Coolier - 新生・東方創想話

姉妹百合(軽め)

2024/07/20 04:48:19
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 紫の能力によって近親とそれ以外の境界が揺らいだ結果、幻想郷では近親としか結婚できなくなってしまった!


「ねぇ、フラン……結婚しましょ?」
「……」

 妹は応えない。

「幻想郷の名だたる姉妹のうちで、未だ結婚してないのは私たちだけよ?」
「……」

 妹は動かない。

「ねぇ……どうして? どうして首を縦に振ってくれないの?」
「……」

 妹は口を噤んだまま、ただ俯いている。

「私は、フランのことを本当に愛しているのに……!」

 重い空気の中で、ようやく妹が口を開く。

「だめ……」
「何が? 一体何がダメだというの?」
「ダメだよ、姉妹で結婚なんて……」
「そんな、そんなことないわよ……! みんな、秋姉妹だって古明地だってプリズムリバーだって九十九姉妹だって依神姉妹だって愛しあって結婚して幸せに暮らしてるじゃない! プリリバはなんかもうあれ結婚って言えるのか怪しいけど!」
「違う……違うのお姉さま、お姉さまが私を愛してくれてるのは痛いほどわかってるし、私もお姉さまが好き……でもそれは私たちが姉妹だから……結婚しちゃったらそれはもう姉妹じゃない、夫婦だよ……」
「姉妹で夫婦になったっていいじゃない! その属性は両立できるわ! だいたいどっちも家族という意味では一緒じゃない!」
「姉妹と夫婦じゃ家族の意味が違ってくると思うんだけど……」
「意味なんて!」

 私は妹の逡巡を吹き飛ばさんと叫ぶ。

「どうだっていいじゃない! 愛しあってる二人が結婚して何が悪いの!?」
「……」

 妹は返す言葉が見つからないようで、ただ睫毛を伏せて私を見つめていた。

「どうして、どうしてわかってくれないのよ……フランは私と結婚したくないの……?」
「……こんなのおかしいよ……お姉さまぁ……」

 さめざめと泣く妹を前に、私はどうすることもできない。
 欲しいものを手に入れるためなら何でもする、言葉だって力だって何でも使う、そんな私が一番大切なものをどうしても手にすることができずにただ立ち尽くしている。
 こんなにも愛しているのに。
 こんなにも求めているのに。
 私は、どうすればいいのだろうか。


「っていう夢を見たわ! 咲夜!」
「なんて素敵な夢なんでしょう!」
「早速スキマに頼んで境界を操ってもらいましょう!」
「イエッサー!」





  姉妹百合(軽め)





# 1

 幼い吸血鬼の愛らしい願いを聞き届けた幻想郷の賢者、八雲紫は額に手を当てて溜め息を吐くことしかできなかった。

「なんて?」
「だから言ってるでしょ! 近親とそれ以外の境界を操ってフランと結婚できるようにしなさいって!」
「……」
「近親とそれ以外の境界を操る! 私はフランと結婚できるようになる! 私に迫られたら、まあちょっとは抵抗するでしょうけど、結局は首を縦に振らざるをえないはず! よって私とフランは結婚する。Q.E.D.証明終了」

 何も証明できてない。

 自分を呼び出した博麗神社の巫女、博麗霊夢のほうに無言で視線を向けるが、巫女は素知らぬ顔でお茶を啜っているばかりでこちらに目を向けすらしない。
 目の前には願いの主、レミリア・スカーレットが尊大な態度で願いを叶えろと迫ってくる。

「……」

 もう一度、はぁ……と深い溜め息を吐いてしまう。

「急に呼びつけられて何かと思えばもう……貴方の言うことは毎度いつも馬鹿馬鹿しい」
「私の願いはバカバカしくなんてないわよ! 誰しも一度は妹と結婚したいと思うはずでしょう!?」
「いや思わないわ」
「そっか、紫は妹がいないからわからないのね……可哀想に……」
「言っておきますけど妹と結婚したいとか思うの一般的な姉妹じゃありえないですからね?」
「えっ、さとりはしょっちゅうこいしちゃんと結婚したいって言ってるけど」
「それは貴方たちが異常なだけだから」

 もはや溜め息すら出なくなり、眉間の皺をさらに深くした。
 珍しく霊夢から呼び出されて意気揚々と神社に顔を出したらこれだ。
 妹と結婚したいなんて正気じゃない。

「そもそも結婚なんて勝手にすればいいじゃない。妖怪に戸籍なんてないんだから」

 幻想郷の妖怪に戸籍制度はない。妖怪の山で天狗たちが似たようなことをしてはいるが所詮ごっこ程度のもの。
 その結婚の倫理的是非はさておくとして、結婚したかったら勝手に結婚すればいい。

「あ、そうなの?」
「止めはしないわよ。悪事を働いているわけでもなし」

 考えるのも面倒になって、拍子抜けして間抜け面を晒している吸血鬼をあしらう。
 もうさっさと隙間を開いて帰ってしまおうか、そう考えた瞬間に紫はひとつの違和感に突き当たった。

 ……この吸血鬼、自分でも姉妹間での結婚は成立しないものだと考えていた。
 その上でなお妹と結婚したいという発想に至るのは気持ち悪いことこの上ないが、多少なりとも一般的な倫理観を持ち合わせている。
 この吸血鬼なら、それこそ妹君の気持ちなど一切捨て置いて「結婚しました」と宣言して周囲を呆れさせるくらいはしそうなものだが。

「……そういうことじゃないのよね」

 レミリアが、わずかに顔を歪めて不機嫌そうに呟く。
 紫はその顔を見ながらレミリアの考えを探ろうとした。

(こいつ、結構マジトーンで結婚について考えてる……?)

 この吸血鬼、適当なところは本当にテキトーだったりするが、しかし筋を通すところは通す。
 義理堅いところは従者たちに慕われる理由のひとつでもあった。
 つまり結婚するにあたってもちゃんと妹に筋を通すつもりでいるのだ。

(……えっこれそんな真面目な話だった?)

 そもそも妹と結婚したいという前提からしておかしいのだが、それを大真面目に考えているのも異常だった。
 ここで紫は、「結婚する」というのはこの吸血鬼にとって本質ではないのではないか、という考えに思い至る。

「……さしずめ、妹さんの気持ちも考えずに結婚……つまり今の関係から一歩踏み込むような真似はできない、という話かしら」

 紫は自分の解釈を話し始める。

「つまり、結婚は本質ではない。貴方は『近親者と結婚できるようになった』という大義名分を欲している。それを使って妹さんの気持ちを問いただし、関係を変えたいと思っている」

 レミリアがわずかに目を見開く。

「大手を振って結婚できるとなったら否応なしに関係は変化するものね」

 その浅ましい、くだらない発想に紫は辟易してしまう。

「貴方と妹さんがどれだけ仲良しなのか実際のところは知らないけれど。単に姉妹仲で壁を感じている現状認識を、『結婚したい』というある種茶化した願望に変換しているだけじゃないの?」

 ぐっ、とレミリアは言葉に詰まる。しかしすぐに観念したようにのけぞって声を上げた。

「紫の言ってる通りかも。まさか図星を突かれるとは……」
「……図星だったの?」

 レミリアは少しばつが悪そうな顔をして話す。

「なんていうか、ねぇ……お互いに好きあってることは間違いないんだけど、ほら、あいつはああいうひねた性格だし、ストレートには攻められないところがあるのよ」
「……これ、姉妹の話よね?」

 姉妹の話に攻めるとか攻められないとかいうワードが出てくる時点で意味がわからない。

「私がべたべたひっついたりすると嬉しいくせに嫌がったりとかしてさ、あいつをもうちょっと素直にさせたいなとは思うわよね。それこそあいつから求めてくるくらいにさ」
「……」

 幻想郷の姉妹はどいつもこいつも大概だが、こいつは特に重症だ。
 姉妹なんて本来そこまで好きあうものではないだろう。血縁関係にあるというだけで、それは家族ならではの愛やら絆やらは生まれるかもしれないが、ここまでに至ることはそうそうない、はず。
 ここまで突き通されると自分が間違っている気までしてくる。
 目眩すら感じて、紫は目を閉じる。
 それを無視してレミリアは、突如悪魔的な考えを思いついて言い放った。

「ねぇ、そしたらさ、家族への愛情と恋人への愛情の境界を操ってさ、家族愛を恋愛感情に変換することってできない?」
「は?」

 声も出ない。
 紫は思わず、本気か、という表情をしてレミリアをまじまじと見つめた。

「そしたらさ、自分の気持ちにちょっとは素直になれるんじゃない? って思うんだけど」
「冗談よね……?」
「いや本気だけど」
「え、それってまさかの本気で妹さんをそういう目で見てるってこと?」
「ダメなの?」
「いえ幻想郷はすべてを受け入れるけど」

 受け入れるけど、個人的な感情としてあんまり受け入れたくない。

「本当にわかってる? 普通は姉妹間で恋愛は成立しないのよ?」

 レミリアが本当にそれを望んでいるのなら、姉妹で恋人のように仲睦まじく連れ添い、恋人同士がするようなことまでしたいということになる。

「……それって……妹さんとその、そういうことがしたい欲求があるってこと?」
「いや、普段抱いてる感情としてはまた別物だけど。でも、それがそっくりそのまま恋愛感情になってもいいかなって思ってる」

 紫は何度目かの溜め息を吐く。

「インモラルだとは思わない?」
「インモラルでなんぼよ、私たちは悪魔だもの」

 そう言ってレミリアはけらけらと笑う。
 そのさまを見ながら、紫は思いを巡らせる。

 レミリアとフランドールは幻想郷で唯一の吸血鬼の血族だ。
 唯一の同族と考えれば、種族の存続という観点から、そういった感情を抱くのも不思議ではないかもしれない。吸血鬼は、そういう殖え方はしないとしても。

 けど、多分そういうことではないのでしょうね。
 こいつがやたらめったら妹のことを好いているだけの話だ。

 仲がいいのは知っていた。
 吸血鬼異変も元はと言えば、幻想郷に移住する際に紅魔館……ひいては妹を優位な立場に置きたいがために起こしたものだと後に当人の口から聞いた。
 宴会などで話す時も妹の話題が口をついて出てくることは少なくない。
 けど、いや、まさか思わないでしょう。
 本気で恋人になってもいいと思うくらいの感情を抱いてるなんて。

 しかしそうであっても、その考えがあまりに浅ましいのには変わらない。
 そう考えて、紫もまたひとつの悪魔的な考えを思いつく。

 願いを叶える気などさらさらなかった。
 けれど、この話に乗ったらもしかすると面白いことになる予感がする。
 家族への愛情と恋人への愛情の境界。
 この姉妹の場合は、それは既に揺らいでいる。
 それを完全に揺らがせて、すべてを恋人への愛情へと置き換えてしまえば。
 面白いことになるのは必至だ。
 退屈しのぎの余興としてはこれ以上ないだろう。
 更には愚かしい吸血鬼へのちょっとした意趣返しも含ませてやる。
 これでお膳立ては完璧だ。
 その後に何が起きてどうなるのかはもう私の知ったことではない。

「気が変わったわ」

 妖しい笑みを浮かべ、紫は愉快そうに喋りだす。

「そうね、貴方たちだったらインモラルすらハートフルに片付けそうよね」
「あー? なんだそれ、まるでうちの館がお花畑みたいじゃない」

 急に態度を変えた紫に、レミリアは怪訝な顔で返す。

「お花畑だって言ってるのよ」
「はぁ?」
「悩み多い時だって、貴方たちの様子を見聞きすればあっという間に笑顔になれるもの。こいつら、本当に馬鹿だなぁって」
「それ褒めてんの?」
「私も一目置いてるのよ。幻想郷随一の馬鹿共に」
「……褒めてんの?」
「いいですわ。協力いたしましょう」

 紫のその言葉にレミリアは驚いて声を上げた。

「いいの!?」
「いいけど、後悔しないわね?」
「後悔? なんでよ」
「例えば妹さんのほうは実はそれほどでもなくて、貴方だけが暴走して哀しい結果になったり」
「そんなことあるわけないじゃない。私より妹のほうが絶対に愛が強いもの」
「……そう。それはそれで」
「ん?」

 思わせぶりな紫の様子にレミリアは眉をひそめたが、こいつはいつもこんな感じか、と思い特に追求はしなかった。

「なんでもないわ。それとすぐに止めてって泣きつくのも無しよ? やるなら紅魔館全体を論理結界で囲う術式を施すことになるけれど、館ひとつを囲うとなるとちょっと大変だもの」
「当たり前だわ。すぐ解いてもこっちにメリットがないじゃない」
「そうよね。あと、一日は術式を維持させてもらうわね。それ以上はこっちの妖力の消費が馬鹿にならないから打ち止め」
「いいわ。一日あったら結婚くらいできるでしょ」
「結局結婚はしたいの……? なんなのその価値観は……まぁいいわ、やってみましょう」
「ありがとう紫!」

 童女のような笑みを浮かべ、レミリアは紫に感謝の言葉を投げる。
 紫はその姿に、ある種サディスティックな快感を覚えていた。
 自分が誰に何を頼んでしまったのか、この期に及んで理解してないさまってあまりに滑稽だわぁ。

 待機していた忠実なメイド、十六夜咲夜をレミリアが呼びつけると、それじゃあね、とまだ太陽の高い日のなか、神社を後にして飛び去っていく。
 紫はその愚かさに涙ぐみそうにすらなる。

 本当にいいのかしらね。曖昧に揺らいでいる家族への感情を、「恋人への愛情」という陳腐で退屈なものに固定してしまって。
 吸血鬼は幼く、浅慮に過ぎる。自らの抱いている感情を勘違いしている。
「結婚したい」だとか、「家族への愛がそのまま恋愛感情になってもいい」だとか。
 吸血鬼は気づいていない。
 彼女が妹に抱いているそれは恋愛感情に似ているようで、その実どこにも似ていない。
 どこまでも家族に対する愛でしかない。
 それをわからないのは、妹に対する感情も、「恋愛感情」というものに対しての認識も、何もかも見誤っているからだ。
 だからこれは自分の愚かさに気づくいい機会だろう。
 まぁ精々、妹の貞操を奪っちゃったりとかしてから後悔すればいいわ。
 もう二度と「妹と結婚したい」とか言えなくなるように。


「ねぇ、紫。家族愛と恋愛感情の境界を操るのよね?」

 ずっと縁側でお茶を飲んでは日向ぼっこしていた霊夢が、隙間で移動しようとしていた紫を呼び止める。

「ええ」
「……あいつとフランドールだけじゃなくて、あいつにとっての咲夜も、咲夜にとってのあいつも、家族と呼べるんじゃないかしら」
「さすがは私の霊夢。確かに家族愛というものは何も血縁関係にのみ限って生まれるものではないわ」
「じゃあ、咲夜も……」

 紫は嗜虐的な笑みを浮かべて言う。
 それはレミリアには見せなかった表情だった。

「いいえ。貴方が想像してるよりもーっと面白いことが起きるわよ? 考えてもみなさいな……あの館に住んでいる妖精たちと、付き従い続けている四人の従者と友人、そしてそれを統べる吸血鬼とその妹……その団結には、家族としての意識があって当然じゃない?」

 霊夢は紫の言葉を理解する。勘が告げている。

「……まさか」

 嫌な予感がする。



# 2

 数刻前、紅魔館大図書館にて。

「っていう夢を見たわ! 咲夜!」
「なんて素敵な夢なんでしょう!」
「早速スキマに頼んで境界を操ってもらいましょう!」
「イエッサー!」
「うるさい」

 場に全く似つかわしくない大声を上げて騒ぐ主人と従者を、大図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは本から顔を上げ不満を滲ませて睨みつける。

「ねぇ咲夜、またパチェに怒られたわ。図書館で騒ぐとなぜか毎回パチェに怒られるのだけど、これはなにか因果がありそうね?」
「毎回たまたま虫の居所が悪いだけかもしれません。だからお嬢様の慎ましやかで可憐なお声のような些細な物音も気になってしまう。これだから思春期の魔女は扱いが難しいですわ」
「何が慎ましやかで可憐なお声よ」
「どうせこんなところで真面目に本を読む奴なんてパチェしかいないのにねぇ」
「ええ全く、図書館で本を読むなんてありえませんわ」
「おまえら」

 パチュリーは恨みがましく呟く。
 この主人にしてこの従者ありだ。こいつら本当に手に負えない。
 特に今みたいにスイッチが入っている時は何を言っても聞く耳を持たず、二人で完結している言葉遊びを主従間で反復しては外野に放り投げる。こういう調子づいてる時の彼女らは厄介でしかない。
 あと、この従者の物言いには毎度毎度腹が立つ。

「パチェも見たいでしょう? フランと私がヴァージンロードを歩いているさまを」
「そんな話は今はしていない。図書館では騒がないでと言っているの」

 歩いているさまを見たくないとは一言も言っていない。

「そうは言っても紫に断られたらパチェにやってもらうしかないんだから、計画はちゃんと聞いててよ」
「……近親と、結婚できるようにする魔法?」

 どんな魔法だ。
 そんな魔法はない。
 と言うか、近親との結婚は倫理とか宗教とか遺伝学とかで忌避されているだけで、別に物理的に禁止されているわけではないので魔法でどうこうしようがない。幻想郷の妖怪には戸籍もないし。
 できることがあるとすれば、親友が結婚したいと宣っている親友の妹、フランドール・スカーレットその人に、近親結婚に対する忌避感を低下させる認識操作魔法を掛けることくらいか。
 どんな魔法の使い方だ。
 フランドール自体がそれなりに魔術に対して精通している魔法使いでもある。悪魔という種族特性も加味すると魔法を掛けるのは相当骨が折れることだろう。それに、

(掛けようとしてるのがバレたら、フランドール怒るわよね)

 フランドールを怒らせることはあまりやりたくない。
 まぁ、最も怒られるのはけしかけたレミィであって私はそこまで被害に遭わないと思うけれど。
 自分の身に降りかかる災難を思い、パチュリーは溜め息を吐く。

「いいけど。また面倒なことを頼むのだから」
「紫がやってくれたらパチェは別に何もしなくていいから大丈夫よ」
「……」

 それはそれで、なんか嫌だ。
 結局頼られたいのね、とパチュリーは自嘲する。

「と言うか何としてでも首を縦に振らせてやるから。いい結果を期待しといてよ。退屈はさせないわ」
「……貴方とフランドールが結婚したところで私に何の益もなくない?」
「見たくない? フランドールの花嫁姿を」
「……」

 見たい。

「見たいでしょう。咲夜も、ねぇ」
「ええ。きっとこの世のものとは思えないほど美しいお姿になられることでしょう」
「そう。私はフランと結婚する。二人で純白のウェディングドレスを着て、とびっきり豪勢な結婚式を挙げるのよ。ブン屋に記事にしてもらって、私たちの仲睦まじいおしどり夫婦のさまを幻想郷中に見せつける」
「……はぁ」

 見たくはある、が。

「……それは、フランドールは良いと言うのかしら」
「言わせる」

 短い言葉でレミリアは言い切った。

「私とフランは相思相愛の仲よ。それは疑いようもない事実でしょう。500年あまりの間、離れず寄り添ってきた、たった二人の肉親よ。私はフランドールを愛している。フランドールも私を愛している。私がいなければフランはこの世になく、フランがいなければ私はこの世にない。誰もが認めている。フラン本人でさえ、それを認めている。けれど」

 言葉を区切って、レミリアはパチュリーに近づく。

「あいつはこの期に及んで、『私はお姉さまを愛している』とは言い切らない。否定しようもない、自分でさえ理解している事実に目を背けている。とどのつまりが素直じゃないのよ。素直になれないあいつに、素直になれるきっかけをあげようってわけ。夫婦であれば、愛の言葉を紡ぐのはおかしなことではないでしょう?」
「……」

 あまりに傲岸不遜な物言いだ。しかし否定はしない。
 パチュリー他、外野から見てもレミリアとフランドールはかなり仲のいい姉妹だ。
 姉妹という離れがたい縁で、逃れようもなく連帯している。
 妹は、言葉では時に姉に辛辣な言葉を吐き、嫌っているかのような素振りも見せるが、それはまさしく「素直になれない」と表現するに相応しい、可愛らしい振る舞いだった。
 姉は妹の部屋を訪れ、言葉を交わし、たまに連れ添って庭に出ては花を見て歩き、妹のその白く小さい手に触れる。
 妹もそれを拒むことはしない。
 最早「素直になれない」とは体面上のものでしかなかった。
 けれど、物事はそう単純ではない。

 親友は浅慮だ、とパチュリーは思う。
 フランドールがどれほど姉を慕っているか、それを一番理解していないのは姉であるレミィだ。
 フランドールのそれは崇拝に近い。
 495年分の愛と憎悪が絶えず喰い合っている。
 普段のフランドールの姉への態度は、レミィに言わせれば「素直になれない」で片付けられるものだが、それは些か単純化が過ぎている。
 素直になれないのは、495年間にうず高く積もりに積もった世界への憎悪と、それを赦す姉への畏敬と恐怖と厭悪が絡まった結果だ。
 フランドールの根源は、破壊するしか能のない自分と崇拝する姉をともに産み落とした世界に対する圧倒的な憎悪にある。
 それが時に絶望となり、時に愛となり、時に狂気となって発露する。
 そのすべてを打ち消してなお、有り余る崇敬の念がある。
 フランドールが溜め込んでいる感情には、彼女ら姉妹以外には到底理解できないような膨大さがある。
 だから普段のフランドールの態度はそれほど簡単なものではないし、「素直になれ」と言われてなりきれないのは理解できるのだ。
 そもそも、それを「素直になれない」だけで片付けてしまえるのがレミィの凄みなのだが。
 それを、レミィは強引な形で解決しようとしている。

 これは果たして、フランドールにとって益あることなのだろうか。
 それは簡単には判断できない。
 同時に、害あることなのかどうかもわからない。
 しかしこの計画が成功すれば多少なりとも二人の関係が変化することは確かだった。

 パチュリーは、今は様子を見るしかない、と判断してレミリアにそれ以上言葉を投げかけることはしなかった。

「見たいわね。フランドールが、素直になるさまが」

 そう言う以外には。



# 3

 騒々しい主従が去り、大図書館は再び静寂を取り戻した。
 足るものはすべてある。
 この場所は完成されている。
 パチュリーはそう感じる。

 けれど、その静けさに物足りなさを感じるのは、心のどこかで不完全さを求めているからだろうか。
 自分も所詮はどこかの欠けた、不完全な存在だとパチュリーは自嘲する。

 突如、ドアノッカーの音が静寂を破った。
 扉が開き、フランドール・スカーレットその人が顔を覗かせる。

「パチュリー。小悪魔。本返しに来たよ」

 パチュリーは本から顔を上げることなく、呼び鈴で小悪魔を呼びつけた。
 特に反応が返ってこないのはいつものことだ。
 小悪魔に本を渡し、フランドールもまたいつものようにパチュリーが座るテーブルの体面に腰掛けた。

「何読んでるの?」

 フランドールが猫目を大きくして興味津々の様子で問う。

「大昔の魔法使いが書いた、心理操作魔法についての本ね」

 パチュリーは静かに答えた。

「ふーん」
「貴方たちの使える魅了にも劣るもので、特段面白いものではないわ」
「なんかつまんなそうだね。でも、どうしてそれが書かれたかには興味があるわ」
「こいつはバイエルンの魔法使いで、軍の参謀だったのよ。人心掌握ができれば士気も思いのままね」

 少し表情を柔らかくして、パチュリーは説明を始める。

「へぇ。くだらない理由だね。結局こいつ一人じゃ何もできないってことじゃない」
「そう。こいつは元人間で自分の欲望に勝てない弱い生き物だった。書かれてはいないけれど、この術を編み出したのも単に多くの女性を妾として迎え入れたかっただけ」
「ふーん。なに、なんでそんなつまんない本読んでるの?」
「本から読み解けるのは、文章で書かれていることだけではないわ」

 パチュリーはそこで初めて本から顔を上げ、フランドールをじっと見つめた。

「人の心を魔法で操るのは、虚しいことよね。ねぇ」

 その口元にわずかな笑みを浮かべて。

「けれど実際、彼は成功した。彼は数多くの女性に自分を愛させ後宮を作り、兵たちを意のままに操り軍を勝利に導いた。もっとも、最後はフライブルクの戦火に呑まれて死んだのだけど」

 パチュリーは何が言いたいのか、フランドールは静かに次の言葉を待つ。

「それはどうだっていいことなのだけど、そう、魔法程度で操れる、愛情、とは何かしらね?」

 パチュリーは勿体ぶって言う。

「何も人間だけの話じゃないわ。貴方たちの魅了は私たちにだって効くじゃない? 想像したら怖くならないかしら。私たちの心も愛も外的要因によっていくらでも容易く変えられてしまう」

 その言葉に、フランドールはなぜか咲夜の姿を思い浮かべた。

「なら、私たちの思う愛とは本当にあると言えるのかしら。確証はないわよね。そもそも、私たちは人の想像から生まれいでし者なのだから」
「何が言いたいの?」

 しびれを切らしたフランドールが問う。

「気をつけてね、ってこと」
「何?」
「レミィがまた何かやらかしそうだから、忠告」
「……まわりくどいよ。パチュリーはいつもそう」
「飲まれないように気をつけて。自分の感情に」
「いつも気をつけてる」

 フランドールは少し不満そうに眉を歪める。

「そう。いいことね。能力のイメージトレーニングのほうはどうかしら」
「ぼちぼちって感じ」

 フランドールは幻想郷に来てからというもの、少しずつ自分の能力を制御する術を学ぼうとしていた。
 主に精密性の向上、そしてメンタルの安定を図る。それはフランドールからパチュリーに教えを乞われたものだった。
 パチュリーはなぜフランドールが能力をトレーニングする気になったのか、その心境は知らない。深く立ち入るつもりもない。

 フランドールの口ぶりに何かを感じ取り、パチュリーは黙ってフランドールを観察した。

「何度も言ってるけど、」
「臆病になるな、でしょ」

 遮って返された言葉にパチュリーは息を吐いた。

「わかってるなら」
「でもね、怖いよ」

 フランドールの声にわずかな震えが混じったのを見て、パチュリーはなだめるように諭した。

「私から見て、貴方の能力は大分安定してきている。だからもう少し踏み込んでいいと思っているのよ」

 フランドールは黙っている。

「大丈夫よ。安心しなさい。私が不用意なことを言うように見えるかしら」

 半眼でフランドールはパチュリーを見た。

「見える」
「信用されてないのね」

 まぁ、日頃の行いというか、あまり信用されるような言動をしてないのだけど……。パチュリーは自分の行動を少し省みる。

「……はぁ。分かってるよ、もぉ」

 拗ねたようにフランドールが言って、パチュリーは優しく返す。

「焦る必要はないわ。だから考えすぎないで」

 実際少しずつ、少しずつ前進している。
 時間はいくらでもあるのだから、焦る必要はないとパチュリーは考えている。

 焦っているのはフランドールだ。
 能力のコントロールを考え始めたのは、咲夜の存在があったからだった。
 今までは自分なんて能力と一蓮托生で死んでいけばいいと思っていた。
 今は違う。フランドールにとって壊したくないものがいくつも増えて、そうも言っていられなくなってしまった。

 唇を噛むように俯くフランドールを見て、パチュリーは別のことを考えていた。
 レミリアの計画について。面白そうだからわざわざ詳細を伝えて興を削ぐようなことはしない。
 けれど、本当に起こりうるのだろうか。
 この姉妹が結婚するなんてことが。

 パチュリーはじっとフランドールを見る。
 フランドールの瞳には常に姉しか映っていない。
 彼女の世界のすべては、姉を介して解釈したものでしかない。
 だから姉の宝物は丁重に扱おうとする。宝物でないものは眼中には入らない。
 その狂信的な崇敬を少し恋慕に倒してやれば、結婚の申し出に首を縦に振らせることなど容易いのかもしれない。

「パチュリー?」

 こちらを覗き込むように顔を近づけて、フランドールはその可愛い顔を不機嫌そうに歪めていた。
 ……かつてはそうだった。彼女は姉しか映していなかった。
 今は、どうだろうか。

(……意外と一筋縄ではいかないかもしれないわね。だってフランドールは)

 少しずつ変化しているのだから。

「フランドール、丸くなった?」

 パチュリーが突然尋ねる。

「……どういう意味?」

 フランドールは自分の身体を抱きすくめて、引き気味に訊き返した。

「いやそういう意味じゃなくてね」
「……これって、丸くなったって言うのかしら」

 パチュリーが慌てて訂正しようとするのをフランドールは無視して俯きがちに言った。
 パチュリーの意図は理解しているようだった。

(あれ、今ボケてた?)
「確かに丸くなったかもね。昔の私よりは全然……変わった」

 フランドールはパチュリーから視線を外して、思う。

 昔の自分には戻りたくない。
 自分の感情も能力も制御できなくて、壊れてしまうのは全部自分のせいで。
 それが嫌で閉じ籠もった。死んでしまいたいと思ったこともあった。
 今もその感情は燻っている。けれどなぜだか、こんな私に近寄ってくる奇妙な人たちがいつの間にか増えて、どういうわけか彼らは私を好きでいてくれていて、だから私もその人たちを大切にしたくて。
 お姉さまと私だけだった世界が広がって、私はそれに居心地のよさを感じてしまっている。
 もし私が今、この能力で誰かを傷つけてしまうことがあれば、私はそれに耐えられない気がする。
 ……だから、立ち止まってはいられない。

「……お姉さまが何かやらかしそうなんだって?」
「ええ」
「精々気をつけとくよ。気をつけてなんとかなるかわかんないけど」
「なるようにしかならないわ。全部」

 パチュリーが再び本に目を落として言った。

「……そうだね」

 フランドールは小さく頷く。
 その後、フランドールは目当ての本を借りようと席を外した。


「お姉さまはいつ帰ってくる?」

 帰り際にフランドールが尋ねる。

「さぁ、もうすぐ帰ってくるんじゃないかしら」

 パチュリーは曖昧に答えて、フランドールは不器用な笑みをにやりと浮かべて言う。

「楽しみにしておこうかな」
「ええ、楽しみにしておきなさい」

 パチュリーは、フランドールのその様子が虚勢だと知っている。
 けれど、それが虚勢でなくなる日を想って返す。


 フランドールが去った後、大図書館の司書を務めている小悪魔が現れて言う。

「楽しみですね。妹様の反応」
「あんた仕事はどうしたのよ」
「こんな面白いイベント放っておけるわけなくないですか?」

 興奮している小悪魔にパチュリーは呆れ顔をする。

「あの澄ました顔がどう歪むのか……見ものですよこれはグフフ……」
「悪趣味」
「パチュリー様も楽しみでしょう?」
「……」

 楽しみだった。
 天を仰いで自棄になって言う。

「どーせ、誰に頼み込んだってどうしようもないわよあんな話」
「最終的にはパチュリー様がなんとかするじゃないですか」
「……なんとかするのはレミィ。私はそれを手伝うだけ」

 結局妹様は弄ばれる運命か、と小悪魔は高揚を隠せない声色で言った。

「ふん」

 パチュリーはそれを鼻で笑う。
 結局は親友のやることに惹かれざるをえない、自分に対しても。



# 4

「成功したわ」
「マジ?」
「まじまじ」

 レミリアは胸を張ってパチュリーに言う。

「当初の目的とはちょっと変わっちゃったけど。紫に、家族愛と恋愛感情の境界を弄ってもらったの」
「……」

 家族愛と、恋愛感情の境界。
 パチュリーは反芻する。

「……それは、フランドールと」
「そう」
「……」

 さすがに喉が渇いて、パチュリーは紅茶に手を伸ばしつつ考える。
 なるほど。確かにレミィの望みを叶えるためには、より本質的なアプローチだ。
 レミィの望むところとしては妹との関係性の発展なのだから、結婚如何は問題ではない。
 いやもちろんフランドールとレミィの花嫁姿は見たいのだけど。

 にしても。
 フランドールの抱いている愛がそのまま恋愛感情になるということは。
 二人は恋人同士がするような行為にまで至ってしまうのだろうか。
 恋慕の先にある、性愛まで絡んでくるような。

 それも、よりによってあの狂気的な崇拝がすべて恋愛感情になると思うと。

 想像すると胸が少しどきどきしてしまう。
 いつも平然としているパチュリーだって、惚れた腫れたに興味がないわけではない。
 他者の関係性に多少なりとも興味があるからこそ姉妹の一挙一動に関心を持っているのだから。

「……期待していいのかしら?」

 妙に据わった目で尋ねてくるパチュリーの今まであまり見たことがない親友の様子に、レミリアは若干引く。

「え、ええ……期待って何を? ……もうちょっとしたら効いてくるらしいわ」
「……そういうものなの?」
「紫が言うにはそういうものらしいわ。少しずつ家族愛が恋愛感情へと変化していく。感情も一瞬で変化するわけじゃないでしょう。その感情が深いものであればあるほど、ね」
「そうかもしれないけど」

 とにかく、とレミリアはパチュリーが座る対面の椅子を引く。

「待ちましょうか、咲夜」
「ええ、待ちましょう」

 澄まし顔でレミリアの横に佇む咲夜と、小悪魔を呼びつけて本を持ってこさせるレミリア。
 二人をじっとりとした目つきで眺め。

(なんでここで待つのよ……)

 パチュリーは思うが口には出さない。

 パチュリーは本を捲り、レミリアは本で遊ぶ。
 小悪魔は蔵書の整理に精を出し、咲夜はレミリアの傍らで佇んでいる。
 長閑に時間は流れていく。
 いつもと同じように。

 最初に違和感を覚えたのは、やはりパチュリーだった。

 なんだか落ち着かない心地がする。
 妙に心を捉えて、離さないものがある。
 目前に親友が座っている。
 そのさまがどうにも気になって、顔を上げる。
 親友は退屈そうに、漫画をぺらぺらめくっていた。
 その頬は普段より少し紅く色づいているように見える。それはパチュリーの錯覚か、願望か。
 頬から視線を上げ、ペールブルーの流れる髪に縁取られた目鼻、そして幼気を色濃く残す柔らかそうな唇に至る。

 一度顔を上げてしまえば、視線を外すことはできない。

 辺りを、八雲の術特有の妖気が覆っているのがわかる。
 結界は作動し始めている。

 パチュリーは親友の顔を見ながらも焦燥に駆られる。

「……ねぇ、レミィ」
「……なあに?」
「八雲には、……家族愛と恋愛感情の境界を揺らがせるように頼んだのよね」
「ええ」
「間違いない?」
「間違いないわ」
「……謀られた、ということはないかしら」

 パチュリーが最初に思い浮かんだのは、親友の依頼にかこつけてなにやら違う謎の術式を掛けられたのではないか、ということだった。
 もちろん八雲にはそうする理由はない。むしろ幻想郷の均衡を保つのが役目のひとつである以上、可能性はどの勢力よりも低い。
 しかし、可能性として捨て置けるわけではない。

「……紫には、あの話を口実として私たちになにかを仕掛ける理由はないはずだけど……」

 自分が思い当たったことを親友にも返される。

「でもおかしいのよ」

 パチュリーは胸騒ぎを抱えつつ、妖力の流れを基にどのような術が掛けられているのかを判断しようとする。
 西洋魔法の範疇ではない、まだ解析魔法を使っているわけではないから推察にしかならないが、流れのパターンや以前八雲と手合わせした時の肌感などから、いわゆる「境界」を操る術の可能性が高いと考える。
 であれば、親友の言った通りの術であるはずだが。

「だって……この術は、私にも作用している」

 焦りとともに呟く。
 まさか、そんなことはないと思いたいが。

(……家族愛って)

 血縁関係になくてもいいのか?

 八雲の境界操作術はおそらく、親友の運命操作術と同じように、彼女にのみ理解可能なロジックで動いている可能性が高い。
 すなわち、この術が「家族愛」というものをどう定義しているのか、そこにどう作用しているのかを解明するのは困難を極めるだろう。それはそうだ。家族愛に限らず、愛など一万人がいれば一万通りの定義がある。
 愛などという、形ないものであるからして、家族であろうがなかろうが「家族愛を持っている」と定義してしまえば持っていることになる。
 それは自称だけでなく、他人から見てそうであれば、本当のところはどうであっても持っていることにされるだろう。

「……咲夜はどう?」

 澄まし顔をしている親友の従者に問う。

「私は先程からお嬢様を押し倒したくて仕方ありませんわ」
「早く言え」

 額を押さえて言う。

「ぱっパチュリー様!! 私も先程から昂ぶりが止まらなくなっていましてですね!!」
「あんたは自分の部屋で寝てなさい」

 その辺で作業していたはずの小悪魔が顔を出してきたので追い払う。

 とは言え。
 小悪魔の顔を見た瞬間に、心が掻き乱されそうになったのに気づいてしまった。
 それだけじゃない。

(咲夜の顔ですら、見ると胸が詰まりそうになる)

 あの咲夜だぞ? と思うけれど、どうにも胸がどきどきして、止まらなくなってしまう。

「咲夜。レミィ。端的に私の考察を言うわ。この術は『家族愛』であれば、血縁関係にあろうとなかろうと作用する」

 それを聞いた親友の様子は。

「ふぇ……?」

 目は切なげで、息は荒く。
 もじもじとくねる自らの身体を抱き、甘い胸の疼きを抑えようとする。
 誰がどう見ても、恋に翻弄される少女の姿でしかなかった。
 一般のそれと異なるのは、親友はこの場にいるすべてに恋をしているということだったが。

 まずい。

「咲夜」
「ええ」

 さしもの咲夜もわずかに汗を浮かべて応える。

「パチュリー様を見てすらドキドキしてしまうので、これは最悪の術を掛けられてしまいましたね」
「おい。おい」
「冗談はさておきお嬢様です。パチュリー様のお考えが正しければ、お嬢様の負担がもっとも大きいことは自明です」

 立ち上がり、親友の顔を覗き込む。

「レミィ」

 見るだけで、親友のすべてが欲しくなる。
 長い睫毛。小さく艷やかに光る唇。幼い童女の愛らしさと、500年を生きた異形の美しさを併せ持つ。
 その見目麗しさに心を奪われる。
 普段からまじまじと見れば見惚れてしまいそうだというのに、その美しさに絡め取られてしまう。
 吸血鬼だというのに肉付きよく、白くも紅さす肌が今は火照り、強く紅さを帯びている。
 そのすべてを自分のものにしたいという欲望が、時を経るにつれ強くなっていく。

 それをなんとか押し留める。
 息を荒げつつ親友に声をかける。

「レミィ!」
「これ……だめぇ……♡」

 目をとろんとさせて、か細い声で助けを乞う。
 そのさまは誰が見ても扇情的だった。
 どこを見ても、誰を見ても胸を高まりは強くなるばかりで、感情の逃げ場がない。
 本格的にまずい。

「小悪魔。居る?」
「はい」
「さっきも言ったけど今はこっちに来ないで。とにかく接触すると悪化する。私が呼んだらすぐに駆けつけられるように待機しておいて」

 息も絶え絶えに、本棚の近くにいるであろう従者に言い伝える。
 従者は先程とは打って変わって至極冷静な声色で言葉を返した。
 それはパチュリーが彼女を信頼している所以だった。
 今この場で信頼というものが必ずしも良い方向に働くとは限らないが。

「咲夜」
「……どうしたら」

 咲夜のほうを見た途端、この娘は事態を解決するに適していないとパチュリーは悟った。
 咲夜は恋愛感情というものを抱いたことがない。レミィが傍にいて大切に育て上げた箱入り娘なのだから当然だ。
 然して彼女は今、感じたことのない感情に戸惑い、振り回されている。
 解決できるのは私しかいない。

 そこまで考えて、パチュリーの思考は不意に途切れた。
 目の前に親友の顔がある。
 近い。
 そのルビーレッドのつぶらな瞳に映る自分まで、はっきりと見える。
 衣服から仄かに優美なグラースローズの香りが立ち昇り。
 洗い髪の匂いがして。
 やがて親友の肢体の、バニラオイルの海に血を垂らしたような甘ったるく蠱惑的な匂いに至る。
 その柔らかさに抱きすくめられ。
 パチュリーは椅子ごと後ろに転倒した。

「ぱちぇ……♡」

 親友がよもやテーブルを飛び越え、抱きついてくるとは。
 それを認識したのは、後ろにひっくり返って一瞬目を回してからだった。

「お、お嬢様……!」

 狼狽える咲夜。パチュリーはレミリアの瞳を覗き込み、驚愕の声を上げる。

「レ、レミィの……レミィの瞳孔にハートが出かかっている……!」

 レミリアのその瞳にしっかとハートが浮かび上がる。

「な、なんてこと……お嬢様、目がハートに……!」
「これは妖の者のみが持つ特性……! 何がとは言わないけれど情が発した時にその瞳孔にハートが浮かびあがる! レミィは今、理性を失う寸前でかなり危ない状態なのよ!」
「お嬢様!」

 レミリアに駆け寄ろうとした咲夜をパチュリーは荒い息で制す。

「待って咲夜、レミィのこんな姿を見たらますます抑えられなくなる……なるべくレミィのほうを見ないようにして……!」
「そ、そんな……」

 パチュリーの胸から顔を上げ、レミリアは切なげに声を漏らした。

「さ、さくやぁ……れみぃ、おかしいのぉ……からだがあつくって、みんなをみてるだけできゅぅぅんっ♡ ってなってぇ……ねぇ、だれかぁ……しずめてぇ……♡」
「わ、私、どうすれば……」
「咲夜……! 耳を塞いで! 目を瞑り耳を塞ぐの、それがこの姿のレミィに人間が抗う唯一の方法……!」

 パチュリーは息も絶え絶えに言う。
 どちらも限界とは言えど、人間より妖怪のほうが精神のキャパシティは圧倒的にある。レミリアはそれを以て有り余るほどの感情に倒れてしまったものの。
 優先すべきは咲夜の安全だ。

(私はまぁ、正直レミィとか咲夜よりは他人に対して無関心なはずだし……)

 思っててちょっと悲しくなるが、それはそれ、ポジティブ思考で僥倖と考える。

「し、しかし! 目を瞑って耳を塞いだら真っ暗です! おまけにお嬢様の看護もできません!」
「レミィはもうダメ……貴方がどうこうできる状態じゃないわ……」
「ぱ、パチュリー様、せめてこう、発情を鎮める薬とかは……!」
「いや……そんな需要ない薬あるわけないじゃない……逆なら山程あったと思うけど……」
「どういうことですか!?」

 緊迫した状態でなぜか大図書館に媚薬が大量に保管されている事実をカミングアウトされ、咲夜は混乱を更に強めた。

「魔法実験とかでこう……つ、使う機会もあるのよ……」
「……あっダメですパチュリー様。普段はただただ憎たらしいだけのその恥じらいも今は私の思慕を加速させる特効薬です」

 荒く呼吸をしつつ妙に恥じらうパチュリーを見て咲夜は腹立たしさとこいつ可愛いな……の感情で板挟みになる。

「なるほど……薬だけに、ね……」
「言うてる場合ですか! 早くどうにかしてください、お嬢様が……!」
「……プリンセスウンディネ」
「あっ」

 図書館を水浸しにしながら、間の抜けた声を上げるレミリアを流していく水の渦。

「……」
「……」

 それをパチュリーは床に倒れつつもやりきった顔で眺めている。
 咲夜はそんなパチュリーを冷めた目で更に眺める。

「百年の恋も冷める対応ですわね」
「……冷めた?」
「いいえ全く。さっきより加速しています」
「奇遇ね。私もよ」



# 5

 親友をベッドに運ぶよう遠隔で小悪魔に指示を出すと、パチュリーは事態の打破に頭を悩ませる。
 最終的には術式の解除をするために、まずは解析しなければ。
 しかしレミィがあのような形でダウンし、紅魔館のブレインたる自分も頭が働かずパフォーマンスが出ない。まずは対症療法でもこの感情を鎮めないといけないが、どうすれば。
 手がありそうなのは気を操れる美鈴だが、大図書館外に出るのは危険だ。自分がこうなっているのだから元々頭の弱い妖精メイドたちはおそらく全員理性を失っているのに違いない。
 小さくとも悪魔たる小悪魔になにか手がないか――。
 本当は、落ち着いている時であれば自分の次くらいに聡明で魔術にも理解があるフランドールに頼れればよかったのだが。

 この術に血縁は関係ないと判明し、更にレミリアが倒れてからフランドールは一気に不確定要素と化した。
 レミリアが理性を失うのだからフランドールがどうなるかは自明。
 フランドールが理性を失うとどうなるか。
 パチュリーは頭を抱える。考えたくない。

 あの狂気が、館のあらゆる存在に向けられる「愛」に転換するとしたら、自分にはそれを受け止められる自信がない。

 八雲は攻撃の意図でこの術を組んだわけではないが、実質うちに一番効く攻撃ね、とパチュリーは自棄になって小さく笑う。

 それと。
 さっきから、頭の中で「抗う必要なんてある?」と悪魔が囁いている。
 所詮お遊びのための術式だ。八雲もすぐに飽きるだろう。せっかくの機会、存分に堪能してしまえば……。
 論理的に考えてもそれは確かにそうなのかもしれない。別にこの隙に攻め入られるわけでもない。悪いことは何も起きない。ただただ理性を失って愛しあう獣になるだけで。

 だからパチュリーは感情的に否定する。
 ここで親友や他のみんなと友人としての一線を越えてしまえば、それこそすべてが終わった後に「家族」ではいられなくなるだろう。
 それは避けなければいけない。そのために私は抗わなくてはならない。

 決意を固めるパチュリーに、咲夜がおずおずと提案する。

「あの……外の様子を確認する必要があると思うのですが。メイドたちの状況も気になりますし、なにより美鈴が」

 パチュリーは首を振る。

「危険よ。この感じだと妖精たちもレミィと同じような状態になっている。けれど奴らは数が多い。襲われたら骨抜きにされてしまうでしょうね」
「私は時を止めて移動できます。お忘れですか」
「……ここにいる三人のうち貴方を外に出すのが一番危険だと思うのだけど。精神干渉の耐性が貴方にはない」
「時を止めてただ門に行くだけです。今は手が多い方がいいでしょう? 美鈴を呼べば……」
「貴方、美鈴に会いたいだけじゃないの?」

 咲夜は黙り込む。

「……パチュリー様。お言葉ですが能力を鑑みて咲夜さんが適任です」

 レミリアを運び終えて戻ってきたのか、見かねた小悪魔が差し込んだ。

「貴方、レミィは運び終えたの?」
「言われた通りお運びしました。ですからパチュリー様」
「……そうね、ごめんなさい。お願いするわ」
「承知しました。感謝します」

 そう言って去ろうとした咲夜がふと足を止めて尋ねる。

「そういえばこあちゃんは普段と同じに見えますけど大丈夫なんですか?」
「私は普段からパチュリー様を押し倒したいと思ってますから」
「最低ね」
「最低ですね」

 パチュリーと咲夜から冷たい目を向けられ、小悪魔は興奮した。

 一瞬を超える速度で咲夜が二人の前から消えた後、パチュリーは小悪魔に向き直る。

「小悪魔、さっきはああ言ってたけど……貴方も家族愛を感じてないわけじゃないわよね。なのに欲望を押し留めている。その考えが知りたいわ」
「……確かに、私は家族愛を抱いていないわけではありませんし、紅魔館の一員、家族の一員であるという意識もあります。なのに欲望を押し留めているのは、……まぁ、私はパチュリー様にすべてを捧げた身ですから。私って意外と一途なんですよ?」

 小悪魔はおどけて言った。

「つまり、いつものパチュリー様を堕とせなければ意味がないんですよ」
「……ほんと最低ね」
「最低でしょう? 悪魔ですから。まぁ、本当のところはこういった種族ですから欲望のコントロールは得意ってだけなんですが」

 にぃっと小悪魔が笑った。パチュリーが久々に見る悪魔的な笑みだった。
 つられてパチュリーも口角を上げる。
 変わらず呼吸は荒いままだったが、その瞳には先程までなかった意思が確かに宿っていた。

「……ふっ、……私はレミィの恋人になったつもりはないし、レミィを恋人にしたつもりもない。私たちは、私たちの紅魔館は、こんな刹那的な感情に取って替えられるようなものじゃない。皮肉ね……こんな形で普段は気恥ずかしくて目を背けていた、家族の絆というものを直視させられることになるとはね」

 パチュリーはひとつ深呼吸をして、言い放つ。

「小悪魔。今から言う本を取ってきなさい。結界を解くわよ」
「仰せのままに」

 恭しく頭を下げる小悪魔に申し付けようとして、パチュリーの頭に先の小悪魔の発言が過る。

「あっ、ちょっと待った」
「何でしょう?」
「いえ、さっき欲望のコントロールは得意って言ったわよね」
「はい」

 きょとんと疑問符を浮かべる小悪魔にパチュリーが言う。

「八雲の術は私にもそう易易と見つかるものではない。そっちの方面からアプローチしたほうがいいかもしれないわ。それ……詳しく教えてくれないかしら?」


 その頃、廊下ではメイドの妖精たちがここでは書けないほどの光景を繰り広げていた!

(……うわぁ)

 口吻などは当たり前、そこら中で押し倒し押し倒されが繰り広げられている。中には火照り過ぎたのか服を脱ぎ捨てている者まで現れていて……

「破廉恥だわ……」

 咲夜は赤面してしまう。
 風紀の乱れは心の乱れ、ひいては紅魔館の結束の乱れにも繋がるんですよ! と思わず風紀委員のようなことを口走りそうになってしまう。
 が、今は他人のことを言える状態ではない。
 メイド妖精たちが本能のままにイチャついているのを直視すると、自分まで混ざりたくなってきてしまう。
 だって、メイドたちだって大事な紅魔館の一員だ。
 できない子ばかりだけど、できない子ほど愛おしくなるもので。
 今咲夜を押し留めているのは、さすがに妖精に混じって堕落するのは人間として終わりだろうというただ一点のみだった。

 と、言うか。
 紅魔館の結束の乱れという言葉がさっき頭を掠めたが。

(……今紅魔館に誰かが攻め込んできたらヤバいんじゃないかしら……)

 ヤバい。
 紅魔館の防衛機能は今完全に麻痺しており、何者かに攻め込まれたら一瞬で陥落するのは明白だった。
 具体的には魔理沙とか。
 美鈴の状況を確かめる必要があるが、もし美鈴が機能していなければ魔理沙は一瞬で大図書館まで辿り着く。
 その場合、パチュリー様たちの調査は間違いなくストップしてしまうだろう。それは避けたい。

(八雲紫……まさかこれを狙ってッ!?)

 歯噛みをした。
 今、八雲紫が全力で首を振ったような気がする。
 元々の原因はお嬢様? なんのことやら。

 加えて魔理沙に侵入された場合、魔理沙側の被害も考慮しなくてはならない。

(今魔理沙に会ったらとんでもないことをしてしまう自信がある)

 何故ならば、咲夜は魔理沙を妹のように思っているので。

「あー……お願い魔理沙、今は来ないで……」

 どうしようもない状況に悩まされる理性と、今にも溢れ出しそうになる本能がせめぎあっている。
 痛くなる頭を抑え、手をひさしにしながらふらふらと廊下を歩いていく。
 視界に入る痴態は理性を削り、甘い胸の疼きに狂いそうになる。
 割と、真面目にしんどかった。

(お嬢様……咲夜は恋をしたことがありませんが、もしも恋をしたとなれば、こうやってひたすら愛を乞いたい、身体まで求めたいという本能を必死に押し留める、常にそんな状況に置かれるのでしょうか)

 これはかなり特殊なケースだったが、恋をしたことがない咲夜には知る由もなかった。

(だとしたら、恋というものはなんてつらいものなのでしょうね)

 悩ましげに溜め息だって出てしまう。
 今、咲夜は紅魔館のすべてに恋をしていた。
 それも普通の恋ではない、家族に対する親愛がそのまま転換した、愛の深さに飲まれる底なし沼のような恋慕。
 その感情は恋もしたことがない生娘の咲夜にとってはあまりに巨大で、高負荷で。
 その巨大さは咲夜が幸せであることの証明で、代償でもあった。
 とても苦しかった。
 幸せであることがこんなに苦しくて、切なくて、心と身体を毒のように侵していくようなことがあるなんて、知らなかった。

 視界をなるべく覆い隠して、唇を噛んで、ふらつく身体を門へ向かって。
 身体が異様に重かった。
 どうして自分はここまで抗っているのか、本能に身を委ねて何が悪いのか、わからなくなってくる。
 もうすぐ、もうすぐだ。
 もうすぐで美鈴のいるところへ。
 美鈴の顔が見たい。
 優しくて、頼りなくて、でもいざというときは頼りになる、
 姉のような。
 あぁ、早く、美鈴に、

「会いたい」



# 6

「……っぷ……はぁ……っ、はぁ……、ん、小悪魔」
「…………」
「なに、ぼーっとしてるのよ」
「あ、えっ……は、……はいっ」
「くすっ……生娘みたいな反応じゃない」
「っ……なんでからかうんですかぁ……」
「ふふ、冗談よ。さぁ、」

 パチュリーは小悪魔の目を見つめ、悪戯っぽく微笑む。

「小悪魔、行くわよ。魔法を解きに」


 門から戻ってきた咲夜は息を荒げてパチュリーに報告する。

「結界が張ってありまして、外に出られないようになっていました……」
「ぶ、物理結界まで? レミィのやつ紫になんてこと頼んだのよ……」

 パチュリーはこめかみに指を当て、嘆息する。

「……そういえば門番は?」
「美鈴は……お恥ずかしながら私、美鈴の顔を見ただけで襲いかかろうとしてしまったみたいでして……」
「レ、レミィと同類じゃない……それで?」
「もちろん美鈴も術中にはあったのですが、なんとか正気を保っていたようで。気分を鎮静させる気を流してくれました」
「そう……ということは美鈴の気を流せば欲望は収まる?」
「いえ、あくまで応急処置ということらしいです。現に私は今パチュリー様とこあちゃんを押し倒したくてたまりません」
「……なるほど。やはりアレをやるしかないようね……ちなみに今、美鈴は?」
「妖精たちの気を鎮めに向かいました」
「そう……あてられてあいつのほうがやられる前になんとかしないとね」

 パチュリーは深く息を吐き、決意を固める。

「パチュリー様……アレとは?」

 わずかに困惑の色を顔に浮かべる咲夜に、パチュリーが言い放つ。

「咲夜……キスしたことはある?」
「はい?」


「小悪魔は種族的特性により自分や他者の感情がコントロールできる。特に欲望……有り体に言うと情欲ね。そして私たちは小悪魔の魔力を体内に取り込むことによってある程度情欲を制御できることを突き止めた」

 パチュリーは淡々と説明する。

「でも、いかんせん種族が種族だから魔力を供給する方法が特殊でね……端的に言うと魔力の受け渡し方法は粘膜接触のみ。その中で一番マシな方法がキスというわけよ」

 咲夜は黙って聞いていた。

「私はさっき小悪魔から結構な量の魔力を受け取ったからある程度プールしてある。私と小悪魔、どちらからでも供給は可能よ」

 パチュリーは真剣な眼差しで咲夜を見据える。

「無理強いはしないわ。もし嫌ならレミィのように貴方も一旦昏倒させることになる。荒っぽいやり方だからできれば取りたくないのだけど。どうする?」

 咲夜はしばしの間黙考し、そして口を開く。

「……本当はお嬢様にしてもらいたかった。けれど魔力を受け取って今度、私のほうからお嬢様に魔力を渡すことができるのならば、構いません」
「そう……本当に申し訳ないけれど、そもそも原因がレミィなのだから文句はレミィに言ってね。それで、どちらと?」
「どちらともでは駄目ですか?」

 予想だにしない言葉にパチュリーは面食らう。

「……貴方今正気じゃないのよ? わかってる?」

 咲夜の目には揺るぎない光があった。

「私はパチュリー様が好きです。もちろんひとつ屋根の下に暮らす家族として。表情ひとつ変えずに突拍子もないことをなさるところも、無愛想に見えてお優しいところも、今この時も紅魔館のために奔走されているお姿も、本当に愛しく思っております」

 そして小悪魔のほうにも向き直る。

「こあちゃんもそう、抜けてるところもほんわかした雰囲気で和ませてくれるところも、急にカッ飛んだジョークをブチ込んでくるところも、ふとした瞬間にお姉さんらしいところを見せてくれるのも、大図書館に来た時にいつも私のことを気にかけてくれるところも、全部が愛おしくて」

 咲夜は微笑む。その表情はまさしく恋する少女のように甘く蕩けて、美しかった。

「だからお二人に、……キスを、されることに抵抗は何一つありませんわ。きっと、正気に戻った咲夜もそう思うことでしょう」

 パチュリーは目を見開いて一瞬固まっていたが、すぐにいつもの無表情に戻った。

「……半分ずつ。ノルマの二倍入れるわ。レミィ用にね」
「……畏まりました」
「目を瞑って。行くわよ」

 咲夜は目を瞑る。
 怖くないと言ったら嘘になる。
 初めてなんだから。
 でも、初めてがこんな騒動劇の最中なんて。
 ……紅魔館らしくて、十六夜咲夜らしいかな、なんて。


「……ぁ、はぁっ……んぅっ……」
「……どう? 頭はスッキリした?」

 咲夜は少し息を整えてから言った。

「……はい……先程よりかなり思考が明瞭です。あぁ……なんで私はパチュリー様なんかに強請ってしまったのでしょうか?」
「はっ倒すわよ」
「冗談ですわ。パチュリー様へもこあちゃんへも、すべて本当の気持ちです」

 パチュリーはわずかに顔を赤らめて、それをかき消すかのようにわざとらしくレミリアが寝ている大図書館の奥に顔を向ける。

「あとはベッドでぐったりしてる吸血鬼をなんとか……」

 その瞬間、パチュリーの背後から声がした。

「誰がベッドでぐったりしてるって?」

 全員が声のほうへ振り向く。
 そこには先程プリンセスウンディネで流されていったレミリア・スカーレットその人が仁王立ちしていた。

「お嬢様……!?」

 咲夜とパチュリーは驚愕する。
 いくらレミリアが強靭な身体をしているとはいえ、無防備な状態で大量の流水をぶつけられれば一日程度は再起不能になるはずだった。
 そのはずが、数刻足らずで復活している。
 しかも先程の姿とは比べ物にならないほどの圧倒的な存在の強大さを誇示しながら。

「パチェ。さっきはよくもやってくれたわね」

 レミリアがパチュリーにずいと詰め寄る。

「あ……レミィ、あれは」

 パチュリーが珍しくばつの悪そうに言い訳を始めたところをレミリアは制した。

「いいのよ。あのおかげで持て余した精神力を回復力にまわすことができた」

 妖怪はその精神力を何よりも存在と魔力の維持に使う。
 感情の昂ぶりによりブーストされた精神力は通常時なら持て余すのみだったが、プリンセスウンディネの直撃によってほどよく致命傷を得た身体にとっては、その溢れるエネルギーは回復を加速させた。
 そして精神力が正しく消費されたことによりレミリアは正気を取り戻し、それどころか絶好調の状態になったのだった。

「……そう」

 パチュリーは静かに安堵すると同時に己を恥じる。
 不可抗力とは言え、親友に手荒なことをしてしまったこと。そしてそれを許されて安堵する自分自身に。
 その横で咲夜は残念そうにうなだれる。

「私はお嬢様と、……することはできないのですね……」

 その言葉を聞くやいなや、レミリアは咲夜の胸元に飛びついてキスを食らわせた。
 一瞬のことに咲夜は目を丸くして思考停止した。

「……なるほどね」

 触れる柔らかさを感じる間もなくレミリアは唇を離す。
 咲夜から流れ込んだ魔力に、レミリアは一瞬で事を理解した。
 口元を抑え真っ赤になっている咲夜を余所に。

「……パチェ」
「ええ。そういうことよ」
「こあも。後でしてあげるからね」
「んぇっ!?」

 予想だにしなかった言葉にパチュリーは思わず声を上げる。
 そして、求めてはやる本能を感じながら自嘲した。

 あぁ、レミィのペースに引きずられてばっかりだ。
 これは恋かもしれない。
 ならば、行きずりに絆されるのも仕方ない気がする。
 けど。

(私はレミィの恋人じゃない、家族であって……対等な親友だ)

 また流されそうになる思考を、自分の意志でしっかりと繋ぎ留める。

「馬鹿言ってないで備えるわよ」
「ええ」

 レミリアはパチュリーの言葉の意味するものを理解していた。

「まさかここまでとは思ってなかったわ。しょうがない娘ね」

 レミリアは嬉しそうに慈しみに満ちた笑みを浮かべる。
 そしてすぐに、何もかもを愉しむような残虐にも思える笑みに切り替わった。



# 7

 ばこぉん、と盛大な音を立てて、ついに扉に穴が開いた。
 地下室に続く扉は、普段は簡単に開閉できるようになっているが、パチュリーがフランドールを外に出してはいけない緊急事態と判断した時に、何重もの結界が作動する堅牢な結界となるように設定されていた。
 それが今、内側から打ち破られ、扉の破片が辺りに飛び散っている。
 なんのことはなく、力ずくで破っただけのことだった。

「……っはぁ……はぁ……」

 息を荒げて力なく、部屋の主が穴から這い出し、扉の前にどしゃりと崩れ落ちた。
 彼女はしばらくうずくまったまま、動こうとしなかった。


 身体の異常が姉のせいであることは最初からわかっていた。
 ベッドで天井を眺めていると、いつもと違う魔力の流れが部屋に入り込んでいることに気づいた。
 西洋魔術の流れではない、館の住民ではないものによる魔力干渉。
 魔術を少々齧っている彼女はすぐに館に何らかの術が仕掛けられていると察した。
 ならば館が何者かに攻撃されているのか? と考える。しかしそれにしては館から剣呑な雰囲気は感じられない。
 部屋で耳を澄ましてみても、聞こえるのはいつも通りの喧騒ばかり。
 いや、いつも通りじゃない。むしろいつもより、なんか、こう、姦しい。
 と、なれば、先程のパチュリーの忠告と以前にもあったシチュエーションから推測できる。
 ……お姉さま、八雲のとまたなんか変なことしてる……。

 ま、別に気にすることないか。私には関係ないし。
 そう考えてフランドールは静かに目を閉じた。
 それにしてもお姉さまはいっつも妙なことして、本当に子供だなぁ。騒いでないと死んじゃうんだろうな。ばかみたいだ。
 私はそうそう巻き込まれることないからどうでもいいけど、面倒を被る咲夜たちのこともたまには考えてあげてほしい。
 と、思うんだけど、考えた上でやってるんだろう。
 お姉さまは傍若無人でわがままに人を振り回すくせに、なんでもないようにその埋め合わせをしたり気を回したりできるから。
 咲夜も好きで巻き込まれてるんだろうし、本当に救えない主従……。
 それにしても妖精たちがいつにも増して姦しい。会話の内容はここからじゃよくわからないけど、一体何やってるんだろう。
 前に八雲のと何かしてたときは……あぁそうだ、味の境界を弄って野菜をみんなプリン味にしようとしてたんだっけ。意味がわからない。
 ポタージュがただの溶けたプリンになってて逆に食べられたものじゃなくなったりして、あのときは心の底から愚かだなぁって思った。一週間くらいは甘いものなんて見たくもなくなった。
 お姉さまは本当にいつもそうだ。突拍子もないことばかり思いついて。
「こんなのってどう? やってみたら面白そうでしょ?」って、悪い顔して言ってさ。
 巻き込まれる私たちは結局のところ楽しんじゃったりとかしてて、お姉さまはそれを見ては、それ見たことか、と嬉しそうに笑う。
 それが本当に癪なんだ。
 ずるいなぁ、本当にずるいと思う。
 にやぁって、思いつきが成功したのを喜ぶような、嬉しそうで、
 慈しむように優しい。
 あの顔が脳裏に浮かんできて。
 ……次から次へのお姉さまの顔が浮かんで、消そうとしても離れない。
 頭の中がお姉さまでいっぱいになって、無性に会いたくなって

 何かがおかしい。
 目を開けて跳ね起きる。

「えっ、なに、これ」

 文字通り頭の中がお姉さまでいっぱいになって、理性がどんどん削られていく。
 不安定な情緒との付き合いも長いおかげで自分が今どれくらい冷静さを失いつつあるかある程度は判断できる。
 そして今の自分は着実に理性を失いつつあった。

(……術だ、これ)

 早くも残り少ない思考処理能力をフルに働かせる。
 妖精たちが姦しい。会話する声は高くなり、嬌声すら聞こえている。それを聞けばそれだけでわかるはずのことだった。
 この術は性愛かなにかを増幅させている。
 無性に暑い。息が荒くなって、心臓のあたりがきゅぅっとする。頭からお姉さまのことが離れなくなっている。
 お姉さまに会いたい。会ってどうする? ……会って終わりじゃない。その先だって求めたい。その先の先は……。

 もしかして、これが目当てか?

 有り得る!
 あの馬鹿姉ならば姉妹のスキンシップを履き違えて、私から……その……あんなことやこんなことを求めてきてほしいと思ってこういうことをしでかす可能性は十分ある。
 でもこれはさすがに度が過ぎている。過剰すぎる。
 そもそも館全体を巻き込む必要がどこにある?
 もしかしてこれは本当に攻撃ではないのか?
 咲夜やパチュリー、小悪魔、美鈴の身に危険は?
 咲夜。
 考えた途端、感情がぶわぁと溢れ出してくる。
 あぁ……ダメだ、考えちゃいけないんだ……。
「みんなに会いたい」なんて、そんな生半可な表現で収められる感情じゃない。
 それでも、言い表すならば、
 あぁ、もうどうだっていいや、
 欲しい。
 お姉さまたちのすべてが欲しい。
 何もかもを手に入れて、私も交わって、みんな交ざり合って、ひとつになりたい。

 感情を混ぜ合わせて、思考を混ぜ合わせて、身体も混ぜ合わせて、みんなぐちゃぐちゃになって、求めあって、貪りあって、交じって、目合って、溶けあって、とろけて、混ざって、誰が誰かわからなくなって、自分も、お互いも境界を無くして何もかも消えて、朝も昼も夜もぐるぐると溶かされて混ざりあって蠢くだけの生き物になって永遠に混ざって混ざって混ざり続けて理性なんて失って、本能だけになって、何もかもを失って、ひとつになる。ひとつになる。ひとつにする。ひとつにしないと。そのために、お姉さまを、咲夜を、パチュリーを、小悪魔を、美鈴を、みんな手に入れて、何も考えられなくさせて、ただ混ざり続ける生き物にしないといけないんだ。そうしてあげないと、そうして、しあわせになって、しあわせもなくなって、えいえんに、わたしたちは、わたしになって、ぐちゃぐちゃになって、ぐるぐるになって、ああ、なんてばからしい、おろかで、うつくしくて、いやらしくて、しあわせなことだろう! そんなことをかんがえるあたまもすぐにきえる。わたしたちはひとつになるんだから。うつくしい、まじわり、とけあうだけのいきものに。それをかんがえるだけでわたしは絶頂を迎えてしまいそうになる。だいすきなおねえさま。だいすきなみんな。もうすぐでひとつになれる。おねえさまになれる。おねえさま。おねえさま。おねえさま。だいすきです。おねえさま。おねえさま……。

 ふらふらとよろめきながら部屋の扉へ歩いていき、縋り付くようにその前で倒れ込む。
 鍵を開けるのも扉を押すのももどかしい。一思いにぶち壊そうとレーヴァテインを撃ち込むも、木っ端微塵に壊れるはずの扉はびくともしない。

 ……あぁ、ぱちゅりー、あれ、やってるんだぁ……。

 パチュリーが結界を有効にしているということは、館が非常事態であること、ひいてはフランドールを外に出すべきではない事態であることを意味していた。

 ……そんなのやっても無駄だよぉ、おねえさまのせいなんでしょ? ぜーんぶおねえさまがわるいんだから、ね?
 おねえさまがすきかって、してるんだから、わたしだってたまにはいいでしょ? ねぇ。

 身体をぞくぞくと震わせ、力なくふらつきながらも、扉に向かって強大な魔力を確実に撃ち込んでいく。
 巨大な感情は精神力に、そして魔力にそのまま変換される。
 結界は確実に崩壊していった。


 そして堅牢な結界は破られ、フランドールは部屋の外へと舞い出た。

 フランドールはしばらくうずくまっていたが、にわかに立ち上がり、大図書館へと続く廊下を見据え、歪んだ笑いを張り付かせた。

「おねえさま。おねえさま、まっててね。みんなしあわせにしてあげる、みんなみぃんな、しあわせにしてあげるから、いまいくから、まっててねぇ……う、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」

 ふわり、スカートを揺らめかせて優雅に浮き上がると、フランドールは刹那、衝撃波が起きるほどのスピードへ急加速して飛び出していった。



# 8

 その甘ったるい空気に全身怖気が立つ。
 狂いそうなほどに重く、胃に泥を流し込まれたかのような壮絶な不快感。
 物量に吐き気を感じて咲夜は口元を抑えた。

「咲夜、これを」

 パチュリーから小瓶を手渡される。

「魔力耐性をブーストさせる薬。人間じゃこの魔力に耐えるのは無理よ。飲みなさい」
「パチュリー様……調合は苦手では……」
「憎まれ口はいいから。はよ」

 手渡された小瓶を咲夜はぐっと飲み込む。
 瞬間、自分を俯瞰しているような、一歩引いたような感覚がして、気分が安定した。

「んっ……飲みました」
「効いた?」
「はい、しかしこれは」
「まさか、ここまでとはねぇ」
「……この館全体を包んでいる瘴気は」
「言うなればフランドールのクソデカ感情ね」
「重すぎでは? いえ、知ってましたけど」
「よかったわね、貴方もその対象よ。私たちも幸せ者ね」
「ええ、身体がいくつあっても足りませんわ」

 不快感はわずかに残っているが、立っていられないほどではない。
 汗を拭いながら咲夜はレミリアを見た。
 腕を組み、凛然と、笑みを浮かべている。
 すべて理解しているかのように。
 すべて理解しているんだ。
 私たちはみな、お嬢様の掌の上で踊っている。
 フラン様も。そして、お嬢様自身ですらも。

 近づいてくる。猛スピードで。
 抱きついてくる妖精たちをそのスピードと纏う魔力で薙ぎ倒しながら。
 それは本当に一瞬の内で……。
 咲夜が気づいた時にはもう、フランドールは目前にいた。

「お姉さま……♡ 今、助けてあげるからねぇ……♡」
「フラン――」

 瞬間、レミリアは懐に飛び込んでいって。
 カーペットにフランドールを押し倒して。
 唇を重ね。

「さすがお嬢様!」
「私たちにできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ!」



# 9

 唇から魔力を流し込まれたフランドールは目をぱちくりさせ、しばらくの間、目の前のレミリアを見つめていた。
 自分が何をされているか、何をしているか気づいたのは数十秒も経ってからだった。
 姉の唇を引き剥がし、口元を押さえてひどく狼狽する。

「おっ……おねぇっ…………おねぇさま!?」
「お姉さまよ、フラン」
「な、なんで私お姉さまと……んむぅっ!?」

 有無を言わせず、間髪入れずレミリアは再び唇を重ね始める。
 それはもはや、魔力伝搬など口実に過ぎなくて。
 舌を絡め、その口実にかこつけ唾液を混ぜ合って、妹の身体は力なくしなだれ、姉はその絹のように柔らかい髪に腕を通し、うなじに手を回す。

「っはぁっ、はぁっ、はっ、はぁ……」
「フラン」

 離れた姉妹の舌は透明に繋がり、妹の名残惜しそうな表情を姉は見逃さなかった。

「おねえ、さま」
「フランっ」

 優しく、甘く、柔らかく、激しく、いくら啄んでも満たされない切なさをぶつけるかのように。
 姉は妹の身体を抱き起こし、対面で座り込む。二人はお互いの身体を求めるように抱きしめ合う。
 流し込まれた魔力など一瞬で霧散し、妹は涙を流して歓喜に浸る。
 同時に身が震えるほど切なく、渇いて、一心不乱に姉を求めて。
 どうしようもない、そのひとつになれなさに身が引き裂かれるような想いで。
 姉は愛しさに打ち震えていた。
 妹に常に感じている溢れんばかりの愛を、この一瞬にすべて伝えるかのように、優しく妹の肢体を引き寄せて。
 あまりにも細く、儚く、それでも生き抜かんとする妹の身体を。
 その想いを。
 少しでも感じ取ろうと、姉は妹に身体に触れ、体温を重ねる。

「あぁ、おねえさまぁ……すき、好きぃっ、あいしてます、ずっとずっと、慕っております、だから、だからっ」
「フラン」
「おねぇさまぁ……っ!」
「……愛してるわ。永遠に」

 それを見ていた咲夜とパチュリーと小悪魔は無言でめちゃくちゃテンション上がっていた。

「……いえ、私は見ているだけで満足なのですけれど」
「私も」
「私もです」
「あれは一体……」
「八雲の術は家族愛を恋愛感情……まぁ、事実上は性愛ね。それに変換するもの。私たちは小悪魔の魔力でそれを消化できたけど、フランドールはそれでは足りなかった」
「なるほど?」
「オーバーフローした欲望を打ち消した結果、お互いを愛する思いだけが残って姉妹イチャラブちゅっちゅ」
「最高じゃないですかやったー!」

 咲夜は興奮のあまりキャラ崩壊気味に声を上げ、小悪魔はガッツポーズを取る。

「と言うか、レミィも結局本能に勝てなかったんじゃない」
「私はわかってましたよ。お嬢様がフラン様とちゅっちゅできる機会を目前にして興を削ぐ真似はなさらないと」

 したり顔で言う咲夜にパチュリーは呆れ顔を浮かべる。

「この姉妹、本当に度し難いわね」

 その間、ひたすら姉妹は交歓している。
 時折舌を離しては言葉も無く、潤んだ瞳で互いを見つめてはキスを繰り返す。
 その様子に、咲夜とパチュリーは顔を見合わせる。

「しかし、それにしてもさっきから」
「ええ、そうね」
「ちゅっちゅしてるばかりで」
「その先に進んだりはしないわね」
「私はその先が見たいんですが……!」
「ここから先は課金が必要かもね。年齢制限も掛かるし」
「お金なら積みます」
「それレミィのポケットマネーじゃない?」

 やがてキスの応酬も潮が引いたように終わり、姉と妹はただお互いを慈しむような優しい微笑みを浮かべて見つめ合う。
 そしてゆっくりと、お互いを引き寄せて抱き合った。
 それを眺め、パチュリーは呟く。

「性愛ではない?」
「……八雲紫は家族愛と恋愛感情の境界を弄ると確かに言っていましたが」
「……だとしたら。いや……でもあれは恋人に向ける顔じゃない。あれは……いえ、これは直接本人に訊かないとわからないわね」
「どういうことですか?」
「レミィとフランドールは八雲の術に勝ったのかもしれないってことよ」

 二人はひっついて、頭をお互いの肩にあずけてただ体温を感じていた。
 フランドールはその身体と身体の間にある、ひとつになれない境界線を思い。
 その線を、無くしたいと思わない。
 こんなにも愛しい姉を、自分だけのものにしたいとは思わない。
 姉のものになりたいとも思わない。
 私たちはどうしようもなく違っていて、だからお互いを愛するから。

 レミリアは妹のその細く華奢な肢体を、肉のない骨ばった感触を、その中にある柔らかい、丸い心を感じ取っていた。
 この身体を傷物にするなんて、そんなことはできない。
 誰も傷つけたくないと願う優しい娘の心を、一時の感情で傷つけるなんて絶対にそんなこと許せない。
 だからただ肌を寄せ合って、溢れて抑えられない私の気持ちを、フランの気持ちを。
 ただ少しでも感じ取ろうと、この身に留めようとひたすらに抱きしめていた。

 なんだ、結局愛と名の付くものはどれも同じようなもので、明確な境界線などはなく。
 だから私たちは様々な愛を抱いて生きている。
 そして結局最後に立っているのは、ごくごく単純な、フラン大好き! っていう妹に対する気持ちだけだった。
 フランのことが大好きで。愛らしい顔も、仕草も、そのひねた性分も、弱さを知っている優しい性根も、すべてが愛おしく。
 二人で笑って。紅魔館に住む家族として、笑っているフランを見て。それでたまーーに今みたいにちょっとハードにイチャイチャできたらそれでいいんだよ!
 それがいいのよ。
 それにはやっぱり、二人だけで完結しててもダメだ。
 私は紅魔館のみんなを家族だと思っていて、フランにもそう思っててほしいから。

「結局家族愛が勝つってことね」
「なんかご都合主義じゃないですか?」

 小悪魔が冗談か本音かわからない言葉を零す。

「えっ本気であの姉妹のその先が見たかったわけ?」
「いえそれは嫌ですけど」

 パチュリーは小悪魔の言葉に呆れながらも、どこか晴れ晴れした気分で姉妹を見ていた。
 なんだかよくわからないけど大団円じゃないか。
 パチュリーも咲夜も小悪魔も、甘ったるく幸せな空気が充満している空間で優しい笑みを浮かべていた。

「あっお嬢様がサムズアップしてます」

 抱き合って向こうを向いたまま、レミリアが右手親指を立てる。
 そしてそのすぐ隣に見えるフランドールの顔は。

「うわフラン様すごい顔真っ赤!」
「ある程度発散されたことで冷静さが戻ってきたみたいね」
「泣きそうになってる! というか既に泣いてらっしゃる!」
「嬉しさと羞恥心でよくわからなくなっちゃってるんですね。でも離れない」
「離れたくないという気持ちと恥ずかしい気持ちで揺れ動いてるフラン様愛おしすぎる……抱きしめたい……」
「……」

 フランドールに対する強い感情が三人の中にも湧き上がる。

「……八雲の術のせいですもんね」
「私たちだって家族ですし」
「その通り」

 レミリアがにぃ、と笑った。
 パチュリーは事も無げに言う。

「私たちは家族よ」



# 10

「やわらかっ……」

 フランドールに抱きついたパチュリーが思わず声を漏らした。
 抱きしめられる側のフランドールは何も言わず微動だにせず、ただ顔を真っ赤に染めている。

「フランは骨ばってるくせに柔らかいのよね。謎の身体をしている」

 咲夜に差し出されたハンカチで口元を拭いつつ、レミリアは言った。

「ところでそれお嬢様とフラン様が混ざりあったやつですよね? 頂けませんか?」
「咲夜おまえはたまに本当にきもちわるいな」

 レミリアはドン引きする。

「お嬢様!」

 入口のほうから声が響く。
 咲夜たちが振り向く間もなく、レミリアは声の方向へ飛び出していった。
 わっ、と驚く声がする。

「美鈴!」

 咲夜も駆け出そうとして、固まった。
 美鈴が大量の妖精に纏わりつかれたまま、困ったように笑っていた。

「それ、ひっつき虫みたいですね」

 小悪魔が眺めて言う。
 美鈴の腕に背中に腹に長い脚に妖精たちがしがみついている。
 その中で一番目立つのがレミリアだった。

「えへへ……どうしてもみんなを抑えきれなくてですね」
「あ……美鈴は大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないです。結構しんどいです」

 見れば笑顔で結構な汗を滲ませている。
 どうしたら、と咲夜は戸惑って、レミリアが美鈴にしがみつきながら人差し指をくいくいと引き寄せ、咲夜を促しているのが目に入った。

「取っといてあげたからさ」

 その言葉に咲夜は顔を真っ赤にさせる。見え見えの本心でも見透かされるのは恥ずかしい。
 けれど冷静になった今となっては、なんともその一歩は踏み出せず。

 レミリアは溜め息を吐いて離れ、美鈴に何かを耳打ちした。
 美鈴はそれを聞くやいなや、妖精をくっつけたままで咲夜にずいと近づいていき。

「リードするのは年長者の役目よね」

 レミリアは腕を組んでにやにや笑いながらその様子を眺めていた。

「……はぁ……一件落着ってとこかしら」

 パチュリーが呟くとレミリアはきょとんと不思議そうな顔を浮かべる。

「一件落着? まだ終わってないわよ」
「え。まだ何か残ってる……?」

 ふふん、と笑ってレミリアは胸を張って言う。

「結婚。式を挙げないと。でしょ?」

 その話まだ生きてたのか……! パチュリーは衝撃を受ける。

「結局結婚するのね……」
「ええ。それも紅魔館全員でね」
「全員で!?」

 声を上げるパチュリーにレミリアはけらけらと笑った。

「咲夜。紅魔館にいる人数分のウェディングドレスを準備しなさい」
「畏まりました。お嬢様」

 無理難題にも涼しい顔で応える。忠実なメイドに命令を下し、レミリアは叫ぶ。

「みんな、結婚式を挙げるわよ!」

 晴れ晴れした顔で。

 だって私たちは好きあってるのだから、結婚するのは当然でしょう?
 妖精には戸籍制度もない、倫理も宗教も遺伝学も私たちには関係ない。
 誰がなんと言おうと、この世界の道理がどうだろうと関係ない。
 私たちは結婚する。
 他でもない、家族であるという証明のために。



# 11

 紅魔館がまた面白いことをしていると風の便りか隙間の便りかで聞いた。
 あるいは運命を狂わされたのかもしれない。
 斯くして幻想郷の新聞屋、射命丸文は事の顛末を見ていた。

(こんなの一面確定じゃない……!)

 詳細は知らないが、あの紅魔館の面々がイチャイチャしている。
 いつものことと言えばいつものことだが、それにしたって度を越している。
 フィルムが尽きるほどシャッターを切りまくって、フィルムを巻き戻し入れ替える刹那で。
 厄介なメイド長の瞳が文を射抜いた。

「これ、いくらで売ってくれるかしら」
「あやや、これは非売品でして」
「いくらで売ってくれるのか、と訊いてるのよ」

 カメラにナイフを突きつけられ、文は汗ばみつつも笑みを崩さない。

「はい没収」
「あっ」

 一瞬のうちにカメラは咲夜の手の内にあった。

(いや……フィルムさえあれば)
「お前の魂胆はわかっているよ」

 後ろから声がする。
 前はメイド長、後ろは吸血鬼に取られ動けない。
 やはり紅魔館としてはこのような状況を記事にされるのはまずいのだろう。

「あやや……疾いですねえ。お見事です」

 しかしここで簡単に白旗を上げてしまえばジャーナリスト魂が廃る。
 この状況をいかに打破するか、文の頭がフル回転し始めて、

「ま、ちょうどよかったわ。私たちの写真を撮ってよ。あんた以上のカメラマンはいないわ」

 予想だにしない言葉に止まる。

「……え?」
「だから、写真撮ってよ。記念写真」
「……てことは、記事にしていいんですね?」
「いいよ」
「載せますよ? 写真」
「ゴシップ誌ならキスシーンが載ることもあるだろうよ」
「……うちはゴシップではありません」
「ゴシップだろ」

 レミリアは、ふん、と鼻を鳴らす。

「貴重な、捏造しようもないスキャンダルよ。撮らなければその隠し持ってるフィルムもお釈迦になる運命にしてあげる」

 その不遜な態度に文は舌打ちしそうになる。どうも吸血鬼の意のままに動かされているようで気に入らない。
 けれどネタとして逃したくないのも確か。
 文はしぶしぶレミリアの言葉に従い、カメラマンとして記念写真を撮影することとなった。

 ウェディングドレスを着た紅魔館の面々が一列に並び、後ろには同じくドレス姿の妖精メイドたちが夥しい数の列を成している。その中によく見ればホブゴブリンたちも混ざっていた。
 視界を埋め尽くすウェディングドレスの海。投げるブーケも足りない花嫁の数。

「はいフランさんもうちょっとレミリアさんの傍に寄ってーー!! パチュリーさんもうちょっと頑張って背伸ばして! 妖精メイドさんたちできればじっとしててー! いや妖精だから無理か! そのままでオッケーです! パチュリーさん頑張って!! 一生に一度の晴れ舞台なんですから! まぁあなたがたにとっては一生に一度なのか怪しいところではありますが!」

 さすがの文もこの異常事態に、半ば理性を失いつつあった。

「はい位置オッケーです! それじゃ撮りますよ100%の花嫁スマイルお願いします! 人生で一番の笑顔を!」



# 12

 翌朝、文から新聞を受け取った霊夢は口をあんぐりと開けてその一面を飾る写真を見ていた。
「紅魔館婚姻す」という大見出しの下に、ウェディングドレス姿の紅魔館の住人たちが一斉に笑顔を向けている。
 レミリアとフランドールが中央に立ち、その周りにパチュリー、小悪魔、咲夜、美鈴が並んでいる。背後には無数の妖精メイドたちも白いドレス姿で整列していた。

「……は?」

 後ろでいつの間にか紫がげらげらと笑っていた。
 霊夢は無言で新聞を紫に手渡すと、頭を抱えてふらふらと寝床へ戻っていった。



# 13

 私がこのドアをノックする時、私はいつも期待と不安に胸をざわつかせて、落ち着かない心地でいる。妹はきっと信じてくれないだろうけど。
 昨日までの私なら、それを「恋人に会いに行くような」と表現していた。
 今の私は、それをどう表現するだろうか。
 この気持ちって、はたして妹に会いに行く時の感情として適切なんだろうか。
 わからない。

「フラン」

 妹は応えない。

「……フラン」

 妹は動かない。
 ただ椅子に座り、黙って本に目を落としている。

「……」

 はぁ、と息を吐く。

「悪かったわよ」

 ようやくフランが顔を上げる。

「やりすぎたわ」

 ぱた、と本を閉じて立ち上がり、フランは私に詰め寄ってくる。

「自分が何をしたかわかってる?」
「ええ」
「ひとの感情を好き勝手かき乱して、みんなを危険に晒して。到底許されることじゃないわ」

 申し訳なくなりながら、前もこんなことあったなと思い返す。
 月面戦争の時か。あの時もフランは怒っていた。
 フランは自分の大事なものが危険に晒されると一等怒るタイプだ。
 身内を傷つけられれば、誰であろうと容赦なく打ちのめす。
 私でさえも。

「みんな馬鹿だから気にしてないみたいだけど、」

 妹はうんざりした表情を浮かべる。

「私は許さない」

 フランに睨みつけられて、私は後ろめたさと同時に奇妙な快楽を覚える。

「私とただ馴れ合いたかっただけで、ひとを巻き込んで。身勝手すぎるわ」
「そういうものなのよ。私は。……けど、そうね」

 ここに至って私は、自分が抱いていた感情の本質に気づく。
 この、妹を愛する気持ちというのは、どこまでも親愛なる妹を愛す気持ちであって、恋人に向けるそれではなかったのだった。
 その事実に気づかなかった自分の愚かさを痛感する。

「私は皆の心を弄んだ。愛を望まぬ形に歪めてしまったと思う。すべて私が浅はかだったからだわ。ごめんなさい」

 私は深々と頭を下げる。

「謝るのは私にじゃないでしょ」
「皆に謝ってきたわ。そしてフランにも謝ろうと思って来たの」
「……」

 フランは私が頭を下げることに少し驚きつつも、片目を瞑って睨み続けている。

「そうね……なら、私の願いをひとつ叶えてくれたら許してあげる」
「えっ」

 思わず声が出る。

「いいけれど……一体何を願うつもり?」
「簡単なことよ。きっとお姉さまにとってはね」
「……誰かに危険が及ぶこと以外でね?」
「制約が大きすぎるわ」
「あんた、そうしないとまた世界をぶっ壊してとか言うでしょう」
「まさか。真逆よ」

 妹に詰め寄られて、顔が近くて、一歩後ずさる。
 今日この時も抱きしめたいくらい可愛いのだけど、今はそんな場合ではなく。

「お姉さまは。私たちみんなを家族のように愛しているのね」

 わかっていたはずなのに、今まで気づかなかったこと。
 私は妹と同じく、紅魔館のみんなのことも等しいこころで愛していた。
 妹、親友、従者。
 関係性はそれぞれ違って、愛し方も異なるけれど、元を辿れば同じ愛に行き着く。
 家族に対する愛の名のもとに。
 だから私は頷く。

「ええ」
「そう。なら約束して」

 フランはまっすぐに、私の目を見つめる。

「私たちを永遠に愛してくれるって」

 私は目を見開く。

「誓えるでしょ? 永遠に愛してくれるって」

 その言葉の強さに気圧される。
 永遠の重みを知らないわけではない。
 永遠に紅い、と標榜しつつも、その言葉の重さを痛いほど理解している。

 けれど、

「永遠に」
「そう、永遠に」
「……死んだ後も」
「当然。私たちが死んだ後も、お姉さまが死んだ後も、ずっと、宇宙が終わっても、その次の宇宙が終わってもその次の次が終わってもずっと」
「……重いわね」
「うん。重いよ」

 けれど、拒否する選択肢は最初からなかった。
 言った手前もあるけれど、それは私にとってひどく容易いことに思えた。

「いいわ」

 妹が私たちに向ける愛は重い。
 妹の愛のほうが、私の愛よりも重い。
 この世の誰よりも、重い。

 なら、私の愛はどれほどの重さにあるのか問われるだろう。
 答えは、重さなどない。
 この世界のすべてを覆い尽くす愛に、重さなど要らない。
 あればそれは容易く家族たちの首を絞めてしまうだろう。

 だから私の愛は、この世の何よりも軽く、うっすらと世界を覆い、空気のように、永遠に愛するものたちの傍らにある。

「誓えるの?」
「誓うわ」

 愛しい妹を見つめ返す。

「レミリア・スカーレットは、世界が終わろうと永遠が尽きようと、その先もずっとずっと、永遠に愛するものたちを愛し続けることを誓います」

 妹は瞳孔をわずかに開いたかと思うと、顔を伏せた。

「……どうせ口ばっかり」
「口ばっかりかどうかは、それこそ永遠が尽きないとわからないわね」
「……」
「顔、見せて」

 フランが顔を上げる。
 その表情はいろんな感情が渦巻いていて、泣きそうな、堪えているような表情で、
 真っ赤になっていた。

「……」

 たまらず、私は最愛の妹を抱きしめる。

「おねえさ、ま」
「ああもう、」

 こっちまで、真っ赤になってしまうではないか。



# 14

 私たちは週に一度、顔を合わせて食事をする。
 誕生日席に私が座り、家族たちは顔を並べる。
 普段なら、何気ない会話に花を咲かせるのだけど。

(うっわ改めて顔を合わせると気恥ずかしくて話しづらい……)

 フランも咲夜も美鈴も小悪魔も、みんな一様に気恥ずかしそうに黙って食事をしていた。
 私でさえちょっと恥ずかしいんだから、他のやつらの恥ずかしさといったら相当なものだろう。
 唯一パチェだけはどこ吹く風でばくばくとローストチキンを平らげていた。そういうところだぞ本当にお前は。

 料理を運んでくる、メイドのなかでも相当古株の妖精でさえ、普段はお喋りなのに今日はてれてれとしていた。
 こいつも普段は妖精とは思えないほどに落ち着いているのに、あの騒動で他の妖精と全く変わらない本性を見せてたからなぁ。

「なんか静かね」

 空気を読まない親友が言った。

「そりゃあ静かにもなるさ。思いの丈はこの前にすっかり伝え尽くしたんだからな」
「あ、そう」

 わざと大袈裟に言ってみたけれど、パチェは興味も持たずに食事を続ける。

「これは、私から見てというだけの話なのだけど」

 そして親友はナプキンで口元を拭い、食器を置いた。

「やっぱり、今思うと違和感があったわね」
「違和感?」
「そう。貴方とフランドールの交歓にも、貴方と咲夜とのそれにも、私があの時抱いていた感情にも、すべて違和感があった」

 フランはまるで思い出したくない記憶を目の当たりにしたかのように勢いよく顔を背ける。
 咲夜はこれから一体何の話が始まるのかと怪訝な顔をしていた。

「私は、確かにフランドールと貴方が仲睦まじい夫婦のようにいるさまを見たいと期待していたけれど、やっぱり違ったわね」

 私はパチェが何を言うのか察していた。

「だって、家族とはそういうものではないでしょう」

 さすが、私の親友だった。

「本来は、家族という関係性において、愛なんてどうだっていいのよ。愛があろうと、なかろうと、反目しあっていたって、憎み合っていたって、血縁から逃れることはできない。それはこの世で最も逃れようのない呪いだわ。愛なんてもっともらしいことで片付けられるような美しいものではないのよ」

 パチェは淡々と語る。
 フランも咲夜も美鈴も小悪魔も黙って耳を傾けていた。

「血縁は、ただそこにある。貴方たちの場合は、その一本の糸にあらゆる愛憎が絡まって、雁字搦めになっていて、なんとかそれが家族愛だと言える状態になっているだけ」

 私は俯いたフランの顔を見る。そこに495年以上の膨れ上がった愛憎を見る。
 私は妹を常に愛していたつもりだが、妹はそうではなかったことを知っている。
 妹に殺されかけたことも数え切れないほどある。妹が自殺を図った日のことも昨日のように思い出せる。
 何百年もの間、何度も何度も傷つけあって、私だって妹を憎んだ瞬間がないとは言わない。こないだも勝手にプリン食べられたし。
 それでもなぜかお互いに離れがたいことはわかっていて。
 それは血縁関係にあるからってだけじゃなかった。
 私たちはずっとずっと、愛憎とも呼べないなにかで繋がっていたんだ。

 笑ってしまう。
 こんな家族の形あるかい。

「だから、やっぱり仲睦まじいだけの貴方たちなんて見たくないわね。見たいものがあるとすれば、」

 パチェが微笑む。

「今までのこの、食卓を囲む時間がそうだったように。愛とか憎悪とか捨て置いて、逃れ難く連帯している貴方たちが言葉遊びを延々と続けている。そんな変わらない時間が家族のあるべき姿だと思うし、それだけが私の見たいものだわ」

 そう、結局は関係性とか、なんで繋がってるかとか全部どうでもよかったんだと思う。
 私たちが一緒にいること、それこそが愛の証左なんだから。

「そうね」

 私も笑った。

「失敗だったわ」
「そうね。失敗ね」
「ばっさり言うな」
「でも、ひとつだけいいことがあったわ」

 パチェが目を閉じる。

「所詮、運命の悪戯で巡り合っただけの共同体の一員である私たちのことを、レミィ、そしてフランドールが、まぎれもない、血縁に限りなく近いもので連帯している家族だと思ってくれていて……嬉しかった」

 パチェの言葉とは思えない素直なそれに、私は目を丸くする。

「そして、他でもない私たちがお互いのことをそう思っている、それを知ることができて本当に嬉しかったのよ」

 パチェは、なんでもないように、けれど感情を滲ませながら静かに言う。

「言葉だけじゃなくて、自分の底から湧き上がる想いでそれが知れて、よかった」
「……パチュリー」

 か細い声に視線を向ける。
 フランは涙ぐんでいた。

 感極まって、私も泣きそうになる。

 美鈴は嬉しそうに笑みを浮かべていた。
 小悪魔は目を丸くして口を押さえている。わかる。パチェはこんなことを言うキャラではない。
 咲夜は。
 珍しく動揺していて、それでも言わなきゃいけないことがあるみたいに立ち上がろうとして。

「わっ……私も……!」
「あれ、フランドールなんで泣いてるの」

 パチェが無表情で不思議そうに言う。
 私の涙が引っ込む。

「おまっ……お前本当にそういうとこだかんな!?」
「え……レミィどうしたの、私怒られるようなことしたかしら……」
「してるわ! 咲夜言ってやれお前!」
「パチュリー様は本当に最低なお方ですわ」
「よかった……パチュリー様が別人になってしまったのかと……よよよ」
「小悪魔お前はお前で泣くタイミングおかしいからね?」

 嘘泣きする小悪魔に私はツッコミを入れる。
 パチェの口元に笑みが浮かんだのを私は見逃さなかった。

 ああ、さすが私の親友だ。
 私もそっくりそのまま同じことを考えていた。

 どうせ愛していても、憎んでいてもこの関係はきっと永遠に変わらないのだから。
 なら、思い詰めるほど愛すより、憎み合うより、適当に言葉遊びをして笑ってるのが一番いい。
 さっきの尊い話も、親友にとっては言葉遊びに過ぎないのだから。

 妹が、緩む口元を押さえながら涙を拭く。
 娘のような従者が、親友を半眼で見ながら憎まれ口を叩く。
 その姉のような古株の従者が、なんとか宥めようとする。
 親友を世界で二番目に理解しているその従者が、けらけらと笑って焚きつける。
 親友はどこ吹く風だ。

 私は笑う。

 こんなの、どうしたって結婚した夫婦同士には見えないな。
 ならば、何に喩えよう。
 夫婦でなくても家族にはなれる。
 たとえば姉妹とか。
 でも、「家族だ」って言っちゃえば、細かい関係性とか愛憎とか全部吹き飛んで、それはもう家族な気がする。
 ああ、私たちはひどく家族だ。
 こんなに愉快な家族はこの世界のどこを探しても見つからないな。

 これからも何気ない日常が、ずっと続く。
 メイドたちが、従者姉妹が、親友とその相棒が、妹が笑う日常がずっとずっと続く。

 私は従者たちと、親友と、妹とひとつの屋根の下に暮らしていて、私たちは毎日くだらなく楽しいことを考えて、笑ったり喧嘩したり賑やかに過ごしている。
 私たちは、家族だ。
 永遠に。
俺もレミフラが混ざりあったハンカチ欲しい
蝉暮せせせ
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コメント



0.100簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
3.100のくた削除
とても良かったです。特にゴーイングマイウェイなパチュリーさんが。
最後の3行に目頭が熱くなりました。
で、他の姉妹は何処に……
4.100名前が無い程度の能力削除
様々な家族愛の形とても良かったです。軽めとは。
5.100南条削除
面白かったです
令和のドタバタラブコメディが新鮮でした
最後はいい感じに大団円でよかったです
6.100めそふ削除
軽め…?何を言ってるんだ、僕は重すぎるストレートを貰いましたよ。
紅魔館というものを本当にしっかりと書き切った事がまず本当に良かったです。家族愛を恋愛感情になんてのは本当にとんでもない発想だと思うんですけど、結局のところ愛というのは複雑な何かがこんがらがって、っていう結論がすでに序盤で結論づけられたものを再確認させるという構成が面白かったなと思います。あとぶっちゃっけ言うと本当に今回いい話っぽくなってるけどレミリアが結構なイカれ具合で、まあ紅魔館の奴らそれを理解してるから許されてるんでしょうけど、本当に愛の重さを暴かれたフランドールが可哀想でならないです。パチュリーがいい感じにまとめてくれたので良い感じに終わりましたけどまじで悪魔だったなあと思います。面白かったです。ありがとうございました。
7.100東ノ目削除
令和の世にニコニコ動画黄金期頃の空気感を再現するとこうなるんだなあと思いました。特に黒幕ムーブメントしつつも一方でレミリアに振り回される双方向困ったちゃんな紫とか。越えてはいけない一線は踏みとどまりつつ却ってその理性が一種の狂気を生み出しているのが面白かったです