Coolier - 新生・東方創想話

これ斬れる?

2025/07/05 02:50:21
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「ねえ妖夢、これ斬れる?」
 嗚呼、また始まった。最近の幽々子さまのマイブーム。最近色んなものを持ってきてはこう言うのだ。
「ねえってばー」
 幽々子さまの顔は窺えない。というのも、一尺は軽く超えているであろう、それはそれは大きな玉葱を抱えているんだもの。というか、西瓜より大きな玉葱なんて初めて見た。
「わかりました、斬りますから」
 宥めるようにそう言って、私はそれをまな板の上に置かせる。台所の棚から、持っている中で一番大きな包丁を取り出してみる。……わかっていたことだけど、包丁の刃の長さを玉葱の直径が超えている。
「そんな包丁じゃ小っちゃいんじゃない?」
 ……本当に五月蠅い方だ、そんなことは解っている。というのも、何故か幽々子さまは「一刀両断」にこだわるのだ。物より小さい刃で物を一刀両断することはできない。私は仕方なく背中に掛けてある楼観剣を抜いて、包丁を押し当てるように上から玉葱を押さえつける。こんな構え、剣術の稽古には何にもならないと言うのに。
 一瞬の沈黙。自分の世界に入り込む。今の私の世界には私と玉葱、そしてそれを結ぶ楼観剣だけ。いざ、斬らん。私は「はっ」と一瞬声を吐き出して、刀を下に抜き去る。玉葱は真ん中を境にぷっつりと割れ、半球の上を尖らせた、綺麗な玉葱の断面が顔を表す。
「なるほど、これは斬れるのね」
 そう呟いて幽々子さまは玉葱にはもう興味がない様子で、すぐどこかに行ってしまった。嗚呼、こんなに大きな玉葱、一体どうやって料理したら……。

 結局私は玉葱に横向きの切れ目を作り、それからみじん切りにすることで難を逃れた。これだけあれば当分薬味には困らないだろう。冥界の食べ物はどういう訳か腐らないから安心だ。



「ねえ妖夢、これは斬れるかしら?」
 またいつものやつが始まった。幽々子さま恒例の「これ斬れる?」の時間。
 私は幽々子さまの方を見やる。幽々子さまが手に持っているのは、これといってなんの特徴もない、軽そうな赤い風船だった。結び目の部分から糸が伸びており、空に飛んでいくのを留めるかのようにその人はそれを握っている。
「幽々子さま、子供の遊びじゃないんですから」
 と言って、私はすかさず楼観剣を抜く。全く、今時風船だなんて。「斬れぬものなどあんまりない」と、私は自分に言い聞かせる。確かに、風船を切るのは難しい、ちょっとでも力の入れ方を間違えるとパーンと割れてしまうし。それを防ぐためには、切り口の部分、刀を入れ始める瞬間と抜き終える瞬間をほぼ同時にする必要がある。刹那、たった一瞬でそれを斬り裂いて、ようやく風船を一刀両断することができる。
 風船へ向き直る。勿論、幽々子さまを斬らないようにするのも大事なこと。私はそれを幽々子さまから沿う方向の斜めへ切ろうと刀を構えて──幽々子さまに静止される。
「あのね、妖夢。この風船、とーっても大事に作ったのよ」
 なんだなんだ、また幽々子さまが変なことを言い出した。
「膨らませるの、すごーく、すごーく時間がかかったの。思い入れができちゃって」
「……何分かかったんですか?」
「一分くらいかしら」
 はあ、と私はため息を吐いて、音速で──いや、音を置き去りにする速さで刀を振るう。一刀両断。赤い風船は二つのゴム片に綺麗に分かれて、そのまま斬られた片方は宙へ浮かんでいった。
「あーあ、私が丹精込めて膨らませた風船が斬られちゃった」
 幽々子さまは全く残念がってなさそうな声でそれを言う。斬られた風船のもう片方、糸がついている方は変わらず幽々子さまの左手にある。
「別に良いでしょう、風船くらい。また買ってきてください」
 そう答える私に、幽々子さまは意外な返答をするのだった。
「ねえ妖夢。もし私がこれを膨らませるのに十分くらいかかってたら斬れたかしら」
「それは勿論」
 答えは明白だった。
「一時間だったら?」
「斬りますとも」
 私の答えは変わらない。
「じゃあ……この日のために半年準備していたとしたら?」
「……え?」
 幽々子さまはくるりと後ろに振り返り、今度は真剣に、本当に残念そうな声で言った。私は何か大変なものを斬ってしまったような気がした。
「ゆ、幽々子さま、嘘はよしてください」
 と言うと、幽々子さまはもう一度こちらに振り返り、屈託のない笑顔で言った。
「そうね、噓は良くないわね。全部嘘よ」
 ああ良かったと胸を撫で下ろす。全く、幽々子さまは、と思っていると、こう言い残してどこかに去ってしまうのだった。
「本当はね、一年考えていたのよ」
 ……ちなみに、幽々子さまのマイブームが始まったのは一か月前のことである。



「ねえ妖夢。今度のこれは斬れるかしら?」
 今日も幽々子さまのこの時間だ。そろそろ私の方にも負けず嫌いの思いが宿ってきた。ここまで来たらなんでも斬ってやる。
 幽々子さまの方に向き直る。今日の幽々子さまは、何も持っていなかった。私は冗談めかして言う。
「……まさか『私を斬れ』なんて言いませんよね?」
「言ってほしいかしら」
「いえ、全く」
 あれほど何も持ってこないでほしいと思っていたのに、いざ何も持ってこられないとどうしようもなく恐ろしい気持ちになるのだった。
「今日斬ってもらうのは……影よ」
「影?」
「私の影を斬りなさい」
 全く、何を言い出すんだこの方は。私は半分呆れながら物言う。
「申し訳ないのですが、実態の無い物は私には斬れません。空間とか時間とか」
「あら、妖忌なら斬ってくれたわよ」
「お師匠様にも同じことやっていたんですか……」
 その人のことを引き合いに出されると流石に困ってしまう。流石の私にも斬れないものくらいある。でも、理論的に不可能なわけではない。修行不足なだけだ。もっと修行を詰めば、空間も時間も斬れるはず。でも今は──。自分の無力感を再確認し、私は歯軋りする。そんな私に、幽々子さまは、
「妖夢、じゃああなたには斬れないのね」
 というような物言いをするものだから、私はちょっと頭に血を上らせて言い返してしまう。
「斬れます! 斬れますから!」
「あら? そう。じゃあお願いするわね」
 私は幽々子さまの前に伸びる地面の影に向き直る。中段の構えをとって──それから、剣先をどこに向けるか迷ってしまう。影を斬る? どうやって? 私は「斬れる」と答えたことをもう既に後悔しつつあった。
 じっと目を瞑る。実態のないものを斬るのに、視界なんて必要ない。在るべきは、私と楼観剣と、影。それを斬るイメージをしようとする。でも、断つべき場所がわからなかった。頭? 足? それとも心臓? 私にはそれがわからず、仕方なく幽々子さまと影を結ぶ足元の一点に狙いを定める。じっとそれを心の目で見て……静寂の中、刀を振るった。そうして、ゆっくり目を開いた。
「やっぱり、斬れないじゃない」
 やはり、影は斬れていなかった。
「……すみません」
 冷静になって謝る私に、幽々子さまは一言呟く。
「物事を見るときは常に一歩引いて全体を見ること、って以前言ったの、覚えてる?」
「全体を……」
 私は影をもう一度見つめる。音も言わず佇むそれは、私のことを嘲笑っている気がした。



 幽々子さまが発ってから、私は自分の影を見つめ直した。全体を見ようと一歩後ずさりしてみる。影も同じように私の方に一歩歩み寄った。
「一歩引いて、ってそういう意味じゃないんだろうなあ」
 当然、幽々子さまが言っているのは文字通りの意味ではないだろう。もっと抽象的に、俯瞰的に全体を見ろって言っているんだろう。
 影の全体。影とは何だろう? 影は光の遮られた部分だ。光の届かない闇の部分だ。いわば、光と影は一心同体。影を与える光を斬れば、影をも斬れるかもしれない、と考えて結局困ってしまう。光を斬ることも、影を斬ることも、同じことじゃないの?
 もう一歩引いて見ようとしてみる。影は私に付いて来る。もう一歩引いて、また付いて来て。またもう一歩も、同じ結果。それを見ていると、影すら自分の一部であるように感じられた。
 斬っても良いのだろうか、とふと思った。影を斬ることは、その人の一部を斬ってしまうことなのではないだろうか、と思った。目を瞑る。イメージするのは、私と、楼観剣と、私の影。私の影は地面からぬっと浮かび上がってきて、全く私と同じ姿で立ち臨んだ。
 嗚呼、この影は私の弱い部分だ。未熟な部分だ。でも、これすら含めて私なんだ。斬れないんじゃない。私は、あえてそれを斬らなかったんだ。
 私はすっと目を開く。正面に見上げる太陽の日差しは眩しく、暗い世界を一気に光が満たしていく。太陽を背に、私は自身の後ろへ振り向いた。
 影は変わらずそこに在った。
「お師匠様は斬れた、って言ってたなあ」
 私はしみじみ思いながら、影と歩みを合わせながら白玉楼へと歩いて行った。



「ねーえー、妖夢。次はこれを斬ってほしいのだけど」
 もう何度目だろう。散々振り回されて、私もそろそろ疲れてきてしまった。
「今度は何ですか?」
「書架の奥を漁っていたらね、こんなものが出てきたのよ」
 写真だった。桜の木の下に写っているのは、幼い頃の私と、幽々子さまと、お師匠様。私の主と、祖父。写真の中の人たちは、皆笑顔。家族写真といっても差し支えないものだった。
「もう妖忌はいないでしょう? さっぱりするためにも、全部斬ってもらおうと思って」
「あの、幽々子さま、正気ですか?」
 幽々子さまの真意は掴めなかった。本気で言っているようにも、ふざけて言っているようにもとれた。。
「妖夢、斬れる?」
 幽々子さまはちょっぴり悲しそうな顔でこっちを向いて、言う。答えはわかりきっていた。
「……これは斬れません」
「影と違って実物よ?」
「実物でも、です」
 私は目を閉じていた。斬るためではない。考えないためである。幽々子さまは私にある言葉を投げかけた。
「どうして、斬れないと思う?」
 そんなの言うまでもないと思った。それでも、仕方なく私は答えた。
「大切な思い出を斬りたくはありません」
 私の言葉を、幽々子さまは一刀両断するように言った。
「斬っても思い出は心の中にあるわ」
「……」
 言われてみればそうだった。写真はあくまで記憶を想起させるきっかけでしかなくて、別に記憶そのものではない。私が命じられているのは、記憶を斬ることでもなく、思い出を斬ることでもなく、ただ一枚のインクが印刷された紙を斬ることでしかなかった。
 それでも。この写真の中の笑顔を見ていると思ってしまうのだった。
「すみません幽々子さま。これだけは、斬りたくありません」
 幽々子さまはほっと一息ついて、私に言った。
「良かったわ、斬ってくれなくて」
「……え?」
「斬られちゃったらどうしようかと思ってたもの」
「ちょっと、幽々子さま?」
 しまった。全部幽々子さまの手の内だった。最初から写真を斬らせるつもりなんてなくて、私の反応を楽しんでいただけだったんだ。そのことに気が付いて、私は全身から力が抜けていくような気がした。

「ねえ妖夢」
 幽々子さまはいつもの調子で言い始める。
「もう斬りませんよ」
「そうじゃなくて」
 幽々子さまは私に向き直って、続けて言った。
「斬れないものはなくても、斬っちゃダメなものがあるわ」
「それを間違わないこと。いいわね?」
 その内容は当然のことだった。けれど、それは同じ内容を誰かに言ったことがあるような口ぶりだった。それが、私の胸の奥にずんと沈む感じがした。私は写真の笑顔を見ながら、うんと頷いた。



「ねえ妖夢、それじゃあ、最後にこれも斬ってもらおうかしら」
 何ですか、と尋ねる私に、幽々子さまは袖を口に当てて笑って言った。
「私の寂しさをね」
 嗚呼、良かった。これなら楼観剣を抜くまでもない。
「私が傍にいますから、ね」
 幽々子さまの心を、私は自分の言葉で斬った。


 冥界に桜が舞う。五つ繋がった花弁は空で別々に分かれていき、地面をピンク色に照らす。桜の花弁を斬るのは誰なのだろう、と私は幽々子さまの手を握りながら思った。
連日投稿になります。短編って書くの難しいなあと。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。感想等頂ければとても励みになります。
桜おはぎ
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コメント



0.100簡易評価
1.80名前が無い程度の能力削除
風船の章が奇想に溢れていて好きです。
2.90福哭傀のクロ削除
初っ端でだいたいこういう話になるんだろうなと思いその予想を外さず王道でいったのは個人的には好きでした。ただ、寄り道がなさすぎるとちょっとひねりがない気もするけど、その割にはちょっと寄り道が中途半端な気も……?もう2.3寄り道しても良かった気がするけど、でもこの話ってそんなに長く書くものではない気がするし、長く書くならガッツリ背景とか書いて全然別物になるから……うーん……難しいところ
3.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
5.90ローファル削除
所々の幽々子が妖夢を試す言葉に不安、迷いを感じるシーンに
妖夢の生真面目さがよく描かれているように思いました。
面白かったです。
6.100東ノ目削除
冒頭を固定した掌編集としてワンパターンでないのがいいですし、うまく言語化はできないのですが空気感がとても好みでした
7.100のくた削除
こういう関係性というか、空気好きです
面白かったです
8.100南条削除
面白かったです
だんだん呆れて馴れ馴れしくなっていく妖夢がよかったです
10.100名前が無い程度の能力削除
からかう幽々子様と最後にきっちりしめてくれる妖夢というこの二人の関係が良かったです。
11.100ヘンプ削除
きれるものでも斬っては行けないものがあるというのが良いですね。面白かったです。