「それくらい別にみょんもできるけど。うん、ギザギザ付いてるタイプのやつじゃなくて、まじに楕円のやつ。バターナイフって言うか、マーガリン塗るあれで」
実際あれってできるもんなん? バターでも切るみたいに、って言うけどさ、スッと簡単に岩とか斬るやつ。
こういう風に問われたわけじゃないけど、余裕に決まってるだろ、というのが私の答えだ。ナマクラで斬るとか刃物要らんとかそういう域のあれは、剣の話としてさほど高度ではない。咲夜さんともなればバターナイフを使わずにバターを塗るだろう。
「ほーん」
聞いてるのか聞いてないのか知れたものじゃないな。
自分のことをアンニュイだと思っている女が、川沿いの土手の地べたの上に、てきとうに腰を下ろしている。
「吸っても?」
懐に伸ばした手が止まる。隣に突っ立って暇そうにしてる相手のことを一応は気にしたらしい。こいつ煙草やめたりやめなかったりするから今どっちなのか分かんねーみょん。
「良いけど」
「ありがとう」
クールビューティーらしき顔面の女は、無駄に熟れた所作でシングルを取り出し、ジャケットに顔を付けてスーハーした。肺いっぱいに煙を吸い込む、旨そうな吸い方だった。口に咥えて喫った気になっている不良連中では、こうはいかない。何かと肩身の狭い煙草でも、それ相応の吸い方ができると格好が付く……ちょっと何してるんですかね、こいつ。
「おっっっ前さぁ! そんなちょっと一服みたいな軽いノリでヤクキメるとは思わねぇみ゛ゃんよ゛ぉ」
ああちなみに、『咲夜さんくらいになるとバターナイフで人を殺せる』は、メルランfeat咲夜さんの電波ソングだ。
そしてこの奇行女は、もこたん。みんなの知っている藤原妹紅とは似て非なる別の生き物だみょん。
もこたんは『咲夜さんくらいになるとバターナイフで人を殺せる』のCDを直吸いしてプリズムリバーをキメた。
「なんだよ別にこのくらい普通だろ?」
「自室でやる分にはな?」
「ふん、みょんちゃんも吸うんじゃないか」
人前で吸う度胸があるのとは雲泥の差があるだろ。
こいつはもこたん。そして、みょんはみょんだみょん。みょんたちはプリリバのオタクで、昨夜のクリスマスイベントが最高過ぎて、すっかり燃え尽きた灰になっているのだみょん。もこたんは実際に何度か死んで灰になっていたし、みょんも実際に魂が半分くらい抜けてたりしてた。
打ち上げの後、どうやってこの土手に流れ着いたのかは覚えていない。せめて、本当に川を流れて来たのでないことを祈るばかりだ。もこたんは冬の真っ只中に服の裾を絞ったりしてたけど、私の方はたぶんそこまでハジけていない。
人の往来が無いわけではない土手で抜け殻になって、はや数時間。「最高」以外の語彙力が消失した状態から、やや快方に向かいつつある。
周りの人々も普段とは少し違う様子なことが、世間体の面から見て救いだった。
「年末のこの時季ってさ」
クリスマス明けから大晦日まで、空き時間のような、どうにもすっきりしない日々がある。
決して暇ではないが、年末もあれこれも、ちゃんと進めていれば終わっているか目途は立っている。まあ子供たちは暇を持て余すようだけど、暇を楽しんで満喫するには、周りの大人の忙しなさが邪魔だ。居所が無いその感じ、ちょっと分かる。
河原の、私たちがいるより低い河寄りの開けた場所で、数人の子供が漫然とした何かをしている。今時は羽子板とかで楽しいのかどうか知らないけど、このタイミングの数日は羽子板も凧も独楽も無い。見るからにつまらなそうに、古いサッカーボールを蹴り合っていた。ルールとか無さそうで、ただ転がしているだけ。
もこたんは口を開いた後、しばらく無言だった。自分の呟いたことを忘れたんじゃないかと思う頃になって、先を続ける。
「なんか、チルいな」
もこたんは、腑抜けた顔をしている。ライブ後の燃え尽きを差し引いても、年末のこの時季はそんな顔になりがちだ。
「チルいな。チルノちゃん、って感じだ」
こいつ絶対チルいが何か分かってないみょん。
もこたんは遠くの方を見つめて、低く唸る。
「まさか咲夜さん本人が来るとはね」
「あれには驚いたみょんね……」
「反則だろ」
「あんなの全部話題を持っていくと見せかけて途中で綺麗にフェイドアウトしたのは流石の技だみょん」
「終わってみれば内容は目白押し。最高だったな」
「うん、最高だったみょん」
結局はつまり、最高になる。
◇
文房具のハサミが良い。
丸みを帯びた児童向けのデザインだと安心だろう。
そのハサミを、紙の上に置く。
すると、紙はすっぱりと切れている。
私にとって、物を斬るとはそういうことだった。
刃物がそこにあるだけで、物は切れる。斬れる運命にあるものは斬れるのだろう。ならば、運命的に図太い生命力をした者は斬りづらいはずだ。仮説を試すべく、紅魔館のお嬢様を殺そうとしたことがある。事の顛末から言えば、ご対面にすら敵わなかったが。
──ワン、ツー、スリー。
メイドさんの魔法がかかると、伏せたカップの中に、キャンディーが出現する。その中には何も無いことを確認していたので、不思議な現象が起きた、ということになる。
飴玉はソフトキャンディーのタイプのやつだ。どうぞと促されて、さっそく口に放り込む。おいしい、らしい。当時は、そういうものと聞いていたのでそうなのかと思っていた。それに、手品を見せてもらったら、子供は喜ぶものだ。
「気に入って貰えて良かったわ。それじゃあ、また同じことをするわね。ちょっとしたレクリエーションだから、今度は貴方も参加して、止めてもらえると嬉しいわ」
「はい」
ワン、ツー、──ここで裁断。時間を切ることは、さほど難しい技術ではない。
でも、カップを引っ繰り返すと、赤色の包み紙が転がった。
「あれ?」
時間停止は破れているから、時間を止めている間にカップにキャンディーを仕込むことはできないはず。
「ミスディレクションってよく聞くでしょう? 実はね、『また同じことをする』っていうのはちょっと嘘ついたわ。貴方の意識をそちら側に逸らして、別の手口を使ったというわけね。まあ言ってみれば、手品の基本よ」
それも嘘だろう。だからって気付かないわけがない。それも先入観と言えば先入観なんだろうか。
陶器のカップと固い素材のテーブルは、少し触れ合うだけでもカチャリと音を立てる。だけどメイドさんは、ほんの僅かな音も立てずにカップを上げ下げする。
「手品には、種も仕掛けも無いことがままある。つまり、練習量でゴリ押しするの」
それじゃあ三回目、ワン、ツー、スリー。
今度は、どう考えても収まらない量のキャンディーが溢れ返った。
「手品だと思って見ていたら、きっと驚くわね。何のことは無いわ。ただの魔法よ」
カップの内側には簡単な召喚陣が描き込まれていた。最初に確認したカップには無かったので、いずれかのタイミングですり替えたのだ。
「こあちゃんに用意してもらったのだけど……そうね、何だったら、この小道具の用意を頼んだ直後に、私はこの魔法を手品だと思わせることができるわ」
つまる所このメイドさんは、どこまでも突き抜けて瀟洒なのだ。魅せ方というものを心得ている。
時止めもナイフ捌きも本体でなくて、その振る舞いこそが咲夜さんが咲夜さんたる由縁。
「乱暴なことをしちゃダメよ? 今度は、本当に切っちゃうから」
ああ、それでまさか、自分が首筋を触ることになるとは思わなかったのだ。私が小さい頃、周りの大人たちがいつもやっていた、あの仕草。
皮膚一枚も切っていない浅い傷、ではあった。が、以後、私は咲夜さんに生意気言わないことにしている。
◇
「ナマ言ってた自分って、恥ずかしいよな」
聞いていなかった振りをした。もこたんは、ほぼ独り言のつもりなのか、気にしていない。
「私さ、中学ん時ちょっとグレてたのよ。煙草とか吸っちゃって、粋がってたんだな。高校は行かないで、地元の悪い連中とつるんでた。その、キレたナイフと呼ばれていた私がな」
今じゃバターナイフだよ。と、嘯く。
ギザギザ付いてるタイプのやつじゃなくて、まじに楕円のやつだ。
「毎晩さ、『今日はどこ行くの?』って、それだけ。ルナ姉は一言も文句を言わなかったけど、心配してくれてた。……逆かな、あんなに心配してくれたのに、一言も文句言わないんだよ。ある時、なんでなんだかな、そういう自分のことが急に恥ずかしくなったんだ。なんだお前、情けなくないのか、って」
もこたんはルナ姉を実の姉と思い込んでおり、郊外の町の一軒家で暮らしていた過去がある。両親は不在がちで、ルナ姉はもこたんの親代わりでもあった。
ルナ姉はインディーズデビューを機に家を出てしまったが、もこたんのことは以前と変わらずに気に掛けている。実の姉ということもあって照れ臭さもあるものの、もこたんはプリズムリバーの活動を余さずに追っていた。
こいつはもこたん。みんなの知っている藤原妹紅とは似て非なる生き物だみょん。
「あの頃は何もかもつまらなくて腐ってた。なんだろな、生きてる気がしなかった。過去に戻れるならぶん殴ってやるけど、大して響かないんだろうなぁ。喧嘩上等で殴られ慣れてたもん。自分の命のことが大事じゃなかったんだ。だから何一つ大事に思えなかった」
河原の雑音が不意に静かになった。
「人間じゃないんだよ」
思いがけず響いた声に、もこたんは自分で驚いたようだった。
「いや、真人間じゃないんだよ。自分も他人もどうでもいいと思ってる奴は、真人間じゃなくて、半人前でもまだ高評価のカス野郎だ」
慌てて言葉の強さを修整する。人でなしからカス野郎には格上げになったか。
「私さ、ギザギザの付いたバタフライナイフ持ってた。あれを格好良いと思ってた。あのな、あれを格好良いと思うガキは間違いなくダサいだろ。人を傷付ける目的の刃物なんて持っちゃダメだ」
もこたんは、洋画の俳優が妻と娘の写真を見るように、CDのジャケットを見つめた。そして吸った。
「持って良いのは、バターナイフだけだ」
「まあバターナイフでも余裕で人は殺せるみょんけどね」
「今それを言っちゃあ話がまとまらなくなるだろ」
もこたんは顔をあげた。
「悪いね」
と言った。
「つい過去語りをしてしまったよ」
「もこたんの妄言を聞くのはいつものことみょんよ」
「今度、みょんちゃんの幼馴染みトークも聞かせてくれ」
「クリスマスにデートした話があるみょん」
「そいつは傑作だな。身の程を弁えない妄言だ」
白玉楼がプリズムリバーを贔屓にしていたのは公式設定のはずだ。従って、当時幼かった私とリリカが幼馴染みなのは自ずから導かれる摂理である。妄言呼ばわりされる筋合いは無い、みょん。
もこたんは遠くの方を見た。その横顔に凛々しさが戻るには程遠いだろう。口が半開きの、アホの顔をしている。
鮮烈な体験が心を引きづって、心の所在を浮き彫りにしている。有りもしないと思っていた心とやらは、あの空のどこかでふわふわと浮かんでいるらしい。
プリリバの音楽を聴いて、同じオタク同士で交流するようになって、それは世間との接点だ。もこたんの歩んで来た人生の大半に欠けていたものだろう。と、それを言うのは図々しい上に野暮か。みょんだって、他人のことを言えた身でもないみょんし?
ふと、空の上には影の点がぽつり。
男の子が蹴り上げたボールがこっちに飛んで来た。高い軌道でほぼ真上から落ちて来る、初心者には難しい外野フライ。
「もこたん。パス来たよ」
「おう」
意外と機敏に腰を上げた。胸でトラップして、地面に付けずに数回リフティングしてから子供の方に蹴り返す。これが中々結構板に付いていて、子供たちもちょっと「おお」とか言っていた。もこたんは照れ臭そうにそっぽを向いて頭を掻いた。あのチビら喜んでるじゃん、もっと相手してやれば良いのに。
「もこたんさ、最近どうよ? 人間やってる?」
「テキトーだけどね」
ほんと、そうみょんね。
実際あれってできるもんなん? バターでも切るみたいに、って言うけどさ、スッと簡単に岩とか斬るやつ。
こういう風に問われたわけじゃないけど、余裕に決まってるだろ、というのが私の答えだ。ナマクラで斬るとか刃物要らんとかそういう域のあれは、剣の話としてさほど高度ではない。咲夜さんともなればバターナイフを使わずにバターを塗るだろう。
「ほーん」
聞いてるのか聞いてないのか知れたものじゃないな。
自分のことをアンニュイだと思っている女が、川沿いの土手の地べたの上に、てきとうに腰を下ろしている。
「吸っても?」
懐に伸ばした手が止まる。隣に突っ立って暇そうにしてる相手のことを一応は気にしたらしい。こいつ煙草やめたりやめなかったりするから今どっちなのか分かんねーみょん。
「良いけど」
「ありがとう」
クールビューティーらしき顔面の女は、無駄に熟れた所作でシングルを取り出し、ジャケットに顔を付けてスーハーした。肺いっぱいに煙を吸い込む、旨そうな吸い方だった。口に咥えて喫った気になっている不良連中では、こうはいかない。何かと肩身の狭い煙草でも、それ相応の吸い方ができると格好が付く……ちょっと何してるんですかね、こいつ。
「おっっっ前さぁ! そんなちょっと一服みたいな軽いノリでヤクキメるとは思わねぇみ゛ゃんよ゛ぉ」
ああちなみに、『咲夜さんくらいになるとバターナイフで人を殺せる』は、メルランfeat咲夜さんの電波ソングだ。
そしてこの奇行女は、もこたん。みんなの知っている藤原妹紅とは似て非なる別の生き物だみょん。
もこたんは『咲夜さんくらいになるとバターナイフで人を殺せる』のCDを直吸いしてプリズムリバーをキメた。
「なんだよ別にこのくらい普通だろ?」
「自室でやる分にはな?」
「ふん、みょんちゃんも吸うんじゃないか」
人前で吸う度胸があるのとは雲泥の差があるだろ。
こいつはもこたん。そして、みょんはみょんだみょん。みょんたちはプリリバのオタクで、昨夜のクリスマスイベントが最高過ぎて、すっかり燃え尽きた灰になっているのだみょん。もこたんは実際に何度か死んで灰になっていたし、みょんも実際に魂が半分くらい抜けてたりしてた。
打ち上げの後、どうやってこの土手に流れ着いたのかは覚えていない。せめて、本当に川を流れて来たのでないことを祈るばかりだ。もこたんは冬の真っ只中に服の裾を絞ったりしてたけど、私の方はたぶんそこまでハジけていない。
人の往来が無いわけではない土手で抜け殻になって、はや数時間。「最高」以外の語彙力が消失した状態から、やや快方に向かいつつある。
周りの人々も普段とは少し違う様子なことが、世間体の面から見て救いだった。
「年末のこの時季ってさ」
クリスマス明けから大晦日まで、空き時間のような、どうにもすっきりしない日々がある。
決して暇ではないが、年末もあれこれも、ちゃんと進めていれば終わっているか目途は立っている。まあ子供たちは暇を持て余すようだけど、暇を楽しんで満喫するには、周りの大人の忙しなさが邪魔だ。居所が無いその感じ、ちょっと分かる。
河原の、私たちがいるより低い河寄りの開けた場所で、数人の子供が漫然とした何かをしている。今時は羽子板とかで楽しいのかどうか知らないけど、このタイミングの数日は羽子板も凧も独楽も無い。見るからにつまらなそうに、古いサッカーボールを蹴り合っていた。ルールとか無さそうで、ただ転がしているだけ。
もこたんは口を開いた後、しばらく無言だった。自分の呟いたことを忘れたんじゃないかと思う頃になって、先を続ける。
「なんか、チルいな」
もこたんは、腑抜けた顔をしている。ライブ後の燃え尽きを差し引いても、年末のこの時季はそんな顔になりがちだ。
「チルいな。チルノちゃん、って感じだ」
こいつ絶対チルいが何か分かってないみょん。
もこたんは遠くの方を見つめて、低く唸る。
「まさか咲夜さん本人が来るとはね」
「あれには驚いたみょんね……」
「反則だろ」
「あんなの全部話題を持っていくと見せかけて途中で綺麗にフェイドアウトしたのは流石の技だみょん」
「終わってみれば内容は目白押し。最高だったな」
「うん、最高だったみょん」
結局はつまり、最高になる。
◇
文房具のハサミが良い。
丸みを帯びた児童向けのデザインだと安心だろう。
そのハサミを、紙の上に置く。
すると、紙はすっぱりと切れている。
私にとって、物を斬るとはそういうことだった。
刃物がそこにあるだけで、物は切れる。斬れる運命にあるものは斬れるのだろう。ならば、運命的に図太い生命力をした者は斬りづらいはずだ。仮説を試すべく、紅魔館のお嬢様を殺そうとしたことがある。事の顛末から言えば、ご対面にすら敵わなかったが。
──ワン、ツー、スリー。
メイドさんの魔法がかかると、伏せたカップの中に、キャンディーが出現する。その中には何も無いことを確認していたので、不思議な現象が起きた、ということになる。
飴玉はソフトキャンディーのタイプのやつだ。どうぞと促されて、さっそく口に放り込む。おいしい、らしい。当時は、そういうものと聞いていたのでそうなのかと思っていた。それに、手品を見せてもらったら、子供は喜ぶものだ。
「気に入って貰えて良かったわ。それじゃあ、また同じことをするわね。ちょっとしたレクリエーションだから、今度は貴方も参加して、止めてもらえると嬉しいわ」
「はい」
ワン、ツー、──ここで裁断。時間を切ることは、さほど難しい技術ではない。
でも、カップを引っ繰り返すと、赤色の包み紙が転がった。
「あれ?」
時間停止は破れているから、時間を止めている間にカップにキャンディーを仕込むことはできないはず。
「ミスディレクションってよく聞くでしょう? 実はね、『また同じことをする』っていうのはちょっと嘘ついたわ。貴方の意識をそちら側に逸らして、別の手口を使ったというわけね。まあ言ってみれば、手品の基本よ」
それも嘘だろう。だからって気付かないわけがない。それも先入観と言えば先入観なんだろうか。
陶器のカップと固い素材のテーブルは、少し触れ合うだけでもカチャリと音を立てる。だけどメイドさんは、ほんの僅かな音も立てずにカップを上げ下げする。
「手品には、種も仕掛けも無いことがままある。つまり、練習量でゴリ押しするの」
それじゃあ三回目、ワン、ツー、スリー。
今度は、どう考えても収まらない量のキャンディーが溢れ返った。
「手品だと思って見ていたら、きっと驚くわね。何のことは無いわ。ただの魔法よ」
カップの内側には簡単な召喚陣が描き込まれていた。最初に確認したカップには無かったので、いずれかのタイミングですり替えたのだ。
「こあちゃんに用意してもらったのだけど……そうね、何だったら、この小道具の用意を頼んだ直後に、私はこの魔法を手品だと思わせることができるわ」
つまる所このメイドさんは、どこまでも突き抜けて瀟洒なのだ。魅せ方というものを心得ている。
時止めもナイフ捌きも本体でなくて、その振る舞いこそが咲夜さんが咲夜さんたる由縁。
「乱暴なことをしちゃダメよ? 今度は、本当に切っちゃうから」
ああ、それでまさか、自分が首筋を触ることになるとは思わなかったのだ。私が小さい頃、周りの大人たちがいつもやっていた、あの仕草。
皮膚一枚も切っていない浅い傷、ではあった。が、以後、私は咲夜さんに生意気言わないことにしている。
◇
「ナマ言ってた自分って、恥ずかしいよな」
聞いていなかった振りをした。もこたんは、ほぼ独り言のつもりなのか、気にしていない。
「私さ、中学ん時ちょっとグレてたのよ。煙草とか吸っちゃって、粋がってたんだな。高校は行かないで、地元の悪い連中とつるんでた。その、キレたナイフと呼ばれていた私がな」
今じゃバターナイフだよ。と、嘯く。
ギザギザ付いてるタイプのやつじゃなくて、まじに楕円のやつだ。
「毎晩さ、『今日はどこ行くの?』って、それだけ。ルナ姉は一言も文句を言わなかったけど、心配してくれてた。……逆かな、あんなに心配してくれたのに、一言も文句言わないんだよ。ある時、なんでなんだかな、そういう自分のことが急に恥ずかしくなったんだ。なんだお前、情けなくないのか、って」
もこたんはルナ姉を実の姉と思い込んでおり、郊外の町の一軒家で暮らしていた過去がある。両親は不在がちで、ルナ姉はもこたんの親代わりでもあった。
ルナ姉はインディーズデビューを機に家を出てしまったが、もこたんのことは以前と変わらずに気に掛けている。実の姉ということもあって照れ臭さもあるものの、もこたんはプリズムリバーの活動を余さずに追っていた。
こいつはもこたん。みんなの知っている藤原妹紅とは似て非なる生き物だみょん。
「あの頃は何もかもつまらなくて腐ってた。なんだろな、生きてる気がしなかった。過去に戻れるならぶん殴ってやるけど、大して響かないんだろうなぁ。喧嘩上等で殴られ慣れてたもん。自分の命のことが大事じゃなかったんだ。だから何一つ大事に思えなかった」
河原の雑音が不意に静かになった。
「人間じゃないんだよ」
思いがけず響いた声に、もこたんは自分で驚いたようだった。
「いや、真人間じゃないんだよ。自分も他人もどうでもいいと思ってる奴は、真人間じゃなくて、半人前でもまだ高評価のカス野郎だ」
慌てて言葉の強さを修整する。人でなしからカス野郎には格上げになったか。
「私さ、ギザギザの付いたバタフライナイフ持ってた。あれを格好良いと思ってた。あのな、あれを格好良いと思うガキは間違いなくダサいだろ。人を傷付ける目的の刃物なんて持っちゃダメだ」
もこたんは、洋画の俳優が妻と娘の写真を見るように、CDのジャケットを見つめた。そして吸った。
「持って良いのは、バターナイフだけだ」
「まあバターナイフでも余裕で人は殺せるみょんけどね」
「今それを言っちゃあ話がまとまらなくなるだろ」
もこたんは顔をあげた。
「悪いね」
と言った。
「つい過去語りをしてしまったよ」
「もこたんの妄言を聞くのはいつものことみょんよ」
「今度、みょんちゃんの幼馴染みトークも聞かせてくれ」
「クリスマスにデートした話があるみょん」
「そいつは傑作だな。身の程を弁えない妄言だ」
白玉楼がプリズムリバーを贔屓にしていたのは公式設定のはずだ。従って、当時幼かった私とリリカが幼馴染みなのは自ずから導かれる摂理である。妄言呼ばわりされる筋合いは無い、みょん。
もこたんは遠くの方を見た。その横顔に凛々しさが戻るには程遠いだろう。口が半開きの、アホの顔をしている。
鮮烈な体験が心を引きづって、心の所在を浮き彫りにしている。有りもしないと思っていた心とやらは、あの空のどこかでふわふわと浮かんでいるらしい。
プリリバの音楽を聴いて、同じオタク同士で交流するようになって、それは世間との接点だ。もこたんの歩んで来た人生の大半に欠けていたものだろう。と、それを言うのは図々しい上に野暮か。みょんだって、他人のことを言えた身でもないみょんし?
ふと、空の上には影の点がぽつり。
男の子が蹴り上げたボールがこっちに飛んで来た。高い軌道でほぼ真上から落ちて来る、初心者には難しい外野フライ。
「もこたん。パス来たよ」
「おう」
意外と機敏に腰を上げた。胸でトラップして、地面に付けずに数回リフティングしてから子供の方に蹴り返す。これが中々結構板に付いていて、子供たちもちょっと「おお」とか言っていた。もこたんは照れ臭そうにそっぽを向いて頭を掻いた。あのチビら喜んでるじゃん、もっと相手してやれば良いのに。
「もこたんさ、最近どうよ? 人間やってる?」
「テキトーだけどね」
ほんと、そうみょんね。