魔術省は相変わらず埃臭く古臭い建物だ。朝早く呼ばれた私は欠伸をしながら階段を上る。この階段は魔力の力で自由自在に動き、目的の階へと運んでくれる。最上階に辿り着くと壁には歴代長官の肖像画が並んでいるがこれも階段と同じように動く。
1600年代の苛烈な魔女狩りを経験したここイギリスで魔女の存在を認めるようになったのは近代に入ってからだ。私の先祖はかつて魔女狩りから逃げるようにインドへ渡った。1810年に秘密裏に魔術省が成立した時、私の祖母であるアシュリー・ノーレッジが関わった時、ノーレッジ家の逃亡生活は終焉を遂げた。
外交官である父ジョージがインドに駐在していた際に私は生まれた。魔術と西洋と東洋の文化の混ざり合う環境で育った私は自ずと西洋魔術だけではなく東洋魔術にも興味を持つようになった。
母メアリーは国際派の魔女で私は色々な国に連れて行かれた。彼女の影響で私の魔術に関する興味はさらに広がった。
コルカタ大学を18歳で卒業した後、私は東洋魔術について更に学ぶため中華民国の北京大学に留学した。若気の至りで東洋魔術について全て知っていると思い込んでいた私は衝撃を受けた。
特に印象的だったのが体術の授業だった。講師の紅美鈴。そんな彼女の鍛え抜かれた技は惚れ惚れするようだった。
美鈴。あの名前を思い出すだけで何処か緊張してしまう。彼女の講義は魔術学部とは思えない程だった。
美鈴はいつもこんな事を話していた。
「心技体が必要なんです。」
初めての授業。眠気の残る私の顔を彼女の足が掠めた。彼女にとってはちょっとした牽制だったのだろう。私の自信はそこであっけなく砕け散った。
「身体もまた器なのです。器が基本であり基礎なのですよ?」
彼女は大清帝国末期のあの混乱を生き抜いた者が持つ特有の凄みがあった。王朝を守り続けた者にだけある独特の雰囲気。
私は彼女の講義にのめり込んでいた。といっても喘息が治ることはなかったし身体は弱いままだったがあの時の経験は確かに今に活きている。
ーーー
そんな話を思い出しながら私は長官室と記された扉の前に立った。この男はかつて奇行で話題を呼ぶような似非魔術師であった。しかし今やイギリス魔法界における大物となった。何故彼に呼ばれたのか分からなかったが妙に嫌な予感がした。
コンコンと扉をノックするとあの声が聞こえてきた。相変わらず薬でもキメてるような嗄れ声だ。
扉を開けると魔術書を読む彼がいた。私に気づいたのか本を机に置くと立ち上がり両手を広げてみせた。
「よく来てくれたノーレッジ殿」
魔術省長官と記された名札を見ながら私はアレイスター・クロウリーを一瞥した。
イギリス魔法界の権威である魔術省。私も魔女として登録しているのだが本部に呼ばれるのは初めてであった。
そしてその組織の長官を務めるのがこの男、アレイスター・クロウリー。イギリスを代表する魔術師の一人であり数々の奇行で話題を集める変人。
「で、似非魔術師が何の用かしら」
「相変わらず冗談きついなノーレッジ嬢。まあいい。今回来てもらったのは今回新たに創設した魔導大隊の司令官としてパチュリー殿を指名したい」
一瞬冗談かと思った。喘息持ちの魔女に軍務につかせるほどこの国は追い詰められているのか。
「お断りしま…」
「ああそうだ、ノーレッジ殿、勿論貴方だけではなく副司令官として……」
扉が盛大に開くと軍服を着た男が入ってきた。
「ジャック・チャーチル中佐だ。副司令官には彼を指名することにした」
この男は馬鹿なのか?陸軍のバグパイプ野郎を空軍の部隊の役職に就けるなどイカれている。
昨年にドイツ軍と交戦した際にはロングボウで矢を放ってみせ「士官たる者、剣を持たずして戦場に赴くべきではない」とまで話すこの前時代的な男を魔導大隊の副司令官に?馬鹿馬鹿しい。
「私を司令官に任命するのはまだ良いとして何故“マッド・ジャック“を副司令官に?」
クロウリーはにやりと笑って答えた。
「それはまだ明かせないな」
この顔を見るといつも無性に腹が立つ。
「あのね……」
私は呆れてしまった。この男は一体何を考えているのか。
「魔導大隊と言っても構成員は誰にするつもり?まさか一般の軍人なんて言うつもりじゃないでしょうね?」
クロウリーは指先で机上の書類を叩きながら口角を上げた。
「陸軍や空軍の兵士も一部混ざっているが……。ノーレッジ嬢、魔術省直属の東方聖堂騎士団というのは知ってるかな?」
「魔術省の中でも優秀な魔術師が所属していると聞いたことなら」
「今回、部隊を新設するとしてその騎士団の構成員を引き抜くことにした。私の権限でな」
東方聖堂騎士団は魔術省内の中でも所謂エリートが所属していると言われているが、彼らはあくまでも省内部の秩序の安定が仕事であり外には出てこないはずだ。古代ギリシアのスパルタの市民のように。
「メアリー・ノーレッジの娘にして18歳でコルカタ大学を卒業したノーレッジ殿にも負けず劣らずの精鋭達だ。是非とも期待に応えてみせよう」
若くしてコルカタ大学を卒業した話はどうやらここまで来ていたらしい。私は若い頃から天才と持て囃されてきた。と言っても母は私以上の天才であったので毎度の如くメアリーの娘と言われ続けた。
「よく知ってるのね……その……あの人の娘であることにはあまり触れてほしくなかったのだけど」
「それは失礼。ただイギリス魔法界では100年に1度と言われる天才であるノーレッジ嬢はいつかメアリーをも追い越すよ」
「お世辞はいいから……」
そう私が返すとクロウリーは封筒から一枚の書類を取り出した。
「ちなみにノーレッジ嬢の司令官任命は国王陛下が提案した。このようなことは普通ではあり得ないのだがな……」
「もし断ったら?」
「君の父は確か外交官だったはずだ。仕事を失うことになるかもしれないな」
「脅迫するつもり?」
クロウリーはため息をつくと新聞紙を放り投げた。
「知っているかもしれないが今朝パリが陥落した」
「……」
「ドイツ軍による電撃戦が予想以上の早さで進行している。はっきり言って異常だし私にはこう、人ならざるものの力を感じる」
まさか、ドイツ軍にも私たちのような存在がいるというのだろうか。妙に嫌な予感がする。
「フランスが落ちたら次は」
「イギリス本土だな」
まさか彼らは本気で「アシカ作戦」などやろうとしているのだろうか?ドーバー海峡を越えて……。
こんな状況ならば直ぐにでも決断を下さねばならないのだろう。しかし……。
「1日だけ……」
「?」
「1日だけ待っていてもらえないかしら」
クロウリーは眉を潜め口角を上げると言った。
「良いだろう、ただし明日の16時迄だ。それ以上は待てん」
ーーー
ロンドンは相変わらず曇り空で憂鬱な気分になりそうだった。自宅の扉を開けた私は深いため息を吐いた。
「お母さん、ただいま」
「おかえりなさい」
リビングに入ると母がいた。
メアリー・ノーレッジ。イギリス魔法界では300年に一度の天才と言われている天才。私の同じような紫の髪はいつも艶を帯びていて歳を感じさせない。
私の顔を見ると母は言った。
「クロウリーに呼ばれたのでしょう?」
「やっぱり分かるんだ……」
「魔女にはすべてお見通しよ」
相変わらずこの人は全てを見通しているようで恐怖心すら湧いてくる。一体どこまで知っているのだろう。
私はソファに座り、またため息をついた。
「魔導大隊の司令官を私に任せたいって」
「やはり、ね。パチェならいつかそのような仕事をするかもって思ってた」
「え?」
「だって、大戦争(第一次世界大戦)で私も彼に任命されたもの。私の娘ならいつか同じ道を辿っても不思議じゃない」
初耳だ。母がそんなことをしていたなんて……。
「貴女が知らないのも無理はないわ。あの頃パチェはまだコルカタ大学にいたものね」
「1914年、私は今のジョージ6世、アルバート王子の吃音治療の為にイギリスに一時的に帰国していたの。でもね、大戦争が始まってインドに戻れなくなってしまった」
「1915年、グラーフ・ツェッペリンの飛行船、ペーター・シュトラッサーのドイツ空中艦隊がロンドンを爆撃したあの日」
「サーチライトが飛行船を照らす。まさかドイツ軍がロンドンに来るだなんて思っていなかった私は慌てふためいた。そして爆撃を開始した」
「迎撃機も対空砲も対応できなかった」
母は唇を噛み締めていた。
ーーー
「私には軍事経験がありません!そんなこと無理です!貴方自身がやればいいでしょう!」
メアリー・ノーレッジは叫んだ。
「それに私には娘がいるんです!」
「もし私が死んだらパチュリーは……」
クロウリーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「メアリーさん、貴女以外の魔術師は全員断ったんですよ」
「あの飛行船に対抗できるのは貴女しかいない」
「……っ!」
「メアリーさん、実はこの前の爆撃で王宮も被害に遭いました。アルバート王子はなんとか地下壕へ逃げましたが、後もう少し遅れていたら……」
その言葉にメアリーはたじろぐ。彼女はアルバート王子の吃音治療をしていた。吃音に悩み不安に苛まれる青年の姿が脳裏に浮かんだ。
「貴女に戦場で死ねなんて言いません。ただロンドンの空を……」
メアリーは目を閉じ考えた。もしまた大爆撃があったなら……。
「分かりました、司令官引き受けます」
いつもは偉そうなクロウリーが珍しく頭を下げた。
「……貴方も悩んでいたのね」
ーーー
母は話を終えるとこちらを見つめ微笑んだ。
「貴女が悩むのも当然。でも……」
「あの男が選んだのだから、貴女こそが司令官の器に相応しいのよ」
感情が溢れた。目からは涙が溢れ私は母に抱きついていた。
母は優しく頭を撫でた。
「私の娘なのだから、大丈夫よ」
私の胸の奥にその言葉が響いていた。
ーーー
魔術省はいつも以上に警備が増えていた。緊張感のある空気が張り詰めていている。
客間の扉を開いた瞬間、私は言葉を失った。
そこにいたのは黒のスーツに不満そうないつもの表情を浮かべたあの男。ウィンストン・チャーチル。
そして隣りにいたのは大英帝国の象徴。国王、ジョージ6世。
隣りにいたクロウリーが珍しく真面目な声で語った。
「ノーレッジ殿、実は貴殿に直接話をしたいとお二人が」
「……」
次の瞬間、私は息を呑んだ。
チャーチルが深く頭を下げた。
「な、何をしているのですか!」
「恐らくドイツの次の目的はわが国であろう」
「ドイツ国防軍の電撃戦は想定を超えていた。明らかに人ならざるものの力、要は魔術の力を感じるのだ」
空気が更に緊張感を帯びた。
「もはや通常戦力ではこの国を守れるとの確証はない」
まさか首相が私に懇願するなんて……。私は何と返したら良いのか分からなくなってしまった。
そして国王が前へと出る。
「パチュリーさん。私は貴方の母に救われたのです」
「え……」
「1916年のドイツ軍の爆撃。私は地下壕へと逃げようとしていました。しかし一足遅かった。私の頭上に落ちてきたのです、爆弾が」
「その時だった。メアリーが結界を張って私を守ったのは」
「……!」
私の心臓が思わず跳ねた。チャーチルもクロウリーも一言も挟まない。
「我が国はあの時のように破滅を迎えようとしている」
ジョージ6世は深く頭を下げた。
「陛下……!困ります!そんなことされたら……!」
「パチュリー・ノーレッジ。どうかイギリスを救ってくれ、もう貴女しか……」
“あの飛行船に対抗できるのは貴女しかいない“
母の昨日の話が脳内でリフレインする。
「……っ!」
「私は母みたいに強くありません!私は喘息持ちで体も意志も弱くて……私は……私は……!」
喘息持ちの不幸な魔女。母の名声だけで生きている魔女。アジア被れのブリテン人。そんなことを周りから言われ続けてきた人生だった。司令官だなんて。
「パチュリーさん。何故私が貴女を司令官に推薦したと思います?」
「え……?」
そこにいたのはかつての吃音に悩む青年ではなく整然とした国王陛下であった。
「貴女は自身を弱い存在だと言いますが強さなんて後からいくらでもついてきます。それに貴女には芯の強さがあります。メアリーさんと同じような心の奥にある強さ」
「それを見つけたのです」
その言葉はまるで母が言っているように思えた。そしてクロウリーが一歩前へと出るとこう言った。
「ノーレッジさん、貴殿の母からこう聞いている」
“あの娘は自分を弱いと言うけどそんなことは全くない。誰よりも強い「1週間魔女」“と
視界が涙で滲んだ。お母さんのあの優しい顔が目に浮かんだ。
“私の娘なのだから、大丈夫よ“
震える手を必死に抑える。本当は逃げてしまいたい。怖い。死んでしまうかもしれない。
でも逃げてしまったら……。
私は息を深く吸ってハンカチで目元を拭うと言った。
「分かりました」
「パチュリー・ノーレッジは魔導大隊の司令官の座をお受けいたします。」
その瞬間、三人は安堵の表情を浮かべた。
チャーチルがもう一度深く頭を下げた。
「本当にありがとう、パチュリー・ノーレッジ。どうかこの国を守ってくれ……」
胸中で私は呟いた。
“私、大丈夫かな“
その声に答えるように母の温かい声が聞こえた気がした。
“大丈夫、貴女ならきっと上手くやれる“
その声は、私の背中を優しく押した。
ーーー
魔術省の地下には騎士団が活動しているとされる部屋があるらしい。私は詳しくは知らないし見せてもらえなかったのだが司令官に就任したことで騎士団の一部メンバーとの出会いの場を持つこととなった。
天井には六芒星と古代ギリシア文字が記され壁には歴代長官の肖像画が並ぶ。
そして目の前にはローブを着た人達。
クロウリーが私の隣でパンッと手を叩くとその人達はローブを脱ぎ姿を表した。
「さあ、これが魔導大隊に参加することになった騎士団のメンバー達だ。一人ずつ自己紹介するように」
思わず息を呑む。
彼らはただの魔術師じゃない。何かを持った特別な人間の気配が部屋を支配する。
ーーー
「騎士団長のイスラエル・リガルディーです。パチュリーさん、貴女の論文は何度も読ませてもらいました。特に七曜の属性魔法の理論は素晴らしい」
隣でクロウリーが誇らしげに紹介する。
「彼は私の弟子だ。といっても一度決別しているがな……。黄金の夜明け団最後の継承者にして魔術省最高クラスの魔術師だ。もしかしたらノーレッジ嬢さえも凌ぐ実力かもしれない」
やはり精鋭揃いの騎士団。私でさえも勝てるかどうか分からない化け物ばかりだ。
「次」
爆薬の匂いを漂わせる不気味な男。彼は前へ出ると深々と頭を下げた。
「ジャック・パーソンズ。魔法工学を担当する。騎士団では主に兵器開発を行っていた。パチュリーさん、って言ったかな、貴殿の為なら宇宙でさえも私のものにしてみせるさ」
クロウリーは彼の製作した小型ロケットを見せながら言った。
「彼はアメリカのロケット技術者だったがとんでもない才能を持っていてね。騎士団の兵器に関しては彼がすべて製作している」
「その、大丈夫なの?」
パーソンズが答える。
「確かによく変人と言われますが、ノーレッジ嬢。喘息持ちの貴女よりは働けますよ」
「余計なお世話よ!」
余計なことを言うオカルティストと言ったところか。
「次」
右手に入れ墨の入った大男。
「セルゲイ・オリベイラ。労働党にいたが魔術共産主義を党内で発表したら危険思想扱いされて追放された。パチュリーさん、貴女の事はよく知っている。貴女の為なら戦える」
クロウリーはオリベイラを見あげながら言った。
「ポルトガル出身でロシア内戦では赤軍に混ざって戦った恐れ知らずの巨漢だ。クレメント・アトリーから彼を何とかしてくれと頼まれてね。ラムゼイ・マクドナルドからも似たようなことを言われたさ」
コミュニスト。それも余りにも急進的な。だが実力があるのは分かる。魔力が湯気のように身体から漏れ出ているのだ。こんな体質の魔術師なんて見たことがない。
「次」
「オズワルド・ケイン、元イギリスファシスト連盟の……」
クロウリーがケインの肩を小突く。
「こいつは人見知りでな、ファシストのくせに弱虫すぎてモズレーから追放を言い渡された」
「そこまで言わなくていいじゃないですか」
「だが道具の扱い方は天才的だ。騎士団ではピカイチ」
「次」
「ジュラ・アンドラーシュ。ルドルフ・シュタイナーの下で人智学を勉強していた。ハンガリーから来た」
クロウリーが彼の方を軽く叩くと言った。
「アンドラーシュはホルティ政権下で閣僚になる可能性があった男、だが対立して追放された」
「ホルティとは合わなかったんですよ」
ーーー
「以上、5名が魔導大隊に合流することとなる」
「成程」
私は思った。
「変人しかいない……」
「ははっパチュリーさん、それは貴女もじゃないですか」
「黙って、パーソンズ」
リガルディーが小刻みに震えていた。多分この男、笑っている。
私は悟った。
「司令官、やらなきゃよかった」
ーーー
「最後まで戦い抜く」
「海で、大洋で戦う」
「自信と勇気を奮い立たせ、空で戦う」
「いかなる犠牲を払っても祖国を守り抜く!」
「我々は海岸で戦う」
「敵の上陸地点で戦う」
「野原で、町中で戦う」
「丘で戦う」
「断じて降伏はしない!」
テレビからはウィンストン・チャーチルの演説が聞こえる。画面の中では議員達が紙を持ち賛同の意を示している。
「聞いたか?パチュリー司令官殿」
と、パーソンズ。
「ええバッチリ聞いたわよ、パーソンズ少尉」
そう私は返す。
「フランスは降伏してヴィシー・フランスとなった。イギリス侵攻も時間の問題だ」
ジャックが短剣を大切そうに磨きながら話す。この男は四六時中短剣を持っている。やっぱり変人だ。
ロンドンにある魔導大隊本部にはメンバーが集まりテレビを見ていた。テレビにはイギリス議会の様子が映っており先ほどまでウィンストンが演説をしていた。
ここ数日間の訓練で私達は確かに鍛え上げられていた。魔導装置を使用した空中での戦闘講習。上陸した場合の地上での魔術を用いた戦闘。そして地上との通信、全員が全員私のように空を飛べるわけではないからだ。
「それで、ドイツの人ならざるものの正体は分かったのでしょうか、クロウリー長官」
アンドラーシュの問いにクロウリーは口角を上げ笑ってみせた。
「関わっているのは武装親衛隊だ。それもハインリヒ・ヒムラー直轄の部隊。恐らくヴリル協会のマリア・オルシッチが率いている」
私はその名前に思わず反応していた。
「マリア・オルシッチ……!?」
「勿論、ノーレッジ嬢は知っているだろう」
マリア・オルシッチ。ヴリル協会の指導者であり「巫女」と呼ばれている金髪の女。クロアチア出身ながらあのチョビ髭の側近まで成り上がったオカルティストにして魔女。
「アルデバラン系の惑星の住人と交信したと突然学会で発表して魔法界から追放されたのよ。追放されたアルデバラン星人が古代メソポタミア文明を築いた……なーんて世迷い言も話していたわね」
「はっきり言って、狂人だ。それでもう1つ報告がある」
「もしかして、UFOかしら?」
「流石、ノーレッジ嬢。全て見通しているようだな」
「フランス侵攻時に鉄十字の付いた円盤型の飛行体、UFOが目撃したとの報告があった。恐らくこれを開発したのは……」
「ヴリル協会」
「その通り。オルシッチが確実に関わっているだろうな」
「なんというかドイツってのは本当に……」
リガルディーは頭を抱えた。魔法界の重鎮でさえもこんな対応になるのも当然だろう。
「円盤型の飛行体でパリを落とした、と。今は1940年よ。2000年じゃないのよ……」
私は画面の消えたテレビを見ながらふうと息を吐いた。
「空で戦うのは空軍、海で戦うのは海軍。魔術で戦うのが君達だ」
クロウリーが低い声で言った。
その言葉で一斉に皆が私を見つめた。
「司令官殿、あの演説は完全に貴女を信じているようだったな!」
とジャックは笑い短剣を鞘に入れ呟く。
「流石に円盤と戦ったことはないけどさ……」
お調子者のパーソンズからいつもの冗談が出ない。彼も緊張しているのだろう。
私は皆の顔を順にゆっくり見つめる。彼らの中には若い者もいる。それでも覚悟だけは誰もが持っていた。
「武装SSだろうがヴリル協会だろうが潰すだけだ。魔導大隊はイギリスを守り抜く」
オリベイラが力強く言う。
「元ファシストでもやれるところを見せてやりますよ」
いつもは弱腰なケインがいつになく強気だった。
その言葉にクロウリーが拍手をする。
「流石、国王陛下が選んだ司令官の部隊だ。ノーレッジ嬢はやはり天才だな」
「お世辞はいいのよ。長官殿」
“断じて降伏はしない!“
チャーチルの声が脳内に響く。
「目には目を、歯には歯を、魔術には魔術を」
ーーー
「長官殿、そろそろジャックを副司令官に選んだ理由を教えてもらえないかしら?」
「そうだな、“バトル・オブ・ブリテン“ももう少しで始まるだろう。その前に答えておかなければな」
クロウリーは机の引き出しから1枚の封筒を取り出した。その封筒はすでに封が切られていたようで1枚の書類を取り出すと私に渡した。
「まずジャック・チャーチルに魔術の適性は殆どないと言っていい」
「それは知ってる」
「だろうな。だがな、ドイツ軍に魔術勢力があると知った時、ただの平凡な魔術師を副司令官にしたとしてこの状況に対応できないと思ったのだ」
「狂気には狂気で対抗しなければならない」
「まるで魔術が狂気とでも言いたいようね?」
「魔法を軍事転用する時点で狂気そのものだよ、ノーレッジ嬢。魔術を取り扱うのには常識を一旦脳内から取り出さなければならない。常識外れなのだよ」
「それはそうね」
「ジャック・チャーチルの経歴に関しては……今更話すこともないだろうが前時代的な狂人だ。だがな?」
「魔術耐性は常人のそれをはるかに超えていたんだ」
私は書類に目をやった。そこには魔術耐性A級と記されている数値は99.7。もしかしたら私よりも高いかもしれない。
魔術耐性が高いという事は魔術による能力干渉に影響されず、精神汚染さえも受けずに指示を飛ばし続けることが可能である事。何故彼にそのような耐性があったのか。私はすぐに分かった。
「狂人……」
「そうだ、狂人だからだ。自分で言うのもなんだが私も狂人の一人だ。狂人同士分かるものがあったのだよ、ノーレッジ嬢」
「ありがとう、長官殿。これでスッキリしたわ」
「それなら良かった。ではご武運を」
「神に……じゃなくてセレマかしら?」
「それもそうだな。神頼みするぐらいなら意思に頼る方が魔術師らしい。そうだろう?」
窓の外はいつものように曇り空が広がっている。魔術と魔術がぶつかりあう世界初の戦争はすぐそこまで来ていたのだった。
1600年代の苛烈な魔女狩りを経験したここイギリスで魔女の存在を認めるようになったのは近代に入ってからだ。私の先祖はかつて魔女狩りから逃げるようにインドへ渡った。1810年に秘密裏に魔術省が成立した時、私の祖母であるアシュリー・ノーレッジが関わった時、ノーレッジ家の逃亡生活は終焉を遂げた。
外交官である父ジョージがインドに駐在していた際に私は生まれた。魔術と西洋と東洋の文化の混ざり合う環境で育った私は自ずと西洋魔術だけではなく東洋魔術にも興味を持つようになった。
母メアリーは国際派の魔女で私は色々な国に連れて行かれた。彼女の影響で私の魔術に関する興味はさらに広がった。
コルカタ大学を18歳で卒業した後、私は東洋魔術について更に学ぶため中華民国の北京大学に留学した。若気の至りで東洋魔術について全て知っていると思い込んでいた私は衝撃を受けた。
特に印象的だったのが体術の授業だった。講師の紅美鈴。そんな彼女の鍛え抜かれた技は惚れ惚れするようだった。
美鈴。あの名前を思い出すだけで何処か緊張してしまう。彼女の講義は魔術学部とは思えない程だった。
美鈴はいつもこんな事を話していた。
「心技体が必要なんです。」
初めての授業。眠気の残る私の顔を彼女の足が掠めた。彼女にとってはちょっとした牽制だったのだろう。私の自信はそこであっけなく砕け散った。
「身体もまた器なのです。器が基本であり基礎なのですよ?」
彼女は大清帝国末期のあの混乱を生き抜いた者が持つ特有の凄みがあった。王朝を守り続けた者にだけある独特の雰囲気。
私は彼女の講義にのめり込んでいた。といっても喘息が治ることはなかったし身体は弱いままだったがあの時の経験は確かに今に活きている。
ーーー
そんな話を思い出しながら私は長官室と記された扉の前に立った。この男はかつて奇行で話題を呼ぶような似非魔術師であった。しかし今やイギリス魔法界における大物となった。何故彼に呼ばれたのか分からなかったが妙に嫌な予感がした。
コンコンと扉をノックするとあの声が聞こえてきた。相変わらず薬でもキメてるような嗄れ声だ。
扉を開けると魔術書を読む彼がいた。私に気づいたのか本を机に置くと立ち上がり両手を広げてみせた。
「よく来てくれたノーレッジ殿」
魔術省長官と記された名札を見ながら私はアレイスター・クロウリーを一瞥した。
イギリス魔法界の権威である魔術省。私も魔女として登録しているのだが本部に呼ばれるのは初めてであった。
そしてその組織の長官を務めるのがこの男、アレイスター・クロウリー。イギリスを代表する魔術師の一人であり数々の奇行で話題を集める変人。
「で、似非魔術師が何の用かしら」
「相変わらず冗談きついなノーレッジ嬢。まあいい。今回来てもらったのは今回新たに創設した魔導大隊の司令官としてパチュリー殿を指名したい」
一瞬冗談かと思った。喘息持ちの魔女に軍務につかせるほどこの国は追い詰められているのか。
「お断りしま…」
「ああそうだ、ノーレッジ殿、勿論貴方だけではなく副司令官として……」
扉が盛大に開くと軍服を着た男が入ってきた。
「ジャック・チャーチル中佐だ。副司令官には彼を指名することにした」
この男は馬鹿なのか?陸軍のバグパイプ野郎を空軍の部隊の役職に就けるなどイカれている。
昨年にドイツ軍と交戦した際にはロングボウで矢を放ってみせ「士官たる者、剣を持たずして戦場に赴くべきではない」とまで話すこの前時代的な男を魔導大隊の副司令官に?馬鹿馬鹿しい。
「私を司令官に任命するのはまだ良いとして何故“マッド・ジャック“を副司令官に?」
クロウリーはにやりと笑って答えた。
「それはまだ明かせないな」
この顔を見るといつも無性に腹が立つ。
「あのね……」
私は呆れてしまった。この男は一体何を考えているのか。
「魔導大隊と言っても構成員は誰にするつもり?まさか一般の軍人なんて言うつもりじゃないでしょうね?」
クロウリーは指先で机上の書類を叩きながら口角を上げた。
「陸軍や空軍の兵士も一部混ざっているが……。ノーレッジ嬢、魔術省直属の東方聖堂騎士団というのは知ってるかな?」
「魔術省の中でも優秀な魔術師が所属していると聞いたことなら」
「今回、部隊を新設するとしてその騎士団の構成員を引き抜くことにした。私の権限でな」
東方聖堂騎士団は魔術省内の中でも所謂エリートが所属していると言われているが、彼らはあくまでも省内部の秩序の安定が仕事であり外には出てこないはずだ。古代ギリシアのスパルタの市民のように。
「メアリー・ノーレッジの娘にして18歳でコルカタ大学を卒業したノーレッジ殿にも負けず劣らずの精鋭達だ。是非とも期待に応えてみせよう」
若くしてコルカタ大学を卒業した話はどうやらここまで来ていたらしい。私は若い頃から天才と持て囃されてきた。と言っても母は私以上の天才であったので毎度の如くメアリーの娘と言われ続けた。
「よく知ってるのね……その……あの人の娘であることにはあまり触れてほしくなかったのだけど」
「それは失礼。ただイギリス魔法界では100年に1度と言われる天才であるノーレッジ嬢はいつかメアリーをも追い越すよ」
「お世辞はいいから……」
そう私が返すとクロウリーは封筒から一枚の書類を取り出した。
「ちなみにノーレッジ嬢の司令官任命は国王陛下が提案した。このようなことは普通ではあり得ないのだがな……」
「もし断ったら?」
「君の父は確か外交官だったはずだ。仕事を失うことになるかもしれないな」
「脅迫するつもり?」
クロウリーはため息をつくと新聞紙を放り投げた。
「知っているかもしれないが今朝パリが陥落した」
「……」
「ドイツ軍による電撃戦が予想以上の早さで進行している。はっきり言って異常だし私にはこう、人ならざるものの力を感じる」
まさか、ドイツ軍にも私たちのような存在がいるというのだろうか。妙に嫌な予感がする。
「フランスが落ちたら次は」
「イギリス本土だな」
まさか彼らは本気で「アシカ作戦」などやろうとしているのだろうか?ドーバー海峡を越えて……。
こんな状況ならば直ぐにでも決断を下さねばならないのだろう。しかし……。
「1日だけ……」
「?」
「1日だけ待っていてもらえないかしら」
クロウリーは眉を潜め口角を上げると言った。
「良いだろう、ただし明日の16時迄だ。それ以上は待てん」
ーーー
ロンドンは相変わらず曇り空で憂鬱な気分になりそうだった。自宅の扉を開けた私は深いため息を吐いた。
「お母さん、ただいま」
「おかえりなさい」
リビングに入ると母がいた。
メアリー・ノーレッジ。イギリス魔法界では300年に一度の天才と言われている天才。私の同じような紫の髪はいつも艶を帯びていて歳を感じさせない。
私の顔を見ると母は言った。
「クロウリーに呼ばれたのでしょう?」
「やっぱり分かるんだ……」
「魔女にはすべてお見通しよ」
相変わらずこの人は全てを見通しているようで恐怖心すら湧いてくる。一体どこまで知っているのだろう。
私はソファに座り、またため息をついた。
「魔導大隊の司令官を私に任せたいって」
「やはり、ね。パチェならいつかそのような仕事をするかもって思ってた」
「え?」
「だって、大戦争(第一次世界大戦)で私も彼に任命されたもの。私の娘ならいつか同じ道を辿っても不思議じゃない」
初耳だ。母がそんなことをしていたなんて……。
「貴女が知らないのも無理はないわ。あの頃パチェはまだコルカタ大学にいたものね」
「1914年、私は今のジョージ6世、アルバート王子の吃音治療の為にイギリスに一時的に帰国していたの。でもね、大戦争が始まってインドに戻れなくなってしまった」
「1915年、グラーフ・ツェッペリンの飛行船、ペーター・シュトラッサーのドイツ空中艦隊がロンドンを爆撃したあの日」
「サーチライトが飛行船を照らす。まさかドイツ軍がロンドンに来るだなんて思っていなかった私は慌てふためいた。そして爆撃を開始した」
「迎撃機も対空砲も対応できなかった」
母は唇を噛み締めていた。
ーーー
「私には軍事経験がありません!そんなこと無理です!貴方自身がやればいいでしょう!」
メアリー・ノーレッジは叫んだ。
「それに私には娘がいるんです!」
「もし私が死んだらパチュリーは……」
クロウリーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「メアリーさん、貴女以外の魔術師は全員断ったんですよ」
「あの飛行船に対抗できるのは貴女しかいない」
「……っ!」
「メアリーさん、実はこの前の爆撃で王宮も被害に遭いました。アルバート王子はなんとか地下壕へ逃げましたが、後もう少し遅れていたら……」
その言葉にメアリーはたじろぐ。彼女はアルバート王子の吃音治療をしていた。吃音に悩み不安に苛まれる青年の姿が脳裏に浮かんだ。
「貴女に戦場で死ねなんて言いません。ただロンドンの空を……」
メアリーは目を閉じ考えた。もしまた大爆撃があったなら……。
「分かりました、司令官引き受けます」
いつもは偉そうなクロウリーが珍しく頭を下げた。
「……貴方も悩んでいたのね」
ーーー
母は話を終えるとこちらを見つめ微笑んだ。
「貴女が悩むのも当然。でも……」
「あの男が選んだのだから、貴女こそが司令官の器に相応しいのよ」
感情が溢れた。目からは涙が溢れ私は母に抱きついていた。
母は優しく頭を撫でた。
「私の娘なのだから、大丈夫よ」
私の胸の奥にその言葉が響いていた。
ーーー
魔術省はいつも以上に警備が増えていた。緊張感のある空気が張り詰めていている。
客間の扉を開いた瞬間、私は言葉を失った。
そこにいたのは黒のスーツに不満そうないつもの表情を浮かべたあの男。ウィンストン・チャーチル。
そして隣りにいたのは大英帝国の象徴。国王、ジョージ6世。
隣りにいたクロウリーが珍しく真面目な声で語った。
「ノーレッジ殿、実は貴殿に直接話をしたいとお二人が」
「……」
次の瞬間、私は息を呑んだ。
チャーチルが深く頭を下げた。
「な、何をしているのですか!」
「恐らくドイツの次の目的はわが国であろう」
「ドイツ国防軍の電撃戦は想定を超えていた。明らかに人ならざるものの力、要は魔術の力を感じるのだ」
空気が更に緊張感を帯びた。
「もはや通常戦力ではこの国を守れるとの確証はない」
まさか首相が私に懇願するなんて……。私は何と返したら良いのか分からなくなってしまった。
そして国王が前へと出る。
「パチュリーさん。私は貴方の母に救われたのです」
「え……」
「1916年のドイツ軍の爆撃。私は地下壕へと逃げようとしていました。しかし一足遅かった。私の頭上に落ちてきたのです、爆弾が」
「その時だった。メアリーが結界を張って私を守ったのは」
「……!」
私の心臓が思わず跳ねた。チャーチルもクロウリーも一言も挟まない。
「我が国はあの時のように破滅を迎えようとしている」
ジョージ6世は深く頭を下げた。
「陛下……!困ります!そんなことされたら……!」
「パチュリー・ノーレッジ。どうかイギリスを救ってくれ、もう貴女しか……」
“あの飛行船に対抗できるのは貴女しかいない“
母の昨日の話が脳内でリフレインする。
「……っ!」
「私は母みたいに強くありません!私は喘息持ちで体も意志も弱くて……私は……私は……!」
喘息持ちの不幸な魔女。母の名声だけで生きている魔女。アジア被れのブリテン人。そんなことを周りから言われ続けてきた人生だった。司令官だなんて。
「パチュリーさん。何故私が貴女を司令官に推薦したと思います?」
「え……?」
そこにいたのはかつての吃音に悩む青年ではなく整然とした国王陛下であった。
「貴女は自身を弱い存在だと言いますが強さなんて後からいくらでもついてきます。それに貴女には芯の強さがあります。メアリーさんと同じような心の奥にある強さ」
「それを見つけたのです」
その言葉はまるで母が言っているように思えた。そしてクロウリーが一歩前へと出るとこう言った。
「ノーレッジさん、貴殿の母からこう聞いている」
“あの娘は自分を弱いと言うけどそんなことは全くない。誰よりも強い「1週間魔女」“と
視界が涙で滲んだ。お母さんのあの優しい顔が目に浮かんだ。
“私の娘なのだから、大丈夫よ“
震える手を必死に抑える。本当は逃げてしまいたい。怖い。死んでしまうかもしれない。
でも逃げてしまったら……。
私は息を深く吸ってハンカチで目元を拭うと言った。
「分かりました」
「パチュリー・ノーレッジは魔導大隊の司令官の座をお受けいたします。」
その瞬間、三人は安堵の表情を浮かべた。
チャーチルがもう一度深く頭を下げた。
「本当にありがとう、パチュリー・ノーレッジ。どうかこの国を守ってくれ……」
胸中で私は呟いた。
“私、大丈夫かな“
その声に答えるように母の温かい声が聞こえた気がした。
“大丈夫、貴女ならきっと上手くやれる“
その声は、私の背中を優しく押した。
ーーー
魔術省の地下には騎士団が活動しているとされる部屋があるらしい。私は詳しくは知らないし見せてもらえなかったのだが司令官に就任したことで騎士団の一部メンバーとの出会いの場を持つこととなった。
天井には六芒星と古代ギリシア文字が記され壁には歴代長官の肖像画が並ぶ。
そして目の前にはローブを着た人達。
クロウリーが私の隣でパンッと手を叩くとその人達はローブを脱ぎ姿を表した。
「さあ、これが魔導大隊に参加することになった騎士団のメンバー達だ。一人ずつ自己紹介するように」
思わず息を呑む。
彼らはただの魔術師じゃない。何かを持った特別な人間の気配が部屋を支配する。
ーーー
「騎士団長のイスラエル・リガルディーです。パチュリーさん、貴女の論文は何度も読ませてもらいました。特に七曜の属性魔法の理論は素晴らしい」
隣でクロウリーが誇らしげに紹介する。
「彼は私の弟子だ。といっても一度決別しているがな……。黄金の夜明け団最後の継承者にして魔術省最高クラスの魔術師だ。もしかしたらノーレッジ嬢さえも凌ぐ実力かもしれない」
やはり精鋭揃いの騎士団。私でさえも勝てるかどうか分からない化け物ばかりだ。
「次」
爆薬の匂いを漂わせる不気味な男。彼は前へ出ると深々と頭を下げた。
「ジャック・パーソンズ。魔法工学を担当する。騎士団では主に兵器開発を行っていた。パチュリーさん、って言ったかな、貴殿の為なら宇宙でさえも私のものにしてみせるさ」
クロウリーは彼の製作した小型ロケットを見せながら言った。
「彼はアメリカのロケット技術者だったがとんでもない才能を持っていてね。騎士団の兵器に関しては彼がすべて製作している」
「その、大丈夫なの?」
パーソンズが答える。
「確かによく変人と言われますが、ノーレッジ嬢。喘息持ちの貴女よりは働けますよ」
「余計なお世話よ!」
余計なことを言うオカルティストと言ったところか。
「次」
右手に入れ墨の入った大男。
「セルゲイ・オリベイラ。労働党にいたが魔術共産主義を党内で発表したら危険思想扱いされて追放された。パチュリーさん、貴女の事はよく知っている。貴女の為なら戦える」
クロウリーはオリベイラを見あげながら言った。
「ポルトガル出身でロシア内戦では赤軍に混ざって戦った恐れ知らずの巨漢だ。クレメント・アトリーから彼を何とかしてくれと頼まれてね。ラムゼイ・マクドナルドからも似たようなことを言われたさ」
コミュニスト。それも余りにも急進的な。だが実力があるのは分かる。魔力が湯気のように身体から漏れ出ているのだ。こんな体質の魔術師なんて見たことがない。
「次」
「オズワルド・ケイン、元イギリスファシスト連盟の……」
クロウリーがケインの肩を小突く。
「こいつは人見知りでな、ファシストのくせに弱虫すぎてモズレーから追放を言い渡された」
「そこまで言わなくていいじゃないですか」
「だが道具の扱い方は天才的だ。騎士団ではピカイチ」
「次」
「ジュラ・アンドラーシュ。ルドルフ・シュタイナーの下で人智学を勉強していた。ハンガリーから来た」
クロウリーが彼の方を軽く叩くと言った。
「アンドラーシュはホルティ政権下で閣僚になる可能性があった男、だが対立して追放された」
「ホルティとは合わなかったんですよ」
ーーー
「以上、5名が魔導大隊に合流することとなる」
「成程」
私は思った。
「変人しかいない……」
「ははっパチュリーさん、それは貴女もじゃないですか」
「黙って、パーソンズ」
リガルディーが小刻みに震えていた。多分この男、笑っている。
私は悟った。
「司令官、やらなきゃよかった」
ーーー
「最後まで戦い抜く」
「海で、大洋で戦う」
「自信と勇気を奮い立たせ、空で戦う」
「いかなる犠牲を払っても祖国を守り抜く!」
「我々は海岸で戦う」
「敵の上陸地点で戦う」
「野原で、町中で戦う」
「丘で戦う」
「断じて降伏はしない!」
テレビからはウィンストン・チャーチルの演説が聞こえる。画面の中では議員達が紙を持ち賛同の意を示している。
「聞いたか?パチュリー司令官殿」
と、パーソンズ。
「ええバッチリ聞いたわよ、パーソンズ少尉」
そう私は返す。
「フランスは降伏してヴィシー・フランスとなった。イギリス侵攻も時間の問題だ」
ジャックが短剣を大切そうに磨きながら話す。この男は四六時中短剣を持っている。やっぱり変人だ。
ロンドンにある魔導大隊本部にはメンバーが集まりテレビを見ていた。テレビにはイギリス議会の様子が映っており先ほどまでウィンストンが演説をしていた。
ここ数日間の訓練で私達は確かに鍛え上げられていた。魔導装置を使用した空中での戦闘講習。上陸した場合の地上での魔術を用いた戦闘。そして地上との通信、全員が全員私のように空を飛べるわけではないからだ。
「それで、ドイツの人ならざるものの正体は分かったのでしょうか、クロウリー長官」
アンドラーシュの問いにクロウリーは口角を上げ笑ってみせた。
「関わっているのは武装親衛隊だ。それもハインリヒ・ヒムラー直轄の部隊。恐らくヴリル協会のマリア・オルシッチが率いている」
私はその名前に思わず反応していた。
「マリア・オルシッチ……!?」
「勿論、ノーレッジ嬢は知っているだろう」
マリア・オルシッチ。ヴリル協会の指導者であり「巫女」と呼ばれている金髪の女。クロアチア出身ながらあのチョビ髭の側近まで成り上がったオカルティストにして魔女。
「アルデバラン系の惑星の住人と交信したと突然学会で発表して魔法界から追放されたのよ。追放されたアルデバラン星人が古代メソポタミア文明を築いた……なーんて世迷い言も話していたわね」
「はっきり言って、狂人だ。それでもう1つ報告がある」
「もしかして、UFOかしら?」
「流石、ノーレッジ嬢。全て見通しているようだな」
「フランス侵攻時に鉄十字の付いた円盤型の飛行体、UFOが目撃したとの報告があった。恐らくこれを開発したのは……」
「ヴリル協会」
「その通り。オルシッチが確実に関わっているだろうな」
「なんというかドイツってのは本当に……」
リガルディーは頭を抱えた。魔法界の重鎮でさえもこんな対応になるのも当然だろう。
「円盤型の飛行体でパリを落とした、と。今は1940年よ。2000年じゃないのよ……」
私は画面の消えたテレビを見ながらふうと息を吐いた。
「空で戦うのは空軍、海で戦うのは海軍。魔術で戦うのが君達だ」
クロウリーが低い声で言った。
その言葉で一斉に皆が私を見つめた。
「司令官殿、あの演説は完全に貴女を信じているようだったな!」
とジャックは笑い短剣を鞘に入れ呟く。
「流石に円盤と戦ったことはないけどさ……」
お調子者のパーソンズからいつもの冗談が出ない。彼も緊張しているのだろう。
私は皆の顔を順にゆっくり見つめる。彼らの中には若い者もいる。それでも覚悟だけは誰もが持っていた。
「武装SSだろうがヴリル協会だろうが潰すだけだ。魔導大隊はイギリスを守り抜く」
オリベイラが力強く言う。
「元ファシストでもやれるところを見せてやりますよ」
いつもは弱腰なケインがいつになく強気だった。
その言葉にクロウリーが拍手をする。
「流石、国王陛下が選んだ司令官の部隊だ。ノーレッジ嬢はやはり天才だな」
「お世辞はいいのよ。長官殿」
“断じて降伏はしない!“
チャーチルの声が脳内に響く。
「目には目を、歯には歯を、魔術には魔術を」
ーーー
「長官殿、そろそろジャックを副司令官に選んだ理由を教えてもらえないかしら?」
「そうだな、“バトル・オブ・ブリテン“ももう少しで始まるだろう。その前に答えておかなければな」
クロウリーは机の引き出しから1枚の封筒を取り出した。その封筒はすでに封が切られていたようで1枚の書類を取り出すと私に渡した。
「まずジャック・チャーチルに魔術の適性は殆どないと言っていい」
「それは知ってる」
「だろうな。だがな、ドイツ軍に魔術勢力があると知った時、ただの平凡な魔術師を副司令官にしたとしてこの状況に対応できないと思ったのだ」
「狂気には狂気で対抗しなければならない」
「まるで魔術が狂気とでも言いたいようね?」
「魔法を軍事転用する時点で狂気そのものだよ、ノーレッジ嬢。魔術を取り扱うのには常識を一旦脳内から取り出さなければならない。常識外れなのだよ」
「それはそうね」
「ジャック・チャーチルの経歴に関しては……今更話すこともないだろうが前時代的な狂人だ。だがな?」
「魔術耐性は常人のそれをはるかに超えていたんだ」
私は書類に目をやった。そこには魔術耐性A級と記されている数値は99.7。もしかしたら私よりも高いかもしれない。
魔術耐性が高いという事は魔術による能力干渉に影響されず、精神汚染さえも受けずに指示を飛ばし続けることが可能である事。何故彼にそのような耐性があったのか。私はすぐに分かった。
「狂人……」
「そうだ、狂人だからだ。自分で言うのもなんだが私も狂人の一人だ。狂人同士分かるものがあったのだよ、ノーレッジ嬢」
「ありがとう、長官殿。これでスッキリしたわ」
「それなら良かった。ではご武運を」
「神に……じゃなくてセレマかしら?」
「それもそうだな。神頼みするぐらいなら意思に頼る方が魔術師らしい。そうだろう?」
窓の外はいつものように曇り空が広がっている。魔術と魔術がぶつかりあう世界初の戦争はすぐそこまで来ていたのだった。