人の立ち入らない竹林。鬱蒼と生い茂る薄暗い竹薮の一角に、不自然に開けた場所があった。
その風景を一言で言い表すと、焼け野原。
人の背より何倍も高い竹も、足元を覆う枯れ草も、全てが焼き払われたように。
焼け焦げた匂いの残るその場所の、これまた不自然に鎮座する大岩の傍で、何事も無かったように眠る少女がいた。
少女の衣服にも所々焼けたような穴が空いている。しかしそこから覗く肌は、全くの無傷であった。
そんな彼女に向かって、ゆっくりと近づいて来る影があった。
黒髪を撫で流し、豪奢と言うに相応しい着物を身に纏いながら、しかしそれらが醸し出す雰囲気とは対極の、無邪気な笑顔を覗かせる女。
白み始めた空の下、その更に薄暗い岩陰で眠る少女の横に寄り添い、その寝顔を観察する。
「……。」
「……(ちょんちょん)」
と思いきや、いきなりちょっかいを出し始める。
「……すぅ。」
「……(つんつん)」
頬を指でつつくと、少女はわずかに眉を歪め、
「…う…ぅん……。」
寝返りを一つ。それに気を良くした女は、無防備な脇に手を差し入れ、
「……(こちょこちょ)」
「ぅんっ!?」
がばっっ!!
「あ、起きちゃった。」
「起きちゃった、じゃない! 何やってんのよあんたは!」
勢いよく起き上がった少女は、そのまま着物の女に突っかかる。
「って、いつの間にか着替えてるし!」
「ぼろぼろね。」
「あんたがやったんでしょうが! 何ならもっかい焼いとくか!?」
少女が叫ぶと同時、その背後に陽炎の揺らめきが生まれた。が、
「もう朝になるし。帰って寝るわ。」
女はひらひらと手を振り、敵意を受け流す。
「だったら何で戻って来る!?」
「そう言っておかないと、明日あたりにうちまで押し掛けて来そうだし。」
それとね、と笑顔のまま、
「たまには、舌戦でもどうかと思って。それなら妹紅にも勝ち目あると思うのよ。」
「……あのさ、輝夜。それ、いつもやってると思うんだけど。」
怒りを通り越して呆れた表情を浮かべる少女――藤原 妹紅。
「アレは挨拶みたいなもの。私が言ってるのはれっきとした語り合いの事よ。」
笑顔を崩さぬまま、着物の女――蓬莱山 輝夜はそう述べた。
◆
「いい加減飽きてこない? 勝ち負けの無い喧嘩をする事に。」
一旦岩の上に腰掛け直して仕切り直した後、先に口を開いたのは輝夜。
「……元はといえばあんたが原因じゃないか。そんなに嫌なら、永琳の奴に解毒薬でも作らせたらいいだろうに。」
「それは前にも提案したんだけど……。」
珍しく口篭もる輝夜に、妹紅は訝しげな視線を向け、
「したんだけど、何?」
「『そんな事したら、姫が暇になってこっちが迷惑です』とか言われて。」
「……どこからツッコめばいい?」
「だから、『てゐに飲ませたら暇じゃなくなるかも』って返したの。今でも充分だけど。」
「……で?」
人の話を聞いてない上に既に話が脱線気味なので、もはや投げやりに続きを促す。
「『そんな事したら、永遠亭が確実に乗っ取られますけど、それでもいいですか?』って。」
「……感情を篭めないで言わせてもらうと、あんたらは何のために生きてる?」
低い声で尋ねると、輝夜はやはり笑みで即答。
「不死身だから生きてても死んでても同じね。」
「そこだけマジ返しすんなっ!!」
会話が成立してるのかしてないのか、半ば怪しい状況で話は続けられる。
「そういえば、この前の花の馬鹿騒ぎ。妹紅は随分大人しかったのね。」
「いや、別に私は騒がし屋じゃないし……慧音が『厄介に巻き込まれるな』って言うから出て行かなかっただけ。」
「イナバ達は説教されたみたいね。特に、鈴仙はへこんでたわ。」
閻魔様だって、と面白そうに言う輝夜。
「……私らには全く縁の無い存在ね。」
「ええ、全く。」
揃って、笑う。こいつとこんな風に笑うなんて、昔の自分からは想像もつかなかった。
一頻り笑い合った後、輝夜が、
「それで、話を戻すけど。」
今度は真面目な表情で、妹紅を見つめる。
「そろそろ、飽きてこない? 終わりの無い生に。」
「…………。」
それは、私に問うているのだろうか。それとも、自分自身への疑問か。
……まあ、どちらにしても答えは変わらないのだが。
「飽きないね。全然。」
「本当に? 望んで今の自分を選んだ訳じゃないのに?」
「……まあ、あんたのせいだけど。」
苦笑し、しかしすぐに真剣な顔に戻す。
「どっかの暇を持て余したお姫さんが、飽きずに押し掛けてくるんだから、こっちだって飽きる筈が無いじゃないか。」
「…………。」
きょとん、と。珍しく目を丸くして、輝夜がこちらを見ている。
……というか、珍獣でも見てるみたいな顔だな、これは。
「何だ、その顔。」
「……あ、ごめんなさい。妹紅が私を『お姫さん』なんて呼んだの、初めてだから。」
「――そうだっけ?」
掘り返すには余りに深い記憶を辿ってみる。…………言われてみれば、そうかも。
妹紅が1000年という長さの糸を手繰る間、輝夜は困ったような笑みを浮かべていた。
◆
妹紅が記憶を思い返すしばらくの間の後、輝夜が口を開いた。
「……私が月の姫だって言う話は、したわよね?」
「聞いたわね。最初はあんたからじゃなくて、永琳からだったと思う。」
「そうね、あなたを殺して13回目に永琳がちょっと話をしたって言ってたわ。」
「まあ、改めて聞かなくても普通の人間じゃないのは解ってたけど。月に帰ったって話も知ってたし。」
……そもそも、そうでなければ私は今ここに居ない訳だし。
「……お姫様でいるのって、退屈なのよ。」
ポツポツと。それまでとは違う沈んだ声色で、輝夜は語り始める。
「自分の言う事はよっぽどでなければ何だって聞いてくれるし、どんな事をしたって罪を償う必要は無い。けれど自分の道を歩こうとすると、徹底的に邪魔をする。我が侭がまかり通るっていうのに、そのくせ自由が無い。これって辛いと思わない?」
「…………。」
自嘲気味に話す輝夜に、妹紅は無言。ただ、腕を組む事で間を置き、先を促す。
「どうやったら退屈から逃れられるだろう、って考えた結果が、蓬莱の薬。それだけが私に当てはまる、唯一の禁忌だったから。
そうしたら思い通り、狭苦しいあの城からは開放されたわ。罪を償うために地上に降ろされ、私を拾った年老いた夫婦の家で、慎ましやかな暮らしを得る事が出来た。」
その頃を思い出したのか、遠い目で空を見つめる輝夜。表情にも笑みが戻っている。
しかし、その先は私も知っている通り、
「だけど、罰を与えた筈の月の民はいらぬ気遣いをした。老夫婦に金を与え、地上でも私をお姫様扱いさせた。まあ、そうでなくても私は美しいから、男達は放って置かなったと思うけど。」
「自分で美しい言うな。」
そこだけはツッコんでおく。えーえー、どうせ私は望まれず生まれた貧相な顔ですよ。
「妹紅も別に悪い顔じゃないわよ。」
「そんなフォローはいらん。」
さておき。
「だから、試してみたのよ。一介の竹取の娘風情が我が侭を言ったら、どういう事になるのかをね。」
「その結果がアレか。冷静に考えたら、無理だって事くらい気付くもんだと思うけど。」
「そう、無理難題。蓬莱の玉以外は、幻想郷にも存在しないような物だというのにね。」
まあ、アレは単に男達が馬鹿なだけだったと思うけどね、と付け加えた。
昔の私なら父を馬鹿にされた時点で焼き鳥にしていた所だが、今は割と落ち着いて聞いている。ま、1000年も経ってまだ感情的になる方がおかしいか。
「男達が従順に言う事を聞いた時、私は思ったの。『ああ、やっぱりお姫様として生きるしかないのかな』、って。」
「なら、帝に嫁いじゃえば良かったのに。名実共にお姫様になれたわよ?」
「蓬莱の身のままでは無理じゃない。」
「……あ、そうか。」
何という皮肉か。諦めを得るきっかけとなった罪が、そこで足枷になるとは。
「まさか無神経の塊の輝夜が、不死身である事に悩んでたとはね。」
皮肉を込めて、しかしわずかな憐憫も含んだ言葉を掛ける。が、輝夜は平然と、
「悩んでた訳じゃないけど、その時ばかりは『しまった』と思ったわ。」
「……それで済むのか。」
……訂正。やっぱこいつ無神経。
「だから月の民の使いが来た時、本当に帰るつもりだったの。だって、自分はもう『姫』という立場から逃れられないのだから。
けれど、迎えの者の中に永琳がいるのを知った時。そして、捨てられた筈の蓬莱の薬をまだ持っていると聞いた時。私は、初めて自分の力で運命に抗おうと思った。」
「それで、迎えに来た連中を皆殺しにして、薬だけ残してトンズラしたって訳か。」
罪人という道を選んででも、姫として生きる事を拒んだ輝夜。望まれず生まれた私とは対極だけど、だからこそ彼女の気持ちは解らなくもない。
「でも、永琳が居なければ結局は連れ戻されていただろうし、逃げ果せたのも永琳が私を『姫』として見ているから。詰まる所、私を『私』として見てくれる存在なんてどこにも居ないのだと、諦めていた。」
目を伏せ、言葉を詰まらせる輝夜。その様子を見て、妹紅は愕然とした。
姫として見て欲しくなかった。
ただ一人の人間として扱って欲しかった。
じゃあ、私は先程何と言った?
私は彼女を何と呼んだ――?
「でもね。」
輝夜が不意に顔を上げた。そこにはいつもの無邪気な笑み。
「もう何百年も昔だけど、私の事を憎んでいる人が現れたの。その人は私の顔を見るなりこう言ったわ。
『あんたのせいで父は死んだ。あんたのせいでこんな身体になった。月に帰ったとかいう話だったけど、何だ、こんな所に居たんだ。ちょうど良かった。私はさ――』」
そして、本当に嬉しそうな笑顔で、言った。
「『――あんたをぶっ殺したかったんだ、輝夜。』って。凄く嬉しそうな、壊れた笑顔でね。」
「…………。」
私は何も言えない。言える筈も無い。彼女の本心を知った今となっては、どんな言い訳が出来ようか。
輝夜は熱に浮かされたような笑顔のまま、語り続ける。
「嬉しかった。月の民としてでなく、『かぐや姫』としてでもなく、ただ、輝夜と言う人間を見てくれたその人の存在が有り難かった。例え憎悪であったとしても、私という存在に感情を動かしてくれた事が……たまらなく、嬉しかったのよ。」
「……輝夜……。」
1000年以上生きてきて、これほど自分の愚かさを呪った事は無い。
無神経なのはどっちだ。事情を知らなかったとはいえ、軽々しく言ってはいけない事を口走ったのは私の方じゃないか。いくら憎い仇だからといって、――相手の琴線に触れて良い訳が無いではないか。
「……ごめん。私、酷い事言った。」
輝夜に頭を下げるのは癪だとか、そんな事はもうどうでも良かった。ただ……彼女が持つ心の傷に無断で触れた事を、謝りたかった。
「謝って許してもらえるとは思えないけど……でも、本当にごめんなさい、輝夜。」
岩から降りて、輝夜の正面に向き直り、土下座する。
頭を下げる前、彼女の寂しげな笑顔をはっきり見る事が出来た。
夜明けは、すぐそこまで迫っていた。
◆
数瞬の静寂の後。
「……くすっ。」
押し殺したような笑い声に、妹紅が思わず顔を上げる。すると、
「くすくす……あなたの負けね、妹紅。」
「はい?」
そこにはもういつもの無邪気な笑顔の輝夜。突然の事に、訳が分からないという表情を浮かべる妹紅。
すると、してやったりといった調子で、
「舌戦って言ったでしょう? 口で『参った』と言わせた方の勝ちに決まってるじゃない。」
「な……。」
待て。という事は、つまり。
「さっきまでの話は、全部嘘かあっ!?」
「あら、まさか真に受けてたの? 相変わらず単純ねぇ、妹紅。」
「こ、こ、この人でなしがああぁぁっっ!!!」
瞬時に燃え上がる怒り。勿論、既に鳳凰も背負っている。
「あんたの話をまともに聞いたこっちが馬鹿だったわ! 今日こそ殺す! 全殺す!!」
「だから、死なないって。というか、日が変わるまで弾幕(や)ってたんだから、今さら今日って言われてもね。」
「黙れ引き篭もり!!」
「それこそ人の事言えないわよ? ふふふ……。」
そうしてお互いにスペルカードを取り出しながら、しかし妹紅は頭の隅で思う。
……あのきょとんとした顔は、嘘じゃないわよね。
『お姫さん』と言った時の、驚きと戸惑いが混じったあの表情が、作り物であったとは考えにくい。いくら単純な私でも、それ位は解る。
だけど。姫である事を望まないと言った輝夜だけれど。やはり育ちの良い彼女が卑しい身分の私に弱気を見せるなんて、プライドが許さないんだろう。たとえ私が気にしないとしても。
……でもまあ、私だって暗い輝夜なんて見たくないしね。
だからこれでいい。仇友とでも言えばいいのか、そんな関係でいる事でお互いが満ち足りているのだから、問題なんて無いのだ。――それに。
……私だって、輝夜に初めて『私』として見てもらったんだから。
彼女が喧嘩を売らなければ打ち明けるつもりだった本心。それを心の奥に仕舞い込み、いつもの掛け合いを始める。
「この前出来たばかりの新しい課題。賢い天狗も悩ませたこの難題、単純なあなたに解けるかしら?」
「単純だから悩まないのさ。今日こそ聖なる焼き鳥を永遠のトラウマにしてやるよ!!」
そして、再び弾幕の花弁が吹き乱れる。
その珍しくも無い花を見ようと、太陽が山の裾野からひっそりと顔を覗かせていた。
終わり
その風景を一言で言い表すと、焼け野原。
人の背より何倍も高い竹も、足元を覆う枯れ草も、全てが焼き払われたように。
焼け焦げた匂いの残るその場所の、これまた不自然に鎮座する大岩の傍で、何事も無かったように眠る少女がいた。
少女の衣服にも所々焼けたような穴が空いている。しかしそこから覗く肌は、全くの無傷であった。
そんな彼女に向かって、ゆっくりと近づいて来る影があった。
黒髪を撫で流し、豪奢と言うに相応しい着物を身に纏いながら、しかしそれらが醸し出す雰囲気とは対極の、無邪気な笑顔を覗かせる女。
白み始めた空の下、その更に薄暗い岩陰で眠る少女の横に寄り添い、その寝顔を観察する。
「……。」
「……(ちょんちょん)」
と思いきや、いきなりちょっかいを出し始める。
「……すぅ。」
「……(つんつん)」
頬を指でつつくと、少女はわずかに眉を歪め、
「…う…ぅん……。」
寝返りを一つ。それに気を良くした女は、無防備な脇に手を差し入れ、
「……(こちょこちょ)」
「ぅんっ!?」
がばっっ!!
「あ、起きちゃった。」
「起きちゃった、じゃない! 何やってんのよあんたは!」
勢いよく起き上がった少女は、そのまま着物の女に突っかかる。
「って、いつの間にか着替えてるし!」
「ぼろぼろね。」
「あんたがやったんでしょうが! 何ならもっかい焼いとくか!?」
少女が叫ぶと同時、その背後に陽炎の揺らめきが生まれた。が、
「もう朝になるし。帰って寝るわ。」
女はひらひらと手を振り、敵意を受け流す。
「だったら何で戻って来る!?」
「そう言っておかないと、明日あたりにうちまで押し掛けて来そうだし。」
それとね、と笑顔のまま、
「たまには、舌戦でもどうかと思って。それなら妹紅にも勝ち目あると思うのよ。」
「……あのさ、輝夜。それ、いつもやってると思うんだけど。」
怒りを通り越して呆れた表情を浮かべる少女――藤原 妹紅。
「アレは挨拶みたいなもの。私が言ってるのはれっきとした語り合いの事よ。」
笑顔を崩さぬまま、着物の女――蓬莱山 輝夜はそう述べた。
◆
「いい加減飽きてこない? 勝ち負けの無い喧嘩をする事に。」
一旦岩の上に腰掛け直して仕切り直した後、先に口を開いたのは輝夜。
「……元はといえばあんたが原因じゃないか。そんなに嫌なら、永琳の奴に解毒薬でも作らせたらいいだろうに。」
「それは前にも提案したんだけど……。」
珍しく口篭もる輝夜に、妹紅は訝しげな視線を向け、
「したんだけど、何?」
「『そんな事したら、姫が暇になってこっちが迷惑です』とか言われて。」
「……どこからツッコめばいい?」
「だから、『てゐに飲ませたら暇じゃなくなるかも』って返したの。今でも充分だけど。」
「……で?」
人の話を聞いてない上に既に話が脱線気味なので、もはや投げやりに続きを促す。
「『そんな事したら、永遠亭が確実に乗っ取られますけど、それでもいいですか?』って。」
「……感情を篭めないで言わせてもらうと、あんたらは何のために生きてる?」
低い声で尋ねると、輝夜はやはり笑みで即答。
「不死身だから生きてても死んでても同じね。」
「そこだけマジ返しすんなっ!!」
会話が成立してるのかしてないのか、半ば怪しい状況で話は続けられる。
「そういえば、この前の花の馬鹿騒ぎ。妹紅は随分大人しかったのね。」
「いや、別に私は騒がし屋じゃないし……慧音が『厄介に巻き込まれるな』って言うから出て行かなかっただけ。」
「イナバ達は説教されたみたいね。特に、鈴仙はへこんでたわ。」
閻魔様だって、と面白そうに言う輝夜。
「……私らには全く縁の無い存在ね。」
「ええ、全く。」
揃って、笑う。こいつとこんな風に笑うなんて、昔の自分からは想像もつかなかった。
一頻り笑い合った後、輝夜が、
「それで、話を戻すけど。」
今度は真面目な表情で、妹紅を見つめる。
「そろそろ、飽きてこない? 終わりの無い生に。」
「…………。」
それは、私に問うているのだろうか。それとも、自分自身への疑問か。
……まあ、どちらにしても答えは変わらないのだが。
「飽きないね。全然。」
「本当に? 望んで今の自分を選んだ訳じゃないのに?」
「……まあ、あんたのせいだけど。」
苦笑し、しかしすぐに真剣な顔に戻す。
「どっかの暇を持て余したお姫さんが、飽きずに押し掛けてくるんだから、こっちだって飽きる筈が無いじゃないか。」
「…………。」
きょとん、と。珍しく目を丸くして、輝夜がこちらを見ている。
……というか、珍獣でも見てるみたいな顔だな、これは。
「何だ、その顔。」
「……あ、ごめんなさい。妹紅が私を『お姫さん』なんて呼んだの、初めてだから。」
「――そうだっけ?」
掘り返すには余りに深い記憶を辿ってみる。…………言われてみれば、そうかも。
妹紅が1000年という長さの糸を手繰る間、輝夜は困ったような笑みを浮かべていた。
◆
妹紅が記憶を思い返すしばらくの間の後、輝夜が口を開いた。
「……私が月の姫だって言う話は、したわよね?」
「聞いたわね。最初はあんたからじゃなくて、永琳からだったと思う。」
「そうね、あなたを殺して13回目に永琳がちょっと話をしたって言ってたわ。」
「まあ、改めて聞かなくても普通の人間じゃないのは解ってたけど。月に帰ったって話も知ってたし。」
……そもそも、そうでなければ私は今ここに居ない訳だし。
「……お姫様でいるのって、退屈なのよ。」
ポツポツと。それまでとは違う沈んだ声色で、輝夜は語り始める。
「自分の言う事はよっぽどでなければ何だって聞いてくれるし、どんな事をしたって罪を償う必要は無い。けれど自分の道を歩こうとすると、徹底的に邪魔をする。我が侭がまかり通るっていうのに、そのくせ自由が無い。これって辛いと思わない?」
「…………。」
自嘲気味に話す輝夜に、妹紅は無言。ただ、腕を組む事で間を置き、先を促す。
「どうやったら退屈から逃れられるだろう、って考えた結果が、蓬莱の薬。それだけが私に当てはまる、唯一の禁忌だったから。
そうしたら思い通り、狭苦しいあの城からは開放されたわ。罪を償うために地上に降ろされ、私を拾った年老いた夫婦の家で、慎ましやかな暮らしを得る事が出来た。」
その頃を思い出したのか、遠い目で空を見つめる輝夜。表情にも笑みが戻っている。
しかし、その先は私も知っている通り、
「だけど、罰を与えた筈の月の民はいらぬ気遣いをした。老夫婦に金を与え、地上でも私をお姫様扱いさせた。まあ、そうでなくても私は美しいから、男達は放って置かなったと思うけど。」
「自分で美しい言うな。」
そこだけはツッコんでおく。えーえー、どうせ私は望まれず生まれた貧相な顔ですよ。
「妹紅も別に悪い顔じゃないわよ。」
「そんなフォローはいらん。」
さておき。
「だから、試してみたのよ。一介の竹取の娘風情が我が侭を言ったら、どういう事になるのかをね。」
「その結果がアレか。冷静に考えたら、無理だって事くらい気付くもんだと思うけど。」
「そう、無理難題。蓬莱の玉以外は、幻想郷にも存在しないような物だというのにね。」
まあ、アレは単に男達が馬鹿なだけだったと思うけどね、と付け加えた。
昔の私なら父を馬鹿にされた時点で焼き鳥にしていた所だが、今は割と落ち着いて聞いている。ま、1000年も経ってまだ感情的になる方がおかしいか。
「男達が従順に言う事を聞いた時、私は思ったの。『ああ、やっぱりお姫様として生きるしかないのかな』、って。」
「なら、帝に嫁いじゃえば良かったのに。名実共にお姫様になれたわよ?」
「蓬莱の身のままでは無理じゃない。」
「……あ、そうか。」
何という皮肉か。諦めを得るきっかけとなった罪が、そこで足枷になるとは。
「まさか無神経の塊の輝夜が、不死身である事に悩んでたとはね。」
皮肉を込めて、しかしわずかな憐憫も含んだ言葉を掛ける。が、輝夜は平然と、
「悩んでた訳じゃないけど、その時ばかりは『しまった』と思ったわ。」
「……それで済むのか。」
……訂正。やっぱこいつ無神経。
「だから月の民の使いが来た時、本当に帰るつもりだったの。だって、自分はもう『姫』という立場から逃れられないのだから。
けれど、迎えの者の中に永琳がいるのを知った時。そして、捨てられた筈の蓬莱の薬をまだ持っていると聞いた時。私は、初めて自分の力で運命に抗おうと思った。」
「それで、迎えに来た連中を皆殺しにして、薬だけ残してトンズラしたって訳か。」
罪人という道を選んででも、姫として生きる事を拒んだ輝夜。望まれず生まれた私とは対極だけど、だからこそ彼女の気持ちは解らなくもない。
「でも、永琳が居なければ結局は連れ戻されていただろうし、逃げ果せたのも永琳が私を『姫』として見ているから。詰まる所、私を『私』として見てくれる存在なんてどこにも居ないのだと、諦めていた。」
目を伏せ、言葉を詰まらせる輝夜。その様子を見て、妹紅は愕然とした。
姫として見て欲しくなかった。
ただ一人の人間として扱って欲しかった。
じゃあ、私は先程何と言った?
私は彼女を何と呼んだ――?
「でもね。」
輝夜が不意に顔を上げた。そこにはいつもの無邪気な笑み。
「もう何百年も昔だけど、私の事を憎んでいる人が現れたの。その人は私の顔を見るなりこう言ったわ。
『あんたのせいで父は死んだ。あんたのせいでこんな身体になった。月に帰ったとかいう話だったけど、何だ、こんな所に居たんだ。ちょうど良かった。私はさ――』」
そして、本当に嬉しそうな笑顔で、言った。
「『――あんたをぶっ殺したかったんだ、輝夜。』って。凄く嬉しそうな、壊れた笑顔でね。」
「…………。」
私は何も言えない。言える筈も無い。彼女の本心を知った今となっては、どんな言い訳が出来ようか。
輝夜は熱に浮かされたような笑顔のまま、語り続ける。
「嬉しかった。月の民としてでなく、『かぐや姫』としてでもなく、ただ、輝夜と言う人間を見てくれたその人の存在が有り難かった。例え憎悪であったとしても、私という存在に感情を動かしてくれた事が……たまらなく、嬉しかったのよ。」
「……輝夜……。」
1000年以上生きてきて、これほど自分の愚かさを呪った事は無い。
無神経なのはどっちだ。事情を知らなかったとはいえ、軽々しく言ってはいけない事を口走ったのは私の方じゃないか。いくら憎い仇だからといって、――相手の琴線に触れて良い訳が無いではないか。
「……ごめん。私、酷い事言った。」
輝夜に頭を下げるのは癪だとか、そんな事はもうどうでも良かった。ただ……彼女が持つ心の傷に無断で触れた事を、謝りたかった。
「謝って許してもらえるとは思えないけど……でも、本当にごめんなさい、輝夜。」
岩から降りて、輝夜の正面に向き直り、土下座する。
頭を下げる前、彼女の寂しげな笑顔をはっきり見る事が出来た。
夜明けは、すぐそこまで迫っていた。
◆
数瞬の静寂の後。
「……くすっ。」
押し殺したような笑い声に、妹紅が思わず顔を上げる。すると、
「くすくす……あなたの負けね、妹紅。」
「はい?」
そこにはもういつもの無邪気な笑顔の輝夜。突然の事に、訳が分からないという表情を浮かべる妹紅。
すると、してやったりといった調子で、
「舌戦って言ったでしょう? 口で『参った』と言わせた方の勝ちに決まってるじゃない。」
「な……。」
待て。という事は、つまり。
「さっきまでの話は、全部嘘かあっ!?」
「あら、まさか真に受けてたの? 相変わらず単純ねぇ、妹紅。」
「こ、こ、この人でなしがああぁぁっっ!!!」
瞬時に燃え上がる怒り。勿論、既に鳳凰も背負っている。
「あんたの話をまともに聞いたこっちが馬鹿だったわ! 今日こそ殺す! 全殺す!!」
「だから、死なないって。というか、日が変わるまで弾幕(や)ってたんだから、今さら今日って言われてもね。」
「黙れ引き篭もり!!」
「それこそ人の事言えないわよ? ふふふ……。」
そうしてお互いにスペルカードを取り出しながら、しかし妹紅は頭の隅で思う。
……あのきょとんとした顔は、嘘じゃないわよね。
『お姫さん』と言った時の、驚きと戸惑いが混じったあの表情が、作り物であったとは考えにくい。いくら単純な私でも、それ位は解る。
だけど。姫である事を望まないと言った輝夜だけれど。やはり育ちの良い彼女が卑しい身分の私に弱気を見せるなんて、プライドが許さないんだろう。たとえ私が気にしないとしても。
……でもまあ、私だって暗い輝夜なんて見たくないしね。
だからこれでいい。仇友とでも言えばいいのか、そんな関係でいる事でお互いが満ち足りているのだから、問題なんて無いのだ。――それに。
……私だって、輝夜に初めて『私』として見てもらったんだから。
彼女が喧嘩を売らなければ打ち明けるつもりだった本心。それを心の奥に仕舞い込み、いつもの掛け合いを始める。
「この前出来たばかりの新しい課題。賢い天狗も悩ませたこの難題、単純なあなたに解けるかしら?」
「単純だから悩まないのさ。今日こそ聖なる焼き鳥を永遠のトラウマにしてやるよ!!」
そして、再び弾幕の花弁が吹き乱れる。
その珍しくも無い花を見ようと、太陽が山の裾野からひっそりと顔を覗かせていた。
終わり
永遠の命を持ってもてゐに永遠亭を乗っ取られるほど輝夜、永琳
は甘い相手かな?
と読んでる最中、個人的に疑問をもってしまったのでマイナス10で70点を