―濃い紅色に塗装された、窓のない奇妙な洋館。そのだだっ広い玄関ホールの内装は、
今や見るも無惨に破壊され、瓦礫の山となっていた。
―どうしてこうなったのか。
パチュリー・ノーレッジは額に脂汗を浮かべ、そう自問した。
激しい裂傷を負った左腕は、既に感覚がなくなり動かすことが出来なかった。
神経がやられているのかもしれない。
柱の陰に隠れて身を潜め、事態の打開策がないか頭をフル回転させる。
…が、答えは出なかった。何十回と計算しても、待っているのは確実な死。
「―最初は威勢がよかったのに、手応えがないのね。ちょっとは期待したのに…拍子抜けだわ」
嘲りを含んだ幼い少女の声。コツン、コツン―と靴音が響く。
パチュリーにとって、それは死神の足音に他ならなかった。
(私は愚かで、あまりにも浅はかだった…)
そう思わざるを得なかった。10代前半の若さで幾多の魔法を習得し、
周りからもてはやされ、自身が天才であると自惚れていた。
挙げ句、実力差を見誤り、とある「目的」のため吸血鬼へと戦いを挑んだ。その結果が、これだ。
「どこにいるの?…いつまで隠れているつもり?そっちが出てこないなら、私から―」
もはや通常の手段では勝ち目はない。…ならば、せめて一矢は報いたい。
まだ研究途中で不完全ではあるが、対吸血鬼用の大魔法を、あの余裕ぶった化物に叩き込んでやる。
この魔法を使うと、当初の「目的」は果たせなくなるが…今はそれどころではない。
口の中でぼそぼそと、小さな声で詠唱する。玄関ホールの中央部に魔法の粒子が集まり、
相互に反応し、徐々に臨界点を迎える。空気そのものが震えていた。
「へぇ…面白そうじゃない」
声の主はまだ余裕があるようだ。
―今に見ていろ。魔法が完成した時、お前は塵となって消える。
やがて粒子は直径1mほどの光球となった。館の内部がまるで昼のように照らされている。
この大きさでも、館全体を消し炭に変えるほどの威力がある。
「―消えなさい!ロイヤ…」
まさに魔法を発動しようとした瞬間、驚くべき神速で吸血鬼の少女が目の前に現れ、首を掴まれた。
そのまま持ち上げられ、体が宙に浮く。
「うぐッ…!」
少女の細腕とは思えない握力に、喉が潰されそうになる。発動間際だった魔法は霧のように消えていった。
「若いのに、大したものね。さすがにアレを食らったら、私でもひとたまりもないわ」
青みがかった銀髪の、端正な顔立ちの少女が不敵に笑みを浮かべる。その口には牙が覗いていた。
「どう?命乞いして、私の下僕になると誓うなら…私の眷属として、永遠の命を与えてあげてもいいわよ」
不意に、手が離された。私は床に落ち、ゲホゲホと咳き込んだ。肺が酸素を要求し、荒く呼吸する。
「…誰が、お前なんかに。いっそ一思いに殺しなさい」
私はキッと吸血鬼の少女を睨みつけた。…本心だった。魔法使いとしての誇りを捨て、
こいつに一生隷属するくらいなら、死んだほうがましだった。
「ふーん…」
少女が興味深げな様子で私の顔を覗き込む。まるで値踏みするかのように。
「―これも”運命”かもね」
小さく呟くと、名案を思いついたかのように、ぱっと明るい顔になった。
「貴方、私の友人にならない?」
そう言って、手を差し伸べた。
先程までの恐ろしい吸血鬼然とした雰囲気は消え、その様はあどけない少女そのものだった―
◆
「…!!」
―私はそこで目を覚ました。どうやら机に突っ伏して寝ていたようだ。汗でローブが肌に張り付いている。
「夢…か」
レミィとの出会いの顛末が、そのまま夢の中で再現されていた。
思わず頭を横に振る。なんで今更こんな…。
そこで私は気付いた。今日は丁度、レミィと初めて出会った日だ、と。
◆
―紅魔館の図書館。
無数の知識が眠る、静謐な空間。壁時計の針はお昼時を指していた。
白いシャツに黒いベストの洋装に、蝙蝠の羽を生やした暗い赤髪の少女―小悪魔が、
紅茶と茶菓子をデスクに静かに置いた。
淡い紫色のローブを着た紫髪の少女―パチュリー・ノーレッジが一言礼を言い、紅茶に口をつける。
「今日は、恒例のレミリア様との夜会の日ですね」
小悪魔が笑顔で聞いてくる。
―パチュリーとレミリアは、毎年、初めて出会った記念日に夜会を開いている。
ワインを飲みながら歓談し、これまでと、これからのお互いの友情を再確認する…といったような趣旨だ。
「えぇ、そうね…」
どこか曖昧に応える。
―パチュリーは、この夜会が苦痛だった。別にレミリアと飲み交わすのが嫌なのではない。
自分の中で折り合いをつけた“とある事柄“について、毎年この日が来る度に
白日の元に晒され、突き付けられる。そして1年かけて、また“それ“を苦しみながら、咀嚼して呑み込むのだ。
今日はあんな夢まで見てしまった。まだ情景が鮮明に残っており、より一層暗澹たる思いにさせる。
「それにしても、素敵ですよね。種族を超えた、何十年もの変わらない友情…”運命”的だなぁ」
パチュリーは、その言葉にピクリと反応した。
小悪魔はそれに気づかず、紅茶を運んできたトレイを胸に抱えて、うっとりとした表情だ。
羽をパタパタさせている。
「あぁ…私もそんな一生の大親友と“運命“の出会いを―」
パチュリーが音を立ててティーカップを皿に置いた。その勢いで紅茶が跳ね、少し溢れた。
小悪魔はビクリと身をすくめ、思わず口を噤んだ。
「こあ」
急に鋭く呼ばれ、小悪魔は背筋を伸ばす。
「は、はい」
「今日はもういい。下がりなさい」
主人の語気にわずかに感じる苛立ちに、小悪魔は自分が何か失言をしたのかと焦ったが
それらしき原因が思いつかなかった。
「…承知しました。それでは、失礼いたします」
ここは何も言い訳せず、黙って下がったほうがいい。そう考えた小悪魔はそのまま退室した。
―紅茶の表面に、パチュリーの憂鬱な表情が揺れていた。
◆
―紅い満月の夜。紅魔館最上階の主の間は、贅を尽くした調度品が並んでいた。
レミリアとパチュリーが、マホガニーのテーブルをはさんで座っている。
側には、メイド服を着た銀髪の女性―十六夜咲夜が控えていた。
「今日は私たちが初めて出会った、特別な日…ラ・ターシュの当たり年を用意したわ」
レミリアが宣言するように言う。
咲夜が沈殿したワインの澱が拡散しないよう、栓を注意深く丁寧に抜くと、グラスに注いだ。
「安心して、血は入ってないから」
その冗談にパチュリーはクスリとも笑わず、無表情でワイングラスを手に取る。
「乾杯しましょう。私たちの出会いと、これからの友情に!」
レミリアの言葉とともに、カチン、と乾いた音を立ててワイングラスを重ね、一口含んで味わう。
芳醇な香りが鼻をくすぐった。
「…いい味だわ、ロマネ・コンティに勝るとも劣らない…さすがね」
数百年間ワインを嗜んでいるだけあって、レミリアのワイン利きの舌は相当なものだった。
産地、年代、醸造法、熟成具合などをぴたりと当ててしまう。その彼女が言うのだから、
相当良い出来なのだろう。だが、パチュリーは何も味を感じなかった。
レミリアは怪訝な表情を浮かべた。
「…さっきから浮かない顔して黙ってばっかりね。何かあったの?」
パチュリーは目を瞑った。胸の奥で燻り続けていた決断について、
どうすべきか考えを巡らしている…そんな表情だった。
そして、目を開く。その瞳には何かを決した意思が宿っていた。
「咲夜」
パチュリーが唐突にメイド長の名を呼ぶ。
「…はっ」
「私はレミィと二人だけで大事な話がある。貴方はもう下がりなさい」
有無を言わせぬ口調だった。
咲夜は一瞬、ちらとレミリアを見やる。レミリアは軽く頷いた。
「…承知しました」
答えた瞬間、咲夜の姿が消えた。まるで瞬間移動のように。
「大事な話?一体何かしら」
レミリアは余裕のある微笑を崩さぬまま尋ねた。
「……貴方に確かめたいことがあるの。私たちの”出会い”について」
パチュリーが真剣な目でレミリアをじっと見つめる。
「出会い?それがどうかしたの?」
レミリアがからかうように笑う。
パチュリーは、少し逡巡し、一瞬苦い表情をした。そして、身体の奥底から絞り出すかのように言った。
「……単刀直入に聞くわ。私たちの出会いは――貴方の「運命を操る能力」によって、作られたの?」
ピリ、と部屋に電流が走ったような気がした。
◆
―一瞬の静寂。だが、パチュリーには無限の長さに思えた。
「…あはは!なんだ、そんなことを気にしてたのね」
その静寂を破るかのように、心底おかしい、といった風にレミリアが哄笑した。
だがパチュリーの真剣な眼差しは変わらなかった。
「ずっと気になっていた。毎年、この日が来る度に…心の奥底に閉じ込めた暗い疑念が、
鎌首をもたげて這い出てきたわ。それを無理やり押し込んで…その繰り返しだった」
パチュリーが暗い表情で俯いた。
「なんで今になって聞く気になったの?」
レミリアが当然の疑問を口にする。ただ、からかうような表情は変わらぬままだ。
「―疑念に苛まれる日々に、もう限界が来ていたのかもしれないわ。
今日、小悪魔のふとした言葉がきっかけで、まるで堰を切ったように…
私の中の、真実への欲求心が溢れ出したの」
大きく深呼吸をし、真正面からレミリアを見据えた。
「貴方との関係が壊れるかもしれない。それでも…貴方と過ごした何十年という歳月が、
積み重ねた信頼が、貴方に問う勇気を私に与えたのよ」
「ふん…そういう事ね。じゃあ、答えてあげるわ。けど…
もし、私が「Yes」と答えたらどうするの?
紅魔館を出ていく?それとも裏切られた報復に私に反旗を翻す?」
興味津々、といった様子レミリアが目を輝かせて聞いてくる。
(…あぁ、やはりこの子は、吸血鬼なんだ)
パチュリーに、一種の諦観にも似た感情が過ぎった。
「…わからないわ。自分でも自分の気持ちがわからない。
その時になってみないと。ただ、そのどっちもあり得るかもしれない」
素直な気持ちだった。
レミリアはじっ、とパチュリーを見つめた。そして…笑みを浮かべ、フッと息を吐いた。
「―少し、昔話をしましょうか。貴方と出会った頃の、ね」
席から立ち、窓辺に歩を進め、紅い満月を眺める。
「―私はね、当時、退屈で仕方なかった。
時は産業革命が終息に向かう頃…人間達は、吸血鬼だの何だのといった怪物の存在には興味をなくしていた」
その声色、その語りは、不思議と聞く者を惹き付ける力を持っていた。まるで物語の語り部のように。
パチュリーは、当時の情景が頭の中で自然と再生されていた。
―20世紀初頭のロンドン。霧と工場から排出される紫煙で常に霞がかっていたこの街では、
貧富の差は広がり、路地を覗くと、失業者、孤児、娼婦達がどこにでも見られた。
「何しろ、人間自身が怪物のような…『ジャック』とか言ったかしら?凶行に及ぶ暗い時代だったからね。
吸血鬼狩りをもくろむ輩もいなくなっていた」
当時新聞を賑わせたこの連続殺人事件は、一種の黒魔術に関連しているのではないか、という点で興味があり
パチュリーの記憶に残っていた。
「まあ、だからこそ作家に私の体験談を聞かせて、吸血鬼の大衆小説を書かせたりしたんだけど…」
髭を蓄えた紳士の姿が鮮明に頭の中に浮かんだ。―ブラム・ストーカー。
それも当然だ。彼からレミリアの住処を聞いたのだから、忘れるはずもない。
「そんな時に、とある若い魔法使いの運命が見えたの。ひたむきに魔法と知識を追求する、孤独な姿が…
彼女は『捨虫の術』に必要な素材集めに行き詰まっていた。そう、不老不死の象徴である『吸血鬼の血』のね」
レミリアはにやりと笑った。
「―面白いと思わない?生粋の魔女が、吸血鬼の血を求め、私の命を狙いに来る…
そして、返り討ちにした上で手を差し伸べ、人外の日陰者同士、友情を育む…
シンプルだけど、胸を打つ脚本じゃないかしら」
レミリアの笑顔が今ほど恐ろしいと思ったことはなかったかもしれない。
僅かにのぞく牙が獰猛な獅子の牙に、その小さな身体が巨大な悪魔に見えた。
「つまり、貴方は…」
言葉が詰まる。否定したい。けど、もう後戻りもできない。
「そう!私はパチェの運命を操った!私の友人とするために、私の元を訪れ、戦うように仕向けた!」
パチュリーの手からこぼれたワイングラスが、床の豪奢なビロードに落ち、真紅の染みを広げた。
ははは、とレミリアが哄笑する様は、どこか、オペラ俳優を思い浮かべた。
窓から注ぐ紅い月の月光が、その姿を神秘的に照らしていた。
◆
「……」
その時のパチュリーは、一体どんな精神状態だったのか。後から振り返ってもわからなかった。
喪失感、失意、失望、怒り、軽蔑…?それらが混ぜ合わされたものだったのかもしれない。
「さあ、すべて話したわ!パチュリー・ノーレッジ、今度は貴方の番よ。答えを聞かせて頂戴!
これまで通り、友人として居続ける?それとも、出会った日のように私と一戦交えるのも一興ね!」
レミリアは両手を広げた。まるで挑むように、そして受け止めるように。
狂気に満ちた笑顔は、場違いに美しく感じた。
「レミィ…」
少しよろけつつ立ち上がり、レミリアの前にゆっくりと歩み出る。そして、じっと見つめる。
私はどうするのか。どうすべきなのか。
それはもう、決まっていた。いや、初めから決めていたのかもしれなかった。
痛いほどの静寂。まるで時間が止まったかのように感じた。
―そして、パチュリーはレミリアを抱きしめた。
「…!?」
レミリアはその予想外の動きに驚き、硬直した。
「―レミィ。確かにきっかけは、運命操作によるものかもしれない。
…けどね、それ以後の私の気持ちは…操られたものではないのは、確かよ」
抱きしめたパチュリーの腕は、わずかに震えていた。
「…パチェ」
レミリアが、戸惑いと優しさの入り混じった声で、親友の名を呟いた。
「これまで、貴方達と紅魔館で過ごしてきた時間は…私にとってかけがえのないものだった。
私のような孤独な魔女が、貴方のような親友を得られて…本当に感謝しているわ」
その声が、震えた。
「―私にとって、初めのきっかけや貴方の動機よりも…その事実が、一番大事なの」
パチュリーの頬につ、と一筋の涙が流れた。
悲しいから、ではない。感極まったから、でもない。
きっと、数十年の重いしこりが解けたことによる安堵から、だったのかもしれない。
「だから…許すわ。たとえ、退屈しのぎに私の運命を操ったのだとしても、ね。
そして、正直に話してくれてありがとう」
パチュリーはレミリアに真正面から向き合い、言った。
普段の無愛想な彼女からは想像もできないような、満面の笑みを浮かべて。その目は、潤んでいた。
「パチェ…」
先程までの、まさに運命を弄ぶ、気まぐれで恐ろしい吸血鬼の姿はなかった。
そこには、親友を慮る一人の少女がいるだけだった。
「ごめんなさい…私、貴方に酷い事を言ったのに…それなのに…私を…」
レミリアは俯いて、罪悪感に押し潰されそうになりながら、声を絞り出した。
「いいのよ。貴方が幼い我儘なお嬢様だなんてことは、百も承知だから」
パチュリーがくすっと笑う。目の端の涙を拭いながら。
◆
「さあ、せっかくのワインを楽しみましょう」
パチュリーが席に戻ろうとすると、レミリアが袖を引っ張った。
「…パチェ、ちょっと待って」
「…?」
レミリアの視線が妙に泳いでいる。
「えっと、その…さっきの話だけど…」
「…??」
目を逸らしている。心無しか、薄っすらと冷や汗をかいているようにも見える。
「あれ…全部嘘なのよ」
レミリアがばつの悪そうな顔でそう告げた。パチュリーの表情が固まった。
「………は?」
そう言い放つのが精一杯だった。完全に硬直し、理解が浸透するのに時間がかかった。
「パチェをからかおうと思って…どんな反応をするのか見てみたくて…」
いたずらをした子供が許しを請うために親を上目遣いで見るような、まさにそんな様子だった。
「あの後、『な~んて、嘘よ!まったく、パチェったら本気で騙されるんだから~!』って
切り出すつもりだったんだけど…その直前にパチェがハグしてきて…
その…言いづらくなっちゃって」
レミリアがてへ、と舌を出す。
(妙に芝居がかっていると思ったら…そういう事だったのね…)
―パチュリーの顔が、みるみる赤くなっていった。握りこぶしが震えている。
「あ、だからね?…私が悪かったわ!ご、ごめんなさい!」
これ以上ないくらいレミリアが縮こまって頭を下げて謝った。
パチュリーが手を上げる。
「…ッ」
レミリアがナイトキャップを抱えて身をすくめた…が、パチュリーは下ろした手で、その頭を軽く小突くのみだった。
「まったく…言っていい冗談と悪い冗談がある事くらい、分かるでしょ」
パチュリーが呆れたように、はぁ…と深くため息をつく。
「パチェ…私を許してくれるの…?」
レミリアが恐る恐る、上目遣いでパチュリーの顔色を伺う。
「許してあげるわ。…ただし」
パチュリーは鬼のような形相で言い放った。
「…次同じようなふざけた真似したら、全力のロイヤルフレアを食らわせるからね」
ひっとレミリアが小さく悲鳴を上げて身をすくめた。
「あ、あぁ…わかってるわ。もうしないから」
二人で顔を見合わせ…お互いに吹き出し、思わず笑い合った。
◆
咲夜にワイングラスを取り換えてもらい、レミリアとの歓談が始まった。
紅霧異変での話や、直近に起こった他愛もない話。
長年の宿痾が消えて無くなったかのように、心が軽い。会話にも熱が入った。
互いに思い出話に花を咲かせる。親友と過ごす、大切な時間…
―の筈だった。
◆
瞬間、全ての時が止まり、眼の前が黒インクを落としたかのように黒く染まっていった。
(―レミィは嘘だと言ったが、本当だろうか?)
視界全体が漆黒に塗り潰される。レミリアの話している声も聞こえなくなった。
(私は許す、と言った。―が、これではレミィは私に対して一生
十字架を背負って生きていくことになる)
視界にノイズが走る。
(ならば、敢えて大仰に認めた上で、悪戯好きの子供のように嘘と告白をすれば
私もほだされて納得しやすい…)
少しずつ視界に映像が戻っていく。レミリアの声が万里の彼方から、わずかに聞こえる。
(―そのくらいの計算は、あの子にも…)
突如、視界と音声が元に戻った。レミリアが満面の笑みで、楽しげに、こちらに語りかけている。
ふと、パチュリーが一瞬上の空になっていた事に気づいたようだ。
「パチェ、どうしたの?大丈夫?」
顔を覗き込み、心配そうに尋ねてくれる。
「えぇ、大丈夫よ。何でもないわ」
笑顔でそう応えた。
(フ…まあ、私にとっては、同じ事ね…)
紅い月はより一層輝きを増し、二人を照らしていた―
◆
―瓦礫の山と化した玄関ホールには、埃が舞っていた。
「貴方、私の友人にならない?」
そう言って、吸血鬼の少女は手を差し伸べた。
先程までの恐ろしい吸血鬼然とした雰囲気は消え、その様はあどけない少女そのものだった。
「…貴方、何言ってるの?さっきまで私達は殺し合いをしていたのよ?」
私は戸惑い、何か思惑があるんじゃないか、と警戒する。
だが、その提案に惹かれているのも事実だった。
吸血鬼の魅了の術か?―いや、私にはそういった魔術の類は効かない。
「ええ、確かにそうね。けど、それももう終わり―
私はね、貴方のことが気に入ったのよ。私の名前はレミリア・スカーレット。貴方は?」
その問いに、私は自然と答えていた。
「―パチュリー。パチュリー・ノーレッジよ。…御存知の通り、魔法使い」
私は、差し伸べられたその手を握り、支えられ、立ち上がった。
「パチュリー、か…ハーブと同じ名前なのね。じゃあ、貴方のことはパチェと呼ぶわ」
私は、きょとんとした顔になっていただろう。ほんの数分前までは命のやり取りをしていたのに、
今では愛称で呼ぶ友人になろうというのだ。
…フッと、思わず笑みがこぼれた。
「―それなら、私は貴方のことをレミィと呼ぶわ。それでいいかしら?」
自然と、そう言っていた。案外、どこか愛嬌のある吸血鬼の少女と友人になるのも悪くないと思っていたのだ。
「レミィ…素敵な響きね。よろしくね、パチェ」
レミリアも満面の笑みを浮かべる。それは、見た目の年相応の少女が、親友に向けるそれと同じだった。
「ええ、レミィ。こちらこそ、よろしく」
今や見るも無惨に破壊され、瓦礫の山となっていた。
―どうしてこうなったのか。
パチュリー・ノーレッジは額に脂汗を浮かべ、そう自問した。
激しい裂傷を負った左腕は、既に感覚がなくなり動かすことが出来なかった。
神経がやられているのかもしれない。
柱の陰に隠れて身を潜め、事態の打開策がないか頭をフル回転させる。
…が、答えは出なかった。何十回と計算しても、待っているのは確実な死。
「―最初は威勢がよかったのに、手応えがないのね。ちょっとは期待したのに…拍子抜けだわ」
嘲りを含んだ幼い少女の声。コツン、コツン―と靴音が響く。
パチュリーにとって、それは死神の足音に他ならなかった。
(私は愚かで、あまりにも浅はかだった…)
そう思わざるを得なかった。10代前半の若さで幾多の魔法を習得し、
周りからもてはやされ、自身が天才であると自惚れていた。
挙げ句、実力差を見誤り、とある「目的」のため吸血鬼へと戦いを挑んだ。その結果が、これだ。
「どこにいるの?…いつまで隠れているつもり?そっちが出てこないなら、私から―」
もはや通常の手段では勝ち目はない。…ならば、せめて一矢は報いたい。
まだ研究途中で不完全ではあるが、対吸血鬼用の大魔法を、あの余裕ぶった化物に叩き込んでやる。
この魔法を使うと、当初の「目的」は果たせなくなるが…今はそれどころではない。
口の中でぼそぼそと、小さな声で詠唱する。玄関ホールの中央部に魔法の粒子が集まり、
相互に反応し、徐々に臨界点を迎える。空気そのものが震えていた。
「へぇ…面白そうじゃない」
声の主はまだ余裕があるようだ。
―今に見ていろ。魔法が完成した時、お前は塵となって消える。
やがて粒子は直径1mほどの光球となった。館の内部がまるで昼のように照らされている。
この大きさでも、館全体を消し炭に変えるほどの威力がある。
「―消えなさい!ロイヤ…」
まさに魔法を発動しようとした瞬間、驚くべき神速で吸血鬼の少女が目の前に現れ、首を掴まれた。
そのまま持ち上げられ、体が宙に浮く。
「うぐッ…!」
少女の細腕とは思えない握力に、喉が潰されそうになる。発動間際だった魔法は霧のように消えていった。
「若いのに、大したものね。さすがにアレを食らったら、私でもひとたまりもないわ」
青みがかった銀髪の、端正な顔立ちの少女が不敵に笑みを浮かべる。その口には牙が覗いていた。
「どう?命乞いして、私の下僕になると誓うなら…私の眷属として、永遠の命を与えてあげてもいいわよ」
不意に、手が離された。私は床に落ち、ゲホゲホと咳き込んだ。肺が酸素を要求し、荒く呼吸する。
「…誰が、お前なんかに。いっそ一思いに殺しなさい」
私はキッと吸血鬼の少女を睨みつけた。…本心だった。魔法使いとしての誇りを捨て、
こいつに一生隷属するくらいなら、死んだほうがましだった。
「ふーん…」
少女が興味深げな様子で私の顔を覗き込む。まるで値踏みするかのように。
「―これも”運命”かもね」
小さく呟くと、名案を思いついたかのように、ぱっと明るい顔になった。
「貴方、私の友人にならない?」
そう言って、手を差し伸べた。
先程までの恐ろしい吸血鬼然とした雰囲気は消え、その様はあどけない少女そのものだった―
◆
「…!!」
―私はそこで目を覚ました。どうやら机に突っ伏して寝ていたようだ。汗でローブが肌に張り付いている。
「夢…か」
レミィとの出会いの顛末が、そのまま夢の中で再現されていた。
思わず頭を横に振る。なんで今更こんな…。
そこで私は気付いた。今日は丁度、レミィと初めて出会った日だ、と。
◆
―紅魔館の図書館。
無数の知識が眠る、静謐な空間。壁時計の針はお昼時を指していた。
白いシャツに黒いベストの洋装に、蝙蝠の羽を生やした暗い赤髪の少女―小悪魔が、
紅茶と茶菓子をデスクに静かに置いた。
淡い紫色のローブを着た紫髪の少女―パチュリー・ノーレッジが一言礼を言い、紅茶に口をつける。
「今日は、恒例のレミリア様との夜会の日ですね」
小悪魔が笑顔で聞いてくる。
―パチュリーとレミリアは、毎年、初めて出会った記念日に夜会を開いている。
ワインを飲みながら歓談し、これまでと、これからのお互いの友情を再確認する…といったような趣旨だ。
「えぇ、そうね…」
どこか曖昧に応える。
―パチュリーは、この夜会が苦痛だった。別にレミリアと飲み交わすのが嫌なのではない。
自分の中で折り合いをつけた“とある事柄“について、毎年この日が来る度に
白日の元に晒され、突き付けられる。そして1年かけて、また“それ“を苦しみながら、咀嚼して呑み込むのだ。
今日はあんな夢まで見てしまった。まだ情景が鮮明に残っており、より一層暗澹たる思いにさせる。
「それにしても、素敵ですよね。種族を超えた、何十年もの変わらない友情…”運命”的だなぁ」
パチュリーは、その言葉にピクリと反応した。
小悪魔はそれに気づかず、紅茶を運んできたトレイを胸に抱えて、うっとりとした表情だ。
羽をパタパタさせている。
「あぁ…私もそんな一生の大親友と“運命“の出会いを―」
パチュリーが音を立ててティーカップを皿に置いた。その勢いで紅茶が跳ね、少し溢れた。
小悪魔はビクリと身をすくめ、思わず口を噤んだ。
「こあ」
急に鋭く呼ばれ、小悪魔は背筋を伸ばす。
「は、はい」
「今日はもういい。下がりなさい」
主人の語気にわずかに感じる苛立ちに、小悪魔は自分が何か失言をしたのかと焦ったが
それらしき原因が思いつかなかった。
「…承知しました。それでは、失礼いたします」
ここは何も言い訳せず、黙って下がったほうがいい。そう考えた小悪魔はそのまま退室した。
―紅茶の表面に、パチュリーの憂鬱な表情が揺れていた。
◆
―紅い満月の夜。紅魔館最上階の主の間は、贅を尽くした調度品が並んでいた。
レミリアとパチュリーが、マホガニーのテーブルをはさんで座っている。
側には、メイド服を着た銀髪の女性―十六夜咲夜が控えていた。
「今日は私たちが初めて出会った、特別な日…ラ・ターシュの当たり年を用意したわ」
レミリアが宣言するように言う。
咲夜が沈殿したワインの澱が拡散しないよう、栓を注意深く丁寧に抜くと、グラスに注いだ。
「安心して、血は入ってないから」
その冗談にパチュリーはクスリとも笑わず、無表情でワイングラスを手に取る。
「乾杯しましょう。私たちの出会いと、これからの友情に!」
レミリアの言葉とともに、カチン、と乾いた音を立ててワイングラスを重ね、一口含んで味わう。
芳醇な香りが鼻をくすぐった。
「…いい味だわ、ロマネ・コンティに勝るとも劣らない…さすがね」
数百年間ワインを嗜んでいるだけあって、レミリアのワイン利きの舌は相当なものだった。
産地、年代、醸造法、熟成具合などをぴたりと当ててしまう。その彼女が言うのだから、
相当良い出来なのだろう。だが、パチュリーは何も味を感じなかった。
レミリアは怪訝な表情を浮かべた。
「…さっきから浮かない顔して黙ってばっかりね。何かあったの?」
パチュリーは目を瞑った。胸の奥で燻り続けていた決断について、
どうすべきか考えを巡らしている…そんな表情だった。
そして、目を開く。その瞳には何かを決した意思が宿っていた。
「咲夜」
パチュリーが唐突にメイド長の名を呼ぶ。
「…はっ」
「私はレミィと二人だけで大事な話がある。貴方はもう下がりなさい」
有無を言わせぬ口調だった。
咲夜は一瞬、ちらとレミリアを見やる。レミリアは軽く頷いた。
「…承知しました」
答えた瞬間、咲夜の姿が消えた。まるで瞬間移動のように。
「大事な話?一体何かしら」
レミリアは余裕のある微笑を崩さぬまま尋ねた。
「……貴方に確かめたいことがあるの。私たちの”出会い”について」
パチュリーが真剣な目でレミリアをじっと見つめる。
「出会い?それがどうかしたの?」
レミリアがからかうように笑う。
パチュリーは、少し逡巡し、一瞬苦い表情をした。そして、身体の奥底から絞り出すかのように言った。
「……単刀直入に聞くわ。私たちの出会いは――貴方の「運命を操る能力」によって、作られたの?」
ピリ、と部屋に電流が走ったような気がした。
◆
―一瞬の静寂。だが、パチュリーには無限の長さに思えた。
「…あはは!なんだ、そんなことを気にしてたのね」
その静寂を破るかのように、心底おかしい、といった風にレミリアが哄笑した。
だがパチュリーの真剣な眼差しは変わらなかった。
「ずっと気になっていた。毎年、この日が来る度に…心の奥底に閉じ込めた暗い疑念が、
鎌首をもたげて這い出てきたわ。それを無理やり押し込んで…その繰り返しだった」
パチュリーが暗い表情で俯いた。
「なんで今になって聞く気になったの?」
レミリアが当然の疑問を口にする。ただ、からかうような表情は変わらぬままだ。
「―疑念に苛まれる日々に、もう限界が来ていたのかもしれないわ。
今日、小悪魔のふとした言葉がきっかけで、まるで堰を切ったように…
私の中の、真実への欲求心が溢れ出したの」
大きく深呼吸をし、真正面からレミリアを見据えた。
「貴方との関係が壊れるかもしれない。それでも…貴方と過ごした何十年という歳月が、
積み重ねた信頼が、貴方に問う勇気を私に与えたのよ」
「ふん…そういう事ね。じゃあ、答えてあげるわ。けど…
もし、私が「Yes」と答えたらどうするの?
紅魔館を出ていく?それとも裏切られた報復に私に反旗を翻す?」
興味津々、といった様子レミリアが目を輝かせて聞いてくる。
(…あぁ、やはりこの子は、吸血鬼なんだ)
パチュリーに、一種の諦観にも似た感情が過ぎった。
「…わからないわ。自分でも自分の気持ちがわからない。
その時になってみないと。ただ、そのどっちもあり得るかもしれない」
素直な気持ちだった。
レミリアはじっ、とパチュリーを見つめた。そして…笑みを浮かべ、フッと息を吐いた。
「―少し、昔話をしましょうか。貴方と出会った頃の、ね」
席から立ち、窓辺に歩を進め、紅い満月を眺める。
「―私はね、当時、退屈で仕方なかった。
時は産業革命が終息に向かう頃…人間達は、吸血鬼だの何だのといった怪物の存在には興味をなくしていた」
その声色、その語りは、不思議と聞く者を惹き付ける力を持っていた。まるで物語の語り部のように。
パチュリーは、当時の情景が頭の中で自然と再生されていた。
―20世紀初頭のロンドン。霧と工場から排出される紫煙で常に霞がかっていたこの街では、
貧富の差は広がり、路地を覗くと、失業者、孤児、娼婦達がどこにでも見られた。
「何しろ、人間自身が怪物のような…『ジャック』とか言ったかしら?凶行に及ぶ暗い時代だったからね。
吸血鬼狩りをもくろむ輩もいなくなっていた」
当時新聞を賑わせたこの連続殺人事件は、一種の黒魔術に関連しているのではないか、という点で興味があり
パチュリーの記憶に残っていた。
「まあ、だからこそ作家に私の体験談を聞かせて、吸血鬼の大衆小説を書かせたりしたんだけど…」
髭を蓄えた紳士の姿が鮮明に頭の中に浮かんだ。―ブラム・ストーカー。
それも当然だ。彼からレミリアの住処を聞いたのだから、忘れるはずもない。
「そんな時に、とある若い魔法使いの運命が見えたの。ひたむきに魔法と知識を追求する、孤独な姿が…
彼女は『捨虫の術』に必要な素材集めに行き詰まっていた。そう、不老不死の象徴である『吸血鬼の血』のね」
レミリアはにやりと笑った。
「―面白いと思わない?生粋の魔女が、吸血鬼の血を求め、私の命を狙いに来る…
そして、返り討ちにした上で手を差し伸べ、人外の日陰者同士、友情を育む…
シンプルだけど、胸を打つ脚本じゃないかしら」
レミリアの笑顔が今ほど恐ろしいと思ったことはなかったかもしれない。
僅かにのぞく牙が獰猛な獅子の牙に、その小さな身体が巨大な悪魔に見えた。
「つまり、貴方は…」
言葉が詰まる。否定したい。けど、もう後戻りもできない。
「そう!私はパチェの運命を操った!私の友人とするために、私の元を訪れ、戦うように仕向けた!」
パチュリーの手からこぼれたワイングラスが、床の豪奢なビロードに落ち、真紅の染みを広げた。
ははは、とレミリアが哄笑する様は、どこか、オペラ俳優を思い浮かべた。
窓から注ぐ紅い月の月光が、その姿を神秘的に照らしていた。
◆
「……」
その時のパチュリーは、一体どんな精神状態だったのか。後から振り返ってもわからなかった。
喪失感、失意、失望、怒り、軽蔑…?それらが混ぜ合わされたものだったのかもしれない。
「さあ、すべて話したわ!パチュリー・ノーレッジ、今度は貴方の番よ。答えを聞かせて頂戴!
これまで通り、友人として居続ける?それとも、出会った日のように私と一戦交えるのも一興ね!」
レミリアは両手を広げた。まるで挑むように、そして受け止めるように。
狂気に満ちた笑顔は、場違いに美しく感じた。
「レミィ…」
少しよろけつつ立ち上がり、レミリアの前にゆっくりと歩み出る。そして、じっと見つめる。
私はどうするのか。どうすべきなのか。
それはもう、決まっていた。いや、初めから決めていたのかもしれなかった。
痛いほどの静寂。まるで時間が止まったかのように感じた。
―そして、パチュリーはレミリアを抱きしめた。
「…!?」
レミリアはその予想外の動きに驚き、硬直した。
「―レミィ。確かにきっかけは、運命操作によるものかもしれない。
…けどね、それ以後の私の気持ちは…操られたものではないのは、確かよ」
抱きしめたパチュリーの腕は、わずかに震えていた。
「…パチェ」
レミリアが、戸惑いと優しさの入り混じった声で、親友の名を呟いた。
「これまで、貴方達と紅魔館で過ごしてきた時間は…私にとってかけがえのないものだった。
私のような孤独な魔女が、貴方のような親友を得られて…本当に感謝しているわ」
その声が、震えた。
「―私にとって、初めのきっかけや貴方の動機よりも…その事実が、一番大事なの」
パチュリーの頬につ、と一筋の涙が流れた。
悲しいから、ではない。感極まったから、でもない。
きっと、数十年の重いしこりが解けたことによる安堵から、だったのかもしれない。
「だから…許すわ。たとえ、退屈しのぎに私の運命を操ったのだとしても、ね。
そして、正直に話してくれてありがとう」
パチュリーはレミリアに真正面から向き合い、言った。
普段の無愛想な彼女からは想像もできないような、満面の笑みを浮かべて。その目は、潤んでいた。
「パチェ…」
先程までの、まさに運命を弄ぶ、気まぐれで恐ろしい吸血鬼の姿はなかった。
そこには、親友を慮る一人の少女がいるだけだった。
「ごめんなさい…私、貴方に酷い事を言ったのに…それなのに…私を…」
レミリアは俯いて、罪悪感に押し潰されそうになりながら、声を絞り出した。
「いいのよ。貴方が幼い我儘なお嬢様だなんてことは、百も承知だから」
パチュリーがくすっと笑う。目の端の涙を拭いながら。
◆
「さあ、せっかくのワインを楽しみましょう」
パチュリーが席に戻ろうとすると、レミリアが袖を引っ張った。
「…パチェ、ちょっと待って」
「…?」
レミリアの視線が妙に泳いでいる。
「えっと、その…さっきの話だけど…」
「…??」
目を逸らしている。心無しか、薄っすらと冷や汗をかいているようにも見える。
「あれ…全部嘘なのよ」
レミリアがばつの悪そうな顔でそう告げた。パチュリーの表情が固まった。
「………は?」
そう言い放つのが精一杯だった。完全に硬直し、理解が浸透するのに時間がかかった。
「パチェをからかおうと思って…どんな反応をするのか見てみたくて…」
いたずらをした子供が許しを請うために親を上目遣いで見るような、まさにそんな様子だった。
「あの後、『な~んて、嘘よ!まったく、パチェったら本気で騙されるんだから~!』って
切り出すつもりだったんだけど…その直前にパチェがハグしてきて…
その…言いづらくなっちゃって」
レミリアがてへ、と舌を出す。
(妙に芝居がかっていると思ったら…そういう事だったのね…)
―パチュリーの顔が、みるみる赤くなっていった。握りこぶしが震えている。
「あ、だからね?…私が悪かったわ!ご、ごめんなさい!」
これ以上ないくらいレミリアが縮こまって頭を下げて謝った。
パチュリーが手を上げる。
「…ッ」
レミリアがナイトキャップを抱えて身をすくめた…が、パチュリーは下ろした手で、その頭を軽く小突くのみだった。
「まったく…言っていい冗談と悪い冗談がある事くらい、分かるでしょ」
パチュリーが呆れたように、はぁ…と深くため息をつく。
「パチェ…私を許してくれるの…?」
レミリアが恐る恐る、上目遣いでパチュリーの顔色を伺う。
「許してあげるわ。…ただし」
パチュリーは鬼のような形相で言い放った。
「…次同じようなふざけた真似したら、全力のロイヤルフレアを食らわせるからね」
ひっとレミリアが小さく悲鳴を上げて身をすくめた。
「あ、あぁ…わかってるわ。もうしないから」
二人で顔を見合わせ…お互いに吹き出し、思わず笑い合った。
◆
咲夜にワイングラスを取り換えてもらい、レミリアとの歓談が始まった。
紅霧異変での話や、直近に起こった他愛もない話。
長年の宿痾が消えて無くなったかのように、心が軽い。会話にも熱が入った。
互いに思い出話に花を咲かせる。親友と過ごす、大切な時間…
―の筈だった。
◆
瞬間、全ての時が止まり、眼の前が黒インクを落としたかのように黒く染まっていった。
(―レミィは嘘だと言ったが、本当だろうか?)
視界全体が漆黒に塗り潰される。レミリアの話している声も聞こえなくなった。
(私は許す、と言った。―が、これではレミィは私に対して一生
十字架を背負って生きていくことになる)
視界にノイズが走る。
(ならば、敢えて大仰に認めた上で、悪戯好きの子供のように嘘と告白をすれば
私もほだされて納得しやすい…)
少しずつ視界に映像が戻っていく。レミリアの声が万里の彼方から、わずかに聞こえる。
(―そのくらいの計算は、あの子にも…)
突如、視界と音声が元に戻った。レミリアが満面の笑みで、楽しげに、こちらに語りかけている。
ふと、パチュリーが一瞬上の空になっていた事に気づいたようだ。
「パチェ、どうしたの?大丈夫?」
顔を覗き込み、心配そうに尋ねてくれる。
「えぇ、大丈夫よ。何でもないわ」
笑顔でそう応えた。
(フ…まあ、私にとっては、同じ事ね…)
紅い月はより一層輝きを増し、二人を照らしていた―
◆
―瓦礫の山と化した玄関ホールには、埃が舞っていた。
「貴方、私の友人にならない?」
そう言って、吸血鬼の少女は手を差し伸べた。
先程までの恐ろしい吸血鬼然とした雰囲気は消え、その様はあどけない少女そのものだった。
「…貴方、何言ってるの?さっきまで私達は殺し合いをしていたのよ?」
私は戸惑い、何か思惑があるんじゃないか、と警戒する。
だが、その提案に惹かれているのも事実だった。
吸血鬼の魅了の術か?―いや、私にはそういった魔術の類は効かない。
「ええ、確かにそうね。けど、それももう終わり―
私はね、貴方のことが気に入ったのよ。私の名前はレミリア・スカーレット。貴方は?」
その問いに、私は自然と答えていた。
「―パチュリー。パチュリー・ノーレッジよ。…御存知の通り、魔法使い」
私は、差し伸べられたその手を握り、支えられ、立ち上がった。
「パチュリー、か…ハーブと同じ名前なのね。じゃあ、貴方のことはパチェと呼ぶわ」
私は、きょとんとした顔になっていただろう。ほんの数分前までは命のやり取りをしていたのに、
今では愛称で呼ぶ友人になろうというのだ。
…フッと、思わず笑みがこぼれた。
「―それなら、私は貴方のことをレミィと呼ぶわ。それでいいかしら?」
自然と、そう言っていた。案外、どこか愛嬌のある吸血鬼の少女と友人になるのも悪くないと思っていたのだ。
「レミィ…素敵な響きね。よろしくね、パチェ」
レミリアも満面の笑みを浮かべる。それは、見た目の年相応の少女が、親友に向けるそれと同じだった。
「ええ、レミィ。こちらこそ、よろしく」
芝居がかってる…についてはパチュリーと同じ感想を抱きましたが本当のところはどういう意図があったのか…
それは吸血鬼にしかわからないですね
素敵な過去のお話でした!
過去の因縁と運命が交差した奇跡のような関係でエモかったです
運命操作をこんな形で扱うところに技量を感じました
レミリアの言葉が嘘ではなかった世界線のお話も気になってしまいますね。