熊や狼、伝染病を運ぶ蚊……さまざまな脅威が潜む森で、真の脅威といえる生物がいる。そう、トロールだ。
トロールハンター河城にとり
そもそも、にとりが工作を始めたのはトロールを狩るためだった。幼いころ川を侵略してきたトロールの群れに両親を奪われてから、にとりは復讐のみを糧に今日までをやってきたのだ。昼食どき、洩矢諏訪子はそう語った。諏訪子と向かい合って座るにとりの前には豪勢な食事――ピザ!――が並べられていたが、にとりの手は止まっている。対照的なのは諏訪子で、諏訪子はぱくぱくと食べる手を止めることなく、にとりの過去についてを喋りまくった。
「でもその。記憶がないんです」
「そうだろうね」
そこで会話は止まる。この沈黙を気にも留めず、諏訪子はピザの二切れを重ねて口に運ぼうとしている。
「そもそも。あなたがこっちに来たのは最近で……なんというか。知る由がないかもって、思うんです。わたしの過去についてを……」
「神だからね」
会話は終わる。諏訪子はピザを丸め始めた。「こうすると食べやすくていいかも」言いながら、目線でにとりにもピザを勧める。渋々、にとりもピザを丸めた。
「仮に……仮に。わたしの過去がそうだったとして、その。もしかしてそれは影響するんですか。わたしのこれからに」
諏訪子は眉を潜めてピザを咀嚼している。今のみこむから待って! と言いたげだった。それから諏訪子は嚥下も半ばにして「これからもなにも……」とむにゃむにゃしたのちにとりに告げる。
「トロールハンターだからね」
今までも。と付け加えたのち、諏訪子はふと視線を落としてきょとんとした。諏訪湖の視線の先はにとりの手元で、にとりの手元には丸めこまれたピザが握られている。諏訪子は本当に不思議そうな顔をして、ピザとにとりにきょとんを交互する。「どうしたの」不意の問いかけににとりもきょとんとして、諏訪子と顔を見合わせた。丸い目をして諏訪子は言った。
「はやく食べなよ」
あっ恐怖! にとりはピザをえいやと運んだ。
トロールはとにかく話ができない。話を聞くのが苦手なのだ。特に山トロールたちの馬耳東風さといえばない。もっぱら里ではそのように噂されている。帰り道、にとりは頭を抱えていた。「おっと、トロールハンターのお通りだ!」里の方々からにとりを持て囃す声が上がる。「よっ! トロールハンター!」持て囃されたにとりは俄かにトロールハンターとしての自信を持ち始めた。やおら頭を抱えた腕も下がってきた。もはや無いのは自覚のみだ。
にとりは諏訪子の言葉を思い出す。そもそも、にとりが工作を始めたのはトロールを狩るためだった。この言葉を額面通りに受け取るのならば、今まで作り上げてきた発明品の数々はすべてトロールをハントするための道具ということだ。さっそく工房に戻ってあらためなければならない。数々の兵器と己の認識を。にとりは走り出した。ところでタラちゃんが走ると音が鳴るのは周知のとおりだが、それはトロールハンターにしても同じことである。
テュチョペリャピャピピェチェ――。
光子トゥーピド、空中ブラスター、光学迷彩……にとりは愕然とした。クリミナルギア、菊一文字コンプレッサー、ウォーター火炎放射器……テーブルの上に集められた兵器の数々に、にとりは確信せざるを得なかった。ミズドリラー、スーパースコープ3D、そして【ネッシー号】。そうでないのなら、この兵器たちをどう説明したらいい。自覚の有無にかからわらず、もうとっくに、にとりはトロールハンターだったのだ。にとりの瞳に決意が宿った。
ちょっとすると決意は揺らいだ。なんたって山トロールは恐ろしい。ましてやハントなんて! 居間、にとりは身震いしながらお茶を啜る。そもそものはなし、にとりは生粋のトロールハンターではあるが試験などを受けたわけではない。こういった殺しにまつわる事柄にはたいてい役所の認可が不可欠である。やにわににとりは不安になった。もしも試験などが存在していた場合、自分は違法トロールハンター……犯罪者はいやだ! にとりは立ち上がってどこに置いたか身分証等探し始める。ひととおり揃ったのち、にとりは明日の役所に備え、すこしはやいが眠りにつくことにした。役所は思うよりずっとはやく閉まるからだ。
役所にはさまざまな人がひしめいている。どことなく場違いな感じに、にとりは体をこわばらせる。これだけ人がいて、トロールハンター試験で困っているのは自分だけなのではないか。トロールハンター試験の有無について尋ねるにしてもどの課に尋ねればよいのか。それで、もしそんな試験が存在しなかったら恥ずかしすぎちゃうのではないか。にとりは不安げに辺りを見渡す。自分が恥ずかしくならない感じでいろいろ教えてくれそうな優しそうでかつ弱気そうな職員はいないものだろうか。
「お困りですか?」
声をかけられ、にとりはぎくっとした。不意をつかれたということもあるが、なによりその声には聞き覚えがあった。
「あれ? にとりさんじゃないですか!」
旧友の犬走椛の登場に、にとりはてんやわんやになった。自分が恥ずかしそうにしてるところを見られたかもしれないと思うとにとりは恥ずかしかった。
恥ずかしくて
恥ずかしくて、、、
やりきれず、、、、
にとりは、そのまま、、、、、、
役所をでた、、、、、、、、、、、、、、、、
椛によるとハンター試験は存在するらしかった。会場へ行くにはドキドキ二択クイズをクリアしたのち、魔獣に襲われている二人組を助け、実は魔獣に襲われている二人組も魔獣であることを看破し、そして魔獣に気に入られたのち案内される定食屋にて特別な注文方法をすると奥に通されエレベーターで降るとハンター試験会場にたどり着くのである。と、椛は嬉々として語った。すぐに「ドキドキ二択クイズを受けるにはどうしたらいいか」と尋ねたにとりだったが、椛は一笑に付して仕事に戻ってしまったので、にとりは役所の認可などについては自分のなかでうやむやにすることにした。役所には行った、という意識がにとりの不安をぼかす霧として上手いこと機能したのだった。これにより、トロールをハントした後にあれこれ怒られても、職員の説明が不十分だった、と役所に責任を擦り付けることができる。これでようやく、にとりは安心してトロールをハントしに行けるようになった。
『ハントをするときに注意を払う必要のあるスキルは探索である。探索とはその名の通り、獲物の生息域を静かに歩き、一定時間ごとに立ち止まって獲物の動きを観察し、耳を傾けることである。通常、トロールをハントするハンターは、不慣れな場所や適さない場所、禁止されている場所でこの方法を使い、高い足場を築く。一般的に言って、じっとして観察している時間は歩く時間の少なくとも十倍はかかる。トロールハンターのシルエットは多くのトロールを怖がらせるので、身をかがめて隠れるようにしよう。開けた場所では双眼鏡を使い、疑わしい獲物の動きを正確に把握する』
なるほど、帰りがけに買ってきたトロールハント教本を流し読みして、にとりは感嘆した。なんだかややこしい、めんどうくさい!
「これはわたしに向けて書かれた本じゃないし」
にとりは一人ごちる。教本などなくとも、にとりには自信と確信がある。にとりは生粋のトロールハンターなのだ。
タウンページから山トロールの住処を発見したにとりはネッシー号とともに住処へと向かった。どうやらそれほど遠くない。玄武の沢からほど近い山中にあるらしい。木を抜け森を抜けタクシーを呼び数分歩くとすぐに住処へたどり着く。ネッシー号は途中なにもない場所でにとりが転んだ際に目を覆って逃げて行った。ひとがひどいめに遭っているのをみると居た堪れなくなる性分らしかった。
「あの! すみません、誰かいませんか!」
住処といっても、それは想像とは大きく違って、とりわけて普通の住宅地らしかった。立ち並ぶRC造(鉄筋コンクリート造)の家々を見るに、里よりも発達しているようだ。にとりは正直混乱していた。勢いだけでハントしに来てみたはいいものの、そこにあったのは普通の住宅地で、どこかから昼食らしきカレーの匂いまで漂ってくる。こんなのどかな住宅地で惨たらしいハントをしようとしていたなんて! にとりは武装でぱんぱんのリュックに裏恐ろしい気持ちにならずにはいられなかった。にとりは後悔と自分を恥じる気持ちでぐちゃぐちゃになっていた。「あっ!」ガチャリ、と音を立てて扉は開いた。
「はいはいはい、どうも。なんでしたかね」
出てきたのは毛むくじゃらで、大きな耳と長い鼻といったいかにも山トロールらしい特徴を備えたトロールだった。顔立ちは意外に悪くない。すこし川平慈英と似ている。
「あの、あの! わたし、その。ハントしにきて、今日……その、トロールが、悪いやつだと思ってたから。それで……」
しどろもどろになるにとりに対して、トロールはハイ、ハイと相槌を打った。その相槌はまさしくにとりに話を促した。それからトロールは相槌を打った。ハイ、ハイ。あー、ハイ。ハイハイハイ。あー……。始めはにとりの言葉に対して多すぎるほどの相槌を打っていたトロールだが、はなし半ば押し黙る。「……てたんだけど……でも、トロールが悪くないならトロールハンター試験なんて実施されてないはずだし、だからやっぱり……あれ?」しばらくは気付かず喋っていたにとりだったが、なにやら山トロールが爪を弄っていることに気がつく。「もしもーし? おーい」返事はない。山トロールは爪を弄るのに夢中になっていた。やっぱり悪い奴かも! 「あのさー! わたし、自分がはなしてるときにそういうことされるの、いっちばんはらた――」
「――わぁかったよ! わかったから!」
それは怒声だった。山トロールは自分が集中してなにかをやっているときにそれを邪魔されるのがいっちばん嫌いだった。ハイハイ、わかった! わかったわかった! と叫び、ドアをバタン! と閉めて引っ込んでいった。そしてドアの向こう側から「もうなんなんだよぉ!!!」と怒声混じりの悲鳴がにとりに追い打ちをかける。にとりは一寸呆然としたのち、はなしにならない!と息巻いては肩を怒らせ歩き始める。
怒りのまま、にとりは向こう数件にノックをしかけた。しかし山トロールは誰もにとりの話に取り合わなかった。話題に興味がない、重要性を感じていない、プライドが高い、なにか強いこだわりをもっていてそれどころではない、集中力が続かないなどなど。理由はさまざまだったが、とにかく取り合わなかった。そしてにとりは一様に怒り散らした。やはり話の途中で相槌がなくなるのには耐えられなかった。
にとりは最後に『この集落でもっとも気の長いのは私です』と書かれた看板の家に立ち寄った。いざ話し始めてみると返事をしない。またか! 爆発寸前のにとりだったが、すんでのところで山トロールは「うむ」と応えた。どうやら気が長すぎて3、40秒に一度しか相槌を打てないらしい。あきれた! 「ちょうどいいやつはいないのかよ!」と訊ねてから26分後に案内された家は、始めに訪れた山トロールの家だった。怒りに任せてにとりはチャイムを連打する。応答がなければ応答がないだけ押してやろうと決めていた。「出てこい山トロール! この山トロール野郎! 出てこい!」チャイム4回ごとにそのように叫んでいると、ドアの向こうから小さく泣き声が聞こえてくる。かと思えば、泣き声は翻って大音声に化けた「……ぁぁぁあああああああ!」そして床を叩きつける音が何度も響き、にとりの苛立ちは限界に達した。にとりはその短い脚でドアを蹴り始めたのだ!――思いっきり!――「一生そこにいればいいだろ! バカが! バカが!」にとりが叫びながらドアを蹴ると反抗するように山トロールは床に拳を叩きつけた。のどかだった住宅地に二つの怒声が響き渡る。それは夜更け過ぎに泣き声へと変わった。
にとりは泣きじゃくりながら家路をたどった。なぜだか世界のすべてがみじめたらしくみえて、山中に灯ったあかりをみつけるたびにやさしくて、また泣きじゃくった。
「わ、にとりさん。どうしたんですか、こんな夜更けに……」
気付けば悲しみに耐えきれず、にとりは椛の家のドアをノックしていた。泣きながら辿る家路の途中、この時間なら椛はもう帰ってきてるだろうという打算ももちろんあった。しかしにとりは泣きながら、今日あった悲劇を吐露する。「もうさいあく! さいあくなんだよお!」にとりは喋りまくって、椛は聞きまくった。にとりにとって、椛の相槌はいつだって優しかった。椛はにとりの扱いを心得て、発言をする際には「いま私、話してもいいですか?」と、にとりに確認を取った。感情的になって要領を得ないにとりの話を、椛は「にとりさんがいちばん許せなかったことってなんですか」と訊ね、それから「にとりさんはこれからどうしたいんですか」とやさしく整理してみせた。椛が整理した結果、にとりがしたいことは八つ当たりでも報復でもなく是正だということがわかった。是正といってもそれは相手の態度を矯正しようという、一方的なものではなく、互いの態度に非があることを認め、理解しあい、正しく話をしたいということだった。椛はすこし考えて、口には出さなかったがふたりにそれは無理だとはっきりわかった。椛は話を聞くだけで、にとりと山トロールたちに共通するいくつかの点を見つけていたのだ。
「じゃあ、文通をしましょう」
椛は様々な過程を経てその結論に辿り着いたが、あえて結論のみを口にした。にとりはおずおずと承諾し、後日、例の山トロールと文通を始めることにした。
文通の結果、例の山トロールもそれほど悪いやつではないことをにとりは理解した。互いによく返事を書き忘れたり面倒くさがって後回しにするので3、4週に一度ほどの頻度だが、すこしずつ打ち解けていった。返答に間を置いているからふたりとも冷静に言葉を選べたし、顔を突き合わせないから妙な気負いや照れもなかった。なにより互いが互いのペースで言葉を紡げた。
それからある日にとりは、ポストに入っていた手紙にようやく気がついて、すこし面倒に思いながらも開封をした。書かれていた内容はこうだ。
『手紙読みました。山トロールいいやつかもって言葉、感動した。山トロールは俺みたいなやつばかりだから、よく誤解されます。だから、友達にも俺たちのこと話してくれたみたいでありがとう。嬉しかった。』
にとりは照れ臭そうにはにかんで、続きを読む。
『だけど。
だけど山トロールにも悪いやつはいます。そいつは本当に悪いやつで、三日に一回くらいひとを殺します。トロールも殺します。この集落に入居を決めたとき、だれも殺しませんという同意書にサインしたのにも関わらずです。そいつは本当に悪くて、そして本当にデカいです。山四つ分くらいあります。俺たちはやつをどうにかしたいけど、やつは巧妙に、俺たちが動けない時間を見計らって行動します。前に手紙にこう書いていましたね。お前らは昼間っから引き籠っているから、だれもまともに話せないんだよ、馬鹿野郎。お前らは異常だ。あの疑問にいま答えます。俺たちは日光を浴びると死にます。つまり、やつは俺たちが動けない昼間に行動しているのです。すべて本当の話です。トロールハンター。どうかやつを殺してください。俺たちだけじゃない。みんなのために。
P.S.俺に兄弟はいません。』
にとりは戦慄した。同時に激しい懊悩に襲われた。たしかに、生粋のトロールハンターたるにとりであれば、本当に悪いやつを殺すのは簡単かもしれなかった。けれど、にとりはそんなことしたくはなかった。はじめて山トロールの集落を訪ねたあの日、にとりはその種を根絶したいとさえ思った。しかし、分かり合えたのだ。椛に促され、文通を始めた。そしてすこしずつ、すこしずつではあるが、言葉を交わすことによって理解しあえた。今では互いにお礼さえ言い合えるのだ。武器は捨てた。光子トゥーピド、空中ブラスター、光学迷彩、クリミナルギア、菊一文字コンプレッサー、ウォーター火炎放射器、ミズドリラー、スーパースコープ3D……今ではそれらすべてを廃棄していた。にとりは願った。分かり合えない者たちの最後の手段が暴力ではなく、言葉であることを。
『手紙読みました。色々書いてくれてありがとう、感動した。
言われたとおり、やつに「いまお昼だよ」って教えたらあいつ「いっけね」って言って、死にました。言葉ってすごい。君の言う通りでした。なんて。褒めてばかりだとなんだか照れる。君は字の練習をしたほうがいい。すこし貶してみました。バランス、取れたかな。
それはそうと、今まで四つの山だと思っていたものが実はトロールで、しかもそれが消滅してしまって混乱しているこの世界で君がボランティアをやるという話、聞きました。実は今日、俺も役所に行って志願しました。役所は閉まるのがはやいから、命がけ。でも、それだけ価値のあることだと思います。山四つ分治安の悪くなったこの世界で、俺たちにできることをしましょう。みんなのために、それから、自分のために。
P.S.俺に兄弟はいません。何度聞かれても同じです。』
にとりは手紙を箪笥に閉まって、新しい名札を首に提げて家を飛び出した。トロールハンターは廃業。新しい肩書はこうだ。
トロールパトロール河城にとり
完
トロールハンター河城にとり
そもそも、にとりが工作を始めたのはトロールを狩るためだった。幼いころ川を侵略してきたトロールの群れに両親を奪われてから、にとりは復讐のみを糧に今日までをやってきたのだ。昼食どき、洩矢諏訪子はそう語った。諏訪子と向かい合って座るにとりの前には豪勢な食事――ピザ!――が並べられていたが、にとりの手は止まっている。対照的なのは諏訪子で、諏訪子はぱくぱくと食べる手を止めることなく、にとりの過去についてを喋りまくった。
「でもその。記憶がないんです」
「そうだろうね」
そこで会話は止まる。この沈黙を気にも留めず、諏訪子はピザの二切れを重ねて口に運ぼうとしている。
「そもそも。あなたがこっちに来たのは最近で……なんというか。知る由がないかもって、思うんです。わたしの過去についてを……」
「神だからね」
会話は終わる。諏訪子はピザを丸め始めた。「こうすると食べやすくていいかも」言いながら、目線でにとりにもピザを勧める。渋々、にとりもピザを丸めた。
「仮に……仮に。わたしの過去がそうだったとして、その。もしかしてそれは影響するんですか。わたしのこれからに」
諏訪子は眉を潜めてピザを咀嚼している。今のみこむから待って! と言いたげだった。それから諏訪子は嚥下も半ばにして「これからもなにも……」とむにゃむにゃしたのちにとりに告げる。
「トロールハンターだからね」
今までも。と付け加えたのち、諏訪子はふと視線を落としてきょとんとした。諏訪湖の視線の先はにとりの手元で、にとりの手元には丸めこまれたピザが握られている。諏訪子は本当に不思議そうな顔をして、ピザとにとりにきょとんを交互する。「どうしたの」不意の問いかけににとりもきょとんとして、諏訪子と顔を見合わせた。丸い目をして諏訪子は言った。
「はやく食べなよ」
あっ恐怖! にとりはピザをえいやと運んだ。
トロールはとにかく話ができない。話を聞くのが苦手なのだ。特に山トロールたちの馬耳東風さといえばない。もっぱら里ではそのように噂されている。帰り道、にとりは頭を抱えていた。「おっと、トロールハンターのお通りだ!」里の方々からにとりを持て囃す声が上がる。「よっ! トロールハンター!」持て囃されたにとりは俄かにトロールハンターとしての自信を持ち始めた。やおら頭を抱えた腕も下がってきた。もはや無いのは自覚のみだ。
にとりは諏訪子の言葉を思い出す。そもそも、にとりが工作を始めたのはトロールを狩るためだった。この言葉を額面通りに受け取るのならば、今まで作り上げてきた発明品の数々はすべてトロールをハントするための道具ということだ。さっそく工房に戻ってあらためなければならない。数々の兵器と己の認識を。にとりは走り出した。ところでタラちゃんが走ると音が鳴るのは周知のとおりだが、それはトロールハンターにしても同じことである。
テュチョペリャピャピピェチェ――。
光子トゥーピド、空中ブラスター、光学迷彩……にとりは愕然とした。クリミナルギア、菊一文字コンプレッサー、ウォーター火炎放射器……テーブルの上に集められた兵器の数々に、にとりは確信せざるを得なかった。ミズドリラー、スーパースコープ3D、そして【ネッシー号】。そうでないのなら、この兵器たちをどう説明したらいい。自覚の有無にかからわらず、もうとっくに、にとりはトロールハンターだったのだ。にとりの瞳に決意が宿った。
ちょっとすると決意は揺らいだ。なんたって山トロールは恐ろしい。ましてやハントなんて! 居間、にとりは身震いしながらお茶を啜る。そもそものはなし、にとりは生粋のトロールハンターではあるが試験などを受けたわけではない。こういった殺しにまつわる事柄にはたいてい役所の認可が不可欠である。やにわににとりは不安になった。もしも試験などが存在していた場合、自分は違法トロールハンター……犯罪者はいやだ! にとりは立ち上がってどこに置いたか身分証等探し始める。ひととおり揃ったのち、にとりは明日の役所に備え、すこしはやいが眠りにつくことにした。役所は思うよりずっとはやく閉まるからだ。
役所にはさまざまな人がひしめいている。どことなく場違いな感じに、にとりは体をこわばらせる。これだけ人がいて、トロールハンター試験で困っているのは自分だけなのではないか。トロールハンター試験の有無について尋ねるにしてもどの課に尋ねればよいのか。それで、もしそんな試験が存在しなかったら恥ずかしすぎちゃうのではないか。にとりは不安げに辺りを見渡す。自分が恥ずかしくならない感じでいろいろ教えてくれそうな優しそうでかつ弱気そうな職員はいないものだろうか。
「お困りですか?」
声をかけられ、にとりはぎくっとした。不意をつかれたということもあるが、なによりその声には聞き覚えがあった。
「あれ? にとりさんじゃないですか!」
旧友の犬走椛の登場に、にとりはてんやわんやになった。自分が恥ずかしそうにしてるところを見られたかもしれないと思うとにとりは恥ずかしかった。
恥ずかしくて
恥ずかしくて、、、
やりきれず、、、、
にとりは、そのまま、、、、、、
役所をでた、、、、、、、、、、、、、、、、
椛によるとハンター試験は存在するらしかった。会場へ行くにはドキドキ二択クイズをクリアしたのち、魔獣に襲われている二人組を助け、実は魔獣に襲われている二人組も魔獣であることを看破し、そして魔獣に気に入られたのち案内される定食屋にて特別な注文方法をすると奥に通されエレベーターで降るとハンター試験会場にたどり着くのである。と、椛は嬉々として語った。すぐに「ドキドキ二択クイズを受けるにはどうしたらいいか」と尋ねたにとりだったが、椛は一笑に付して仕事に戻ってしまったので、にとりは役所の認可などについては自分のなかでうやむやにすることにした。役所には行った、という意識がにとりの不安をぼかす霧として上手いこと機能したのだった。これにより、トロールをハントした後にあれこれ怒られても、職員の説明が不十分だった、と役所に責任を擦り付けることができる。これでようやく、にとりは安心してトロールをハントしに行けるようになった。
『ハントをするときに注意を払う必要のあるスキルは探索である。探索とはその名の通り、獲物の生息域を静かに歩き、一定時間ごとに立ち止まって獲物の動きを観察し、耳を傾けることである。通常、トロールをハントするハンターは、不慣れな場所や適さない場所、禁止されている場所でこの方法を使い、高い足場を築く。一般的に言って、じっとして観察している時間は歩く時間の少なくとも十倍はかかる。トロールハンターのシルエットは多くのトロールを怖がらせるので、身をかがめて隠れるようにしよう。開けた場所では双眼鏡を使い、疑わしい獲物の動きを正確に把握する』
なるほど、帰りがけに買ってきたトロールハント教本を流し読みして、にとりは感嘆した。なんだかややこしい、めんどうくさい!
「これはわたしに向けて書かれた本じゃないし」
にとりは一人ごちる。教本などなくとも、にとりには自信と確信がある。にとりは生粋のトロールハンターなのだ。
タウンページから山トロールの住処を発見したにとりはネッシー号とともに住処へと向かった。どうやらそれほど遠くない。玄武の沢からほど近い山中にあるらしい。木を抜け森を抜けタクシーを呼び数分歩くとすぐに住処へたどり着く。ネッシー号は途中なにもない場所でにとりが転んだ際に目を覆って逃げて行った。ひとがひどいめに遭っているのをみると居た堪れなくなる性分らしかった。
「あの! すみません、誰かいませんか!」
住処といっても、それは想像とは大きく違って、とりわけて普通の住宅地らしかった。立ち並ぶRC造(鉄筋コンクリート造)の家々を見るに、里よりも発達しているようだ。にとりは正直混乱していた。勢いだけでハントしに来てみたはいいものの、そこにあったのは普通の住宅地で、どこかから昼食らしきカレーの匂いまで漂ってくる。こんなのどかな住宅地で惨たらしいハントをしようとしていたなんて! にとりは武装でぱんぱんのリュックに裏恐ろしい気持ちにならずにはいられなかった。にとりは後悔と自分を恥じる気持ちでぐちゃぐちゃになっていた。「あっ!」ガチャリ、と音を立てて扉は開いた。
「はいはいはい、どうも。なんでしたかね」
出てきたのは毛むくじゃらで、大きな耳と長い鼻といったいかにも山トロールらしい特徴を備えたトロールだった。顔立ちは意外に悪くない。すこし川平慈英と似ている。
「あの、あの! わたし、その。ハントしにきて、今日……その、トロールが、悪いやつだと思ってたから。それで……」
しどろもどろになるにとりに対して、トロールはハイ、ハイと相槌を打った。その相槌はまさしくにとりに話を促した。それからトロールは相槌を打った。ハイ、ハイ。あー、ハイ。ハイハイハイ。あー……。始めはにとりの言葉に対して多すぎるほどの相槌を打っていたトロールだが、はなし半ば押し黙る。「……てたんだけど……でも、トロールが悪くないならトロールハンター試験なんて実施されてないはずだし、だからやっぱり……あれ?」しばらくは気付かず喋っていたにとりだったが、なにやら山トロールが爪を弄っていることに気がつく。「もしもーし? おーい」返事はない。山トロールは爪を弄るのに夢中になっていた。やっぱり悪い奴かも! 「あのさー! わたし、自分がはなしてるときにそういうことされるの、いっちばんはらた――」
「――わぁかったよ! わかったから!」
それは怒声だった。山トロールは自分が集中してなにかをやっているときにそれを邪魔されるのがいっちばん嫌いだった。ハイハイ、わかった! わかったわかった! と叫び、ドアをバタン! と閉めて引っ込んでいった。そしてドアの向こう側から「もうなんなんだよぉ!!!」と怒声混じりの悲鳴がにとりに追い打ちをかける。にとりは一寸呆然としたのち、はなしにならない!と息巻いては肩を怒らせ歩き始める。
怒りのまま、にとりは向こう数件にノックをしかけた。しかし山トロールは誰もにとりの話に取り合わなかった。話題に興味がない、重要性を感じていない、プライドが高い、なにか強いこだわりをもっていてそれどころではない、集中力が続かないなどなど。理由はさまざまだったが、とにかく取り合わなかった。そしてにとりは一様に怒り散らした。やはり話の途中で相槌がなくなるのには耐えられなかった。
にとりは最後に『この集落でもっとも気の長いのは私です』と書かれた看板の家に立ち寄った。いざ話し始めてみると返事をしない。またか! 爆発寸前のにとりだったが、すんでのところで山トロールは「うむ」と応えた。どうやら気が長すぎて3、40秒に一度しか相槌を打てないらしい。あきれた! 「ちょうどいいやつはいないのかよ!」と訊ねてから26分後に案内された家は、始めに訪れた山トロールの家だった。怒りに任せてにとりはチャイムを連打する。応答がなければ応答がないだけ押してやろうと決めていた。「出てこい山トロール! この山トロール野郎! 出てこい!」チャイム4回ごとにそのように叫んでいると、ドアの向こうから小さく泣き声が聞こえてくる。かと思えば、泣き声は翻って大音声に化けた「……ぁぁぁあああああああ!」そして床を叩きつける音が何度も響き、にとりの苛立ちは限界に達した。にとりはその短い脚でドアを蹴り始めたのだ!――思いっきり!――「一生そこにいればいいだろ! バカが! バカが!」にとりが叫びながらドアを蹴ると反抗するように山トロールは床に拳を叩きつけた。のどかだった住宅地に二つの怒声が響き渡る。それは夜更け過ぎに泣き声へと変わった。
にとりは泣きじゃくりながら家路をたどった。なぜだか世界のすべてがみじめたらしくみえて、山中に灯ったあかりをみつけるたびにやさしくて、また泣きじゃくった。
「わ、にとりさん。どうしたんですか、こんな夜更けに……」
気付けば悲しみに耐えきれず、にとりは椛の家のドアをノックしていた。泣きながら辿る家路の途中、この時間なら椛はもう帰ってきてるだろうという打算ももちろんあった。しかしにとりは泣きながら、今日あった悲劇を吐露する。「もうさいあく! さいあくなんだよお!」にとりは喋りまくって、椛は聞きまくった。にとりにとって、椛の相槌はいつだって優しかった。椛はにとりの扱いを心得て、発言をする際には「いま私、話してもいいですか?」と、にとりに確認を取った。感情的になって要領を得ないにとりの話を、椛は「にとりさんがいちばん許せなかったことってなんですか」と訊ね、それから「にとりさんはこれからどうしたいんですか」とやさしく整理してみせた。椛が整理した結果、にとりがしたいことは八つ当たりでも報復でもなく是正だということがわかった。是正といってもそれは相手の態度を矯正しようという、一方的なものではなく、互いの態度に非があることを認め、理解しあい、正しく話をしたいということだった。椛はすこし考えて、口には出さなかったがふたりにそれは無理だとはっきりわかった。椛は話を聞くだけで、にとりと山トロールたちに共通するいくつかの点を見つけていたのだ。
「じゃあ、文通をしましょう」
椛は様々な過程を経てその結論に辿り着いたが、あえて結論のみを口にした。にとりはおずおずと承諾し、後日、例の山トロールと文通を始めることにした。
文通の結果、例の山トロールもそれほど悪いやつではないことをにとりは理解した。互いによく返事を書き忘れたり面倒くさがって後回しにするので3、4週に一度ほどの頻度だが、すこしずつ打ち解けていった。返答に間を置いているからふたりとも冷静に言葉を選べたし、顔を突き合わせないから妙な気負いや照れもなかった。なにより互いが互いのペースで言葉を紡げた。
それからある日にとりは、ポストに入っていた手紙にようやく気がついて、すこし面倒に思いながらも開封をした。書かれていた内容はこうだ。
『手紙読みました。山トロールいいやつかもって言葉、感動した。山トロールは俺みたいなやつばかりだから、よく誤解されます。だから、友達にも俺たちのこと話してくれたみたいでありがとう。嬉しかった。』
にとりは照れ臭そうにはにかんで、続きを読む。
『だけど。
だけど山トロールにも悪いやつはいます。そいつは本当に悪いやつで、三日に一回くらいひとを殺します。トロールも殺します。この集落に入居を決めたとき、だれも殺しませんという同意書にサインしたのにも関わらずです。そいつは本当に悪くて、そして本当にデカいです。山四つ分くらいあります。俺たちはやつをどうにかしたいけど、やつは巧妙に、俺たちが動けない時間を見計らって行動します。前に手紙にこう書いていましたね。お前らは昼間っから引き籠っているから、だれもまともに話せないんだよ、馬鹿野郎。お前らは異常だ。あの疑問にいま答えます。俺たちは日光を浴びると死にます。つまり、やつは俺たちが動けない昼間に行動しているのです。すべて本当の話です。トロールハンター。どうかやつを殺してください。俺たちだけじゃない。みんなのために。
P.S.俺に兄弟はいません。』
にとりは戦慄した。同時に激しい懊悩に襲われた。たしかに、生粋のトロールハンターたるにとりであれば、本当に悪いやつを殺すのは簡単かもしれなかった。けれど、にとりはそんなことしたくはなかった。はじめて山トロールの集落を訪ねたあの日、にとりはその種を根絶したいとさえ思った。しかし、分かり合えたのだ。椛に促され、文通を始めた。そしてすこしずつ、すこしずつではあるが、言葉を交わすことによって理解しあえた。今では互いにお礼さえ言い合えるのだ。武器は捨てた。光子トゥーピド、空中ブラスター、光学迷彩、クリミナルギア、菊一文字コンプレッサー、ウォーター火炎放射器、ミズドリラー、スーパースコープ3D……今ではそれらすべてを廃棄していた。にとりは願った。分かり合えない者たちの最後の手段が暴力ではなく、言葉であることを。
『手紙読みました。色々書いてくれてありがとう、感動した。
言われたとおり、やつに「いまお昼だよ」って教えたらあいつ「いっけね」って言って、死にました。言葉ってすごい。君の言う通りでした。なんて。褒めてばかりだとなんだか照れる。君は字の練習をしたほうがいい。すこし貶してみました。バランス、取れたかな。
それはそうと、今まで四つの山だと思っていたものが実はトロールで、しかもそれが消滅してしまって混乱しているこの世界で君がボランティアをやるという話、聞きました。実は今日、俺も役所に行って志願しました。役所は閉まるのがはやいから、命がけ。でも、それだけ価値のあることだと思います。山四つ分治安の悪くなったこの世界で、俺たちにできることをしましょう。みんなのために、それから、自分のために。
P.S.俺に兄弟はいません。何度聞かれても同じです。』
にとりは手紙を箪笥に閉まって、新しい名札を首に提げて家を飛び出した。トロールハンターは廃業。新しい肩書はこうだ。
トロールパトロール河城にとり
完
悠然とピザを食べながらすべてを決めつけてくる諏訪子が理不尽でよかったです
諏訪子に「きみはトロールハンターだよ」と言われてトロールハンターになったのも言葉の力なのかなって