『救助不要。放っておいて!!』
少女の傍らに添えられた置き手紙を読んで、僕は思わず首を傾げてしまった。
魔法の森のある開けた場所。その中心に年端もいかない少女が倒れていた。
店を一日休業にしたとある日。人里へと買い物に出かけた帰りに思わず発見してしまったのだが、これは一体全体どうしたことだろう。
遠目から見ても、彼女は微動だにしていない。慌てて駆け寄ったのだが、やはり息もしておらず脈もなかった。
荒れた呼吸を整えてから、ざっと周囲を見渡す。このまま弔うのは良いとしても、少女の死の謎を放置するいうのはどうにもむず痒く感じる。
いつもならば面倒なことはせず、粛々と供養をしているのだが。
しかしどうにもこの不可解な遺体の現場は、僕の好奇心をチクチクと刺激して止まないのである(これは決して最近読んだミステリー小説に影響された訳ではない)。
結局、僕が事件の考察を始めるまでにそう時間はかからなかった。
まずは仰向けに倒れている少女の足元に立ち、改めて遺体の様子をまじまじと眺める。
当然ながら見たことのない少女だ。最も、出不精の僕には人里の知り合いなど数えるほどしかいないけれども。
くまなく全身を見て回ったが、特に外傷はなく、流血もなし。
気になるのが強く握り込まれた右手だ。中には、クシャクシャに丸め込まれた赤い何かがあるらしい。
死後硬直なのだろうか、力付くで開かない限り手の中は見れそうにない。
彼女にとって大事なものであった可能性もあるので、無理やり手を解くことは少し躊躇われた。
能力を使って覗いてみると、詳細は不明だが特別製の御札であるようだ。護身用だろうか。
次に現場周辺を改めて確認していく。木立が並ぶばかりの何の変哲もない場所だが、一本だけ様子の異なる木を発見。
その木には深く抉れた跡があった。驚くことに木の幹の中央、その右半分が丸く消失している。木が未だ倒れていないのが不思議なくらいであり、相当な勢いがないとこうは削れないだろう。
雷に打たれたならば左右に割れるだろうし、幻想郷には昔外来本で見たような重機なども存在しないので、工事があったわけでもないはずだ。
無論、一般的な人間に木に穴を開けることなど出来ない。魔法の森なら妖怪のほうが圧倒的に生息数が多いだろうし、力のある妖怪の仕業と推測するのが妥当だろう。
また少女と木の距離の近さから見ても、少女の遺体と無関係の要因で抉れたとは考えにくい。
身を守るための御札、人間業ではない大きく削られた木の幹。単純な連想で言えば、妖怪にでも襲われて、逃げ出したが哀れ、少女は助からなかったという筋書きなのだが。
遺体の状況が綺麗すぎることがどうも引っかかる。腐敗の様子がないことから、死後時間はそう経っていない。
少女を襲った相手は、人間の肉体以外の何かを餌としていたのだろうか。妖怪が好む食料というのは実に多岐にわたる。魂、血、精、夢、酒、油揚げ、きゅうり、行灯の油、垢。概念的なものから人間も食べるもの、果てにはその種族しか食べないようなものまで。故に、異変解決の宴などは人妖入り乱れているので、好みの把握が大変そうであると常々思うものである。
いけない。思考がすぐ主題から逸れるのは僕の良い癖でもあり悪い癖だ。
話を戻して、僕の頭を最も悩ませているのが件の書き置きである。救助不要も何も、死んでいるのなら助けようがないではないか。
これまで敢えて書き置きを無視していたが、他殺だとすれば書き置きを残す説明がつかない。
文字は和紙に書かれており、いやに達筆。何者かに襲われたとするならば、こんなに丁寧に文字を書く時間などないだろう。
ひょっとするとこれは自殺なのだろうか。 自殺の邪魔をされたくないので書き置きを残したと仮定してみる。
ならば、即死できない自殺方法を選択したと考えるのが自然だ。
これまで多くの死体を弔ってきた実体験で言えば、自殺といえば圧倒的に首吊りが多い。
とはいえ、縄のようなものは特に見当たらない。どころか、少女自身の持ち物がほとんどないこともまた不可解だ。
人里から魔法の森まで着の身着のままやってきた。なるほど、これなら確かに自殺志願者かもしれない。
しかし、それでは御札を所持していた理由がよくわからない。あくまで自殺に拘っていたということなのか。
そもそも、自分の死後、遺体を放っておいて欲しいと考えるだろうか。幻想郷の葬式事情で言えば、遺体の処理は概ね火葬である。放置されて無惨に腐っていく自分の死体など、僕は想像もしたくないのだが。
精神的に追い詰められていて死後を気にする余裕もなかったのか。
ああでもないこうでもないと一人唸っていると、突然、遠くの草むらがガサゴソとわずかに揺れる音がした。
様子を伺おうと、音のした方角を見やる。一拍置いた後、なんと物音の主人こちらに向かって一直線に移動を開始した。
まさか、犯人は現場に戻ってくるというやつだろうか。そうすると、恐らく第一発見者である僕は非常に危険ということになるのでは。
相手の凄まじい速さを鑑みるに、機動力が落ちる森の中で逃げたとて僕に勝ち目はない。固唾をのんで茂みを見守るしかなかった。
迫りくる物体の正体は……。
「にゃーん」
なんだ猫か。
「あーっ! 死体泥棒!!」
「うわっ!!」
黒猫が一匹飛び出してきたかと思えば、瞬きをした次の瞬間には赤髪の少女が立っていた。
予期せぬ二段構えに尻餅をつく。
「ちょっとお兄さん、人の獲物を横取りとはいけないねえ」
「いや、そんなつもりは全く……」
真紅の髪を両サイドで三つ編みにし、髪の根元と先には可愛らしい黒いリボン。そして何より特徴的な猫耳と二本の尻尾。
「君は猫又かい?」
「よく間違われるけど、あたいは火車だよ。火焔猫燐。お燐って呼んでね! これは、死体を運ぶ用の猫車」
火車か。葬式や墓場から死体を奪う妖怪と聞いているが、このタイミングでの登場はいささか出来過ぎのような気もする。
とはいえ、クローズドミステリーでもなんでもないのだから、犯人の特定は不可能だと考えていた矢先だ。犯人候補の登場に、年甲斐もなく気分が上がってしまう。
「なるほど。極めて怪しいな」
「ええー? だからあたいは火車だってば、ほら」
後ろを向いて、こちらに二又の尻尾をフリフリと揺らしながら見せつけてくるお燐。尻尾の先が煌々と燃えている。
「……そうではなく。いかにも彼女を殺したらしい容疑者が現れるとはね」
眼鏡を指でクイッと押し上げる。一度はやってみたかった探偵仕草。
「失礼な! 死体を漁るのは好きだけど、殺しには興味ないよ」
口ではどうとでも言えよう。現に、さっきからお燐の目線は何度も死体と僕を行ったり来たりしている。
十中八九、死体を早く回収したくて仕方がないのだろう。死体を見て嬉しそうにしている時点で印象は最悪だ。
「お兄さんは彼女の何なの? 関係ないなら持っていっていいよね?」
お燐がすぐに死体へ飛びつかなかったのは、僕が邪魔をするか見極めたかったかららしい。
問題は、このまま火車の妖怪に連れ去られることが、彼女にとって望ましい最期なのかどうか。
それに、まだ何一つ謎が解けていない。一度推理を始めた以上、ここで引き下がるのは知識人としての矜持に傷がつく。
ここは容疑者扱いをひとまず取り下げることとして、お燐にこれまで僕が考えたことを一通り伝えてみる。
「ふうん。彼女の死を巡る不可解な現場の謎、ね。実はあたい、さっきもここに来てたのよ」
「なんだって?」
僕は第一発見者ではなかったのか。
「お兄さんは特に書き置きに気を取られているみたいだけど。探偵助手のあたいからすればこんな謎は一目瞭然!」
えっへんと胸を張るお燐。あまりにも自信満々に豪語するので、無言で先を促す。
「主観、思い込みは落とし穴。前提を疑ってみないと。書き置きを残したのが少女本人ではなく、彼女を殺した犯人だとしたら?」
「それは……ありえる話なのかい? 他殺なら、殺すだけ殺しておいて、遺体は放置なんて。犯人は快楽殺人犯だったとでも? 少なくとも外見上なら、遺体はこんなに綺麗だと言うのに」
「さあ? 様々な種族が暮らすこの幻想郷で、事件現場は森のど真ん中ときた。これじゃあ殺しの動機も手段も膨大すぎて断定なんて無理だよ。」
投げ槍な回答ではあるが、一理ある。
「でも、書き置きの意味ならわかる。これは犯人が後で遺体を取りに来るまでに、他の誰かに邪魔をしてほしくないから残したのさ」
「殺した直後に持ち去らなかった訳は?」
「何かイレギュラーな事態の発生……急用でも出来たんじゃないかな。あたいのようにさ!」
聞くところによると、お燐が遺体を発見した時には既に書き置きがあったらしい。そして、地霊殿の主から急用を申し付けられ、渋々何もせずにその場を後にすることになった。書き置きは己の立場としても利用できると判断したため、放置していったそうだ。
「なんて悠長な……」
「だって犯人が必ずしも証拠隠滅を図りたいと考えていたとは限らないでしょ? 警察なんていないんだし。それに、妖怪の可能性の方が高いってお兄さんは推測したんだよね。 なら、妖怪の犯人が自分の獲物だって証を残したいと考えてもおかしくないんじゃない? 熊とかみたいにさ」
うーむ。書き置きは犯人が残したものである、という新しい視点には確かに考えさせられるところがある。
最も、それは決して探偵助手の視点ではなく、火車妖怪としての視点ではあることは指摘しておきたいが。
「しかし、現に君が遺体を持っていこうとしている以上、書き置きの効力なんてないじゃないか」
「それはまあ、ほら。書き置きを見て思い留まってくれたらラッキー、程度のものだったんじゃないかな! あはは」
なんともお燐にとって都合の良い言い訳だ。
「お兄さんは知識量は確かにあるみたいだけど、あたいのほうが一枚上手だったね。 あれだよ、データベースは結論を出せないってやつさ!」
そのセリフは僕が言うから成り立つのであって、他人から言われればただの悪口である。
「さっ、謎も解決したことだしこの死体はあたいが貰ってくよ」
テキパキと猫車を運び、準備は万端といった様子のお燐。
彼女を止めるべきか否か、未だ逡巡していた僕はかける言葉を持たなかった。そんな折。
「ちょっと待ちなさいそこの泥棒猫!」
驚くことに、お燐に対して僕以外という第三者から待ったがかかったのである。
声の主は空中から真下に木々を通り抜け、ふわりと降り立つ。
陰陽玉、お祓い棒、封魔針、無数のお札……。異変時にしか見られない、物々しく完全武装をした博麗霊夢がそこには立っていた。
「げっ、博麗の巫女」
「話は全て聞かせて貰ったわ」
霊夢は死体の方を一瞥し、険しい表情で僕達に向き直った。
お燐は動きを止め、招かれざる客を苦々しく見ている。
仕方があるまい。これ以上事態がややこしくなる前に、探偵ごっこは終わりにするとしよう。
「霊夢、丁度良かった。今からこの仏を弔おうと思うんだが手伝ってくれないかい」
「その必要はないわよ。霖之助さん」
聞き間違いだろうか。霊夢が人間の供養を断るだなんて。
「何を言い出すんだ。君がこの娘を殺したわけでもあるまいし、まさか都合が悪いなんてことは」
「いいえ、彼女を倒したのは私よ」
……霊夢が殺人事件の犯人だって? そんなまさか。
冷や汗が頬を伝う。昨日読んだミステリー小説だと、謎を解明できずに犯人に遭遇した探偵の末路は確か。
信じたくない気持ちで一杯だが、それは何故か僕の腕にしがみついて離そうとしないお燐も同様であるようだ。
「く、口封じ……人殺しに消される……」
物騒なことを小声で呟いているのは全力で聞こえないふりをした。
二人分の間抜け面を向けられてようやく己の失言を悟ったのか、霊夢は力が抜けたようにフッと笑った。
「なぜ殺人なんて真似を」
「あのねえ、貴方達何か勘違いしてるわ。 そこで倒れてる娘が人間だって話、ただの思い込みでしょ?」
沈黙。それは僕とお燐が事態を理解する為に生じた時間だった。
霊夢から指摘を受けてハッとする。確かに、この娘が人間だという確証はどこにもない。
「脈や呼吸がなかったのは?」
「彼女が完全な妖怪だからよ。気絶してるだけ。宵闇妖怪のルーミアって知ってる? そこの木の幹も彼女が凄い速度でぶつかった結果。闇に包まれている間は本人も目が見えないらしいわね」
「ええー!! 死体じゃなかったの!」
何故か僕の後ろに隠れて顔を半分だけ出していたお燐が、真実を知って悲鳴をあげる。
「そんな馬鹿な。では彼女が持っている御札は?」
「霖之助さんでも分からなかったのね。私にも詳しい内容は不明だけど、あれは少なくとも退魔用じゃなくて本人の力を封印する為の御札。木にぶつかった拍子に外れたみたい。暴れてたのを発見したからとっちめたってわけ」
そういえばと思い出し、ルーミアの右手を開いてみる。その手の中には、御札の機能を果たす赤いリボンが握られていた。
「なら書き置きも霊夢が?」
「ええ。軽装だったからその場で再封印が出来なくて。装備を取りに行ってる間に、誰かに救助でもされて復活したら面倒じゃない?」
それにしたってもっとやりようがあるだろう。
そう言いたいのをグッと堪え、脱力する。随分と空回りしてしまったものだ。
「霖之助さんって半人半妖なのに、考え方はほんとうに人間的なのよね」
霊夢が向けてくる苦笑いになんとも居心地が悪くなり、顔を逸らす。
「嘘だっ! 人殺しが苦し紛れの嘘をついてるのよ!」
「あんたはまだ言うか!」
探偵助手としてのプライドをへし折られたらしいお燐が喚いていたが、霊夢のチョップによって沈黙した。
……全く、種明かしされればなんともあっけない。
主観、思い込みは落とし穴、か。発言した本人が徹底できていなかったことではあるが、全く的はずれなことを言っていたわけでもない。ことさら、お燐よりも僕は探偵に向いてなかったのだろう。
「ああ、もう。無駄話をしたせいでタイムオーバーになっちゃったじゃないの!」
霊夢が死体……ではなく、気絶していると思われるルーミアを見て苛立った声を上げる。
何事かと僕も視線を向けた時には、彼女はよろよろと立ち上がり始めていた。
「全く、尋常じゃないくらいタフなんだから。悪いけど、今度は二人にも手伝ってもらうわよ!」
見ると復活したルーミアは目を血走らせ、体内から謎の瘴気を噴出させながら咆哮している有り様ではないか。
なんということだろう。いつの間にかミステリー小説からバトル漫画な展開になってしまっている。
残念なことに僕の輝かしい休日の予定は帳消しになりそうだ。
後悔先に立たず。探偵の真似事なんてもう二度とやらないと心にそう決めた。決めたったら決めたのである。
少女の傍らに添えられた置き手紙を読んで、僕は思わず首を傾げてしまった。
魔法の森のある開けた場所。その中心に年端もいかない少女が倒れていた。
店を一日休業にしたとある日。人里へと買い物に出かけた帰りに思わず発見してしまったのだが、これは一体全体どうしたことだろう。
遠目から見ても、彼女は微動だにしていない。慌てて駆け寄ったのだが、やはり息もしておらず脈もなかった。
荒れた呼吸を整えてから、ざっと周囲を見渡す。このまま弔うのは良いとしても、少女の死の謎を放置するいうのはどうにもむず痒く感じる。
いつもならば面倒なことはせず、粛々と供養をしているのだが。
しかしどうにもこの不可解な遺体の現場は、僕の好奇心をチクチクと刺激して止まないのである(これは決して最近読んだミステリー小説に影響された訳ではない)。
結局、僕が事件の考察を始めるまでにそう時間はかからなかった。
まずは仰向けに倒れている少女の足元に立ち、改めて遺体の様子をまじまじと眺める。
当然ながら見たことのない少女だ。最も、出不精の僕には人里の知り合いなど数えるほどしかいないけれども。
くまなく全身を見て回ったが、特に外傷はなく、流血もなし。
気になるのが強く握り込まれた右手だ。中には、クシャクシャに丸め込まれた赤い何かがあるらしい。
死後硬直なのだろうか、力付くで開かない限り手の中は見れそうにない。
彼女にとって大事なものであった可能性もあるので、無理やり手を解くことは少し躊躇われた。
能力を使って覗いてみると、詳細は不明だが特別製の御札であるようだ。護身用だろうか。
次に現場周辺を改めて確認していく。木立が並ぶばかりの何の変哲もない場所だが、一本だけ様子の異なる木を発見。
その木には深く抉れた跡があった。驚くことに木の幹の中央、その右半分が丸く消失している。木が未だ倒れていないのが不思議なくらいであり、相当な勢いがないとこうは削れないだろう。
雷に打たれたならば左右に割れるだろうし、幻想郷には昔外来本で見たような重機なども存在しないので、工事があったわけでもないはずだ。
無論、一般的な人間に木に穴を開けることなど出来ない。魔法の森なら妖怪のほうが圧倒的に生息数が多いだろうし、力のある妖怪の仕業と推測するのが妥当だろう。
また少女と木の距離の近さから見ても、少女の遺体と無関係の要因で抉れたとは考えにくい。
身を守るための御札、人間業ではない大きく削られた木の幹。単純な連想で言えば、妖怪にでも襲われて、逃げ出したが哀れ、少女は助からなかったという筋書きなのだが。
遺体の状況が綺麗すぎることがどうも引っかかる。腐敗の様子がないことから、死後時間はそう経っていない。
少女を襲った相手は、人間の肉体以外の何かを餌としていたのだろうか。妖怪が好む食料というのは実に多岐にわたる。魂、血、精、夢、酒、油揚げ、きゅうり、行灯の油、垢。概念的なものから人間も食べるもの、果てにはその種族しか食べないようなものまで。故に、異変解決の宴などは人妖入り乱れているので、好みの把握が大変そうであると常々思うものである。
いけない。思考がすぐ主題から逸れるのは僕の良い癖でもあり悪い癖だ。
話を戻して、僕の頭を最も悩ませているのが件の書き置きである。救助不要も何も、死んでいるのなら助けようがないではないか。
これまで敢えて書き置きを無視していたが、他殺だとすれば書き置きを残す説明がつかない。
文字は和紙に書かれており、いやに達筆。何者かに襲われたとするならば、こんなに丁寧に文字を書く時間などないだろう。
ひょっとするとこれは自殺なのだろうか。 自殺の邪魔をされたくないので書き置きを残したと仮定してみる。
ならば、即死できない自殺方法を選択したと考えるのが自然だ。
これまで多くの死体を弔ってきた実体験で言えば、自殺といえば圧倒的に首吊りが多い。
とはいえ、縄のようなものは特に見当たらない。どころか、少女自身の持ち物がほとんどないこともまた不可解だ。
人里から魔法の森まで着の身着のままやってきた。なるほど、これなら確かに自殺志願者かもしれない。
しかし、それでは御札を所持していた理由がよくわからない。あくまで自殺に拘っていたということなのか。
そもそも、自分の死後、遺体を放っておいて欲しいと考えるだろうか。幻想郷の葬式事情で言えば、遺体の処理は概ね火葬である。放置されて無惨に腐っていく自分の死体など、僕は想像もしたくないのだが。
精神的に追い詰められていて死後を気にする余裕もなかったのか。
ああでもないこうでもないと一人唸っていると、突然、遠くの草むらがガサゴソとわずかに揺れる音がした。
様子を伺おうと、音のした方角を見やる。一拍置いた後、なんと物音の主人こちらに向かって一直線に移動を開始した。
まさか、犯人は現場に戻ってくるというやつだろうか。そうすると、恐らく第一発見者である僕は非常に危険ということになるのでは。
相手の凄まじい速さを鑑みるに、機動力が落ちる森の中で逃げたとて僕に勝ち目はない。固唾をのんで茂みを見守るしかなかった。
迫りくる物体の正体は……。
「にゃーん」
なんだ猫か。
「あーっ! 死体泥棒!!」
「うわっ!!」
黒猫が一匹飛び出してきたかと思えば、瞬きをした次の瞬間には赤髪の少女が立っていた。
予期せぬ二段構えに尻餅をつく。
「ちょっとお兄さん、人の獲物を横取りとはいけないねえ」
「いや、そんなつもりは全く……」
真紅の髪を両サイドで三つ編みにし、髪の根元と先には可愛らしい黒いリボン。そして何より特徴的な猫耳と二本の尻尾。
「君は猫又かい?」
「よく間違われるけど、あたいは火車だよ。火焔猫燐。お燐って呼んでね! これは、死体を運ぶ用の猫車」
火車か。葬式や墓場から死体を奪う妖怪と聞いているが、このタイミングでの登場はいささか出来過ぎのような気もする。
とはいえ、クローズドミステリーでもなんでもないのだから、犯人の特定は不可能だと考えていた矢先だ。犯人候補の登場に、年甲斐もなく気分が上がってしまう。
「なるほど。極めて怪しいな」
「ええー? だからあたいは火車だってば、ほら」
後ろを向いて、こちらに二又の尻尾をフリフリと揺らしながら見せつけてくるお燐。尻尾の先が煌々と燃えている。
「……そうではなく。いかにも彼女を殺したらしい容疑者が現れるとはね」
眼鏡を指でクイッと押し上げる。一度はやってみたかった探偵仕草。
「失礼な! 死体を漁るのは好きだけど、殺しには興味ないよ」
口ではどうとでも言えよう。現に、さっきからお燐の目線は何度も死体と僕を行ったり来たりしている。
十中八九、死体を早く回収したくて仕方がないのだろう。死体を見て嬉しそうにしている時点で印象は最悪だ。
「お兄さんは彼女の何なの? 関係ないなら持っていっていいよね?」
お燐がすぐに死体へ飛びつかなかったのは、僕が邪魔をするか見極めたかったかららしい。
問題は、このまま火車の妖怪に連れ去られることが、彼女にとって望ましい最期なのかどうか。
それに、まだ何一つ謎が解けていない。一度推理を始めた以上、ここで引き下がるのは知識人としての矜持に傷がつく。
ここは容疑者扱いをひとまず取り下げることとして、お燐にこれまで僕が考えたことを一通り伝えてみる。
「ふうん。彼女の死を巡る不可解な現場の謎、ね。実はあたい、さっきもここに来てたのよ」
「なんだって?」
僕は第一発見者ではなかったのか。
「お兄さんは特に書き置きに気を取られているみたいだけど。探偵助手のあたいからすればこんな謎は一目瞭然!」
えっへんと胸を張るお燐。あまりにも自信満々に豪語するので、無言で先を促す。
「主観、思い込みは落とし穴。前提を疑ってみないと。書き置きを残したのが少女本人ではなく、彼女を殺した犯人だとしたら?」
「それは……ありえる話なのかい? 他殺なら、殺すだけ殺しておいて、遺体は放置なんて。犯人は快楽殺人犯だったとでも? 少なくとも外見上なら、遺体はこんなに綺麗だと言うのに」
「さあ? 様々な種族が暮らすこの幻想郷で、事件現場は森のど真ん中ときた。これじゃあ殺しの動機も手段も膨大すぎて断定なんて無理だよ。」
投げ槍な回答ではあるが、一理ある。
「でも、書き置きの意味ならわかる。これは犯人が後で遺体を取りに来るまでに、他の誰かに邪魔をしてほしくないから残したのさ」
「殺した直後に持ち去らなかった訳は?」
「何かイレギュラーな事態の発生……急用でも出来たんじゃないかな。あたいのようにさ!」
聞くところによると、お燐が遺体を発見した時には既に書き置きがあったらしい。そして、地霊殿の主から急用を申し付けられ、渋々何もせずにその場を後にすることになった。書き置きは己の立場としても利用できると判断したため、放置していったそうだ。
「なんて悠長な……」
「だって犯人が必ずしも証拠隠滅を図りたいと考えていたとは限らないでしょ? 警察なんていないんだし。それに、妖怪の可能性の方が高いってお兄さんは推測したんだよね。 なら、妖怪の犯人が自分の獲物だって証を残したいと考えてもおかしくないんじゃない? 熊とかみたいにさ」
うーむ。書き置きは犯人が残したものである、という新しい視点には確かに考えさせられるところがある。
最も、それは決して探偵助手の視点ではなく、火車妖怪としての視点ではあることは指摘しておきたいが。
「しかし、現に君が遺体を持っていこうとしている以上、書き置きの効力なんてないじゃないか」
「それはまあ、ほら。書き置きを見て思い留まってくれたらラッキー、程度のものだったんじゃないかな! あはは」
なんともお燐にとって都合の良い言い訳だ。
「お兄さんは知識量は確かにあるみたいだけど、あたいのほうが一枚上手だったね。 あれだよ、データベースは結論を出せないってやつさ!」
そのセリフは僕が言うから成り立つのであって、他人から言われればただの悪口である。
「さっ、謎も解決したことだしこの死体はあたいが貰ってくよ」
テキパキと猫車を運び、準備は万端といった様子のお燐。
彼女を止めるべきか否か、未だ逡巡していた僕はかける言葉を持たなかった。そんな折。
「ちょっと待ちなさいそこの泥棒猫!」
驚くことに、お燐に対して僕以外という第三者から待ったがかかったのである。
声の主は空中から真下に木々を通り抜け、ふわりと降り立つ。
陰陽玉、お祓い棒、封魔針、無数のお札……。異変時にしか見られない、物々しく完全武装をした博麗霊夢がそこには立っていた。
「げっ、博麗の巫女」
「話は全て聞かせて貰ったわ」
霊夢は死体の方を一瞥し、険しい表情で僕達に向き直った。
お燐は動きを止め、招かれざる客を苦々しく見ている。
仕方があるまい。これ以上事態がややこしくなる前に、探偵ごっこは終わりにするとしよう。
「霊夢、丁度良かった。今からこの仏を弔おうと思うんだが手伝ってくれないかい」
「その必要はないわよ。霖之助さん」
聞き間違いだろうか。霊夢が人間の供養を断るだなんて。
「何を言い出すんだ。君がこの娘を殺したわけでもあるまいし、まさか都合が悪いなんてことは」
「いいえ、彼女を倒したのは私よ」
……霊夢が殺人事件の犯人だって? そんなまさか。
冷や汗が頬を伝う。昨日読んだミステリー小説だと、謎を解明できずに犯人に遭遇した探偵の末路は確か。
信じたくない気持ちで一杯だが、それは何故か僕の腕にしがみついて離そうとしないお燐も同様であるようだ。
「く、口封じ……人殺しに消される……」
物騒なことを小声で呟いているのは全力で聞こえないふりをした。
二人分の間抜け面を向けられてようやく己の失言を悟ったのか、霊夢は力が抜けたようにフッと笑った。
「なぜ殺人なんて真似を」
「あのねえ、貴方達何か勘違いしてるわ。 そこで倒れてる娘が人間だって話、ただの思い込みでしょ?」
沈黙。それは僕とお燐が事態を理解する為に生じた時間だった。
霊夢から指摘を受けてハッとする。確かに、この娘が人間だという確証はどこにもない。
「脈や呼吸がなかったのは?」
「彼女が完全な妖怪だからよ。気絶してるだけ。宵闇妖怪のルーミアって知ってる? そこの木の幹も彼女が凄い速度でぶつかった結果。闇に包まれている間は本人も目が見えないらしいわね」
「ええー!! 死体じゃなかったの!」
何故か僕の後ろに隠れて顔を半分だけ出していたお燐が、真実を知って悲鳴をあげる。
「そんな馬鹿な。では彼女が持っている御札は?」
「霖之助さんでも分からなかったのね。私にも詳しい内容は不明だけど、あれは少なくとも退魔用じゃなくて本人の力を封印する為の御札。木にぶつかった拍子に外れたみたい。暴れてたのを発見したからとっちめたってわけ」
そういえばと思い出し、ルーミアの右手を開いてみる。その手の中には、御札の機能を果たす赤いリボンが握られていた。
「なら書き置きも霊夢が?」
「ええ。軽装だったからその場で再封印が出来なくて。装備を取りに行ってる間に、誰かに救助でもされて復活したら面倒じゃない?」
それにしたってもっとやりようがあるだろう。
そう言いたいのをグッと堪え、脱力する。随分と空回りしてしまったものだ。
「霖之助さんって半人半妖なのに、考え方はほんとうに人間的なのよね」
霊夢が向けてくる苦笑いになんとも居心地が悪くなり、顔を逸らす。
「嘘だっ! 人殺しが苦し紛れの嘘をついてるのよ!」
「あんたはまだ言うか!」
探偵助手としてのプライドをへし折られたらしいお燐が喚いていたが、霊夢のチョップによって沈黙した。
……全く、種明かしされればなんともあっけない。
主観、思い込みは落とし穴、か。発言した本人が徹底できていなかったことではあるが、全く的はずれなことを言っていたわけでもない。ことさら、お燐よりも僕は探偵に向いてなかったのだろう。
「ああ、もう。無駄話をしたせいでタイムオーバーになっちゃったじゃないの!」
霊夢が死体……ではなく、気絶していると思われるルーミアを見て苛立った声を上げる。
何事かと僕も視線を向けた時には、彼女はよろよろと立ち上がり始めていた。
「全く、尋常じゃないくらいタフなんだから。悪いけど、今度は二人にも手伝ってもらうわよ!」
見ると復活したルーミアは目を血走らせ、体内から謎の瘴気を噴出させながら咆哮している有り様ではないか。
なんということだろう。いつの間にかミステリー小説からバトル漫画な展開になってしまっている。
残念なことに僕の輝かしい休日の予定は帳消しになりそうだ。
後悔先に立たず。探偵の真似事なんてもう二度とやらないと心にそう決めた。決めたったら決めたのである。