Coolier - 新生・東方創想話

Turtles all the way down

2024/08/26 16:46:57
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 十八世紀、アメリカ独立戦争の最中に登場したそれは「タートル」と呼ばれた。形が亀に似ていたためである。
 二十世紀、日本軍はそれを「鈍亀」という半ば侮蔑が混じったあだ名で読んだ。海軍兵器として屈指の鈍足のそれは敵に見つかったら最後、禄に回避行動もとれず自動的に海葬される棺桶と化したからである。
 しかし、亀のように常識から逸脱した形状の、亀のように鈍重なそれは、目に余るほど多数の欠陥を抱えてなお発明以来全世界の海軍、否、全世界の船乗りにとって最も恐るべき脅威の一つであり続けた。
 その兵器の名は、潜水艦という。





1.
 少し昔、移転後の地獄にもまだ巨大な、海のような血の池地獄があった頃の話である。
 剛欲同盟長の饕餮尤魔は部下のオオワシ霊を連れて針の山を登っていた。針の山には血針草という、踏んだものの血と霊力を吸い取る草が所狭しと生えているが、饕餮は逆に足元の血針草から生気を吸収していた。仏陀が歩いた後には花が咲き乱れたという言い伝えがあるが、極楽から最も遠い強欲で穢れた畜生は逆に植物を枯らす。結果山頂まで文字通りの獣道が形成された。オオワシ霊は地面に足をつけることなく飛んでついて行っているので饕餮一人だけが使う獣道である。
 山頂に到達した饕餮はおもむろに周りの血針草をスプーンで叩き血を絞り出した。そして草から吐き出された血を集めて血球にして上に乗った。お世辞にも高いとは言い難い背を猫背にしている饕餮は、こうしないと山頂であっても十分な視界を確保することができないのだった。
 山からは血の池の淵のあたりを見下ろすことができた。一角が港として整備されていて、今まさに荷を積むために何隻か船が停泊していた。剛欲同盟が水運の経済性に目をつけたのである。
 地獄も畜生界も物が足りない世界だから、物の売り込みは儲かるシノギである。陸路の交易路も当然既にあったが、浮力に物を言わせて大量の物資を一気に運ぶことができる水路には新規に開拓するだけの価値があった。沢山売れば沢山儲かるのだ。
「きちんと仕事はしているようだな」
「鼻だけお高い連中なだけに、こうも真面目に働くとは正直意外ですね」
 高飛車なオオワシ霊の一羽は自分の性格を棚に上げて驚嘆していた。
「絆だの恐怖心だのだけで団結させようという他の組は脳筋ということだ。一番組織を結びつけるのは現世利益、金だ。あのキリン霊を見てみろ。あいつは自分の首一振りが金貨十枚になることを理解している」
 外の世界では機械化が進む海運業も地獄や畜生界では人海(獣海)戦術になる。キリン霊は畜生界のクレーンだ。今は首を上下に動かして二種類の白い粉が入った袋を次々と港の地面から甲板に運んでいた。二種類の白い粉とは、こねて焼くとパンになる白い粉とキセルか何かで吸うと幸せな気分になる白い粉のことである。これらの粉の袋は甲板上や船内にいる動物霊達によって収納されていく。
 船が際限なく粉を食べて喫水線をいくらか沈めたところでキジの鳴く声が針の山の山頂にまで響いた。出港の合図であり、荷を満載した船は少しずつ港から離れ進んでいく。それを見守る饕餮は結果が金貨何万枚になるかと想像していた。取らぬ狸の皮算用だ。本当に。
 この船団が迎える惨劇など、このときの饕餮には知る由もなかった。





 亀甲08。それが吉弔八千慧が今乗っている潜水艦の艦名である。もっとも艦名などはどうでもいい。重要なのはこの艦艇が潜水艦として機能していることと、亀甲08から見て五時の方角にいる別の潜水艦、亀甲17が血の池を航行する船を捕捉したことの二つだけである。
「亀甲17、攻撃はせず発見されないよう水平線距離で追跡を継続せよ。亀甲03、亀甲05、亀甲12。亀甲17を始点に円陣を組むように展開せよ。本艦も作戦予定地に展開する」
 やたらとノイズが交じる無線電話で数度繰り返し命令を伝達した。外の世界からこちらに来た人間霊の技術者に作らせたものだが、電気を霊で代用しているというのだけでは説明がつかないくらい使い勝手が悪い。この技術者いわく少し前に外の世界で大戦争があり、彼の属する国は負けたらしい。負けるのも納得だと八千慧は思った。とはいえ安定して通信ができる電話を作れない国ですら問題なく機能する潜水艦は作れるという事実に、外の世界との技術格差を感じずにはいられなかった。
 通信を終えた八千慧は潜水艦のスクリュー音を聞きながら目を閉じて瞑想した。無線電話への憤りが減退すると代わりに獲物を見つけた高揚感が心を支配していく。
 潜水艦を作った技術者とは別の人間霊から受けた忠告を思い出す。獲物を全て狩ろうとしてはいけない。
「全て狩ろうとしてはいけない、ねえ」
 その忠告のはいささか難しいと思わざるを得なかった。敵がいれば、獲物がいれば闘争を求める。自虐的に自己を分析するならば所詮畜生なのであり、畜生は畜生の理から抜け出すことはできないのだ。余程の外れ値でもない限り。





 その人間霊は間違って地獄送りになったらしかった。
 しかし、是非曲直庁(
おかみ
)
の事情など知ったことではない。畜生界のヤクザ連中からしてみれば経緯はどうであれ地獄か畜生界に落とされた段階でその霊魂は何をしてもよい資源に過ぎないのであって、当然八千慧も地獄に出向いて彼を拉致した。
 地獄堕ち、それも役所の過ちによるものとはとてつもなく不幸な出来事だったが、その不幸を完全にではないとはいえいくらかは埋め合わせる事実として、彼には技術があった。
 元々八千慧は単純労働者、摩耗し切るまで決して交換されることのない一個の歯車として彼を連れ去った。しかし事務所に並べられた機械式計算機に彼が興味を示したのを見て理由を問いただしたところ計算機を専門とする学者という身分を明かした。なのでメンテナンスを行うことを条件に、だいぶ良好な環境が彼には与えられたのである。
「ともあれ、報いは与えられるものなのですね」
「貴様が地獄に落とされたのは手違いで、しばらくしたら迎えが来ると聞いていたのだが?」
「地獄に堕ちるほどではないというだけで、咎が一つもないものなど聖人か出産と同時に夭逝した赤子か以外にはいないということですよ」
「よく分かってるじゃないか。だから厳密に法で裁けばほぼ全員地獄行きだが、それだと地獄の管理が追いつかないっていうんで罪の軽い奴はお目溢しするとか、袖の下で取り引きするとか、あの手この手で極力地獄に行かないようにする、それが裁判の真の目的だとも噂されているな。だから『間違って地獄行き』なんてのはほぼあり得ないくらい珍しいのだが、お前生前何をしでかしたんだ?」
「さあ? 戦争が罪として、それにどの程度関わったら断罪されるかという問題じゃないですかね。にしてもコンピュータは地獄にあるのですか。地獄に取られたとなると、天国にはないのでしょうか。だとすると少し残念ですね」
「じゃあ正式にここで雇われるか?」
「いえ。天国で計算機を新しく作りますよ」
「そりゃ残念だ。まあ多分浄土にも計算機はあるさ。別にこの計算機だって浄土から畜生界が奪ったという経緯じゃない。うちも自前で作ったんだ。昔、藍という狐がいてね」
「狐が! 確かに狐といえばおとぎ話でも狡猾さの象徴ですが」
「畜生離れした頭脳の持ち主だったよ。作ってもらったはいいが、本当に畜生の外れ値でね、計算機が完成してからしばらくして畜生の理から抜け出してしまって脱界していった。おかしくて惜しいやつを亡くした。あいや、亡くしたというのは語弊があるな。死後の畜生界から抜け出したわけだからむしろ現世側で生きているのだが、中々連絡がつかなくてな。だから代役として貴様という事情もあるのだ」
「一度お会いしたいものですが、天国に行くまでの推定であと数日くらいですか、そのうちには叶いそうにはないですね。と、終わりました」
 計算機は確認のための試運転を始め、この真空管の塊は独特の唸り声を出しながら入力された複雑な計算式への応答を出していく。
「直ったようだな。それにしても学者で技師か」
「学者ですが技師ではないですよ。計算機は頭で分かっているから理解できるというだけで」
「一つでも複雑な道具を作り整備できるのなら技師だ。畜生界ではな。いや聞きたかったのは貴様が『少し前の大戦争』とやらに関わっていたということなのだが」
「まあ、関わってはいましたね」
 人間霊はかなり歯切れ悪く答えた。
「一つ当ててやろう。貴様は『勝った国』の人間だな?」
「まあ、勝ったといえば勝ったのですかね。我が帝国はその王冠たるインドその他の植民地を喪い、国際情勢をコントロールする力も喪った。かつての敵程ではないにせよ人権規範に多大な欠陥を抱えていることも露呈し民主主義の正当性にもヒビが入っている。私が去ってからそう長い事はないでしょう。ですがそうですね。勝ったといえば勝った、それもまた事実です。事実ですが、よく分かりましたね。祖国の話をしたつもりはないのですが」
「話した言葉の意味からしか情報を得ようとしないのは人間というか貴様の悪い癖だな。こういうのは意味としての言葉がなくとも分かるのだ。負けた側の人間霊とも話したことがあるが雰囲気からして違う。で、これは分からないから純粋な質問として聞くのだが、潜水艦の構造は分かるか?」
「いえ全く。学者は万物を知っていると思っているのは貴方含め学者でない者の悪癖ですねえ」
 八千慧は尊大な笑みを浮かべたまま楔弾を放ったが、そう遠くないうちの天国行きが確定しているこの人間霊は全く怯んだ様子を見せなかった。あくまで表情には出さないように努めているが、八千慧が二重に苛立ったのは言うまでもない。
「分からないならこの話はこれで終わりだ」
「お役に立てず申し訳ありません。しかし奇遇ですね。逆に、潜水艦を対策する方なら多少分かりますよ。先の戦争ではそちらの専門だったので」
「それは面白いではないか。『敵を知り己を知れば百戦危うからず』だ。潜水艦を対策する側として、対策の肝はなんだ」
「情報です」
 人間霊は即答した。
「情報」
「逆に潜水艦を知っているならばその強みと弱みは分かると思いますが、潜水艦の強みとは水中という視界範囲外からの奇襲性であり、弱みとは奇襲性のために小型で魚雷以外の武装は貧弱、対空も碌にできないという攻防性能の弱さです」
 八千慧にはこの人間霊の言う潜水艦の戦闘能力の弱さの方はピンと来なかった。たまたま技術者が地獄堕ちしてたまたまその技術が拾われる勢力に拾われたから実現したのであって、本来は鋼鉄製の軍艦すらオーパーツなのである。鬼傑組が潜水艦を実用させたように、他の組も機会があれば潜水艦に対抗可能な兵器を車輪の再発明できる可能性はあるが未だその兆しは見えず(まだ潜水艦を実戦投入していないので当然だが)、兆しが見えないうちは水中という限定的な戦場とはいえ潜水艦の優位は崩れないように思えた。
 ただその長所があくまで鋼鉄製のことではなく奇襲性にあるということについては、八千慧も全くもって同意だった。
「情報が対策の肝ということは対策する側はありとあらゆる手段で情報を得て、使う側はありとあらゆる手段で隠すという攻防が発生していたということか」
「そういうことです。分かってしまえばいくらでも沈める方法はあるので、分かることが肝要なのです」
「ふむ。肝に銘じよう。他の組がいくら阿呆とはいえ、万一ということはあるし、貴様の言う通りなら万一にでも情報が抜かれたら潜水艦使いとしては負けも同然なのだからな」
「何やら情報戦に興味がお有りのようですし、なんだかんだお世話になったお礼に、一つ先達の忠告を土産話に置いていきましょうか?」
「貴様のその学者特有の傲慢さは鼻につくが、それでもなおプライドを捨てて頭を下げる価値がありそうだな。聞いてやろう」
 策謀家特有の傲慢さが鼻につく鬼傑組組長は、人間霊に教えを請うた。
「泳がせることも重要なのです。例えば潜水艦を対策する場合、仮に暗号を解読して潜水艦の出没位置が百パーセント分かったとしても、それを全て回避してはならないのです。潜水艦側の視点で、突然全部の船が自分達を避けて航行するようになったら暗号が解読されたと当然疑う。そうなったら暗号は変更されて、我々は暗号を解読するところからやり直しです。であれば輸送船をいくらか生贄に捧げることになっても暗号を変更させないようコントロールした方が長い目で見たら被害は減るのです。情報戦の対象には『情報を得た』という情報も含まれるのですよ」





 八千慧は潜望鏡越しに剛欲同盟ご自慢の船団を覗いていた。
 潜水艦の攻撃手段とは水中から魚雷を当てるか水上から砲撃を当てるかで、射撃による攻撃という意味では広義の弾幕戦闘である。だから鬼傑組一それが上手い組長が直々に射手を、魚雷の設定担当のみとはいえ兼任するのは必然だった。偏差撃ちという通常の弾幕戦闘ではおおよそ使わない技能を要求してくるとはいえ。
「標準的な輸送船ね。距離五千。速度を計測……」
 もう一つ、潜水艦の雷撃は数字にアレルギーがあるものには行えなく、残念ながらその条件だけで大半の畜生が脱落してしまうという理由もあった。潜水艦の戦いとは情報の戦いなのだということを改めて実感する。見ている船が剛欲同盟ではごくありふれた輸送船なのだということは水中での偵察任務を行ったカワウソ霊がもたらしたスケッチと対照して分かる。距離と速度は観測情報。そして向こうは無防備に直進を続けていて明らかにこちらには気が付いていなく、鬼傑組のみが一方的に情報を得ている。
「目標の速度、九ノット」
 潜水艦とは、まさしく鬼傑組のための兵器なのだ。
「亀甲17、亀甲03、亀甲05、亀甲12。配置についたか? これより円を縮め攻撃態勢に入る。一番近い輸送船まで距離二千まで接近せよ。現在敵船団は速度九ノットで航行しているが、各自速度の再計測を今の時点で行え」
 八千慧は命令を伝達した後無線機の電源を切って大きなため息をついた。
「どうかなさったのですか?」
 副官のカワウソ霊が心配そうに聞く。
「この戦術にはウルフパックという名前がついている。オオカミの群れという意味だ。昔、剛欲の奴らがキャラバンでしこたま儲けていた時代があってな。それを襲撃するために勁牙組が採用した戦術が元になっているのだ。まあ、あいつらは戦術だとは思ってはいなかっただろうがね。習性としてそうしたにすぎないはずだ。だが結局畜生の争いというのは習性の優劣が物をいう」
「でも組長は勁牙組(
バカ
)
の習性をより洗練された戦術に昇華させてます。流石です」
「ああ。確かに私は敵であろうと学ぶべきことは学ぶようにしている。それが信条だからな……」
 八千慧は荒く呼気を上げながらしばらく沈黙したが、突然何かに憑かれたかのように計器盤を殴りつけた。ガンッという音が船内に何度も反響して響く。メーターがない場所を殴ったのは僅かに残った理性による押しとどまりで、そのおかげもあり何かが壊れるということはなかった。が、潜水艦とはその隠密性を保つために本来絶対中で騒音を立ててはならない場所であるから、激昂した八千慧が亀甲08全体に立てた振動すらも異質なものだった。まして音の発生源の般若と見紛う程の怒り顔を間近で目撃した哀れな側近カワウソ霊がパニックに陥るのは当然の帰結だった。
「すみません! すみません!」
「だからといって敵、それもよりにもよって我々よりもおつむで数段劣るあの勁牙の奴らに学ばねばならぬというのが悔しくないわけでは決してないのだ!」
 今度は長い爬虫類の尻尾を勢いよく床に叩きつけた。直撃はしなかったもののその気迫だけでカワウソ霊は一メートル後ろに吹っ飛ぶ。
「すみません! 僕達も頑張って独自に狩りの方法を考えますから!」
「ほざけ。せいぜい小魚の捕り方しか知らんくせに。地獄には水中を泳ぐ魚なんていやしねえんだよ」
「すみません……。僕は狩りも満足にできない無能ですぅ……」
 可哀想なカワウソ霊が二周り縮んだのを見て情が動かされたのか、散々に感情を爆発させて躁から解放されたのか、八千慧は今度はしゅんとして肩をすくめた。
 否。平静に戻ったのではない。凸から動いた感情曲線はどんどん沈んでいく。この潜水艦が沈む深度よりずっと深くまで。
 八千慧はすすり泣き始めた。
「……。八千慧、様……?」
 カワウソ霊には下手に声をかけたら殺されるのではないかという懸念も、先の怒りようを見ているだけにあった。が、それでもなお、声をかけずにはいられない。それが恐怖支配だけでは説明のつかない忠誠心である。
「すまない。結局、我々は所詮何も持たぬ弱者なのだ」
「そんな……」
「いや、策謀のみがある。策謀があるから文字通り何も持たぬ人間霊(
どうぐ
)
と違い四本の足で自立することができる。だがやはり、同じ畜生の中で我々は持たざる側なのだ」
 八千慧は上を向いて叫んだ。
「奪え! 持つ側から何もかもを剥奪するのだ! 全てを奪い、持つべき側が得て初めて我々の生存圏は確立されるのだ!」
 側近カワウソ霊と、他叫びが聞こえる位置にいた動物霊全員が動いた。殲滅。最も強い言葉が最も強い組長その人から発せられた。命令は直ちに実行されなければならない。
「何が『全て狩ろうとしてはならない』だ。分かったような顔でお高くとまりやがって。人間霊め。畜生の畜生たる所以を舐めるんじゃないわよ」
 八千慧は一人どす黒い気を吐いた。





 鬼傑組が潜水艦という水中に潜む兵器を運用していたということは剛欲同盟の誰も知らぬことだったが、それが放った魚雷の航跡は何匹かの動物霊が見つけた。が、撃たれてから気が付いても遅いのだ。
 ある動物霊は自分の操縦する船に向かってくる三本の白い筋を見つけた。この動物霊の生存本能が優れていることには見たこともないそれを敵対的な攻撃と瞬時に看過した。さらに弾幕戦闘にも長けたこの動物霊はそれが一種の「自機狙い」であることまで見切って回避を試みたのだが、悲しいかな、巨大な船はすぐには運動の向きと大きさを変えることができない。世の中の物理、物の理はそういう風にできていた。
 別の動物霊が乗る船には魚雷が二本、線を引きながら迫っていた。この動物霊はいくらか物覚えが悪く、二列の弾幕は動かなければ当たらないとだけ覚えていた。一周回って魚雷への対応としては正しいといえば正しいと言えなくともなかったのだが、やはり船は急には止まらないし、それ以前にこの動物霊は自分と船との圧倒的な当たり判定の大きさの差を失念していた。かくして魚雷は二本とも船の前後に命中した。
 この最初の被害者二隻は船団の先頭にいた船だったから、他の船の乗員は「このまま前進したらどういうわけか爆発してしまう」ということを理解し左右に旋回した。だが、方向転換した船も何隻か爆発した。正確には「この辺り一帯にいたらどういうわけか爆発してしまう」だったのだ。
 




 十二隻で構成された船団のうち生き残りは僅か二隻だった。どうにか畜生界側に到達した一隻と地獄側の港に逃げ戻ってきた一隻、それと空が飛べるか血の海を泳げるかで沈む船から脱出できた動物霊によってこの「十七号船団(剛欲同盟が十七回目に編成した船団だったのでこう呼ばれた)の悲劇」は広く語られるようになった。
 剛欲同盟にとっては九十九パーセント不幸な中で一パーセントだけ幸いだったことに、生き残りの証言から「水中に沈んでいたクジラのような形の機械が水中を走る槍か細長い魚のようなものを発射しそれが当たった船が爆発して沈んだ」ということまでは分かった。何もかも分からないよりはいくらか対策しやすい。早速オオワシ霊を何匹か乗せて見回りをさせることにした。外の世界でも潜水艦の発見には航空機を用いるのが定番だったため、車輪の再発明とも言える。
 逆に鬼傑組にとっては情報を持ち帰られたことは少し残念なことだったが、潜水艦の存在そのものは遅かれ早かれ露見することとは目されていたし、潜水艦というものを知ったとしてそれに対抗する手段をすぐに編み出すことができるかどうかはまた別問題だろうと八千慧は涼しい顔をしていた。
 これは油断を多分に含む余裕だったが、油断するのもさもありなんという現実があった。
 剛欲同盟には潜水艦の金属製の外殻を撃ち破る攻撃手段がなかった。「第四勢力」卑劣集団のハリネズミ霊を傭兵雇用しオオワシ霊を使って上空からそれを投下してみた。動物霊を利用した攻撃としては間違いなく最高級に破壊力のある攻撃だったが、潜水艦相手ではコツンとぶつかって血の浮力でプカプカ浮かんでくるというだけだった。ついでに「上空数百メートルから突き落とされて血の海にダイブした挙げ句金属製の機械に勢いよくぶつけられる」という経験をハリネズミ霊が快く思うわけはなく傭兵契約は打ち切り、剛欲同盟と卑劣集団との友好関係に大きなヒビが入るというよろしくない結果までついてきてしまった。
 剛欲同盟にも人間霊から得た技術はあり、だから船団を組むだけの船の量産ができたのだが、軍事技術では鬼傑組に劣っていると言わざるを得なかった。というよりも、技術者を探せば探すほど潜水艦が異様な高度技術に思えてならなかった。
 潜水艦に対抗可能な兵器に繋がる技術者はどうしても見つからなかった。爆弾の技術でいうと剛欲同盟の水準は火縄に点火するタイプの球形手榴弾(抗争で大活躍している)で、爆弾で潜水艦を倒すには水中でも起爆する機構を作るとか火薬の質を上げるとかが必要そうだったがそこに繋がる人材は見つからなかった。あまりの見つからなさに、饕餮の中には一つの疑念が湧いた。
「八千慧の奴、自分を脅かしうる知識を持った人間霊を全員粛清したんじゃないか?」
 それは憶測を多分に含む陰謀論じみた疑念だったが、こうした疑心暗鬼は閉塞感極まる剛欲同盟内部を確実に蝕んでいっていた。
 十七号船団の悲劇の直前に饕餮が抜き打ち視察したときには熱心に荷積み仕事をしていたキリン霊は、鞭が飛んでこない下限ギリギリの緩慢な動きで荷を積んでいた。監督官もこのキリン霊がわざと効率を落としているのを察してはいたが、それで鞭を出そうとはしなかった。自分達が仕事を遅らせれば遅らせるほど、死地に飛び込む哀れな同志は寿命が僅かにでも増えるのだ。
 オオワシ霊の哨戒により潜水艦の危険をいくらかは事前に察知できるようになったとはいえ見つけられないこともままあるし、潜水艦を遠くから見つけたとして距離を離したまま逃げ切れるかどうかというのはまた別問題だから船乗りが危険な仕事であるのには変わらなかった。船団が目的地に無事辿り着ける確率は七割程度だった。片道でこれなので、一往復何事もなく終える船ですら半分だけということになる。辿り着けないのには出発地点に戻らざるをえないというのも含むから一往復するたびに半分沈むというわけではないが、それでも相当数沈むから、船の損害を埋め合わせるために運賃を釣り上げざるを得ない。そもそも積んだうちの七割しか運べないのだから荷物の目減り量が甚だしく、それで利益を出すのに商人はさらに値段を上げることになる。水運経済は崩壊していた。
 剛欲同盟とは唯心的な精神よりも唯物的な金に結びつきの多くを依存している組織である。キャラバンが勁牙組に、船団が鬼傑組に崩壊させられて、その結束力はボロボロだった。まさしく金の切れ目が縁の切れ目。
 ただ唯一、饕餮尤魔という個人に対する崇拝は生きていたので組織の完全な瓦解は免れた。同盟長が直々に船団に乗り込んだ際に、敵潜水艦を撃滅するには至らずとも攻撃を全部吸収して無傷で目的地に辿り着いたという出来事もあり、半ば皮肉ながら組織崩壊の未曾有の危機において一層組員の信仰心は深まることとなった。魔除けとして饕餮紋で装飾された青銅器や旗を持ち込むことが定番になったくらいである(それが効力を有したかどうかはまた別問題だが)。
 また、饕餮の意外な人脈の広さは人材が足りず状況を打開できないという問題への切り札になると思われた。事実同盟長には心当たりがあった。彼女は畜生界、地獄すら離れて旧地獄へと向かった。





2.
 三途の川。一見あまりにも清く魚も住まない川に見えるが、不用意に渡ろうとすると超巨大魚に襲われる。
 饕餮は現地調達した肉をスプーンにつけては巨大魚に食わせていた。釣りをしているのだ。ただし普通の釣りは釣ったものを自分の元に引き寄せて終わるが、饕餮が試みているのは逆に魚に引っ張られて住処に連れて行かれるというものだ。探し人は魚の住処にいる可能性が高い。
 しかし、魚はその場で肉を食べてしまうのでどうにもうまくいかなかった。魚ではなくて首長竜に食わせた方がいいのだろうかと饕餮が思案していると、黄色い水着の上から白黒斑点模様の上着を羽織った女が声をかけてきた。
「うちの魚は餌付け禁止だよ……。って、その顔は饕餮じゃないか。毒を盛ったんじゃなかろうね」
「安心しろ。そこにいた魚から剥いだ肉だ。まさか毒魚を飼ってるわけでもあるまい」
「なお悪い」
 女、牛鬼の牛崎潤美はため息をついた。
「使った魚分の代金は払うさ。そこまでケチではない。しかし、よくここにいると分かったな」
「生き餌をやったわけでもないのに魚達が口を血だらけにしていたら何かあったとは思うだろうよ。しかし災難だねえ」
「む、そんなに間が悪かったのか」
「あんただよあんた。歩く災厄が。あたしゃヤのつく稼業からは身を引いたんだ。今更何用さね」
「お前程の強さなら是非とも仲間に引き込みたいところだから惜しいな。だが安心しろ。私は引き際をわきまえられる動物霊だ。抗争の話じゃない」
 饕餮は澄んだ目で潤美を見つめた。潤美はその目がわざとらしいからではなく、逆にあまりにも毒気がなさ過ぎるが故かえって警戒を強めた。
「本当かねえ」
「本当本当。ビジネスだ。畜生界で水運事業を始めてな。お前の養殖している魚を仕入れたい」
「まあそこだけ聞けば確かに商売か。しかし何か裏がありそうだねえ」
「裏なんてないさ。船を一隻貸すからついでに同行しないか?」
「ほら、どうせそれが裏だ。単に魚を貿易したいだけなら私を直々に連れて行く必要なんてないんだから、『私が必要になる何かがある』ってことだろ?」
「ふん。随分と疑り深くなりやがって。全く誰のせいなんだか」
「本当に誰のせいなんだろうね」
 二人は互いに毒を吐きあった。
「白状すると水路が必ずしも安全じゃあないのだ。ただ、かつて我々と肩を並べあっていたお前なら分かるだろ? 地獄と畜生界の道に元より安全な道などありゃしない。だから船団で危険を釣って危険を叩きのめして安全にする。それが我々の作戦だ」
「剛欲同盟にとっての危険を叩きのめす側に与しろと」
「分かってるさ。お前はもう我々の同志ではない。元の鞘に収まれとは言わないさ。だが考えてみろ。血の池地獄の水運が安全になればお前にとっても販路が増える。どうせ今は里にしか売っていないんだろ? 倍だ倍。道楽じゃなくて商売としてやっているんだから掴めるチャンスは掴むべきと思わないか?」
「お前の組は他の組程には強力な結束力はなく、利害関係を共にした緩やかな連合として勢力を伸ばした。だから剛欲組ではなく剛欲同盟なのだ。ならば、組の一員として活動するというのと組の一員ではないと言いながら協力するのとで、一体どのくらいの違いがあるのかねえ」
 潤美は困った表情で石の赤子を揺らした。
「ほら、この子もぐずり始めちゃったよ。あやしてくれないかね」
 潤美は饕餮に赤子を押し付けた。饕餮の両腕の中で赤子は急速に重さを増して、抱えられたまま地面に落ちる。
「私が持ち上げられるかどうか試しているのか? 剣を地面から抜く英雄譚のように」
 潤美は饕餮の問いを無視して無表情で石の赤子との格闘を眺めていた。だが、饕餮が石に齧り付くようにして持ち上げる試みを体感一時間以上も続けるのを見て露骨に面倒そうに眉をひそめ石の呪いを解いた。
「持ち上げられるかどうかでなくて、持ち上げようという試みをどのくらい続けるか、だね。お前さんは損得勘定のできる畜生だからいつもの心境なら五分もすれば諦めただろうに、いったいどういう風の吹き回しなんだい」
「だから損得勘定としてお前の課題をどうにかして解くことの利益が大きいということさ」
「あーやだやだ。何が『引き際をわきまえられる動物霊』だよ。私を仲間に引き込むことに未練たらたらじゃないか」
 潤美は赤子を饕餮から回収した。
「そんなんじゃ断ったら何されるか分かったもんじゃないからねえ。引き受けるよ。ほんとに歩く災厄だよ、お前は。ただこっちも商売人だから条件はつけさせてもらうよ。魚の代金は前払いでそこに危険手当上乗せ。あと釣り餌に使った魚の代金は即刻払いな」
 潤美は算盤を取り出し、両腕にそれと赤子を抱えて饕餮に詰め寄った。
「ああすまん。流石に私もそこまでケチじゃないから払う用意はあるさ。それにしても来た甲斐があったな。海老で鯛を釣るよりもさらに数段いい取引だ」
「うちの魚は海老なんていう殻ばっかりで身の少ない餌には食いつかないからねえ」
 潤美は饕餮の比喩に、わざと比喩ではないと捉えた返し方をした。
「あとこれから旧地獄にも寄りたいんだが、今道はどうなってる? 森の入口のところのイチイの木の根元の穴はまだ使えるか?」
「あそこはとっくの昔に塞がれたよ。今ならそこまで行かなくても中有の道の終わりら辺の茂みに開いてたはず」
「そうか、ありがとう。情報分も上乗せした方がいいか?」
「それは要らんよ。代わりに行く途中誰にも迷惑をかけるんじゃないよ。お前さんに言っても無駄かもしらんが」
「よく分かってるじゃないか」
 潤美は更に疲れた。





 旧地獄温泉街での探し人を見つけるのはそう難しいことではなかった。特定の噂、あるいは被害報告を聞けばよい。
「風呂の柄杓の底が抜かれた」
「湯船の底が抜かれた」
 文字通り底抜けに害悪ないたずらの場所に彼女はいた。
 被害報告があった温泉宿の暖簾をくぐると、縄で括られて鬼数人に監視されてる船幽霊が一人いた。監視してる鬼はだいたい顔のどこかに新しいアザを作っていて、この船幽霊の凶暴さを表している。
「嬢ちゃん、すまんなあ。うちは今臨時休業なんだ。この暴れん坊のせいでな。こいつを〆て復旧しないと開けない。数刻待ってくんないかね」
「あいや。私は暴れん坊の方に用があるんだ」
「まさかこいつの身内じゃないでしょうね。困るんですわ」
「身内ではないなあ」
 饕餮は仲はよくないということを証明するために巨大スプーンで船幽霊の後頭部を殴った。船幽霊は前にのけぞる。
「と、用があるついでに成敗も代行するというのはどうだ?」
「うーむ。ケジメを外部に委託したとなれば、我ら鬼の沽券に関わるんですわ」
 鬼の一人が手首の関節を鳴らしながら饕餮に詰め寄った。
「手合わせ、願いましょうか。お前さんが勝てば引き渡しましょう。私らとしても『戦いの結果奪われた』という方がまだ良い。もっともこの人数では残念ながらお前さんは決して勝てはしないでしょうがね」
 鬼は握った拳を素早く饕餮の頬へぶつけ数メートル吹き飛ばす。
「あほくさ」
 饕餮は怒りではなく呆れた表情を浮かべて立ち上がり、スプーンで地面を掘った。固く均されていた地面が液体のごとく「噴出」して鬼の喉首に刺さった。驚いた鬼がのけぞったところで今度はスプーンを直に体に叩きつけた。いい音が鳴ったが、別な鬼が饕餮のスプーンをそれを持つ腕ごと踏みつけたので連撃は止まる。
 底なしの体力を持つもの同士なので不毛な持久戦となった。饕餮が戦いが始まった瞬間に暴言で吐き捨てた理由は、この展開が容易に予想できたためである。しかし能力で攻撃を吸収できる饕餮とHPバーに対してドット程度とはいえダメージが蓄積していく鬼とでは、拮抗しているように見えてその実ダメージレースにおいて無限比の差があるのだ。饕餮の相手さえしていなければ船幽霊の懲罰と風呂の復旧を余裕で終えれていただけの時間を費やして鬼達が得たのは、煙も出ない敗北と船幽霊を処罰する権利の饕餮への譲渡だけだった。
 饕餮も饕餮で船幽霊一人確保するのにやたらと時間をかけたので面白くない。時が金ならば大損だ。それに船幽霊の縄を解いてやった瞬間そいつに錨で殴られた。
「なぜ攻撃する」
「そりゃあんたがさっき殴ったからだよ。お返しさ」
 誰も笑顔にならない争いだった。
「じゃあこれでチャラってことでいいな?」
「よくないよ。どこで釣り合うかは加害者じゃなくて被害者が決めるものでしょ」
 船幽霊は錨を振りかぶる。
「もう一発」
 饕餮の頭が激しく揺れるが、無論まったくもって無傷だった。
「所詮自己満足だな」
「自己満足でいいじゃない。サンドバッグを殴るのは気持ちいいでしょ?」
「お前は仏教徒だと聞いてたのだが、仏教徒ってのはかくも暴力的なのか」
「聖様と違って私は博愛主義ってわけじゃないの。私は村紗水蜜、清濁併せ呑む船幽霊よ」
「村紗という名字は聞いている」
「あら有名人」
 村紗は笑った。
「今のところ濁しか感じないんだがねえ。まあその濁りに免じて頼みがあるのだ」
「頼み? 荒事か船を沈めることしか受け付けていないけれど」
「僧侶なんだからんな物騒なことだけじゃなくて読経とかも受け付けろ」
「仏僧だけに」
「うるせえよ。まあ私の頼みも厄介な船を沈めてもらうことなんだがね。ただこれが少々特殊でな。『既に沈んでいる船を沈める』ことってできるか?」
「できるけど既に沈んでいる船って何? 幽霊船?」
「じゃない。見てもらえれば分かる」
「へえ」





3.
 饕餮が戦力を集めてから二週間後、また船団が出た。剛欲同盟としても経済的に出せる精一杯の船団であり、これを無事に交易させつつ船団を釣り餌として脅威を捕まえて完膚なきまでに撃滅することが求められていた。
 村紗は甲板のかなり前の方、船首近くに佇んでいた。
「もっと快適に休める場所がいくらでもあるだろ」
 饕餮は呆れた声で村紗に声をかけた。
「最近の船って速いよね。まあ聖輦船ほどじゃないけれど。しかも速度のために他の機能を犠牲にしてるんじゃなくて貨物船としての機能は十二分に確保してこの性能なんだから驚異的だよ」
「この船は剛欲同盟、ひいては畜生界の技術の結晶だからな。幻想郷の現世で使われてるような全近代の船、是非曲直庁の奴らが使っているボロの木船とは比べ物にならんさ。しかしなんだ、つまりお前は風を感じたいからそんな端に突っ立っていたのか」
「ここの風は塩味が足りてないよね」
「ここの血は高血圧じゃない健康的な血なんだよ。じゃなくてだな、危ないだろ」
「私を誰だと思っているの。船のことは熟知しているから大丈夫よ」
「お前がいい悪いじゃなくて船橋にいる奴らの気が散るんだよ」
「船乗りたるもの悠然としてないと駄目だよ。私こことはその辺を飛んでるカモメくらいに思わないと。それに、今はもっと見張るべきものがあるでしょうに。私がここにいるのはそのためでもあるのよ」
 船が突然大きく舵を切った。が、十度程船首を左に向けたあたりで爆発を起こし大きく揺れる。
「見張りの意味はなかったようだな」
 饕餮は毒づいた。
「いや、想定の範囲内よ。それより」
 村紗はノイズがかかった半透明の幽体に化けて船橋にワープした。
「ほら、ダメコンよダメコン。隔壁をとっとと閉じる! それに血が入ってきてどんどん重くなるんだからその分荷物を捨てる! マリファナだかコカインだか知らないけれど、そんな白い粉抱えたまま船ごと沈んだら元も子もないでしょ」
 船内放送をジャックした村紗は指示を飛ばし、船内の動物霊が右往左往気味ながらも動き始めたのを見届けて船首に戻ってきた。
「おい、さっき『想定の範囲内』とか言ってたよなあ? 船団の陣形から積荷に至るまでお前に一任してたが、(
ヤク
)
を外側の船に積むよう命令して、で、この結果になることまで想定の範囲内だったってことか? え?」
「そりゃあ小麦粉と薬物では比重の差云々みたいな丸めこめは使ったけれどさあ。外側とかいう明らか危険な場所に貴重品を置くなんていう提案をホイホイ飲むあたり畜生は畜生だと、内心笑いが止まらなかったよ」
「貴様は鬼傑組のスパイと」
「そこまで非道じゃないよ。一つ、契約は『船を沈めろ』であって『船を守れ』じゃあない」
「私は『既に沈んでいる敵の船を沈めろ』と言ったのだ。『浮いている味方の船を沈めろ』などと言った覚えはない」
「『沈めるな』とも聞いていないからそこはディスコミュニケーションだね。そして二つ。私は船幽霊だしこれでも仏教徒だ。『非道徳なものを満載した船』なんて頼まれなくても隙があったらそりゃ沈めてやりたいねえ」
「貴様が信頼に足る味方でないということはよーく分かった」
 饕餮は村紗をスプーンのフルスイングで船の前方に叩き落とした。しかし村紗は白い歯を見せながら笑った顔で水中に落とされ、その表情のまま、池の血を髪や服の肩、袖から滴り落としながらワープで戻ってきた。
「まあ待ちなよ」
「待ってる暇があるものか。こうしている間にも船団がなあ。貴様との仲間割れはとっとと処理して鬼傑組の野郎共を〆なければならんのだこっちは」
 実際二人が乗っている船の他に四隻が煙を上げて、二隻は海中に没していた。饕餮はまた村紗を落とし、今度は血の他に重油らしき黒く粘度のある液体もつけて村紗は上がってきた。
「だから待ちなって。確かに船団は打撃を受けたがまだ壊滅はしていない。ダメコンの重要性を口を酸っぱくして各員に叩き込んだからだ。『口を酸っぱくして叩き込んだ』の主語はお前だけじゃないはずだよ? それに、お前の元々の命令の完遂がまだだから私としても引き下がるわけにはいかないんだ」
 村紗は真顔になり、饕餮から目を離して辺りを見回した。
「一時、四時、六時、八時、十時」
「あ?」
「あの『水中の槍』が本物の槍のように直進する攻撃なのだとしたら、進んできた方から逆算すれば敵のいる方角が分かる」
「そんなの誰にだって分かる。馬鹿にするな。逆に貴様が馬鹿なことを指摘するならば、方角が分かっても距離が分からないから場所の特定はできないし、敵だって動きながら撃ってるんだから槍の方向の逆算は『さっきまで敵がいた場所』だろ」
「まあだから目安。私が言いたかったのはさ、今から一時から六時までの方向の敵を沈めに行くから、その間反対方向の敵を抑えて時間稼ぎしておいてよ、ってこと」
「あ?」
「あんた、他の動物霊より明らか強そうだし、戦いの心得はあるんでしょ? だからさ、倒せないにしても痛めつけてさ」
 村紗は饕餮に一方的に頼みを押し付けて右舷から飛び込み、水面近くを飛んで船から遠ざかっていった。
「そろそろだと思うんだよね……。ほら……」
 村紗が独り言ちている先で潜水艦が一隻、怪魚のような巨体を水面上にもたげた。
「やはり、『ボム』はそう何発も撃てるものではない。撃ち尽くしたら『ショット』で決着をつけねばならないのはどの時代も変わらなくて、まだ水中から撃つ技術はないようだね」
 潜水艦は前方甲板に配置された主砲を村紗に向けた。村紗は後装砲時代の大砲は知らないが、安宅船や亀甲船が装備してる前装の石火矢は知っていたので、嘴の長い水鳥の首のような形をしたそれが「奇妙な形の大砲」とは射撃前から理解した。
 一発目は外れて村紗の右斜め後方で赤い水柱を上げた。その五秒後か六秒後に二発目が飛んできたがこれも横に逸れた。正確には村紗が横に避けるので当たらない。
「白兵戦を挑んでくるかと思ったけれど、火薬も安くなったものだねえ。んなバカスカ撃てるようになったなんて聞いてないよ。でもちょっと数が少なすぎる。当てたいならその六倍、いや十倍は用意しないと」
 潜水艦は村紗に対して側面を向けるように旋回した。そして彼女の挑発が聞こえていたのか、はたまた単に砲では人(船幽霊)一人に当てるには不向きだと気が付いたからなのか、後方甲板に備え付けられた対空機銃の首を水平に下ろし村紗へと射撃し始めた。
「ふうん。戦船にしてはやるじゃん。でもまだまだ緩いね。宝塔を持った星とかブチギレた一輪とかはもっとエグい弾幕撃ってくるよ?」
 村紗は体を捻り、水面上を跳ねるように飛んで機銃の弾とそれに時折混じる砲弾をかわしながら潜水艦に急接近していく。
 潜水艦の円筒形の艦橋の上が開き、動物霊が一人出てきた。亀の甲羅に龍の尻尾。饕餮と同じように、ありふれた動物ではない幻獣であることが格の違いを表している。吉弔八千慧。鬼傑組組長にして潜水艦隊旗艦・亀甲08の艦長。彼女は広範囲に薄くばら撒かれる機銃弾とは異なり高密度な弾幕を規則正しく放った。
「そういうのよそういうの」
 村紗は歪んだ笑みを浮かべながら、八千慧は真顔で弾幕を放ち、躱す。両者の力量はほぼ互角だが、潜水艦という遮蔽物を利用して戦うことができる八千慧の側が有利だった。これは遊びではなく仁義なき戦いである。八千慧の炎弾が村紗の首の横をかすめ、怯んでバランスを崩した村紗は血の海に転落した。
「船幽霊。目にするのは初だが、いかにもな姿をしているのだな。しかし船幽霊というわりに水上を飛んでいるからもしや、と思ったら想像通り、血の海では浮かないのか。あっけないものだ」
 八千慧は侮蔑のこもった台詞を凪いだ水面に投げかけた。
 そのとき、亀甲08が大きく揺れた。八千慧は驚きつつも梯子に手をかけ転落はどうにか免れた。
「何が起こった!」
 八千慧は伝声管に叫び状況確認をした。
「ソナーより警告。本艦の底に異常な物体あり!」
「馬鹿野郎。地形を見て航行するのは潜水艦操縦のイロハのイだ。お前らは普段も目を閉じて飛んだり泳いだりするのか?」
「いえ、八千慧様、地形ではないのです! 突然物体が出現して!」
「あ?」
 八千慧はやたらとこもった音を発する伝声管へと怒鳴った。
「ですから、突然物体が!」
「なんだと?」
 八千慧の背後で金属同士が衝突する音、金属に木材が破られる音が鳴った。振り返ると巨大な錨の爪が二本、甲板の前後に刺さっていた。そして潜水艦に刺した二本の錨を梃子にして血に塗れた船幽霊が飛び上がってきた。
「船幽霊は、沈んでからが本番なんだよ」
 驚愕の表情を浮かべる八千慧に向けて、今度は村紗が吠えた。
「右舷バラストに注水! 船体を傾けて錨を外す!」
「うーん、二本じゃ沈めるには足りないか」
 村紗は三本目の錨を生成し引っ掛けた。三点から下に引っ張られた潜水艦はバシャンという大きな音を立てて沈んだ。力として捉えると鬼も裸足で逃げ出すとんでもない所業だが、これは一種の技だ。質量の差がどんなにあろうと、対象が船である限り、船幽霊が「沈む」と確信したら沈むのだ。
「よし、まず一隻」
 村紗は次の標的へと向かおうとするが、後ろで今度はバシャャャンとより鈍重な、巨人が風呂から上がるならこういう音が鳴るのだろうという音がした。
「さっきの台詞をそのままお返ししよう。潜水艦も、沈んでからが本番だ」
「こりゃ困ったねえ」
 村紗は口笛を吹いた。





 村紗に潜水艦の足止めを要請された饕餮だが、足止めは部下に押し付けて、船が撃沈された地点のうちの一箇所に向かった。
「災難だったな」
「人を死地に送り込んでおいてよく言うよ」
 潤美は沈められた船に乗船していた。まるでこの事態を予見していたかのように首長竜を用意しそれに騎乗していた(まさか食用目的で連れてきていたわけではなかろう)。
「災難ついでに頼みがあるんだがな。災難の元をぶっ潰しに行かないか?」
「災難の元なら目の前にいる気がするねえ。逃げ場をなくしたところで『お願い』の体で要求突きつけるんだからまさしくヤクザの手法だよ。で、もしノーと言ったら? お前さんは私が逃げられないと思ってるかもしれないが、ご覧のとおり首長竜に乗ってれば血の池地獄は自由自在だし、剛欲同盟に与してその敵に攻撃をしかけたわけじゃないからお前さん達の敵に攻撃される理由もない」
「かつて剛欲同盟の一員として何度も抗争に出張していたお前なら分かるだろ? 疑わしきは罰するがここの法だ。鬼傑組は自分の手の内を見たお前を消しにかかるだろうし、仮に鬼傑組の包囲網を抜け出して港まで戻って来れたとして私の部下が逃げたお前を拘束するだろうよ」
「やっぱり災難の元じゃないか。私は多少のリスクを負ったとしても逃げ切れる方に賭けたいね。この意味は分かるだろ? タダ働きではどう考えても割に合わないんだよ」
「……。いくら欲しい?」
「三百万」
「分かった」
 潤美はかなり吹っかけた額を提示したつもりだったが、饕餮が即決で了承したので驚いた。
「なんだ豆鉄砲を食った鳩みたいな顔して」
「お前さんは金の亡者だからさ。うんと値切ろうとして決裂、喧嘩別れってのを想像してたんだがね」
「金を目的としてしか見ないやつは金稼ぎに向いてない。金を手段としてしか見ないのは貧乏人の負け惜しみだ。真に金に強い奴ってのはな、金を稼ぐという目的のために惜しみなく金を手段として使うんだよ。それが投資だ。お前の力を借りて血の池地獄を安全地帯にできれば向こう数年で億の稼ぎは堅いからな」
「私の力を借りれば、なんていうけれど勝てるあてはあるのかい? これを先に聞くべきだったねえ。こちとら何に船を沈められたのかすらよく分かってないんだ」
「安心しろ。作戦はある」
「お前さんに安心を強要された結果がこれなんだけれどねえ」
 潤美はぶつくさと文句を言いながら饕餮に連れられて村紗が戦っている場所に向かった。





「足止めしといてって伝えたよね?」
 村紗は饕餮が指示を無視したと思い、若干なじる意図を込めた。
「足止めはしてるぞ? 被弾して速度が落ちた船を並べて壁にしている。どうせいざとなったら足手まといになるからな」
「いい性格してるよ」
「だろ? 最大多数の最大幸福をとる優しさに我ながら涙が出るね」
「ほんと、いい性格だよ。で、そこの牛鬼は?」
「味方だ」
 饕餮は簡潔に答えた。
「私からも質問だ。船幽霊さんが錨でがんじがらめにしてるそこの金属製の巨船はなんだ?」
「そっちは敵。お前の船を沈めたのと同型だよ。しかしこれが巨船だあ? お前自分の乗ってた船の大きさ覚えてないのか? それに比べたら小舟も小舟だ。その小舟にこちとら散々苦しめられてるんだ」
「魚どころか首長竜よりデカいんだから一様に巨船だ。畜生界の技術発展の速度は目まぐるしい。そんな巨船ではそりゃ仕留めるのに苦労するだろうよ」
「大きさの問題じゃないよ」
 村紗と潜水艦は互いを錨と鎖で繋ぎ、交互に水面上に出たり沈んだりを繰り返していた。
「この船はね」
「水中でも」
「動けるらしいんだ」
「だから」
「こうやって」
「沈めても沈めても」
「浮かんでくる」
「ダイビングするか喋るかどっちかにしなよ」
 潤美は呆れた。
「にしても、沈めることができない船なんて底の抜けた柄杓並みに船幽霊の天敵だと思うんだが、その割に楽しそうじゃないか」
「沈んで当然のものを沈めるよりは沈め難いものを頑張って沈める方が楽しいじゃない。あんたもそうなんじゃないの? 牛鬼さん」
「私が人を沈めるのは娯楽目的ではなかったからねえ。いや、正直当時は楽しんでいた面もあるかもしれないが、今は魚を育てている方が楽しいから分からなくなってしまった感覚だね」
「なあ」
 饕餮は村紗と話す潤美の二の腕を引っ張ってささやき声で聞いた。
「なんだい」
「率直に言って、このまま勝負が進んだらどっちが勝つと思うか?」
「どうだろうね。ただ一つ分かることは、お前さんはこの勝負に違和感を抱いている。今のところの趨勢が自然なものと思っているならわざわざ聞きはしない」
「当たり前に不自然だ。船幽霊の所業なんざ沈むか沈まないかなんだから長引いているのがまずおかしい」
「それの答えは船幽霊自身が言ってたじゃないか。この船は水中でも動ける」
「いくら水中で動けるからといって錨で押さえつけられてるのに浮かぶか? という話だ」
「浮力が凄いとか?」
「あるいは水中で暴れて拘束から逃れている。試しに水中に入って観察してみたがこっちっぽいな。赤黒くて禄に見えたもんじゃないがあれが水中に入ってるときに水流が滅茶苦茶になっていた」
「力まかせに解いているのか」
「力、というより村紗の奴が沈められるという確信を失ってしまうため浮かぶらしい。あれは村紗の心を折りにきている」
「まだ余裕そうだがねえ」
 潤美との会話から引き剥がされてなお村紗はパチャパチャと跳ねていた。
「楽しんでいるは楽しんでいるんだろうが、同時に苦悩もしている。楽しむのに飽きたらあとは早いぞ」
「じゃあこのまま進んだら船幽霊の負けかい」
「ところがそう単純じゃない。私も船作りをかじったから分かるが、あの程度とはいえそれなりの大きさの船を動かすならば相応のエネルギーが必要になるはずだ。エネルギー源は船内に搭載しないといけないから無尽蔵ではない」
「エネルギー切れを待てば船幽霊もといこちら側にも勝ちの目はあると。……。待ちな。私も『産業革命』までの畜生界は知っているが、エネルギー源って霊力かもしれないだろ?」
 畜生界における産業革命とは原義とは少し異なり外の世界における電気実用化に対応する事象だったが、電気ではなく霊気を使用することによってなされた。直球に言えば畜生界の主要エネルギー源の一つは最下層の霊(動物霊と人間霊両方が含まれる)を鋳潰して得られている。
「敵さんは乗員からエネルギーを得ろうとすると思うか?」
「いざとなったら躊躇なくするだろうな。八千慧はそういう奴だ。そこは私に似てる。『最大多数の最大幸福』を瞬時に判断するのに長けてるんだよ」
「つまりこのままだと多分こっちが根負けすると、そう言いたいんだね? 最初からそう言えばいいじゃないか」
「何度もいうが勝敗をひっくり返すのにお前の力が必要なのだ。だから現状認識のすり合わせが必要になる。そしてこれも何度もいうが作戦は既にあって、これは初めていうかもしれないが動いている」
「饕餮さまあ」
 オオワシ霊が哀れな声を発して飛んできた。
「指示通り船幽霊のいる方角に船団を動かしましたがあいつらしつこいです。水平線の果てまで追ってくるつもりですよ。半分は落伍させざるを得ませんでした」
「よしよし。予想通り来たな。めげずにここまで逃げてきてくれてありがとう。一隻でも逃げて、それで敵を粗方釣れたら九割方こっちの勝ちだ」
「一隻ですら手に余るってのに相手を増やしたのかい」
「まとめないと一網打尽にできないだろ?」
 饕餮はギザ歯を見せて笑った。





 無線電話が完全に通じる程度まで各艦の距離が詰まったことで、包囲網が閉じつつあるという戦況を八千慧は理解した。
 実のところいささか予想外なことだった。これまでの船団襲撃は概ね陣形が崩壊してバラバラの方角に逃亡しようとする船を各艦が追撃するという流れに至っていた。これは敵の無能から来るのではなく、むしろ全部別の方向に逃げれば何隻かは生き延びるだろうという消極的な合理性に基づくものだ。伸びた列を縮めるように同じ方向に船を動かすというのは、例えるならば自ら墓穴を掘ってそこに入り、上から土を被せる人を呼ぶようなものである。
 では今回の敵の、剛欲同盟の策は指揮の無能に基づくものか? 一見そう見えるが無能とは言い切れない状況故八千慧は悩むことになった。今なお上昇と下降を繰り返すこの旗艦が表しているように、今のところ状況はこれまでより剛欲同盟にとってよく鬼傑組にとって悪い。剛欲同盟は潜水艦への対策をあと一歩のところまでは見つけていて、これは奴らが学んでいるということを意味する。学んでいるなら船隊機動を元から劣化させるのはおかしい。
 それに戦いの最中饕餮の姿もちらりと見えた。見慣れぬ船幽霊を投入するだけでなく同盟長直々に出張っているとなると、奴らは今回に相当の本気をかけている。いつも口先だけという評判なだけに余計薄気味悪い。
「饕餮の頭のうちをどう解釈すべきかな」
 二通りの解釈を八千慧は考えていた。一つ目は、潜水艦を沈めるための作戦があって、そのために自軍を集結させる必要があるという可能性。もう一つはこちらが船幽霊との争いに注力している間はその方角が船団にとっては安全地帯になるので船幽霊を餌にして逃げてしまおうと考えているという可能性。
「いずれにせよ」
 前者ならば船への攻撃で集結を阻止すべきで、後者ならば脱出しようとする船を殲滅するべきである。どのみち次の一手は変わらないのだ。
「馬鹿じゃないの」
 八千慧が思わず呟いた単語。滅茶苦茶な状況に英語のFから始まる四文字の検閲不可避な罵倒語を吐いたというのもあるが、誰かを心から文字通り馬鹿だと思ったからでもある。
 あの人間霊はもっともらしく戦における情報の重要性とそのコントロールを説いていたが、所詮机上の空論だったということだ。思うに、あいつは前線には出ていない。学者らしく後方から腕組みして文句を垂れるのが仕事だったのだろう。
 現場での戦というのは互いに禄に情報が得られず、濃い霧の中で闇雲に手を動かすような中でその場にあるもの全部を捕まえようとし、霧が晴れた後になってそのとき必死に捕まえたのは全体の一割でしかなかったことを知る、そんな戦いなのだ。それを思えば、彼の言うことなどおままごとでしかなかった。
「各艦は残る輸送船を攻撃せよ。船幽霊は無視しろ。本艦で引き付ける」
 情報がなんだ秘匿がなんだ。八千慧は霧の中で自らの姿を晒すことも顧みず、虎穴に入って全てを敵から剥奪することを選んだ。
 彼女は無線電話を置き(揺れが激しすぎて置くというより跳ね跳ばない位置にどうにか押し込めておくだが)、壁にもたれかかった。
「とはいえ船幽霊は船幽霊で厄介なんだよなあ」
 もうハッチを開けてはいられないので外の景色は稀にしか分からないが、沈められるときの勢いからするに船幽霊はまだまだ元気そうだし、事実浮上したときに一瞬潜望鏡越しに見える船幽霊は笑っているように見えた。
 確かに長期戦に持ち込めば霊力を乗員から補給できる潜水艦側が有利だ。が、こちらの有利を認識させて早々に相手に引き下がらせるのと、実際に乗員を鋳潰して戦うのとでは雲泥の差がある。
「饕餮も早く諦めてよお」
 潜水艦と船幽霊の比較ならば潜水艦側に長期戦では分があるが、実際には船が動けても中の乗員がどうかという問題がある。立つのは無論座るのすら揺れであちこちに体がぶつからないよう耐えるかぶつかった痛みを我慢するかという状況で、こちらはいささか厳しいのではなかろうかと八千慧は声に出さずとも内心音を上げ始めていた。艦内全体の状態としてもやり取りは殆どなされず全員が無言で八千慧が最後に発した「とにかく浮かせろ」という処理を反復しているだけだった。
「これではいけないね」
 八千慧は自らの頰を叩いて気力をひねり出し無線電話を取った。ひどく揺れたがまだ故障はしていない。天は、この世界に天があるならば、まだ我々を見放してはいない。
「操縦を頼む。一番近い船と交差するよう進め」
「無茶だ! この状況では亀が歩く速さでしか進めねえし、互いの速度を測れる状況にねえのに未来位置を予測しての交差とかアホやろ!」
 鬼傑組随一の口の悪さを誇るカワウ霊(カワウソ霊ではない。川鵜の霊だ)が悪態をついたが、急ぎのこともあり、口の悪さについては八千慧は一々咎めることはしなかった。 
「潜水艦なんてのは元々亀だ。あと本当に厳密に交差させろとまでは言わん。我々と船とが一定以下にまで近づけばそれでいい」
 結局祈るしかないことに変わりはない。変わりはないが、状況を積極的に変えた前向きな中での祈りだったからいささか気は楽だった。相変わらず滅茶苦茶な艦内だが動物霊の声も戻ってきた。
 こちらが状況を変えに来たことは船幽霊側には予想外のことだったのか何か叫んでいて、周りのオオワシ霊が数匹飛んだ。剛欲同盟側には無線電話はないのか、あるいは船幽霊が使い方を知らないからか、伝書鷲により通信をしているらしい。
「勘付かれた?」
 船幽霊はそう叫んでいたのだが八千慧は当然そんなこと知らない。ただ表情からかすかに焦りのようなものが見えることに内心ほくそ笑みつつ自艦を輸送船の一隻に寄せた。運にも恵まれて、甲板に出て手を伸ばせば届くのではなかろうかというところまで近づくことができている。
 案の定、船幽霊の動きが鈍った。下手に暴れると輸送船と潜水艦が衝突しかねないから今までのように浮いたり沈めたりのやりとりはできないのだろう。もし船幽霊が「船を沈めるためには船が沈もうとも構わない」という狂気の持ち主だったら破綻したが、幸い彼女はまだ正気らしい。八千慧はそう分析した。
「いや、勘付かれてはなさそうだ」
「そのようね。むしろ敵同士の距離が更に詰まって好都合になったかも」
 伝書鷲を介して饕餮と船幽霊はそういうやり取りをしていたのだが八千慧は知る由もない。動きが鈍った船幽霊を射撃すべく甲板に砲術要員を登らせ、その様に船幽霊が明らかに怯むのを見てよしとした。
「いやヤバいって! やっぱ勘付かれてるって! 一か八か、やるよ!」
 船幽霊の叫びはやはり八千慧には聞こえないが、続く行動ははっきりと見えた。





 しっちゃかめっちゃかな方向に鎖付きの錨を投げた。
 八千慧にはそう見えたので、船幽霊の叫び「一か八か」を「破れかぶれ」としばらく誤解した。が、斜め前方の水面上に不自然な水柱が立ったのを見たのと船幽霊があたかも巣の中央に鎮座する女郎蜘蛛のように、ばら撒いたにしては規則正しすぎる鎖の放射の中にいるのを見て何が起きたのか真実を遅れて理解した。
 船幽霊は全ての潜水艦に同時に錨を投げて拘束した。
 剛欲同盟の行動への懸念として予測した二つの可能性のうちでは前者により近い。しかし集めたのは自軍の船ではなくこちらの潜水艦だった。
 八千慧は唇を強く噛んだ。釣られた魚はきっとこんな気分なんだろう。否、釣られた魚のような、ではなく、今の自分は釣られた魚そのものではないか!
 誰しも自分が嘲笑されるというのは望まない。八千慧はプライド高く策謀で今の地位まで上り詰めた組長だから尚更である。しかし饕餮尤魔という女は、何度も何度もこちらを上回る策謀をこれ見よがしにぶつけて自分の計画を台無しにしてくる。剛欲同盟という口先ばかりで実力は他に比べて明らかに劣る組織が四大組織の一つを占めているのは、ひとえに組長がこいつだからである。そして饕餮は自分が八千慧を嘲笑しているという自覚は全くなしに毎回極めて礼儀正しく停戦交渉の場に、現状維持での白紙和平という条約の締結の場に現れる。その態度が八千慧の心を一層蝕んだ。
 今回も! また! あいつは!
 八千慧は地団駄を踏み、壁を殴りつけ、髪を掻きむしった。無線電話から発せられる機動力を封じられた僚艦の阿鼻叫喚が、怒りに震える彼女の脳を虚ろに通過していった。
「八千慧様、八千慧様、様子がおかしくないです?」
 そんな八千慧を正気に戻したのは側近カワウソ霊の何気ない疑問だった。
「おかしい通り越して全てが滅茶苦茶になったところだが?」
「い、いえ。様子がおかしいというのは船幽霊の方です」
 八千慧は船幽霊の方を改めて見た。やはり巣の中央に陣取る蜘蛛の様相なのだが、言い方を変えると静かで動きに乏しく、少し前まで散々暴れ回っていたのと同一存在とは思えない。静かというのも距離が離れているからで、近づいたら肩で息をする音が耳に障るかもしれない。注意深く見たときの動作もそうで、顔色は青ざめていた。
 青ざめている、といえば鎖や錨も青ざめている。さっきまで艦を食っていた錨は黒く重くいかにも鋼鉄製という趣きだったが、今伸びて刺さっているものは結晶でできているかのような青白い半透明で華奢に感じる。
「あっ、なるほど」
 八千慧は理解した。自分が結晶や炎を弾幕として放つように、この錨もまた弾幕なのだ。弾幕だから放ちさえすれば一見物理法則に反しているかのような出鱈目な攻撃ができるが、弾幕もまた霊力(パワーとも呼称できる)を使う以上無尽蔵には撃てない。潜水艦五隻に同時に錨を刺して動きを止めるというのは錨一本の強さを減じることで辛うじて可能な彼女の限界なのだろう。
 貧弱だろう錨を攻撃して切ってしまっても勝てる。満身創痍で動きを止めた船幽霊を撃ち抜いても勝てる。船幽霊の自滅ともとれる行動の結果転がり込んできた勝ちに八千慧は笑った。しかしそれは爽やかさの全くない、「私のことを散々コケにしてくれたこいつをどういたぶってやろうか」という邪悪な笑みである。
「あえて照準は真ん中から少し外せ。まずはあいつの四肢をもいでやる」
 八千慧は首に当てた錆びたノコギリを少しずつ引いていくかのような痛みつける処刑を所望した。
「準備整いました」
「よおし。撃」





4.
「そんなことしたら船幽霊も道連れだ。本当にやれと命ずるのかい?」
 潤美は怪訝な顔で饕餮に問うた。
「ああ。敵を欺くにはまず味方から、だ。今ここでお前が能力で重くすれば全部まとめて沈む。あれは奇妙な船だが、船であるならば浮くのは浮力によるものであるだろうから、浮力以上の密度を与えられたら耐えられぬはずだ」
「にしたって可哀想じゃないか」
「あれを見てみろ。村紗は錨を発射して満身創痍だ。私が八千慧なら迷いなく殺るね。何もせずおめおめと殺されるのを見過ごす方がよっぽど可哀想だ」
 饕餮が抑揚のない声でそう言うのを聞いて潤美は苛立った。
「満身創痍になることを命じたのはお前さんだろうに」
「だがあいつもあいつで乗り気だった。馬鹿なやつだ」
「ほら、あんたは他人の無知につけこんだ詐欺師だ」
「詐欺師じゃあない。賢者には賢者のための作戦があり、愚者には愚者に向いた作戦があるというだけのことだ。それにあいつは船幽霊だぞ? 血に沈められたところで死にはしないだろうよ。ま、悪意の感情濃縮還元みたいな場所に漬けられたらここ最近の記憶ぐらいは失うかもしれんが。にしたってたかだか泥酔みたいなもんだ。大したことはない。だろ?」
「泥酔だって大したことだと思うよ。つまりは、だ。お前さんの言う『敵を欺くためにはまず味方から』の『敵』には、村紗だっけ? あの船幽霊も含まれるのだな? 剛欲同盟が血の池地獄で唯一船を動かせる勢力になったら村紗は今度は敵に雇われて剛欲の船を沈めてくるに違いない。船幽霊の行動原理は結局のところ倫理や打算ではなく『沈めたい』という衝動なのだから。安全を確保するには村紗を始末するか、始末できなくとも畜生界との関わりを完全に絶ってもらう必要がある」
「そうかもしれないな。で、そう考えたお前は依頼を拒否するってことかい? さっきも言ったがね、逃げたところで安全に帰れるとは思わないことだな」
「……。可哀想な奴だよ、ほんと」
 潤美は錨に向けて念を込めながらため息をついた。その言葉は村紗にだけ向けられたものではなかった。





 村紗の視界は赤かった。どうしてこんなところにいるのかさっぱり分からず、ただ手足が枷を嵌められたかのように重く、息苦しかった。思い切り息を吸い込んだら血が肺腑に侵入した。視界が赤い理由にも気が付かないほどに思考力が落ちているのかと唖然としながらまた血に飲まれて意識が数十秒飛んだ。
 再び意識を取り戻してもやはりなぜ赤の空間にいるのかは分からないし、これが血で、息の吸い方を間違えると体に侵入してきて記憶も意識も飛んでしまうということすら忘れていた。が、本能から危険であることを体が覚えていて今度は慎重に呼吸した。
 相変わらず手足は重かった。どうしてなのかと四肢を動かしているうちに、村紗は自分が鎖の網に囚われていることを理解した。自分の意思で出した弾幕の錨であるはずなのに、その全てか先端部かが自分のものではないような感覚で、物理的な意味でも重しとして自分を拘束しているらしかった。
 村紗は鎖の大半を切った。鎖は錨との境界で切れて、やはり錨はどういうわけか自分のものではなくなってしまっていたらしかった。錨は回収できなかったが鎖は霊力に戻って村紗の中に取り込まれ、物理的重さが減じたのと合わせてだいぶ楽にはなった。
 鎖は全て切ってしまおうと思ったのだが、ほぼ同じ方向を向いた二本に動きを感じたのでそれは残した。邪魔な鎖は取り払って体力が戻ったので、ただ鎖の中にいるのがやっとだったところからもう少し細かい状況を感じ取れるようにはなった。
 もっとも視界が赤に染まっていて先を目視できはせず記憶も失っているから振動が情報の全て。その情報が意味するのは、根掛かりではなく何か巨大な獲物を前の記憶の自分が捕えたということだった。
「生意気ね。船幽霊相手に浮かべると思うな」
 今の村紗は潜水艦という概念の記憶も喪失していたから自分が捕まえたのがひどく往生際が悪い船かさもなくば巨大な怪魚だと思っていた。しかしいずれにせよ沈めると決めた(のであろう)獲物を逃がすなど船幽霊の名折れだ。村紗は体力と気力の限界に近づきながらも三本目の錨を生成した。これは意地の問題だ。覚えてはいないが、前の自分も何かの意地によって錨を網にしたのだろう。
 ただ慎重に呼吸をしていて頭が疲弊しきっていないからか冷静でもあった。二本の錨で抑えて暴れているのに三本目をただ足して止まる保証はない。試しに当ててみて手に伝わった感触が異様に堅かったのも慎重さに拍車をかけた。金属製の船か海亀かのどちらからしい。
 代わりに三本目を振り回して海底に渦潮を作った。二つのリスクがある作戦だが、強敵を倒すのにはリスクを甘受するのもやむなしだという覚悟があった。
 一つ目のリスク、波に揉まれた獲物が流れに乗って脱出してしまうという可能性は乗り越えた。というより、攻撃前まで手に伝わっていた振動とは真逆に一メートルも移動した様子がなかった。どうやら錨と海底との隙間で動けはするが、錨の先がそれぞれ獲物と海底に存外深く刺さっていて抜けないらしい。逆に全く意味のない攻撃だったのではなかろうかという懸念が生まれた。だが既に刺していた鎖からの振動が渦潮によるもの以外消えて、何がどう作用したのかはともかく相手の勝ちの目は潰せたらしいと分かった。満を持して拘束のために錨を投げ、目視できない触覚だよりの投擲ながら正確に命中させた。
 村紗は気が緩み、そこに二つ目のリスクが襲いかかった。つまり、渦潮が村紗自身もどこかに放り投げるというリスクだ。彼女はたまらず鎖から手を離し、重しを失ったことで遠心力で吹き飛んで流されていった。





「この仕事をしてると三途の川で土左衛門を拾うってのはたまにあるんだ。死神の怒りを買うと川を渡ってる途中で落とされてしまう。大体は魚の餌だから私が拾うのは食われる前の落とされた直後くらいのやつだけだがね。だからといって血の池地獄で土左衛門を拾ったのは流石に初めてだね」
 潤美は驚いたかのようなことを口にしたが、声色は落ち着いていて、予想はしていたが実際目の当たりにするとやはり異様だ、という風だった。
「生きてるよ。いや、船幽霊だから死んでるのかな? まあとにかく土左衛門じゃあない」
「おやこれは本当に驚いた。『私は誰?』くらい言うと思っていたんだがね。意外と飲んでしまった血の量は少なかったのかな。自我は食われていないようでよかったよ」
「ここしばらくの記憶はないんだけれどねえ。ここって新の方の地獄でしょ? まずそこから意味分かんない。旧地獄の温泉街に行ってどこをどうしたら新地獄の血の池に捨てられるのさ。……あんた何か事情知ってそうだね。三途の川の人がこっちまで来てるのも大概おかしいし」
「……。いや、私は単純に魚を売りに来ただけさ。こっちはとてもじゃないが商業が成り立つ治安じゃないね。あんたも気をつけた方がいいよ」
「旧地獄の船幽霊にそれ言うー? しかもあんた見たところ鬼じゃん。そんな優しい鬼がいたなんてねえ」
 村紗は潤美に担がれたまま笑った。
「優しくはないと思うがね。優しくないついでにそんな元気なら担がれないと自分の足で歩いてくれないかね」
「いやあ、実は歩き方忘れちゃってさあ」
「んなわけないだろ。三途の川までは案内してやるからあとは自力で帰りな」
 そうして二人は三途の川まで移動した。途中どの組にも所属していないというラクダ霊がいてそれに金を出して足にしたが、このラクダ以外動物霊は一匹もいなかった。記憶がなくそういうものと思っている村紗にとってはともかく、潤美から見るといささか異様な光景だった。
「平和だったね。珍しいことだ」
「ここまで平和だと張り合いなくてつまらないね。確かに二度と来なくてもいい場所だ」
「うーん。まあそういう理由でも来ないならそれはそれでいいか」
 潤美は柄杓を出した。船幽霊の前で底の抜けていない柄杓を取り出すことに躊躇がなくもなかったが、飲み水を掬う道具が他にないのだった。
「飲んどきな。この辺の水域は無生物だから血の穢れがちょっとは消える」
「壺なる御薬奉れ。きたなき所のものきこしめしたれば、御心地悪しからむものぞ」
「なんだいそれは。学のある船幽霊ってのも珍しいね」
「聖様が経典だけじゃなくて教養の類も教えてくれてね。『人生に彩りを与えるためのものであって、役に立つものだと思ってはいけませんよ』って言っていたけれど具体的に役に立つ場面が来るとはね。しかし、三途の川の水なんて飲んで大丈夫?」
「船幽霊がヨモツヘグイを気にするのかい。大丈夫だよ。三途の川の水で育てた魚なんて百か下手すりゃ千は里に卸したけれど何も起きてないし。理論の話をしたら厳密にはここは『あの世』じゃないというのもある。『この世』でもないけれど」
 村紗は恐る恐る水を飲んだ。頭が一気に澄んでいく感覚に高揚感を覚えたが、やはりどうして新地獄の血の池で溺れていたのかの記憶はなくそこは合点がいかなかった。頭は冴えたので多分何日かは不在にしたことをどう言い訳しようかという問題に思い至った。
「酔いつぶれて介抱されたってことにするかなあ。いや、一輪はともかく星は怒るよなあ。というか酒に弱い奴って思われるのは癪だし。数日住処を勝手に離れちゃったときってさ、どう言い訳したらいいと思う?」
 村紗は潤美に声をかけようとしたが、村紗が三途の川の水を味わっている間にどこかに行ってしまっていた。元気になった船幽霊が手に持った底の抜けていない柄杓で何をするかというところに懸念を感じたからかもしれない。
 村紗は仕方なしに一人で旧地獄に通じる穴を探しに此岸の奥へと歩を進めた。親に叱られることを承知で家に帰る子供のような諦めの気持ちがあったが、足取りはずっと軽かった。





「……様! 八千慧様!」
 八千慧は部下に揺すり起こされた。八千慧はベッドに横たわっていた。潜水艦のベッドなので決して広くはないが、艦長室のものなので、普通の乗組員が使う、書類棚かと見紛うほど間隔が切り詰められた多段ではなくちゃんと一人用だ。
 逆に言うと多少余裕がある故に先までのアトラクション並の揺れではまともに寝れたものではなかったろうが、今は揺れがなく安定していた。
「寝てたのか……? 私は外に半身を出しながら指揮をしていて……」
「八千慧様が指示を出していた途中、突然この船が浮力を失って沈没したのです。そのとき八千慧様は艦橋から落ちて頭を打ってしまったのです。ご無事なようで何よりです」
 説明をしたカワウソ霊は心底安堵した表情だった。取り巻きの中には静かに涙を流すものすらいる。冷酷なようで、無事を望まれるくらいには人望があるのが八千慧という組長なのだ。
「それは感謝する……。状況は解決したのか? 動きを感じないが、戦いは終わったのか?」
「残念ながら、浮力を失ってしまった問題は解決していなく、海底に縛り付けられたままです。今操縦室の人員が動いてますが進展は……」
「あと八千慧様始め人員全員の退避には成功しましたが、沈没が急すぎてハッチを閉めることはできず、艦橋の区画は放棄せざるを得ませんでした」
「浸水は正直あまり大きな問題ではない。梃子でも動かないということはバラストの水を出し入れしても何も変わらないということだろ? そっちが大問題になっている以上一区画が水没してようが誤差だからな」
 八千慧は上体を起こして瞑想した。
「また饕餮の奴にしてやられたか……」
 八千慧の低い声に部下達は怯んだ。この発言に続いて雷が落ちたことは一度や二度ではない。いかに組長を慕っていようとも、怒られても構わないかどうかというのはまた別問題だ。
「また何もかもを奪っていきやがって。交戦が続いているのなら攻撃はできないのか。どうにかして甲板に人を出して」
「……」
「どうなんだ」
「八千慧様もご存知かと思いますが、潜水艦の砲や機銃というのは水中では射撃できないのです。元々我々両棲の動物霊と異なり水中では活動できない人間が使う兵器なので……」
「そうだったな。じゃあ根気比べして拘束が緩んだら、というより他はないのか」
 八千慧は机の上のコーヒーカップを手に取った。
「折角淹れたのなら私の分だけ注ぐのではなく皆も飲めばいいのに」
 口をつけたときに、彼女はその水面が波立つのを見て怪訝な顔をした。
「揺れてないか?」
 八千慧はカップの取っ手を持ったまま皿の上に置き、水面が部下に見えるようにした。船幽霊と本気でやり合ってたときの全てをひっくり返す惨状ほどではないが、コーヒーは時々カップの縁から脱出しそうになる。
「畜生! 舵がいかれやがった!」
 操縦士のカワウ霊が悪態により報告を行った。
「舵がおかしくなったから揺れてるのか?」
「八千慧様、そんなんじゃねえんです。急に波がグワーっときてですね、そいつのせいで船は叩かれて揺れるわ舵はぶっ壊れるわ散々なんすわ」
「ああそうだな。散々だしお先真っ暗だ。やっぱりあいつは文字通り何もかもを奪っていったんだ。この船すらも」
 部下達は八千慧が激昂せず、カワウ霊の言葉遣いを諌めることすらしないのにかえって恐怖した。
「脱出しよう」
 八千慧は緊張状態から、緊張を与えていた目的、使命、生きがい、そういうのから解き放たれて虚脱してしまっている。部下達はそれを感じ取った。
「皆泳げるよな? 泳げないのは?」
 部下達は一様に八千慧を見た。カワウソもカワウも当然泳げるし、そもそもこういう事態を見越して泳げる奴が乗っているのだが、唯一組長の八千慧は海亀(
タートル
)
よりは陸亀(
トータス
)
だし、虚無に陥っているということは自殺願望を抱いているのではないかという懸念があった。
「私を舐めるんじゃないぞ。只の動物ではなく誉れ高き幻獣だ。水だろうと血だろうと泳げる。ハッチが開いてるということは、艦橋に通じる隔壁を解放したら外に通じるな?」
 部下達は安堵した。八千慧がカナヅチでないことと未だ生に希望を見出していることの両方に。
「水圧により開けた瞬間かなり勢いよく血が流れ込む。各自壁を掴み耐えろ。開けるのは私がする」
 八千慧は隔壁を開けた。幸い村紗が自分の生んだ流れに弾き飛ばされてから少し経っていたので渦は消えていて、血が艦内に流れ込む瞬間を除けば凪いでいた。
 鬼傑組潜水艦隊はこの戦いで文字通りに全滅。しかし乗員は全員生存を果たした。





5.
 後日、八千慧の事務所を饕餮が訪れた。何時のように白紙和平の講和の話であり八千慧は面白くなかった。出す紅茶に毒でも盛ってやろうかと扉を開けるまでは考えていた。しかし玄関先に立っていた饕餮は自信というものを自分の本拠地に置き忘れたのではないかというくらいの憔悴した顔で、「もう水運業も成り立ちそうにないからな」と恨みがましく答えた。それでこれまで潜水艦で散々に剛欲同盟を痛めつけ、あの最後の戦いでも打撃を与えて饕餮にもまた音を上げさせることに成功したのだと気が付き、八千慧はようやく溜飲を下げたのだった。
 講和は畜生界絡みの争いの歴史を鑑みると異例といえるくらいすんなりとまとまった。当事者が双方ともこれ以上の争いは許容できないくらい疲弊していたというのもあるし、血の池地獄における争いはもはや鬼傑組と剛欲同盟の二勢力の争いでは収まらなくなっていたからでもある。
 物流は体における血の巡りに比喩されることがあるが、血の池地獄の騒乱は文字通りに血栓を物流に生んだ。あらゆるものが手に入らないハイパーインフレーションを起こした地獄と畜生界では飢えがまん延した。これでは餓鬼道が別に存在する意味がない。
 金のある富裕層だけは食えたが、じゃあいいかとはならなかった。行政という常に最低限の金は担保されている組織でも大問題である。紙一束が一昔前の米一俵と同額では事務処理一つままならない。
 なので新地獄の事実上の統治者、人鬼の日白残無が直々に動いた。そもそも野蛮な争いを忌避する彼女は畜生界の騒乱自体を苦々しく見ていたが、醜い争いは畜生の本分と見て見ぬふりをしていた。だが血の池地獄での一連の争いは程度を超えていた。無辜の(地獄だの畜生界だのに落されている時点で一般的には無辜ではないが、この点に関しては無辜の)民もが苦しんでいたし、何よりただですら火の車な地獄の財政がますます追い詰められたことに堪忍袋の尾が切れた。
 鬼傑組と剛欲同盟が互いに食い合うなかで漁夫の利を得て血の池の覇権を握るのは自分達だと、勁牙組が動きを見せていた。鬼傑組や剛欲同盟と違い水中で満足に動くことのできる動物がいないのにどうやって血の池を得ようとしていたのか、特に考えていなかったのが勁牙組の勁牙組たる所以だが、そもそも残無が先んじて停戦に動いたので勁牙組も頭を垂れざるを得なかったのである。犬、猿、雉が桃太郎に逆らえぬように、吉弔、饕餮、天馬は鬼に逆らえないのだ。
 争いも、講和のための争いも、講和のための争いのための争いもなく平和裏にことは進んだが、代わりにひどく大規模なものになった。残無が血の池の血を全部抜くと言い出したからである。
「キャラバン騒動も大概だったが、今回の争いがキャラバンの比にならないほど泥沼化したのは人間霊がもたらしたお前ら畜生共には不相応な技術と、血が非人道的な奇襲を可能にしたからじゃ。これからは隠れる場所一つない開けた大地で正々堂々戦え。まあ当面は正々堂々とも争わせないがな。物の動きが安定に戻るまでには真面目に働いて少しでも早く安定が戻るように努力しろ。これは貴様らへの罰でもあるが、悪いことばかりでもあるまい。組にとっても休息は必要じゃろ?」
 三組長を立ち会わせて残無は説教した。彼女は髑髏のついた銀色の杖を血の水面から一寸浮かせて掲げていて、吸い上げられた血は全て虚無へと消えていっていた。





 かつて血の池だった地獄のどこか。血が抜けたことで、水底にあった巨大な錨が絡まった潜水艦が姿をあらわにした。その前に饕餮と潤美がいて、饕餮は憤慨しているように見える。
「逃げてるじゃないか」
「そりゃ脱出機構の一つや二つ備えているだろうさ」
「脱出機構があったとして重くなってるのにどうやったら浮かぶんだ」
「勘違いしてるね? 私の能力は身近な『もの』を重くすること。生き物死に物は対象外さね。だからあの場では錨を重くしたんだ。それでこの鉄の鯨を水底に押し込みゃあんたの命令は果たせるし、事実そこまでは上手くいったろ?」
「潜水艦本体の方を重くしとけば、例えばハッチを開けて脱出する仕組みだったとして重さでハッチが回らず、という感じで閉じ込めできただろ」
「あー」
「気が付かなかったのか。名にし負う牛鬼様も腑抜けたものだな」
「あー、確かに昔の私なら殺すことに敏感だったから気が付いただろうし、そうでない今が腑抜けたと言われても仕方ないのかねえ。でも、私は退化とは思わないよ。望んで人を襲うのをやめて漁師になったんだ。下手にヤクザを生き埋めにして恨まれるくらいなら安寧をとるね」
「別のヤクザに恨まれてもか」
 饕餮は潤美に詰め寄ったが、彼女はなんら動じた様子を見せなかった。
「恨まれる筋合いがない。考えてもみなよ。私は確かに吉弔八千慧を仕留め損なったかもしれないが、殺しても死なないような奴が案の定死ななかったというだけだし、あんたらが潜水艦と呼んでる鉄鯨の怪物も全滅はさせたんだから損はしてないだろ?」
「ふん。漁師に転職して一丁前に金勘定なんぞ身につけおって」
「経済に詳しい剛欲同盟の長ならこの辺の感覚を共感してくれると思っただけさ」
「経済に詳しいから、この働きに追加報酬は出せないな」
「構わないよ。私は足りることを知る牛鬼さ。前金だけありがたく受け取っておくとしよう」
「依頼人が私で良かったなあ。目の前の敵を食えなかった時点で八千慧や早鬼みたいな短絡的な畜生なら粛清不可避だったぞ」
「あんたの俯瞰的な視座に感謝だね。だとすると逆に私らを仕留めそこねた鬼傑組は今頃大荒れか」
 潤美は饕餮と別れ、互いに声が届かないくらい離れたところで一人呟いた。
「あんなこと言っときながら、どうせ何かの間違いで吉弔が死んだら『張り合いのある奴がいなくなったな』とか言って嘆くんだ。そういうところ含めた配慮だって気が付いて欲しいものさね……。いや、気が付かれなくてもいいや。察しがいい饕餮というのも気味が悪い」





 さて、潤美が大荒れと予想した鬼傑組は事実荒れていたが、意外と八千慧は冷静であった。
 確かに饕餮から白紙和平の提案を受けたときの「向こうを苦しませることはできたのだから今回は事実上の敗北ではない」なんてのはその場しのぎの仮の納得にすぎず、饕餮が帰ってから残無が動くまでの間でまた沸騰していた。それでもカワウソ霊数匹が鬼籍に入り、事務所一棟建て替え、サンドバッグを二回新調という程度で癇癪が収まったのだからこれはもう平穏の極みである。
「今までの私だったら粘着質に剛欲同盟と残無様への復讐を画策して藁人形に五寸釘を打ち込むまでしたのだろうが、今回で学んだ。固執とは未来へ歩を進めることを拒む足枷でしかないのだよ。いいことだろうと悪いことだろうと変化は変化として受け入れて、その時々の最善を考えるように切り替えた方がずっとよい」
 八千慧はかつてカワウソ霊だった赤黒い球体を片手で跳ね上げ続けながらそう嘯いた。
「八千慧様ー。剛欲同盟の奴らが血の池跡を訪れたらしいですー」
 カワウソ霊が一匹、阿呆っぽい声で報告をした。声だけでなくこのカワウソ霊は事実阿呆だ。伝令は阿呆がすることになっている。阿呆でもできる仕事だからというのと、阿呆だからこそ向いた仕事だからである。例えばここで「八千慧様は苛立っているから他の勢力の話をするのはやめておこう」などと知恵をまわすのは伝令としては失格である。代償として時折今の八千慧の手の近くを上下しているような存在と成り果てるが、それはそれ。むしろ伝令くらいにしか使い道のない阿呆が適宜処理されるので一石二鳥だ。
「そうか。我々も後で訪れよう」
 この伝令は幸運だったので球体にこねられることは免れた。
 跡地に来た八千慧は潜水艦の外殻を触った。手が赤く染まる。先の戦いからそこまで経ってはいないが、その僅かな期間の間に錆が表面を覆ってしまったのだ。この世界では物理学では説明のつかぬことが起こる。
「厳しいかな」
 八千慧は潜水艦を蹴った。錆の膜が強風に吹かれた紅葉の如く舞い落ちた。
「厳しいとは?」
「今回の争い然り、その前の畜生界都市改造然り、鉄というのは高度な技術において必要不可欠な物質だ。否、鉄器に代表されるように、高度でなくとも文明とは鉄の利用と言っても過言ではあるまい。畜生が文明を語るというのも奇妙なものだが。つまるところ文明化された畜生界において鉄とは重要な資源で、それが塊で落ちているのだから再利用できれば血の海戦争の損失もいくらか回収できる。さっき言っていた、その時々の最善を考える切り替えだ。が、錆びていては使えんなあ」
 八千慧はカワウソ霊に教示しつつ潜水艦を蹴り続ける。資源どうこうというのは只の名目で潜水艦を蹴ることそのものが目的かであるような熱の入りようだった。が、ついに痛めつけを止めた。黒光りする、とまでは言わなくともまだ錆びていない層が露出したからだ。
 結局、錆は常識外に早く全体を覆ったとはいえまだ表面付近だけしか侵食していなかったのだ。この世界では物理学では説明のつかないことが起こるが、それでも物理学は法則の大前提としての座を守り続けている。
「素晴らしい。全てが鉄ではないとはいえ排水量六百トンのスクラップだ。しかも巨大な錨三本がついてきて、錨の有無とか細かい違いはあれど似たものが他に数か所に放り出されている。それに、うちの船が残ってるということは沈めた剛欲の船も残ってるかもしらん。剛欲同盟の奴らは採掘に来そうか?」
 八千慧はカワウソ霊に聞いたが、伝令はそんなこと知らないし推測もできない。こういうときだけは阿呆であると困る。
「はい、そうですね。多分、おそらく」
「じゃあ戻って来るまでは錆が剥がれたところは隠しておかないとな。他の組にこれの価値が露見されてはかなわん」
 八千慧は落ちた錆と、赤土の地面を削ったものを自分が蹴った場所の前に山と積んだ。地獄の過酷な環境ではこの山もすぐに削れるだろうが、しばらくの時間稼ぎにはなるだろう。もっとも仮に黒鉄部分が露出してたとて、錆びる前にもう一度誰かがここを訪れてスクラップを観察せねば分からぬことであり、慎重すぎる判断でもあった。
 ただ一方で、八千慧は、もしかしたら誰か別の組の奴がこれの価値に気が付いて争いを起こすという可能性も考えていた。警戒からではない。否、警戒心も少しはあったが、それ以上に争いになってはくれないかという願望が大きかった。
 残無が強制的な平和をもたらしたので畜生界は少し腑抜けたと八千慧は思っている。少なくとも早鬼も同じことを思っているだろう。饕餮は分からない。あれは平和を餌に肥え太るような奴だが、しかし奴もまた、闘争を求めているには違いないのだ。闘争とは畜生の本能にして史上の喜び。その可能性に八千慧は体を震わせながら、偽装の山はわざとらしく積むことにした。





 血が抜けた新地獄の血の池地獄跡地は赤い粒が混じった饐えた臭いの風が吹いていた。唐辛子の粒のような見た目だが、その実これは地獄の赤い地面が強風で削れて舞ったものだ。そして地獄の地面が赤い理由は溶岩だったり血だったりである。液体としての血が枯れようとも、そこに血があったという歴史の蓄積は永遠に残り続けるのだ。
 赤い砂嵐の中を馬車が走っていた。馬といえば勁牙組組長だが、この馬車の所属は剛欲同盟である。なので饕餮が乗っていた。
「船に積んでいたエンジンをだ、パワーは弱くしてもいいから軽くして、それで馬車の車輪を回す。という技術革新はできないものかね」
「外の世界で『自動車』と呼ばれる乗り物ですね。その関係の人間霊を捕獲できたことがあって、昔試作まではしたそうです」
 配下のオオワシ霊は馬車の幌の上から饕餮を見下ろして上司の疑問に答えた。
「聞いてないぞ? 何勝手なことをしている」
「厳格な統率がされない緩やかな関係が『組』ではなく『同盟』なうちの持ち味じゃないですか。組長がお聞きになっていない理由は単純。試作で頓挫したので試したどっかの動物霊集団から外側に話が回らなかったんです」
「頓挫したのか。いいアイデアだと思ったんだが」
「地獄で硬い地面の場所の気候ってどこもこんなんですから。ちょっと風が強すぎる。あと道の凹凸が車輪で速度を出す自動車の特性に合わない。舗装して道を作るにはここは絶望的に広いですからねえ。一応舗装されていない場所でエンジンを使う『キャタピラ』っていう名前の機構も試したんですがこれは遅いし、何より燃費が終わっていました。『自動車は高すぎる。安い動物霊を使え』ってのが結論ですね」
「やけに詳しいな。さては『どっかの動物霊集団』のうち一羽はお前自身だな?」
「まあそうです。いくら同盟長と言えども、『自動車作れ』のわがままだけは願い下げですからね」
 オオワシ霊は呻いた。
「お前は大概わがままな奴だろ。しかしそうだな。よく考えれば血が枯渇しては自動車の機械だけ作っても動かす燃料がない」
「あれって血で動かしてたんすか!? 石油じゃなくて」
「お前意外と鈍いな。本質的には同一だ。生物の死骸に由来して、喜悦、利便、呪詛、憎悪、欲望、ありとあらゆる感情が纏わる」
 饕餮は空咳をして、水を飲もうと容器を逆さまに倒した。だが液体はほとんど出てこない。残無の介入もあり物価は概ね安定したが、唯一水のみは高止まりした。この気候ではやむを得まい。「水がなければ血を飲めばいいじゃない」という時代は終わったのだ。
「ほとぼりが冷めたら血でも石油でも、またどこかに探しに行くか。地獄の血脈も油田もこの一件で枯渇しただろうが……」
「そうそう、ほとぼり。冷ます必要があるとはいえ、真面目に運びの仕事をするなんて饕餮様も律儀っすよね」
「真面目ねえ」
 饕餮は周りを見渡し、馬車馬を調べ、最後に幌の上のオオワシ霊が、その高慢さで側近にまで上り詰めたオオワシ霊本人であることを確認して馬車を止めた。
「こんな小話がある。国境の検問官が密輸を見張っていて、そこへ毎日、マフィアが自転車を漕いでやって来た。検問官は絶対に何か密輸してるだろうと毎回検査をするんだが不審なものは見つけられなかった。それで年月が過ぎて検問官が退職するとなった日、ついに敗北を認めマフィアにこう聞いたんだ。『教えてくれ。お前は何を密輸していたんだ』。マフィアはこう答えた。『自転車ですよ』」
「じゃあこの場合は馬車を」
「変な小話だよな。往復で同じ自転車を漕いでいたら貿易にならないし、かといって往路だけしか通りがからないんだったら途中で検問官も勘付くだろ。ということで別に馬車自体を密輸しようってんじゃない」
 饕餮は幌を張っている柱を一本抜いて折った。木が空洞になっていて白い粉が詰まっている。法に触れる方の白い粉だ。
「検査しても見つからず、にはならないが、正直こっちの警備はザルだからな。お上は物流がスムーズにいって手をかけなくても回る社会に畜生界が回復することを優先している。その博愛主義には涙が出てくるよ。『いい子』にさえしていれば疑われずお咎めなしなんだから」
 「柱が減ったから幌を張っておくのも危ないな」と饕餮は言った。オオワシ霊は渋い顔をしたが、仕方なく幌から降りて積荷の上に居場所を移した。
 しばらくすればより秩序的になって検問が導入されるか、より混沌として馬車輸送を巡る争いが勃発するかするだろう。しかしそれまでは安全が保障された交易でぬくぬくと利益を上げるに違いない。血の池地獄戦争の傷が癒えるくらいには。
 動物霊二人と大量の荷物を荷車に載せた馬車は、地獄を抜けて畜生界のビル街へと入っていった。
畜生界には国際法が存在しないのでルシタニア号事件に類するものが起こらず無制限潜水艦作戦が大正義になる。修羅の国
東ノ目
https://twitter.com/Shino_eyes
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.100福哭傀のクロ削除
相変わらず頭のいい作品でした。船の対決(でいいのかなこれ)は昔に潜水艦の漫画を呼んだことがあったのでなんとかついていけたはず。それぞれの組長(同盟長)が格を落としすぎないバランス感覚がとても好みでした。ミクロで見れば言葉の端々がおしゃれで楽しいし、マクロで見れば畜生界の世界観の広がりを感じられて、全体的に楽しめました。というか畜生界めっちゃ広いな……
3.90ひょうすべ削除
この物語でもっとも物理法則を無視した人は残無さまだと思う
4.100名前が無い程度の能力削除
知略と暴力の塩梅が絶妙でした。面白かったです
5.100夏後冬前削除
大変に面白かったです。かなり原作から離れた内容でありつつも畜生界の連中が違和感なく再解釈されていて、それでいてストーリーの読み応えも満点で満足感が半端なかったです。
7.100南条削除
とても面白かったです
導入から結末までとても丁寧に描かれていて、夢中になって読んでしまいました
科学の結晶が超常の能力で覆されるところも幻想郷ないし畜生界らしくてよかったです
9.90せんとらた削除
よい海上護衛戦でした
10.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです