青く香る畳の上に、桜の花弁が吹き寄せている。
客間は年の瀬だというのに開け放したままで、火鉢の一つも無い。
「はい、可能です。無痛切断、遅延切断、いずれも技術としてさほど高度なものではありません」
首を落として、なおも命を生かすことはできるか。
この問いに、魂魄妖夢は親指で首を掻き切る品の無いジェスチャーをしながら答えた。
「いわゆる、切れ味が鋭すぎて自分が斬られたことに気付いていない状態、ですね。一旦は首を刎ねるものの、実際に首が落ちるのは、しばらく後である。意図的にその状態を作り出すことは可能です」
魂魄の家は地獄の局庁と縁がある。昔からの習わしで、剪定鋏を使って不要な枝を切り落とす仕事を請け負うことがあった。客はその噂を聞き付け、白玉楼の長い階段を登ったのだった。
「飛び首? なるほど確かに、首の落ちたことに気付かないまま動く死者は、その妖怪に似ているかも知れませんね」
物静かな客の小さな訴えを汲んで、そのように請け負う。
月明りが斜めに差し込んで、正座する少女の首から上を影で切り取っていた。少女は膝の上に白い靄を抱いている。半分死んでいる少女の、幽霊の半分。その靄が一瞬でも少女自身の生首であるように見えたなら、それは、一族当主として客を出迎えた少女の粋な計らいだ。
身を切るような冷たい風が吹き込んで、春の花のさざ波を作った。これもまた、庭師の手仕事。
客と当主の他に、もう一つ、見目麗しい置き物があった。霍青娥だが、こちらは別に依頼者ではなく、ただこの場に居合わせただけの風流人だ。置き物だと思って気にしない方が良い。
青娥は表情だけで笑いながら自分の首に手をやっている。どうやら、まだ繋がっているらしいが。
縁側に浅く腰掛け、月の光を浴びる。その優美な姿は、唐衣を纏った天女としか見えない。水場で戯れるように素足で宙を蹴り上げれば、水飛沫のように、桜の花が舞った。
妖夢ちゃん、と言いかけて、小首を傾げる。面白い遊びに乗る猫めいた顔。
「ねぇご当主様? この桜の花も、貴方の技に関係があるのかしら?」
年若いご当主様も少し笑った。
「ご容赦くださいまし。企業秘密、というやつですので」
「例えば、切り花を永遠にできるのではなくって?」
「永遠ではありません。いつか斬られたことに気付く死者の首が落ちるように、その花柄も落ちるでしょうね」
「それもそうね」
「はい。要求されている依頼の範囲では、そのようにしかなりません」
女ふたり相手に困っていた依頼者に、当主は改めて向き直る。
「もっとも、日時の指定までは承ります。指定の時間まで生かし、指定に時間に殺すことまでサービスの範疇です。最大で一年、それ以上は要相談となります。──と、肝心のことを言っていませんでしたね。貴方の依頼は引き受けます。後は、貴方の決心一つでいかようにでも」
拈華微笑。当主は客に向けて、青い仙女を真似た顔をした。
「その首、落として差し上げる」
◇
「ところでご当主様? ご主人様の許可は取らずとも良かったのかしら?」
「わたくしめは主に仕える刀ですが、いやなに、勝手に動き出す妖刀の類い、ごまんとありましょうや」
「あら、そうなの」
「ゆゆ様……じゃない、我が主は、鋏を使う依頼を私が引き受けちゃうの、嫌がりますけどね。でも今回の件は別です。どうせ、この手の依頼なら嫌とは言わないと思いますよ?」
「ご当主様の振る舞い、気に入ってるの?」
「最近のマイブームです」
年の瀬の町の通り沿いは、軒から零れる光で灯明の用が無かった。表通りとあって、開いている店も多い。
不吉な死神と悪い仙女が連れ立って歩くには似合わない道だが、実の所、天帝様に顔向けできない所業を働こうというわけでもなかった。
青娥は横目に、とある茶屋に注目する。どういうわけだか飛頭蛮が茶屋娘をするイメージの定着している店だ。
「そういう時季だものね」
「そういうものですか」
時季の話をするには時知らずの花が咲いている。年の瀬まで残った、何の変哲も無い街路樹のヤマボウシ。取るに足らない小さな怪奇。
花は人の目線より少し高い位置で、そこからだと、先の茶屋の店先がよく見える。
「──ぱちん」
指でチョキを作って、開いて、閉じた。
花はまだ、気付いていない。
◇
物言わぬ花の精の慕情を見かねて、青娥は彼を白玉楼まで誘った。
ろくろ首に恋したから彼女と同じになりたいだなんて、邪仙の手で扱うには甘すぎる。
遅延切断の日時指定は、彼女が彼の下を通り過ぎる時。
冬まで残った花は、ちょうど彼女の真上に舞い落ちる。よもや、恋煩いで萎びる時を見失った花だとは知るまいが。
きっと彼女は、不思議そうな顔をするだろう。
花が斬られたと気付くのは、要相談にて時間無制限、ただし条件指定付きと相成った。
恋の相手の興味が他に映った時、切り花は役目を終える。
さて、最初こそ興味津々で事の成り行きを見守るつもりの青娥だったけれど、今は結末まで見届けようとは思っていない。
もう既に十分過ぎるお節介を焼いている。恋の行く末なんて、首を突っ込む話じゃない。
なにしろほら、自分の首は大事にした方が良いのだから、ね。
また、何気なく首に手をやった。魂魄妖夢のそばにいると、その仕草が癖になる。ただしそれはオシャレなオトナの女性の仕草ではないし、当然、青娥娘々の振る舞いでもない。青娥は意思の力で柔和に微笑んだ。まるで清楚な仙女のように、お姉さんの真似をしたがる素直な子供の前で模範となるように。
──ぱちん。
耳に付いた声は、まだ、怖い。
客間は年の瀬だというのに開け放したままで、火鉢の一つも無い。
「はい、可能です。無痛切断、遅延切断、いずれも技術としてさほど高度なものではありません」
首を落として、なおも命を生かすことはできるか。
この問いに、魂魄妖夢は親指で首を掻き切る品の無いジェスチャーをしながら答えた。
「いわゆる、切れ味が鋭すぎて自分が斬られたことに気付いていない状態、ですね。一旦は首を刎ねるものの、実際に首が落ちるのは、しばらく後である。意図的にその状態を作り出すことは可能です」
魂魄の家は地獄の局庁と縁がある。昔からの習わしで、剪定鋏を使って不要な枝を切り落とす仕事を請け負うことがあった。客はその噂を聞き付け、白玉楼の長い階段を登ったのだった。
「飛び首? なるほど確かに、首の落ちたことに気付かないまま動く死者は、その妖怪に似ているかも知れませんね」
物静かな客の小さな訴えを汲んで、そのように請け負う。
月明りが斜めに差し込んで、正座する少女の首から上を影で切り取っていた。少女は膝の上に白い靄を抱いている。半分死んでいる少女の、幽霊の半分。その靄が一瞬でも少女自身の生首であるように見えたなら、それは、一族当主として客を出迎えた少女の粋な計らいだ。
身を切るような冷たい風が吹き込んで、春の花のさざ波を作った。これもまた、庭師の手仕事。
客と当主の他に、もう一つ、見目麗しい置き物があった。霍青娥だが、こちらは別に依頼者ではなく、ただこの場に居合わせただけの風流人だ。置き物だと思って気にしない方が良い。
青娥は表情だけで笑いながら自分の首に手をやっている。どうやら、まだ繋がっているらしいが。
縁側に浅く腰掛け、月の光を浴びる。その優美な姿は、唐衣を纏った天女としか見えない。水場で戯れるように素足で宙を蹴り上げれば、水飛沫のように、桜の花が舞った。
妖夢ちゃん、と言いかけて、小首を傾げる。面白い遊びに乗る猫めいた顔。
「ねぇご当主様? この桜の花も、貴方の技に関係があるのかしら?」
年若いご当主様も少し笑った。
「ご容赦くださいまし。企業秘密、というやつですので」
「例えば、切り花を永遠にできるのではなくって?」
「永遠ではありません。いつか斬られたことに気付く死者の首が落ちるように、その花柄も落ちるでしょうね」
「それもそうね」
「はい。要求されている依頼の範囲では、そのようにしかなりません」
女ふたり相手に困っていた依頼者に、当主は改めて向き直る。
「もっとも、日時の指定までは承ります。指定の時間まで生かし、指定に時間に殺すことまでサービスの範疇です。最大で一年、それ以上は要相談となります。──と、肝心のことを言っていませんでしたね。貴方の依頼は引き受けます。後は、貴方の決心一つでいかようにでも」
拈華微笑。当主は客に向けて、青い仙女を真似た顔をした。
「その首、落として差し上げる」
◇
「ところでご当主様? ご主人様の許可は取らずとも良かったのかしら?」
「わたくしめは主に仕える刀ですが、いやなに、勝手に動き出す妖刀の類い、ごまんとありましょうや」
「あら、そうなの」
「ゆゆ様……じゃない、我が主は、鋏を使う依頼を私が引き受けちゃうの、嫌がりますけどね。でも今回の件は別です。どうせ、この手の依頼なら嫌とは言わないと思いますよ?」
「ご当主様の振る舞い、気に入ってるの?」
「最近のマイブームです」
年の瀬の町の通り沿いは、軒から零れる光で灯明の用が無かった。表通りとあって、開いている店も多い。
不吉な死神と悪い仙女が連れ立って歩くには似合わない道だが、実の所、天帝様に顔向けできない所業を働こうというわけでもなかった。
青娥は横目に、とある茶屋に注目する。どういうわけだか飛頭蛮が茶屋娘をするイメージの定着している店だ。
「そういう時季だものね」
「そういうものですか」
時季の話をするには時知らずの花が咲いている。年の瀬まで残った、何の変哲も無い街路樹のヤマボウシ。取るに足らない小さな怪奇。
花は人の目線より少し高い位置で、そこからだと、先の茶屋の店先がよく見える。
「──ぱちん」
指でチョキを作って、開いて、閉じた。
花はまだ、気付いていない。
◇
物言わぬ花の精の慕情を見かねて、青娥は彼を白玉楼まで誘った。
ろくろ首に恋したから彼女と同じになりたいだなんて、邪仙の手で扱うには甘すぎる。
遅延切断の日時指定は、彼女が彼の下を通り過ぎる時。
冬まで残った花は、ちょうど彼女の真上に舞い落ちる。よもや、恋煩いで萎びる時を見失った花だとは知るまいが。
きっと彼女は、不思議そうな顔をするだろう。
花が斬られたと気付くのは、要相談にて時間無制限、ただし条件指定付きと相成った。
恋の相手の興味が他に映った時、切り花は役目を終える。
さて、最初こそ興味津々で事の成り行きを見守るつもりの青娥だったけれど、今は結末まで見届けようとは思っていない。
もう既に十分過ぎるお節介を焼いている。恋の行く末なんて、首を突っ込む話じゃない。
なにしろほら、自分の首は大事にした方が良いのだから、ね。
また、何気なく首に手をやった。魂魄妖夢のそばにいると、その仕草が癖になる。ただしそれはオシャレなオトナの女性の仕草ではないし、当然、青娥娘々の振る舞いでもない。青娥は意思の力で柔和に微笑んだ。まるで清楚な仙女のように、お姉さんの真似をしたがる素直な子供の前で模範となるように。
──ぱちん。
耳に付いた声は、まだ、怖い。