Coolier - 新生・東方創想話

滲んだ星を数えて

2024/12/31 23:47:28
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メリーにはどのみち謝らなければならないだろうが、こんな筋の悪い冒険に巻き込まなかったという意味では幸運だったかもしれない。

***

私がこの船に乗ったのは、別に大した理由があるわけではない。
地球と月の間を結ぶクリッパーは、その軌道操作を完全自動化したことで「信頼性に欠ける部品」を殆ど追放してしまった傑作機らしいのだが、貨物の管理についてはわざわざロボットアームを用意するよりもヒトを用意した方が早いということで、栄ある船長職だけは商業宇宙時代を生き残り続けている。
月の労働者たちが待ち望んだヴァカンスを満喫する間、月面運輸公社地球支部太平洋局は短期間の使用ならば十分に耐えうるということで、船長代理という肩書で現地人を採用することを決めた。若くて意欲に満ち溢れ天文学に精通し……と様々な条件が書き連ねていたが、要するに学生バイトだ。学位すら必要ないらしく、試しに応募してみると直ぐに採用された。
相棒に暫しの別れを告げ、退屈な「宇佐見蓮子・学生」は関空と種子島を経て、みるみるうちに「宇佐見蓮子・船長代理」となった。
クリッパーは不快な印象はないが、一人乗りであり、月の労働者たちにとっては出来れば避けたい乗り物の類らしい。だが孤立の中「船長室」——それ以外には貨物室と二つの小さなエアロックしかない——から眺める宇宙背景は筆舌に尽くしがたい絵であり、機器の照明を切って眺めると、私はその孤独さすら忘れて船長室、クリッパー、果ては眼の前の宇宙背景そのものと一体化するような気持ちに浸ることができて、十分に満足していた。
それはかつて東京の割れたコンクリートの上で寝そべって、衛星コンステレーションの中から覚えたばかりの星座を遂に探し出した時の喜びを思い起こさせた。

***

そうして地球と月の間を四往復と半分行った後、私は月で最後の荷物を受け取った。
メリーに一報を入れて、地球重力の十分の一まで回し車を早めて、仮眠を取った私を叩き起こしたのは控えめな警告音だった。曰く酸素消費量がこれまでよりも多いという。悲しいかな、私は地球に戻らないといけないのであって、どんなに鬱屈な気分になろうとも、これくらいの負荷は気にしてはいけないのだ。
もう一度眠ろうにもどうにも寝付けないので、起きてからやろうと思っていた業務を始めるとエアロックの方から音がする。
「気密漏れじゃないだろうな」と念の為覗いてみると、果たして赤い目が覗き返していた。
「なんてこと、今からこの船は方程式よ!」と誰かが叫んでいた。

私はその少女を「投棄する」訳にもいかず、とりあえず彼女を船長室へ招き入れた。その間にこの「方程式」に解はないだろうと、漠然と考えながら自分を落ち着かせる。つまり私達は二人とも無事に地球にたどり着く、たった三十八万キロメートルなんだ、細かい数字にあたった訳ではないが、酸素の量から概算すれば恐らくは酷いことにはならない、はずだ。
最初の恐慌を乗り越えた私は、彼女の話を聞くことにした。
「紅茶でいい? 私はコーヒー党なのだけど、ここには備え付けがないの」
それは殆ど嘘で、私がこの乗務のうちにすべて飲みきってしまったのだ。幸いにして、彼女は素直に頷いてくれた。
サーバーの紅茶のボタンを押して、あんまり気まずくなる前に単刀直入に切り出す。
「貴方はだれ? なんであんな危ないところに?」
「さあ? 分からないわ」
私は完全に面食らってしまって、「さあって」と言うのが精一杯だった。
ちょうど出来た紅茶を差し出すと彼女は満足そうに一気に飲み干した。
「熱くないの?」
「ちっとも」
どうやら少し厄介な貨物を招き入れたらしい。

***

地球が近づくにつれて、私の気持ちはどんどん憂鬱なものになっていった。なぜわざわざ重力に支配される息苦しい場所へ降りていかなければならないのか? 
孤独さは物理的に取り除かれたにも関わらず、運輸公社に少女のことを報告することもせず、むしろますます暗い思考の世界へと落ち込んでいった。言い訳ぐらいはできるだろう。孤独でないとはいえ、少女は少し不気味で話しかけづらく、そしてその存在自体が私とクリッパーとの一体感を奪っているのだ。
中間軌道修正に託けて、私は殆ど意味もなく貨物室を行ったり来たりする。名目上は「軌道修正による貨物の損害を予防するため」だが、私がこのバイト中にやったことはこれが初めてだった。あの少女に勇気がどうしても持てないからだ。
そうして何十回目か分からない往復を終え、船長室と貨物室を仕切るハッチを背にした時、二つのエアロックが同時に開き出した。
頭で考えるよりも先に駆け出そうとしていたが、一歩も足は動かなかった。
どちらのエアロックから出てきたのか分からないが、ここにはいないはずのメリーが現れたのだった。
これは夢か? きっと何かの幻覚だ。思ったより酸素の消費が多かったのか?
すべての思考を超えて、彼女は口を開いた。
「こんにちは、蓮子」
三人目は流石にキャパオーバーだろう。最初に思ったことはそんなことだ。
「どうして貴方がここに?」
「あんたが月に行くから、私は地球へ」
彼女は私を一瞥すると、そのままハッチを抜けて船長室へと入っていった。
後を追いかけても、少女以外には誰にもいない。
「人が入ってこなかったか」と聞いても、「あっちの方にいった」と前方を指差すだけで意味が分からない。だが事の顛末を話すと、少女は徐ろに呟いた。
「聖者は再び十字架に磔られました、って言ってるように見える?」
少女はもう一度前方を指差した。
「そのポーズはどちらかといえばアウグストゥスっぽいわね」
少女は小さく笑った。
「ペトロは聖者と正対して初めて聖人になったと思う?」
首を傾げると少女は「じゃあ確かめてみましょう」と言う。
そうしてクリッパーは闇に包まれた。
闇が晴れるとそこにはもうクリッパーは無く、夢にまで見た世界が、この往還のうちにも何度も触れようとした、依然として黒々とした世界が剥き出しになっていた。ゼロがいくらでも並ぶような静けさの中で少女の声が痛いほど響くが、何を言っているのかは相変わらず全く分からなかった。
宇宙空間に放り出されたヒトも即死する訳ではないらしいが、今私はいや増す速度で「生命力」としか表現できないものを獲得していた。粘膜から水分が失われていくのは分かるがそれも最早些細な問題だった。寧ろ感動によって私の目は滲んでいたのだ。
体温が奪われていくのが分かる。だがそれすらも致命的ではない。熱力学第二法則は絶対的だが、絶対性はヒトにとって突撃を阻む壁ではない。
「良薬は口に苦しって言葉知ってる?」
少女の声が聞こえた。私が頷くと少女は今度こそ満面の笑みで続けた。
「目の前が取って食べれる人類?」
そう言って少女は消えた。体温は落ち続ける。
バンという音が続いて聴覚が回復し、私は辺りを見回す。

否、消えたのは私のほうだ!
体温はちょうど2.725Kだ。
私は十字に架けられていた。
アド・アストラ、今年もありがとうございました。
夢魂
https://x.com/fanizdat
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コメント



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1.100海鮮丼丸です削除
今年もよろしくお願いします。
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです