桜のつぼみがほころび始めた冬の終わり、春の始まり。季節は移るが、私、魂魄妖夢のやることは何も変わらない。毎日毎日、この広い西行寺家の庭を手入れし、幽々子様の剣の指南をする。
思うのだが、この途方も無く広大な庭は手入れした所で誰が見るのだろうか。おそらく幽々子様本人も認知できないだろう。
そう思って、一度だけ手を抜いたことがある。なぜだかわからないが、幽々子様は顔をあわせた瞬間に、私の悪事を見透かした。そしてお説教。
あれに懲りて、私はもう庭の手入れをいい加減にやることは無いように勤めることにした。言い訳だが、あの時は魔がさしたのだ。疲れていたし、幽々子様が気が付くか少し興味もあった。それだけのこと。私はこの西行寺家の広い庭を受け持つことができて嬉しいし、お師匠様の跡目としての誇りといったら言いのだろうか、そんな愛着もある。
だから、別に給金が無いとか、休みが無いとか、そんなことは私の仕事の中ではどうでもいいことだ。そりゃ、欲しいかと聞かれれば欲しくないことも無いけれど、一度気が緩むと戻ることが難しい事はお師匠様にも常日頃言われていたし、私も身を持って知った。
だから私は毎日毎日仕事をする。庭師、屋敷内の揉め事の解消、幽々子様に剣を教える…。考えてみれば、幽々子様は私よりもずっと強いのだから、剣の指南など要らないのでは……。そう思う時があるが、私はあえて聞かなかった。
きっとそれはよくないことだ。
お師匠様から私に繋がれた仕事。
それを紡いでゆくのは弟子として当たり前。
だからこれでいいのだ。
そういった気持ちが私にはあった。きっとこれからも心に持ったまま生きていくのだと思う。…半分死んでるけど。
繋がったものを繋いでゆく。幼い私の考えは正しくないかもしれない。けど、その行為は人の心だ。だから、私は西行寺家に仕える。お師匠様の心を受け継いで、大事な幽々子様と共に歩んでいく。
それで、いいのですよね。
おじいちゃん。
妖夢は遠くに聞こえる賑やかな宴の声を聞き、片手に持った長剣を地面に立てた。立ち止まって見た空に、見えたものがあった。そこにあったのは咲かない桜、西行妖。春めいた暖気の中でも一際不気味に死を漂わせ、それは、はっきりとそこにいた。
妖夢はそこに懐かしい空気を感じ取っていた。少しだけ前の、西行寺家の春の空気を。
これは、少し前の、小さな春の話。
冥界の屋敷、西行寺家は春に包まれ、死者達が集まる場所とは思えぬほど盛り上がっていた。あるものは花の詩を読み、またあるものは陽気に酒を酌み交わしていた。
もちろん、西行寺幽々子達の集団は後者であった。冥界の主は花より団子、華より食い気。そんな言葉が似合うことだろうから。宴の中心にいるのは幽々子と八雲紫、盛り立て役がプリズムリバー達のようであった。妖夢はまだ幼いこともあってか酒を飲むことは許されず、僅かに不満を顔に映して宴会に加わっていた。
騒がしい宴から、少し距離をとった場所に男がいた。白髪、顔に刻まれた幾つかの皺。老齢であることは一目でわかる。男は桜の木によりかかり、幽々子達の宴を見守っていた。
「妖忌ー。そんなところで佇んでないで、こっちに来なさいよ。今日は紫が良いお酒を持ってきてくれたのよー」
幽々子が妖忌と呼んだ男は、小さく笑みを浮かべて答えた。
「俺は酒は飲まないと言っているだろう、幽々子。大体、俺まで酔ってしまったら誰がこの屋敷を警護するというのだ?」
幽々子は辺りを見回した。成る程。周りの幽霊達は酒に酔い、完全に浮いていた。これではどう考えても身を守れそうに無い。しかしそれでも納得せず、幽々子の頬は膨れた。
「何よーザルのくせに。一杯の酒すら飲まないって言うの?妖忌は私のお酒、飲めないって事?」
「そう言うな。これも西行寺家に仕えているのだから仕事の内だ」
「ふぅーん。…そんなこと言って、妖忌は私のこと、嫌いなんじゃないの?」
幽々子は下目遣いに言った。その仕草、言い草に妖忌はたじろいだ。従者としては、こう言われると弱い。
そんな妖忌に助け舟を出したのは、紫だった。くすくすと笑い、
「幽々子、わざとやってるでしょう?」
「あら、わかった?」
その答えに満足したように小さく酒を飲み、紫が言う。
「当たり前じゃない。何年付き合ってると思ってるの」
「そうねぇ…月が空に浮かび始めた頃からかしら。そう、それはおまんじゅうが……」
「いつよ、それ」
楽しそうに笑う二人に、妖忌は話の矛先が自分から逸れた事を感じ取ると、ほぅ、と息をついた。
「それにね、幽々子。妖忌さんがお酒を飲まないってことは、お酒に酔って前後不覚になった私たちの代わりに片づけをしてくれるってことでしょう?」
扇子を口元にやり、細めた目をして紫が言った。明らかに愉しんでいた。
「あら、それもそうね。桜の手入れなんかよりもずっと大変だわ。それなら、もっと飲んで酔っ払わないといけないわ」
その会話が否応にも耳に入った。妖忌がついた息は、いつの間にか溜め息に変わる。それでもこの男には、少しだけ幸せな顔があった。咲いた桜が僅かに散る中妖忌は顔を上げた。そこには円く浮かぶ、明る過ぎて冥界には似つかわしくない銀の月が在った。
そんな妖忌を尻目に、宴は続いている。プリズムリバー達は夜の静寂を意に介さない音を奏でている。もちろん、三人のうち誰かがソロ演奏している間は幽々子達の輪に入る。そんなこんなでいつものように時間が過ぎていく。
そんな時、妖夢がくいくいと幽々子の裾を引っ張った。
「あら、どうしたの?妖夢」
妖夢はちらちらと妖忌の方を見ている。妖忌が宴会に参加していないことを子供心に心配しているのかもしれなかった。
「ねえ、幽々子さま……。おじいちゃん、宴会いっしょにやらなくていいの?」
やたら『おじいちゃん』が強調されていたなと、幽々子は酒の回った頭で思った。
「ねえ、いいの?幽々子さま」
「うーん、ああ見えて妖忌は頑固なのよー。…見た目通りかしらね。とにかく、私がよっぽど言わないと飲んでくれないのよ」
そう返した幽々子に向けられた視線は、欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子供のものだった。幽々子には、その理由がわからない。
「どうしたの?妖夢。いつものことじゃない。今日のあなた、何か変よ」
「なんでもないです。変なこと言ってごめんなさい」
嘘であることは誰が見ても明らかであった。妖夢はそっぽを向いて言った。
「……幽々子さま、私…明日もお師匠さまの稽古があるので…寝ますね」
「わかったわ。おやすみなさい」
妖夢はゆっくりと立ち上がると、屋敷の中へと向かっていった。途中、妖夢は妖忌に声をかけた。
「…おじいちゃん…おやすみなさい」
「おじいちゃんは止めろと言っただろ。…おやすみ」
そうは言ったが、別段怒った様子はなかった。おじいちゃんという年齢になってしまったことに対して言ったか、もしくはそう呼ばれるに相応しくないと、彼は思ったのかもしれなかった。妖忌は妖夢が屋敷に入るまで見守っていた。
幽々子は二人のやり取りを中途まで見ていたが、
「幽々子さん、次の曲目は何が良いですか?」
「……好きに選んでいい」
「思いつかなくなったって言いなよ。姉さん」
三人に語り掛けられ、最後まで見届けることは無かった。
「そうねぇ……それじゃぁ…」
紫は幽々子の隣にいたが、遠くから見るように全員の動きを感じ取っていた。ただ何も言わず、幽々子達とたわいない話をし、酒を飲んでいた。妖忌を見るときの目だけは、少しだけ違っていた。
妖夢は怒っていた。自分の言ったことの意図を主がわかってくれなかったことに。そして、何も言わずに仕事に徹する自分の師匠に。
本当は宴会に参加したいんだと、妖夢は常日頃思っていた。だが、自分の師匠はそんなことは一言も言わない。からかわれるのは大の苦手のくせに、こういう時は顔色一つ崩さない。そのくせに、穏やかな顔をして遠くから自分達を見ている。それだけで満足なのか、それが西行寺家の庭師の姿なのか。どちらにせよ、幼い妖夢には納得できることではない。
納得できなかった。本当に。だから、庭師の仕事を継ぐのは少しだけ…嫌だった。
妖夢は幽々子のことが嫌いなわけではない。むしろ、心から慕っていた。自分の師匠である妖忌についても同じだった。そして慕っているからこそ、この関係に納得できない。
妖夢には、まだ難しかった。心にあるわだかまりが理解できず、眠りに入ることができなかった。
妖夢はしばらく布団の中で寝返りを打つことになった。眠れぬ時間は永く感じられるのだった。
宴会も終焉。プリズムリバーたちもいい具合に出来上がり、酒も大分尽き果てた頃。紫が口を開いた。
「そろそろ帰ろうかしらね。そうしない?ルナサ」
「そうだな。私たちもそろそろ引き返さないと家に帰れなくなってしまう」
リリカとメルランは完全に酔っていた。調子に乗って飲みすぎたのだろう。ルナサは二人の首根っこをつかみ、歩き出した。
「幽々子、今日も宴会楽しかったよ。また用があれば呼んで欲しい」
「呼んで呼んで~。次はもっとすごい騒音を聞かせてあげるから~」
「姉さん、それは音楽家としてどうかと思うよー」
「ええ、じゃあまた呼ぶわー。静かに飲むときは呼ばないけどねぇ」
そう言って幽々子は三姉妹を見送った。紫は帰りの準備に少し手間取っていた。手間取る理由なんて無いはずだが。そんな様子を幽々子は見て、
「紫~、大分酔ってるんじゃない?帰りの仕度にこんなに時間かけるなんて。妖忌、紫を送ってやって」
「いや、しかし幽々子、お前も大分酔っているではないか」
「私のほうが近いの。わざわざ来てくださったお客様に無礼だと思わないの?妖忌」
妖忌は笑うように息をはいた。
「では、そういう訳だ紫。門まで送っていく」
「ありがとう」
紫はそう言うと、準備をさっさと済ませ歩き始めた。そうして、五、六歩歩いた時に振り返った。
「じゃあね幽々子。…お酒残して寝ないほうがいいわよ」
「そうねぇ。考えとくわ」
幽々子もふわふわした足取りで屋敷に向かっていく。妖忌はそれを見てから、紫の隣を歩く。
「で、何の用だ。紫」
「何のことでしょう。こっちが聞きたいですわ」
「とぼけるな。大体、帰るのだったらお前はいつでも帰れるだろう。それなのにあんなにもたつくとは…。俺に始めからこうさせるつもりだったのだろう?まったく、幽々子も気がついて欲しいものだ…」
くすくすと笑い声が漏れる。紫が笑っているのだ。だが、不意に表情が乏しくなった。
「そう。ちょっとだけ話がしたかったのですわ。妖忌さん」
紫は立ち止まって妖忌を見た。妖忌も立ち止まる。紫は話さない。妖忌は訝しげに紫に聞いた。
「どうした。話があるのではなかったのか?」
それに対する僅かな間は、故意か、無意識か。紫にしかわからない。
「…ここでは少し話しにくいわ。場所を変えない?…そうね、西行妖の所でどうかしら。あそこならあまり寄り付かないでしょうから。色々と」
「ふむ」
妖忌は頷いた。どこかしら思う所があるが故の承諾であった。
門からは少し離れた場所に西行妖はあった。明るい月が照らす青白い夜は、華やかな他の桜との違いをことさら強調している。それで無くとも不気味なのだ。ここに寄り付く者は、幽々子、紫、そして妖忌くらいのものだ。
二人の足が止まる。一呼吸だけの時間。二人は何も言わず、西行妖を見上げた。立派な幹、枝ぶりをしている。しかし、桜にあるものがこの木にはない。
「やっぱり、咲く気配はないわね」
「……ああ」
互いに少々重い一言であった。
知りすぎているが故に。
西行妖のことも、幽々子のことも。
紫には友人、妖忌には守るべき人、その人に隠すべきことを共有していた。それは、全てこの西行妖が咲かないことに帰着する。
「これからも、この桜が咲くことが無いと思う?妖忌」
「ああ、間違いなくそれは無いだろう。この西行寺家には数え切れぬほどの桜がある。一つの効力は微々たる物だが、それでも数を集めれば、春度を散らしてしまうには十分だ。……それに……だ」
「……幽々子の結界があるもの……ね」
「そうだ。ここには、幽々子の亡骸がある…。それがある以上、西行妖は咲かない」
わかりきったことを確認した。このやり取りに意味は無い。二人は西行妖を咲かせないため、幽々子を守るためにここに残った。…紫に関しては少々違うかもしれないが。これは確認であった。そして、こうしてきちんと時間を取って確認することはこれが最後になるであろうと二人は知っていた。
「あなたはここを出て行くつもりなのでしょう?それも、近いうちに」
ああ、やはりそれが本題かと、妖忌はつぶやいた。そして、言う。
「その通りだ。…俺ももう歳を取った。幽々子を守りきることは、おそらく出来ないだろう。……そんな足手まといは、要らんのだ」
だが紫は首を振り、
―違うでしょ。
と言った。
「それは建て前。あなたの本当の心は、それではない。あなたは…怖れている。幽々子に、真相を知られてしまうことを。真実を気付かせてしまうことを」
妖忌は驚いていた。本当のことだったからである。
「幽々子だってね、あんな風に何も考えてないようでどこか鋭いから、あなたの変なところには気が付いているわ。昔から聡明な所があったのは、あなただって知っているはず」
「………。そうだな。俺は正直怖い。そして、幽々子に俺がおかしいということも、既にばれてしまっていると思う。……だからこそ、真相に気が付かれる前に、俺はここから出て行かなくてはならない」
妖忌はそう言うと、西行妖を強く見た。その眼光は、僅かに濡れていた。
「幽々子を見てやれないことは、正直……辛い。だが、あの娘が過去を思い出すことだけは絶対にあってはならない。もう…生前のあの姿だけは……俺は……俺は見たくない」
そこにあったのは、無力な男だった頃の彼であった。自分を呪い、責めた頃の。目の前で自害した少女を、止められなかった事。
「だからこそ、俺は気が付かれる前にここを出る。もう、限界だ」
「幽々子、きっと寂しがるわね。……でも、それがあなたの決めた道なら進みなさい。私が代わりに、幽々子の傍にいる。私も…そうしたいから」
「そうか…。有難い」
二人してしばらく西行妖を見ていた。どこかから桜が舞った。動くのは、花びらだけ。
静かに、紫が言った。
「幽々子、妖忌、私…。私たち三人を繋ぐのは、咲かない桜…西行妖。いつまでも……花をつけることなく、この姿であって欲しいものね」
「そうだな。想いだけは、許されて欲しい」
風が吹き始めた。
「そろそろ、本当に帰るわ。それじゃあね」
「ああ。済まないな」
紫が笑った。
「私が話したかっただけだから別にいいのよ。全く、律儀と言うか、堅いというか」
そう言い残し、紫は隙間の中に消えた。残された妖忌の白髪を、風が揺らす。
幽々子は少し夜風に当たっていた。不思議と酔いは醒めてきていた。春の夜風は温み、柔らかかった。その心地よさに浸っていた幽々子であったが、ふと、先の出来事を思い出す。
(そういえば妖夢、どうしてあんなに不機嫌だったのかしら)
時間はほとんど必要なく、原因は知れた。どうしてこんなに簡単なことに気が付かなかったのか、自分にあきれる幽々子であった。素直に言えばいいのにとも思ったが、それは妖夢には無理だということは自明だった。
風が吹く。
(あの二人、話し終わったかしらね)
まさにそう思った時だった。妖忌が近づいてきているのが見え、幽々子はそちらに向いた。
「お話は済んだ?妖忌」
「なんだ、気が付いていたのか」
妖忌は抜けた顔になった。どうやら、幽々子は気が付いていないと本気で思っていたらしい。幽々子が目を細める。
「逢引ぐらい、もっとわかりにくくするべきだと思うわ。それに、主にもきちんと報告するべきだと思うけど」
「な、なな。紫とはそのような関係ではない。大体、何を証拠にそのような……」
慌てる妖忌が可笑しいのか、くすくすと幽々子が笑う。
「冗談に決まってるでしょ。まったく。あなたがそういうこと隠せないのは、よーく知ってるわ」
「………はぁ。……で、どうするのだ幽々子。もう寝るのか?」
脱力した妖忌が幽々子にたずねた。その様子を楽しそうに見る幽々子は、人差し指を頬に当て、答えた。
「うーん。そうしたい所なんだけど……。妖忌、お酒飲みたくない?」
「なんだ。藪から棒に。俺は飲まんぞ」
「いいから、可、不可の話をしているのではないのよ。問題は飲みたいのか、飲みたくないのか。答えなさい」
妖忌は少し弱った顔をした。彼からすれば酒を飲めば仕事ができず、飲みたくないと言えば嘘になる。そう思って少し黙った。それが肯定を意味することに気が付くのが、刹那遅かった。
「飲みたいのね。……顔に出てるもの。私も飲みたいのよ。だから妖忌、一緒に飲みましょう?仕事じゃなくて、私と」
最後は強調されていた。有無を言わさない物言いは普段の幽々子なら、しない。
「??」
妖忌は一瞬読めぬ顔をしたが、すぐに笑った。幽々子の意図を理解したのである。肩をすくめて言う。
「ああ、俺も正直そろそろ禁酒も辛くなってきたところだ。幽々子と飲めるのなら、これほど嬉しいことは無いな」
幽々子は嬉しそうな顔をした。どこからか酒と杯を出すと、
「乾杯」
杯を妖忌に差し出して言った。妖忌も答える。
「乾杯」
二人の会話は、散る桜の中に溶けていく。
久方ぶりの酒は妖忌にとって、どのようなものであったろうか。おそらく、幽々子も同じ心境だろうなと、妖忌は思った。
妖夢はまだ眠りにつけていなかった。考えも煮詰まって、あまり思考も進まない。そうなれば、感覚だけが鋭敏になっていく。
そして、それが音を聞いた。
妖夢は布団から用心して起き出し、足音を立てぬよう、こっそりと音のした所へと歩いていった。そして、ゆっくりと近づいてゆく。真剣を許されていない妖夢の手には、しっかりと木刀が握られていた。
そうしてたどり着いたのは、外と繋がる廊下。そこに、二つの影を見つけた。縁側に座っているようだ。
(幽々子さま…それに……、お師匠さま?)
妖夢はそこにいて様子を伺った。二人は、幸せそうに酒を酌み交わしていた。それを知り、妖夢の胸に熱いものがこみ上げる。同時に、無意識に後ろに下がっていた。
妖夢は二人に気が付かれないよう、慎重に部屋に戻った。そして、布団にもぐった妖夢の胸には、暖かいものが残った。
妖夢は安心して、泣いていた。
声が聞こえる。
宴の声だ。妖夢は、その中に自分を呼ぶ声があることに気が付いた。
「妖夢~、こっちにいらっしゃいよ~。楽しいわよ~」
自分の主の声。宴の中に、かつて見守ってくれていた人の声は無い。だが、妖夢はそれで良いと思っていた。
彼は今もきっとどこかで自分達を想っていてくれている。そして何より、自分の大事な主人がいる。それでよかった。
「あんまり飲みすぎては身体に毒ですよ、幽々子様」
師匠と主の繋がりを守り、新たに紡いでいく。その役目を担うのは、私だ。
少しは無意味かも知れない。
それでも、それこそが意味で。
少しだけの無意味。
それこそが、人との繋がり。
だから私は歩いていく。
創られた道を。
自分達で創る道を。
繋いでゆく。
これからも、ずっと。
出演
プリズムリバー姉妹
長女 ルナサ
次女 メルラン
三女 リリカ
そして
西行寺幽々子
魂魄妖忌
八雲紫
魂魄妖夢
様方
おしまい。
思うのだが、この途方も無く広大な庭は手入れした所で誰が見るのだろうか。おそらく幽々子様本人も認知できないだろう。
そう思って、一度だけ手を抜いたことがある。なぜだかわからないが、幽々子様は顔をあわせた瞬間に、私の悪事を見透かした。そしてお説教。
あれに懲りて、私はもう庭の手入れをいい加減にやることは無いように勤めることにした。言い訳だが、あの時は魔がさしたのだ。疲れていたし、幽々子様が気が付くか少し興味もあった。それだけのこと。私はこの西行寺家の広い庭を受け持つことができて嬉しいし、お師匠様の跡目としての誇りといったら言いのだろうか、そんな愛着もある。
だから、別に給金が無いとか、休みが無いとか、そんなことは私の仕事の中ではどうでもいいことだ。そりゃ、欲しいかと聞かれれば欲しくないことも無いけれど、一度気が緩むと戻ることが難しい事はお師匠様にも常日頃言われていたし、私も身を持って知った。
だから私は毎日毎日仕事をする。庭師、屋敷内の揉め事の解消、幽々子様に剣を教える…。考えてみれば、幽々子様は私よりもずっと強いのだから、剣の指南など要らないのでは……。そう思う時があるが、私はあえて聞かなかった。
きっとそれはよくないことだ。
お師匠様から私に繋がれた仕事。
それを紡いでゆくのは弟子として当たり前。
だからこれでいいのだ。
そういった気持ちが私にはあった。きっとこれからも心に持ったまま生きていくのだと思う。…半分死んでるけど。
繋がったものを繋いでゆく。幼い私の考えは正しくないかもしれない。けど、その行為は人の心だ。だから、私は西行寺家に仕える。お師匠様の心を受け継いで、大事な幽々子様と共に歩んでいく。
それで、いいのですよね。
おじいちゃん。
妖夢は遠くに聞こえる賑やかな宴の声を聞き、片手に持った長剣を地面に立てた。立ち止まって見た空に、見えたものがあった。そこにあったのは咲かない桜、西行妖。春めいた暖気の中でも一際不気味に死を漂わせ、それは、はっきりとそこにいた。
妖夢はそこに懐かしい空気を感じ取っていた。少しだけ前の、西行寺家の春の空気を。
これは、少し前の、小さな春の話。
冥界の屋敷、西行寺家は春に包まれ、死者達が集まる場所とは思えぬほど盛り上がっていた。あるものは花の詩を読み、またあるものは陽気に酒を酌み交わしていた。
もちろん、西行寺幽々子達の集団は後者であった。冥界の主は花より団子、華より食い気。そんな言葉が似合うことだろうから。宴の中心にいるのは幽々子と八雲紫、盛り立て役がプリズムリバー達のようであった。妖夢はまだ幼いこともあってか酒を飲むことは許されず、僅かに不満を顔に映して宴会に加わっていた。
騒がしい宴から、少し距離をとった場所に男がいた。白髪、顔に刻まれた幾つかの皺。老齢であることは一目でわかる。男は桜の木によりかかり、幽々子達の宴を見守っていた。
「妖忌ー。そんなところで佇んでないで、こっちに来なさいよ。今日は紫が良いお酒を持ってきてくれたのよー」
幽々子が妖忌と呼んだ男は、小さく笑みを浮かべて答えた。
「俺は酒は飲まないと言っているだろう、幽々子。大体、俺まで酔ってしまったら誰がこの屋敷を警護するというのだ?」
幽々子は辺りを見回した。成る程。周りの幽霊達は酒に酔い、完全に浮いていた。これではどう考えても身を守れそうに無い。しかしそれでも納得せず、幽々子の頬は膨れた。
「何よーザルのくせに。一杯の酒すら飲まないって言うの?妖忌は私のお酒、飲めないって事?」
「そう言うな。これも西行寺家に仕えているのだから仕事の内だ」
「ふぅーん。…そんなこと言って、妖忌は私のこと、嫌いなんじゃないの?」
幽々子は下目遣いに言った。その仕草、言い草に妖忌はたじろいだ。従者としては、こう言われると弱い。
そんな妖忌に助け舟を出したのは、紫だった。くすくすと笑い、
「幽々子、わざとやってるでしょう?」
「あら、わかった?」
その答えに満足したように小さく酒を飲み、紫が言う。
「当たり前じゃない。何年付き合ってると思ってるの」
「そうねぇ…月が空に浮かび始めた頃からかしら。そう、それはおまんじゅうが……」
「いつよ、それ」
楽しそうに笑う二人に、妖忌は話の矛先が自分から逸れた事を感じ取ると、ほぅ、と息をついた。
「それにね、幽々子。妖忌さんがお酒を飲まないってことは、お酒に酔って前後不覚になった私たちの代わりに片づけをしてくれるってことでしょう?」
扇子を口元にやり、細めた目をして紫が言った。明らかに愉しんでいた。
「あら、それもそうね。桜の手入れなんかよりもずっと大変だわ。それなら、もっと飲んで酔っ払わないといけないわ」
その会話が否応にも耳に入った。妖忌がついた息は、いつの間にか溜め息に変わる。それでもこの男には、少しだけ幸せな顔があった。咲いた桜が僅かに散る中妖忌は顔を上げた。そこには円く浮かぶ、明る過ぎて冥界には似つかわしくない銀の月が在った。
そんな妖忌を尻目に、宴は続いている。プリズムリバー達は夜の静寂を意に介さない音を奏でている。もちろん、三人のうち誰かがソロ演奏している間は幽々子達の輪に入る。そんなこんなでいつものように時間が過ぎていく。
そんな時、妖夢がくいくいと幽々子の裾を引っ張った。
「あら、どうしたの?妖夢」
妖夢はちらちらと妖忌の方を見ている。妖忌が宴会に参加していないことを子供心に心配しているのかもしれなかった。
「ねえ、幽々子さま……。おじいちゃん、宴会いっしょにやらなくていいの?」
やたら『おじいちゃん』が強調されていたなと、幽々子は酒の回った頭で思った。
「ねえ、いいの?幽々子さま」
「うーん、ああ見えて妖忌は頑固なのよー。…見た目通りかしらね。とにかく、私がよっぽど言わないと飲んでくれないのよ」
そう返した幽々子に向けられた視線は、欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子供のものだった。幽々子には、その理由がわからない。
「どうしたの?妖夢。いつものことじゃない。今日のあなた、何か変よ」
「なんでもないです。変なこと言ってごめんなさい」
嘘であることは誰が見ても明らかであった。妖夢はそっぽを向いて言った。
「……幽々子さま、私…明日もお師匠さまの稽古があるので…寝ますね」
「わかったわ。おやすみなさい」
妖夢はゆっくりと立ち上がると、屋敷の中へと向かっていった。途中、妖夢は妖忌に声をかけた。
「…おじいちゃん…おやすみなさい」
「おじいちゃんは止めろと言っただろ。…おやすみ」
そうは言ったが、別段怒った様子はなかった。おじいちゃんという年齢になってしまったことに対して言ったか、もしくはそう呼ばれるに相応しくないと、彼は思ったのかもしれなかった。妖忌は妖夢が屋敷に入るまで見守っていた。
幽々子は二人のやり取りを中途まで見ていたが、
「幽々子さん、次の曲目は何が良いですか?」
「……好きに選んでいい」
「思いつかなくなったって言いなよ。姉さん」
三人に語り掛けられ、最後まで見届けることは無かった。
「そうねぇ……それじゃぁ…」
紫は幽々子の隣にいたが、遠くから見るように全員の動きを感じ取っていた。ただ何も言わず、幽々子達とたわいない話をし、酒を飲んでいた。妖忌を見るときの目だけは、少しだけ違っていた。
妖夢は怒っていた。自分の言ったことの意図を主がわかってくれなかったことに。そして、何も言わずに仕事に徹する自分の師匠に。
本当は宴会に参加したいんだと、妖夢は常日頃思っていた。だが、自分の師匠はそんなことは一言も言わない。からかわれるのは大の苦手のくせに、こういう時は顔色一つ崩さない。そのくせに、穏やかな顔をして遠くから自分達を見ている。それだけで満足なのか、それが西行寺家の庭師の姿なのか。どちらにせよ、幼い妖夢には納得できることではない。
納得できなかった。本当に。だから、庭師の仕事を継ぐのは少しだけ…嫌だった。
妖夢は幽々子のことが嫌いなわけではない。むしろ、心から慕っていた。自分の師匠である妖忌についても同じだった。そして慕っているからこそ、この関係に納得できない。
妖夢には、まだ難しかった。心にあるわだかまりが理解できず、眠りに入ることができなかった。
妖夢はしばらく布団の中で寝返りを打つことになった。眠れぬ時間は永く感じられるのだった。
宴会も終焉。プリズムリバーたちもいい具合に出来上がり、酒も大分尽き果てた頃。紫が口を開いた。
「そろそろ帰ろうかしらね。そうしない?ルナサ」
「そうだな。私たちもそろそろ引き返さないと家に帰れなくなってしまう」
リリカとメルランは完全に酔っていた。調子に乗って飲みすぎたのだろう。ルナサは二人の首根っこをつかみ、歩き出した。
「幽々子、今日も宴会楽しかったよ。また用があれば呼んで欲しい」
「呼んで呼んで~。次はもっとすごい騒音を聞かせてあげるから~」
「姉さん、それは音楽家としてどうかと思うよー」
「ええ、じゃあまた呼ぶわー。静かに飲むときは呼ばないけどねぇ」
そう言って幽々子は三姉妹を見送った。紫は帰りの準備に少し手間取っていた。手間取る理由なんて無いはずだが。そんな様子を幽々子は見て、
「紫~、大分酔ってるんじゃない?帰りの仕度にこんなに時間かけるなんて。妖忌、紫を送ってやって」
「いや、しかし幽々子、お前も大分酔っているではないか」
「私のほうが近いの。わざわざ来てくださったお客様に無礼だと思わないの?妖忌」
妖忌は笑うように息をはいた。
「では、そういう訳だ紫。門まで送っていく」
「ありがとう」
紫はそう言うと、準備をさっさと済ませ歩き始めた。そうして、五、六歩歩いた時に振り返った。
「じゃあね幽々子。…お酒残して寝ないほうがいいわよ」
「そうねぇ。考えとくわ」
幽々子もふわふわした足取りで屋敷に向かっていく。妖忌はそれを見てから、紫の隣を歩く。
「で、何の用だ。紫」
「何のことでしょう。こっちが聞きたいですわ」
「とぼけるな。大体、帰るのだったらお前はいつでも帰れるだろう。それなのにあんなにもたつくとは…。俺に始めからこうさせるつもりだったのだろう?まったく、幽々子も気がついて欲しいものだ…」
くすくすと笑い声が漏れる。紫が笑っているのだ。だが、不意に表情が乏しくなった。
「そう。ちょっとだけ話がしたかったのですわ。妖忌さん」
紫は立ち止まって妖忌を見た。妖忌も立ち止まる。紫は話さない。妖忌は訝しげに紫に聞いた。
「どうした。話があるのではなかったのか?」
それに対する僅かな間は、故意か、無意識か。紫にしかわからない。
「…ここでは少し話しにくいわ。場所を変えない?…そうね、西行妖の所でどうかしら。あそこならあまり寄り付かないでしょうから。色々と」
「ふむ」
妖忌は頷いた。どこかしら思う所があるが故の承諾であった。
門からは少し離れた場所に西行妖はあった。明るい月が照らす青白い夜は、華やかな他の桜との違いをことさら強調している。それで無くとも不気味なのだ。ここに寄り付く者は、幽々子、紫、そして妖忌くらいのものだ。
二人の足が止まる。一呼吸だけの時間。二人は何も言わず、西行妖を見上げた。立派な幹、枝ぶりをしている。しかし、桜にあるものがこの木にはない。
「やっぱり、咲く気配はないわね」
「……ああ」
互いに少々重い一言であった。
知りすぎているが故に。
西行妖のことも、幽々子のことも。
紫には友人、妖忌には守るべき人、その人に隠すべきことを共有していた。それは、全てこの西行妖が咲かないことに帰着する。
「これからも、この桜が咲くことが無いと思う?妖忌」
「ああ、間違いなくそれは無いだろう。この西行寺家には数え切れぬほどの桜がある。一つの効力は微々たる物だが、それでも数を集めれば、春度を散らしてしまうには十分だ。……それに……だ」
「……幽々子の結界があるもの……ね」
「そうだ。ここには、幽々子の亡骸がある…。それがある以上、西行妖は咲かない」
わかりきったことを確認した。このやり取りに意味は無い。二人は西行妖を咲かせないため、幽々子を守るためにここに残った。…紫に関しては少々違うかもしれないが。これは確認であった。そして、こうしてきちんと時間を取って確認することはこれが最後になるであろうと二人は知っていた。
「あなたはここを出て行くつもりなのでしょう?それも、近いうちに」
ああ、やはりそれが本題かと、妖忌はつぶやいた。そして、言う。
「その通りだ。…俺ももう歳を取った。幽々子を守りきることは、おそらく出来ないだろう。……そんな足手まといは、要らんのだ」
だが紫は首を振り、
―違うでしょ。
と言った。
「それは建て前。あなたの本当の心は、それではない。あなたは…怖れている。幽々子に、真相を知られてしまうことを。真実を気付かせてしまうことを」
妖忌は驚いていた。本当のことだったからである。
「幽々子だってね、あんな風に何も考えてないようでどこか鋭いから、あなたの変なところには気が付いているわ。昔から聡明な所があったのは、あなただって知っているはず」
「………。そうだな。俺は正直怖い。そして、幽々子に俺がおかしいということも、既にばれてしまっていると思う。……だからこそ、真相に気が付かれる前に、俺はここから出て行かなくてはならない」
妖忌はそう言うと、西行妖を強く見た。その眼光は、僅かに濡れていた。
「幽々子を見てやれないことは、正直……辛い。だが、あの娘が過去を思い出すことだけは絶対にあってはならない。もう…生前のあの姿だけは……俺は……俺は見たくない」
そこにあったのは、無力な男だった頃の彼であった。自分を呪い、責めた頃の。目の前で自害した少女を、止められなかった事。
「だからこそ、俺は気が付かれる前にここを出る。もう、限界だ」
「幽々子、きっと寂しがるわね。……でも、それがあなたの決めた道なら進みなさい。私が代わりに、幽々子の傍にいる。私も…そうしたいから」
「そうか…。有難い」
二人してしばらく西行妖を見ていた。どこかから桜が舞った。動くのは、花びらだけ。
静かに、紫が言った。
「幽々子、妖忌、私…。私たち三人を繋ぐのは、咲かない桜…西行妖。いつまでも……花をつけることなく、この姿であって欲しいものね」
「そうだな。想いだけは、許されて欲しい」
風が吹き始めた。
「そろそろ、本当に帰るわ。それじゃあね」
「ああ。済まないな」
紫が笑った。
「私が話したかっただけだから別にいいのよ。全く、律儀と言うか、堅いというか」
そう言い残し、紫は隙間の中に消えた。残された妖忌の白髪を、風が揺らす。
幽々子は少し夜風に当たっていた。不思議と酔いは醒めてきていた。春の夜風は温み、柔らかかった。その心地よさに浸っていた幽々子であったが、ふと、先の出来事を思い出す。
(そういえば妖夢、どうしてあんなに不機嫌だったのかしら)
時間はほとんど必要なく、原因は知れた。どうしてこんなに簡単なことに気が付かなかったのか、自分にあきれる幽々子であった。素直に言えばいいのにとも思ったが、それは妖夢には無理だということは自明だった。
風が吹く。
(あの二人、話し終わったかしらね)
まさにそう思った時だった。妖忌が近づいてきているのが見え、幽々子はそちらに向いた。
「お話は済んだ?妖忌」
「なんだ、気が付いていたのか」
妖忌は抜けた顔になった。どうやら、幽々子は気が付いていないと本気で思っていたらしい。幽々子が目を細める。
「逢引ぐらい、もっとわかりにくくするべきだと思うわ。それに、主にもきちんと報告するべきだと思うけど」
「な、なな。紫とはそのような関係ではない。大体、何を証拠にそのような……」
慌てる妖忌が可笑しいのか、くすくすと幽々子が笑う。
「冗談に決まってるでしょ。まったく。あなたがそういうこと隠せないのは、よーく知ってるわ」
「………はぁ。……で、どうするのだ幽々子。もう寝るのか?」
脱力した妖忌が幽々子にたずねた。その様子を楽しそうに見る幽々子は、人差し指を頬に当て、答えた。
「うーん。そうしたい所なんだけど……。妖忌、お酒飲みたくない?」
「なんだ。藪から棒に。俺は飲まんぞ」
「いいから、可、不可の話をしているのではないのよ。問題は飲みたいのか、飲みたくないのか。答えなさい」
妖忌は少し弱った顔をした。彼からすれば酒を飲めば仕事ができず、飲みたくないと言えば嘘になる。そう思って少し黙った。それが肯定を意味することに気が付くのが、刹那遅かった。
「飲みたいのね。……顔に出てるもの。私も飲みたいのよ。だから妖忌、一緒に飲みましょう?仕事じゃなくて、私と」
最後は強調されていた。有無を言わさない物言いは普段の幽々子なら、しない。
「??」
妖忌は一瞬読めぬ顔をしたが、すぐに笑った。幽々子の意図を理解したのである。肩をすくめて言う。
「ああ、俺も正直そろそろ禁酒も辛くなってきたところだ。幽々子と飲めるのなら、これほど嬉しいことは無いな」
幽々子は嬉しそうな顔をした。どこからか酒と杯を出すと、
「乾杯」
杯を妖忌に差し出して言った。妖忌も答える。
「乾杯」
二人の会話は、散る桜の中に溶けていく。
久方ぶりの酒は妖忌にとって、どのようなものであったろうか。おそらく、幽々子も同じ心境だろうなと、妖忌は思った。
妖夢はまだ眠りにつけていなかった。考えも煮詰まって、あまり思考も進まない。そうなれば、感覚だけが鋭敏になっていく。
そして、それが音を聞いた。
妖夢は布団から用心して起き出し、足音を立てぬよう、こっそりと音のした所へと歩いていった。そして、ゆっくりと近づいてゆく。真剣を許されていない妖夢の手には、しっかりと木刀が握られていた。
そうしてたどり着いたのは、外と繋がる廊下。そこに、二つの影を見つけた。縁側に座っているようだ。
(幽々子さま…それに……、お師匠さま?)
妖夢はそこにいて様子を伺った。二人は、幸せそうに酒を酌み交わしていた。それを知り、妖夢の胸に熱いものがこみ上げる。同時に、無意識に後ろに下がっていた。
妖夢は二人に気が付かれないよう、慎重に部屋に戻った。そして、布団にもぐった妖夢の胸には、暖かいものが残った。
妖夢は安心して、泣いていた。
声が聞こえる。
宴の声だ。妖夢は、その中に自分を呼ぶ声があることに気が付いた。
「妖夢~、こっちにいらっしゃいよ~。楽しいわよ~」
自分の主の声。宴の中に、かつて見守ってくれていた人の声は無い。だが、妖夢はそれで良いと思っていた。
彼は今もきっとどこかで自分達を想っていてくれている。そして何より、自分の大事な主人がいる。それでよかった。
「あんまり飲みすぎては身体に毒ですよ、幽々子様」
師匠と主の繋がりを守り、新たに紡いでいく。その役目を担うのは、私だ。
少しは無意味かも知れない。
それでも、それこそが意味で。
少しだけの無意味。
それこそが、人との繋がり。
だから私は歩いていく。
創られた道を。
自分達で創る道を。
繋いでゆく。
これからも、ずっと。
出演
プリズムリバー姉妹
長女 ルナサ
次女 メルラン
三女 リリカ
そして
西行寺幽々子
魂魄妖忌
八雲紫
魂魄妖夢
様方
おしまい。
幽々子と妖忌が酒を飲み交わす場面と、妖夢が庭の手入れをいい加減にやった時の話は特におもしろかったです。
ええ、きっとそうなのでしょう。
酒は良い。
ただ共に飲むだけで、話になる。
だから、それ以上話さなくて良いですからね。