<4> 『神社の朝 ~ the Hakurei Shrine』
◆第百二十季 文月之八(7月8日)早朝 博麗神社
博麗神社の朝は、それはそれは素晴らしかった。
今日は雲ひとつ無い良い天気であり、クマゼミの大合唱が行われていた。
シャーシャーとやかましい鳴き声が聴こえ、その鳴き声は幻想郷の住人の目覚し時計となる。
加えて、早朝から暑い。
慧音が暮らす人里は、夏期でも20℃前後だというのに、ここ周辺は30℃を余裕で超える。
同じ幻想郷でありながら、この差は何だと思う者もいた。
そんな暑い朝、霧雨魔理沙は照りつける太陽を浴びていた。
彼女は秋水の墜落現場に赴き、博麗神社に戻っていたが、自宅に帰る事無く、ここ博麗神社で一泊していた。
それはアリス・マーガトロイドも
魔理沙は日差しに照らされながら、軽快に歌い出した。
『私はぁー さーいこぉー 神が与えたぁー ルックス
優しくぅ~ セクスィー
理想の 淑女ぉー
モテる女で いるのはぁ~ つかーれるぅー うぃっ!
だけど人前にぃ~ 出ぇ~ると すぐ 笑顔がぁー
困っちゃうよなぁー 強くてぇー優しい私 でもやーめられーなぁーいぃー
この世で 一番 かーんぺきぃ~
ナーイス レディー♪』
魔理沙は、所々に恐らく自分で作ったと思われる振り付けを行いながら歌った。
「「何わけのわからない歌を歌ってるのよ、あんたは」」
魔理沙が決めポーズを構えた瞬間、博麗霊夢とアリス・マーガトロイドが呆れ顔で魔理沙に言った。
霊夢は郵便受けに入っている『文々。新聞』を手に持っていた。
「あん? これか? これはな、『霧雨魔理沙の歌 第1章』だ」
「何それ!? ってゆーか2章あるの!?」
アリスがオーバーリアクションで叫んだ。
「残念ながら、2章はまだ作詞作曲編曲中だぜ」
大きく背伸びをしながら魔理沙は言った。
早朝にこんな歌を歌っているのだから、多分毎日続けているはず。
つまり、この白黒魔法使いは、毎日自分が聴こえていない範囲でこの歌を歌っているのだろうか、と霊夢は思った。
しかし、魔理沙がモテる女なのは事実であった。
彼女の何処に魅力があるのかわからないが、確かにこの女は
元来の性格も作用していると思われるが、魔理沙は幻想郷の女性達を惹きつける、一種の
「あーあー、朝っぱらからなーにやってんだか」
そう言ったのは、霊夢の隣に突っ立っていた魅魔であった。
彼女は魔理沙の魔法の師匠的な存在であり、かつては強大な力を持つとされる博麗神社の陰陽玉を奪うため、
霧雨魔理沙を引き連れて、霊夢に戦いを挑んだ事があった。
だが、霊夢との戦い―――もとい、弾幕戦―――に敗れた彼女は、以後博麗神社の祟り神的存在となっていた。
つまりは、この神社に住み着いているわけである。
「げっ、魅魔様。聴いてたのですか?」
「私の聴力を甘く見るな、魔理沙。
んなバカな歌を作詞作曲編曲している暇があったら、マスタースパークをミニ八卦炉無しで撃ってみろ」
「う……」
「まあ別にいいがな」
この言葉を聴いて、魔理沙は心中ほっとしていた。
魅魔の魔法使いとしての実力は、魔理沙、アリス、パチュリーを軽く戦闘不能にさせる程の力を持っている。
魔理沙は以前から、魅魔ならあのスキマ妖怪を簡単に打ち倒すと思っていた。
もっとも、今眼前にいる博麗霊夢には敗れたが。
博麗神社で出される
明治時代の日本から隔離されたこの世界は、時代の流れと共に外からの文化が持ち込まれたが、基本は古き日本と同じである。
博麗神社は、普段は博麗霊夢しかいない。神主やその他神職の人間は、何処にいるのか不明である。
そのため、霊夢が自分で何かを作って出すわけである。魔理沙が宿泊する時も、基本は同じであった。
「ええと、今日の朝飯はなんでしょねぇ~」
そう言いながら台所に近寄ってきたのは霧雨魔理沙だった。
とにかく朝はしっかり食べないと行動できない彼女は、自分でもきちんと作る事は作るが、とりわけ霊夢の食事は気に入っていた。
他人が振舞ってくれる料理を食べるのは大変喜ばしい事であるが、魔理沙の場合は霊夢が一番であった。
「顔は洗ったの?」
「モチのロン。霊夢の顔を見るために、速攻で行ってきたぜ。アリスが変な顔してたけど」
それはあまりの速さに驚いただけだろうと霊夢は思った。
しかし、彼女には先程魔理沙が言った言葉が気にかかった。
「え? 今、あんた、私の顔を見るためって…」
「何だよ。そんな嬉しそうな顔してさ」
「えっ?」
それって恋?
一瞬だけ、霊夢の思考が停止するも、再び味噌汁を
「なあ霊夢。実はお前、私の事が好きなんだろ?」
「なっ…!」
「お前はすぐ顔に出るからな」
「そ、そんな事………!」
霊夢が顔を赤らめる。魔理沙は瞬時に霊夢の頬を両手で優しくあてがった。
魔理沙の瞳は、霊夢の瞳を直視していた。その表情は真剣である。
「霊夢…、私だけを見てくれ」
「…魔理沙」
2人は自然と目を瞑る。
「…霊夢」
動いたのは魔理沙の方であった。
少しずつ、霊夢の顔を自分の顔に近づけ始める。
互いの
魔理沙は霊夢の顔を、自分の方へと動かし―――――。
「おーおー、朝からオアツイねぇ」
「「!?」」
突然の第三者の発言。
魔理沙は霊夢の顔を一気に離した。目を見開き、互いを凝視。顔は真っ赤である。
霊夢と魔理沙は第三者の方向を向いた。
そこには、にやけ顔をした魅魔が立っていた。
「み、魅魔!?」
「魅魔様!? ……まさか、見てた?」
「ええとな、『ええと、今日の朝飯はなんでしょねぇ~』って魔理沙が言った時から」
「一番最初からじゃねぇか!!!」
思わず魔理沙は叫んだ。事実上の師に向かって、敬語すら忘れるほどの勢いである。
「安心しろ。あのブン屋と
ブン屋、すなわち射命丸文に聴かれれば間違いなく報道される。
そして、先程の話がアリスとレミリアの耳に入れば、恐らく「ごっこ」ではすまされない弾幕が展開されるであろう。
「だけどさ、朝から良い物見させて貰ったな。まさかお前達がここまでデキていたとは」
「「……………」」
「もしこれがブン屋にバレたらどーなるだろうな。
一面はきっとこうだ。『巫女と魔法使い、早朝の神社で堂々と熱い
そう言うと、魅魔はにやにやしながら居間へと足を運んだ。
この人間より人間的な性格をしている悪霊は、霊夢と魔理沙をからかうのが生きがいであり日課であった。
もちろん、魅魔はからかっているのを、霊夢と魔理沙はわかっていた。
だが、事実が事実なので、2人は依然として何も言えなかった。
「それで何だ? 昨日のアレはロケット戦闘機が墜落したんだってな」
博麗神社―――正確には霊夢が暮らす日本家屋の居間―――で、魅魔は目玉焼きに醤油をかけながら呟いた。
ここでも、伝統的な和食が食卓に並んでいた。ちなみに魔理沙は和食が大好きである。
魔理沙は外の世界からもたらされた茶漬けの
「そのようね。新聞にもそう書いてあるし」
霊夢が言った。
少なくとも、それが事実である事は一面に掲載されている写真が物語っているし、魔理沙ら目撃者がいる。
それに、射命丸文は真実しか書かない事を
そうしているのだが、以前は相当信頼性に欠ける新聞を刊行、配布していたのも、事実である。
だが、最近の『文々。新聞』は確かに『真実』を書いていた。これも、全ては四季映姫・ヤマザナドゥの説教のおかげである。
「一体何でこんな事が起こったんだか。あのスキマ妖怪の仕業かねぇ」
「私も一度はそう考えたわ。でも、境界は操れても、時間までは操れないと思うけど」
「そう考えればそうだな」
魅魔と霊夢は、八雲紫の事を言っていた。
容姿端麗の妖怪美女は、ありとあらゆる境界を操る事が出来る能力を持つ。
すなわち、冥界と
つまり、境界があるのならば、その境界を彼女の思うがままに操ってしまうのである。
それは凄まじい力であり、幻想郷そのものを崩壊させてしまう程の力であった。
霊夢の言った事は、紫が境界と境界を操り、その距離をほぼゼロにしても、時間までは操れないという事であった。
つまり、距離と距離の間の時間は等しく、その時間に過去と未来はなく、現在の時間でしか行き来できないということである。
「多分、物理的に不可能と思うわよ。咲夜さんも時間そのものを「停止」しているだけでしょ?」
卵焼きを食べていたアリスが言った。
「ああ、あいつは時を止めているだけであって、
魔理沙は紅魔館の
咲夜の能力は「時間を操る程度の能力」である。
自分自身以外の時間を停止し、有機物・無機物の活動を全て停止させる。それが咲夜の能力である。
咲夜は職業柄、この能力を利用して掃除を行っている。
時間停止時に掃除をすると、無機物の活動は停止しているので、ホコリが舞わなくて便利なのだそうだ。
余談であるが、自分自身以外の時間が停止しているので、これを逆利用してこっそり休憩を取っているらしい。
咲夜の操る「時」とは「時間」であり「時刻」ではない。
故に「時間」を停止させている時は「停止」であり、咲夜が能力を解除すれば「時間」が再び動き出すのである。
これが彼女の能力のしくみである。
「ま、魔法でも無理だし、境界を操っても時刻は操れないって事か?」
「大体そんな感じだな。それに、そんな事ができる奴なんてこの世にはいないさ」
魔理沙の問いに魅魔が答えた。
時刻を操る事は、歴史を遡る事に繋がる。そうすれば、簡単に歴史を捻じ曲げる事ができる。
そんな事ができる者は、幻想郷にはいない。いたらとんでもない能力者である。
「ともかく、忙しい事になりそうなのは確かだな。図書館の魔女は、機体の修理を始めているんだろ?」
「そうなの?」
霊夢が言った。彼女はパチュリー・ノーレッジがそんな事をし始めた事は知らなかった。
「…魅魔様、何でも知ってるんですね」
「私の情報収集能力を甘く見るな、魔理沙」
正直、魔理沙は驚かざるを得なかった。
普段は博麗神社にいる魅魔が、外出している姿は殆ど見ていないからだ。
そんな彼女がどうやって情報を得ているのか、その事に魔理沙は見当が付かないのである。
「修理した所で、どうなるんだろうな。宇宙に憧れているあの小娘の願いが叶えられるわけではないのに」
「どういう事ですか?」
アリスが尋ねた。
小娘というのが紅魔館の主、レミリア・スカーレットである事は誰でもわかった。
彼女がロケットによる月旅行を画策しているのは、『文々。新聞』によって、随分前に耳に入っていた。
「まず、あの機体が彼女に操縦できるという事だな」
確かにその通りであった。
幻想郷の交通手段といえば、徒歩か飛行か馬である。
馬は里の人間が良く使っており、妖怪等に対する
「飛行機ってのは、完璧に乗りこなすまで4、5年かかるシロモノだ。
いくらあの小娘が人間を遥かに凌駕する体力と知能を持っても、専門的な事は一から勉強しなきゃわからんよ。
それに、あの程度で月に行けりゃ苦労はしないよ」
魅魔はけらけら笑いながら牛乳を一気飲みした。
「あの程度?」
霊夢が言った。
「あんな機体で大気圏を離脱・突入できるか、って話だ。無理に決まってるだろ」
霊夢達は良くわからないが、とにかく魅魔が言っているのならば本当だろう。
魔理沙は小声で「ダメなのか」と呟いた。
「ま、外の世界の人間達は宇宙へ到達したけどな。あれから苦労を重ねてね。全く、大層な努力だよ」
その言葉を聴いて、魔理沙の姿勢が変わった。
彼女は宇宙に行く事をある意味での人生最終目標としている。
外の世界の人間に出来て、この霧雨魔理沙に出来ないはずが無いと魔理沙は思った。
「月に行くのか、それとも衛星を大量に打ち上げるか。まあ、そんな事はどうでもいいんだよ。
国家同士の競争が無い、この平和な世界にとってはね」
<5> 『訪問 ~ Visit of the Scarlet Devil's Mansion』
◆第百二十季 文月之八(7月8日) 昼 ヴワル魔法図書館地下
そこは、この季節にしてはあまりにも涼しすぎる場所であった。
太陽光線が一切入ってこない空間でもある
もうひとつは、感じ方である。すなわち、地下は暗い場所であるから、夏でも涼しく感じるわけであった。
ヴワル魔法図書館地下、そこには1機の航空機が保管されていた。
それは、紛れも無く秋水であった。昨日、突然人里に墜落してきたロケットエンジン搭載型局地戦闘機そのものであった。
まるで格納庫のように広大なスペースが設けられているこの場所は、誰がどんな理由で設計したのか不明である。
もちろん、この図書館を管理する
だから、パチュリーはありとあらゆる手段を用いて、この空間を秋水の修理工場とした。
彼女自身、ロケットなるものには興味はあったし、それに専門的な知識を持つ者は、幻想郷には自分しかいない。
上白沢慧音も知識人であるが、彼女の場合は歴史のみであって、こういう知識は一切持っていないはずとパチュリーは思っていた。
故に自分が修理を担当するわけである。しかし、いつ見ても、立派な機体である。
「これが日本人の夢の原型ってわけね…。…確かに戦闘機だけど、その側面は宇宙への憧れが現れているわね」
パチュリーはひとり呟く。
ありとあらゆる知識と文献で調べた結果、宇宙に行く方法はロケットであると到達した彼女は、なおさら秋水への思いがあった。
何故ならば、ここにロケットの原型があるからだ。ならば、秋水を参考にして、自分自身でもロケットが開発できるかもしれない。
もちろん、それは夢物語かもしれないとパチュリーは考えていた。
だが、やってみなければわからない。そう、まずは挑戦するのが第一だ。
こうしてみると、自分はなるほど面白い商売をしているなとパチュリーは思った。
自分はロケットを作り、あの白黒の魔法使いは自分自身の力のみで宇宙に行こうとしている(この話はアリスから聞いていた)。
流石にそこまでする体力と根性と精神が無いパチュリーは、あくまでロケットで宇宙に行くと考えていた。
行き方はやはり十人十色。様々な方法がある。
だが、自分ではわからない箇所があまりにも多すぎる。
だから、秋水のパイロットをこのヴワル魔法図書館に呼んだのだ。
自分であれこれ考えるより、実際乗った人間に直截尋ねる方が手っ取り早いからだ。
さて、そろそろ来る頃だろう。
パチュリーは
◆同日 昼 紅魔館周辺
幻想郷には、そこそこ大きな湖が存在する。
夏である現在、その湖で泳いだり、釣りをする人間が少なからずいた。
確かに夏は海水浴の季節であるし、湖にはそれなりに大物が釣れると風の噂があった。
その湖の
その館、名前を紅魔館という。日本でも少なからず建立している西洋建築の館である。
館には、「串刺し公」と呼ばれた、現在のルーマニアに14世紀に建国されたワラキア公国の名君、
ヴラド・ツェペシュの末裔を名乗る、紅魔館の主であるスカーレット姉妹と、彼女らに仕える侍従、門番が生活していた。
そんな所に、犬塚豊彦海軍
念のため、手紙(というより招待状)は持参している。御丁寧に、差出人であるパチュリー自身の
里から紅魔館まではある程度距離があるため、慧音は里の人間に頼んで馬を用意してくれた。
犬塚は騎兵ではないが、馬の扱いはすぐに慣れた。
出発して数十分、地図通りに馬を走らせると、目的地は見えてきた。
途中、妖怪に襲われるんじゃないかと思っていたが、妖怪は一匹も現れなかった。
◆数分後 紅魔館正門前
紅魔館は、見れば見るほど立派な建物だった。犬塚は、この辺で馬から下りて徒歩で進んだ。
こんな洋館、鹿鳴館しか見た事ないぞと犬塚は思った。
まあ確かに日本に洋館がある事自体、あの時代の人間にとっては珍しかった。
これも全て、井上馨の行った極端な欧化政策によって生み出されたものであるが。
その館には、高さ5mほどもある頑丈な扉があった。
手紙には、ここで用件を話せば通してくれると書いてあるが、物凄い重圧が犬塚にはかかっていた。
門には、中国風の服装をした紅い髪の女性が立っていた。
恐らくこの人が守衛なのだろう。そう思った犬塚は、その女性に用件を話した。
「犬塚豊彦であります。パチュリー・ノーレッジ殿と面会の約束があるために参りました」
犬塚は手紙を見せながら言った。言葉は自分で考えた物であるが、それで良かったのかと内心思った。
「お待ち下さい」
紅魔館門番、紅美鈴は、扉脇に設置されている電話を使って内部と連絡を取った。
確認はすぐに取れ、美鈴は電話を戻した。
「どうぞ、お通り下さい。図書館でパチュリー様がお待ちです」
同時、油圧の動作音と共に、巨大な扉が開かれた。
犬塚は美鈴に一礼すると、紅魔館へと入っていった。
手頃な木に馬を括り付け、おとなしくしていてくれ、すぐに帰るからなと言って内部へと歩いていく。
そして、その不安は内部に入った瞬間に一層深い物となった。
◆湖の辺 紅魔館
「…な、何なんだ、ここは」
そこは、一面真っ赤な通路であった。
窓は通路ごとに適度に設けられているが、壁の塗装が真っ赤なのである。
それだけではい、
なるほど、流石は「紅魔館」と呼ばれるお屋敷だと犬塚は思った。この屋敷の主人は、この色が好きなのかと思った。
いかんいかん。この色を見ていると、どうしても主義者を思い浮かべてしまう。
と、犬塚はここが涼しい事に気付いた。全館冷暖房完備なのだろう。外の暑さが吹き飛ぶくらいだった。
ああ、確か似たような物が祖国にはあったなぁ。そうだ、
大和は冷暖房完備で、ラムネを造る機械があったな。そのために「大和ホテル」という
別に至極どうでも良い事を犬塚は思い出していた。それくらい、ここは戦艦のような空間であった。
「お待ちしておりました、犬塚大尉殿」
犬塚が紅魔館内部を見ていると、不意に女性の声が聴こえた。
髪は銀髪で三つ編みの髪を両側に垂らしている。
これまた、どう表現すればいいのかよくわからない人物、少なくとも犬塚にはそう見えた。
何故ならば、顔立ちは確かに日本人であるが、このような髪型の女性は自分が生きていた時代にはいなかったからだ。
それに、この女性の格好も気になる。一体何なのだ。しかし、大尉を「だいい」と発言する所は敬服した。
「紅魔館侍従長、十六夜咲夜です」
咲夜はメイドではなく、侍従という表現を使った。
これは、パチュリーから「相手は横文字が通用しないから気を付けなさい」と命令されていたからであった。
「犬塚豊彦であります。本日はパチュリー・ノーレッジ殿と面会の約束が」
「はい、伺っております。ご案内いたします」
侍従長、つまりこの館の侍従を取り仕切る人物なのだろうと犬塚は思った。
一瞬、鈴木大将(鈴木貫太郎)を思い浮かべたが、そういう意味ではないらしい。
しかし、侍従長自ら案内とは、なかなか珍しい物ではないだろうか。
歩いていくうち、巨大な扉に差し掛かった。
咲夜は正門にあったのと同じように扉脇に設置されている電話を取り、内部と連絡を取った。
少しの会話が行われ、咲夜は受話器を元に戻した。
「どうぞ、お入りください。多分、驚かれると思います」
咲夜は犬塚に言った。一体、何に驚くというのだろうか。
門と同じように、自動で扉が開いた。次の瞬間、犬塚は声を失った。
そこは、一面びっしりと本棚で溢れていた。
本、本、本、本、本の山。ここまでくると犬塚は絶句した。
「……ここは」
「ヴワル魔法図書館。様々な書物が収められ、パチュリー様によって管理されています」
「ああ……」
ここがヴワル魔法図書館か。犬塚は左右を見ていても、凄い量だと思った。
別に感心するわけではないが、本当に凄い。
「…見事なものだ」
思わず、犬塚は口に出していた。
図書館に対しては芸術云々とはいかないが、これはまさしく芸術であった。
本棚を見るだけでそんな事を思い浮かべてしまうほど、このヴワル魔法図書館の蔵書量は半端ではない量を誇っていた。
まず、壁全体が本棚である。床にも
本棚に格納されている本も丁寧に収納されており、ジャンル別にきっちりとわけられている。
日本にも帝国図書館という立派な図書館はあったが、この蔵書量はそれを遥かに
「パチュリー様、犬塚大尉殿をお連れ致しました」
咲夜に案内されて歩いていると、会議で使用するようなテーブルが現れた。
そこにはソファが並べられており、場合によっては本当に会議に使えそうな場所だった。
「御苦労様、咲夜。下がって良いわよ」
ヴワル魔法図書館管理者、「動かない大図書館」ことパチュリー・ノーレッジは言った。
「はい、かしこまりました」
咲夜はそう言うと、一礼して図書館より退室した。
「すみません。汚い所で申し訳ありませんが、どうぞお座り下さい」
パチュリー・ノーレッジその人は、普段とは(特に霧雨魔理沙と接する時とは)別人のような態度で犬塚にソファをすすめた。
「こちらこそ、お会いできて光栄でございます」
犬塚は、どうやって接すればいいのだろうと思っていたが、まずは一礼してそう言い、ソファに腰掛けた。
女性を相手に話をする機会や経験や習慣を持たない彼にとって、それはとてつもない不安があった。
それも、犬塚から見たパチュリー・ノーレッジは、異国の美女であった。凛とした雰囲気を自然に醸し出している。
日本語をすらすらと話すが、犬塚はどうすりゃいいんだという感じだった。
「それと……リトル、リトル! いないの!?」
「はいパチュリー様。御用でしょうか?」
「リトル、こちらの大尉殿に紅茶を。それから何かをお出ししなさい」
「はい、只今」
リトルと呼ばれた頭と背中に黒色の羽を生やした女性は、そう言って早足で駆けていった。
その女性、本名不明、通称、小悪魔(パチュリーの場合はリトル)という下級悪魔である。
彼女は、普段はヴワル魔法図書館で司書的な仕事をしていた。
「それで、御用件は何でしょうか?」
犬塚は、小悪魔が運んできた紅茶を飲み、言った。
小悪魔はすぐに
テーブルには犬塚が今まで食べた事の無いドーナツが並べられていた。
食べてみるとこれが甘くて美味い。ついついガツガツ食べてしまいそうな美味さである。
「今日貴方をお呼びしたのは他でもありません。秋水の事についていろいろ訊きたい事がありまして」
パチュリーはいきなり本題に入った。犬塚は面食らったような表情をした。
犬塚は、女性と話す場合、ある程度の前置きが必要な事は知っていた。
だが、女性から話す時はそれが必要ない事はわからなかった。
もっとも、会話の様式は時代の流れと共に変化している。この場合、犬塚はパチュリーのペースに合わさなければならなかった。
「それで自分をここに」
「ええ、大尉殿であれば、詳しい事がお聞かせ願えると思ったのです」
「わかりました。お答えできる範囲ならば喜んで」
と言って、犬塚は紅茶を一口飲んだ。
どうも女性との会話は本当に緊張するが、一応会話が成り立っているのでほっとしていた。
「大尉殿は、ロケットについてどうお思いですか?」
「ロケット……ですか?」
いきなり何を言い出すか、と犬塚は思った。
どうやらこの紫色の髪の美女は、ロケットについて訊きたいらしい。
「ああ、ごめんなさい。大尉殿の言葉では、特呂と言うのでしょうか?」
「特呂……特呂二号ですか?」
「それです。ロケットエンジンの事です」
特呂というのは特殊ロケットの略で、秋水に搭載されている、日本初のロケットエンジンの事である。
「こちらこそすみません。どうも横文字は苦手なもので」
横文字は敵性語である時代の人間であるので、別に犬塚が謝る必要は無かった。
しかし、明治維新後に形成された日本型男女意識を持つ彼は、自然とそうしてしまった。
「いえいえ。こちらこそ、いきなり申し訳ありません。
実は、月へ行くための乗り物が、あの機体とほぼ同じエンジンを搭載しているのです。
それで、どうすれば月へ行けるかをお尋ねしたくて」
パチュリーは犬塚に言った。
「月……ですか?」
犬塚は、それこそ意味深な事を訊くものだなぁと思った。
「外の世界の人間は、
宇宙だけではありません。人類は月へ足を踏み入れたのです」
月。古来日本では自然を代表する物のひとつとされ、「雪月花」「花鳥風月」などと賞美する対象でしかなかった。
その月に、人間自身が到達した。犬塚には、にわかに信じられない話だった。
しかし、月に人類が行ったのは、彼にとっては憧れる話でもあった。
犬塚は自ら志願して航空機操縦士となった。それは、大空への憧れと、祖国のために戦う航空機操縦士への憧れの両面からだった。
「大尉殿には信じられがたい話ですが、事実です。実際に写真があります。リトル」
「はい、パチュリー様」
パチュリーの言葉に小悪魔が即座に対応し、用意していた本を犬塚の前に広げた。
そこには、月面より撮影された地球が写った写真があった。
「これは………」
「地球です。全人類が暮らす場所ですね」
「美しい。何て蒼いんだ……」
犬塚は呟いた。蒼い部分は海である事は理解できる。
海は地球表面積の約7割を占め、その面積は3億6千万平方kmに至る。
「本当に宇宙に行ったんですね…」
「ええ、本当です。ロケットエンジンの推力によって、人類はここまで到達できたのです」
犬塚は、パチュリー自身も宇宙への夢があると思った。
しかし、彼は秋水の特呂二号で宇宙へ行けるかどうか、そこは微妙なラインだと思っていた。
自分が記憶している限りでは、確かエンジンが停止した直後に意識が無くなって、気付いたらここにやってきた、であった。
もしあの時、仮にエンジンが止まらず、順調に飛行していても、果たしてあの大空の果てまで行けるかどうかわからなかった。
「ですが、秋水はどうかわかりませんよ。確かにあのスピードなら行けるかもしれませんが、燃料が持つかどうか…」
「なるほど…。それらを改良すればいけるかもしれませんね」
改良? また変な事になったぞ。
どうやらこの女性は本気らしい。あの小さな機体で本当に宇宙に行こうとしているのか?
「いや、改良してもいいかもしれませんが、あの機体は流石に宇宙には……」
犬飼はパチュリーが用意した本のページをペラペラめくりながら言った。
そこには自分には多少は理解できる内容となっており、即座に犬塚は宇宙往還機について知る事ができた。
根本的に秋水と宇宙往還機の構造が違う事はこの女性も理解していると思うが、それでやれるかどうかの問題であった。
「わかりました。こちらもいろいろと考えてみます。
今日はいろいろとありがとうございます。おかげでいろいろな事が勉強になりました」
「いや、こちらこそ。お役に立てて光栄です」
そう言うと、犬塚は紅茶を一口飲んだ。その時だった。
突然図書館後方より何かが吹き飛ぶ轟音が聞こえたのである。
「な、何の音です?」
「……まずい事になりましたわ」
見てみれば、パチュリーは頭を抱えていた。
「はい?」
犬塚がパチュリーに言った直後、パチュリーの不安は的中した。
「あーっ、おじさんめーっけた」
「お、おじさん?」
自分はおじさんだったのかと犬塚は思った。
と、彼は自分を「おじさん」と呼んだのが、自分の隣に立っている女の子とわかった。
そこには帽子を被り、異国の衣装を身にまとい、そして、なにやら翼のようなものを持った少女であった。
「フラン、どうして入ってきたの? 私はこの人と話を―――――」
「だってつまんないだもん。今日はまりさも来ないし、退屈なの」
「だからといって―――――」
「まあいいじゃないですか、パチュリー殿」
「大尉殿!」
犬塚は自分に抱きついてくる少女に苦笑しながら言った。
彼は、女子供には妙に優しい部分があった。
「それに、こんな可愛い女の子は無邪気が一番だ」
「あー、おじさんもそう思う?」
「そう思うよ」
パチュリーは頭を抱えていた。
この少女が、本当は495歳である事は、果たしてきちんと言っておくべきかと思っていたのである。
しかし、精神年齢はどう見ても小学校低学年である。ああ、胃が痛くなりそうだ。
「それでパチュリー殿。この
「…ご紹介します。フランドール・スカーレット。この館の主の妹様でございます」
「そーゆーこと」
犬塚は、パチュリーが妙に元気が無い事に不審に思った。
何故だろう。さっきまでとは覇気が全く感じられない。
少なくとも、その不審は犬塚でなくても気付くであろう。問題が別の所にあるとは、犬塚はわからないだろうが。
「じゃあおじさん、一緒にあそぼ♪」
「それは構わないけど、何して遊ぶんだい?」
「フラン、ちょっと…」
パチュリーは立ち上がり、フランドールに耳打ちをした。
フランはうんうんと頷いた。
「うん、わかってるよ。約束する」
「本当に約束してよね」
「もちろんっ! じゃあ、おじさん、あそぼ!」
そう言うと、フランドールは犬塚の手を引っ張って走り出した。
犬塚はフランドールに引っ張られるがまま、図書館を後にした。
「相変わらず、フランドール様はお元気ですね」
小悪魔が言った。
「元気すぎてこちらの胃が痛くなるわよ」
パチュリーはそう言うと、はぁとため息を付いた。
「でも、私はフランドール様はあのようなお姿でいらっしゃるのが一番だと思いますよ」
「……まあ、私もその方が良いと思うけど」
それは、フランドール・スカーレットの事情を知っている2人だからこそ言える発言であった。
あまりの力を持つが故に、フランドールはある意味でこの紅魔館に幽閉されている存在と言ってよい。
だからこそ、ここでは思いっきり遊ばせてやる方が良いと考えていた。
しかし、腐っても495年を生きている吸血鬼。何故性格があのままでいるのか、それはパチュリーにも小悪魔にもわからなかった。
だが、フランドールはフランドールでずっといて欲しい、それが2人の願いでもあった。
「そういえば、さっきパチュリー様は何をフランドール様に吹き込まれたのですか?」
「ああ、あれ? あれはね、『弾幕はダメよ』って言ったのよ」
<6> 『森林散歩 ~ Walk Along the Forest』
◆第百二十季 文月之八(7月8日)昼 紅魔館
「子供は風の子」という格言は、外の世界では既に死語と化している。
だが、幻想郷に暮らす子供達は、遊ぶ手段が殆ど野外しかない。従って、大抵は外で思いっきり遊ぶのが主流だった。
フランドール・スカーレットも、主流派の方であった。
何せ紅魔館から滅多に出してもらえない身分なので、紅魔館敷地の庭で遊ぶのが好きだった。
「それでフランドールさんの遊び相手をしなければならなくなりまして。ええ、昼食も用意してくれるといいますので」
『そうか、フランは活発だからなぁ。心中を察するよ』
犬塚は、紅魔館の電話所から慧音の自宅に電話をかけていた。
フランドールの遊び相手をしなければならなくなり、一緒にご飯を食べようと言われたので、流石に断れなかったのであった。
そのため、帰りが遅くなる事を事前に連絡する必要があり、今こうやって慧音宅に電話をかけているのである。
『どうだ、豊彦殿。もうこの世界には慣れたか?』
「そうですね。幻想郷も捨てたものじゃないですね。解放感に浸ってしまいますよ。
本当に、今まで自分が戦争に行っていたとは忘れてしまいます」
犬塚は、極力その事については考えないようにしていた。
慧音が散々言った「現実は、ありとあらゆる妄想や空想を打ち砕く」の言葉を信じており、それは事実であると確信していたからだ。
自分は幻想郷という世界にいるのであって、もう戦争をしているのではない。
だから、戦争について全く考えないでおこうと思っていた。
それでも多少は考えてしまうのは、やはりやむを得ないかもしれないが。
『そうだな。しかしここは幻想郷であって、豊彦殿がいた世界ではない』
「そうですね。僕もその事を考えていましたよ」
『まあ、何だ。フランの行動力は凄いからな。お主にとっては骨の折れる仕事かもしれんが』
そう言うと、慧音は笑った。
「大丈夫ですよ。軍人を舐めたらいけませんよ」
『それもそうだな。じゃあ、御武運を祈ってるぞ』
「はい、慧音殿も。それでは」
『ああ、気を付けてな』
犬塚は慧音の言葉を確認すると、受話器を置いて電話を切った。
「おじさん、誰とお話してたの?」
横で静かに良い子で待っていたフランドールが尋ねた。
「ああ、上白沢慧音殿だ。僕がお世話になっている人だよ」
「けーねおねーちゃん?」
「知っているのかい?」
「うん。私が知らない事をいーっぱい知ってるの。わからない事があれば、何でも教えてくれるの」
犬塚はへぇーと言った。
確かに、自分をこうやって住ませ、飯も食わしてやっているのだから、面倒見が良い性格なのだろう。
フランドールからこうやって好かれて(慕われて)いるのも納得がいった。
「それで、何をして遊ぶ?」
犬塚は言った。遊ぼうと誘ったのはフランドールであるため、何をするか尋ねた。
「うーんとね、それじゃーあ、外で遊ぼう。早く早く♪」
フランドールは犬塚の服の袖をぐいと掴んで
女子供には本当に甘い犬塚は、フランドールにされるがままであった。
◆数分後 魔法の森
フランドールに連れられて犬塚が足を運んだのは、魔法の森であった。
それを見た途端、犬塚は未開の土地が多いんだなと思っていた。
事実、幻想郷は人口が極端に少ない事、そして文明的に開発が進んでいない事が理由で、豊かな自然が数多く生きている。
犬塚はこの自然を見て、自分の幼少時代を思い出した。
「おじさん、これは何ていうの?」
「どれどれ…」
フランドールは花を指差していた。
「ああ、
で、あれが
そして、これが
犬塚はあれこれとフランドールに説明を行った。
「おじさん、詳しいんだね」
「まあね。小さい頃から散々外で遊んでいれば自然と覚えるものさ。
家に帰ったら、図書館で図鑑を探してみよう」
「うんっ」
フランドールがそう言った時、前方から数名の少年が現れた。
「おじさん、こんにちは!」
やはり自分はおじさんだったか。
犬塚は認めざるを得なくなり、少し悲しくなってきた。
犬塚自身は知らなかったが、彼らは里に暮らす少年達だった。
「「こんにちは」」
何の因果か、犬塚とフランドールの声が重なった。
「あれ、おじさん……里では見ない人だけど」
少年のひとりが言った。
「ああ、昨日里に墜落した飛行機に乗っていた人間、…って言えばわかるかな?」
「えっ、おじさんが!?」
「だから君達とは初めて会ったんだね。で、虫取り網と虫かご提げてどちらへ?」
「森に虫取りに来たんだ」
虫取り網を持った少年が言った。
彼は腕っ節の強そうな少年だった。
「おお、そうか。ここにはどんなヤツがいるんだ? カブトかシオカラか?
カブトを取るんだったら、リンゴとバナナに蜂蜜をかけて1日ほっといていたら、うじゃうじゃ群がっているぞ」
カブトはカブトムシ、シオカラはシオカラトンボの事である。
「本当!?」
どうやら少年達はカブトムシを狙っているらしかった。
「嘘じゃないぞ。彼らはクヌギの木の樹液を吸う。つまり甘い物が大好きなんだ。
だからそういうのを置いておくと自然と集まってくるんだ。おじさん、飼った事があるからよーく知ってるぞ」
ついに自分で「おじさん」と言い出したのは犬塚は気付いたが、この際どうなってもいいやと思っていた。
「あ、そうそう、間違ってもスイカをやるんじゃないぞ。スイカやるとカブトムシが腹を壊してすぐに死んでしまうからな」
「そうなの?」
フランドールが言った。
「スイカは水分が多すぎるんだ。一度それやって殺してしまった事がある。
カブトムシだって僕達と同じ生き物だ。それに、身体が人間と違ってあまりにも違いすぎる。
ちょっとした刺激で命を落としてしまうのさ。それに比べて蜂蜜は栄養価が高いからな、結構生きるぞ」
「わかった。おじさん、ありがとう!」
そう言うと、少年はしばらく話し込んだ後、2人が里の方向へ走っていった。
犬塚が言った事を試すため、果物を取りに帰ったのだろう。
「置く場所はできるだけ目立つ所にするんだぞ。そうでもしなきゃ、どこに置いたかわからないからな。
それとスズメバチとアシナガバチには気をつけろよ。刺されたら下手すりゃ死んじゃうぞ」
犬塚は笑いながら少年に伝え、別れた。
スズメバチとアシナガバチは性質獰猛なため、見かけたらその場から瞬時に逃げるのが一番である。
クマバチも毒を持つが、性質温和なために、こちらから何もしなければ襲ってくることはない。
「おじさん、すごーい。何でも知ってるんだ」
フランドールが犬塚を見上げながら言った。
「別に何でも知ってるわけじゃないさ。僕だって、初めは何も知らなかった。
でも、こうやって遊んでいるうちに覚えて知るようになる。
あの少年達もこうやって実際森に行って、例えば虫を捕まえるのならば何処に行けばいいかって学ぶだろ?
こうやって、人間は知恵を得ていく。そして、未来の子孫にその知恵を伝えていくのさ」
大空を見上げながら犬塚は言った。
さて、この辺の森は子供達の遊び場だから、特にトンボの速さはかなりのものだろう。
トンボだって馬鹿ではない。捕まえられないように素早く逃げる頭脳は持っている。
小さい頃、父親と一緒に誰も来なさそうな所に虫取りに行ったら、アキアカネが素手で捕まえられたっけ。
流石にオニヤンマを捕らえるのは苦労したけど。あの速さはとてつもなかった。待ち伏せしないと、とてもじゃないが捕まえられない。
「おじさん、歌歌ってもいい?」
「いいよ」
歌を歌いながら楽しく行進。
自分の時代は、少年達といえば遊びに行く時は必ずといっても軍歌を高吟していたっけ。
さてさて、この幻想郷に住む女の子は、どんな歌を歌うのやら。
「エンヤーッ!
笹に黄金が、エー、またなりさがる♪
それで身上つぶした。もっともだー、もっともだー♪」
それを聴いた途端、犬塚は思わずこけそうになった。
「…その歌、誰から聴いたんだい?」
「んーとね、けーねおねーちゃんから。里の方で
しかし、会津磐梯山とはこれまたどういう選曲だろうか。
日本語を話し、日本古来の民謡が、少なくとも日本人には見えないこの少女によって歌われている。
ちなみに、会津磐梯山というのは文字通り会津(現在の福島県西部)地方の民謡で、軽快な盆踊り唄である。
元々は越後(今の新潟県)の
「まあ、自然と触れ合うのはいいことさ。わからない事を知る事ができるしね」
犬塚は言った。
できれば、この森はずっとこのままでさせてやりたいと思っていた。
ああ、ここは平和が一番で、争いなんて絶対起こしてはならないと考えた。
それと同時、どうして祖国はあのような大戦争に足を踏み入れてしまっていたんだろうと思った。
そう考えると、やりきれない思いでいっぱいだった。
自分は確かに幻想郷なる世界にやってきてしまった。来てしまったのだから、ここにいる事を現実として受け止めざるを得ない。
だが、果たして自分の居場所はここで良いのだろうか。
見ず知らずのこの自分を、暖かく迎えてくれた人々に対して、どう言えばいいのかわからなかった。
「おじさん、どうしたの?」
「え? ああ、いや…何でもない。…何でもないんだ」
やはり自分は顔に出る性格だったかと犬塚は思った。
馬鹿馬鹿しい。こんな小さい女の子を不安にさせてどうする。
今は目の前の現実の事を考えるんだ。それが一番なんだ。
犬塚は自分に言い聞かせるも、それだけはどうしてもできなかった。
考えていると、日差しがきつい事に気が付いた。
そうか、今は夏か。…夏が過ぎれば秋となる。
そうなれば、この森にも
春夏秋冬の季節を楽しみ、風流を味わう事のできるこの自然。
ああ、別にどうなったっていい。日本が生んだ、真善美を楽しむ事ができるのならば。
はっきりと「共産主義者」と書きましょう。登場人物が軍人なのですから、変に遠慮してもむしろ変です。「主義者」では、北朝鮮を「共和国」と呼ぶよりも分けがわからない。
それと犬塚豊彦大尉は海軍兵学校の出身ですから、英語教育を受けている筈だと思いますが。入学試験にも英語はありました。そして海軍は英語を除外しませんでした。
戦前は「共産主義者」と同様に普通に使用されてました。