二つの刃が舞った。
「あら、きれい」
刃と化して振り上げた二尾の先で女は切り刻まれ、血飛沫をあげてのたうち回るはずだった。
しかし女は笑っていた。刃を避けることもせず笑っていた。刃は女を切り裂いたかのように見えた。
何も起こらない。
刃を避けたとも刃が通らなかったとも違う、ただ、何も起こらなかった。
「貴女の舞、かなり見応えがあるわ。合格よ、私と一緒に来なさいな」
ふざけるなと叫ぶ舌を私は既に持っていなかった。
折れていた。心が完膚なきまでに砕かれていた。
今まで私の繰り出した技も術も全ては児戯だとあしらわれ、女の作り出した不可思議なる空間に私の九尾は七まで封じられた。
残った二尾もこの有様では、私にとるべき選択は残されていない。
だからこそ、せめて。
「殺せ」
「あら、ご主人様に早速のおねだり?」
勝った方が相手の主人となる。私の巣に突然現れた女が勝手に決めつけたことだ。
そして女は勝利し、自らを主人だと決めつけた。
知ったことか。
「殺せ」
「お断りよ」
女が指を鳴らすと、私は突然に力の増加を感じた。
封じられていたはずの七尾が解放されている。九尾狐としての力を十全に発揮できる条件が揃えられている。
それでも、私には勝てないと既に思い知らされていた。
「殺せ」
「我、八雲紫が貴女に新たな名を与えます。今後、藍と名乗りなさい」
「殺せ」
「ねぇ、藍」
「殺せ」
「では、特典を与えましょう」
「殺せ」
「今後、隙を見つけ次第、貴女はいつでも私を殺していいわよ」
「殺してやる」
「ええ、楽しみにしているわ」
その日から私は藍と名乗るようになった。
「さあ、初めましての挨拶替わりの握手よ」
女は手を伸ばす。
いずれその手を、その足を、その首を引きちぎる。私は自分自身にそう誓いながら八雲紫の手を握りしめていた。
そして時が過ぎ、私は紫様の式となった。そういうことだ。屈したのではない。理解したのだ。紫様の御力と御心を。
惚れるとはそういうことなのだよ、わかるかい、橙?
約束していたカフェに着くと、メリーはいつものように先に来ていた。
正確にはメリーが早いのではなく私が遅いのだけれど。
「蓮子、また遅刻。貴女は本当に私を待たせるのが好きね、悪い癖よ」
「ごめんごめん」
私は謝りながらメリーの向かいに座ると、タブレットの画面を広げる。
「そんなことよりメリー、これ見てよ」
遅刻は悪いと思うけれど、新しいスポットを見つけるためだったので許して欲しい。
「さいきの洞窟?」
画面の地図を見せながら説明すると彼女が首を傾げる。
「どんな字を書くの?」
「それが、資料によってバラバラで、どれも当て字っぽいのよ」
それでも一番可能性が高いのが「再生」らしい。普通は「さいせい」と読むのだけど。
「再生の洞窟ってこと?」
「再帰の可能性もあるわ」
「再来とか」
「サイキックの略とか」
「あー、細菌とか」
「この地域、昔は神隠しの噂が沢山あって、割と最近ではUMAが目撃されたって話もあるのよ」
「盛り沢山ね」
「神隠しに遭った人間が変化して妖怪になったなんて言う話も伝わっているわ」
「それで〝再び生まれる〟?」
話しているだけではキリがない。
とにかく、何かがあるなら行ってみよう。何もなくてもとりあえず行ってみよう。それが私たちのスタンスだ。
「それが正解とは限らないけれどね。当然、行くでしょう?」
「ま、蓮子と一緒ならどこへでも行くけれど」
今、私はそのやりとりをとても後悔している。
洞窟を探検しようと言ったのは私。
入り口付近は安全なはずだった。侵入禁止にもなっていなかった。
ごく小さな洞窟。中に入ってさえいないのに。
それでもそこでメリーは何かを見た。
「蓮子、空が、なんだか、おかしい」
その言葉が聞こえた瞬間、私たちの周囲でなにかが崩れる音がした。
自然の岩が崩れる音ではない。人工のコンクリートが崩壊する音でもない。聞いたことのない音。それでも何故か「何かが崩れる音」と理解できる音。
我々は敗れたのだ。
いや、私が敗れたのだ。
敗者は勝者に従う。それが自然の摂理というものだ。我ら人外の化生であろうともそれは変わらない。
「それで、我らをどうする気かな、管理者殿」
私一人の命で済むのならそれに越したことはない。だが、フランまで殺させるわけにはいかない。
私がいなくとも、美鈴やパチェはフランのために動いてくれるだろう。
困った従者が一人いる。あれは私に殉死するなどと戯けたことを言い出しかねない。死にたければ勝手に死んでくれても構わないのだが、あの力はフランの役にも立つ。説得、あるいは催眠をかけるか。
しかし、管理者の言葉に私は笑った。
私たちを幻想郷に受け入れるというのだ。
寛容と言うべきか、それとも軟弱と言うべきか。いや、残酷と言うべきか。
全てを受け入れるというのはとても残酷な話だ。受け入れられる我々は、変容を強要されるのだから。
だが、私は受け入れよう。道化にもなろう。それを勝者が望むなら、敗者は従うべきなのだ。仮に後悔しようとも、それが敗者の道なのだ。
「では、今後ともよろしくお願いしますわ。そして、幻想郷へようこそ、レミリア・スカーレット」
八雲紫の伸ばした手に、私は首を傾げた。
「その手はなにかな」
「握手はお嫌い?」
「握手か。ふん、悪くはないな」
八雲紫の伸ばした手を、私は掴んだ。
そして時が過ぎ気が付くと、私は妖怪の宴に混ざり笑い、老いた人間の死に際に涙を流すようになっていた。
変わってしまったことを後悔などしない。
今の私は、年老いたお前を看取れるようになったのだからな、咲夜。
「蓮子、聞こえる?」
「聞こえるわ、メリー」
身体が動かない。痛みはないが、身体は動かない。
激しい物音の後、地面に倒された身体がさらに流されていく感覚があった。それでも、咄嗟に握りしめたメリーの手は離していない。
「痛いところはない?」
「ええ、今のところ何もないわ」
メリーも身体を動かすことができないようだった。
土砂崩れにでもあったのだろうか。洞窟の壁が崩れて土砂と共に流された、と考えられないこともない。
無理があると頭のどこかで否定しながら、私はメリーに尋ねた。
メリーも同じく流されたような気がすると答える。
根拠はないが、私たちは二人一緒に流されたのだと確信している。
かすかに首は動くが、どの方向に動かしても何も見えない。盲目とは違う、これは暗闇だ。試しに目を閉じてみるとわかる。そしてメリーの声は聞こえるが、声の聞こえる方向に目を向けても何も見えない。見えないと言うより、視線が通っていないのだろう。
あまりに身体が動かないので最初は神経を痛めたかして麻痺しているのかと恐怖したが、指先や足先は動く。ただ肘や膝が動かない、と言うよりなにかに覆われている感覚がある。
ゆっくりと動く部分を確かめながら、メリーとの会話を続ける。
二人とも全く同じ状況のようだった。
暗闇に目が慣れ始めると、メリーが何事かに気付いた。
「ねえ、蓮子、動いてない?」
言われてみればそんな気がする。動くというか、かすかな傾斜に乗った身体が徐々に流されているような感覚。いや、流されると言うよりは運ばれているというほうがしっくりとくる。
いきなり空が見えた。野外なのか、それとも吹き抜けのように外へ通じる穴が開いているのか。
どちらにしろ、しめたと思った。星と月さえ見えるなら時間と位置がわかるのだ、私には。
「蓮子、わかる?」
メリーにも空が見えたようだ。
「ええ、これなら」
私は口を閉じる。
星が見えた。月も見えた。
時間がわかった。場所もわかった。
複数の時間と複数の場所。
私は目を閉じて、もう一度開く。
やはりそこには複数の場所と複数の時間。
異なる時間と場所が同時に見える。
見えないのなら良い。私の能力が失われた、使えなくなったというならまだ理解できる。
なんだ、これは。
何故、複数見えるのだ。複数だと私は理解できているのだ。
何が起こっているのだ。
「蓮子、蓮子……」
メリーの口調が切羽詰まったものになっている。
「メリー、ごめんなさい、ちょっと目の調子が……」
「ねえ、もしかして、時間と場所がいくつか見えてない?」
八雲紫は私、古明地さとりが心を読めない妖怪の一人です。
覚り妖怪相手に心理シールドを張ることができるなど、常軌を逸しています。バケモノです。妖怪ですけど。
複数のスキマを意識の表層に張り巡らせることによって、簡単には覗けない状態。しかも、そのスキマが秒単位で変化しているのです。まともじゃありません、なんですかあの妖怪。やっぱりバケモノです。
こう見えて私だって覚り妖怪のナンバーワン(一人しかいないので自動的にナンバーワンです。妹の能力が復活してもナンバーワンは渡しません、一応姉ですから)です。ナンバーワンとして意地になってみてもやはり無理。いえ、時間をかけてじっくり取り組めば突破できそうな気はするのですが、その間他のことは一切できなくなるのでそれはそれで拙いのです。
他のことには呼吸などの生命活動も含まれるので多分死にます。それは対価が大きすぎます。
ですから私は、八雲紫の心を読むのは諦めています。
幸か不幸か今のところは敵対もしていないので、無理に心を読みに行く理由もありませんけれど。
「では、地上と地下の取り決めはこれでよろしいですね」
「ええ。特に文句はありません」
「今後ともよろしくお願いしますわ」
八雲紫が手を伸ばしてきた。
「その手はなんですか?」
「握手ですわ」
握手ぐらいは付き合いますけど。
それから波乱が続いて忙しくなり、ふと気付くと私は地底でせっせと仕事をして、妹は地上で友達を沢山作っていました。それ自体はとても良いことです。少し、本当に少しだけ嫉妬しますけど。パルパル。
もっと頻繁に帰ってきなさい、こいし。
「ねえ、蓮子。私にも空が見えてるの」
私に月と星が見えているのだ。メリーにだって見えてもおかしくない。
だけど、メリーは何故か能力の変調に気付いていた。
まさか。
「あのね、空がいくつも見えるの」
メリーには結界の境目が見えている。そしてその能力は日々変化している。
「分割した世界が更に重なって……蓮子、私、いくつもの世界を同時に見ている」
おそらくは私もメリーと同じものを見ている。ただ、私にメリーと同じ能力は無い。だから、時間と位置だけが重なって見えている。
メリーは複数の空間を直に。
私はその空間にある月と星から読んだ位置座標と時間を。
「どれか一つに固定できないかしら。できれば一番近いところに」
「わからない。なに、これ。沢山の空間とスキマが」
隙間?
「近づいてくる。近づいてくるのよ」
私の視界の座標と時間もめまぐるしく変化する。
次々と変わるデータの中、読み取れるだけでも千年を超える時間差が見える。
「違う。近づいてるんじゃない、私たちが吸われてる。寄せられてる」
私は握る手の力を強める。
どこに行くにしろ、吸い寄せられるにしろ、私たちは絶対に離れない。離れてたまるものか。
私の当惑を諏訪子は面白がっていた。
「神奈子も握手したのかい」
「ああ、変わった妖怪だな、あの八雲紫とやらは」
「お近づきの印だなんて、神様と握手する大妖怪ねぇ……」
「気付いたんだろ?」
「勿論」
諏訪子は笑っている。
「あれは何かを確かめている握手だったね」
「そうだな。だが」
「うん。悪意は感じなかったよ。むしろ、向こうが私の悪意を感じたんじゃないかな」
「困った祟り神め」
「褒め言葉だね」
「蓮子、手を離して」
「馬鹿なこと言わないでよ」
目に写る時間と座標は加速度的に増えていた。頭痛が酷い。目を瞑っても見えるのだ。まるで直接視神経にデータを投入されているように。
きっとメリーも同じように無数の空間を見ているのだろう。それとも、彼女の言葉を借りればスキマか。
「蓮子、わかっているんでしょう?」
空間、時間、座標、スキマ、呼び方はなんでもいい。無数のそれが私たちに近づいているのがわかる。
再生の洞窟。それは、人を何かに生まれ変わらせる仕組み。人が、人でないものになるための仕組み。誰が何のためにいつ作ったのかはわからない。何かが、誰かがそれを必要としたのだろう。
私たちは無数の空間と時間のどこかに飲み込まれて生まれ変わる。理屈ではなく、私はそう理解してしまった。
それでも、メリーと一緒なら。
「スキマが固定できないのよ。どれかを選んだとしても、二人が同時に同じスキマには入れない」
複数の空間に晒され、身体が分割されて再生する。それが嫌ならどれか一つに一人で飛び込む。
選べ、とメリーは言っていた。
何故わかるのかとは問わない。メリーが嘘をつくはずないと私は確信している。
メリーが言うのなら、スキマが見えるメリーが言うのならそれは正しいのだ。
「離れたくない」
私は叫んでいた。
「私だって」
それでも死ぬよりはマシだと彼女は言う。
「生きていればいつか会える、いいえ、絶対に会う」
それは確信だと私にもわかった。
一緒に滅びるのではなく、今は別れても再び会おうと。
再生にして再来の洞窟。
メリーが信じるのなら私は信じる。とても単純な話。
どれだけ姿が変わっても、どれだけ空間が離れても、どれだけ時間が経っても、私たちは繋いだ手を忘れない。
必ず私たちは再会する。
「蓮子」
「メリー」
「またね」
「またね」
私たちは同時に手を離した。
はじめまして。私が幻想郷の管理人、八雲紫と申します。
貴女の起こした楽しい異変、興味深く拝見しておりました。
ええ、博麗の巫女に敗れたのですね。
まあ、魔法使いと風祝も参加してましたか。
ええ、ええ、とても良い子達ですわ。
その通り、幻想郷は全てを受け入れます。勿論、貴女も。
歓迎しますわ。
これは歓迎の握手……
……
……
ねえ、貴女は本当に私を待たせるのが好きね。悪い癖よ。
「あら、きれい」
刃と化して振り上げた二尾の先で女は切り刻まれ、血飛沫をあげてのたうち回るはずだった。
しかし女は笑っていた。刃を避けることもせず笑っていた。刃は女を切り裂いたかのように見えた。
何も起こらない。
刃を避けたとも刃が通らなかったとも違う、ただ、何も起こらなかった。
「貴女の舞、かなり見応えがあるわ。合格よ、私と一緒に来なさいな」
ふざけるなと叫ぶ舌を私は既に持っていなかった。
折れていた。心が完膚なきまでに砕かれていた。
今まで私の繰り出した技も術も全ては児戯だとあしらわれ、女の作り出した不可思議なる空間に私の九尾は七まで封じられた。
残った二尾もこの有様では、私にとるべき選択は残されていない。
だからこそ、せめて。
「殺せ」
「あら、ご主人様に早速のおねだり?」
勝った方が相手の主人となる。私の巣に突然現れた女が勝手に決めつけたことだ。
そして女は勝利し、自らを主人だと決めつけた。
知ったことか。
「殺せ」
「お断りよ」
女が指を鳴らすと、私は突然に力の増加を感じた。
封じられていたはずの七尾が解放されている。九尾狐としての力を十全に発揮できる条件が揃えられている。
それでも、私には勝てないと既に思い知らされていた。
「殺せ」
「我、八雲紫が貴女に新たな名を与えます。今後、藍と名乗りなさい」
「殺せ」
「ねぇ、藍」
「殺せ」
「では、特典を与えましょう」
「殺せ」
「今後、隙を見つけ次第、貴女はいつでも私を殺していいわよ」
「殺してやる」
「ええ、楽しみにしているわ」
その日から私は藍と名乗るようになった。
「さあ、初めましての挨拶替わりの握手よ」
女は手を伸ばす。
いずれその手を、その足を、その首を引きちぎる。私は自分自身にそう誓いながら八雲紫の手を握りしめていた。
そして時が過ぎ、私は紫様の式となった。そういうことだ。屈したのではない。理解したのだ。紫様の御力と御心を。
惚れるとはそういうことなのだよ、わかるかい、橙?
約束していたカフェに着くと、メリーはいつものように先に来ていた。
正確にはメリーが早いのではなく私が遅いのだけれど。
「蓮子、また遅刻。貴女は本当に私を待たせるのが好きね、悪い癖よ」
「ごめんごめん」
私は謝りながらメリーの向かいに座ると、タブレットの画面を広げる。
「そんなことよりメリー、これ見てよ」
遅刻は悪いと思うけれど、新しいスポットを見つけるためだったので許して欲しい。
「さいきの洞窟?」
画面の地図を見せながら説明すると彼女が首を傾げる。
「どんな字を書くの?」
「それが、資料によってバラバラで、どれも当て字っぽいのよ」
それでも一番可能性が高いのが「再生」らしい。普通は「さいせい」と読むのだけど。
「再生の洞窟ってこと?」
「再帰の可能性もあるわ」
「再来とか」
「サイキックの略とか」
「あー、細菌とか」
「この地域、昔は神隠しの噂が沢山あって、割と最近ではUMAが目撃されたって話もあるのよ」
「盛り沢山ね」
「神隠しに遭った人間が変化して妖怪になったなんて言う話も伝わっているわ」
「それで〝再び生まれる〟?」
話しているだけではキリがない。
とにかく、何かがあるなら行ってみよう。何もなくてもとりあえず行ってみよう。それが私たちのスタンスだ。
「それが正解とは限らないけれどね。当然、行くでしょう?」
「ま、蓮子と一緒ならどこへでも行くけれど」
今、私はそのやりとりをとても後悔している。
洞窟を探検しようと言ったのは私。
入り口付近は安全なはずだった。侵入禁止にもなっていなかった。
ごく小さな洞窟。中に入ってさえいないのに。
それでもそこでメリーは何かを見た。
「蓮子、空が、なんだか、おかしい」
その言葉が聞こえた瞬間、私たちの周囲でなにかが崩れる音がした。
自然の岩が崩れる音ではない。人工のコンクリートが崩壊する音でもない。聞いたことのない音。それでも何故か「何かが崩れる音」と理解できる音。
我々は敗れたのだ。
いや、私が敗れたのだ。
敗者は勝者に従う。それが自然の摂理というものだ。我ら人外の化生であろうともそれは変わらない。
「それで、我らをどうする気かな、管理者殿」
私一人の命で済むのならそれに越したことはない。だが、フランまで殺させるわけにはいかない。
私がいなくとも、美鈴やパチェはフランのために動いてくれるだろう。
困った従者が一人いる。あれは私に殉死するなどと戯けたことを言い出しかねない。死にたければ勝手に死んでくれても構わないのだが、あの力はフランの役にも立つ。説得、あるいは催眠をかけるか。
しかし、管理者の言葉に私は笑った。
私たちを幻想郷に受け入れるというのだ。
寛容と言うべきか、それとも軟弱と言うべきか。いや、残酷と言うべきか。
全てを受け入れるというのはとても残酷な話だ。受け入れられる我々は、変容を強要されるのだから。
だが、私は受け入れよう。道化にもなろう。それを勝者が望むなら、敗者は従うべきなのだ。仮に後悔しようとも、それが敗者の道なのだ。
「では、今後ともよろしくお願いしますわ。そして、幻想郷へようこそ、レミリア・スカーレット」
八雲紫の伸ばした手に、私は首を傾げた。
「その手はなにかな」
「握手はお嫌い?」
「握手か。ふん、悪くはないな」
八雲紫の伸ばした手を、私は掴んだ。
そして時が過ぎ気が付くと、私は妖怪の宴に混ざり笑い、老いた人間の死に際に涙を流すようになっていた。
変わってしまったことを後悔などしない。
今の私は、年老いたお前を看取れるようになったのだからな、咲夜。
「蓮子、聞こえる?」
「聞こえるわ、メリー」
身体が動かない。痛みはないが、身体は動かない。
激しい物音の後、地面に倒された身体がさらに流されていく感覚があった。それでも、咄嗟に握りしめたメリーの手は離していない。
「痛いところはない?」
「ええ、今のところ何もないわ」
メリーも身体を動かすことができないようだった。
土砂崩れにでもあったのだろうか。洞窟の壁が崩れて土砂と共に流された、と考えられないこともない。
無理があると頭のどこかで否定しながら、私はメリーに尋ねた。
メリーも同じく流されたような気がすると答える。
根拠はないが、私たちは二人一緒に流されたのだと確信している。
かすかに首は動くが、どの方向に動かしても何も見えない。盲目とは違う、これは暗闇だ。試しに目を閉じてみるとわかる。そしてメリーの声は聞こえるが、声の聞こえる方向に目を向けても何も見えない。見えないと言うより、視線が通っていないのだろう。
あまりに身体が動かないので最初は神経を痛めたかして麻痺しているのかと恐怖したが、指先や足先は動く。ただ肘や膝が動かない、と言うよりなにかに覆われている感覚がある。
ゆっくりと動く部分を確かめながら、メリーとの会話を続ける。
二人とも全く同じ状況のようだった。
暗闇に目が慣れ始めると、メリーが何事かに気付いた。
「ねえ、蓮子、動いてない?」
言われてみればそんな気がする。動くというか、かすかな傾斜に乗った身体が徐々に流されているような感覚。いや、流されると言うよりは運ばれているというほうがしっくりとくる。
いきなり空が見えた。野外なのか、それとも吹き抜けのように外へ通じる穴が開いているのか。
どちらにしろ、しめたと思った。星と月さえ見えるなら時間と位置がわかるのだ、私には。
「蓮子、わかる?」
メリーにも空が見えたようだ。
「ええ、これなら」
私は口を閉じる。
星が見えた。月も見えた。
時間がわかった。場所もわかった。
複数の時間と複数の場所。
私は目を閉じて、もう一度開く。
やはりそこには複数の場所と複数の時間。
異なる時間と場所が同時に見える。
見えないのなら良い。私の能力が失われた、使えなくなったというならまだ理解できる。
なんだ、これは。
何故、複数見えるのだ。複数だと私は理解できているのだ。
何が起こっているのだ。
「蓮子、蓮子……」
メリーの口調が切羽詰まったものになっている。
「メリー、ごめんなさい、ちょっと目の調子が……」
「ねえ、もしかして、時間と場所がいくつか見えてない?」
八雲紫は私、古明地さとりが心を読めない妖怪の一人です。
覚り妖怪相手に心理シールドを張ることができるなど、常軌を逸しています。バケモノです。妖怪ですけど。
複数のスキマを意識の表層に張り巡らせることによって、簡単には覗けない状態。しかも、そのスキマが秒単位で変化しているのです。まともじゃありません、なんですかあの妖怪。やっぱりバケモノです。
こう見えて私だって覚り妖怪のナンバーワン(一人しかいないので自動的にナンバーワンです。妹の能力が復活してもナンバーワンは渡しません、一応姉ですから)です。ナンバーワンとして意地になってみてもやはり無理。いえ、時間をかけてじっくり取り組めば突破できそうな気はするのですが、その間他のことは一切できなくなるのでそれはそれで拙いのです。
他のことには呼吸などの生命活動も含まれるので多分死にます。それは対価が大きすぎます。
ですから私は、八雲紫の心を読むのは諦めています。
幸か不幸か今のところは敵対もしていないので、無理に心を読みに行く理由もありませんけれど。
「では、地上と地下の取り決めはこれでよろしいですね」
「ええ。特に文句はありません」
「今後ともよろしくお願いしますわ」
八雲紫が手を伸ばしてきた。
「その手はなんですか?」
「握手ですわ」
握手ぐらいは付き合いますけど。
それから波乱が続いて忙しくなり、ふと気付くと私は地底でせっせと仕事をして、妹は地上で友達を沢山作っていました。それ自体はとても良いことです。少し、本当に少しだけ嫉妬しますけど。パルパル。
もっと頻繁に帰ってきなさい、こいし。
「ねえ、蓮子。私にも空が見えてるの」
私に月と星が見えているのだ。メリーにだって見えてもおかしくない。
だけど、メリーは何故か能力の変調に気付いていた。
まさか。
「あのね、空がいくつも見えるの」
メリーには結界の境目が見えている。そしてその能力は日々変化している。
「分割した世界が更に重なって……蓮子、私、いくつもの世界を同時に見ている」
おそらくは私もメリーと同じものを見ている。ただ、私にメリーと同じ能力は無い。だから、時間と位置だけが重なって見えている。
メリーは複数の空間を直に。
私はその空間にある月と星から読んだ位置座標と時間を。
「どれか一つに固定できないかしら。できれば一番近いところに」
「わからない。なに、これ。沢山の空間とスキマが」
隙間?
「近づいてくる。近づいてくるのよ」
私の視界の座標と時間もめまぐるしく変化する。
次々と変わるデータの中、読み取れるだけでも千年を超える時間差が見える。
「違う。近づいてるんじゃない、私たちが吸われてる。寄せられてる」
私は握る手の力を強める。
どこに行くにしろ、吸い寄せられるにしろ、私たちは絶対に離れない。離れてたまるものか。
私の当惑を諏訪子は面白がっていた。
「神奈子も握手したのかい」
「ああ、変わった妖怪だな、あの八雲紫とやらは」
「お近づきの印だなんて、神様と握手する大妖怪ねぇ……」
「気付いたんだろ?」
「勿論」
諏訪子は笑っている。
「あれは何かを確かめている握手だったね」
「そうだな。だが」
「うん。悪意は感じなかったよ。むしろ、向こうが私の悪意を感じたんじゃないかな」
「困った祟り神め」
「褒め言葉だね」
「蓮子、手を離して」
「馬鹿なこと言わないでよ」
目に写る時間と座標は加速度的に増えていた。頭痛が酷い。目を瞑っても見えるのだ。まるで直接視神経にデータを投入されているように。
きっとメリーも同じように無数の空間を見ているのだろう。それとも、彼女の言葉を借りればスキマか。
「蓮子、わかっているんでしょう?」
空間、時間、座標、スキマ、呼び方はなんでもいい。無数のそれが私たちに近づいているのがわかる。
再生の洞窟。それは、人を何かに生まれ変わらせる仕組み。人が、人でないものになるための仕組み。誰が何のためにいつ作ったのかはわからない。何かが、誰かがそれを必要としたのだろう。
私たちは無数の空間と時間のどこかに飲み込まれて生まれ変わる。理屈ではなく、私はそう理解してしまった。
それでも、メリーと一緒なら。
「スキマが固定できないのよ。どれかを選んだとしても、二人が同時に同じスキマには入れない」
複数の空間に晒され、身体が分割されて再生する。それが嫌ならどれか一つに一人で飛び込む。
選べ、とメリーは言っていた。
何故わかるのかとは問わない。メリーが嘘をつくはずないと私は確信している。
メリーが言うのなら、スキマが見えるメリーが言うのならそれは正しいのだ。
「離れたくない」
私は叫んでいた。
「私だって」
それでも死ぬよりはマシだと彼女は言う。
「生きていればいつか会える、いいえ、絶対に会う」
それは確信だと私にもわかった。
一緒に滅びるのではなく、今は別れても再び会おうと。
再生にして再来の洞窟。
メリーが信じるのなら私は信じる。とても単純な話。
どれだけ姿が変わっても、どれだけ空間が離れても、どれだけ時間が経っても、私たちは繋いだ手を忘れない。
必ず私たちは再会する。
「蓮子」
「メリー」
「またね」
「またね」
私たちは同時に手を離した。
はじめまして。私が幻想郷の管理人、八雲紫と申します。
貴女の起こした楽しい異変、興味深く拝見しておりました。
ええ、博麗の巫女に敗れたのですね。
まあ、魔法使いと風祝も参加してましたか。
ええ、ええ、とても良い子達ですわ。
その通り、幻想郷は全てを受け入れます。勿論、貴女も。
歓迎しますわ。
これは歓迎の握手……
……
……
ねえ、貴女は本当に私を待たせるのが好きね。悪い癖よ。
延々と蓮子を探し続けるのでしょうか
そう思うとちょっと悲しくなるお話でした