あとがき
本来「まえがき」に書かなければならなかった事を、この「あとがき」に記しましょう。これは著者たちがバロック的な謎めいたスタイルに固執したためで、それ以上の意味は無い。そもそも「まえがき」と「あとがき」とは本来等しい存在であって、さきに読めばさきに読んだなりの、うしろで読めばうしろで読んだなりのものになるべきです。
畜生界に関する確たる史料は少ない。これは、この世界の主たる住民である動物霊が歴史に無頓着だったためでしょう。なにより彼らにとっては自分たち自身が生きた証であり歴史だった。記録のほとんどは、幻想郷側に遺されたものを参照するほかありませんでした。……そうした記録は、当然正しさ以上に恣意的な思想が優先されている事も多い。なにより、かつて漢帝国が周辺の多民族に対して偏見を持ち、ローマ帝国が辺境外の諸族に対して偏見を持っていたように、幻想郷も畜生界に対してなにがしかの偏見を持ちながら記録を残した事は間違いありません。だが、面白い事には、この場合は幻想郷の方がどちらかといえば田舎側であり、畜生界の方が都会的勢力を有していた。田舎側が遺した有力な記録によって曖昧な都会が語られるというのは歴史上まれな事で、わずかに古代オリエントにそうした例はありますが、それとても都会化してしまった田舎による記述にすぎません。
畜生界の勢力についても謎が多く、特に“罠や毒、寄生、擬態、あらゆる卑怯な手段を得意とする動物霊達による正体不明の組織”(こうした鬼面人を嚇す記述にも、幻想郷側からの畜生界という異郷に対する偏見が感じ取れる)については、他の三勢力と比べてもことさらに情報が少ない。新たな史料の発見が望まれています。
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ここからは「まえがき」の性質とは乖離した、「あとがき」らしい事を書く。つまり、ちょっとしたネタばらしと、物語のその後について。
当初この物語を執筆する作業――歴史上の畜生界の一時期を再現し、展開し、破壊すること――にあたる前段階で、著者たちは埴安神袿姫と畜生組織が一時的にせよ協力関係にあって、それが破綻した形跡がある事を、たゆまぬディレクションの中で見出した。もちろん、それはあくまで可能性にすぎないし、この物語は虚構でしかありませんが、まったく同じではなくても似たような事態は間違いなく起きていただろう、と著者たちは考えるのです。
虚構といえば、この物語も、主に幻想郷に遺された記録を下敷きとしている。その上で、史料の少なさを補うべく、現在も畜生界に細々遺っていた埴安神袿姫と杖刀偶磨弓にまつわる逸話を採用しています。記録や語り物といったものを大切にするのは、もっぱら人間霊に特有の性向だ。そして彼らは、袿姫が行った事を自分たちへの救済神話へと発展させていった形跡があります。だが、袿姫は果たしてはなから彼らを救済しようとしていたのだろうか。著者たちは首をかしげざるを得ません。むしろ人間霊たちは、一連の動乱を自分たちの救済神話に仕立て上げていく事で、埴安神袿姫と杖刀偶磨弓の権能を事後承認的に自分たちの後ろ盾としていったのではないか。……結局のところ、その後の畜生界の歴史が証明するように、人間こそ万物の霊長でもなんでもなく獣の王なのでしょう。
補填材として採用した逸話に関しても、正確さより他世界からの神話の模倣や借用が好まれたようで、そのため劇的な場面のいくつかは妙に浮いている。ですが、それこそが神話的効果というものでしょう。
この物語の後、畜生界は幻想郷の介入を誘い込むなどの経過を経て、最終的に変化していく事を選んでいく。畜生組織たちは独自の集団意識を袿姫に解体される事を拒みはしましたが、変化自体はしていくべきだと判断したのでしょう。事実、幻想郷は種族を越えたゆるやかな連帯を持ちつつも、各自の勢力による独自の集団意識も維持し続けた。なにか学ぶところがあったのかもしれません。そのために、畜生組織たちは、スペルカードルールという新秩序の傘の下に身を寄せた。
また、考えようによってはこの出来事が畜生界そのものを確立させた、とも見られます。――それ以前から“いわゆる畜生界”は慣習的に存在していたし、地獄とも確実に区別された世界だった。しかし、畜生界は幻想郷との接触によって、ようやく自分たちの世界を発見したのではないでしょうか。埴安神袿姫が杖刀偶磨弓を再発見する事で自分自身を見出したように。
ともあれ、このような経緯を経て、博麗霊夢と霧雨魔理沙は畜生界の係争にも介入し、この地に事跡を遺す事となりました。著者たちは本来の目的――彼女らの終焉の地を捜索する作業を再開しなければならない。
そのことを前提としたうえで、畜生界のエピソード0として、腰を据えた物語をじっくりと楽しめました。
また、良し悪しは抜きにして、テーマの一つが選挙ということでしたが、今まさに現実世界で騒がれているタイムリーな話題で、それに対する作者の考えやスタンスも見え隠れしていたかなと思います。力作でした!
やっていることは仁義なき総選挙なのに神話の創世記を呼んでいるような気分になりました
一番がんばってた八千慧があんまり報われてなくて、それでもそれが八千慧らしくてよかったです