「で、そのコペルニクスとか言う虚言癖が言うにはな」
そう言って霧雨魔理沙は一冊の自前の魔導書、白紙のページに五百円玉の程の円を描く。
「まず、太陽が中心にあるんだと」
円の内側に達筆な字で「陽」を記しながら彼女は話す。その向かい、机と魔導書を挟んで聞いているのはレミリア・スカーレットだ。随分と赤みを宿した紅茶を口に注ぎながら、先程から相槌すら打たずにそれを聞いている。
「で、こっちが地球」
書面上の太陽を見やっては、それの周りに沿うように小さな円を、そっちはもはや点とも呼べそうな小さなものだが、とにかくそれを魔理沙はもう一つ描いた。同じように、細かな字で内側に「地」と書いていく。
「どうやら、地球はこの太陽の周りをグルグルグルグル回っているんだってさ。おかしな話だろ?」
「私が聞いた限りだと、おかしな話は貴方の方だと思うのだけれど」
レミリアは指で髪をいじりながらようやく魔理沙の目を見て言う。
「私のティータイムを邪魔しないで頂戴」
「おいおい、美味い茶には美味い話が肴だろ?」
「そもそも私は貴方をここに呼んでいない。招かれざる客ね」
空になったか、カップに再度紅茶を注いでは、彼女は居場所が悪そうに再度口にそれを運ぶ。机の上に、カップは一つのみ。それが何を表すかくらいは、魔理沙は最初からわかっていた。けれど、彼女は自身の名が刻まれた魔導書と、鈴奈庵から仕入れてきた分厚い本と、それともう一つ、彼女自身の武勇伝を持ってきては、それを鍵代わりにすっかり紅魔館の扉を開け放っていたのである。
「いいか、この世界は巨大なジャック・オー・ランタンなんだ」
「随分大層な"トリック・オア・トリート"ね。お菓子をあげるから帰って頂戴」
「生憎、私はお腹いっぱいだぜ」
彼女は手をかざして先程の書き込みを真っ新に戻したかと思うと、今度はその上、表題のように"真実の宇宙"と書き記すが、レミリアはそれを一瞥して軽く嘲るように笑った。暮れのハロウィンと言えども、今年の吸血鬼は休暇を取ることにしている。会話を聞いていたのか居ないのか、咲夜が二切れのケーキと一つのカップを寄越してきて言う。左右対称に切られたケーキだが、時間の経過が目には見えぬ揺れを孕んでいた。そして、ケーキの端の黄色い断片が、ほろりと崩れた。
「お嬢様、カボチャケーキとお菓子でございます。そちらのお客様にもこちらを」
「あのね、だから私は彼女を呼んでいないんだけれど……」
咲夜は全くその声に動じない。カップを受け取ったことに何の礼も言わない様子の魔理沙だが、それを何も気にすることなく、咲夜はまた元来た道に戻っていった。
「これで私も悪戯する権利を得たってわけだ」
「逆よ、逆」
「地動説がか?」
「お菓子のことよ」
はて、と言わんばかりの顔を浮かべるものだから、レミリアはつい溜息を漏らす。コツコツと二度足裏で床を鳴らして、それに応じるかのように魔理沙は言葉を開く。
「今から話すことは、ノンフィクションだぜ。実在の人物・団体・事件などには一切関係がある」
彼女がそう断ると、ふんと鼻を鳴らすレミリアだが、魔理沙はやはりそれを見て、にやりと笑って続きを話すのだ。
「いいか、ジャック・オー・ランタンってのはカボチャだ。といってもこのケーキみたいな三角柱の形じゃない。少し潰れた球みたいな形をしたアレだ。それに目と口の形がくり抜かれて内側から光っているんだ」
言いながら、彼女は右手で本を抑え、もう片方の左手で器用にケーキを口に運ぶ。濃厚な甘味に彼女はつい頬を緩めて、話の続きが話したくて仕方ないという気分にすらなっている。その感情を押し隠すこともせず、フォークを置いて本の上に線を描く。線は円とは違った曲線を描いて、カボチャの形になった。
「この世界はカボチャなんだ。そして、それにつぶらな目とギザギザの口が空いている。だからジャック・オー・ランタン」
「天動説ならぬ天瓜説ね。虚言癖も来るところまで来たわ」
「まあ待て待て。この世界がジャック・オー・ランタンなら、目と口があるはずなんだ。何者かによってくり抜かれた穴がな。私たちがそれに気が付かないはずがない。じゃあそれは何だ?」
魔理沙は唐突に、楽し気に疑問を投げかける。仮想の理屈の上の、仮想の問題。考えることも馬鹿らしく、レミリアは適当に返事を返す。
「目は目でしかないし、口は口でしかないわ」
「今は宇宙の話をしているんだ」
指でぐるぐると魔導書をなぞる魔理沙だが、レミリアはその様子が幼い子供のように一つのおもちゃにこだわっているのと大差ないように思われていた。
「貴方は宇宙よりも先にこの大地を知るべきよ。全く、煙と何とかは高い所が好きって」
「おっと、馬鹿はクイズに答えられない方だぜ」
レミリアはぐっと相手を睨んでは、両の手の指を組んで答える。
「太陽、でしょう」
「おお、正解だ。目は太陽なんだ」
魔導書の上のカボチャの目に、嬉々として「陽」の文字を書き込んでいく。その様子があんまりにも笑顔なものだから、レミリアはふっと表情が緩んでしまう。それに気付いて、はっと姿勢を正しては、一度紅茶を手に取るのだ。
「だがな、ジャック・オー・ランタンは一つ目の化け物じゃないんだ。私たちと同じように、二つの目がある。じゃあそれは……」
と、魔理沙が促しきる前に、レミリアはぴしりと言い放つ。
「月ね」
「……正解だ。だが問題はまだもう一つ残っている」
続けてもう片目に「月」の文字を書き込みながら、彼女はその指先をカボチャの口の方へと向けた。
「じゃあ、この口は何だ?」
先ほどまでとは違い、冷たく鋭く問い詰める魔理沙に、そっと冷気を感じながらレミリアは手を顎に当てて考える。しかし彼女は一つの疑問点に気が付いて、それについて向き合った。
「ねえ、その前に。貴方のそのページ。地球はどこにあるのかしら」
「おお、地球か。そういえば忘れていた。じゃあそれも考えてもらうか。地球はどこにある? 私たちはどこからカボチャを見ている?」
まるで最初から忘れてなどいなさそうな素振りの魔理沙だが、ふむ、と一つ頷いてレミリアは考える。太陽と月は我々から見えているものだ。しかし、口のようなギザギザなものは空に見たことがない。ならばカボチャの目だけが見える方角。カボチャの斜め上だろうか。そこまで考えて、彼女は解答した。
「そのカボチャ世界の斜め上あたり、かしら」
「ううむ」
魔理沙は一つ大きく目を閉じながら首を傾げて、テストを採点するみたいにその答えと向き合ってから、言った。
「大不正解だな」
「逆であってほしかったわね」
「そう、逆なんだ」
魔理沙は魔導書上のカボチャの中、ちょうどカボチャ全体の中心くらいの位置に黒点を打つ。
「これが地球なんだ」
「鼻、なのね」
「いいや違う。これはカボチャの内部だ。くり抜かれたカボチャの、内側だ」
そこまで言われて、ようやくレミリアははっとする。魔理沙の描いたカボチャの顔が、表面から見たものではなく、内面から見たものだったということに。
「貴方の話だと、内側から光っているのは」
「そう、地球だ。太陽も光っているが、昼に光っているのは地球なんだ。夜は太陽の方の目を閉じて、夜は地球が点々に光っている。それがプラネタリウムみたいにカボチャの壁に映し出されているというわけだ」
世界の壁。自分が見ている空は、ずっと世界の壁だった。「世界は、空は果てがない」という幻想的な光景を普段想像していただけに、その話は甚く現実よりもずっと現実的に思えた。レミリアは別の疑問をぶつける。
「ならなぜ太陽や月が動くのよ」
「簡単な話だ。カボチャは回っているんだ」
魔理沙は自分の顔を指さして、前を見ながら首をぐるぐる回し出した。
「いきなり何をしてるのよ」
「何って、これが世界の運動なんだ。いいか、回ると言っても首が後ろ向いて三六〇度回転するわけじゃない。そんな動きしてたら顔じゃないからな。こんな風に、前を向いたまま回っているんだ。そして、我々からは地球自身が隔てになって、下の方は見えない。日が沈むとか月が沈むっていうのは、地球自身にこの目が隠されてしまう事なんだ」
「地球はカボチャの内側だけれど、ずっと同じ方向を向いているということ?」
小難しい理屈に難儀するレミリアだったが、必死に頭を働かせて言葉を紡ぐ。
「そうだ。仮にカボチャの目が動いても、我々の見る方向は変わらない。カボチャの模様などには一切関係なく、独立してただある一方向に向いているんだ。だからカボチャ自体が動くと目が動いているように見える。ジャック・オー・ランタンは、世界は首を回しているんだ」
「生首なのにね」
レミリアがそう突っ込むと、二人はふふふと笑う。普段見ている星々は地球の光のプラネタリウムで、月と太陽はカボチャの目。突拍子もない話だが、信憑性がないわけでもなかった。レミリアは話半分にそれを聞いていながらも、今や既に真剣に魔理沙の話に向き合っていた。
「ここで問題に戻ってくる。カボチャの口は、つまり世界の口は、今の我々からはどうやっても見えない位置にあるんだ」
「もし地球の反対側の国に行ったら見えるようになる、ということかしら」
「いや、そうでもなかったんだ。幻想郷の裏側に位置するとされている、ブラジルとかいう国に住んでいるという奴の話を鈴奈庵で読んだんだが、当然太陽と月があるだけで口なんてなかったと」
ああ全く、興味のあることになると滅法熱中するのがこの魔理沙という人物だ。半分呆れながらも、半分その好奇心に感心しながらレミリアは返事をする。
「地球上のどこにいても、空の方向は同じ一方を指す、ということかしら。地球が球体ならあり得ない話ね」
「ああ、そうだ。だから私はこう考えた。地球は平面だ、と」
「ああ、全くあり得ない話ね」
突拍子もない話を投げかけられてしまうものだから、折角話を真剣に聞いていたのに、とレミリアは馬鹿らしくなってしまう。そんな様子のレミリアに対し、何もおかしなことは言っていないという風に魔理沙は続ける。
「そうか? 地球が平面だという考えを地球平面説って言うらしい。最近幻想郷でもそれを信仰する地球平面論者に会ったぜ? そいつは確かにそれが真実だと言っていたが」
それを語る魔理沙の口に嘘は感じられなかった。大方最近異変でも起きて、そこで誰かに出会って聞いた話なのだろう。レミリアは渋々それを受け入れることにした。
「まあ仮定が成り立つなら一旦それを受け入れましょうか」
「ああ、助かるぜ。ここに仮の地球平面説を設定する。地球は大きな板みたいなもので、板の縁に太陽と月は沈むんだ。そして世界は大きなカボチャで出来ている」
「それだけ聞くと、私は大層な陰謀論を聞かされているようにしか思えないわ」
魔理沙はへへと笑う。魔理沙が語っているのが真実か嘘かなんてレミリアにはどうでもよかった。ただ余興として楽しめる話の種。けれど、それは妙な説得力と幻想性を兼ね備えていて、続きを聞くのが楽しみになっていた。魔理沙がカボチャの中に板を描く。
「カボチャの中に、斜めに板があるのね」
「そうだ。目と口の間あたりの高さに板の端があって、板のもう片方は後頭部あたりに位置することになる。斜め上を向くような板の地球だ」
いつの間にか魔理沙の描くカボチャの線は立体的な物を描いていた。世界の構造が複雑だからといってしまえばそれまでだが、板の地球を飲み込んだカボチャの姿は、二人の目には、どんな魔法陣よりも複雑で、奥深くて、神秘に包まれている幻想的なものだと映っていた。
「魔理沙。貴方の話が真実だとするならば、口はこの世界の板の裏側からしか見えないことにならない?」
「ああ、そうだ。幻想郷の裏側にあるらしい国は、実際には裏じゃなく板の同じ面にある。だから、口が何なのかを知るためには、この幻想郷の"真実の裏側"に行かなくちゃならないんだ」
「そんなことができたら苦労しないわね」
「ああ。だから私は苦労したんだ」
そう言うと、魔理沙は懐を探ったかと思うと、何かを握り込んだ手をレミリアの方に差し出した。レミリアが興味深くそれを見やると、魔理沙はゆっくりと手の平を広げだした。中には、小さく、小さく、粒のように小さくも、無限の光を放つ物体が煌々と輝いていた。生きた太陽のようだった。
「まぶしっ!」
彼女は腕で顔を覆い隠すように光を防ぐ。ただでさえ明るく灯で照らされている部屋が、より一層明るくなったのは明白だった。壁も、床も、天井も、全てが眩い。レミリアは肌が文字通り熱に、灯に焼かれる感覚に襲われる。影の向きは完全に反転し、影の黒の存在が二人の実在を証明している。レミリアには、その明るさは昼夜とかの概念を超越しているような気がしていた。
「陽の光が苦手な妖怪には危ないかもな」
魔理沙は少し躊躇いながらもそれを再度握りしめ、服のポケットに丁寧にしまい込んだ。ゆっくりとポケットに蓋をすると、世界はようやく昼に戻った。レミリアは少し震えながらも平静を装って問いかけた。
「今のは?」
「なんだと思う?」
「今日はそれ、多いわね」
クイズの多さに辟易するレミリアだったが、魔理沙も薄々それを悟っているようだった。
「わかったわかった。答えるよ。これは、カボチャの、世界の口で拾ったものだ」
「世界の口……まさか、行ったというの?」
「ああ」
「どうやって?」
「真実は、時に隠されていた方が美しいんだぜ」
魔理沙は意味ありげに笑ってウインクをする。レミリアにはその瞬きがどうにも噓くさく感じられた。
「そういう割には、世界の真実を教えてくれるのね」
「ハウダニットはミステリだが、ワットイズイットはミステリには成りえないからな。隠すべきはミステリだぜ」
「なら聞くけれど。そのさっき見せてくれた物は何?」
「ずるい聞き方をするんだな」
皿の上に手つかずで残されたままのケーキを見て、何とも焦燥感に駆られたレミリアはそれをようやく一つ口に運んで尋ねた。その様子を見た尋ねられた側の人物も、同じようにケーキを一口運んだ。しばしの沈黙が流れた後、ようやく静寂に言葉が重なった。
「星だよ」
返ってきた言葉は意外なものだが、レミリアには自然に受け入れられた。何せ、あれだけの輝きを持つものだったのだから。
「星というのは、文字通りの?」
「星と言っても、カボチャの壁に映し出された虚像とは違う。真実の星だ」
真実の星と聞いて、ようやくレミリアはピンと来たようだった。
「魔理沙。なら、その口は……」
「答えを聞こうか」
一息吸う。口の先には星。カボチャの口が何かなんて、明白だった。
「口は、宇宙。宇宙の入り口」
指が鳴る音。机の反対側には、ビンゴ、と言わんばかりの表情でにやける魔理沙がいた。
「そうだ。私は口の先で、真実の宇宙を見た」
魔理沙は魔導書のそのページに最初に記した文字を指さした。"真実の宇宙"。カボチャの外側には、空白が鎮座している。真実の宇宙とはジャック・オー・ランタンではない。このジャック・オー・ランタンの外の世界、空白のことだったと、レミリアはひとりでに納得した。
「真実の宇宙。真実の星。どうやら、ジャック・オー・ランタンの中身は仮の宇宙でしかないようね」
「ああ。そして、おそらくこの地球の世界のようなジャック・オー・ランタンは、真実の宇宙に無数にある。そのジャック・オー・ランタンとジャック・オー・ランタンの間に、真実の星の海が流れているんだ」
思慮に耽るように魔理沙は目を瞑る。思い返すのは、真実の星々。無数に輝いて、無限の明るさに包まれている世界。宇宙は暗いものだと思っていたが、全くの逆だった。あふれかえるほど世界は真っ白だった。けれど、その白を汚す黒があることに、今や彼女は思いを向けていた。
「レミリア。このカボチャには、口内炎があるんだ。口の中は地球…… 球ではないから何と呼べば良いのかわからないが、とにかくその地球の板の裏側だから見えない位置に、口内炎があったんだ」
「またクイズ? もうそろそろお腹いっぱいなのだけれど」
「これが最終問題だから安心してくれ。最終問題は百万点」
そう言われるものだから、レミリアは首を傾げて考える。魔理沙はその間ずっとその世界を汚す黒の事を考えていたのだが、レミリアは当然それを知る由もない。やがて諦めたように一つ溜息を吐き、答えた。
「わからないわね」
「そうか。なら百万点は没収だな」
魔理沙は自身の橙色のケーキの最後の一切れを口に運んで、ゆっくりと飲み干した。それからゆっくり紅茶にも口をつけて、息を整えてから答えた。
「ブラックホールだよ」
「ブラックホールって、あの光すら吸い込むあの?」
「そうだ。物理法則の崩壊している一点の空間でもある。内部では時間すら止まっている。謂わば、特異点だ」
魔理沙は魔導書に黒い大きな丸をカボチャの中に描き込む。
「ブラックホールは、余りの重力故に星すら吸い込んでしまう。その吸い込む速度や、あの光ですら逃げられないほどだ」
「恐ろしいわね」
「この星も、ブラックホールに吸い込まれているやつを拾ったんだぜ」
「なら貴方はどうして吸い込まれていないわけ?」
レミリアはケーキを口に運んでから、それがようやく最後の一切れだったことに気が付いた。惜しむようにそのカボチャを口の中に追いやって、魔理沙の方に向き直る。
「ああいや、私は吸い込まれたんだ。ブラックホールに」
「……では、私の前にいる今の貴方は霧雨魔理沙は何者なわけ? どうやってここに?」
「言っただろ? 真実は、時に隠されていた方が美しいんだ」
「特異点ね、貴方」
「そうかもな」
魔理沙は椅子を引いて席を立つ。床を引きずる音が古風な響きを立てる。
「最初にお腹いっぱいだと言ったんだがな」
「食べ過ぎると口内炎になるわよ」
「それはお前さんにも言えるな」
レミリアは座ったまま余されたお菓子を見つめている。そうしてそれを一つ手にとっては、魔理沙を手招いて手渡した。
「くれるのか?」
「トリック・オア・トリート、と言われたものだから」
「これじゃトリート・アンド・トリートだ」
魔理沙は魔導書の書き込みを消すこともなく、おもむろに本を閉じてそれを脇に抱えた。それから踵を返して、屋敷の主に別れを告げるのだった。
その夜。レミリアは自室から星を見上げていた。夕飯を終えてからじわじわと痛む口内炎が気になりながら、それを振り払うように空を見つめる。虚像。魔理沙の言っていた言葉が反芻される。吸血鬼は太陽を嫌い、月を好む。それは宇宙にあるものだと当然のように思っていた。しかしその日初めて、レミリアは存在するかもわからない真実の宇宙に思いを馳せた。口の中でずきずきと痛む気になる口内炎が、ブラックホールが、見えない宇宙の景色を鮮明に想起させてくれるものだから、彼女にはそれがいつの間にか不思議と心地よく感じられていた。
そう言って霧雨魔理沙は一冊の自前の魔導書、白紙のページに五百円玉の程の円を描く。
「まず、太陽が中心にあるんだと」
円の内側に達筆な字で「陽」を記しながら彼女は話す。その向かい、机と魔導書を挟んで聞いているのはレミリア・スカーレットだ。随分と赤みを宿した紅茶を口に注ぎながら、先程から相槌すら打たずにそれを聞いている。
「で、こっちが地球」
書面上の太陽を見やっては、それの周りに沿うように小さな円を、そっちはもはや点とも呼べそうな小さなものだが、とにかくそれを魔理沙はもう一つ描いた。同じように、細かな字で内側に「地」と書いていく。
「どうやら、地球はこの太陽の周りをグルグルグルグル回っているんだってさ。おかしな話だろ?」
「私が聞いた限りだと、おかしな話は貴方の方だと思うのだけれど」
レミリアは指で髪をいじりながらようやく魔理沙の目を見て言う。
「私のティータイムを邪魔しないで頂戴」
「おいおい、美味い茶には美味い話が肴だろ?」
「そもそも私は貴方をここに呼んでいない。招かれざる客ね」
空になったか、カップに再度紅茶を注いでは、彼女は居場所が悪そうに再度口にそれを運ぶ。机の上に、カップは一つのみ。それが何を表すかくらいは、魔理沙は最初からわかっていた。けれど、彼女は自身の名が刻まれた魔導書と、鈴奈庵から仕入れてきた分厚い本と、それともう一つ、彼女自身の武勇伝を持ってきては、それを鍵代わりにすっかり紅魔館の扉を開け放っていたのである。
「いいか、この世界は巨大なジャック・オー・ランタンなんだ」
「随分大層な"トリック・オア・トリート"ね。お菓子をあげるから帰って頂戴」
「生憎、私はお腹いっぱいだぜ」
彼女は手をかざして先程の書き込みを真っ新に戻したかと思うと、今度はその上、表題のように"真実の宇宙"と書き記すが、レミリアはそれを一瞥して軽く嘲るように笑った。暮れのハロウィンと言えども、今年の吸血鬼は休暇を取ることにしている。会話を聞いていたのか居ないのか、咲夜が二切れのケーキと一つのカップを寄越してきて言う。左右対称に切られたケーキだが、時間の経過が目には見えぬ揺れを孕んでいた。そして、ケーキの端の黄色い断片が、ほろりと崩れた。
「お嬢様、カボチャケーキとお菓子でございます。そちらのお客様にもこちらを」
「あのね、だから私は彼女を呼んでいないんだけれど……」
咲夜は全くその声に動じない。カップを受け取ったことに何の礼も言わない様子の魔理沙だが、それを何も気にすることなく、咲夜はまた元来た道に戻っていった。
「これで私も悪戯する権利を得たってわけだ」
「逆よ、逆」
「地動説がか?」
「お菓子のことよ」
はて、と言わんばかりの顔を浮かべるものだから、レミリアはつい溜息を漏らす。コツコツと二度足裏で床を鳴らして、それに応じるかのように魔理沙は言葉を開く。
「今から話すことは、ノンフィクションだぜ。実在の人物・団体・事件などには一切関係がある」
彼女がそう断ると、ふんと鼻を鳴らすレミリアだが、魔理沙はやはりそれを見て、にやりと笑って続きを話すのだ。
「いいか、ジャック・オー・ランタンってのはカボチャだ。といってもこのケーキみたいな三角柱の形じゃない。少し潰れた球みたいな形をしたアレだ。それに目と口の形がくり抜かれて内側から光っているんだ」
言いながら、彼女は右手で本を抑え、もう片方の左手で器用にケーキを口に運ぶ。濃厚な甘味に彼女はつい頬を緩めて、話の続きが話したくて仕方ないという気分にすらなっている。その感情を押し隠すこともせず、フォークを置いて本の上に線を描く。線は円とは違った曲線を描いて、カボチャの形になった。
「この世界はカボチャなんだ。そして、それにつぶらな目とギザギザの口が空いている。だからジャック・オー・ランタン」
「天動説ならぬ天瓜説ね。虚言癖も来るところまで来たわ」
「まあ待て待て。この世界がジャック・オー・ランタンなら、目と口があるはずなんだ。何者かによってくり抜かれた穴がな。私たちがそれに気が付かないはずがない。じゃあそれは何だ?」
魔理沙は唐突に、楽し気に疑問を投げかける。仮想の理屈の上の、仮想の問題。考えることも馬鹿らしく、レミリアは適当に返事を返す。
「目は目でしかないし、口は口でしかないわ」
「今は宇宙の話をしているんだ」
指でぐるぐると魔導書をなぞる魔理沙だが、レミリアはその様子が幼い子供のように一つのおもちゃにこだわっているのと大差ないように思われていた。
「貴方は宇宙よりも先にこの大地を知るべきよ。全く、煙と何とかは高い所が好きって」
「おっと、馬鹿はクイズに答えられない方だぜ」
レミリアはぐっと相手を睨んでは、両の手の指を組んで答える。
「太陽、でしょう」
「おお、正解だ。目は太陽なんだ」
魔導書の上のカボチャの目に、嬉々として「陽」の文字を書き込んでいく。その様子があんまりにも笑顔なものだから、レミリアはふっと表情が緩んでしまう。それに気付いて、はっと姿勢を正しては、一度紅茶を手に取るのだ。
「だがな、ジャック・オー・ランタンは一つ目の化け物じゃないんだ。私たちと同じように、二つの目がある。じゃあそれは……」
と、魔理沙が促しきる前に、レミリアはぴしりと言い放つ。
「月ね」
「……正解だ。だが問題はまだもう一つ残っている」
続けてもう片目に「月」の文字を書き込みながら、彼女はその指先をカボチャの口の方へと向けた。
「じゃあ、この口は何だ?」
先ほどまでとは違い、冷たく鋭く問い詰める魔理沙に、そっと冷気を感じながらレミリアは手を顎に当てて考える。しかし彼女は一つの疑問点に気が付いて、それについて向き合った。
「ねえ、その前に。貴方のそのページ。地球はどこにあるのかしら」
「おお、地球か。そういえば忘れていた。じゃあそれも考えてもらうか。地球はどこにある? 私たちはどこからカボチャを見ている?」
まるで最初から忘れてなどいなさそうな素振りの魔理沙だが、ふむ、と一つ頷いてレミリアは考える。太陽と月は我々から見えているものだ。しかし、口のようなギザギザなものは空に見たことがない。ならばカボチャの目だけが見える方角。カボチャの斜め上だろうか。そこまで考えて、彼女は解答した。
「そのカボチャ世界の斜め上あたり、かしら」
「ううむ」
魔理沙は一つ大きく目を閉じながら首を傾げて、テストを採点するみたいにその答えと向き合ってから、言った。
「大不正解だな」
「逆であってほしかったわね」
「そう、逆なんだ」
魔理沙は魔導書上のカボチャの中、ちょうどカボチャ全体の中心くらいの位置に黒点を打つ。
「これが地球なんだ」
「鼻、なのね」
「いいや違う。これはカボチャの内部だ。くり抜かれたカボチャの、内側だ」
そこまで言われて、ようやくレミリアははっとする。魔理沙の描いたカボチャの顔が、表面から見たものではなく、内面から見たものだったということに。
「貴方の話だと、内側から光っているのは」
「そう、地球だ。太陽も光っているが、昼に光っているのは地球なんだ。夜は太陽の方の目を閉じて、夜は地球が点々に光っている。それがプラネタリウムみたいにカボチャの壁に映し出されているというわけだ」
世界の壁。自分が見ている空は、ずっと世界の壁だった。「世界は、空は果てがない」という幻想的な光景を普段想像していただけに、その話は甚く現実よりもずっと現実的に思えた。レミリアは別の疑問をぶつける。
「ならなぜ太陽や月が動くのよ」
「簡単な話だ。カボチャは回っているんだ」
魔理沙は自分の顔を指さして、前を見ながら首をぐるぐる回し出した。
「いきなり何をしてるのよ」
「何って、これが世界の運動なんだ。いいか、回ると言っても首が後ろ向いて三六〇度回転するわけじゃない。そんな動きしてたら顔じゃないからな。こんな風に、前を向いたまま回っているんだ。そして、我々からは地球自身が隔てになって、下の方は見えない。日が沈むとか月が沈むっていうのは、地球自身にこの目が隠されてしまう事なんだ」
「地球はカボチャの内側だけれど、ずっと同じ方向を向いているということ?」
小難しい理屈に難儀するレミリアだったが、必死に頭を働かせて言葉を紡ぐ。
「そうだ。仮にカボチャの目が動いても、我々の見る方向は変わらない。カボチャの模様などには一切関係なく、独立してただある一方向に向いているんだ。だからカボチャ自体が動くと目が動いているように見える。ジャック・オー・ランタンは、世界は首を回しているんだ」
「生首なのにね」
レミリアがそう突っ込むと、二人はふふふと笑う。普段見ている星々は地球の光のプラネタリウムで、月と太陽はカボチャの目。突拍子もない話だが、信憑性がないわけでもなかった。レミリアは話半分にそれを聞いていながらも、今や既に真剣に魔理沙の話に向き合っていた。
「ここで問題に戻ってくる。カボチャの口は、つまり世界の口は、今の我々からはどうやっても見えない位置にあるんだ」
「もし地球の反対側の国に行ったら見えるようになる、ということかしら」
「いや、そうでもなかったんだ。幻想郷の裏側に位置するとされている、ブラジルとかいう国に住んでいるという奴の話を鈴奈庵で読んだんだが、当然太陽と月があるだけで口なんてなかったと」
ああ全く、興味のあることになると滅法熱中するのがこの魔理沙という人物だ。半分呆れながらも、半分その好奇心に感心しながらレミリアは返事をする。
「地球上のどこにいても、空の方向は同じ一方を指す、ということかしら。地球が球体ならあり得ない話ね」
「ああ、そうだ。だから私はこう考えた。地球は平面だ、と」
「ああ、全くあり得ない話ね」
突拍子もない話を投げかけられてしまうものだから、折角話を真剣に聞いていたのに、とレミリアは馬鹿らしくなってしまう。そんな様子のレミリアに対し、何もおかしなことは言っていないという風に魔理沙は続ける。
「そうか? 地球が平面だという考えを地球平面説って言うらしい。最近幻想郷でもそれを信仰する地球平面論者に会ったぜ? そいつは確かにそれが真実だと言っていたが」
それを語る魔理沙の口に嘘は感じられなかった。大方最近異変でも起きて、そこで誰かに出会って聞いた話なのだろう。レミリアは渋々それを受け入れることにした。
「まあ仮定が成り立つなら一旦それを受け入れましょうか」
「ああ、助かるぜ。ここに仮の地球平面説を設定する。地球は大きな板みたいなもので、板の縁に太陽と月は沈むんだ。そして世界は大きなカボチャで出来ている」
「それだけ聞くと、私は大層な陰謀論を聞かされているようにしか思えないわ」
魔理沙はへへと笑う。魔理沙が語っているのが真実か嘘かなんてレミリアにはどうでもよかった。ただ余興として楽しめる話の種。けれど、それは妙な説得力と幻想性を兼ね備えていて、続きを聞くのが楽しみになっていた。魔理沙がカボチャの中に板を描く。
「カボチャの中に、斜めに板があるのね」
「そうだ。目と口の間あたりの高さに板の端があって、板のもう片方は後頭部あたりに位置することになる。斜め上を向くような板の地球だ」
いつの間にか魔理沙の描くカボチャの線は立体的な物を描いていた。世界の構造が複雑だからといってしまえばそれまでだが、板の地球を飲み込んだカボチャの姿は、二人の目には、どんな魔法陣よりも複雑で、奥深くて、神秘に包まれている幻想的なものだと映っていた。
「魔理沙。貴方の話が真実だとするならば、口はこの世界の板の裏側からしか見えないことにならない?」
「ああ、そうだ。幻想郷の裏側にあるらしい国は、実際には裏じゃなく板の同じ面にある。だから、口が何なのかを知るためには、この幻想郷の"真実の裏側"に行かなくちゃならないんだ」
「そんなことができたら苦労しないわね」
「ああ。だから私は苦労したんだ」
そう言うと、魔理沙は懐を探ったかと思うと、何かを握り込んだ手をレミリアの方に差し出した。レミリアが興味深くそれを見やると、魔理沙はゆっくりと手の平を広げだした。中には、小さく、小さく、粒のように小さくも、無限の光を放つ物体が煌々と輝いていた。生きた太陽のようだった。
「まぶしっ!」
彼女は腕で顔を覆い隠すように光を防ぐ。ただでさえ明るく灯で照らされている部屋が、より一層明るくなったのは明白だった。壁も、床も、天井も、全てが眩い。レミリアは肌が文字通り熱に、灯に焼かれる感覚に襲われる。影の向きは完全に反転し、影の黒の存在が二人の実在を証明している。レミリアには、その明るさは昼夜とかの概念を超越しているような気がしていた。
「陽の光が苦手な妖怪には危ないかもな」
魔理沙は少し躊躇いながらもそれを再度握りしめ、服のポケットに丁寧にしまい込んだ。ゆっくりとポケットに蓋をすると、世界はようやく昼に戻った。レミリアは少し震えながらも平静を装って問いかけた。
「今のは?」
「なんだと思う?」
「今日はそれ、多いわね」
クイズの多さに辟易するレミリアだったが、魔理沙も薄々それを悟っているようだった。
「わかったわかった。答えるよ。これは、カボチャの、世界の口で拾ったものだ」
「世界の口……まさか、行ったというの?」
「ああ」
「どうやって?」
「真実は、時に隠されていた方が美しいんだぜ」
魔理沙は意味ありげに笑ってウインクをする。レミリアにはその瞬きがどうにも噓くさく感じられた。
「そういう割には、世界の真実を教えてくれるのね」
「ハウダニットはミステリだが、ワットイズイットはミステリには成りえないからな。隠すべきはミステリだぜ」
「なら聞くけれど。そのさっき見せてくれた物は何?」
「ずるい聞き方をするんだな」
皿の上に手つかずで残されたままのケーキを見て、何とも焦燥感に駆られたレミリアはそれをようやく一つ口に運んで尋ねた。その様子を見た尋ねられた側の人物も、同じようにケーキを一口運んだ。しばしの沈黙が流れた後、ようやく静寂に言葉が重なった。
「星だよ」
返ってきた言葉は意外なものだが、レミリアには自然に受け入れられた。何せ、あれだけの輝きを持つものだったのだから。
「星というのは、文字通りの?」
「星と言っても、カボチャの壁に映し出された虚像とは違う。真実の星だ」
真実の星と聞いて、ようやくレミリアはピンと来たようだった。
「魔理沙。なら、その口は……」
「答えを聞こうか」
一息吸う。口の先には星。カボチャの口が何かなんて、明白だった。
「口は、宇宙。宇宙の入り口」
指が鳴る音。机の反対側には、ビンゴ、と言わんばかりの表情でにやける魔理沙がいた。
「そうだ。私は口の先で、真実の宇宙を見た」
魔理沙は魔導書のそのページに最初に記した文字を指さした。"真実の宇宙"。カボチャの外側には、空白が鎮座している。真実の宇宙とはジャック・オー・ランタンではない。このジャック・オー・ランタンの外の世界、空白のことだったと、レミリアはひとりでに納得した。
「真実の宇宙。真実の星。どうやら、ジャック・オー・ランタンの中身は仮の宇宙でしかないようね」
「ああ。そして、おそらくこの地球の世界のようなジャック・オー・ランタンは、真実の宇宙に無数にある。そのジャック・オー・ランタンとジャック・オー・ランタンの間に、真実の星の海が流れているんだ」
思慮に耽るように魔理沙は目を瞑る。思い返すのは、真実の星々。無数に輝いて、無限の明るさに包まれている世界。宇宙は暗いものだと思っていたが、全くの逆だった。あふれかえるほど世界は真っ白だった。けれど、その白を汚す黒があることに、今や彼女は思いを向けていた。
「レミリア。このカボチャには、口内炎があるんだ。口の中は地球…… 球ではないから何と呼べば良いのかわからないが、とにかくその地球の板の裏側だから見えない位置に、口内炎があったんだ」
「またクイズ? もうそろそろお腹いっぱいなのだけれど」
「これが最終問題だから安心してくれ。最終問題は百万点」
そう言われるものだから、レミリアは首を傾げて考える。魔理沙はその間ずっとその世界を汚す黒の事を考えていたのだが、レミリアは当然それを知る由もない。やがて諦めたように一つ溜息を吐き、答えた。
「わからないわね」
「そうか。なら百万点は没収だな」
魔理沙は自身の橙色のケーキの最後の一切れを口に運んで、ゆっくりと飲み干した。それからゆっくり紅茶にも口をつけて、息を整えてから答えた。
「ブラックホールだよ」
「ブラックホールって、あの光すら吸い込むあの?」
「そうだ。物理法則の崩壊している一点の空間でもある。内部では時間すら止まっている。謂わば、特異点だ」
魔理沙は魔導書に黒い大きな丸をカボチャの中に描き込む。
「ブラックホールは、余りの重力故に星すら吸い込んでしまう。その吸い込む速度や、あの光ですら逃げられないほどだ」
「恐ろしいわね」
「この星も、ブラックホールに吸い込まれているやつを拾ったんだぜ」
「なら貴方はどうして吸い込まれていないわけ?」
レミリアはケーキを口に運んでから、それがようやく最後の一切れだったことに気が付いた。惜しむようにそのカボチャを口の中に追いやって、魔理沙の方に向き直る。
「ああいや、私は吸い込まれたんだ。ブラックホールに」
「……では、私の前にいる今の貴方は霧雨魔理沙は何者なわけ? どうやってここに?」
「言っただろ? 真実は、時に隠されていた方が美しいんだ」
「特異点ね、貴方」
「そうかもな」
魔理沙は椅子を引いて席を立つ。床を引きずる音が古風な響きを立てる。
「最初にお腹いっぱいだと言ったんだがな」
「食べ過ぎると口内炎になるわよ」
「それはお前さんにも言えるな」
レミリアは座ったまま余されたお菓子を見つめている。そうしてそれを一つ手にとっては、魔理沙を手招いて手渡した。
「くれるのか?」
「トリック・オア・トリート、と言われたものだから」
「これじゃトリート・アンド・トリートだ」
魔理沙は魔導書の書き込みを消すこともなく、おもむろに本を閉じてそれを脇に抱えた。それから踵を返して、屋敷の主に別れを告げるのだった。
その夜。レミリアは自室から星を見上げていた。夕飯を終えてからじわじわと痛む口内炎が気になりながら、それを振り払うように空を見つめる。虚像。魔理沙の言っていた言葉が反芻される。吸血鬼は太陽を嫌い、月を好む。それは宇宙にあるものだと当然のように思っていた。しかしその日初めて、レミリアは存在するかもわからない真実の宇宙に思いを馳せた。口の中でずきずきと痛む気になる口内炎が、ブラックホールが、見えない宇宙の景色を鮮明に想起させてくれるものだから、彼女にはそれがいつの間にか不思議と心地よく感じられていた。
魔理沙の話に引き寄せられていく流れが違和感なくスッと入ってきました。
面白かったです。
しっかりしたストーリーがあるのに三題噺のテーマにもきちんと沿っていてすごかったです