「……寒いわね」
「暖炉じゃ足りませんでしたか?」
紅魔館の主のレミリア・スカーレットの呟きにめざとくメイド長の十六夜咲夜は反応する。
「ああ、暖房はしっかり効いてるわ。ただ、寒いなと思っただけよ」
「外は今も吹雪ですからねぇ」
窓からちらりと外を見てみれば、一面の雪景色が広がっている。
今年の冬は異常だった。
これが冬の時期ならばただの大雪ということで話は済ませられる。
ただ、今の時期はとっくに春であり雪は溶けていなければならなければおかしい時期なのだ。
にも関わらずその傾向は未だに全く見られない。
「レミリアお嬢様も風邪には気をつけてください。屋敷のメイド達も何人かダウンしてますから」
「あら、私はそんなへまはしないわ」
そうだろう、とは言っている咲夜自身も思ってはいるが言って減るものでもない。ならば言っておいた方が良い。
レミリアは咲夜と同じように窓からちらりと外の風景を確かめる。
普段なら諌めるところだが、諌める理由の太陽がろくに見えないので止めることはしない。
直射日光でもなければ気にする必要はほとんどない。
「……足りないわね」
「何がですか?」
「春が来るために必要なものよ」
咲夜ははぁ、と生返事を返す。
このお嬢様の言うことはいつも抽象的ではっきりした判断が下せない。
常に謎かけをしているような気分。まぁ、妖怪達との会話は大抵そういうものだが。
「……それは暖かさとかそういうものですか?」
「暖かさも必要といえば必要ね。でも、咲夜。春にだって肌寒い日はあるわ。春を定義するにはそれだけでは足りない。あなたが春をイメージするのはどんなこと?」
春といえば静寂の冬が終わり、眠っていた動物達が目覚め、花の動きも活発になり、全体的に賑やかになる時期だ。
どれをとっても春のイメージではあるし、一つに絞ることなど―――
「……もしかして、全部ですか?」
「正解。あなたが今思い浮かべたものが全部をひっくるめて『春』なの。そして、今この幻想郷には『春』そのものが足りない。……そうね、『春分』とでも言いましょうか」
言い当て妙だと素直に彼女は思った。
春分が足りないから未だに春のまま。そう言われてみればことは単純な話だ。
――足りないのなら、補充してしまえば良い。
「これは自然現象ではないわね。何者かが故意に春分を奪ってる」
この吸血鬼のお嬢様はその瞳でどんな運命を見ているかは彼女は知らない。
知る必要もない。
「太陽が見えないから都合が良いと思って黙ってたけど、そろそろ寒いのも嫌になってきたし。――十六夜咲夜」
この身はこの吸血鬼の少女に絶対の忠誠を誓いし者。
「レミリア・スカーレットの名において命ず。『春』を取り戻してきなさい」
「――畏まりました」
ならばその言葉の意味など考える必要はなく、ただその意に添うのみ。
どぉん、と魔法の森のとある屋敷から大きな爆発音と共に振動が起き、木の上に積った雪が音を立てて落ちる。
屋敷――霧雨邸の玄関が開き、大量の煙と共に飛び出してくるのは霧雨魔理沙である。
「けほけほっ……失敗、だぜ」
一ヶ月家に篭って最後の仕上げにまで取り掛かっていた実験が失敗に終わったのだ。
やはり最後に込める魔力が多かったか、とぶつぶつと呟きながら暫く考え込んでいたがやがてある事に気付く。
「……何でこんなに寒いんだ?」
家の中はミニ八卦炉のおかげで暖房完備状態だったので気付かなかったが、今はもう春ではなかったのか。
なのに彼女の眼前に広がる景色も温度も冬のそれだ。
「……時空でも捻れたか?」
実験の魔力の規模的にはありえない話ではないが、
「そんなわけないでしょ。今は立派な春よ、少なくとも暦の上ではね」
その考えは離れたご近所さんのアリス・マーガロイドの一声であっさりと否定される。
「お、アリスじゃないか。珍しいなうちまで来るなんて」
「……突然爆発が起これば何が起こったか確認しに来るに決まってるでしょ?」
そりゃそうだ、素直に納得。
「それにしても今頃異変に気付くなんてね出不精もほどほどにしたら?」
「一ヶ月程度じゃ出不精にはならないな」
「……それは魔理沙基準でしょ?」
「当然だぜ」
話しながら魔理沙はこの異変について考える。
ここは幻想郷だ。小さな異変程度のものならほとんど毎日のように起きている。
だが、幻想郷中の規模となるとそうはない。
以前は紅魔館の霧騒ぎの時か。
――俄然、興味が出てくる。
「で、アリスのことだから原因は既に掴んでるんだろ?」
「何で魔理沙に教えないといけないのよ……と言いたいところだけど、どうせ聞くまでしつこそうだから教えてあげるわ。話は簡単よ。『春度』が足りないのよ」
「春度か、またシンプルな名称だな」
「これほど分かりやすい名称もないでしょ?」
「まぁ、な」
変にややこしい名称よりはシンプルで魔理沙は好きだ。
魔法使いとしての思想はまるで違う二人だが、こういうところはよく似ている。
「そして、幻想郷中の春度を何者かが奪ってるわ」
「なるほどな。で、その桜の花びらが春度なのか?」
「ええ」
『春』は花に宿る。花に宿った春が大地へと広がり、そして賑やかになる。
逆を突けば、春を大地に宿させなければ春が来ることはない。
「よし、その春を頂こうか」
「……何でよ」
「決まっている。私が寒い」
春度を持つアリスは見るからに暖かそうだ。
魔理沙は寒いのが大の苦手なので是が非にでも欲しい。
「知らないわよ、そんなこと。あげるメリットが私にはないわ」
そして、そのまま魔理沙に背を向けて、
「――どうしても春度がほしいならそこらの能天気な連中から奪いなさい。多少は持ってるはずよ。それなりに集めたら相手になってあげる」
ちらりと挑戦的な笑みを見せてアリスは去っていった。
そのアリスの後ろ姿を見送る魔理沙。
最近は大きな騒ぎもなくて退屈な日々だったがこれなら退屈はしなさそうだ、と内心思う。
「――おっと、違う違う。これは気分転換だぜ。次なるステップのための、な」
何かに言い訳をするように呟きながら、準備のために家の中へと戻っていった。
……実験の後片付けは後回しにすることにした。
「……寒いわ」
周知の事実ではあるが、博麗霊夢はあまり我慢強い方ではない。
だからこそ延々と地味な我慢を続けなければならない努力というものが嫌いなのだ。
常々思ってはいるのだが、我慢してどうにかなるものなら我慢しなくてもどうにかなるものだ。
などと、なるべく全く関係ないことを考えるようにはしているが、寒い。
魔理沙の家ならば嘘のように暖かいのだろうが、ぶっちゃけあそこまで行くのが寒い。
何であんな所に住んでんのよ、と身も蓋もなく心の中で責めてみる。
やっぱり寒さは晴れない。
「……あー、もうっ!いつまでこんな寒い日が続くのよ!」
ついに虚空の空に向かってほえてみる。でもやはり寒いまま。
彼女がここまで苛立っているのは寒い以外にも理由がある。
霊夢はこよなく春という季節を愛している。
片付けのことを考えなければ花見ができるのが好きだ。
空の巡回も気軽に出来るのも好きだ。
そして何より、気軽に境内でお茶を飲めるのが良い。
最後のが一番大きい。部屋の中で飲むお茶も良いが、やはり外で飲むのが一番良い。
「ったく、どこのどいつよ。春を奪うなんて迷惑な奴は」
霊夢は吸血鬼のお嬢様のように運命を見ることは出来ない。
七色の魔法使いのように膨大な知識も持たない。
だが、『春』が奪われたという途方もない現象を直感だけで理解していた。
「――仕方ない。奪われたものを奪い返してくるとしますか」
少しくらいなら良いか、と高を括っていたがこれ以上放置したら職務怠慢だと罵られそうだ。
尤も、そんな外部の意見など気に留める彼女でもない。
ただ、奪ったものは奪い返されても文句は言えないのだと相手に思い知らせたいだけ。
それ以上の理由もないし、意味もない。
準備したものはスペルカードを何枚かと防寒具のみ。
ちょっと行って帰るか、程度の気軽な日帰りの旅行のような気分である。
霊夢は空を見上げてどこに向かうかをほんの少しだけ考えて、やはり直感に従って空へと向かった。
「来るわねぇ」
「……何か来るんですか?」
西行寺幽々子のそんな言葉に魂魄妖夢は不思議そうに聞き返す。
目の前には開花まであと少しといったところの西行妖。
この妖怪桜が開花したとき何が起こるのか妖夢は知らない。
幽々子も知らない。知らないからこそ開花させるのだと言った。
そんな得体の知れないものを開花させて大丈夫なのか疑問には残ったが、主がそう望んだのならばそれに答えるだけだ、と不安な心を無理矢理納得させた。
「地上から活きの良い人間が三人ほどね」
「生きた人間、ですか?」
生きた人間がわざわざここ冥界まで来る理由に思い当たることがないわけではない。
西行妖を満開にさせるために幻想郷から『春』をかき集めたわけだから勘の良い連中ならこの場所を突き止めても不思議ではない。
何故冥界の春を使わなかったかといえば幽々子の「そんなことしたらここが寒くなるじゃないの」という一声により実行不可能になったわけである。
我侭と知りつつも主の命令には逆らえないのが仕える者の悲しい運命だ。
「そう、具体的に言えば紅白と白黒と犬」
「いや、普通に意味分かんないです。何故か最後だけ動物ですし。……でも、生きた人間が来るなんてありえないですよ」
生きた人間の世界と冥界を阻む結界がある。
抜け道がないわけではないが、教えられない限りば絶対見つからないし、人間程度に結界の突破など無理なはずである。
「さて、どうしかしらね。待っていれば分かることよ。はい、分かったなら迎撃準備」
「……分かりましたよ」
あからさまに不満そうだが、逆らうことはなく妖夢は去っていく。
その後ろ姿を見ながら、
「妖夢は何事にも例外があると分かってないわねぇ」
と幽々子は何を考えているか分からない笑みで呟く。
素質はあるんだけどまだまだ鍛えないといけないわねぇ、と密かに決意する。
「さぁ。もうすぐよ、西行妖」
きっと人間は此処まで来るだろう。
そして、西行妖が開花するまであと一歩。それこそここに来るであろう人間が持つ一人分の春で十分なのだ。
鬼が出るか蛇が出るか、それとも想像を絶する何かが出るのか、それは分からない。
それでも見たいと思った。そこまでして見たいモノがこの西行妖には眠っているはずなのだ。
幽々子自身にもなぜそこまで開花を求めるのかは分からない。
でも、それでいも良いと思った。もうすぐ全てが明らかになる。
もう少しの辛抱だ。
「―――来なさい、『春』を持つ生きた人間」
西行妖の桜が一際怪しく輝き、死蝶が舞った。
悪魔の犬は主の命により、
白黒の魔法使いは久々の大イベントを楽しみながら、
紅白の巫女はその勘で、
各々全く違った理由から『春』を奪い返すという共通の目的のために動き出す。
迎え撃つは半人半霊の庭師に、亡霊の姫。
―――そして、幻の妖怪桜。
to be continues for 東方妖々夢