Coolier - 新生・東方創想話

おあずけ

2025/06/19 00:09:52
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 不思議と興が乗った。腹の底から衝動が湧き出してくるようだった。
「私、幸せです」
 自分より倍も背丈のある女が身を横たえている。紫の女が。どうかしているな? 私も、こいつも。指先が薄衣を剥いでいく。死人めいた青白い肌を指先でなぞり上げるたび、醜女の顔色は華やいでいく。
「なぜ……私が貴女様を慕っているか、ご存知ですか?」
 艶かしい声が耳元で囁く。私の腕が彼奴の細い肢体を掻き抱く。背の窪みを撫で上げると、また甘い音。
「知らぬ」
「意地悪ですわ、ご存知のくせして。全てご存知なのですから」
「興味のないものは知らぬ。が、今は機嫌がいい。申してみよ」
「お可愛いこと……えぇ、生きることは不安定なることです。貴女様という大いなる掌に身を委ねることこそ、日狭美の最上の幸福ですわ」
「嘘をつけ。貴様だけは儂の掌に収まらぬ」
「今この時も日狭美は貴女様の物にございます……ああっ」
 首筋にそっと牙を立てる程に、私の心の中で燃え上がるもの。熱い衝動。捨てたはずの煩悩が、何故今になってまた? 
 どうにも妙だが、悪い気はしない。汗ばむ額に長い黒髪が絡みつく。それは私のものか、此奴のものなのか。艶増す紫の唇が私の名を呼ぶ。私を求める声を吐き出す。長く細い両腕が葡萄の蔦めいて私を絡め取る。いや、絡め取っているのは私だ。私は知っている。日狭美は使えるコマだ。私のものにすべきコマだ。身を重ねあう冷ややかな感触。この女を手に入れようか……今、この時。どこから湧いてきた欲だ? これは。
「幸せです、残無様」
「幸も不幸もゆめ幻じゃ」
「身を重ね合わせる今この時こそ現なのです」
「現もゆめよ。全ては――」
「……残無様?」
 手元の赤いメモが興を覚ました。私たちを包んでいた虚無の密室が解け、地獄の殺風景が蘇る。潤んだ日狭美の瞳が抗議と失望に細まった。
「なんです? それ」
「仕事じゃ。赤は至急。地獄は絶望的に広い。用がある時はこれを送るよう鬼共に言いつけてある」
「……え? もしかしてお預けですか?」
「ん、まぁ……そーいうことになるのぉ」
「そんなっ、嘘ですよね!? これからだったじゃないですか!?」
 珍しく色を失う日狭美は面白かったが、するりと身を引いて初めて、確かにそこに温もりがあったのだとわかった。
 あたたかな囲炉裏に灰をぶちまけられたかのような喪失感。そんなものも久方ぶりだった。
「戻ったら続きをしてやるから、気を落とすな」
 さぞショックを受けているだろうと思ったが、身を起こすと、既に立ち直っている日狭美がこほんと咳を払った。
「ところで残無様、今日は積極的でございましたね」
「なぜだか興が乗った。化粧のノリが良かったか?」
「まあ、努力した甲斐があります……と言いたいところですが、愛しきお方、老婆心ながらご忠告を一つ差し上げましょう」
「うん?」
「見慣れた妻が綺麗に見えるのは、男の死相の合図ですわ。どうぞお気をつけて」
「……お主を娶った覚えはないし、儂はどちらかといえば女子のつもりじゃ」
 返答は待たず、私は転移術を発動させる。
 世界がぐるりと逆巻いて、気づけば何処とも知らぬ地獄の淵だ。
「「「お待ちしておりました」」」
 最敬礼で出迎える鬼の武官共を適当にいなす。まったくこいつら血色こそ良いが、色気の欠片も持ち合わせてないな。
「何用じゃ。休暇中ぞ」
「申し訳ございません。しかし、反動保守派の牙城を発見致しまして」
 かつて……地獄は一つだった。しかし一人の亡者が転生するまで一億年余、罪は貯まる一方だ。ぶくぶく膨れ上がったそれは地獄を統べる十王達でさえ手に余る一大不良在庫と化した。
 故に、亡者が地上溢るるを止めるには、増えすぎた地獄を切り捨てねばならなかった。
「私は、日白様は正しいことをしたと思います」
 多くの権力者が領地を失い、更に多くの鬼達が職を失った。その怒りの矛先がそっくり私に向かったことは、全く驚くに値しない結末だ。
「誰も他に手を挙げなかったにすぎん。問題の物はどこじゃ」
「ほんの三千由旬程先です」
 ほぼ地球一周分ではないか? とはいえ見えてしまうものはしかたない。遥かな地獄の荒野の向こうで、何やら巨大なものが蠢いている。
 あれは……何だ? 獅子? それとも巨大な岩か? もうもうと吐き出される黒煙は火山のようでもある。自走する火山だ。
「超ラーテ級移動要塞マルクツヴァイツェン……連中の呼び名です」
「序盤との寒暖差で風邪ひきそうじゃ」
「なんです?」
「いや……移動要塞じゃと?」
「少し前に大量の軍人が落ちてきた時期があるのを覚えてらっしゃいますか」
「ああ……」
「その時に保守派連中は科学者や技術者を囲っていたらしい。それをこの80年、貯めに貯めた成果があれです。よくよく太らせるのが好きな方々だ」
「随分と詳しいな」
「内通者がおります。今回の発見もその者の情報で」
「それは重畳……あれは何処へ向かっておる?」
「おそらく地上へ。失った領土を取り戻す算段のようです」
「やり口が畜生と変わらんのぉ……」
「ご命令をお願いします。我ら皆士気充分なりて日白様のため玉砕する覚悟であります」
「玉砕してどうする? 馬鹿め。戦に戦で抗しては泥沼ではないか!」
 その業こそ地獄を肥え太らせた元凶。産めよ増やせよ地に満ちよ。そして死ね。
 人も鬼も変わらぬ。地上も地獄も変わらぬ。相も変わらず現もゆめも一緒くただ。
「儂が収める。座標寄越せ」
「畏れ入ります」
「ったく、貴様らまでこれでは休まる暇がないわ」
 そしてまた世界はぐるりと逆巻いて、今度は巨大な機構の中に立っている。
 地響きめいた振動。壁の代わりに粗末な手すりが張られたすぐ向こうで、鬼の戦槌のような金属筒が忙しなく上下に運動していた。
 それが数十、数百……おそらくもっと目眩のするほどあるに違いない。
 巨人の餅つき会場みたいな光景だが、つまるところ唐繰の壮大な版だ。これを使って戦をするわけだ。道具が派手になったところで結局、人のやることは変わらない。
「そうとも。産めよ増やせよ、じゃ」
 らしくもなく苛立っている自分がわかる。出会い頭に虚無をぶつけて腑抜けにしてやろうと構えていたが、妙なことに行けども行けども誰とも出くわさない。
 しかし唐繰は動き続けている。そういうものなのか? むえかにっくはわからん。吉弔のことを笑っとれん。
 それでも道は尽きぬ。こうなると段々こっちも暇になってくる。いったい何をやってるんだか……ついさっきまで日狭美の肢体を抱いていたというのに。
「あいつ何しとるかのぉ」
 お預けを食らった怒りで暴れまわってなければ良いが。いや、お預けを食ったのは私も同じだ。
 確かに……確かに私は僧ではあるが、煩悩を棄てたわけじゃない。煩悩もまた人の業。それを棄てればもはや人では居られぬ。人でないものが人を救うことなどできぬ。
 代わりに虚無を伴とした。魔が差す時には煩悩に心身を浸せば良い……が、今は無理だ。いつ奇襲を受けるかもわからぬ。
 だから……うむ、まあ、こういう時に目を逸らすのは一番まずい。
 身が疼く。日狭美の肌に指を立てる感触がまだ残っている。なぁ、私もまだまだ若いじゃないか。等と言うとる場合か? しかし本当に誰も姿を見せぬ。単調な振動と轟音が余計に気を乱す。日狭美の声が蘇る。

――見慣れた妻が綺麗に見えるのは、男の死相の合図ですわ。

 はっと我に返った。私は何をしてるんだ?
 足元に這いつくばり、地に耳を押し当てる。胎動。強大な力が圧縮される嫌な音。無人の要塞。その意図とは。
「……罠か」
 瞬間、全ての機構が動きを止めた。
 嫌な汗が背をつたう。
 転移術を起動――できない。蛸壺か。一度入り込めば出られない黄泉の仕掛け。
 そして、圧縮された力が解き放たれる。何もかもを巻き込んで――


 ○


 要するに、あの移動要塞とやらは巨大な爆弾だった。そして私はまんまとそこへ踏み込み、消し飛ばされた。
 普段ならすぐ気がついただろう。が、気の乱れ。馬鹿な話だ。日狭美の奴め。まあ、私も人の子だったということだな。それは少し悪くない。

 ――堕ちる。

 して、地獄の住人は死ねど地獄に堕ちること無きに、ただ無限の虚無に喰われるが末路。
 私は堕ちていく。このまま那由多と阿僧祇の歳月をこうして喰われ、果てに完全なる無に呑まれるわけだ。
 まったく、ほんの少し色香に気を取られただけだというに。地獄の支配者なぞやるもんじゃない!
「心残りはおありですか?」
「うん、あるにはあるけど、どうせ永遠に関係の無い話だわ」
「まあ、そこまで素に戻らなくったって」
「それで……何故あんたがそこにいるわけ?」
 無間に落下する私を抱きしめる、紫の乙女。風になびく髪の隙間から輝く瞳が覗いてる。ため息が、ついた側から虚無に吹き飛ばされていく。
「お迎えに上がりましたわ」
「お前も道連れになるだけだよ、日狭美。しかしよく此処までこれたね」
「いつ何処に堕ちるかもわかっていましたから」
「うん?」
 引っかかる言い回しだ。もちろん意図的だろう。日狭美がにっこりと微笑み、応えた。
「知っておりましたから。残無様の暗殺計画。ちょっぴり利用させていただきましたわ」
「おやおや……」
 意外な気もしたし、何だか妥当な話な気もする。日狭美がまた笑い、私も釣られて笑った。笑い声が虚無の果てにかっ飛んでいった。
「一応聞いておくけど、理由は?」
「このためですわ」
「わからないなぁ」
「今、私は貴女を独り占めにしているわ。地獄の支配者でもなんでもない、ただの貴女を!」
「あっははは……そういうことね」
 日狭美の両腕が私をきつく抱きしめる。これでは逃げられないな。どうせ逃げる場所もないのだけど。
「間抜けでしょ。あの日白残無が肉欲のせいで死んだなんて」
「そんなことを言う者が居れば私、八つ裂きにするわ」
「人を殺しといてよく言う……しかし私もボケたものだ。臥所の凶刃も見抜けないとは!」
「あぁ、残無様。そんな売女の術と一緒にしないでください。私、貴女を害する気持ちなんて欠片も無い。故に貴女に悟られることもなかった。貴女は私の愛に興味が無かったから」
 興味のないものは知らない。それは私に影響しないものだから。
 そう思っていたんだけどなぁ。
「いつもより日狭美が綺麗に見えた」
「ちょっとしたおまじないをかけましたから。貴女が気が付かないくらい、ちょっぴり」
「お呪いね……」
「ねえ、そんなのどうでもいいじゃない。続きをしましょう、残無様。お預けの続きを」
「いいわ。でもまさか、こんな虚無の果てで永遠に日狭美と契ることになるなんて……」
 私たちは堕ちながら唇を交わしあう。結局は何もかも日狭美の思惑通りになったわけだ。そのはずだ。けれど、彼女は切なげだった。
「日狭美?」
「残無様、私、欲のない女だから。夢は一夜で充分ですわ」
 私を抱きしめる、彼女の頬を涙が逆向きにつたっていく。切なげに、愛おしげに、蔦から堕ちる葡萄みたいに。
 でも、欲が無いは嘘だろう。
「脱出用の蔦を伸ばしております。虚無の外へ続く蔦を」
「……それは、でも、しかし……何故じゃ?」
「だって私、貴女が死んで喜ぶクソドブゴミカス連中が野放しだなんて許せないわ。今頃浮かれてるでしょうから、戻ったら一網打尽にしましょ」
「う、うむ」
「何より、遍く地獄を治める貴女のことも愛してるから。それが私のために死ぬなんて、絶対に嫌!」
 抱きしめる腕は強く強く。日狭美の震える声音を、きっと私は初めて聞いた。
 生き返ることはそう嬉しくもない。またアレをやるのかという気もする。それでも、他に誰もやらないことだ。だったら誰かがやるしかないか。
「日狭美、やはりお主だけは儂の掌にも収まらんなぁ」
「もちろんです。そこに収まるため、私はいつも必死なんですから」
 しかしまったく、どうかしているな。私も、こいつも。指先が紅潮した肌を上げるたび、華やいだ醜女の微笑みが無限の虚無を満たしていった。
「私、幸せです」





ぜんぶ移動要塞のせいです。
ひょうすべ
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コメント



0.350簡易評価
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100名無し削除
口調の変遷が効果的でした。面白かったです。ざんひさ最高。
4.90福哭傀のクロ削除
シンプルに私がこの二人の解像度があまり高くないのが原因な気がします。雰囲気もやろうとしてることも割と好き寄りなんですが、うーん。甘かったですね
6.100名前が無い程度の能力削除
なんて怖いお話!
最高です!
7.100のくた削除
日狭美さんがステキでした
8.100名前が無い程度の能力削除
耽美でした。愛は美しい。
9.100南条削除
面白かったです
手のひらに収まらない何を考えているかもわからない日狭美が素晴らしかったす
これは移動要塞が悪い
13.90東ノ目削除
残無様の敵ギッタンギッタンにしてやりますわモードに入った日挟美がかくあるべきという感じで最高でした
14.80夏後冬前削除
移動要塞えぐすぎる。よく戦った。感動した。そんな気持ち。