Coolier - 新生・東方創想話

枷と共に巣立つ

2024/11/01 17:18:40
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 慧ノ子は香霖堂にやって来るなり巨大なトラバサミを二つ卓上に置いた。店主は一瞬新聞から顔を離し眉を少し動かしたが、入ってきたのが慧ノ子だと気が付いた途端、まるで客がいないかのようなそっけない態度に戻った。
「修理かい」
「そう。今回もよろしく頼むわ」
 こんな態度だが、慧ノ子からしてみれば毎回きちんと直してくれるし、霖之助からしてみればまともな客というだけでトップクラスの上客だしと、互いに関係性は決して悪くはないのだった。つっけんどんな応答は、ビジネスライク以上の交友関係を持とうとせず仮に持とうという意志があったとしてもその手法を知らない霖之助の性格と、それになんとなく合わせている慧ノ子の方針に起因するものである。
 そんな二人が時々にでも同じ屋根の下にいてそっけないながらも会話を交わすに至ったのは、一つには互いの行動半径が重なっていたという理由からである。慧ノ子は基本的に魔法の森から出ようとしないから、罠のトラブルは森でほぼ唯一の道具屋の香霖堂に持ち込まれるのが必然となる(ほぼなのは、魔理沙も道具の修理を取り扱わなくはないから道具屋にカウントできなくもないからである。ただこちらは店として一切信用ならないので、魔理沙がいたとて香霖堂が「森に二軒の道具屋のうちの一つ」まで価値を減ずることはない)。香霖堂の存在を知って以来、持っている二組の巨大罠のうちどちらかが壊れたらもう一方に取り替えて壊れた方を修理に出すというローテーションが慧ノ子の習慣となった。
 霖之助は慧ノ子のことを非常に惜しい客と評価していた。繰り返すが、取引をしてくれるというだけで順位は相当上。その中でも店をまるで自分の家かのように私物化する連中と違って客としての距離感をわきまえている性格のよさまで兼ね備えている。ただ一点、非常に残念なことに慧ノ子は金を持っていない。極めて面倒くさい性格の代わりに気前がいい客の八雲紫とはある意味対極をなす。
 聞けば山犬から人型になって日が浅いとのことなので、貨幣経済に馴染んでいないのは仕方のないことではある。と思いきやヤクザ組織の組員に就職しているらしいのだが、そこがよほどのブラックと見えて仕事している割には財布にまとまった金を入れているのを見たことがない。安定した職に就いていない魔理沙の方がまだ金持ちに見える程である。どっちにしろ暴力団関係者から金を毟り取ったら背後から何をされるか分かったものではないので気持ちばかりの金と、古いトラバサミをスクラップとして貰うという条件で霖之助は仕事を受けることにしている。
 そのトラバサミだが、道具マニアを自認する身として自分で驚くくらい心が惹かれない。これもまた慧ノ子は物を持っていないという負の評価に影響している。
 最初は手の動きに連動して開閉するという機能面に興奮していたが、いざ調べてみるとごく単純な魔術的技法に基づくものでしかなかったし、手元の動きに連動するのは高枝切り鋏だってそうじゃないかと我に返った。興味の失い方が尋常じゃなかったので、例えば盗難防止を目的として興味を逸らす呪法が施されているのではないかと考えたこともある。が、呪法にしろ非異常にしろ、現に興味関心が向かないというのはどうしようもない。鑑定しても、これは慧ノ子にしか装備できない武器以上のものではないのだ。
 仮に材質が希少金属ならスクラップに使い手が出るが、これとて基本的に只の鉄である。霖之助は今回も歯が全体的に削れ一部は折れて、ところどころ錆び始めたくすんだ赤色のトラバサミを退屈そうに検分する。どうしたって鉄では性能の限界があるのだろう。一時期鉄は鉄でも地獄産の鉄になっていたことがあった。どうも慧ノ子がいた環境に応じて材質の一部が置換されるらしい。霖之助は運良く緋々色金にでもなってくれないかなあと毎回思い、そんな即物的な欲が自分にまだあったことに自分で驚く。仮に緋々色金になっていたら慧ノ子に最近どこで過ごしていたか聞き採掘に向かおうなどと捕らぬ狸の皮算用すらするのだ。
 狸は今回も捕れそうにないと、霖之助はトラバサミをぞんざいに持ち上げて床の空いているところに置いた。
「三日後にまた来なさい。いつもながら代金はそのときに貰うよ」
「頼んだわよー」
 そして慧ノ子が来店してから五分も経たぬうちに、元の閑古鳥が鳴く店へと戻る。


***


 慧ノ子と霖之助に関係ができたもう一つの要因は霧雨魔理沙という共通の知人の存在である。慧ノ子が初めて霖之助の店に来たのは魔理沙の紹介によってだった。慧ノ子が魔理沙の知り合いと知った霖之助は、どんな賊かと当初ひどく警戒していた。
 霖之助はこんなんだし、慧ノ子もこんな店主にどういう話題を振ればよいものか分からないままだから、たまに世間話になるときは確実な共通項として当たり障りのない天気の話か魔理沙の話かと相場が決まる。
「最近魔理沙はここに入り浸っているんだって?」
「自宅じゃ寒いと言ってね。ああでも今はいないよ。『食料が尽きたから確保しに行ってくる』と言って半日前に出て行った」
「熊みたいね」
「どっちかというと鼠だよ。自分が食べる分は持ってくるから問題ないと言いつつ、実際には僕の備蓄も食われるからね」
 慧ノ子は苦笑し霖之助は呆れ顔になった。
 今は冬の終わりである。気温の底を抜けてしばらく経つが、幻想郷、とりわけ魔法の森の気候が気候なので未だに毎朝雪かきをしないと家に閉じ込められる程度には積雪がある。逆に家を数日空けてしまうと雪解けまで戻るのが凄まじく面倒になるので、今冬の魔理沙が香霖堂を住処にしたのはそういう事情があるのかもしれない。
「でも魔理沙の家って確か床暖房がなかった?」
「魔理沙の家がどうなってるか君も知ってるだろ? 足の踏み場もないほど物で散らかっているんだ。床のガラクタは暖まるだろうが床が塞がれているんじゃ部屋は暖まらないだろうね。だから整理をしろと」
 と、本来は十倍の広さがあるだろう床面積を大量の在庫と非売品で四畳半に減じている道具屋の店主は言う。部屋の体積が切り詰められているので暖房の効きはいい。部屋の暖かさに整理整頓の習慣は関係なく、関係があるのは暖房の種類の方ではないかと慧ノ子は思った。
「多分お互い様よ。それはそうと今回もよろしく」
 慧ノ子は古いトラバサミを霖之助に渡し、彼はそれを床に置いたので四畳半の半部分が居住不可能になった。
「ああ……。魔理沙といえば、今回は済まないが一週間ほど待ってくれないか?」
「待つのはいいけれど、『魔理沙といえば』って、どゆこと?」
「そういえば言ってなかったか。実は、トラバサミの修理をしていたのは僕一人じゃないんだ。マジックアイテムでない部分に関しては僕の修行先の道具屋、魔理沙の親父さんなんだが、そっちの方が腕がいいからそちらに任せていてね。ところがこの親父さんが風邪をひいてしまった。治るまでは仕事を回すわけにはいかないから君さえよければ回復待ちというわけだ」
「そりゃ一大事じゃない! 魔理沙には伝えたの?」
「いや、伝えてはいないが……」
「いくらなんでも薄情すぎるでしょ!」
 慧ノ子は店を飛び出してしまった。開け放たれた玄関の扉から、粉雪が混じった摂氏数度の風が店内へと入る。風が外から入るのに対して、霖之助の「いや、それには理由があって……」という戸惑いが混じった返事は外には届かなかったようだった。そしてそもそも魔理沙の父親と自分との関係性を慧ノ子に教えたこと自体が失策だったなと、柄にもなく失言を後悔するのだった。


***


 魔法の森の木々は秋の終わりから冬にかけて葉を落とすので、やや皮肉ながら夏よりも日差しが届く。それでも幹や枝は残っているので下手に犬が中を歩こうものなら棒に当たる。だからもし、冬の魔法の森で狩りを行おうとしたら、木が生えていなく空き地のようになっている場所を使うか、木が乱立して狭いことを逆に利用して通り道に罠を仕掛けるかのどちらかだ。慧ノ子のスタイルは後者だった。
「そこ、危ない」
 慧ノ子は道のあちこちに小型のトラバサミを仕掛け、魔理沙がうっかり立ち入りそうになったので注意した。
「おっと。いやいや、普通に人が通る道に罠をしかけるなよ」
「ごめんごめん。みんな飛ぶかと思って」
「私だってたまには歩きたい気分なんだよ。それにしても随分精が出るじゃないか」
 一番賢い選択肢はそもそも冬場は狩りを行わないことである。魔理沙の立場は冬は狩りをしない、なので冬に狩りをしている慧ノ子を見て驚いたのである。
 驚いたというよりも、おとぎ話のアリがキリギリスを見たときのような僅かばかりの軽蔑に近い。その意図を感じ取った慧ノ子は不機嫌になった。
「何で他人事なの?」
「あー? もしかして私へのプレゼントだったか。そりゃありがたい」
「いやいや、あんたの親父さん」
「は?」
「風邪ひいてるんでしょ? 精がつくものを食べさせてあげなきゃ」
「はあ? はっきり言うが、あんな奴のために何かするとか時間の無駄以外の何物でもないぞ? 少なくとも妖獣のお前のためには絶対にならない」
「えっ、いや、あなたの、親、よ?」
 慧ノ子は想定に反して魔理沙の反応が邪険なことに思考停止してしまった。
「知らないよそんなの。だいたいあいつが病気なのも今知った。だからといってどうということはないがね。あいつはあいつ、私は私だ。だからあんなのに渡すくらいなら私に……」
「親不孝者!」
「あいつが子供の気持ちが分からないだけだ。お前の勝手な価値観で私の評価まで決めるな」
「子供なら当然持ってるべき親への忠義ってものがあるでしょうが!」
 慧ノ子は怒って立ち去ってしまった。魔理沙も大概憤慨していたが、今いる場所は罠が大量に埋められた慧ノ子の領域であり、下手に追いかけると大怪我しかねなかった。気持ちを落ち着けるために長いため息を一度つき、箒にまたがってどこかに飛び立っていった。


***


 トラバサミを修理に出した日の翌日も慧ノ子は香霖堂に来た。
「昨日言っただろ。まだ修理は終わっていない」
「知ってる。これ、魔理沙のお父さんに渡して」
 慧ノ子は右手と罠で掴んでいた兎を卓上に置いた。もう絶命しているが、罠で噛み切られた頸動脈からはまだ血が流れている。机が汚れるじゃないかと霖之助は顔をしかめた。
「人間は血抜きしていない肉の臭いを嫌うんだがね」
「こんな手で完璧な血抜きなんてできるわけないでしょ。できたとして人間の気持ちなんて分からないよ」
 死んだ兎はぐったりとしていた。しかしそれを持ってきた慧ノ子は兎よりもさらにぐったりとしているように見えた。霖之助はその様子に何らかの共感や同情を感じ取ることができる性格ではないが、貧乏神並に辛気臭い顔で居座られては商売にとっても霖之助の人生を構成する一日にとっても害である(それらを改善するために霖之助自身にすべきことが数多あるという事実は今は置いておくべきことだ)。
 霖之助は兎を外に持っていくのではなくバケツで雪の方を店に運んで血抜きを始めた。
「誰かと喧嘩でもしたのか」
「私はさ、魔理沙のためを思って寒い中兎を狩ってお父さんにあげようとしたんだよ。それが『あんな奴のために何かするとか時間の無駄以外の何物でもない』とか、いくらなんでもあんまりじゃない」
「ああ。魔理沙の親子関係は色々拗れてるからな……。というか君はその辺の事情知ってたんじゃなかったのか」
「あの子が泣きながらこの森に逃げてくるのは見たし、親に勘当されたという話も聞いた。でもさ、親だよ? 喧嘩するようなことがあったとしてもかけがえのない存在なんだからどこかでよりを戻して復縁するのが普通なんじゃないの? 勘当されたのが昨日今日ならまだしも、魔理沙はもうかなり大きくなった。人間の基準なら結構な長さでしょ」
「ああ」
 霖之助は生返事だけ返して意識の大半は兎の腹を割いて内臓を引き出すことに向けていた。慧ノ子はその様子に怒って片手のトラバサミを机に押し込んだ。
「ちょっと。話聞いてる?」
「危ないじゃないか。聞いてるよ、聞いてる。聞いてる上で、やはりこれは一度事情を説明した方がいいのだろうな」
「事情? 素行不良の勘当とかじゃないの」
「君が魔理沙のことをどう思っているか、その一言でなんとなく察せられるよ。ただ残念ながら魔理沙が悪行を働いたという単純な話でもない。まず魔理沙の実家がどういう家だったかから話は始まる」
「どういう家って、道具店なんでしょ?」
「正確にはマジックアイテムを扱わない道具店、だ。ここが重要だ。慧ノ子君は里と関わっていないから知らないかもしれないが、最近の里は何食わぬ顔で妖怪が立ち入ってマジックアイテムを取引しているのが普通なんだ」
 霖之助もまた里でマジックアイテムを売買することのある(半)妖だが、そのことについてなんら悪びれる様子がない。そのこともまた、現代幻想郷の平均的価値観を表していた。
「だが魔理沙の実家はマジックアイテムを扱わない。単にそういう道具の流通経路から外れているというより、もう少し積極的に忌み嫌っている。昔単なる商談のつもりで緋々色金を売ろうとして大喧嘩になったことがあった。要は『伝統的な価値観』の家なんだが、ここは親父さんからすればもう少し具体的な事情があったのかもしれない」
「道具のせいで呪われたとか?」
 慧ノ子は自分の体験と照らし合わせてそう推理した。
「あるいはどこかの代で子供が魔法使いを志して跡継ぎの問題が生まれたのか。ともあれ魔理沙もそういう価値観の家で、厳格に、不思議な事物は一切が検閲されながら、道具屋の跡継ぎになるか跡継ぎを婿としてもらってくるかのどちらかが決定づけられて育てられた」
 霖之助は運んだ雪を兎に詰めて中の血を洗った。雪を掻き出すときに血がはねて少し腕や顔に当たったが、気に留める様子はない。
「効果はてきめんだった。子供心理の黄金律の一つは、『やるなと言われたら無性にやりたくなる』だ。親父さんの時代なら里の外という選択肢なんてなかったからそれでも上手くいったんだろうが、魔理沙が置かれたような、非常識が常に身近にある環境で非常識な物事から隔離され続けていたら窮屈に感じるのは自明だろう。こうして親子の価値観は決定的に対立した。親父さんからしてみたら非行に走った娘なので魔理沙の素行の問題というのもあながち間違いとも言い切れないが、魔理沙からしてみれば親が窮屈という話だからなあ」
「考え方が違っての家出かあ。それは数年経って仲直りというわけにはいかないんだろうけれど、親から何も貰わずに出ていくなんてやっぱ寂しいよ」
「蒐集癖とか物の整理に無頓着なところとか、魔法に対するスタンス以外は割と親父さんに似ていると思うけれどね」
 それは父親ではなく、目の前の香霖堂店主の影響なのではないだろうかと慧ノ子は思った。どちらが親か分かったものではない。
「でもなあ……」
「そういう慧ノ子君は親について何か覚えているのか」
「何百年も昔のことよ? 覚えてるわけないじゃない。でも山犬の家族を見かけると『私にもこんな頃があったんだなあ』って共感できるから、私の親もいい親だったんだと思うわ。というより、山犬の親はみんないい親よ」
「山犬の家族関係の真偽はさておいて、妖怪ならそりゃ親のことは覚えていないだろうね」
「あいや、私は残……お坊さんの肉を食べて不死になっただけの山犬だから普通の妖怪のことは」
「半人半妖の僕が言っても説得力がないかもしれないけれど、妖怪はだいたいそんなもんだよ。もうちょっと説得力のある言い方に直すと、妖怪の種類や出自は千差万別だから普通なんてものはないけれど、それでも親の記憶が昔過ぎて残っていないか、親がいるかどうかも分からないかのどっちかだ。かくいう僕も人間の母親も妖怪の父親も、今となっては顔すら思い出せないし、それで何か不便だとか悲しいだとか感じることもない」
 霖之助は兎の処理を終え、より優先させるべきことがなくなったのでようやく慧ノ子の方を向いた。
「君は今日ここに来たとき、人間の気持ちなんて分からないと言っていたが、僕も分からない。分かりようがないし、分からなくてもいいんじゃないかな」
 慧ノ子の知る霖之助は、奇妙な理屈を並び立てて分かっていないようなことも分かっているかのように言う男だったので、分からないままであることを許容するというのは意外だった。
「霊夢とかの人間は、魔理沙の気持ちがもっと分かるんじゃないのかな」
「分からないと思うね。それこそ霊夢は多分親の記憶を持ってないから僕たちと同類だ。逆に小鈴君や菫子君は親が健在。魔理沙が置かれた環境は人間の社会ですら特殊な側なのかもしれない。それでも彼女たちが魔理沙の友人であり続けている理由の一つは、家族の話題をわざわざすることがない、互いに知らぬまま不干渉を貫いているからだと僕は思っている。君はそうではないのかな」
「私は……そういう隠し事をしながらの付き合いはしたくない」
「僕は人付き合いというのはそもそも何かしらを秘匿しながら行うものが普通と思っている。まあ大人の価値観で純粋な善意を潰すのはよくないんだろうが。ただそれでも一つ忠告させてもらうならば、常日頃から家族の話を魔理沙にするとか、そういうのはやめたほうがいい。一般的にプライバシーの問題でもあるし、魔理沙は束縛を嫌って家出したんだから君が新たな束縛になってしまってはなんのために家出したのか分からない」
 霖之助は自分の背後で山積みになっている私物から青色の箱を取って、その中に処理した兎肉を入れた。
「兎、渡してくれないの?」
「渡すよ。もっとも妖獣からと正直に言ったらあの人は受け取ってくれないだろうから、知り合いの猟師に貰ったとかそういう説明にはなるだろうが。これはクーラーボックスといって中に入れたものを冷たいまま置いておけるらしい。正直僕も半信半疑なんだが、試験も兼ねることができて丁度いいだろう」
 霖之助は魔理沙の父親を食品保存技術の毒見役に使おうとしてないだろうか。慧ノ子の霖之助への評価はこの日だけでだいぶ上がったが、やはり他者に対する絶妙な無関心がこの男の心のどこかにはあるように思えた。今回は間違いなくその視点に救われたのだが。
「……早目に渡してね」
 慧ノ子は霖之助に念押しして店を出た。


***


 慧ノ子は魔法の森の入り口付近に生えている木の梢に腰掛けて魔理沙が森に戻って来るのを待っていた。
 この日の幻想郷は雲を濾し取ったような快晴だった。それでいて雪はまだ深いので、魔理沙もたまに歩きたい気分、とはならず普通に飛んで森に入るのではないかと予想した。
 果たして南の空から魔理沙がやってきた。しかし慧ノ子は動かず引き付けるのを待った。狩猟者の本能だ。人付き合いで役立ってほしくはなかったが、喧嘩のせいで会うのが気まずくなってしまっていたので仕方がない。喧嘩はするもんじゃないと慧ノ子は反省した。
 反省しているうちに魔理沙は知ってか知らずか、慧ノ子のいる木のすぐそばによって来た。
「魔理沙」
「うおい」
 魔理沙は驚いてよろけ、それを見た慧ノ子がとっさに手(当然トラバサミつきだ)を差し出したのでよけいによろけ、箒に逆さ吊りの姿勢になってしまった。
「私は食べても美味しくないぞ。食べられたことがないから多分だが」
「ごめん。普通に会おうとしても避けられるかなって思って」
「ああ、まあ、そうだったかもしれないな」
 逆さ吊りから復帰した魔理沙は、珍しくバツの悪そうな顔をした。
「一昨日はごめん。デリケートな問題に首突っ込んじゃって」
「私としてはほんとに気にしてないから、香霖とかが遠慮してるのは逆に微妙な気持ちになるんだがな。ま、こっちこそ悪かったよ。強く言い過ぎた」
「霖之助さんに叱られた?」
「まあな。それはお互い様だろ」
「そうね」
「兎、あいつに渡してもいいぜ。もっとも一昨日に獲ったやつじゃあもう悪くなってるか」
「? ああ、ええ、そうしておくわ」
 慧ノ子は魔理沙が兎の行く末を誤認していることに一瞬困惑したが、すぐに霖之助が嘘をついて慧ノ子が持ち帰ったことにしたのだと気が付いた。確かに、正直に自分が受け取っているなどと言おうものならこの普通の盗賊(シーフ)
はなんとかして兎肉を盗んでしまっていただろう。見かけによらず霖之助が気が利く人物だったことに慧ノ子は心の中で感謝した。
「ただまあ、私も兎を食べたくなったんだよな。だからお前さえよければ」
「奇遇ね。私もそのつもりで魔理沙を待っていた」
 二人は地上に降りて兎狩りに興じた。慧ノ子が罠を置いて魔理沙がそこへ兎を追い立てる。四つ足ならともかく二足歩行では雪の深さが厳しいのではと慧ノ子は懸念したが、魔理沙は地面ギリギリを滑走するように飛行して解決していた。一介の少女がその域にまで飛行技術を高めるのに如何ほどの鍛錬を積んだのだろうか。慧ノ子は目を細めた。
「お前の親ってさ、どういうやつだった?」
 二人で戦果を確認しているとき、魔理沙は慧ノ子にそう尋ねた。
「昨日も霖之助さんに同じこと聞かれたね。残念だけれど覚えていない、以上の答えはないよ」
「霊夢と同じか。最初から親がいなくてなんの感情も持ってないの、正直ちょっと羨ましいんだよな」
「羨ましい?」
「だって親がいなかったら最初から親からは自由だろ? 私は自由になるのに十年かかった」
「勘違いしてない? 私は最初から親の記憶がなかったんじゃないよ。昔すぎて忘れてるだけ。それに過ぎ去ったことを後悔するなんて魔理沙らしくない」
「自分らしいかどうかは自分で決めるって信条なんだが、確かにな。お前みたいに長生きすればするほど、自由じゃなかった時間なんてどうでもいいくらい割合が減るからな」
 魔理沙は歯を見せて笑った。
「それじゃあ早死にするわけにはいかないなあ。香霖から材料貰って兎鍋で精をつけるか!!」


***


 幻想郷は花見の季節になった。
「こーりーん。兎鍋しようぜ」
 魔理沙が香霖堂の玄関を勢いよく開けた。
「前にも同じことを聞いた気がするな」
「前にも言ったからな。めでたくこのたび材料が獲れたんだ」
「思い出した。前にその話をしたのは雪があった季節じゃないか。兎一羽捕まえるのに時間かけすぎだろう」
「あんときは香霖が材料くれなかったんだろうが。結局そのとき兎は慧ノ子と二人で焼いて食べたよ。今回は別の兎だ」
 開け放たれた玄関の扉から慧ノ子が静かに入る。手には兎を二羽持っている。
「慧ノ子君も大変だな。すっかり魔理沙専属の狩人じゃないか」
「私も兎は食べるし。それに勝負して魔理沙が勝ったらっていう条件付きでやってるからいいのよ。ねー」
「そういうことだ」
「君達の仲がよいのは結構なことだが、残念ながら僕は……」
「そういうと思ったから今回は香霖からはたからない。神社の花見で出すんだよ。香霖もたまには顔を出そうぜ」
「君に食べ物をたかっているという自覚がまだあったことが意外だし、なんか少し安心したよ。でも僕が言いたいのは今回は備蓄が食われるから嫌なんじゃなくて、そもそも兎鍋の気分じゃないってことだ。こんな日はどんちゃん騒ぎするんじゃなくて静かに本でも読んでいるに限るね」
「なんだよ。つれないなあ」
「魔理沙。この人は無理よ。とんだ朴念仁なんだから」
「知ってる。私はお前よりもこいつとの付き合いが長いから何年も前に気がついていたさ」
「知り合って日が浅い私にすら分かるほどってことよ」
 魔理沙は予想の範疇ながらやや不満そうな顔で、慧ノ子は予想の範疇ながらだいぶ呆れた顔をして香霖堂から出ていき、店は店主が望んだ通りの一人しかいない静かな空間に戻った。
 こんな人との関係性に塩を撒いているかのような人間が喧嘩の仲裁を成し遂げたというのは信じがたいかとだが、事実として魔理沙と慧ノ子は仲直りしたようだった。これは、魔理沙が親との関係性を再確認し、進むべき道筋を再確認したということでもある。
 結果、霖之助が得たものは特にない。魔理沙は相変わらず厄介な常連で、慧ノ子は比較的まともながら物を持たぬ客のままだ。魔理沙は居候をやめたが、それは冬が終わったからであって喧嘩やその帰結とは無関係である。
 しかし霖之助は一つくらい報われることがあってもいいじゃないかと文句を言うことはない。むしろ、何も変わらないようにするために感情の問題に立ち入るという専門外甚だしいことに労力を割いたのだ。もし霖之助が何もせず喧嘩が収まっていなければ、機嫌の悪い二つの客が霖之助の負担になっていた。魔理沙が親に感じている負い目が、魔理沙の親と関係を持つ霖之助にとっても枷となっていただろう。
 霖之助の願望は果たされた。彼はただ、何一つとして特別な物事など起こり得ない日常の退屈に身を委ねながら本のページを捲った。彼自身も気づかぬことだが、その顔には微笑が浮かんでいた。
東方獣王園製品版頒布から約一年と三ヶ月、ついに東方創想話にもタグ「三頭慧ノ子」登場です。もっとも彼女が出てくる作品自体は既にあったんですが

かくいう私も慧ノ子が不死になるときの話なり、魔理沙が魔法の森に逃げてきたときなりの話を組んでは解体してを四、五回繰り返していました。その結果、過去話を書こうとしたのが良くなかったのだと悟って「今」にフォーカスを当てることにし、そこからは多少の紆余曲折を経つつも無事完成に至りました。慧ノ子よりも魔理沙と親との関係なり霖之助の人柄なりが目立っている気がするのはそれはそれ
東ノ目
https://twitter.com/Shino_eyes
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コメント



0.200簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.90福哭傀のクロ削除
慧ノ子というよりは霖之助の話……いやでも、これちゃんと慧ノ子の話か……なるほど。好きな霖之助さん像の作品として楽しめました。話を見る限りでは、魔理沙の親への思いを描く上で語り手に霖之助、きっかけに慧ノ子を配置したように見えたのですが、どうやら作者様の描きたかったところは違った……?っぽい。どことなくジブリ作品の昔語りのような雰囲気が素敵でした
3.100ローファル削除
慧ノ子と魔理沙が一度喧嘩をしてから仲直りをするまでの流れが綺麗に描かれていることと、あくまで介入し過ぎない霖之助のスタンスにいい読後感がありました。
面白かったです。
4.100夏後冬前削除
完成度の高いお話で非常に良かったです。踏み込まない、解決しないという選択を取ること自体が二人の関係性を前進させるものだったところが優しさを感じてよきでした。
5.100南条削除
面白かったです
慧ノ子が率直ながらもちゃんと魔理沙の事を考えていてよかったです
一定の距離を常に保とうとする霖之助もらしくてよかったです
7.90名前が無い程度の能力削除
良かったです。実直な慧ノ子と割と大人な魔理沙の距離感が心地よかったし、それを霖之助が上手く引き立てていたと思います
8.100たこもこ太削除
とても面白く興味深かったです。魔理沙の家庭事情を題材としつつも、皆が決して後ろ向きにならずに思慮して収束していくのがこの三人ならではの温度を感じました。
 確かに魔理沙や霖之助が目立っているのかな?とも感じましたが読み手書き手共に慧ノ子を探り探りの中なので、良い塩梅だと思います。慧ノ子作品が増えてきて立ち返るとまた見方が変わるかも。
10.100名前が無い程度の能力削除
三者の距離感というか、それぞれの考え方の違いによる相違が上手くかみ合っていくのが心地よかったです
13.100初瀬ソラ削除
ただただ馴染んでいる。何にって、言ったらうまく捻り出てくれないけど……幻想郷に、でしょうか。わびしくて、なつかしみがあって、ひどく完成された果ての世界のような。すみません舞い上がって。文体が完全に自分の好みでした。あるいは貴方の描く霖之助さんが。
三頭慧ノ子。初めて聞く名に、調べる時間がひとつまみ要るし、「みつがしら」と打って予測に出てこないほど間もない二次創作への進出ですね。キャラって、いかようにして確立するものなのでしょうか。自分は原作設定を見てもう少し知恵に富むようすを想像しましたが、やや若いようでもありました。でもチアリーディングするイラストもあることですしね……ただ、いかに偉そうな慧ノ子でも、少なくとも快活の魔理沙をひれ伏さすことは──誰にも、どんな新入りにも──できないのでしょうね。
(すみません長くて……)