学校にはいろいろオカルト話が集まるんですよ。みんな多かれ少なかれそういうのが好きですし、ほら、田舎だったからほかに娯楽がろくになかったっていうのもあります。
でもまあ、そういうオカルト話はたいていネットで拾ってきた嘘くさいのだったり、ウケ狙いで適当にでっちあげた作り話が大半で。そういうのも私たちにとっては貴重な娯楽だったんですよね。昼休みとか放課後とか、みんなしてそういう話をして騒いでました。
でも……。
それだけたくさんのオカルト話が集まってくると、たまにあるんですよね……「本物」が。
あ、その顔信じてませんね? ホントなんですって。だって、この事件って結局解決してないんですよ。見つかってないんです、ひとりも。行方不明になった女の子たち。
まあ……話自体は実際よくあるパターンですから信じられないのも無理ないと思いますよ? 毎年ひとりかふたりくらいのペースで、決まって高校生くらいの若い女の子が行方不明になるなんて、別に珍しいオカルト話じゃないですから。でも、さっきも言いましたけどこの話はホントなんです。
それで、行方不明になった子たちには若い女の子って以外にもひとつ共通点があって。
妖怪に出会ってるって言うんですよ。
その妖怪は、川とか沼とか、とにかく水辺近くに出てくるって話で。大きなふたつの目玉の怪物なんだそうです。水辺をひとり歩きしてる女の子がいると、長い舌を伸ばして女の子を捕まえて、大きな口でひと飲みにしちゃうんだとか。
こういう話には尾ひれが付きがちですから、その妖怪の姿や正体はいろいろ想像されてきました。めちゃくちゃ大きなヘビで女の子を丸呑みにするとかね。
妖怪の正体についてはいろんな考察や噂話がありましたけど、どれもはっきりしないものばかりでした。当然ですよね、その妖怪に出会った子はみんな行方不明になってるんですから、目撃証言なんてないんです。
そしてこれも当然なんですが、じゃあその妖怪の正体を確かめてみようってバカなことやり始める子たちが出てくるわけですよ。みんなそういう刺激に飢えてたんですね。
じゃあどうやってその妖怪の正体を確かめるのかって話になるんですが、これは簡単でした。
エサを用意すればいいんですよ。
さっきも言った通り、私が通ってた学校は田舎で、それでまあ閉鎖的な環境で。そんな中で回りと少しでも違う子がいれば、それだけで爪弾きにされていじめのターゲットにされる理由としては十分です。
妖怪の正体を確かめるって息巻いてたクラスの中心グループがそのためのエサに選んだのは、当時クラスに馴染めずに浮いていたひとりの女の子でした。え? 別に特別な理由なんてありませんよ。田舎のいじめなんてそんなもんです。まわりとちょっと違うってだけで十分なんですよ。
で、そのかわいそうな女の子はいじめっ子グループから脅されて、放課後、ずっと怖くて避けてた近くの川のそばをたったひとりで歩かされてました。もう陽も低くなってて、あたりは暗くて。女の子は泣きながら川辺を歩いてました。妖怪なんかでなくても十分怖いシチュエーションですよ。
もちろん都会みたいに街灯なんかありません。女の子は暗い川の側を、灯りもなしにとぼとぼ歩いてました。ただでさえもとから怖がりで臆病だった女の子は、もう草むらから聞こえてくるカエルの鳴き声も怖くて、でもこのまま逃げたら明日から学校でなにをされるかわからないから歩いていくしかありませんでした。
それで……どれくらい歩いのか、袖で涙を拭っていたときに女の子が気づいたんです。だれか……ううん、なにかいるって。
灯りのない暗闇の中なのに、川のほとりになにかがいるのがわかりました。女の子は怖すぎてそこから一歩も動けなくなってました。全身が金縛りにあったみたいにこわばって、怖いのに顔を逸らすことも目をつぶることもできません。
だから女の子は、見ちゃったんです。それを。
丸くて大きな目玉がふたつ、ぼんやりと見えたんです。
怖くて怖くて意識が飛びそうになる中、妖怪だって、女の子は思いました。この妖怪が神隠しの犯人なんだって。
その妖怪はまだ女の子に気づいたようすがないのが幸いでした。女の子は勇気を振り絞って、妖怪に気づかれないように後ずさってそばにある木の陰に隠れました。
でも女の子にできたのはそこまでで。ほら、「蛇に睨まれた蛙」って言葉があるじゃないですか。あれです。女の子は完全に動けなくなってて、叫び声も上げられませんでした。
そのとき、女の子の後ろの方から物音がしました。女の子のあとをいじめっ子グループがつけてきてたんです。女の子を笑い者にするため、逃げないように監視するため、あとはまあ、怖いもの見たさだったんでしょうね。
隠れていたいじめっ子グループにもその妖怪の姿は見えてたんでしょうね。木の陰で動けなくなってる女の子を置いて、いじめっ子グループは悲鳴を上げて逃げていきました。その後ろを、なにかがものすごい勢いで追いかけるのを女の子は見ました。
獲物を追いかけるヘビみたいに見えたそれは……真っ赤な長い舌でした。
その赤い舌は逃げていったいじめっ子グループのほうに向かってどこまでも伸びていって……そして、ものすごいスピードで戻ってきました。いじめっ子グループ全員を巻き取って。
そこで女の子は見たんです。大きな目玉を持ったその妖怪が大きな口を開けたのを。真っ赤な舌と同じ、歯が一本も生えてない真っ赤な口。妖怪はその口で、捕まえたいじめっ子グループをひと飲みにしちゃったんです。
その口が閉じるのを見て、女の子は「ああ、見つかったら次は私が食べられるんだ」って思いました。女の子は必死に両手で口を押さえて木の陰にうずくまっていました。
どのくらいの時間が経ったのか、女の子は恐る恐る川の方を覗き込みました。そこにはもう、いじめっ子グループも妖怪の姿もいなくなってました。木の陰から這い出た女の子は、魂が抜けたみたいになってふらふら歩いて、家に帰りました。
次の日はもう大騒ぎで。もちろんいきなり行方不明になったいじめっ子グループのことでです。特に女の子はいじめっ子グループが行方不明になる直前に一緒にいたってことで、教師や警察から質問攻めにされて、生徒たちからも槍玉に上げられて、あとはお決まりの登校拒否。
そこから女の子はもちろんのこと、その家庭も荒れていきました。当然ですよね。毎日毎日警察やマスコミが家に押しかけてくるし、一歩でも外に出ればそこらじゅうから心ない噂の声が聞こえてくるんだから。
女の子が家どころか自分の部屋からも出られなくなるのには、1ヶ月もかかりませんでしたよ。そのうちいつの間にか母親は出ていって、父親は酒浸りになってろくに家に帰ってこなくなって。そんななかで女の子にできたのは、ずっと布団にくるまってなるべく寝ていることだけでした。女の子の家には人の声がなくなっていきました。
女の子の家がそういう状態になって1ヶ月くらいが経った頃に、変化が起きました。人の声が聞こえるんです。その家にはいるはずのない女の子の声が。
その声は小さくてなにを言っているのかはよくわからなかったけど、「あれはちがった」「これもちがった」って言ってるように聞こえました。
幻聴なんじゃないかって疑うだけの正気はまだ女の子には残っていました。でも、それでどうにかしようって思えるだけの気力は残ってませんでした。女の子は布団の中にも忍び寄ってくるようなその謎の声を振り払うこともできずに引きこもってました。
幻聴の次に幻覚が見え始めたのは、三日もしないうちでした。でも、そのときはもう女の子にはまともな時間の感覚は残ってなかったから、どのくらいの時間が経っているかはもうわかりません。
幻覚は、あのとき川で見た妖怪の姿をしていました。大きなふたつの目玉と真っ赤な長い舌が、ずっと灯りを着けてない部屋の隅にぼんやりと見えました。
もうその時には女の子には叫び声を上げるような気力も残ってなくて、ああ、私はもうだめだ、って頭の隅で思うのが精一杯でした。逃げるなんて発想はもうありません。
でも、その妖怪は女の子に襲いかかるでもなく、じっと部屋の隅からぼんやりした姿で女の子のほうを見ているだけ。
もうほとんど正気を失っていたというか、まともな精神状態じゃなかったその女の子は、部屋の隅にぼんやりと見える妖怪に向かって話しかけたんです。「あなた、だれなの」って。
もちろん女の子は返事が返ってくるなんて思ってませんでしたけど……返ってきたんです、返事が。幻聴と同じ、聞いたこともない女の子の声でした。
大きな目玉の妖怪の影は、真っ赤な長い舌を揺らめかせながら答えました。「わるい神さまだよ」って。
返事が返ってきたせいか、朦朧としてた女の子の意識が少しずつはっきりしてきました。それで女の子は、その妖怪……わるい神さまに聞きました。どうして女の子ばかりを襲っているの?って。
神さまは女の子の質問に、けろけろけろ、ってカエルみたいな笑い声で答えました。うれしそうに。
笑いながら、妖怪は答えました。探してるんだ、って。
今までたくさんの女の子をさらってきたけど、どれも違った。探している子じゃなかった。そういって妖怪はまた、けろけろけろ、ってカエルみたいな声で笑いました。
あのときのいじめっ子たちはどうしたの? 今までさらってきたって女の子はどうしたのって聞くと、神さまは、みいんな妖怪どものエサにしてやったよ、と答えて、またけろけろ笑いました。
その笑い声が怖くて、女の子はシーツを引っ張り上げて頭から被りました。
「お前かもしれない」その声はシーツのすぐ向こうから聞こえてきました。女の子は怖くて、あんまり怖すぎて、そっとシーツの隙間から声の方を見上げちゃったんです。
そこにいたのは……小さな女の子でした。目玉みたいな鈴がふたつついた、大きな帽子を被った女の子が、床にしゃがみこんでいたんです。
「お前かもしれない」さっき聞いたのと同じ声で、その帽子の女の子の姿をした神さまは言いました。さっきまで妖怪に見えていた影が、自分を「わるい神さま」だと言った妖怪がそんな姿をしていたなんて、女の子には信じられませんでした。
「こっちに来ないかい」神さまはそう言いました。でも、女の子には「こっち」がいったいどこのことかわかりません。
そんな女の子の頭の中を読み取ったように、神さまは言いました。
「お前だって、もうこんなところにはいたくないだろう?」
その通りでした。
もうその家の……ううん、女の子が知っている世界のどこにも、その子の居場所はありませんでした。自分が閉じこもっている部屋も、頭からかぶっている布団の中も、女の子の居場所じゃありませんでした。
神さまはもういちど、「こっちへ来ないかい」って言いました。女の子にはまだ神様の言う「こっち」がどこのことかはわかりませんでしたけど、この世界よりはましだろうなって、女の子は思いました。
女の子は神さまに聞きました。今までさらってきた女の子たちも、「そっち」に行ったの?って。神さまは悲しそうな顔でうなづきました。
「でも、だめだったんだ」恐ろしい妖怪で、自分のことを「わるい神さま」だというその神さまは、まるでお気に入りのおもちゃをなくした子どもみたいな顔をしてました。「今までさらってきたどの子も、だめだった。わたしが探してる子じゃなかった」神さまはそう言いました。
「でも……」神さまのはずなのにすがるような視線で女の子を見上げて、その神さまは言いました。「お前かもしれない。わたしがずっと探してたのは、お前かもしれない」って。
この世界のどこにも居場所がなくなって、意識もまともじゃなくなりかけてた女の子の耳に、その言葉ははっきり聞こえました。
女の子はふらふらと布団の中から、すっかりやせ細った手を伸ばしました。今、自分は死にかけていて、目の前にいる神さまはただの幻覚だっていう考えがぼんやりした頭の隅をかすめましたけど、もうそんなことはどうでもよくなってました。
「そっちに連れて行って」女の子はかすれてろくに聞こえない声で、それでもそう言いました。
ここ以外の世界があるなら、ここ以外の世界に行けるなら、どこでもいい。そしてもういっそ、自分でなくなってしまってもいい。毎日心無い言葉にさらされて、家庭は崩壊して、学校ではいじめにあって誰も助けてはくれない。そんな自分でいたくない。
目の前の神さまは……うれしそうに笑いました。「やっぱりお前だった。ふさわしいのはお前だった」。神様はそう言ってけろけろと笑いました。
神さまは女の子が伸ばした手を取りました。なんだかもう、100万年くらいぶりに触れた気がする、他人の手でした。その手に導かれて、女の子は――「あっち」に行ってしまったんです。
警察の捜索はしばらく続きましたが、そのうち捜査は打ち切られました。そして、その女の子を最後に、その村でずっと起こっていた失踪事件はぴたりとなくなりました。母親は失踪してましたし、警察が踏み込んだときには酒浸りだった父親は死んでました。女の子の家は取り壊されて、そしてその村ではだんだん失踪事件のことも、最後にいなくなった女の子のこともだんだん忘れられていきました。
「――そして村ではそれを最後に失踪事件が起こることはなく、村には平和が戻ったのでした! ハッピーエンド!」
そう言って大げさに両手を広げて見せる早苗に、霊夢と魔理沙はしらけ顔。
霊夢、魔理沙、そして早苗の三人はいつものように博麗神社で飲み会を行っていたのでが、飲んでいるうちになぜか怪談をする流れになっていたのだった。
「いやお前、なんで怪談してたのに最後がハッピーエンドなんだよ」
「それに結局、その妖怪だか神さまだかって何者だったの?」
「おふたりともわかってませんねえ……」
霊夢と魔理沙の文句を涼しい顔で聞き流しつつ、早苗は得意顔で続ける。
「少なくとも、女の子はいちばんつらい世界から脱出することができたので彼女的にはハッピーなんですよ。それに、こういうお話の妖怪とか神さまとかは最後まで正体不明なのがいいんですって」
「そんなもんかね……」
「そうなんですって!」
魔理沙と早苗がそう言い合っていると、境内の方から声が聞こえた。
「おーい、早苗ー。ごはんだよー!」
「お、早苗、保護者が迎えに来たぜ」
そう言ってからかう魔理沙にあっかんべーをして、早苗は迎えに来た諏訪子といっしょに帰っていった。
陽が落ちる中、仲よさげに手を繋いで帰っていく早苗と諏訪子を羨ましそうに眺めている魔理沙に、霊夢は酒を注いだお猪口を押し付ける。
それをちびちびやりながら、魔理沙は霊夢に話しかけた。
「なあ霊夢、さっきの話」
「早苗のヨタ話がどうしたってのよ」
「あれ、ハッピーエンドなのか?」
「私に聞くんじゃないわよ。まあ、異変が起きなくなったってんならその点はハッピーなんじゃないの?」
「そうじゃなくてさ……」
魔理沙はお猪口を飲み干して続ける。
「早苗は、『女の子はいちばんつらい世界から脱出することができたからハッピーエンド』って言ってたけどさ、それってほんとにハッピーなのかな。いくらひどい目にあってたからって、自分がもといた世界を捨てるって、本当に幸福なことだったのか? それにその女の子は、結局元の世界じゃその子は忘れられちゃったんだろ?」
「さあね……」
霊夢はため息混じりに、そっけない口調で答えた。
「ハッピーかどうかなんてわかんないわよ。本人たちじゃなきゃ」
「……でね、霊夢さんったらほんとおかしくて!」
守矢神社への帰り道。早苗は諏訪子に博麗神社での出来事を楽しそうに話していた。隣で聞いている諏訪子も、楽しそうに頷きながら話を聞いている。
「早苗は、こっちの世界に来てほんとに楽しそうだね」
「はい! 友達もできたし、妖怪退治も面白いし……それに」
ちょっと照れたふうに笑って、早苗は続けた。
「なんてったって、諏訪子さまや神奈子さまといっしょにいられるんですから!」
「そうかい、そうだね……」
ちょっと照れたふうにそう返す諏訪子に、早苗はじゃれつくようにして抱きついた。背格好は諏訪子のほうが小さいが、早苗の表情は子どものように幼い。
「ほんと、こっちの世界に来てよかったなあ! あっちの世界は……」
そこまで口にした早苗の顔が、時間が止まったかのようにこわばった。その口から、「え……?」という声が漏れた。
「え……? え……? 『あっちの世界』って、なんのこと……? 私、なにを言って……?」
さっきまで無邪気に笑っていた早苗の顔色は青ざめている。歯をカチカチと震わせながら、早苗は隣りにいる諏訪子に恐怖に揺れる視線を向けた。
「あなた、だれ?」
瞬間、地中から石でできた巨大なふたつの手のが早苗を挟み込むように現れた。ばしん!という音とともに両手が合掌される。一拍遅れて、地面にじわりと血だまりが広がった。
「あーあ……」
ひとり残された諏訪子は嘆息した。その足元に血が幾筋も流れてくる。
「今度はうまくいくと思ったんだけどな……」
低い地響きとともに石でできた手のひらが地面に消えたときには、そのあいだに広がっていた血溜まりは地面に吸い込まれるようにしてすっかり消えていた。あとに残ったのは、ひとり立ち尽くす祟り神だけ。
なにかを思い出すように。諏訪子は夕闇の迫る空を仰いだ。懐を探り、小さなカードのようなものを取り出す。学生証だった。「東風谷早苗」と書いてあるその学生証は、ところどころに汚れがこびりついている。血痕だった。
「早苗、あんたの代わりはなかなか見つからないよ。これも、あのときあんたを助けてあげられなかった罰なのかねえ」
祟り神は、けろけろけろ、とカエルのような小さな声で力なく笑った。その脳裏には、学生証の血痕と同じようにこびりついている。あのときの記憶。
爽やかな朝の空気。甲高いブレーキ音。衝突音。アスファルトに広がる血溜まり。血溜まりの中に倒れて動かないセーラー服の少女。
神でありながら、なにもできなかった。神だからこそ、神に助けを求められなかった。
そして神だからこそ、神らしい狂い方を諏訪子はした。あるいは、祟り神らしい行動を。
「あーあ……」
血で汚れた学生証に頬を擦り寄せながら、祟り神は囁く。
「また、探しに行かなきゃな……」
でもまあ、そういうオカルト話はたいていネットで拾ってきた嘘くさいのだったり、ウケ狙いで適当にでっちあげた作り話が大半で。そういうのも私たちにとっては貴重な娯楽だったんですよね。昼休みとか放課後とか、みんなしてそういう話をして騒いでました。
でも……。
それだけたくさんのオカルト話が集まってくると、たまにあるんですよね……「本物」が。
あ、その顔信じてませんね? ホントなんですって。だって、この事件って結局解決してないんですよ。見つかってないんです、ひとりも。行方不明になった女の子たち。
まあ……話自体は実際よくあるパターンですから信じられないのも無理ないと思いますよ? 毎年ひとりかふたりくらいのペースで、決まって高校生くらいの若い女の子が行方不明になるなんて、別に珍しいオカルト話じゃないですから。でも、さっきも言いましたけどこの話はホントなんです。
それで、行方不明になった子たちには若い女の子って以外にもひとつ共通点があって。
妖怪に出会ってるって言うんですよ。
その妖怪は、川とか沼とか、とにかく水辺近くに出てくるって話で。大きなふたつの目玉の怪物なんだそうです。水辺をひとり歩きしてる女の子がいると、長い舌を伸ばして女の子を捕まえて、大きな口でひと飲みにしちゃうんだとか。
こういう話には尾ひれが付きがちですから、その妖怪の姿や正体はいろいろ想像されてきました。めちゃくちゃ大きなヘビで女の子を丸呑みにするとかね。
妖怪の正体についてはいろんな考察や噂話がありましたけど、どれもはっきりしないものばかりでした。当然ですよね、その妖怪に出会った子はみんな行方不明になってるんですから、目撃証言なんてないんです。
そしてこれも当然なんですが、じゃあその妖怪の正体を確かめてみようってバカなことやり始める子たちが出てくるわけですよ。みんなそういう刺激に飢えてたんですね。
じゃあどうやってその妖怪の正体を確かめるのかって話になるんですが、これは簡単でした。
エサを用意すればいいんですよ。
さっきも言った通り、私が通ってた学校は田舎で、それでまあ閉鎖的な環境で。そんな中で回りと少しでも違う子がいれば、それだけで爪弾きにされていじめのターゲットにされる理由としては十分です。
妖怪の正体を確かめるって息巻いてたクラスの中心グループがそのためのエサに選んだのは、当時クラスに馴染めずに浮いていたひとりの女の子でした。え? 別に特別な理由なんてありませんよ。田舎のいじめなんてそんなもんです。まわりとちょっと違うってだけで十分なんですよ。
で、そのかわいそうな女の子はいじめっ子グループから脅されて、放課後、ずっと怖くて避けてた近くの川のそばをたったひとりで歩かされてました。もう陽も低くなってて、あたりは暗くて。女の子は泣きながら川辺を歩いてました。妖怪なんかでなくても十分怖いシチュエーションですよ。
もちろん都会みたいに街灯なんかありません。女の子は暗い川の側を、灯りもなしにとぼとぼ歩いてました。ただでさえもとから怖がりで臆病だった女の子は、もう草むらから聞こえてくるカエルの鳴き声も怖くて、でもこのまま逃げたら明日から学校でなにをされるかわからないから歩いていくしかありませんでした。
それで……どれくらい歩いのか、袖で涙を拭っていたときに女の子が気づいたんです。だれか……ううん、なにかいるって。
灯りのない暗闇の中なのに、川のほとりになにかがいるのがわかりました。女の子は怖すぎてそこから一歩も動けなくなってました。全身が金縛りにあったみたいにこわばって、怖いのに顔を逸らすことも目をつぶることもできません。
だから女の子は、見ちゃったんです。それを。
丸くて大きな目玉がふたつ、ぼんやりと見えたんです。
怖くて怖くて意識が飛びそうになる中、妖怪だって、女の子は思いました。この妖怪が神隠しの犯人なんだって。
その妖怪はまだ女の子に気づいたようすがないのが幸いでした。女の子は勇気を振り絞って、妖怪に気づかれないように後ずさってそばにある木の陰に隠れました。
でも女の子にできたのはそこまでで。ほら、「蛇に睨まれた蛙」って言葉があるじゃないですか。あれです。女の子は完全に動けなくなってて、叫び声も上げられませんでした。
そのとき、女の子の後ろの方から物音がしました。女の子のあとをいじめっ子グループがつけてきてたんです。女の子を笑い者にするため、逃げないように監視するため、あとはまあ、怖いもの見たさだったんでしょうね。
隠れていたいじめっ子グループにもその妖怪の姿は見えてたんでしょうね。木の陰で動けなくなってる女の子を置いて、いじめっ子グループは悲鳴を上げて逃げていきました。その後ろを、なにかがものすごい勢いで追いかけるのを女の子は見ました。
獲物を追いかけるヘビみたいに見えたそれは……真っ赤な長い舌でした。
その赤い舌は逃げていったいじめっ子グループのほうに向かってどこまでも伸びていって……そして、ものすごいスピードで戻ってきました。いじめっ子グループ全員を巻き取って。
そこで女の子は見たんです。大きな目玉を持ったその妖怪が大きな口を開けたのを。真っ赤な舌と同じ、歯が一本も生えてない真っ赤な口。妖怪はその口で、捕まえたいじめっ子グループをひと飲みにしちゃったんです。
その口が閉じるのを見て、女の子は「ああ、見つかったら次は私が食べられるんだ」って思いました。女の子は必死に両手で口を押さえて木の陰にうずくまっていました。
どのくらいの時間が経ったのか、女の子は恐る恐る川の方を覗き込みました。そこにはもう、いじめっ子グループも妖怪の姿もいなくなってました。木の陰から這い出た女の子は、魂が抜けたみたいになってふらふら歩いて、家に帰りました。
次の日はもう大騒ぎで。もちろんいきなり行方不明になったいじめっ子グループのことでです。特に女の子はいじめっ子グループが行方不明になる直前に一緒にいたってことで、教師や警察から質問攻めにされて、生徒たちからも槍玉に上げられて、あとはお決まりの登校拒否。
そこから女の子はもちろんのこと、その家庭も荒れていきました。当然ですよね。毎日毎日警察やマスコミが家に押しかけてくるし、一歩でも外に出ればそこらじゅうから心ない噂の声が聞こえてくるんだから。
女の子が家どころか自分の部屋からも出られなくなるのには、1ヶ月もかかりませんでしたよ。そのうちいつの間にか母親は出ていって、父親は酒浸りになってろくに家に帰ってこなくなって。そんななかで女の子にできたのは、ずっと布団にくるまってなるべく寝ていることだけでした。女の子の家には人の声がなくなっていきました。
女の子の家がそういう状態になって1ヶ月くらいが経った頃に、変化が起きました。人の声が聞こえるんです。その家にはいるはずのない女の子の声が。
その声は小さくてなにを言っているのかはよくわからなかったけど、「あれはちがった」「これもちがった」って言ってるように聞こえました。
幻聴なんじゃないかって疑うだけの正気はまだ女の子には残っていました。でも、それでどうにかしようって思えるだけの気力は残ってませんでした。女の子は布団の中にも忍び寄ってくるようなその謎の声を振り払うこともできずに引きこもってました。
幻聴の次に幻覚が見え始めたのは、三日もしないうちでした。でも、そのときはもう女の子にはまともな時間の感覚は残ってなかったから、どのくらいの時間が経っているかはもうわかりません。
幻覚は、あのとき川で見た妖怪の姿をしていました。大きなふたつの目玉と真っ赤な長い舌が、ずっと灯りを着けてない部屋の隅にぼんやりと見えました。
もうその時には女の子には叫び声を上げるような気力も残ってなくて、ああ、私はもうだめだ、って頭の隅で思うのが精一杯でした。逃げるなんて発想はもうありません。
でも、その妖怪は女の子に襲いかかるでもなく、じっと部屋の隅からぼんやりした姿で女の子のほうを見ているだけ。
もうほとんど正気を失っていたというか、まともな精神状態じゃなかったその女の子は、部屋の隅にぼんやりと見える妖怪に向かって話しかけたんです。「あなた、だれなの」って。
もちろん女の子は返事が返ってくるなんて思ってませんでしたけど……返ってきたんです、返事が。幻聴と同じ、聞いたこともない女の子の声でした。
大きな目玉の妖怪の影は、真っ赤な長い舌を揺らめかせながら答えました。「わるい神さまだよ」って。
返事が返ってきたせいか、朦朧としてた女の子の意識が少しずつはっきりしてきました。それで女の子は、その妖怪……わるい神さまに聞きました。どうして女の子ばかりを襲っているの?って。
神さまは女の子の質問に、けろけろけろ、ってカエルみたいな笑い声で答えました。うれしそうに。
笑いながら、妖怪は答えました。探してるんだ、って。
今までたくさんの女の子をさらってきたけど、どれも違った。探している子じゃなかった。そういって妖怪はまた、けろけろけろ、ってカエルみたいな声で笑いました。
あのときのいじめっ子たちはどうしたの? 今までさらってきたって女の子はどうしたのって聞くと、神さまは、みいんな妖怪どものエサにしてやったよ、と答えて、またけろけろ笑いました。
その笑い声が怖くて、女の子はシーツを引っ張り上げて頭から被りました。
「お前かもしれない」その声はシーツのすぐ向こうから聞こえてきました。女の子は怖くて、あんまり怖すぎて、そっとシーツの隙間から声の方を見上げちゃったんです。
そこにいたのは……小さな女の子でした。目玉みたいな鈴がふたつついた、大きな帽子を被った女の子が、床にしゃがみこんでいたんです。
「お前かもしれない」さっき聞いたのと同じ声で、その帽子の女の子の姿をした神さまは言いました。さっきまで妖怪に見えていた影が、自分を「わるい神さま」だと言った妖怪がそんな姿をしていたなんて、女の子には信じられませんでした。
「こっちに来ないかい」神さまはそう言いました。でも、女の子には「こっち」がいったいどこのことかわかりません。
そんな女の子の頭の中を読み取ったように、神さまは言いました。
「お前だって、もうこんなところにはいたくないだろう?」
その通りでした。
もうその家の……ううん、女の子が知っている世界のどこにも、その子の居場所はありませんでした。自分が閉じこもっている部屋も、頭からかぶっている布団の中も、女の子の居場所じゃありませんでした。
神さまはもういちど、「こっちへ来ないかい」って言いました。女の子にはまだ神様の言う「こっち」がどこのことかはわかりませんでしたけど、この世界よりはましだろうなって、女の子は思いました。
女の子は神さまに聞きました。今までさらってきた女の子たちも、「そっち」に行ったの?って。神さまは悲しそうな顔でうなづきました。
「でも、だめだったんだ」恐ろしい妖怪で、自分のことを「わるい神さま」だというその神さまは、まるでお気に入りのおもちゃをなくした子どもみたいな顔をしてました。「今までさらってきたどの子も、だめだった。わたしが探してる子じゃなかった」神さまはそう言いました。
「でも……」神さまのはずなのにすがるような視線で女の子を見上げて、その神さまは言いました。「お前かもしれない。わたしがずっと探してたのは、お前かもしれない」って。
この世界のどこにも居場所がなくなって、意識もまともじゃなくなりかけてた女の子の耳に、その言葉ははっきり聞こえました。
女の子はふらふらと布団の中から、すっかりやせ細った手を伸ばしました。今、自分は死にかけていて、目の前にいる神さまはただの幻覚だっていう考えがぼんやりした頭の隅をかすめましたけど、もうそんなことはどうでもよくなってました。
「そっちに連れて行って」女の子はかすれてろくに聞こえない声で、それでもそう言いました。
ここ以外の世界があるなら、ここ以外の世界に行けるなら、どこでもいい。そしてもういっそ、自分でなくなってしまってもいい。毎日心無い言葉にさらされて、家庭は崩壊して、学校ではいじめにあって誰も助けてはくれない。そんな自分でいたくない。
目の前の神さまは……うれしそうに笑いました。「やっぱりお前だった。ふさわしいのはお前だった」。神様はそう言ってけろけろと笑いました。
神さまは女の子が伸ばした手を取りました。なんだかもう、100万年くらいぶりに触れた気がする、他人の手でした。その手に導かれて、女の子は――「あっち」に行ってしまったんです。
警察の捜索はしばらく続きましたが、そのうち捜査は打ち切られました。そして、その女の子を最後に、その村でずっと起こっていた失踪事件はぴたりとなくなりました。母親は失踪してましたし、警察が踏み込んだときには酒浸りだった父親は死んでました。女の子の家は取り壊されて、そしてその村ではだんだん失踪事件のことも、最後にいなくなった女の子のこともだんだん忘れられていきました。
「――そして村ではそれを最後に失踪事件が起こることはなく、村には平和が戻ったのでした! ハッピーエンド!」
そう言って大げさに両手を広げて見せる早苗に、霊夢と魔理沙はしらけ顔。
霊夢、魔理沙、そして早苗の三人はいつものように博麗神社で飲み会を行っていたのでが、飲んでいるうちになぜか怪談をする流れになっていたのだった。
「いやお前、なんで怪談してたのに最後がハッピーエンドなんだよ」
「それに結局、その妖怪だか神さまだかって何者だったの?」
「おふたりともわかってませんねえ……」
霊夢と魔理沙の文句を涼しい顔で聞き流しつつ、早苗は得意顔で続ける。
「少なくとも、女の子はいちばんつらい世界から脱出することができたので彼女的にはハッピーなんですよ。それに、こういうお話の妖怪とか神さまとかは最後まで正体不明なのがいいんですって」
「そんなもんかね……」
「そうなんですって!」
魔理沙と早苗がそう言い合っていると、境内の方から声が聞こえた。
「おーい、早苗ー。ごはんだよー!」
「お、早苗、保護者が迎えに来たぜ」
そう言ってからかう魔理沙にあっかんべーをして、早苗は迎えに来た諏訪子といっしょに帰っていった。
陽が落ちる中、仲よさげに手を繋いで帰っていく早苗と諏訪子を羨ましそうに眺めている魔理沙に、霊夢は酒を注いだお猪口を押し付ける。
それをちびちびやりながら、魔理沙は霊夢に話しかけた。
「なあ霊夢、さっきの話」
「早苗のヨタ話がどうしたってのよ」
「あれ、ハッピーエンドなのか?」
「私に聞くんじゃないわよ。まあ、異変が起きなくなったってんならその点はハッピーなんじゃないの?」
「そうじゃなくてさ……」
魔理沙はお猪口を飲み干して続ける。
「早苗は、『女の子はいちばんつらい世界から脱出することができたからハッピーエンド』って言ってたけどさ、それってほんとにハッピーなのかな。いくらひどい目にあってたからって、自分がもといた世界を捨てるって、本当に幸福なことだったのか? それにその女の子は、結局元の世界じゃその子は忘れられちゃったんだろ?」
「さあね……」
霊夢はため息混じりに、そっけない口調で答えた。
「ハッピーかどうかなんてわかんないわよ。本人たちじゃなきゃ」
「……でね、霊夢さんったらほんとおかしくて!」
守矢神社への帰り道。早苗は諏訪子に博麗神社での出来事を楽しそうに話していた。隣で聞いている諏訪子も、楽しそうに頷きながら話を聞いている。
「早苗は、こっちの世界に来てほんとに楽しそうだね」
「はい! 友達もできたし、妖怪退治も面白いし……それに」
ちょっと照れたふうに笑って、早苗は続けた。
「なんてったって、諏訪子さまや神奈子さまといっしょにいられるんですから!」
「そうかい、そうだね……」
ちょっと照れたふうにそう返す諏訪子に、早苗はじゃれつくようにして抱きついた。背格好は諏訪子のほうが小さいが、早苗の表情は子どものように幼い。
「ほんと、こっちの世界に来てよかったなあ! あっちの世界は……」
そこまで口にした早苗の顔が、時間が止まったかのようにこわばった。その口から、「え……?」という声が漏れた。
「え……? え……? 『あっちの世界』って、なんのこと……? 私、なにを言って……?」
さっきまで無邪気に笑っていた早苗の顔色は青ざめている。歯をカチカチと震わせながら、早苗は隣りにいる諏訪子に恐怖に揺れる視線を向けた。
「あなた、だれ?」
瞬間、地中から石でできた巨大なふたつの手のが早苗を挟み込むように現れた。ばしん!という音とともに両手が合掌される。一拍遅れて、地面にじわりと血だまりが広がった。
「あーあ……」
ひとり残された諏訪子は嘆息した。その足元に血が幾筋も流れてくる。
「今度はうまくいくと思ったんだけどな……」
低い地響きとともに石でできた手のひらが地面に消えたときには、そのあいだに広がっていた血溜まりは地面に吸い込まれるようにしてすっかり消えていた。あとに残ったのは、ひとり立ち尽くす祟り神だけ。
なにかを思い出すように。諏訪子は夕闇の迫る空を仰いだ。懐を探り、小さなカードのようなものを取り出す。学生証だった。「東風谷早苗」と書いてあるその学生証は、ところどころに汚れがこびりついている。血痕だった。
「早苗、あんたの代わりはなかなか見つからないよ。これも、あのときあんたを助けてあげられなかった罰なのかねえ」
祟り神は、けろけろけろ、とカエルのような小さな声で力なく笑った。その脳裏には、学生証の血痕と同じようにこびりついている。あのときの記憶。
爽やかな朝の空気。甲高いブレーキ音。衝突音。アスファルトに広がる血溜まり。血溜まりの中に倒れて動かないセーラー服の少女。
神でありながら、なにもできなかった。神だからこそ、神に助けを求められなかった。
そして神だからこそ、神らしい狂い方を諏訪子はした。あるいは、祟り神らしい行動を。
「あーあ……」
血で汚れた学生証に頬を擦り寄せながら、祟り神は囁く。
「また、探しに行かなきゃな……」
早苗の代わりとなる存在を創り続けていた狂気にゾクッとしました。
面白かったです。
語りの口調も迫力があり、とっても良いお話でした
神様のいい意味での雑さと無慈悲さがとてもよかったです
諏訪子がただの恐ろしい怪異というだけでないのも良かった。面白かったです。