只、夜空に輝く月。緑色。濁っているというよりは、潤っている。水性絵具を溶かした波目。細く尖らせた虹色の針先が混ざり合う。其の水は蒼というより黒か。
眼。一、二、と見えては、異常な三。とは言え、其の数字は、不要。三は濁った数字。三は黄。黄は人の意識其の物。疎ましい。目の前にあるのは、意識を見る眼。閉じた私の物とは違う。謂わば、夕暮を照らす陽灯。空すら開眼したか? 空間を裂き、虹彩が、瞳孔が動いて居る。視線は焼き付くように痛い。熱い。熱い。熱い。──私を見る。愛おしい? 否や、厭おしい。定まる其れの焦点。然し映る"零"の羅列。その眼の見る景色に、黄の月はない。
一、二、眼を開く。眼の数え方は三進法。繰り上がった一零の眼は既に閉じた。数字の零の形をした其れに、一を引き連ね、縛った。縛る? 腕を振る。動かない。押さえ付けられ。運動の熱量は細く、太く、冷たく熱い縄に吸われ溶ける。
「嗚呼、私は縛られているのね」
縛られている。解けない縄。沈まない月。夜空に固定され。自身、輪郭すら歪む暗闇。匂いすらない虚無。其処に、太陽を観た。眩しいと思った。一、二、一零の眼。──第三の眼。其れが、私を見る。本当に、厭おしい。
「こいし、私ね」
虚無に声が響いて馴染む。絵具を、絵筆で丁寧に擦る。白紙、それを吸い色紙と為る。私は黒が好きだ。一重梅の色を持つ固形の水性塗料は、水をも嫌って私に直接塗りつけられる。
「貴女にもう一度、眼を開いて欲しいの」
痛む。痛む。頭が痛い。何度目か? 一、二、三、四、五。繰り上がる必要すらなく、もう片手で六、七、八、九、十。文字で書けば一零であるのに、読み方は"とお"。数え上げるのは十進法では無理か。とは言え、三進法で数えられる訳もない。一、二、一零、──そこまで数えて、痛んだ。何? 一零の眼の方角。焼かれる痛撃。裂ける苦痛。口から自然と音が出ていた。
「があああっ!?」
意識は明白。闇夜、月は欠け、月の蝕。或ることが、本当に憎い。此のような物、最初から無ければ良かったのに! 躰を突き破らんと動く心臓。縄を突き破らんと動く四肢。然し、それを許すことは無い。開き続ける裂傷。
嗚呼、閉じた瞼を、強引に切り開く鋭利な刃物の感触が、直に伝わる。
「私だって痛い。けれど、ごめんなさい」
溢れ出るどす黒い赤。私の好む色、黒では無い。深緋色は匂いのない血。声を持たない悲鳴は煙草色。縄は冷たく熱く、火よりも水に似て、皮膚を透過して骨を結ぶ。其の愛、即ち束縛。私の首に、姉が絡みついて居る。羽虫の蛹に、人の形が切り込みを入れると、育った其れはもはや飛べぬ物に成り果てるらしい。人の手は、それほどに罪深い。──許せない。初めて姉に憎悪を覚えた。姉は、今にも私の殻を破き終える。
「こいし、一、二の三で切り開くから。そうして貴女は、元の"覚り"に戻る」
過保護も度を過ぎれば虐待。喉元過ぎれば熱さ忘れると言うが、私の胃は燃え泣いている。
数字が数え上げられる。
一。瞼から、刃を通じ、刃から、手を通じ、手から、姉を通じ、姉から、心を通じ、心からアイを感じる。哀? 愛?
二。悲鳴の残響も零に帰る。数は痛みに変換され、痛みは色に変換される。零は黒、一は赤。二は青。三は黄。危険を知らせる黄。──三は来ない。来てはならない。次に来る三を待ち詫びて──何? 来て欲しくなど無い。けれど、三を待つ。一、二の次は零。零が零を孕み、一零。二と三の間に零が生まれる。零が数を喰い、数が瞼を喰い、瞼が私を喰う。三は正しくない。数え間違うことなど、無い。
だが、姉は三を待たなかった。数にして、二と半。二.五の瞬間で、私の一零は裂かれた。
「────ッ!!」
悲鳴は音に為れど、声には為らなかった。二.五だ。零、一、二と来て次に来るのは一零。私の世界にない三。けれど、姉がしたのは三、四をも越して五。零より小さい五が私を裂いた。五、小なり、零。常軌を逸している。一、二、五。嫌いだ。五、進法、数法則。数に縛られる世界そのものが──嫌いだ。
「こいし、その第三の目で私を見るの」
何が"第三"だ。三を否定したのは姉の方ではないか。反抗的な心。然し、躰は痛みを覚えている。抗えない。震える眼に、神経を注いで視線を動かす。痛い。痛い。裂けた部分に、自ら意識を向ける。意識。意識? 無意識、ではない。向いているのは、意識。意識、意識。イシキ。
意識で姉を見た。人も、妖も、感覚を視覚に頼りすぎている。見えなくなった景色を再び見た感動など有りやしない。見えたのは、五、一、四、続く数字の羅列。二、八、零、零、七、五、そして九。…………。連続的ではない、離散的な数字が、何の意味も持たずにそこに或る。嫌いだ。嫌いだ。数、羅列、十進法。三は黄。四は緑。五は、紫。六は──もう考えたくはない。濁っている。白紙に様々な色が混ざり合い、吐き気を催す。黒が、黒が恋しい。
ふと思う。一零は、何色なのだろう。白目と黒目から成る左目と右目で、腰の辺りに視線をやる。細く線の伸びた私の一零の眼は、生臭い深紅の血で覆われてはいるが、深い、深い青色をしていた。
……一零は、青だ。青は、二だ。詰まる所──、一零は、二と等しい。
そうか。零、一、そして次は一零。一一と続き、一零零。此の世界は、二進法。黒と赤の世界。姉が抉じ開けたのは、一零の眼などでは無く。一一の眼だった。赤赤の眼。私の真っ青な一一の眼は、血の赤のような一一の瞳を宿していた。
世界は、零と一で満ちた。緩慢に両目を閉じる。暗闇。そして、唯、零に還る黒だけが残った。
眼。一、二、と見えては、異常な三。とは言え、其の数字は、不要。三は濁った数字。三は黄。黄は人の意識其の物。疎ましい。目の前にあるのは、意識を見る眼。閉じた私の物とは違う。謂わば、夕暮を照らす陽灯。空すら開眼したか? 空間を裂き、虹彩が、瞳孔が動いて居る。視線は焼き付くように痛い。熱い。熱い。熱い。──私を見る。愛おしい? 否や、厭おしい。定まる其れの焦点。然し映る"零"の羅列。その眼の見る景色に、黄の月はない。
一、二、眼を開く。眼の数え方は三進法。繰り上がった一零の眼は既に閉じた。数字の零の形をした其れに、一を引き連ね、縛った。縛る? 腕を振る。動かない。押さえ付けられ。運動の熱量は細く、太く、冷たく熱い縄に吸われ溶ける。
「嗚呼、私は縛られているのね」
縛られている。解けない縄。沈まない月。夜空に固定され。自身、輪郭すら歪む暗闇。匂いすらない虚無。其処に、太陽を観た。眩しいと思った。一、二、一零の眼。──第三の眼。其れが、私を見る。本当に、厭おしい。
「こいし、私ね」
虚無に声が響いて馴染む。絵具を、絵筆で丁寧に擦る。白紙、それを吸い色紙と為る。私は黒が好きだ。一重梅の色を持つ固形の水性塗料は、水をも嫌って私に直接塗りつけられる。
「貴女にもう一度、眼を開いて欲しいの」
痛む。痛む。頭が痛い。何度目か? 一、二、三、四、五。繰り上がる必要すらなく、もう片手で六、七、八、九、十。文字で書けば一零であるのに、読み方は"とお"。数え上げるのは十進法では無理か。とは言え、三進法で数えられる訳もない。一、二、一零、──そこまで数えて、痛んだ。何? 一零の眼の方角。焼かれる痛撃。裂ける苦痛。口から自然と音が出ていた。
「があああっ!?」
意識は明白。闇夜、月は欠け、月の蝕。或ることが、本当に憎い。此のような物、最初から無ければ良かったのに! 躰を突き破らんと動く心臓。縄を突き破らんと動く四肢。然し、それを許すことは無い。開き続ける裂傷。
嗚呼、閉じた瞼を、強引に切り開く鋭利な刃物の感触が、直に伝わる。
「私だって痛い。けれど、ごめんなさい」
溢れ出るどす黒い赤。私の好む色、黒では無い。深緋色は匂いのない血。声を持たない悲鳴は煙草色。縄は冷たく熱く、火よりも水に似て、皮膚を透過して骨を結ぶ。其の愛、即ち束縛。私の首に、姉が絡みついて居る。羽虫の蛹に、人の形が切り込みを入れると、育った其れはもはや飛べぬ物に成り果てるらしい。人の手は、それほどに罪深い。──許せない。初めて姉に憎悪を覚えた。姉は、今にも私の殻を破き終える。
「こいし、一、二の三で切り開くから。そうして貴女は、元の"覚り"に戻る」
過保護も度を過ぎれば虐待。喉元過ぎれば熱さ忘れると言うが、私の胃は燃え泣いている。
数字が数え上げられる。
一。瞼から、刃を通じ、刃から、手を通じ、手から、姉を通じ、姉から、心を通じ、心からアイを感じる。哀? 愛?
二。悲鳴の残響も零に帰る。数は痛みに変換され、痛みは色に変換される。零は黒、一は赤。二は青。三は黄。危険を知らせる黄。──三は来ない。来てはならない。次に来る三を待ち詫びて──何? 来て欲しくなど無い。けれど、三を待つ。一、二の次は零。零が零を孕み、一零。二と三の間に零が生まれる。零が数を喰い、数が瞼を喰い、瞼が私を喰う。三は正しくない。数え間違うことなど、無い。
だが、姉は三を待たなかった。数にして、二と半。二.五の瞬間で、私の一零は裂かれた。
「────ッ!!」
悲鳴は音に為れど、声には為らなかった。二.五だ。零、一、二と来て次に来るのは一零。私の世界にない三。けれど、姉がしたのは三、四をも越して五。零より小さい五が私を裂いた。五、小なり、零。常軌を逸している。一、二、五。嫌いだ。五、進法、数法則。数に縛られる世界そのものが──嫌いだ。
「こいし、その第三の目で私を見るの」
何が"第三"だ。三を否定したのは姉の方ではないか。反抗的な心。然し、躰は痛みを覚えている。抗えない。震える眼に、神経を注いで視線を動かす。痛い。痛い。裂けた部分に、自ら意識を向ける。意識。意識? 無意識、ではない。向いているのは、意識。意識、意識。イシキ。
意識で姉を見た。人も、妖も、感覚を視覚に頼りすぎている。見えなくなった景色を再び見た感動など有りやしない。見えたのは、五、一、四、続く数字の羅列。二、八、零、零、七、五、そして九。…………。連続的ではない、離散的な数字が、何の意味も持たずにそこに或る。嫌いだ。嫌いだ。数、羅列、十進法。三は黄。四は緑。五は、紫。六は──もう考えたくはない。濁っている。白紙に様々な色が混ざり合い、吐き気を催す。黒が、黒が恋しい。
ふと思う。一零は、何色なのだろう。白目と黒目から成る左目と右目で、腰の辺りに視線をやる。細く線の伸びた私の一零の眼は、生臭い深紅の血で覆われてはいるが、深い、深い青色をしていた。
……一零は、青だ。青は、二だ。詰まる所──、一零は、二と等しい。
そうか。零、一、そして次は一零。一一と続き、一零零。此の世界は、二進法。黒と赤の世界。姉が抉じ開けたのは、一零の眼などでは無く。一一の眼だった。赤赤の眼。私の真っ青な一一の眼は、血の赤のような一一の瞳を宿していた。
世界は、零と一で満ちた。緩慢に両目を閉じる。暗闇。そして、唯、零に還る黒だけが残った。
すこし気になったのは、ここで提示されているのは〈強引な姉に侵害される妹〉という、二次創作では割合見かけるさとりとこいしの関係で、それ自体はなにも問題ないのですが、今作のように特別な文体を使っている場合、「過保護も度を過ぎれば虐待」「此のような物、最初から無ければ良かったのに!」とかは、少々既視感のある表現に感じてしまいました。こういった箇所を数字遊び的でかつ色彩豊かな言葉に置換してやる必要があったのかも、と思います。でも「私の首に、姉が絡みついて居る。」という一文はすごく良かったです。
素敵な作品をありがとうございました。