「夜の鳥ぃ、夜の歌ぁ、人は暗夜に提(てい)を消せぇ~」
年の明け暮れなど気にも留めない屋台の女将――ミスティア・ローレライは、酔いつぶれた氷精がふらふらと住処へと飛んでいくのを見送り、屋台の中へ戻っていつも通り歌を口ずさみながら大鍋のおでんをかき混ぜていた。
ぐつぐつ、ことこと。
大鍋が心地の良い音と共に湯気を立て、あたたかな蜜色となって冬の夜に滲んでいる。
――おでんは良く煮えているけど、今日はもう遅いからなぁ。最後のお客さんも帰っちゃったし、そろそろ片付けようかな。
ぽわぽわと歌いながら店仕舞いかなと考えていると、鍋の中の輪切りにした大根が大きくなっている。下を向いている方の断面が割れて、少しずつ形を崩れさせているようだ。
――この大根の割れ目が広がって二つに分かれてもお客さんが来なかったら、片づけを始めようっと。
「夜の闇ぃ、夜の紅ぁ――」
ミスティアはお玉を回すのを止め、すっかり出汁の染みこんだ大根を眺める。
大根は鍋の一番上に浮いて、ゆっくり回転しながら繊維がほぐれていく。割れ目が広がるとともに、だんだん出汁と色を同化させていた。
ぽくぽく、ことこと。
――この大根を掬って口に入れたら、口中に柔らかい出汁が広がって美味しいんだろうなぁ。
先程まで氷精と一緒におでんを食べていたというのに、目の前のそれの味を想像すると、口が歌よりもおでんを求め始めるのを感じる。
――あ、ちくわがぶつかった。もう少しぃ、あと少しぃ。
隣で揺れていたちくわが大根にぶつかり、その衝撃で大根の形を保つための繊維がさらにほぐれる。
半分以上割れた大根をじっと見つめていると、いつの間にか顔を近づけていたらしい。白い湯気が当たって、あちっと声を漏らして火を止める。
こと、こと。
火を止めたことでだんだんと湯気も収まってきて、屋台の外から冷たい夜の空気が流れてくる。
心なしか赤提灯の明かりも暗くなってくる気がして、早く割れろーと念じながら大根を見つめていると、その念が通じたのだろうか。辛うじて見える程度となっていたつなぎ目が離れ、出汁色の大根がついに割れた。
溶けかけた半月が二つ、その際の揺れで各々の好きな方に滑り、回転を始める。どうやらミスティアの念力は、おでんをも通すようだ。
「よし、結局お客さんも来なかったし、片付けようか、な……」
ミスティアは誰ともなく閉店を宣言しようとしたが、その言葉は尻すぼみになって消える。
――美味しそうだなぁ。
彼女の目線の先にあるのは、今の今まで見つめていた大根だ。
こんなにも出汁の染みて美味しそうな大根を、食べずに放っておくの?明日の夜また店を開けるときには、この大根は完全に出汁の中に溶けて無くなってしまっているかもしれない。
この子(大根)たちだって、美味しく食べてもらうためにここにいるのに。見つめるだけで食べないなんてもったいないでしょう?そう、これは食材への感謝を示す行為なんだから、必要なことなの。
たかが大根二切れによく分からない理屈を脳内で並べながら、傍に積んであった取り皿を一枚取り、お玉でそっとその大根を掬い上げる。
右手を箸に持ち替え、柔らかすぎるそれを崩してしまわないようにそっと口元に持ち上げると――ふいに頭のすぐ上から「あーん」と声が落ちてきて、そちらへ箸を上げてしまった。
あれっと思うのも束の間、今にも端から零れ落ちそうだった大根は頭上の誰かにぱくっと食べられてしまい、ミスティアが箸を見ると、そこには何もない。
「え?あれ……?」
混乱しながら声の主の方を見上げると、そこにいたのは、はふはふと熱そうにしながら浮遊しているルーミアであった。
「ルーミア?」
「はふ、はふ、……んぐっ。」
「ちょ、私の大根……」
暗くなっていた赤提灯の明かりがゆらゆらと揺れて、宵の静けさを破る。今夜の屋台の閉店は、もう少し先のようだ。
「うーん、良く出汁が染みてて美味しい。もひとつちょーだい」
「この野郎」
年の明け暮れなど気にも留めない屋台の女将――ミスティア・ローレライは、酔いつぶれた氷精がふらふらと住処へと飛んでいくのを見送り、屋台の中へ戻っていつも通り歌を口ずさみながら大鍋のおでんをかき混ぜていた。
ぐつぐつ、ことこと。
大鍋が心地の良い音と共に湯気を立て、あたたかな蜜色となって冬の夜に滲んでいる。
――おでんは良く煮えているけど、今日はもう遅いからなぁ。最後のお客さんも帰っちゃったし、そろそろ片付けようかな。
ぽわぽわと歌いながら店仕舞いかなと考えていると、鍋の中の輪切りにした大根が大きくなっている。下を向いている方の断面が割れて、少しずつ形を崩れさせているようだ。
――この大根の割れ目が広がって二つに分かれてもお客さんが来なかったら、片づけを始めようっと。
「夜の闇ぃ、夜の紅ぁ――」
ミスティアはお玉を回すのを止め、すっかり出汁の染みこんだ大根を眺める。
大根は鍋の一番上に浮いて、ゆっくり回転しながら繊維がほぐれていく。割れ目が広がるとともに、だんだん出汁と色を同化させていた。
ぽくぽく、ことこと。
――この大根を掬って口に入れたら、口中に柔らかい出汁が広がって美味しいんだろうなぁ。
先程まで氷精と一緒におでんを食べていたというのに、目の前のそれの味を想像すると、口が歌よりもおでんを求め始めるのを感じる。
――あ、ちくわがぶつかった。もう少しぃ、あと少しぃ。
隣で揺れていたちくわが大根にぶつかり、その衝撃で大根の形を保つための繊維がさらにほぐれる。
半分以上割れた大根をじっと見つめていると、いつの間にか顔を近づけていたらしい。白い湯気が当たって、あちっと声を漏らして火を止める。
こと、こと。
火を止めたことでだんだんと湯気も収まってきて、屋台の外から冷たい夜の空気が流れてくる。
心なしか赤提灯の明かりも暗くなってくる気がして、早く割れろーと念じながら大根を見つめていると、その念が通じたのだろうか。辛うじて見える程度となっていたつなぎ目が離れ、出汁色の大根がついに割れた。
溶けかけた半月が二つ、その際の揺れで各々の好きな方に滑り、回転を始める。どうやらミスティアの念力は、おでんをも通すようだ。
「よし、結局お客さんも来なかったし、片付けようか、な……」
ミスティアは誰ともなく閉店を宣言しようとしたが、その言葉は尻すぼみになって消える。
――美味しそうだなぁ。
彼女の目線の先にあるのは、今の今まで見つめていた大根だ。
こんなにも出汁の染みて美味しそうな大根を、食べずに放っておくの?明日の夜また店を開けるときには、この大根は完全に出汁の中に溶けて無くなってしまっているかもしれない。
この子(大根)たちだって、美味しく食べてもらうためにここにいるのに。見つめるだけで食べないなんてもったいないでしょう?そう、これは食材への感謝を示す行為なんだから、必要なことなの。
たかが大根二切れによく分からない理屈を脳内で並べながら、傍に積んであった取り皿を一枚取り、お玉でそっとその大根を掬い上げる。
右手を箸に持ち替え、柔らかすぎるそれを崩してしまわないようにそっと口元に持ち上げると――ふいに頭のすぐ上から「あーん」と声が落ちてきて、そちらへ箸を上げてしまった。
あれっと思うのも束の間、今にも端から零れ落ちそうだった大根は頭上の誰かにぱくっと食べられてしまい、ミスティアが箸を見ると、そこには何もない。
「え?あれ……?」
混乱しながら声の主の方を見上げると、そこにいたのは、はふはふと熱そうにしながら浮遊しているルーミアであった。
「ルーミア?」
「はふ、はふ、……んぐっ。」
「ちょ、私の大根……」
暗くなっていた赤提灯の明かりがゆらゆらと揺れて、宵の静けさを破る。今夜の屋台の閉店は、もう少し先のようだ。
「うーん、良く出汁が染みてて美味しい。もひとつちょーだい」
「この野郎」