の里で暮らしてるの?」
「……まあ、そう」
「人間のお仕事とかもやってるの?」
「……まあ、お金に困らない程度に」
「それってどんなお仕事?」
「……色々」
「すごいわ、蛮奇ちゃんは信頼されてるのね」
わかさぎ姫が大きく頷きながら言った。
随分と感心しているようだが、実際のところ任される仕事の半分ぐらいは単純作業で別に難しくもない。
勿論中には複雑な物もあるが、そう言った仕事は斡旋所である程度件数をこなさなければまず回ってこない。
それはどうでもいいとして。
わかさぎ姫は終始こんな調子だった。
人間の里で暮らす妖怪が珍しいからなのか、私の気のない回答にもいちいち嬉しそうな反応を見せる。
そう言えば、さっき影狼はすぐに私が里で暮らしていることに気付いていた。
聞かれるばかりではかなわないし、私は影狼の方を向いて言った。
「……私が人里で暮らしてるの、どうして知ってたの?」
すると、なぜかわかさぎ姫が誇らしげに胸を張り割り込むように答える。
「ふふん、影狼ちゃんのお鼻はすごいのよ」
成程、自分では気付かなかったが長年人里で暮らすうちに匂いが身体に染みついていたということか。
途端、影狼が恥ずかしそうに手を振りながら言った。
頬がうっすらと紅く染まっている。
「ちょっと、恥ずかしいからその言い方はやめてよ」
影狼に咎められてもわかさぎ姫は相変わらず、口に手を添えて楽しそうに笑うだけだった。
別に影狼に同情したわけではないが、私は話を変える形で先程から気になっていたことを訪ねた。
「それで、貴女達二人はなにかのグループに属している野良妖怪でこうして情報交換をしながら暮らしてる、ってこと?」
「あ、そうそう。それを言いたかったの!」
わかさぎ姫が手をぽんと叩く。
話の流れでなんとなく予想は付いていたが、本題に入るのが遅すぎる。
というか、私が言い出さなければそのまま忘れていたのではないか。
「草の根妖怪ネットワークって言うの、ねえねえ蛮奇ちゃんも入ってよ!」
「いや、入らないけど」
なんか、面倒くさそうだし。
私の返事にめげた様子もなく、わかさぎ姫は交渉?を始めた。
「お願いお願い、今なら私の綺麗な石コレクションからどれでも一つあげるから!」
……そんな物渡されても、いらないし。
環状に並ぶ屋台をざっと見て周ると、成程様々な店が出店している。
見た所大体三分の二ぐらいが飲食物を提供しているようだ。
思い出してみても、何故自分が今も彼女達と定期的に会う程度に付き合いを続けているのかは分からない。
もうかれこれ十数回は会っているが、未だにグループに入って欲しいとお願いしてくるし。
私に声をかけて来た理由を聞いても、わかさぎ姫は「なんかいい子っぽかったから!」と答えになっていないことを堂々と宣うだけだった。
影狼に至っては「姫の見立てに間違いはない」などと何故かこちらも自信満々に言い放つ始末。
結局、わかさぎ姫が半ば強引にプレゼントしてきた石については思ったより色が綺麗だったので自室の作業机の上に飾っている。
(調子に乗りそうな気がしたので本人には言っていないが)
最初、二人は人里周辺の動向を知るために私をメンバーに誘ってきたのではないかと考えていた。
相手が人里の情報を欲しがっているのなら、引き換えにこちらも湖と竹林の近況について知れると思えばそう悪い話でもない。
だが、実際に二度三度と顔を会わせているうちにそんな意図はないように思えてきた。
なにせ会合の半分以上は単なる雑談で終わるのだから。
その内容も「昨日は水底でこんなに綺麗な石を見つけた」とか、「竹林で美味しそうな筍を沢山見つけた」とか、そんな平々凡々とした話ばかり。
一応、「竹林には狡賢い白兎がいて沢山落とし穴が掘られているから歩く時は気をつけないといけない」とか、
「夜の湖の近くには稀に吸血鬼が姿を現すからあんまり近寄らない方がいい」とか、有用な情報が全くないわけでもなかったが。
そう言えば、少し前の会合では影狼が沢山のキイチゴを持ってきた。
わかさぎ姫の石と言い、彼女達に物を渡す時の恩着せがましさのようなものは基本的にない。
私はネットワークのメンバーでもないのだし。
だが、まだなにも渡していないのが私だけになってしまった以上、このままもらいっぱなしというのもなんだか落ち着かない。
里での暮らしについて簡単に説明したとき、二人が甘味にやたらと食いついてきたのを思い出す。
丁度、屋台の一つが目に入った。
……あのカステラ玉でも買って行こうか。
***
目線があちこちに飛んで落ち着かない針妙丸の動きに注意しつつ、出店を見て周る。
何かの拍子に余計なことをしたり言ったりしないか心配だったが、思ったよりも大人しいので一安心していた。
買ってやったりんご飴を食べるのに夢中になっているだけな気がしないでもないが。
人気のある食べ物なのか、私達が買った時にはあと五、六本ほどしかなかったので売り切れていないのは幸いだった。
すれ違う人間共も私の包帯姿に無遠慮な視線を向けてくる奴こそいるが、今のどころはただそれだけだった。
皆、呑気に祭りを楽しむのに忙しいということか。
なんにせよ、好都合。
「ねえねえ、今度はあれ食べたい!」
針妙丸がいつの間にかりんご飴を食べ終え、別の屋台を指差している。
多分何かの焼き菓子だろうか、甘い匂いがここまで漂ってくる。
人混みの中に出来た僅かな隙間から目を凝らす。
どうやら売っているのはカステラ玉のようだ。
まあ、なんでもいい。
買ってやるのは二つだと事前に言い聞かせているので、これで終わりだ。
「はいはい、次で最後ですからね」
「うん!」
この人混みではぐれでもしたら面倒だ。
私は針妙丸を前に立たせる形で、二人で列に並んだ。
ふと、前に並んでいる赤髪の女が妙に気になった。
背丈は私と大差ないが、恰好と纏う雰囲気に違和感がある。
こんな人熱れ漂う場所に、わざわざ丈の長い外套姿。
それを首どころか口のあたりまで覆うほどに前をきっちりと閉めている。
私も同じようなものを羽織っているが、さすがにこの暑さだ。
前は途中まで開けている。
この女は平気なのだろうか。
そんなことを考えていると列が進み、前の女の番がきた。
直後、微風とともに流れてきた髪の匂いに私は確信した。
露骨なまでに人間臭い生活臭を纏っているが間違いない。
この女は妖怪だ。
一瞬、こいつもまた私が妖怪であることを察している可能性が頭を過る。
だが、仮にそれを看破されたとしてもこんな場所で騒ぎを起こす理由はないはず。
先程からこちらを振り向きすらしないし、私の正体に気が付いているかどうかはまだ分からない。
気付けば女と齢若い男の店主がやり取りを終え、お金とカステラ玉の入った袋を交換し終える。
強い妖力を感じるでもないし、ただ単に祭りに混ざりたかっただけの野良妖怪なのだろうか。
そうこうしているうちに女は店頭から離れ、すぐ近くの石で作られた休憩用のベンチに腰掛けた。
私達も先程の女と同様にカステラ玉の詰まった袋を一つ買った。
店主の男が針妙丸に袋とお釣りを握らせる。
「はいよ、お嬢ちゃん」
「わあい、ありがとー!」
列を離れ、針妙丸がお釣りを私に差し出そうと手を伸ばしてきたので、受け取ろうとしたその時。
彼女が握りそこねた硬貨の一枚が地面に落ちてころころと転がり始める。
「あっ!」
全く、なにやってんだ。
落ちた硬貨は先程の赤髪の女の足元まで転がり、靴にこつんと当たった。
「ごめんなさーい」
針妙丸がカステラ玉の袋片手に、小走りで女に近付いていく。
女は外套の首元のあたりに右手を添え、伸ばしたもう片方の手で足元の硬貨を拾い手渡した。
受け取った針妙丸が頬を緩める。
「お姉さんありがとう!」
「……どういたしまして」
外套姿の女は口調と表情こそ硬いままだったが、足元の針妙丸に向けて小さく手を振った。
やはり妖怪からも、針妙丸は普通の人間の子どもとしか見られていないようだ。
とにかく、これで最初に約束した分の買い物は全て済ませた。
あとはこの人混みから離れて適当に時間を潰して終わりだ。
花火なんて興味ないが、あいつが疲れて寝るまでは付き合わなければならないだろう。
広場中央の時計台に視線を向けると、さっきのカステラ玉の屋台で店主をしていた若い男がよく通る大声で言った。
「すみませーん、カステラ玉売り切れですー! ありがとうございましたー!」
後ろにも何人かいたはずだが、どうやら私達が並んだのは売り切れギリギリのタイミングだったようだ。
りんご飴に続いて、妙に運がいい。
とにかく、これだけ付き合わされたのだ。
早く私も酒の一杯ぐらい買いたい。
ツマミはなににするかを考え始めたところ、急に眼前を黒いなにかが横切った。
それは赤髪の女の足元、いや針妙丸目掛けて突っ込んでいく。
針妙丸がびっくりしてその場に尻餅をつきかける。
チッ、カステラ玉の匂いに釣られてきたカラスか。
駆け寄って追い払おうとしたが、それより先に女が針妙丸の手元目掛けて突っ込んできた黒いそれを裏手で振り払った。
幸い、カラスはすぐに逃げ去った。
針妙丸も転ばずに済んだようで、ふらつきながらもそこに立っている。
だが、地面から中々顔を上げない。
どうしたのかと考えたが、その答えは足元にあった。
カラスの襲撃に驚いて落としてしまったのだろう。
買ったばかりのカステラ玉が無残にも袋から飛び出て散らばっていた。
溜息すら出なかった。
……ああ。
酒とツマミ、どっちを我慢するか。
いや、もうカステラ玉は売り切れているから代わりを買ってやることも出来ないのだった。
なにかお子様のあいつが喜びそうな屋台がまだ残っているだろうか。
人混みに邪魔されながらも小走りで二人のもとまで辿り着くと、針妙丸が散らばったカステラ玉を手で拾い集めていた。
赤髪の女も無言でそれを手伝っている。
「姫、大丈夫ですか」
針妙丸が私の声に反応し、小さな肩をびくりと強張らせる。
振り返りこちらを見る顔はくしゃくしゃで、今にも泣き出しそうだ。
彼女は嗚咽混じりに掠れた声で言った。
「ごめんなさい……正邪がせっかく、買ってくれたのに、ごめんなさい……」
こんなところで私の名前を、と思ったが今そんなことを言っても仕方がない。
私は一瞬でいつもの従者の面を着けて言った。
「姫が無事なのが一番ですから、そんなこと気にしないでください。……一応言いますが、食べちゃいけませんよ」
さすがに落ちた物を食べるつもりではなかったようだが、針妙丸が申し訳なさそうに視線を向けたのはさっきのカステラ屋だった。
「でも、お店のお兄さんが作ってくれた物なのに……」
ああ、そういうことか。
そうは言っても、落とした物はどうしようもない。
そうだ。
何を考えているのか分からないが、この女にも礼を言っておかないと。
私が赤髪の女に声を掛けようとしたところ、丁度最後の一つを拾い終えて針妙丸の持つ袋に入れたところだった。
私はきっちり四十五度頭を下げる礼をしてからその女に向かって言った。
「お礼が遅くなり申し訳ございません。姫を助けてくださって、ありがとうございました」
女は半歩下がり、気まずそうに手を振りながら応える。
「ああ、いえ……」
土で汚れたカステラ玉を元の袋に詰めた針妙丸が彼女に一歩近付いて言った。
ショックのせいか声が弱々しい。
「……お姉さん、ありがとうございました」
両手を前で合わせた、丁寧な礼。
無論こういった作法や挨拶など、私は一切教えていない。
それなのにこういう時きっちりとした礼が出来るのは育ちの良さのせいなのだろうか。
針妙丸が礼を終えて一歩下がると、急に女がその場にしゃがみ込み肩にかけていた小さな鞄を開いた。
その中からさっき自分で買った分であろうカステラ玉の袋と、別の小さな皮袋を取り出して中身を半分移した。
そして、分けた片方の袋を針妙丸にそっと握らせる。
表情と同様、抑揚のない声でぽつりと呟く。
「……あげる」
どうしていいか分からないのか、針妙丸が視線でこちらに助けを求めてくる。
私は一歩前に出て、代わりに応えた。
多分人間ならこういう時最低一度は断るのだろうが、生憎私は妖怪だ。
「……重ね重ねすみません、本当にありがとうございます」
私の返事を聞くと、女は無言で頷き鞄の口を閉めた。
そのまま立ち去ろうとしているのを見て、針妙丸が慌てて駆け寄る。
「あ、あの!」
女は足を止めて振り返り、再びその場にしゃがんで針妙丸に目線を合わせる。
「……うん?」
「えっと……お姉さん、ありがとうございます!
あの、お名前、なんて言うんですか?」
すると女は初めてほんの僅かに頬を緩め、自分の鼻の前に人差し指を立てて言った。
「……秘密。じゃあね」
「あ……」
結局、女は名乗ることなく雑踏に消えていった。
人混みの中とはいえ、急げば追い付ける距離。
だが、追う気にはならなかった。
針妙丸ももらったカステラ玉の袋片手に、その後姿を眼で追い続けるだけだった。
「……ねえ、正邪」
「なんです」
あの後、私は針妙丸を連れて広場の一番端に移動した。
あまりいい場所ではないが、一応花火も見えるであろう位置。
先程の騒ぎで少なからず注目されてしまったし、とにかく人がいない場所まで離れたかった。
そう言えば、結局酒もツマミも買えていない。
だが、今更買いに戻る気にもならなかった。
花火が上がる時間が近付いているからか、広場の中央付近に人間達が集まり始めている。
私達のいる広場の外周部分にはもう人っ子一人誰もいない。
出店もいくつかは既に灯りを落としている。
幻想郷の暗い夜空をぼんやりと眺めていると、針妙丸がさっきの女から分けてもらったカステラ玉の袋を差し出してきた。
なお、落としてしまった方は本人がなかなか捨てようとしなかったので私がたまたま見つけた蟻の巣の近くに捨てた。
まだ浮かない顔をしていたが、「落とした分は私達の代わりに蟻が喜んで食べますよ」と言い添えてやると針妙丸は少し元気を取り戻した。
受け取ったカステラ玉の一つを口に入れると、予想以上の甘ったるさが口内に広がった。
それにまだ出来立てだったせいか、思ったより熱い。
だが、空きっ腹には丁度いい。
隣で一つ目を食べ終えた針妙丸が言った。
「さっきのお姉さん、もしかして妖怪?」
「……姫も気付いていたんですね」
「なんとなく、正邪と同じ感じがしたの」
この小人は、妙なところで勘が鋭い。
「……そうですか」
「ねえ」
「なんです?」
「あのお姉さん、強い妖怪なのかな」
「さあ、どうでしょうね」
少なくとも、私が見る限り力ある妖怪には全く見えなかった。
それに、どこかの組織に属しているというわけでもなさそうだ。
「……正邪と、どっちが強い?」
おや。
針妙丸が異変と関りのある話を自分から始めるのは珍しい。
大抵は私が言うことをただ肯定するだけであることの方が圧倒的に多い。
私はなんとなく興味が湧いたので少し付き合うことにした。
「最初に説明した通り私は弱者です、間違っても強い妖怪ではありません。ですが、先程の彼女よりは私の方が強いでしょうね。
……何故、そんなことが気になるんです?」
「……よかった」
「よかった?」
「……うん、だって」
針妙丸が一旦言葉を切り、一息ついてから続けた。
ようやくいつもの調子を取り戻したのか、声色も普段のそれに戻っている。
「……私達が世界をひっくり返したら、あのお姉さんも喜ぶってことだよね」
……ああ、成程。
確かに私は彼女に「ともに虐げられている弱者達を救いましょう」と言い続けてきた。
しかし、その救うべき弱者達が具体的にどんな存在で、どこにどのくらいいるのかは全く説明していない。
焚きつけるためだけに用意した作り話である以上、当たり前のことだが。
「……そうですね」
針妙丸にしてみれば、今日会った赤髪の妖怪が本当の意味で初めて知り合った「救うべき弱者」なのかもしれない。
「……また、会いたいな。この袋も、ちゃんと返さなくちゃ」
そう呟いた直後、大きな音とともに広場の方から歓声が上がった。
赤、橙、緑。
他にも様々な色の閃光が闇夜に花開き、弾幕を形作る。
針妙丸が嬉しそうにそれを指差して言った。
「わあ、綺麗! 正邪、見て見て!」
「はいはい、ちゃんと見てますよ」
「あのお姉さんも、どこかで見てるかな」
「……どうでしょうね」
この会話を最後に、五分ほどしたところで針妙丸は嘘のように寝てしまった。
時計台の時刻を見るときっかり丁度二十一時。
やれやれ、正確な時計をお持ちのことで。
この手のかかる同行人をおぶって宿に戻る途中、耳元に寝言が聞こえてきた。
全く、普段は軽いのに寝ている時はやたらと重い。
「むにゃ、また行こうね、正邪……」
その直後、先程まで居た広場の方から花火が打ちあがる音が聞こえた。
今日まで散々子守紛いの刺激のない毎日が続いているのに飽き飽きしていたが、旅の終点は近い。
この私、鬼人正邪が幻想郷をひっくり返す。
そして虐げられてきた弱者達が力を持ち、強者を征す。
日常のぬるま湯に慣らされ、刺激を忘れた愚か者達が慌てふためく様が今から楽しみでならない。
決行の日は、すぐそこだ。
***
翌日、霧の湖。
二人と最初に会った場所が今ではいつの間にか会合の集合場所と化していた。
特にこれと言って分かりやすい目印もないのに。
鞄に入れてきたカステラ玉の袋を取り出す。
昨日の子どもに半分分けた結果、中身は明らかにスカスカだ。
しかし、それでも二人には好評だった。
「おいしい! 蛮奇ちゃんありがとー!」
「はいはい」
わかさぎ姫が嬉しそうに二つ目を口に入れた。
影狼も一つ目を食べ終えてから言った。
「うん、美味しい。ありがとう。……ねえ、蛮奇は食べないの?」
「私はお祭りの時に食べたから」
実際には一つも食べていないが、仕方がない。
元々一袋に十五、六個ぐらいしか入ってなかった物を半分こにしているのだ。
それをさらに三等分したら一人二、三個ほどしか食べられない。
「……いいの?」
「お気になさらず」
「……ありがとう!」
影狼もはじめは残りを食べるのを躊躇っていたが、最後はわかさぎ姫と同じように残りのカステラ玉を口に運び始めた。
ふと、昨日の出来事が頭を過る。
振り返ってみればあの小さな子どもとの関わりは、全てが突発的なことだった。
別に人間の子どもに対して、特別情や庇護欲を持っているつもりはない。
ただ、普段から人里の往来で子どもが駆け回っている姿。
そして、日々仕事に励みながらそれを見守る大人達の姿。
里で暮らすようになってから、私はそんな人間達の営みを否が応でも見続けてきた。
勿論、見苦しい光景だって散々目にしてきた。
単なる噂話に振り回され、確証もないのに平気で他人への誹謗中傷をする者。
財力、権力を楯に他者を圧し服従させようとする者。
そんな連中のこともまた、人里で暮らしていれば勝手に目と耳に入ってくる。
だが、それを理由に人間全てを一緒くたにしようとは思わなかった。
そもそも、私は物事をそんなに単純に割り切って考えられるほど器用ではない。
昨日、私は無意識のうちにお椀を被った不思議な少女に手を差し伸べていた。
落としたカステラ玉を健気に拾い集める姿を見て、なぜか放っておけなかった。
面と向かって理由を問われると、多分今もはっきりとは答えられない。
「「ごちそうさまでしたー!」」
気付けば二人がカステラ玉を食べ終えていた。
お礼とともに熱い視線が注がれている。
私は軽く息をついてから言った。
「……またそのうち機会があったら買って来るけど、あんまり期待はしないでよ」
「やったー楽しみ!」
「蛮奇ちゃんありがとー!」
そのままいつも通りに雑談という名の会合が始まる。
予想通り、お祭りについていろいろと聞かれた。
どんな出店があった、どのくらい人間がいた、花火は綺麗だったか、等。
詰問というほど激しいわけではないが、わかさぎ姫は湖以外の場所を見る機会がほぼないからか特に興味津々だった。
ふと、彼女の纏う緑色を基調とした和服が目に入る。
たしか昨日のお椀を被った子どもも和服、着物姿だった。
お祭りに関する質問攻めがまだ続きそうなので、私は話を変えるべくその少女のことについての話題を出した。
「そう言えば昨日一緒の屋台に並んでた人間の子、わかさぎ姫みたいに付き添いの大人から姫って呼ばれてた。
直接話したわけじゃないから、詳しいことは知らないけど」
予想通り、まずは影狼が興味深そうに反応した。
興奮した時の彼女の癖なのか、耳と尻尾が小刻みに揺れている。
「お姫様!? もしかしてかっこいい騎士様がお仕えしてるのかも!」
少なくとも昨日一緒に居た包帯姿の女は騎士という感じではなかった。
武装もしていなかったと思う。
だが私がそれを伝える前に、わかさぎ姫も話に食いついてきた。
「素敵! それできっとそのお姫様はお城に住んでて……でも幻想郷にお城なんてあったかしら」
影狼達は外部の文化との接点が少ないせいか知識がやたらと偏っている。
多分、二人の中で「人間の姫」はお伽話に出てくるようなそれなのだと思う。
ドレス姿で、お城に住んでて、重そうな鎧を着た従者がいる。
それが彼女達のイメージする「お姫様」像なのだろう。
どこに住んでいるのかは知らないが、少なくとも昨日の子どもはどれにも当てはまらない。
私の持った印象は、不思議な雰囲気を纏った人間の子どもというほかない。
そんなことを考えていると、二人が姫談義で盛り上がり始めていた。
「違うわ姫、もしかしたらまだ誰も知らないだけでどこかにお城があるのかも!」
「そっか、それで昨日蛮奇ちゃんが会ったお姫様はそこからお忍びでお祭りに参加してて……」
たった数十秒で早速話があらぬ方向に飛んでいる。
まあ、いつものことではあるのだが。
実際のところ、私が興味を感じたのは呼び名よりも昨日の二人組の関係性だった。
まず、親子や姉妹にしては髪の色も顔つきもあまりに違い過ぎる。
最初はあの包帯姿の女が血縁者以外の、付き人かなにかだと考えていた。
しかし、去り際にこれらの推測は私の中でほぼ否定された。
何故なら前頭部と顔の半分を白い包帯で覆っていた女からは自分と同じ雰囲気を感じたからだ。
多分、人間ではなかったと思う。
人里で長く暮らしたことで、昔より人外の存在に敏感になったのかもしれない。
だが、だからといって別に何をしようと思ったわけでもない。
もし仮にあの子どもが妖怪に誑かされた、攫われた人里の子どもなのだとしても私に助ける義理などない。
極力、面倒事には関わらないこと。
それがこの世界で平穏に過ごす秘訣なのだ。
この後、姫談義に飽きた二人が言ってくるかもしれない。
「今度そのお姫様に会ったらもっといろいろ聞いて欲しい」と。
幻想郷には人間の里以外にもあちこちに村や集落が点在している。
約束もなしに定住地すら知らない相手と再会する機会などまずないし、深く考えることもないだろう。
ふと急に、影狼がはしゃいだ声で問いかけてきた。
「蛮奇もお姫様っていうの、憧れたことない?」
私が応える前にわかさぎ姫が囃し立て、再びいつもの漫才が始まる。
「そうそう、私みたいな!」
「姫は蛮奇が昨日会ったお姫様とは違うんじゃない? 姫にはお城も騎士様もいないし」
影狼がさっきからやたらと騎士に拘っている。
そもそも、私は昨日会ったあの子どものことは呼び名以外なにも説明していないのだが。
わかさぎ姫が水中に浸かった尾を振りながら言った。
水面が軽く波打つ。
「そんなことないわ、きっと姫同士お友達になれるんだから! で、蛮奇ちゃんはどう? お姫様に憧れたことってある?」
ようやくゆっくり発言出来るタイミングが来たことを確認し、私は一息ついてから言った。
「私はいいかな。……なんか、疲れそうだし」
途端、二人がつまらなさそうな顔をした。
何か言いたそうに頬を小さく膨らませている。
私は続けた。
「……二人と過ごしてるだけで、退屈してないし」
直後、二人の頬ははっきりと分かりやすく緩んだ。
強い調子でうんうんと頷いている。
「影狼ちゃん、これは決まりよね」とわかさぎ姫。
「ええ、間違いないわ」と影狼。
続く二人の声は綺麗にハモった。
「「ついに蛮奇(ちゃん)も草の根妖怪ネットワークに入ってくれる気になったのね!」」
後に、幻想郷上空に大きな逆さのお城が顕現する異変が起きる。
同時に私達三人は急に自分が強くなったような気になって、人間に勝負を仕掛けるも呆気なく打ち倒されることになる。
その後すぐに異変は収束し、人里の新聞で昨日の子どもと包帯姿の女が黒幕であることをこの目で確認することになるのだが、今の私にそんなことを知る由はない。
「……いや、入らないから」
私にとっての日常、それは今以上の変化なんて起きなくても。
「むー! 蛮奇ちゃんが心変わりするまで諦めないんだからね!」
「そうよ、もう会員用のバッジも作ってるんだから!」
十分にぎやかで、刺激的だ。
嵐の前の静けさの、ほんの少しの催しと兆しが鮮やかでした
みんなギリギリで生きてるんだと思わされつつも、、日常の楽しみも忘れていないというバランスが素晴らしかったです
で、それを聞いた正邪が「針妙丸にしてみれば、今日会った赤髪の妖怪が本当の意味で初めて知り合った「救うべき弱者」なのかもしれない。」とか語ってしまう危うさというか、自分への妄信感というか。赤蛮奇にとっては一瞬すれちがっただけの他人でしかなかったのに…