「私の全てを貰ってくれ、香霖」
「断る」
“Vの悲劇”
「して、その心は?」
「僕は今、何をやっている?」
「空を飛ぶ練習だな」
箒を片手に行うべき事。
魔法使いである霧雨 魔理沙にとってそれは、確かに飛行の訓練であるのかも知れない。
だが、古道具屋を生業とする者が、箒を以てそんな真似をする必要性はどこにも無い。「掃く」に通ずる「ははき」を
語源に持つ道具を使って、森近霖之助がする事と言えば唯一つ。
松の内も終わって一週間程が過ぎた大安のこの日、昨晩の望月を雲で隠していた空が、昼を過ぎてやっと太陽を見せた
その少し後、唐草模様の大きな風呂敷包を背負って、白く光る世界の中を魔理沙は香霖堂へとやって来た。
――カランカラン
いつものこの音ではなく、
――バリンガシャンッ
という豪快な響きと共に。
「まぁ、私にも幻想最速のプライドが有るからな。あいつに負ける訳にゃいかんよ」
それは、張り合うべき所を間違えていないか。
そう言いながら掃除道具を引っ張り出してきた霖之助を尻目に、机の上に在った飲み掛けのコーラをさも当然の如く
空にして、その冷たさに文句を言って後、魔理沙が言い出したのが冒頭の一言。
その問いへの回答についての説明を、霖之助は、吹き込んでくる冬の寒風に身を震わせながら続けた。現時点では雪
は降っていない。それだけが、唯一の救いである。
「君の要求に『はい』と答えたとしよう。
君は、一度研究に没頭しだすと何日も部屋に籠もったりもするが、そうでない時は、基本的によく外へ出掛ける人間だ
ろう? 何かを探しに出るにしろ、宴会をするにしろ。
そうして君が外へ行き、此処へ帰って来る度に、僕はこうして余計な仕事をしなければならなくなる。
例え一緒に住む事になっても、掃除は決してしない、その君の特性が変わる事なんて無いだろうからね。僕一人、負担
が増すだけだ」
「掃除と言うのは、箒をそれにしか使えない者がするべき仕事だからな。当然、私はやらないよ。
……て言うか、『一緒に住む』って、そりゃ何だ?」
怪訝な顔をする魔理沙。お互いをよく知っているこの二人でも、どうやら考えている事が擦れ違う場合が在るらしい。
「全てを貰ってくれ」という言葉の真意を、改めて魔理沙に問う霖之助。
「あー、あれだ、言葉がちょっと足りなかったか?
あれはな、『私の“蒐集した物の”全てを貰ってくれ』と、そういう事だ」
「雪女が、『私“ ”を抱いて下さい』って言うのと同じだ。『ちょっと足りない』なんてものじゃないな。
――それにしても、それ、本気で言っているのかい?」
「雪女は人間じゃないからな。私と比較する事自体に無理がある。
――それは兎も角、本当の話だぜ。取り敢えず、これが手附代わりの品だ」
そう言って床の上にぺたりと座り込み、そのままの意味で大風呂敷を広げる魔理沙。
「――これで手附、か。流石に凄いな……」
それを上から覘き込んで霖之助は、思わず詠歎の声を上げた。
水晶製の髑髏、人魚の干物、燃え上がる火焔を模したかの様な形の土器、微かに血の匂いのこびりついた杯、“漢委奴
国王”と刻されている金印、飛蝗の顔をした妖魔が描かれている札、透明な窓から二つの滑車が覗く“12話”と記された
黒くて小さな箱、常世を連想させる赤い渦巻き模様と異国の文字が書かれた白い箱――――……。
統一感というものに全く欠けたその品々をざっと見渡しただけで、霖之助は、自身の能力など関係無しに、それらが
どれだけの価値をもった物なのか、即座に理解が出来た。
手附でこれなのだ。霧雨邸には、この数倍、いや、数十倍にも及ぶ蒐集品が無造作に押し込まれている筈。それが全て
自分の物になるという、信じられない様な幸運。
「六曜なんてものは、正直、余り信じて――――ん?」
ふと視界の端に入り込んだ“それ”に、霖之助の言葉が途切れた。
誰ヶ袖形で見込みに白の釉(うわぐすり)、その周りに緑釉が施された鉢。内面の中央、見込には、鉄絵で菊が力強く
伸び伸びとした筆跡で描かれている。
そこまでを見れば、形の面白い、けれど出来の良い陶器である。だが、それには奇妙な点があった。
鉢の底、裏面には、三方に軽く摘んだ様な足が付いているのだが、残りの一方のみは器そのものが下方に歪められ、
足の代わりとなっていた。
「魔理沙、これは?」
「ああ、それか? 一応、取って置きの品ばかりを持って来たつもりだったんだが……それも混じってたんだな。
――何処の下手糞が焼いたのかは知らんが、見ての通り変にかたがっててな、まともに使えやしない。
あ、勿論、それもプレゼントの一つだぜ?」
「いや、流石にこれはいらないよ」
「そう言うなって。マイナスの価値でないのであれば、どんな物であろうと引き取ってもらわにゃ、こっちが困る」
魔理沙の物言いに、少々引っ掛かるものを感じた霖之助。そもそも、何故彼女がこんな行為に及んだのか、それが判ら
ない。
そんな霖之助の、半ば不審者に対するかの様な視線に気付いたのだろうか。
「実は今、少しばかり急いでてな。悪いが、詳しい説明は後にさせてもらうぜ」
不信感を増す以外には何の効果も持たない、そんな言葉を魔理沙は口にした。
「それよりも香霖。ちょっと指を一本出してくれ」
「何をする気だい?」
「切らせてもらう。血が欲しいんだ」
「……今度は、一体何の言葉が抜けているんだろうな」
「うにゃ。多分、何も抜けてないと思うぜ?」
そう言って魔理沙は、懐から小さなナイフと、一枚の紙切れを取り出した。
それを見て、彼女が何を言いたかったのか、すぐさま理解する霖之助。
「……確かに、必要な単語は、一応全部入っていたな。
ただ、『軽く』とか『少し』とかいう語が在ったのならば、とても親切だったと僕は思うよ」
「私としては、『思いっ切り』『大量に』でも一向に構わないんだがな。
それよりも、早くしてくれ。時間が無い」
「契約書に血判、か。余り穏やかではないね。これはどういう意味なのか、書面を確認する時間くらい貰えないか?」
「本当に時間が無いんだ。早くしないと、あいつ等が……!」
窓ガラスが砕ける音で会話を中断された。
「ちょ……はぁっ……魔理沙……。あんた、抜け駆けは…………くはぁーっ!」
「流石は自称都会派だな。この程度の事で見事に息切れして。
あと、都会生まれの都会育ちは、多分、自分の事を都会派とは言わないと思うぜ?」
「黙りなさい……! あんたみたいな……はぁっ……足だけは速いパワー馬鹿と……ぜはぁっ……は、違って……私は頭
脳派……インドア派……くはぁ……なの……。少し位……体力無くても……――仕方無いでしょっ!」
「頭脳派を自称する頭の良い奴ってのも、多分居ない。
けど、インドアってのは認めるぜ。何処かの後ろ向きな犯罪者と気が合いそうだ。
……ああ、それと、場合によっては鬼も、か?」
本日二人目となる、窓からの来店者。“七色の人形遣い”アリス・マーガトロイド。彼女もまた魔理沙と同じく、その
背に大きな風呂敷包みを負っていた。彼女の名前からも、容姿からも、そして、“都会派”という言葉からも、どうにも
掛け離れた装備で、息も絶え絶えに白黒に食って掛かる七色と、そんな七色に軽口で応じる白黒。
合わせて九色の魔法少女を見ながら、霖之助は、昔から言われている諺を一つ思い浮かべた。
それは兎も角、これでも一店の主、その来店の仕方に多少の文句は有れど、折角のお客に何の対応をしない訳にもいか
ない。そう考えて、未だ肩で息をしている少女に、後ろから声を掛ける。
「いらっしゃい。何の御用で……!」
店内に響いた音が、霖之助の言葉を遮った。
諺の通り、窓から入って来た来訪者。諺の通り、大きな風呂敷と一緒に。
「あー……、お前まで追い着いたのか、パチュリー。やれやれだぜ」
「その物言い……どうやら、間に合ったようね」
眠たそうな半開きの目でゆっくりと口を開くのは、ヴワル魔法図書館の主、パチュリー・ノーレッジ。
「随分と……ゆっくりとした……御到着じゃない……?」
ようやく呼吸のリズムが元に戻ってきた。そんなアリスに対して、
「大急ぎで飛んで行った貴方が、きっと魔理沙を止めておいてくれる。そう踏んでいたからね。
見事に予想通りだったみたいだし。御苦労様」
つまらなそうな顔で労いの言葉を一言、それからパチュリーは、霖之助の方を振り向いた。
「私の全てを貰って欲しいの」
断る事も、言葉の真意を問う事も、文法についてのあれこれを言う事も、最早霖之助はしない。
ただ静かに、開かれていく包みを見守るのみ。
「これは――」
“アル・アジフ”、“ソロモンの鍵”、“ナコト写本”、“ルルイエ異本”、“魔女たちへの鉄槌”、“九鬼文書”、
“天命の書板”、“白澤図”、“日本古代文明論”、“ゲー○スト”――――……。
数冊の書名を眺めただけで、軽く眩暈を覚える霖之助。そんな彼に、顔を真っ赤にしてアリスも叫ぶ。
「わ、私もっ!」
随分と狭くなった香霖堂の床に、次々と並べられていく人形達。
「これも、また――」
マトリョミン、兵馬俑、遮光器型土偶、ブードゥー人形、左手の失われた黒い道化姿の懸糸傀儡、薔薇模様の眼帯を
付けた少女型のビスク・ドール、所々が汚れた白い洋装・白い髭・白い髪の眼鏡の老紳士人形――――……。
包みを開ける後と前で、明らかにその体積に差がある気もするが、兎も角、これらも貴重な価値有る品々には違い
無い。
「あー、香霖。
本物の目が入ってたり、首をはねると雨が止んだかの様に見えたり、そんな得体の知れない人形、手を出さない方が
身の為だと思うぜ? 呪われるぞ」
「失礼な言い方は止してよ、魔理沙!
目はちゃんと、定期的に綺麗な物と入れ替えてるんだから!」
「貴方の人形も、魔理沙のがらくたも、同様に価値が無いわね。
古道具屋の店主をしている程の目利きなら、誰の物をを選ぶかなんて、考える迄も無いでしょう?」
魔理沙の蒐集品も、魔女の書物も、魔法使いの人形も、全てが同時に手に入る……と、流石にそこまで美味しい話と
いうものは存在しないらしい。
少し残念にも思う霖之助だったが、それでも、これらの内一つでも手に入るのであれば御の字である。
ただ、何を選ぶか、その選択権は、どうやら彼の側には与えられていない様であった。
「――表へ出な。
貧弱な現代っ子や虚弱なお嬢さんに、身体を動かす事の楽しさってのを教え込んでやるぜ」
「……丁度良いわ。魔理沙に盗まれた本の数々も、この機会に回収させてもらおうかしら」
「魔理沙らしい単純な提案だけど……そうね、悪くはないわ。判り易くて」
そう言って、店内から姿を消す三人の魔法少女。
――迷惑な行為には違いないが、これだけの物が手に入るのだ。ここは我慢しよう。外でやってくれる分には、店の
品に被害は出ないだろうし。
そんな霖之助の考えは、開け放たれた窓から飛び込んできた光と轟音、そして、それと共に起こった振動によって脆く
も崩れ去った。
慌てて窓から顔を出す霖之助。
「恋符『マスタースパーク』ッ!」
「符の壱『セントエルモエクスプロージョン』」
「魔操『リターンイナニメトネス』!」
其処では、彼が予想していた“弾幕ごっこ”とはまた少し違った、魔法使い同士のバトルロワイアルが繰り広げられて
いた。
世界そのものを震わせる極大の魔砲、地面に叩き付けられた火球が巻き起こす爆風、投げ捨てられた人形が放つ逆流
する命の青白い閃光――……。
若し何かの拍子でこれらの内いずれか一つでも直撃すれば、それだけで香霖堂は消し飛びかねない。
窓ガラス三枚程度なら、現在手に入れ掛けている物の事を鑑みれば、十二分にお釣りが還ってくる。だが、店そのもが
無くなるというのであれば、幾等何でも流石にそれは堪らない。
何とかして三人を止めたいが、霖之助の力ではどうする事も出来ない。下手に近寄れば、彼自身の命の保障さえ定か
ではないのだ。
――カランカランカラッ
何も嵌っていない窓の枠に、両肘をついて頭を抱える霖之助の後方、本日四人目にして、初めて店の入り口から音が
した。
「邪魔をする」
そう言って静かに戸を閉める少女を、霖之助は背後を振り返って一瞥し、そして直ぐに窓へ向き直ると、外に向けて
大きな声を上げた。
「魔理沙! 取り敢えず、割れ物だけでも仕舞っておくよ!」
「どうせ、もう直ぐお前の物になるんだ! 好きにしろ!」
霖之助の方は見ずに、声だけを返す魔理沙。
彼女の許可を得て、霖之助は、床に置かれていた鉢を、近くに在った適当な箱に入れた。
そうして後、入り口で立ったままの少女に、改めて声を掛ける。
「いらっしゃい、何をお探しで?」
「何……という訳でもないが、近くに来たんで、何か面白いものでも入荷していないかと、物色しに寄ったんだが……。
――外のあれは、一体、何なんだ?」
「丁度良い所に来たね。二つの意味に於いて」
「一つは?」
「面白い品なら、あともう少し待ってくれれば、大量に入荷する予定さ」
「二つは?」
「あの三人を止めてくれないか? 僕には無理だが、君だったら……」
「……昨晩なら兎も角、今の私の状態だと、それはちょっと難しいんだが――」
――それよりも先ず、事の経緯を説明してくれないか。
そう言って白沢の少女、慧音は両の腕を組む。そんな彼女に、魔理沙が来店して後、現在の状況に至る迄の経過を説明
する霖之助。
「――――と言う訳なんだが……ん? どうかしたのかい?」
霖之助の説明を、初めは神妙な顔付きで聴いていた白沢だったが、話が進むにつれ、次第にその口の端は吊り上がり、
目元は緩み、仕舞いには口に手を当てて小刻みにがたがたと震えだした。明らかに尋常ではないその様子。霖之助が心
配になるのも無理は無い。
「具合でも悪いのかい? 薬だったら、永遠亭から卸されたのが幾等か在るけど――」
「――いや、平気だ。そういう訳ではなくて……。
……ただ、何と言うか、随分羨ましい話だな、と」
「確かに、白沢の君になら、此処に在る品々の価値はよく理解出来るだろうからね。羨む気持ちは判る。
けれど、このまま彼女達を放っておけば、店ごとこの宝の山も破壊されかねない」
「だから――そうじゃなくて……。
大変だな、魔理沙達も。相手がこんな鈍感男では……」
「ちょっと待ってくれ。今のは聞き捨てならないな。
一体全体、僕の何処が鈍感だって言うんだい?」
「――いや……だから……そういう所が…………。
…………く、ふふふふふ……ははははは…………あ――っはっはっはっはっ!」
堪え切れずに、とうとう腹を抱えて大声で笑い出す白沢。
その奇行に霖之助は、心配や不快感を通り越して、少々の恐怖感すら感じ始めていた。
「いや、済まない、済まない……くっ、くく……」
お世辞にも申し訳無さそうにしている風には見えない。そんな様子で、涙に濡れた目を擦る。
「時に……訊ねるが、今日が何の日か、知っているか?」
「また突然だね。
……今日は、睦月の十七。特に何の日、という訳でも無いが、強いて言うなら六曜に於ける大安だね。先勝ではなく」
ついさっき迄は、正しくその通りだったのに。そう息を吐く霖之助に、白沢は、
「――外の世界では、今日と言う日はまた、特別な意味を持った日でもあるんだよ」
未だ涙を溜めている瞳を窓の外へと向けながら言った。
「発端は魔女かな?
悪魔の館に住んでいる者なら、これについての知識を持っていたとしても、まぁ不思議でもないし。
……しかし、あれだな。この場は、何としても魔理沙に勝ってもらわないと、だな?」
「でもないさ。と言うより、正直に言えば、彼女には一番に負けてもらいたい」
魔理沙の蒐集品には、確かに信じられない様な秘宝の類が混じっている事もある。だがそれと同じ位、いや、それ以上
に、只のがらくたが埋もれてもいるのだ。全体として見れば、一品一品が価値有る物で、且つ当たり外れも少ない本や人
形の方が評価は高いだろう。
「やれやれ。人は自分に無いものを持った者に惹かれる、とはよく言うが、必ずしもそういう訳ではない様だな。
似たもの同士、捻くれ者同士であっても、良縁は、やはり良縁だ。なぁ?」
締まりの無い顔で言葉を返す白沢と、その言いたい事が理解出来ずに首を傾げる霖之助。
そんな二人の視線の先、破壊的に近所迷惑な魔女達の舞踏会は、間も無く一人の脱落者を出さんとしていた。
「……応援、してやったらどうだ?」
「誰のだい?」
表情一つ変えずに応える霖之助に、慧音は、流石に少々、呆れというものを感じた。
この期に及んで、そんな意地を張るべきでもないだろう、と。
「このままでは本当に負けるぞ、魔理沙」
「そうなのかい? 僕にはよく判らないんだが」
その反応に、軽く溜め息を吐く白沢。だが、霖之助は何も恍けた訳ではない。荒事を好まない彼には、本当に、この勝
負に於いて誰が有利なのか不利なのか、判断が出来ていないだけなのだ。
そんな彼に慧音は、現在の状況を説明する。
「魔理沙の得意とする魔砲は、攻撃力・攻撃範囲が絶大な分、小回りが利かないし外した場合の隙も大きい。
一対一の勝負や、纏まって行動する群体相手には強力でも、別々の意思で行動する複数の個体が入り乱れている今の
様な状況では、少々扱いづらい。何せ、一方を狙えば、その隙をもう一方が確実に突いてくる訳だからな。
こうした混戦に於いては、多数の人形を同時に操れる人形遣いや、多種多様の魔法を状況によって使い分けられる魔
女の方が有利なんだ」
「そういうものなのかい?」
「そういうものなんだ。そして、あの三人もそれを理解している。
これがどういう意味か――判るか?」
「…………。
……なるほど。これは確かに、魔理沙が負けるか」
三人の内一人は、自分が不利である事に気付いている。
三人の内二人は、一人不利な状況に在る者が居る事に気付いている。
なれば、“二人”が採るであろう行動を、霖之助も容易に理解する事が出来た。
「土水符『ノエキアンデリュージュ』」 「咒詛『蓬莱人形』!」
霖之助の予想通り、三人の魔法使いが一直線上に並んだ。“一人”を中央にして、その両端に陣取る“二人”が、それ
ぞれのスペルを宣言する。
「……と言う訳で、応援が必要なんだ」
魔理沙の敗北を確信した霖之助の耳に、再び「応援」という単語が入ってきた。
――この状況で、今更そんな事をしても意味が無いだろう。
そう応える彼の言葉を、白沢は、そんな事は無い、と、はっきりと否定した。
「魔法と言うのは、言うなれば心の力。故に、術者の精神状態によって、その性能は大きく上下する。
しかも、魔理沙が使うのは、そのものずばり“恋の魔砲”だ。
だから、ここでお前の声援が加われば、必ず魔理沙は勝てるんだ!」
「精神論の方は……まぁ、理解出来る気もするけれど、そこで何故僕の話が出てくるのか、それが判らないな」
「いい加減……こういう状況でくらい、少しは自分に正直になったらどうだ?」
端から自分を偽っている心算など微塵も無い霖之助だったが、目の前の白沢は、どうにもそれを理解してくれない
らしい。
事態がこれ以上、おかしな方向に転ぶのは勘弁してもらいたい。そう考えて霖之助は、観念した様に口を開いた。
「……そうだな。僕としては、やっぱり、魔理沙に勝ってもらいたい。
――かも知れない。多分」
確かに当たり外れの多い魔理沙の蒐集品だが、それでも魔女や人形遣いの品々に比べて、極端に劣っている訳では
ない。若しかしたら、大当たりが連発する可能性も無くはないのだし。元々が濡れ手で粟の話なのだ。余りに贅沢が
過ぎる事まで言う必要も無いだろう。
それに、何と言っても、魔理沙とは昔からの付き合いがある。義理と言う言葉を持ち出す気も無いが、ここは……。
そう考えての霖之助の言葉。それを聞いた慧音は、我が事の様に顔を綻ばせつつ、空に向かって声を上げた。
「聞いたか魔理沙!
彼は、絶対にお前に勝って欲しいそうだ! お前からの贈り物を、一番に望んでいるそうだ!」
明らかに誇張の含まれたその言葉、それを聞いて魔理沙は、帽子の鍔でそっと顔を隠した。
周囲からは窺う事の出来なくなった表情、その中で、唯一覗く口元は……。
「――よく笑っていられるわね、この状況で。とうとう観念したのかしら?」
「うにゃ。心に描いてた未来予想図ってのが、今、はっきりと見えたもんでな。つい笑みが洩れた」
赤い服を着た、妖精の様な羽根を持つ人形を召喚するアリス。彼女の問いに、顔を隠したままで応える魔理沙。
「貴方の魔砲では、私とアリスのどちらかしか攻撃出来ない。彗星でもそれは同じ。
魔符では攻撃力が低過ぎて、一点集中型の私達のスペルを受け切る事は不可能だし、儀符・星符では発動に時間が
掛かって間に合わない。
光符はそれなりに厄介だけれど、用心してさえいればそうそう当たりはしない。
一つ、この状況に最も適したスペルがあるにはあるけれど……真逆、オリジナルの術者の前で、劣化コピーを使う程に
は惚けていないよね? あれの弱点は、この私が一番よく理解している。
――判るかしら、魔理沙? あなたはチェスや将棋でいう『詰み(チェック・メイト)』にはまったのよ」
貴方の描いた未来とは、つまりはそういう事ね。天に向けて掲げた指先に“水”“土”の魔力を集中させながら、抑揚
の無い声で魔女は告げる。
それを聞いて尚、魔理沙は、その不敵な笑みを失いはしなかった。
「流石は吸血鬼の家の居候だ。格好良いぜ、今の科白。
……ただ、一つ付け加えるなら――――今の言葉は、これから負ける奴の科白だ。
それと、言っておくが――……。
……――未来予想図ってのは、古今東西薔薇色だって相場が決まってるんだぜっ!!」
言いながら、帽子の鍔を人差し指で弾き上げた。
そこから現れた魔理沙の目。戦いをやめぬ者、諦めという言葉を知らぬ者の、勝利を確信したその瞳。
「光の魔砲に想いを乗せて、届け! 私の“恋心”ッ!!」
小さな胸の前で浮遊するミニ八卦炉。
淡い光を放つそれを強く抱きしめる様にして魔理沙は、自身の両手を交叉させた。
「しまった、まだそれが――!」 「させるかぁ――ッ!」
パチュリーが、アリスが、その収斂させた魔力を一気に解き放つ。
土塊を含み高速で打ち出される数十もの水弾。人形の正面から照射される破壊の閃光。
左右から挟み込む形で魔理沙に迫るそれを――……。
「ダブルッ! スパァア――――ッック!!」
二本の滅殺の恋が、一瞬にして飲み込んだ。
「そんな……」 「ここまできて――!」
巨大な盾を持った人形達を、月精の力が秘められた八芒星陣を、それぞれに呼び出す二人の魔法少女。
その姿もまた、光の彼方へと消えてゆき――――…………。
◆
「――――と言う訳で…………。
改めて。私の全てを貰ってくれ、香霖」
身体中のあちらこちらを小さな傷だらけにして、それでも尚、白い歯を見せて力強く笑う魔理沙。
――これじゃまるで、野駆けから家に帰って来た小さな子供だ。
年頃の少女がこれで……と、全くに思わぬ訳でもない。だが、それよりも、やっぱり魔理沙は魔理沙だ、そんな思いの
方が霖之助には強く有った。
「それじゃぁ頂くぜ、お前の血」
「君、本当に人間かい?」
「普通だぜ。
『あったけェー血ィイイ!』とか、そこまで言い出したのなら心配してくれても構わんが」
そう言って、先程の紙切れを取り出す魔理沙。
それを見て慧音は、あっ、と、小さく驚きの声を上げた。
「いきなり婚姻の約定か? 別に良いけど、随分とまた気の早い事だな」
「昔から言うだろ? 『急がば回れば事を仕損じる』ってな。
――って、婚姻って何だ?」
「無理矢理におかしな諺を造らなくても、普通に『善は急げ』だとか『先んずれば人を制す』と言えば良いだろう。
――って、婚姻って何だい?」
見事に息の合った二人の反応に、目を丸くする慧音。
霖之助については判る。大勢の女性に囲まれた、眼鏡で荒事を好まない男という者は、得てして鈍感である事が殆ど
だ。先程迄の会話の中でも、慧音はそれを確信していた。だから、霖之助のこの反応については何の不思議も無い。
だが、魔理沙はどうなのだ? 彼女は、今日が何の日だかを理解して、その上で、自身の想いの為に戦っていたのでは
ないのか?
――いや、ただ単に、“婚姻”という言葉に対して、それは行き過ぎだろう、と、そう驚いただけなのかも知れない。
だが、今のこの状況で、血判を必要とする様な契約書など、婚姻の他に一体、何が在ると言うのだろうか。
「魔理沙。婚姻ではないのだとすれば、この契約書は何の?」
「白沢の癖にそんな事も知らんのか。これはな、さんb――――」
言い掛けて、慌てて魔理沙は口を塞いだ。
訝しがって視線を送ってくる霖之助に、良いからさっさと判を押せ、と、余りに判り易いまでの怪しい言動をとる。
「……一つ訊くが――お前、今日が何の日か、勿論判っているんだよな?」
「あー? 当然だぜ。
人が死んだ日だろ。今日は」
白沢の質問に、何かが色々と足りない答を返す魔理沙。
「――より正確に言えば、基督教の司教、聖ヴァレンティヌスの命日、ね」
随分と涼しげな服装になった魔女が、魔理沙の言葉に補足を付け加えた。
滅殺の恋心に撃墜されて後、暫くは「むきゅー」と目を回していた彼女だったが、どうやら無事、意識が戻った様だ。
と言うより、あれだけの攻撃を受けていながら、この短時間であっさりと回復するというのも、また凄い話だ。偶に
店へ来るメイドから、魔女は身体が弱い、と聞いていた霖之助だったが、どうやらその情報は誤りであったらしい。
「――で、聖ウァレンティヌスの命日、バレンタインデーと言うのは、現代に於いては一体どういう日なんだ?」
「……やれやれ。そんな体たらくで、よく“知識と歴史の半獣”などと謳えたものね。
――良いわ、貴方にも説明してあげる」
「ちょっと待て、パチュリー! その話は、契約書に判を貰ってから――」
そう言って身を乗り出す魔理沙を、慧音は片手で制する。
「聖ヴァレンティヌス……彼は、今から千六百年以上昔の今日この日、時の皇帝の命に逆らったかどで処刑されたの。
けれど、彼の怨念は、強力な呪いとなって顕界に留まった。
毎年、彼の命日、バレンタインデーに、それは発現される。
この日、女性が男性に贈り物をすると、呪いの強制力によってその男性は、一月後の同じ日に、貰った品の三倍に値
する価値の物を還さねばならなくなる。
但し、この呪いを発動させる為の契約は、一組の男女の間でしか結ぶ事が出来ない――――」
「――――だから、私達は此処に来たのよ。
幻想郷で男っていうと、この店主以外には知らないし、それに彼、古道具屋だから、お返しの方も問題無いと思った
からね。
あーあ、コレクションを一気に増やす、絶好の機会だったのに……」
いつの間にやら目を覚ましたもう一人の少女が、縄で首を吊った人形と一緒になって溜め息を吐いた。
「ちょっと待ってくれ!
と言う事は何かい? この契約書に判を押したら、僕には何の利益も無いどころか、来月迄にあのがらくたの山を三
倍にして魔理沙の家に持って行かなきゃならないという事か?
――冗談じゃない。……全く、話が巧過ぎると思ったよ」
「くーっ! 言ったら絶対こうなるから、それで黙ってたのに!
仕方無い。こうなったら力ずくで、お前の血を頂くぜ!」
「君、やっぱり人間じゃないだろう!」
「普通だぜ! 人間ってのは、普通こんなもんだ!」
組ず解れつの掴み合いを始める二人を前に、慧音は一人、頭を抱えて長嘆した。
「もう一つ訊きたいんだが、魔理沙……。
先程の戦いの時に言っていた『想い』だの『恋心』だの、あれは何だったんだ?
其処の店主に向けた言葉ではなかったのか?」
「あー、あれか?
あれは、ダブルスパークを発動させる為のコマンドワードみたいなもんだ。
相手が毛玉だろうと何だろうと、ダブルスパークを使う時には必ず言う科白だぜ」
床に押し倒した霖之助の上に馬乗りになりながら、魔理沙は慧音に応えた。
「さーて、観念してもらうぜ?
安心しろ、痛くはしない」
「身体的な痛みは無くても、僕の懐は途轍もなく痛むと思うんだが」
「大丈夫。香霖堂は、来月には店ごと私が貰ってやるぜ。
お前も、売り子としてちゃんとずっと雇ってやるから、何も心配するな!」
「…………あー、その、何だ? お取り込み中に済まないんだが――――」
咳払いを一つ、何処か申し訳無さそうな表情で、白沢が話を切り出した。
「先程の魔女の話なんだが……。
――――何と言うか、あれはな……間違いなんだ。呪いとか、三倍返しだとか」
その言葉に、霖之助の上で暴れていた魔理沙の小柄な身体が、ぴたりとその動きを止めた。
「ヴァレンティヌスが処刑された――それは、確かにその通りなんだが……。
彼が処刑された理由と言うのは、当時、彼の住んでいた国では禁じられていた、兵士達の結婚を行った為なんだ。
故郷に愛する者が残されていると、死を恐れて兵の士気が下がる――そう言って時の皇帝は兵士達の結婚を禁じたんだ
が、ヴァレンティヌスはそれに逆らい、そして処刑された。
こうした経緯から、彼の命日、バレンタインデーは、男女が愛を誓い合う日となった。
……まぁ、簡単に説明すると、こういう事なんだ」
「それじゃ、三倍返しってのは……」
「それはな、魔理沙。
現在の外の世界に於ける……まぁ、一種の迷信……は違うか。慣習みたいなもの、かな?
バレンタインデーに男性に贈り物をした女性の多くは、それが一ヵ月後の同じ日――これは、ホワイトデーと言われて
いるんだが――、三倍の価値のものとなって男性から還される、と、そう期待しているそうだ。
実際、三倍にしようと努力する男性も多いらしいしな。
ただ……これはあくまで任意の行為であって、そこには何の強制力も無い。極端な話、男性の側には、何のお返しを
しないという選択肢さえ有るんだ」
「あー、何だそれ? 聞いてないぞ。
どういう事なんだ、パチュリー?」
「……まぁ、基督教の殉教者の話が、悪魔の間にまともな形で伝わっていないのは当然よね」
非難がましい視線と声をまるで気にもせず、さっさと荷造りを始めるパチュリー。
「そろそろレミィが起きてくる頃だし、私はこの辺りで御暇させてもらうわ」
「……私も。
あーあ。とんだ無駄足だったわね。家に帰ったらとっとと御飯食べて御風呂入って、今日はもう直ぐに寝よう」
銀色に輝く山々。その間に沈みゆく太陽によって真白から真っ赤に塗り変えられた世界の中を、来た時と同じ様に、
大きな風呂敷包みを背負って飛んで行く二人の少女。
鴉の鳴き声が響く中、その光景を、開け放たれた窓からただ黙って見詰めるだけの霖之助。
そんな彼の腰の上から、不意に重さが――と言っても、それ程の重量があった訳でもないが――消え失せた。
ゆっくりと身を起こしてみれば、其処には、先の二人と同じ、手際良く荷物を纏めている魔理沙の姿。
唯一つ、前の二人と違うのは、その荷物が来た時よりも少し大きくなっている事。
「……何をしているんだい?」
「あー、何、ちょっとした駄賃代わりだ。
この間の大きい奴が、未だに何もしてくれないもんでな。人質としてこの小さいのも持って行って、目の前であれこれ
してやれば、若しかしたら慌てて動き出すかも知れん。
あいつの所の式だったら、絶対にそれで巧くいくからな。これも式だし、同じ方法を試してみるさ」
「ちょっと待ってくれ。いくらなんでも、それじゃあ僕は――」
「『泣きっ面の蜂を踏んだり蹴ったり』、か? まぁ、そういう日も在るさ」
「だから、無理して変な言葉を造る必要がまるで無いだろう、今の場合。
――それは兎も角、今日ばかりは只で渡す訳にはいかない。君の持ってきた物の内、せめて何か一つでも置いていって
もらおうか」
「『何か』一つ……って事は、別に何でも良いんだな?」
「!いや、それは……」
「よし、判った!
そうしたらさっきのあれ、あれをお前にやるよ」
そう言って魔理沙は、霖之助の手元に在る小さな箱を指差した。歪な形状の奇妙な鉢が入った、その箱を。
「こんな物で……!?」
「おいおい香霖。今さっき言った言葉を、もう忘れたのか。男に二言は無し、だぜ?」
「――よく言うよ。君の方こそ、さっき僕に言った言葉、すっかり忘れてるだろう」
「うにゃ。覚えてるさ。ただ……。
『男に二言は無い』って言う事は、即ち、『女には二言がある』って事だ。だから、何の矛盾も問題もないのだ!」
お手本の様に見事な詭弁を並べつつ、魔理沙は箒に跨る。次の瞬間、
「おい、魔――」
あっという間にその姿が見えなくなった。彗星の様な光芒のみを後に残して……。
「――まぁ、何と言うか……お前にとってはとんだ悲劇だった様だな……」
一体、何を言えば良いのか。判らないままで取り敢えず言葉を掛けてはみる慧音だったが、霖之助は床にへたりこんだ
ままで一言も発さない。
「……私も、今日はこれから、竹林に行く用が有ってな……。
済まないが、これで失礼させて貰うよ」
そう言って慧音は、
――カランカランカラッ
静かに香霖堂を後にした。
大寒も間近のこの季節、吹きっ曝しの店内で霖之助は一人、何も無い窓から暗くなっていく空を眺めていた。
「第百二十期、睦月の十七、曇り時々晴れ、月は十六夜、と――――」
薄暗い店内で、ゆっくりと筆を進める。店の灯りは、今日は点けたままだった。
頼みもしないのに飛び込んで来る号外も、今日みたいな日には役に立つ。三方に貼られた新聞紙の障子を眺めながら、
霖之助は、机の上に在る湯呑を手に取り、その中で白い湯気を立ち上らせている黒い液体を口に入れた。
一見暖かな珈琲に見えるそれは、しかし、形容し難い異様な甘さを以て霖之助の顔を歪ませた。
――昼に魔理沙が文句を言っていたから、試しに暖めてみたが――……。
どうやらコーラという飲み物は、そうした用途には向かないらしい。自身の能力によって、とっくにそんな情報は得て
いた霖之助だったが、身を以てそれを体験する事で、改めて「コーラは暖めるのには向かない」という知識を自分のもの
として確立させた。
「それにしても――」
言いながら、手元の小さな箱の蓋をそっと動かす。中に在るのは、魔理沙が置いていった件の鉢。
これ一つを手に入れる為に支払ったのは、窓ガラス三枚と小さなコンピューターが一つ。
それだけの物、代価としては余りにも――――…………。
…………――――余りにも、安かったな。
誰も居ない店の中、一人笑みを溢す霖之助。
コンピューターは、比較的入手が容易な上にその使用方法が判らず、正直な所、一つ二つ無くなった所で困りはし
ない。窓ガラスも、最近ではこうして、代用品の方から頻繁にやって来てくれている。
そんな物を失っただけで、こうしてこれが手に入った。
奇妙に歪んだそれを箱から取り出しながら、霖之助は再び笑みを洩らす。
「織部菊図折込鉢」
魔理沙が「何処の下手糞が」と評したその形状、当然それは、失敗によって出来たものではない。
これは、予めこの形にする為に、そういう風にして造られたのだ。今から四百年程前、幻想郷が未だ外の世界と隔絶
されていなかった昔、美濃の国の武将でありながら高名な茶人でもあった男がもたらした「織部好み」と呼ばれる風潮。
この鉢も、そうした流れの中に於いて生み出された品であった。
決まった型に囚われず、自由闊達に創意工夫を凝らしたその形状や色、文様。その意匠から見る事が出来るのは、例え
様も無い奇抜さと、誰をも頼らぬ力強さ。それが織部好み。
食器としての機能のみを見れば、魔理沙の言った通り、この歪んだ形状は余りに使い難い。
だが、それこそが、この鉢がこの鉢たる所以なのである。
外見や、表層的な利便性にしか目がいかない魔理沙を、少し可哀想にも思う霖之助。
尤も、それも仕方の無い事なのかも知れない。彼女は未だ子供なのだ。昔と変わらずに……。
「……いや、そうでもないか」
本日手に入れたこの逸品を存分に愉しむ為、わざわざ灯りを点けたままにした店内。
その静寂の中で霖之助は、掛けていた眼鏡を外しつつ、誰へともなく呟いた。
魔理沙も、少しは以前と変わってきているのかも知れない。
二年近く前、一昨年のあの宴会騒ぎの折、風の噂で霖之助は、魔理沙が“外の世界にも幻想郷にも既に存在しない筈の
もの”を手に入れたという話を聞いた。
霖之助は、研究に行き詰った――有り体に言うと“飽きた”――魔理沙が、“それ”を持って店に来るのを楽しみに
待っていた。無論、いつも通り、大したものではない、処分してやる、そう言って“それ”を不当に安く手に入れる
為である。
だが、一月待てど二月待てど、結局魔理沙は、“それ”を持って来る事は無かった。
霖之助の思惑を見破ったのか。はたまた、“それ”の内に、他者には譲れぬ程の価値を見出したのか。
いずれにせよ、ただ“蒐集する事”しかしなかった、そんな魔理沙も、少しづつ変わってきているのだろう。
――思えば、人の一生など短いものだ。良くて六十年、どれだけ頑張った所で百を大きく超える事も出来はしない。
妖怪は勿論、此処にこうして在る小さな鉢に比べても、余りに短過ぎる時間。
なればこそ、人間は、その短い時の内に子供から大人へと変わり、やがては子を成し、そしてそれを育てる。そうした
事を繰り返しながら人間は、“人間”という存在を永遠にしようとしているのだろう。
いくら人外に匹敵する力を持っていたとして、結局魔理沙も、“人間”である事に違いは無いのだ。
だから、彼女が短い内に変わっていくのも、それは仕方の無い事だ。
そう、判っていた。
けれどそれが、霖之助には少し寂しく感じられるのも事実だった。
――――でも。
それでも――……。
いつまで経っても変わらないもの、そういうものもやはり、確かに存在するのだろう。
弾幕ごっこを終えて店に戻って来た魔理沙が、霖之助に見せたあの笑顔。
その頭上に在った太陽よりも明るく、その足元に在った雪よりも白くて無垢。
――あれだけは、死ぬまで変わらないんだろうな。
霖之助には何故だか、その事が確信出来た。
「――にしても、あいつには少し可哀想な事をしたかな」
そう言って霖之助は、ゆっくりと席を立つ。
昼間、魔理沙の申し出を最初に聞いた時点で彼は、その余りの幸運に胸を躍らせながらも、この話には何か裏が在る、
そうとも感じていた。
そこで霖之助は、一つ保険を掛けた。
魔理沙の持って来た品の中に、偶然混じっていた織部焼の鉢。それを見付けた霖之助は、何も知らぬ様な顔をして、
魔理沙がその鉢に対してどの様な認識を持っているのかを探ってみた。
案の定、それを唯のがらくたとしか思っていなかった魔理沙。その事を確認した霖之助は、余計な事は何も言わず、魔
理沙の“がらくた”という認識をそのままにさせた。そうすれば、美味い話が崩れ去った時でも、その“がらくた”だけは
手に入る可能性が高くなる、そう踏んでの事だった。
概ね問題無く進んでいた霖之助の思惑だったが、慧音がやって来た時には流石に焦った。
いくら頭は良くても、基本的に西洋の暮らしに染まっている二人の魔法少女。
彼女等なら兎も角、白沢である慧音ならば、一目で織部の価値を理解するだろう。そこで余計な講釈をされてしまって
は堪らない。
霖之助は急遽、適当な理由をこじつけて鉢を隠した。
その理由が余りにも無理矢理なものであった為――他に幾等でも貴重な品が在るというのに、「割れ物」だからという
理由のみで、“床に置かれていた”“がらくた”を仕舞う――そこを突かれたのならばどうしよう、と、内心冷や冷や
していた。
だが、魔理沙は弾幕勝負に集中していて気が廻らず、白沢も、そもそもの話の流れを知らぬ上に、その思考が直ぐ別の
方向に流れてしまった為、結局、誰も霖之助の行動の不自然さに気が付かなかった。
そうして彼は、まんまと不当に安い条件で織部の鉢を手に入れたのである。
白沢は彼を見て「悲劇だ」と言ったが、実際の所、一番に悲劇的だったのは、魔理沙だったのである。
何せ、この寒い中を重い荷物を担いで香霖堂迄やって来て、其処で弾幕勝負をして全身ぼろぼろになり、そうして得た
成果は、“貴重品一つを失って、使えもしない、面白味もない道具を入手した”という事なのだから。
尤も、魔理沙自身は、自分の事を悲劇的などとは露にも思っていないだろう。
彼女からすれば、“がらくた一つを失っただけで、面白そうな道具を手に入れ、ついでに香霖をからかってやった”、
そういう事なのだ。
その事が、少々面白くない霖之助。
いつか、魔理沙が今よりは少し大人になって、この鉢の価値が理解出来る様に“変わった”ら、その時、今日の事を
全て、話して聞かせてやろう。
そうすれば、きっと彼女は、烈火の如く怒るだろう。
そうして一頻り暴れまわった後は、きっと、からっとした様子になって悪態をつくのだろう。
――――今と“変わらない”、あの笑顔を見せながら――……。
店の灯りが消える。
いざよう月の輝きが、白い雪に反射されて、香霖堂の中を淡く青白い光で染めていく。
完全な静寂が支配するその中で、霖之助はゆっくりと眼を閉じた。
――――今宵は何だか、良い夢が見られそうだな、と――――…………。
最初、エラリー・クィーンとか思いました。それは「Yの悲劇」ですね。
睦月の17日といえば、私はあの出来事を思い浮かべます。
当時小学2年生だった私は―――自然の恐怖を考える事なんてできなかったけれど。
そういえば今日はあれの日でしたね。
ディレッタンティスト仲間の女友達から毎年義理で貰っている私は「勝ち組」かもしれません(ぁ
物語は純粋に楽しめました。香霖モテモテやなぁとか思いましたぜ。
慧音先生による戦術的説明も、ウォーシミュレーションファンとしては「おお…」と感じられました。
加えて、香霖の細かい情景描写も良かったと思います。
しかし、チョコを贈ると同時に呪い発動というのは、迷信でもやだなぁ(笑
いい香霖堂でした、くらいの事しか言えん自分が恨めしい。
とりあえず三次元の女性に完全に興味のない人間もある意味「勝ち組」ですよー、と(ぉ
今回はジョジョネタなし…いや、あったか(笑)
凶悪な魔砲を叩きつける光景を幻視した。
骨董屋殿、ネタばらしはくれぐれも慎重になさって下さいませ。GJ!
元ネタ知らずに雲華綺晶を正しく読めるヤツはこの世にいないと思ってる。
原作では眼帯ではなくアイホールから生えてるけど、トロイメントは見てないから知らん。
小ネタも効いてるが全体もよくまとまっていてGJ。
お約束の勘違いものと思いきや、こういうオチが待っていたとは。
そのオチもなんとも香霖堂らしさが良く出ていて実にお見事です。
最初から最後まで楽しく読ませていただきました。
しかし、やはり発端は七曜の魔女であったか。
・・・・・・――今日という日については、後何を言っても寂しくなるから言わない(ノД`)
話の展開もなんとなく読めていたものの、成る程、と納得させるお手前。お見事です。
GJでした。
このオチは完全に考えてなかったしてやられた気分です。いや、店主は切れ者なのがデフォなんでしょうけどねw
こーりん、恐ろしい奴……!!
タイトルの元ネタはバーナビー・ロス、と見せ掛けて薬師丸ひろ子、と見せ掛けて阿刀田 高、
と見せ掛けて実は某GS漫画だったりします(これが全部判る人って居るのでしょうか?
こうして見ると、世の中には色々な悲劇が在りますね。Uは見た事がありませんが。
睦月十七と言うのは、今年の2月14日を旧暦に直したものだったのですが……そうですね。この国に
暮らす者としては、1.17とは矢張り、決して忘れられない日、ですよね……。
>翔菜さま
三次元でも二次元でも四次元でも、何でも良いので出会いが欲しい自分は、きっと負け組みです。
って言うか、二次元の出会いって何でしょう? 四次元の方が未だ判る気がします……しないか?
>ぐい井戸・御簾田さま
ジョジョネタは、まぁ、本家でも公認?ですし、入れても良いかなぁ、と。
文花帖が楽しみです。アルティミット・ニィト。
>今よりもっと素敵な笑顔で今よりもっと凶悪な魔砲を叩きつける
花では(子供相手が多かったせいか)ちょっと意地悪っぽい?感じを受けたのですが、
魔理沙にはやっぱり笑顔が似合うと思います。妖や萃の立ち絵のイメージ、でしょうか。
>鱸さま
え~と……ナントカ大和みたいな名前でしたっけ? 原作は最近読んでいなくて……。
因みに、カーネルが少し汚れているのは川底に沈んでいた為です。呪われてはいません。
>こういう香霖堂は大好きです
有難う御座いますッ!
正直、香霖堂は難易度が高いので巧くいったかなぁ……と不安だったのですよ。
>まずスペル星人で笑い、さりげなく混じる○ストに笑った。
あの描写でも、判る方は判るんですね、“12話”。
○ストは、最初はネ○ジオ○リークにしようと思ったのですが、○リークは自分の手元に保管して
あるので“貴重”というイメージが湧かず、あと、ティンクルやブレイジングスターが在るとは
言っても、ネ○ジオは矢張り格ゲーが強いので、シューティング分多目の○
ストにしました。
ザンギュラのウリアッ上とか、そこはかとなく幻想的な感じがしませんか?
>名無しさま
淡々と小気味良くお話が進んだのは、霖之助と魔理沙を主人公にした為と思います。
この二人の組み合わせ、とても好きです。カップリング、とはまた違う気もするのですが……。
香霖堂の魔理沙は、年上の霖之助視点である事と挿絵の為か、本編よりも可愛らしく感じられて、
そんな彼女と霖之助の遣り取りが何だか楽しげでとても良い雰囲気だなぁ、と……。
>akiさま
「香霖堂想話」のakiさまからこうした言葉を戴けるとは――!
恐悦至極ですっ! 本当に!!
>七死さま
そんな貴方(と自分も)は、ブラックデーを美味しく過ごしましょう!
――ハチバンも、相変わらずダラ……元い、面白い事するなぁ。
>ぎちょふさま
基本的にコメディしか書かない(このお話も、実はコメディの心算)人間なので、
これを読んで少しでも笑って戴けたのなら本望ですッ!
>CCCCさま
タイトルの元ネタ(や、その元ネタ)の事もあって、オチは少し捻らせてもらいました。
格好良い(強い、ではない)霖之助を書いてみたかったので……。巧くいったでしょうか?
>最後の香霖のモノローグが何とも深いなぁ。
……自分で言うのもなんですが――このモノローグって、何だか死亡フラグみたいにも
見えますねぇ……。朝、店に来た魔理沙が見たのは、幸せそうな顔で眠る様に――……。
>東方スキーさま
香霖堂は独特の雰囲気がありますからねぇ……。オリジナルの雰囲気には程遠いですが、それでも、
少しでも“らしさ”を感じて戴けたのなら嬉しいですッ!
その他の読んで下さった方々も、本当、有難う御座いましたっ!!
そんな私にクリティカル。いいさ。お返しなんて面倒ですしねorz
パチェの符名ですが、原作に忠実に符の壱とするよりも火金符と呼ばせた方が違和感がないかのように感じました。必殺「マイハートブレイク」みたいに。些細なことですがー。
ともあれ、愉快なお話をありがとうございました。パチェ萌え。
パチェと言えば、文花帖でのドット絵の可愛さが各方面で大絶賛の様ですね。
弾幕の方も、切り取り前提のスペルとか使ってきますし。萃でのロイヤルフレアもそうでしたが、彼女は
「弾幕は避けられるもの」だという事を認める気が無い様に思えます。
何が言いたいかといえばパチェ萌えッ!!
でも魔理沙が格好良かったからいいやw
クトゥ●フはいいとしてもマ●トガインには笑いました。
投稿後半年近く経ってから感想をいただけた事も驚きですが――……。
それよりも、あれだけの科白でマイトガ●ンだと判る方が居ようとは……!
「銀のつばさにのぞみを乗せて」今なら“つばめ”とか“こまち”も入るのでしょうか。どんな決め科白?