Coolier - 新生・東方創想話

道を往く

2025/09/03 00:30:13
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 床のない部屋へと繋がる扉。開かれた儘の書物の栞。其れは表すならそんな物。私の前に或るのは、意味を持たない、ただの踏切だ。
 遮断桿は幻想郷の大地を拒むように地面から直角を描いて大空に向いている。警報灯は眠ったように何も照らさない。全く動かない其れは、機械と言うより建物と言ってしまっても大方間違いではないように思われる。黄と黒の警告色を基調とした外観は見ているだけで足が竦む。初めにこれが「音を鳴らす警告機」だと聞かされたが、この色彩を見て居れば、その事実も案外あっさりと受け入れられたものだ。
 どうやら、踏切とは線路と道が交差する部分を、人が安全に横断できるようにした物らしい。紫の話によれば、どうやら線路の上を電車とやらが走るのだ。なるほど、線路とは電車の道かと。枕木を跨ぐように配置された二本のレールの上を、甚く魔法やら霊力とやらとは無縁の動力によって動かされた車輪が、金属の塊を必死に動かし、走っていくのだと言う。それにしても、その二本のレール間の距離は随分離れている。その幅は、私が両腕を横に広げた距離と同じか、其れより少しばかり短い位か。悔しいことに、私は電車を見たことがない。だから頭の中に線路を走る電車を想像しては、その大きさに自然と口が塞がらなくなってしまう。その表情を隠すように扇子を広げて思慮に耽るのが、最近の私の、せめてもの流行だった。


 警笛の幻聴。甲高く耳を劈く音は、現実の電車の其れとどれだけ相違あるだろうか。


 また、友人が死んだ。首を括っていた。宙に浮かび、微動だにしない脚。それより上を見上げることに覚悟すら不要だった。首吊り死体。自殺だろうか。……否。私が殺した。
 初めは死霊を操っているのみだった。何時の間にか、私は人を死に誘う力を持つように成っていたようだ。大切だと思っていた、近くにいた、そんな人から死んでいく。
 死にたい。生きて居たくない。でも、怖い。自殺を考えて、自分の居ない世界を想像すればする程、身体ががたがたと震える感じがする。私は何人も殺した。何十人も殺した。何百人、何千人かもしれない。こんな大罪人では、天界にも、冥界にも行けないだろう。待っているのは、無間の地獄だ。それだとしても、今これを生きるよりは楽だと思った。

 死にたいと思った時は、いつもこの踏切の前に来る。踏切の先には何もない。というより、無が或る。幻想郷の端だろうか、ここを横断することは私には出来ない気がした。慣れた足付きでその虚無の手前、線路の上へと歩を進める。着物が汚れることも気にせず、線路の上に寝転がり、空を見上げた。雲一つない晴天。蜘蛛の糸は降りてこない。もし、電車が走っていたら。私の事を轢き殺してくれたら。どれだけ願っただろうか。


 警報灯の幻覚。天秤のように繋がった左右の空間を、赤い光が瞬間で行き来する。


 息を大きく吸った。空気で満たされた身体が、これ以上の質量を堪えきれないと一言零したかのように、涙が溢れ出た。粒すら成さず、川のように流れ続けた。熱を持った目に呼応するか、口からも嗚咽が漏れ出る。嗚呼、こんなはずじゃなかったのに。
 私は、西行寺家のお嬢様なのに。顕界であれほど立派に聳え立つ白玉楼の主なのに。どうして私はこんなにも駄目な子なんだろう。
「誰か、助けて」
 言葉は自然と出ていた。震える喉が、無理矢理に言葉を紡いだ。こんなにも揺れてしまった声じゃ、誰にも伝わらないだろう。だから、これは誰に向けた言葉でもないのだ。私のただの甘えた心でしかないのだ。


 踏切の警報音の幻聴。規則正しいリズムを刻む其れが、自然と心臓の鼓動を早める。


 涙に滲む世界が鬱陶しくなって、愈々いよいよ私は目を瞑った。口も無理に閉じた。自身の内部が破裂するような感覚に襲われるが、必死で堪えた。懐から扇子を取り出し、口元に宛がう。中骨を通じて木々の甘く、深く、歳を重ねたような重厚な匂いが鼻腔を突く。向こう側から列車がやってきて、伏し倒れた私を押し潰す妄想。蕩ける様な夢。願わくば、この儘、私に永眠を。
 口元を覆っていた扇子を更に顔の方へと上げ、顔を隠した。そうして、徐に目を開く。目に入るのは、ぼやけた紫の幕。謂わば、夜の帳。焦点が合わず見えないが、私はこの扇子の模様を知っている。桜。紫の桜は、罪の花。私にぴったりだ。扇子の要目を支える右手はそのまま、木製の骨に左手を添える。それからゆっくり息を整えて、扇子を閉じた。


 黒く光る遮断桿が下がる。顕界と線路に、境界が引かれる。
 それは、幻覚ではない。


 線路の奥に目をやり、思わず目を見開いた。消魂けたたましい振動と共に、一対の光を灯した黒い何かが此方に迫って来て居る。私は確信した。あれが、電車だ。ガタン、ゴトン。以前紫が「電車はガタンゴトンと走るのよ」と言っていたが、まさしくその通りだと思った。平面のレールを走っているだけのはずなのに、小気味良いリズムで二対の車輪による二重奏が演奏されている。ほっと息を吐いた。
「ようやく、死ねる」
 等速直線運動を行っていた金属の塊は変わらず私の上を通過するものと思った。当然だ、これは駅ではなく、踏切だ。電車が止まる場所ではない。電車が通り抜ける場所なのだ。然し、私の神経を逆撫でするように、「ブーッ」と鈍い音が鳴った。当然これも聞いたことの無い音だった。しかしこの広い空にこだましてどこまでも、否、線路の方へと煙のように伝わっていく冷たいそれは、電車の到来を人に伝える警告音というよりは、人の到来を電車に伝える警告音のように思われた。
 「キーッ」という鋭い摩擦音が電車の方から聞こえ出す。レールと車輪の擦れる音。ガタンゴトンは消え果てていた。「キーッ」と表現したが、正しく言うならば「キーーーーーーーーッ」だ。耳だけが私に伝えてくれる。電車は、止まろうとしている。
 車輪が私の身体を、血液を拒むように、必死に踵を地面に擦り付けて居る。私はもうその電車を見たくもなかった。私の予感が正しければ──、あの速度だったなら、私の直前で、止まる。
 予感は的中した。人一人を押し潰すには苦労しない巨体を持ったそれは、私の広げた手から三寸もしないようなところで止まった。陽灯が隠され、世界は不自然な暗闇の昼の景色を告げている。
「どうして」
 最初に浮かんだのは困惑だった。次に、憤怒。やり場のない、死ねなかったことへの、私を殺さなかった電車への怒り。そして、その次は──、驚嘆だった。「プーッ」と軽い音が電車から鳴った。それは入浴を終えた人が安堵の息を漏らすかのようなそんな音。それから、やたら生物らしくない、如何にもガクッ、ガクッと表現するのが正しいような、規則正しい二度のリズムで扉が開いた。誰の一人もそこから降りることは無かった。この乗り物は空っぽなのだと思った。
 私が扉の前へと歩き出すのに時間は殆ど要さなかった。砂利道をリボンのついた靴が汚れるのも気にせず歩いていく。ぐしゃり、ぐしゃりと踏みしめる音はまるで三途の川の石のみで出来た光景を想起させる。と言っても、私はそれを見たことが無いのだが。私は、たったの一度も、死んだことがないのだから。
 自動で開いた扉の横には銀色の梯子があった。成程、扉の位置は車体の関係上高い位置に座している。これを登って中に入れということか。普段身体を動かさない物だからそれを登るのは幾何か四肢の動きと脳の命令を上手い具合に連携させる必要があったが、ともあれ無事に登り切った。私は今、地面から浮いている。そうして、吸い寄せられるように扉の中へと歩みを進めた。


 扉が閉まる。目的地不明、通過駅不明の電車が今動き出す。


 電車の中の光景に私は目を見開いた。誰も居ないと思っていた車内には、大量の人物が乗っていたから。それも、全て見覚えのある人達。私が、私が殺してしまった人たちだ。座席に目を向ければ、そこには先程首を吊ったばかりの友人の姿もあった。
「ねえ、──」
 私は声をかけようとして、辞めた。自分にそんな資格はないと思った。自然と手の拳に力が入る。気付けば俯いてしまっていた頭をぶんぶんを振って、私は辺りを注意深く見回した。この列車はどこに行くのだろう。それを知る前に、電車は再び小気味良いリズムで扉を閉めた。ズシンと一瞬の大きな揺れの後、私の身体に経験したことの無いような慣性を与えては動き出した。元居た場所に引っ張られるような感覚。しかし、それを無理に振り払うほど電車の力は強かった。徐々に加速度を高めながら電車は此処ではない何処かへ進んでいった。

 私がいるのは先頭車両のようだった。特に行く宛てもない私は、運転席らしき扉の奥を覗き込んだ。そして、はっと息を呑んだ。其処には誰も居なかった。息を吐きだすと額から汗がどっと噴き出してくる。魔法でも、霊力でもない力がこの電車を動かしている。ならば、その動力源は何処か? 私はまるでそれがすべきことだと信じ込むように、後部車両の方へと足を動かしていった。車両の連結部分はやけに揺れて、足の踏み場にすら困ってしまう。体全体を使って平衡感覚を取りながら、私はどんどん電車の進行方向の反対側へと進んでいった。
 居合わせる人の顔が皆、私が殺した人の顔をしていることは余りにも心臓に悪い。居心地がどうにも悪くなって自然と距離を取りながら進んでしまうのだが、どういう事か、その人たちは私の様子に一瞥もくれないようだった。まるで私なんて其処には居ないかのように。外の景色に目を向けるが、まるで雲の中にいるかの様に曇っていて全く様相が掴めなかった。震える腕をもう片方の腕で抑え込みながら、私は真っすぐ前を見据えて、歩みを止めることをしないようにした。

 六両目だろうか。私がその車両に足を踏み入れた時、すぐ異変に気が付いた。誰も居ないのだ。先程までの車両では、混雑しているとまではいかなくとも座席は埋まっていたし、立って吊革に掴まっている人だって居た。しかし、この車両は全く人がいなかった。私は警戒するように体を前のめりにしながら、ゆっくりゆっくりとそのまま進んで行った。気が付けば外の景色は一面の桜模様だった。私はこの景色を知っている。間違えるわけもない。私の住んでいる白玉楼の風景だ。
 後部車両のもう片端には車両連結部はなかった。代わりにあるのは、もう一対の運転席。私は恐る恐るそこに目をやる。想像できていた、とまでは言えなかったが、それでもそこには誰も居なかった。私はひと際大きな溜め息を吐いて、振り返ろうとして、声をかけられた。
「運転席は、必要ないのよ」
 声が私の身体を凍り付かせた。有り得ない。だって。
「この電車は、貴女が動かしているのですから」
 私はこの声の主を知っている。いつだって聞いている。忘れるわけがない。
「そうでしょう、私」
 運転席によりかかるようにしながら無理に身体を捻ってそちらを向く。声の主は、私だった。立っていたのは、紛れもない私、西行寺幽々子だった。
「な、んで」
 自然と口から疑問が溢れ出ていた。鏡を見ることは合っても、自分の姿と対面することはない。戦々恐々としながら顔に目を向ける。艶を失った髪。生気の感じない表情。そして、何も映さない虚ろな眼。私は、こんなにも死人のような顔をしていただろうか。もはや、自覚がない。しかし、きっと今の私もそんな顔をしていたのだろう。
「貴女は、冥界の主に選ばれたの」
「冥界……? 主……?」
 唐突に告げられる単語の意味を理解しきれなかった。目の前の私は、この私よりも随分と多くの事を知っているかのようだった。
「ふざけないで、私は自然と人を死に誘ってしまうだけなの。それに、私はまだ死んでいない」
「いいえ、貴女はもうとっくに死んでいるの」
「そんなわけがないでしょう、私はずっと死ねなくて!」
 死人を乗せる車両に、一人迷い込んだ私。ずっと怖くて自死を選べなかった自分。間違いない。私は今、生きて──
「貴女が殺した此処の人たちは、貴女が死後殺した人達。貴女は、死んだことに気付けなかった。貴女は、亡霊なの」
 外の桜が一斉に風に吹かれて、流れた。私は、亡霊。
「私は貴女の残した未練。現世に継ぎとめていた、僅かな意思。そして、貴女を繋ぎとめる物は私だけじゃない」
 目の前の私が透き通っていくように見えた。
「白玉楼も、西行妖も貴女を繋ぎとめる錨。死に誘う貴女の力は、既に死を操る力へと進化している」
「そんな私こそ、冥界の主に相応しいって?」
「だから、全部まとめて持っていくの」
 目の前の私は、真っすぐ微笑んで私を見据えていた。
「死の世界は、愉しいわよ」
 愉しい。その響きは随分魅力的に聞こえた。嗚呼、思えば最後に何かを愉しんだのは何時だっただろうか。
「愉しく、過ごしましょうね」
 そう言い残して、目の前の私は融けた。融けて、光になって、私の中に吸い込まれていく様だった。私はもう一度後ろを振り返って、運転席を見た。そこに、私の友人の、紫の姿を見た気がした。


 『白玉楼行き冥界列車、間もなく到着致します。お降りの際は、未練等お忘れ物のないよう──』


 列車が静かに減速し、扉の隙間から淡い桜の光が差し込んだ。私は息を呑み、そして笑った。不思議と晴れやかな気持ちだった。そうして列車は完全に動きを止める。扉は開く。
 列車を降りた先は、よく見知った私の屋敷。一つ違う点があるとすれば、顕界の屋敷ではなく、冥界の屋敷になった、ということだけ。花々の柔らかい匂いが、自然と私を落ち着かせてくれる。
 私は先程の運転席から誰か降りてくるのを待った。しかし、いくら待っても誰も降りては来なかった。扉側から正面の方へと移って、席を見上げて、私はそこに誰も居ないのを見た。私の友人は、そこには居なかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。感想等頂ければとても励みになります。
桜おはぎ
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コメント



0.簡易評価なし
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.80名前が無い程度の能力削除
幻想的な作風で好みでした。