――朝
穣子の一日は、朝日を浴びることから始まる。部屋の障子窓から外の様子をのぞいてみると、晴れている日には、夜明け直後のやわらかい陽の光が。晴れていない日でも、外がうっすらと明るくなったことが、一日の始まりを教えてくれる。
特に今日は、この時間からすでに外は一段と明るく、どうやら佳い秋晴れの一日となりそうだ。
部屋の床には、山から拾ってきたどんぐりや木の実が、あちこちに転がっている。夕べ、秋の夜長の暇つぶしがてらに、転がして遊んでいた名残だ。
一見すると、ただのどんぐりだが、床に転がすと思いのほか、いい音を立てるので、ついつい他の木の実も転がして遊んでいたら、気がつくと床には、木の実の王国が誕生していた。
穣子はその王国に別れを告げ、立ち上がって大きく伸びをすると、ふすまを開けて囲炉裏へと向かった。
囲炉裏のそばでは、姉の静葉が腰を下ろして新聞に目を通しているところだった。
「おはよう。穣子」
「おはよー。ねーさん」
たわいもない挨拶をかわしたあと、穣子は静葉の向かい側に座る。静葉は、ちらりと穣子の方を見るが、すぐ新聞に視線を戻したので、穣子は呆れたようにたずねる。
「……よく朝からそんな文字ばっかりの見れるわね。頭痛くなんないの?」
静葉は、新聞に目をむけたまま答える。
「ならないわ。むしろ脳細胞がトップギアよ」
「ふーん……」
それきり二人は無言となり、穣子がぼやっと天井を眺めていると、外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。その軽やかな協奏は、今日もいい日和になりそうな予感を抱かせた。
「ところで穣子。今日のご予定は」
「あ、うーん。特にないけど」
「そう」
「そういうねーさんは?」
「文のところでも行ってくるわ」
「またー? 好きねえ」
「ええ、彼女のところにいると飽きないもの」
「そうなの?」
「色々と新しい知見が得られるのよ。さて、そろそろ帰ってくるころね。じゃ、行ってくるわ」
言うなり静葉は、新聞をたたんで立ち上がると、そのまま飛び去って行ってしまう。
「はや……」
姉の行動の速さに、思わず穣子はあっけにとられていたが、ふと、床の新聞に目がいく。
「……まったく、いつも何読んでるってのよ」
穣子は、新聞を手に取って読もうとするが、いきなりたくさんの活字が目に飛び込んできたので、思わず、ばさっと床へ放り投げてしまった。
「……はぁ。やっぱ、新聞は読むよりも、芋の包み紙にするのが一番だわ」
目をしぱしぱさせながら穣子は、文が聞いたら猛抗議してきそうなことをつぶやくと、気分転換に一度外へ出てみることにした。
□
まだ昼前だけあって、外は朝のひんやりとした空気がかすかに残っている。
穣子が、その夜露でしっとりとしている大地を、素足で踏みしめると、多少の冷たさは感じるものの、まだ、心地よい土の感触の方が勝っている。どうやら本格的な冬がくるのは、もう少しだけ先になりそうだ。
彼女は、ひとまず家の周辺を回ってみることした。庭の木にとまっている小鳥のさえずりとともに、ごくごく見慣れた風景が目の前に広がっていく。
これといって、今さら何の面白みも感慨もないが、しいて言えば、なじみ深い景色に、すがすがしい秋の青空がよく映えているといったところか。
「うん。かわりなしと」
別に見回りをしていたわけではないが、穣子はそうつぶやくと、家に戻ることにした。
「うーさむさむ」
家の中は囲炉裏のおかげで外より幾分か暖かい。さて、雨戸を開けて秋の空気を取り入れようか。いやいや、空気取り入れるにはまだ寒いか。など考えながら、穣子は床に散らばった文の新聞を手に取ると、そのまま納戸へと向かう。そして納戸の棚においてあったさつま芋を、新聞紙で包みこむと、囲炉裏に戻って、灰の中にぽいと放り込む。
しばらくして、じんわり熱されたさつま芋から、ふんわりとした甘い香りが漂い始め、やがて、その香りで家中が満たされると、穣子はおもむろに立ち上がった。
「さーて、芋も十分温まったし、家中いい香りになったし、そろそろ外も暖かくなったかなーっと」
穣子が障子窓を開けると、お天道さまはすっかり昇っており、穏やかな秋の日差しとともに、外のさわやかな空気が家の中に入り込んできた。
「おー、いいかんじー」
穣子はがらりと雨戸を開け、そのまま縁側で大の字に寝そべると目を閉じる。目を閉じてもなお、まぶた越しに日の光が感じられる。
暑すぎず、寒すぎずちょうど良い塩梅の、まさに小春日和といった調子だ。
「んー。こうしてるのも、なんかもったいないわね……」
そうつぶやくと、穣子はすぐさま起き上がり、そのまま秋の陽気に誘われるように、妖怪の山へと繰り出した。
□
すでに神無月も終わりに差し掛かり、山のあちこちから芳しい香りが漂っている。そんな秋も佳境な山道を、穣子がひとりでのんびりと歩いていると、道ばたでミスティアにばったりと出会う。彼女は手提げかごを手にぶらさげており、どうやら食材の調達中らしい。
「やっほ。みすち」
「あ。穣子さん! こんにちは!」
「なーに、まーた食材探し?」
「そうなんですよー。せっかくの秋だし、いいものないかなーって」
「で、なにかあった?」
「うーん。それがイマイチなんですよ……」
「そうなの? どれどれっと……」
穣子が手提げかごをのぞいてみると、中には少量の木の実と、中くらいの大きさのきのこが二、三個入っているだけだった。彼女個人の食料としてなら、これでもまあいいかもしれないが、居酒屋に出す料理の食材としては、いささか心許ない。
「うん。イマイチね」
「ですよねえ」
「ちゃんと探したの?」
「もちろんですよー」
「うーん。ちゃんと探してこれなのかー」
穣子はしばし首を傾げていたが、ほどなくして妙案が思いついたようでその手をぽーんと叩く。
「あ、そうだ。とっておきの場所教えてあげるから、ついといでよ」
「え? いいんです?」
「とくべつ、とくべつ」
二人は山道から外れ、獣道をおりていく。そのまま沢の近くに差し掛かると、その手前に、それほど高くない木々がまとまって生えている、ちょっとした林があった。
「ここ、ここ」
「ここ?」
「そ。ほらほら」
穣子が指をさした先には、地面に落ちた栗が。
「あっ! 栗っ!」
たちまちミスティアの顔が、ぱあっと笑顔になる。
「栗だけじゃないわよ? よく見て」
「本当だ! とちの実やくるみもある!?」
「どーよ。ここは木の実がたくさん落ちてる穴場なのよ」
「こんなとこあったんですね! 知らなかったですよ」
「好きなだけ持ってっていいわよー?」
「えっいいんですか?」
「もちのろんよ」
「ありがとうございます! 穣子さん!」
ミスティアがさっそく木の実を拾い始めると、あっという間にかごはいっぱいになった。
「いやー。助かりましたよ。本当ありがとうございます!」
「ふふん。神の恵みに感謝しなさいよー?」
「しますしますー。よーし、今夜はがんばって栗ご飯でも作ろうかなー」
「お? じゃ、私もおじゃましようかなーなんて」
「もちろんいいですよ! お待ちしてますよー」
「ほんと? やったー! じゃあ、また夜に」
「はーい! お店で待ってますねー」
ミスティアはいかにも満足げに、重くなった手提げかごを両手でかかえ、帰路へとつく。穣子も同じく満足そうに腕組みをして何度も頷きながら、彼女を見送った。
□
その後、穣子は、そのままなんとなく沢へと向う。そして沢にある大きな石に、なんとなくひょいっと飛び上がってみると、石の上では、いかにも気持ちよさそうに寝ているどら猫……。もとい、橙の姿があった。
「……あの、もしもーし?」
穣子が近づいて耳元で話しかけるも、起きる気配はまったくない。彼女は幸せそうな顔で、よだれを垂らしながら、すうすうと眠りこけている。時折、何やら「うにゃうにゃ」と、寝言すらつぶやいており、完全に無防備である。藍がこの姿を見たら、果たして何と言うだろうか。
とはいえ、無理もない。この穏やかな陽気はもとより、何より暖かな陽光を浴びているこの巨石は、まるで湯たんぽのようにじんわりとあたたかく、それこそ猫じゃなくても横になってそのまま眠ってしまいたくなる魔力をはらんでいたのだ。
やれやれと、穣子はため息をつき、その眠り姫ならぬ、眠り猫から、そっと離れると、気を取り直して、川の水面の方に目を向けてみる。すると川のせせらぎとともに、上流からはらはらと紅葉が流れてきているのが見えた。
「……お。風情あるわねー」
穣子は川の流れに身をまかせるがまま、くるくると回りながら流れていく紅葉の円舞を、しばしの間、ぼうっと眺めていたが、その回る紅葉を見て、急に何かを思い出したようにぽつりとつぶやく。
「……あ、そういえばあいつ元気かな」
すぐさま穣子は立ち上がり、そのまま谷の方へと向かった。
□
お天道さまはすっかり天へとのぼりきり、一日のうちで一番暖かい時間帯になっていた。穣子は、そのやわらかな秋の日差しに包まれながら、谷底をひとり進んでいく。谷には山の木々から落ちた紅葉がたくさん降りつもっており、さながら紅葉のじゅうたんが敷かれたようになっている。穣子がそのじゅうたんを、がさがさと裸足で踏みしめながら進んでいくと、やがて目の前に、古ぼけた小さなお堂が見えてくる。穣子はそのお堂の戸をとんとんと叩くと、中に向かって呼びかけた。
「おーい。あそびに来たよー」
彼女の呼びかけに応じるようにお堂の戸がゆっくりと開く。そして、驚いた様子で目をぱちくりさせながら姿を現したのは、厄神様こと鍵山雛だった。
「やっほ、雛。げんき?」
「みのりん!? ひさしぶりじゃない! どうしたの?」
「ちょっと気になったから会いに来たのよ」
「会いに来たって、わざわざこんなとこまで?」
「ま、もののついでってやつ」
「ふーん? ま、なんであれうれしいわ! ここに誰かが来るなんて滅多にないし」
「ちょっとお邪魔してもいい?」
「いいよいいよー。あがってあがって」
雛のお言葉に甘えて穣子は、お堂の中へと入る。中は狭いがそこまで窮屈な感じではなく、むしろこの狭さが妙に心地よいとまで感じられる不思議な空間だ。雛は奥の壁にもたれるようにして腰を下ろす。
穣子がここに来るのは初めてではない。今までも何度かおじゃましており、そのたびに雛は穣子を歓迎してくれていた。穣子が足繁く通うこともあってか、いつしか、雛は穣子を「みのりん」と、愛称で呼ぶようにまでなっていた。
「雛ー、ちょっと横になってもいいかなー?」
「いいわよー」
雛の許しを得た穣子が床に寝そべると、天井に何かがぶら下げられているのに気がつく。
「あれ……? 雛。あれって」
「ん? 吊し雛だけど?」
「へー。あれがそうなんだ? はじめて見たわ」
「えっ? ずっとぶら下がってたんだけど……」
「え、そうなの……?」
「もしかして今まで気づかなかったの?」
「いやー。まじで気づかなかったわー」
「もう、みのりんたら、ほーんと鈍いんだから……」
「う、うっさいわよ。気づかなかったんだから仕方ないでしょ?」
そんなやりとりをかわしていると、急に雛が無言になる。
「……ん? 雛?」
気になった穣子が、彼女の方をちらりと見るが、さすがにお堂の中は陽の光が弱いこともあって、その表情までうかがい知ることはできない。
穣子があきらめて再び天井の方に目を向けようとしたそのとき、とつぜん格子窓から一筋の淡い陽の光が差し込んでくる。その光を頼りに、もう一度彼女の方を見てみると、どうやら雛は、微笑みながらこっちの方を眺めていたようで、思わず穣子は、慌てて目をそらしてしまった。
「……な、なんか急に明るくなったわね? ここ」
「そう。この時期は夕方になると日が差すのよ」
「……ああ、そっか。もうそんな時間なのね」
「もう帰るの?」
「そうするわ。暗くなったら寒いし」
「そうだね」
穣子がゆっくりと起き上がると、雛も一緒に立ち上がる。
「そんじゃ、また来るね」
「うん。いつでも待ってるわよ。どうせ暇だし」
「暇なんなら、たまには私の家にも遊びに来なさいよ? きっと姉さんも歓迎してくれるわよ?」
穣子の言葉に雛はほんの一瞬だけ、戸惑ったような表情を見せるが、すぐに笑顔に戻って告げる。
「……うん、わかった。今度行くわね」
「よし! 約束よ! じゃ、またね、雛!」
「バイバイ! みのりん!」
飛び去っていく穣子を眺めながら雛は、お堂の前でくるくると勢いよく回り始める。それは単なる厄集めの儀式だったのか。それとも彼女なりのお見送りのつもりだったのか。あるいは――
いずれにしてもそんな彼女の様子を、穣子が知るよしはなかった。
□
「うひゃ。さむっ!?」
外はすっかり日が陰り、寒気が増していた。どうやら少々長居をしすぎてしまったようだ。さすがに谷底となると、この時期でも日が傾く頃には冬の気配をうっすらと感じさせられる。
「はやく帰んないとこごえしぬっての!」
穣子は谷底から一気に上空へと舞い上がる。
高度が上がるにつれ、空気の冷たさが徐々に和らいでくる。そして、そのまま谷を抜け、一気に視界が広がったと思った次の瞬間、穣子の動きが思わず止まる。
「おぉー……」
彼女が感嘆の声をもらすのも無理はなく、その目の前には、黄昏の黄金色に染まった晩秋の山の景色が広がっていたのだ。
色とりどりの鮮やかな紅葉や、平地に生えた、すすきたちは、時折吹く秋風にはらはらと吹かれながら、夕闇の中へと、ゆるやかに姿を消そうとしている。遠くからは、巣へと帰る烏の鳴き声が聞こえ、その美しくも、どこか物寂しさを抱かせるような情景に、しばし彼女が心を奪われていたそのときだ。
「『山暮れて 紅葉の朱を 奪いけり』とは、よく言ったものね」
声に気づいて穣子が振り返ると、そこには微笑む静葉の姿があった。
「ねーさん? いつのまに?」
「今のまよ。あなたこそこんなところで何してるの」
「あ、いや、別に何でもないわよ。ただ、なんとなくきれいだなーって思って」
「そう」
静葉はふっと笑みを浮かべると、どこか誇らしげに目の前の情景を見つめながらつぶやいた。
「……秋の終わりに相応しい夕景色だわ」
「そうなの……?」
「ええ、晩秋の夕暮れ特有の、この幽玄なる静寂の空間は、これから来るであろう厳しい冬の季節を暗に示している。故に秋は美しくも儚い。そのわびとさびの極地と呼べる、もののあわれの姿に、皆、心を動かされ、魅了されるのよ。……そう、いつの時代も」
そう言って再びふっと笑みを浮かべる静葉に、穣子はいまいち要領を得ない様子で首を傾げながら告げる。
「……うーん。私は、やっぱり収穫した作物を腹いーっぱい食べるのが、何より無上のよろこびだと思うけどねー? 秋は」
「もう、穣子ったら風情がないわね。さすが花より団子。いえ、紅葉よりさつま芋だわ」
「いいでしょ。べつに! 食えないものなんて見ても面白くもなんともないわ! ……あ、そうだ。ねーさん、ねーさん」
「なによ」
「これから、ミスティアの居酒屋行くんだけどさ、ねーさんも一緒にどう? 栗ご飯作るんだってー」
「……あら、いいわね。それじゃ、せっかくだからご一緒しようかしら」
「なーんだ。ねーさんも結局は、秋の味覚楽しみなんじゃん?」
「それはそうよ。今の季節を味わうには、旬のものを食べるのが手っ取り早いもの」
「なんてこと言っちゃってー。本当は単に栗ご飯食べたいだけなんじゃないのー?」
「あなたとはちがうのよ」
「なにをー」
などと言い合いながら二人は、ミスティアの居酒屋を目指し、すでに一番星が輝いている夕闇の中へと姿を消していった。
□
その後、居酒屋に着いた穣子は、美味しい酒と栗ご飯で腹いっぱいに秋を堪能した。酒が美味しかったのはもちろんのこと、お目当ての栗ご飯はというと、味付けこそ塩のみという潔いものだったが、彼女が渋抜きをして、ひとつひとつ丹念に下ごしらえをした山栗と、少し固めに炊いた新米との相性はこの上なく抜群で、それはもう、言葉では言い表せないほどの逸品だった。
ミスティアが言うには、今日採ったとちの実で、今度はとち餅を作ってみるとのことで、ちょうどこれからは新酒の時期とも重なり、これはまた二重に楽しみだと思いながら穣子は、ほろ酔い気分で上機嫌なまま家へと帰った。
□
二人が家の玄関に近づくとなにやら、家の中から人の声が聞こえてくる。どうやら中に誰かいるらしい。
「……ねーさん。なんかいる」
「そうね。ドロボウさんかしら」
「こんな山奥にドロボウなんてやってくるわけないでしょ?」
「そうね。この家に盗まれるようなものなんてないものね。それこそ穣子の高級さつま芋くらいかしら」
「いいから早く入りましょーよ! ドロボウなら追っ払わないと!」
二人が急いで家の中に入ってみると、なにやら家中、変なにおいが充満している。更には囲炉裏のそばで談笑している二つの人影が。二人がそっと近づいてみると、その正体は、なんと文とにとりだった。二人の手元には空になった一升瓶が転がっており、どうやら勝手に上がって晩酌を楽しんでいた様子だ。
「くぉらーー!? あんたら、人んちで何やってんのよー!?」
穣子の大喝一声に、二人は驚いて思わず振り向くが。
「あ! おかえりー!」
「おかえりなさい。もう、二人ともどこ行ってたんですか? 待ってたんですよ?」
と、のんきに手を振ってきたので、穣子は思わず拳をふるわせながら二人に向かって言い放つ。
「あのさぁ!? あんたたちさぁ!? ここは私の家なんだけど!?」
「穣子、私もよ」
「ねーさんは少しだまってて!?」
「まあまあまあ、そんな怒らなくてもいいじゃんよ?」
と、にとりが、赤ら顔で穣子に告げると、負けじと穣子は更に顔を赤くさせて言い返す。
「怒るわよっ!? 勝手にひとんちに上がって! 勝手にひとんちの酒飲んで!」
「いや、だってさー。家開けっぱなしだったんだもん」
「え……?」
「そうですよー。明日休刊日だから一緒に晩酌でもと思って、せっかく肴用意して来てみれば、もう暗くなってるというのに雨戸開けっぱなしになってるわ、二人ともいないわ、あまつさえ、なぜかにとりが一人でぽつんとしてるわ……」
「あらあら、穣子ったら、また家開けっぱなしにしたまま出かけたの」
「うっ……。外の天気がよかったからつい……。ってか、にとり。あんたいつから家にいたのよ?」
「えーと、日暮れよりちょっと前かな? いくら待っても帰ってこないから、ヒマつぶしに、囲炉裏できゅうり焼いてたよ」
よく見ると囲炉裏には串に刺して炙られて、しなしなになったきゅうりが何本も刺さっている。
「あー!? どおりで家の中が青臭いと思った!? せっかく焼き芋の香りで満たしたのに、なんてことすんのよ!?」
「あ! 焼き芋で思い出しましたよ! ちょっと! 穣子さん! ひどいじゃないですか!?」
「な、なにがよ? 文」
すぐさま文は、灰の中に転がっていた焼き芋を手に取ると、穣子に見せつける。
「この焼き芋にくるんである新聞紙! よく見たら今日の新聞じゃないですか!? 数日前の新聞なら、百歩、いや一万歩譲ってまだ許しますけどね。今日の新聞を使うなんて、さすがにちょっとひどすぎませんか!?」
「あ、ああ、それは、ほ、ほら。よく言うじゃない? イモと新聞は熱いうちに食えって……」
「そんなことわざ聞いたことありません! っていうか、新聞食べないでください! あなたはヤギですか!?」
「あらあら、穣子ったらイモの神じゃ飽き足らず、とうとうヤギの神さまにもなるつもりなのね」
「んなわけあるか!?」
などと、わーわーわーわー四人でじゃれ合っているうちに、すっかり夜は更けていき、結局そのままのなりゆきで酒盛りが始まり、それが解散する頃には、すっかり明け方になっていた。
「……はー。やっと静かになったわ」
穣子は半ばうんざり気味な様子で、自分の部屋に戻ると、ふと、今日一日の出来事(もう明日だが)を思い返す。
なんだかわからないが、やたらと濃い一日になったものだと、思わず苦笑を浮かべる。
「……ま、べつにいいけどさ」
穣子はぽつりとつぶやくと、窓へ近づこうとして足を伸ばす。ところがその瞬間、何か丸いのを踏みつけたようで、盛大に足を滑らせると、そのまま床に尻餅をついてしまう。尻餅をついた瞬間、ばきっと何かが割れる音があたりに響いた。
「ぶぎゃっ!?」
尻をさすりながら、穣子が床を見てみると、夕べの木の実たちが無残にも粉々になってしまっていた。
穣子は、そのぱっかりと割れたくるみから中の実を取り出すと、それをひょいと口に放り込み、二、三回ほど咀嚼すると、障子窓から外の様子をのぞいた。
穣子の一日は、朝日を浴びることから始まる。部屋の障子窓から外の様子をのぞいてみると、晴れている日には、夜明け直後のやわらかい陽の光が。晴れていない日でも、外がうっすらと明るくなったことが、一日の始まりを教えてくれる。
特に今日は、この時間からすでに外は一段と明るく、どうやら佳い秋晴れの一日となりそうだ。
部屋の床には、山から拾ってきたどんぐりや木の実が、あちこちに転がっている。夕べ、秋の夜長の暇つぶしがてらに、転がして遊んでいた名残だ。
一見すると、ただのどんぐりだが、床に転がすと思いのほか、いい音を立てるので、ついつい他の木の実も転がして遊んでいたら、気がつくと床には、木の実の王国が誕生していた。
穣子はその王国に別れを告げ、立ち上がって大きく伸びをすると、ふすまを開けて囲炉裏へと向かった。
囲炉裏のそばでは、姉の静葉が腰を下ろして新聞に目を通しているところだった。
「おはよう。穣子」
「おはよー。ねーさん」
たわいもない挨拶をかわしたあと、穣子は静葉の向かい側に座る。静葉は、ちらりと穣子の方を見るが、すぐ新聞に視線を戻したので、穣子は呆れたようにたずねる。
「……よく朝からそんな文字ばっかりの見れるわね。頭痛くなんないの?」
静葉は、新聞に目をむけたまま答える。
「ならないわ。むしろ脳細胞がトップギアよ」
「ふーん……」
それきり二人は無言となり、穣子がぼやっと天井を眺めていると、外から小鳥のさえずりが聞こえてくる。その軽やかな協奏は、今日もいい日和になりそうな予感を抱かせた。
「ところで穣子。今日のご予定は」
「あ、うーん。特にないけど」
「そう」
「そういうねーさんは?」
「文のところでも行ってくるわ」
「またー? 好きねえ」
「ええ、彼女のところにいると飽きないもの」
「そうなの?」
「色々と新しい知見が得られるのよ。さて、そろそろ帰ってくるころね。じゃ、行ってくるわ」
言うなり静葉は、新聞をたたんで立ち上がると、そのまま飛び去って行ってしまう。
「はや……」
姉の行動の速さに、思わず穣子はあっけにとられていたが、ふと、床の新聞に目がいく。
「……まったく、いつも何読んでるってのよ」
穣子は、新聞を手に取って読もうとするが、いきなりたくさんの活字が目に飛び込んできたので、思わず、ばさっと床へ放り投げてしまった。
「……はぁ。やっぱ、新聞は読むよりも、芋の包み紙にするのが一番だわ」
目をしぱしぱさせながら穣子は、文が聞いたら猛抗議してきそうなことをつぶやくと、気分転換に一度外へ出てみることにした。
□
まだ昼前だけあって、外は朝のひんやりとした空気がかすかに残っている。
穣子が、その夜露でしっとりとしている大地を、素足で踏みしめると、多少の冷たさは感じるものの、まだ、心地よい土の感触の方が勝っている。どうやら本格的な冬がくるのは、もう少しだけ先になりそうだ。
彼女は、ひとまず家の周辺を回ってみることした。庭の木にとまっている小鳥のさえずりとともに、ごくごく見慣れた風景が目の前に広がっていく。
これといって、今さら何の面白みも感慨もないが、しいて言えば、なじみ深い景色に、すがすがしい秋の青空がよく映えているといったところか。
「うん。かわりなしと」
別に見回りをしていたわけではないが、穣子はそうつぶやくと、家に戻ることにした。
「うーさむさむ」
家の中は囲炉裏のおかげで外より幾分か暖かい。さて、雨戸を開けて秋の空気を取り入れようか。いやいや、空気取り入れるにはまだ寒いか。など考えながら、穣子は床に散らばった文の新聞を手に取ると、そのまま納戸へと向かう。そして納戸の棚においてあったさつま芋を、新聞紙で包みこむと、囲炉裏に戻って、灰の中にぽいと放り込む。
しばらくして、じんわり熱されたさつま芋から、ふんわりとした甘い香りが漂い始め、やがて、その香りで家中が満たされると、穣子はおもむろに立ち上がった。
「さーて、芋も十分温まったし、家中いい香りになったし、そろそろ外も暖かくなったかなーっと」
穣子が障子窓を開けると、お天道さまはすっかり昇っており、穏やかな秋の日差しとともに、外のさわやかな空気が家の中に入り込んできた。
「おー、いいかんじー」
穣子はがらりと雨戸を開け、そのまま縁側で大の字に寝そべると目を閉じる。目を閉じてもなお、まぶた越しに日の光が感じられる。
暑すぎず、寒すぎずちょうど良い塩梅の、まさに小春日和といった調子だ。
「んー。こうしてるのも、なんかもったいないわね……」
そうつぶやくと、穣子はすぐさま起き上がり、そのまま秋の陽気に誘われるように、妖怪の山へと繰り出した。
□
すでに神無月も終わりに差し掛かり、山のあちこちから芳しい香りが漂っている。そんな秋も佳境な山道を、穣子がひとりでのんびりと歩いていると、道ばたでミスティアにばったりと出会う。彼女は手提げかごを手にぶらさげており、どうやら食材の調達中らしい。
「やっほ。みすち」
「あ。穣子さん! こんにちは!」
「なーに、まーた食材探し?」
「そうなんですよー。せっかくの秋だし、いいものないかなーって」
「で、なにかあった?」
「うーん。それがイマイチなんですよ……」
「そうなの? どれどれっと……」
穣子が手提げかごをのぞいてみると、中には少量の木の実と、中くらいの大きさのきのこが二、三個入っているだけだった。彼女個人の食料としてなら、これでもまあいいかもしれないが、居酒屋に出す料理の食材としては、いささか心許ない。
「うん。イマイチね」
「ですよねえ」
「ちゃんと探したの?」
「もちろんですよー」
「うーん。ちゃんと探してこれなのかー」
穣子はしばし首を傾げていたが、ほどなくして妙案が思いついたようでその手をぽーんと叩く。
「あ、そうだ。とっておきの場所教えてあげるから、ついといでよ」
「え? いいんです?」
「とくべつ、とくべつ」
二人は山道から外れ、獣道をおりていく。そのまま沢の近くに差し掛かると、その手前に、それほど高くない木々がまとまって生えている、ちょっとした林があった。
「ここ、ここ」
「ここ?」
「そ。ほらほら」
穣子が指をさした先には、地面に落ちた栗が。
「あっ! 栗っ!」
たちまちミスティアの顔が、ぱあっと笑顔になる。
「栗だけじゃないわよ? よく見て」
「本当だ! とちの実やくるみもある!?」
「どーよ。ここは木の実がたくさん落ちてる穴場なのよ」
「こんなとこあったんですね! 知らなかったですよ」
「好きなだけ持ってっていいわよー?」
「えっいいんですか?」
「もちのろんよ」
「ありがとうございます! 穣子さん!」
ミスティアがさっそく木の実を拾い始めると、あっという間にかごはいっぱいになった。
「いやー。助かりましたよ。本当ありがとうございます!」
「ふふん。神の恵みに感謝しなさいよー?」
「しますしますー。よーし、今夜はがんばって栗ご飯でも作ろうかなー」
「お? じゃ、私もおじゃましようかなーなんて」
「もちろんいいですよ! お待ちしてますよー」
「ほんと? やったー! じゃあ、また夜に」
「はーい! お店で待ってますねー」
ミスティアはいかにも満足げに、重くなった手提げかごを両手でかかえ、帰路へとつく。穣子も同じく満足そうに腕組みをして何度も頷きながら、彼女を見送った。
□
その後、穣子は、そのままなんとなく沢へと向う。そして沢にある大きな石に、なんとなくひょいっと飛び上がってみると、石の上では、いかにも気持ちよさそうに寝ているどら猫……。もとい、橙の姿があった。
「……あの、もしもーし?」
穣子が近づいて耳元で話しかけるも、起きる気配はまったくない。彼女は幸せそうな顔で、よだれを垂らしながら、すうすうと眠りこけている。時折、何やら「うにゃうにゃ」と、寝言すらつぶやいており、完全に無防備である。藍がこの姿を見たら、果たして何と言うだろうか。
とはいえ、無理もない。この穏やかな陽気はもとより、何より暖かな陽光を浴びているこの巨石は、まるで湯たんぽのようにじんわりとあたたかく、それこそ猫じゃなくても横になってそのまま眠ってしまいたくなる魔力をはらんでいたのだ。
やれやれと、穣子はため息をつき、その眠り姫ならぬ、眠り猫から、そっと離れると、気を取り直して、川の水面の方に目を向けてみる。すると川のせせらぎとともに、上流からはらはらと紅葉が流れてきているのが見えた。
「……お。風情あるわねー」
穣子は川の流れに身をまかせるがまま、くるくると回りながら流れていく紅葉の円舞を、しばしの間、ぼうっと眺めていたが、その回る紅葉を見て、急に何かを思い出したようにぽつりとつぶやく。
「……あ、そういえばあいつ元気かな」
すぐさま穣子は立ち上がり、そのまま谷の方へと向かった。
□
お天道さまはすっかり天へとのぼりきり、一日のうちで一番暖かい時間帯になっていた。穣子は、そのやわらかな秋の日差しに包まれながら、谷底をひとり進んでいく。谷には山の木々から落ちた紅葉がたくさん降りつもっており、さながら紅葉のじゅうたんが敷かれたようになっている。穣子がそのじゅうたんを、がさがさと裸足で踏みしめながら進んでいくと、やがて目の前に、古ぼけた小さなお堂が見えてくる。穣子はそのお堂の戸をとんとんと叩くと、中に向かって呼びかけた。
「おーい。あそびに来たよー」
彼女の呼びかけに応じるようにお堂の戸がゆっくりと開く。そして、驚いた様子で目をぱちくりさせながら姿を現したのは、厄神様こと鍵山雛だった。
「やっほ、雛。げんき?」
「みのりん!? ひさしぶりじゃない! どうしたの?」
「ちょっと気になったから会いに来たのよ」
「会いに来たって、わざわざこんなとこまで?」
「ま、もののついでってやつ」
「ふーん? ま、なんであれうれしいわ! ここに誰かが来るなんて滅多にないし」
「ちょっとお邪魔してもいい?」
「いいよいいよー。あがってあがって」
雛のお言葉に甘えて穣子は、お堂の中へと入る。中は狭いがそこまで窮屈な感じではなく、むしろこの狭さが妙に心地よいとまで感じられる不思議な空間だ。雛は奥の壁にもたれるようにして腰を下ろす。
穣子がここに来るのは初めてではない。今までも何度かおじゃましており、そのたびに雛は穣子を歓迎してくれていた。穣子が足繁く通うこともあってか、いつしか、雛は穣子を「みのりん」と、愛称で呼ぶようにまでなっていた。
「雛ー、ちょっと横になってもいいかなー?」
「いいわよー」
雛の許しを得た穣子が床に寝そべると、天井に何かがぶら下げられているのに気がつく。
「あれ……? 雛。あれって」
「ん? 吊し雛だけど?」
「へー。あれがそうなんだ? はじめて見たわ」
「えっ? ずっとぶら下がってたんだけど……」
「え、そうなの……?」
「もしかして今まで気づかなかったの?」
「いやー。まじで気づかなかったわー」
「もう、みのりんたら、ほーんと鈍いんだから……」
「う、うっさいわよ。気づかなかったんだから仕方ないでしょ?」
そんなやりとりをかわしていると、急に雛が無言になる。
「……ん? 雛?」
気になった穣子が、彼女の方をちらりと見るが、さすがにお堂の中は陽の光が弱いこともあって、その表情までうかがい知ることはできない。
穣子があきらめて再び天井の方に目を向けようとしたそのとき、とつぜん格子窓から一筋の淡い陽の光が差し込んでくる。その光を頼りに、もう一度彼女の方を見てみると、どうやら雛は、微笑みながらこっちの方を眺めていたようで、思わず穣子は、慌てて目をそらしてしまった。
「……な、なんか急に明るくなったわね? ここ」
「そう。この時期は夕方になると日が差すのよ」
「……ああ、そっか。もうそんな時間なのね」
「もう帰るの?」
「そうするわ。暗くなったら寒いし」
「そうだね」
穣子がゆっくりと起き上がると、雛も一緒に立ち上がる。
「そんじゃ、また来るね」
「うん。いつでも待ってるわよ。どうせ暇だし」
「暇なんなら、たまには私の家にも遊びに来なさいよ? きっと姉さんも歓迎してくれるわよ?」
穣子の言葉に雛はほんの一瞬だけ、戸惑ったような表情を見せるが、すぐに笑顔に戻って告げる。
「……うん、わかった。今度行くわね」
「よし! 約束よ! じゃ、またね、雛!」
「バイバイ! みのりん!」
飛び去っていく穣子を眺めながら雛は、お堂の前でくるくると勢いよく回り始める。それは単なる厄集めの儀式だったのか。それとも彼女なりのお見送りのつもりだったのか。あるいは――
いずれにしてもそんな彼女の様子を、穣子が知るよしはなかった。
□
「うひゃ。さむっ!?」
外はすっかり日が陰り、寒気が増していた。どうやら少々長居をしすぎてしまったようだ。さすがに谷底となると、この時期でも日が傾く頃には冬の気配をうっすらと感じさせられる。
「はやく帰んないとこごえしぬっての!」
穣子は谷底から一気に上空へと舞い上がる。
高度が上がるにつれ、空気の冷たさが徐々に和らいでくる。そして、そのまま谷を抜け、一気に視界が広がったと思った次の瞬間、穣子の動きが思わず止まる。
「おぉー……」
彼女が感嘆の声をもらすのも無理はなく、その目の前には、黄昏の黄金色に染まった晩秋の山の景色が広がっていたのだ。
色とりどりの鮮やかな紅葉や、平地に生えた、すすきたちは、時折吹く秋風にはらはらと吹かれながら、夕闇の中へと、ゆるやかに姿を消そうとしている。遠くからは、巣へと帰る烏の鳴き声が聞こえ、その美しくも、どこか物寂しさを抱かせるような情景に、しばし彼女が心を奪われていたそのときだ。
「『山暮れて 紅葉の朱を 奪いけり』とは、よく言ったものね」
声に気づいて穣子が振り返ると、そこには微笑む静葉の姿があった。
「ねーさん? いつのまに?」
「今のまよ。あなたこそこんなところで何してるの」
「あ、いや、別に何でもないわよ。ただ、なんとなくきれいだなーって思って」
「そう」
静葉はふっと笑みを浮かべると、どこか誇らしげに目の前の情景を見つめながらつぶやいた。
「……秋の終わりに相応しい夕景色だわ」
「そうなの……?」
「ええ、晩秋の夕暮れ特有の、この幽玄なる静寂の空間は、これから来るであろう厳しい冬の季節を暗に示している。故に秋は美しくも儚い。そのわびとさびの極地と呼べる、もののあわれの姿に、皆、心を動かされ、魅了されるのよ。……そう、いつの時代も」
そう言って再びふっと笑みを浮かべる静葉に、穣子はいまいち要領を得ない様子で首を傾げながら告げる。
「……うーん。私は、やっぱり収穫した作物を腹いーっぱい食べるのが、何より無上のよろこびだと思うけどねー? 秋は」
「もう、穣子ったら風情がないわね。さすが花より団子。いえ、紅葉よりさつま芋だわ」
「いいでしょ。べつに! 食えないものなんて見ても面白くもなんともないわ! ……あ、そうだ。ねーさん、ねーさん」
「なによ」
「これから、ミスティアの居酒屋行くんだけどさ、ねーさんも一緒にどう? 栗ご飯作るんだってー」
「……あら、いいわね。それじゃ、せっかくだからご一緒しようかしら」
「なーんだ。ねーさんも結局は、秋の味覚楽しみなんじゃん?」
「それはそうよ。今の季節を味わうには、旬のものを食べるのが手っ取り早いもの」
「なんてこと言っちゃってー。本当は単に栗ご飯食べたいだけなんじゃないのー?」
「あなたとはちがうのよ」
「なにをー」
などと言い合いながら二人は、ミスティアの居酒屋を目指し、すでに一番星が輝いている夕闇の中へと姿を消していった。
□
その後、居酒屋に着いた穣子は、美味しい酒と栗ご飯で腹いっぱいに秋を堪能した。酒が美味しかったのはもちろんのこと、お目当ての栗ご飯はというと、味付けこそ塩のみという潔いものだったが、彼女が渋抜きをして、ひとつひとつ丹念に下ごしらえをした山栗と、少し固めに炊いた新米との相性はこの上なく抜群で、それはもう、言葉では言い表せないほどの逸品だった。
ミスティアが言うには、今日採ったとちの実で、今度はとち餅を作ってみるとのことで、ちょうどこれからは新酒の時期とも重なり、これはまた二重に楽しみだと思いながら穣子は、ほろ酔い気分で上機嫌なまま家へと帰った。
□
二人が家の玄関に近づくとなにやら、家の中から人の声が聞こえてくる。どうやら中に誰かいるらしい。
「……ねーさん。なんかいる」
「そうね。ドロボウさんかしら」
「こんな山奥にドロボウなんてやってくるわけないでしょ?」
「そうね。この家に盗まれるようなものなんてないものね。それこそ穣子の高級さつま芋くらいかしら」
「いいから早く入りましょーよ! ドロボウなら追っ払わないと!」
二人が急いで家の中に入ってみると、なにやら家中、変なにおいが充満している。更には囲炉裏のそばで談笑している二つの人影が。二人がそっと近づいてみると、その正体は、なんと文とにとりだった。二人の手元には空になった一升瓶が転がっており、どうやら勝手に上がって晩酌を楽しんでいた様子だ。
「くぉらーー!? あんたら、人んちで何やってんのよー!?」
穣子の大喝一声に、二人は驚いて思わず振り向くが。
「あ! おかえりー!」
「おかえりなさい。もう、二人ともどこ行ってたんですか? 待ってたんですよ?」
と、のんきに手を振ってきたので、穣子は思わず拳をふるわせながら二人に向かって言い放つ。
「あのさぁ!? あんたたちさぁ!? ここは私の家なんだけど!?」
「穣子、私もよ」
「ねーさんは少しだまってて!?」
「まあまあまあ、そんな怒らなくてもいいじゃんよ?」
と、にとりが、赤ら顔で穣子に告げると、負けじと穣子は更に顔を赤くさせて言い返す。
「怒るわよっ!? 勝手にひとんちに上がって! 勝手にひとんちの酒飲んで!」
「いや、だってさー。家開けっぱなしだったんだもん」
「え……?」
「そうですよー。明日休刊日だから一緒に晩酌でもと思って、せっかく肴用意して来てみれば、もう暗くなってるというのに雨戸開けっぱなしになってるわ、二人ともいないわ、あまつさえ、なぜかにとりが一人でぽつんとしてるわ……」
「あらあら、穣子ったら、また家開けっぱなしにしたまま出かけたの」
「うっ……。外の天気がよかったからつい……。ってか、にとり。あんたいつから家にいたのよ?」
「えーと、日暮れよりちょっと前かな? いくら待っても帰ってこないから、ヒマつぶしに、囲炉裏できゅうり焼いてたよ」
よく見ると囲炉裏には串に刺して炙られて、しなしなになったきゅうりが何本も刺さっている。
「あー!? どおりで家の中が青臭いと思った!? せっかく焼き芋の香りで満たしたのに、なんてことすんのよ!?」
「あ! 焼き芋で思い出しましたよ! ちょっと! 穣子さん! ひどいじゃないですか!?」
「な、なにがよ? 文」
すぐさま文は、灰の中に転がっていた焼き芋を手に取ると、穣子に見せつける。
「この焼き芋にくるんである新聞紙! よく見たら今日の新聞じゃないですか!? 数日前の新聞なら、百歩、いや一万歩譲ってまだ許しますけどね。今日の新聞を使うなんて、さすがにちょっとひどすぎませんか!?」
「あ、ああ、それは、ほ、ほら。よく言うじゃない? イモと新聞は熱いうちに食えって……」
「そんなことわざ聞いたことありません! っていうか、新聞食べないでください! あなたはヤギですか!?」
「あらあら、穣子ったらイモの神じゃ飽き足らず、とうとうヤギの神さまにもなるつもりなのね」
「んなわけあるか!?」
などと、わーわーわーわー四人でじゃれ合っているうちに、すっかり夜は更けていき、結局そのままのなりゆきで酒盛りが始まり、それが解散する頃には、すっかり明け方になっていた。
「……はー。やっと静かになったわ」
穣子は半ばうんざり気味な様子で、自分の部屋に戻ると、ふと、今日一日の出来事(もう明日だが)を思い返す。
なんだかわからないが、やたらと濃い一日になったものだと、思わず苦笑を浮かべる。
「……ま、べつにいいけどさ」
穣子はぽつりとつぶやくと、窓へ近づこうとして足を伸ばす。ところがその瞬間、何か丸いのを踏みつけたようで、盛大に足を滑らせると、そのまま床に尻餅をついてしまう。尻餅をついた瞬間、ばきっと何かが割れる音があたりに響いた。
「ぶぎゃっ!?」
尻をさすりながら、穣子が床を見てみると、夕べの木の実たちが無残にも粉々になってしまっていた。
穣子は、そのぱっかりと割れたくるみから中の実を取り出すと、それをひょいと口に放り込み、二、三回ほど咀嚼すると、障子窓から外の様子をのぞいた。
(雛が穣子をみのりん呼びしていたり、秋姉妹が周りから親近感を持って慕われてるのもよきでした)
穣子が結構交友関係広くて驚きました
流石神様