幻想郷で卵はちょっとした貴重品だ。全く食べることができないわけでもないが、常にあるわけでもない。
幻想郷で猪肉の塩漬け燻製肉
はもっと貴重だ。塩もスパイスも時々しか来ないからなのだろう。貴重だと値段が上がる。値段が上がるとどうなるか。ガードが固くなって私達妖精にはちょっと手が出しにくくなるのだ。
だから、居酒屋の昼営業と夜営業の間、店員の気が緩んでいるときに卸されたばかりの塊肉一個が窓際に置かれていたのは奇跡だった。そしてもっと幸運なことに、この日の朝養鶏家が私達に六個入りの卵の入れ物をくれた(当然許可はとっていないが、盗んでくださいと言いたげに不用心に置いてあったので貰ってよいやつだったのだろう)。
その日のうちにベーコンは厚切りにして焼いて大半食べてしまった。美味しかったがちょっとしょっぱかった。でも残りのベーコンと、卵は丸ごと六個残っている。
外国が舞台の絵本の挿絵で、薄切りのベーコンの上に目玉焼きが一個、それとパンという朝ご飯の光景を見たことがある。以来それを食べたいとずっと思っていたのだが、主にベーコンが手に入らないせいで頓挫していた。が、今や手元にはベーコンも卵もある。パンがないのは些細な問題だ。パンがなければご飯で食べればいいじゃない。
なんにせよ、積年の私の願いが叶う。そしてその願いは決して重い代償を伴うような大それたものではない。
そう、思っていたんだけれどなあ。
***
「おはよう」
翌朝、サニーとルナの早起きレースはサニーが勝利した。このレース、昔は徹夜するルナが試合前から勝利していたのが、彼女は最近ついに日が出る前に寝るということを覚えた。故にここのところはずっとサニーが勝ち続けている。前々からだが、二人の生活サイクルが違いすぎてレースとして成立しているのかも怪しい。
ただ、どっちが勝つにしろ朝ご飯は作ってくれないので朝の食卓の支配者は依然として私である。今日は当然焼きベーコンと目玉焼きなのだが、その皿を見たサニーは唐突に叫んだ。
「おおっ。サニーサイドアップだ!! スターもついに太陽の偉大さを理解したのね」
「サニー……何? 新しいスペルカードでも作ったのかしら」
「いいのよそんなに謙遜しなくても。でも、一個忘れてるわ」
サニーは席に一度座るも机を見渡してまた立ち、棚から赤色の瓶を取った。ケチャップの瓶。そしてそれがさも当然という顔で、スプーン一杯のケチャップを目玉焼きにかけた。
ケチャップも幻想郷では貴重品の側だ。多分ベーコンが貴重なのと同じ理由で。なのでそんな雑に邪道な食べ方で消費するんじゃなくて、もっとちゃんと使ってほしいものだ。朝っぱらからそんなことで言い合う気はないから黙っているが。
誰からの妨害も受けず、サニーは自分の皿を吸血鬼の食事よりも雑に飛び散った赤色で汚す。そして中身を半分くらい食べたところで、寝坊のルナがやっとリビングに入ってきた。
「ん。珍しい匂いがすると思ったら朝ご飯もベーコンなのね」
「そんなことよりもっと重要なことがあるでしょ。ちゃんと目を開けなさい」
サニーに言われてルナはジト目を気持ち縦に広げて食卓を見て、「ああなるほど。ソースが欠けてるわね」と焦げ茶色の入れ物を取り中身を自分の目玉焼きに。言うまでもないことだがソースもまた貴重品で、これまた言うまでもないことだがそんな貴重品を目玉焼きに消費するなど実に邪道。お前ら……。
「今日は太陽が燦々と輝く晴天! そして朝ご飯はサニーサイドアップ! 崇めよ、太陽を、ってね」
「スター、サニーの様子がおかしいんだけれどご飯に毒キノコか何か入れた?」
「入れていないわ。サニーがこんな感じにおかしいのはいつものことよ」
「はー? おかしいのは太陽とサニーサイドアップを崇めない二人の方でしょ」
「そもそもサニーサイドアップって何……? あっ、サニーの髪のサイドが寝癖で上にはねてる。なるほど、寝癖がこうなると崇めないといけないのか。そりゃ大変ねえ」
「馬鹿にしてる?」
「そりゃあ。私達はサニーサイドアップとか言われても分からないし」
「この料理がサニーサイドアップでしょ」
「えっ……。月見じゃないの」
「「は?」」
今の今まで、この場は目玉焼きのことを「サニーサイドアップ」と呼ぶ珍妙な語彙を持つサニーを二人で問い詰める会だと思っていたが、どうやらタイマンバトルだったらしい。
「いや月見って……」
「例えばさ、月見うどんってどんな食べ物?」
「割った卵が上に乗ってるうどん」
「じゃあ月見バーガーは?」
「……どんなんだっけ? 最近幻想郷に現れた食べ物よね、それ」
「あー。確か、目玉焼き入りハンバーガーだったかしら」
「ほら。目玉焼き入りハンバーガーが『月見バーガー』なら、月見バーガーからハンバーガー要素を抜き取った目玉焼きは月見じゃん」
「いやいやおかしいわ。それは目玉焼きを使い方によっては『月見』と言うってだけで、基本の目玉焼きはやっぱり『目玉焼き』でしょ」
「二人ともいつの間にそんなに理屈っぽくなっちゃって。お母さん悲しいわ」
「「サニーは私達のお母さんじゃないでしょ」」
「そこは冗談って分かってよ……。いい? 重要なのは理屈じゃなくてパッションの問題ってこと。この輝く、なんか黒いので汚されてるけど、この輝く黄色は明らかに太陽の輝きでしょ」
サニーは自分の目玉焼きで図示しようとしたが、自分の分は既に残骸になっていたのでだいぶためらいながらルナの目玉焼きを指す。
「これだから夜まで起きていられないお子ちゃまは……。黄色は月の色」
「誰がお子ちゃまだってー!! 同い年じゃん。多分。ともかくあんたこと昼の太陽をちゃんと観察して、いかにそれがサニーサイドアップに似ているかというのをね」
パッションの問題というのは、結局自分がどう思っているかだから、目玉焼きをサニーサイドアップと呼ぶことを信じて疑わないのと月見と呼びはばからないのとの間の溝は絶対に埋まりようがない。ま、じゃあ私達が理屈ベースの口喧嘩できるかって言われたらできないんだけれど。
一個確実なのは、このままじゃいつまでたっても喧嘩も朝ご飯も終わらないってこと。
「よし分かったわ。本当は二人に『普通に目玉焼きって呼べばよくない?』って言いたいところだけれど譲歩してあげましょう」
「サニーサイドアップ!」
「月見!」
「違う! パッションでも理屈でもない、実力よ! 卵が三個余っているから、明日一個ずつ使って目玉焼きを」
「サニーサイドアップ!」
「月見!」
「あーもうとりあえずそれでいいわ。サニーサイドアップなり月見なりを作りなさい。で、私がそれをジャッジして美味しかった方の呼び方を採用するわ」
***
勝負をするのに台所を空けておく必要があるから、という名目で朝ご飯作りを一日サボることに成功した、というのは幸い二人には気が付かれなかったようだ。
久しぶりに朝を怠惰にベッドの中でミノムシのごとく過ごして起きると、テーブルの上には目玉焼きが、制作者の自称するところのサニーサイドアップが一つだけ置いていた。私の怠惰よりルナの普通の方が遅いらしい。
そのうちルナも起きるだろうと、私は目玉焼きをナイフで切って半分だけ取り分け試食することにした。
サニーの目玉焼きは黄身が赤みがかったオレンジ色だった。ナイフを刺すと目玉から液体が流れてくる。
「半熟通り越してほとんど生じゃない。焼くのサボっているわよ」
「わざとそうしてるのよ。そのトロトロの黄身と白身とケチャップを混ぜて食べるのが美味しいんだから」
不味くはない。が、目玉焼きという「食べ物」を口にして半液体というのはやはり騙されたような気がする。あとサニーの性格が大雑把すぎるだけに、本当に生焼けが美味しいと思っているのか裏返す面倒さをサボっているだけなのか、どうにも分かりかねる。
生目玉焼きを食べはじめた頃にルナも起きてきて、遅い朝食の準備、もとい目玉焼き作りを始めた。……フライパンの上に卵を割り落とすところまでは見えたので作っているはずなのだが、十分以上経ったろうに、完成したそぶりを見せない。
「いくらどんくさいからって目玉焼き一つ作れないわけじゃないでしょうね。ちゃんとコンロの火は点けた?」
「うっさいわねえ。万事順調よ。もうちょっと待って」
そのもうちょっとにさらに五分かけた後、ルナが月見と命名した目玉焼きができた。
今度は固形だ。ただ、かなり長時間加熱された薄黄色の黄身はかなり水分を失っている。
「ちょっと苦いくらいなんだけれど」
「低温でじっくりと焼かれたことによる、この深みのある苦みがいいんじゃないの。二人とも子供舌ねえ」
「サニーはともかく私は子供舌じゃないと思うんだけどなあ」
「ま、今回は私の勝ちね」
「いやいや、サニー、せめて焼きなさいよ」
サニーとルナはこの(私から見れば惨憺たる)結果を受けてなお自分こそが正しいと言い合っているが、私はちょっと冷めていた。確かに二人が作った目玉焼きは全くの別物だが、どっちがよいかと言われても……。プロの料理人にこんなこと言ったら怒られるんだろうけれど、結局どう目玉焼きを焼いたところで「焼いた卵」の範囲を超えはしないのだ。あの卵を舐めた調理方法で範囲の限界に達していたかどうかはともかく。
あとやっぱり、二人が作った料理は全くの別物で。
「私はこんなの、目玉焼きとは認めないわ」
「うん。だってこれ、サニーサイドアップであって目玉焼きじゃないし」
「私のだって月見よ月見」
「あれ……?」
「ここまで柔らかく(固く)したらスターも目玉焼き以外の呼び方をしてくれるのね」
「うーん」
私が作る目玉焼きにまで珍妙な呼び方をしてくるという問題は解決していないが、二人がなんか勝ち誇った顔で納得しているし、もうこれでいいか。
「というわけで、私はこのくらいの固さのが好きだから、次からは片面焼きでお願いするわ」
「私はじっくりと焼いたのでね」
……今まで目玉焼きを作るときは体が覚えた焼き方で三つまとめて作ればよかった。目玉焼きの名前という冷静に考えてみてどうでもいい問題のせいで、私の苦労が増した気がする。こういう貧乏くじを引く役割はいつだってルナと相場が決まっていたというのに。全く誰に似て計算高くなったんだか。
「はー。分かったわよ。でも時々は手伝ってね」
「はいはい。それよりさ」
ルナが重い声を上げながら、皿を片付けようとする私の服の裾を引く。
「月見に醤油をかけるのはどうかと思うわ」
「ああそれ私も言おうと思っていたの。百歩譲って卵焼きに醤油なら分かるわ。でもサニーサイドアップというハイカラな料理に醤油ってのはねえ。なんのためのケチャップよ」
「ちょっと。私はソースを使いなさいという意味で忠告したのだけれど」
「二人共どうしたの。卵の味付けは醤油。これこそ基本にして至高よ」
「あ?」
「ん?」
「え?」
たちまち喧嘩別れでこの日の朝ご飯もお開き。私はどうして目玉焼き一つにサニーとルナがそんなムキになるのか今ようやく理解したが、理解したからこそ二人を許すことができなかった。
目玉焼き(サニーサイドアップ)(月見)に何をかけるのかという戦争は戦場(卵)が足りずしばらく冷戦となった。互いに自分の主張を押し付け合う機会を得て、結局自分の好みに忠実なのが一番なのだという現状維持での和解に達するには、まだしばらくの時が必要だった。
幻想郷で猪肉の塩漬け燻製肉
はもっと貴重だ。塩もスパイスも時々しか来ないからなのだろう。貴重だと値段が上がる。値段が上がるとどうなるか。ガードが固くなって私達妖精にはちょっと手が出しにくくなるのだ。
だから、居酒屋の昼営業と夜営業の間、店員の気が緩んでいるときに卸されたばかりの塊肉一個が窓際に置かれていたのは奇跡だった。そしてもっと幸運なことに、この日の朝養鶏家が私達に六個入りの卵の入れ物をくれた(当然許可はとっていないが、盗んでくださいと言いたげに不用心に置いてあったので貰ってよいやつだったのだろう)。
その日のうちにベーコンは厚切りにして焼いて大半食べてしまった。美味しかったがちょっとしょっぱかった。でも残りのベーコンと、卵は丸ごと六個残っている。
外国が舞台の絵本の挿絵で、薄切りのベーコンの上に目玉焼きが一個、それとパンという朝ご飯の光景を見たことがある。以来それを食べたいとずっと思っていたのだが、主にベーコンが手に入らないせいで頓挫していた。が、今や手元にはベーコンも卵もある。パンがないのは些細な問題だ。パンがなければご飯で食べればいいじゃない。
なんにせよ、積年の私の願いが叶う。そしてその願いは決して重い代償を伴うような大それたものではない。
そう、思っていたんだけれどなあ。
***
「おはよう」
翌朝、サニーとルナの早起きレースはサニーが勝利した。このレース、昔は徹夜するルナが試合前から勝利していたのが、彼女は最近ついに日が出る前に寝るということを覚えた。故にここのところはずっとサニーが勝ち続けている。前々からだが、二人の生活サイクルが違いすぎてレースとして成立しているのかも怪しい。
ただ、どっちが勝つにしろ朝ご飯は作ってくれないので朝の食卓の支配者は依然として私である。今日は当然焼きベーコンと目玉焼きなのだが、その皿を見たサニーは唐突に叫んだ。
「おおっ。サニーサイドアップだ!! スターもついに太陽の偉大さを理解したのね」
「サニー……何? 新しいスペルカードでも作ったのかしら」
「いいのよそんなに謙遜しなくても。でも、一個忘れてるわ」
サニーは席に一度座るも机を見渡してまた立ち、棚から赤色の瓶を取った。ケチャップの瓶。そしてそれがさも当然という顔で、スプーン一杯のケチャップを目玉焼きにかけた。
ケチャップも幻想郷では貴重品の側だ。多分ベーコンが貴重なのと同じ理由で。なのでそんな雑に邪道な食べ方で消費するんじゃなくて、もっとちゃんと使ってほしいものだ。朝っぱらからそんなことで言い合う気はないから黙っているが。
誰からの妨害も受けず、サニーは自分の皿を吸血鬼の食事よりも雑に飛び散った赤色で汚す。そして中身を半分くらい食べたところで、寝坊のルナがやっとリビングに入ってきた。
「ん。珍しい匂いがすると思ったら朝ご飯もベーコンなのね」
「そんなことよりもっと重要なことがあるでしょ。ちゃんと目を開けなさい」
サニーに言われてルナはジト目を気持ち縦に広げて食卓を見て、「ああなるほど。ソースが欠けてるわね」と焦げ茶色の入れ物を取り中身を自分の目玉焼きに。言うまでもないことだがソースもまた貴重品で、これまた言うまでもないことだがそんな貴重品を目玉焼きに消費するなど実に邪道。お前ら……。
「今日は太陽が燦々と輝く晴天! そして朝ご飯はサニーサイドアップ! 崇めよ、太陽を、ってね」
「スター、サニーの様子がおかしいんだけれどご飯に毒キノコか何か入れた?」
「入れていないわ。サニーがこんな感じにおかしいのはいつものことよ」
「はー? おかしいのは太陽とサニーサイドアップを崇めない二人の方でしょ」
「そもそもサニーサイドアップって何……? あっ、サニーの髪のサイドが寝癖で上にはねてる。なるほど、寝癖がこうなると崇めないといけないのか。そりゃ大変ねえ」
「馬鹿にしてる?」
「そりゃあ。私達はサニーサイドアップとか言われても分からないし」
「この料理がサニーサイドアップでしょ」
「えっ……。月見じゃないの」
「「は?」」
今の今まで、この場は目玉焼きのことを「サニーサイドアップ」と呼ぶ珍妙な語彙を持つサニーを二人で問い詰める会だと思っていたが、どうやらタイマンバトルだったらしい。
「いや月見って……」
「例えばさ、月見うどんってどんな食べ物?」
「割った卵が上に乗ってるうどん」
「じゃあ月見バーガーは?」
「……どんなんだっけ? 最近幻想郷に現れた食べ物よね、それ」
「あー。確か、目玉焼き入りハンバーガーだったかしら」
「ほら。目玉焼き入りハンバーガーが『月見バーガー』なら、月見バーガーからハンバーガー要素を抜き取った目玉焼きは月見じゃん」
「いやいやおかしいわ。それは目玉焼きを使い方によっては『月見』と言うってだけで、基本の目玉焼きはやっぱり『目玉焼き』でしょ」
「二人ともいつの間にそんなに理屈っぽくなっちゃって。お母さん悲しいわ」
「「サニーは私達のお母さんじゃないでしょ」」
「そこは冗談って分かってよ……。いい? 重要なのは理屈じゃなくてパッションの問題ってこと。この輝く、なんか黒いので汚されてるけど、この輝く黄色は明らかに太陽の輝きでしょ」
サニーは自分の目玉焼きで図示しようとしたが、自分の分は既に残骸になっていたのでだいぶためらいながらルナの目玉焼きを指す。
「これだから夜まで起きていられないお子ちゃまは……。黄色は月の色」
「誰がお子ちゃまだってー!! 同い年じゃん。多分。ともかくあんたこと昼の太陽をちゃんと観察して、いかにそれがサニーサイドアップに似ているかというのをね」
パッションの問題というのは、結局自分がどう思っているかだから、目玉焼きをサニーサイドアップと呼ぶことを信じて疑わないのと月見と呼びはばからないのとの間の溝は絶対に埋まりようがない。ま、じゃあ私達が理屈ベースの口喧嘩できるかって言われたらできないんだけれど。
一個確実なのは、このままじゃいつまでたっても喧嘩も朝ご飯も終わらないってこと。
「よし分かったわ。本当は二人に『普通に目玉焼きって呼べばよくない?』って言いたいところだけれど譲歩してあげましょう」
「サニーサイドアップ!」
「月見!」
「違う! パッションでも理屈でもない、実力よ! 卵が三個余っているから、明日一個ずつ使って目玉焼きを」
「サニーサイドアップ!」
「月見!」
「あーもうとりあえずそれでいいわ。サニーサイドアップなり月見なりを作りなさい。で、私がそれをジャッジして美味しかった方の呼び方を採用するわ」
***
勝負をするのに台所を空けておく必要があるから、という名目で朝ご飯作りを一日サボることに成功した、というのは幸い二人には気が付かれなかったようだ。
久しぶりに朝を怠惰にベッドの中でミノムシのごとく過ごして起きると、テーブルの上には目玉焼きが、制作者の自称するところのサニーサイドアップが一つだけ置いていた。私の怠惰よりルナの普通の方が遅いらしい。
そのうちルナも起きるだろうと、私は目玉焼きをナイフで切って半分だけ取り分け試食することにした。
サニーの目玉焼きは黄身が赤みがかったオレンジ色だった。ナイフを刺すと目玉から液体が流れてくる。
「半熟通り越してほとんど生じゃない。焼くのサボっているわよ」
「わざとそうしてるのよ。そのトロトロの黄身と白身とケチャップを混ぜて食べるのが美味しいんだから」
不味くはない。が、目玉焼きという「食べ物」を口にして半液体というのはやはり騙されたような気がする。あとサニーの性格が大雑把すぎるだけに、本当に生焼けが美味しいと思っているのか裏返す面倒さをサボっているだけなのか、どうにも分かりかねる。
生目玉焼きを食べはじめた頃にルナも起きてきて、遅い朝食の準備、もとい目玉焼き作りを始めた。……フライパンの上に卵を割り落とすところまでは見えたので作っているはずなのだが、十分以上経ったろうに、完成したそぶりを見せない。
「いくらどんくさいからって目玉焼き一つ作れないわけじゃないでしょうね。ちゃんとコンロの火は点けた?」
「うっさいわねえ。万事順調よ。もうちょっと待って」
そのもうちょっとにさらに五分かけた後、ルナが月見と命名した目玉焼きができた。
今度は固形だ。ただ、かなり長時間加熱された薄黄色の黄身はかなり水分を失っている。
「ちょっと苦いくらいなんだけれど」
「低温でじっくりと焼かれたことによる、この深みのある苦みがいいんじゃないの。二人とも子供舌ねえ」
「サニーはともかく私は子供舌じゃないと思うんだけどなあ」
「ま、今回は私の勝ちね」
「いやいや、サニー、せめて焼きなさいよ」
サニーとルナはこの(私から見れば惨憺たる)結果を受けてなお自分こそが正しいと言い合っているが、私はちょっと冷めていた。確かに二人が作った目玉焼きは全くの別物だが、どっちがよいかと言われても……。プロの料理人にこんなこと言ったら怒られるんだろうけれど、結局どう目玉焼きを焼いたところで「焼いた卵」の範囲を超えはしないのだ。あの卵を舐めた調理方法で範囲の限界に達していたかどうかはともかく。
あとやっぱり、二人が作った料理は全くの別物で。
「私はこんなの、目玉焼きとは認めないわ」
「うん。だってこれ、サニーサイドアップであって目玉焼きじゃないし」
「私のだって月見よ月見」
「あれ……?」
「ここまで柔らかく(固く)したらスターも目玉焼き以外の呼び方をしてくれるのね」
「うーん」
私が作る目玉焼きにまで珍妙な呼び方をしてくるという問題は解決していないが、二人がなんか勝ち誇った顔で納得しているし、もうこれでいいか。
「というわけで、私はこのくらいの固さのが好きだから、次からは片面焼きでお願いするわ」
「私はじっくりと焼いたのでね」
……今まで目玉焼きを作るときは体が覚えた焼き方で三つまとめて作ればよかった。目玉焼きの名前という冷静に考えてみてどうでもいい問題のせいで、私の苦労が増した気がする。こういう貧乏くじを引く役割はいつだってルナと相場が決まっていたというのに。全く誰に似て計算高くなったんだか。
「はー。分かったわよ。でも時々は手伝ってね」
「はいはい。それよりさ」
ルナが重い声を上げながら、皿を片付けようとする私の服の裾を引く。
「月見に醤油をかけるのはどうかと思うわ」
「ああそれ私も言おうと思っていたの。百歩譲って卵焼きに醤油なら分かるわ。でもサニーサイドアップというハイカラな料理に醤油ってのはねえ。なんのためのケチャップよ」
「ちょっと。私はソースを使いなさいという意味で忠告したのだけれど」
「二人共どうしたの。卵の味付けは醤油。これこそ基本にして至高よ」
「あ?」
「ん?」
「え?」
たちまち喧嘩別れでこの日の朝ご飯もお開き。私はどうして目玉焼き一つにサニーとルナがそんなムキになるのか今ようやく理解したが、理解したからこそ二人を許すことができなかった。
目玉焼き(サニーサイドアップ)(月見)に何をかけるのかという戦争は戦場(卵)が足りずしばらく冷戦となった。互いに自分の主張を押し付け合う機会を得て、結局自分の好みに忠実なのが一番なのだという現状維持での和解に達するには、まだしばらくの時が必要だった。
感想でも戦争、目玉焼きに何をかけるか書くべきでしょうか。私はそもそも目玉焼きが苦手なので争いは遠巻きに眺めておきますね。
目玉焼きは半熟に限りますよね
そして塩コショウとマヨネーズ
かわいい。自分はサニー派でした
面白かったです。