ぽつり、ぽつりと垂れる黒い液。
(ドウシテ…)
かつて妖怪であった【ソレ】は、森の中を進む。何処を目指すでもなく、ただ怨嗟の感情だけが、突き動かしていた。
(キット…ワタシハ…)
声は無く。ただ木々を揺らす風の音にナニカの吐息が混じるだけ。
(―――イッソ、モウ)
(ダレデモ、イイ)
「へぇ、こんな山奥で独り、いえ、誰かを巻き込んでから消えるつもりなのね?」
紫は【ソレ】に声をかける。対し、彼女に音を立てることなく目を向けるナニカ。木々が煩わしく喚く。まるで、唸りの反響のように。
「――なら、化ける前に殺してあげるわ」
その言葉に対しナニカは何かを声に出そうとしたようだが、まだ残っていたらしい怯えという名の感情が一筋の鎖となって、その一歩を踏みとどまらせた。
「まだ、生きてはいるようね」
「なら堕ちる前に教えて頂戴」
「貴方が如何にして存在したのかを」
浮かび上がる、あの頃の景色。
『やっほーーー。』
響く声に返すは同じ言の葉。驚き戸惑う子供たち。それこそが〇〇〇〇の唯一の楽しみであり、生きがいであり、全てであった。
『くっ、くくくっ、あはははっ。』
こぼれたその笑みを見る者は誰もおらず、風にかき消される程度の小さな笑い声。その子供たちと同じ声を持つナニカを、人々は【山彦】と呼ぶようになった。
あるときは山の神として崇め、あるときは子供を呼んでは連れ去る妖怪として恐れたのは大人達であった。それでも、いつ如何なるときも子供たちにとっては、ある種のともだちであったのだろう。姿かたち分からぬ、同じ子供の声の持ち主への、呼びかけ。
『わたし/ぼくはここにいて、よろこんでもらえてる!』
(…ワタシハ、)
『むこうのやまのみんながわらうかお、みてみたいなぁ。』
(タダ、ミンナ、ト。)
時間は、人の営みは、非情にも歩みを止めることはなく。ただその一歩が、彼女/彼を存在することを許さなかった。人はいつしか山彦を崇めることも、恐れることも、その歩みに反して止めてしまったらしい。
――――――【山彦】はただの音の反響。―――――
その科学とやらが気付いた事実が、さらなる悲劇を招く。子供たちがやまびこという現象に興味を持たなくなることはなかった。楽し気に叫ぶ声は、もはや、彼女/彼が叫ばずとも反響していたのだから。
人から認識されなくなった存在はどうなる?ただ忘れ去られ、幻想に来るのか。どうやら、そうではなかったらしい。悲劇は、失意は、怒りが、嫉妬と、思い出。混ざり合って濁る、ソレが悪霊。人に対する想いを忘れられないまま消えることを拒む地縛の存在に成る。
「あら?」
なれば、
「そこに居るのは―――」
救わねばなるまい。
「どなたかしら?」
仏の教えは、この為に。
「ウゥ…グ…」
人型を取り戻しつつも、溶けかけたようなドス黒い液体の塊が。唸り声。いつしか木々は黙り込み、残るはナニカと、
「私は聖白蓮と申します。はじめまして、よね?」
彼女はそう名乗りを上げて、ナニカに近づく。その感情に恐れはなく、憐憫もなく、興味と矜持が次の一言は拍子抜け。
「あなたの声、えぇ、可愛いわ。きっと素晴らしい詠み手さんなのね?それとも…いえ、そんなことよりも、もっと聴かせてほしいわ。私はそこのお寺で住職をしているの。きっとあなたも気に入ると思うわ。その声で詠むお経はきっと、みんなの心に響き渡ると思うの!」
「さぁ、遠慮しなくていいわ。何事も一睡の夢。南無三南無三宝。」
(アァ…ワタしは…いてもいいの…?)
白蓮の言葉が、まるで一筋の光となって彼女の心に差し込んだ。
「ナ、な、なむさん…。」
可愛いといわれた少女が一人。繰り返された言の葉も、白蓮のものとは違う、彼女自身の初めての。
「ええ!とってもいい声よ!…そういえば、あなたのこと、なんて呼んだらいいのかしら。」
「なんてよんだら…。」
「じゃあ、いい響きの、響子ちゃん!」
そう言って、白蓮は彼女の頭をなでる。晴れやかな顔をした彼女が、【響子】と自分の名を反芻する。
「響子ちゃんも一緒に唱えればきっと、悪い霊にはならないわ。仏様はいつも、みんなを見守っていてくださるから。」
「―――――――――――はい……!」
二人がつないだ手を、紫はただ遠くから眺めていた。
寺より聞こえる念仏の、山をも越えるはその音色。
里にて聴こえる旋律の、子供の気付くはその言葉。
幻想郷にて芽生える、自然精霊の、妖怪としての自我。
幽谷響子という存在はこうして、幻想郷に生まれ落ちた。
~後日談~
「紫、あんたまた何か企んでんじゃないでしょうね⁉」
「もう解決したわ。私が関わるまでも無かったようだけれど」
彼女の叫びは、ここ博麗神社にも届くようになっていた。
「スキマから観えてしまったのよ」「あのまま放っておいたら、おそらく村ひとつは消えていたでしょうから」
そう、霊夢に愚痴をこぼす。
「~~もう!その手柄を横取りされたからって、私のところに不貞腐れてダル絡みにくるなら何か食い物持ってきてよ!」
「はいはい。」
(白蓮め、最初から勧誘目的でいたくせに、傍観していたのは私が関与することを見越していたからなんでしょうね)
「霊夢、来月ごろに異変が起こるわ。きっとね」
その念仏は、仏ではない誰かにとっての目覚ましになるだろう。
(ドウシテ…)
かつて妖怪であった【ソレ】は、森の中を進む。何処を目指すでもなく、ただ怨嗟の感情だけが、突き動かしていた。
(キット…ワタシハ…)
声は無く。ただ木々を揺らす風の音にナニカの吐息が混じるだけ。
(―――イッソ、モウ)
(ダレデモ、イイ)
「へぇ、こんな山奥で独り、いえ、誰かを巻き込んでから消えるつもりなのね?」
紫は【ソレ】に声をかける。対し、彼女に音を立てることなく目を向けるナニカ。木々が煩わしく喚く。まるで、唸りの反響のように。
「――なら、化ける前に殺してあげるわ」
その言葉に対しナニカは何かを声に出そうとしたようだが、まだ残っていたらしい怯えという名の感情が一筋の鎖となって、その一歩を踏みとどまらせた。
「まだ、生きてはいるようね」
「なら堕ちる前に教えて頂戴」
「貴方が如何にして存在したのかを」
浮かび上がる、あの頃の景色。
『やっほーーー。』
響く声に返すは同じ言の葉。驚き戸惑う子供たち。それこそが〇〇〇〇の唯一の楽しみであり、生きがいであり、全てであった。
『くっ、くくくっ、あはははっ。』
こぼれたその笑みを見る者は誰もおらず、風にかき消される程度の小さな笑い声。その子供たちと同じ声を持つナニカを、人々は【山彦】と呼ぶようになった。
あるときは山の神として崇め、あるときは子供を呼んでは連れ去る妖怪として恐れたのは大人達であった。それでも、いつ如何なるときも子供たちにとっては、ある種のともだちであったのだろう。姿かたち分からぬ、同じ子供の声の持ち主への、呼びかけ。
『わたし/ぼくはここにいて、よろこんでもらえてる!』
(…ワタシハ、)
『むこうのやまのみんながわらうかお、みてみたいなぁ。』
(タダ、ミンナ、ト。)
時間は、人の営みは、非情にも歩みを止めることはなく。ただその一歩が、彼女/彼を存在することを許さなかった。人はいつしか山彦を崇めることも、恐れることも、その歩みに反して止めてしまったらしい。
――――――【山彦】はただの音の反響。―――――
その科学とやらが気付いた事実が、さらなる悲劇を招く。子供たちがやまびこという現象に興味を持たなくなることはなかった。楽し気に叫ぶ声は、もはや、彼女/彼が叫ばずとも反響していたのだから。
人から認識されなくなった存在はどうなる?ただ忘れ去られ、幻想に来るのか。どうやら、そうではなかったらしい。悲劇は、失意は、怒りが、嫉妬と、思い出。混ざり合って濁る、ソレが悪霊。人に対する想いを忘れられないまま消えることを拒む地縛の存在に成る。
「あら?」
なれば、
「そこに居るのは―――」
救わねばなるまい。
「どなたかしら?」
仏の教えは、この為に。
「ウゥ…グ…」
人型を取り戻しつつも、溶けかけたようなドス黒い液体の塊が。唸り声。いつしか木々は黙り込み、残るはナニカと、
「私は聖白蓮と申します。はじめまして、よね?」
彼女はそう名乗りを上げて、ナニカに近づく。その感情に恐れはなく、憐憫もなく、興味と矜持が次の一言は拍子抜け。
「あなたの声、えぇ、可愛いわ。きっと素晴らしい詠み手さんなのね?それとも…いえ、そんなことよりも、もっと聴かせてほしいわ。私はそこのお寺で住職をしているの。きっとあなたも気に入ると思うわ。その声で詠むお経はきっと、みんなの心に響き渡ると思うの!」
「さぁ、遠慮しなくていいわ。何事も一睡の夢。南無三南無三宝。」
(アァ…ワタしは…いてもいいの…?)
白蓮の言葉が、まるで一筋の光となって彼女の心に差し込んだ。
「ナ、な、なむさん…。」
可愛いといわれた少女が一人。繰り返された言の葉も、白蓮のものとは違う、彼女自身の初めての。
「ええ!とってもいい声よ!…そういえば、あなたのこと、なんて呼んだらいいのかしら。」
「なんてよんだら…。」
「じゃあ、いい響きの、響子ちゃん!」
そう言って、白蓮は彼女の頭をなでる。晴れやかな顔をした彼女が、【響子】と自分の名を反芻する。
「響子ちゃんも一緒に唱えればきっと、悪い霊にはならないわ。仏様はいつも、みんなを見守っていてくださるから。」
「―――――――――――はい……!」
二人がつないだ手を、紫はただ遠くから眺めていた。
寺より聞こえる念仏の、山をも越えるはその音色。
里にて聴こえる旋律の、子供の気付くはその言葉。
幻想郷にて芽生える、自然精霊の、妖怪としての自我。
幽谷響子という存在はこうして、幻想郷に生まれ落ちた。
~後日談~
「紫、あんたまた何か企んでんじゃないでしょうね⁉」
「もう解決したわ。私が関わるまでも無かったようだけれど」
彼女の叫びは、ここ博麗神社にも届くようになっていた。
「スキマから観えてしまったのよ」「あのまま放っておいたら、おそらく村ひとつは消えていたでしょうから」
そう、霊夢に愚痴をこぼす。
「~~もう!その手柄を横取りされたからって、私のところに不貞腐れてダル絡みにくるなら何か食い物持ってきてよ!」
「はいはい。」
(白蓮め、最初から勧誘目的でいたくせに、傍観していたのは私が関与することを見越していたからなんでしょうね)
「霊夢、来月ごろに異変が起こるわ。きっとね」
その念仏は、仏ではない誰かにとっての目覚ましになるだろう。
消えかけていた響子でしたが救われてよかったです