それは、蒲公英の綿毛と言うにはあまりにも大きすぎた。
明らかに大きく、明らかに重く。そして、明らかに浮くのに適さない形。
たとえ風を受けた所で、中空からではまっ逆さまに落ちるだけだろう。
「~♪」
だが、大きすぎるはずのそれは紛う事なく空をゆらゆらと漂っていた。
風に流され、時には風に抗い、まるで空の散歩を楽しむように、しかしある場所を目指して。
白い房にぶら下がった『彼女』は死者が渡る川さえも悠々と越え、その遥か先まで漂っていった。
「・・・ここは全然花が咲いていないのねぇ」
三途の川を越え、彼岸に渡ったさらに先。
彼女は死者が裁かれる所、閻魔庁舎の前に立っていた。
生まれてこのかた、彼岸などという所には縁のない彼女。だだっ広い野原の真ん中にある無機質な直線と垂直の塊を見て、圧倒されたというよりはむしろあきれ返っている。
それもそのはず、ここには彼女と縁深い花が一輪たりとも咲いていなかったのだ。
「見渡す限りの白、白、白・・・・・面白くもなーんともないわ。頭がおかしくなっちゃいそう」
常に花を求めて移動するはずの彼女が、それとは違う行動を取っていた。
その果てに着いたのが彼岸なのに、花の咲かないこの場所なのに、随分な物言いではある。
だが、彼女にとっては自分の行き先に花が咲いている事が全て。行動に責任など持つはずがない。
それに『フラワーマスター』の異名を持つ彼女の手にかかれば、無機質な白など存在しないと同義なのだ。
「こういう堅苦しい場所こそ、見た目だけでも明るく楽しくあるべきなのに・・・・・それっ!」
指をパチリと弾けば、それが彼女の能力の発現の合図。
キラキラと光の粒が舞い、落ちた所に花を咲かせる。咲いた花は・・・・・・色とりどりのチューリップ。
「咲いた咲いた!そうよ、やっぱり花が咲いてないと駄目なのよ」
地面の上、石畳の上、石壁。場所を問わず、向きを問わず、春の花が咲き乱れる。
これこそが彼女の望む風景、彼女の望む色彩。小さな花畑の中で彼女は笑い、歌い、踊り始める。
踊りながらも花は咲き続け、不自然な原色は建物を包み込む勢いで広がっていく。
「あはははははははっ!・・・・・・・・そうねぇ、今度は元気一杯な向日葵でも・・・」
「そんなに花は要りませんよ」
「あははは・・・・・・・は?」
静かな声は、庁舎の入り口から聞こえてきた。
紺の道服に身を包み、子どものいたずらを窘めるような声と一切の揺らぎもない鋭い瞳で。
四季映姫・ヤマザナドゥが、そこに居た。
「悪意ある悪戯なら、今この場で裁いてもいいのですよ?・・・・・風見 幽香」
「・・・・・悪気なんてないわよー」
名を呼ばれた彼女、幽香は閻魔に睨まれているというのに物怖じせず、手をぱたぱた振って悪意を否定する。
「ただね、ここはずーーーっと同じ白ばかりで面白みって物がないから、ちょっと色をつけてやっただけよ。この方が霊たちの目印にもなるでしょ?」
「不要です。そんな事をせずとも小町に導かれた霊は真っ直ぐここを目指す事ができますし、こんな所に霊の宿り木を作られては審判の公平さを欠くというものです・・・・・・って、何故あなたがこんな所にいるのです!?生者がここを目指そうものなら、小町が頑として道を通さないはずなのに・・・」
「ああ、それはね」
手に持った白のパラソルを広げ、とんと地を蹴って舞い上がる・・・常識で考えればそれだけで人体が浮く道理はない。
線で吊るとか、魔力を噴かすとか、とにかく風の力以外に理由なく人体が浮いていいはずがない。
そしてパラソルに風を受ける程度では人は飛べないのもまた道理だ。
それなのに。どちらの力も借りず、幽香は間違いなくその場からふわふわと舞い上がって行ってしまったのだった。
こうやって音もなく上空まで舞い上がってしまえば、空でも見上げない限り気付かれる恐れはないだろう。仮に気付いたとしても、おおらかな死神が相手では大きな蒲公英の綿毛が飛んでるなーという程度にしか思ってくれないだろう。
こんな非常識の原理など、もはや映姫の知識の及ぶ所ではない。パラソルに秘密があるのではと疑うのが関の山だ。
「こうすればいいのよ。妖気を使うわけじゃないし、音も立てないから誰にも気付かれない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
「そうそう。おたくの死神さん、珍しく真面目にお仕事してたわよ。あとでたっぷり褒めてあげないとね?」
見上げる首が痛くなる程度の高さまで舞い上がり、やがて幽香は重りをつけたようにゆっくり降りてきた。
しかし、非常識な光景を目の前で見た割に映姫の視線は変わらぬまま。
「・・・・・・なるほど、あなたが小町に気付かれずここまで来れた理由は分かりました。では、小町を避けてまでしてここまで来た理由は何なのですか?まさかあなたほどの者がこのような悪戯の為だけにここまで来るとは思えませんし・・・」
「まあ、この花はオマケっていうかサービスだしねぇ・・・要らないんだったら消しちゃうよ?」
映姫の返事は無言の頷き。それに応え、幽香はもう一度指を鳴らす。
今度はまるで時計の早回しのように花が朽ち始め、花も、葉も、茎も、根も、みな一様に黒く染まる。
フラワーマスターたる者、花を咲かせるだけでは勤まらない。花の命を完全に司ってこその『マスター』なのだ。
「本当は、大好きな向日葵の花も咲かせたかったの。川を渡り終えた所からでも分かるようにね。でもまあ、あなたが駄目だって言うなら仕方ないよね・・・・・・・・サヨナラ」
そして最後の一葉に至るまでが黒く朽ち果てるのを見届けた所で、再び幽香は顔を上げた。
「・・・今日はね、花の話をしに来たの」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沈黙が走る。
言葉の内容を理解し、映姫はその上で沈黙する。
花を咲かせる事をオマケと言い切った少女が、花の話をするという程度の事で来たと言う。
呆然こそすれ、異論を唱えるまでにはまだ思考が至らない。
「・・・もしもし。聞いてるー?」
「・・・・・・え!?あ、あぁ・・・勿論聞こえています。『花の話をしに来た』と聞こえましたが・・・・・?」
「いかにも。幻想郷ではきっと誰も知らない、でもとても大切な花の話よ」
パラソルを閉じてコホンと一つ咳払い。どこにでもいそうな少女の顔はみるみるうちに語り部の顔になり、永きを生きてきた大妖怪の穏やかな貫禄を垣間見せる。
そして『大切』とつけられては映姫も黙らずにはいられない。幸いにも裁きを受ける霊は久しく来ないようで、半分息抜きのつもりで穏やかな言葉に耳を傾ける。
人差し指をピッと立て、その指先に光が集まり出した。それは無差別に花を咲かせた時の輝きにも似て、光の粒が蠢き、集まり、虚空に小さな光の玉を作り出す。ここまでなら幽香にとって造作もない。
「・・・これは、言葉を持たぬ花。名はあるのだけれど、自らの象徴も主張も持たぬ花・・・・・・・・」
立てた人差し指から、白い花が咲いて生まれ出た。
可憐な花弁は細い指先にも乗ってしまいそうなほど小さく、同じような花がいくつも現れて細い指先を白く彩る。
「言葉のない花?」
「そう。さっき咲かせたチューリップなら『愛の告白』『思いやり』など、向日葵なら『情熱』ってね・・・・・・でも、この花はそういう象徴を持たないの」
「花言葉という奴ですね・・・では、それがないというのは人間にとって馴染みが薄いか利用価値が低いという事なのでしょうか」
「んー・・・・・どっちかというと前者?花より実の方が全然有名だしねぇ」
幽香の指先は、白い花が咲き乱れてさながら小さな花畑。
だがその花も一輪ずつ朽ちて数を減らし、最初に咲かせた一輪だけが最後に残る。
「実をつける花は、ほんの一握り。場所を選ばず、地味ながら精一杯咲き乱れるというのに、その苦労は殆ど報われない・・・でもね、数多の散花を越えて付けた実はそれはそれは素晴らしい物になってくれるの」
「・・・!・・・・・っと」
映姫の手元に小箱が飛んできた。幽香が投げてよこしたのだ。
片手にも乗りそうなほどの白い箱にはご丁寧に赤いリボン、どこからどう見てもプレゼンの類の装丁だ。
よこされた箱を受け止める事に気を取られ、反応に乏しい映姫を見て幽香が笑う。
「あははっ、ビックリした?」
「・・・・・これは?」
「あなた、毎日霊を裁いてて忙しいそうじゃない。働き過ぎは体に毒よ」
「・・・先ほどの花から摂れる薬か何かでしょうか」
「そぉんな改まった物じゃないわ。まあ、開けてみれば分かるけど」
「?・・・まあ、後でそうさせてもらいますが」
「あの死神さんを叱るだけじゃなくて、たまには見習わないとね。あなたも疲れてるでしょ?」
「私たちの仕事ぶりに関係なく、生者は常にどこかで死に霊となるのです。ゆえに、私達の仕事に甘えは許されないのです。休みなら定めた時にちゃんと取っていますので、どうぞご心配なく」
眉間に力を込めて力説する映姫だが、片手にプレゼントの小箱を持ったままではその威厳もどこへやら。
クスクスと笑いながら幽香はパラソルを拡げ、再び蒲公英の綿毛のように気配もなく宙に舞い上がる。
手荷物を渡したせいなのか、先ほどよりもその速さが増しているにも感じられた。
「それじゃ、頭の固い閻魔大王さん。それは確かに渡したからね?」
「確かに」
「私は常に向日葵と共に居るからね~・・・・・・・・・・・・」
突然の来客は、文字通り幽霊のごとくふらりと現れ、また文字通りうっすらと花の香りを残して消えていった。
彼女が咲かせ、そして枯らした花々は既にその残骸すらもない。彼岸の土の養分にもならず、ただ風化して消えていってしまったのだ。その散りざまの潔さは桜にも似て、しかも跡形一つ残さない。まるで幽霊が通り過ぎた後のようだった。
一人残された映姫はとりあえず庁舎に戻り、自室で受け取った箱を開ける。
「わぁ・・・・・」
箱を開けた瞬間から広がる甘い香りの奥に控えていたのは濃茶色の小さなサイコロ。
それが整然と並び、箱の中を占めている。そしてその脇には手紙とおぼしき紙が白い花と共に挟まれていた。
花は幽香が映姫の目の前で咲かせた物に似て、小振りな白い花弁を精一杯広げている。
きっと幽香が書き置いた物だろうと紙を広げると、流麗というよりは可愛らしい丸文字で文章が記されている。
それなりの教養はあるのね・・・などと何となく思いつつ、映姫は丸文字の羅列に目を通した。
『これは、この花が付ける実で作ったお菓子よ。外の世界ではそこら中で見かけるらしいの。
心を落ち着かせる程度の能力を持つから、騙されたと思わずに食べてご覧なさい。でも虫歯には気をつけてね!』
「心を落ち着かせる、か・・・」
果たして、相手は労いの気持ちでこういう物をよこす者だっただろうかと映姫はふと考える。
もしかしたら本気かも知れないし、もしかしたら妖怪特有の気まぐれなのかも知れない。
しかし、あの時の彼女に悪意や敵意のような物は全くなかった。少なくとも食べられない物ではないはずだ。
この白い花からどんな実ができるのかというのが気になるといえば気になる事だったが。
サイコロを一つ摘み、口に放り込む。
柔らかい氷のような歯ごたえでそれは口の中で砕け、舌の上で融けて喉の奥に流れて落ちる。
その甘味と苦味と香りのなんと素晴らしい事か!
続けてもう一つ口の中へ。口の中で融けて広がる甘味と苦味は、確かに頭に感じる無駄な重みを取り去ってくれているような感じさえする。
「こ、これは・・・・・たまりません・・・・・・・・・・!」
真意はどうあれ、あの妖怪は素晴らしい物を残してくれた。
いつかお礼をしなければ・・・と思いつつも箱に伸びる手を止める事はできない。
「おー。映姫様いい物持ってるじゃないですかぁ」
「ぶッ!?」
三つ目を口に含んだ瞬間、背後から威勢のいい声が飛んできた。
息を噴き出しながら後ろを見れば、三途の川で仕事をしているはずの小町がニヤついた顔で立っていた。
「こっこっ小町!?あなたお仕事は・・・」
「映姫様も人の事言えないでしょ?もう次の霊は連れて来てあるんですから」
「う・・・・・・わ、分かりました。今すぐ向かいます」
「・・・・・・・・・・・・ねぇねぇ映姫様」
急いで法廷に向かおうとする映姫を小町が引きとめた。
「いや~、映姫様もなかなかスミに置けませんねぇ。そんな物もらっちゃってぇ」
「あっ!?こ、これは私がもらった物です。食べるなとは言いませんが、私の許しなく手を出してはいけませんよ」
「・・・・・あぁ、映姫様は『それ』の意味をご存じないんですね」
小町のニヤつきが更に露骨なものになっていく。
幽香の悪意を感じず、しかし小町の言葉の意味を理解できない映姫の足は完全にそこで止まり、小町の方に向き直って話を聞き出す空気を作り出す。
「意味?私にはただの労いか気まぐれにしか思えないのですが・・・小町は何か知っているのですね?」
「いやまあ、今連れて来たのが若い女の霊なんですけど面白い話を聞かせてくれたんですよ。毎年この時期になると、外の世界じゃ女は自分の想い人にそういうお菓子を贈るんだって」
「なっ・・・・・・・!!?」
映姫の顔がみるみるうちに真っ赤になる。
何も知らずに三つほど口にしてしまったが、まさかそんな『愛の告白』に通じる意味があったとは。
赤くなる顔とは反対に頭の中は白くなっていく。
「幻想郷の此岸もすごかったですよぉ。あの紅白がそのお菓子を一杯もらってたり、薬やらキノコやらが入った世にも奇妙なのが乱舞したり。誰が先に渡すかで弾幕ごっこやってる奴らもいたし」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・ところで、映姫様は誰かr」
「・・・・・・小町ッ!」
「きゃん!?」
小町の問いかけを遮って映姫が掴み掛かる。理知的な彼女がこんな事をするのは非常に珍しいのだが、目を白黒させて驚く小町を気にせず映姫は一回り大きな体の小町を掴んで放さない。
握り締めた手は筋や血管すら浮き出てきて、とても少女のものとは思えない状態を呈している。
そして空いた手で箱の中身を取り出し、小町に手に無理矢理乗せた。
「ちょ、ちょっと映姫様・・・何を・・・・!?」
「このような贈り物をもらった事がないから分からないの・・・私はどのようなお返しをしたらいいのですか?これを一つあげるから小町、今すぐ教えなさい」
「え、えっと・・・・・その前にコレはあたいへのプレゼントと受け取っても?」
「そんな事は後でいいから!今すぐ教えなさいったら教えなさい!」
まるで、どこぞの氷精を見ているような気分だった。
『あの』クールでお堅い映姫様もこんなに熱くなるのか・・・真面目一徹な上司の意外な姿を見て、
小町は楽しそうな笑みも含めてニヤつきを強める。
「まだ全然早いんですよ、映姫様・・・コレはお返しをする時期って奴も決まってるそうですから、その時が近づいてきたらまた教えてあげますって」
「・・・・・そ、そうですか・・・・・・・・・分かりました」
やっと映姫の手に込められていた力が抜け、小町も解放される。
しかし頭の中はお返しの事で一杯のようで、なにやらうわ言のように呟きながら足は法廷に向かっている。
一杯一杯になりながらも自分の本分は忘れていないらしい。それを見て何となく小町も安心し、引き続き自分の仕事をこなそうと映姫と共に部屋を出た。
「ところで小町、先ほどあなたにあげたお菓子の件ですが」
「はい?」
「あれは日頃の労いの気持ちとして取っておきなさい。そしてこれからも真面目に仕事に励む事」
「・・・・・・はいはい」
先を歩く映姫はどんな顔をしているのだろう。彼女の前に出て顔を確認するのは流石に畏れ多い。
だが、映姫の性格を考えれば顔を赤くしながら言っているに違いない。小町はそれくらいお見通しなのだ。
映姫からもらったお菓子を口に放り込み、甘味と苦味をじっくり味わいながら小町は決意を新たにするのであった。
そして映姫も小町も殆ど訪れない、閻魔庁舎の真裏の一角。
ここに、蒲公英の花が一輪だけ咲いていた。幽香が密かに咲かせ、密かに残しておいたのだ。
妖怪の能力で咲かせた花は、自然の物と違って簡単に枯れるような事は決してない。
映姫が抱く想いを、物言わぬ蒲公英は知っている。
そして幽香の想いを、物言わぬ蒲公英は抱いている―――
(to be... ?)
フランクな性格な幽香と生真面目な映姫様。
2人の性格のギャップが逆に良い感じを与えております。
小町の突っ込みもなかなか。
ところで映姫様はツンデレなのでしょうか?
それと、個人的な話になりますが、期間限定とは言っても創作は創作。
時間をかけて書かれた文章を削除するのは余りに勿体無いと思います。
例えSt.ヴァレンタインの話でも、立派な小説ではありませんか。
まあそれに、私自身、こういうお話は大好きですしね。
消すには惜しい。
そう言っていただけるのなら、消すのやめよう・・・
諸事情があるけど、やっぱり皆さんに読んでほしいし。
メッセージ冒頭の一文も消しておきます。ご迷惑をおかけしました(;´Д`)
映姫様はやっぱり恋に関するイベントには無知なのでしょうか。
それも生真面目故ですかね。
>幽香×映姫、真面目な委員長を放っておけないチョイ悪な気まぐれっ子
思わず麦茶噴いたw
そして映姫の慌てぶりが中々。
皆さんと同様に消すのには勿体無い作品と私も思います。
映姫さまが説教してなくていいですね。いや、この言い方もどうかと思いますけど。
それは正に慧音に対する妹紅のように! 二人の相性は素晴らしいのである!
・・・ところで、この組み合わせでねちょろだに(デュアルジャッジメント
積極的で仲良しゆうかりんとはまた新しいっ
映姫至上主義の俺にとってマジでスバァラシィィィィィ!!