「ダーーーク小鈴、参・上ッ!!!!」
えっ
「ええええええええ!?!?!?!?」
なんだあれは、私だ、私なんだけど、何かが根本的に違っているような!?
「我こそこの里に潜む怪異、百鬼を統べる王である! 今宵の恐怖は貴様の眼にさぞ焼き付いたことだろう! ハーッハッハ! それではさらばだ!」
影は、消えた。
しんとした公園が戻る。ほんの少しの間。それだけで何故か、私も次第に落ち着きと思考を取り戻した。
今までの出来事を思い出す。最後に現れたあれは、私だ。記憶があるわけではなく、何より認め難いところもあったが、かつて封じられた絵巻の力を手にしたという私の姿に違いない。それが指し示すものは、私の物語の一番大きな転換点だ。取り憑かれていた時のことははっきりとは覚えていないが、それを手にするに至る経緯は忘れることはない。
私がそれを手にしたのは、人間と妖怪の関係に手を伸ばしたから。私のいた幻想郷。そこは妖怪が作った楽園。私はその中の人里に暮らし、妖怪と交流しながら生きていた。数多の怪異と出会い、いくつもの真実と向き合い、そして私は自らの描く世界を手に入れるために動いた。
そう、私は選んだのだ。世界に眼を向けて得られた体験から、どこにもない真実を。
例えそれがどんなに非現実的であっても。
例えそれが作り物の世界だったとしても――
「それが私の意思なんだ!」
公園の中央に光の線が走る。線の向こう側の空間に、鬱蒼とした森と紫色の空が現れた。
空中から、ふわりと一人の少女が舞い降りる。
「良かったわ。自分を取り戻せたようで」
虹色に光る雲気の中に、白く華やかな服を着た金髪の少女が佇んでいた。
「えっと……妖怪の方ですか?」
「あら、あまり驚かないんだね。人里の人間だって聞いてたけど」
よく見ると、彼女の足元には大きな二枚貝が付随している。改めて、目の前の存在を頭が自然と受け入れていることに気づき、私の中の常識がひっくり返った(元に戻った)のを実感した。
「私は渡里ニナ。貝の妖怪、蜃気楼の妖怪よ」
彼女が手を差し出す。掌の上で、輝く都市の幻影が揺れた。
「今貴女に幻を見せていたのは、私の仕業なの」
「幻って、さっきの不気味な妖怪達のことですか? それとも……」
この世界のことだろうか。
「それは違うわ。この世界に貴女を引きずり込んだのは、外の世界の情報よ」
「情報?」
「そう、情報。貴女、貸本屋さんの娘なんでしょう? それがいけなかったのねえ」
それから彼女が語り出した話は、始めは理解の及ばないものだったが、「最近外の世界からの本が増えたんじゃない?」と言われたことで、ようやく身に覚えのあるものになった。ときたま流れては来るものの、里での評判はあまり良くない外来の書籍。このところその入荷が連続してあったのだ。それはやはり偶然のことでは無かったらしい。それらは全て、ある特定のジャンルの作品であった。
「外の世界じゃ、メタフィクション、って言うらしいよ」
物語の中の人物が、自分のいる世界は創作上のものだと認識する話。外の世界では幾度か流行の波があったらしく、どうやらその波と近頃秘密裏に起こっていたという異変が同期したか何かの弾みで、鈴奈庵(うち)に流れ込んでいたという。特段その物語や本自体が魔力を持つわけではないようなのだが、異変の余波か怪事に事欠かない店の影響か、はたまた私が当てられやすい性質だからか、私の精神はその物語構造の世界に入り込んでしまった、ということだった。
「というわけで、現実の貴女は今気を失って博麗神社に運ばれているわ」
「そうだったんですか……うわー、また霊夢さんにご迷惑を……」
頬に手を当て、重い息が出る。何度もお世話になったので、実際は既に馴れられているかもしれない。しかし、それでも頭に浮かぶのは慌てふためく巫女の姿であって、流石に罪悪感を覚えるのだった。
「そうよ! そんなオロオロしてる巫女の代わりに私が見つけに来てあげたんだから!」
いかにも自信ありげな顔をして、胸を張るニナ。一目見たときは大人びた印象を抱くような姿だったが、どうやら子供っぽいところもあるようだと、その振る舞いはそう私に伝えてきた。なるほど、最後のあれは彼女のそういう部分の表れだったのだろう。……だったんだよね?
「それで、ええと、それはとてもありがたくて助かったんですけど、どうして私を助けようと?」
「あーそれは……ちょっと前に私も似たようなことになっていたというか……」
不意の質問にそれまでキメていた表情が崩れ、彼女は少しバツが悪そうに答えた。
「私、実はこないだ生まれたばかりなんだけど、その時に外の世界のちょっと、危ない?情報に飲まれかけてたんだよね。私の性質は幻だから、つまりは嘘とすごく親和性が高くてね」
何やら壮絶な過去があったらしい、ということが彼女の語りからは窺えた。我ながら度胸のあることだと思うが、人間には真似できないようなことをしてのける妖怪でも苦労することがあるんだなと、感心に近い気持ちを私は彼女に抱いた。と思ったのもつかの間。彼女が顔を上げ、私を見る。
「でもね、私は幻を決して否定しない。使い方を間違えると大変なことになるっていうのは痛いほど判ったけど、それは私の存在の根本だもん。否定したら今度こそ消えちゃいます」
彼女が軽く手を振る。今度はそこに、いつか絵本の中でみたような、小さな英雄達が現れた。
「だから私は、世界と向き合うための幻の使い方を考えることにしたの。幻は嘘だから世界の為にならないなんて、それこそ嘘よ。世界も、自分も良くする幻だってきっとあるはず。現に私はこの幻で貴女を連れ戻せたわ」
幻はもう一つの現実、なんて言葉をどこかで目にしたことがある。その言葉は極めて不適切だ。幻は決して現実ではないし、幻は現実になり得ない。しかし、それは不適切でありながら、正解とも言えるのだと思う。幻は現実と同じほど、現実に生きる存在にとって意味のあるものなのだ。つまり私は、彼女の主張に強く同意していた。
「私、物語って好きよ。それは本物の体験じゃないかもしれないけど、私達が世界へ踏み出す原動力になると思うの。それに、その始まりには少なからず“作者の体験”があるはず。だからそこにだって、現実と同じぐらい大切なものがきっとあるんだわ。そうね、そんな本を愛する貴女だから私も助けたくなったのかもね」
これも幻なのだろうか。彼女の飛ばすウインクが、星の軌道を描く。それに釣られて空を見上げると、私の頭上では隠されていた無数の輝きが向こうの空に満ちていた。
「さあ、あまり長居する必要もないでしょう。早く帰りましょう」
その言葉とは裏腹に、彼女は振り向き、私の眼を見つめた。白く揺らめく煙のような言葉が、美しき少女の口から吐き出される。
「ここから先は幻の世界。人間の理解を超える不思議の国。人間の貴女は、何故この先に進むのかしら?」
黄金に染まる瞳を、私はまっすぐ見つめ返す。
「そこは、私の決断がある場所ですから」
微笑む彼女の横を通り過ぎる。フィクション、悪くない言葉ね、と囁く声が聞こえた。平たい草や木の葉の重なる、不揃いな大地の感触。踏み出した足が次第に加速する。頭上で軽やかに鳴る鈴の音は、期待に胸を高鳴らす私の体にはもう届かなかった。
と思わせてその実
「幻想郷という現実世界」から「(読者にとっての現実のような)物語世界」に突入していたという構造が凄い
面白かったです
ページをめくった瞬間の衝撃がすさまじかったです
まず、作品のネタを面白く消化するための土台となる文章力が高いのが良かったです。前半パートの読み心地が素晴らしく、単体でもとても面白かったです(その分2ページ目の出だしが、勿体ないとすら思えてしまいましたが……結果一番良い切り出し方だったとも思います)
メタフィクションを取り扱った二段構造も上手く、面白かったです。ここからどうなるのか、という期待がしっかり果たされて満足感が高かったです。ニナがしっかりと説明してくれたので何が起こっていたのかが理解でき、またそのパートの“現実感”で地に足がついた状態になった読み心地も好きでした。
ニナを「フィクションを取り扱う存在」と捉えているのは自分の中の発想に無かったので面白かった視点でした。そこも含めて良かったです、有難う御座いました。