月はどこまでも蒼く澄みきっていた。
蒼く冷たい月はナイフを思わせる冷たい光を投げかけていた。
深い夜空には雲も少なく、星すらも満月の光の前に霞んでいる。
今宵こそは満月。
ならば満月こそが主役であり、夜の支配者。
こんなにも月の蒼い夜だから――――
踊ろう。
十六夜咲夜は満月に向かって飛び上がり、右手を横水平に掲げる。
指先までスラリと伸ばされた腕が体の前まで折れる。
やや深めに頭を下げ、左足を引く。
それが今宵独り踊る舞踏の挨拶となる。
深々と満月に向かって礼をした咲夜の体が沈み込んだかと思うと右へと揺れる。
右に揺れたかと思えば左へと沈み込み、揺れる。
そのたびにスカートの裾がふわりと翻り、髪がゆらゆらと揺れる。
短めに編んだ髪も慣性で揺れるが、気にならない。
目を閉じて、今一時の、静かな音楽に身を任せる。
右へゆらり、左へゆらり。
体が二往復した瞬間、くるりと右へターンする。
――――刹那。
それまでのゆったりとしたペースが急変する。
今までが嘘のように激しいステップを踏み、体を左右に振る。
右へと体が振れた瞬間に右手が閃き、ナイフが一本宙へと舞う。
本来ならば重力に負けて地面へと落下するはずのナイフはしかし宙へと留まり、くるりと回転する。
その回転が終わる頃には既に咲夜の体は回転しながら左へと舞う。
正面、すなわち満月を向いた瞬間には左手が閃き、ナイフが宙に踊り出る。
そしてそのナイフは右同様にくるりと回転する。
軽いステップでそれぞれのナイフの中心へと踊り来る咲夜。
中央で咲夜が素早い動きでターンをすると、それに合わせるように左右のナイフが一糸乱れぬ動きで回転する。
満月へと見せつけるように咲夜の右のナイフは半時計回りに、左のナイフは時計回りに回転する。
その後、二つのナイフは咲夜の周りを交差しながら咲夜を中心に輪を描く。
咲夜が前へと踏み出す。
二つのナイフは咲夜を守るように付き従い、咲夜の動きを阻害しないような位置でくるくると回る。
右手の手の平を満月に向け、かざした瞬間にその右手は下へと振り払われる。
手を振った瞬間に咲夜の顔は左へと向けられる。
目を閉じた咲夜の顔は軽い微笑を浮かべていた。
まるで今宵の満月のように冷たくて蒼い、そしてどこか暖かみのある笑顔で咲夜は踊る。
銀のナイフを従え、満月へと踊る咲夜。
正面に向き直り、さらに前へとステップ。
ツンと上を向いて正面を指を差し、すぐに手を閉まって後ろへと首を向ける。
軽く上体が沈み込んだ瞬間に大きめにバックステップ。
顔を伏せ、はじらう貴婦人のように表情を隠す。
右手を高々と掲げ、白く細い指先が天を指したかと思うと自身の頬を撫でて下へと下がり行く。
左へと軽くステップして同時に左手を正面から左へと振り払う。
振り払った瞬間にナイフが数本飛び出し、先ほどのナイフと同じように咲夜の周囲を覆ってゆく。
同じように右にステップを踏み、右手から閃いたナイフが先のナイフの後を追う。
夜空を自由に舞い踊る咲夜。
月の夜に独りで踊るその姿はまるで満月に操られた人形。
しかしそれすらも判りきっているかのように咲夜は踊る。
まるで操られて居るのが当然とばかりに激しく前後左右、そして時には上下へと体を滑らせる。
咲夜自身、今日の満月にならば操られていいかもしれないと思えていた。
何かを忘れるように十六夜咲夜という人形が踊る。
激しく、それでいて冷たく。
見る者の居ない孤独な円舞は続く。
次々とステップをこなし動きが早くなっていくが、咲夜の動きに疲れは無く、息は乱れない。
何分、何十分だろうか、延々と激しいステップを踏みつづける。
月だけが彼女の踊る時間を理解していた。
ときおり振られる腕からはナイフが飛び出し、咲夜の周りを回る。
自らを檻へと閉じ込めるようにナイフの量が増える。
それでも人形は踊り続ける。休む事なく、ただひたすらに自らをナイフの檻に閉じ込めるように。
横へ大きな円を描き終わる頃には檻の中の人形が完全に出来上がっていた。
それでも人形は踊る。たった独りで、孤独に檻の中で。
さらに後方へと自身で輪を描く。そして輪を描き終わった瞬間、人形は両手を掴まれる。
人形を閉じ込めていたナイフの檻が解け、力を失ったナイフが地へと落ちていく。
さすがに驚いた人形は目を開き、一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐに安堵へと変わる。
目の前には永遠に幼い紅い月が妖艶な微笑みを浮かべていた。
その笑顔を見た瞬間に人形は十六夜咲夜へとなる。
満月の夜に十六夜咲夜という華が咲き誇る。
紅い月、レミリア・スカーレットは笑顔のままゆっくりと体を右に振る。
両手を持ったままリードされて、咲夜がレミリアへと体を預ける。
今までの激しいステップが嘘のように、ゆっくりとした穏やかなステップが刻まれていく。
ふわり、ふわりと二人が満月の下で踊る。
レミリアのリードに咲夜は目を閉じ、全てをレミリアに委ねる。
その安心しきった表情は、安息の地を求め辿り着いた流浪の民を連想させた。
ふわり、ふわり。
満月の下で主従が踊る。
ふわり、ふわり。
まるで互いが恋人であるかのように。
ふわり、ふわり。
その影は二人で一つの影を作り上げる。
ふわり、ふわり。
いつまでも、いつまでも踊り続けていた。
――――了――――