今年の黒幕は、ややお疲れ。
そんな噂が流れたとか流れなかったとか。
いざ冬を迎えてみると、あんまり寒くなかったっスよ旦那という訳だ。
もっとも、一部の変わり者を除けば、この気候は歓迎に値すべき事態であった。
しかし歓迎をカンゲーと書くと、謎の怪鳥の鳴き声のように聞こえて少し怖いのは私だけだろうか。
いやいや、ROやらリネやらの事でしょうという突っ込みをされる方は、どうか巣へお戻りを。
以前に作成した+11SLSは元気にしているだろうか……。
話が逸れた。
ともかく、師走も押し迫ったこの日も、冬とは思えない温暖な空気が流れていたのだ。
はて、今は二月ではなかろうか、等と寝言を抜かす無粋な輩は、やはりお帰り願いたい。
師走といったら師走なのだ。永琳は走っていないが。
冥界は白玉楼。
その広大な敷地とは裏腹に、ここを住まいとする人の形を取った者はさして多くない。
というか、二人だ。
参考までに言うならば、つい数年前までは三人であったのだが、
その内の一人はとある事情で、住人ではなくなっていた。
一部風聞された噂では、孫への度重なる問題行為が原因で懲戒免職処分を受けたとの事だが、
噂はあくまでも噂ゆえ、そう容易く信じてはならない。
すべては心の中だ。
しかしながら、例外というものはどんな所にも存在する。
この日の白玉楼が、ちょうどそれに該当していた。
「その箱は調理場へ運んで下さい。割れ物なので気をつけて。
あ、そっちのものは廃材なので裏へお願いします」
「妖夢ー、品が届いたぞーー」
「はーい、今行きまーす」
右へ左へと、忙しく駆け回る妖夢というのは、これ以上無いくらいしっくり来る絵面だ。
が、彼女以外にも無数の人員が動き回っているという光景はまこと珍しい。
ましてや、それらの指揮を妖夢が執っていると来ればなおさらである。
彼女が命令系統の中枢に位置するという図式は、どこの誰に聞いても不適当との答えが返ってくるだろう。
事実、妖夢自身もそれを自覚していた。
とはいえ、前述の通り、白玉楼の住人は約二名。
その内の一人は、極めつけに高いカリスマの持ち主と噂されているが、
実際に発揮された機会が極めて少ない上に、こういった下準備に走るような行為は大の苦手であった。
そもそも、最初からやる気など無いという意見もある。
という訳で、選択の余地も何も無く、妖夢が役割を請け負うのは必然であったのだ。
さて、その頃、噂のカリスマはというと。
「……ぽー」
「……ぽー」
「……ぼー」
「……棒ー」
「棒って何よ」
「突っ込まれても困るわよ。というか聞き取れたの!?」
「……某ー」
「某って誰よ」
「真似しないでったら」
「貴方もね」
まぁ、毎度の如くの様子で、日向ぼっこに興じていたりした。
周辺の喧騒など、どこ吹く風といった塩梅である。
無論、彼女が忙しなく下働きに走ったりするなど、絵面的にも精神衛生上にもよろしくないので、
これは至って正常な光景である。
……はて、気のせいか、これまでの何かが否定された気もするが、恐らくは気の迷いであろう。
「ゾロゾロとまぁお出でなさるわね。一体何人くらい呼び集めたの?」
「んー、一万と二七人くらいかしら」
「それはまた大盤振る舞いね。いっそウルトラクイズでも開催したらどうかしら」
「嫌よ。泥になんて飛び込みたくないもの」
「どうして貴方が参加してるのよ」
そんな益体も無い会話の最中も、ひっきりなしに客は訪れる。
無論、一万越えというのは、ただの幽々子の妄言であるが、
それでも冥界の日常からは考えられないような大人数ではあった。
さて、これは一体何の集いかというと、それを示す一文が、白玉楼の門に立てかけられた看板に記されていた。
『西行寺幽々子、百回忌から千回忌の間のどれか程度。その辺はフィーリングで』
何とも縁起の悪い上に適当極まりない題目である。
そもそも亡くなった本人が企画している時点で、法事の概念を無視しているのだが、
そんな事を気にするような信心深い輩は、ここには存在しなかった。
というか、大半の客の認識は、『なんか忘年会っぽいのやるらしいっスよ』程度のものなのだ。
付け加えるならば、真の幽々子の命日は春なので、根本からして間違っていた。
「……で、何で?」
「何で、って。何がよ」
「この宴会よ。何か企んでるんじゃないの?」
「失礼ね、紫と一緒にしないで頂戴。大体これは宴会じゃなくて法事よ」
「どこの世界に、死んだ本人が客を呼び集めた上に、酒をかっ喰らう法事があるって言うのよ」
「……そのような事は、どうでもいいのであった」
「どうでもよくない」
わざとらしく視線を逸らす幽々子だが、紫の追求は止まらない。
両手で幽々子の顔を引っ掴むと、強引に自らの方向へと向けたのだ。
「……へぐっ……」
「あ」
が、少々力が入りすぎたのか、幽々子の首が微みょんな方向に折れ曲がっていた。
気のせいでなければ、ごきりという音が聞こえたようでもある。
手を離すと、幽々子は声もなくその場に崩れ落ちた。
仰向けなのに、顔だけは地に伏せているという当り、相当に猟奇的な光景だ。
「よい、しょっと」
「……ぎっ!?」
紫は冷静に、幽々子の首を元の位置へと直す。
些か雅ではない呻きとともに、西行寺幽々子は修復された。
「……って何すんのよー! 殺す気!?」
「い、いえ、ごめんなさい。少し力が入りすぎたわ。……というか、もう死んでるじゃないの」
「だからって首折ることはないでしょ! もう……」
幽々子はぷんぷんとむくれながら、元の位置へと座りなおす。
首を折られた割には、とても元気だった。
「……別に、企んでなんか無いわよ。
ただ、この間のアレもあるし、今度はこっちが招く側に回りたいと思っただけ」
「成る程、重要人物を纏めて殺害する絶好の機会という訳ね」
「そう。ここならば毒殺も呪殺も斬殺も思いのまま……って違うわよ」
「冗談よ」
「……何だか、今日の紫は棘があるわね。あの日?」
「そんなのもう来なくていい……って何言わせるのよ」
「冗談よ」
この間のアレ。
それは約一月ほど前に、紅魔館で開催されたレミリアの誕生祝いのことである。
今思えばアレのどこが誕生祝いだったのか、理解に苦しむイベントだった。
何しろ、開催中にレミリアへと祝辞を述べた人物に心当たりが無い。
もしや幽々子一人であった可能性もある。
不憫というか、いい加減というか。あそこもあそこで大変なものだ。
「って事は、あの面々も全員呼んだの?」
「一応ね。本当に来るかどうかは知らないけれど」
「……率的には半々かしらねぇ、何しろ、あれだけやらかしたんだし」
「やらかしたって、人を東出みたいに言わないで」
「なら古木でもいいわよ」
「余計悪いってば」
もっとも、やらかすという表現はある意味正しいのかもしれない。
あの一日において、明確なる悪意は殆ど存在し得なかったのだから。
結果的にああなったのだから同じ事、と言えばそれまでではあるが。
「と、いう訳で招かれてやったわよ」
「「あら」」
期せずして、二人の声がハモる。
顔を向けた先にいたのは、噂のレミリア・スカーレットその人だった。
「ったく、こんな早い時間から宴会なんて開くんじゃないわよ。
お陰で眠いったらありゃしないわ」
「仕方ないでしょう。貴方の都合に合わせていたら私の命日が過ぎてしまうわ」
「そういう台詞は、正しい命日に設定してから言いなさい」
「まぁ善処しましょう……あ、使ってくれてるのね」
幽々子の視線が、目ざとく動いた。
珍しい事に、レミリアは咲夜を引き連れてはいなかった。
それは従者の役割云々以前に、日の光に弱いレミリアに日傘を傾ける係としての意味が大きい。
よって、今日のレミリアは、自らの手で日傘を掲げていたりする。
「使ってくれてる……じゃないでしょ! なんなのよあの呪詛」
「……呪詛?」
「これよ、これ」
レミリアは一枚の紙を、幽々子へと放って寄越した。
一体何かとばかりに紫が背後から紙面を覗きこむ。
『使ってください。使ってください。使ってください。使ってください。使ってください。
うらみます。うらみます。うらみます。うらみます。うらみます。うらみます。うらみます。
愛しています。愛しています。愛しています。愛しています。愛しています……』
「……うわぁ」
呪詛、というよりサイコさんだった。
文字の一つ一つが、定規を使ったような直線で描かれている当り、ポイントが高い。
流石は本職、いい仕事してるぜ。
と謎な感想が浮かぶ。
「こんなの寄越された日には、直接文句言ってやらないと気が済まないでしょ」
「お気に召さなかったかしら……役割を終え、世界から消えた侍従が残す言葉としては、
極めて効果的な一文だと思ったのだけど」
「効果的過ぎて夢に出そうよ」
等と、愚痴のようなものを漏らし続けるレミリアだが、
現にこうして使っている以上、品自体はそれなりに気に入っているのだろうと判断できた。
が、一つだけ気になる点がある。
「ねぇ、その日傘。妙に大きくないかしら?」
紫の言の通り、レミリアの持つ日傘は、通常使用するものとしてはやけに大きめに作られていた。
それこそ風が吹いたら、小柄なレミリアでは飛ばされてしまうのではないか、というくらい。
先程から、似合っている。の一文が捻り出せない理由である。
「え? ああ……まぁ、そりゃそうでしょ」
「?」
はっきりしない受け答えに、紫は怪訝な表情を作る。
と、その時。
レミリアの背後から、一つの影が飛び出した。
「やっほー」
「いらっしゃい、フランちゃん。久し振りね」
「……そういえば、私には挨拶も無しだった気がするけれど」
「開口一番で愚痴を漏らすような輩に、迎える挨拶はありませんわ」
「……ぐぬぅ……」
「許してあげて、幽々子。お姉様は少しばかり世間知らずなの」
「ふ、フランにだけは言われたくは無いわ」
「(ああ、そういう事だったのね)」
ここに紫の疑念は解消された。
フランドールがレミリアの横に立った瞬間、
先程までの違和感のある光景から、一枚の絵となったような自然な姿へと変わったのだ。
二人用の日傘。
ベタベタな代物ではあるが、この不器用な姉妹には丁度良いのかもしれない。
「……ったく。で、あんたはこんな所で油売ってて良いの?」
「何がかしら?」
「ここって、ろくにお手伝いもいないんでしょう。
あの庭師一人じゃ、準備もままならないんじゃないの?」
「私の役割は、あくまでもお客様のお出迎え。それはこちらの気にすべき事ではないわ」
「要するに、動きたくないと」
「有体に言えば、そうなるかしら」
「……ま、いいわ。咲夜達を少しだけ貸して上げる。
私達が招待された宴席が、支離滅裂なものになるのは勘弁してもらいたいもの」
「それは有難い話ね。……というか、正直に言うと、無理やりにでも手伝ってもらうつもりだったわ」
「本人の前で言う事じゃないでしょ」
「人間も亡霊も、正直が一番よ」
幽々子は、扇で口元を隠しつつ、薄く笑った。
「ええと……あとはお酒と乾き物と……ああ、席も作らなきゃいけないし……」
相も変わらず、妖夢はいっぱいいっぱいの様子だった。
気ばかりが逸って、一向に事態が進展しない。
「でも藍さんも手一杯だからなぁ……。 ああー! 誰か時計の針を戻してー!!」
「いいわよ。何分くらい御所望?」
「あ」
この時の妖夢の反応は、喜び半分、悲しみ半分といった感じか。
「咲夜さん! ……って事は、もう皆さんも?」
「ええ、今しがた到着した所よ」
「ううう……まだ全然準備が済んでないのに……」
「……でしょうねぇ。まったく、幽々子も何を考えているのやら」
「本当です。こんな大規模な催しを、前日になってから知らせるだなんて……」
「あら、珍しい。愚痴?」
「私だって愚痴の一つくらい言いたくもなりますよ」
そんな事を話している間に、既に咲夜の部下はそれぞれの仕事に入っていた。
あらかじめ指示は受けていたのかもしれないが、それにしても手際が良い。
ホームグラウンドであった筈の場所は、早くも紅魔館色に塗りつぶされつつあった。
無論、それは憂うような事態でも無いのだが。
「ま、そういう訳だから、もう慌てなくても良いわ。
それに、こんな適当な宴席に来るような連中だもの。
進行に文句を付けるようなお頭なんて持っちゃいないでしょう」
「は、はぁ……ありがとうございます」
褒められているのか馬鹿にされているのか判別に困ったが、とりあえず礼を言っておいた。
何にせよ、助かるのは確かだったから。
自分一人の力で出来る事なんて、たかが知れている。
また真逆に、一人の力で場を乱す事は容易い。
妖夢は実体験から、それをよく理解していた。
「おーい、妖夢ー!」
遠方から声が届いた。
そちらに顔を向けると、見慣れた姿がぐるぐると近づいてくるのが分かった。
接近の表現にぐるぐるとは如何なものか、という意見が噴出しそうだが、
事実その通りなのだから仕方ない。
幻想郷は広いのだ。
「藍さん、どうかしましたか?」
「幽々子から伝言だ。秘蔵の品を2、30本程持ってきてくれ、とさ」
「秘蔵……ああ、はい、分かりました」
「ん、じゃ、任せたぞ」
それだけを言い残すと、藍は今来た道を、やはりぐるぐると戻っていった。
うん、不自然でも何でもない。
「秘蔵の品?」
「ええ、幽々子様の……」
「あー、ストップ。秘蔵なのにそう簡単に漏らしちゃ駄目でしょ」
「あ……」
たちまち、妖夢の頬が紅に染まる。
「そ、そ、それでは、少しの間お願いできますか? わ、私は用を済ませて来ますので」
「ええ、ごゆっくり」
妖夢は照れ隠しをするように、一息に言い切ると、ぱたぱたと廊下を駆け出して行った。
暫くの間、その場で眺めていた咲夜であったが、妖夢の姿が見えなくなったのを確認すると、
ちらりと横を向いては、何やら小さくサインを送った。
「……本当にこれで上手く行くのかしらねぇ」
さて、妖夢の向かった先は、幽々子の自室だった。
藍から伝え聞いた言葉は、別段暗号でも何でもない。
単に、幽々子が所有している希少な酒を持って来いとの意であった。
ただし、その場所が幽々子の部屋の隠し蔵であるため、おおっぴらに語るのは問題があったのだ。
「失礼します」
誰もいないのは分かっていたが、やはり一声かけておく。
彼女の性格というものだた。
「……うぇー……」
襖を開けた途端、ぷんと漂う酒の匂いに、思わず顔を顰める。
基本的に幽々子の部屋は、多少広い事を除いては、妖夢の部屋と大差無い作りである。
が、部屋中に散乱する酒瓶の山が、すべてを台無しにしていた。
「もう……全然変わってないじゃない……いったい紅魔館で何をやってたんだろう……」
率直な感想を漏らしつつ、妖夢は部屋の片付けに入った。
本題とは外れる仕事だが、この状況は無かったことにするには余りに酷かったのだ。
まず、床に散らばったものから一まとめに。
続いて、箪笥や机の上に乗っかっているものを。
最後に天井に突き刺さっていたり、壁と一体化している特殊なものを。
気のせいでなければ、放置難易度がより一層上昇しているように思える。
そんなもの、上げてほしくは無いのだが。
「……ん?」
机の上の酒瓶を集めていた所で、何やら本のようなものが置きっぱなしになっている事に気付く。
別にそれ自体は珍しい事ではない。
が、問題は本のタイトルにあった。
『ゆっこたんだいありー』
筆で書かれているにも関わらず、丸文字であることから、それが幽々子の直筆であると妖夢は判断した。
「日記? ……ってなんだか以前にも同じ事があったような……」
記憶を探り出してみるが、どうも脳内ハードディスクの調子が良くないのか、
該当する事項に思い至る事は無かった。
ならば、どうするか。
普通に考えるならば、無視してさっさと役割を果たすべきだろう。
いくら増員があったとはいえ、仮にも本日の宴会を取り仕切る身である以上、
無駄に時間を消耗して良い筈も無い。
また、この日記にしても、極めて怪しい。
確かに幽々子は豪放な正確ではあるが、だからといって日記なる重要物を、
堂々と机の上に晒しておいたりするものだろうか。
ならば、きっとこれは罠。
開いた瞬間に、レベル5デスを唱えられるかもしれない。
もしくは、『ぼうけんのしょがきえました』なる不吉な一文が伝えられても不思議はない。
もっとストレートに、封をしている紐自体が導火線という可能性もある。
等々、浮かび上がるのはどこまでもネガティブなイメージばかり。
確率論者で無くとも、関わるのは止めたほうが良い、と言うだろう。
だが、それでも妖夢は、日記を開く道を選んだ。
浮かび上がった可能性は、あらかた裏山へと放り投げて無かったことにする。
残されたのは、ただ一つ。
この日記は、自分に読まれる為にあったのだ、と。
確かに都合の良い解釈ではあるが、不思議と違和感は無かった。
「幽々子様、失礼します」
妖夢は逸る気持ちを抑えつつ、表紙を捲った。
それを止める者は、誰もいない。
『The table was enclosed in the Hacrei Shinto shrine always today.
Here outed of one's element by the record as my overwhelmingness …… and outed of one's
element only a little of course today though was a recent daily work』
妖夢はコケた。
「な、な、な、なんで英語なのーーーーー!?」
甘かった。
直接的な罠ばかり想像していたが、まさか本文そのものが仕掛けであるとは。
所詮、自分の浅い考えで、あの主人の思考が読み取れる筈も無かったのか。
というか、物理的に読めない。
多少造詣のあろう者なら、それが機械翻訳にかけた……ゲフンゲフン。
……読み取れもしたろうが、生憎と妖夢には英文を解する知識が無い。
よって、スルー以外に道は残されていなかった。
痛む頭を抑えつつ、ページを捲る。
その後も延々と英文は続いていたが、ある所を境に呪文のような羅列は途切れた。
妖夢はほっ、と一息付き、文面へと視線を送る。
『迎接了訪問了的我的,
是吸血鬼的空中大迴轉。
這個是紅魔館的流派
此後也叫鬧騰的話鬧的事無比。
一定對於吸血鬼,肯定沒足』
再び、妖夢はコケた。
「って、今度は中国語かい!!」
やはりというか、幽々子の日記は一筋縄では行かないようだった。
幸いというか、今度は妖夢にも多少の意味は読み取れる。
といっても、漢字の字面から、なんとなく内容を想像するといった意味でだが。
仮に、この場に某門番嬢がいたのなら、翻訳を依頼する事も出来たが、
彼女の姿はここには無いし、いたとしても主人の日記を見せるような暴挙には出られない。
ともかく妖夢は漢字の羅列と格闘を繰り広げる。
やはり、深い意味は読み取れなかったが、
それが紅魔館で働いていた時の出来事であるとは理解できた。
「……苦労してたんだなぁ……いや、苦労かけてたのかな?」
もはや、妖夢の頭の中からは、ここに来た本来の理由は吹き飛んでいる。
それくらいの腰の据えようであった。
やがて、中国語のページは終わりを告げた。
といっても、余り期待はしていない。
次は露西亜語か、それとも和蘭語か、はたまたエスペラント語か。
どう来たところで、あまり歓迎すべき事態ではないだろう。
『ええと、飽きたので、ここからは普通に書きます』
妖夢は三度コケた。
「今度は日本語かい!! ……って、え!? 日本語だーー!!」
何とも妙な歓喜である。
今の彼女には、芸人魂が降りているのやもしれぬ。
とりあえず、問題はこれで消えた。
後は普通に読めばいい。
「(……って、そういえば、どうして私は幽々子様の日記を読んだりしてるんだろう)」
もっともな疑問が浮かぶが、そこに深く思いを至らせることはない。
既に、妖夢の好奇心は後戻りできない所まで到達していたのだ。
○月×日
『今日は、本当に色々な事がありました。
本当に色々とありすぎて、何から書いて良いのか、ちっともまとまらないので、
思い浮かんだままに記そうと思います……』
幽々子の日記は、その序文通り、極めて読みづらい散発的な文であった。
だが、妖夢は不思議と、その内容が極めてよく理解できていた。
恐らくは、自分自身も当事者であったせいだろう。
「……」
妖夢は、日記の中の幽々子と同様に、あの一日の出来事へと思いを馳せる。
自らの思い込みと勘違いにより、多くの人妖を巻き込んでは、滅茶苦茶に暴れたあの日。
今では、『紅魔館の一番長い日』等と称されているらしい。
しかし不思議とそれに関して、妖夢が叱責を受けることは無かった。
実際の所、妖夢のみならず、無数の連中が好き勝手に行動した結果としてああなったのだから、
叱責しようにも、それを出来る……というか言えるような輩がいなかったというのが現実だろう。
と、言っても、妖夢自身、あの日の行動については猛省では足りない程に猛省している。
恐らく、紅魔館の面々には、生涯頭が上がる事は無いだろう。
また、それともう一つ。
『紅魔館の二番目に長い日』の存在が、前日の騒動の記憶を薄くさせたという理由もあった。
「……あれは……」
<AM 00:10>
紅魔館、中庭。
つい数時間前まで、大量の人妖で溢れかえっていたこの場所だが、
今となっては、ごく少数の者しか存在しない。
その内の一人に、八雲紫の姿があった。
「……互いに、良くやるわねぇ」
紫は、瓦礫の上へと腰掛け、どこか遠い瞳で、上空の光景を眺めていた。
そこに展開されたるは、弾幕の山、山、山、さらに山。
星空という呼び名は、こういう情景の為にあったのではないかと、錯覚すら覚える。
しかも、この弾幕は、僅か二人の妖怪の手によるものなのだから驚きだ。
「……っと、そろそろ新作を見せてあげましょうか。魔符『全世界ナイトメア』!」
「相変わらずのネーミングセンス、安心したわ。亡舞『生者必滅の理 -魔境-』!」
二人は、惜しみなくスペルカードを展開しては、無尽蔵とも思える弾幕のぶつけ合いを繰り広げる。
そこに大物たる威厳など、欠片も無い。
「……というか、あの二人。なんで弾幕り合ってるのかしら」
「理由なんて無いんじゃないの?」
背後からかかる声。
判別は容易であったため、確認するには値しない。
いつもとは逆のパターンね、と紫は苦笑を浮かべる。
「そういえば、あの二人っていっつも貴方の所で弾幕りあってたわね」
「本当よ。こっちは良い迷惑なんだけど」
霊夢は、ぽりぽりと頭を掻きつつ、紫の隣へと座る。
「ま、ここでやる分には別に問題は無いんだけど……にしても、意外ねぇ」
「何が?」
「え? いや、もう終わってるかと思ったから」
主語は無い。
が、流れからして霊夢の言葉が何を指しているかは理解できた。
また、その考えには同意でもあった。
「そうね……始まってから十分。良くも真正面の戦いで持ったものね」
「でも、そう長くは無いわ。恐らくはもう限界」
二人の視線は、位置的に見て左側。
今だ休むことなく弾幕を展開する幽々子へと注がれていた。
「総じて言うなら、幽々子は弱い」
「うわ、ストレートね」
「濁しても仕方ないじゃない。だって、霊夢も分かっているでしょう?」
「ん、まぁ、そうだけど」
「幽々子の戦いは、どこまで行っても虚勢。
ありもしない未来を想像させて、勝手に自滅するのを待つ、消極的な戦法しか出来ない」
「……」
「片やレミリアは、自らの能力に物を言わせた物量作戦。
それも、ただ展開するだけではなく、経験によって培われた効率的なもの。
そんな二人が真正面からぶつかり合えば……結果は見えてるわ」
「……意外ね」
「ん、何が?」
「あんたの事だから、てっきり幽々子を持ち上げるもんかと思ったけど」
「こんな所で嘘を吐いても仕方ないでしょう。事実は事実よ」
紫の言葉を示すかのように、上空の戦闘は次第にその流れを変えていた。
「もう一つどうぞっ!」
レミリアの掌から、統一性の無い大小の紅い弾幕が放たれた。
それはまるで、散弾銃かのように、放射状に幽々子へと差し迫る。
「……つっ!」
早い。
迎撃するだけの余裕は残されていない。
ならば、実行可能なのは、回避か防御かの二択。
この時幽々子が選んだのは、後者だった。
迫り来る紅の弾を、手にした扇をもって、最小限の動きで受け流す。
元々、正確に狙いを定めたタイプでは無かったのだろう、それほどに密度は高くない。
だが、それを補って余りあるくらい、重い。
一つの弾を弾く毎に、痺れるような衝撃が、幽々子の身を襲う。
「……ふぅっ、品の無い弾幕ね。適当に吐き出せば良いというものではなくてよ?」
無論、そんな事はおくびにも出さす、それどころか挑発するような言葉を放つ。
「……ん……」
「あ、起きた?」
「……っ……あれ?」
妖夢は、意識の完全な覚醒を待たずして、身体を起こす。
若干の気だるさはあるものの、予測していたような痛みはない。
「こら、急に動いたら……って、大丈夫そうね」
「……れーせんさん」
顔を向ける。
対面する鈴仙もまた、さほど疲弊した様子は見受けられない。
先程の戦いは、自分の見ていた夢だったのか?
だが、それが間違いであることは、周辺の光景からすぐに理解できた。
見慣れぬ洋間、見慣れぬ調度品、そして、自分が寝ていた見慣れぬベッド。
ここが白玉楼でも博麗神社でもなく、紅魔館であるとの証明である。
「師匠の薬よ。流石に疲労感は完全には取れないけどね」
「ああ……それでですか」
ようやく合点がいった。
心無い輩は、マッドだの変態だの散々な呼び方をしているが、
基本的に永琳が、薬師として極めて優れているのは、実体験から知っていた。
その気になれば、不老不死の禁薬すら作り出せるのだから、怪我を治すくらいは朝飯前なのだろう。
「……」
「……」
二人の間に、沈黙の帳が下りた。
別段、話すことが無い訳ではない。
むしろ、今ここでこそ言わねばならない事項があるのだ。
だが、それでも、すんなりと口にするのは躊躇われる。
……物が物だけに。
それでも、いつまでもこうして黙りこくっている訳には行かない。
妖夢は決意も新たに、口を開いた。
「あの、鈴仙さん」
「な、何?」
「……とりあえず、縞パン女王の座は、貴方に預けます。
これからも地位向上に励んで下さい」
「何だか、凄く嫌な響きに聞こえるんだけど……」
「気のせいですよ。
それに、敵は多いです。生半可な気持ちじゃ守れませんよ」
「馬鹿にしないで、それは私が一番良く知ってるわ」
「……でしょうね」
「……」
「……」
「……」
「……えーと、それともう一つ」
「……何?」
「ありがとうございました」
「ん。でも礼なら、事が全部解決してから、改めてしてちょうだい」
「……はい」
確かに言う通りではある。
それでも少し、ほんの少しだけ、肩の荷が降りた気がした。
「で、どうするの? メイド長……じゃなくて咲夜は泊まって行っても良いって言ってたけど」
「……いえ、帰ります。これ以上迷惑は掛けられませんし」
「そっか。じゃ、私もそうしようかな」
妖夢はベッドから出ると、床へと足を下ろす。
今だにメイド服のままなのが気になるが、この際仕方ないだろう。
と、そこで、何となく閉じたままのカーテンが気にかかったのか、窓際へと歩みを進める。
「ま、待った。今日は外に月からの超赤外線が降り注いでるの。だから開けちゃ駄目」
「は?」
意味不明だった。
そもそも、それなら外に出られないではないか。
鈴仙が嘘を吐くのが自分並に下手だという事は知っている。
すると、外には自分には見せたくない何かがある、という事なのだろう。
言う通りにするというのも一つの手ではあったが、この時の妖夢は好奇心の方が強かった。
「大丈夫ですよ。今更ちょっとやそっとじゃ驚いたりしませんから」
「あっ、止めなさいってば!」
妖夢は鈴仙の制止を振り切り、カーテンを開け放った。
「そろそろ、飛ぶのも億劫になって来たかしら?」
「……馬鹿な事を言わないで。亡霊が宙に浮くのは、ごく自然な光景よ」
口調こそ変わらないが、そこに説得力は欠片も無い。
身を飾る衣装は、見るも無残に塵埃に塗れ、そこかしこが破れている。
手にする扇も今は一つ。もう片方が何処へ消えたのかは何時の事だったろう。
兎にも角にも、今の幽々子は、満身創痍との言葉が似つかわしい姿へと変貌していた。
「なら、確かめてあげましょうか」
対してほぼ無傷のレミリアが、口の端を歪めつつ、次なる弾幕を打ち放つ。
それは、血の様に紅く染め上げられた無数のナイフ。
レミリアを中心に全方位に渡って投擲されたそれは、大きく弧を描くように旋回する。
その軌道から、滲み出すかのように、新たなる弾幕が展開された。
「悪趣味……ねっ!」
生み出された弾幕は、まるで意思を持っているかのように幽々子へと殺到した。
打ち払うには、量が多すぎる。
幽々子は、そう判断すると、間隙を縫うように身を躍らせる。
が、それはあまりにも重苦しく、普段の幽雅さからは程遠い動きであった。
それでも、経験の賜物か、幽々子は全ての弾幕を回避した。
スペルカードの効力が切れたのか。もう新たな弾幕が生まれる事も無い。
幽々子は内心で一息付くと、反撃に出るために体勢を戻す。
「それじゃあ、駄目ね」
「……!?」
が、遅かった。
視線を向けたその瞬間には、既にレミリアの姿が目前へと迫っていたのだ。
どうするか、などと思考する余地も与えられない。
突進を受けた幽々子はものの見事に弾き飛ばされ、また一つ紅魔館の一部を破壊した。
「……つーっ……! この石頭……!」
瓦礫に埋もれる形となっていた幽々子が、それらを振り飛ばしつつ、上半身を起こす。
余裕の表れなのか、レミリアは追い討ちをかけようとはせず、上空に留まったままでこちらを見据えていた。
「幽々子様っ!!」
そこに一つの影が降り立った。
「……あら、妖夢。しばらく振りね」
「しばらく振りね。じゃありません! これは一体何事ですか!」
「見ての通りよ、分からない?」
状況的には簡単だ。
幽々子はレミリアと戦っており、それが極めて劣勢であること。
が、今の妖夢が知りたかったのは、そんな事ではないのだ。
「……強いて言えば、アレが幽々子なりのけじめという事かしらね」
「けじめ?」
「ええ。過程はともあれ、今日の……いえ、ここ一週間程の騒動は、
殆ど幽々子が元凶として引き起こしたものよ。
その最たるものが、あの妖夢の暴走ね」
「……変ね。アレはてっきりあんたの仕業かと思っていたんだけど」
「……おほんっ。と、ともかく、幽々子は幽々子なりに責任を感じていたんでしょう。
だからこうして、無謀とも言えるような形で戦いに望んでいる」
「んー……」
「納得行かないといった様子ね」
「まぁ、分からない事も無いけど……やっぱり気になるのよね」
「何が?」
「あの幽々子が、本当に何の思惑も無しに、こんな事するかしら?」
「……」
紫には、返す言葉が無かった。
「……ん、しょっと」
わざとらしく声を上げながら、ゆっくりと立ち上がる幽々子。
否、もうゆっくりとしか立ち上がれないのだろう。
それが、傍目で見て取れる程に、幽々子の状態は深刻だった。
「幽々子様! もう止めて下さい!
こんなもの、何の意味があるんですか!」
「……お黙りなさい。半人前のくせに私に意見するだなんて、百年早いわ」
「茶化さないで下さい! 私は本気で言っているのです!」
「ならば、なおの事よ。いいから妖夢は、そこで黙って見てなさい」
必死の制止にも、幽々子はまるで耳を貸そうとはしなかった。
意のままに動かなくなった体を、無理やり中空へと浮かべ、視線を上げる。
今一度、追おうと試みたところを、幽々子が振り返る。
浮かんでいる表情は、笑顔。
「安心なさい。……貴方のご主人様は、無敵なんだから」
卑怯だ。
そんな感想を抱くと共に、妖夢は幽々子の制止を断念した。
「話、済んだ?」
「ええ。お待たせして申し訳無いわ」
「反省するなら猿でも出来る。……答えは、こっちで見せて貰いましょうか」
レミリアの言葉は、戦闘再開の合図だった。
しかし、残した言葉とは裏腹に、幽々子の戦況は好転の兆しを見せなかった。
致命傷こそ受けぬものの、散発的な被害はもう数え切れない。
「……何だかね。もう少し頑張ってくれるものと思ったけど」
「……」
皮肉にも、答える余裕が無い。
その瞳は閉じられており、もしや眠っているのではないかとすら映る。
状況的に見て、どちらが勝利を収めるかは明らかであった。
が、それでもレミリアが気を緩めることはない。
これまで幾度にも渡って、油断を敗因としていたから。
「これで、決めさせてもらうわ」
レミリアは、誰とも無しに呟くと、一枚のスペルカードを展開した。
スピア・ザ・グングニル。
レミリアがもっとも得意とし、そしてもっとも信頼するスペルカード。
その効力は至ってシンプル。
力任せに投擲し、その破壊力をもって敵を粉砕する。それだけである。
だが……いや、だからこそ、強力無比。
その速度は、一切の回避の余裕を与えない。
その威力は、一切の防衛の余地を与えない。
故に、放たれたが最後。対面した相手に残された道は、
紅の光によって打ち貫かれるというものだけ。
ただし、このスペルにも、弱点が無い訳でもない。
それは予備動作がかなり大きいこと。
レミリアの持つスペルカードは、その殆どがぶっ放すだけという一つの行程で構成されているが、
グングニルの場合は、召還し、構え、投擲するという三つの行程が必要である。
故に、投擲よりも先に、何かしらの動きを取られたのならば、必中の意は消失する。
だが、今回に限っては、その懸念は不要だった。
既に投擲の行程にまで入っているにも関わらず、幽々子が動きを見せていないからだ。
「砕けろっ!!!」
品の無い叫びと共に、レミリアはグングニルを振りかざした。
その穂先が、手元を離れた瞬間。
「……蝶符『鳳蝶紋の死槍』!!」
幽々子の目が開き、同時にスペルカード宣言が成された。
すると、幽々子の背後、何も無かった筈の空間が、突如として口を開いた。
某スキマ妖怪が展開するもののように、リボンで端を結ぶようなお茶目は無い。
ただ、何も無い漆黒の穴。
そこから生み出されたるのは、飾り気の無い青の直槍。
槍は幽々子の意思と連動し、目標へと突き進む。
それは、迫り来るグングニル。
幽々子とレミリアの中間で、音にもならない無の衝撃が生まれる。
だが、それは刹那の事。
グングニルは、速度も角度も変えることなく、依然、真っ直ぐに幽々子へと向かっていた。
「(そんな出来合いで、私のグングニルが敗れるものか……!)」
瞬間、レミリアはそんな感想を抱いた。
しかし、それは正しくもあり、間違ってもいた。
出来合いと称されし槍は、その通り一本だけのものではなかったのだ。
幽々子の周辺には、数え切れぬ程の、無数の空間……そして槍が生み出されていた。
それらが、間髪要れずに、グングニルへと殺到する。
一本で駄目なら二本。二本で駄目なら三本。三本で駄目なら四本……。
果たしてどれだけの槍が、紅の光の前に打ち消されただろう。
だが、馬鹿馬鹿しくも分かりやすい図式は、ここに証明された。
蟻はその小さき身を寄せ集め、ついに巨象をも屠ったのだ。
必殺のグングニルが弾かれる。
しかしその事実は、レミリアに些かの動揺も与えるものではなかった。
これまでの幾多の衝突によって、レミリアは幽々子という存在を十分に認識していた。
幽々子が、何の勝算も無しに、戦いを挑む筈が無い、と。
確かに直接的な力ならば、自分が幽々子に敗れる道理はない。
だが現実に、これまでの戦いの成果は五分と五分。
弾幕戦以外も含むなら、レミリアの圧倒的な敗北の歴史である。
そうなるに至った理由は、すべてが幽々子の騙しに踊らされての自爆であった。
だから今回もきっと、奴は何かを隠し持っているに違いない。
そして、その切り札とは、この槍のことだ。
見れば、今だに幽々子の周辺からは、無数の槍が生み出されている。
グングニルという敵を打ち破った今、それらは次なる目標……レミリアの元へと向かうことだろう。
ならば、槍が自らの身体を貫くよりも先に、本体の幽々子を黙らせればいい。
レミリアは既に、幽々子に向けて動いていた。
手には既に宣言を終えた、一枚のスペルカード。
成る程、確かに槍は穂先を自分へと向けている。
だが、遅い。
誘導性も持たない代物が、吸血鬼の全速に追いつける筈も無い。
もう、幽々子は目前。
後は、スペルを開放すれば、この無益な戦いは終わる。
「(……っ、違う!! これは……!?)」
これまで、幾度と無く感じてきた悪寒。
それがレミリアの行動を押し止めていた。
急激に慣性をかけられた体が、苦痛に軋みを上げる。
そして動きを止めたことで、槍の狙いもまた一点へと定められる。
だが、その時、確かに幽々子は、悔しげな表情を浮かべていたのだ。
幽々子とレミリアの間の空間。
そこを、まったくの死角となっていた方向……下方から、大量の霊魂が通過した。
仮に、動きを止めずに突進していたのなら、確実に直撃を受けていた事だろう。
「二重の罠……その状態で良く仕込んだものね」
「……」
「でも、あんたの狙いは外れた。
そして、あの槍がもう実態のない虚像という事も分かってる」
「……目ざといことね」
「残念だったわね……あと一歩だったのに」
「……ええ、本当に」
幽々子は、ほう、と息を付くと、手にしていた扇を閉じ、裾へと仕舞い込んだ。
「悪いけど終わらせて貰うわよ」
もう、幽々子が行動に出ることはないと、レミリアは確信していた。
それでも、止めを刺すまで、この戦いが終わる事は無い。
「……いえ、気にしないでいいわ」
幽々子は、どこか達観したような笑顔を浮かべていた。
彼女もまた、それを理解していたということであろうか。
……否。
そう思うには、余りにも不釣合いな言葉が、幽々子から発せられたのだ。
「本当。慣れぬ事さえしなければ、貴方の勝ちだったのにね」
「!?」
レミリアは気付いた。
気付かざるを得なかった。
自分の周辺……いや、それこそ、この中庭全体を埋めつくす存在に。
それは、蝶。
「(……やられた……)」
その蝶の数々には、見覚えがあった。
戦闘開始から終盤にいたるまで、それこそ自分をも上回る無軌道さで、幽々子は弾幕を展開していた。
故に、その弾幕の数々は、何にも当たることなく、明後日の方向へと飛んでいったのだ。
それがまさか、この局面まで視界の外で生かされていたとは。
今思えば、幽々子の消耗具合は明らかに早すぎた。
確かに、あれだけの弾幕を展開し続ければ疲弊もしようが、
それくらいで弱気を見せるような相手では無かったはず。
が、それらが全て、この蝶を維持するために使った力なのだとしたら……。
ともあれ、仮定はどうにでも出来る。
今は、結果を受け止める以外に無いのだ。
「蝶は弾幕の海を渡り……吸血鬼の王へと辿り着きました、とさ」
「……さいですか」
呆れたような呟きを残し、レミリアは蝶の嵐へと飲み込まれた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ねぇ、紫」
「……何?」
「私達って、解説向いてないんじゃない?」
「……そうね」
宴の延長戦は、終わった。
向こう側では、ぽてりと落下したレミリアを、咲夜が受け止めている。
が、それが妖夢の目に入る事は無い。
彼女が見るべきものは、ただ一人。
「ふふ……どう? 私は嘘なんて付かないんだから」
「……そう、ですね……」
言いたいことが沢山あった筈なのに、いざ対面すると何も出てこなかった。
それでも妖夢は、ぐるぐると回る思考から、最も優先されるべき言葉をひねり出す。
「幽々子様……その、申し訳ありませんでした!」
「……」
「従者が主の理念に疑いを抱く事など、決して許されてはならない……。
今日は、それを嫌と言うほど実感しました」
「……」
「ですが、もし許していただけるならば……って、幽々子様?」
「……」
返答は無い。
というか、視線が妖夢を向いていない。
「……はふぅ……」
「わ!?」
突如として倒れこんできた体を、妖夢は慌てて受け止めた。
「……あー、ごめんね妖夢。流石にいっぱいいっぱいみたい」
「い、いえ。無理からぬ事でしょう」
「……でもねぇ、これで、やっと言えるわ」
「何を、ですか」
「……妖夢、私……」
「……」
「……」
「……」
妖夢も今度ばかりは気が付いた。
姿勢をくるりと入れ替えると、腰を屈めては、幽々子の腿の辺りから持ち上げる。
「……軽いなぁ……」
「……くぅ……」
羽根のように軽いとは比喩表現ではなかった。
と、言いたくなるくらい、幽々子を背負う事は容易かった。
今宵、すべきことはまだ残っている。
それでも今は、幽々子と共に在りたかったというのが、妖夢の本音だった。
「(でも……幽々子様は何を言おうとしていたんだろう?)」
<白玉楼>
「……あっ」
ふと、妖夢は我に返る。
どうやら、随分の間、想いへと浸っていたらしい。
そして同時に、この部屋へとやって来た、本来の理由に関して思い出した。
「いけない、早く持っていかないと……」
妖夢は慌てて開きっぱなしだった日記を閉じんとする。
……が、その前に、一つ気になる事が出来てしまっていた。
それは、栞が挟まれていた頁。
恐らくは、昨晩に書かれたものと思われるが、問題はそこではない。
その栞の端に、小さく自分の名前が書かれていたからだ。
わざとらしいと言えば、余りにもわざとらしい。
まるで見てくれと言わんばかりの分かりやすいものだ。
が、それ故に、妖夢のような性格の者には効果的であった。
「……」
考える事数秒。
またしても妖夢は、好奇心の前に破れ去っていた。
『やっぱり見たわね妖夢。きっと開くと思ってたわ』
「……ぁぅ……」
妖夢は、身体の力が抜けるのを抑えられなかった。
哀れ、日記の中の幽々子にまで、行動を読まれていたのだから、それも仕方なかろう。
『ま、良いわ。元々、これは貴方に読んで貰う為に書いているんだからね』
「……」
となると、先程の英文やら漢文やらも、自分をからかうための産物だったのか。
しかも、その場を実際に目撃できないのも関わらずだ。
恐ろしい、何と恐ろしい。
妖夢は、己の主の深謀遠慮と暇人振りに、平伏せざるを得なかった。
『……ええと、きっとこの辺で失礼な考えが浮かんでいるでしょうけど、
命が惜しければ止めておきなさいね』
「……はぁい」
『さて、わざわざこんな迂遠な手段を取ったのには訳があります。
それは、あの夜に貴方に言えなかった事を伝えるためです』
「……」
特に筆調が変わった様子は無いが、
それでも、この日記をしたためたであろう幽々子が背筋を伸ばした光景が眼に浮かぶ。
『まず、直接言葉で言えない事を詫びておきます。
信じては貰えないでしょうけど、私にはその度胸が無かったの』
『あの夜、久し振りに出会った貴方に対して、酷いことを言ってしまったけれど。
それも、私が弱かったから』
『だから私は、弱さを覆い隠すために、常に虚勢を張っていた。
そして、それで大丈夫なのだと思い込んでいた』
『でも、それでは足りなかったの。例えみっともないと思おうとも、
ありのままに自分を見せなければならない時があると。
そんな自分に、自信を持たなければいけないのだと』
『まさか、それをあのレミリアに教えられるとは思わなかったけど、
今思えば、それも何かの縁ということだったのかしら。
あいつ風に言うなら、運命ね』
『でも、お陰で私は気が付いた。
自分に自信が持てないような主に、付いてくる従者などいるはずが無いって。
だから、私は証明したかった。
まだ、私は大丈夫だと』
『正直、それを見せられたかどうかは分からない。
もしかしたら、更に大きな虚勢を張ってしまっただけなのかもしれない。
でも、少なくとも、私自身は納得するに至った』
『だから、もうあんな馬鹿な事は言わない。紫にも、馬鹿な事は言わせない。
私は冥界の姫、西行寺幽々子。貴方はその従者、魂魄妖夢。
『この関係が、これからも変わりなく続く事を、私は望みます』
「……ぐすっ……」
妖夢は目元を拭うと同時に、鼻をすすり上げる。
何のことはない。
幽々子も自分と同じような悩みを抱えていたのだ。
こうして、伝えられなければ、生涯気付くことは無かったろう。
でも、もう大丈夫。
……いや、彼女の決意は、最初からなにも変わりはない。
「私は、自らの意思で、西行寺幽々子様へと仕えている。
それは、今も昔も、そして未来永劫変わる事は無い」
そう自答するように、口にした。
「…よし! 早く行かなきゃ」
ぱん、と頬を叩くと、妖夢は日記を閉じる。
と、その時、先程の頁の離れた部分に、なにやら小さな文字が書かれているのが目に入った。
『PS なお、この日記は自動的に消滅します。やっぱり覗き見は主人だけの権利よね』
「……え?」
「……ん? 今、何か音しなかった?」
「聞こえたわね。爆発音かしら」
レミリアと紫の意見が一致する。
その珍しい光景が、事態の正確さを物語っていると言えよう。
「多分、プライバシーの侵害を図ったいけない子への天罰ね」
「多分とか言う割りに具体的じゃない」
「推測するのは自由よ」
もっとも、レミリアにも追求するような気は無かった。
今更、爆発音如きで驚くほど平穏な毎日も送ってはいないのだ。
「あー、そうだ、一つ聞いておきたい事があったのよ」
「え? 何よ改まって」
「幽々子。あんた、どうしてうちで働こうなんて思ったの?」
これは、レミリアのみならず、この出来事を知っていた者すべての疑問であったろう。
あの騒動の根源は、いかなる心理状態をもって発端としていたのか。
後世に伝え残す為には、是非とも知っておかねばならないものである。
等と、大層な台詞を呟くものもあったとか、無かったとか。
無論、幽々子はそのような事など知る由もないのだが、
この日ばかりは何の気紛れか、隠し立てすることなく答えた。
「そんなの……なんとなくに決まってるじゃないの」
<完>
>『誰だよお前ら!』
ちょ……ひでぇっすよこれは!( ゚Д゚)
一行でお役御免てorz
秘封倶楽部の2人にもメイドさんの格好をさせ(スキマ
と、最後まで楽しませて頂きましたー。
壊れたり真面目な雰囲気だったり、もろもろ全て楽しみましたー。
……でもまたひと波乱ありそうな。
何でアレお疲れ様でした。
確か地獄に行ったり宇宙に行ったりしてた気がします。
壁と一体化って聞いて3×3EYESのグプターさん達を思い出したのは多分数人だと思う。
このタイトルを見た瞬間にPC前でガッツポーズですよ、待ってましたw
書きたいことが沢山あるのですが、長くなりそうなので、
印象に残ったことを一つ、戦闘描写がカッコイイです。
M&A戦、幽々子vsフラン、輝夜vsフラン、レミリアvs幽々子、
どれもしびれました!
ところで永琳vs紫はどうなったのだろう、どっちも怪我もしてそうにないし?
次回作の複線?
何はともわれ、大作完結お疲れ様でした。
めちゃめちゃおもしろかったです!
興奮しすぎ・・・
愚痴ですけど、妖夢を通じた幽々子よりも話し全体から覗いた幽々子というキャラについて消化不良な感じが抜け切れないです。で―10点。
それでもここまで書ききったことに敬意を表して。
本当にお疲れ様でした!
面白かったです
長かったが読み応えあって面白かった!
主従の絆とはいいものだ、とまとめるといい話に聞こえるがそんなチャチなもんじゃなかったw