*命題
川のせせらぎ、子鳥のさえずり、木々の揺らぎ、風の吹く音。自然的に生まれるそれらの音は私のことを心地よくさせ、リラックスさせる。こんな日にはお茶でも飲みながら縁側に座ってぼーっと過ごしながらお茶でも飲みたい。霊夢さんが帰ってきたらそれを頼むのも良いだろうか。あぁでも私たちは勝手にここに来ているだけだからね。そんな待遇は期待できないか。それよりも、足が痺れてきた。そろそろ起きてもいいだろうに、ぐっすり寝ている奴が居るせいで動けない。いや、起こせばいい。起こして足が辛いからどいてくれと頼めばいい。そうは思う。思うのだけれど、できない。だって心地良さそうな、幸せそうな顔で寝られたら起こせなくないだろうか。ましてやそれが自分の好きな相手であり、自分の膝枕で寝ているというのは起こせる道理がなかった。
「はぁ…」
ついため息が出てしまっても仕方が無いだろう。いくら面霊気として生きてきたと言っても私は恋心など覚えたことは一度もなかったのだ。自覚することにも時間がかかった。ましてや伝えることなど。目の前で気持ちよさそうに寝ている古明地こいしのことが羨ましい。何事も考えずにそれができるならば、どれほど良かったのか。いや、でもこいしはそれが苦しいということもあったか。あまり良い表現ではなかったな。
すまない、と心の中で謝る。言葉に出しても寝ているし、何のことか分からないのに謝られるというのも気味が悪いだろう。
彼女の頭に手を添える。帽子があったからそれを床の上に置いて、薄く緑がかったその髪に手を通す。サラサラであり、触り心地の良いものだった。別に膝枕をしているのだからこのくらいはしても許されるだろう。そう思いたい。しかしながら、その手を止めることが叶わず撫でている間に、その刺激により彼女の意識は覚醒してしまった。少しばかりその終わりを惜しんだが、足もそろそろ限界であった。
「あ、こいし。おはよう」
「ん…こころちゃん。おはよぉ」
気の抜けた挨拶が耳を通り抜ける。その音が鼓膜を揺らして私の頭に刺激を与える。何とも無防備な表情をしている。ちょっかいをかけてくれと言っているのだろうか。
「いやぁ、つい気持ちよくて寝ちゃったよ。ごめんね?」
「いや、いいよ。そのくらいなら。別に私は敗者ですからね」
つい敬語が出てしまう。自分でもよく分からない癖だった。勝負に負けた時は自然と敬語が出るものであった。逆に勝負に勝った時はちょっとだけ傲慢になったりもする。ささやかな仕返しなのかもしれない。無意識にずっといるんじゃなくて、少しでいいから私のことを見てくれればいいのに、って。我ながら自分らしくないとは思う。恋心なんて知るべきではなかったのかもしれないけれど、幸せになりたいという気持ちが出てしまったのなら仕方がないだろう。
「でも、心を開いてくれたら、嬉しいのにな。なんて」
そう小声で、聞こえないように言ったつもりだったのだが。距離的に近く聞こえてしまったらしい。彼女は少し驚いたような顔をしていた。
「…やっぱり、こころちゃんもそう思う?感情を全て出して欲しいって。笑みしか見えない私ってやっぱり不気味に見えちゃうかな」
少し不快にさせてしまっただろうか。申し訳なく思う。
「あぁ、いや。そういう訳では無いのです。ただ、私情的な意味で感情の動きが見て取れたら嬉しいことがあるというか、その」
言葉に詰まる。どのように伝えたら上手く伝えられるのかが分からず、苦悩していると向こうが先に話し始めた。
「そう思うなら、今度さ。こころちゃんの能力で私の感情を呼び起こしてみてよ。きっと楽しいと思うんだ、私も。そのための勇気がないだけで」
「…分かった。こいし。一応霊夢さんに伝えてからにしようかー」
「うん、そうだね。万が一何かあったらいけないから」
そういうこいしの声は少し震えていた。なにか触れてはいけないものに触れてしまった気がした。怯えていたのかな。私にしてあげられられることといえば、なんだろう。思案して思案して思案してたどり着いた答えはこいしを抱きとめることだった。
「ふえっ、きゅ、急にどうしたの?こころちゃん」
「いやなに、声が震えていたから」
如何にライバルで、どれだけ勝負で戦った相手であろうと礼儀は持ち合わせているつもりであったがその相手に対して、ましてやこいしに対して傷つけるような真似をした自分を少し恨んでいた。考えることなく言葉を発するということは危険であると見てきたはずなのに。
けれどこいしは安心したのか震えは止まっており、むしろ少しむすっとしていた。
「こころちゃんはそういうことを普通にやってくるのが良くないんだよなー」
「え?何が?」
「なんでもないよーだ」
あからさまに機嫌を損ねていそうな声色だったが、冗談交じりのものであったのでそこまできにすることもないだろうと思った。子供みたいに拗ねるようなことは以前から何度もされてきたから、慣れているのだろう。
こんなくだらないほどに平和な毎日っていうのは、価値が大きいというのにその価値を実感させてくれないものである、と常日頃から思う。こいしと出会う前の単なる面霊気でしかなかったこころは毎日が退屈であった。別に何を成すでもなく、ただ人里を眺めていたり一日ぼーっとすごしているだけである。きっと多分、その頃から私はどこか寂しかったのかもな。そう感じる。
そんな生活が変わったのは、私が希望の面を落としてから。本当はこういうことを思うべきでは無いのだが、あの異変が起きたことで様々な感情を勉強できたし多くの人と関わるきっかけになった。今では人里や博麗神社で能楽を踊らせていただくこともあるのだから、以前の何も無かった生活と比べて大きな進歩だ。
けれど、そんな中でもずっと関わり続けているのはここにいる古明地こいしだった。私自身、あまり知っている訳じゃあない。いや多少は知っている。地底の地霊殿ってところに住んでいて、元々はサトリ妖怪だったけれどそのための瞳を閉ざしてしまったのだとか。その時に付随して無意識の力を得たのだとか、そういう話は知っている。私が知らないのは、彼女の貼り付けられたような笑顔以外の表情だった。私自身無表情でありお面で感情を表すが、それは面霊気としての器を動かす力がなく、あくまで本質がお面だからである。しかし彼女もそのように笑顔を貼り付けている訳では無い。そのはずなのに、ずっと彼女は笑顔でいる。固定されているかのように笑顔のままであり続けるのだ。それがずっと疑問だった。
とはいえ、それを追求するのも野暮だろう…そうは思っていたのだが、それに近しいことを頼んでしまったのだから私とて自分の欲求には正直なのだな、と思う。そんなことを考えていたら向こうが再び切り出した。
「あ、そうだ。こころちゃん」
「ん?どうしたんだ、こいし」
「どうせ霊夢帰ってくるまで暇だしさ」
言いたいことが分かった。あぁ、やっぱりこいしはこいしだな。そう思った。
「弾幕ごっこでもして、遊ぼうよ?」
無論断る理由もなく私は首肯した。
「こうしてこいしとまた弾幕を交えることができるとは、私としては嬉しいところです」
「こちらとしても、望むところだよー。というか、さっきから丁寧語になったりタメ口になったり。よく分かんないなぁ」
「うーん、自分でもそれはよく分からないです。思ったように話すとこうなっているから、不思議」
「ふぅん。ま、始めよっか?」
その一言で弾幕は一瞬にして二人を包み込む。かたや薙刀、かたやハートの弾幕。しかしそれはどれもが高威力でお互いが手加減をしていないことの証明である。
ハート型の弾幕が目の前で交差して、いつの間にか囲まれていることに気がつく。しかしそのようなことで慌てるほどこころも戦いに慣れていない訳では無い。能楽を踊るように流れで全てを避け、または受け止める。
あぁ、やっぱりこいしの弾幕は美しい。誘い込むような弾幕と追い詰めてくる弾幕が綺麗にハーモニーしていて、そしてそれに立ち向かうのはもっと楽しい。でも。私だって、結構強いんだから。
そう思ってこいしとの距離を詰めようとしたその時、大きな声が私たちの元に響いた。
「こらー!あんた達何勝手に入り込んで暴れてる上にこんなにも周りが荒れてるのよ!」
霊夢さんが帰ってきた。それと同時にそういうことを言うもんだから、周りを見渡してみれば想像以上なまでの惨状であった。木々は何本も倒れており、境内も高エネルギー弾によって無惨にも破壊されている。これ、やりすぎたな。
「ご、ごめんね霊夢。ちょーっとだけ、一緒に遊ばないってこころちゃんと話してて…」
「問答無用!さっさと後片付けをしろ〜!」
そう言われたら何も言えるわけがなかったので、仲良く二人で掃除することになった。
「…それで、なんで弾幕ごっこしてたわけ?」
「いやぁ、霊夢が帰ってくるまで暇だからちょっと体を動かさない?みたいな感じで」
「ついでにみたいな感覚で境内壊されたら困るのだけど?」
「あー霊夢ごめんって、機嫌悪くしないでよー」
そう言ってこいしが霊夢さんの左腕を捕まえて引っ付いた。小動物みたいで可愛い。
「ほらほらこころちゃんも、右腕空いてるから」
「あのねぇ、私の腕は捕まえるものでも引っ付くものでもないのよ?」
「でもこうした方が幸せでしょ?」
「…そんなことないわよ」
「えーそっか〜。ま、やめないけどね〜」
微笑ましいそれであるが、私もそこに混ざる。ちょうど右腕が私の体にフィットしてしまいました。これでは抜けられませんね。
「というか、こんなことをしていたら霊夢さんを待っている理由を忘れるところでした」
「え?あんたらなにか私に用があるの?」
「まぁ、用事というか…こいしの感情を戻すために私の力を使うことを許可して欲しいのです」
そう言うと霊夢は心底面倒だ、と言わんばかりの顔をした。
「うげぇ、どうしてあんた達はそういう本当にめんどそうな事ばかりやろうとするのかしらねぇ」
なんなら言ってきた。容赦がない。
「すみません、でもこいしに感情が発露したら今よりももっといい気がするんです。私にもよく分からないんですけど、そんな気がするんです」
その真剣さに押されてか、それとも元々受け入れるつもりだったのかは分からないが、霊夢さんはそうねぇ。と呟きながら続けて言った。
「ま…いいんじゃないの。一応心配だから私と、あと魔理沙でも付けといてあげるわよ。その方がなにか起きても対処できるだろうしね」
「お〜、さっすが霊夢。霊夢は優しいね〜」
そう言ってこいしがまた引っ付き始める。私もそれに倣う。最近は気温も低くなってきたから丁度いい温かさだ。
「…はぁ」
当の霊夢さんは、ため息混じりだったけれど。
*求めてたモノ
翌日。どんよりとした曇天の空の下、霊夢さんによって集められた四人によってこいしの感情を発露させようの会が開かれていた。
「…で、霊夢にこいしの感情を出させてみようと話を聞いてきたが…これはどういう状況だ?」
「私が能力でこいしの感情を発露させるので、お二人にはなにか起きた時の対処をお願いしたいなぁと」
「なるほどなぁ。ま、面白そうだし見ておくぜ」
多分本当に好奇心だけで見ているのだろうけど、何かあったら魔理沙さんは動いてくれる。そういう人だと知っていた。
「それじゃあ、始めるけどこいしは大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
そう言うものの方は震えていて、少し無理をしているように思えた。
「別に無理はしなくて大丈夫だぞ、こいし。こころだって無理強いしたいとは思ってないだろうからな」
「うん。でも、私も気になるから。皆と色んな気持ちで関わりたいから。頑張りたいんだ」
「そうか」
それでも震えるこいしの肩を、背中をさすりながら落ち着かせてた。大丈夫、きっとこいしなら大丈夫。無責任な言葉かもしれないけど、きっと上手くいく、と。
「じゃあ、やるね」
そうして私は私の能力を使ってこいしの心を引き出そうとした。
けれど、本当はそうするべきでは無かったんだと思う。引き出そうとした瞬間、急にあたりが微睡み始める。
「なに、これ」
気づけば周りの二人は倒れてしまっていた。そしてそれは私もそうなるのだろう。もう、意識が吸い取られそうで、たえられない、きが、
…周りは真っ暗で何も見えない。けど確かに私は地に足をつけていた。その感覚があった。けれどどこか浮遊感もあった。ここはどこで、どうしてこんな事になっているのか、どうしてこんな所にいるのかは分からない。分からないけれど、歩き続ける。
歩いていると次第に周りに色が付き始めた。白、黒、青、赤、緑、黄色。様々な色がそこにあった。そして一際目立つ、輝いているものがあった。しかしそれは薔薇の葉に包まれていて、簡単には触れそうになかった。けれどどうしてもそれに目を奪われた私はそれに触れようとした。
けど、できなかった。
「ダメだよ、それに触れちゃ。折角封印したのに開くだなんて、労力の無駄だわ?」
そこには、こいしがいた。そしてそのこいしは無邪気で、楽しそうで、そしてどこかこいしらしくなかった。相手を嘲笑うような、バカにするような感覚を覚えた。
「…こいしか?」
「うーん、古明地こいしかと言われたらそうであってそうじゃないわね」
「…つまり?」
「私は、古明地こいしの本心の具現化みたいなものよ。精神の具現化と言った方が分かりやすいかしら?」
精神を具現化したもの。ということは、ここはこいしの無意識下にあるとでもいうのか。
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだよ。それより、私の感情を呼び起こそうとするの、辞めてくれる?」
「何故だ?感情を呼び覚ましたいとこいしは同意したじゃないか」
「それはあくまで表面の私。無意識というのは本心を色濃く映し出す鏡なのよ?私はどこかで心を開くことを恐れてるのよ」
だから、と一泊置いてから続ける。
「そう思う理由を、見ていってよ。好きなだけ。この世界を歩いてみれば、分かるはずだからさ?」
彼女がそう言ったあと、足場が崩れる感覚を覚えた。世界が形を変えて移り変わっていく。妙な浮遊感がそこにあり、些かの不安感と好奇心が胸を満たした。
そのうち、視界が開けるとそこには多くの物と者があって、いた。例えば夜のお花畑の上で流れ星が流れていたり、例えば私が能楽しているのを上から眺めていたり、例えば。包丁を突き刺した第三の瞳から、血が溢れ出て見るに堪えない無惨な状態で放置されていたり。はたまた、私が知らない人が映っていたり。一言で言えば、混沌である。けれど、共通点が無いわけではなかった。きっとこれはこいしが今まで見てきたもの。そうでなければ私を含めた記憶というものは出てこないはず。つまり、全てを見ていけばこいしの過去が分かるはずだ。そう思い、歩みを進める。
一つ目に見たものは、私の知らない記憶。つまりは、心を閉ざす前のものだろうか。その時期の記憶が残っていた。きっと、心を閉ざしても消えることはなく心の奥底に残っていたのだろう。そう感じる。その中身は、おそらく姉と地霊殿に住み始めた頃の記憶。その頃のこいしは幸せな表情を浮かべていた。今よりも、自然な笑顔で。今よりも、真っ当な感情を浮かべて。───今よりも、輝いている瞳で。姉は忙しなく仕事を進めているようで、ペットと遊んでいるが疲れて寝てしまった。そこで記憶は途切れている。
「こいしが感情を取り戻したら、あぁなるのかな」
その一言は、暗い闇の中に吸い込まれていくように何処にも反射することなく消えていった。こんなことをしている場合でもないと思い、先に進んだ。
次の記憶はお花畑だった。この時のこいしは瞳を閉じていた。私の見る笑みであった。一人でなにをしているのかと思ったら、花冠を作っているようだった。そしてそれを頭に着けて歩き回る。時には走り、疲れたら休む。そうして草むらの上に寝そべる。別に、なんてことの無い日常。けど、異様さが一つだけあった。こいしはそこで泣いていた。第三の瞳は閉じている。その上で泣いていた。つまり。こいしは別に、悲しいと思う感情があるのだ。どういう因果で泣いたのかは分からないが、悲しいと感じることができているのだ。
「…どういうこと?これを見せてくる理由も、それを教える理由も、よく分からない」
それでも、足は歩みを止めない。知りたいと思ってしまうから。例え見るべきでなかったとしても、見たいと思ってしまったから。
思えば、行動はすぐに出てしまうものなのだろう。気づけば足は動き出すし、気づいたら次の記憶の断片が目の前にあった。
「こいしが私にこれを見せる理由は分からないけど」
でも、それでもこいしを理解するために私は見なければならないはずだ。けれど、それが私の一方的な感情だったら?本当は困らせていたら?
「私は、どうしたら」
しかし、見たいと思っている。そして精神の具現化と自称しているこいしも黙認している。止めるものは、何も無い。そのはずなのに。
「足が、動かない…」
違う。動かないんじゃない。私は恐れている。なにを?簡単だ。本当の古明地こいしを知ることを。それを知ることが恐ろしい。一人の経験したであろう、おそらく悲痛な経験をこれから見ると思ったら、見て見ぬふりをしたくなっているというのだ。無責任にも、感情を発露させたいと思ったというのに。しかしそんなものは傲慢である。自らのことを愛しているだけの自己中心的な存在でありたくないと、こころは思った。だから一歩ずつ。一歩ずつ前へと進む。受け入れるために。理解するために。
この記憶は、瞳が閉じていた。私が能楽をしているところの記憶だった。私が壇上に立っており、こいしは上から花びらをまいていた。私の記憶にも、これはあった。私の動きに合わせてまき方を変えたりしていて、意外と細かにやってくれていることを実感した。
けれど、やっぱり違うところも存在した。突然、彼女は動きを止めた。目を拭っている素振りを見せた。また、涙が溜まっていた。けれどそれは悲しいという感情ではなかった。きっと、能楽を見たことでの感動。彼女はセンチメンタルなのだろうか。けれど、やっぱり疑問に思うのはこいしに感情は存在していたということ。それに気がついていないだけで、そこにはあったということ。
「…」
何も言うまい。言うことができまい。私はこいしの何を見ていたのか。それに目を向けることなく、先入観だけで物を知っていると思い込んでいたのでは無いのか。本当は、私は、こいしになど。興味を抱いていなかったのだろうか。いや、そんなはずがない。そんなわけが無い。心は叫ぶ。しかしこころがそれを肯定することは叶わなかった。
足が重くなる。重いのは誰のせいか。自分のせいだ。しっかりとこいしのことを見てこなかった自分のせい。なぁなぁでも上手くいくと楽観的に考えていた自分のせい。そして、分からなくなったら投げ出したいと思ってしまう自分のせいだ。
「本当はどうするべきだったのか、私には分からない。けど最後まで見る義務があるはずだ」
そのはずだ。こいしは私を信じてそうした。信じてくれたのに、こいしを信じずに何ができようか。
そうして目の前に。血の爛れた第三の瞳と包丁のオブジェクトに近づいた。きっと、この記憶が。この記憶こそがこいしを今のこいしたらしめる原因があるはずだから。足は上手く動かなかったけど、無理に動かした。そうでもしなければ、倒れてしまいそうだったから。
そうして、その記憶に手を伸ばす───
「ねぇお姉ちゃん。遊ぼーよー」
「ごめんなさいこいし、仕事がまだ残っていて…夜まで待っていただけませんか?」
「むー、いっつもそうだよねぇ。でも、お仕事頑張ってくれてありがとう。夜、楽しみにしているね?」
そう言って私は家を飛び出す。こうやってお姉ちゃんに相手にされないのはいつもの事だったから慣れている。お姉ちゃんは立派だ。私と違って仕事は頑張るし、大抵のことはなんでもやり遂げる。私の自慢のお姉ちゃんだ。私は今は、何も出来ないけど。でもいつかはお姉ちゃんみたいになりたい。
そう思っていたんだ。
それはそれとして暇だということには変わりなくて、ペットたちと遊ぶことにも最近は飽きてしまったので地上に出向くことにした。地上っていうのはいいところだ。空気が澄んでいるし、なにより綺麗だ。そして人間っていう面白い生き物もいる。力は強くないけれど、頭が格段に良くて、色んな知識を持ち合わせている。私はそんな人間が好きだった。だから、私も友達になりたかった。だからなのかな。私は気がついたら人里に向かっていたみたい。せっかくだし、人間に話しかけてみた。
「ねえねえ、貴方たち何して遊んでるの?」
そう言うとその人たちは酷く驚いていた。それも当然、サトリ妖怪に話しかけられるなんて経験普通は無いもの。
「えっ、えっ…と…」
どうやら目の前の人たちは驚きのあまり話すことができないようだ。うーん、心の中を読むと怖がっているみたい。サトリ妖怪にできることなんて心を読む以外にないんだけどなあ。
「そんな怖がらなくても大丈夫だよ。私が貴方たちに危害を加えるつもりはないの」
「そ、そんなこと言われても信じられないでしょ!妖怪の言うことなんて信じたっていいことなんて何一つないんだから…」
「うーん、たしかにそれもそうだねぇ」
彼らが言うことにも一理ある。人間は妖怪を恐れるものであり、妖怪は人間を殺すというのが摂理であり、現実である。だから恐れるというのは正しい。かといって本気で危害を加える気などないのだから、少し悲しいとも思う。なんとか人間と仲良くなれないかなって。
「どうやったら、私と仲良くなってくれるかな?」
「仲良く…何を言っているの、あなたは…サトリ妖怪と人間が仲良くできるわけがないでしょう…」
「いやーだからさ、どうやったら貴方たちは私が危害を加える気がないってことを信じてくれるのかなぁって」
別に私としては仲良くなりたいだけであって、時間を潰したいだけであって、人を狩りに来たわけでも食べに来たわけでもなんでもないのだ。だからこそ、怯えられているというのは少し悲しかった。
「ねぇ。どうして私をそんなに嫌うのかしら。私は貴方たちに何もしていないし、するつもりもないのにどうして仲間外れにするの?」
「だって、サトリ妖怪じゃない。心を読まれるなんて不愉快でしかないのよ…」
あ、そっか。普段お姉ちゃんとかペット達の心を読んでもなんとも思われないから忘れていたけど人って心を読まれるの、好きじゃないんだっけ。
なら、壊しちゃおう!嫌われる理由になる第三の瞳を壊してしまえば、皆私のことを受け入れてくれるはずだよね!
「おねーさん、ちょっとまってて!今から心を読めないようにしてくるから!」
そう言い残して一度里の外に出向いて手頃な木の枝を見つけてはポキっと折る。妙に気持ちいい音が鳴り響いた。心臓はドクドクと波打っていて、自分がこれをすることに少し恐れを抱いているのだと知った。でも、これをしなければ好かれない。これをしなければ愛されない。これをしなければ受け入れられない。
そうして私は木の枝の尖った部分を振り上げた。
──────グチャ、グチャ…ブシャ…
ふしぎと痛みはかんじなかった。瞳をみると、真っすぐに枝がつきささっていた。それを抜こうとして、強くひっぱったらよけいに血がでてきた。でも、これでいいんだよね。きっとこれで受け入れてくれるんだよね。
でも、ダメだった。それじゃダメだった。
「どうしてココロをよめないようにしたのに私をいまだにきらうの?」
私はヒトにといかける。どうして?私はあなたたちのいうとおりにしたのに。それじゃ、だめなの?なんで、どうして?ってさ。
「だって、負の感情が溢れ出ているんだもの。そんな人と一緒にいたいなんて思えないわよ」
なるほど!じゃあずっとえがおでいればいいのかな?うーん、どうしよう?あ、ヨロコビいがいのカンジョウをコワしちゃえばいいんだ!いらないモノはこわしちゃえ、すてちゃえって。きっとおねえちゃんもそういうよね!
そうして私はもういちど。
──────ゴンッ、ゴンッ…ゴツッ…!パリン。
へんなおとだけがむねにひびいた。でもやっぱり、ふしぎだね。いたみなんてなかったんだ。でも、だいじなナニカがなくなったような気がしたの。それがナニかはわからないけどね。
でもこれでニコニコ!ニコニコ!ずっとえがおでいられるよ!これできらわれることなんてないよね!だって、たのしいっていうココロいがい、ふうじこめたもん!きっとこれでうまくいく、きっとこれでなかよくなれる!
けど、それじゃダメだった。それじゃあダメなんだってさ。
「わたし、あなたの。あなたたちのいうとおりにしたよ?あと、なにがだめなの?わたしの、なにが、だめなの?」
そのこえはなんだかふるえていた。おびえていたの?なにに?わかんない。わかんないよ、そんなこと。でも、あいてはこたえてくれた。すっごくひえきったこえでね、こう言うの。
「逆にどうしてサトリ妖怪と人間が仲良くなれると思ったの?嫌われているのに、どうしてそんなに何度も何度も近付こうとするの?心底気持ち悪い」
なんだかむねがいたくなった。とってもとってもいたかった。あぁ、わたしっていらないんだなあって。だれかのココロをよみたいわけじゃなかったのにな。言われたままにいらないモノをこわしてこわしてすててきたのにな。きらわれものは、きっとだれにもひつようとされていないんだね。なんのためにがんばったんだろう。なんのために生きているんだろう。もう、こわれたモノは。こわしたモノはにどともどらないのにさ。でもニコニコしないともっときらわれる。だれに?ニンゲンに!皆に!あれ?でももうきらわれてるか。じゃあ、もうニコニコしなくてもいいのかな?でも、わたしをしらないだれかがニコニコのわたしを知ってすきになってくれるかも?なら、やめなくていっか。それよりも、いらないモノの【整理】をしなくちゃ。おねえちゃんにおこられちゃう。ちゃんと【整理】をしなさいって。カンジョウと、サードアイと、あと…あ!メノマエノこのゴミもすてなきゃね!でも、まだいきてるみたい。じゃあ、サツショブンからかな?えへへ、血をみるなんて、ひさしぶりだな。
「ね、ねぇ。なにするの。いきなりこっちに来ないでよ」
なんだかゴミがワメいてるなぁ。うるさいなぁ。はやくだまればいいのに。さっさとこわれちゃえばいいのに。
「やめてっ、危害を加える気がないって言ったのはそっちでしょ、くるなっ、来るなックルナッテイッテイルデショ…」
──────グチャ、グチャ、グチャ、ヌチャ…ブシャ…
あぁ、こわれてうごかなくなった。きっとこれでいい。これでよかったはず。でも、このシタイをどうしようかなぁ。お燐にでもわたそうかな?きっとよろこんでくるるよね。じゃあ、地霊殿にもどろう。もうすぐでよるだから、おねえちゃんもお仕事、おわってるかな。
地霊殿についた。
「お燐〜いるー?」
そうよびかけるとお燐はすぐにきてくれた。
「はいはい、こいし様。どうしました?」
「ちょっとシタイのショリにこまっちゃったから、いるかな?っておもって」
「あぁ、そりゃあ助かります。助かるんですけど、その、こいし様?」
どうしたんだろう?わたしのことをみてかたまっている。なにがあったのかな。
「どうして、瞳が閉じているのですか…?」
あぁ、なんだ。そんなことか。
「コレ、いらないモノなんだって。だからこわしてこわしてすててきたの。きっとこれでみんなからすかれるよね!」
そういうとお燐は今にもなきそうなかおをしてたの。ふしぎ。ニコニコしてるのになんでかなしそうなかおをするのかな。
「さとり様を、呼んできますね。こいし様」
「うん、ありがとー」
なんだか、ようすがへんだったなぁ。なにがあったのかなぁ。
「こいし!」
「あ、おねえちゃん。よるになったから、もうあそべるよね?あーそーぼー」
そう言ってもやっぱりおねえちゃんもかなしそうなかおをするんだ?なんでだろうね
「…そうね、あそびましょう、か。こいし…」
「うん!」
でも、とちゅうでたえられなくなったのかな。おねえちゃんもねこんでしまった。ねむかったのかな?それとも、いっしょにいたくなかったのかな。どうだろ。きらわれものがすかれることなんてないもんね。おなじしゅぞくからも、きらわれてもおかしくないか。
あーあ。わたしって、だれにもあいされないんだなぁ。あーあ。だれかにあいされたかったなぁ。
はぁ。どうにでもなればいいや。もう、なんでもいいよ。こんなの。
「…こいし」
見えたのは、こいしの第三の瞳を閉じた時の記憶だった。そしてそれは悲惨で、無慈悲で、残酷な現実だった。
でも。私は別に知り得なかった。そんなこいしのことなんて知らなかった。知らずにそれを呼び起こしてしまった。
今思えば、こいしの弾幕にも愛の欠如が現れていたのだろうか。彼女の弾幕はハートの形をしていた。それが、愛の欠如と、その不満を放出するものだったのか。それとも、そんなことは関係なくただ思いのままに放出しているだけなのか。でも、そんなことは関係ない。いや、関係あるのか?分からない。どうするべきなのか、どうもしないべきなのか。
「なぁ、こいし。私はどうしたらいいのかな。貴方のために、どうするのが正解なのかな」
「…誰に問うてるかは知らないけど、無意識下の私に聞いてるなら、私は別にこころちゃんが決めたことならやってくれても構わないよ。そう思うならね?私が止めていた理由は、何も知らないで解放するのは少なくとも違うと思ったからだしね」
「…そっか」
だから、悩めばいい。悩むしかない。悩む以外にできることはない。こいしのために。今度こそ、こいしのために。どうするべきなのかを真剣に考えるべきなんだと思う。いや、考えなければならない。
「でも、ごめんね?あんまりこの状態を引き伸ばしのままにすることも出来ないんだ。だから、あと数分。ここにいられるのはね」
「どうして、」
「無意識の力が弱まってるのよ。感情を解放による無意識の暴走のせいかしら。維持するために必要な力が足りなくなってるっぽい。だから、あと数分。するもしないも、こころちゃんの自由だよ」
あぁ、そっか。どうすればいいかなぁ。ねぇ、こいし。どうしたらいいのかなぁ。こいしは、どう思ってるのかなぁ。
しかしその悩んでいる現状と裏腹に、刻一刻とタイムリミットは迫ってくる。世界が段々と暗くなっていく。目の前の輝くものを残して。
このまま残すのが正解なの?解放したいと思うの?こいしはどう思っているの?いや、私の好きにしてと言っていた。これを見てどう思うもどうするも私の自由だって。ならば、解放すればいいのか。いやしかし、こいしのそれを解放したとしてこいしに何も影響がないとは言い切れない。むしろ何かしらの影響があると考えて当然だろう。例えば、解放された感情が急速に発露して、それを制御できずに諸共破壊される、とかいうことさえ有り得る。最悪の場合、感情が死んでしまう。それを私一人の一存で決めることなんてできるのか?不安そうに思っていたこいしを私が一人で壊すかもしれないのに、自分自身の欲に従って解放するというのか…?
「私には…できない…」
私には。秦こころにはそんな残酷で自己中心的な選択なんてできなかった。こいしを想うなら、そう思って仕方がなかった。
「そっか。こころちゃんはそうするんだね。私はそれを肯定も否定もしないよ」
そうこいしが一言つくと、世界が再び形を変えた。というより、崩壊だろうか。私はまたその浮遊感に身を委ねることとなった。
肯定も否定もしない、という一言だけがずっと頭の中で反芻し続けた。
*対偶のエモーション
意識が元の体に吸い寄せられるように私は目を覚ました。気がついたら地面の上に横たわっており、前後での変化は特になく変わりない現実だけがそこに存在していた。
───でも、あれは夢なんかじゃない。
そう本能が告げていた。あれが夢ならばどれほど恐ろしい夢だというのか。そしてそれがこいしに関することというのはタチが悪すぎる。少なくとも、現実で起きたことと考えて差し支えないだろう。そう考えつつ周りを見渡すと、未だにこいしも霊夢も魔理沙も横たわっているままであった。おそらく時間が経てば三人とも目を覚ますだろう。
本当は怖かっただけではないのか。保身に走っただけではないのか。自責の念は止まらず、自らを攻撃し続ける。矛先を自分の心へと向けた言葉の暴力は何よりも痛く、強く、強烈に突き刺さっていった。それが抜ける気はしなかった。
「…こいし。私は、お前のために何かしたかったんだ。けど、そんなこと私の押し付けがましいものでしかなかったんだ。きっと…いや、そんな軽い言葉で形容できるものでもないか」
この複雑な感情は如何ようにも言葉と表すことが出来なかった。申し訳ないと思う後ろめたさと、どうすればいいのか分からないという疑問と、一旦は日常へと戻れた安心感とが混ざりあってさながら闇鍋のようにグチャグチャと不快な音を奏でていた。そこに理性や秩序は存在せず、混沌のみがあるだけだった。
「…ん、うぅん…」
「あ、こいし。起きたか?」
「…うん。起きたよ」
こいしの目には如何程の感情も見えなかった。いつもの笑顔も。何もかも。
「その、こいし」
こいしに色々伝えようとした。けれどそれを遮られる。
「いいんだよ、こころちゃん。私のために無理をする必要なんてないの。別に私はそれでこころちゃんのことを嫌うなんてことはないんだから」
「…ごめん」
「だから、いいって。これが私だよ。むしろ私こそごめんね」
こいしが謝る必要などないというのに、さも当然かのように彼女は謝ってきた。ニコニコの笑顔を添えて。それがどうしても悲しかった。
「ねぇ、こころちゃん」
「…うん?」
「後悔は、してない?」
「それは多分、この先分かるよ」
「そっか。なら、そうなんだろうね」
そう言ってから再びこいしは笑顔を見せた。きっとそれは貼り付けられただけのもの。変わらず貼り付けられているもの。
「二人が起きたら、帰ろっか」
「そうだな」
これが本当に私が求めた現実だったのか。現実は常に一直線上を動く関数でしかない。それは時に加速したり止まったり緩やかに動いたりと、軌道は読めない。けど、必ずある時刻において一点しか現在は存在し得ない。だからもう一つだなんて考えても仕方がない。仕方がないこと。そう思いたかった。
でも、私もこいしも幸せになれる世界があるのなら。きっとそこは上手くいく。私とこいしも。それ以外の関わりも。
「ごめんなさい」
空は雲で覆われ続けていた。
川のせせらぎ、子鳥のさえずり、木々の揺らぎ、風の吹く音。自然的に生まれるそれらの音は私のことを心地よくさせ、リラックスさせる。こんな日にはお茶でも飲みながら縁側に座ってぼーっと過ごしながらお茶でも飲みたい。霊夢さんが帰ってきたらそれを頼むのも良いだろうか。あぁでも私たちは勝手にここに来ているだけだからね。そんな待遇は期待できないか。それよりも、足が痺れてきた。そろそろ起きてもいいだろうに、ぐっすり寝ている奴が居るせいで動けない。いや、起こせばいい。起こして足が辛いからどいてくれと頼めばいい。そうは思う。思うのだけれど、できない。だって心地良さそうな、幸せそうな顔で寝られたら起こせなくないだろうか。ましてやそれが自分の好きな相手であり、自分の膝枕で寝ているというのは起こせる道理がなかった。
「はぁ…」
ついため息が出てしまっても仕方が無いだろう。いくら面霊気として生きてきたと言っても私は恋心など覚えたことは一度もなかったのだ。自覚することにも時間がかかった。ましてや伝えることなど。目の前で気持ちよさそうに寝ている古明地こいしのことが羨ましい。何事も考えずにそれができるならば、どれほど良かったのか。いや、でもこいしはそれが苦しいということもあったか。あまり良い表現ではなかったな。
すまない、と心の中で謝る。言葉に出しても寝ているし、何のことか分からないのに謝られるというのも気味が悪いだろう。
彼女の頭に手を添える。帽子があったからそれを床の上に置いて、薄く緑がかったその髪に手を通す。サラサラであり、触り心地の良いものだった。別に膝枕をしているのだからこのくらいはしても許されるだろう。そう思いたい。しかしながら、その手を止めることが叶わず撫でている間に、その刺激により彼女の意識は覚醒してしまった。少しばかりその終わりを惜しんだが、足もそろそろ限界であった。
「あ、こいし。おはよう」
「ん…こころちゃん。おはよぉ」
気の抜けた挨拶が耳を通り抜ける。その音が鼓膜を揺らして私の頭に刺激を与える。何とも無防備な表情をしている。ちょっかいをかけてくれと言っているのだろうか。
「いやぁ、つい気持ちよくて寝ちゃったよ。ごめんね?」
「いや、いいよ。そのくらいなら。別に私は敗者ですからね」
つい敬語が出てしまう。自分でもよく分からない癖だった。勝負に負けた時は自然と敬語が出るものであった。逆に勝負に勝った時はちょっとだけ傲慢になったりもする。ささやかな仕返しなのかもしれない。無意識にずっといるんじゃなくて、少しでいいから私のことを見てくれればいいのに、って。我ながら自分らしくないとは思う。恋心なんて知るべきではなかったのかもしれないけれど、幸せになりたいという気持ちが出てしまったのなら仕方がないだろう。
「でも、心を開いてくれたら、嬉しいのにな。なんて」
そう小声で、聞こえないように言ったつもりだったのだが。距離的に近く聞こえてしまったらしい。彼女は少し驚いたような顔をしていた。
「…やっぱり、こころちゃんもそう思う?感情を全て出して欲しいって。笑みしか見えない私ってやっぱり不気味に見えちゃうかな」
少し不快にさせてしまっただろうか。申し訳なく思う。
「あぁ、いや。そういう訳では無いのです。ただ、私情的な意味で感情の動きが見て取れたら嬉しいことがあるというか、その」
言葉に詰まる。どのように伝えたら上手く伝えられるのかが分からず、苦悩していると向こうが先に話し始めた。
「そう思うなら、今度さ。こころちゃんの能力で私の感情を呼び起こしてみてよ。きっと楽しいと思うんだ、私も。そのための勇気がないだけで」
「…分かった。こいし。一応霊夢さんに伝えてからにしようかー」
「うん、そうだね。万が一何かあったらいけないから」
そういうこいしの声は少し震えていた。なにか触れてはいけないものに触れてしまった気がした。怯えていたのかな。私にしてあげられられることといえば、なんだろう。思案して思案して思案してたどり着いた答えはこいしを抱きとめることだった。
「ふえっ、きゅ、急にどうしたの?こころちゃん」
「いやなに、声が震えていたから」
如何にライバルで、どれだけ勝負で戦った相手であろうと礼儀は持ち合わせているつもりであったがその相手に対して、ましてやこいしに対して傷つけるような真似をした自分を少し恨んでいた。考えることなく言葉を発するということは危険であると見てきたはずなのに。
けれどこいしは安心したのか震えは止まっており、むしろ少しむすっとしていた。
「こころちゃんはそういうことを普通にやってくるのが良くないんだよなー」
「え?何が?」
「なんでもないよーだ」
あからさまに機嫌を損ねていそうな声色だったが、冗談交じりのものであったのでそこまできにすることもないだろうと思った。子供みたいに拗ねるようなことは以前から何度もされてきたから、慣れているのだろう。
こんなくだらないほどに平和な毎日っていうのは、価値が大きいというのにその価値を実感させてくれないものである、と常日頃から思う。こいしと出会う前の単なる面霊気でしかなかったこころは毎日が退屈であった。別に何を成すでもなく、ただ人里を眺めていたり一日ぼーっとすごしているだけである。きっと多分、その頃から私はどこか寂しかったのかもな。そう感じる。
そんな生活が変わったのは、私が希望の面を落としてから。本当はこういうことを思うべきでは無いのだが、あの異変が起きたことで様々な感情を勉強できたし多くの人と関わるきっかけになった。今では人里や博麗神社で能楽を踊らせていただくこともあるのだから、以前の何も無かった生活と比べて大きな進歩だ。
けれど、そんな中でもずっと関わり続けているのはここにいる古明地こいしだった。私自身、あまり知っている訳じゃあない。いや多少は知っている。地底の地霊殿ってところに住んでいて、元々はサトリ妖怪だったけれどそのための瞳を閉ざしてしまったのだとか。その時に付随して無意識の力を得たのだとか、そういう話は知っている。私が知らないのは、彼女の貼り付けられたような笑顔以外の表情だった。私自身無表情でありお面で感情を表すが、それは面霊気としての器を動かす力がなく、あくまで本質がお面だからである。しかし彼女もそのように笑顔を貼り付けている訳では無い。そのはずなのに、ずっと彼女は笑顔でいる。固定されているかのように笑顔のままであり続けるのだ。それがずっと疑問だった。
とはいえ、それを追求するのも野暮だろう…そうは思っていたのだが、それに近しいことを頼んでしまったのだから私とて自分の欲求には正直なのだな、と思う。そんなことを考えていたら向こうが再び切り出した。
「あ、そうだ。こころちゃん」
「ん?どうしたんだ、こいし」
「どうせ霊夢帰ってくるまで暇だしさ」
言いたいことが分かった。あぁ、やっぱりこいしはこいしだな。そう思った。
「弾幕ごっこでもして、遊ぼうよ?」
無論断る理由もなく私は首肯した。
「こうしてこいしとまた弾幕を交えることができるとは、私としては嬉しいところです」
「こちらとしても、望むところだよー。というか、さっきから丁寧語になったりタメ口になったり。よく分かんないなぁ」
「うーん、自分でもそれはよく分からないです。思ったように話すとこうなっているから、不思議」
「ふぅん。ま、始めよっか?」
その一言で弾幕は一瞬にして二人を包み込む。かたや薙刀、かたやハートの弾幕。しかしそれはどれもが高威力でお互いが手加減をしていないことの証明である。
ハート型の弾幕が目の前で交差して、いつの間にか囲まれていることに気がつく。しかしそのようなことで慌てるほどこころも戦いに慣れていない訳では無い。能楽を踊るように流れで全てを避け、または受け止める。
あぁ、やっぱりこいしの弾幕は美しい。誘い込むような弾幕と追い詰めてくる弾幕が綺麗にハーモニーしていて、そしてそれに立ち向かうのはもっと楽しい。でも。私だって、結構強いんだから。
そう思ってこいしとの距離を詰めようとしたその時、大きな声が私たちの元に響いた。
「こらー!あんた達何勝手に入り込んで暴れてる上にこんなにも周りが荒れてるのよ!」
霊夢さんが帰ってきた。それと同時にそういうことを言うもんだから、周りを見渡してみれば想像以上なまでの惨状であった。木々は何本も倒れており、境内も高エネルギー弾によって無惨にも破壊されている。これ、やりすぎたな。
「ご、ごめんね霊夢。ちょーっとだけ、一緒に遊ばないってこころちゃんと話してて…」
「問答無用!さっさと後片付けをしろ〜!」
そう言われたら何も言えるわけがなかったので、仲良く二人で掃除することになった。
「…それで、なんで弾幕ごっこしてたわけ?」
「いやぁ、霊夢が帰ってくるまで暇だからちょっと体を動かさない?みたいな感じで」
「ついでにみたいな感覚で境内壊されたら困るのだけど?」
「あー霊夢ごめんって、機嫌悪くしないでよー」
そう言ってこいしが霊夢さんの左腕を捕まえて引っ付いた。小動物みたいで可愛い。
「ほらほらこころちゃんも、右腕空いてるから」
「あのねぇ、私の腕は捕まえるものでも引っ付くものでもないのよ?」
「でもこうした方が幸せでしょ?」
「…そんなことないわよ」
「えーそっか〜。ま、やめないけどね〜」
微笑ましいそれであるが、私もそこに混ざる。ちょうど右腕が私の体にフィットしてしまいました。これでは抜けられませんね。
「というか、こんなことをしていたら霊夢さんを待っている理由を忘れるところでした」
「え?あんたらなにか私に用があるの?」
「まぁ、用事というか…こいしの感情を戻すために私の力を使うことを許可して欲しいのです」
そう言うと霊夢は心底面倒だ、と言わんばかりの顔をした。
「うげぇ、どうしてあんた達はそういう本当にめんどそうな事ばかりやろうとするのかしらねぇ」
なんなら言ってきた。容赦がない。
「すみません、でもこいしに感情が発露したら今よりももっといい気がするんです。私にもよく分からないんですけど、そんな気がするんです」
その真剣さに押されてか、それとも元々受け入れるつもりだったのかは分からないが、霊夢さんはそうねぇ。と呟きながら続けて言った。
「ま…いいんじゃないの。一応心配だから私と、あと魔理沙でも付けといてあげるわよ。その方がなにか起きても対処できるだろうしね」
「お〜、さっすが霊夢。霊夢は優しいね〜」
そう言ってこいしがまた引っ付き始める。私もそれに倣う。最近は気温も低くなってきたから丁度いい温かさだ。
「…はぁ」
当の霊夢さんは、ため息混じりだったけれど。
*求めてたモノ
翌日。どんよりとした曇天の空の下、霊夢さんによって集められた四人によってこいしの感情を発露させようの会が開かれていた。
「…で、霊夢にこいしの感情を出させてみようと話を聞いてきたが…これはどういう状況だ?」
「私が能力でこいしの感情を発露させるので、お二人にはなにか起きた時の対処をお願いしたいなぁと」
「なるほどなぁ。ま、面白そうだし見ておくぜ」
多分本当に好奇心だけで見ているのだろうけど、何かあったら魔理沙さんは動いてくれる。そういう人だと知っていた。
「それじゃあ、始めるけどこいしは大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
そう言うものの方は震えていて、少し無理をしているように思えた。
「別に無理はしなくて大丈夫だぞ、こいし。こころだって無理強いしたいとは思ってないだろうからな」
「うん。でも、私も気になるから。皆と色んな気持ちで関わりたいから。頑張りたいんだ」
「そうか」
それでも震えるこいしの肩を、背中をさすりながら落ち着かせてた。大丈夫、きっとこいしなら大丈夫。無責任な言葉かもしれないけど、きっと上手くいく、と。
「じゃあ、やるね」
そうして私は私の能力を使ってこいしの心を引き出そうとした。
けれど、本当はそうするべきでは無かったんだと思う。引き出そうとした瞬間、急にあたりが微睡み始める。
「なに、これ」
気づけば周りの二人は倒れてしまっていた。そしてそれは私もそうなるのだろう。もう、意識が吸い取られそうで、たえられない、きが、
…周りは真っ暗で何も見えない。けど確かに私は地に足をつけていた。その感覚があった。けれどどこか浮遊感もあった。ここはどこで、どうしてこんな事になっているのか、どうしてこんな所にいるのかは分からない。分からないけれど、歩き続ける。
歩いていると次第に周りに色が付き始めた。白、黒、青、赤、緑、黄色。様々な色がそこにあった。そして一際目立つ、輝いているものがあった。しかしそれは薔薇の葉に包まれていて、簡単には触れそうになかった。けれどどうしてもそれに目を奪われた私はそれに触れようとした。
けど、できなかった。
「ダメだよ、それに触れちゃ。折角封印したのに開くだなんて、労力の無駄だわ?」
そこには、こいしがいた。そしてそのこいしは無邪気で、楽しそうで、そしてどこかこいしらしくなかった。相手を嘲笑うような、バカにするような感覚を覚えた。
「…こいしか?」
「うーん、古明地こいしかと言われたらそうであってそうじゃないわね」
「…つまり?」
「私は、古明地こいしの本心の具現化みたいなものよ。精神の具現化と言った方が分かりやすいかしら?」
精神を具現化したもの。ということは、ここはこいしの無意識下にあるとでもいうのか。
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだよ。それより、私の感情を呼び起こそうとするの、辞めてくれる?」
「何故だ?感情を呼び覚ましたいとこいしは同意したじゃないか」
「それはあくまで表面の私。無意識というのは本心を色濃く映し出す鏡なのよ?私はどこかで心を開くことを恐れてるのよ」
だから、と一泊置いてから続ける。
「そう思う理由を、見ていってよ。好きなだけ。この世界を歩いてみれば、分かるはずだからさ?」
彼女がそう言ったあと、足場が崩れる感覚を覚えた。世界が形を変えて移り変わっていく。妙な浮遊感がそこにあり、些かの不安感と好奇心が胸を満たした。
そのうち、視界が開けるとそこには多くの物と者があって、いた。例えば夜のお花畑の上で流れ星が流れていたり、例えば私が能楽しているのを上から眺めていたり、例えば。包丁を突き刺した第三の瞳から、血が溢れ出て見るに堪えない無惨な状態で放置されていたり。はたまた、私が知らない人が映っていたり。一言で言えば、混沌である。けれど、共通点が無いわけではなかった。きっとこれはこいしが今まで見てきたもの。そうでなければ私を含めた記憶というものは出てこないはず。つまり、全てを見ていけばこいしの過去が分かるはずだ。そう思い、歩みを進める。
一つ目に見たものは、私の知らない記憶。つまりは、心を閉ざす前のものだろうか。その時期の記憶が残っていた。きっと、心を閉ざしても消えることはなく心の奥底に残っていたのだろう。そう感じる。その中身は、おそらく姉と地霊殿に住み始めた頃の記憶。その頃のこいしは幸せな表情を浮かべていた。今よりも、自然な笑顔で。今よりも、真っ当な感情を浮かべて。───今よりも、輝いている瞳で。姉は忙しなく仕事を進めているようで、ペットと遊んでいるが疲れて寝てしまった。そこで記憶は途切れている。
「こいしが感情を取り戻したら、あぁなるのかな」
その一言は、暗い闇の中に吸い込まれていくように何処にも反射することなく消えていった。こんなことをしている場合でもないと思い、先に進んだ。
次の記憶はお花畑だった。この時のこいしは瞳を閉じていた。私の見る笑みであった。一人でなにをしているのかと思ったら、花冠を作っているようだった。そしてそれを頭に着けて歩き回る。時には走り、疲れたら休む。そうして草むらの上に寝そべる。別に、なんてことの無い日常。けど、異様さが一つだけあった。こいしはそこで泣いていた。第三の瞳は閉じている。その上で泣いていた。つまり。こいしは別に、悲しいと思う感情があるのだ。どういう因果で泣いたのかは分からないが、悲しいと感じることができているのだ。
「…どういうこと?これを見せてくる理由も、それを教える理由も、よく分からない」
それでも、足は歩みを止めない。知りたいと思ってしまうから。例え見るべきでなかったとしても、見たいと思ってしまったから。
思えば、行動はすぐに出てしまうものなのだろう。気づけば足は動き出すし、気づいたら次の記憶の断片が目の前にあった。
「こいしが私にこれを見せる理由は分からないけど」
でも、それでもこいしを理解するために私は見なければならないはずだ。けれど、それが私の一方的な感情だったら?本当は困らせていたら?
「私は、どうしたら」
しかし、見たいと思っている。そして精神の具現化と自称しているこいしも黙認している。止めるものは、何も無い。そのはずなのに。
「足が、動かない…」
違う。動かないんじゃない。私は恐れている。なにを?簡単だ。本当の古明地こいしを知ることを。それを知ることが恐ろしい。一人の経験したであろう、おそらく悲痛な経験をこれから見ると思ったら、見て見ぬふりをしたくなっているというのだ。無責任にも、感情を発露させたいと思ったというのに。しかしそんなものは傲慢である。自らのことを愛しているだけの自己中心的な存在でありたくないと、こころは思った。だから一歩ずつ。一歩ずつ前へと進む。受け入れるために。理解するために。
この記憶は、瞳が閉じていた。私が能楽をしているところの記憶だった。私が壇上に立っており、こいしは上から花びらをまいていた。私の記憶にも、これはあった。私の動きに合わせてまき方を変えたりしていて、意外と細かにやってくれていることを実感した。
けれど、やっぱり違うところも存在した。突然、彼女は動きを止めた。目を拭っている素振りを見せた。また、涙が溜まっていた。けれどそれは悲しいという感情ではなかった。きっと、能楽を見たことでの感動。彼女はセンチメンタルなのだろうか。けれど、やっぱり疑問に思うのはこいしに感情は存在していたということ。それに気がついていないだけで、そこにはあったということ。
「…」
何も言うまい。言うことができまい。私はこいしの何を見ていたのか。それに目を向けることなく、先入観だけで物を知っていると思い込んでいたのでは無いのか。本当は、私は、こいしになど。興味を抱いていなかったのだろうか。いや、そんなはずがない。そんなわけが無い。心は叫ぶ。しかしこころがそれを肯定することは叶わなかった。
足が重くなる。重いのは誰のせいか。自分のせいだ。しっかりとこいしのことを見てこなかった自分のせい。なぁなぁでも上手くいくと楽観的に考えていた自分のせい。そして、分からなくなったら投げ出したいと思ってしまう自分のせいだ。
「本当はどうするべきだったのか、私には分からない。けど最後まで見る義務があるはずだ」
そのはずだ。こいしは私を信じてそうした。信じてくれたのに、こいしを信じずに何ができようか。
そうして目の前に。血の爛れた第三の瞳と包丁のオブジェクトに近づいた。きっと、この記憶が。この記憶こそがこいしを今のこいしたらしめる原因があるはずだから。足は上手く動かなかったけど、無理に動かした。そうでもしなければ、倒れてしまいそうだったから。
そうして、その記憶に手を伸ばす───
「ねぇお姉ちゃん。遊ぼーよー」
「ごめんなさいこいし、仕事がまだ残っていて…夜まで待っていただけませんか?」
「むー、いっつもそうだよねぇ。でも、お仕事頑張ってくれてありがとう。夜、楽しみにしているね?」
そう言って私は家を飛び出す。こうやってお姉ちゃんに相手にされないのはいつもの事だったから慣れている。お姉ちゃんは立派だ。私と違って仕事は頑張るし、大抵のことはなんでもやり遂げる。私の自慢のお姉ちゃんだ。私は今は、何も出来ないけど。でもいつかはお姉ちゃんみたいになりたい。
そう思っていたんだ。
それはそれとして暇だということには変わりなくて、ペットたちと遊ぶことにも最近は飽きてしまったので地上に出向くことにした。地上っていうのはいいところだ。空気が澄んでいるし、なにより綺麗だ。そして人間っていう面白い生き物もいる。力は強くないけれど、頭が格段に良くて、色んな知識を持ち合わせている。私はそんな人間が好きだった。だから、私も友達になりたかった。だからなのかな。私は気がついたら人里に向かっていたみたい。せっかくだし、人間に話しかけてみた。
「ねえねえ、貴方たち何して遊んでるの?」
そう言うとその人たちは酷く驚いていた。それも当然、サトリ妖怪に話しかけられるなんて経験普通は無いもの。
「えっ、えっ…と…」
どうやら目の前の人たちは驚きのあまり話すことができないようだ。うーん、心の中を読むと怖がっているみたい。サトリ妖怪にできることなんて心を読む以外にないんだけどなあ。
「そんな怖がらなくても大丈夫だよ。私が貴方たちに危害を加えるつもりはないの」
「そ、そんなこと言われても信じられないでしょ!妖怪の言うことなんて信じたっていいことなんて何一つないんだから…」
「うーん、たしかにそれもそうだねぇ」
彼らが言うことにも一理ある。人間は妖怪を恐れるものであり、妖怪は人間を殺すというのが摂理であり、現実である。だから恐れるというのは正しい。かといって本気で危害を加える気などないのだから、少し悲しいとも思う。なんとか人間と仲良くなれないかなって。
「どうやったら、私と仲良くなってくれるかな?」
「仲良く…何を言っているの、あなたは…サトリ妖怪と人間が仲良くできるわけがないでしょう…」
「いやーだからさ、どうやったら貴方たちは私が危害を加える気がないってことを信じてくれるのかなぁって」
別に私としては仲良くなりたいだけであって、時間を潰したいだけであって、人を狩りに来たわけでも食べに来たわけでもなんでもないのだ。だからこそ、怯えられているというのは少し悲しかった。
「ねぇ。どうして私をそんなに嫌うのかしら。私は貴方たちに何もしていないし、するつもりもないのにどうして仲間外れにするの?」
「だって、サトリ妖怪じゃない。心を読まれるなんて不愉快でしかないのよ…」
あ、そっか。普段お姉ちゃんとかペット達の心を読んでもなんとも思われないから忘れていたけど人って心を読まれるの、好きじゃないんだっけ。
なら、壊しちゃおう!嫌われる理由になる第三の瞳を壊してしまえば、皆私のことを受け入れてくれるはずだよね!
「おねーさん、ちょっとまってて!今から心を読めないようにしてくるから!」
そう言い残して一度里の外に出向いて手頃な木の枝を見つけてはポキっと折る。妙に気持ちいい音が鳴り響いた。心臓はドクドクと波打っていて、自分がこれをすることに少し恐れを抱いているのだと知った。でも、これをしなければ好かれない。これをしなければ愛されない。これをしなければ受け入れられない。
そうして私は木の枝の尖った部分を振り上げた。
──────グチャ、グチャ…ブシャ…
ふしぎと痛みはかんじなかった。瞳をみると、真っすぐに枝がつきささっていた。それを抜こうとして、強くひっぱったらよけいに血がでてきた。でも、これでいいんだよね。きっとこれで受け入れてくれるんだよね。
でも、ダメだった。それじゃダメだった。
「どうしてココロをよめないようにしたのに私をいまだにきらうの?」
私はヒトにといかける。どうして?私はあなたたちのいうとおりにしたのに。それじゃ、だめなの?なんで、どうして?ってさ。
「だって、負の感情が溢れ出ているんだもの。そんな人と一緒にいたいなんて思えないわよ」
なるほど!じゃあずっとえがおでいればいいのかな?うーん、どうしよう?あ、ヨロコビいがいのカンジョウをコワしちゃえばいいんだ!いらないモノはこわしちゃえ、すてちゃえって。きっとおねえちゃんもそういうよね!
そうして私はもういちど。
──────ゴンッ、ゴンッ…ゴツッ…!パリン。
へんなおとだけがむねにひびいた。でもやっぱり、ふしぎだね。いたみなんてなかったんだ。でも、だいじなナニカがなくなったような気がしたの。それがナニかはわからないけどね。
でもこれでニコニコ!ニコニコ!ずっとえがおでいられるよ!これできらわれることなんてないよね!だって、たのしいっていうココロいがい、ふうじこめたもん!きっとこれでうまくいく、きっとこれでなかよくなれる!
けど、それじゃダメだった。それじゃあダメなんだってさ。
「わたし、あなたの。あなたたちのいうとおりにしたよ?あと、なにがだめなの?わたしの、なにが、だめなの?」
そのこえはなんだかふるえていた。おびえていたの?なにに?わかんない。わかんないよ、そんなこと。でも、あいてはこたえてくれた。すっごくひえきったこえでね、こう言うの。
「逆にどうしてサトリ妖怪と人間が仲良くなれると思ったの?嫌われているのに、どうしてそんなに何度も何度も近付こうとするの?心底気持ち悪い」
なんだかむねがいたくなった。とってもとってもいたかった。あぁ、わたしっていらないんだなあって。だれかのココロをよみたいわけじゃなかったのにな。言われたままにいらないモノをこわしてこわしてすててきたのにな。きらわれものは、きっとだれにもひつようとされていないんだね。なんのためにがんばったんだろう。なんのために生きているんだろう。もう、こわれたモノは。こわしたモノはにどともどらないのにさ。でもニコニコしないともっときらわれる。だれに?ニンゲンに!皆に!あれ?でももうきらわれてるか。じゃあ、もうニコニコしなくてもいいのかな?でも、わたしをしらないだれかがニコニコのわたしを知ってすきになってくれるかも?なら、やめなくていっか。それよりも、いらないモノの【整理】をしなくちゃ。おねえちゃんにおこられちゃう。ちゃんと【整理】をしなさいって。カンジョウと、サードアイと、あと…あ!メノマエノこのゴミもすてなきゃね!でも、まだいきてるみたい。じゃあ、サツショブンからかな?えへへ、血をみるなんて、ひさしぶりだな。
「ね、ねぇ。なにするの。いきなりこっちに来ないでよ」
なんだかゴミがワメいてるなぁ。うるさいなぁ。はやくだまればいいのに。さっさとこわれちゃえばいいのに。
「やめてっ、危害を加える気がないって言ったのはそっちでしょ、くるなっ、来るなックルナッテイッテイルデショ…」
──────グチャ、グチャ、グチャ、ヌチャ…ブシャ…
あぁ、こわれてうごかなくなった。きっとこれでいい。これでよかったはず。でも、このシタイをどうしようかなぁ。お燐にでもわたそうかな?きっとよろこんでくるるよね。じゃあ、地霊殿にもどろう。もうすぐでよるだから、おねえちゃんもお仕事、おわってるかな。
地霊殿についた。
「お燐〜いるー?」
そうよびかけるとお燐はすぐにきてくれた。
「はいはい、こいし様。どうしました?」
「ちょっとシタイのショリにこまっちゃったから、いるかな?っておもって」
「あぁ、そりゃあ助かります。助かるんですけど、その、こいし様?」
どうしたんだろう?わたしのことをみてかたまっている。なにがあったのかな。
「どうして、瞳が閉じているのですか…?」
あぁ、なんだ。そんなことか。
「コレ、いらないモノなんだって。だからこわしてこわしてすててきたの。きっとこれでみんなからすかれるよね!」
そういうとお燐は今にもなきそうなかおをしてたの。ふしぎ。ニコニコしてるのになんでかなしそうなかおをするのかな。
「さとり様を、呼んできますね。こいし様」
「うん、ありがとー」
なんだか、ようすがへんだったなぁ。なにがあったのかなぁ。
「こいし!」
「あ、おねえちゃん。よるになったから、もうあそべるよね?あーそーぼー」
そう言ってもやっぱりおねえちゃんもかなしそうなかおをするんだ?なんでだろうね
「…そうね、あそびましょう、か。こいし…」
「うん!」
でも、とちゅうでたえられなくなったのかな。おねえちゃんもねこんでしまった。ねむかったのかな?それとも、いっしょにいたくなかったのかな。どうだろ。きらわれものがすかれることなんてないもんね。おなじしゅぞくからも、きらわれてもおかしくないか。
あーあ。わたしって、だれにもあいされないんだなぁ。あーあ。だれかにあいされたかったなぁ。
はぁ。どうにでもなればいいや。もう、なんでもいいよ。こんなの。
「…こいし」
見えたのは、こいしの第三の瞳を閉じた時の記憶だった。そしてそれは悲惨で、無慈悲で、残酷な現実だった。
でも。私は別に知り得なかった。そんなこいしのことなんて知らなかった。知らずにそれを呼び起こしてしまった。
今思えば、こいしの弾幕にも愛の欠如が現れていたのだろうか。彼女の弾幕はハートの形をしていた。それが、愛の欠如と、その不満を放出するものだったのか。それとも、そんなことは関係なくただ思いのままに放出しているだけなのか。でも、そんなことは関係ない。いや、関係あるのか?分からない。どうするべきなのか、どうもしないべきなのか。
「なぁ、こいし。私はどうしたらいいのかな。貴方のために、どうするのが正解なのかな」
「…誰に問うてるかは知らないけど、無意識下の私に聞いてるなら、私は別にこころちゃんが決めたことならやってくれても構わないよ。そう思うならね?私が止めていた理由は、何も知らないで解放するのは少なくとも違うと思ったからだしね」
「…そっか」
だから、悩めばいい。悩むしかない。悩む以外にできることはない。こいしのために。今度こそ、こいしのために。どうするべきなのかを真剣に考えるべきなんだと思う。いや、考えなければならない。
「でも、ごめんね?あんまりこの状態を引き伸ばしのままにすることも出来ないんだ。だから、あと数分。ここにいられるのはね」
「どうして、」
「無意識の力が弱まってるのよ。感情を解放による無意識の暴走のせいかしら。維持するために必要な力が足りなくなってるっぽい。だから、あと数分。するもしないも、こころちゃんの自由だよ」
あぁ、そっか。どうすればいいかなぁ。ねぇ、こいし。どうしたらいいのかなぁ。こいしは、どう思ってるのかなぁ。
しかしその悩んでいる現状と裏腹に、刻一刻とタイムリミットは迫ってくる。世界が段々と暗くなっていく。目の前の輝くものを残して。
このまま残すのが正解なの?解放したいと思うの?こいしはどう思っているの?いや、私の好きにしてと言っていた。これを見てどう思うもどうするも私の自由だって。ならば、解放すればいいのか。いやしかし、こいしのそれを解放したとしてこいしに何も影響がないとは言い切れない。むしろ何かしらの影響があると考えて当然だろう。例えば、解放された感情が急速に発露して、それを制御できずに諸共破壊される、とかいうことさえ有り得る。最悪の場合、感情が死んでしまう。それを私一人の一存で決めることなんてできるのか?不安そうに思っていたこいしを私が一人で壊すかもしれないのに、自分自身の欲に従って解放するというのか…?
「私には…できない…」
私には。秦こころにはそんな残酷で自己中心的な選択なんてできなかった。こいしを想うなら、そう思って仕方がなかった。
「そっか。こころちゃんはそうするんだね。私はそれを肯定も否定もしないよ」
そうこいしが一言つくと、世界が再び形を変えた。というより、崩壊だろうか。私はまたその浮遊感に身を委ねることとなった。
肯定も否定もしない、という一言だけがずっと頭の中で反芻し続けた。
*対偶のエモーション
意識が元の体に吸い寄せられるように私は目を覚ました。気がついたら地面の上に横たわっており、前後での変化は特になく変わりない現実だけがそこに存在していた。
───でも、あれは夢なんかじゃない。
そう本能が告げていた。あれが夢ならばどれほど恐ろしい夢だというのか。そしてそれがこいしに関することというのはタチが悪すぎる。少なくとも、現実で起きたことと考えて差し支えないだろう。そう考えつつ周りを見渡すと、未だにこいしも霊夢も魔理沙も横たわっているままであった。おそらく時間が経てば三人とも目を覚ますだろう。
本当は怖かっただけではないのか。保身に走っただけではないのか。自責の念は止まらず、自らを攻撃し続ける。矛先を自分の心へと向けた言葉の暴力は何よりも痛く、強く、強烈に突き刺さっていった。それが抜ける気はしなかった。
「…こいし。私は、お前のために何かしたかったんだ。けど、そんなこと私の押し付けがましいものでしかなかったんだ。きっと…いや、そんな軽い言葉で形容できるものでもないか」
この複雑な感情は如何ようにも言葉と表すことが出来なかった。申し訳ないと思う後ろめたさと、どうすればいいのか分からないという疑問と、一旦は日常へと戻れた安心感とが混ざりあってさながら闇鍋のようにグチャグチャと不快な音を奏でていた。そこに理性や秩序は存在せず、混沌のみがあるだけだった。
「…ん、うぅん…」
「あ、こいし。起きたか?」
「…うん。起きたよ」
こいしの目には如何程の感情も見えなかった。いつもの笑顔も。何もかも。
「その、こいし」
こいしに色々伝えようとした。けれどそれを遮られる。
「いいんだよ、こころちゃん。私のために無理をする必要なんてないの。別に私はそれでこころちゃんのことを嫌うなんてことはないんだから」
「…ごめん」
「だから、いいって。これが私だよ。むしろ私こそごめんね」
こいしが謝る必要などないというのに、さも当然かのように彼女は謝ってきた。ニコニコの笑顔を添えて。それがどうしても悲しかった。
「ねぇ、こころちゃん」
「…うん?」
「後悔は、してない?」
「それは多分、この先分かるよ」
「そっか。なら、そうなんだろうね」
そう言ってから再びこいしは笑顔を見せた。きっとそれは貼り付けられただけのもの。変わらず貼り付けられているもの。
「二人が起きたら、帰ろっか」
「そうだな」
これが本当に私が求めた現実だったのか。現実は常に一直線上を動く関数でしかない。それは時に加速したり止まったり緩やかに動いたりと、軌道は読めない。けど、必ずある時刻において一点しか現在は存在し得ない。だからもう一つだなんて考えても仕方がない。仕方がないこと。そう思いたかった。
でも、私もこいしも幸せになれる世界があるのなら。きっとそこは上手くいく。私とこいしも。それ以外の関わりも。
「ごめんなさい」
空は雲で覆われ続けていた。
「…分かった。こいし。一応霊夢さんに伝えてからにしようかー」
一人で事を始めようとせずにこいしの安全を最大限気にしていることも
無理に結論を出そうとしないところも、こころがこいしを想う気持ちが強く現れていてよかったです。