1944年3月某日
「総統、あまりウロチョロしないでください」
「仕方がないだろう。これから会う人は…」
王都ブカレストは鉛色のような空が広がり不穏な雰囲気を漂わせていた。
ルーマニア王国の国家指導者「総統」であるイオン・アントネスクは忙しなく部屋を歩き回りながらある人物を待っていた。
イオン・アントネスクは3年前の軍団運動のクーデター未遂事件を思い出した。確かあの時、ユダヤ人の大量…ポグロムが軍団運動の構成員によって引き起こされた
クーデターを実行した中心人物は一九三八年に処刑された極右政党「全ては国の為に(軍団運動)」のコルネリウ・コドレアヌから指導者の地位を引き継いだホリア・シマであった。彼はドイツから信頼されていると信じていたことでクーデターもとい反乱を実行することを決めたのだ。
シマは大天使ミハイル軍団時代からの古参であり40年にタタレスク政権では教育省長官を、ジグルトゥ政権では短教・芸術大臣を短期間務めていた人物であった。同年、国民投票の末、国家指導者に就任したイオン・アントネスクの下、副首相に就任した彼の下では軍団の思想に基づく苛烈な反ユダヤ主義的な政策が行われ国内は荒れに荒れた。
そして彼ら軍団運動は41年1月にクーデターを実行した。しかし失敗し関係者は公職から外され政権から排除された。投獄される組織員もいる中でシマはドイツに亡命し政府の庇護は失われた。不安定な勢力を結果的に排除することができたのだが未だ政権内には問題が残っている。
それは王党派である。40年に退位したスキャンダル多き国王カロル2世から王位を引き継いだ若き国王ミハイ1世を中心とする王党派はかつて政権を支持する同士であったが今やはっきり言って敵に近い存在となりつつあり、どこかで排除しなければ政権自体が崩壊するのは目に見えていた。しかしだからといって国王自体を排除してしまえば国民からの支持を失うのは確実だ。
アントネスクはクーデターが起こる様子をふと想像し背中に寒気を感じた。早くこの状況を何とかしなければならない。これは緊急を要する問題だ。
ドアがノックされ音を立てながら開くと外務大臣も兼任するミハイ・アントネスク副首相が顔を覗かせた。
「総統、グスタフ・ワーグナー親衛隊曹長が到着されました」
「分かった。アントネスクは準備ができていると知らせてくれ」
アントネスクの一人称は私ではなくアントネスクでありよくアントネスクは、と言う癖があった。それが何故なのかは私以外誰も分からないが元帥であった彼にそのことを質問できるような人間はもはや政権内にはいない。
「分かりました」
ドアが閉まるとアントネスクは一息つく。
これから会おうとしているワーグナーは武装親衛隊の外国人部隊の1つであるルーマニア人部隊「第1ルーマニア」の指揮官の1人を務めておりルーマニア語には堪能な人物でソビボルでは看守の一人として数々の残虐行為に手を染めたサディストだ。
またドアがノックされ開かれるとミハイ・アントネスクとワーグナーが現れた。
ワーグナーは末恐ろしい男だということをアントネスクは再確認する羽目になった。真っ黒な親衛隊の制服から漂う雰囲気は殺人鬼そのものであった。
ワーグナーはさも当然かのように右腕を掲げた。
「お久しぶりです」
アントネスクはワーグナーと以前会ったことがあった。彼が指揮官に就任した時だ。
「さて、早速ですが本題に入りましょうか」
グスタフは椅子に座ると一枚の写真を胸ポケットから取り出し机に滑らせた。
そこに写っていたのは水色の髪に帽子を被り…羽を生やした明らかな人外存在である小さな少女。
「アントネスクさん、レミリア・スカーレットという人物を知っていますか?」
「はい、ルーマニアの独立以来、歴代の国王、そして首相と関係があると言われている吸血鬼」
レミリア・スカーレット。今は亡きスカーレット卿の娘の1人であり吸血鬼。ルーマニアの独立以来、時の首相や国王を裏から支えてきたもう一人の指導者。しかしルーマニアが枢軸国に加盟してからは政権との関係が絶たれてしまった。それはドイツが吸血鬼や一部の妖怪の存在を迫害の対象としたからであり当然の対応であった。
「…どう思います?」
「正直な話…」
アントネスクは苦々しい表情を浮かべ指を擦り合わせながら、
「恐らく王党派。はっきり言って…邪魔な存在です」
「でしょうね。そこで」
ワーグナーは書類の束を鞄から取り出し机に投げるように置いてみせた。分厚い紙の音が部屋に響く。
「これは…」
『吸血鬼暗殺計画』
表紙にはそう記されている。アントネスクは計画の内容がどんなものか察しがついたようだった。
「レミリアの暗殺…?」
「それだけではありません。妹のフランドール・スカーレットも一緒です」
フランドール・スカーレット。詳細は不明だがレミリアの妹であることだけは知られている。精神的に不安定であり彼女の姿を見たものは少ない。
「吸血鬼を殺せるんですか?」
「古典的な方法ですけどね」
ワーグナーはポケットから銃弾を1つ取り出して私に見せつけてみせる。それは普通の銃弾よりもきらびやかに輝いていた。
「銀の銃弾…」
「我々ドイツの宗派である積極的キリスト教の神父が儀礼を行った銃弾です。総統閣下に話したら怒られるかもしれないですが…」
ワーグナーがポケットに銃弾を仕舞い込むとアントネスクは気になっていたことを質問した。
「となると今回の作戦は総統は知らない任務ですか?」
「まず総統閣下はレミリア・スカーレットの存在を知らないでしょう」
「総統はそのようなものに興味がないのです。我々のヒムラー長官とは違って。今回の作戦は長官が関与するところです」
「国防軍は無関係、と」
「その通り、ヴァンパイア狩りなんて”ヴェーアマハト”には任せられない任務ですから」
ワーグナーにとって国防軍はいけ好かない存在であった。突撃隊、そして親衛隊に入隊した彼にとって親衛隊、忠誠こそ我が名誉なんて歌がある武装親衛隊こそが真なる国民社会主義、ドイツ民族の栄光ある支配を行使することができる存在と信じ切っていた。
「それに、第1ルーマニアにはヴァンパイア・ハンターもいますので」
ヴァンパイア・ハンター。吸血鬼が存在するこの世界では立派な職業として認められている存在だ。特に吸血鬼という存在を敵視するドイツ政府にとっては重要な存在であり、武装親衛隊に誘われ入隊したハンターも数多く存在した。
アントネスクはなんとなく察したようだった。そのハンターが誰なのかを。
「もしかして…コンスタンティン・リモンのことですか?」
「以前軍団運動の準軍事組織である鉄衛団にいた男です」
「…彼は吸血鬼に親を殺されたんです。今思えばレミリアを殺すために入ったのかもしれません」
「そうですか」
「計画に関してはいつ頃に?」
ワーグナーは紙束を鞄にしまうとニヤリと笑った。
「新月の時期に。吸血鬼の力が弱まる数少ない時ですからね」
ーーー
「今回の作戦の現地指揮官を君に頼みたいと思っている」
リモンは第1ルーマニアの司令部にてワーグナーから吸血鬼暗殺作戦の司令官就任の打診を受けた。
リモンの脳裏には走馬灯のような光景が広がった。
両親を吸血鬼に殺された夜。ヴァンパイア・ハンターとなることを決意したあの日、ホリア・シマの下で準軍事組織、鉄衛団の一員として秘密裏に吸血鬼狩りに従事した日々、武装親衛隊に入隊することを決めた日…。
このような誘いは彼にとっては非常に光栄なことでありリモンはすぐに就任を受け入れるとワーグナーに返した。
「私の敵は吸血鬼です。吸血鬼は穢れきった反キリスト教的な存在なのです」
「リモン。君は入隊した時から一貫しているな」
「他の隊員よりも?」
「当然だ。だからこそ指揮官に就任しないかと話したのだ」
ーーー
1944年6月某日
月光がなく真っ暗な紅魔館の門の前には二名の警備兵が立っている。門の前に車が停まると、中から国防軍の制服を着た男が降りてきた。しかしこの男は国防軍の関係者ではない。彼もまた第1ルーマニアに所属する武装親衛隊の兵士であった。
警備兵の1人が違和感を感じ取ったのか、男に話しかける。
「すみません、関係者以外立ち入り禁止なんです」
「そうか」
そう言うと男は大きく右腕を上げるとすっと脇に移動した。
バンッと銃声が響き警備兵の1人が頭部を撃たれ倒れた。
「何が…!」
もう1人の警備兵が拳銃をホルスターから抜こうとするも次の瞬間には同じように撃たれ倒れた。
「いくぞ!」
ワーグナーから現場における指揮権を任されていたリモンがそう叫ぶと、林の中に隠れていた者達が一斉に現れ塀を乗り越えていく。兵士達は皆、コットン製でゴワゴワした灰色の国防軍の制服を着用していた。武装親衛隊の兵士が黒い親衛隊の制服を着用し戦場に出ること自体が少なかったが、今回は国防軍に罪を擦り付ける意味合いがあった。
ーーー
紅魔館の奥の部屋ではレミリアと珍しく地下室から出ていたフランドールがいた。
「銃声?」
「お姉様、何かおかしい」
天井が僅かに揺れたような、そんな気がした。
「ミルチャ!」
レミリアが叫ぶと従者のミルチャ・シオランは懐から二重帝国の遺物、ステアーM1912を取り出し、防弾コートを着ながら現れた。
「既にこちらの方で確認を行いました。服を見る限り国防軍の襲撃です。装備も人数も本気そのものです。奴ら、殺る気ですよ」
「ミルチャ、それは少しおかしいと思う。何故国防軍が私達を殺すのよ?もしかして…さては武装親衛隊…?」
「お姉様…」
「フラン、大丈夫よ」
レミリアはフランドールの小さな手を握り締めていた。
ーーー
外に配置されていた警備兵達が躊躇無く撃ち殺され、あまりにも簡単に警備が突破されていく。
暫くすると館の周りで兵士達が突入のために準備を始めていた。
「突入!」
またもリモンが叫ぶと同時に銃声が響き窓ガラスが激しい音を立て砕け散った。割れた窓から武装した兵士達が一気に雪崩込んでいった。Kar98kを構え次々と館に侵入していく。
館内の警備員が兵士達と対峙することとなったが抵抗も虚しく撃ち殺されていく。第1ルーマニアには「全ては国の為に」の準軍事組織「鉄衛団」に所属していた人間もいた。彼らは街頭闘争で力をつけていた。紅魔館の警備兵など、もはや敵ではなかった。
警備兵は日頃から訓練を繰り返しレミリアが認めるほどの精鋭達だったが武装親衛隊の容赦のない銃撃には蹂躙されていく。
「レミリアは奥の部屋!フランドールも恐らくそこにいる!」
警備兵を蹴散らしながら奥の部屋へ急ぐ兵士達。
そして彼らの前に大きなドアが現れそれを蹴破る。
部屋の中にはレミリアとフランドールの二人が鎮座し兵士達に激しい憎悪の感情を剥き出しにしていた。
「はじめまして武装親衛隊の諸君。そしてさようなら」
「お前たちはここで死ね」
レミリアはグングニル、そしてレミリアはレーヴァティンを出現させ兵士達たちに襲いかかった。
ーーー
気づけばこの世のものとは思えない光景が広がっていた。2人は怒りに震え兵士達を容赦なく倒していった。銀の銃弾を何発も受けながらも戦い続けることができたのは殺された警備兵達への強い思いがあったからこそ。彼らとは常日頃から関わりがあり、時には一緒に食事を摂ることすらあったのだから。
2人は息を切らしながら周りに敵がいないかを確認した…が1人存在を見落としていた。
影から1人の男が現れた。その男はナイフを持っていた。
「しまっ…!」
男、リモンの動きは人間のそれではなかった。ヴァンパイア・ハンターとしての実力だけではない、その動きには吸血鬼に対する憎悪があった。気付けばレミリアの胸にはユーゲント・ナイフ……それも銀製の物が刺さっていた。
「カハッ…!」
「お前の笑った顔を見るだけで両親を殺したあの吸血鬼の顔が脳裏に浮かぶ」
リモンはレミリアの髪を掴み、さらにナイフを突き刺していく。レミリアは苦痛の表情を浮かべながらもリモンを睨んでいた。
「レミリア・スカーレット、お前は俺にとっての復讐の象徴になったんだ」
ナイフが勢いよく引き抜かれると滝のように血が流れ出し桃色の服を汚していく。
「お姉様!」
フランドールが怒りに震えた顔でリモンを睨み、レーヴァティンで彼の胸を切り裂いた。
「ミルチャ!お姉様を!」
シオランがタンスの中から現れレミリアに駆け寄った。
「私が近くの病院まで運びます」
「お姉様……」
シオランは近くにあった布でレミリアの出血した箇所を押さえシャツの袖をちぎり巻き付けると担ぎ上げ走り出した。
「助かってくれよ……」
フランドールはレミリアを背負ったシオランを追いかけようとしたが腰が抜けてしまった。胸を切り裂いたはずのリモンにはまだ息があるようで何か話そうとしていた。
「フランドール・スカーレット」
「……今更何よ」
「私は吸血鬼に両親を殺された。……レミリア・スカーレットを殺してこの思いが晴れる、そう思っていた。が、そんなことはなかった」
「ここに銃がある、さあ撃ってくれ」
リモンはポケットを指さした。
「……最後ぐらい自分でやりなさいよ」
「もう力が入らないんだよ」
「フランドール……頼む」
フランドールは静かにリモンのポケットに入っていたルガーP08を取り出した。
そしてリモンに向けて静かに銃口を向けた。
しかしフランドールは引き金に指をかけることすらできなかった。姉であるレミリアを殺そうとした相手のはずだったのだが…。彼からは執念のようなものを感じたのである。
「……私には撃てない」
「臆病な吸血鬼だな。……やはり最期は自分で決着をつけるしかないのか」
フランドールはリモンの手に銃を握らせ引き金に彼の人差し指を添えた。
「君とはもっといい形で出会いたかったよ、フランドール」
直後、銃声が響いた。
ーーー
シオランはシトロエンのトラクシオン・アバンの後ろの座席にレミリアを横に乗せる。いつの間にかやってきていたフランドールが助手席に座ると車のキーを回しエンジンをかける。レミリアが少しでも衝撃を受けないようにゆっくりと車を走らせた。
紅魔館周辺に大きな病院はなかった。それにドイツ国の傀儡政権と化したこのルーマニアにはレミリアのような吸血鬼の治療を自ら進んでやる医者などもはやいない。…しかしシオランには一つだけツテがあった。
それは国王陛下であるミハイ1世の侍医のイギリス人、ジョー・スコットである。レミリアが子供の頃のミハイの指導を担当することもしばしばであった。当然スコットとも繋がりがあった。
彼らはエリサベータ宮殿に住んでおりそこでならレミリアの治療ができるかもしれない。
41年、ドイツによるソ連侵攻作戦、バルバロッサ作戦に国防軍とルーマニア軍が参加した時に大規模な軍事パレードが行われたキセレフ通りを走り交差点を右折すると大きな宮殿が現れた。ここがエリサベータ宮殿であり王室関係者の居住地だ。
宮殿にはルーマニア国旗が掲げられている。それは国王が宮殿にいることを示していた。
シオランは車を止めるとレミリアを再び担ぐ。止血は成功したようだったが彼女はぐったりとしていた。フランドールは今にも泣きそうな表情でこちらを見つめるがシオランは「大丈夫です」と静かに呟いた。
宮殿の警備兵の1人、スネグルが三人に気づいたようで近寄ってきた。彼はシオランとは顔なじみであった。
「ミルチャ、こんな夜中に……ってレミリア様……?」
「スネグルか。お願いだ、侍医に会わせてくれ……つい先程、レミリア様が武装親衛隊の襲撃で胸を刺された。それも銀のナイフで」
スネグルははっとした表情になった。
「分かった。今すぐ連れて来る。では館の中へ」
ーーー
暫くすると侍医のスコット、そして彼の部下達、ミハイが現れ侍医が緊急手術が始まると告げた。
「2人は国王陛下と一緒にここで待っていてください。必ずレミリア様を助けてみせます」
医務室にレミリアが担ぎ込まれドアが閉まった。
ドアが閉まるとミハイは
「…まさか武装親衛隊がレミリアさんにこのようなことをするなんて…想像できなかった」
ミハイは悔しそうな表情をしていたがエミールはそれを慰めるように、
「そんなことを言わないでください、陛下」
「レミリア様はこんなことでやられる軟弱な御方ではないですから。ね、妹様」
「そう、だけど…お姉様…」
フランドールはぎゅっとシオランの袖を掴んだ。いつもは精神的に不安定で地下室に閉じ込められている強気な彼女であったが唯一の家族であったレミリアが血に染まり担ぎ込まれた光景を目にしてしまった。こうなってしまうのも無理はない。
そんな様子を見ていた拳を握るとミハイは静かに口を開いた。
「ここで話すべき話題ではないかもしれませんが聞いてもらえませんか?」
「クーデターの時期を8月から7月に前倒ししようと思います。その時はフランドールさん、貴女に協力をお願いしたいのです」
「私に…?」
「レミリアさんがこのようなことになってしまった以上、もはや四の五の言ってられません。イオン・アントネスク、そしてドイツからルーマニアを取り戻さなければならない」
「現政権のサナテスク国防大臣とは既に連絡を取り合っています。このクーデターが成功した暁には我々はサナテスクさんを首相に就任させ枢軸国陣営を離脱し連合国陣営に加盟することになるでしょう」
「フランドールさん、貴女には私の懐刀になってもらいたい。貴女が近くにいれば心強い」
「…そこまで私を信じてくれるなんて」
「だって、レミリアさんの妹様、ですからね」
ーーー
何時間経っただろうか、すっかり日が上がりドアの影も長くなっていた。
フランドール以外の2人は疲労の色が隠しきれなくなっていた。シオランはミハイに「陛下だけでも寝てはどうか」と提案するが「友人の命の危機にそのようなことはできない」と断られてしまった。
医務室のドアが勢いよく開くとスコットが出てきた。その表情は明るかった。
「治療は成功しました。暫くの安静が必要ですが一ヶ月もすれば復帰できるでしょう」
フランドールは一気に表情が明るくなった。
「お姉様を…ありがとう!本当に…!ありがとう…!」
ミハイとシオランはその様子をにこやかな表情で見つめていた。
「クーデターの件に関しては復帰の目処がつき次第、レミリアさんに話そうと思います」
「あくまでも秘密厳守でお願いします」
「勿論、私も今の政権には不満が沢山ありますから」
「私は一度館の方へ帰ります。レミリア様がここにいることは秘密でお願いします」
「分かりました。地下のお部屋に案内しておきます」
シオランはミハイと固い握手を交わすと館を出てフランドールと車に乗り込んだ。
ーーー
館に戻ると悲惨な光景が広がっていた。警備兵、そして武装親衛隊の兵士達の死体が至るところにありシオランは思わず息を呑んだ。
傘をさしフランドールを降ろすと、
「妹様、どうやら我々の警備隊は全滅です。どうすればいいのか…」
「…暫くは私が警備を担当する。シオランは他の執事と一緒に新しい人材の確保を進めて」
「警備を妹様が!?正気…ですか?」
「私はいつでも正気よ?」
「妹様…」
フランドールは地面に倒れた兵士を見ながら膝をついた。
「それに…弔ってあげなきゃ、彼らを」
ーーー
1週間もするとレミリアは歩けるようになったがクーデター計画に参加するのは難しかった。
「陛下、面目ない。貴方の計画には参加できなさそうだわ」
「無理は禁物だ、レミリアさん」
「…そういえば、貴方、フランに頼んだのね。聞いたわよ。シオランから」
「貴女の妹だからこそ信じたのです」
ーーー
「妹様、陛下からの贈り物です」
シオランは鞄から大きな軍服を取り出しフランドールに手渡した。
「ルーマニア軍の一員として会場に侵入します。陛下を守るためです」
「それは分かったのだけど」
「?」
「大き…すぎない?」
「サイズがこれしか無かったのです。妹様」
「でも…」
フランドールは軍服を奪い取るように手に取りシオランをじっと見つめた。
「私達が守らなければ、この国は破滅的な未来を迎えることになる」
「破壊のことしか考えていなかった、フラン様がこんな事を言うようになるなんて」
「久しぶりだね、シオラン」
「え?」
「フランって呼んだの」
ーーー
1944年7月23日
控え室にてぶかぶかのルーマニア軍の軍服を着たフランドールは同じく軍服に身を包んだシオランと扉の前に並んで立っていた。
「いよいよ、今日です。イオン・アントネスクは十二時過ぎにエリサベータ宮殿にミハイ・アントネスク副首相兼外務大臣、コンスタンティン・サナテスク国防大臣と共に現れます。予定ではアントネスクは陛下に前線の状況を報告する予定です」
「にしても…」
「やはり大きいですか、サイズが」
フランドールの着ている軍服は明らかに大人用のサイズであった。袖は何度も折られなんとか手の甲が現れるほどであり、ズボンの裾も何重にも折られ軍靴に入れられていた。
「動きにくい」
「似合ってますよ」
「うるさいな、そう言われると恥ずかしくなっちゃうじゃん」
フランドールは袖を指でつまみながら頬を赤らめた。
「……でも今日は壊す日じゃない」
「そうですね、守る日です。この日でルーマニアの未来が変わる」
「そしてフラン様にはこれを渡しておきます」
「?」
シオランはポケットから安全装置の付いたイタリア製のベレッタM1934をフランドールの手に渡した。
「いざとなったら“これで”」
「私の能力を使っては駄目ってことね」
「全てを破壊してしまいますから」
シオランは笑い、懐中時計を開いた。針の音がカチカチと響く。
「11時59分50秒、後もう少しです」
ーーー
「今、陛下とイオン・アントネスクが話していると思われます」
「戦争から離脱し連合国及びソ連の休戦協定に署名することを求める予定ですがそれを受け入れるかどうか…」
「お飾りと思われている陛下から言われても断るでしょう」
そうシオランが話すと扉がゆっくりと開き、宮殿の警備兵であった顔見知りが顔を覗かせた。
「イオン・アントネスクが陛下の提案を断りました。他の兵士達と一緒に突入してください」
シオランは頷くとフランドールの方をゆっくりと見た。
「フラン様、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、私を誰だと思っているの」
「その言葉を聞いて安心しました」
直後、扉を思い切り開きシオランとフランドールは兵士達と共に会談場所へ突入していった。
「イオン・アントネスク!これはお姉様の仇だ!」
フランドールは拳銃をアントネスクへと向けた。しかし安全装置は解除されていなかった。いや、していなかった。彼にはこれで十分なのだ。
ミハイは一歩前へ出て、覚悟を決め言い放った。
「イオン・アントネスク、ミハイ・アントネスク。貴方達をそれぞれ国家指導者、副首相と外務大臣の座から解任した上で拘束します」
イオン・アントネスクは立ち上がり一瞬フランドールを睨んだがすぐに目線を戻した。
「陛下。貴方もフランドール・スカーレットのように狂気に囚われたか」
ミハイは一歩も引かずに、
「この国を救うためなら私は狂気などいくらでも取り込んでみせる」
「サナテスク国防大臣、では予定通りお願いします」
「勿論です、陛下」
午後10時、国民に緊急のラジオ放送が流された。
「国民の皆様、私はミハイ1世です。本日午後1時、イオン・アントネスク、ミハイ・アントネスク両名を解任し拘束いたしました。以後は王党派、自由主義者、そして共産主義者からなる『ルーマニア国家民主連合』による連立政権が発足することになります。今後、連合国、そしてソビエト連邦との休戦協定を受諾する予定です」
ーーー
これは余談だが、最近こんなルーマニア語の新聞記事が無縁塚で見つかったらしい。
「セクリターテ本部の倉庫から戦時中の吸血鬼暗殺計画に関する書類が発見される。共和国政府は本格的な調査を行う予定(1993年10月)」
結局ルーマニア政府は共産党政権崩壊の混乱、資金不足を理由に調査を途中で打ち切ったが。
紅魔館は今日も真夜中に鐘が鳴る。フランドールとレミリアは祖国に思いを馳せながら「Trăiască Regele(国王万歳)」と呟き、紅いワインを一気に飲み干した。遠く離れていたとしても思いが通じることを信じながら。
「総統、あまりウロチョロしないでください」
「仕方がないだろう。これから会う人は…」
王都ブカレストは鉛色のような空が広がり不穏な雰囲気を漂わせていた。
ルーマニア王国の国家指導者「総統」であるイオン・アントネスクは忙しなく部屋を歩き回りながらある人物を待っていた。
イオン・アントネスクは3年前の軍団運動のクーデター未遂事件を思い出した。確かあの時、ユダヤ人の大量…ポグロムが軍団運動の構成員によって引き起こされた
クーデターを実行した中心人物は一九三八年に処刑された極右政党「全ては国の為に(軍団運動)」のコルネリウ・コドレアヌから指導者の地位を引き継いだホリア・シマであった。彼はドイツから信頼されていると信じていたことでクーデターもとい反乱を実行することを決めたのだ。
シマは大天使ミハイル軍団時代からの古参であり40年にタタレスク政権では教育省長官を、ジグルトゥ政権では短教・芸術大臣を短期間務めていた人物であった。同年、国民投票の末、国家指導者に就任したイオン・アントネスクの下、副首相に就任した彼の下では軍団の思想に基づく苛烈な反ユダヤ主義的な政策が行われ国内は荒れに荒れた。
そして彼ら軍団運動は41年1月にクーデターを実行した。しかし失敗し関係者は公職から外され政権から排除された。投獄される組織員もいる中でシマはドイツに亡命し政府の庇護は失われた。不安定な勢力を結果的に排除することができたのだが未だ政権内には問題が残っている。
それは王党派である。40年に退位したスキャンダル多き国王カロル2世から王位を引き継いだ若き国王ミハイ1世を中心とする王党派はかつて政権を支持する同士であったが今やはっきり言って敵に近い存在となりつつあり、どこかで排除しなければ政権自体が崩壊するのは目に見えていた。しかしだからといって国王自体を排除してしまえば国民からの支持を失うのは確実だ。
アントネスクはクーデターが起こる様子をふと想像し背中に寒気を感じた。早くこの状況を何とかしなければならない。これは緊急を要する問題だ。
ドアがノックされ音を立てながら開くと外務大臣も兼任するミハイ・アントネスク副首相が顔を覗かせた。
「総統、グスタフ・ワーグナー親衛隊曹長が到着されました」
「分かった。アントネスクは準備ができていると知らせてくれ」
アントネスクの一人称は私ではなくアントネスクでありよくアントネスクは、と言う癖があった。それが何故なのかは私以外誰も分からないが元帥であった彼にそのことを質問できるような人間はもはや政権内にはいない。
「分かりました」
ドアが閉まるとアントネスクは一息つく。
これから会おうとしているワーグナーは武装親衛隊の外国人部隊の1つであるルーマニア人部隊「第1ルーマニア」の指揮官の1人を務めておりルーマニア語には堪能な人物でソビボルでは看守の一人として数々の残虐行為に手を染めたサディストだ。
またドアがノックされ開かれるとミハイ・アントネスクとワーグナーが現れた。
ワーグナーは末恐ろしい男だということをアントネスクは再確認する羽目になった。真っ黒な親衛隊の制服から漂う雰囲気は殺人鬼そのものであった。
ワーグナーはさも当然かのように右腕を掲げた。
「お久しぶりです」
アントネスクはワーグナーと以前会ったことがあった。彼が指揮官に就任した時だ。
「さて、早速ですが本題に入りましょうか」
グスタフは椅子に座ると一枚の写真を胸ポケットから取り出し机に滑らせた。
そこに写っていたのは水色の髪に帽子を被り…羽を生やした明らかな人外存在である小さな少女。
「アントネスクさん、レミリア・スカーレットという人物を知っていますか?」
「はい、ルーマニアの独立以来、歴代の国王、そして首相と関係があると言われている吸血鬼」
レミリア・スカーレット。今は亡きスカーレット卿の娘の1人であり吸血鬼。ルーマニアの独立以来、時の首相や国王を裏から支えてきたもう一人の指導者。しかしルーマニアが枢軸国に加盟してからは政権との関係が絶たれてしまった。それはドイツが吸血鬼や一部の妖怪の存在を迫害の対象としたからであり当然の対応であった。
「…どう思います?」
「正直な話…」
アントネスクは苦々しい表情を浮かべ指を擦り合わせながら、
「恐らく王党派。はっきり言って…邪魔な存在です」
「でしょうね。そこで」
ワーグナーは書類の束を鞄から取り出し机に投げるように置いてみせた。分厚い紙の音が部屋に響く。
「これは…」
『吸血鬼暗殺計画』
表紙にはそう記されている。アントネスクは計画の内容がどんなものか察しがついたようだった。
「レミリアの暗殺…?」
「それだけではありません。妹のフランドール・スカーレットも一緒です」
フランドール・スカーレット。詳細は不明だがレミリアの妹であることだけは知られている。精神的に不安定であり彼女の姿を見たものは少ない。
「吸血鬼を殺せるんですか?」
「古典的な方法ですけどね」
ワーグナーはポケットから銃弾を1つ取り出して私に見せつけてみせる。それは普通の銃弾よりもきらびやかに輝いていた。
「銀の銃弾…」
「我々ドイツの宗派である積極的キリスト教の神父が儀礼を行った銃弾です。総統閣下に話したら怒られるかもしれないですが…」
ワーグナーがポケットに銃弾を仕舞い込むとアントネスクは気になっていたことを質問した。
「となると今回の作戦は総統は知らない任務ですか?」
「まず総統閣下はレミリア・スカーレットの存在を知らないでしょう」
「総統はそのようなものに興味がないのです。我々のヒムラー長官とは違って。今回の作戦は長官が関与するところです」
「国防軍は無関係、と」
「その通り、ヴァンパイア狩りなんて”ヴェーアマハト”には任せられない任務ですから」
ワーグナーにとって国防軍はいけ好かない存在であった。突撃隊、そして親衛隊に入隊した彼にとって親衛隊、忠誠こそ我が名誉なんて歌がある武装親衛隊こそが真なる国民社会主義、ドイツ民族の栄光ある支配を行使することができる存在と信じ切っていた。
「それに、第1ルーマニアにはヴァンパイア・ハンターもいますので」
ヴァンパイア・ハンター。吸血鬼が存在するこの世界では立派な職業として認められている存在だ。特に吸血鬼という存在を敵視するドイツ政府にとっては重要な存在であり、武装親衛隊に誘われ入隊したハンターも数多く存在した。
アントネスクはなんとなく察したようだった。そのハンターが誰なのかを。
「もしかして…コンスタンティン・リモンのことですか?」
「以前軍団運動の準軍事組織である鉄衛団にいた男です」
「…彼は吸血鬼に親を殺されたんです。今思えばレミリアを殺すために入ったのかもしれません」
「そうですか」
「計画に関してはいつ頃に?」
ワーグナーは紙束を鞄にしまうとニヤリと笑った。
「新月の時期に。吸血鬼の力が弱まる数少ない時ですからね」
ーーー
「今回の作戦の現地指揮官を君に頼みたいと思っている」
リモンは第1ルーマニアの司令部にてワーグナーから吸血鬼暗殺作戦の司令官就任の打診を受けた。
リモンの脳裏には走馬灯のような光景が広がった。
両親を吸血鬼に殺された夜。ヴァンパイア・ハンターとなることを決意したあの日、ホリア・シマの下で準軍事組織、鉄衛団の一員として秘密裏に吸血鬼狩りに従事した日々、武装親衛隊に入隊することを決めた日…。
このような誘いは彼にとっては非常に光栄なことでありリモンはすぐに就任を受け入れるとワーグナーに返した。
「私の敵は吸血鬼です。吸血鬼は穢れきった反キリスト教的な存在なのです」
「リモン。君は入隊した時から一貫しているな」
「他の隊員よりも?」
「当然だ。だからこそ指揮官に就任しないかと話したのだ」
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1944年6月某日
月光がなく真っ暗な紅魔館の門の前には二名の警備兵が立っている。門の前に車が停まると、中から国防軍の制服を着た男が降りてきた。しかしこの男は国防軍の関係者ではない。彼もまた第1ルーマニアに所属する武装親衛隊の兵士であった。
警備兵の1人が違和感を感じ取ったのか、男に話しかける。
「すみません、関係者以外立ち入り禁止なんです」
「そうか」
そう言うと男は大きく右腕を上げるとすっと脇に移動した。
バンッと銃声が響き警備兵の1人が頭部を撃たれ倒れた。
「何が…!」
もう1人の警備兵が拳銃をホルスターから抜こうとするも次の瞬間には同じように撃たれ倒れた。
「いくぞ!」
ワーグナーから現場における指揮権を任されていたリモンがそう叫ぶと、林の中に隠れていた者達が一斉に現れ塀を乗り越えていく。兵士達は皆、コットン製でゴワゴワした灰色の国防軍の制服を着用していた。武装親衛隊の兵士が黒い親衛隊の制服を着用し戦場に出ること自体が少なかったが、今回は国防軍に罪を擦り付ける意味合いがあった。
ーーー
紅魔館の奥の部屋ではレミリアと珍しく地下室から出ていたフランドールがいた。
「銃声?」
「お姉様、何かおかしい」
天井が僅かに揺れたような、そんな気がした。
「ミルチャ!」
レミリアが叫ぶと従者のミルチャ・シオランは懐から二重帝国の遺物、ステアーM1912を取り出し、防弾コートを着ながら現れた。
「既にこちらの方で確認を行いました。服を見る限り国防軍の襲撃です。装備も人数も本気そのものです。奴ら、殺る気ですよ」
「ミルチャ、それは少しおかしいと思う。何故国防軍が私達を殺すのよ?もしかして…さては武装親衛隊…?」
「お姉様…」
「フラン、大丈夫よ」
レミリアはフランドールの小さな手を握り締めていた。
ーーー
外に配置されていた警備兵達が躊躇無く撃ち殺され、あまりにも簡単に警備が突破されていく。
暫くすると館の周りで兵士達が突入のために準備を始めていた。
「突入!」
またもリモンが叫ぶと同時に銃声が響き窓ガラスが激しい音を立て砕け散った。割れた窓から武装した兵士達が一気に雪崩込んでいった。Kar98kを構え次々と館に侵入していく。
館内の警備員が兵士達と対峙することとなったが抵抗も虚しく撃ち殺されていく。第1ルーマニアには「全ては国の為に」の準軍事組織「鉄衛団」に所属していた人間もいた。彼らは街頭闘争で力をつけていた。紅魔館の警備兵など、もはや敵ではなかった。
警備兵は日頃から訓練を繰り返しレミリアが認めるほどの精鋭達だったが武装親衛隊の容赦のない銃撃には蹂躙されていく。
「レミリアは奥の部屋!フランドールも恐らくそこにいる!」
警備兵を蹴散らしながら奥の部屋へ急ぐ兵士達。
そして彼らの前に大きなドアが現れそれを蹴破る。
部屋の中にはレミリアとフランドールの二人が鎮座し兵士達に激しい憎悪の感情を剥き出しにしていた。
「はじめまして武装親衛隊の諸君。そしてさようなら」
「お前たちはここで死ね」
レミリアはグングニル、そしてレミリアはレーヴァティンを出現させ兵士達たちに襲いかかった。
ーーー
気づけばこの世のものとは思えない光景が広がっていた。2人は怒りに震え兵士達を容赦なく倒していった。銀の銃弾を何発も受けながらも戦い続けることができたのは殺された警備兵達への強い思いがあったからこそ。彼らとは常日頃から関わりがあり、時には一緒に食事を摂ることすらあったのだから。
2人は息を切らしながら周りに敵がいないかを確認した…が1人存在を見落としていた。
影から1人の男が現れた。その男はナイフを持っていた。
「しまっ…!」
男、リモンの動きは人間のそれではなかった。ヴァンパイア・ハンターとしての実力だけではない、その動きには吸血鬼に対する憎悪があった。気付けばレミリアの胸にはユーゲント・ナイフ……それも銀製の物が刺さっていた。
「カハッ…!」
「お前の笑った顔を見るだけで両親を殺したあの吸血鬼の顔が脳裏に浮かぶ」
リモンはレミリアの髪を掴み、さらにナイフを突き刺していく。レミリアは苦痛の表情を浮かべながらもリモンを睨んでいた。
「レミリア・スカーレット、お前は俺にとっての復讐の象徴になったんだ」
ナイフが勢いよく引き抜かれると滝のように血が流れ出し桃色の服を汚していく。
「お姉様!」
フランドールが怒りに震えた顔でリモンを睨み、レーヴァティンで彼の胸を切り裂いた。
「ミルチャ!お姉様を!」
シオランがタンスの中から現れレミリアに駆け寄った。
「私が近くの病院まで運びます」
「お姉様……」
シオランは近くにあった布でレミリアの出血した箇所を押さえシャツの袖をちぎり巻き付けると担ぎ上げ走り出した。
「助かってくれよ……」
フランドールはレミリアを背負ったシオランを追いかけようとしたが腰が抜けてしまった。胸を切り裂いたはずのリモンにはまだ息があるようで何か話そうとしていた。
「フランドール・スカーレット」
「……今更何よ」
「私は吸血鬼に両親を殺された。……レミリア・スカーレットを殺してこの思いが晴れる、そう思っていた。が、そんなことはなかった」
「ここに銃がある、さあ撃ってくれ」
リモンはポケットを指さした。
「……最後ぐらい自分でやりなさいよ」
「もう力が入らないんだよ」
「フランドール……頼む」
フランドールは静かにリモンのポケットに入っていたルガーP08を取り出した。
そしてリモンに向けて静かに銃口を向けた。
しかしフランドールは引き金に指をかけることすらできなかった。姉であるレミリアを殺そうとした相手のはずだったのだが…。彼からは執念のようなものを感じたのである。
「……私には撃てない」
「臆病な吸血鬼だな。……やはり最期は自分で決着をつけるしかないのか」
フランドールはリモンの手に銃を握らせ引き金に彼の人差し指を添えた。
「君とはもっといい形で出会いたかったよ、フランドール」
直後、銃声が響いた。
ーーー
シオランはシトロエンのトラクシオン・アバンの後ろの座席にレミリアを横に乗せる。いつの間にかやってきていたフランドールが助手席に座ると車のキーを回しエンジンをかける。レミリアが少しでも衝撃を受けないようにゆっくりと車を走らせた。
紅魔館周辺に大きな病院はなかった。それにドイツ国の傀儡政権と化したこのルーマニアにはレミリアのような吸血鬼の治療を自ら進んでやる医者などもはやいない。…しかしシオランには一つだけツテがあった。
それは国王陛下であるミハイ1世の侍医のイギリス人、ジョー・スコットである。レミリアが子供の頃のミハイの指導を担当することもしばしばであった。当然スコットとも繋がりがあった。
彼らはエリサベータ宮殿に住んでおりそこでならレミリアの治療ができるかもしれない。
41年、ドイツによるソ連侵攻作戦、バルバロッサ作戦に国防軍とルーマニア軍が参加した時に大規模な軍事パレードが行われたキセレフ通りを走り交差点を右折すると大きな宮殿が現れた。ここがエリサベータ宮殿であり王室関係者の居住地だ。
宮殿にはルーマニア国旗が掲げられている。それは国王が宮殿にいることを示していた。
シオランは車を止めるとレミリアを再び担ぐ。止血は成功したようだったが彼女はぐったりとしていた。フランドールは今にも泣きそうな表情でこちらを見つめるがシオランは「大丈夫です」と静かに呟いた。
宮殿の警備兵の1人、スネグルが三人に気づいたようで近寄ってきた。彼はシオランとは顔なじみであった。
「ミルチャ、こんな夜中に……ってレミリア様……?」
「スネグルか。お願いだ、侍医に会わせてくれ……つい先程、レミリア様が武装親衛隊の襲撃で胸を刺された。それも銀のナイフで」
スネグルははっとした表情になった。
「分かった。今すぐ連れて来る。では館の中へ」
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暫くすると侍医のスコット、そして彼の部下達、ミハイが現れ侍医が緊急手術が始まると告げた。
「2人は国王陛下と一緒にここで待っていてください。必ずレミリア様を助けてみせます」
医務室にレミリアが担ぎ込まれドアが閉まった。
ドアが閉まるとミハイは
「…まさか武装親衛隊がレミリアさんにこのようなことをするなんて…想像できなかった」
ミハイは悔しそうな表情をしていたがエミールはそれを慰めるように、
「そんなことを言わないでください、陛下」
「レミリア様はこんなことでやられる軟弱な御方ではないですから。ね、妹様」
「そう、だけど…お姉様…」
フランドールはぎゅっとシオランの袖を掴んだ。いつもは精神的に不安定で地下室に閉じ込められている強気な彼女であったが唯一の家族であったレミリアが血に染まり担ぎ込まれた光景を目にしてしまった。こうなってしまうのも無理はない。
そんな様子を見ていた拳を握るとミハイは静かに口を開いた。
「ここで話すべき話題ではないかもしれませんが聞いてもらえませんか?」
「クーデターの時期を8月から7月に前倒ししようと思います。その時はフランドールさん、貴女に協力をお願いしたいのです」
「私に…?」
「レミリアさんがこのようなことになってしまった以上、もはや四の五の言ってられません。イオン・アントネスク、そしてドイツからルーマニアを取り戻さなければならない」
「現政権のサナテスク国防大臣とは既に連絡を取り合っています。このクーデターが成功した暁には我々はサナテスクさんを首相に就任させ枢軸国陣営を離脱し連合国陣営に加盟することになるでしょう」
「フランドールさん、貴女には私の懐刀になってもらいたい。貴女が近くにいれば心強い」
「…そこまで私を信じてくれるなんて」
「だって、レミリアさんの妹様、ですからね」
ーーー
何時間経っただろうか、すっかり日が上がりドアの影も長くなっていた。
フランドール以外の2人は疲労の色が隠しきれなくなっていた。シオランはミハイに「陛下だけでも寝てはどうか」と提案するが「友人の命の危機にそのようなことはできない」と断られてしまった。
医務室のドアが勢いよく開くとスコットが出てきた。その表情は明るかった。
「治療は成功しました。暫くの安静が必要ですが一ヶ月もすれば復帰できるでしょう」
フランドールは一気に表情が明るくなった。
「お姉様を…ありがとう!本当に…!ありがとう…!」
ミハイとシオランはその様子をにこやかな表情で見つめていた。
「クーデターの件に関しては復帰の目処がつき次第、レミリアさんに話そうと思います」
「あくまでも秘密厳守でお願いします」
「勿論、私も今の政権には不満が沢山ありますから」
「私は一度館の方へ帰ります。レミリア様がここにいることは秘密でお願いします」
「分かりました。地下のお部屋に案内しておきます」
シオランはミハイと固い握手を交わすと館を出てフランドールと車に乗り込んだ。
ーーー
館に戻ると悲惨な光景が広がっていた。警備兵、そして武装親衛隊の兵士達の死体が至るところにありシオランは思わず息を呑んだ。
傘をさしフランドールを降ろすと、
「妹様、どうやら我々の警備隊は全滅です。どうすればいいのか…」
「…暫くは私が警備を担当する。シオランは他の執事と一緒に新しい人材の確保を進めて」
「警備を妹様が!?正気…ですか?」
「私はいつでも正気よ?」
「妹様…」
フランドールは地面に倒れた兵士を見ながら膝をついた。
「それに…弔ってあげなきゃ、彼らを」
ーーー
1週間もするとレミリアは歩けるようになったがクーデター計画に参加するのは難しかった。
「陛下、面目ない。貴方の計画には参加できなさそうだわ」
「無理は禁物だ、レミリアさん」
「…そういえば、貴方、フランに頼んだのね。聞いたわよ。シオランから」
「貴女の妹だからこそ信じたのです」
ーーー
「妹様、陛下からの贈り物です」
シオランは鞄から大きな軍服を取り出しフランドールに手渡した。
「ルーマニア軍の一員として会場に侵入します。陛下を守るためです」
「それは分かったのだけど」
「?」
「大き…すぎない?」
「サイズがこれしか無かったのです。妹様」
「でも…」
フランドールは軍服を奪い取るように手に取りシオランをじっと見つめた。
「私達が守らなければ、この国は破滅的な未来を迎えることになる」
「破壊のことしか考えていなかった、フラン様がこんな事を言うようになるなんて」
「久しぶりだね、シオラン」
「え?」
「フランって呼んだの」
ーーー
1944年7月23日
控え室にてぶかぶかのルーマニア軍の軍服を着たフランドールは同じく軍服に身を包んだシオランと扉の前に並んで立っていた。
「いよいよ、今日です。イオン・アントネスクは十二時過ぎにエリサベータ宮殿にミハイ・アントネスク副首相兼外務大臣、コンスタンティン・サナテスク国防大臣と共に現れます。予定ではアントネスクは陛下に前線の状況を報告する予定です」
「にしても…」
「やはり大きいですか、サイズが」
フランドールの着ている軍服は明らかに大人用のサイズであった。袖は何度も折られなんとか手の甲が現れるほどであり、ズボンの裾も何重にも折られ軍靴に入れられていた。
「動きにくい」
「似合ってますよ」
「うるさいな、そう言われると恥ずかしくなっちゃうじゃん」
フランドールは袖を指でつまみながら頬を赤らめた。
「……でも今日は壊す日じゃない」
「そうですね、守る日です。この日でルーマニアの未来が変わる」
「そしてフラン様にはこれを渡しておきます」
「?」
シオランはポケットから安全装置の付いたイタリア製のベレッタM1934をフランドールの手に渡した。
「いざとなったら“これで”」
「私の能力を使っては駄目ってことね」
「全てを破壊してしまいますから」
シオランは笑い、懐中時計を開いた。針の音がカチカチと響く。
「11時59分50秒、後もう少しです」
ーーー
「今、陛下とイオン・アントネスクが話していると思われます」
「戦争から離脱し連合国及びソ連の休戦協定に署名することを求める予定ですがそれを受け入れるかどうか…」
「お飾りと思われている陛下から言われても断るでしょう」
そうシオランが話すと扉がゆっくりと開き、宮殿の警備兵であった顔見知りが顔を覗かせた。
「イオン・アントネスクが陛下の提案を断りました。他の兵士達と一緒に突入してください」
シオランは頷くとフランドールの方をゆっくりと見た。
「フラン様、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、私を誰だと思っているの」
「その言葉を聞いて安心しました」
直後、扉を思い切り開きシオランとフランドールは兵士達と共に会談場所へ突入していった。
「イオン・アントネスク!これはお姉様の仇だ!」
フランドールは拳銃をアントネスクへと向けた。しかし安全装置は解除されていなかった。いや、していなかった。彼にはこれで十分なのだ。
ミハイは一歩前へ出て、覚悟を決め言い放った。
「イオン・アントネスク、ミハイ・アントネスク。貴方達をそれぞれ国家指導者、副首相と外務大臣の座から解任した上で拘束します」
イオン・アントネスクは立ち上がり一瞬フランドールを睨んだがすぐに目線を戻した。
「陛下。貴方もフランドール・スカーレットのように狂気に囚われたか」
ミハイは一歩も引かずに、
「この国を救うためなら私は狂気などいくらでも取り込んでみせる」
「サナテスク国防大臣、では予定通りお願いします」
「勿論です、陛下」
午後10時、国民に緊急のラジオ放送が流された。
「国民の皆様、私はミハイ1世です。本日午後1時、イオン・アントネスク、ミハイ・アントネスク両名を解任し拘束いたしました。以後は王党派、自由主義者、そして共産主義者からなる『ルーマニア国家民主連合』による連立政権が発足することになります。今後、連合国、そしてソビエト連邦との休戦協定を受諾する予定です」
ーーー
これは余談だが、最近こんなルーマニア語の新聞記事が無縁塚で見つかったらしい。
「セクリターテ本部の倉庫から戦時中の吸血鬼暗殺計画に関する書類が発見される。共和国政府は本格的な調査を行う予定(1993年10月)」
結局ルーマニア政府は共産党政権崩壊の混乱、資金不足を理由に調査を途中で打ち切ったが。
紅魔館は今日も真夜中に鐘が鳴る。フランドールとレミリアは祖国に思いを馳せながら「Trăiască Regele(国王万歳)」と呟き、紅いワインを一気に飲み干した。遠く離れていたとしても思いが通じることを信じながら。
ハードボイルドに語られる過去に、あったかもしれない歴史を感じました
姉想いなフランドールもよかったです
KGBによる、あるいはルーマニア革命時の民衆による弾圧によって命からがら逃げ出してそれが紅魔郷勢の幻想郷への移住、紅霧異変に繋がってたら興奮します!