【このお話は、創想話24に在る『幻想大戦記“三之巻 伊吹く鬼”』の続きです。
《前回迄の粗筋》
紅魔館・白玉楼を襲い、少女達を連れ去った永琳。彼女への反攻に出る為レミリア達は、博麗神社に幻想郷中の妖怪
達を萃めて連合を結成する。
そこへ急襲をかけるINABA部隊。それを率いるのは何故か、永遠亭に攫われた筈の咲夜だった。
危機に陥った連合を救ったのは、龍の影を纏う、紅い血の戦士。その者の名は――――――】
“華人小娘(ファレンシャオニャン)ッメイリーン!!”
♪紅い紅~ぁい~ 紅い髪したメイッリンー
極彩タイフンー 無敵のスーペール――――
極彩色の弾幕廻る
狗よ~パーチェよ~小悪魔よ~~~~
風のうなりに 乳ゆらしー
力の限りぃ 鉄山靠~
敵は~邪欲の~エ~イエンテ~~イ
斗う~紅~魔の~ 華人小娘メイリンー♪
『“華人小娘メイリーン”紅 美鈴は改造妖怪である。
悪の秘密組織エイエンテイに重症を負わされたが、“月の頭脳”八意 永琳によって改造手術を受け、華人小娘メイ
リーンとして甦った』
“エイエンテイ,INABA部隊とは何か!?”
「紅い血の戦士! 龍の影を纏いて敵を薙ぎ払え!!」
「龍の……。真逆、あれは……!」
藍の言葉を聞いた咲夜の顔に、驚愕の色が奔る。
「そうだ! うりゃあ! とぅあ!!」
咲夜の声に応えるかの如く、鳥居から飛び降りる少女。その左腕には、焔色に紅く染まる龍頭を模した、奇妙な形状の
手甲。
「終符『紅龍騎英蹴』ッ!」
大地へ降り立つと同時に宣言したカードを、そのまま龍の頭に呑み込ませた。
一瞬の静寂。
そして。
「……完成、してたみたいね。どうやら」
あの秘密主義の薬師め、帰ったらただじゃぁおかないわ。そう、心の中で毒を吐く咲夜。
十六夜の月にのみ照らされていた境内の闇が、瞬く間に紅く熱い光によって塗り替えられていく。
天を衝かんと吹き上げる劫火。まるで命有るかの様に猛り狂うそれは、やがて一つの形を成す為に集結していく。
咲夜に博麗神社襲撃を指示した八意 永琳。彼女が、その常軌を逸した頭脳と異郷の技術を以てして作り上げた改造
体。コードネーム“紅龍”。
「それが、何でこんな所に――」
しかも、明らかにINABAに敵対する者として。
咲夜の視線の先、焔立つ龍の影を纏う、紅い髪の少女。
「てりゃあぁっ!」
掛け声と同時に、少女が垂直に飛び上がった。炎の龍もまた、主に付き従って天へと翔る。
夜天に輝く月の光の中で、少女と龍の影が一体となって華麗にその身体を躍らせる。
――――綺麗。
咲夜は、素直にそう感じた。その次の瞬間には。
「咲夜!」
足元に在った筈の大地の感触が消え、そして、レミリアの声が聞こえた。悲痛な叫び声。
大丈夫ですよ、お嬢様。今は敵となっている主に対し、小さな声で応えた。
それと同時に、両の足を頭部へ、頭部は後方に向けて思い切り引き上げる。
「くっ……!」
空中で身を翻し、綺麗に地面へと着地する咲夜。即座に周囲を見回し、戦況の確認をする。
少女が火炎龍と一体になって放った蹴撃は、咲夜にも、そして、他のINABAの兎達にも直撃はしていなかった。
着弾したのは、彼女らから五メートル程も離れた場所。
それなのに、その際に生じた爆風のみによって、咲夜と、そして十以上にも及ぶINABA全てが吹き飛ばされた。
咄嗟に受身を取った咲夜には、着地時の衝撃で両膝が痺れた事と、後は服が少々汚れた程度の被害しか無い。
だがそれは、彼女が体術を得意とするが故の事。他の兎達は皆、戦闘不能には至らぬものの、大きなダメージを受けて
うずくまっていた。
「身内が相手じゃ、いくら“ずらした”ところで無意味、か」
INABA部隊が永琳によって与えられた異能は、ネタさえ割れてしまえば力有る者の前には意味を成さない。まして
や、同じ異能を持つ相手であれば尚更だ。
目の前の少女。彼女が現れさえしなければ、INABAの絡操りが暴かれていない今、咲夜達の勝利は確実な筈だっ
た。それなのに――――!
左の拳を強く握り締め、右手に持った刃の銀閃を紅毛の少女に向ける。
「真逆、貴方が裏切るなんてね。CERBERUSナンバーⅡ“紅龍”。いえ――――。
――――紅 美鈴!」
「それはこちらの科白です!
オンドゥルオ嬢様ヲ゛ルラギッタンディスカー!? ザァグャザァン!!」
“裏切る”。咲夜のその言葉に憤りを感じたのか、興奮して呂律の回らない言葉を返す紅い血の戦士、紅 美鈴。
対する咲夜は、押し黙ったまま彼女の問に応えようとはしない。
……と言うよりも、応えられなかった。そもそも、美鈴が何を叫んでいるのか、その内容が理解出来ない。
どう聞いても日本語とは思えないし、かと言って中文でもない。
これはもしかすると、美鈴も永琳達と同じく、異星からやって来た宇宙人なのかも知れない。そう考えれば、彼女の言
葉がまるで聞き取れない理由も説明出来る。美鈴が話しているのは、何処か遠い星の言語であるに違いない。
「ナズェダバッデルンディス!」
メルヘンチックな思考の世界に突入しかけていた咲夜の精神を、美鈴の声が現実へと引き戻した。
相変わらずその内容は理解不能だが、取り敢えず、何か非難めいた空気を感じ取る事は出来た。
――門番風情が調子に乗って……。
普段のメイド長であれば、そう言ってお仕置きの時間を始めるのだろう。しかし。
「……この場は、一旦退きます」
「お姉様!?
ここまできて……私達ならまだ――――!」
兎の少女の言葉を、咲夜は静かに手で制する。
確かに、INABA達が受けたダメージは、戦闘不能に至る程のものではない。
美鈴が敵に廻った今、このままにしておけば、彼女の口からINABAの力の秘密がレミリア達に伝わるのは確実。
若しそうなれば、永遠亭側のアドバンテージは一気に崩壊する。
なればこそ、この場は退かずに、咲夜が全力で美鈴を打ち倒し、その間に兎達が霊夢を確保する。それが最善の手で
あろう。
それは判っている。判っていながらの、判っていてこその、咲夜の判断であった。
「でも、このまま帰ったら……きっと……永琳様にしかられる……くすん」
今にも泣き出しそうな顔をしている兎に、大丈夫よ、と、優しく微笑みかける。
咲夜が永琳から受けた指令。それは、
「美少女ハーレム建設の為に、手段を問わず博麗の巫女を手に入れなさい」
そういう事であった。
そして、それに付け加えられている事項が一つ。
「“若しも”、作戦遂行中に何かしら“想定外”の事態が起きたのならば、その場合の行動は、咲夜の判断に任せます」
改造実験体の逃走、そして裏切り。余りにも判り易いまでの“想定外”が、こうして目の前に立っている。
これならば、“咲夜の判断”で撤退したところで、永琳に文句を言える理は有るまい。
咲夜は今、永琳の言葉に逆らう事が出来ない。だが、レミリアとの交戦は望まない。ならば、採る道は一つ。
「まぁ、あいつに巧く乗せられている様な気がしなくもないけど……」
引っ掛かる事は山ほども有る。いくらなんでも話の流れが判り易すぎる。それが、咲夜には気に入らない。
けれど、この場を収められるのならば、それに越した事は無い。永琳には、帰った後にたっぷりと話を聞かせてもらう
事としよう。尤も、どうせ本当の事など喋りはすまいが。
「そう言う訳で、失礼致します、お嬢様……」
主に礼を一つ、そのままの姿勢で、咲夜と、そしてINABA達の身体がゆっくりと地面を離れる。
「ちょっと!? 待ちなさい、咲夜!」
従者を呼ぶレミリアの声は、しかし。
「咲夜アアアァァァァァ――――――ッ!!」
メイドと兎達の影と共に、十六夜の月に吸い込まれる様にして消えて行った。
◆
「――さて、と」
額の汗を拭いながら、霊夢は腰を下ろした。
INABAの襲撃――と言うより、正確にはレミリアのスペル――によって半壊した寝所の片付けをようやく終えて、
一息をつく。
INABAの撤退と共に元へと戻った空からは、気持ち良く真昼の陽光が降り注いでいた。
賽銭箱の横で霊夢は、んーっ、と身体を伸ばし、それから、脇に在る湯飲みへと手を伸ばす。
「何まったりしているのよ!」
背後の拝殿から聞こえる声に、振り向くのも面倒、といった具合で、背中で応じる巫女。
「良いじゃないの。取り敢えず、当面の危機は去ったみたいだし」
「危機が去った? 違うわね。あれは、捕まえかけた獲物に逃げられた、そういう事よ! 悔しくないの!?」
自分が一番危ない状況にあった癖に、よくそんな事が言えるわねぇ。
小さく呟いた巫女の言葉は、興奮状態のお嬢様には聞こえない。
そんなレミリアを他所に霊夢は、熱いお茶を一口啜り、それからおもむろに、参道脇の手水舎で水を凍らせて遊んで
いる冷たいのの内、片方を呼び寄せた。
先刻の反省から、陽の光に弱い吸血鬼姉妹のみが拝殿に入れられ、それ以外の面々は建物の中からは追い出されいた。
居住部は兎も角、神殿部まで壊されては、一応は巫女である霊夢は流石に堪らない。
「あの……何ですか?」
目の前にやって来た妖精に対して霊夢は、手元に置いてある箱を差し出した。
「はい、これ。あんたに貸してあげるわ」
片手に収まる程の、小さな木箱。その中に。
「陰陽玉? これを私にですか」
「そ。スペルカードを使えないあんたでも、これなら使えるでしょ?」
先程の戦闘で、敵は咲夜を除けば明らかに格下の妖怪兎しか居なかったにも関わらず、鬼や悪魔を擁する博麗の側が
圧されていた。乱入者のお蔭で一応は撃退に成功したものの、永遠亭側にはまだ多くの駒が有る筈。また、咲夜の事を
鑑みれば、拐かされた他の少女達が敵に廻っている可能性も充分に考えられる。
それに対抗するには、こちらも戦力の底上げが必要だ。
そう考えて霊夢は、陰陽玉を大妖精に預ける事にした。霊夢の武器が一つ減ってしまう訳だが、それでも、全く何の
役にも立たなかった者に、最低限戦える力を与えた方が効率が良い。
自身は、アミュレットと霊符さえ有れば充分だろう、という心積もりである。
要約すれば、「他に働き手が増えれば、その分、自分が楽できるから」と、そう言う事でもある。
正直に言ってしまえば、直接の襲撃を受けたにも関わらず、霊夢の心の中には未だに危機感というものが芽生えてい
ない。だから、やる気などというものも当然涌いてきていないのである。出来るなら、自分は余り働きたくない。
「あー! 何それ、ずるいっ! あたいにもちょうだいよ!」
呼んでもいないのに、冷たいののもう片方が首を突っ込んできた。
「駄目よ」
「何で!」
「これは玩具じゃないの。武器よ?
だから、一番安全そうなこの娘に渡すのよ。あんたなんかに貸したって、どうせ悪戯に使うだけでしょうに。
何て言うか、気に入らない奴の後を付け回して、背中から陰陽玉で襲ったりしそうだわ」
「そんな、濡れ衣よ!」
「あ。凄い、濡れ衣なんて言葉知ってるんだ」
「! 今あたいの事、馬鹿にしたわね!」
「さあ?」
「した! 絶対馬鹿にした!」
「はいはい、そうですか」
「むきーっ! 馬鹿って言った奴の方が馬鹿なのよっ!」
「……私は何も言ってないんだけどね。自分で自分を貶めてどうするのよ」
「あー! 何だか判らないけど、また馬鹿にさr」
一人喧しく騒いでいた妖精の声が、そしてその首から上が、突然にして消え失せた。
と同時に、遙か上方の空から、喚き散らす彼女の声が小さく聞こえてきた。その声に合わせ、霊夢の前に残された
小さな胴体が手足をばたつかせる。
中々に奇怪な光景。事情を知っている者からすれば、只の愉快な光景でしかないが。
「そこの通りすがりの巫女さん。ちょいとお時間良いかしら?」
賽銭箱から生えてきた生首が、霊夢に声を掛ける。
普段から葉っぱ位しか入っていない賽銭箱だが、ついにはこんな胡散臭い物まで住む様になってしまったか。
通りすがり云々についてのツッコミもせずに、疲れた息を吐く巫女。
「『さっきからずっと一緒に居た癖に』とか、そういうツッコミは無いのかしら?」
「無いのはツッコミ所じゃなくて、気力」
「ガッツが足りない?」
「足りない。
……で、何よ、紫?」
露骨に嫌そうな顔を隠しもしない霊夢とは対照的に、楽し気な笑顔で話し始める生首。
「それ……陰陽玉だけれど、その娘に渡しても無駄よ?」
「何で?」
真顔で聞き返してくる巫女に、箱から生えた生首の表情へ少し呆れの色が混じった。
「陰陽玉は、博麗の家系である者にしか扱えないのよ」
「そう言えばそう……なんだ、っけ?」
「そうなの。と言うより貴方、随分と前にも同じ事、誰かに言われてなかったかしら?」
「どうだろう。例え言われていたとしても、覚えてないわ。随分と前の話なんて」
「あぁ……そう。
まぁでも、そうね。確かに覚えてなくても仕方無いのかもね。本当、昔の話だし」
「どれくらい前?」
「えぇと……六十年位前だったかしら?」
「……まだ生まれてないわね」
「そう? 本当に?」
「人を化け物みたいに言うな!」
長い時を生きる者の定めなのか、可哀想な惚けた生首に哀れみの視線を送る霊夢。
とは言え、「陰陽玉が博麗の者にしか使えない」と言うのは、確かにその通りだった気もする。
それならば、と、今度は懐から数枚の御札を取り出した。
「それも無意味、よ」
間髪を容れずに入る、生首の駄目押し。
「そうなの?」
「そうなの。そもそもねぇ……。
霊夢の攻撃があの兎達に当たったのは、武器の云々よりも、貴方自身の能力に拠るところが大きいの。半ば無意識の内
に、敵の在る“位置”を読んで、其処へと向けて弾の軌道を操っている。だから、貴方が他人に御札を貸したところで、
誰もあんな奇妙な動きを再現出来はしない。
それ以前に、世の中には相性というものが、得手不得手というものがあるの。
貴方が持っている様な御札やら何やらは、基本的に“人間”が“魔”を祓う為の道具。それを、同じ人間や、人間に使
役される者に使わせるのならまだしも、訓練もしていない妖精なんかに扱える筈が無いじゃない。下手をすれば、使おう
とした当人が被害を受けかねない」
「そうなの?」
「そうなの」
人間の巫女が、妖怪から神具の扱いを教わるという不思議な光景。
そこへ。
「皆さ~ん! お昼御飯、出来ましたよ~~っ!」
食欲を刺激する香と共に、明るい声が飛び込んで来た。
「お待たせしました!
先ずはフカヒレの姿・土鍋煮、それと海老の葱・生姜炒め、小蕪のミルク煮・ラー油風味、そして北京ダック!
あ、勿論、デザートも用意してますよ~!」
機敏な動きで境内に茣蓙むしろを広げ、その上へ次々と料理を並べていく美鈴。
俄に屋外中華パーティーの様相を呈してきた博麗神社。
「鳥が! 内臓を抜き取られて丸焼きにされた鳥の死体がっ!」
「因みに、肝臓は素揚げにしてあります」
「ああああぁぁ……」
「大丈夫。
素材を生かした、あっさりとした味付けにしてありますからね。中華が初めてでも美味しくいただけますよ~」
雀の嘆きに何処かがずれている答を返しつつ、各人の前に小分け用の取り皿を配していく。
全員に配り終えるとすぐ、今度は日傘二つを持って拝殿に向かった。
「ささ。お嬢様も妹様も、どうぞ此方へ」
◆
「納得のいく説明、御願い出来るかしら?」
博麗神社から帰投したメイドが、そのままの足で薬師の部屋に向かい、襖を開いたと同時の一言。
「……何が?」
読んでいた書物から目を離し、落ち着いた口振りで応える永琳。
「和室にメイド服が似合わない事についての説明? それだったら、私に文句を言うのは御門違いよ。
こちらで用意した衣装を蹴って、その格好のままでいる事を選んだのは貴方なんだから」
「あんな、兎達と同じの白くてふわふわなワンピース、恥ずかしくて着られる訳が無いでしょう」
「……皆そう言うのよねぇ。結局、誰も着てくれなかったし。
庭師の子や騒霊の一番下の子なんか、特に似合うと思うのに」
「“紅龍”――美鈴についての事、話してもらえるかしら」
「いきなり話を戻したわね。強引」
「時間が勿体ないの」
「あら、時間だったら無限に有るじゃない。お互いに」
永琳の言葉に、口を開かずただ冷たい視線のみを返す咲夜。
「――CERBERUSナンバーⅡの被験者に彼女が選ばれた。そこ迄は、以前にも伝えたから知っているわね?」
「ええ」
「で、貴方が出撃した直後に改造が終了したんだけれどもその直後に彼女が裏切って脱走しました以上」
「へぇ、そうですか。どうせ嘘なんでしょうけど」
「あら、酷いわね。
……まぁ、連絡が遅れた事は素直に謝るわ。脱走時の混乱を収拾するので、こちらも手一杯だったのよ」
「はぁ、なるほど。どうせ嘘なんでしょうけど」
「…………言っておくけれど、今言った事の中には、嘘は無いわよ?」
「ほぉ、それは知りませんでした。どうせ嘘なんでしょうけれど」
「………………あのねぇ、咲夜――――」
今日び、自動人形だってもう少しは愛想が良いだろうに。
そう思わずにはいられないほど機械的なメイドの対応に、額に手を当てて軽く息を吐く薬師。
「その『どうせ嘘なんでしょけど』って、何? 今流行りの萌えキャラ語尾とかそう言うの?」
「違う」
「どうせやるなら、『~だにゃあ』とかにしなさいよ」
「違いますって」
「ああ、貴方の場合、『~だわん』の方が似合うかしら」
「見た感じで物を言うな」
「『はじめましてっ♪ わたし、マジカルメイドの十六夜 咲夜だわんっ☆』ほら、これなら可愛い」
「いや、誰よそれ?」
「『はじめましてっ♪ わたし、マジカルメイドの十六夜 咲夜どうせ嘘なんでしょうけどっ☆』これは可愛くない。
て言うか語路が悪い」」
「……そろそろ、話を元に戻してもらえないかしら」
「やっぱり、『~だわん』が良いわね。
あ、でも、メイドであるという事を勘案するなら、『~であります』というのでも素敵ね」
「人の話を聞いて」
「良いわね。『~であります』。何だか、愉快な仮面を被ったりしそう。それでもって――」
「ちょと……」
「おはようからおやすみまでしっk」
「いい加減で黙れッ!」
咲夜の叫びと同時に、薬師の頭に銀の刃が突き刺さる。
「酷いわね、いきなり。不老不死とは言っても、痛いものは痛いのよ?」
言いながら、無造作に額のナイフを引き抜いた。その動作からは、余り“痛みを感じている”という様子は窺えない。
「やれやれ。ウドンゲと違って、貴方をからかうのは命懸けねぇ……。流石は“S”akuya」
「何故Sを強調する!? て言うか、今はっきりと『からかう』って言ったわね!」
「言ってないわよ。『カジキマグロ』の聞き間違いじゃn」
言い終わる前に、永琳の脳天に新しい銀製の飾りが追加された。
流れ出る血もそのままに、ウドンゲだったら「『か』しか共通点が無いじゃないですか! って言うか、今の話に鮪は
関係無いでしょーがマグロはッ!!」なんて楽しい反応を返してくれるのになぁ、と、少し寂しげな目をしながら小さく
呟いてみる。
当然の如く、そんな言葉を咲夜は気にもしないのだが。
「……まぁ良いわ。貴方にまともな答えなんて、初めから期待していなかったし」
そう言って踵を返す咲夜の背中に、ちょっと待って、と声を掛ける。
「何かしら?」
「CERBERUSナンバーⅠ、“闇翼”についてなんだけど……」
「それについては、以前にも答えた通りよ。
私は他人に、それも貴方なんかに頼ってまで、力を手に入れようとは思わない」
「そう……よ、ね。判ったわ。御免なさい、一応、確認してみただけ。
――実を言うとね、残りの被験者は、もう決定してるのよ」
「誰に?」
「それは秘密。後で、コードネームだけ教えてあげる」
「それって、秘密にする意味があるのかしら」
「意味の有無は関係無いわ。古今東西、悪の組織という物は無駄に秘密事項が多い、只それだけの事。
ま、取り敢えず、今“あっちの方”をお願いしている“あの娘達”ではないんだけどね」
「ああ、そう。“彼女達”ではないのね。
……って言うか、“あっち”の作戦は大丈夫なのかしら。こっちの方は、まぁ、失敗したわけだけれども」
「失敗、ねぇ……。
……咲夜、貴方にとってあの撤退は、本当に失敗だったのかしら?」
笑顔の問いに、咲夜は口を塞いで応えない。
どうせ判っているくせに、嫌味な奴。口には出さずに、強く睨み返す。
そんな咲夜の心中を知ってか知らずか、大丈夫よ、と、永琳は続けた。
「私にとっても、あれは失敗ではないから」
「?それって、どういう――――」
「永琳様! 準備、完了しましたっ!」
咲夜の言葉を遮って、一羽の兎が顔を出した。
それを受けて永琳は、判ったわ、と一言、静かに腰を上げる。
「と言う訳で、悪いけれどこの場は失礼させてもらうわね」
「さっそく改造手術?」
「違うわ。これから始めるのは、それとはまた別の実験。
“紅龍”が敵に廻った以上、こちらもまた、新たな手を打つ必要があるでしょう?」
「何をするつもり……って、それも、『悪の組織の秘密主義』とやらで教えられないのかしら?」
「そう言う事。それじゃ、また後でね」
そして永琳は、釈然としない顔で腕を組んでいるメイドを残し、使いの兎と共に永く暗い廊下を歩いて行く。
――全ては予定通り――……。
そう、心の中で呟きながら。
◆
「納得のいく説明、御願い出来るかしら?」
昼食としては多過ぎるのではないか。そう思われる程に在った料理も、ルーミアと幽々子の活躍により綺麗に平らげ
られて後、デザートの杏仁豆腐と愛玉子を前にしてお嬢様が放った一言。
「ああ、これはですね。愛玉と言う植物の果実を利用して作ったゼリーでして、このままでは味がしませんので、シロッ
プ等をかけて――」
「私が聞きたいのは、そう言う事じゃなくて」
「え? ああ、えーと……。
あ、はい!
これらの食材についてはですね、何て事は無いです。神社での後片付けが終わった後、紅魔館までひとっ飛びして、
其処から持って来たっていう、只それだけの話です。
いやでも、以前の私だったら、これだけの量を、それも調理器具を含め、あんな短時間で此処へ運び且つ調理まで
終えるなんて芸当、出来やしませんでしたよ。改造によって炎が使える様になったお蔭で、神社の粗末な台所でも本格中
華が作れましたし……。
本当、妖怪万事塞翁が馬。世の中、何が利に変ずるかなんて判らないもんですね~~」
午後の陽射しにも負けない明るい笑顔で応える門番に、日傘の下で小さな頭を抱えるお嬢様。
これが亡霊嬢やスキマなら、話をはぐらかす為にわざと惚けた真似をしている、とも取れるのだが、この門番の場合、
全くの本気でこういった対応を返してくるのだから疲れてしまう。
判り易い様に言葉を選び、今一度、レミリアが問い掛ける。
「……貴方が今まで何をしていたのか。それを教えて欲しい。そう言っているの」
これで、「食材を取りに帰ってました」だとか、「台所で調理をしていました」等と答えてくれたならば、さて、どう
してくれようか。
然り気なく右手に力を込めつつ、ボロ雑巾の様になった門番の姿を幻視して、嬉しそうに口元を歪ませる悪魔。
「あ……!あぁ、はいっ。
私が永遠亭に囚われていた時の事について、ですか。そうですね、一体、何からお話しすれば……」
主の意を知ってか知らずか、レミリアの望んでいた話を始める美鈴。
それはそれで、微妙に面白くないお嬢様。弄られ役なら弄られ役らしく、中途半端な事はせずに最後の最後までボケ
倒すべきだろう、と。握り締めた拳が、行き場を無くして少し切ない。
「取り敢えず、永遠亭に居た間に、私が得た情報について話させてもらいますね。
――先ず、今回の首謀者なんですが、これは、紅魔館襲撃前にあの素兎が話していた通り、八意 永琳です。
そしてその目的は、幻想郷中から見目麗しい少女達を集め、一大ハーレムを作る事、だそうです」
「……面白くない冗談はそれ位にして、そろそろまともな話を御願い出来ないかしら?」
「ちょ、スットプ! やめて下さい、槍は仕舞って下さいお嬢様っ!!
冗談でも嘘でもないですって! 永琳本人の口から聞かされたんですから、間違い無いですぅ!」
「――その“聞かされた話”、それ自体が嘘、という事はないのかしら?」
今にも殺し合い――或いは一方的な虐殺――が始まりそうな主従の間に、スキマ妖怪が口を挟む。
「それってどういう……」
美鈴の気が抜けた問い掛けに、そんな事も判らないのかしら、と、呆れ顔で応える紫。
「簡単な話よ。永琳が話したって言うその“目的”。明らかに矛盾しているわ。だって…………。
――――私が狙われていないじゃない」
凍符発動。
そうとしか例え様の無い空気が、辺りを包み込む。
力有る者は、予想通りの答だ、と呆れて、わざわざ何かを言おうとする気も起きない。
力無き者は、例えツッコミたい部分が有ったとしても、余計な事は口に出せない。一時の優越感と自分の命、その二つ
が乗せられた天秤の傾きを見間違える程の愚は、流石の⑨も犯しはしない。
「必要なのは、外見が“年頃”の“少女”らしいですよ?
永琳曰く、『みょんタンはOKで黒猫はボツ。さくやんはLOVEで頭が春の亡霊はNG』だそうですから」
チルノ以上の馬鹿が居た。そう誰かが呟いたのとほぼ同時に、
「警醒陣」
美鈴の目の前に、うっすらと輝く小さな光の壁が形成された。
「話の進行を妨げる様な真似は、遠慮してもらうわよ」
そう話す霊夢に対し紫は、別に何もしないわよ、と応え、手にした扇で目の前の“予防線”を軽く弾く。
一瞬で霧散する方陣を視界の端で捉えながら、それにしても、と、霊夢は続ける。
「その話が本当だとすれば、今この神社に居るのは、年増と子供だけ、って事になるわね」
「あれ~? その言い方だと、霊夢もどっちかになる訳だけれど?」
「あら、そうとも限らないんじゃない?」
咲夜は言っていた。『巫女を永遠亭へと連れ帰る事』が目的だ、と。それを根拠に、酔っ払いの言い掛かりを一蹴する
巫女。
「でも、だったら何で、藍様は無事なのかなぁ?
私は兎も角、藍様だったら、『見目麗しい』『年頃の少女』という条件にぴったりと思うんだけど……」
「橙……!」
健気な式の言葉に、感動の涙を流す主。
「藍はねぇ、性格がどうにも所帯染みているから。外見は兎も角、内面的に“少女”という感じがしないのよ。
そのせいじゃない? 無事でいるのは」
「紫様……」
自堕落な主の言葉に、愁歎の涙を流す式。
誰のせいでこんな性格になってしまったのか。小一時間は問い詰めたいところだが、橙の前で言い争いをして、無用な
心配をかけるのも忍びない、と、ここはぐっと我を抑える。
そんな藍の葛藤など全く関係無しに、美鈴は話を進めてゆく。
「次に、永遠亭の戦力についてですが……。
隠密完殺部隊、
“IN”VISIBLE
“AB”SOLUTE
“A”SSASSINS
略して『INABA』。これが、総司令の永琳から最下級の妖怪兎までを含んだ、永遠亭の攻撃部隊の総称です。
で、そのINABAの内から、特に優れた者達を萃めて形成された精鋭チーム、『ローズ・ガーデン』と言うものが
在りまして、このチームは“八意の娘達”とも呼ばれ、現場レベルでのリーダーも任されます。
『ローズ・ガーデン』の構成員は、レイセンと、後は――――」
「――――咲夜達……永琳によって拐かされた少女達、ね?」
「……お察しの通りです、お嬢様。
『ローズ・ガーデン』とは、INABAの中心戦力であると共に、永琳の野望の園に移植された、美しき薔薇乙女でも
あるのです。
彼女等は永琳によって洗脳を受け、その奴婢として囲われているのですっ!」
「洗脳……?」
奴婢という言い方もどうかと思うが、それよりも、「洗脳」の単語に違和感を覚える吸血鬼。
先刻の戦闘に於いてレミリアは実際に咲夜と対峙していたが、その際に、彼女が洗脳されているという様子はまるで
窺えなかった。メイドは、色々な意味でいつも通りのメイドだと思えた。だからこそ、「あの薬師との間で、何かあった
のか」と、そう問うていたのだった。
「あ。あぁ、まぁ、洗脳、とは言っても、ですねぇ……」
口元に手を当てたまま考え込むお嬢様を見て、慌てて美鈴は話の補足を始めた。
「何と言いますか……ちょっと“変な洗脳”なんですよ。
方法としては、レイセンの術で催眠状態になっているところへ、永琳の作った薬を投与する、というものなんです
が……その結果として出来上がるのは、“何でも言いなりの人形”ではないんです。基本的に以前と変わらないまま、
けれど、永琳の言った事には逆らえない、そういう精神的な枷を嵌められるんです。
尤も、“言った事には”逆らえないだけなので、言われていない事に関しては制限を受けませんし、あと、何か指示を
受けたとしても、その内容が曖昧だったり曲解が利く様なものでしたら、ある程度は自由に行動出来るんですけど」
「……確かに、随分とおかしな“洗脳”ねぇ。
何でそんな真似をするのかしら。完全な洗脳をするのには力が足りないから?」
「いえ、お嬢様。レイセンと永琳の能力を駆使すれば、自我をほぼ完全に押さえ込む事も理論上は可能、だそうです。
ただ、永琳が言うには――」
『――折角美しい少女達を手に入れたのだから、面白味の無い真似はしたくない。只の繰り人形が欲しいのであれば、
自分で木偶でも何でも造るわ。
そうではなくてね。確固とした自我を、更に言ってしまえば、私に対するはっきりとした敵意を持つ者達が、それでも
尚、私の言葉に従わざるを得ない。その様子を眺める、それが楽しいんじゃない』
「……良い趣味をしている薬師ね」
門番の口から語られる永琳の言葉に対し、皮肉では無く、本心から素直に感心するお嬢様。
なんでこう、自分の周りは、佐州とか渡州とか、そんな感じの島が似合いそうな人達が多いのだろう、と、少しばかり
暗澹とした気持ちになりながらも、美鈴は説明を続ける。
「ま、まぁ、兎も角……。
その中途半端な洗脳のお蔭で、私はこうして脱出できたのですが。
永琳の採った手段と言うのは、つまりは、心に在る“正気”の内、奥の方のごく一部を“ずらし”て、其処に書き換え
られた“狂気”を植え付ける、と言う事ですからね
そこで私は、“気を使う程度の能力”を以て自身が狂“気”に染められたと見せかけつつ、その実、正“気”を保った
ままの状態で、機を窺っていた訳なんですよ」
「“気を使う程度の能力”って……そういうものなの? 何か違くない?」
「そういうものなんです」
「――あ、そう。
……まぁ、正直、貴方の能力云々については特に興味も無いし、別にどうでも良いか。
――それより、よ。
美鈴。これから訊く事が、私が一番に知りたい事なんだけれど……。
……永遠亭は今、一体何処に在るのかしら。“脱出”して来た位なのだから、当然、知っている筈よねぇ?」
「……え?」
話の最も肝心な所で、間の抜けた声が返ってきた。
役立たずへの怒りと、弄られ役としての正しい反応に対する喜びと、それらが入り混じった、奇妙な顔をする吸血鬼。
「……ねぇ美鈴。貴方、不夜城と幻想郷なら、どちらに行ってみたい?」
「レッドだとか紅色とかだったら、どちらも遠慮しておきます」
「謙虚な貴方には、両方ともプレゼント」
「いや、ちょっ!? 待って下さいって!!
知らない訳じゃないんですっ! 知らない訳じゃないんですけどぉーぅっ!!」
「なら、とっとと話しなさい。私は、余り気の長い方じゃないんだ」
「はい……。
この事に関しましては、実は私もよく理解していないのですが……」
「ダビデの……」
「お星様はやめて下さいっ!
あのっ、そのっ! 永琳が言うには、永遠亭は今、彼女の空間操術によって、別の世界?異なる空間?て言うか?
いや、私にはよく判らないんですが、簡単に言えばスキマの中?の様な所に在るそうなんですっ!」
涙目で捲くし立てられた門番の言葉を受け、レミリアは、スキマの使い手へと顔を向ける。
「だそうよ、紫? と言う訳で、さっさと永遠亭をこの場に出して頂戴」
「……貴方、やっぱり私の事、未来の世界の猫型機械人形か何かと勘違いしてない?」
「あ? 何だよ、それ。余り訳の判らない戯言ばかり流していると――」
「少しは落ち着きなさい。本当、血の気の多い娘ねぇ……。
それよりも、貴方の部下の話、まだ終わってないんじゃない?」
何で判ったんだろう?
そう、少し不思議にも思った美鈴だが、その疑問は取り敢えず置いておき、話を再開する。
「まぁ、その、ですねぇ……。
スキマの中?に在る永遠亭なんですが、その位置は一定ではなく、常に移動している……そう?なんです?」
自身でも何を言っているのか、まるで判っていない歯切れの悪い言葉。そんなものを聞かされたところで、誰もその
内容を理解出来ないのは自明の理。
不機嫌そうに頬を膨らませる幼い吸血鬼の顔を見て、紫は説明を付け加える。
「貴方達はスキマ、スキマと簡単に言うけれど、一口に“スキマ”と言っても、その繋がっている先の世界、空間は一つ
だけではないの。そして、その空間の一つ一つが、幻想郷全体なんかよりもっと大きなものでもある。
そのいずれかの空間の、その内の広い世界の何処かに永遠亭は在る。
しかも、その屋敷――世界全体からすれば、砂粒よりも小さなそれ――は、茫漠とした世界の中で留まる事無く動き
続けている。恐らくは、スキマを扱える私からの検索を逃れる為。
いくら私でも、そこまで手の込んだ真似をされてしまえば、何の手掛かりも無しに探し出すのは事実上不可能。
こんな時にこそ頼りになる筈の霊夢の勘も、この期に及んで未だに危機感を持っていないという体たらくでは、とても
役に立ちそうにはない。
判るかしら? “現時点では打つ手無し”、そう言う事なのよ、私達は」
紫の言葉に、ああ、そうなの、と、一応は納得の素振りを見せるレミリアだったが、すぐに門番へと振り向き、でも、
と口を開いた。
「だったら――そんな不可解な所に永遠亭が在るのだとしたら、なんで、美鈴、貴方は、其処から抜け出してこの神社迄
辿り着けたのよ?」
「はぁ、それが、私にもよく判らないんですよねぇ……。
“CERBERUS”への改造が済んだ後、隙を見て永遠亭から脱走したは良かったんですが、屋敷の外は、何か
こう、真っ暗?でもないけれど、光が在る訳でもなく、上も下もよく判らない、どうにも形容し難い変な所になって
いまして……。
で、暫くの間、あれやこれやと難儀していたら、突然、目の前にスキマみたいなもの?が現れて、その中に飛び込ん
だら、見覚えの有る湖のほとりに落っこちて、それでまぁ、何がどうなったのか、混乱していたところ――」
「私が彼女を回収した、と、そう言う事」
やたらと「判らない」だとか「?」だとかが含まれた美鈴の話を、最後で藍が引き継いだ。
「紫様達とこの神社に向かっている途中、近くで妙な空間の歪みを感知してね。それで紫様に許可を得て、その場所に
向かったの」
そんな藍の言葉に、結局何の収穫も無かったお嬢様は、ああそう、と一言のみを返して、それから、門番に向けて最
後の質問をする。
「先刻、咲夜も言っていたし、今の貴方の話にも出ていたのだけれど……。
“CERBERUS”って言うのは、一体何なの?」
「それはですねっ!!」
よくぞ聞いてくれました。そう言わんばかりの勢いで、レミリアに向かってぐっと身を乗り出す門番。
「INABAの精鋭であるローズ・ガーデン、その内から更に選び抜かれた者に、特殊な方術式を施す事によって生み
出された、最狂の戦士、
“CER”EMONIOUS
“BER”SERK
“U”PPER
“S”OLDIER
それが、通称“CERBERUS”ですっ!
その名が示す通り、CERBERUSになれるのは僅か三名のみ。
そして、その内の一人として選ばれたのが、CERBERUSナンバーⅡ“紅龍”、この紅 美鈴なのですっ!!
ああもうっ! 門番である私には、正に相応しいとしか言い様が無いじゃないですか!
長年の苦労がやっと報われたと言うか、ようやく陽の当たる役を貰えたと言うか……」
「て言うかさぁ、素のままだと弱過ぎて使い物にならないから、それで仕方無しに改造されたんじゃないの?」
天を仰いで喜びの声を上げる美鈴に、酔っ払いの当て擦りが容赦無く突き刺さる。
だが、
「――まぁ、“鬼”の戯言は放っておくとして」
力を得たが故の余裕か、軽く苦笑いを一つ、それであっさりと受け流した。
「ちょっと待て。聞き捨てならないわね、今の科白。あんた、若しかして鬼を馬鹿にしてる?」
「別に?
私、鬼は好きよ? 強いし、格好良いし、鍛えてそうだし。
ただ、ちょっと、何かこう……立つ位置を間違えちゃったんじゃないかなぁ、とか、そう言う風には感じるけど」
「――話している内容はよく判らないけど、何だか腹立たしい物言いね!
そもそも、あんたのその“紅龍”とやらだって、はっきり言ってかなり場違いな感じがすると思うけどっ!?」
「否定はしないわ。
けど、まぁ、鬼に比べれば、ほら、ねぇ……?」
「あッ!? ああああ謝れ! 私とか色々な人達に思いっ切り謝れぇぇッ!!」
「CERBERUSとなった者には、それぞれの特性に合った使い魔と、その力を使役する為の宝具が与えられます。
私の場合、炎の龍と、それを模した手甲ですね」
「無視するなぁ――――ッ!!!」
烈火の如く、どころか、烈火そのものとなって吹き出される萃香の言葉。
けれども、炎を操る能力を得た者にとって、そんなものは何の意味も成さない。
騒ぎ立てる鬼の事などまるで見えてない、といった涼しい表情で、美鈴は長い話を締め括った。
「CERBERUSの残り二人についてですが、これが誰なのかは、申し訳無いのですが判りません。
私が知っているのは、“大憲章”“王神”というコードネームだけです。
――――以上が、私が永遠亭に居る間に得た情報の総てです」
そう言って、仰々しく頭を垂れる門番。
けれど、そんな彼女にレミリアは目もくれず、顎に手を当てて一人、難しそうな顔をして黙りこくっている。
これはどうも、何か不用意な事でも言って気を悪くさせてしまったのだろうか。普段の生活経験から、ほぼ条件反射
的にそう考えて不安を感じた美鈴は、主の機嫌を窺おうと恐る恐る声を掛けた。
「……あの、私、何か、気に障る様な事、言ってしまったでしょうか……?」
「……別に。
――て言うか、美鈴、貴方の方はまた、何だか随分と嬉しそうねぇ」
恐らくは、先程の鬼との遣り取りを指しているのだろう、お嬢様の言葉。
それを聞いて美鈴は気付いた。主が、一体何に対して憤っているのかを。
――自分は何て愚かなんだろう。他人の、それも敵の力に頼って強くなっただけの癖に、あんな、馬鹿みたいに浮かれ
てしまって。お嬢様が不興をかこつのも当然ではないか――。
「――実を言いますと、咲夜さんもCERBERUSの対象者として選ばれていたんです。でも、咲夜さんはそれを断り
ました。
その時、咲夜さんにも……言われたんですよ。自分に勝つのが、紅魔館の生き方だって。だから私、また必ず、自分の
力で戦って見せます」
その為にも、さっさと永琳をとっちめて、この身体を元に戻させないと。そう言って、晴れ晴れしい笑顔を浮かべる。
それ見てレミリアは、呆気に取られた様な表情を見せたが、それもほんの一瞬の事。
すぐに顔を緩ませ、小さな笑みをこぼし、そのまま優しい眼差しを門番に向けた。
「そんな……」
「お嬢様……」
「そんな…………。
――――そんな事を言ってるんじゃないのよ私はぁぁああアアァァァッッ!!!」
「ぱぐおっしゅっっ!!??」
紅拳一閃。
哀れな門番の身体が、悲鳴と共にきりもみ状態で空を舞い、然る後、欅の折れる嫌な音と共に綺麗に賽銭箱の中へと
収まった。
お嬢渾身の左アッパーカット。
お金以外のものならば結構色々と入る箱を眺めながら、そろそろ諦観という言葉の意を解し始める巫女。
「イギナディ何ヲ゛スヅンディスカ、オ嬢ザァバ!?」
「日本語を話しなさい! ここは幻想郷よ!?」
「それって、他人の科白のパクリ――」
「黙らっしゃい!
――いいこと? 美鈴、貴方に最期のお願いよ」
「さ……へ?――……はい!?」
「妹と遊んであげて頂戴」
「ちょ、何ですかそれ!?
その、一見『はじめてのホニャララ』に繋がりそうな妹萌系イベントフラグ成立に見せ掛けてその実単なる死刑宣告
は!!??」
「やっかましい! こぉんの裏切り者がアアアァァァ!!」
「はいぃぃぃいいぃぃぃっ!? 何でぇ――――ッ!!??」
「『裏切り者には死あるのみ』って、かのマザー・テレサも言ってるでしょうがっ!!」
「嘘だー!? あの人が言ったのは、『愛の反対は』云々ですよー!?」
「私の地元じゃそう言う風に伝わってるのよ!!」
「何その罰当たりな都市伝説! って言うか、お嬢様の地元って何処!?
いやそもそも、何で私が裏切り者なんですっ!!?」
「しらばっくれるな!
益体もないものが敵の手に渡り、強化を施された途端にあっさり帰ってきた――それも、“如何にも”な危機的状況の
時に! まるで狙ったかの様に!!
あり得ないわよ、こんな馬鹿みたいに都合の良い展開! どうせお芝居をするなら、もう少しまともな脚本を用意
なさいっ!」
「いやっ、そんなっ! お芝居なんかでは――」
「五月蝿い! 素兎の件もあるし、そう考えるのが当然じゃない!
紅魔館が何故落とされたのか、貴方だって覚えていない訳ではないでしょう!?」
「て言うか、あの時は、咲夜さんやパチュリー様が言った事を、お嬢様が余裕こいて無視したせいじゃ――」
「そもそもねぇ! 冒頭部からして気に入らないのよ!
貴方の境遇とOPと能力と部隊名と、全部ばらばらじゃない! 何で初代で3で龍で剣なのよ!? 何で中途半端に
caved!!!!な薔薇が混じってるのよっ!!?
ネタを振るならせめて統一くらいしなさいよッッ!!??」
「意味不明の言い掛かりキタ――――ッ!?」
「しかもOPで思いっ切りネタバレかましてるし! 『パチェ』だの『狗』だの『小悪魔』だの偉そうに言ってるしっ!
『パチュリー様』でしょう! 『咲夜さん』でしょうっ!! 『小悪魔さん』でしょうッッ!?」
「あれはナレーションや歌詞の語呂合わせの都合で仕方無く!
……って、私、小悪魔にも『さん』付けしなきゃならないんですかーっ!?」
延々と繰り返される主従の掛け合いは、興奮の余りであろうか、お互い、まともな理屈を繰り出す事の出来る状態を
見事に通り過ぎてしまっていた。
そんな微笑ましい光景を尻目に巫女は、食後の一杯に祁門とか言う紅茶を口にする。
美鈴が用意したお茶にはもう一つ、正山なんたらと言う物もあったのだが、そちらはどうにも癖の有る強い芳香がした
為、苦味の少ないと言う祁門を霊夢は選んだ。確かにこちらは、渋みが少ないどころか、むしろ甘くさえある。
ただ、飲み易いのは結構な事なのだが、これだと“お茶”を飲んだという気が余りしない。花祭りの坊主ではないのだ
から、甘いお茶をわざわざ尊ぶ必要性も無い。
お茶はやはり煎茶。それも、出来れば玉露が良い。
「門番なんてのはアルバイトの警備員と大差無い様な仕事でしょーが!
図書館司書より格が下なのは当然! そう、HBの鉛筆を思い切り握ったらベキッ!とへし折れる事と同じように
当然ッ!」
「!! お嬢様の言葉といえども、今のは黙って聞き過ごすわけにはいきませんよ!?
大変なんです、警備の仕事って!
研修面倒だし、腹が立つ奴が居ても殴ったら駄目だし!
天気の良い昼間は表に居ると暑いし! 夜は夜で謎の怪生物に襲われてネチョネチョにされる危険性があるし!?」
「いい気になって理解不能な言葉を並べてんじゃあないわよッ!!
警備員なんてのは、金持ち相手に『格好いいなー、憧れちゃうなー』とかなんとかおべっか使って小銭を稼いだ挙句
『只……幸せになりたかっただけ――』と雨の中一人孤独に光の粒となって消えていくのがお似合いよ――――ッ!?」
「お嬢様の方こそ訳が判りません! 偏った知識とおかしな文法で物事を語らないで下さいぃっ!」
未だ終わらない諧謔に欠けた茶番を眺めながら、デザートの愛玉子とやらに手を伸ばす。
寒天にも似た、けれどそれよりは少し柔らかい食感を愉しみながら霊夢は、先刻まで自身の中に殆ど存在していな
かった危機感と言うものが――――更に薄れていくのを感じていた。
美鈴が話していた永琳の野望。それからして、余りにも馬鹿馬鹿し過ぎる。
ただ、そのそもそもの原因が何であれ、結果として彼女が起こした行動、それは、下手をすれば幻想郷全体のバランス
をも崩しかねない、危険な行為ではある。
――――ではある、のだが。
……INABAだのローズ・ガーデンだのCERBERUSだの。
紅龍だの大憲章だの王神だの――……。
萃香が言っていた『場違い』と言う言葉は、確かに正鵠を射ている、と、霊夢も考える。
薬師が惹起した事態の深刻さに比べ、どうにも幼稚に過ぎるその名付け方。巫山戯ているとすら思えてしまう程に。
――どんな時でも余裕やユーモアを失わない――そう考えての事なのだろうか。
確かに、そうした考え方は、霊夢を含め幻想郷内の力有る者達に共通しているものではある。
ただ、それにしては余り面白味が感じられない。誘拐や改造、洗脳といった行為も含め、永琳の側のみが一方的に
愉しんでいる、そういった様な風がある。
敵と戦って、強いカードを手に入れて、それらを萃めては大仰な名前を付けて喜ぶ。
彼女のやっている事、これらはそう、まるで――――……。
「ひぇぇ!」
突如鳴り響いた蟲の声が、霊夢の思考を遮る。その音に、残念ながら風情といったものは余り感じられない。
「どうしたのよ突然?」
蟲なら蟲らしく、もう少し趣のある鳴き方をしなさいな。
そう言って振り向いた巫女の目に映ったのは、いつのまにやらか、多数の蛾だの蜘蛛だの百足だの、その他諸々の眷
族に囲まれたリグル。その周囲には、亀虫の姿まで確認出来た。顔をしかめ、鼻をつまむ霊夢。
「……あんたねぇ、食事中にそんな奴等を連れて来るんじゃないわよ」
「それどころじゃないって! この子達、普段は魔法の森に住んでいるんだけど……。
森が襲われてるって言うのよ! INABAの奴等に!」
文字通りの虫の知らせ、その最後の『に』が告げられるのとほぼ同時、
「!お嬢様っ!?」
少女一人と日傘一つが、神社からその姿を消していた。
「……あの馬鹿。
まだ日が暮れる迄には間がある上、敵が使ってる術の絡操りについても判ってないっていうのに――」
「へ!? ちょっと、霊夢!
何、若しかして、お嬢様って、INABAの能力が何なのかに気付いてなかったりするの!?」
「ええ、まあ。紫や幽々子なんかは、どうやら理解しているみたいだけど」
「だったら何で、それをお嬢様に教えてあげてないのよ!?」
「あら、簡単に教えてしまっては、話が盛り上がらないでしょう?」
「私は、まぁ、折を見て話そうかな、とは思っていたのだけれど……その前に行っちゃたわね、彼女」
扇で口元を隠しつつ、笑顔で語るスキマと亡霊を横目に美鈴は、自身が神社に到着した時点でレミリアと交戦中だった
咲夜が、全くの無傷であった事を今更ながらに思い出した。
「森に来ているのが誰かは知らないけど――――いくらお嬢様でも、このままじゃ危ないッ!」
言うが早いか、主を追って神社を飛び出そうとする美鈴。
その背中を、霊夢の声が引き止めた。
「ちょっと待ちなさい」
「何!? 急がないといけないんだけどっ!?」
「急ぐのは一向に構わないのだけど……。
――その辺の木を引っこ抜いて思い切りぶん投げてその上に飛び乗っていくとか、そういう急ぎ方はしないでね。
一応此処は神社なんだから、木は大切にしなきゃいけないし」
「言われなくてもやらないわよ、そんな面倒な事ッ!!」
「いや、ほら、あんたの場合、見た目が何かこう――」
惚けた巫女の言葉に背を向けて、改めて美鈴は空へ舞う。
「面白そう! 私も行くわね」
一つ残った傘を手に、フランドールも魔法の森へ向かう。
「私達も――」
「待ちなさい、藍」
後を追おうとする式を制止しつつ、泰然自若とした様で正山小種の淹れられたカップを手に取り、そのエキゾチックな
芳香を愉しむ紫。
「ですが……」
「良いのよ。
貴方は頭が良いし、“経験者”でもあるのだから、実際にその目で見てしまえば、一目でINABAの力の何たるかを
見破ってしまうでしょう。そして、貴方の力ならそれに充分対処する事が出来る。
それだと、面白味が無いじゃない?」
「面白――って……。
そういう事を考えるよりも、ここは素直に、事態の解決の為に最も有効な行動を採った方が……」
そう進言する藍の口を、紫の扇子がそっと塞いだ。
「私はね、事態を治める為にこう言っているのよ」
「……は、あ?」
「貴方達もそう考えているから動かないんでしょう? 霊夢、萃香」
唐突に話を振られて巫女は、手にしていた小皿を茣蓙の上に置く。
「別に。必要性を感じないから動かないだけよ。
あの門番は、当然INABAの力とやらに通じているんだろうし、その上フランドールまでついて行ったんだから」
「私は、鬼を馬鹿にする奴の手助けになる様な真似はしたくない」
白酒の入った瓶を口から放し、萃香も紫に応える。
言っている内容は違えど、両者とも、この場は静観する、という点では紫と一致していた。
それがどうにも納得出来ない藍は、この場であと一人、全く動じずに居る者へと振り向く。
「――幽々子様、貴方は?」
「はむふぁひら、はんひゃん?」
「いえ、取り敢えず、口に入っている物を飲み込んでからで……」
そう言われて幽々子は、小分け用の取り皿ではなく、大型のボウルから直接杏仁豆腐を口の中へと流し込み、暫く口を
もごもごと動かして後、満足そうに息を吐いて、それからゆっくりと話し始めた。
「私は、そうね――……。
愛玉子って、『あいたまご』って読むととても可愛らしくて素敵だと思うわぁ~~」
「あらあら、幽々子ってば。
それじゃあまるで、何処かの山の丘の上にそそりて立つ学校の生徒さんじゃないの」
訳の判らない話で盛り上がる主とその友人。
……この人達はいっつもこうだ。慣れてはいるけれど、だからと言って疲れない訳でもない。
盛大に溜め息を吐く狐を、少し心配そうに黒猫が見詰めていた。
◆
「くっ……そ……。
アリスを……返……し……――」
既に立ち上がる力さえも残ってはいないのか。
手にした箒でその身体を何とか支えている魔法使いの眼前に、白く光る刃の先端が突き付けられる。
「諦めなさい。貴方も彼女と一緒に、私達の元へ来るのよ。
大人しくするのであれば、これ以上の危害は加えないから」
抜き身の刀を手に降服を迫る少女。その直ぐ脇で浮遊する白い塊の上には、まるで糸が、或いは螺子が切れたドールの
様に、眼を閉じたままぴくりとも動かない人形遣いの身体。
「あっ……そ。
――今の、地名だぜ……。
……『且来』」
「……面白くないわね」
「そう、か? 前に……似た様な事を、言った時は……結構、ウケたんだがな……。
やっぱり、半分でも……人間だからか――……あ?」
そこまで言って、魔法使いは視線を上に向ける。鬱蒼とした森の中で僅かに覘く空、そこで何かが光ったのを見た気が
した。
魔法使いと対峙する少女も、つられて空を見上げる。彼女の目にも見えた。真紅の光を放つ何かが。
四つの瞳が見詰める先、次第に大きくなっていく光。
間も無く、魔法使いはそれが何であるのかを理解した。それと同時に、まともに動かぬその身体を箒で引き摺る様に
して、急遽その場を離脱する。
次の瞬間、紅く輝くそれが、大小無数の魔力弾が、雨降るが如く次々と天から落ちてきた。
「おいおい……アリス……の、方は別に、構わんが……こっちまで巻き添えにするのは……勘弁してくれないか?
――夜の女王様」
そう愚痴る魔法使いの目の前、破壊をもたらす赤の猛雨を背景に、小さく可愛らしい傘を片手に、悪魔の羽を広げた
幼い少女がゆっくりと降りて来る。
全ての要素がそれぞれ明らかにずれていながら、それらが一つに纏まる事により、何処か背徳的で、そして幻想的な
光景を作り出していた。
「……魔理沙ったら、何を言っているのかしら。貴方、私の二つ名が何だか忘れたの?」
「永遠に……幼い……赤――ん坊だな」
「慈悲は期待するな、って事よ。
そもそもねぇ、古今東西、空爆なんてのは無差別を基本――と言うより、無差別しか出来ないものなのよ?
まぁ、世の中には、目標“それのみ”をピンポイントで攻撃出来るものもある、なんて、幻想にすら至らない妄想を
抱いている愚図も居るらしいけどね。女子供を選り分けて避ける弾なんて、そんなもの、在る訳が無いっていうのに」
「て言うか……選り分けるも……何も、この場にゃ初め……から、女子供“しか”居なかったけど……な。
たった今、来た奴を除いて……」
「……まともに喋れないほど疲弊している癖に、減らず口だけは相変わらずなのね。感心するわ」
「減らないから……減らず口……だぜ…………」
箒を片手に、地面で大の字になって、最早指一本すら動かすのも容易でない状況にありながら、それでも尚、軽口を
叩く事だけは止めない魔理沙。
そんな魔法使いを、自身の無差別爆撃によって巻き上げられた土煙を背にしつつ、呆れた様な顔で見下ろす吸血鬼。
「――にしてもまぁ……。
メイドに会えるかと思ってやって来てみれば……――」
言いながらゆっくりと振り向き、次第に視界がクリアになっていく爆心地に目を向ける。
「――――居たのは他所の家の庭師で、それもたった一人だけ。
……いや、半人前だから一人にも満たないか。やれやれ、夜符が勿体無かったわね」
「――その半人前に、貴方は傷一つ付ける事が出来ないわけですね」
レミリアの視線の先に在るのは、“予想通り”何のダメージも受けていない半霊の姿。
「ふん。余り偉そうな物言いをしない事ね。
どうせ兎共と同じ様に、何かしらの小細工を使っているんでしょう?」
「小細工……INABAの力の事?」
レミリアの言葉に、一瞬怪訝な顔を見せた後、すぐに険しい表情になって言い返す少女。
「……馬鹿にしないでもらいたいわね。いくら敵の手に落ちたとは言え、この魂魄妖夢、あんな姑息な術を使う程にまで
腐ってはいない!
そもそも、そんなものに頼らなくても、あの程度の弾幕、これで充分よっ!」
そう言って自身の腰の後ろへと手を回し、そこに差していた短刀を逆手で引き抜く。
「人の迷いをすら断つこの白楼剣に斬れぬ弾など、レーザー以外に無い!」
「……ああ、そうかい。
因みに今の、植物の名前だそうよ。『亜阿相界』」
人のものを勝手に使うなんてふざけた奴だ。そんな面白くもないジョークが魔法使いの口から聞こえた気がしたのと
同時に、
「貴方『程度の』相手、『これで充分』よ」
レミリアは胸の前で両手を構える。誰かが『天使の羽根みたい』と評した、奇妙な手の形。
そこに現出する、四つの紅いヘキサグラム。
「お出でなさい! 夜魔の僕、サーヴァントフライヤー!」
「『オイ、出なさい!』って言い方……は、お嬢様としてはどうかと――」
魔理沙の戯言など全く関係も無しに、魔方陣からまるで徹甲弾の様に放たれる、魔力を纏った蝙蝠達の群れ。
一直線に迫り来るそれを、妖夢は、真正面から睨み付ける。
「こんなもの!」
両手に刀を持ったまま、彼女の身体がくるりと一回転した。舞を踊っているのかと思える程に、軽やかなその動き。
「反射下界斬!」
円を描く白楼剣の軌道が、淡緑の光る壁となって吸血鬼の僕達を弾き返した。
「ちっ!」
自らの放った弾が、そのまま自身に反射されてくる。
襲い来る蝙蝠の群れを、片手の一振りで掻き消すレミリア。
その目の前、赤黒い塊が消え去った其処に、
「……え?」
楼観剣を八双に構える庭師の姿が在った。一瞬の前まで、五間は離れていた所に居た筈の庭師の姿が。
考えるよりも先に、頭上に両の手を乗せて、反射的にレミリアは身を屈める。
そのすぐ上、コンマ何秒の前には吸血鬼の首が在った所を、白い閃光が水平に奔った。
主の手を離れ、その身代わりとなって真っ二つになる小さな日傘。
「この!」
屈んだままの体勢、抜く手も見せぬ速さで、魔力の籠められた左手を振り上げる吸血鬼。
赤い衝撃となって吹き上げるそれを、摺り足で身を退いて躱す妖夢。
彼女の白い髪の毛が数本、暗い森の湿った空気の中を舞った。
「……身のこなしだけは――」
――家のメイドや、門番にも匹敵するかも知れない。目の前の庭師に対する認識を、レミリアは少しだけ改める。
そんな彼女の前で、しかし妖夢は、その手にしていた刀を静かに鞘へと納めた。
「――何の心算かしら?」
「……ここは、大人しく退いてもらえませんか?」
「何だ、命乞いか。なら、もう少し良い言い方があるんじゃない?」
そう言って鼻で笑う吸血鬼に対し、憤りもしなければ臆した様子も見せず、ただ淡々と妖夢は言葉を続ける。
「正直……此処に来たのが貴方だったと判った時、安心しました。
幽々子様が来たのならばどうしよう……、と思っていたけれど、貴方が相手なら別に手加減をする必要も無いし。
けれど、だからと言って、無益な殺生をしたい訳でもない」
「……殺生な話になるのは、お前の方なんだけどね。
もう一度言うけれど、言葉はちゃんと選んだほうが良い。命乞いをするんだったら」
「命乞いじゃありません……これは、警告です」
“警告”。その言葉に一瞬目を丸くしたレミリアは、やがて、その顔に奇妙な笑いの様なものを浮かべた。
――つくづく――薬師にしろ、兎共にしろ、この庭師にしろ、つくづく…………。
「――――つくづく、人の気に障るのが上手じゃあないかっ…………!」
吸血鬼の全身に魔力が充実し、膨張していく。引きつった笑みに可憐な顔を歪ませ、目に見えるかと思える程のはっき
りとした殺気を放つ少女。
「どうしてもやるのかしら?
――ならばこちらも、極意を使わざるを得ない、か」
「極意? あの、『なんたら反射』とか言うスペルの事? あんなもので――」
極意「待宵反射衛星斬」。月の光を借りて放つ、魂魄最大奥義の一つ。幅200由旬にも及ぶと言われる西行寺家の
庭を一振りで網羅する、剣術という概念を全く無視した超々広範囲斬撃。
だが、その範囲の広さが為か、無限に横へと広がっていくそれぞれの攻撃の間には、僅かながらも隔たりがあり、その
剣の軌跡自体も読み易い。
故に、多数の敵を相手にするには強力でも、単体の、それも、レミリアの様に素早い動きの出来る者を仕留めるには
不向きなスペルとも言えた。
「初見なら兎も角、過去に見た事が有る以上、あんなものに私が当たるとでも思うのか? 少しは頭を使いなさい」
「……貴方の方こそ、少しは頭を使ったら?」
レミリアの言葉を、そのままに返す妖夢。彼女には初めから、“レミリアを斬る”心算など有りはしなかった。
「――今がいつなのか、此処が何処なのか、自分がどういう状況に在るのか」
「…………。
……なるほど。先刻傘を破壊したのも、この為、と言う訳ね」
陽が沈むには未だ間のある時間、陽光を遮る道具を失ったレミリアが、こうして何事も無く在る事が出来るのは、此
処が陽の届かぬ深い森の中であるが為。
庭師の極意が発動されれば、例えレミリア自身がそれを躱したとしても、周囲の木々は切り倒され、遮る物の無く
なった太陽の光は、容赦無く吸血鬼の身体を焼くだろう。
「躱すだけでは駄目。生き残りたいのなら、戦軍が二百日を掛けて進む距離を、刹那の内に逃げ切らねばならない。
いくら貴方でも、そんな芸当、不可能でしょう?」
「――――そうね。確かに、200由旬は不可能だわ」
「なら――」
大人しく引き下がって。そう言おうとした妖夢の言葉は、しかし。
「――――“貴方が”200由旬も進むのは不可能、なのよ」
レミリアの声によって遮られた。
「200由旬どころか、1インチでも動くその前に、私が貴方を一人前の幽霊にしてあげるのだから……!」
そう言ってレミリアは、目の前の庭師がその刀を鞘に収めているのに対応するという事なのか、両の手から力を抜いて
だらりと垂れ下げる。
「西部劇のガンマン風に言うと……『ぬきな! どっちが素早いか試してみようぜ』というやつよ…………」
「……それは、吸血鬼の科白じゃぁないわね……」
お互いが一撃必殺の態勢を維持したまま、音も無く固まる。
先手をとるのか、後の先を狙うのか。必殺の気合で相手を牽制しつつ、どちらも動く事が出来ない。
二人が放つ緊張感に染められたかの様に、空気すらも、その動きを静かに止める。
このまま、劫の時に繋がってしまいそうな、そんな沈黙。
それに耐えられなくなったのか、一枚の樹葉が、ゆらりゆらりと二人の間を落ちていった。
空気の抵抗に押されながらも、ゆっくりと、けれど確実に落ちゆくそれが、やがて大地へと辿り着いた、その瞬
間――――……。
「禁忌『レーヴァテイン』!」
幼い少女の声と共に高空から振り下ろされた光の柱が、二人の居る場所を薙ぎ払った。
突然の事態に驚いて、何とか身を起こす魔理沙。
彼女の目に、光が去った後の、深く抉られた大地が映る。そして。
「おおぉわあ~~っ!?」
次の瞬間、光柱の軌跡を追う様にして爆風が巻き起こった。抗う事も出来ぬまま、投げ捨てられて人形の如く魔理沙の
身体は吹き飛ばされる。
自力で空を飛ぶ時とはまた違った感覚の中、彼女の脳裏には何故か、赤い兜虫を得ようとしてそれが適わなかった青年
の姿が横切った。
――何で自分がこんな役回りなんだろう。脚本を書いた者への不満を、心の中で呟こうとしたところで、その意識は
闇に沈んで――……。
「――――大丈夫、魔理沙?」
――目が覚めると其処では、上方に靴を、下には緋色のスカートをはいた、二本の白くて細い足が喋っていた。
「……お蔭様でな……死にそうな程度……には、元気だぜ…………」
「そう、良かった!」
屈託の無い、明るい声を聞きながら魔理沙は、自分の状況を確認しようと試みる。
――頭の後ろには……柔らかい土の感触。
足の下には……特に何の感触も無し。
背中に当たっているざらざらしている物は、恐らくは木の幹か。そう言えば、首が曲がっていて少し痛い。
身体を動かすのも億劫だったので動かなかったが、それでも自身の状況は理解出来た。
吸血鬼は生足で言葉を話す――そんな大発見に心を躍らせたが、どうやら勘違いだったらしい。取り敢えず、もう少し
首を動かしてみたら、中が拝めるかも知れない。
「何ャッデヅンディスカ、妹ザァバ――――ッ!?」
呂律の回らない意味不明の言語と共に、紅毛の少女が空から降りて来た。
「おぉ……久しぶりだ……ぜ……。
…………モンゴル」
魔理沙の言葉に「誰が肉襦袢だ!」と軽くツッコミを入れつつ、フランドールに駆け寄る美鈴。
「何を怒ってるのよ?」
「いや、だって!
お嬢様ごと消し飛ばしちゃってどーすんですか――っ!?」
何を言われているのか、よく判っていない。そんな表情で大きな目をぱちくりとさせるフランドール。
その愛らしい動作に少し胸をときめかせつつも、頭を抱えて俯く美鈴。メイド長が居なくなり、魔女が居なくなり、
その上、主まで居なくなってしまったのでは、これから先、紅魔館は一体どうなるのか……。
「――いや、でも、待てよ……。
お嬢様が居なくなって、咲夜さんが居なくなって、パチュリー様も居なくって、で、妹様はこんなんだし…………。
……あれ、若しかして、紅魔館に残っている者でまともなのって私だけ?
紅魔館の実質的リーダーは、私って訳!?
そう、そうよね! 妹様は人を率いるって柄じゃぁないし、私が皆を引っ張らなきゃだよねっ!?
やたっ! すごっ! 門番から一気に、一家の主にクラスチェンジッ!!
春だよ! 私にもやっと春が来ましたよ――――ッ!!!
紅魔館は私に任せて、安心してお星様となり色々見守って下さい、お嬢様――――ッッ!!!!」
「ほーお、それでだれがこのレミリア・スカーレットのかわりをつとめるのかしら?」
「だから、それは私が……。
?――――!!??」
背後から聞こえる声に、ゆっくりと顔を向ける。
頭を抱えてから僅か一分足らずの間に、頂点に駆け上って更にどん底まで落ち込む、そんなジェットコースター人生。
「まさか貴方のわけはないわよね!」
2匹……、3匹、5……、7……、11……13……17…………19………………。
真っ青な顔でがたがたと震える門番の目の前、魔法使いが逆しまになって嵌っている樹の根元に、蝙蝠達が次々と
萃まって来た。
数十とも、数百とも、それ以上とも思えるその赤黒い塊は、やがて一つとなって少女の形を成していく。
「……もっとこう、吸血鬼なら、吸血鬼らしい科白を言いましょうよぅ……」
一点の汚れすら見当たらない綺麗な主の姿を前に、顔面蒼白のまま、それでも何とか引きつった笑顔を作って、門番は
口を開く。
「なら、貴方の方こそ、門番らしい科白を用意するべきではないのかしら?」
見ているだけで命が削られていきそうな、そんな素敵な笑顔の圧力に、その場で膝から崩れ落ちる美鈴。
「短い夢だったなぁ……」
門番の科白としては、それは少し高級ではないか。そんな風にも思うお嬢様だったが、美鈴に分と言うものを教え込む
のは取り敢えずは後回しとする。
「にしても……凄いわねぇ」
言いながら、妹の攻撃によって作り出された焼け野原を見遣る。
其処に在るのは、先程のレミリアによる空爆の時と同じく、全くの無傷で立つ庭師の姿。だが。
「貴方の剣って、炎神の“災いの魔杖”すらも斬る事が出来るんだ?」
意地悪そうに微笑みながら語られるその言葉に、妖夢は黙して応えない。
レミリアには判っていた。妖夢が何をしたのかを。
妖夢には判っていた。レミリアが何を言いたいのかを。
咄嗟の事とは言え、永琳から与えられた力なんかを使ってしまった。その事実に、下唇を強く噛み締める妖夢。
「――認めるわ。ここは私の負け……大人しく、退かせてもらう。
……但し、彼女は、アリスは頂いていくわ」
そう言って、気を失ったままの人形遣いを乗せた半身と共に、妖夢は場を離脱する。
「そう易々と逃すと思うの!?」
彼女の後を追って、自身も飛び出そうとするレミリア。その小さな身体に、
「駄目です、お嬢様!」
大慌てで抱き着く美鈴。
「ちょ! 何するのよ、このセクハラ門番! 上司に手を出すなんていい度胸してるじゃないっ!?」
「灰になります! 灰になっちゃいますって!」
「ハイになってるのは貴方の脳味噌でしょうがっ!」
「落ち着いて下さい! せめて、傘を!」
「ッ――――!
フラン! 貴方のそれ、寄越しなさい!」
「え゛ー?
嫌よ。これ、お気に入りなんだから。お姉様には、自分のが有るでしょ?」
「無いから言ってるのよっ!」
そんなこんなをしている内に庭師の姿は、蒼い空の彼方に消えて、見えなくなっていく。
それと同時に、門番の腕の中で暴れていた華奢な身体から、はっきりと力が抜けていった。
「――あいつを捕らえれば、永遠亭が……咲夜の居場所が何処なのか、判ったのに……」
そう小さく呟く主を、美鈴は、ゆっくりと地面に下ろした。そして、俯いたまま肩を震わせている幼い少女の背中に、
そっと声を掛ける。
「……お嬢さm」
「こぉんの裏切り者がアアアァァァ!!」
「ろーとぶらっとっっ!!??」
悲鳴を上げながら“く”の字に折曲がって吹き飛ぶ哀れな門番。そのまま彼女の身体は、十間は離れた場所に有る樹の
葉を散らす事となった。
お嬢渾身の右ストレート。
「またこれですかっ!?」
「五月蝿い!
貴方、あいつを逃す為に私の邪魔をしたんでしょう!?
私には判る! 言われなくともよーっく判るわ!!」
「それはお嬢様の為じゃないですか!?
先刻も言いましたけど、私はお嬢様を裏切ったりなんか――」
「裏切り者じゃないのなら役立たずよ、役立たず!
そもそも、貴方が永遠亭の場所を覚えてさえいたのなら、それで何の問題も無かったのよ!?」
「それについては、あのスキマ妖怪が話した通り――」
「あとっ! INABAの力とやらについても!」
「いやそれは、お嬢様ならとっくに判ってるだろうと思って……。
咲夜さんやパチュリー様も、館が襲撃された時点で気付いてたみたいですし……」
「……何それ?
――それって何?? 若しかして、私の事を何気無しに馬鹿にしてる!?
額に“森”とか書かれているのがお似合いな吹っ飛ばされ役の癖して、私を馬鹿にしてるわねッ!?」
「意味はよく判らないけど何だか各方面に失礼っぽい発言な気がします、お嬢様ぁ~~!
て言うか、別に馬鹿になんかしてませんて!」
「お黙りなさい! 他にもアレよっ!
敵の本拠地から戻って来たというのに、メイド達を治す薬の一つも持って来やしないし……!」
「『メイド達を治す』……?
……そう言えば、食材を採りに館へ戻った時、メイド達の仮眠室が何だか霊安室みたくなってるなー、なんて思ったん
ですが……あれって、永琳の仕業だったんですか?」
「決まってるでしょ!?
薬を飲まされたのか何なのかは知らないけど、メイドの殆どは傷も無いのに死んだ様に眠ったままで、残った者はその
看護で手一杯――――お蔭で、雑魚兎の相手までこの私がわざわざしなきゃならないっ!」
「はぁ、そうなんですか」
「『そうなんですか』って、何で貴方がそんな事も知らないのよ!?」
「いえ、その件については特に永琳からは聞いていませんでしたし……」
「聞いてる聞いてない以前の事でしょう! これは、紅魔館が襲われた時の話なのよ!?」
「いや、あの時は、私は一番最初にやられ――――」
――――しまった。思い切り藪を突いてしまった。
慌てて口を塞ぐ美鈴だったが。
「そう……そうよね……。
そう言えばそうなのよね…………」
「……お嬢様……?」
「そもそもは、貴方が門番としての役目も碌にこなせない役立たずだったせいで、こんな面倒事になったんだったわ
ねぇ~~ッ!!」
「うわぁ~ん! 蛇が出て来たぁ~~!」
「このSGGK(スンゴイがっかりゲートキーパー)ッ! 貴方なんか解雇よ、解雇!」
「そう簡単に解雇されたらたまりませんよぅ~~! 紅魔館をクビになったら、明日っからどう生活すれば……」
「中華料理が得意みたいだし、六地蔵の宿屋でも伊勢の餃子屋でも、好きな所に行けば良いじゃない!」
「それ、メイリンはメイリンでも“齢”だったり、美鈴は美鈴でも“みすず”だったり……」
「……ったく……あー言えばこー言う、こー言えばあー言う。役立たずの癖に、口だけは一人前ねぇ――……。
判ったわよ。そんなに解雇が嫌なら配置換えね。貴方は今日から、門番じゃなくて妹の遊び道具!」
「それって役職と違う!? “相手”じゃなくて“道具”ですかっ!?」
逆様の魔法使いを物珍しそうに観察していたフランドールが、姉の言葉に在った“遊び”という単語に反応して振り
返る。喜色満面のその顔を見て、余りに判り易いまでの命の危険を感じ取る門番。
「何、お姉様? これ、貰って良いの?」
「ええそうよ、今からそれは貴方の物。好きな様に遊びなさい」
「やった!
さっきの剣士さん、面白そうだと思ったのに、すぐに居なくなっちゃたから……。
彼女の分も一緒に遊んでもらうわよ!」
花が咲いた様な笑顔。心の底からの喜びが、はっきりと感じ取れる明るい声。
そんな様子で迫ってくる少女を、美鈴だって、それは勿論、愛くるしいとは思うし、出来る限りはその望みに応えて
あげたいとは思う。
そう、自身の命が保障される範囲で、出来る限りなのであれば。
「何して遊ぶ、美鈴?」
「おままごと」
絶対に通る筈が無い。判っていて言った美鈴の言葉。それが。
「いいわね! じゃ、私がお母さん役で、貴方がお父さん役」
通った。言ってみるものだ。例え巧くいく確率0パーセントの道でも、勇気を持って進めば道は開ける、という事を
知った美鈴。そう言えば、「可能性は自分でつくるものだ」って、何処かの溢れる勇気を魔法に変える人達も言っていた
気がするし。
「お帰りなさい、貴方~」
早速始まった擬似家庭遊戯。
料理途中で亭主の出迎え、という場面を想定しているのだろう。スカートの裾をエプロン代わりとして、手を拭く
真似をしながら美鈴に駆け寄ってくるフランドール。元々、余り長くはないスカート。走っているという事もあって、
それなりにギリギリな事となっていた。
――「幼妻」と言う単語が在るが、それだって、ここまで年端のゆかないものは想定していないだろう。
明るい笑顔で「お仕事、お疲れ様!」と言ってくる少女を前に門番は、鬼上司の趣向が何となく理解出来る様な気が
してきた。
「あー、今日も一日、よく働いたなーっ!」
わざとらしく肩を回しながらの、やや棒読み気味な科白。
流れからすれば、次に来るのは「食べる」か「入る」か、或いは「夫婦の何とやら」、か。
陽も高い内に、屋外で、しかも身内――夫の雇い主であり、妻の姉――の目が在る中、第三の選択肢は難易度が高
過ぎると思う美鈴だったが、「可能性は自分でつくるもの」という言葉を思い出して覚悟を決める。
「それじゃ、何になさいます?」
「そーだなぁー……先ず――」
「禁弾にします? 先に秘弾にします? それとも、Q・E・D?(はぁと)」
「ああ、済まない。実は仕事を残しちゃってて、今からすぐに戻らないといけないんだ」
第三の選択肢は、予想以上に難易度が高かった。百八十度回れ右をする、家庭を顧みない企業戦士。495年分の
色々をぶつけられるくらいならば、二十四時間戦っていた方が遙かに生存の可能性が高い。
「それじゃ、お仕事場でのお夜食用に、禁忌を作りますねぇ~~」
「いや、甘い物は嫌いだから――」
「大丈夫! クランベリーじゃなくて、貴方の大好きなレーヴァテインにするから!」
「ちょ! 妹様! せめて食べ物ネタでいきましょうよっ!?」
「これでジャムを作るのよ。真っ赤なジャムを」
「!? 私かっ!? 私がジャムになるんですか――――ッ!!??」
「――――で、何?
用が有るなら、さっさと出て来なさい。さっきから、其処に居るのは判っているんだから」
スラップスティックな、そして、暫くすればスプラッタにもなりそうな、そんなホームドラマを見詰めていたレミリア
が、唐突に、誰へともなく呟いた。
「あら凄い。気付いてたの」
レミリアの頭の直ぐ上、その何も無い空間に突如ひびが入り、その小さな亀裂から声が漏れてきた。
「当然でしょ。
何となくだけれど、感じられるのよ。貴方が空間を弄った時の、何かがずれている感覚みたいなもの」
「……それが判るのに、あれの仕組みには未だ気が付かないのも不思議よねぇ」
小さな歪みはやがて、人一人が通れる程の大きさのスキマとなった。
其処から、大地を上にして頭のみを露にする紫。
「それにしても――神社に居た時から思っていたのだけれど……何だか楽しそうね、貴方」
「何を……。
私は怒ってるいのよ。裏切り者或いは役立たず、の門番のせいで、まともに事が進みやしないんだから」
「あら、そうなの?
私には、大切なものが一つ戻って来て、喜んではしゃいでいる様にしか見えないのだけど」
「――お前の顔についている二つの丸いそれ、只の飾りなんだったら、串焼きにでもして亡霊に食わせてやったらどう
だい?」
逆しまで宙に浮く顔へに向けて、辛辣な言葉を叩きつけるレミリア。
「私のこれは、立派に役目を果たしているわよ?
貴方達一家の愛溢るる一コマも、しっかりと映し出してるし」
「……本気?」
「素敵に本気。ちょっと羨ましい位に。
うちでも少し、真似てみようかしら」
そう言って婉然と微笑む紫を前に、レミリアは、呆れた様にして歎息を洩らす。
「で、改めて聞くけど、何の用?」
「貴方達を迎えに来たのよ。
さ、この中に入って頂戴」
言いながら、レミリア達に向かって手招きをする紫
「――そんな所に入ったりして……“こなみじんになって死んだ”りしないでしょうね?」
「吸血鬼が心配する事じゃぁないわね。大丈夫。暗黒空間にバラまいたりなんてしないから」
「貴方の場合、余り信用出来ないのだけど……ま、良いわ。
傘を一本失って、このままだと、神社へ帰るのに夜を待たなきゃならないところだったからね」
「神社?――――は、違うわよ?」
早速スキマへと入り込もうとしていたレミリアが、紫の言葉に動きを止める。
「神社だと、またいつ敵に襲われるか判らないわ。それじゃ、落ち着いて対策を練る事も出来はしないでしょう?
だから、もっと安全な所に移るのよ。貴方達以外は皆、既に其処へ向かったわ」
「安全な所?」
「そう。
薬師の天網を以てしても、決して目の届かない所。幻想と現実の境目。
さぁ、行きましょう――――……。
――――マヨヒガへ」
「ほらほら! 巧く避けなきゃ、貴方の人生ゲームオーバーでコンティニュー出来ないよ♪」
「やめて――っ!?
そんな大きくて長くて熱いの、私、死んじゃいますぅぅうううぅぅ~~~~っ!!!!」
“エイエンテイとの戦いの日々。紅 美鈴は、その激しい戦いに、耐えてゆかなければならないのである”
つづく
《前回迄の粗筋》
紅魔館・白玉楼を襲い、少女達を連れ去った永琳。彼女への反攻に出る為レミリア達は、博麗神社に幻想郷中の妖怪
達を萃めて連合を結成する。
そこへ急襲をかけるINABA部隊。それを率いるのは何故か、永遠亭に攫われた筈の咲夜だった。
危機に陥った連合を救ったのは、龍の影を纏う、紅い血の戦士。その者の名は――――――】
“華人小娘(ファレンシャオニャン)ッメイリーン!!”
♪紅い紅~ぁい~ 紅い髪したメイッリンー
極彩タイフンー 無敵のスーペール――――
極彩色の弾幕廻る
狗よ~パーチェよ~小悪魔よ~~~~
風のうなりに 乳ゆらしー
力の限りぃ 鉄山靠~
敵は~邪欲の~エ~イエンテ~~イ
斗う~紅~魔の~ 華人小娘メイリンー♪
『“華人小娘メイリーン”紅 美鈴は改造妖怪である。
悪の秘密組織エイエンテイに重症を負わされたが、“月の頭脳”八意 永琳によって改造手術を受け、華人小娘メイ
リーンとして甦った』
“エイエンテイ,INABA部隊とは何か!?”
「紅い血の戦士! 龍の影を纏いて敵を薙ぎ払え!!」
「龍の……。真逆、あれは……!」
藍の言葉を聞いた咲夜の顔に、驚愕の色が奔る。
「そうだ! うりゃあ! とぅあ!!」
咲夜の声に応えるかの如く、鳥居から飛び降りる少女。その左腕には、焔色に紅く染まる龍頭を模した、奇妙な形状の
手甲。
「終符『紅龍騎英蹴』ッ!」
大地へ降り立つと同時に宣言したカードを、そのまま龍の頭に呑み込ませた。
一瞬の静寂。
そして。
「……完成、してたみたいね。どうやら」
あの秘密主義の薬師め、帰ったらただじゃぁおかないわ。そう、心の中で毒を吐く咲夜。
十六夜の月にのみ照らされていた境内の闇が、瞬く間に紅く熱い光によって塗り替えられていく。
天を衝かんと吹き上げる劫火。まるで命有るかの様に猛り狂うそれは、やがて一つの形を成す為に集結していく。
咲夜に博麗神社襲撃を指示した八意 永琳。彼女が、その常軌を逸した頭脳と異郷の技術を以てして作り上げた改造
体。コードネーム“紅龍”。
「それが、何でこんな所に――」
しかも、明らかにINABAに敵対する者として。
咲夜の視線の先、焔立つ龍の影を纏う、紅い髪の少女。
「てりゃあぁっ!」
掛け声と同時に、少女が垂直に飛び上がった。炎の龍もまた、主に付き従って天へと翔る。
夜天に輝く月の光の中で、少女と龍の影が一体となって華麗にその身体を躍らせる。
――――綺麗。
咲夜は、素直にそう感じた。その次の瞬間には。
「咲夜!」
足元に在った筈の大地の感触が消え、そして、レミリアの声が聞こえた。悲痛な叫び声。
大丈夫ですよ、お嬢様。今は敵となっている主に対し、小さな声で応えた。
それと同時に、両の足を頭部へ、頭部は後方に向けて思い切り引き上げる。
「くっ……!」
空中で身を翻し、綺麗に地面へと着地する咲夜。即座に周囲を見回し、戦況の確認をする。
少女が火炎龍と一体になって放った蹴撃は、咲夜にも、そして、他のINABAの兎達にも直撃はしていなかった。
着弾したのは、彼女らから五メートル程も離れた場所。
それなのに、その際に生じた爆風のみによって、咲夜と、そして十以上にも及ぶINABA全てが吹き飛ばされた。
咄嗟に受身を取った咲夜には、着地時の衝撃で両膝が痺れた事と、後は服が少々汚れた程度の被害しか無い。
だがそれは、彼女が体術を得意とするが故の事。他の兎達は皆、戦闘不能には至らぬものの、大きなダメージを受けて
うずくまっていた。
「身内が相手じゃ、いくら“ずらした”ところで無意味、か」
INABA部隊が永琳によって与えられた異能は、ネタさえ割れてしまえば力有る者の前には意味を成さない。まして
や、同じ異能を持つ相手であれば尚更だ。
目の前の少女。彼女が現れさえしなければ、INABAの絡操りが暴かれていない今、咲夜達の勝利は確実な筈だっ
た。それなのに――――!
左の拳を強く握り締め、右手に持った刃の銀閃を紅毛の少女に向ける。
「真逆、貴方が裏切るなんてね。CERBERUSナンバーⅡ“紅龍”。いえ――――。
――――紅 美鈴!」
「それはこちらの科白です!
オンドゥルオ嬢様ヲ゛ルラギッタンディスカー!? ザァグャザァン!!」
“裏切る”。咲夜のその言葉に憤りを感じたのか、興奮して呂律の回らない言葉を返す紅い血の戦士、紅 美鈴。
対する咲夜は、押し黙ったまま彼女の問に応えようとはしない。
……と言うよりも、応えられなかった。そもそも、美鈴が何を叫んでいるのか、その内容が理解出来ない。
どう聞いても日本語とは思えないし、かと言って中文でもない。
これはもしかすると、美鈴も永琳達と同じく、異星からやって来た宇宙人なのかも知れない。そう考えれば、彼女の言
葉がまるで聞き取れない理由も説明出来る。美鈴が話しているのは、何処か遠い星の言語であるに違いない。
「ナズェダバッデルンディス!」
メルヘンチックな思考の世界に突入しかけていた咲夜の精神を、美鈴の声が現実へと引き戻した。
相変わらずその内容は理解不能だが、取り敢えず、何か非難めいた空気を感じ取る事は出来た。
――門番風情が調子に乗って……。
普段のメイド長であれば、そう言ってお仕置きの時間を始めるのだろう。しかし。
「……この場は、一旦退きます」
「お姉様!?
ここまできて……私達ならまだ――――!」
兎の少女の言葉を、咲夜は静かに手で制する。
確かに、INABA達が受けたダメージは、戦闘不能に至る程のものではない。
美鈴が敵に廻った今、このままにしておけば、彼女の口からINABAの力の秘密がレミリア達に伝わるのは確実。
若しそうなれば、永遠亭側のアドバンテージは一気に崩壊する。
なればこそ、この場は退かずに、咲夜が全力で美鈴を打ち倒し、その間に兎達が霊夢を確保する。それが最善の手で
あろう。
それは判っている。判っていながらの、判っていてこその、咲夜の判断であった。
「でも、このまま帰ったら……きっと……永琳様にしかられる……くすん」
今にも泣き出しそうな顔をしている兎に、大丈夫よ、と、優しく微笑みかける。
咲夜が永琳から受けた指令。それは、
「美少女ハーレム建設の為に、手段を問わず博麗の巫女を手に入れなさい」
そういう事であった。
そして、それに付け加えられている事項が一つ。
「“若しも”、作戦遂行中に何かしら“想定外”の事態が起きたのならば、その場合の行動は、咲夜の判断に任せます」
改造実験体の逃走、そして裏切り。余りにも判り易いまでの“想定外”が、こうして目の前に立っている。
これならば、“咲夜の判断”で撤退したところで、永琳に文句を言える理は有るまい。
咲夜は今、永琳の言葉に逆らう事が出来ない。だが、レミリアとの交戦は望まない。ならば、採る道は一つ。
「まぁ、あいつに巧く乗せられている様な気がしなくもないけど……」
引っ掛かる事は山ほども有る。いくらなんでも話の流れが判り易すぎる。それが、咲夜には気に入らない。
けれど、この場を収められるのならば、それに越した事は無い。永琳には、帰った後にたっぷりと話を聞かせてもらう
事としよう。尤も、どうせ本当の事など喋りはすまいが。
「そう言う訳で、失礼致します、お嬢様……」
主に礼を一つ、そのままの姿勢で、咲夜と、そしてINABA達の身体がゆっくりと地面を離れる。
「ちょっと!? 待ちなさい、咲夜!」
従者を呼ぶレミリアの声は、しかし。
「咲夜アアアァァァァァ――――――ッ!!」
メイドと兎達の影と共に、十六夜の月に吸い込まれる様にして消えて行った。
◆
「――さて、と」
額の汗を拭いながら、霊夢は腰を下ろした。
INABAの襲撃――と言うより、正確にはレミリアのスペル――によって半壊した寝所の片付けをようやく終えて、
一息をつく。
INABAの撤退と共に元へと戻った空からは、気持ち良く真昼の陽光が降り注いでいた。
賽銭箱の横で霊夢は、んーっ、と身体を伸ばし、それから、脇に在る湯飲みへと手を伸ばす。
「何まったりしているのよ!」
背後の拝殿から聞こえる声に、振り向くのも面倒、といった具合で、背中で応じる巫女。
「良いじゃないの。取り敢えず、当面の危機は去ったみたいだし」
「危機が去った? 違うわね。あれは、捕まえかけた獲物に逃げられた、そういう事よ! 悔しくないの!?」
自分が一番危ない状況にあった癖に、よくそんな事が言えるわねぇ。
小さく呟いた巫女の言葉は、興奮状態のお嬢様には聞こえない。
そんなレミリアを他所に霊夢は、熱いお茶を一口啜り、それからおもむろに、参道脇の手水舎で水を凍らせて遊んで
いる冷たいのの内、片方を呼び寄せた。
先刻の反省から、陽の光に弱い吸血鬼姉妹のみが拝殿に入れられ、それ以外の面々は建物の中からは追い出されいた。
居住部は兎も角、神殿部まで壊されては、一応は巫女である霊夢は流石に堪らない。
「あの……何ですか?」
目の前にやって来た妖精に対して霊夢は、手元に置いてある箱を差し出した。
「はい、これ。あんたに貸してあげるわ」
片手に収まる程の、小さな木箱。その中に。
「陰陽玉? これを私にですか」
「そ。スペルカードを使えないあんたでも、これなら使えるでしょ?」
先程の戦闘で、敵は咲夜を除けば明らかに格下の妖怪兎しか居なかったにも関わらず、鬼や悪魔を擁する博麗の側が
圧されていた。乱入者のお蔭で一応は撃退に成功したものの、永遠亭側にはまだ多くの駒が有る筈。また、咲夜の事を
鑑みれば、拐かされた他の少女達が敵に廻っている可能性も充分に考えられる。
それに対抗するには、こちらも戦力の底上げが必要だ。
そう考えて霊夢は、陰陽玉を大妖精に預ける事にした。霊夢の武器が一つ減ってしまう訳だが、それでも、全く何の
役にも立たなかった者に、最低限戦える力を与えた方が効率が良い。
自身は、アミュレットと霊符さえ有れば充分だろう、という心積もりである。
要約すれば、「他に働き手が増えれば、その分、自分が楽できるから」と、そう言う事でもある。
正直に言ってしまえば、直接の襲撃を受けたにも関わらず、霊夢の心の中には未だに危機感というものが芽生えてい
ない。だから、やる気などというものも当然涌いてきていないのである。出来るなら、自分は余り働きたくない。
「あー! 何それ、ずるいっ! あたいにもちょうだいよ!」
呼んでもいないのに、冷たいののもう片方が首を突っ込んできた。
「駄目よ」
「何で!」
「これは玩具じゃないの。武器よ?
だから、一番安全そうなこの娘に渡すのよ。あんたなんかに貸したって、どうせ悪戯に使うだけでしょうに。
何て言うか、気に入らない奴の後を付け回して、背中から陰陽玉で襲ったりしそうだわ」
「そんな、濡れ衣よ!」
「あ。凄い、濡れ衣なんて言葉知ってるんだ」
「! 今あたいの事、馬鹿にしたわね!」
「さあ?」
「した! 絶対馬鹿にした!」
「はいはい、そうですか」
「むきーっ! 馬鹿って言った奴の方が馬鹿なのよっ!」
「……私は何も言ってないんだけどね。自分で自分を貶めてどうするのよ」
「あー! 何だか判らないけど、また馬鹿にさr」
一人喧しく騒いでいた妖精の声が、そしてその首から上が、突然にして消え失せた。
と同時に、遙か上方の空から、喚き散らす彼女の声が小さく聞こえてきた。その声に合わせ、霊夢の前に残された
小さな胴体が手足をばたつかせる。
中々に奇怪な光景。事情を知っている者からすれば、只の愉快な光景でしかないが。
「そこの通りすがりの巫女さん。ちょいとお時間良いかしら?」
賽銭箱から生えてきた生首が、霊夢に声を掛ける。
普段から葉っぱ位しか入っていない賽銭箱だが、ついにはこんな胡散臭い物まで住む様になってしまったか。
通りすがり云々についてのツッコミもせずに、疲れた息を吐く巫女。
「『さっきからずっと一緒に居た癖に』とか、そういうツッコミは無いのかしら?」
「無いのはツッコミ所じゃなくて、気力」
「ガッツが足りない?」
「足りない。
……で、何よ、紫?」
露骨に嫌そうな顔を隠しもしない霊夢とは対照的に、楽し気な笑顔で話し始める生首。
「それ……陰陽玉だけれど、その娘に渡しても無駄よ?」
「何で?」
真顔で聞き返してくる巫女に、箱から生えた生首の表情へ少し呆れの色が混じった。
「陰陽玉は、博麗の家系である者にしか扱えないのよ」
「そう言えばそう……なんだ、っけ?」
「そうなの。と言うより貴方、随分と前にも同じ事、誰かに言われてなかったかしら?」
「どうだろう。例え言われていたとしても、覚えてないわ。随分と前の話なんて」
「あぁ……そう。
まぁでも、そうね。確かに覚えてなくても仕方無いのかもね。本当、昔の話だし」
「どれくらい前?」
「えぇと……六十年位前だったかしら?」
「……まだ生まれてないわね」
「そう? 本当に?」
「人を化け物みたいに言うな!」
長い時を生きる者の定めなのか、可哀想な惚けた生首に哀れみの視線を送る霊夢。
とは言え、「陰陽玉が博麗の者にしか使えない」と言うのは、確かにその通りだった気もする。
それならば、と、今度は懐から数枚の御札を取り出した。
「それも無意味、よ」
間髪を容れずに入る、生首の駄目押し。
「そうなの?」
「そうなの。そもそもねぇ……。
霊夢の攻撃があの兎達に当たったのは、武器の云々よりも、貴方自身の能力に拠るところが大きいの。半ば無意識の内
に、敵の在る“位置”を読んで、其処へと向けて弾の軌道を操っている。だから、貴方が他人に御札を貸したところで、
誰もあんな奇妙な動きを再現出来はしない。
それ以前に、世の中には相性というものが、得手不得手というものがあるの。
貴方が持っている様な御札やら何やらは、基本的に“人間”が“魔”を祓う為の道具。それを、同じ人間や、人間に使
役される者に使わせるのならまだしも、訓練もしていない妖精なんかに扱える筈が無いじゃない。下手をすれば、使おう
とした当人が被害を受けかねない」
「そうなの?」
「そうなの」
人間の巫女が、妖怪から神具の扱いを教わるという不思議な光景。
そこへ。
「皆さ~ん! お昼御飯、出来ましたよ~~っ!」
食欲を刺激する香と共に、明るい声が飛び込んで来た。
「お待たせしました!
先ずはフカヒレの姿・土鍋煮、それと海老の葱・生姜炒め、小蕪のミルク煮・ラー油風味、そして北京ダック!
あ、勿論、デザートも用意してますよ~!」
機敏な動きで境内に茣蓙むしろを広げ、その上へ次々と料理を並べていく美鈴。
俄に屋外中華パーティーの様相を呈してきた博麗神社。
「鳥が! 内臓を抜き取られて丸焼きにされた鳥の死体がっ!」
「因みに、肝臓は素揚げにしてあります」
「ああああぁぁ……」
「大丈夫。
素材を生かした、あっさりとした味付けにしてありますからね。中華が初めてでも美味しくいただけますよ~」
雀の嘆きに何処かがずれている答を返しつつ、各人の前に小分け用の取り皿を配していく。
全員に配り終えるとすぐ、今度は日傘二つを持って拝殿に向かった。
「ささ。お嬢様も妹様も、どうぞ此方へ」
◆
「納得のいく説明、御願い出来るかしら?」
博麗神社から帰投したメイドが、そのままの足で薬師の部屋に向かい、襖を開いたと同時の一言。
「……何が?」
読んでいた書物から目を離し、落ち着いた口振りで応える永琳。
「和室にメイド服が似合わない事についての説明? それだったら、私に文句を言うのは御門違いよ。
こちらで用意した衣装を蹴って、その格好のままでいる事を選んだのは貴方なんだから」
「あんな、兎達と同じの白くてふわふわなワンピース、恥ずかしくて着られる訳が無いでしょう」
「……皆そう言うのよねぇ。結局、誰も着てくれなかったし。
庭師の子や騒霊の一番下の子なんか、特に似合うと思うのに」
「“紅龍”――美鈴についての事、話してもらえるかしら」
「いきなり話を戻したわね。強引」
「時間が勿体ないの」
「あら、時間だったら無限に有るじゃない。お互いに」
永琳の言葉に、口を開かずただ冷たい視線のみを返す咲夜。
「――CERBERUSナンバーⅡの被験者に彼女が選ばれた。そこ迄は、以前にも伝えたから知っているわね?」
「ええ」
「で、貴方が出撃した直後に改造が終了したんだけれどもその直後に彼女が裏切って脱走しました以上」
「へぇ、そうですか。どうせ嘘なんでしょうけど」
「あら、酷いわね。
……まぁ、連絡が遅れた事は素直に謝るわ。脱走時の混乱を収拾するので、こちらも手一杯だったのよ」
「はぁ、なるほど。どうせ嘘なんでしょうけど」
「…………言っておくけれど、今言った事の中には、嘘は無いわよ?」
「ほぉ、それは知りませんでした。どうせ嘘なんでしょうけれど」
「………………あのねぇ、咲夜――――」
今日び、自動人形だってもう少しは愛想が良いだろうに。
そう思わずにはいられないほど機械的なメイドの対応に、額に手を当てて軽く息を吐く薬師。
「その『どうせ嘘なんでしょけど』って、何? 今流行りの萌えキャラ語尾とかそう言うの?」
「違う」
「どうせやるなら、『~だにゃあ』とかにしなさいよ」
「違いますって」
「ああ、貴方の場合、『~だわん』の方が似合うかしら」
「見た感じで物を言うな」
「『はじめましてっ♪ わたし、マジカルメイドの十六夜 咲夜だわんっ☆』ほら、これなら可愛い」
「いや、誰よそれ?」
「『はじめましてっ♪ わたし、マジカルメイドの十六夜 咲夜どうせ嘘なんでしょうけどっ☆』これは可愛くない。
て言うか語路が悪い」」
「……そろそろ、話を元に戻してもらえないかしら」
「やっぱり、『~だわん』が良いわね。
あ、でも、メイドであるという事を勘案するなら、『~であります』というのでも素敵ね」
「人の話を聞いて」
「良いわね。『~であります』。何だか、愉快な仮面を被ったりしそう。それでもって――」
「ちょと……」
「おはようからおやすみまでしっk」
「いい加減で黙れッ!」
咲夜の叫びと同時に、薬師の頭に銀の刃が突き刺さる。
「酷いわね、いきなり。不老不死とは言っても、痛いものは痛いのよ?」
言いながら、無造作に額のナイフを引き抜いた。その動作からは、余り“痛みを感じている”という様子は窺えない。
「やれやれ。ウドンゲと違って、貴方をからかうのは命懸けねぇ……。流石は“S”akuya」
「何故Sを強調する!? て言うか、今はっきりと『からかう』って言ったわね!」
「言ってないわよ。『カジキマグロ』の聞き間違いじゃn」
言い終わる前に、永琳の脳天に新しい銀製の飾りが追加された。
流れ出る血もそのままに、ウドンゲだったら「『か』しか共通点が無いじゃないですか! って言うか、今の話に鮪は
関係無いでしょーがマグロはッ!!」なんて楽しい反応を返してくれるのになぁ、と、少し寂しげな目をしながら小さく
呟いてみる。
当然の如く、そんな言葉を咲夜は気にもしないのだが。
「……まぁ良いわ。貴方にまともな答えなんて、初めから期待していなかったし」
そう言って踵を返す咲夜の背中に、ちょっと待って、と声を掛ける。
「何かしら?」
「CERBERUSナンバーⅠ、“闇翼”についてなんだけど……」
「それについては、以前にも答えた通りよ。
私は他人に、それも貴方なんかに頼ってまで、力を手に入れようとは思わない」
「そう……よ、ね。判ったわ。御免なさい、一応、確認してみただけ。
――実を言うとね、残りの被験者は、もう決定してるのよ」
「誰に?」
「それは秘密。後で、コードネームだけ教えてあげる」
「それって、秘密にする意味があるのかしら」
「意味の有無は関係無いわ。古今東西、悪の組織という物は無駄に秘密事項が多い、只それだけの事。
ま、取り敢えず、今“あっちの方”をお願いしている“あの娘達”ではないんだけどね」
「ああ、そう。“彼女達”ではないのね。
……って言うか、“あっち”の作戦は大丈夫なのかしら。こっちの方は、まぁ、失敗したわけだけれども」
「失敗、ねぇ……。
……咲夜、貴方にとってあの撤退は、本当に失敗だったのかしら?」
笑顔の問いに、咲夜は口を塞いで応えない。
どうせ判っているくせに、嫌味な奴。口には出さずに、強く睨み返す。
そんな咲夜の心中を知ってか知らずか、大丈夫よ、と、永琳は続けた。
「私にとっても、あれは失敗ではないから」
「?それって、どういう――――」
「永琳様! 準備、完了しましたっ!」
咲夜の言葉を遮って、一羽の兎が顔を出した。
それを受けて永琳は、判ったわ、と一言、静かに腰を上げる。
「と言う訳で、悪いけれどこの場は失礼させてもらうわね」
「さっそく改造手術?」
「違うわ。これから始めるのは、それとはまた別の実験。
“紅龍”が敵に廻った以上、こちらもまた、新たな手を打つ必要があるでしょう?」
「何をするつもり……って、それも、『悪の組織の秘密主義』とやらで教えられないのかしら?」
「そう言う事。それじゃ、また後でね」
そして永琳は、釈然としない顔で腕を組んでいるメイドを残し、使いの兎と共に永く暗い廊下を歩いて行く。
――全ては予定通り――……。
そう、心の中で呟きながら。
◆
「納得のいく説明、御願い出来るかしら?」
昼食としては多過ぎるのではないか。そう思われる程に在った料理も、ルーミアと幽々子の活躍により綺麗に平らげ
られて後、デザートの杏仁豆腐と愛玉子を前にしてお嬢様が放った一言。
「ああ、これはですね。愛玉と言う植物の果実を利用して作ったゼリーでして、このままでは味がしませんので、シロッ
プ等をかけて――」
「私が聞きたいのは、そう言う事じゃなくて」
「え? ああ、えーと……。
あ、はい!
これらの食材についてはですね、何て事は無いです。神社での後片付けが終わった後、紅魔館までひとっ飛びして、
其処から持って来たっていう、只それだけの話です。
いやでも、以前の私だったら、これだけの量を、それも調理器具を含め、あんな短時間で此処へ運び且つ調理まで
終えるなんて芸当、出来やしませんでしたよ。改造によって炎が使える様になったお蔭で、神社の粗末な台所でも本格中
華が作れましたし……。
本当、妖怪万事塞翁が馬。世の中、何が利に変ずるかなんて判らないもんですね~~」
午後の陽射しにも負けない明るい笑顔で応える門番に、日傘の下で小さな頭を抱えるお嬢様。
これが亡霊嬢やスキマなら、話をはぐらかす為にわざと惚けた真似をしている、とも取れるのだが、この門番の場合、
全くの本気でこういった対応を返してくるのだから疲れてしまう。
判り易い様に言葉を選び、今一度、レミリアが問い掛ける。
「……貴方が今まで何をしていたのか。それを教えて欲しい。そう言っているの」
これで、「食材を取りに帰ってました」だとか、「台所で調理をしていました」等と答えてくれたならば、さて、どう
してくれようか。
然り気なく右手に力を込めつつ、ボロ雑巾の様になった門番の姿を幻視して、嬉しそうに口元を歪ませる悪魔。
「あ……!あぁ、はいっ。
私が永遠亭に囚われていた時の事について、ですか。そうですね、一体、何からお話しすれば……」
主の意を知ってか知らずか、レミリアの望んでいた話を始める美鈴。
それはそれで、微妙に面白くないお嬢様。弄られ役なら弄られ役らしく、中途半端な事はせずに最後の最後までボケ
倒すべきだろう、と。握り締めた拳が、行き場を無くして少し切ない。
「取り敢えず、永遠亭に居た間に、私が得た情報について話させてもらいますね。
――先ず、今回の首謀者なんですが、これは、紅魔館襲撃前にあの素兎が話していた通り、八意 永琳です。
そしてその目的は、幻想郷中から見目麗しい少女達を集め、一大ハーレムを作る事、だそうです」
「……面白くない冗談はそれ位にして、そろそろまともな話を御願い出来ないかしら?」
「ちょ、スットプ! やめて下さい、槍は仕舞って下さいお嬢様っ!!
冗談でも嘘でもないですって! 永琳本人の口から聞かされたんですから、間違い無いですぅ!」
「――その“聞かされた話”、それ自体が嘘、という事はないのかしら?」
今にも殺し合い――或いは一方的な虐殺――が始まりそうな主従の間に、スキマ妖怪が口を挟む。
「それってどういう……」
美鈴の気が抜けた問い掛けに、そんな事も判らないのかしら、と、呆れ顔で応える紫。
「簡単な話よ。永琳が話したって言うその“目的”。明らかに矛盾しているわ。だって…………。
――――私が狙われていないじゃない」
凍符発動。
そうとしか例え様の無い空気が、辺りを包み込む。
力有る者は、予想通りの答だ、と呆れて、わざわざ何かを言おうとする気も起きない。
力無き者は、例えツッコミたい部分が有ったとしても、余計な事は口に出せない。一時の優越感と自分の命、その二つ
が乗せられた天秤の傾きを見間違える程の愚は、流石の⑨も犯しはしない。
「必要なのは、外見が“年頃”の“少女”らしいですよ?
永琳曰く、『みょんタンはOKで黒猫はボツ。さくやんはLOVEで頭が春の亡霊はNG』だそうですから」
チルノ以上の馬鹿が居た。そう誰かが呟いたのとほぼ同時に、
「警醒陣」
美鈴の目の前に、うっすらと輝く小さな光の壁が形成された。
「話の進行を妨げる様な真似は、遠慮してもらうわよ」
そう話す霊夢に対し紫は、別に何もしないわよ、と応え、手にした扇で目の前の“予防線”を軽く弾く。
一瞬で霧散する方陣を視界の端で捉えながら、それにしても、と、霊夢は続ける。
「その話が本当だとすれば、今この神社に居るのは、年増と子供だけ、って事になるわね」
「あれ~? その言い方だと、霊夢もどっちかになる訳だけれど?」
「あら、そうとも限らないんじゃない?」
咲夜は言っていた。『巫女を永遠亭へと連れ帰る事』が目的だ、と。それを根拠に、酔っ払いの言い掛かりを一蹴する
巫女。
「でも、だったら何で、藍様は無事なのかなぁ?
私は兎も角、藍様だったら、『見目麗しい』『年頃の少女』という条件にぴったりと思うんだけど……」
「橙……!」
健気な式の言葉に、感動の涙を流す主。
「藍はねぇ、性格がどうにも所帯染みているから。外見は兎も角、内面的に“少女”という感じがしないのよ。
そのせいじゃない? 無事でいるのは」
「紫様……」
自堕落な主の言葉に、愁歎の涙を流す式。
誰のせいでこんな性格になってしまったのか。小一時間は問い詰めたいところだが、橙の前で言い争いをして、無用な
心配をかけるのも忍びない、と、ここはぐっと我を抑える。
そんな藍の葛藤など全く関係無しに、美鈴は話を進めてゆく。
「次に、永遠亭の戦力についてですが……。
隠密完殺部隊、
“IN”VISIBLE
“AB”SOLUTE
“A”SSASSINS
略して『INABA』。これが、総司令の永琳から最下級の妖怪兎までを含んだ、永遠亭の攻撃部隊の総称です。
で、そのINABAの内から、特に優れた者達を萃めて形成された精鋭チーム、『ローズ・ガーデン』と言うものが
在りまして、このチームは“八意の娘達”とも呼ばれ、現場レベルでのリーダーも任されます。
『ローズ・ガーデン』の構成員は、レイセンと、後は――――」
「――――咲夜達……永琳によって拐かされた少女達、ね?」
「……お察しの通りです、お嬢様。
『ローズ・ガーデン』とは、INABAの中心戦力であると共に、永琳の野望の園に移植された、美しき薔薇乙女でも
あるのです。
彼女等は永琳によって洗脳を受け、その奴婢として囲われているのですっ!」
「洗脳……?」
奴婢という言い方もどうかと思うが、それよりも、「洗脳」の単語に違和感を覚える吸血鬼。
先刻の戦闘に於いてレミリアは実際に咲夜と対峙していたが、その際に、彼女が洗脳されているという様子はまるで
窺えなかった。メイドは、色々な意味でいつも通りのメイドだと思えた。だからこそ、「あの薬師との間で、何かあった
のか」と、そう問うていたのだった。
「あ。あぁ、まぁ、洗脳、とは言っても、ですねぇ……」
口元に手を当てたまま考え込むお嬢様を見て、慌てて美鈴は話の補足を始めた。
「何と言いますか……ちょっと“変な洗脳”なんですよ。
方法としては、レイセンの術で催眠状態になっているところへ、永琳の作った薬を投与する、というものなんです
が……その結果として出来上がるのは、“何でも言いなりの人形”ではないんです。基本的に以前と変わらないまま、
けれど、永琳の言った事には逆らえない、そういう精神的な枷を嵌められるんです。
尤も、“言った事には”逆らえないだけなので、言われていない事に関しては制限を受けませんし、あと、何か指示を
受けたとしても、その内容が曖昧だったり曲解が利く様なものでしたら、ある程度は自由に行動出来るんですけど」
「……確かに、随分とおかしな“洗脳”ねぇ。
何でそんな真似をするのかしら。完全な洗脳をするのには力が足りないから?」
「いえ、お嬢様。レイセンと永琳の能力を駆使すれば、自我をほぼ完全に押さえ込む事も理論上は可能、だそうです。
ただ、永琳が言うには――」
『――折角美しい少女達を手に入れたのだから、面白味の無い真似はしたくない。只の繰り人形が欲しいのであれば、
自分で木偶でも何でも造るわ。
そうではなくてね。確固とした自我を、更に言ってしまえば、私に対するはっきりとした敵意を持つ者達が、それでも
尚、私の言葉に従わざるを得ない。その様子を眺める、それが楽しいんじゃない』
「……良い趣味をしている薬師ね」
門番の口から語られる永琳の言葉に対し、皮肉では無く、本心から素直に感心するお嬢様。
なんでこう、自分の周りは、佐州とか渡州とか、そんな感じの島が似合いそうな人達が多いのだろう、と、少しばかり
暗澹とした気持ちになりながらも、美鈴は説明を続ける。
「ま、まぁ、兎も角……。
その中途半端な洗脳のお蔭で、私はこうして脱出できたのですが。
永琳の採った手段と言うのは、つまりは、心に在る“正気”の内、奥の方のごく一部を“ずらし”て、其処に書き換え
られた“狂気”を植え付ける、と言う事ですからね
そこで私は、“気を使う程度の能力”を以て自身が狂“気”に染められたと見せかけつつ、その実、正“気”を保った
ままの状態で、機を窺っていた訳なんですよ」
「“気を使う程度の能力”って……そういうものなの? 何か違くない?」
「そういうものなんです」
「――あ、そう。
……まぁ、正直、貴方の能力云々については特に興味も無いし、別にどうでも良いか。
――それより、よ。
美鈴。これから訊く事が、私が一番に知りたい事なんだけれど……。
……永遠亭は今、一体何処に在るのかしら。“脱出”して来た位なのだから、当然、知っている筈よねぇ?」
「……え?」
話の最も肝心な所で、間の抜けた声が返ってきた。
役立たずへの怒りと、弄られ役としての正しい反応に対する喜びと、それらが入り混じった、奇妙な顔をする吸血鬼。
「……ねぇ美鈴。貴方、不夜城と幻想郷なら、どちらに行ってみたい?」
「レッドだとか紅色とかだったら、どちらも遠慮しておきます」
「謙虚な貴方には、両方ともプレゼント」
「いや、ちょっ!? 待って下さいって!!
知らない訳じゃないんですっ! 知らない訳じゃないんですけどぉーぅっ!!」
「なら、とっとと話しなさい。私は、余り気の長い方じゃないんだ」
「はい……。
この事に関しましては、実は私もよく理解していないのですが……」
「ダビデの……」
「お星様はやめて下さいっ!
あのっ、そのっ! 永琳が言うには、永遠亭は今、彼女の空間操術によって、別の世界?異なる空間?て言うか?
いや、私にはよく判らないんですが、簡単に言えばスキマの中?の様な所に在るそうなんですっ!」
涙目で捲くし立てられた門番の言葉を受け、レミリアは、スキマの使い手へと顔を向ける。
「だそうよ、紫? と言う訳で、さっさと永遠亭をこの場に出して頂戴」
「……貴方、やっぱり私の事、未来の世界の猫型機械人形か何かと勘違いしてない?」
「あ? 何だよ、それ。余り訳の判らない戯言ばかり流していると――」
「少しは落ち着きなさい。本当、血の気の多い娘ねぇ……。
それよりも、貴方の部下の話、まだ終わってないんじゃない?」
何で判ったんだろう?
そう、少し不思議にも思った美鈴だが、その疑問は取り敢えず置いておき、話を再開する。
「まぁ、その、ですねぇ……。
スキマの中?に在る永遠亭なんですが、その位置は一定ではなく、常に移動している……そう?なんです?」
自身でも何を言っているのか、まるで判っていない歯切れの悪い言葉。そんなものを聞かされたところで、誰もその
内容を理解出来ないのは自明の理。
不機嫌そうに頬を膨らませる幼い吸血鬼の顔を見て、紫は説明を付け加える。
「貴方達はスキマ、スキマと簡単に言うけれど、一口に“スキマ”と言っても、その繋がっている先の世界、空間は一つ
だけではないの。そして、その空間の一つ一つが、幻想郷全体なんかよりもっと大きなものでもある。
そのいずれかの空間の、その内の広い世界の何処かに永遠亭は在る。
しかも、その屋敷――世界全体からすれば、砂粒よりも小さなそれ――は、茫漠とした世界の中で留まる事無く動き
続けている。恐らくは、スキマを扱える私からの検索を逃れる為。
いくら私でも、そこまで手の込んだ真似をされてしまえば、何の手掛かりも無しに探し出すのは事実上不可能。
こんな時にこそ頼りになる筈の霊夢の勘も、この期に及んで未だに危機感を持っていないという体たらくでは、とても
役に立ちそうにはない。
判るかしら? “現時点では打つ手無し”、そう言う事なのよ、私達は」
紫の言葉に、ああ、そうなの、と、一応は納得の素振りを見せるレミリアだったが、すぐに門番へと振り向き、でも、
と口を開いた。
「だったら――そんな不可解な所に永遠亭が在るのだとしたら、なんで、美鈴、貴方は、其処から抜け出してこの神社迄
辿り着けたのよ?」
「はぁ、それが、私にもよく判らないんですよねぇ……。
“CERBERUS”への改造が済んだ後、隙を見て永遠亭から脱走したは良かったんですが、屋敷の外は、何か
こう、真っ暗?でもないけれど、光が在る訳でもなく、上も下もよく判らない、どうにも形容し難い変な所になって
いまして……。
で、暫くの間、あれやこれやと難儀していたら、突然、目の前にスキマみたいなもの?が現れて、その中に飛び込ん
だら、見覚えの有る湖のほとりに落っこちて、それでまぁ、何がどうなったのか、混乱していたところ――」
「私が彼女を回収した、と、そう言う事」
やたらと「判らない」だとか「?」だとかが含まれた美鈴の話を、最後で藍が引き継いだ。
「紫様達とこの神社に向かっている途中、近くで妙な空間の歪みを感知してね。それで紫様に許可を得て、その場所に
向かったの」
そんな藍の言葉に、結局何の収穫も無かったお嬢様は、ああそう、と一言のみを返して、それから、門番に向けて最
後の質問をする。
「先刻、咲夜も言っていたし、今の貴方の話にも出ていたのだけれど……。
“CERBERUS”って言うのは、一体何なの?」
「それはですねっ!!」
よくぞ聞いてくれました。そう言わんばかりの勢いで、レミリアに向かってぐっと身を乗り出す門番。
「INABAの精鋭であるローズ・ガーデン、その内から更に選び抜かれた者に、特殊な方術式を施す事によって生み
出された、最狂の戦士、
“CER”EMONIOUS
“BER”SERK
“U”PPER
“S”OLDIER
それが、通称“CERBERUS”ですっ!
その名が示す通り、CERBERUSになれるのは僅か三名のみ。
そして、その内の一人として選ばれたのが、CERBERUSナンバーⅡ“紅龍”、この紅 美鈴なのですっ!!
ああもうっ! 門番である私には、正に相応しいとしか言い様が無いじゃないですか!
長年の苦労がやっと報われたと言うか、ようやく陽の当たる役を貰えたと言うか……」
「て言うかさぁ、素のままだと弱過ぎて使い物にならないから、それで仕方無しに改造されたんじゃないの?」
天を仰いで喜びの声を上げる美鈴に、酔っ払いの当て擦りが容赦無く突き刺さる。
だが、
「――まぁ、“鬼”の戯言は放っておくとして」
力を得たが故の余裕か、軽く苦笑いを一つ、それであっさりと受け流した。
「ちょっと待て。聞き捨てならないわね、今の科白。あんた、若しかして鬼を馬鹿にしてる?」
「別に?
私、鬼は好きよ? 強いし、格好良いし、鍛えてそうだし。
ただ、ちょっと、何かこう……立つ位置を間違えちゃったんじゃないかなぁ、とか、そう言う風には感じるけど」
「――話している内容はよく判らないけど、何だか腹立たしい物言いね!
そもそも、あんたのその“紅龍”とやらだって、はっきり言ってかなり場違いな感じがすると思うけどっ!?」
「否定はしないわ。
けど、まぁ、鬼に比べれば、ほら、ねぇ……?」
「あッ!? ああああ謝れ! 私とか色々な人達に思いっ切り謝れぇぇッ!!」
「CERBERUSとなった者には、それぞれの特性に合った使い魔と、その力を使役する為の宝具が与えられます。
私の場合、炎の龍と、それを模した手甲ですね」
「無視するなぁ――――ッ!!!」
烈火の如く、どころか、烈火そのものとなって吹き出される萃香の言葉。
けれども、炎を操る能力を得た者にとって、そんなものは何の意味も成さない。
騒ぎ立てる鬼の事などまるで見えてない、といった涼しい表情で、美鈴は長い話を締め括った。
「CERBERUSの残り二人についてですが、これが誰なのかは、申し訳無いのですが判りません。
私が知っているのは、“大憲章”“王神”というコードネームだけです。
――――以上が、私が永遠亭に居る間に得た情報の総てです」
そう言って、仰々しく頭を垂れる門番。
けれど、そんな彼女にレミリアは目もくれず、顎に手を当てて一人、難しそうな顔をして黙りこくっている。
これはどうも、何か不用意な事でも言って気を悪くさせてしまったのだろうか。普段の生活経験から、ほぼ条件反射
的にそう考えて不安を感じた美鈴は、主の機嫌を窺おうと恐る恐る声を掛けた。
「……あの、私、何か、気に障る様な事、言ってしまったでしょうか……?」
「……別に。
――て言うか、美鈴、貴方の方はまた、何だか随分と嬉しそうねぇ」
恐らくは、先程の鬼との遣り取りを指しているのだろう、お嬢様の言葉。
それを聞いて美鈴は気付いた。主が、一体何に対して憤っているのかを。
――自分は何て愚かなんだろう。他人の、それも敵の力に頼って強くなっただけの癖に、あんな、馬鹿みたいに浮かれ
てしまって。お嬢様が不興をかこつのも当然ではないか――。
「――実を言いますと、咲夜さんもCERBERUSの対象者として選ばれていたんです。でも、咲夜さんはそれを断り
ました。
その時、咲夜さんにも……言われたんですよ。自分に勝つのが、紅魔館の生き方だって。だから私、また必ず、自分の
力で戦って見せます」
その為にも、さっさと永琳をとっちめて、この身体を元に戻させないと。そう言って、晴れ晴れしい笑顔を浮かべる。
それ見てレミリアは、呆気に取られた様な表情を見せたが、それもほんの一瞬の事。
すぐに顔を緩ませ、小さな笑みをこぼし、そのまま優しい眼差しを門番に向けた。
「そんな……」
「お嬢様……」
「そんな…………。
――――そんな事を言ってるんじゃないのよ私はぁぁああアアァァァッッ!!!」
「ぱぐおっしゅっっ!!??」
紅拳一閃。
哀れな門番の身体が、悲鳴と共にきりもみ状態で空を舞い、然る後、欅の折れる嫌な音と共に綺麗に賽銭箱の中へと
収まった。
お嬢渾身の左アッパーカット。
お金以外のものならば結構色々と入る箱を眺めながら、そろそろ諦観という言葉の意を解し始める巫女。
「イギナディ何ヲ゛スヅンディスカ、オ嬢ザァバ!?」
「日本語を話しなさい! ここは幻想郷よ!?」
「それって、他人の科白のパクリ――」
「黙らっしゃい!
――いいこと? 美鈴、貴方に最期のお願いよ」
「さ……へ?――……はい!?」
「妹と遊んであげて頂戴」
「ちょ、何ですかそれ!?
その、一見『はじめてのホニャララ』に繋がりそうな妹萌系イベントフラグ成立に見せ掛けてその実単なる死刑宣告
は!!??」
「やっかましい! こぉんの裏切り者がアアアァァァ!!」
「はいぃぃぃいいぃぃぃっ!? 何でぇ――――ッ!!??」
「『裏切り者には死あるのみ』って、かのマザー・テレサも言ってるでしょうがっ!!」
「嘘だー!? あの人が言ったのは、『愛の反対は』云々ですよー!?」
「私の地元じゃそう言う風に伝わってるのよ!!」
「何その罰当たりな都市伝説! って言うか、お嬢様の地元って何処!?
いやそもそも、何で私が裏切り者なんですっ!!?」
「しらばっくれるな!
益体もないものが敵の手に渡り、強化を施された途端にあっさり帰ってきた――それも、“如何にも”な危機的状況の
時に! まるで狙ったかの様に!!
あり得ないわよ、こんな馬鹿みたいに都合の良い展開! どうせお芝居をするなら、もう少しまともな脚本を用意
なさいっ!」
「いやっ、そんなっ! お芝居なんかでは――」
「五月蝿い! 素兎の件もあるし、そう考えるのが当然じゃない!
紅魔館が何故落とされたのか、貴方だって覚えていない訳ではないでしょう!?」
「て言うか、あの時は、咲夜さんやパチュリー様が言った事を、お嬢様が余裕こいて無視したせいじゃ――」
「そもそもねぇ! 冒頭部からして気に入らないのよ!
貴方の境遇とOPと能力と部隊名と、全部ばらばらじゃない! 何で初代で3で龍で剣なのよ!? 何で中途半端に
caved!!!!な薔薇が混じってるのよっ!!?
ネタを振るならせめて統一くらいしなさいよッッ!!??」
「意味不明の言い掛かりキタ――――ッ!?」
「しかもOPで思いっ切りネタバレかましてるし! 『パチェ』だの『狗』だの『小悪魔』だの偉そうに言ってるしっ!
『パチュリー様』でしょう! 『咲夜さん』でしょうっ!! 『小悪魔さん』でしょうッッ!?」
「あれはナレーションや歌詞の語呂合わせの都合で仕方無く!
……って、私、小悪魔にも『さん』付けしなきゃならないんですかーっ!?」
延々と繰り返される主従の掛け合いは、興奮の余りであろうか、お互い、まともな理屈を繰り出す事の出来る状態を
見事に通り過ぎてしまっていた。
そんな微笑ましい光景を尻目に巫女は、食後の一杯に祁門とか言う紅茶を口にする。
美鈴が用意したお茶にはもう一つ、正山なんたらと言う物もあったのだが、そちらはどうにも癖の有る強い芳香がした
為、苦味の少ないと言う祁門を霊夢は選んだ。確かにこちらは、渋みが少ないどころか、むしろ甘くさえある。
ただ、飲み易いのは結構な事なのだが、これだと“お茶”を飲んだという気が余りしない。花祭りの坊主ではないのだ
から、甘いお茶をわざわざ尊ぶ必要性も無い。
お茶はやはり煎茶。それも、出来れば玉露が良い。
「門番なんてのはアルバイトの警備員と大差無い様な仕事でしょーが!
図書館司書より格が下なのは当然! そう、HBの鉛筆を思い切り握ったらベキッ!とへし折れる事と同じように
当然ッ!」
「!! お嬢様の言葉といえども、今のは黙って聞き過ごすわけにはいきませんよ!?
大変なんです、警備の仕事って!
研修面倒だし、腹が立つ奴が居ても殴ったら駄目だし!
天気の良い昼間は表に居ると暑いし! 夜は夜で謎の怪生物に襲われてネチョネチョにされる危険性があるし!?」
「いい気になって理解不能な言葉を並べてんじゃあないわよッ!!
警備員なんてのは、金持ち相手に『格好いいなー、憧れちゃうなー』とかなんとかおべっか使って小銭を稼いだ挙句
『只……幸せになりたかっただけ――』と雨の中一人孤独に光の粒となって消えていくのがお似合いよ――――ッ!?」
「お嬢様の方こそ訳が判りません! 偏った知識とおかしな文法で物事を語らないで下さいぃっ!」
未だ終わらない諧謔に欠けた茶番を眺めながら、デザートの愛玉子とやらに手を伸ばす。
寒天にも似た、けれどそれよりは少し柔らかい食感を愉しみながら霊夢は、先刻まで自身の中に殆ど存在していな
かった危機感と言うものが――――更に薄れていくのを感じていた。
美鈴が話していた永琳の野望。それからして、余りにも馬鹿馬鹿し過ぎる。
ただ、そのそもそもの原因が何であれ、結果として彼女が起こした行動、それは、下手をすれば幻想郷全体のバランス
をも崩しかねない、危険な行為ではある。
――――ではある、のだが。
……INABAだのローズ・ガーデンだのCERBERUSだの。
紅龍だの大憲章だの王神だの――……。
萃香が言っていた『場違い』と言う言葉は、確かに正鵠を射ている、と、霊夢も考える。
薬師が惹起した事態の深刻さに比べ、どうにも幼稚に過ぎるその名付け方。巫山戯ているとすら思えてしまう程に。
――どんな時でも余裕やユーモアを失わない――そう考えての事なのだろうか。
確かに、そうした考え方は、霊夢を含め幻想郷内の力有る者達に共通しているものではある。
ただ、それにしては余り面白味が感じられない。誘拐や改造、洗脳といった行為も含め、永琳の側のみが一方的に
愉しんでいる、そういった様な風がある。
敵と戦って、強いカードを手に入れて、それらを萃めては大仰な名前を付けて喜ぶ。
彼女のやっている事、これらはそう、まるで――――……。
「ひぇぇ!」
突如鳴り響いた蟲の声が、霊夢の思考を遮る。その音に、残念ながら風情といったものは余り感じられない。
「どうしたのよ突然?」
蟲なら蟲らしく、もう少し趣のある鳴き方をしなさいな。
そう言って振り向いた巫女の目に映ったのは、いつのまにやらか、多数の蛾だの蜘蛛だの百足だの、その他諸々の眷
族に囲まれたリグル。その周囲には、亀虫の姿まで確認出来た。顔をしかめ、鼻をつまむ霊夢。
「……あんたねぇ、食事中にそんな奴等を連れて来るんじゃないわよ」
「それどころじゃないって! この子達、普段は魔法の森に住んでいるんだけど……。
森が襲われてるって言うのよ! INABAの奴等に!」
文字通りの虫の知らせ、その最後の『に』が告げられるのとほぼ同時、
「!お嬢様っ!?」
少女一人と日傘一つが、神社からその姿を消していた。
「……あの馬鹿。
まだ日が暮れる迄には間がある上、敵が使ってる術の絡操りについても判ってないっていうのに――」
「へ!? ちょっと、霊夢!
何、若しかして、お嬢様って、INABAの能力が何なのかに気付いてなかったりするの!?」
「ええ、まあ。紫や幽々子なんかは、どうやら理解しているみたいだけど」
「だったら何で、それをお嬢様に教えてあげてないのよ!?」
「あら、簡単に教えてしまっては、話が盛り上がらないでしょう?」
「私は、まぁ、折を見て話そうかな、とは思っていたのだけれど……その前に行っちゃたわね、彼女」
扇で口元を隠しつつ、笑顔で語るスキマと亡霊を横目に美鈴は、自身が神社に到着した時点でレミリアと交戦中だった
咲夜が、全くの無傷であった事を今更ながらに思い出した。
「森に来ているのが誰かは知らないけど――――いくらお嬢様でも、このままじゃ危ないッ!」
言うが早いか、主を追って神社を飛び出そうとする美鈴。
その背中を、霊夢の声が引き止めた。
「ちょっと待ちなさい」
「何!? 急がないといけないんだけどっ!?」
「急ぐのは一向に構わないのだけど……。
――その辺の木を引っこ抜いて思い切りぶん投げてその上に飛び乗っていくとか、そういう急ぎ方はしないでね。
一応此処は神社なんだから、木は大切にしなきゃいけないし」
「言われなくてもやらないわよ、そんな面倒な事ッ!!」
「いや、ほら、あんたの場合、見た目が何かこう――」
惚けた巫女の言葉に背を向けて、改めて美鈴は空へ舞う。
「面白そう! 私も行くわね」
一つ残った傘を手に、フランドールも魔法の森へ向かう。
「私達も――」
「待ちなさい、藍」
後を追おうとする式を制止しつつ、泰然自若とした様で正山小種の淹れられたカップを手に取り、そのエキゾチックな
芳香を愉しむ紫。
「ですが……」
「良いのよ。
貴方は頭が良いし、“経験者”でもあるのだから、実際にその目で見てしまえば、一目でINABAの力の何たるかを
見破ってしまうでしょう。そして、貴方の力ならそれに充分対処する事が出来る。
それだと、面白味が無いじゃない?」
「面白――って……。
そういう事を考えるよりも、ここは素直に、事態の解決の為に最も有効な行動を採った方が……」
そう進言する藍の口を、紫の扇子がそっと塞いだ。
「私はね、事態を治める為にこう言っているのよ」
「……は、あ?」
「貴方達もそう考えているから動かないんでしょう? 霊夢、萃香」
唐突に話を振られて巫女は、手にしていた小皿を茣蓙の上に置く。
「別に。必要性を感じないから動かないだけよ。
あの門番は、当然INABAの力とやらに通じているんだろうし、その上フランドールまでついて行ったんだから」
「私は、鬼を馬鹿にする奴の手助けになる様な真似はしたくない」
白酒の入った瓶を口から放し、萃香も紫に応える。
言っている内容は違えど、両者とも、この場は静観する、という点では紫と一致していた。
それがどうにも納得出来ない藍は、この場であと一人、全く動じずに居る者へと振り向く。
「――幽々子様、貴方は?」
「はむふぁひら、はんひゃん?」
「いえ、取り敢えず、口に入っている物を飲み込んでからで……」
そう言われて幽々子は、小分け用の取り皿ではなく、大型のボウルから直接杏仁豆腐を口の中へと流し込み、暫く口を
もごもごと動かして後、満足そうに息を吐いて、それからゆっくりと話し始めた。
「私は、そうね――……。
愛玉子って、『あいたまご』って読むととても可愛らしくて素敵だと思うわぁ~~」
「あらあら、幽々子ってば。
それじゃあまるで、何処かの山の丘の上にそそりて立つ学校の生徒さんじゃないの」
訳の判らない話で盛り上がる主とその友人。
……この人達はいっつもこうだ。慣れてはいるけれど、だからと言って疲れない訳でもない。
盛大に溜め息を吐く狐を、少し心配そうに黒猫が見詰めていた。
◆
「くっ……そ……。
アリスを……返……し……――」
既に立ち上がる力さえも残ってはいないのか。
手にした箒でその身体を何とか支えている魔法使いの眼前に、白く光る刃の先端が突き付けられる。
「諦めなさい。貴方も彼女と一緒に、私達の元へ来るのよ。
大人しくするのであれば、これ以上の危害は加えないから」
抜き身の刀を手に降服を迫る少女。その直ぐ脇で浮遊する白い塊の上には、まるで糸が、或いは螺子が切れたドールの
様に、眼を閉じたままぴくりとも動かない人形遣いの身体。
「あっ……そ。
――今の、地名だぜ……。
……『且来』」
「……面白くないわね」
「そう、か? 前に……似た様な事を、言った時は……結構、ウケたんだがな……。
やっぱり、半分でも……人間だからか――……あ?」
そこまで言って、魔法使いは視線を上に向ける。鬱蒼とした森の中で僅かに覘く空、そこで何かが光ったのを見た気が
した。
魔法使いと対峙する少女も、つられて空を見上げる。彼女の目にも見えた。真紅の光を放つ何かが。
四つの瞳が見詰める先、次第に大きくなっていく光。
間も無く、魔法使いはそれが何であるのかを理解した。それと同時に、まともに動かぬその身体を箒で引き摺る様に
して、急遽その場を離脱する。
次の瞬間、紅く輝くそれが、大小無数の魔力弾が、雨降るが如く次々と天から落ちてきた。
「おいおい……アリス……の、方は別に、構わんが……こっちまで巻き添えにするのは……勘弁してくれないか?
――夜の女王様」
そう愚痴る魔法使いの目の前、破壊をもたらす赤の猛雨を背景に、小さく可愛らしい傘を片手に、悪魔の羽を広げた
幼い少女がゆっくりと降りて来る。
全ての要素がそれぞれ明らかにずれていながら、それらが一つに纏まる事により、何処か背徳的で、そして幻想的な
光景を作り出していた。
「……魔理沙ったら、何を言っているのかしら。貴方、私の二つ名が何だか忘れたの?」
「永遠に……幼い……赤――ん坊だな」
「慈悲は期待するな、って事よ。
そもそもねぇ、古今東西、空爆なんてのは無差別を基本――と言うより、無差別しか出来ないものなのよ?
まぁ、世の中には、目標“それのみ”をピンポイントで攻撃出来るものもある、なんて、幻想にすら至らない妄想を
抱いている愚図も居るらしいけどね。女子供を選り分けて避ける弾なんて、そんなもの、在る訳が無いっていうのに」
「て言うか……選り分けるも……何も、この場にゃ初め……から、女子供“しか”居なかったけど……な。
たった今、来た奴を除いて……」
「……まともに喋れないほど疲弊している癖に、減らず口だけは相変わらずなのね。感心するわ」
「減らないから……減らず口……だぜ…………」
箒を片手に、地面で大の字になって、最早指一本すら動かすのも容易でない状況にありながら、それでも尚、軽口を
叩く事だけは止めない魔理沙。
そんな魔法使いを、自身の無差別爆撃によって巻き上げられた土煙を背にしつつ、呆れた様な顔で見下ろす吸血鬼。
「――にしてもまぁ……。
メイドに会えるかと思ってやって来てみれば……――」
言いながらゆっくりと振り向き、次第に視界がクリアになっていく爆心地に目を向ける。
「――――居たのは他所の家の庭師で、それもたった一人だけ。
……いや、半人前だから一人にも満たないか。やれやれ、夜符が勿体無かったわね」
「――その半人前に、貴方は傷一つ付ける事が出来ないわけですね」
レミリアの視線の先に在るのは、“予想通り”何のダメージも受けていない半霊の姿。
「ふん。余り偉そうな物言いをしない事ね。
どうせ兎共と同じ様に、何かしらの小細工を使っているんでしょう?」
「小細工……INABAの力の事?」
レミリアの言葉に、一瞬怪訝な顔を見せた後、すぐに険しい表情になって言い返す少女。
「……馬鹿にしないでもらいたいわね。いくら敵の手に落ちたとは言え、この魂魄妖夢、あんな姑息な術を使う程にまで
腐ってはいない!
そもそも、そんなものに頼らなくても、あの程度の弾幕、これで充分よっ!」
そう言って自身の腰の後ろへと手を回し、そこに差していた短刀を逆手で引き抜く。
「人の迷いをすら断つこの白楼剣に斬れぬ弾など、レーザー以外に無い!」
「……ああ、そうかい。
因みに今の、植物の名前だそうよ。『亜阿相界』」
人のものを勝手に使うなんてふざけた奴だ。そんな面白くもないジョークが魔法使いの口から聞こえた気がしたのと
同時に、
「貴方『程度の』相手、『これで充分』よ」
レミリアは胸の前で両手を構える。誰かが『天使の羽根みたい』と評した、奇妙な手の形。
そこに現出する、四つの紅いヘキサグラム。
「お出でなさい! 夜魔の僕、サーヴァントフライヤー!」
「『オイ、出なさい!』って言い方……は、お嬢様としてはどうかと――」
魔理沙の戯言など全く関係も無しに、魔方陣からまるで徹甲弾の様に放たれる、魔力を纏った蝙蝠達の群れ。
一直線に迫り来るそれを、妖夢は、真正面から睨み付ける。
「こんなもの!」
両手に刀を持ったまま、彼女の身体がくるりと一回転した。舞を踊っているのかと思える程に、軽やかなその動き。
「反射下界斬!」
円を描く白楼剣の軌道が、淡緑の光る壁となって吸血鬼の僕達を弾き返した。
「ちっ!」
自らの放った弾が、そのまま自身に反射されてくる。
襲い来る蝙蝠の群れを、片手の一振りで掻き消すレミリア。
その目の前、赤黒い塊が消え去った其処に、
「……え?」
楼観剣を八双に構える庭師の姿が在った。一瞬の前まで、五間は離れていた所に居た筈の庭師の姿が。
考えるよりも先に、頭上に両の手を乗せて、反射的にレミリアは身を屈める。
そのすぐ上、コンマ何秒の前には吸血鬼の首が在った所を、白い閃光が水平に奔った。
主の手を離れ、その身代わりとなって真っ二つになる小さな日傘。
「この!」
屈んだままの体勢、抜く手も見せぬ速さで、魔力の籠められた左手を振り上げる吸血鬼。
赤い衝撃となって吹き上げるそれを、摺り足で身を退いて躱す妖夢。
彼女の白い髪の毛が数本、暗い森の湿った空気の中を舞った。
「……身のこなしだけは――」
――家のメイドや、門番にも匹敵するかも知れない。目の前の庭師に対する認識を、レミリアは少しだけ改める。
そんな彼女の前で、しかし妖夢は、その手にしていた刀を静かに鞘へと納めた。
「――何の心算かしら?」
「……ここは、大人しく退いてもらえませんか?」
「何だ、命乞いか。なら、もう少し良い言い方があるんじゃない?」
そう言って鼻で笑う吸血鬼に対し、憤りもしなければ臆した様子も見せず、ただ淡々と妖夢は言葉を続ける。
「正直……此処に来たのが貴方だったと判った時、安心しました。
幽々子様が来たのならばどうしよう……、と思っていたけれど、貴方が相手なら別に手加減をする必要も無いし。
けれど、だからと言って、無益な殺生をしたい訳でもない」
「……殺生な話になるのは、お前の方なんだけどね。
もう一度言うけれど、言葉はちゃんと選んだほうが良い。命乞いをするんだったら」
「命乞いじゃありません……これは、警告です」
“警告”。その言葉に一瞬目を丸くしたレミリアは、やがて、その顔に奇妙な笑いの様なものを浮かべた。
――つくづく――薬師にしろ、兎共にしろ、この庭師にしろ、つくづく…………。
「――――つくづく、人の気に障るのが上手じゃあないかっ…………!」
吸血鬼の全身に魔力が充実し、膨張していく。引きつった笑みに可憐な顔を歪ませ、目に見えるかと思える程のはっき
りとした殺気を放つ少女。
「どうしてもやるのかしら?
――ならばこちらも、極意を使わざるを得ない、か」
「極意? あの、『なんたら反射』とか言うスペルの事? あんなもので――」
極意「待宵反射衛星斬」。月の光を借りて放つ、魂魄最大奥義の一つ。幅200由旬にも及ぶと言われる西行寺家の
庭を一振りで網羅する、剣術という概念を全く無視した超々広範囲斬撃。
だが、その範囲の広さが為か、無限に横へと広がっていくそれぞれの攻撃の間には、僅かながらも隔たりがあり、その
剣の軌跡自体も読み易い。
故に、多数の敵を相手にするには強力でも、単体の、それも、レミリアの様に素早い動きの出来る者を仕留めるには
不向きなスペルとも言えた。
「初見なら兎も角、過去に見た事が有る以上、あんなものに私が当たるとでも思うのか? 少しは頭を使いなさい」
「……貴方の方こそ、少しは頭を使ったら?」
レミリアの言葉を、そのままに返す妖夢。彼女には初めから、“レミリアを斬る”心算など有りはしなかった。
「――今がいつなのか、此処が何処なのか、自分がどういう状況に在るのか」
「…………。
……なるほど。先刻傘を破壊したのも、この為、と言う訳ね」
陽が沈むには未だ間のある時間、陽光を遮る道具を失ったレミリアが、こうして何事も無く在る事が出来るのは、此
処が陽の届かぬ深い森の中であるが為。
庭師の極意が発動されれば、例えレミリア自身がそれを躱したとしても、周囲の木々は切り倒され、遮る物の無く
なった太陽の光は、容赦無く吸血鬼の身体を焼くだろう。
「躱すだけでは駄目。生き残りたいのなら、戦軍が二百日を掛けて進む距離を、刹那の内に逃げ切らねばならない。
いくら貴方でも、そんな芸当、不可能でしょう?」
「――――そうね。確かに、200由旬は不可能だわ」
「なら――」
大人しく引き下がって。そう言おうとした妖夢の言葉は、しかし。
「――――“貴方が”200由旬も進むのは不可能、なのよ」
レミリアの声によって遮られた。
「200由旬どころか、1インチでも動くその前に、私が貴方を一人前の幽霊にしてあげるのだから……!」
そう言ってレミリアは、目の前の庭師がその刀を鞘に収めているのに対応するという事なのか、両の手から力を抜いて
だらりと垂れ下げる。
「西部劇のガンマン風に言うと……『ぬきな! どっちが素早いか試してみようぜ』というやつよ…………」
「……それは、吸血鬼の科白じゃぁないわね……」
お互いが一撃必殺の態勢を維持したまま、音も無く固まる。
先手をとるのか、後の先を狙うのか。必殺の気合で相手を牽制しつつ、どちらも動く事が出来ない。
二人が放つ緊張感に染められたかの様に、空気すらも、その動きを静かに止める。
このまま、劫の時に繋がってしまいそうな、そんな沈黙。
それに耐えられなくなったのか、一枚の樹葉が、ゆらりゆらりと二人の間を落ちていった。
空気の抵抗に押されながらも、ゆっくりと、けれど確実に落ちゆくそれが、やがて大地へと辿り着いた、その瞬
間――――……。
「禁忌『レーヴァテイン』!」
幼い少女の声と共に高空から振り下ろされた光の柱が、二人の居る場所を薙ぎ払った。
突然の事態に驚いて、何とか身を起こす魔理沙。
彼女の目に、光が去った後の、深く抉られた大地が映る。そして。
「おおぉわあ~~っ!?」
次の瞬間、光柱の軌跡を追う様にして爆風が巻き起こった。抗う事も出来ぬまま、投げ捨てられて人形の如く魔理沙の
身体は吹き飛ばされる。
自力で空を飛ぶ時とはまた違った感覚の中、彼女の脳裏には何故か、赤い兜虫を得ようとしてそれが適わなかった青年
の姿が横切った。
――何で自分がこんな役回りなんだろう。脚本を書いた者への不満を、心の中で呟こうとしたところで、その意識は
闇に沈んで――……。
「――――大丈夫、魔理沙?」
――目が覚めると其処では、上方に靴を、下には緋色のスカートをはいた、二本の白くて細い足が喋っていた。
「……お蔭様でな……死にそうな程度……には、元気だぜ…………」
「そう、良かった!」
屈託の無い、明るい声を聞きながら魔理沙は、自分の状況を確認しようと試みる。
――頭の後ろには……柔らかい土の感触。
足の下には……特に何の感触も無し。
背中に当たっているざらざらしている物は、恐らくは木の幹か。そう言えば、首が曲がっていて少し痛い。
身体を動かすのも億劫だったので動かなかったが、それでも自身の状況は理解出来た。
吸血鬼は生足で言葉を話す――そんな大発見に心を躍らせたが、どうやら勘違いだったらしい。取り敢えず、もう少し
首を動かしてみたら、中が拝めるかも知れない。
「何ャッデヅンディスカ、妹ザァバ――――ッ!?」
呂律の回らない意味不明の言語と共に、紅毛の少女が空から降りて来た。
「おぉ……久しぶりだ……ぜ……。
…………モンゴル」
魔理沙の言葉に「誰が肉襦袢だ!」と軽くツッコミを入れつつ、フランドールに駆け寄る美鈴。
「何を怒ってるのよ?」
「いや、だって!
お嬢様ごと消し飛ばしちゃってどーすんですか――っ!?」
何を言われているのか、よく判っていない。そんな表情で大きな目をぱちくりとさせるフランドール。
その愛らしい動作に少し胸をときめかせつつも、頭を抱えて俯く美鈴。メイド長が居なくなり、魔女が居なくなり、
その上、主まで居なくなってしまったのでは、これから先、紅魔館は一体どうなるのか……。
「――いや、でも、待てよ……。
お嬢様が居なくなって、咲夜さんが居なくなって、パチュリー様も居なくって、で、妹様はこんなんだし…………。
……あれ、若しかして、紅魔館に残っている者でまともなのって私だけ?
紅魔館の実質的リーダーは、私って訳!?
そう、そうよね! 妹様は人を率いるって柄じゃぁないし、私が皆を引っ張らなきゃだよねっ!?
やたっ! すごっ! 門番から一気に、一家の主にクラスチェンジッ!!
春だよ! 私にもやっと春が来ましたよ――――ッ!!!
紅魔館は私に任せて、安心してお星様となり色々見守って下さい、お嬢様――――ッッ!!!!」
「ほーお、それでだれがこのレミリア・スカーレットのかわりをつとめるのかしら?」
「だから、それは私が……。
?――――!!??」
背後から聞こえる声に、ゆっくりと顔を向ける。
頭を抱えてから僅か一分足らずの間に、頂点に駆け上って更にどん底まで落ち込む、そんなジェットコースター人生。
「まさか貴方のわけはないわよね!」
2匹……、3匹、5……、7……、11……13……17…………19………………。
真っ青な顔でがたがたと震える門番の目の前、魔法使いが逆しまになって嵌っている樹の根元に、蝙蝠達が次々と
萃まって来た。
数十とも、数百とも、それ以上とも思えるその赤黒い塊は、やがて一つとなって少女の形を成していく。
「……もっとこう、吸血鬼なら、吸血鬼らしい科白を言いましょうよぅ……」
一点の汚れすら見当たらない綺麗な主の姿を前に、顔面蒼白のまま、それでも何とか引きつった笑顔を作って、門番は
口を開く。
「なら、貴方の方こそ、門番らしい科白を用意するべきではないのかしら?」
見ているだけで命が削られていきそうな、そんな素敵な笑顔の圧力に、その場で膝から崩れ落ちる美鈴。
「短い夢だったなぁ……」
門番の科白としては、それは少し高級ではないか。そんな風にも思うお嬢様だったが、美鈴に分と言うものを教え込む
のは取り敢えずは後回しとする。
「にしても……凄いわねぇ」
言いながら、妹の攻撃によって作り出された焼け野原を見遣る。
其処に在るのは、先程のレミリアによる空爆の時と同じく、全くの無傷で立つ庭師の姿。だが。
「貴方の剣って、炎神の“災いの魔杖”すらも斬る事が出来るんだ?」
意地悪そうに微笑みながら語られるその言葉に、妖夢は黙して応えない。
レミリアには判っていた。妖夢が何をしたのかを。
妖夢には判っていた。レミリアが何を言いたいのかを。
咄嗟の事とは言え、永琳から与えられた力なんかを使ってしまった。その事実に、下唇を強く噛み締める妖夢。
「――認めるわ。ここは私の負け……大人しく、退かせてもらう。
……但し、彼女は、アリスは頂いていくわ」
そう言って、気を失ったままの人形遣いを乗せた半身と共に、妖夢は場を離脱する。
「そう易々と逃すと思うの!?」
彼女の後を追って、自身も飛び出そうとするレミリア。その小さな身体に、
「駄目です、お嬢様!」
大慌てで抱き着く美鈴。
「ちょ! 何するのよ、このセクハラ門番! 上司に手を出すなんていい度胸してるじゃないっ!?」
「灰になります! 灰になっちゃいますって!」
「ハイになってるのは貴方の脳味噌でしょうがっ!」
「落ち着いて下さい! せめて、傘を!」
「ッ――――!
フラン! 貴方のそれ、寄越しなさい!」
「え゛ー?
嫌よ。これ、お気に入りなんだから。お姉様には、自分のが有るでしょ?」
「無いから言ってるのよっ!」
そんなこんなをしている内に庭師の姿は、蒼い空の彼方に消えて、見えなくなっていく。
それと同時に、門番の腕の中で暴れていた華奢な身体から、はっきりと力が抜けていった。
「――あいつを捕らえれば、永遠亭が……咲夜の居場所が何処なのか、判ったのに……」
そう小さく呟く主を、美鈴は、ゆっくりと地面に下ろした。そして、俯いたまま肩を震わせている幼い少女の背中に、
そっと声を掛ける。
「……お嬢さm」
「こぉんの裏切り者がアアアァァァ!!」
「ろーとぶらっとっっ!!??」
悲鳴を上げながら“く”の字に折曲がって吹き飛ぶ哀れな門番。そのまま彼女の身体は、十間は離れた場所に有る樹の
葉を散らす事となった。
お嬢渾身の右ストレート。
「またこれですかっ!?」
「五月蝿い!
貴方、あいつを逃す為に私の邪魔をしたんでしょう!?
私には判る! 言われなくともよーっく判るわ!!」
「それはお嬢様の為じゃないですか!?
先刻も言いましたけど、私はお嬢様を裏切ったりなんか――」
「裏切り者じゃないのなら役立たずよ、役立たず!
そもそも、貴方が永遠亭の場所を覚えてさえいたのなら、それで何の問題も無かったのよ!?」
「それについては、あのスキマ妖怪が話した通り――」
「あとっ! INABAの力とやらについても!」
「いやそれは、お嬢様ならとっくに判ってるだろうと思って……。
咲夜さんやパチュリー様も、館が襲撃された時点で気付いてたみたいですし……」
「……何それ?
――それって何?? 若しかして、私の事を何気無しに馬鹿にしてる!?
額に“森”とか書かれているのがお似合いな吹っ飛ばされ役の癖して、私を馬鹿にしてるわねッ!?」
「意味はよく判らないけど何だか各方面に失礼っぽい発言な気がします、お嬢様ぁ~~!
て言うか、別に馬鹿になんかしてませんて!」
「お黙りなさい! 他にもアレよっ!
敵の本拠地から戻って来たというのに、メイド達を治す薬の一つも持って来やしないし……!」
「『メイド達を治す』……?
……そう言えば、食材を採りに館へ戻った時、メイド達の仮眠室が何だか霊安室みたくなってるなー、なんて思ったん
ですが……あれって、永琳の仕業だったんですか?」
「決まってるでしょ!?
薬を飲まされたのか何なのかは知らないけど、メイドの殆どは傷も無いのに死んだ様に眠ったままで、残った者はその
看護で手一杯――――お蔭で、雑魚兎の相手までこの私がわざわざしなきゃならないっ!」
「はぁ、そうなんですか」
「『そうなんですか』って、何で貴方がそんな事も知らないのよ!?」
「いえ、その件については特に永琳からは聞いていませんでしたし……」
「聞いてる聞いてない以前の事でしょう! これは、紅魔館が襲われた時の話なのよ!?」
「いや、あの時は、私は一番最初にやられ――――」
――――しまった。思い切り藪を突いてしまった。
慌てて口を塞ぐ美鈴だったが。
「そう……そうよね……。
そう言えばそうなのよね…………」
「……お嬢様……?」
「そもそもは、貴方が門番としての役目も碌にこなせない役立たずだったせいで、こんな面倒事になったんだったわ
ねぇ~~ッ!!」
「うわぁ~ん! 蛇が出て来たぁ~~!」
「このSGGK(スンゴイがっかりゲートキーパー)ッ! 貴方なんか解雇よ、解雇!」
「そう簡単に解雇されたらたまりませんよぅ~~! 紅魔館をクビになったら、明日っからどう生活すれば……」
「中華料理が得意みたいだし、六地蔵の宿屋でも伊勢の餃子屋でも、好きな所に行けば良いじゃない!」
「それ、メイリンはメイリンでも“齢”だったり、美鈴は美鈴でも“みすず”だったり……」
「……ったく……あー言えばこー言う、こー言えばあー言う。役立たずの癖に、口だけは一人前ねぇ――……。
判ったわよ。そんなに解雇が嫌なら配置換えね。貴方は今日から、門番じゃなくて妹の遊び道具!」
「それって役職と違う!? “相手”じゃなくて“道具”ですかっ!?」
逆様の魔法使いを物珍しそうに観察していたフランドールが、姉の言葉に在った“遊び”という単語に反応して振り
返る。喜色満面のその顔を見て、余りに判り易いまでの命の危険を感じ取る門番。
「何、お姉様? これ、貰って良いの?」
「ええそうよ、今からそれは貴方の物。好きな様に遊びなさい」
「やった!
さっきの剣士さん、面白そうだと思ったのに、すぐに居なくなっちゃたから……。
彼女の分も一緒に遊んでもらうわよ!」
花が咲いた様な笑顔。心の底からの喜びが、はっきりと感じ取れる明るい声。
そんな様子で迫ってくる少女を、美鈴だって、それは勿論、愛くるしいとは思うし、出来る限りはその望みに応えて
あげたいとは思う。
そう、自身の命が保障される範囲で、出来る限りなのであれば。
「何して遊ぶ、美鈴?」
「おままごと」
絶対に通る筈が無い。判っていて言った美鈴の言葉。それが。
「いいわね! じゃ、私がお母さん役で、貴方がお父さん役」
通った。言ってみるものだ。例え巧くいく確率0パーセントの道でも、勇気を持って進めば道は開ける、という事を
知った美鈴。そう言えば、「可能性は自分でつくるものだ」って、何処かの溢れる勇気を魔法に変える人達も言っていた
気がするし。
「お帰りなさい、貴方~」
早速始まった擬似家庭遊戯。
料理途中で亭主の出迎え、という場面を想定しているのだろう。スカートの裾をエプロン代わりとして、手を拭く
真似をしながら美鈴に駆け寄ってくるフランドール。元々、余り長くはないスカート。走っているという事もあって、
それなりにギリギリな事となっていた。
――「幼妻」と言う単語が在るが、それだって、ここまで年端のゆかないものは想定していないだろう。
明るい笑顔で「お仕事、お疲れ様!」と言ってくる少女を前に門番は、鬼上司の趣向が何となく理解出来る様な気が
してきた。
「あー、今日も一日、よく働いたなーっ!」
わざとらしく肩を回しながらの、やや棒読み気味な科白。
流れからすれば、次に来るのは「食べる」か「入る」か、或いは「夫婦の何とやら」、か。
陽も高い内に、屋外で、しかも身内――夫の雇い主であり、妻の姉――の目が在る中、第三の選択肢は難易度が高
過ぎると思う美鈴だったが、「可能性は自分でつくるもの」という言葉を思い出して覚悟を決める。
「それじゃ、何になさいます?」
「そーだなぁー……先ず――」
「禁弾にします? 先に秘弾にします? それとも、Q・E・D?(はぁと)」
「ああ、済まない。実は仕事を残しちゃってて、今からすぐに戻らないといけないんだ」
第三の選択肢は、予想以上に難易度が高かった。百八十度回れ右をする、家庭を顧みない企業戦士。495年分の
色々をぶつけられるくらいならば、二十四時間戦っていた方が遙かに生存の可能性が高い。
「それじゃ、お仕事場でのお夜食用に、禁忌を作りますねぇ~~」
「いや、甘い物は嫌いだから――」
「大丈夫! クランベリーじゃなくて、貴方の大好きなレーヴァテインにするから!」
「ちょ! 妹様! せめて食べ物ネタでいきましょうよっ!?」
「これでジャムを作るのよ。真っ赤なジャムを」
「!? 私かっ!? 私がジャムになるんですか――――ッ!!??」
「――――で、何?
用が有るなら、さっさと出て来なさい。さっきから、其処に居るのは判っているんだから」
スラップスティックな、そして、暫くすればスプラッタにもなりそうな、そんなホームドラマを見詰めていたレミリア
が、唐突に、誰へともなく呟いた。
「あら凄い。気付いてたの」
レミリアの頭の直ぐ上、その何も無い空間に突如ひびが入り、その小さな亀裂から声が漏れてきた。
「当然でしょ。
何となくだけれど、感じられるのよ。貴方が空間を弄った時の、何かがずれている感覚みたいなもの」
「……それが判るのに、あれの仕組みには未だ気が付かないのも不思議よねぇ」
小さな歪みはやがて、人一人が通れる程の大きさのスキマとなった。
其処から、大地を上にして頭のみを露にする紫。
「それにしても――神社に居た時から思っていたのだけれど……何だか楽しそうね、貴方」
「何を……。
私は怒ってるいのよ。裏切り者或いは役立たず、の門番のせいで、まともに事が進みやしないんだから」
「あら、そうなの?
私には、大切なものが一つ戻って来て、喜んではしゃいでいる様にしか見えないのだけど」
「――お前の顔についている二つの丸いそれ、只の飾りなんだったら、串焼きにでもして亡霊に食わせてやったらどう
だい?」
逆しまで宙に浮く顔へに向けて、辛辣な言葉を叩きつけるレミリア。
「私のこれは、立派に役目を果たしているわよ?
貴方達一家の愛溢るる一コマも、しっかりと映し出してるし」
「……本気?」
「素敵に本気。ちょっと羨ましい位に。
うちでも少し、真似てみようかしら」
そう言って婉然と微笑む紫を前に、レミリアは、呆れた様にして歎息を洩らす。
「で、改めて聞くけど、何の用?」
「貴方達を迎えに来たのよ。
さ、この中に入って頂戴」
言いながら、レミリア達に向かって手招きをする紫
「――そんな所に入ったりして……“こなみじんになって死んだ”りしないでしょうね?」
「吸血鬼が心配する事じゃぁないわね。大丈夫。暗黒空間にバラまいたりなんてしないから」
「貴方の場合、余り信用出来ないのだけど……ま、良いわ。
傘を一本失って、このままだと、神社へ帰るのに夜を待たなきゃならないところだったからね」
「神社?――――は、違うわよ?」
早速スキマへと入り込もうとしていたレミリアが、紫の言葉に動きを止める。
「神社だと、またいつ敵に襲われるか判らないわ。それじゃ、落ち着いて対策を練る事も出来はしないでしょう?
だから、もっと安全な所に移るのよ。貴方達以外は皆、既に其処へ向かったわ」
「安全な所?」
「そう。
薬師の天網を以てしても、決して目の届かない所。幻想と現実の境目。
さぁ、行きましょう――――……。
――――マヨヒガへ」
「ほらほら! 巧く避けなきゃ、貴方の人生ゲームオーバーでコンティニュー出来ないよ♪」
「やめて――っ!?
そんな大きくて長くて熱いの、私、死んじゃいますぅぅうううぅぅ~~~~っ!!!!」
“エイエンテイとの戦いの日々。紅 美鈴は、その激しい戦いに、耐えてゆかなければならないのである”
つづく
シリアスなシーンにいきなり承太郎は反則でしょう(笑)
とりあえず次回は魔理沙とお嬢様の逆襲を激しく期待!
レーヴァテインだとジャムになる前に無くなりそうなんですけど。気化して。
この門番さえも勤まらない中国がッ!
いいですね。こういう熱い物語はとても好きです、自分。
続き物を書いている身にとって、最高の誉め言葉……有難う御座いますッ!
内容どうこう言う以前に、遅筆でしかも一話の量が馬鹿みたいに多い、そんなお話ですが、
どうか愛想尽きる迄はお付き合い下さい!
>鱸さま
フランドールの魔杖と美鈴の拳の衝突と衝撃が、幻想郷を大きく震わす――のは無理そうです。
と言いますか、一方的なジェノサイド。美鈴じゃなくて魔理沙ならピッタリなのでしょうが。
二人が少女の(レーザーの)太さを競う。
>名前が無い程度の能力さま
中国拳法の鍛錬とは言語を絶する程に凄まじいものらしいので、例えそれが
只の拷問にしか見えなくても、
実は修行中なのかも知れないので邪魔をしたりしないようにしましょう。
>月影蓮哉さま
日曜朝七時半~とか、毎週月曜発売とか、そういったノリが好きな人間が書いているものでして……。
お蔭でかなり偏った内容ですが、愉しんで頂けたのなら幸いですッ!
その他の読んで下さった方々も、有難う御座いました!
次回は……いつになるかなぁ……。一話当たりを、もっと短くすれば良いのでしょうけど(汗