私の名前はフランドール・スカーレット。
悪しき吸血鬼が住まう砦の地下に囚われのお姫様。
吸血鬼の名に違わぬ血色のドレスがお気に入りで、それはまるで全身に返り血を浴びたよう。
背中から突き出る、焼け焦げた枝のような皮膜のない開長1.5mくらいの翼が私のアイデンティティ。
虹色に光る宝石が、提灯みたいにぶら下がっているの。イルミネーションみたいできれいだと思わない?
背丈は1mもないし容姿は童そのものだけど、こう見えて495年は生きているのよ。
今日も私のメロディアスな夜がやってきた。
規則正しく、計算づくされた本日の予定に誤算は無い。今宵の調律は誰にも乱せはしない。
暗闇の中、点在する松明が道案内をする人魂のようにメラメラと燃えている。
砦の地下の最奥は物々しい鉄の扉が鎮座していた。
室内は、いかにも貴族が好みそうな天蓋付きベッドやインテリアの数々が備わっている。
一面紅づくめの絨毯と壁紙で色調は統一され、アクセントとばかりな明彩装飾がところどころに散りばめられており、そこはかとない高級感を演出しているが、実際高価なものばかり。
壁に寄り掛かったテディベアのエナメル質が、部屋に佇む二人を映していた。
幼女の外見を象ろうとも、背後に宿る翼が、異形の存在を示している。
怪物に相対するメイドは、見慣れているのか、血の通った枯れ枝を前にしても姿勢は正したまま。
メイドは持ち込んだステンレスの鳥かごを掲げてみせる。
中には、黄色で下半分は緑色の羽毛を生やしたセキセイインコ。
「小鳥を連れて参りましたので、よろしければご覧になりますか?」
脈略もなく訪れた来客に
つまらなそうな顔で、フランドールは腰かけていたベッドの上で態勢を整える。
何か欲しいものがある時は使用人を小間使いにしたりはするが、
頼んだものの中に生類を要求した覚えなんてない。
「ご苦労さま。わあ、ペット、最高。かわいいし、人間と違って素直だし。」
だとすれば、いきなり主人の元を訪れ小動物を部屋に招くなどとはどういう了見か。
予想外な出来事に呆気を取られ、すっかり興も冷めてしまった。
今求めているのは疑問に対する回答と説明だ。
フランドールは少し眼光を鋭くして言い放った。
「咲夜。主人の部屋に鳥のフンやら羽やら落とそうもんなら、あんた、どうなるか分かってるよね?」
見舞人の名は十六夜咲夜。
このメイドによる問題行動の数々に私はうんざりするほどうんざりさせられている。
「もしも、ひょんなことから脱走してしまったり、粗相をしようものなら、きつく叱っておきますのでどうか許してあげてください。
それで、私はどうなってしまうのですか?もしかして、減給でしょうか。よもやなけなしのお給料まで取り上げてしまうなんて言いませんよね」
「八つ裂きの刑よ。四人に分身して両手両足をそれぞれ引きちぎってあげる。カーペットに血が染みたって元から紅だもの、さほど変わらないでしょう。
他人の、ましてや雇い主の自室に埃の種を撒くなんて、あってはいけないことよ。何より、今でも獣臭くってありゃしない。本当だったらチビ共々すぐにでも切り裂いてやりたいけど、爪が汚れちゃったら嫌だもの。」
フランドールは自分の手のひらを、色々な角度から眺める。
仕事は何から何まで器用にこなすので、きっちりした性格なのかと思いきや、奇妙なことをやりたがる物好き。小さなことで大きな騒ぎを起こすことが特技の厄介なメイド。
これで業務に何かしらの支障や損失があるなら咎め用があるものの、なまじ全てを完璧にこなしてみせるため、揚げ足の取りようがない。
青を基調に作られたメイド服は、楚々とした雰囲気で、銀髪と端正な顔立ちから来る
本人の冷たそうな印象とよくマッチしている。反対に、足首まで届くロングスカートは重厚感があり、白のエプロンが毛布みたいで、どことなく暖かそうだ。
咲夜は促されてフランドールの右手に視線を向ける。
刃物のように尖った爪先には、親指から小指まで順番に紫と青のグラデーションがかかったマニキュアがあしらわれていた。
控えめにラメが塗られていて、さしずめ夜空に浮かぶ星々だ。
「まあ、とてもかわいらしいです」
「ケースの中に残った有り合わせけど、いつもの明るい色より、たまには寒色も使ってやろうと思って。
服も部屋も紅づくめなのもあって、一際目立つでしょ?今回は色の選定に凝ったの。
いつにも増して気分も上々だから許してあげないこともないわ。化粧品に命を救われるなんて、数奇な運命だこと」
「責任は取ります。鳥だけに。」
「給料は下げておくわ、うん」
フランドールの杞憂をよそに、甲高い声が辺りに響く。
「ワカッテルヨネ、ワカッテルヨネ」
何事かと思えば、セキセイインコが喋り出していた。
今しがたフランドールが発した脅し文句の一文を覚えてしまった様子だ。
フランドールはいかにも嫌そうに眉をひそめ視線を上に向けた。
「ああ、もう騒々しい。」
奇妙なこともあるものだ、咲夜はそう考えながら鳥かごを覗き込む。
セキセイインコは、黒々とした目でこちらを見返してくるのが愛らしい。不思議なことに、黒目が大部分を占めているのも関わらず、目が点になっているのがよく分かる。
自分より大きな存在を恐々と見やる様子は、花瓶を割って縮こまる部下の妖精メイドを思い出す。愛らしいかどうかはさておいて、お仕置きはした。
「これっぽっちも似てない。とても不愉快。咲夜の野太い声ならともかく、よりによって私の麗しき美声がどうして畜生なんかに真似されなきゃいけないの」
苛立つお姫様とは反対に、メイドはおかしそうに告げる。
「まあまあ、本日はお茶請けにプリンがございますから、ご機嫌を直してください。それに、案外悪くありませんでしたけど」
プリンと言えばお子様から老人まで人気な和製洋菓子の定番である。
いかにも子供っぽいとか、お姫様にしては庶民的であることは、禁句だ。
外見が子供なら、趣味趣向も見た目相応なんだ。
フランドールが聞くも美しい声帯の持ち主であるかどうかは議論の余地があるが、個人的に嫌いではないと咲夜は考える。
私は十六夜咲夜と申します。この砦にお仕えする一介のメイドではありますが、畏れ多くもメイド長を任されております。
私が思うに、双子の姉君であられるレミリア様と比べても、フランドール様の抑揚のある声色は飾り気がありません。言葉遣いは皮肉っぽく荒々しい、かと思えば余所行きの先においてはやんちゃも鳴りを潜め、外見に似合わぬ大人びた振る舞いをなさり、日頃の言動と見比べると急な変わりざまに洗っていた食器も宙を泳ぎそうになります。
どんなにお行儀が悪く幼稚な時でさえ、根底には、いつぞやの頼もしさを秘められていると思うや、すべての行動に意味と思慮深さを感じざるを得ません。
自室では子供っぽく、使用人の中でも目立って咲夜めに当たることの多いお嬢様ですが、プライベートでは緊張をほぐされることを嬉しく思います。
何より、外では良い子なフラン様だからこそ、甘えてこられること自体メイドとして大変名誉に思いこそすれ、繰り返されるおいたに不満を持ったことは一度もございません。
何がお嬢様の神経を逆なでするか予測できませんし、ワガママ気ままで聞き分けの悪い子供だと溜息を吐きたくなる時もあれば、ときおり垣間見える名家たる才覚の鱗片に感心させられたり。
いやいや、その辺をほっつき歩くモブと違って、私は己の信念と確かな展望を持った意思の強固な人間です。
例えば、ただの悪漢による偏屈なスピーチに、ありもしないリーダシップを見出して信者になったり、よく知りもしない情勢を人伝てに聞いた程度で知ったか振りをするような、他者に価値観を習う姿勢や、誰かに傾倒して思想を安安と鞍替えすのは好きじゃありません。
暴論を並べ立てて自分が正しいと思っている輩がいもすればやかましいと一蹴しますし、耳に入った報道は確認が取れるまで良し悪しを判じず、情報が出揃ったとしてもなお最後の最後まで結果を疑い続けます。
このことから、わたくしがいかに自身を俯瞰できているかが分かると思いますわ。
けしてお嬢様を尊敬するあまり、想像を美化させてしまっているわけではないのであしからず。
何より、全体の使用人を取りまとめ、人事を司る責任者としては、思い込みこそとことん排除しなければならないものです。
日々の業務で磨かれた私の審美眼は、懐中時計の核と呼ばれるエスケープメントにも劣らない緻密で正確な公平さを保っていると自負しておりますわ。
忖度は相手に失礼だと考えておりますので、いかに対象が目上の方であろうと、ありのままハッキリと申し上げることが私なりの美徳です。
贔屓目なしに評価しても気品満ちるフランドールお嬢様に私は毎夜敬服するばかりでございます。
咲夜は主人が目の前でしかめ面をしているのも気にせず、物思いに没入していた。
意外とおしゃべりだったり、肝心なところで明後日を向いていたりする。
フランドールは軽く目を閉じると、口を開いた。
「まあいいわ。それにしても、インコなのにオウム返しとはね」
「この前パチュリー様の書架でお見かけしましたが、インコとオウムの違いは、冠羽の有無で区別されるそうですわ。今度、パチュリー様をお誘いして、お伺いしてみましょうね」
パチュリー・ノーレッジとは砦の書庫を根城にする賢者の名前だ。
彼女は読書収集家として知られ、ノーレッジあるところに図書館ありと謳われているほどである。
もはや、かの魔女が好き好んで図書館に住まうのか、居つく先を図書館にしてしまうのか、あやふやだ。
いつも紫色とも桃色ともつかない眠そうな色のダブついた服を来ていて、片手に携えた魔導書は肌身放したことがない。
表情筋は使われたことがないくらい滅多に笑わず、唇だけが不機嫌そうに閉じられており、閉じかけの半目は、睨まれたと泣かれても、言い訳できない目付きの悪さ。
誰に対しても無関心を貫いていて、周囲の不興を買ったりもするが、たまに見せる優しさからか使用人の中には熱烈な信者もいるらしい。
ミステリアスな魅力とギャップが万人の好奇心とカタルシスをくすぶり、魅惑して止まないのである。
彼女の数え切れない長所をまとめた、背面と見開きがくっつかん勢いの分厚い本を
「必見密着、秘めたる冷たさの表に隠された温情に迫る。優しさゆえの愛とムチの熱交換。窓辺に佇む室外機」
と題して出版すれば、発行部数は初週売上100万部を突破し、印刷機は摩耗で発熱、著者は売れっ子引っ張りだこ。
書店の、モザイクアートばりにバラバラな本棚を当書の表紙だけで一色に染め上げるだろう。
きっと空高き天上人であらせられる、あの賢人様にお近づきになることができるなんて人物は、世界でも有数の実力者だったり、ほんの一握りなのだろうな。
いや、情緒を誰よりも理解し、人情みを重んじる我らがパチュリー総統が交友関係とはいえ、権力者との関わりを好むだろうか。
むしろ、町外れの人行き少ない里や村か、何気なく目立たない場所こそに、ここぞと決められた思いの外普通で、どこにでもいそうな村人が意外に、お知り合いだったりするのではないか。
そしてそのなんてなさそうなご友人の前でだけは、ノーレッジお大臣様も賢者としてではなく一人の人として気兼ねなく接することができるのだ。
そうやって色々想像してみたところで、ふと彼女の友達を指折り数えてみると、片手の指で足りるほどだった。
「名案ね。あの尊大な魔女との歓談を添えれば、こと素晴らしきお茶会となるでしょう」
「パチュリー様のお話はいつも面白くいらっしゃいますね」
「ええ、無口で本に俯いてばかりだし、やっと口を開いたと思えば、陰険な顔でちっとも笑えないことしか言わないし」
「フラン様、いかにパチュリー様であっても、そんなことを言ってはいけません。紙に湿気が移っては困るからと、紅茶を入れさせないのも、きっと私に気を遣ってのことなのですよ。どちらかと言えば、湿気るのは気分の方でございますが。」
「それも、図書館から出てこれればの話ね。あの出不精にはうず高く積んだ蔵書と一緒にホコリを被っていた方がお似合いなのよ。そのうち、エコノミークラス症候群についての記述でも見つけて大騒ぎするに違いないわ。そうなれば、血行もけっこう良くなるでしょう?」
本の小山の中心で、元々悪い顔色をさらに青ざめたパチュリー。
健康になるため動くしかないが、動くと持病の喘息が発作する。数々の矛盾が玄関の扉を遠ざける。
「フラン様きってのお誘いですもの。さしものパチュリー様も部屋からおいでになってくださいますとも。
確認ですが、テラスにご用意する椅子と茶菓子は、一人分でよろしいですよね?」
咲夜のやつは、パチュリーはきっと出席するとのたまいながら
1セットしか持ってこないとほざく。
それは冗談のつもりなのだろうか。
面白くないから、少しからかってやることにした。
「ちょっとちょっと、ちゃんと二人分持ってきてよ。
あなたの席がないじゃない」
咲夜は眉を上げて意外そうに答えた。
「いいのですか?」
「不本意だけどね。家事炊事くらいが取り柄の雑用係でも、話し相手にはなるでしょう。補欠というやつよ。
あーあ、こんなことならインコ相手にしりとりでもしていた方がまだマシよね」
先程までカゴの中を登ったり降りたりしながら、二人の話を不思議そうに首と耳を傾けて聞いていたインコが合いの手を入れるようにピィと鳴く。
インコと遊ぶにしても、同じ言葉しか返さない山彦相手に尻取りが続く単語なんて、精々”トマト”か”ルール”くらいが関の山だろう。
イメージとしては、コンクリートの壁に延々とラケットを振りかざしテニスボールを打ち付けるといったところか。
そんな細かいことを気にするより、今は目の前の気に入らないメイドをなじる方がフランドールにとって大事らしかった。
なんて心無いことを仰るのだろう、と咲夜は考えつつ各々の準備に取り掛かろうすると、フランドールは引き留めた。
どうやら、まだ何か言いたげらしかった。
「それとこのインコ、明日の朝になったら殺すから。
…別に、朝食というわけじゃないけど、たまには新鮮な生き血を啜ってみたいというだけ。
人間でいう寝酒みたいなものよ、気にすることじゃないわ。世間一般の健康で爽やかな朝とやらを、血と陰りをもって汚してやるのさ。何もかも照らしたがるあの厚かましい太陽の陽気でご機嫌な一日の始まりにちょっとだけ水を差してやるつもりでね。
そうでなきゃ、朝日に追いやられて退屈な棺桶にまた缶詰なんて、我慢ならないよ。呑んでもないとやってらんないっての。
…何よ、こっちをジッと見たりして。早く仕事に戻りなさい。あんたも殺されたくなかったらね。」
続く
悪しき吸血鬼が住まう砦の地下に囚われのお姫様。
吸血鬼の名に違わぬ血色のドレスがお気に入りで、それはまるで全身に返り血を浴びたよう。
背中から突き出る、焼け焦げた枝のような皮膜のない開長1.5mくらいの翼が私のアイデンティティ。
虹色に光る宝石が、提灯みたいにぶら下がっているの。イルミネーションみたいできれいだと思わない?
背丈は1mもないし容姿は童そのものだけど、こう見えて495年は生きているのよ。
今日も私のメロディアスな夜がやってきた。
規則正しく、計算づくされた本日の予定に誤算は無い。今宵の調律は誰にも乱せはしない。
暗闇の中、点在する松明が道案内をする人魂のようにメラメラと燃えている。
砦の地下の最奥は物々しい鉄の扉が鎮座していた。
室内は、いかにも貴族が好みそうな天蓋付きベッドやインテリアの数々が備わっている。
一面紅づくめの絨毯と壁紙で色調は統一され、アクセントとばかりな明彩装飾がところどころに散りばめられており、そこはかとない高級感を演出しているが、実際高価なものばかり。
壁に寄り掛かったテディベアのエナメル質が、部屋に佇む二人を映していた。
幼女の外見を象ろうとも、背後に宿る翼が、異形の存在を示している。
怪物に相対するメイドは、見慣れているのか、血の通った枯れ枝を前にしても姿勢は正したまま。
メイドは持ち込んだステンレスの鳥かごを掲げてみせる。
中には、黄色で下半分は緑色の羽毛を生やしたセキセイインコ。
「小鳥を連れて参りましたので、よろしければご覧になりますか?」
脈略もなく訪れた来客に
つまらなそうな顔で、フランドールは腰かけていたベッドの上で態勢を整える。
何か欲しいものがある時は使用人を小間使いにしたりはするが、
頼んだものの中に生類を要求した覚えなんてない。
「ご苦労さま。わあ、ペット、最高。かわいいし、人間と違って素直だし。」
だとすれば、いきなり主人の元を訪れ小動物を部屋に招くなどとはどういう了見か。
予想外な出来事に呆気を取られ、すっかり興も冷めてしまった。
今求めているのは疑問に対する回答と説明だ。
フランドールは少し眼光を鋭くして言い放った。
「咲夜。主人の部屋に鳥のフンやら羽やら落とそうもんなら、あんた、どうなるか分かってるよね?」
見舞人の名は十六夜咲夜。
このメイドによる問題行動の数々に私はうんざりするほどうんざりさせられている。
「もしも、ひょんなことから脱走してしまったり、粗相をしようものなら、きつく叱っておきますのでどうか許してあげてください。
それで、私はどうなってしまうのですか?もしかして、減給でしょうか。よもやなけなしのお給料まで取り上げてしまうなんて言いませんよね」
「八つ裂きの刑よ。四人に分身して両手両足をそれぞれ引きちぎってあげる。カーペットに血が染みたって元から紅だもの、さほど変わらないでしょう。
他人の、ましてや雇い主の自室に埃の種を撒くなんて、あってはいけないことよ。何より、今でも獣臭くってありゃしない。本当だったらチビ共々すぐにでも切り裂いてやりたいけど、爪が汚れちゃったら嫌だもの。」
フランドールは自分の手のひらを、色々な角度から眺める。
仕事は何から何まで器用にこなすので、きっちりした性格なのかと思いきや、奇妙なことをやりたがる物好き。小さなことで大きな騒ぎを起こすことが特技の厄介なメイド。
これで業務に何かしらの支障や損失があるなら咎め用があるものの、なまじ全てを完璧にこなしてみせるため、揚げ足の取りようがない。
青を基調に作られたメイド服は、楚々とした雰囲気で、銀髪と端正な顔立ちから来る
本人の冷たそうな印象とよくマッチしている。反対に、足首まで届くロングスカートは重厚感があり、白のエプロンが毛布みたいで、どことなく暖かそうだ。
咲夜は促されてフランドールの右手に視線を向ける。
刃物のように尖った爪先には、親指から小指まで順番に紫と青のグラデーションがかかったマニキュアがあしらわれていた。
控えめにラメが塗られていて、さしずめ夜空に浮かぶ星々だ。
「まあ、とてもかわいらしいです」
「ケースの中に残った有り合わせけど、いつもの明るい色より、たまには寒色も使ってやろうと思って。
服も部屋も紅づくめなのもあって、一際目立つでしょ?今回は色の選定に凝ったの。
いつにも増して気分も上々だから許してあげないこともないわ。化粧品に命を救われるなんて、数奇な運命だこと」
「責任は取ります。鳥だけに。」
「給料は下げておくわ、うん」
フランドールの杞憂をよそに、甲高い声が辺りに響く。
「ワカッテルヨネ、ワカッテルヨネ」
何事かと思えば、セキセイインコが喋り出していた。
今しがたフランドールが発した脅し文句の一文を覚えてしまった様子だ。
フランドールはいかにも嫌そうに眉をひそめ視線を上に向けた。
「ああ、もう騒々しい。」
奇妙なこともあるものだ、咲夜はそう考えながら鳥かごを覗き込む。
セキセイインコは、黒々とした目でこちらを見返してくるのが愛らしい。不思議なことに、黒目が大部分を占めているのも関わらず、目が点になっているのがよく分かる。
自分より大きな存在を恐々と見やる様子は、花瓶を割って縮こまる部下の妖精メイドを思い出す。愛らしいかどうかはさておいて、お仕置きはした。
「これっぽっちも似てない。とても不愉快。咲夜の野太い声ならともかく、よりによって私の麗しき美声がどうして畜生なんかに真似されなきゃいけないの」
苛立つお姫様とは反対に、メイドはおかしそうに告げる。
「まあまあ、本日はお茶請けにプリンがございますから、ご機嫌を直してください。それに、案外悪くありませんでしたけど」
プリンと言えばお子様から老人まで人気な和製洋菓子の定番である。
いかにも子供っぽいとか、お姫様にしては庶民的であることは、禁句だ。
外見が子供なら、趣味趣向も見た目相応なんだ。
フランドールが聞くも美しい声帯の持ち主であるかどうかは議論の余地があるが、個人的に嫌いではないと咲夜は考える。
私は十六夜咲夜と申します。この砦にお仕えする一介のメイドではありますが、畏れ多くもメイド長を任されております。
私が思うに、双子の姉君であられるレミリア様と比べても、フランドール様の抑揚のある声色は飾り気がありません。言葉遣いは皮肉っぽく荒々しい、かと思えば余所行きの先においてはやんちゃも鳴りを潜め、外見に似合わぬ大人びた振る舞いをなさり、日頃の言動と見比べると急な変わりざまに洗っていた食器も宙を泳ぎそうになります。
どんなにお行儀が悪く幼稚な時でさえ、根底には、いつぞやの頼もしさを秘められていると思うや、すべての行動に意味と思慮深さを感じざるを得ません。
自室では子供っぽく、使用人の中でも目立って咲夜めに当たることの多いお嬢様ですが、プライベートでは緊張をほぐされることを嬉しく思います。
何より、外では良い子なフラン様だからこそ、甘えてこられること自体メイドとして大変名誉に思いこそすれ、繰り返されるおいたに不満を持ったことは一度もございません。
何がお嬢様の神経を逆なでするか予測できませんし、ワガママ気ままで聞き分けの悪い子供だと溜息を吐きたくなる時もあれば、ときおり垣間見える名家たる才覚の鱗片に感心させられたり。
いやいや、その辺をほっつき歩くモブと違って、私は己の信念と確かな展望を持った意思の強固な人間です。
例えば、ただの悪漢による偏屈なスピーチに、ありもしないリーダシップを見出して信者になったり、よく知りもしない情勢を人伝てに聞いた程度で知ったか振りをするような、他者に価値観を習う姿勢や、誰かに傾倒して思想を安安と鞍替えすのは好きじゃありません。
暴論を並べ立てて自分が正しいと思っている輩がいもすればやかましいと一蹴しますし、耳に入った報道は確認が取れるまで良し悪しを判じず、情報が出揃ったとしてもなお最後の最後まで結果を疑い続けます。
このことから、わたくしがいかに自身を俯瞰できているかが分かると思いますわ。
けしてお嬢様を尊敬するあまり、想像を美化させてしまっているわけではないのであしからず。
何より、全体の使用人を取りまとめ、人事を司る責任者としては、思い込みこそとことん排除しなければならないものです。
日々の業務で磨かれた私の審美眼は、懐中時計の核と呼ばれるエスケープメントにも劣らない緻密で正確な公平さを保っていると自負しておりますわ。
忖度は相手に失礼だと考えておりますので、いかに対象が目上の方であろうと、ありのままハッキリと申し上げることが私なりの美徳です。
贔屓目なしに評価しても気品満ちるフランドールお嬢様に私は毎夜敬服するばかりでございます。
咲夜は主人が目の前でしかめ面をしているのも気にせず、物思いに没入していた。
意外とおしゃべりだったり、肝心なところで明後日を向いていたりする。
フランドールは軽く目を閉じると、口を開いた。
「まあいいわ。それにしても、インコなのにオウム返しとはね」
「この前パチュリー様の書架でお見かけしましたが、インコとオウムの違いは、冠羽の有無で区別されるそうですわ。今度、パチュリー様をお誘いして、お伺いしてみましょうね」
パチュリー・ノーレッジとは砦の書庫を根城にする賢者の名前だ。
彼女は読書収集家として知られ、ノーレッジあるところに図書館ありと謳われているほどである。
もはや、かの魔女が好き好んで図書館に住まうのか、居つく先を図書館にしてしまうのか、あやふやだ。
いつも紫色とも桃色ともつかない眠そうな色のダブついた服を来ていて、片手に携えた魔導書は肌身放したことがない。
表情筋は使われたことがないくらい滅多に笑わず、唇だけが不機嫌そうに閉じられており、閉じかけの半目は、睨まれたと泣かれても、言い訳できない目付きの悪さ。
誰に対しても無関心を貫いていて、周囲の不興を買ったりもするが、たまに見せる優しさからか使用人の中には熱烈な信者もいるらしい。
ミステリアスな魅力とギャップが万人の好奇心とカタルシスをくすぶり、魅惑して止まないのである。
彼女の数え切れない長所をまとめた、背面と見開きがくっつかん勢いの分厚い本を
「必見密着、秘めたる冷たさの表に隠された温情に迫る。優しさゆえの愛とムチの熱交換。窓辺に佇む室外機」
と題して出版すれば、発行部数は初週売上100万部を突破し、印刷機は摩耗で発熱、著者は売れっ子引っ張りだこ。
書店の、モザイクアートばりにバラバラな本棚を当書の表紙だけで一色に染め上げるだろう。
きっと空高き天上人であらせられる、あの賢人様にお近づきになることができるなんて人物は、世界でも有数の実力者だったり、ほんの一握りなのだろうな。
いや、情緒を誰よりも理解し、人情みを重んじる我らがパチュリー総統が交友関係とはいえ、権力者との関わりを好むだろうか。
むしろ、町外れの人行き少ない里や村か、何気なく目立たない場所こそに、ここぞと決められた思いの外普通で、どこにでもいそうな村人が意外に、お知り合いだったりするのではないか。
そしてそのなんてなさそうなご友人の前でだけは、ノーレッジお大臣様も賢者としてではなく一人の人として気兼ねなく接することができるのだ。
そうやって色々想像してみたところで、ふと彼女の友達を指折り数えてみると、片手の指で足りるほどだった。
「名案ね。あの尊大な魔女との歓談を添えれば、こと素晴らしきお茶会となるでしょう」
「パチュリー様のお話はいつも面白くいらっしゃいますね」
「ええ、無口で本に俯いてばかりだし、やっと口を開いたと思えば、陰険な顔でちっとも笑えないことしか言わないし」
「フラン様、いかにパチュリー様であっても、そんなことを言ってはいけません。紙に湿気が移っては困るからと、紅茶を入れさせないのも、きっと私に気を遣ってのことなのですよ。どちらかと言えば、湿気るのは気分の方でございますが。」
「それも、図書館から出てこれればの話ね。あの出不精にはうず高く積んだ蔵書と一緒にホコリを被っていた方がお似合いなのよ。そのうち、エコノミークラス症候群についての記述でも見つけて大騒ぎするに違いないわ。そうなれば、血行もけっこう良くなるでしょう?」
本の小山の中心で、元々悪い顔色をさらに青ざめたパチュリー。
健康になるため動くしかないが、動くと持病の喘息が発作する。数々の矛盾が玄関の扉を遠ざける。
「フラン様きってのお誘いですもの。さしものパチュリー様も部屋からおいでになってくださいますとも。
確認ですが、テラスにご用意する椅子と茶菓子は、一人分でよろしいですよね?」
咲夜のやつは、パチュリーはきっと出席するとのたまいながら
1セットしか持ってこないとほざく。
それは冗談のつもりなのだろうか。
面白くないから、少しからかってやることにした。
「ちょっとちょっと、ちゃんと二人分持ってきてよ。
あなたの席がないじゃない」
咲夜は眉を上げて意外そうに答えた。
「いいのですか?」
「不本意だけどね。家事炊事くらいが取り柄の雑用係でも、話し相手にはなるでしょう。補欠というやつよ。
あーあ、こんなことならインコ相手にしりとりでもしていた方がまだマシよね」
先程までカゴの中を登ったり降りたりしながら、二人の話を不思議そうに首と耳を傾けて聞いていたインコが合いの手を入れるようにピィと鳴く。
インコと遊ぶにしても、同じ言葉しか返さない山彦相手に尻取りが続く単語なんて、精々”トマト”か”ルール”くらいが関の山だろう。
イメージとしては、コンクリートの壁に延々とラケットを振りかざしテニスボールを打ち付けるといったところか。
そんな細かいことを気にするより、今は目の前の気に入らないメイドをなじる方がフランドールにとって大事らしかった。
なんて心無いことを仰るのだろう、と咲夜は考えつつ各々の準備に取り掛かろうすると、フランドールは引き留めた。
どうやら、まだ何か言いたげらしかった。
「それとこのインコ、明日の朝になったら殺すから。
…別に、朝食というわけじゃないけど、たまには新鮮な生き血を啜ってみたいというだけ。
人間でいう寝酒みたいなものよ、気にすることじゃないわ。世間一般の健康で爽やかな朝とやらを、血と陰りをもって汚してやるのさ。何もかも照らしたがるあの厚かましい太陽の陽気でご機嫌な一日の始まりにちょっとだけ水を差してやるつもりでね。
そうでなきゃ、朝日に追いやられて退屈な棺桶にまた缶詰なんて、我慢ならないよ。呑んでもないとやってらんないっての。
…何よ、こっちをジッと見たりして。早く仕事に戻りなさい。あんたも殺されたくなかったらね。」
続く
あっちこっちに話が飛ぶのに読み終わるとちゃんとまとまっているように見えて不思議でした
このインコが最終的にキーパーソンになったら面白いと思いました
人称と視点の揺れという瑕疵はあるものの、それも個性みたいな感じで全体で見れば綺麗におさまっていて良いと思います。