Coolier - 新生・東方創想話

変わるものと、変わらないもの

2025/05/18 21:32:07
最終更新
サイズ
51.04KB
ページ数
1
閲覧数
800
評価数
7/8
POINT
730
Rate
16.78

分類タグ

 人通りの少ない往来を下を向きながら歩く。
 笠を被り、面の半分には包帯まで巻いて顔を隠す私の姿を見て、すれ違う住民は皆怪訝そうに凝視してくる。
 だが、関わろうとまでは思わないのか全員が例外なくすぐに目を逸らした。
 
 しかし、しけた所だ。
 さっきからじろじろこっちを見てくる連中の覇気のない面構えにもそれが現れている。 
 早く今日寝泊まりする場所を見つけたいのに、どうしたものか。

「ねえねえ」

 そんなことを考えていると急に服の裾を引っ張られたので、仕方なく振り返る。
 人前ではあまり話しかけてこないように言ったんだが。 
 不機嫌を隠し、一瞬でいつもの従者の仮面を着ける。
 
「どうしました、姫」

「あれ……」

 こいつがどこまで私を信じているのかは知ったことではないが、少なくとも私の中ではただ利用しているだけの存在。
 小人の少名針妙丸がまるで赤子のように小さな指で往来の端の露店を指していた。
 
 そこでは畳一畳分ほどのスペースに、年老いた白髪の男がなにやら売物を並べていた。
 足を止める客は誰もおらず、流行っているようには見えない。
 
 針妙丸は私の視線がそこに向いたのを確認するとそのまま近付き始めた。
 誰も買ってやるなんて言ってないが、こうして物をねだられるのは珍しい。
 仕方なく後を着いて行く。
 
 シートの上に陳列されているのはけん玉におはじき、竹とんぼ。
 どれもよく見るありふれた玩具。
 
 しかし針妙丸が指差しているのはそれらのどれでもない、白い面と黒い面が合わさった碁石と正方形のゲーム盤がセットになった玩具だった。
 ああ、リバーシか。
 
「オセロ、欲しい。だめ?」

 おせろ、と言っているが指差しているのは間違いなくリバーシだ。
 どう見ても同じ玩具なのに、何故か呼び方が二種類あるらしい。
とにかく、私はリバーシじゃなきゃ認めない。
 
 それはさておき。
 この小人に嘘八百を吹き込み、連れ出したあの日からもう随分経つ。
 本当に、この旅の目的を理解しているのだろうか。

「……リバーシ、なら買ってあげますよ」

 そう言うと首を傾げながらこちらを見上げ、問いかけてきた。

「りばーし、ってなあに?」

「姫が指差しているその玩具です」
 
 短く簡潔に返すと、今度は急に破顔してまた私の服の裾を引っ張った。

「正邪、リバーシ買って!」

 多分、いや間違いなく理解していない。
 この、無垢で無知で。
 能天気過ぎる小人の姫は。

 店を後にしてからしばらく歩を進め、日没ギリギリのタイミングでようやく手頃な価格の宿を見つけられた。
 それにしても、一人は顔の大部分が見えない明らかな不審者。
 もう一人は下手をすれば齢五にすら満たないような、異様に背丈の小さい子ども。
 明らかに妙な組み合わせだろう。

 だが受付の不愛想な男は極めて事務的に金のやり取りを済ませると、あとは鍵の返却先だけを説明してすぐに奥に引っ込んだ。
 ここの連中は、とにかく余所者と関わろうとしないようだ。
 どちらにせよ、好都合。

「もう一回、だめ?」

「最後ですよ、最後」

 少なくなった乾パンを口にしながら、碁石を元に戻していく。
 さっきのが五十対十四。
 その前が四十七対十七。

 仮にあと十回やっても負けることはなさそうだ。
 やっぱり見た目通り、中身もそのまま子どもだったか。

「姫」

「ごめん待って、後少し」

 別に手番を急かしているんじゃないんだが。
 盤上では大量の黒の碁石が数少ない白の碁石を今にも飲みこまんと口を開けている。
 ほぼ決まりだろうな、と思いながら言葉を返す。

「姫はこの計画、上手くいくと思いますか?」

 ここに至るまでの旅路では「姫の力があれば絶対に成功します」だの、
「貴女と私の手で虐げられてきた弱者を救うのです」だのと具体性のない言葉でひたすらに持ち上げてきた。
 実際、そうしておだてているだけでここまでその気にさせられているのだから、これで何も間違っていない。
 
 ただ、今日はいつもより歩いて疲れたからか。
 それとも、同じ切り口で会話することに私が無意識に飽きてしまっていたからか。
 
 口は自然と普段と違う切込み方をしていた。
 途端、碁石を持ったまま盤面とにらめっこをしていた針妙丸の手が止まる。

「……時々、夢を見るの」

「どんな夢ですか?」

「……怖い夢。怖い、大きな人間達に、棒や石で、打ち叩かれるの」

 そこまで言い終えたところで、震える手から碁石が滑り落ちる。
 盤を横にずらし、そっと頭を撫でてやる。
 針妙丸はいつものようにされるがままで、抵抗はされなかった。

「……怖かったですね。でも、貴女はそうした者達からも弱者を守らなければならないのです」

「正邪」

「大丈夫、そのために私がついていますから。私がいれば」

 直後、針妙丸が落とした碁石を拾い上げた。
 そのまま真っすぐに視線を交わし、先程までより少し強い口調で言葉を紡ぐ。

「違うの」

「……違う?」

 見ると、その双眸は震え今にも涙粒が零れそうになっている。

「……打ち叩かれてたの、正邪だった。夢の中の私は、それが見えていたのに何も出来なかったの」

 何故か一瞬、背筋が冷えた。
 まさか、本能は私の本性に気付いているとでも。
 こちらの微かな動揺を知ってか知らずか、目の前の小人が落ちかけた涙を袖で拭いながら言った。

「だからまずは身近な、大切な人から守らなきゃ。だから私、正邪を守るの。
正邪も、もし異変が失敗しても、私といてくれるよね? ずっと、一緒だよね?」
 
「……ええ、もちろんです。本当に、姫の優しさにはいつも驚かされますよ」

 ザリガニを餌に魚を釣ろうとすれば、ザリガニがかわいそうだとぐずったり。
 仕方なく餌なしでやっと釣った魚を焼いて食べる時も、案の定躊躇って食べようとしなかったり。
 
 結局命を食す意味について柄にもなく説く羽目になった。
 一体なんの因果で天邪鬼の私が教育の真似事などやらなければならないのか。
 
 他にも道で野良兎を見つけ、のこのこ近付いて頭を撫でたかと思えば、そのまま飽きずに延々と戯れてその場を三十分以上も動かなかったなんてこともあった。
 本当に、本当にここまで苦労させられた。
 一呼吸置いて、言葉を続ける。

「ただし」

「……ただし?」

「失敗、と言うのはこれきりにしましょう。
大丈夫、姫の思いやりの気持ちさえあれば、弱者達はみんな貴女に賛同してくれますよ」

「……受け入れてくれるかな、私のこと」

「偉そうにすればいいというわけではありませんが、貴女はこの世界の救世主になるのです。
もっと自信を持って、堂々としてください」

「……頑張ってみる」

「姫なら出来ますよ」

 それからいつものように、布団に寝かしつけてやる。
 昼間こそ手がかかることが多いが寝つきはいい方なのでこれはそんなに苦労しない。
 
 そう言えばさっき途中で除けたな。
 起こさないように布団から出て、リバーシの碁石を片付ける。
 
 そして最後の一枚を手に取り、白と黒の面を指で弄ぶ。
 この先なにがあろうと、最後に目的を達成出来さえすれば、それでいい。
 指で弾いた碁石を無造作にキャッチし、そのまま元の袋に投げ入れる。

 私は針妙丸に、世界をひっくり返し弱者を救うことが異変の目的だと言い続けてきた。
 しかしその弱者が具体的にどんな存在で、どこにどのくらいいるのか。
 異変を起こせば本当に自分達に賛同し、共に戦ってくれるのか。
 
 そのあたりに関しての具体的な説明は一切していない。
 当然だ、口から出まかせを言っているのだから。
 
 とにかく、成功するということだけをイメージさせることが大切だ。
 先程失敗という言葉をこれきりにしようと言ったことに関しては、実はあながち嘘でもない。
 今まで生き残り続けて得た教訓だからだ。
 
 何かをしようとする時に失敗する、と少しでも思ったその瞬間から成功のルートだけでなく、逃げ道も一緒に細くなる。
 そしてすぐそこにあるはずの物さえも見落とし、やがては窮地に追い込まれる。
 
 逆に成功するつもりで前へ突き進んでいれば、進行ルートの脇に逃げ道が自然と明瞭に見えてくる。
 選択肢が増え、結果余裕が生まれる。 
 自分が勝つ前提で事に臨まないのはその時点で視野が狭まり、通れるはずの道を見逃すことにつながるのだ。















 それから二日後、ようやく目的の場所に辿り着いた。
 人間の里から迷いの竹林に続く道の途中を外れた先にある、林に囲まれた人気のない僻地。
 ここに至るまでの長い道中で所謂強者側とされている勢力の動向もある程度は探っている。
 
 その中ですぐに私達の計画の障害と成り得る者の存在は確認していない。
 当然、私と針妙丸のことなど誰も話題にしていない。

 ここ幻想郷で異変を起こせばそれは例外なく阻止、解決される。
 先日書店で流し読みした歴史書にもその旨の記述があった。
 
 どんなに上手く事が運んだところで、いつかは必ず人間達が計画を食い止めにやってくる。
 重要なのはなるべく気付かれぬよう、迅速に事を進めることだ。

 空を見上げれば一面が灰色の雲に覆われ、今にも雨が降ってきそうだ。
 だが晴天の日よりはずっといい。
 
 悪天候であればあるほど大抵の人妖は各々の住居で大人しく過ごすものだ。
 その分周囲の変化に気付きにくくなることが期待出来る。

 加えて、針妙丸の体調もいい。
 これがある意味で最大の懸念点だった。
 子どもというのはやたらと体調を崩す。

 その上こちらが大人しく寝ていろと言っても、少し元気になればすぐに布団を出て私についてこようとする。
 実際に道中でも二度、高熱を出されたおかげで看病をする羽目になった。

 周囲を一通り見回したところ、他の人妖の気配は感じられない。
 竹林に住む者の大半は滅多に外に出て来ないと聞いている。
 
 しかし私達のような他所者がいつまでもうろついていると不審に思われる可能性もある。
 それだけに天候も体調もいい今日この日に事を起こせるのは幸いだった。

 後ろを着いて来る針妙丸も、今日は珍しくあまり話しかけてこない。
 事前にここが目的地だと伝えているわけではないが、なんとなく旅の終点が近いことを察しているのだろうか。
 普段は見た目通りの子どもだと思わされることが多いが、これで意外と勘が鋭い一面も持っている。

 やがて、微かに続いていた道も完全になくなった。
 周囲は雑木林で囲われ、外側から私達の姿は見えない。
 針妙丸にここで決行する旨を伝え、私が少し後退すると緊張した様子で小さく頷いた。

「……うん」

 いつもならどうすればいい、とかやっぱり緊張する、とかこれまた子どもらしい頼りなさを見せてくると思ったが。
 思ったよりは落ち着いている。
 針妙丸はそのまま細かな装飾が施された黒い箱の紐を解き、取り出した小槌を両手で持った。

 私も一度持たせてもらったが、あれは気持ちが悪かった。
 手に握った途端鈍い痺れが掌に流れ込み、肌が泡立つように震えた。
 
 そのまま強引に振ろうとすれば腕全体が麻痺したように硬直した。
 言外に「お前に私を振るう資格は無い」と突き放されたのだ。
 
 針妙丸は目を閉じてからなかなか小槌を振ろうとせず、不意にその両目を開け不安そうにこちらを見つめてきた。
 やはり緊張はしていたか。
 余計なことは言わないつもりだったが。

「大丈夫、姫の思うように小槌を振るってください」

 意気投合した初日の夜に言われたことを思い出す。
「もし小槌が爆発したらどうしよう」と。
 
 彼女としては得体の知れない秘宝の力に恐怖を感じての言葉だったのだと思う。
 だが、私が感じたものは違った。
 
 もし針妙丸がその気で、小槌の力も私が見込んだ通りのものなら。
 私一人消し飛ばすぐらいは造作もないことだろう。
 
 だから旅を始めた当初は針妙丸が私の企みに気付き、寝首をかかれることも危惧していた。
 ここまで来た今、その懸念はほぼなくなっているが。

 私の言葉でようやく覚悟が決まったのか、針妙丸はまた小さく頷いた。
 小槌の柄を握り直し、小声でなにかを呟く。
 
 そして軽やかに、まるで団扇でも使うときのようにさっとそれを一振りした。
 途端、小槌から眩い金色の光が溢れ出す。
 光は強く、両腕で前を庇わないと目を開けていられない。

「姫!」

 針妙丸を、小槌を探そうと光源に向かって慎重に歩を進める。
 だが、おかしい。
 
 せいぜい五歩分ぐらいの距離しか離れていなかったはずなのに、もう十歩は歩いている。
 どこだ、どこに消えた。

「正邪!」

 声が返ってくる、間違いなく針妙丸のものだ。
 前方、小槌を振る前と同じぐらいの距離から聞こえる。  
 とにかくもっと前へと考えたその時、今度は土を踏みしめる感覚が消えていることに気付く。

 私の踏み出す足は空を切り、なにもない場所を彷徨っている。
 飛行している時と違い、風を切って前方に進んでいる感触もない。
 まさか、この得体の知れない浮遊感は。 

 一瞬背筋が冷え、左足が痙攣し始める。
 小槌を握った時と同じものを感じる。
 自分という存在を拒否される、あの感覚。
 
 次に脳裏に浮かんだのは昔読んだ絵画本のある頁に載せられた、一枚の絵。
 そこには持ち主の女を憑り殺そうと鏡の中から姿を現した一人の黒い悪魔が、天からの金色の光に包まれ焼死する光景があった。
 もう何年も前に読んだ本なのに、何故急に今になって思い出したのか。

 そう考えた直後、飲み過ぎて酩酊した時のような脱力感に襲われた。
 思考する間もなく無意識に、私の躰は閃光を遮っている両腕を解き天を仰ごうとしている。
 目の前の眩く熱い光を受け入れそうになる。
 あと、ほんの少し力を抜けば。 

「っ!」

 だがすんでのところで、私は我に返った。
 辛うじて開けている眼で自分の腕越しに眼前の閃光を睨みつけた。
 
 そのまままだ動く方の右足で痺れた左足を思い切り蹴り、さらに唇を歯が食い込むほどの力で噛む。
 錆びた鉄のような不快な臭いとともに、口内に鮮血が流れ出す。
 ようやく足の震えが治まり、追想された記憶の忌々しい絵画は不気味な赤黒い色をした炎に包まれ消えた。  
 
 ふっ、と息を吐く。
 私はまだ、生きている。
 
 何も為さずに死ぬわけには、いかない。
 もう一度、精一杯の声を出して呼びかける。
 薄らいだ意識も徐々に明瞭になってきた。
 
「姫! 姫ー!」

 返事はなかったが、代わりに先程まで視界を覆っていた強い光が収まった。
 目の前にあったのは果てしなく広がる、紫色の雲海。 
 そしてまるでなにかに吊るされているような、真っすぐ下向きに鎮座する不気味な城。

 吹きつける強風がびゅうびゅうと音を立て、周囲の雲を絶えず押し流している。
 さっきの光に包まれている間に、私はこんなにも高いところまで運ばれたというのか。

 それに、あの妙な城は。 
 城を上から下へと眺め渡していると最下層、つまり天守閣の縁になにかが引っ掛かっていた。
 
 それはまるで旗のようにばたばたと強風に煽られている。
 小さな手で打ち出の小槌をしっかりと握りしめながら。
 










「では、姫も何が起きたのかは分からなかったのですね」

「……うん、正邪の声がして目を覚ましたら周りが全部雲だったからびっくりしたよ」

 逆さ城のとある一室。
 まだ詳細に調べていないが階層は多分五つか六つ、部屋は三十以上ありそうだ。
 
 その中の適当な一室で寝かせていた針妙丸が半刻ほど経ってようやく目を覚ました。
 何が起きたのかを聞いたが、予想通り本人も全く分かっていないようだ。
  
 弱者が平和に暮らせる世界、下剋上の実現を願って小槌を振った。
 その直後辺りには眩い光が満ち、私の元に駆け寄ろうとしたが声しか聞こえず姿が全く見えなかった。  
 
 その後のことは覚えておらず、気付いたら城の中で目を覚ましたとのことだった。
 危うく風に流されかけていたことを教えてもよかったが、今はそれよりもしておかなければならないことがある。

「とにかく、まずはこの城を探索してきます」

「うん!」

 どこか嬉しそうに布団から跳ね起きて私に着いてくる。
 先程まではこの得体の知れない城に怯えていたのに、私が探索と言った途端にこれだ。
 冒険ごっこじゃないぞと釘を刺したくなる。
 
 とはいえこの城のことはまだ何も分からないし、私達以外の人妖が潜んでいないとも限らない。
 ここは一緒に行動した方が安全か。  

 城を中央の大きな吹き抜けに沿って登って、いや正確には下っていく。
 階段や梯子もちゃんとあり、飛行しなくても探索は出来そうだが時間が惜しい。
 
 そんなことを考えていると、針妙丸がまた服の裾を引っ張ってきた。
 言いたいことは分かっているが、今は後にして欲しい。

「……正邪、私大きくなったよ」

 そう、確かに針妙丸は元の身長から明らかに背が伸びている。
 前は私の膝に届くかどうかというところだったのが、今は腰ぐらいの背丈になっている。
 
 が、それでも相変わらず小さい。
 せいぜいあと一、二年で寺子屋に入れるようになる人間の子どもとどっこいどっこいだろう。

 それに小人が打ち出の小槌を使って大きくなる、それ自体は予想出来たことだった。
 なんなら魔力が大きすぎて私の背を追い越すほどの大きさになるのではないか、とも密かに思っていた。
 
 そのせいか小槌のもたらした力は城のことばかりが印象に残り、
針妙丸が少し大きくなったことについてはさほど驚きを感じなかったのだ。

「ええ、大きくなりましたね」

「……ねえ、もっと驚かないの? 小人の私がこんなに大きくなったんだよ!」

「ええ、驚いていますよ」
 
 主にこの城にね。
 その後もこの少しばかり大きくなった小人を適当に相手しつつ、各部屋を見て回った。

 針妙丸はと言うと最初こそ頬を膨らませていたが、関心はすぐに城の方へ移ったようだ。
 緊張は未だ解れていないようだが興味津々と言った様子で目線があちこちに散らばっている。
 はぐれないよう、念のため途中で手を握っておいて正解だったか。

 城の最下層が見えてきた。
 ここに至るまで人間も妖怪も、妖精の一匹すら姿を見ていない。
 となれば、まずは。

「姫、一つお仕事を頼んでもよろしいですか」

「うん、なあに?」

「今後はこの城を拠点に活動します。そのためには部外者が勝手に入ってこないようにする必要がありますね?」

 喋り終えたところで窓、開口部を閉める仕草をジェスチャーで伝える。
 針妙丸はこくこくと頷き、応えた。

「全部の窓、扉を閉めてくればいいんだね」

「ええ、数が多いのでゆっくりでいいですからね。その間に私は拠点の部屋を整えておきます」

「はーい!」

 針妙丸が張り切った様子で戸締まりに向かうのを見届ける。
 後姿が完全に見えなくなったところで一息つき、生活スペースにする予定の部屋に足を運んだ。
 
 誰かが暮らしていた痕跡は全くないのに、なぜか家具や布団が一式揃っている。 
 中には貯蔵庫や酒蔵まであり、結構な数が保管されていた。
 当面の食糧には不自由しなくて済みそうだ。  

 片付けを終えて窓越しに外を見渡してみると既に陽が傾きかけていた。
 雲は相変わらずこの城を囲むように渦を巻いている。
 
 この逆さ城は随分と大きいがここは雲よりも高い場所。
 地上からは全く見えないだろう。
 
 とにかく、戸締まりを終えた針妙丸が帰ってきたら一度休もう。
 もう戻って来てもいいはずだが。
 
「たのもー! たーのもー!」

 聞き覚えのない女の、妙によく響く高音が聞こえてきたのはその直後のことだった。










「貴女が仕える小人のお姫様が、秘宝の力で私達付喪神を生み出したって言うの?」

 私の目の前で腕を組み、いかにも勝ち気そうな目でこちらを見据える一人の妖怪。
 背は私より高く髪がやたらと長い。
 
 腰どころか膝まであるんじゃないか。
 だがそれ以上に目を引くのは楕円形に近い形をした弦楽器の存在だった。
 それは組んだ腕でまるで抱くようにして支えられている。

 こいつは自分のことを琵琶の付喪神、九十九弁々と名乗った。
 先刻生まれたばかりで自分と同じ魔力の気配を辿ってきたところ、この城に行き着いたらしい。
 だからこちらも最低限の言葉で現状を説明したのだが。

「貴女、付喪神でも小人でもないわよね。どうしてその小人のお姫様に仕えているの?」

「姫と私の手で日頃虐げられている、弱き者達を救うためだ」

 弁々は一応頷いたが私になにか思うところがあるのか、無遠慮に訝し気な視線を向けてくる。

「……その話、貴女がその小人のお姫様に声をかけたの?」

 だが生まれたばかりなら、私がでっち上げた小人の歴史に関する嘘を見破られる心配はまずない。

「ああ、私も妖怪の中じゃ弱い方だし何もしていないのに今まで散々酷い目に遭わされた。
だが小人族が受けてきた迫害はそれ以上だからな」

 弁々の目線は包帯で覆われた私の頭部に向いている。
 針妙丸には昔負った怪我だと嘘をついているが、本当の理由は角を隠すためだ。

 針妙丸にせよ目の前のこいつにせよ、人妖への知識は浅そうではある。
 だが角を見て、私が嘘をつき他者を陥れる天邪鬼であることに気付く可能性はゼロではない。

「……貴女は一体、何の妖怪なの? 小人の一族となにか関りを持っているの?」

「嘘に聞こえるかもしれないが、生まれてこの方自分でも分かってねえよ。
せいぜいちょっとした妖術が使えるだけだ」
 
 こういう時にあまり凝った嘘はつかない方がいい。
 嘘がバレる原因の大半は本人の言動から矛盾、違和感が生じることだ。
 だったら最初から複雑な話なんて持ち出さない方がいい。

 弁々はまだ私を探るような眼つきをしている。
 上手く懐柔して手駒として使えればというところだが、生まれたばかりにしては用心深い。
 そろそろこっちが主導権を取らないと面倒なことになりそうだ。

「そういうお前は、これからどうする? それにさっき私達、と言っていたが」

 私が最後まで言い切る前に、なにやら楽しそうな声が二人分聞こえてきた。
 幼い舌足らずな声は針妙丸の物だと分かるが、もう一人は誰だ。
 声のする方向に視線を走らせようとした時、弁々が声を上げた。

「八橋!」

「姉さん!」

 弁々の見つめる先では、茶褐色の髪と腰の大きなリボンが目立つスカート姿の女が手を振っている。
 もう片方の手で針妙丸と手を繋いでおり、なにやら仲良さげな雰囲気を出している。
 弁々のことを姉さんと呼んでいたあたり、目の前のこいつの方が格は上なのか。

「仲間か?」

 私の問いに対して、弁々は胸を張って誇らしげに応えた。

「いいえ、私達は姉妹。一緒に生まれた楽器の付喪神なの」

 よく見ると八橋のスカートを囲むような形で線状のなにかが赤く光っている。
 それは弁々の抱える楽器の弦とよく似ていた。

「スカートの紅い線、あれも楽器なのか」

「そう、私が琵琶であの子は琴なの」
 
 弁々はここに来てからはじめて口元を緩め、嬉しそうに微笑んだ。
 今の説明通りなら血のつながりなどないはずだが、何故姉妹を名乗るのか。
 少し気にはなるが、今はそれよりも。

 大体予想はつくが一応針妙丸に事情を聴いておく。
 戸締まりの最中に外から入って来た琴の付喪神と鉢合わせたか、あるいはおっちょこちょいなこいつが閉め忘れたか。
 
「……姫、その妖怪はなぜこの城」

 またも私が最後まで言う前に、八橋と呼ばれた付喪神がはしゃいだ声で割り込んできた。

「姉さん、この子が私達を生んだんだよ! 下剋上を果たすために戦ってるんだって!」

 それを聞いた弁々は驚いた様子で目をぱちくりさせながらも、針妙丸の姿に目が釘付けになっている。
 自分の出生が私の話した通りであったことに驚き当惑しているようだ。

「そ、そうなのね、えっと」

「正邪! 新しい友達出来た!」

 こいつはこいつでこっちが言おうとしたことも気にせず、八橋と呼ばれたショートヘアの付喪神を私に紹介しようとしている。
 まずは一度腰を落ち着けてから次の行動に移るつもりだったのに、いきなり部外者が二人も乱入してしまった。
 いや、だがこれはチャンスかもしれない。
 
 八橋と針妙丸は出会って小一時間も経っていないはずなのに明らかに意気投合している。
 あとはもう一人、弁々を丸め込めば早くもこの陣営の手札が二枚増えることになる。
 どの程度戦力になるかは分からないが、ここで私がこの組織の主導権を取れば。









「……」

 半ば自棄になって御猪口の冷酒を一気に飲み干す。
 頭にがくんと大きな揺れを感じたが、普段以上に全く酔えやしない。
 私は半刻前の自分の行動にただ後悔していた。

「もー、針ちゃんったらかわいー!」

「あはは、くすぐったいって」

「だめー、聞こえませーん!」

 針妙丸を膝に乗せ、にやけた目で大笑いしながら頬を触りまくる馬鹿が一人。
 またそれを嫌がりもせずにこにこしながらされるがままの馬鹿がもう一人。
 
「ごめんね正邪、私貴女を疑ったりして……」

「ああ、もういいんだよそんなことは」

「ごめんね。疑われて、嫌な気持ちになったよね。ごめんね」

 会話がループし始めてからもう何回目か。
 三回目より後はもう数えていない。
 
「いいから、もう気にすんな。判断を誤って妹を危機に晒すのが怖かったから私を疑ってかかったんだろ?」

 このおざなりなフォローも三回以上はしている。
 正直、思ったより気が長い自分に驚いている。

「ひっく……でも、正邪に嫌われたと思って」

「初対面の相手をいきなり信じる方がどっちかと言えば問題なんだよ」 

 今まさに目の前で出会ってすぐの相手に全力で隙を晒し、油断し散らかしている二人組に視線をやりながら応える。
 そう、今私が仕方なしに相手しているのは嗚咽混じりの涙声でこちらにしなだれかかってくる大馬鹿だ。
 
 自分より背の高い奴が倒れてくるものだから、重くてかなわない。
 その上無駄に長いツインテールが何度も鼻にかかり、いちいちくすぐったい。 

 妹といい姉といい付喪神というのはどいつもこいつも初対面の相手に平気でべったりするのが普通なのか。
 もう、本当に勘弁して欲しい。 
 
 結局出会ってからすぐ後に私が言うより早く、八橋が針妙丸と城の上層で鉢合わせてからのことを説明した。
 大方の予想通り姉妹で二手に別れてこの城の入口を探していたところ、偶然開口部を見つけたとのことだった。
 
 自分を生んだ存在が目の前にいると聞いて、八橋はそれ以上何を疑うこともなく御覧の有様。
 それに抱きかかえられている呑気な小人は下剋上を果たす仲間、友達が出来たとこちらも大はしゃぎ。
 
 弁々だけは最初こそ困惑の表情を浮かべていた。
 だが妹に強く押されたこともあってか結局はすぐに針妙丸を信用し仲間であることを認めた。
 それから針妙丸が「みんな仲間だから、これからは一緒にいようね」と言い出し、なし崩し的にこの宴をすることになった。
 
 元々チーム結成の最初の呼びかけは私がやることである程度の主導権を取るつもりでいた。
 だから針妙丸が自発的に動いたのは意外だった。
 
 尤も最終的には組織のトップに針妙丸を据え、その裏で私が実権を握る形に落ち着けるつもりでいたからさほど大きな問題は無い。
 問題だったのは現在進行形で行われているこの無秩序な宴会のことだ。 

 今まではどんなにせがまれても「姫にはまだ早いですから」と酒を飲ませたことはなかった。
 しかし楽器共は興味津々で飲む気満々だし、ここで針妙丸一人にだけ飲ませなかったら今度こそへそを曲げるかもしれない。
 そう思って最初の乾杯の一杯だけならまあいいだろうと、御猪口に冷酒を注いでやったのが間違いだった。

 結果は針妙丸だけでなく付喪神二人も御猪口一杯の酒ですぐに出来上がってしまい、この惨状が生まれた。
 よくよく考えればいくら見た目が小人より年上でも、生まれたばかりである以上実年齢は遥かに下だということをすっかり失念していた。 
 相変わらず膝に乗せた針妙丸にべったりくっついて絡みまくる八橋の大声が室内に響き渡る。
 
「針ちゃん針ちゃーん?」

「なあにー?」

「えっとねえ……なんでもなーい! あははは!」

 どうやら極端な笑い上戸か。
 というかこいつはさっきから何がそんなに楽しいんだ。

「ひっく、正邪……」

 姉の方は真逆で、ひどい泣き上戸。
 こっちが何回フォローしてもずっとめそめそしたままこの繰り返しなので本当に始末に負えない。 

結局、気付けば三人とも酔いつぶれて寝てしまった。
 放っておいてもよかったが、この城は高度のせいか屋内でもかなり冷え込む。
 風邪をひかれて移されても困るので居間と思われる部屋から見繕った掛布団を適当にかけてやった。

 そのまま自分も眠るつもりで三馬鹿から少し離れた場所に横たわったが、目が冴えて全く眠気がこない。
 目を開けて横目で視線をやると三人とも幸せそうな寝顔で静かな寝息を立てている。
 思わず叩き起こしたい衝動に駆られるが、我慢だ。
 
 もし今私と針妙丸の意見が違ったらあいつら二人はほぼ確実に向こう側に付く。 
 なんせ一応は生みの親だ。
 私がある程度信用を得られたとて最終的にどちらかしか選べない、となればあいつら視点で針妙丸に付く以外の解は無い。

 再び眼を閉じて仰向けに寝転がる。
 今日の長い一日が頭を過る。
 
 秘宝の力で身体が天に導かれて。
 空に顕現したこの逆さ城に足を踏み入れて。
 小槌の魔力で生み出された付喪神の姉妹と出会って。 

 そう言えば、あの姉妹と出会ってから針妙丸が急に積極的になった気がする。
 これまでの旅路でも自己主張がないわけではなかったが、こと異変についてはほとんど口を挟んでこなかった。
 それが先程は、酒で気が大きくなっていたのかもしれないがしきりに張り切る様子を見せていた。 

 八橋があまりにも他人を疑わなさ過ぎた、というのもあるだろうが出会ってすぐに彼女、次いで弁々の信頼を得たこと。
 私が口火を切るより先にチームを組んで共に下剋上を成そう、という呼びかけをしたこと。
 
 今までただの子どもとしか思っていなかったが、言葉では言い表せない何か。
 私にない何かを持っているのだろうか。

 それが何かを考え始めたあたりで、ようやく眠気がやってくる。
 私は思考を放棄し、意識を闇の中に飛ばした。















 翌日、結局三人とも昨日のことはほとんど覚えていないと宣った。
 一応正確には、八橋と針妙丸は楽しかった、弁々はすぐに寝てしまった気がする、とのことだった。
 各々都合のいい脳味噌しやがって。
 
 今は弁々を連れて城の構造を説明している。
 面倒な上にこいつに教えるメリットもないが、ここで断れる正当な理由もない。
 淡々と案内しながら吹き抜け部分を飛行していると、弁々が声をかけてきた。

「ねえ、正邪」

 こちらを真っすぐに見据える強気な瞳は昨日最初に会った時と変わらない。 

「なんだ」

「昨日私、貴女に謝ったよね」

 意外にも謝ったことは覚えていたのかと思いつつ、会話を早く切り上げるために適当に短い返事で返した。

「ああ、許しただろ」

「……ねえ」

 あともう一階層説明したら終わりだからさっさと済ませたいのに、弁々は吹き抜け部分を囲む手すりの傍で足を止めてしまった。
 仕方なく隣の手すりに腰をかけて訊ねる。

「急にどうしたんだよ」

「私のことちゃんと弁々、って呼んで欲しいの」

 そう言えば出会ってからずっと、名前で呼ぶことをしなかったのに気付く。
 針妙丸に対しては姫呼びの敬語で通してきたがこいつら姉妹のことについては特に気にも止めていなかった。
 弁々は私がすぐに応えないからか、今度ははっきり眉を下げて不安そうな口調で言葉を続けた。

「……だめかしら? その、私達もう仲間なんだし、貴女とも」

「ああ」

 言葉の途中で私が間髪入れずに答えたからか、彼女は一瞬呆気に取られた。
 その直後ほっとしたように頬を緩め、まだ何か言おうとしていたがこれ以上時間を使ってやる気は無い。

「分かった、弁々」

 それだけ言って返事を待たずに再び吹き抜けに戻ると、弁々が慌てて後を追ってきた。
 何故かさっきまでよりも微かに頬が紅くなっていたような気がする。
 そのまま残りの部屋の説明も済ませ、拠点の部屋まで戻る途中。

「正邪」

 二人横に並ぶ形で上昇、正確には下降している最中だが視線は送らずに応える。

「ん」

「正邪は針妙丸ちゃんのこと、どうして姫って呼ぶの? 元々から仕えてたわけじゃないよね」

「……随分話すのが好きなんだな」

「……ごめん、嫌だったら答えなくてもいいから」

 実際、面倒だから答えたくない、でもよかったのだがこう言われると何故か一応答えるかという気になってしまう。

「なんとなく」

「え?」

「初めて会った時、他の呼び方が思い浮かばなかった」

 尤も正直に答えたところで、このように深い理由などない。
 会いに行く前から名前は知っていたのに。
 
 噂で聞いていた通り本当にちっぽけで無知な存在だったのに。
 私の中の無意識の部分が針妙丸に秘められた形なき力、可能性を感じ取ったとでも言うのだろうか。
 
 いや、馬鹿馬鹿しい。
 そんな実体のない物、鑑みるに値しない。
 あいつには一応小槌を扱うだけの能力はあった、確かなのはただそれだけだ。
 
 弁々は私の答えにいまいち納得していないようだが、構わずスピードを上げた。
 身体で風を切りながら元の場所へと落ちていく。

「え、正邪、待って!」










 それから拠点で針妙丸達と合流し、今後のことについての作戦会議をした。
 事前に針妙丸に「これからのことを皆で相談しておきましょう」と耳打ちしておいたが、進行は私が始めるまで誰も手を挙げなかった。
 
 一応三人とも異変達成に賭ける気持ちだけはあるようだが、こういう話になると丸投げか。
 話をスピーディにまとめたい私からすればありがたくはあるのだが。

 まず私が打ち出の小槌の魔力を解放してから現在に至るまでの事の起こりについてを簡単に説明した。
 弁々も八橋も真面目な顔をして聞いている。
 
 次にこの会議、作戦のキーとなる部分。
 無論私が理想とする形、個人的な損得の部分は伏せた上で述べた。
 
 小槌の魔力は力の弱い妖怪には力を与え、命なき道具には自我を与える。
 だがこのまま事が大きくなれば人間達はいずれここが異変の始点であることに気付く。
 
 打ち出の小槌を扱える、私達のリーダー。
 針妙丸が討ち取られれば全ては失敗に終わる。
 
 だから私はそれをさせないよう、姫の手前で護衛をする。
 そして弁々達にはさらにその手前で城への侵入を食い止める役割を任せたい。
 私がそこまで言い終えた後、各々が自分の考えを口に出していく。

 と言っても、見た所八橋は多分ろくに考えていない。
 最後は姉の意見にそのまま乗るつもりだろうというのが透けて見える。

 弁々の方は「この作戦の要は針妙丸、次点が正邪だから私はどちらでも構わない」と
一見考えてはいるようだが結局こいつも明確にどうしたいかは言わなかった。
 
 大方自分が独りぼっちじゃなければいい、ぐらいの考えだろう。
 道具のくせに姉妹なんて名乗ってる時点で、孤独を恐れている証拠だ。 

 これでいい。
 どうせ二人ともいざとなれば捨て駒に使う。
 
 それぞれが発言を終えて一息つく。
 弁々も八橋も納得した様子で特に異を唱えようとしていない。
 
 針妙丸もいつものように私の考えに流されるだけだろう。
 まずは自分の思う通りの形になったと心の中で安堵したその時、針妙丸が律儀に手を挙げて発言した。

「……みんな一緒の方が、安全だと思う」

「ですが姫、それでは」

「分かってる。でも私は、みんなで異変を達成したいの」

 そこで一呼吸置き、相変わらず背丈の都合で自分以外の三人に見上げるような視線を送ってから続けた。

「……誰一人、欠けちゃだめなの」

 珍しく意見してきたことには少し驚いたが、相も変わらずの甘ちゃんだ。
 作戦の要が自分だと理屈では分かっているのに、感情に囚われて最適解を見失っている。
 
 さて、どう言いくるめるか。
 そう思っていたところで、今度は八橋が手を挙げた。
 自信たっぷりといった様子で胸を張っている。

「大丈夫だよ、針ちゃん。要は私と姉さんが城に誰も入れなければいいだけなんだから。
そうよね、姉さん」

 針妙丸はまだ不安そうな目で視線を彷徨わせている。
 今度は弁々が落ち着いた口調で重ねて言った。

「勿論よ。ちゃんと戻って来るから、ね?」

 その後も多少の問答はあった。 
 だが二人の言葉にようやく決心がついたのか、最後は針妙丸も私が言った形に納得した。
 









 その日の深夜。
 私は隣で小さな寝息を立てて眠る針妙丸を起こさないように布団から出た。

 付喪神連中にこの部屋は自分と針妙丸の寝室、とだけ説明した。
 だが隣の小さな小部屋については伏せている。
 ここには最悪この城を捨てて脱出する時に持ち出す荷物を隠して保管している。
 
 そこから昼間にはなかった生物の気配が微かに漏れ出ていた。
 もしや、荷物の中に詰めた道具も魔力の影響で力に目覚めようとしているのだろうか。

 いいことではあるが、これを他の三人に気付かれるのは好ましくない。
 今は気配を感じるだけだがいずれ自我を持って動き出すことも考え、スペース内の道具をより入念に袋と箱で隠し隠蔽した。
 一仕事終えて喉が渇いたので水を飲みに炊事場に足を運ぶ。
 
 一階層分の吹き抜けを下りる。
 飲み水の入った水瓶を探していると、弁々が正座をしたまま楽器を構えているのが目に入った。
 
 こんな時間に練習かと思ったが弾いてはいないようだ。
 なんのためにこんな体勢でじっとしているのか、と思考を巡らせたところで弁々が話しかけてきた。

「起きてたのね」

「ああ」

 多少気にはなるが今はそれよりも水分だと、見つけた瓶から竹製の器に水を汲む。
 それを一気に飲み干し、喉を潤すとまだ弁々がこちらに視線を送っていた。
 今日の午前にも一度見た、普段と違うどこか不安な気持ちが現れた表情。
 
 会議の時は妹ともども強気な態度だったが、本心は心細かったのか。
 なんにせよ、私には関係ない。
 そのまま部屋に戻ろうとしていると、後ろから声をかけられた。

「正邪」

 振り向かずに応える。

「……うん?」

「少しだけ、お話しない?」

 私が答えないので、十秒ほど無言の時間が流れる。

「……だめ?」

 これまでの様子からして、こいつが最初私に向けていた疑いの目はほぼなくなったと言っていい。
 面倒には違いないが、一応仲間という体である以上付き合ってやることにする。

「今そっちに行く」

 適当に足を崩し、隣に腰を下ろす。
 弁々は相変わらず、正座のまま足を崩していない。
 琵琶を弾く時はこの体勢が基本だと、先日流し読みした古本に書かれていた気がする。
 
「……八橋から色々聞いたの。針妙丸ちゃんのことも、貴女のことも」

 続きを促す意味で短い相槌を打つ。

「そうか」

「……本当に、大変だったのね」

 そう言えば、私が弁々に城を案内している間も八橋と針妙丸は色々と話し込んでいたのを思い出す。
 初めて顔を合わせた日の宴会でも馬が合っていたし、能天気同士ある意味お似合いだとしか考えていなかったが。

「針妙丸ちゃん、正邪のことを心から信頼しているのね」

「別に大したことはしてない」

「……正邪は、針妙丸ちゃんと旅をする中で不安だったりその、心が折れそうになることとか、なかった?」

 そんなことを私に聞いてどうしたいのだろうか。
 問いの意図を考えていると、弁々がまた慌てたように言った。

「あっ、ごめん、私ったらまた。答えたくなかったら」

 こいつが最初強気な態度を取っていたのはただの虚勢だったのではないかという気がしてくる。 
 それはさておき、日中にも似たようなやり取りをした気がする。
 こうして答えなくてもいいと言われると、つい逆のことをしたくなってしまう。
 
「決まってたからな」

「……決まってた?」

「私達の目標は下剋上を達成すること、あとはいつやり遂げるかだけだ。何度失敗しようが、最後には必ず成し遂げる。
終点が決まってる以上、そんなことを考える余地はないんだよ」

 弁々はしばし私の答えに呆然とした後、抱きかかえた琵琶の覆手に指を滑らせた。

「……正邪は強いのね。私も貴女みたいに大切な人を、八橋を守ってあげられる存在になりたい。
それに、針妙丸ちゃんのことも。」

「姫を?」

「あっ、違うの。その、勿論あの子の従者には正邪がいるわ。
でも、私と八橋にとっては生みの親みたいなものだから⋯⋯」

 最後まで言わなかったがこいつと八橋にとってはお互いが姉妹で、針妙丸は親だということか。
 端から見ている私からすれば、子ども同士が背伸びをしているようにしか見えないが。
 とりあえず、話を適当に着地させる。

「……姫はなにかとドジばかり踏むから、私以外にサポートしてくれる奴が増えるのは確かに悪くない」 

 私の言葉を聞いて弁々が嬉しげに微笑んだ。
 ふと、窓から見える夜空に線状のなにかが見える。
 
 目を凝らしてみるとその本数は複数、それも三本や四本ではない。
 一定間隔で無数に張り巡らされている。
 色は赤褐色に近い。

 城が顕現した時にこんな物はなかったはずだが。
 私の視線に気付いたのか、弁々が琵琶を軽く弾きならして言った。
 そう言えば、窓越しに見える光と彼女の楽器の弦は近い色をしている。

「あの光の帯、私と八橋が日中に設置しておいたの。城に接近する方向の力、衝撃を受けると術者の私達までその振動、音が届くわ。
これで侵入者にも気付ける」

 いつの間に随分と便利な仕掛けを用意したものだ。
 同時に、気になった部分について問いかける。

「まさか、こうして夜通し見張っているつもりか」

「ううん、寝ていても音と衝撃には気付けるから大丈夫よ」

「なら、どうして一人でじっと起きていたんだ」

「……眠れなかったの、この数日であまりにもいろんなことがあったから」

 それには素直に同意した。

「……確かにな」

「……生まれたばかりで、この世界のこと何も分からなくて、ずっと不安だった。
でも、私を慕ってくれる八橋がいて。
私達をこの世界に生んでくれた針妙丸ちゃんがいて。
そして、きっと私達の中で一番頭がいい正邪がいて。」

 最後のはきっとじゃない、確定だ。
 ともあれ、予想は大体当たっていた。

 生まれたばかりで行く当てもなく、何をして生きて行けばいいかも分からない。
 そんな中自分と同じ和楽器の付喪神を見つけ、お互いに意気投合したと。
 
「……ねえ」

「うん?」

「……前出してくれたの、お酒? あれを飲んだら眠れそうなんだけど、出してきてもいいかしら」

 先日の惨事が嫌でも頭に浮かび、考えるより前に私の口は動いた。

「駄目だ」

「う……やっぱり、迷惑だった?」

「当り前だ、四人しかいないのにあんなに喧しい酒の席を私は見たことがない」

 そこまで返したところで、妙なことに気付く。
 弁々はあからさまにしまったという顔で目を背け、琵琶を持ち換えて誤魔化そうとしている。

「おい、本当は酔ってた時のこと覚えてるだろ」

「……全部は覚えてない」

「その割に出合い頭に疑ったことについて私に謝ったことはしっかり覚えてたな。
しかもべたべた寄りかかってきやがって」

「え、そんなに近かったかしら……」

「あれを近いと言わないなら、一体どう言うんだろうな」

「……ごめん。だって、八橋と針妙丸ちゃんすごく楽しそうだったし」

「対抗したってか? 幻想郷歴数日のお前に一つ教えておいてやる、真っ当な普通の人妖は初対面の相手にべたべたくっつこうとしないものだ」

 なんだか、針妙丸のときにもこんなことがあった気がする。
 天邪鬼が教育を始めるようじゃいよいよ世も末だ。
 弁々はついに観念したのか、琵琶を傍に置き、正座したままこちらに向かって頭を下げた。

「……正邪が優しいから、つい甘えてしまいました」

「自分が何回同じ話したか覚えてるか?」

「……最初に正邪がすぐに私のことを許してくれて、その後何を話したかは本当に覚えてないの。
えっと、三回ぐらい?」

 なんでそこは覚えてないんだ。

「八回な、ちなみにごめんとごめんなさいは合わせて三十七回」

「う……本当にごめんなさい、誰かに甘えるの初めてだったから、つい」

「もう分かったから、大人しく普通に寝ろ。あと、仕掛けには感謝する」

「あ、うん……」

 ようやく寝る気になったのか、正座から立ち上がった弁々を置いて先に自室に戻った。
 途中道具を隠した小部屋に寄ったが、さっきよりも魔力が大きくなっていたような気がする。
 とはいえ溢れ出すほどではないのでそのまま静かに部屋を後にした。
 
 布団の上に、身体を仰向けに横たえる。
 隣に視線をやると針妙丸は相変わらず気持ちよさそうに小さな寝息を立てていた。
 
 そう言えば、今日は寝かしつけなくても一人で寝ている。
 今までの旅では安い宿ばかりに泊まってきたから布団が一つしかないことも多かったが、この城ならそれこそいくらでもある。
 はっきり自分の意見を述べるようになったり、ここ数日に起きた変化としてはかなりのものだ。

 先刻の弁々とのやり取りが頭を過る。
 あいつも言っていた。
 ここ数日でいろんなことがあり過ぎた、と。

 自分はどうだろうか。
 私は何百年もの間、ずっと孤独で居続けた。
 誰かと組んだこともあるにはあるが、それはこの長い生で言えば全てがほんの一瞬のことだった。
 
 そして最後にはその全員と別れを告げた。
 毎回必ず大なり小なりの憎悪、怒りの感情とともに。 

 それに引き換え、横で眠る無垢な小人とそこから生まれた付喪神の姉妹。
 三人足しても私の十分の一も生きていない。
 
 まだ世の中のことを何も知らない、無知で無垢で。
 そして、弱く脆い存在。
 
 眼を閉じ、肩の力を抜く。
 すると次に追想されたのは、城が顕現した日にも突然記憶の渦から現れた絵画の黒い悪魔。
 鏡から姿を現し、持ち主の女性を憑り殺そうとしたところを天からの光に包まれ焼死した、あの悪魔。

 だが今脳裏に浮かんできた悪魔は鏡から現れると、躊躇うことなく持ち主の女性の前に膝をつく。
 それから二対の翼、毒々しい色をした赤黒い尻尾が消失した。
 
 頬まで広がるほど裂け広がっていた口は小さくなり、その姿は悪魔というより人間のそれに近付いて行く。
 やがてその悪魔は黒と赤の派手なタキシードを纏い、切れ長の目と真っ赤な眸で女性の手の甲にそっと口づけをした。

 映像はそこで唐突に中断された。
 こんな絵を見た記憶はない。
 あの時小槌の光の中で見た絵の時と違って、痛みも脱力感もない。

 だが次に部屋の姿見を見た時、私は反射的にあの時出来た傷口を開ける勢いで再び唇を強く噛んだ。
 鏡に映る私が姿勢よく手を前で組み、笑っている。
 こちらが身振り手振りをしても、鏡の中の私は動かない。
 
 それも浮かべているのは普段私が相手を騙し陥れようとする時に使う、偽りの笑顔ではない。
 頬を緩め、誰かに仕えることを幸せと感じる従者の貌。
 かつて宝物を奪うために富豪の家に侵入した時に見た、品ある給仕や用心棒のそれとよく似ている。

 血が垂れてくるのも構わず、口で息をしながら鏡に近づく。
 努めて気を静めてから手を近づけてみても、小槌の魔力は一切感じられない。
 
 ここ数日で、私も変わっている?
 こいつが、この醜くて惨めな姿が私だと言うのか。
 あり得ない。
 私は、私は。

「針ちゃん! 正邪! 起きて!」

 吹き抜けから八橋達の大声が聞こえた。
 針妙丸もすぐに飛び起きたので口元から垂れた血を適当に拭いてから先に行くように伝える。
 幸い彼女も気が動転していたからか、特に何も聞かずに大急ぎで最低限の荷物だけを持って部屋を出て行った。
 
 もう一度鏡を見ると、さっきまで映っていた反吐が出そうな笑顔を浮かべた私の姿はなかった。 
 唇にはぱっくりと開いた傷から血が流れている。
 朝と同じ、生傷だらけで何百回と見たことのある、眼つきの悪いいつもの私。

 集合してからの各々の動きは早かった。
 弁々曰く、「私達と同じ魔力だけど明確にこの城を目指している強い力」が日中に仕掛けた光の綱の一本を切ったとのことだ。
 
 もしかしたら弁々達と同じ付喪神の味方ではないかと針妙丸が口にしたが、その希望は次の八橋の言葉で否定された。
「既に何体かの妖怪と戦い、まるで敵を求めているような攻撃性」が感じられると。

 結局一睡もしていないが、そんなことは言っていられない。
 針妙丸には城の最上階、外観としては一番下に位置する場所で小槌を守るように再度指示を出す。
 弁々達は指示を出すまでもなく、各々の躰の一部である弦を強く光らせて侵入者の迎撃に向かって行った。
 
 途中で一度だけこちらを振り返り、それぞれが大声で叫んだ。
 勝利を疑っていない、清々しい笑顔。

「絶対帰って来るから!」

「絶対だよ!」

 針妙丸がその小さな体から精一杯の大声で応える。
 私は口内に溜まった血を飲み、返事はしなかったが代わりに腕で下剋上を意味する反転のサインを送った。
 目線が交わった弁々がほんの一瞬、ウインクをしたので多分意味は伝わったと思う。
 
 その後は針妙丸を最上階まで見送った。
 まだ私と二人で、と言い出さないか少し心配していたがそれは杞憂だった。
 本当に以前の彼女とは変わったと思う。
 
 城の中層で吹き抜けの手すりに腰かけ、一息つく。
 身体のコンディション自体は悪くない。
 
 だが、私を私たらしめる物を揺るがせる存在がどこかにある。
 それがさっきのような不快な幻を見せたに違いない。
 
 天邪鬼としての矜持、アイデンティティ。
 自分の中のそれを確認する方法。
 それはどこにある?















「何度もしつこいわよ、あんた」

 紅白の装束を纏った黒髪の巫女がこちらを振り返りもせずに吐き捨て、去っていく。
 ここに来るまでに私だけでなく弁々とも戦ったと言っていたのに、服はほとんど汚れていない。
 
 あらゆる物をひっくり返す私の能力で不意を突いたのに、奴の持つ武器は意思を持って私に襲いかかって来た。
 弁々が言っていた「同じ魔力」というのはおそらくこれのことだった。 

 正面から来る攻撃を無我夢中で捌き、攻撃が止んだ一瞬の隙に足元や背後から弾を浴びせたがそれすらも避けられた。
 それでもわずかな可能性に賭け、一度倒されたフリをしてもう一度不意打ちを仕掛けた。
 
 だがそれも当然のように回避されてしまった。
 最後に見た奴の攻撃は十数発の光弾。
 それはただの弾幕と思えないほどに統制の取れた動きで私を容赦なく滅多撃ちにした。

 奴の姿が完全に見えなくなったところで廊下の壁に身体を預けた。
 顔面を最後の攻撃から庇った右腕の痛みが大きい。
 骨は折れていないようだが、多数の火傷と傷で今も出血している。  
 あれは、無理だ。 

 多少は消耗させられただろうが、針妙丸があれに勝てる望みは極めて薄い。
 相手が小さい子どもの見かけに油断することまで考えてもせいぜい一割程度だろう。

 事前に決めていた通り、すぐに逃げた方がいい。
 だが、足が動かない。
 
 おかしい。
 打撲と擦り傷だけで、全然動かせるのに。
 
 奴ら三人の顔が浮かんでくる。
 以前より強い自我を感じさせる針妙丸の笑顔。
 
 あの楽器姉妹と出会ってから、明らかに自信をつけていた。
 あんな顔を見たのは初めてだ。

 弁々の強気の眼も、初めて出会った時は印象的だった。 
 だが今は内にあいつなりの不安を抱えていることを知った。
 八橋の底抜けの明るさ、人懐っこさもそんな二人に少なからず影響を与えているに違いない。
 
 もう一度だけ、不意打ちするか。
 いや、私らしくもない。
 さっきも上手くいかなかった物が急に通用するはずがない。
 
 今度こそ徹底的に叩かれ、最悪逃げ道まで失うかもしれない。
 生まれたての付喪神二人が与えた勇気なんかでこの戦局が覆るはずはないのだ。

 私は事前に計算していた通り、自室隣の小部屋にまとめておいた荷物を持ち出した。
 有事に自分が担当することになる中層部の近くに私室と荷物を隠す小部屋をキープしたのはこのためだった。

 後は人目に付かぬよう、先程の戦闘の余波で空いた穴から外に出た。
 昨日よりも強い風圧が肌を叩いてくる。 
 おそらく、もうすぐあの巫女が針妙丸の元に辿り着くだろう。
 
 まあいい。
 今回は失敗に終わったが、まだ全てが潰えたわけじゃない。
 どんなルートを通ろうが、最後に目的を達成した者こそが勝者だ。
  
 今はとにかく逃げて、力を蓄えなければならない。
 持ち出した荷物袋を握り、今も城に吸い込まれるように渦巻く雲海から離れようとしたその時。

「正邪! 大丈夫!?」

 弁々がふらつきながらこちらに近寄ってくる。
 こいつも博麗の巫女にやられたのか服はところどころ焼け焦げ穴が空いていた。
 昨日見た時は綺麗だった白い手足にも無数の傷と火傷を負っている。

 内心舌打ちする。
 あの二人がここまで戻ってくる可能性自体は当然考えていた。
 だからこそ普段使う開口部は使わず、偶然出来た穴から脱出したというのに。

「……ごめんなさい、勝てなかった。
そのままこんな高さのところまで風で流されてしまって。

「……負けたのは私もだ、八橋はどうしたんだ?」

「途中まで一緒だったんだけど別の人間と交戦し始めて、はぐれてしまったの」

 そういうことか。
 あの巫女だけでもどうしようもないのに、さらに新手まで来たら正真正銘の詰みだ。
 
 どうする、いっそ本性を現してこいつを片付けるか。
 もうここに戻ってくることはないのだから。 

 だが、今の消耗した状態でこいつと戦うのが果たして得策か。
 時間をかけている間に八橋も戻ってくるかもしれない。
 
 ここは傷が深いと嘘をついてこの場を離れる方がいいか。
 そしてそのまま身を隠せばいい。 

 見れば、こいつも全身傷だらけだ。
 とてもすぐに戦える状態とは思えない。
 
 そんなことを考えていると、こいつは突然切れかけたワンピースの裾を自分の手で破った。
 そのままそれを私の右腕に巻き付け、包帯代わりにした。

「ごめん、痛いかもしれないけど我慢して。これで血は止まるはずだから。
私はもう戦えないけど、せめてあの子の元まで行きましょう」

 ろくに戦えない奴が今更顔を出してどうしようというのか。
 まさか応援でもするつもりか。
 ある意味理由は気になるが、もうそんなことを考えている心持ちは私になかった。

「悪い、もう飛んでいるだけでも厳しいんだ」

 後退しようとしたところ、弁々が腰に手を添えてきた。

「大丈夫、私がいるわ。これでも結構力持ちなのよ」

「いや、お前」

「針妙丸ちゃんが言ってたじゃない、みんなで異変を達成するんだって。
一人でも欠けるなんて、そんなの絶対に駄目」

 こいつは、私のことも本気で守るべき対象だと思っているらしい。
 だが余計に面倒なことになった、これでは一人で離脱出来ない。
 
 それとも、もしや勝てるか。
 私達二人、希望的観測になるが八橋も入れれば三人で。
 ルールなんて知ったことじゃない。
 
 針妙丸との戦いに気を取られた巫女に全員で不意打ちの一つでもかませば。
 もしかして、まだ勝機はあるんじゃないか。
 
 ……いや、おかしい。
 どうかしている。
 何度も論理的に否定してきた択がどうしてこうもしつこく私に食い下がってくるんだ。 
 なんで、こんな弱いちっぽけな存在に心を動かされるんだ。
  
 こんなのは、私じゃない。
 天邪鬼じゃない。
 鬼人正邪じゃない。

 徐々に動悸が激しくなり、頭が割れそうに痛み始める。 
 呼吸が荒くなる。

「正邪、大丈夫!?」

 弁々が私を城の外周部分に横たえた。
 こいつは、どうしても最後まで私と一緒にいるつもりなのか。
 
 本当に、こいつは。
 痛みに耐えて上体を起こしたところ、握りしめていた荷物袋が横に転がった。
 ふと、弁々の視線が向けられる。
 
「……ねえ、そう言えばその袋の中、なにが入っているの?
え、五、六、七……中から、私達と同じ仲間の声がする」
 
 そうか、こいつは道具だから同胞の気配に気付けるのか。
 弁々の細い眉がほんの少し、吊り上がっているのが分かる。
 ああ、そうか。

 酒の席じゃ馬鹿みたいにめそめそ泣いて。
 その日会ったばかりの得体の知れない妖怪の私に無防備にしなだれかかってきて。
 かと思えば次の日には他の能天気な連中と一緒ににこにこ笑って。
 
 今は怪我をした私を本気で心配して。
 そんな無知で、無垢で、隙だらけのこいつが。
 
 私が何も応えないので弁々はさらに言葉を重ねる。

「正邪、もしかして貴女はこの子達を連れて戦っていたの?」

 弁々の言葉に微かな険が出て来た。
 薄々本人も分かっている、というより付喪神なのだから私以上に正確に把握していなければおかしい。
 この道具達はまだ自我が芽生え始めているだけの状態だ。

 あの巫女の手を離れて私達を撃ち叩いた武器とは違う。
 無論、はっきりした自我と躰を得た付喪神でもない。
 
 こんな道具の山を片手に弾幕を振るって戦えるはずがない、邪魔なだけだ。  
 そして、一時的に身を隠すだけならわざわざこんな物を持ち出す必要性も皆無。 

「……正邪?」
 
 さっきよりも語気が強い。
 だが、何故か私の心は高揚している。

 ああ、ようやく思い出して来た。
 これだ、この負の感情にさらされる感覚。

 それにしても。
 ……なんで、最後の最後だけ気付くんだ。 
 子どもなら、子どもらしくしてろよ。
 
 乱雑に力を込め、ゆっくりと腕の痛みを味わいながら立ち上がった。
 弁々は呆然としたまま、しかし警戒の意か一歩後退して私を見ている。

 憎まれる感覚。 
 嫌われる感覚。
 殺意を向けられる感覚。
  
「弁々」
 
 また、私の中にあいつが現れた。
 鏡の中の黒い悪魔。
 だが、もう私の心に戸惑い、躊躇いはなかった。
 
 先刻見た光景のように、持ち主の女性の前に膝をつく。
 細く白い腕をそっと手に取り、手の甲に口を近づける。
 そして。

「私は最初からずっと、お前らのことなんて駒としか思っていなかった。
だからこれきりだ、得られたばかりの命を落とさずに済むだけ幸運に思えよ」

 無警戒に差し出された女の腕に、私の中の黒い悪魔は鋭い歯で喰らいついた。
 同時に先程まで感じていた痛みは消え、久方ぶりの心地良い快感が全身を駆け巡る。 

 あの無様な笑顔を晒していた鏡の中の私は、もういない。
 これが本当の、私。
 
「……嘘よ」

 私の言葉を聞いた途端、弁々は全ての表情を失った。
 琵琶を抱く腕の力が抜け、取り落としそうになっている。
 
 踵を返し、雲海の向こう側に飛ぼうとしたその時。
 後ろから腕を掴まれた。

「ふざけないで!!」

 私と変わらない華奢な細腕だが、微かに血管が浮き出るほど力がかかっている。
 そのまま、震えるような掠れ声で喋り始めた。
  
「……貴女と針妙丸ちゃんの旅の話を聞いた時、私達は最悪捨て石になっても構わないって、思ってた。
それぐらい、貴女達は魅力的だった。みんなで一緒にいるの、とっても楽しかった。
だから、せめて二人だけでも助かればって。
……それなのに!」

「離せ」

「あの子がどんな思いでこれまで貴女と一緒だったか!
……それに私だって、私だって、貴女のこと―」

掴まれていない方の手で指を振り、尽きかけの妖力を練る。
 直後、私達の前後の位置が入れ替わった。

 掴まれていた腕の拘束が解け、先程まで後ろにいた弁々が私の前にいる。
 状況に困惑しながらも慌ててこちらを振り向こうとした彼女の肩を強く押す。
 弁々の躰は振り向きざまに魔力の渦と強風に煽られ、そのまま流されていく。 










 その後は後ろを見ることなく、城の壁を蹴って飛び去った。   
 途中、一度だけ逆さ城の方を振り返る。
 
 姉妹が設置した城を囲む赤い線状の結界。
 城の最上階、針妙丸が守る打ち出の小槌から微かに漏れる金色の光。
 先刻まではあったその両方が消え、異変の失敗を如実に表していた。
 
 だが、私の中の悪魔は鏡に帰り、椅子に腰かけながら次の計画を練り始めている。 
 鏡の外には腕を食われた持ち主の女が無造作に放り捨てられていた。

 そのまま飛行を続け、雲海の切れ目が見えてきたところで一度速度を落とし、空中に静止して息を整える。
 もう追ってくる奴もいないだろう。   

 ふと自分の腕を見ると、あいつが服の裾で作った包帯がべっとりと赤黒い血で染まっている。
 もう出血は止まっているようだ。
 
 随分ときつく巻かれているせいか、なかなか外せない。
 結び目に指を掛け、強く引っ張ってようやく解けた。  
 
 あいつとのやり取りが脳裏を過る。
 出会った日の、猜疑心に満ちた強気の顔。
 酒の席での油断し切った、くしゃくしゃの泣き顔。
 私の身を案じ、これを巻いた時の健気な顔。
 先刻の怒りと悲しみに満ちた顔。
 
「……今度はもっと使える奴と」

 握りしめたそれを手放す。

「……いや、捻くれた奴と、組みたいもんだな」

 血染めの衣は風に乗り、ゆっくりと雲海の中心に吸い込まれるように流れていった。 
十七作目の投稿になります、ローファルです。
今回は輝針城異変のIF展開(もしも九十九姉妹が異変前から正邪、針妙丸と交流を持っていたら)について、
正邪視点で書かせてもらいました。

作品を読んでくださる方、コメントをくださる方、本当にありがとうございます。
精進しながら今後も少しずつ投稿していきます。

少しでも楽しんでもらえたらとても嬉しいです。
ここまで読了頂き、ありがとうございました。
ローファル
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.50簡易評価
1.90福哭傀のクロ削除
うーん……多分趣味趣向の部分で前提でかけちがってしまってそれを上手く修正できずに読み終えてしまった感……?すごく個人的な感想になってしまいましたが……。
というか割と異変の前日譚何だと思って読んでたから、あとがきを見て作者様の書きたいところそこだったのか……と。そういう意味では……すごく自然に読めた気がします
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
4.100夏後冬前削除
ちょうど最近輝針城の曲最高なんじゃないかと思って鬼リピしてたので過去補完助かるという気持ちが強かったです。こうやって俯瞰してみると正邪の我慢強さが自分の認識していたよりも強いな、という気持ち。最終的には正邪はお尋ね者になるわけで善人になるわけには行かない結論がありつつも、揺れ動く心情が良い落としどころだと感じました。
5.100のくた削除
長編モノの冒頭部分を読んだ気分です、この世界観でのここからの四人の行く末が見たいと感じさせました。
6.100名前が無い程度の能力削除
皆と過ごしたあたたかい確かな思い出と、天邪鬼としての業、その発露に至るまでが丁寧でとても良かったです。楽しいことも、自分にとってかけがえのないことも、それは良いものとして受け入れられるのに、最後にはすべてひっくり返してしまわないといけない衝動、正邪を正邪たらしめるアイデンティティがやるせないです。
7.100南条削除
面白かったです
正邪視点の異変だとあまりにも駒が弱すぎるのに実行までこぎつけられる時点ですでにスゴイと思いました
一瞬でもほだされそうになって存在意義が揺らいでいるところも弱者の所以なのでしょう
それでも最後は「天邪鬼」を貫いていてよかったです
8.100東ノ目削除
正邪視点で他三人が絶妙にアホっぽく描写されていることで、緩い雰囲気の日常寄りなところとシリアスな部分の緩急切り替えにメリハリがついてると思いました