畜生界に埴輪のアイドルが殴り込みをかけてきてから早幾年。
偶像崇拝などくだらない。そう吐き捨て、地上の人間まで巻き込んでの全面戦争を起こした事もすっかり昔の話となった。
畜生界は変わったのだ。気付いたとも言う。馬鹿にしていたアイドル信仰、結局それは自分達が己の組長を慕う姿と何ら変わらないのではないかと。
最近地上では歌う馬が流行ってるらしいと聞いて、カリスマ溢れる一匹の馬霊が真似したのがきっかけであった。
溜まりに溜まった欲望やストレスのはけ口として、畜生界に爆発的なアイドルブームが吹き荒れたのだ。
『黄泉平坂49の新曲発表されたな……』
『マジかよ、オレもう推しに貢ぎすぎて破産寸前なんだけど……』
『ハア? 闇金のブラックリストに載ってからが本番だが?』
まさしく地獄のような会話が聞こえる中、畜生達を集めて結成されたグループが今日も、畜生メトロポリスの一画に陣取って踊り歌う。
カワウソやらラッコやらビーバーやら、愛くるしい見た目の水生生物で結成されたユニットだが、センターに立つ人物はガラッとタイプが変わっていた。
それは霊長類で、自称孫悟空の生まれ変わり。その実力からいきなり鬼傑組の幹部に抜擢された大物だった。名を孫美天という。
「みなさーん! 今日も私達の歌を聞いてくれてありがとうございまーす!」
──ウォォッホォオオオオオン!
美天の呼びかけに応えておそらくゴリラとかだと思われる野太い歓声が上がる。
元気でフレッシュな感じが良いと、デビューから早々に畜生界のアイドルカースト上位へと君臨した。死んでる奴らがフレッシュを持て囃すのかよ、等と突っ込むのは野暮だ。
『握手は新曲の円盤を買ったモン限定で弐秒だ。時間超過したら、その手指は全部詰めてもらう』
『俺、この日のために1週間手を洗わないで来た』
『いや順番逆だろボケ』
『臭えんだよ。無間地獄に落ちろ』
とんでもなくやり方の汚い握手会でも滞りなく大行列が形成され、そしてあっという間に金が積まれていく。畜生が集う畜生界であるから皆の心は荒んでいた。そんなメンタルにアイドルはオアシスのようなものだ。
「ご苦労様。今日も実入りは好調のようね」
「あ、はい! この通り怖いくらい絶好調です!」
今日のステージをやり終えた畜生アイドルに、サングラス姿の人物が声をかけた。
プロデューサー、ではなく意外と形から入るタイプだった吉弔八千慧。何を隠そう美天を従える鬼傑組の組長その人だ。
「やっぱりお前をセンターにして正解だったわ。オリコンチャートも1位を狙えそうよ」
「鬼傑組の為に、これからもがっぽりファンを獲得していきましょう!」
なぜ、亀の見た目通りお堅いイメージの八千慧が幹部をアイドル売りしているのか。それは最早言うまでもないだろう。
アイドルは、良いシノギになるのだ。
そしてその有用性は、鬼傑組以外の極道集団でも共通認識になっていた。
「ウォオオオオン! 次はお前達の番だぞ、どんどん来い!」
「しゃあっ! お願いしゃーす!」
『今殴り合えるアイドル』のキャッチフレーズで脳筋の畜生から絶大な支持を誇る、パッション系のアイドル。こちらも歌の売り上げに加え、殴り合いでアイドルを傷付けた慰謝料込みでがっぽり儲けている。
センターを務めているのはロリババア系ケルベロスの属性で売り出されている三頭慧ノ子だ。つまりプロデュースしているのは当然、あの馬である。
「驪駒様、やっぱり私をロリキャラで売るのは無理があるんじゃないかなと……」
「いいや、お前は可愛い! だから自信を持っていけ!」
馬鹿みたいに声を張り上げるのは勁牙組の長である黒天馬、驪駒早鬼。かつてスパイだったとはいえ慧ノ子も勁牙の一員だ。だから彼女は早鬼の言う事を聞いてあげなくてはいけない。それに、口では恥ずかしがっているが実は本人もまんざらでもないらしい。
では、畜生界で有力な極道組織の残り一つ。それは饕餮尤魔の剛欲同盟なのは言うまでもない。
そしてご多分に漏れず彼女らもアイドルを売り出しているわけだが、独占する石油で稼いだ金を惜しみなく注ぎ込んだアイドルの人気は果たしてどうなるか。それも最早言うまでもないであろう。
「だめっすね~、だめだ~、だ~め~っすよ~」
ダメダメだったのである。
「ちやり、お前さあ……」
「だーかーらー、私は最初から同盟長自ら歌えば良いって言ったんすよ」
同盟本部の会議室に呼ばれた天火人ちやり。オオワシ霊を始めとした幹部が並ぶ奥には、尤魔があぐらをかいて陣取るゴテゴテした机がある。そこに積み上がっていたのは、ちやりの姿が印刷された円盤の売れ残り。さあ、反省会の始まりである。
「自分で言うのもなんすけど、ぼさぼさの髪にだるだるのシャツですよ。こんなアイドルなんて絶対にニッチ路線じゃん」
「これがニッチとか、この良さが分からねえのかバカ畜生共め」
そう思うのは悪食の饕餮と他の僅かだけという事だ。実際、純情系の美天や肉弾系の慧ノ子などのファンに比べ、少数派のちやりファンは全体的に暗いというかニチャっとしている。
「もこもこだし、ニッコリ笑うと可愛いし、私は同盟長の方が圧倒的にアイドル向きだと思う」
「そんなの言うまでもなく当たり前だろ。そうじゃなくて……」
と言いつつ尤魔の大口はニヤニヤのユルユルになっていた。いつも怖がられているせいか、案外素直に褒められるのに弱いらしい。
「とにかく私がやるのはダメだ。長がそんなキャピキャピしてたら剛欲同盟のブランドに関わる」
「何がブランドっすか。こんな協調性の無い饕餮大好き集団にそんなもん無いっすよ」
「なんだとぉ……」
『お前、禁句を……』
『饕餮様が愛らしいのは当然だが……』
言い返そうにも、尤魔始め配下一同に良い言葉は思い付かなかった。ほぼ尤魔の強さと魅力だけで成り立っているのが剛欲同盟。言い換えればアイドル性である。
「……バカの驪駒はともかく、まだ吉弔は自ら出てきてないんだ。私がやるとしたらその時。分かったか?」
「はあ、約束ですよ」
『オォオオオオオ……!』
その時はフリフリの衣装で踊る事が確定してしまった饕餮尤魔。同盟員からも驚愕と歓喜の声が上がる。身から出た錆だが、頭脳派のはずの吉弔も案外挑発に乗るタイプなのでその日も遠くないかもしれない。尤魔は軽く頭を抱えた。
「あー……何はともあれ、テコ入れが必要だ。私は何としてもちやりをトップアイドルの座に押し上げたい。皆の忌憚の無い意見を聞かせてくれ」
「は~い、私はそんな器じゃないと思いま~す」
「いいや、お前は私を刻むに相応しい鼎だ!」
「そうすか……」
あえてここで言及しておくが、こんなだらしなく、テンカジンだかチュパカブラだか分からない吸血妖怪を尤魔が重用する理由は、単純にちやりが大のお気に入りだからである。
逆にちやりが無茶振りされても尤魔から離れないのもそういう事だ。一緒に居て全く気疲れしない。相性が良いのだ。
そして何より、ちやりは強い。寝間着みたいな服装で出歩いているくせに、弾幕勝負では反則的に。
『提案がございます』
「よし、偉いぞ。言ってみろ」
オオワシの一匹がばさばさと羽を広げた。そのかぎ爪には尤魔命の文字が彫られている、愛の重い個体だ。
『チュパカブラとはUMAとも呼ばれる奴ですな? 宇宙人系の不思議ちゃんキャラで行くのはどうでしょう』
「不思議ちゃんって、例えばどういうのだ?」
『そうですな、例えば……』
一度目を閉じて考え込んでいたオオワシが、パチリと開眼した。
『チリン星から来たちやりんです☆とか』
会議室の各所から風船の空気が抜けるような音が漏れ出した。
「無理っす。きついっす。勘弁してほしいっす」
ちやりも首と手をぶんぶんと横に振る。当然である。
「あー、せっかくの提案だが本人もこう言っている。チリン星は爆破しておこう」
『元は群馬県民ですしなあ……』
オオワシはすっと小さな霊魂の姿に戻った。
『はい、良いでしょうか』
続いて少年姿の子羊霊が手を挙げる。見た目こそ幼いが、かつては尤魔不在時の代理を務めた事もある切れ者だ。現在は女性ファン層獲得の為に少年アイドルとして売り出し中。(羊のメリー氏プロデュース)
『やっぱりウチの精鋭メンバーと一緒に箱売りすべきじゃないかと……』
『賛成』
『ちやりちゃん一本押しはな……』
他の動物霊達も首を縦に振った。メンバーを増やせば、ちやりを好きじゃなくても他の人物が好きだからでそのアイドルグループを応援する。増やせば増やすほど有利だ。
さらに、同じグループを応援している同士でも、愛の深さを競って金をつぎ込んでくれたりする。アイドルファンが信者どころか愚民と呼ばれても致し方無い理由の一つだ。
『NTR系で売り出してるカッコウのグループがいましたよね? アレと一緒はどうですか?』
「んー……言いたい事は分かるんだが、トリ娘ってそんなグッと来るか?」
『来ますよ!』
『饕餮様は偶蹄目だから分からんのです!』
オオワシ達がキーッと声を荒げるが、しかし尤魔の考えも無理からぬ事である。霊長類の世界では船やサバンナ動物や馬の美少女が流行っていたようだが、彼らが発情していたのもそれが人の形をした別物だからに他ならない。原型に欲情していたら異常者だ。
豆知識であるが、カッコウというのは托卵で有名な鳥類であり、カッコルドという単語が寝取られのスラングでもあったりする。閑話休題。
「んー、うむ。新ユニット結成はまあ良いだろう。だが既存のグループはダメだ。ちやりがバーターっぽい」
「ぽいって言うか、完全に異物混入っすよ」
「よせや、入って日は浅いが私はお前を異物だなんて思ってないぞ」
「へえ、そりゃどうも」
尤魔とちやりは揃って「でへへ」と不気味に微笑んだ。他の畜生達は何だこいつらと口を真一文字に結ぶ。
『えー……つまり完全な新人となら組ませても良いと。誰か、候補は』
会議室はシンと静まり返った。同盟員で目ぼしい者は既にデビュー済み。アイドルと言えばヤクザ仕事と自嘲する事もあるが、残っているのは正真正銘のヤクザだけだ。
『となると、在野から探す事になりますね。この中で人材発掘が得意な方は……』
「……ま、私だろうな」
掘ると言えば彼女である。子羊の声を受けて、尤魔はやれやれと体を前に倒した。
石油を巡るゴタゴタに加え、地上侵略の際にも何人か面識が増えた。畜生界で最も地上との繋がりがあるのは間違いなく尤魔になる。他の畜生霊達が行くより同盟長自らの方が交渉も順調だろう。
「何人か候補は思い浮かぶし、声を掛けてみるか。ちやりも異存はないな?」
「私にそこまで苦労を注ぎ込む価値は無いと思うんだけどな~……」
「あるんだよ。それにお前、自分で大人気の吸血妖怪だって言ってたろうが!」
「そりゃ吸血妖怪カテゴリ内であって、歌って踊るならサルとかネコの方が適任だと」
「いいから行くぞ!」
いつの間にかちやりも一緒が決まっていたらしく、オオワシ達が見送る中を引きずられるように出て行った。
アイドル候補と言ってもちやりと組ませる以上、並べた時の見栄えが良くて気が合う方が良い。よってまずは近い所から手を付けようという事で、二匹の畜生は一路、旧地獄の洋館へと足を向けるのであった。
「いやー、確かにあたいならトップアイドルも夢じゃないと思うんだけど、さとり様の介……お世話も大変だからさー」
その猫はまんざらでもない顔で照れ臭そうに答えた。
旧地獄の管理役である古明地さとりの飼い猫にして火車、お燐こと火焔猫燐。猫らしく自由奔放な彼女は、地獄と地上の両方に顔が通っている。勿論ちやりとも旧知の仲だ。
だとしても、いきなりアイドルにスカウトされて了承する者などめったに居ないだろう。よって取り引きとして、尤魔は顔を近付けてにこやかにこう言った。
「それはつまり……さとりが居なくなればやってもいいって事か?」
「……え⁉」
「饕餮、ストップ。あんま笑えないっす」
「ピクリとも笑えないよ!」
お燐は尻尾をぴんと伸ばしてフギーッと牙を向いた。どうやら冗談だったらしいが、尤魔ら極道集団ならばやっても全然不思議ではない。
「すまんすまん」
尤魔はへらへらと半笑いで縁石に腰掛ける。スカートが捲れるが最凶の同盟長はそんな事も気にしない。むしろ見られたら金か体で払わせるだけだ。
「だがな、お前一匹アイドルやって困るほどさとりもヤワじゃないだろうよ。現にお燐だってほっぽり出して地上で寝てるだろ」
「あれはー、別に寝に行ってるわけじゃなくてー、死体集めが疲れるから休憩をしてるだけでー」
「こまっちゃんみたいな事言ってら」
「失礼な! そこまで酷くないよ!」
ちなみにこまっちゃんとは小野塚小町こと地獄のサボり魔だ。ぐうたら仲間でちやりとも知り合いではある。
そして、居ない所で勝手にディスられていた当の小町はというと、三途の河川敷で舟を漕ぎながら大きなくしゃみを飛ばしていた。
「……って言うかさー、肝心のちやりちゃんにやる気が感じられないんだけど、本当にアイドルグループやりたいわけ?」
「やー、私はアイドルなんて似合わないと思うんだけど、饕餮の期待には応えてあげようかなーって」
ちやりはそう言いながらぼりぼりと腹を掻いていた。
「ぶっちゃけるな馬鹿野郎。私が情けない感じになるだろ」
「……友達想いだねえ」
実際には汚い金稼ぎ目当てで美談でも何でもないわけだが、ここは地獄である。生前に虫一匹助けてやればお釈迦様も蜘蛛の糸を垂らしてくれるぐらい、善や思いやりが高く評価されるのだ。
「地獄の窯の管理はおろそかに出来ないよ?」
「分かってるさ。どうしてもって時は暇してるウチの者に手伝わせてもいい」
「お給料とか出る?」
「出すさ。ウチはオイルマネーで潤ってるからな。人気も加味して確かな額を約束しよう」
お燐は、猫耳をぴくぴくさせながらしばし考え込んだ。
彼女が自由に使えるお金はさとりにおねだりして貰えるお小遣いのみ。自分で稼げればおやつの魚も運搬用の新車も買いたい放題になる。
一番の問題は剛欲同盟とがっつり関わってしまう事だが、尤魔は欲を吸収しすぎて暴走状態にならない限り、畜生界ではまともに交渉できる部類だ。無駄に古明地家と敵対するような真似はしまい、とお燐の中で考えが纏まった。
「まあ、あたいの家はここだからさ、そんな頻繁に畜生界まで行けないけどそれでも良いなら」
「おお……! ありがたい、感謝する」
尤魔がお燐の手を取ってがっちりと握りしめる。火車だけあって燃えるような熱さだが、四凶とも称された怪物はそれぐらい物ともしない。ただ情熱のように感じ取るだけだ。
「お燐ちゃんは俊敏だからきっとダンスのキレも良いっすよ。それに猫娘は畜生界にも直球どストライクのはず」
「あとは歌唱力だな。試しにちょっと歌ってみてくれるか? ドレミファソラシドでいいから」
「えー、あんまり自信無いけどしょうがないなー。ちょっとだけだよ?」
口ではちょっとと言った割に、お燐はまんざらでもない顔ですうっと大きく息を吸い込んだ。
「どぅ~……れぇ~……みぃ~……!」
それは、ボール球を通り越してヘルメットに直撃の超絶危険球だった。
「……じゃあ私はさとりにも話を通しておくから、お燐は全体の構成が固まるまで好きにしていてくれ」
「オッケー。その時を楽しみにしてるよ」
お燐はひらひらと手を振って尤魔とちやりに別れを告げた。二人の笑顔が引き攣っていたとは気付かぬままに。
「……饕餮、そっちは正門だぞ」
足早に歩く尤魔をちやりが呼び止める。地霊殿まで来たのだから、このままさとりにも会う方が手間が無いに決まっている。尤魔が方向音痴でないのに、明後日の方向に向かう理由を察しつつもだ。
「ちやり……お前って結構歌は上手かったんだな」
「やめよう、お燐ちゃんがかわいそう」
そう言うちやりもあの時は「ふぁっ⁉」と驚きの声を上げそうになるのを堪えていた。ドの音のつもりでお燐が奇声を発した時だ。
「一応、さりげなくお歌の練習をさせるように言ってみるか」
「そうそう。帰りたくなる気持ちは分かるけど、流石に挨拶無しは仁義にもとるってやつだぞ」
「お前にそんな事を言われちまうとはなあ……」
人はあまりにも動揺すると非合理的な行動を取ってしまうもの。欲で埋め尽くされた尤魔の心も、読経のような歌声に魔が退散していたようである。尤魔は重い足取りで地霊殿の中に向けて反転した。
人間社会だって、歌がド下手なのに国民的アイドルのリーダーを務めた者がいるらしい。顔とダンスが良ければまあ何とかごまかせるだろう。そう思っておく事にする。
お燐以外にも候補はまだまだ思い浮かぶ。さとりへの顔見せはほどほどに、尤魔達は次なる候補が居そうな場所に向かって地獄巡りを再開するのであった。
「……水蜜も、反応は上々っと。やっぱ仏道修行なんてあいつには合ってないんだよな」
「お前というアイドル沼に沈めてやるんだよ、の一言がクリティカルヒットだったっすねー。そりゃ落ちますよ」
ちやりと同じく血の池愛好家の一人でもあるキャプテンムラサこと、村紗水蜜。
寺で般若心経ばっかり歌う生活じゃ不満も溜まっているだろうと、今日もこっそり血の池でぶくぶくと潜水していた彼女に目を付けたのは大正解であった。何かを沈めるか自分が沈んでいないと満たされないのが彼女、船幽霊のどうしようもない本質だ。
最初こそ宗教上の理由で無理だと渋っていた彼女であったが、そもそも住職がハゲにもしない煩悩の塊の破戒僧だろと指摘された挙句、前述の尤魔の一言が効いて見事勧誘に成功したのだった。
「これで三人、アイドルユニットとしては最低限集まったって感じか」
「私とお燐ちゃんとみっちゃんかあ……なんと言うか、じめっとしてますよね」
吸血怪獣に、怨霊を従える猫に、船幽霊。光か闇かで言えば満場一致で闇であろう。それはちやりみたいな感想も出る。
「二人は炎で、水属性なのは水蜜だけなんだがなあ。そのジメジメの原因、だいたいお前じゃねえか?」
「地獄在住なんだからしょうがないじゃないっすか。血の池に住んでる私も水属性みたいなもんだし?」
「畜生界に居てもカラっとした馬鹿の驪駒みたいな奴もいるぞ」
「ごく一部の例外を出して反論すんのやめましょ。私がそんな性格だったら絶対饕餮とは仲良くならなかったでしょー」
「ククッ、確かにな」
ニヤニヤとそんな軽口を叩き合いながらも、尤魔は次の展開を考えていた。
三人組で有名なアイドルユニットももちろん居るが、箱売りをするなら五人は欲しい。それも美天や慧ノ子のようにおどろおどろしくない女の子が。ちやりがそうなら話は早かったのだが、今更キャラ変など叶うまい。
驪駒のように快活でパワー系の女。ぱっと思い浮かぶのは旧地獄でくすぶっている鬼達である。しかし奴らが畜生の前で媚びた格好を晒すなどプライドが許すまい。
あるいは、お燐の同僚である霊烏路空、通称お空。しかし古明地家から二人など流石に借りを作りすぎだ。それにお空は地底の核融合発電所の要で、その責任者とも尤魔は因縁がある。あまりにも面倒で却下。
そうなると、やはり地獄を出て地上にいる妖怪に声を掛けるべきか。
幸いにもこの間の地上侵略争いで何人か既知の相手は出来た。現状どこにも属していなくて簡単に騙せそうな兎もいた気がする。
よし、次の犠牲者は決まったと尤魔が分厚い岩盤を見上げた、そんな折だ。
一匹の猛禽が猛スピードでそこへ飛来したのだった。
『同盟長ッ! お取込み中の所を申し訳ありませんが、急報であります!』
「ハヤブサか。構わん、気にせず話せ」
『ハイ! 恐縮です!』
同盟の中でも特にスピードに優れた鳥類の彼は組織の伝令として重宝されている。そんな彼も、畜生界ですらじわじわと普及しつつある携帯電話に立場を奪われるであろう悲しき存在であるが。
「わざわざここまでハヤブサの兄さんが来るって、相当ヤバい事態じゃないすか?」
『その通りです。実は、あの吉弔八千慧が、同盟長の留守を突きまして……!』
苦労人のプロデューサーをしていた尤魔の顔が、剛欲同盟長・饕餮尤魔へと一瞬で切り替わった
「チィッ、あのドン亀め!」
悪態を吐きつつも、尤魔は自身の失態を素直に悔いていた。
空前のアイドルブームで意識が薄れていたが、所詮我々は暴力でのし上がった集団でしかない。呑気に出歩いて隙を見せれば攻め込んで来るに決まっている。アイドルでなく、武力でだ。
いいや、もしやこのブームですらも、他を堕落させる為に吉弔が仕込んだのではないか。
その考えに至った時、尤魔の頬には一滴の汗が伝っ――。
『自らアイドルデビューしやがりました!』
「…………あ?」
尤魔はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「……あー、すまん。綿毛が耳に詰まったかもしれん。あの鹿フェチの変態が何をどうトチ狂ったって?」
『ハイ、ソロで円盤を出しました』
「何があってそうなったんだよ!」
『申し訳ありませんが内情までは……ですが、これが経費で買った実物になります!』
ハヤブサが翼の裏側から紙袋を取り出した。こんな物に経費を認める気は無いが、今は受け取るしかない。
見たくはなかった。普段は悪口を言いながらも宿敵として認めている相手が、愚民共を相手に媚びた顔を晒している姿など。
しかし、出てしまった以上はとにかく吉弔の無様な姿を確認する他ない。恐る恐る、紙袋の封を切って中身を摘まみ上げる。
「うへえ、こりゃあ……」
背中から覗き込んだちやりが先に驚嘆の声を上げる。尤魔も覚悟を決めて、ゆっくりとパッケージの絵に目を落とした。
そこには、デフォルメされた竜の着ぐるみを纏った鬼傑組の長の姿があった。
「……いや、何なんこれ? 何なん?」
『好きな食べ物を語る歌であります』
「何で着ぐるみなんだよ、って同盟長は言ってるんすよ、兄さん」
『さあ? 搦手が好きな奴の気持ちなんて知りませんので』
おそらく、同様に搦手を好む鬼傑の組員すらも測りかねている事だろう。部外者の尤魔達ではなおさら分かるはずもない。
「饕餮ぅ? それより、あの話だけどー?」
ちやりが、にやけながら尤魔の肩をぽんぽんと叩いた。何故笑っているのかは言うまでもない。組長の誰かがデビューしたら対抗して自分も、と成り行きで言ってしまったからである。
「知らん知らん。流石にこれはノーカンだろ」
「いいのかー? 同盟長が嘘つきじゃあ同盟員もみんなガッカリで忠誠ガタ落ちだぞ?」
「こんなんがアイドル界隈をひっくり返すわけないだろうが! 私が対抗して出張るまでもないわ!」
しかし、コケろと呪詛を送っていた尤魔の切実な願いも空しく、八千慧の歌は流行ってしまう。
ただ歌って踊れる可愛い女の子を集めても、そこはとっくに飽和している。そしてそれだけでは決して狙えない層があったのだ。
それが、低年齢層。ここが最大の見落としだった。
もっとも、地獄に落とされて久しい尤魔達には、ガキにウケようなどという考えなど微塵も浮かぶはずがない。だって畜生界にそんなピュアな心を持った奴が残っているなんて、ヤクザ集団が思うだろうか。
しかし視野をちょっと畜生界の外にも広げれば、三途の川の水子や庭渡神がぞろぞろと引き連れているひよこなど、案外居るのだ。
だからといって肝心のコンテンツが子供騙しでは子供すら騙せないが、時世を読むのにも長けた八千慧はそこをクリアした。イメージに反してわりと幼い顔も出来る、彼女にしか辿り着けない境地であった。
「……いや、イヤだって。マジで勘弁してくれ」
場所は畜生界に戻って同盟本部の会議室。長らしくその奥に鎮座するも、尤魔はどんよりとした顔で縮こまっていた。そこには同盟長の威厳など欠片もない。
「いや、私らも二番煎じで着ぐるみになれとは言ってないって。饕餮には饕餮の魅力があるんだから勿体ないでしょ」
『そうですよ。おバカの驪駒がキャラ変で似たような事して爆死しましたし』
ちやりとオオワシは懸命に尤魔のご機嫌を取っていた。着ぐるみはやらなくていいが、アイドルデビューはさせる気満々なのである。
ちなみに早鬼はデフォルメされたポニーの格好をしてみたが、霊長類すなわち人間霊の中でも獣に性的興奮を覚えるごく一部の層にしか需要が無かったらしい。ちなみのちなみに、馬好きエピソードもある聖徳太子の生まれ変わりは認知もしてくれなかった。
「あのな? 私が歌ったからトップになれるなんて甘い話はないんだぞ? それより途中まで話が進んでたちやり達のグループをな、ちゃんと送り出すのが先だと同盟長的には思うんですが? お燐達にも悪いだろう」
「一回コケた私のリメイクより新作だろー。アイドルも血液も鮮度が大事だぞ」
「……お前みたいに淀んだ血もコクがあって、私は好きだぞ?」
「でへへ……じゃないっすよ。もはや同盟員一同が饕餮の歌う姿を望んでるんです。あそこを見ての通り」
ちやりが指差した先にはホワイトボードがある。それも尤魔の顔がずっと曇り空のままな理由の一つだった。
『饕餮様はアイドルデビューするべきか』
●●●●●するべき●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●
しないべき
●
するべきの方に大量のマグネットが貼りついている。
反対したら他からリンチに遭うから絶対そうなるだろと、尤魔は心中で毒吐いた。唯一しないべきに投票したのは言うまでもなく本人だ。
「……別に吉弔や驪駒みたいにおかしな姿を晒せって言ってるわけじゃないんすよ。私らは同盟長が大好きだから、その魅力を他の連中にも分かってほしいんだよ」
『ちやり殿の言う通りですぞ』
『然り』
聖母のような慈愛に満ちた表情でちやりが説得にかかった。
尤魔はもうとっくに追い込まれている。いるが、この盤面を暴力のみでひっくり返せるのもまた饕餮尤魔なのだ。窮鼠よろしく暴れないように優しく狩らねばならない。
「……一つ、お前達に聞いておきたい」
こうまで逆風の状況では流石の尤魔も諦めモードとなったか、最後の確認として一つだけ問うた。
「私をどの路線でデビューさせる気なんだ?」
「そりゃあ、セクシー系すか?」
『いや、キュート系でしょう』
『クールビューティー系!』
『パッション系!』
『ミステリアス!』
『ロリータ!!』
『お姉さん!!!』
『ママ!!!!』
そして会議室は一瞬にして百鬼夜行の魑魅魍魎と化した。
『……それもこれも、饕餮様が魅力的すぎるのが悪いんですよ!』
羽毛が散乱し、かぎ爪の引っかき傷と紫炎の焦げ跡があちらこちらに。見るも無残な場となった会議室で、子羊霊が逆ギレ気味に吠えた。
『欲を吸収して変幻自在故に、どの御姿も素晴らしいのがここまで裏目に出ますとは……』
オオワシも軍師のような面持ちで腕組みするが、最も暴れていたのは彼である。
「やっぱもう、止めないか? 腹減ってきたんだけど血の池行ってもいい?」
その中で、尤魔がうんざりした顔でおずおずと手を挙げる。
「ダメっす!」
いつもならば「あ、私も~」などとだらだら便乗したであろうちやりが、今回は鬼気迫る表情で尤魔を引き留める。渋る自分をアイドル売りした意趣返しも入っているが、アイドル尤魔を見たい気持ちでは彼女も本物なのだ。
「……この部屋掃除すんの、タスマニアデビルのおばちゃんなんだぞ。とりあえず全員頭を冷やせ」
『うっ』
一同、掃除屋タスマニアデビルの顔を思い浮かべてテンションが三段階ぐらい下がった。あのおばちゃんには日頃から「トイレの乱れは心の乱れ!」などと厳しく叱られているのだ。
「船頭多くして船山に上るだ。誰か一人、私のプロデューサーを選抜してからもう一度討論しろ。アイドルはやる。やってやるから」
『同盟長……!』
ついに自分達の熱い想いが伝わったと感動に震える同盟一同であるが、尤魔には一つの目論見があった。
どうせこいつら、我が強すぎるから誰か一人を代表で選べだなんて、自分の鶴の一声が無ければ決まるはずがない。
そのまま揉めに揉めていい感じに有耶無耶になってくれと願っていたのである。
「はーい、ここは日頃から暇してる自分が引き受けたいと思うんすけどー」
『いや、ちやり殿に饕餮様のスケジュール管理などが出来るとは思えませんな。やはり腹心であるこのオオワシが』
『そんな、オオワシさんはただでさえ激務なんですからここはボクが……』
案の定自分が自分がと主張しだした。このまま揉めてる間にどさくさで抜け出して、血の池地獄の奥深くにでも引き籠っちまえ。そんな事を企んでいた尤魔である。
しかし、願う者あれば、叶える者もあり。
各々の強い願望は、かつての霊長園がそうであったようにまた一人の有力者を引き寄せてしまったのだ。
「じれったいな。その話、私が引き受けよう」
皆が一斉に尤魔の方を振り向いた。何故ならば、その声は確かにそこから響いたからだ。
『まさか、同盟長のセルフプロデュース……!』
「いや待て、ちゃうちゃう。そんなの私は一言も言っとらん。誰だよいきなり変な所から声を出したのは……」
「私だよ」
またも『そこ』から声がする。誰だと尤魔は言ったが、実は彼女も知っていた。こんな不愉快な場所から、人の背中から口出ししてくる奴など、尤魔の知り合いでは一人しかいない。すなわち――。
「おい、ここは部外者立ち入り禁止なんだよ。まして神なんか呼んでねえわ。とっとと自分の国に帰れ帰れ」
「……もうちょっと優しい言い方をしてもいいじゃない。私だってお前とは協定を結んだ仲なのに」
「だーもうめんどくせえ奴だな! 出るならさっさと姿を見せろっての!」
しょんぼりした声が漏れた尤魔の背中に一筋の切れ目が入り、そこから扉が開くかのように光が溢れ出した。
長身で、山吹色のゆったりとした装束に、北斗七星を模した独特な前掛け。子供のような尤魔とは真逆のスタイルを持った人物が、羽化した蝶の如く背中から抜け出てきたのである。
「あ、アンタは……!」
畜生達がざわつく中、ちやりは突如現れた不審者を指差してぷるぷると震えた。
「……ほう、名乗った覚えは無いが私が分かるか。秘神としては知名度があるのも複雑だがね」
「いんや、知らねっすけど」
「あっ、そう」
そのスラリとした体がカクンと折れた。雰囲気に反してノリは良いらしい。
「知らんけど、悩んでるならちゃんと皮膚科行った方が良いすよ。ここにはヤブ医者しかいないけど」
「……もしかして、皮疹と勘違いしてる?」
「ああすまん、この珍獣は放っておいて構わんぞ」
尤魔はため息交じりにちやりのおでこを小突いた。
「そんで、マタラ神様がこんな血生臭い地に降り立つとはどういう腹積もりだ。私をプロデュースしてお前に何の得があるってんだよ」
「趣味だよ。何しろ私の本分は芸能の神であるからね」
摩多羅隠岐奈。
多数の信仰要素が習合した神である彼女は、幻想郷を管理する賢者の一人である。もっとも、その実態は童女をバックダンサーにして侍らせたり尤魔に幼女をけしかけたりと、見た目が幼い女とばかり関わるので秘密にしておくのが無難な存在だ。
「お前は知らないだろうが、踊りの振り付け指導から楽器の演奏まで何でも出来るぞ。力を引き出して最適化するのも得意分野だ。そんな私が、部外者の冷静な視点から導こうかと提案しているのだ」
『畜生に神など要らぬわ! 同盟長は寛大なお方だから許されているが、お前も霊長園に居座る偶像と同じの……!』
「ククク、よく言ったよ」
尤魔は、神にも怯まず啖呵を切ったオオワシを褒めつつも、片手でその口元を制して止めた。
「だが石油絡みで私の関係者なのは本当でな。とりあえず話はさせてやろうじゃねえか」
「長の賢明な判断に感謝する、とは言っても最初に言った通りだがね。どうする、私にプロデュースを任せてみるか?」
「畏れも得られないのに神が無償で何かをするもんかよ。本当に趣味だけかって聞いてんだ」
「その通りだ。お前という素材に無限の可能性を感じて芸能の神の血が騒ぐ。それに、友が困っているのを見かねてな」
友人になった覚えは無いが、と尤魔が言う前に、隠岐奈が顔を近付けて、その尖がった耳にこっそりと耳打ちをした。
(お前の部下に任せていたら、水着にエプロン着て、眼鏡とランドセルで歌う事になるわよ)
「ぐっ……」
んなわけあるかロリコン、と一蹴出来ない。セクシーだのクールだのロリだのママだの、同盟全員の欲望を盛り込んでいけば属性マシマシのキメラとなるだろう。所詮、彼らは畜生なのである。
「……なら聞くぜ。お前は私をどう売り出す気だ?」
「何も考えていない。こんな事に知恵を絞る必要は無いのでな」
「あー? 饕餮、こいつ私よりやる気無いすよ。もうこんなの無視してやっぱりセクシー系で……」
「ちやり、お口チャック」
尤魔は摘まんだ形の手をイーっとした口の前で横に薙いだ。ちやりも釣られて口を閉じる。
自分を扇情的な格好で歌わせる気満々のチュパカブラよりも、悲しい事に部外者のねっとりした神の方がマシであった。
そもそも、尤魔がずっとアイドルを渋っていた理由は、最凶の獣だと自負している自分が他の畜生に媚びるなんてプライドが許さないからだ。それもおかしなキャラ付けで己を捻じ曲げてまで。
「何も考えるな、絞って出すもんはない、か。剛欲の化身であるこの私にそれを望むかよ」
「とある鳥の神もこのような言葉を遺している。空っぽの方が夢を詰め込める、とな」
「そんな神は知らんが……良いだろう、お前に任せる」
『えええーっ⁉』
あまりの展開もオオワシ達も次々と墜落していった。とっくに死んでいるが、このまま昇天しそうにぴくぴくと悶えている。
「騒ぐな! 逆に自分達の何が悪かったか次までに考えとけ!」
「饕餮ぅ……プロデュースはダメでもせめて逆バニーだけは」
「ちやり、お前減給な」
要するに、隠岐奈の狙いは八千慧と逆であった。ピュアな子供向けに狙いを定めた相手に対し、アイドル本人がとことんピュアな子供っぽさを押し出す事で(見た目だけ)同世代からお年寄りまで幅広い層を狙ったのである。
そうは言っても、いくら子供っぽく歌ってもあの極悪凶獣の饕餮じゃん、という声はもちろんあった。しかし、それに最も戦慄していたのは他でもない宿敵だったのだ。
「剛欲同盟、いや尤魔……まさか自身の魅力をここまで理解していたとはね」
「吉弔様、饕餮の魅力って……?」
「あいつはね……」
八千慧は満面の笑顔を浮かべる尤魔のポスターを前に、拳をぶるぶると震わせながら美天の質問に答えた。
「穏やかに笑ってる時の顔が一番面白いのよ!」
敵なのに、それをしっかり魅力だと思っている吉弔様も難儀だなあ、と美天は思った。
ともあれ、尤魔がご飯をモリモリ食べる歌もまた、畜生界を越えて地獄全体に浸透する大ヒットを記録した。
当の尤魔本人は、完全に孫か愛玩動物かのように可愛がられる自分に若干不満気味のようだが、行く先々で食べ物を貰えるのでまあ良しとするかとなったようである。
「まあね、私は初めから饕餮にはここまでのポテンシャルがあると信じてたんすよ」
ちやりが何もしていないのにふんぞり返っていたので、尤魔はそれを押し戻すように背中によじ登って体重をかけた。
「それな、本当は私がお前に言いたかった台詞だぞ。ま、今回ばかりは隠岐奈の野郎にも感謝しといてやるか」
その隠岐奈はというと、童心のままに愛らしく歌う尤魔を見届け、満ち足りた顔ですーっと消えていった。本当に幼女趣味だけでプロデュースを名乗り出ていたらしい。
子供アイドルとして大ブレイクを遂げた尤魔。その人気を証明するかのように、愛用する血の染みた机の上には大量のファンレターと菓子類が積み上がっている。尤魔はその中からチョコレート菓子を摘まんで二つに割り、半分をちやりの口に咥えさせた。
「ゴチっす。まあでも、結局はヤクザなんですよね。いくら可愛い子供の姿をしてたって」
「へん、子役なんてそんなもんだろ」
手についたチョコレートをべろんべろんと舐める姿は子供そのものだが、尤魔の不気味な笑みは無邪気とかけ離れたものであった。
「カメラの前ではぶりっこしてもな、舞台裏では酒と煙草に枕とシャブやってんだよ。っていうかシャブは私らがやらせるんだが」
「言わないでいいっすマジで」
無論、同盟員はもちろん他の組の畜生達も尤魔の本性は重々承知している。しかしコンテンツを楽しんでいる時に中身の性格がどうだとかどんな事件を起こしたとかはノイズ。それぐらいファン側だって分かって騙されてやっているのだ。
「金の代わりに何か大事なものを失った気もするが……これで満を持してお前の新ユニットに注ぎ込めるってもんだぜ」
「げー。まだそれ諦めてなかったんすかあ。お燐ちゃんもみっちゃんも、もう忘れてる頃じゃん?」
「やるって言ったらやるんだよ。うちは欲張りだが嘘つきの集まりじゃねえんだぞ」
「饕餮も妙に律儀っすよね」
そう言うちやりだって、分かってはいる。尤魔が何だかんだ義理堅いからこそ剛欲同盟は成り立つのだと。
親分として、尤魔は成功も失敗も全部飲み込んでくれる。だから各々は好き勝手に活動し、その結果がどうであれ必ず尤魔の所に届けに来るのだ。
「あのな、この剛欲の私が、お前になら金を惜しまないと言ってんだ。その有難みを少しでも理解して欲しいもんだぜ」
「してますよ。だからこんな私が饕餮の下に居続けているわけでしょ」
二人はまたも、まさに悪の組織の幹部そのものにぐふふと不吉な笑い声を上げた。雰囲気こそどろどろしているが、要は好きだから散財するし好きだから崇めている、互いに互いをアイドルと思っているだけなのだ。
「さあて、そんじゃあまずお燐から迎えに行くとするか。歌も少しは上達してるといいんだが」
「それなんですけど、最近の旧地獄ではお経のような不気味な歌が問題になってるらしいっすよ」
「うん……急いで回収するか。最悪喋り担当だけにするって手も……」
と、自分のせいで旧地獄の怨霊達が祓われそうになって、流石に尤魔も責任を感じていた時であった。
『同盟長ォッッッッ!』
風を切り裂くような声と羽音が鳴り、部屋に弾丸が突っ込んできた。それは先も八千慧の痴態を届けに来た伝令役のハヤブサ霊だ。
「その顔、相当の緊急事態か。何があった」
『ハイ! 最近静かだった埴輪軍団ですが……!』
「むむむ、来ちゃったんすかあ……」
そう、畜生達もあえて見ないフリをしていたが、そもそも畜生界でアイドル、いや偶像崇拝という概念が生まれた大本は霊長園の埴安神だ。
救いを求める人間霊が埴安神袿姫を呼び寄せ、彼女が作り出したアイドルに畜生達はほぼ完敗したのである。
そんな奴らがついに、アイドルの本領は我々であると動きだした。動いたからには、敵である畜生の誰もが目を奪われる完璧で究極の埴輪がデビューするに違いないと覚悟を――。
『……普通に戦争を仕掛けてきましたぁッッ!』
「いやそっちかいッ!」
尤魔も思わずノリツッコミしてしまったが、本当に普通に緊急事態だった。
しかし、よく考えなくてもそうである。畜生達には敵視されているのだから、埴輪のアイドルなんて売り込んで来るわけがない。戦闘員がファン活動にかまけて堕落しきった今こそ最高の攻め時に決まっていた。
『既にウチのシマも攻撃を受けています! とりあえず若い衆を足止めで向かわせてますが、同盟長も精鋭を連れて直ちに援軍をッ!』
もはやアイドルとか言ってる場合ではない。これまでの計画も全てぶち壊しだ。
「もうカチ合ってんじゃ、行くしかないじゃねえか。あー……めんどくせえ」
されど、そう溢す尤魔の顔にはにんまりと邪悪な笑みが浮かんでいた。
「……だが、やっぱ畜生界なんてこういうもんだよなあ! ちやり、お前も来い!」
「ういーす!」
アイドルなんて箸休めの気分転換に過ぎなかった。畜生達が求めているのはやはり闘争なのだ。
霊体ゆえに心無い無機物に一方的にやられるだけだったあの頃と違い、今の組織には生身の妖怪がいる。最凶の尤魔が信頼する最強の吸血妖怪が。
そして埴輪側だって、それを承知で攻めてくる以上はさらなる強化を施されているのだろう。より人の心無く、より数を増やして。
「埴輪になれば助かるのに……」
阿鼻叫喚の最前線で無表情にそう呟いていたのは、土と水で作ったボディの一部を鋼鉄に換装し、戦闘能力がますます向上した埴輪兵長の杖刀偶磨弓。
鬼傑・勁牙・剛欲、それぞれの尖兵が徒党を組んで牽制してくるが意に介さず。まさにロボットが如く無慈悲に剣を薙ぎ払い、目からはレーザーを放ち、畜生達を『救済』していく。
「そこまでよ!」
「私の新曲の準備中に……本当に無機体というのは空気が読めないようだな!」
「全くだぜ。さっさと終わらせて有機の液体を浴びたいもんだ」
そこに立ちはだかりしは八千慧・早鬼・尤魔、三人の長。お互いが恥ずかしい格好をしていた事も今は忘れ、揃って暴力的な獣の眼をぎらつかせている。後ろにはもちろんそれぞれの信頼する部下も一緒だ。
「埴輪の兵長よ、貴様が我々の天敵な事は百も承知だぜ。だが有機体全ての力を得た私と他の……まあまあ強い奴らを前にして、兵長一人の指揮でどこまで頑張れるかな?」
啖呵を切る尤魔に機械的に目を向けた磨弓は、創造主のコマンドに従って笑いの表情を作った。
「確かにそうかもしれないわね。そう、私一人ならば」
「……ッ!」
長の三人は瞬時に意味を察した。創造主を気取るあの邪神ならば、磨弓と同等の偶像だって時間をかければ造れるはず。そして時間ならば十分すぎるほど与えてしまった。やはり控えているのだ、これ以上の戦力が。
「畜生のアイドルなんて獣の遠吠えにしか聞こえなかったけど……一つだけ気付きを得られたわ。そこは感謝してあげようねえ」
いや、違う。
立ち並ぶビル群の喧騒の中でも不思議と響く声。畜生達はより深く、爪を、牙を剥き出した。霊長園に引きこもってめったに会わないが忘れるはずもない。畜生界共通の最大の敵の声だけは。
埴安神袿姫が、立っている。磨弓の後ろ、ビルの屋上に、地獄の人工太陽を逆光で浴びながら。
「……愚かね。総大将がのこのこ敵地のど真ん中に出てくるなんて!」
八千慧は臆さず袿姫を指差して勝ち誇った。埴輪では霊体の自分達と相性が悪いが、信仰というスピリットに強く依存する神ならば話は別だ。何しろ、以前も助っ人の人間を餌に釣り出して袋叩きで勝利を収めたのだから。
「ノコノコは亀のお前でしょう。それに、勘違いしているわ。総大将はリーダーの磨弓で、今回の私は裏方に過ぎない」
「何ですって……!」
「今時のアイドルはやはり、数の時代という事よ」
袿姫の後ろから、一体の埴輪が現れた。それを皮切りに、ビルの影から一体。看板の裏からも一体。空から、窓から、マンホールから。あらゆる場所から磨弓と同じ、兵長の鎧を纏った埴輪が続々と出現する。
袿姫の拘りなのだろうか、髪形や髪色、体系が被っているものは一体も無い。あらゆるニーズに応えるつもりで造ったのだ。
その数、少なく見積もっても、およそ百。
一体でも組長を手こずらせる強さの磨弓が、百体以上だ。
「つ、造れば良いってものではないだろバカめ!」
「お馬さんに馬鹿って言われるとは光栄ね。お返しに、覆しようのない事実を教えてあげる。勝てないのよ、バカには」
例えば野球バカに将棋バカ。前代未聞の記録を打ち立てるのはいつだって、その分野にひたすら情熱を燃やし続けた大馬鹿者だ。
これでは、三人のユニットを組んで良しとしていた尤魔も怠慢と言わざるを得ない。磨弓一体だけでも強いのに、それで満足せず何十も造り続けた袿姫との差が如実に表れていた。
「尤魔……あれ、全部食べられる?」
「ああ? 早鬼の馬鹿が伝染したかお前は。あんなん食ったら私がおかしくなるわ!」
「心配するな。お前がアイドル病でも発症したら、私が責任を取ってトップアイドルに導いてやる」
「そういう話じゃねえんだよテメエらはァ~ッ!」
しかし他の組長らが促すように、この戦局の打開には尤魔が神獣と化してあの埴輪を全て平らげるしかないだろう。尤魔が吸収したものに影響を受けてしまう体質を、今度こそフリフリでスケスケの衣装を着せられてしまうのを承知の上でだ。
「饕餮ぅ……石油なら、持ってきてるんだけどさあ」
「ちやり、お前もかよ……」
ちやりが尤魔の後ろからおずおずと、回復用に持って来ていた赤いポリタンクを見せた。
石油と言ったが地獄の物はただの石油にあらず。あらゆる生き物の記憶や怨恨が蓄積されてどす黒く変色した血液なのだ。
これを飲み干せば、確かに尤魔は無敵の姿になれる。ただし了承すれば埴輪も食わされる事は確定だ。はたして、尤魔の決断は――。
「ちくしょうめえ! 埴輪だけじゃなく、お前ら纏めて腹の中に収めてやらあーッ!」
「総員、戦闘準備ー!」
「磨弓、埴輪アイドルの団結力を見せてやりなさい!」
尤魔ががっちりとポリタンクを持ち上げた。それを見て畜生と埴輪達も敵に向けて飛び掛かる。
ほんの少しアイドルが流行ったところで、やはりここは卑劣な策略と暴力をもって治められる畜生界だ。こうやってどったんばったん大騒ぎするのが一番性に合っている。
あるべき姿に戻った獣達は、己の縄張りを守るべくけたたましい咆哮を上げるのであった。
一方、その頃。
「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー……」
「うん、良いねえお燐ちゃん! 尼の才能あるよ!」
「えへへ、そうかなあ。でもさとり様の介護……じゃなくてお世話があるから出家するわけにはいかないなあ」
お燐と、水蜜。共に尤魔に声をかけられたアイドル候補生達だ。
現在はデビューに備えて熱心にボイストレーニングの真っ最中である。が、明らかに方向性を間違えていた。
お燐は元々声の伸びは良い。音程が壊滅的なのである。そこに寺住まいの水蜜が、声を鍛えるには読経と余計なアドバイスをしてしまった為に、旧地獄は極楽浄土となっていた。
「……それにしても、饕餮のヤツ全然迎えに来ないね。もしかして忘れられてたりして」
「まっさか~! あの執念深い羊に限ってそんな事ないって! きっと食べ過ぎで寝てるだけだよ」
まさに埴輪の食べ過ぎで、尤魔が性癖詰め合わせセットみたいな事になっているとは思うまい。
尤魔が正気に戻るまでの間、お燐はひたすら旧地獄の怨霊にお経をお届けし続け、危うく主である反則探偵の仕事まで打ち切りにするところであった。
偶像崇拝などくだらない。そう吐き捨て、地上の人間まで巻き込んでの全面戦争を起こした事もすっかり昔の話となった。
畜生界は変わったのだ。気付いたとも言う。馬鹿にしていたアイドル信仰、結局それは自分達が己の組長を慕う姿と何ら変わらないのではないかと。
最近地上では歌う馬が流行ってるらしいと聞いて、カリスマ溢れる一匹の馬霊が真似したのがきっかけであった。
溜まりに溜まった欲望やストレスのはけ口として、畜生界に爆発的なアイドルブームが吹き荒れたのだ。
『黄泉平坂49の新曲発表されたな……』
『マジかよ、オレもう推しに貢ぎすぎて破産寸前なんだけど……』
『ハア? 闇金のブラックリストに載ってからが本番だが?』
まさしく地獄のような会話が聞こえる中、畜生達を集めて結成されたグループが今日も、畜生メトロポリスの一画に陣取って踊り歌う。
カワウソやらラッコやらビーバーやら、愛くるしい見た目の水生生物で結成されたユニットだが、センターに立つ人物はガラッとタイプが変わっていた。
それは霊長類で、自称孫悟空の生まれ変わり。その実力からいきなり鬼傑組の幹部に抜擢された大物だった。名を孫美天という。
「みなさーん! 今日も私達の歌を聞いてくれてありがとうございまーす!」
──ウォォッホォオオオオオン!
美天の呼びかけに応えておそらくゴリラとかだと思われる野太い歓声が上がる。
元気でフレッシュな感じが良いと、デビューから早々に畜生界のアイドルカースト上位へと君臨した。死んでる奴らがフレッシュを持て囃すのかよ、等と突っ込むのは野暮だ。
『握手は新曲の円盤を買ったモン限定で弐秒だ。時間超過したら、その手指は全部詰めてもらう』
『俺、この日のために1週間手を洗わないで来た』
『いや順番逆だろボケ』
『臭えんだよ。無間地獄に落ちろ』
とんでもなくやり方の汚い握手会でも滞りなく大行列が形成され、そしてあっという間に金が積まれていく。畜生が集う畜生界であるから皆の心は荒んでいた。そんなメンタルにアイドルはオアシスのようなものだ。
「ご苦労様。今日も実入りは好調のようね」
「あ、はい! この通り怖いくらい絶好調です!」
今日のステージをやり終えた畜生アイドルに、サングラス姿の人物が声をかけた。
プロデューサー、ではなく意外と形から入るタイプだった吉弔八千慧。何を隠そう美天を従える鬼傑組の組長その人だ。
「やっぱりお前をセンターにして正解だったわ。オリコンチャートも1位を狙えそうよ」
「鬼傑組の為に、これからもがっぽりファンを獲得していきましょう!」
なぜ、亀の見た目通りお堅いイメージの八千慧が幹部をアイドル売りしているのか。それは最早言うまでもないだろう。
アイドルは、良いシノギになるのだ。
そしてその有用性は、鬼傑組以外の極道集団でも共通認識になっていた。
「ウォオオオオン! 次はお前達の番だぞ、どんどん来い!」
「しゃあっ! お願いしゃーす!」
『今殴り合えるアイドル』のキャッチフレーズで脳筋の畜生から絶大な支持を誇る、パッション系のアイドル。こちらも歌の売り上げに加え、殴り合いでアイドルを傷付けた慰謝料込みでがっぽり儲けている。
センターを務めているのはロリババア系ケルベロスの属性で売り出されている三頭慧ノ子だ。つまりプロデュースしているのは当然、あの馬である。
「驪駒様、やっぱり私をロリキャラで売るのは無理があるんじゃないかなと……」
「いいや、お前は可愛い! だから自信を持っていけ!」
馬鹿みたいに声を張り上げるのは勁牙組の長である黒天馬、驪駒早鬼。かつてスパイだったとはいえ慧ノ子も勁牙の一員だ。だから彼女は早鬼の言う事を聞いてあげなくてはいけない。それに、口では恥ずかしがっているが実は本人もまんざらでもないらしい。
では、畜生界で有力な極道組織の残り一つ。それは饕餮尤魔の剛欲同盟なのは言うまでもない。
そしてご多分に漏れず彼女らもアイドルを売り出しているわけだが、独占する石油で稼いだ金を惜しみなく注ぎ込んだアイドルの人気は果たしてどうなるか。それも最早言うまでもないであろう。
「だめっすね~、だめだ~、だ~め~っすよ~」
ダメダメだったのである。
「ちやり、お前さあ……」
「だーかーらー、私は最初から同盟長自ら歌えば良いって言ったんすよ」
同盟本部の会議室に呼ばれた天火人ちやり。オオワシ霊を始めとした幹部が並ぶ奥には、尤魔があぐらをかいて陣取るゴテゴテした机がある。そこに積み上がっていたのは、ちやりの姿が印刷された円盤の売れ残り。さあ、反省会の始まりである。
「自分で言うのもなんすけど、ぼさぼさの髪にだるだるのシャツですよ。こんなアイドルなんて絶対にニッチ路線じゃん」
「これがニッチとか、この良さが分からねえのかバカ畜生共め」
そう思うのは悪食の饕餮と他の僅かだけという事だ。実際、純情系の美天や肉弾系の慧ノ子などのファンに比べ、少数派のちやりファンは全体的に暗いというかニチャっとしている。
「もこもこだし、ニッコリ笑うと可愛いし、私は同盟長の方が圧倒的にアイドル向きだと思う」
「そんなの言うまでもなく当たり前だろ。そうじゃなくて……」
と言いつつ尤魔の大口はニヤニヤのユルユルになっていた。いつも怖がられているせいか、案外素直に褒められるのに弱いらしい。
「とにかく私がやるのはダメだ。長がそんなキャピキャピしてたら剛欲同盟のブランドに関わる」
「何がブランドっすか。こんな協調性の無い饕餮大好き集団にそんなもん無いっすよ」
「なんだとぉ……」
『お前、禁句を……』
『饕餮様が愛らしいのは当然だが……』
言い返そうにも、尤魔始め配下一同に良い言葉は思い付かなかった。ほぼ尤魔の強さと魅力だけで成り立っているのが剛欲同盟。言い換えればアイドル性である。
「……バカの驪駒はともかく、まだ吉弔は自ら出てきてないんだ。私がやるとしたらその時。分かったか?」
「はあ、約束ですよ」
『オォオオオオオ……!』
その時はフリフリの衣装で踊る事が確定してしまった饕餮尤魔。同盟員からも驚愕と歓喜の声が上がる。身から出た錆だが、頭脳派のはずの吉弔も案外挑発に乗るタイプなのでその日も遠くないかもしれない。尤魔は軽く頭を抱えた。
「あー……何はともあれ、テコ入れが必要だ。私は何としてもちやりをトップアイドルの座に押し上げたい。皆の忌憚の無い意見を聞かせてくれ」
「は~い、私はそんな器じゃないと思いま~す」
「いいや、お前は私を刻むに相応しい鼎だ!」
「そうすか……」
あえてここで言及しておくが、こんなだらしなく、テンカジンだかチュパカブラだか分からない吸血妖怪を尤魔が重用する理由は、単純にちやりが大のお気に入りだからである。
逆にちやりが無茶振りされても尤魔から離れないのもそういう事だ。一緒に居て全く気疲れしない。相性が良いのだ。
そして何より、ちやりは強い。寝間着みたいな服装で出歩いているくせに、弾幕勝負では反則的に。
『提案がございます』
「よし、偉いぞ。言ってみろ」
オオワシの一匹がばさばさと羽を広げた。そのかぎ爪には尤魔命の文字が彫られている、愛の重い個体だ。
『チュパカブラとはUMAとも呼ばれる奴ですな? 宇宙人系の不思議ちゃんキャラで行くのはどうでしょう』
「不思議ちゃんって、例えばどういうのだ?」
『そうですな、例えば……』
一度目を閉じて考え込んでいたオオワシが、パチリと開眼した。
『チリン星から来たちやりんです☆とか』
会議室の各所から風船の空気が抜けるような音が漏れ出した。
「無理っす。きついっす。勘弁してほしいっす」
ちやりも首と手をぶんぶんと横に振る。当然である。
「あー、せっかくの提案だが本人もこう言っている。チリン星は爆破しておこう」
『元は群馬県民ですしなあ……』
オオワシはすっと小さな霊魂の姿に戻った。
『はい、良いでしょうか』
続いて少年姿の子羊霊が手を挙げる。見た目こそ幼いが、かつては尤魔不在時の代理を務めた事もある切れ者だ。現在は女性ファン層獲得の為に少年アイドルとして売り出し中。(羊のメリー氏プロデュース)
『やっぱりウチの精鋭メンバーと一緒に箱売りすべきじゃないかと……』
『賛成』
『ちやりちゃん一本押しはな……』
他の動物霊達も首を縦に振った。メンバーを増やせば、ちやりを好きじゃなくても他の人物が好きだからでそのアイドルグループを応援する。増やせば増やすほど有利だ。
さらに、同じグループを応援している同士でも、愛の深さを競って金をつぎ込んでくれたりする。アイドルファンが信者どころか愚民と呼ばれても致し方無い理由の一つだ。
『NTR系で売り出してるカッコウのグループがいましたよね? アレと一緒はどうですか?』
「んー……言いたい事は分かるんだが、トリ娘ってそんなグッと来るか?」
『来ますよ!』
『饕餮様は偶蹄目だから分からんのです!』
オオワシ達がキーッと声を荒げるが、しかし尤魔の考えも無理からぬ事である。霊長類の世界では船やサバンナ動物や馬の美少女が流行っていたようだが、彼らが発情していたのもそれが人の形をした別物だからに他ならない。原型に欲情していたら異常者だ。
豆知識であるが、カッコウというのは托卵で有名な鳥類であり、カッコルドという単語が寝取られのスラングでもあったりする。閑話休題。
「んー、うむ。新ユニット結成はまあ良いだろう。だが既存のグループはダメだ。ちやりがバーターっぽい」
「ぽいって言うか、完全に異物混入っすよ」
「よせや、入って日は浅いが私はお前を異物だなんて思ってないぞ」
「へえ、そりゃどうも」
尤魔とちやりは揃って「でへへ」と不気味に微笑んだ。他の畜生達は何だこいつらと口を真一文字に結ぶ。
『えー……つまり完全な新人となら組ませても良いと。誰か、候補は』
会議室はシンと静まり返った。同盟員で目ぼしい者は既にデビュー済み。アイドルと言えばヤクザ仕事と自嘲する事もあるが、残っているのは正真正銘のヤクザだけだ。
『となると、在野から探す事になりますね。この中で人材発掘が得意な方は……』
「……ま、私だろうな」
掘ると言えば彼女である。子羊の声を受けて、尤魔はやれやれと体を前に倒した。
石油を巡るゴタゴタに加え、地上侵略の際にも何人か面識が増えた。畜生界で最も地上との繋がりがあるのは間違いなく尤魔になる。他の畜生霊達が行くより同盟長自らの方が交渉も順調だろう。
「何人か候補は思い浮かぶし、声を掛けてみるか。ちやりも異存はないな?」
「私にそこまで苦労を注ぎ込む価値は無いと思うんだけどな~……」
「あるんだよ。それにお前、自分で大人気の吸血妖怪だって言ってたろうが!」
「そりゃ吸血妖怪カテゴリ内であって、歌って踊るならサルとかネコの方が適任だと」
「いいから行くぞ!」
いつの間にかちやりも一緒が決まっていたらしく、オオワシ達が見送る中を引きずられるように出て行った。
アイドル候補と言ってもちやりと組ませる以上、並べた時の見栄えが良くて気が合う方が良い。よってまずは近い所から手を付けようという事で、二匹の畜生は一路、旧地獄の洋館へと足を向けるのであった。
「いやー、確かにあたいならトップアイドルも夢じゃないと思うんだけど、さとり様の介……お世話も大変だからさー」
その猫はまんざらでもない顔で照れ臭そうに答えた。
旧地獄の管理役である古明地さとりの飼い猫にして火車、お燐こと火焔猫燐。猫らしく自由奔放な彼女は、地獄と地上の両方に顔が通っている。勿論ちやりとも旧知の仲だ。
だとしても、いきなりアイドルにスカウトされて了承する者などめったに居ないだろう。よって取り引きとして、尤魔は顔を近付けてにこやかにこう言った。
「それはつまり……さとりが居なくなればやってもいいって事か?」
「……え⁉」
「饕餮、ストップ。あんま笑えないっす」
「ピクリとも笑えないよ!」
お燐は尻尾をぴんと伸ばしてフギーッと牙を向いた。どうやら冗談だったらしいが、尤魔ら極道集団ならばやっても全然不思議ではない。
「すまんすまん」
尤魔はへらへらと半笑いで縁石に腰掛ける。スカートが捲れるが最凶の同盟長はそんな事も気にしない。むしろ見られたら金か体で払わせるだけだ。
「だがな、お前一匹アイドルやって困るほどさとりもヤワじゃないだろうよ。現にお燐だってほっぽり出して地上で寝てるだろ」
「あれはー、別に寝に行ってるわけじゃなくてー、死体集めが疲れるから休憩をしてるだけでー」
「こまっちゃんみたいな事言ってら」
「失礼な! そこまで酷くないよ!」
ちなみにこまっちゃんとは小野塚小町こと地獄のサボり魔だ。ぐうたら仲間でちやりとも知り合いではある。
そして、居ない所で勝手にディスられていた当の小町はというと、三途の河川敷で舟を漕ぎながら大きなくしゃみを飛ばしていた。
「……って言うかさー、肝心のちやりちゃんにやる気が感じられないんだけど、本当にアイドルグループやりたいわけ?」
「やー、私はアイドルなんて似合わないと思うんだけど、饕餮の期待には応えてあげようかなーって」
ちやりはそう言いながらぼりぼりと腹を掻いていた。
「ぶっちゃけるな馬鹿野郎。私が情けない感じになるだろ」
「……友達想いだねえ」
実際には汚い金稼ぎ目当てで美談でも何でもないわけだが、ここは地獄である。生前に虫一匹助けてやればお釈迦様も蜘蛛の糸を垂らしてくれるぐらい、善や思いやりが高く評価されるのだ。
「地獄の窯の管理はおろそかに出来ないよ?」
「分かってるさ。どうしてもって時は暇してるウチの者に手伝わせてもいい」
「お給料とか出る?」
「出すさ。ウチはオイルマネーで潤ってるからな。人気も加味して確かな額を約束しよう」
お燐は、猫耳をぴくぴくさせながらしばし考え込んだ。
彼女が自由に使えるお金はさとりにおねだりして貰えるお小遣いのみ。自分で稼げればおやつの魚も運搬用の新車も買いたい放題になる。
一番の問題は剛欲同盟とがっつり関わってしまう事だが、尤魔は欲を吸収しすぎて暴走状態にならない限り、畜生界ではまともに交渉できる部類だ。無駄に古明地家と敵対するような真似はしまい、とお燐の中で考えが纏まった。
「まあ、あたいの家はここだからさ、そんな頻繁に畜生界まで行けないけどそれでも良いなら」
「おお……! ありがたい、感謝する」
尤魔がお燐の手を取ってがっちりと握りしめる。火車だけあって燃えるような熱さだが、四凶とも称された怪物はそれぐらい物ともしない。ただ情熱のように感じ取るだけだ。
「お燐ちゃんは俊敏だからきっとダンスのキレも良いっすよ。それに猫娘は畜生界にも直球どストライクのはず」
「あとは歌唱力だな。試しにちょっと歌ってみてくれるか? ドレミファソラシドでいいから」
「えー、あんまり自信無いけどしょうがないなー。ちょっとだけだよ?」
口ではちょっとと言った割に、お燐はまんざらでもない顔ですうっと大きく息を吸い込んだ。
「どぅ~……れぇ~……みぃ~……!」
それは、ボール球を通り越してヘルメットに直撃の超絶危険球だった。
「……じゃあ私はさとりにも話を通しておくから、お燐は全体の構成が固まるまで好きにしていてくれ」
「オッケー。その時を楽しみにしてるよ」
お燐はひらひらと手を振って尤魔とちやりに別れを告げた。二人の笑顔が引き攣っていたとは気付かぬままに。
「……饕餮、そっちは正門だぞ」
足早に歩く尤魔をちやりが呼び止める。地霊殿まで来たのだから、このままさとりにも会う方が手間が無いに決まっている。尤魔が方向音痴でないのに、明後日の方向に向かう理由を察しつつもだ。
「ちやり……お前って結構歌は上手かったんだな」
「やめよう、お燐ちゃんがかわいそう」
そう言うちやりもあの時は「ふぁっ⁉」と驚きの声を上げそうになるのを堪えていた。ドの音のつもりでお燐が奇声を発した時だ。
「一応、さりげなくお歌の練習をさせるように言ってみるか」
「そうそう。帰りたくなる気持ちは分かるけど、流石に挨拶無しは仁義にもとるってやつだぞ」
「お前にそんな事を言われちまうとはなあ……」
人はあまりにも動揺すると非合理的な行動を取ってしまうもの。欲で埋め尽くされた尤魔の心も、読経のような歌声に魔が退散していたようである。尤魔は重い足取りで地霊殿の中に向けて反転した。
人間社会だって、歌がド下手なのに国民的アイドルのリーダーを務めた者がいるらしい。顔とダンスが良ければまあ何とかごまかせるだろう。そう思っておく事にする。
お燐以外にも候補はまだまだ思い浮かぶ。さとりへの顔見せはほどほどに、尤魔達は次なる候補が居そうな場所に向かって地獄巡りを再開するのであった。
「……水蜜も、反応は上々っと。やっぱ仏道修行なんてあいつには合ってないんだよな」
「お前というアイドル沼に沈めてやるんだよ、の一言がクリティカルヒットだったっすねー。そりゃ落ちますよ」
ちやりと同じく血の池愛好家の一人でもあるキャプテンムラサこと、村紗水蜜。
寺で般若心経ばっかり歌う生活じゃ不満も溜まっているだろうと、今日もこっそり血の池でぶくぶくと潜水していた彼女に目を付けたのは大正解であった。何かを沈めるか自分が沈んでいないと満たされないのが彼女、船幽霊のどうしようもない本質だ。
最初こそ宗教上の理由で無理だと渋っていた彼女であったが、そもそも住職がハゲにもしない煩悩の塊の破戒僧だろと指摘された挙句、前述の尤魔の一言が効いて見事勧誘に成功したのだった。
「これで三人、アイドルユニットとしては最低限集まったって感じか」
「私とお燐ちゃんとみっちゃんかあ……なんと言うか、じめっとしてますよね」
吸血怪獣に、怨霊を従える猫に、船幽霊。光か闇かで言えば満場一致で闇であろう。それはちやりみたいな感想も出る。
「二人は炎で、水属性なのは水蜜だけなんだがなあ。そのジメジメの原因、だいたいお前じゃねえか?」
「地獄在住なんだからしょうがないじゃないっすか。血の池に住んでる私も水属性みたいなもんだし?」
「畜生界に居てもカラっとした馬鹿の驪駒みたいな奴もいるぞ」
「ごく一部の例外を出して反論すんのやめましょ。私がそんな性格だったら絶対饕餮とは仲良くならなかったでしょー」
「ククッ、確かにな」
ニヤニヤとそんな軽口を叩き合いながらも、尤魔は次の展開を考えていた。
三人組で有名なアイドルユニットももちろん居るが、箱売りをするなら五人は欲しい。それも美天や慧ノ子のようにおどろおどろしくない女の子が。ちやりがそうなら話は早かったのだが、今更キャラ変など叶うまい。
驪駒のように快活でパワー系の女。ぱっと思い浮かぶのは旧地獄でくすぶっている鬼達である。しかし奴らが畜生の前で媚びた格好を晒すなどプライドが許すまい。
あるいは、お燐の同僚である霊烏路空、通称お空。しかし古明地家から二人など流石に借りを作りすぎだ。それにお空は地底の核融合発電所の要で、その責任者とも尤魔は因縁がある。あまりにも面倒で却下。
そうなると、やはり地獄を出て地上にいる妖怪に声を掛けるべきか。
幸いにもこの間の地上侵略争いで何人か既知の相手は出来た。現状どこにも属していなくて簡単に騙せそうな兎もいた気がする。
よし、次の犠牲者は決まったと尤魔が分厚い岩盤を見上げた、そんな折だ。
一匹の猛禽が猛スピードでそこへ飛来したのだった。
『同盟長ッ! お取込み中の所を申し訳ありませんが、急報であります!』
「ハヤブサか。構わん、気にせず話せ」
『ハイ! 恐縮です!』
同盟の中でも特にスピードに優れた鳥類の彼は組織の伝令として重宝されている。そんな彼も、畜生界ですらじわじわと普及しつつある携帯電話に立場を奪われるであろう悲しき存在であるが。
「わざわざここまでハヤブサの兄さんが来るって、相当ヤバい事態じゃないすか?」
『その通りです。実は、あの吉弔八千慧が、同盟長の留守を突きまして……!』
苦労人のプロデューサーをしていた尤魔の顔が、剛欲同盟長・饕餮尤魔へと一瞬で切り替わった
「チィッ、あのドン亀め!」
悪態を吐きつつも、尤魔は自身の失態を素直に悔いていた。
空前のアイドルブームで意識が薄れていたが、所詮我々は暴力でのし上がった集団でしかない。呑気に出歩いて隙を見せれば攻め込んで来るに決まっている。アイドルでなく、武力でだ。
いいや、もしやこのブームですらも、他を堕落させる為に吉弔が仕込んだのではないか。
その考えに至った時、尤魔の頬には一滴の汗が伝っ――。
『自らアイドルデビューしやがりました!』
「…………あ?」
尤魔はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「……あー、すまん。綿毛が耳に詰まったかもしれん。あの鹿フェチの変態が何をどうトチ狂ったって?」
『ハイ、ソロで円盤を出しました』
「何があってそうなったんだよ!」
『申し訳ありませんが内情までは……ですが、これが経費で買った実物になります!』
ハヤブサが翼の裏側から紙袋を取り出した。こんな物に経費を認める気は無いが、今は受け取るしかない。
見たくはなかった。普段は悪口を言いながらも宿敵として認めている相手が、愚民共を相手に媚びた顔を晒している姿など。
しかし、出てしまった以上はとにかく吉弔の無様な姿を確認する他ない。恐る恐る、紙袋の封を切って中身を摘まみ上げる。
「うへえ、こりゃあ……」
背中から覗き込んだちやりが先に驚嘆の声を上げる。尤魔も覚悟を決めて、ゆっくりとパッケージの絵に目を落とした。
そこには、デフォルメされた竜の着ぐるみを纏った鬼傑組の長の姿があった。
「……いや、何なんこれ? 何なん?」
『好きな食べ物を語る歌であります』
「何で着ぐるみなんだよ、って同盟長は言ってるんすよ、兄さん」
『さあ? 搦手が好きな奴の気持ちなんて知りませんので』
おそらく、同様に搦手を好む鬼傑の組員すらも測りかねている事だろう。部外者の尤魔達ではなおさら分かるはずもない。
「饕餮ぅ? それより、あの話だけどー?」
ちやりが、にやけながら尤魔の肩をぽんぽんと叩いた。何故笑っているのかは言うまでもない。組長の誰かがデビューしたら対抗して自分も、と成り行きで言ってしまったからである。
「知らん知らん。流石にこれはノーカンだろ」
「いいのかー? 同盟長が嘘つきじゃあ同盟員もみんなガッカリで忠誠ガタ落ちだぞ?」
「こんなんがアイドル界隈をひっくり返すわけないだろうが! 私が対抗して出張るまでもないわ!」
しかし、コケろと呪詛を送っていた尤魔の切実な願いも空しく、八千慧の歌は流行ってしまう。
ただ歌って踊れる可愛い女の子を集めても、そこはとっくに飽和している。そしてそれだけでは決して狙えない層があったのだ。
それが、低年齢層。ここが最大の見落としだった。
もっとも、地獄に落とされて久しい尤魔達には、ガキにウケようなどという考えなど微塵も浮かぶはずがない。だって畜生界にそんなピュアな心を持った奴が残っているなんて、ヤクザ集団が思うだろうか。
しかし視野をちょっと畜生界の外にも広げれば、三途の川の水子や庭渡神がぞろぞろと引き連れているひよこなど、案外居るのだ。
だからといって肝心のコンテンツが子供騙しでは子供すら騙せないが、時世を読むのにも長けた八千慧はそこをクリアした。イメージに反してわりと幼い顔も出来る、彼女にしか辿り着けない境地であった。
「……いや、イヤだって。マジで勘弁してくれ」
場所は畜生界に戻って同盟本部の会議室。長らしくその奥に鎮座するも、尤魔はどんよりとした顔で縮こまっていた。そこには同盟長の威厳など欠片もない。
「いや、私らも二番煎じで着ぐるみになれとは言ってないって。饕餮には饕餮の魅力があるんだから勿体ないでしょ」
『そうですよ。おバカの驪駒がキャラ変で似たような事して爆死しましたし』
ちやりとオオワシは懸命に尤魔のご機嫌を取っていた。着ぐるみはやらなくていいが、アイドルデビューはさせる気満々なのである。
ちなみに早鬼はデフォルメされたポニーの格好をしてみたが、霊長類すなわち人間霊の中でも獣に性的興奮を覚えるごく一部の層にしか需要が無かったらしい。ちなみのちなみに、馬好きエピソードもある聖徳太子の生まれ変わりは認知もしてくれなかった。
「あのな? 私が歌ったからトップになれるなんて甘い話はないんだぞ? それより途中まで話が進んでたちやり達のグループをな、ちゃんと送り出すのが先だと同盟長的には思うんですが? お燐達にも悪いだろう」
「一回コケた私のリメイクより新作だろー。アイドルも血液も鮮度が大事だぞ」
「……お前みたいに淀んだ血もコクがあって、私は好きだぞ?」
「でへへ……じゃないっすよ。もはや同盟員一同が饕餮の歌う姿を望んでるんです。あそこを見ての通り」
ちやりが指差した先にはホワイトボードがある。それも尤魔の顔がずっと曇り空のままな理由の一つだった。
『饕餮様はアイドルデビューするべきか』
●●●●●するべき●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●
しないべき
●
するべきの方に大量のマグネットが貼りついている。
反対したら他からリンチに遭うから絶対そうなるだろと、尤魔は心中で毒吐いた。唯一しないべきに投票したのは言うまでもなく本人だ。
「……別に吉弔や驪駒みたいにおかしな姿を晒せって言ってるわけじゃないんすよ。私らは同盟長が大好きだから、その魅力を他の連中にも分かってほしいんだよ」
『ちやり殿の言う通りですぞ』
『然り』
聖母のような慈愛に満ちた表情でちやりが説得にかかった。
尤魔はもうとっくに追い込まれている。いるが、この盤面を暴力のみでひっくり返せるのもまた饕餮尤魔なのだ。窮鼠よろしく暴れないように優しく狩らねばならない。
「……一つ、お前達に聞いておきたい」
こうまで逆風の状況では流石の尤魔も諦めモードとなったか、最後の確認として一つだけ問うた。
「私をどの路線でデビューさせる気なんだ?」
「そりゃあ、セクシー系すか?」
『いや、キュート系でしょう』
『クールビューティー系!』
『パッション系!』
『ミステリアス!』
『ロリータ!!』
『お姉さん!!!』
『ママ!!!!』
そして会議室は一瞬にして百鬼夜行の魑魅魍魎と化した。
『……それもこれも、饕餮様が魅力的すぎるのが悪いんですよ!』
羽毛が散乱し、かぎ爪の引っかき傷と紫炎の焦げ跡があちらこちらに。見るも無残な場となった会議室で、子羊霊が逆ギレ気味に吠えた。
『欲を吸収して変幻自在故に、どの御姿も素晴らしいのがここまで裏目に出ますとは……』
オオワシも軍師のような面持ちで腕組みするが、最も暴れていたのは彼である。
「やっぱもう、止めないか? 腹減ってきたんだけど血の池行ってもいい?」
その中で、尤魔がうんざりした顔でおずおずと手を挙げる。
「ダメっす!」
いつもならば「あ、私も~」などとだらだら便乗したであろうちやりが、今回は鬼気迫る表情で尤魔を引き留める。渋る自分をアイドル売りした意趣返しも入っているが、アイドル尤魔を見たい気持ちでは彼女も本物なのだ。
「……この部屋掃除すんの、タスマニアデビルのおばちゃんなんだぞ。とりあえず全員頭を冷やせ」
『うっ』
一同、掃除屋タスマニアデビルの顔を思い浮かべてテンションが三段階ぐらい下がった。あのおばちゃんには日頃から「トイレの乱れは心の乱れ!」などと厳しく叱られているのだ。
「船頭多くして船山に上るだ。誰か一人、私のプロデューサーを選抜してからもう一度討論しろ。アイドルはやる。やってやるから」
『同盟長……!』
ついに自分達の熱い想いが伝わったと感動に震える同盟一同であるが、尤魔には一つの目論見があった。
どうせこいつら、我が強すぎるから誰か一人を代表で選べだなんて、自分の鶴の一声が無ければ決まるはずがない。
そのまま揉めに揉めていい感じに有耶無耶になってくれと願っていたのである。
「はーい、ここは日頃から暇してる自分が引き受けたいと思うんすけどー」
『いや、ちやり殿に饕餮様のスケジュール管理などが出来るとは思えませんな。やはり腹心であるこのオオワシが』
『そんな、オオワシさんはただでさえ激務なんですからここはボクが……』
案の定自分が自分がと主張しだした。このまま揉めてる間にどさくさで抜け出して、血の池地獄の奥深くにでも引き籠っちまえ。そんな事を企んでいた尤魔である。
しかし、願う者あれば、叶える者もあり。
各々の強い願望は、かつての霊長園がそうであったようにまた一人の有力者を引き寄せてしまったのだ。
「じれったいな。その話、私が引き受けよう」
皆が一斉に尤魔の方を振り向いた。何故ならば、その声は確かにそこから響いたからだ。
『まさか、同盟長のセルフプロデュース……!』
「いや待て、ちゃうちゃう。そんなの私は一言も言っとらん。誰だよいきなり変な所から声を出したのは……」
「私だよ」
またも『そこ』から声がする。誰だと尤魔は言ったが、実は彼女も知っていた。こんな不愉快な場所から、人の背中から口出ししてくる奴など、尤魔の知り合いでは一人しかいない。すなわち――。
「おい、ここは部外者立ち入り禁止なんだよ。まして神なんか呼んでねえわ。とっとと自分の国に帰れ帰れ」
「……もうちょっと優しい言い方をしてもいいじゃない。私だってお前とは協定を結んだ仲なのに」
「だーもうめんどくせえ奴だな! 出るならさっさと姿を見せろっての!」
しょんぼりした声が漏れた尤魔の背中に一筋の切れ目が入り、そこから扉が開くかのように光が溢れ出した。
長身で、山吹色のゆったりとした装束に、北斗七星を模した独特な前掛け。子供のような尤魔とは真逆のスタイルを持った人物が、羽化した蝶の如く背中から抜け出てきたのである。
「あ、アンタは……!」
畜生達がざわつく中、ちやりは突如現れた不審者を指差してぷるぷると震えた。
「……ほう、名乗った覚えは無いが私が分かるか。秘神としては知名度があるのも複雑だがね」
「いんや、知らねっすけど」
「あっ、そう」
そのスラリとした体がカクンと折れた。雰囲気に反してノリは良いらしい。
「知らんけど、悩んでるならちゃんと皮膚科行った方が良いすよ。ここにはヤブ医者しかいないけど」
「……もしかして、皮疹と勘違いしてる?」
「ああすまん、この珍獣は放っておいて構わんぞ」
尤魔はため息交じりにちやりのおでこを小突いた。
「そんで、マタラ神様がこんな血生臭い地に降り立つとはどういう腹積もりだ。私をプロデュースしてお前に何の得があるってんだよ」
「趣味だよ。何しろ私の本分は芸能の神であるからね」
摩多羅隠岐奈。
多数の信仰要素が習合した神である彼女は、幻想郷を管理する賢者の一人である。もっとも、その実態は童女をバックダンサーにして侍らせたり尤魔に幼女をけしかけたりと、見た目が幼い女とばかり関わるので秘密にしておくのが無難な存在だ。
「お前は知らないだろうが、踊りの振り付け指導から楽器の演奏まで何でも出来るぞ。力を引き出して最適化するのも得意分野だ。そんな私が、部外者の冷静な視点から導こうかと提案しているのだ」
『畜生に神など要らぬわ! 同盟長は寛大なお方だから許されているが、お前も霊長園に居座る偶像と同じの……!』
「ククク、よく言ったよ」
尤魔は、神にも怯まず啖呵を切ったオオワシを褒めつつも、片手でその口元を制して止めた。
「だが石油絡みで私の関係者なのは本当でな。とりあえず話はさせてやろうじゃねえか」
「長の賢明な判断に感謝する、とは言っても最初に言った通りだがね。どうする、私にプロデュースを任せてみるか?」
「畏れも得られないのに神が無償で何かをするもんかよ。本当に趣味だけかって聞いてんだ」
「その通りだ。お前という素材に無限の可能性を感じて芸能の神の血が騒ぐ。それに、友が困っているのを見かねてな」
友人になった覚えは無いが、と尤魔が言う前に、隠岐奈が顔を近付けて、その尖がった耳にこっそりと耳打ちをした。
(お前の部下に任せていたら、水着にエプロン着て、眼鏡とランドセルで歌う事になるわよ)
「ぐっ……」
んなわけあるかロリコン、と一蹴出来ない。セクシーだのクールだのロリだのママだの、同盟全員の欲望を盛り込んでいけば属性マシマシのキメラとなるだろう。所詮、彼らは畜生なのである。
「……なら聞くぜ。お前は私をどう売り出す気だ?」
「何も考えていない。こんな事に知恵を絞る必要は無いのでな」
「あー? 饕餮、こいつ私よりやる気無いすよ。もうこんなの無視してやっぱりセクシー系で……」
「ちやり、お口チャック」
尤魔は摘まんだ形の手をイーっとした口の前で横に薙いだ。ちやりも釣られて口を閉じる。
自分を扇情的な格好で歌わせる気満々のチュパカブラよりも、悲しい事に部外者のねっとりした神の方がマシであった。
そもそも、尤魔がずっとアイドルを渋っていた理由は、最凶の獣だと自負している自分が他の畜生に媚びるなんてプライドが許さないからだ。それもおかしなキャラ付けで己を捻じ曲げてまで。
「何も考えるな、絞って出すもんはない、か。剛欲の化身であるこの私にそれを望むかよ」
「とある鳥の神もこのような言葉を遺している。空っぽの方が夢を詰め込める、とな」
「そんな神は知らんが……良いだろう、お前に任せる」
『えええーっ⁉』
あまりの展開もオオワシ達も次々と墜落していった。とっくに死んでいるが、このまま昇天しそうにぴくぴくと悶えている。
「騒ぐな! 逆に自分達の何が悪かったか次までに考えとけ!」
「饕餮ぅ……プロデュースはダメでもせめて逆バニーだけは」
「ちやり、お前減給な」
要するに、隠岐奈の狙いは八千慧と逆であった。ピュアな子供向けに狙いを定めた相手に対し、アイドル本人がとことんピュアな子供っぽさを押し出す事で(見た目だけ)同世代からお年寄りまで幅広い層を狙ったのである。
そうは言っても、いくら子供っぽく歌ってもあの極悪凶獣の饕餮じゃん、という声はもちろんあった。しかし、それに最も戦慄していたのは他でもない宿敵だったのだ。
「剛欲同盟、いや尤魔……まさか自身の魅力をここまで理解していたとはね」
「吉弔様、饕餮の魅力って……?」
「あいつはね……」
八千慧は満面の笑顔を浮かべる尤魔のポスターを前に、拳をぶるぶると震わせながら美天の質問に答えた。
「穏やかに笑ってる時の顔が一番面白いのよ!」
敵なのに、それをしっかり魅力だと思っている吉弔様も難儀だなあ、と美天は思った。
ともあれ、尤魔がご飯をモリモリ食べる歌もまた、畜生界を越えて地獄全体に浸透する大ヒットを記録した。
当の尤魔本人は、完全に孫か愛玩動物かのように可愛がられる自分に若干不満気味のようだが、行く先々で食べ物を貰えるのでまあ良しとするかとなったようである。
「まあね、私は初めから饕餮にはここまでのポテンシャルがあると信じてたんすよ」
ちやりが何もしていないのにふんぞり返っていたので、尤魔はそれを押し戻すように背中によじ登って体重をかけた。
「それな、本当は私がお前に言いたかった台詞だぞ。ま、今回ばかりは隠岐奈の野郎にも感謝しといてやるか」
その隠岐奈はというと、童心のままに愛らしく歌う尤魔を見届け、満ち足りた顔ですーっと消えていった。本当に幼女趣味だけでプロデュースを名乗り出ていたらしい。
子供アイドルとして大ブレイクを遂げた尤魔。その人気を証明するかのように、愛用する血の染みた机の上には大量のファンレターと菓子類が積み上がっている。尤魔はその中からチョコレート菓子を摘まんで二つに割り、半分をちやりの口に咥えさせた。
「ゴチっす。まあでも、結局はヤクザなんですよね。いくら可愛い子供の姿をしてたって」
「へん、子役なんてそんなもんだろ」
手についたチョコレートをべろんべろんと舐める姿は子供そのものだが、尤魔の不気味な笑みは無邪気とかけ離れたものであった。
「カメラの前ではぶりっこしてもな、舞台裏では酒と煙草に枕とシャブやってんだよ。っていうかシャブは私らがやらせるんだが」
「言わないでいいっすマジで」
無論、同盟員はもちろん他の組の畜生達も尤魔の本性は重々承知している。しかしコンテンツを楽しんでいる時に中身の性格がどうだとかどんな事件を起こしたとかはノイズ。それぐらいファン側だって分かって騙されてやっているのだ。
「金の代わりに何か大事なものを失った気もするが……これで満を持してお前の新ユニットに注ぎ込めるってもんだぜ」
「げー。まだそれ諦めてなかったんすかあ。お燐ちゃんもみっちゃんも、もう忘れてる頃じゃん?」
「やるって言ったらやるんだよ。うちは欲張りだが嘘つきの集まりじゃねえんだぞ」
「饕餮も妙に律儀っすよね」
そう言うちやりだって、分かってはいる。尤魔が何だかんだ義理堅いからこそ剛欲同盟は成り立つのだと。
親分として、尤魔は成功も失敗も全部飲み込んでくれる。だから各々は好き勝手に活動し、その結果がどうであれ必ず尤魔の所に届けに来るのだ。
「あのな、この剛欲の私が、お前になら金を惜しまないと言ってんだ。その有難みを少しでも理解して欲しいもんだぜ」
「してますよ。だからこんな私が饕餮の下に居続けているわけでしょ」
二人はまたも、まさに悪の組織の幹部そのものにぐふふと不吉な笑い声を上げた。雰囲気こそどろどろしているが、要は好きだから散財するし好きだから崇めている、互いに互いをアイドルと思っているだけなのだ。
「さあて、そんじゃあまずお燐から迎えに行くとするか。歌も少しは上達してるといいんだが」
「それなんですけど、最近の旧地獄ではお経のような不気味な歌が問題になってるらしいっすよ」
「うん……急いで回収するか。最悪喋り担当だけにするって手も……」
と、自分のせいで旧地獄の怨霊達が祓われそうになって、流石に尤魔も責任を感じていた時であった。
『同盟長ォッッッッ!』
風を切り裂くような声と羽音が鳴り、部屋に弾丸が突っ込んできた。それは先も八千慧の痴態を届けに来た伝令役のハヤブサ霊だ。
「その顔、相当の緊急事態か。何があった」
『ハイ! 最近静かだった埴輪軍団ですが……!』
「むむむ、来ちゃったんすかあ……」
そう、畜生達もあえて見ないフリをしていたが、そもそも畜生界でアイドル、いや偶像崇拝という概念が生まれた大本は霊長園の埴安神だ。
救いを求める人間霊が埴安神袿姫を呼び寄せ、彼女が作り出したアイドルに畜生達はほぼ完敗したのである。
そんな奴らがついに、アイドルの本領は我々であると動きだした。動いたからには、敵である畜生の誰もが目を奪われる完璧で究極の埴輪がデビューするに違いないと覚悟を――。
『……普通に戦争を仕掛けてきましたぁッッ!』
「いやそっちかいッ!」
尤魔も思わずノリツッコミしてしまったが、本当に普通に緊急事態だった。
しかし、よく考えなくてもそうである。畜生達には敵視されているのだから、埴輪のアイドルなんて売り込んで来るわけがない。戦闘員がファン活動にかまけて堕落しきった今こそ最高の攻め時に決まっていた。
『既にウチのシマも攻撃を受けています! とりあえず若い衆を足止めで向かわせてますが、同盟長も精鋭を連れて直ちに援軍をッ!』
もはやアイドルとか言ってる場合ではない。これまでの計画も全てぶち壊しだ。
「もうカチ合ってんじゃ、行くしかないじゃねえか。あー……めんどくせえ」
されど、そう溢す尤魔の顔にはにんまりと邪悪な笑みが浮かんでいた。
「……だが、やっぱ畜生界なんてこういうもんだよなあ! ちやり、お前も来い!」
「ういーす!」
アイドルなんて箸休めの気分転換に過ぎなかった。畜生達が求めているのはやはり闘争なのだ。
霊体ゆえに心無い無機物に一方的にやられるだけだったあの頃と違い、今の組織には生身の妖怪がいる。最凶の尤魔が信頼する最強の吸血妖怪が。
そして埴輪側だって、それを承知で攻めてくる以上はさらなる強化を施されているのだろう。より人の心無く、より数を増やして。
「埴輪になれば助かるのに……」
阿鼻叫喚の最前線で無表情にそう呟いていたのは、土と水で作ったボディの一部を鋼鉄に換装し、戦闘能力がますます向上した埴輪兵長の杖刀偶磨弓。
鬼傑・勁牙・剛欲、それぞれの尖兵が徒党を組んで牽制してくるが意に介さず。まさにロボットが如く無慈悲に剣を薙ぎ払い、目からはレーザーを放ち、畜生達を『救済』していく。
「そこまでよ!」
「私の新曲の準備中に……本当に無機体というのは空気が読めないようだな!」
「全くだぜ。さっさと終わらせて有機の液体を浴びたいもんだ」
そこに立ちはだかりしは八千慧・早鬼・尤魔、三人の長。お互いが恥ずかしい格好をしていた事も今は忘れ、揃って暴力的な獣の眼をぎらつかせている。後ろにはもちろんそれぞれの信頼する部下も一緒だ。
「埴輪の兵長よ、貴様が我々の天敵な事は百も承知だぜ。だが有機体全ての力を得た私と他の……まあまあ強い奴らを前にして、兵長一人の指揮でどこまで頑張れるかな?」
啖呵を切る尤魔に機械的に目を向けた磨弓は、創造主のコマンドに従って笑いの表情を作った。
「確かにそうかもしれないわね。そう、私一人ならば」
「……ッ!」
長の三人は瞬時に意味を察した。創造主を気取るあの邪神ならば、磨弓と同等の偶像だって時間をかければ造れるはず。そして時間ならば十分すぎるほど与えてしまった。やはり控えているのだ、これ以上の戦力が。
「畜生のアイドルなんて獣の遠吠えにしか聞こえなかったけど……一つだけ気付きを得られたわ。そこは感謝してあげようねえ」
いや、違う。
立ち並ぶビル群の喧騒の中でも不思議と響く声。畜生達はより深く、爪を、牙を剥き出した。霊長園に引きこもってめったに会わないが忘れるはずもない。畜生界共通の最大の敵の声だけは。
埴安神袿姫が、立っている。磨弓の後ろ、ビルの屋上に、地獄の人工太陽を逆光で浴びながら。
「……愚かね。総大将がのこのこ敵地のど真ん中に出てくるなんて!」
八千慧は臆さず袿姫を指差して勝ち誇った。埴輪では霊体の自分達と相性が悪いが、信仰というスピリットに強く依存する神ならば話は別だ。何しろ、以前も助っ人の人間を餌に釣り出して袋叩きで勝利を収めたのだから。
「ノコノコは亀のお前でしょう。それに、勘違いしているわ。総大将はリーダーの磨弓で、今回の私は裏方に過ぎない」
「何ですって……!」
「今時のアイドルはやはり、数の時代という事よ」
袿姫の後ろから、一体の埴輪が現れた。それを皮切りに、ビルの影から一体。看板の裏からも一体。空から、窓から、マンホールから。あらゆる場所から磨弓と同じ、兵長の鎧を纏った埴輪が続々と出現する。
袿姫の拘りなのだろうか、髪形や髪色、体系が被っているものは一体も無い。あらゆるニーズに応えるつもりで造ったのだ。
その数、少なく見積もっても、およそ百。
一体でも組長を手こずらせる強さの磨弓が、百体以上だ。
「つ、造れば良いってものではないだろバカめ!」
「お馬さんに馬鹿って言われるとは光栄ね。お返しに、覆しようのない事実を教えてあげる。勝てないのよ、バカには」
例えば野球バカに将棋バカ。前代未聞の記録を打ち立てるのはいつだって、その分野にひたすら情熱を燃やし続けた大馬鹿者だ。
これでは、三人のユニットを組んで良しとしていた尤魔も怠慢と言わざるを得ない。磨弓一体だけでも強いのに、それで満足せず何十も造り続けた袿姫との差が如実に表れていた。
「尤魔……あれ、全部食べられる?」
「ああ? 早鬼の馬鹿が伝染したかお前は。あんなん食ったら私がおかしくなるわ!」
「心配するな。お前がアイドル病でも発症したら、私が責任を取ってトップアイドルに導いてやる」
「そういう話じゃねえんだよテメエらはァ~ッ!」
しかし他の組長らが促すように、この戦局の打開には尤魔が神獣と化してあの埴輪を全て平らげるしかないだろう。尤魔が吸収したものに影響を受けてしまう体質を、今度こそフリフリでスケスケの衣装を着せられてしまうのを承知の上でだ。
「饕餮ぅ……石油なら、持ってきてるんだけどさあ」
「ちやり、お前もかよ……」
ちやりが尤魔の後ろからおずおずと、回復用に持って来ていた赤いポリタンクを見せた。
石油と言ったが地獄の物はただの石油にあらず。あらゆる生き物の記憶や怨恨が蓄積されてどす黒く変色した血液なのだ。
これを飲み干せば、確かに尤魔は無敵の姿になれる。ただし了承すれば埴輪も食わされる事は確定だ。はたして、尤魔の決断は――。
「ちくしょうめえ! 埴輪だけじゃなく、お前ら纏めて腹の中に収めてやらあーッ!」
「総員、戦闘準備ー!」
「磨弓、埴輪アイドルの団結力を見せてやりなさい!」
尤魔ががっちりとポリタンクを持ち上げた。それを見て畜生と埴輪達も敵に向けて飛び掛かる。
ほんの少しアイドルが流行ったところで、やはりここは卑劣な策略と暴力をもって治められる畜生界だ。こうやってどったんばったん大騒ぎするのが一番性に合っている。
あるべき姿に戻った獣達は、己の縄張りを守るべくけたたましい咆哮を上げるのであった。
一方、その頃。
「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー……」
「うん、良いねえお燐ちゃん! 尼の才能あるよ!」
「えへへ、そうかなあ。でもさとり様の介護……じゃなくてお世話があるから出家するわけにはいかないなあ」
お燐と、水蜜。共に尤魔に声をかけられたアイドル候補生達だ。
現在はデビューに備えて熱心にボイストレーニングの真っ最中である。が、明らかに方向性を間違えていた。
お燐は元々声の伸びは良い。音程が壊滅的なのである。そこに寺住まいの水蜜が、声を鍛えるには読経と余計なアドバイスをしてしまった為に、旧地獄は極楽浄土となっていた。
「……それにしても、饕餮のヤツ全然迎えに来ないね。もしかして忘れられてたりして」
「まっさか~! あの執念深い羊に限ってそんな事ないって! きっと食べ過ぎで寝てるだけだよ」
まさに埴輪の食べ過ぎで、尤魔が性癖詰め合わせセットみたいな事になっているとは思うまい。
尤魔が正気に戻るまでの間、お燐はひたすら旧地獄の怨霊にお経をお届けし続け、危うく主である反則探偵の仕事まで打ち切りにするところであった。
と思ったところでお燐と水蜜にとどめ刺されました
面白かったです
饕餮たちが迷走しているところに普通にカチこんでくる磨弓に笑いました
モブたちのツッコミもキレキレで最高です