「アナコが、アナコがー、私の宝物を飲み込んじゃってー……!」
神々の愛した美しき景色が広がる玄武の沢に、聞くだけで気の滅入りそうな辛気臭い声が響き渡る。
その湿気った声の主である依神紫苑は、首に巻き付けていた丸太のようなサイズの大蛇をどっこいしょと置いた。
「……なんで?」
河童の河城にとりはシンプルに困惑していた。当然である。
まず、紫苑が蛇を置いた場所は工具散らばる工作室である。にとりはエンジニアであって獣医ではない。なぜ医者ではなくウチなのか。
次に紫苑は貧乏神である。泣く子の涙も枯れる程に、関わった者の幸福を吸い取って捨てる災厄だ。それが蛇なんて金のかかりそうなペットをなぜ飼っている。
「アナコは、女苑が貰った子だったんだけど……」
まさにその疑問に答えるかのように紫苑は語りだした。まだどうするとも言っていないのに勝手にだ。
紫苑の双子の妹、女苑は疫病神であり、他人に財貨を浪費させる事を得意とするのだが、要はその相手が貢ぎ物としてアナコンダを献上したのだという。現代社会から隔離された幻想郷でどこからという話であるが、この手の巨大ペットが手に余って捨てられるのもよく聞く話だからそういう事なのだろう。
それにしてもアナコンダだからアナコ。メスなのだろうか、あまりにも安直な名前だ。
「でも普段から連れ回すわけにはいかないからって、引きこもりの姉さんよろしくーって押し付けるのよー。まあ私なんて居るだけでネズミとか虫が寄ってくるからエサには困らないんだけど……」
それは自分から不潔な場所に居着いているだけだろと思ったが、祟られたくないのでにとりは口を真一文字に結んだ。
「それが今朝ねー、私の宝物をご飯だと思って食べちゃって……」
「待て、まあ待て」
いろいろ突っ込みたいところはあるし、本音では今すぐにでも塩を撒きたい。しかしこの痩せ細った貧乏神は地面の塩を舐めそうだし、何より海の無い幻想郷では塩自体が富の象徴とも言えるほどめちゃくちゃに貴重品だ。
「つまりペットの誤飲だろ? 医者が出来そうなの、永遠亭の薬師とか居るじゃないか」
「最初に行った。でも屋敷が穢れるから帰れってウサギにアルコールスプレーされたの」
その薬師、迷いの竹林にウサギ達と隠れ住む月人という種族は、永遠に近い長寿からか穢れを極端に嫌う。しかしこの場合のケガレとは生死でなく、単純に不衛生で病気持ってそうだからが原因であろう。
「他にもいるだろ、生き物の体を弄り回すのが得意そうなヤツ。例えばアンタと同じ青色の……いやアイツはダメか」
にとりがぱっと思い浮かんだのは名前に青が付く仙人だが、あれも自ら邪を名乗るほどの厄介なので紹介した責任を負いたくなかった。
「他に切ったり繋いだりが得意そうなのは河童ぐらいしか思いつかないの。お願い何とかしてー」
「何とか、と言われてもなあ……」
生き物と機械を同じにされても困る。にとりだって生き物の強化骨格とかは作ったりしたが、腹を切って内臓を開いたりなどは未知の領域だ。
胃ならまだ良いが、ちなみに今はもう午後のおやつが迫る頃合いである。宝物とやらを飲み込んだのが今朝だと言うのなら、とっくにそこは通り越していそうだが。
「つーか、宝物って言うけど貧乏神の宝物って何さ。一応言っとくけど有機物だったらもうドロドロだろうよ」
「ビー玉……」
「はあ?」
「ラムネ飲むと、一つは付いてるでしょ。飲み終わった人のビンから抜いて集めてるの」
確かにレトロな炭酸飲料のビンにはビー玉が入っている。そりゃあガラス玉だから綺麗だろうが、集め方があまりにも貧乏神でにとりも気の抜けた声しか出なかった。
「舐めるとまだラムネの風味が残ってる気がするのよ。どうしようもない時は口の中で転がして空腹を紛らわせてたんだけどー」
「シンプルにきったねえ。幼児かよ」
「私が舐めてるのを見てアナコも勘違いしちゃったのねー。最近ごはんが少なめだったから全部飲みこんじゃったみたい」
「待て待て待て、全部っつった? 一体いくつ?」
「7個……」
「ナナ!?」
腹の中で神龍も呼び出せそうな数だ。そもそもアナコンダが龍みたいな見た目でもあるが。
「まあでも、ビー玉なんてちっちゃいだろ。放っておけばそのうち後ろから出てくるんじゃない?」
「私にお尻から出たビー玉を舐めろって言うの?」
「洗えよ! そもそも舐めるな!!」
こうなるから貧乏人がペットを飼うなと言われているのに。にとりはこれ見よがしに大きなため息をついた。
彼女も万歳楽というアザラシの面倒を見たりしているが、それだって河童の皆で交代制だ。飼い主が不幸ならばペットだって不幸になる。一つの命を養うのを軽んじてはいけない。
「お願い、ビー玉飲んじゃったなんてバレたら、女苑がご飯の残りも恵んでくれないかもー」
「はいはい、保身ですね」
妹の方だってどう考えても世話を任せる相手を間違えているとは思うが、常に選択を間違い続けるからこの姉妹は疫病神と貧乏神なのであった。
「見て、アナコも苦しんでるわ。お願い、助けてあげてー」
『アー…………』
大蛇がなんとも言い難い表情でにとりを見つめた。先ほどから二人で騒いでいるのを静かに眺めている大人しい子である。なんでもいいからまともな食い物くれよ、と言っているように見えなくもない。
「…………まあ、大蛇と言えば水神様の象徴ではあるからなあ」
本音を言えば関わりたくない。全くもって関わりたくない。貧乏神にお礼を求めたって垢と髪の毛ぐらいしか出せる物はないだろう。それでも水に住む妖怪として蛇を粗末に扱うわけにはいかない。紫苑と対面した時点で負けだったとも言える。
「やれるだけの事はやってみるか。ダメなら他のちゃんとした医者を探してくれよ」
「ありがとう、アナコも喜んでるわー」
紫苑は辛気臭い不気味な笑顔を浮かべた。これでも心から感謝しているのである。
『あー』
こっちは「ありがとう」の「あ」だろうか。何であれ、にとり改めドクターK(カワシロ)の最初で最後のオペが幕を開けるのであった。
「……うーむ。確かにこの辺り、なんかぼこぼこしてるなあ」
にとりが寝かせたアナコの胴体を上から順に撫でる。しこりのような手応えが真ん中の辺りで連続するのを感じた。それにしても麻酔もしていないのに全く暴れる様子がない。幻想郷に馴染んで知恵を付けたか或いは半妖化したか、どちらにせよ良い患者で何よりだ。
「ここまで行ったら吐き出させるのも大変だろう。やっぱり普通に排泄を待たないか?」
「ダメでしょ。今は大人しくても下の方で詰まったりしたら大変よ」
「そりゃまあ、そうかもしんないけど」
にとりはビー玉舐めるような奴が正論言うなと思っていた。結局排泄物にまみれたビー玉を触りたくないだけだと思うが、胃液ならセーフなのだろうか。貧乏神という生物はよく分からない。
「こう、ぐいっと押してやったら逆流しないかしら」
紫苑は腹部に両手を当てて全体重をかけた。
「おいバカ、やめろ……」
『アアッ!』
案の定、アナコが苦痛を感じたのかグネグネと体を捩らせる。
「アンタが腹を押して吐いた事あるか? 胃腸ってのは簡単にそうならないように出来てるんだよ」
「でもそういう芸を見た事あるしー……」
「ああいうのは訓練してんの! 人と蛇を一緒にすんな!」
にとりもついつい声を荒げてしまう。あまり関わりのない彼女がこれなのだからアナコもさぞやご立腹に違いない。
と、思いきや。
「あ、でもアナコは何だか喜んでない?」
「はあ? そんなわけ……」
ないだろ、と思ったにとりの手にぐいぐいと押し込まれる感覚。なんとアナコは自ら腹を押し付けてきたのだ。
「いやいや、治してほしい一心だろう。被虐性癖を持った蛇なんて聞いたことがない……」
その尊い意志を尊重して、今度はにとりがお腹にぐっと力を込めてみる。さっきは不幸体質の紫苑だったからダメで、エンジニアの自分ならなんか上手くいくかもしれない。その可能性にかけて。
『アッ、アッアッ……』
先ほどと違って思いやりに溢れたにとりの手に、アナコも苦悶の声を上げる。
「やっぱり喜んでるよね?」
「喜んでるな、こいつ」
信じたくないがそう結論付けるしかなかった。痛いのが良いのか、女の子の手が良いのかは知ったこっちゃないが、噛みつかないなら敵意が無いとなる。もしくは単に我慢強いだけかもしれないが。
「まあ蛇って妖にもなると人間の嫁を要求したりとか特殊な癖を持ったりするけどさあ……」
「でもこれなら遠慮はいらないね。もっといろいろ試さない?」
「いろいろって例えば?」
紫苑は工作室をきょろきょろ見回して、床に転がっていた小型掃除機を手に取った。にとりお手製のハンドクリーナーNTR・MKⅡ最新式改訂版である。
「これを口に突っ込んで吸う」
「酸欠になって死にそうだけど……おいアナコ、やっていいのか?」
『ああ』
アナコはこくんと首を縦に振った。
「いいんだ……そんじゃやるけど、痛かったら手を……手は無くてもなんか上げるんだぞ?」
他ならぬ本人(蛇)がやれと言うのだからやるが、苦しむ時間はなるべく少ない方が良いだろう。掃除機の先を口に突っ込んだにとりは、良かれと思って最初から魔改造済みの最大出力でスイッチをオンにした。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!』
扇風機の前で宇宙人の真似をするアレを逆転させたような悲鳴がアナコから上がった。
「ストップ! ストーップ!!」
紫苑が止めるまでもなくにとりは掃除機を引っこ抜いていた。アナコの体にだけ大地震が起きていたので当然の処置である。
「予想通り、駄目だよな。外の世界じゃ尻に逆の事やって死亡したケースもあるらしいし」
「逆って……お尻に空気を噴射したの? なんで?」
「地獄に落ちたら本人に聞いてくれ。それよりアナコは大丈夫か?」
『あー……』
ぐったりと仰向けになったアナコは静かに声を上げた。なんとなく、にとりはアナコの生霊がサムズアップする幻覚を見た気がしたが、きっと気のせいだろう。
「やっぱ口からはダメだって。諦めて肛門から出そうよ」
「でも、私の宝物がまみれちゃうしー、うん……」
「殺菌消毒するし、おまけにきゅうりフレーバーも付けてやるよ」
「仕方ないね。お尻から行きましょう」
飼い主代理の許可も出た。最初からそうすべきであった、単純にして恐ろしい方法。つまり肛門に手を突っ込んで排泄を促し、引っ張り出すやり方だ。
「まあ任せなって。何しろ私は河童だからさ、尻から玉を抜き取るのも慣れたもんよ」
「そこだけ聞くと普通にヘンタイっぽいね」
「アンタの奥歯ガタガタ言わせたろか? とにかく、アナコも良いか?」
『ああ!』
アナコは頷いた。とても力強く。
そこまで覚悟が決まっているなら躊躇いはない。にとりは紫苑に道具箱から鉄製の器具を手渡した。
「そいつを刺して穴を広げてくれ。私は腕を伸ばして探るから」
「何でこういうの持ってるの?」
「地獄に落ちたら本人に聞いてくれ」
いつもと違って内臓を傷付けられないので、にとりは肩まで届く長いゴム手袋を付けて潤滑油を塗った。その準備の間に、紫苑がアナコの穴に器具を差し込んでそっとレバーを引く。
『ア……!』
アナコが若干恥ずかしそうに鳴く。蛇も鳥などと同様に総排泄腔なので、女の子としてはやはり気にするのかもしれない。
「それじゃあ行くぞ。内臓破裂したくなかったら絶対に動くなよ」
手袋をはめたにとりの腕が、小柄な背丈には見合わぬほどぐにょんと伸びた。見た目は少女でも彼女はやはりれっきとした妖怪なのである。
アナコの入口(出口)に手を侵入。ゆっくり、ゆっくり、上っていく。
『嗚呼……っ!』
アナコも切なそうな声を上げる。そこについてはもう何も言うまい。
所々で柔らかい感触に当たるが全て無視。感じ取るべきは丸いつるつるだ。さっきの触診では胴体の真ん中辺りだったので、もう少し、もう少し――と、指先に何かがこつんと当たる。
にとりはそれをしっかりと掴んだ。
「あった!」
「やったあ!」
紫苑は諸手を挙げて喜んだ。
『ア゛ッ!!!』
そして悲劇は起きた。不幸の塊である貧乏神だから当然の帰結だったとも言える。
歓喜の声を上げた紫苑は、大きく手を動かしてしまった。すなわち、拡張期のレバーを握ったままの手を。つまりどうなったかと言うと――。
「……で、もう一度言ってみなさいよ、その名前」
「アナコNTR・MKⅡ最新式紫苑改です……」
紫苑の妹である疫病神、依神女苑。その前には下半身の原型が無いほど重武装された大蛇がとぐろを巻いていた。
「アナコの穴が壊れちゃってー……もうロボット改造しかなくってー……」
「嘘つけ。絶対あのクソ河童の趣味じゃない」
「でもほら、お腹からビー玉を発射出来るしー、許してくれるよね?」
「30年前のホビーかよ! 私はヘビ皮の感触が好きだったの!」
女苑の手足が紫苑に絡み付き、ぎゅうぎゅうに締め上げる。
「ギブっ、ギブ……!」
お仕置きのコブラツイストという名目でじゃれる姉妹を余所に、当のアナコはというとまたも紫苑の宝物に目を付けて大口を開けるのであった。
神々の愛した美しき景色が広がる玄武の沢に、聞くだけで気の滅入りそうな辛気臭い声が響き渡る。
その湿気った声の主である依神紫苑は、首に巻き付けていた丸太のようなサイズの大蛇をどっこいしょと置いた。
「……なんで?」
河童の河城にとりはシンプルに困惑していた。当然である。
まず、紫苑が蛇を置いた場所は工具散らばる工作室である。にとりはエンジニアであって獣医ではない。なぜ医者ではなくウチなのか。
次に紫苑は貧乏神である。泣く子の涙も枯れる程に、関わった者の幸福を吸い取って捨てる災厄だ。それが蛇なんて金のかかりそうなペットをなぜ飼っている。
「アナコは、女苑が貰った子だったんだけど……」
まさにその疑問に答えるかのように紫苑は語りだした。まだどうするとも言っていないのに勝手にだ。
紫苑の双子の妹、女苑は疫病神であり、他人に財貨を浪費させる事を得意とするのだが、要はその相手が貢ぎ物としてアナコンダを献上したのだという。現代社会から隔離された幻想郷でどこからという話であるが、この手の巨大ペットが手に余って捨てられるのもよく聞く話だからそういう事なのだろう。
それにしてもアナコンダだからアナコ。メスなのだろうか、あまりにも安直な名前だ。
「でも普段から連れ回すわけにはいかないからって、引きこもりの姉さんよろしくーって押し付けるのよー。まあ私なんて居るだけでネズミとか虫が寄ってくるからエサには困らないんだけど……」
それは自分から不潔な場所に居着いているだけだろと思ったが、祟られたくないのでにとりは口を真一文字に結んだ。
「それが今朝ねー、私の宝物をご飯だと思って食べちゃって……」
「待て、まあ待て」
いろいろ突っ込みたいところはあるし、本音では今すぐにでも塩を撒きたい。しかしこの痩せ細った貧乏神は地面の塩を舐めそうだし、何より海の無い幻想郷では塩自体が富の象徴とも言えるほどめちゃくちゃに貴重品だ。
「つまりペットの誤飲だろ? 医者が出来そうなの、永遠亭の薬師とか居るじゃないか」
「最初に行った。でも屋敷が穢れるから帰れってウサギにアルコールスプレーされたの」
その薬師、迷いの竹林にウサギ達と隠れ住む月人という種族は、永遠に近い長寿からか穢れを極端に嫌う。しかしこの場合のケガレとは生死でなく、単純に不衛生で病気持ってそうだからが原因であろう。
「他にもいるだろ、生き物の体を弄り回すのが得意そうなヤツ。例えばアンタと同じ青色の……いやアイツはダメか」
にとりがぱっと思い浮かんだのは名前に青が付く仙人だが、あれも自ら邪を名乗るほどの厄介なので紹介した責任を負いたくなかった。
「他に切ったり繋いだりが得意そうなのは河童ぐらいしか思いつかないの。お願い何とかしてー」
「何とか、と言われてもなあ……」
生き物と機械を同じにされても困る。にとりだって生き物の強化骨格とかは作ったりしたが、腹を切って内臓を開いたりなどは未知の領域だ。
胃ならまだ良いが、ちなみに今はもう午後のおやつが迫る頃合いである。宝物とやらを飲み込んだのが今朝だと言うのなら、とっくにそこは通り越していそうだが。
「つーか、宝物って言うけど貧乏神の宝物って何さ。一応言っとくけど有機物だったらもうドロドロだろうよ」
「ビー玉……」
「はあ?」
「ラムネ飲むと、一つは付いてるでしょ。飲み終わった人のビンから抜いて集めてるの」
確かにレトロな炭酸飲料のビンにはビー玉が入っている。そりゃあガラス玉だから綺麗だろうが、集め方があまりにも貧乏神でにとりも気の抜けた声しか出なかった。
「舐めるとまだラムネの風味が残ってる気がするのよ。どうしようもない時は口の中で転がして空腹を紛らわせてたんだけどー」
「シンプルにきったねえ。幼児かよ」
「私が舐めてるのを見てアナコも勘違いしちゃったのねー。最近ごはんが少なめだったから全部飲みこんじゃったみたい」
「待て待て待て、全部っつった? 一体いくつ?」
「7個……」
「ナナ!?」
腹の中で神龍も呼び出せそうな数だ。そもそもアナコンダが龍みたいな見た目でもあるが。
「まあでも、ビー玉なんてちっちゃいだろ。放っておけばそのうち後ろから出てくるんじゃない?」
「私にお尻から出たビー玉を舐めろって言うの?」
「洗えよ! そもそも舐めるな!!」
こうなるから貧乏人がペットを飼うなと言われているのに。にとりはこれ見よがしに大きなため息をついた。
彼女も万歳楽というアザラシの面倒を見たりしているが、それだって河童の皆で交代制だ。飼い主が不幸ならばペットだって不幸になる。一つの命を養うのを軽んじてはいけない。
「お願い、ビー玉飲んじゃったなんてバレたら、女苑がご飯の残りも恵んでくれないかもー」
「はいはい、保身ですね」
妹の方だってどう考えても世話を任せる相手を間違えているとは思うが、常に選択を間違い続けるからこの姉妹は疫病神と貧乏神なのであった。
「見て、アナコも苦しんでるわ。お願い、助けてあげてー」
『アー…………』
大蛇がなんとも言い難い表情でにとりを見つめた。先ほどから二人で騒いでいるのを静かに眺めている大人しい子である。なんでもいいからまともな食い物くれよ、と言っているように見えなくもない。
「…………まあ、大蛇と言えば水神様の象徴ではあるからなあ」
本音を言えば関わりたくない。全くもって関わりたくない。貧乏神にお礼を求めたって垢と髪の毛ぐらいしか出せる物はないだろう。それでも水に住む妖怪として蛇を粗末に扱うわけにはいかない。紫苑と対面した時点で負けだったとも言える。
「やれるだけの事はやってみるか。ダメなら他のちゃんとした医者を探してくれよ」
「ありがとう、アナコも喜んでるわー」
紫苑は辛気臭い不気味な笑顔を浮かべた。これでも心から感謝しているのである。
『あー』
こっちは「ありがとう」の「あ」だろうか。何であれ、にとり改めドクターK(カワシロ)の最初で最後のオペが幕を開けるのであった。
「……うーむ。確かにこの辺り、なんかぼこぼこしてるなあ」
にとりが寝かせたアナコの胴体を上から順に撫でる。しこりのような手応えが真ん中の辺りで連続するのを感じた。それにしても麻酔もしていないのに全く暴れる様子がない。幻想郷に馴染んで知恵を付けたか或いは半妖化したか、どちらにせよ良い患者で何よりだ。
「ここまで行ったら吐き出させるのも大変だろう。やっぱり普通に排泄を待たないか?」
「ダメでしょ。今は大人しくても下の方で詰まったりしたら大変よ」
「そりゃまあ、そうかもしんないけど」
にとりはビー玉舐めるような奴が正論言うなと思っていた。結局排泄物にまみれたビー玉を触りたくないだけだと思うが、胃液ならセーフなのだろうか。貧乏神という生物はよく分からない。
「こう、ぐいっと押してやったら逆流しないかしら」
紫苑は腹部に両手を当てて全体重をかけた。
「おいバカ、やめろ……」
『アアッ!』
案の定、アナコが苦痛を感じたのかグネグネと体を捩らせる。
「アンタが腹を押して吐いた事あるか? 胃腸ってのは簡単にそうならないように出来てるんだよ」
「でもそういう芸を見た事あるしー……」
「ああいうのは訓練してんの! 人と蛇を一緒にすんな!」
にとりもついつい声を荒げてしまう。あまり関わりのない彼女がこれなのだからアナコもさぞやご立腹に違いない。
と、思いきや。
「あ、でもアナコは何だか喜んでない?」
「はあ? そんなわけ……」
ないだろ、と思ったにとりの手にぐいぐいと押し込まれる感覚。なんとアナコは自ら腹を押し付けてきたのだ。
「いやいや、治してほしい一心だろう。被虐性癖を持った蛇なんて聞いたことがない……」
その尊い意志を尊重して、今度はにとりがお腹にぐっと力を込めてみる。さっきは不幸体質の紫苑だったからダメで、エンジニアの自分ならなんか上手くいくかもしれない。その可能性にかけて。
『アッ、アッアッ……』
先ほどと違って思いやりに溢れたにとりの手に、アナコも苦悶の声を上げる。
「やっぱり喜んでるよね?」
「喜んでるな、こいつ」
信じたくないがそう結論付けるしかなかった。痛いのが良いのか、女の子の手が良いのかは知ったこっちゃないが、噛みつかないなら敵意が無いとなる。もしくは単に我慢強いだけかもしれないが。
「まあ蛇って妖にもなると人間の嫁を要求したりとか特殊な癖を持ったりするけどさあ……」
「でもこれなら遠慮はいらないね。もっといろいろ試さない?」
「いろいろって例えば?」
紫苑は工作室をきょろきょろ見回して、床に転がっていた小型掃除機を手に取った。にとりお手製のハンドクリーナーNTR・MKⅡ最新式改訂版である。
「これを口に突っ込んで吸う」
「酸欠になって死にそうだけど……おいアナコ、やっていいのか?」
『ああ』
アナコはこくんと首を縦に振った。
「いいんだ……そんじゃやるけど、痛かったら手を……手は無くてもなんか上げるんだぞ?」
他ならぬ本人(蛇)がやれと言うのだからやるが、苦しむ時間はなるべく少ない方が良いだろう。掃除機の先を口に突っ込んだにとりは、良かれと思って最初から魔改造済みの最大出力でスイッチをオンにした。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!』
扇風機の前で宇宙人の真似をするアレを逆転させたような悲鳴がアナコから上がった。
「ストップ! ストーップ!!」
紫苑が止めるまでもなくにとりは掃除機を引っこ抜いていた。アナコの体にだけ大地震が起きていたので当然の処置である。
「予想通り、駄目だよな。外の世界じゃ尻に逆の事やって死亡したケースもあるらしいし」
「逆って……お尻に空気を噴射したの? なんで?」
「地獄に落ちたら本人に聞いてくれ。それよりアナコは大丈夫か?」
『あー……』
ぐったりと仰向けになったアナコは静かに声を上げた。なんとなく、にとりはアナコの生霊がサムズアップする幻覚を見た気がしたが、きっと気のせいだろう。
「やっぱ口からはダメだって。諦めて肛門から出そうよ」
「でも、私の宝物がまみれちゃうしー、うん……」
「殺菌消毒するし、おまけにきゅうりフレーバーも付けてやるよ」
「仕方ないね。お尻から行きましょう」
飼い主代理の許可も出た。最初からそうすべきであった、単純にして恐ろしい方法。つまり肛門に手を突っ込んで排泄を促し、引っ張り出すやり方だ。
「まあ任せなって。何しろ私は河童だからさ、尻から玉を抜き取るのも慣れたもんよ」
「そこだけ聞くと普通にヘンタイっぽいね」
「アンタの奥歯ガタガタ言わせたろか? とにかく、アナコも良いか?」
『ああ!』
アナコは頷いた。とても力強く。
そこまで覚悟が決まっているなら躊躇いはない。にとりは紫苑に道具箱から鉄製の器具を手渡した。
「そいつを刺して穴を広げてくれ。私は腕を伸ばして探るから」
「何でこういうの持ってるの?」
「地獄に落ちたら本人に聞いてくれ」
いつもと違って内臓を傷付けられないので、にとりは肩まで届く長いゴム手袋を付けて潤滑油を塗った。その準備の間に、紫苑がアナコの穴に器具を差し込んでそっとレバーを引く。
『ア……!』
アナコが若干恥ずかしそうに鳴く。蛇も鳥などと同様に総排泄腔なので、女の子としてはやはり気にするのかもしれない。
「それじゃあ行くぞ。内臓破裂したくなかったら絶対に動くなよ」
手袋をはめたにとりの腕が、小柄な背丈には見合わぬほどぐにょんと伸びた。見た目は少女でも彼女はやはりれっきとした妖怪なのである。
アナコの入口(出口)に手を侵入。ゆっくり、ゆっくり、上っていく。
『嗚呼……っ!』
アナコも切なそうな声を上げる。そこについてはもう何も言うまい。
所々で柔らかい感触に当たるが全て無視。感じ取るべきは丸いつるつるだ。さっきの触診では胴体の真ん中辺りだったので、もう少し、もう少し――と、指先に何かがこつんと当たる。
にとりはそれをしっかりと掴んだ。
「あった!」
「やったあ!」
紫苑は諸手を挙げて喜んだ。
『ア゛ッ!!!』
そして悲劇は起きた。不幸の塊である貧乏神だから当然の帰結だったとも言える。
歓喜の声を上げた紫苑は、大きく手を動かしてしまった。すなわち、拡張期のレバーを握ったままの手を。つまりどうなったかと言うと――。
「……で、もう一度言ってみなさいよ、その名前」
「アナコNTR・MKⅡ最新式紫苑改です……」
紫苑の妹である疫病神、依神女苑。その前には下半身の原型が無いほど重武装された大蛇がとぐろを巻いていた。
「アナコの穴が壊れちゃってー……もうロボット改造しかなくってー……」
「嘘つけ。絶対あのクソ河童の趣味じゃない」
「でもほら、お腹からビー玉を発射出来るしー、許してくれるよね?」
「30年前のホビーかよ! 私はヘビ皮の感触が好きだったの!」
女苑の手足が紫苑に絡み付き、ぎゅうぎゅうに締め上げる。
「ギブっ、ギブ……!」
お仕置きのコブラツイストという名目でじゃれる姉妹を余所に、当のアナコはというとまたも紫苑の宝物に目を付けて大口を開けるのであった。
目を覆いたくなるような悲劇でした
でも生きててよかった
まあ、その性癖が招いた惨劇でもあったと思うので結局は生きてて良かったねって流してあげるのが本人にとっては一番いいのかなと思いました。ビーダマンアナコ。
面白かったです。さすがです!