揺れている。揺れている。揺れている。
どれほど永遠を感じる瞬間であったとしても、やはり終わりは来る。動くものは既に何もなく、強く吹き荒んでいた風はとうに収まっていた。
無縁塚に咲き広がる彼岸花。曼珠沙華とも言うし、地獄花とも言う。
私を笑っていたのだろうか。それとも嗤っていたのだろうか。祝福されているにせよ、嘲られているにせよ、全く良い気分ではない。
無茶苦茶になってしまった思考回路の果てに、これは門出だと私は結論づける。
そう、最初から何も厭うことはなかったのだ。二人の新しい門出に水を差す存在など、きっと気にするだけ無駄なのだろうから。
いつからか、秋の彼岸の時期になると私は決まって無縁塚で休暇を取るようになった。理由としてはこの彼岸花畑が絶景でお気に入りの場所であるのが一つ。珍しい物がたくさん落ちており、いつ来ても飽きない場所であるのが二つ。そして何よりも――『彼』に会える。
きっかけはただのサボりだった。私は心地よい風に身を任せながら彼岸花畑に身をうずめ、うつらうつらとうたた寝をしていた。すると何やらガサゴソと近づいてくる音がして、彼の落ち着いた銀髪が目に飛び込んできたのだ。
たったそれだけだ。正確には深い知性を感じさせる瞳だの、至極柔らかな物腰だの、いろいろあったような気がするが、要は一目惚れというやつである。
彼と顔を合わせた途端、崩れた服装でだらしなく寝そべっていることが急に恥ずかしくなった。柄にもなく小さな悲鳴を上げてしまったことからも相当だ。
はっきり言って初対面の時の会話はよく覚えていない。確か極度の緊張で、終始まくし立てる勢いで話をしていたような気がする。どこぞの天人に口が下手だと指摘された時は全く共感できなかったが、こと恋愛においては的を射ていたのが実に悔しい。私自身の名誉の為にも、あまり振り返るべきではない苦い思い出だろう。さすがに今ではそのようなことはないが、あの時は兎にも角にも必死だったのである。
沸騰した頭で何とか彼から聞き出せたことと言えば、彼は外界の道具拾いの為に無縁塚に来ているというただの世間話であった。それでも私は、またこの地に来れば彼と会えるという事実に胸が一杯だった。
以降足繁く無縁塚に通っては作業をする彼の様子を横で覗き込み、少しずつではあるが言葉を重ねていった。始めは、面倒そうな顔をされるたびにいちいちショックを受けていたものだ。
また上司の癖が移って説教臭くなったと評されることが多い自分だが、一方で、伊達に三途の川の一級案内人を名乗ってはいない。人の身の上話を聞くことは得意分野であり、好きな相手の話ならば尚更だ。そう思っていた。
彼の蘊蓄は幅が広いが故に途中で話題が二転三転することが多く、更には外の世界の話まで混ざってくる為、理解することは困難を極めるのだ。はっきり言ってあまり理解できない内容も多かったが、少しでも話を合わせる為に鈴奈庵に足を運んでしまったのは誰にも言えない秘密であった。
無縁塚に来れば、彼のいる場所はすぐに分かる。私は大抵、無数に落ちている道具の中から良さそうなものを見繕っては彼の所へ持っていっている。故に出来上がってしまった、一箇所だけ明らかに高いガラクタの山がそびえ立っている地点が目印だ。彼との逢瀬の積み重ねを晒していると思うと、未だに顔から火が出るほどに赤くなる。鬱陶しいほどに厄介な恋愛脳には全く困ったものだ。
軽く咳払いをしてから彼の下へ降り立つ。
「よう、相も変わらず元気そうだね」
今となっては彼と毎日会う間柄にまでなった。これには彼の挙動には危なっかしい所があり、どこか変な所へ行ってしまわないよう、側で監視する必要性に気付いたことも多少関係している。
「今日はあんたに特別な土産を持ってきたんだ。……ほら! 仙人も思わず唸ると噂のお団子さ。里で代々団子屋を営んでいる名店の一品でね、一日限定五食だそうだ。ここに来る途中でたまたま買えたよ」
実を言うと以前、彼の食の好みを博霊の巫女に尋ねていた。何でも彼が人里に現れるのは大層珍しいので、この限定団子を絶賛していたことが印象に残っているとか。
「このくらい苦労の内にも入らないよ。え? 久しぶりに食べたいと思っていたからとても嬉しい? そ、そうかい」
普段はどこか捻くれている所もある彼の素直な一面を独り占めしていると思うと、あまりに面映ゆくてつい下を向いてしまいそうになる。
「それじゃあここに置いておくから。他にも要望があったら遠慮なく言いな」
それから日課のごとく、彼と他愛のない話をする。以前と変わったことがあるとすれば、彼がながら作業での会話をしなくなったことだろうか。嬉しいことに面と向かって対話をしてくれるようになり、より話に華が咲くことが多くなった。
「そういえば、この辺りは道具についてる霊気やら念やらで土地そのものが大分汚れちまってるねえ。こいつは一度掃除をしないといけないね。……私を誰だと思ってるのさ。巷ではお掃除小町として有名よ!」
焦ると変に誇張しちゃう癖ほんとやめたい。
ともかく。道具の山そのものを片付けるという選択肢は私達にはない。ならばここで一肌脱いで女性らしさをアピールするという策なのだ(掃除の意味が違うことは気にしてはいけない)。
「……ああ、河童が便利なアイテムを持っていると耳にしたことがあるけど。そうか、それが掃除機ってやつなのかい。物理的な物以外も掃除可能たあ、奴らの技術力には目を見張るものがあるね」
さらには、河童の技術が足されているとはいえ元々の由来事態は外の世界にあるという。
外の世界の道具というのは本当に多種多様だ。外界の死神が、早すぎる変革の流れに適応するのがさぞかし大変だと愚痴っていたことを思い出す。
幻想郷内外問わず、死神の仕事そのものが危ぶまれる時代とはなんとも世知辛い。
「ん、よく見ればあんたも少し汚れているじゃないか。拭いてやるよ」
もはや己には関係がなくなった世情に思いを馳せていると、彼の細かい所に土が着いてるのを見つける。
いつの間にか持ち歩くようになったハンカチで汚れを隅々まで丁寧に拭った。私の動きに連動してくすぐったそうに身を捩らせる彼がおかしくて、つい笑いが漏れる。そして彼の為に尽くせていることが何よりも嬉しくて、この暖かな感覚にずっと身を浸していたいと改めて思ってしまうのだ。
誰にも邪魔されない二人の空間という何にも代え難いものが、どんな犠牲の上に成り立っているとしても。
日が暮れそうになってきていたので、名残を惜しみながらも彼に別れを告げる。
私はあの日から夜になるとずっと、彼に近付いて食い物にしようとする妖怪やら怨霊やらがいないかを見回っては撃退している。本当は片時たりとも離れたくはなかったが、彼を自由にさせるわけにはいかない以上、仕方がないことだ。
そうして自分を納得させながら歩き出した私の前に、突如、草陰から行く手を阻む者が現れた。相手の素性を認めてから、なんとも間の悪い女だと内心で舌打ちをする。
「こーんな寂れた場所で何をやってるんです? 小野塚先輩」
「私はもうお前さんの先輩じゃあないよ」
逢魔ヶ時に一体誰かと思えば、死神時代の後輩だった。とは言っても、死神という種族の中で典型的な仕事至上主義である彼女とは折り合いが非常に悪く、進んで話をしたい相手ではない。急いでいる時ならば尚更だ。
「そんなつれないこと言わないでくださいよお。突然退職した誰かさんの穴埋めでとっても忙しい中、間隙を縫って会いに来たんですから」
彼女の厭味ったらしい口調と軽薄な仕草からは敬意を感じることはおよそ不可能である。鬱陶しいにもほどがあるので、早々に会話を打ち切りたい。
「そりゃあ三途の川から遠路はるばるご苦労さん。言いたいことはそれだけかい?」
「んなわけないでしょう。我々死神としての崇高な使命を放り出すなんて前代未聞な事件、一体どんな事情があるのか気になるに決まってるじゃないですか」
「そういうのを野暮っていうんだよ。出歯亀が趣味ならそのまま天狗にでも転職したらどうだい」
普段煽られることに慣れていないらしい彼女は一瞬顔を赤くしたが、どうやら平静を装って話を続けることにしたようだ。
「珍しくピリピリしていますね。異端で怠惰なあなたとはついぞわかり合うことはありませんでしたが……唯一、仕事に誇りを持っていたことだけは共通していると思っていたのですが?」
「今もその気持ちは変わってないよ。三途の渡しは絶対に誰かがやらなければならない仕事だし、やりがいもあった。だが、道を外れた私にはもう死神としての存在さえ務まらない」
私の言っている意味がまるでわからないと、後輩は露骨に怪訝な表情を見せる。
「今日一日、特にあなたに変わった様子はありませんでしたが? ……まあ、無縁塚に半日はちょっと長居しすぎな気はしますけど」
「貴重な休日を監視なんかに費やすなんて酔狂だねえ。そんなものの為に、人の大切な時間を邪魔したことは非常にいただけないよ」
「はっ、大袈裟ですねえ。たかが“墓参り”、じゃないですか」
あまりに無遠慮な一言に、腹の底からふつふつと湧いてきた怒りを無理矢理呑み込む。彼女の無神経さは今に始まったことではない。いちいち相手にしていたら、それこそ日が変わってしまうだろう。
だが何か勘違いをしたらしい彼女は、黙った私を見て勝ち誇った表情をしている。それが彼女の死神としての程度の低さを露呈しているだけだとも気づかずに。
「なんにせよ、独り言を言う癖は直したほうがいいですね~。にしても、甲斐甲斐しくお供え物に墓掃除ですか。実に先輩らしくない。本当に死神を辞めるほど大切な人だったんですかあ? さっさと人間のことなんか忘れて、仕事に……」
「恥の上塗りはその辺にしておいたらどうだい。半人前」
「私のどこが半人前だと言うのです! 戯言も大概に……」
それまで威勢よく語っていた彼女は異変を察知し、はたと私の側に視線をやる。そこには一つの霊魂が所在なさげにふよふよと漂っていた。
どうやら彼は我慢できずに様子を見に来てしまったらしい。念の為、能力で墓とここまでの距離は遠くしておいたはずなのだが。やはり縛る範囲を『無縁塚一帯』という形で設定したのは少々甘かったようだ。
こうなってしまったからには仕方がないと、静かに覚悟を決める。
「私の能力すら見抜けずに、よくもまあのうのうと死神をやってられるもんだ」
ようやく全てを悟ったたらしい彼女は、一転しておよそこの世のものを見たとは思えない顔つきで私を凝視する。
「この霊魂の性質は……まさか地縛霊!? あなた気は確かですか! よりにもよって船頭の死神が死者の魂を縛るなど!」
およそ死神としての在り方からは考えられない所業に、嫌悪感をむき出しにして彼女は吠える。
自身にとって常識の埒外にある相手を見ただけでこの慌てようだ。続けていても、彼女にこの仕事は長続きしなかっただろう。
「彼を彼岸に向かわせるわけにはいかないのさ。輪廻転生してしまえばそれはもう、彼と同一の存在ではない。……私は彼のものだし、彼は私のものだ。邪魔をするならば誰であろうと容赦はしない」
最後通牒を突きつけるも、火に油だったようだ。既に彼女は髪を振り乱しながら武器をその手に構えている。正気を失ってしまっていることは明白だった。
「この外道があッ! 貴様は死神の面汚しだ、恥さらしだ! 今、この場で粛清してやる!」
激昂した彼女の目つきは、もはや怨敵を相手にしているものと大差がなかった。おそらく仕事熱心なだけではこうはならない。私に対して日頃から何か強く思う所があったのだろう。仕事中にもう少し相談に乗ってやるべきだったかと後悔するも、後の祭りだ。
彼女もまた私と同様に、何か妄執に囚われている。だが、私は彼との新たな道を歩む為に一切の情は捨てると決めた。きっとそれが何者でもなくなった私の唯一の矜持と呼べるものであり、死に至るまでの過程なのだ。
冷徹に相手を見据えながら、私はただただ鎌を振るった。
それは紫桜が悲壮げに散りゆくとある春から始まる、忌々しくて大切な記憶。普段仏頂面しか見せない彼が、その日は終始穏やかな笑顔を見せていた。思わぬかわいらしいギャップに心を鷲掴みにされていたのは事実だが、同時に嵐のような不安が私を襲っていた。
道具拾いの最中も、彼は心あらずといった様相で拾っては度々道具を取り落とした。いつもと集める道具の種類も大きく異なっている。というより、道具本体よりもその中から何かしらの金属を抽出する作業が圧倒的に多かった。
強烈な違和感。私にとってだけの何か不都合な事実が生じたことを認識する。
足が震えて仕方がない。喉から出かかっている疑問を口にすることは、パンドラの箱を開けることに等しい。
それでも突き上げるような衝動に抗いきれず、気づけば彼に何があったのかを尋ねていた。
彼は恋人が出来た、とはにかみながらもそうはっきり口にした。目の前が真っ白になって何も言えなくなる。何もかもを放りだして、ただ逃げ出したい気分だった。それでも僅かに残された狡猾な理性が、彼に嫌われてはならないと私に囁く。
溢れ出る涙を嬉し涙と偽って、継ぎ接ぎだらけの祝いの言葉を彼に送った。すると彼は心底安心した様子で、女心がわからないので、友人である自分に今後は色々と相談させてほしいと頭を下げる。
愛する彼の頼みだ。断れるわけがない。何より、このまま疎遠になることの方がよっぽど耐えられなかった。
彼はどうやら、恋人には実用性を兼ね備えたマジックアイテムの指輪を手作りして贈ろうと考えているらしい。
相手は一体どのような徳を積んだというのだろう。初めて覚えた嫉妬という感情が、こんなにもべったりと濁ったものであることなど、知りたくなかったというのに。
彼が向ける寵愛を少しでもいいから分けてほしい。己の内から鎌首をもたげた浅ましい欲望が、全ての運命を決定づけることになった。
先に試作品を作ってみてはどうか、と提案したのである。せっかくなら最高の性能を追求しよう、と。
最もらしい言い分を取り繕ってはいるが、その実はおこぼれを期待しただけだった。彼の女心に疎い点は私という邪魔者に対して有利に作用した。彼を騙したその先にある、偽りの優越感が手に入る日を、その時は愚かにも待ち望んでいたのだ。
季節は巡り、また無縁塚では彼岸花が人を出迎える季節が訪れた。
彼とは既に季節関係なく会うような間柄ではあったのだが、それは無縁塚限定の話である。初夏を迎えた頃から、どういうわけか彼はパタリと道具集めに来なくなってしまった。
あの間、私は一体何度彼の家を訪ねようと決意しただろうか。臆病な己に嫌気が差した回数と同一なのは間違いない。
恋人との幸せな日々を送っている彼の様子が脳内にありありと浮かんできては、頭を振って必死にかき消すのだが日常となる有り様だった。
そうして迎えたある秋寒の日。『彼と私』にとっての運命の日。私はいつものごとく勇気が出ずに、肌を差す冷気に追われて無縁塚を去ろうとしていた。
しかし、無縁塚に通ずる鬱蒼とした森の小道の奥から彼が歩いてくるのを見つけてしまう。慌てて駆け寄った所で、彼の様子が異様であることにようやく気づいた。
髪は幾度も掻きむしった跡が残り血に塗れ、服は元の色が全く想像できないほどに正体のわからない汚れだらけ。さらには顔つきにも目にも生気が全く感じられない。元々痩せ型ではあったが、骨がくっきりと浮き出ている様は明らかに栄養失調の域を超えている。
ひび割れた声で彼は事の顛末を語った。もっとも、最初に一言、指輪で事故があったと苦しげに言葉を吐き出す様を見ただけで私は全てを察することができてしまったが。
恋人は試作品の指輪を誤って使用したのだ。彼の下手な隠し事を恋人は見抜いていたのだろう。彼が不在の時を狙って起こったあまりにも不幸な事故。
彼は自責の念に耐えられないと叫ぶ。どうしてこうなった、どこで間違ったと嘆き悲しむ。
違う。決して、決してこんな光景が見たかったわけじゃない。ちっぽけな己を慰めることさえ出来れば、身を引くはずだったのに。
喚く彼を必死に抱き支えるが、私も足元から全てが崩れそうになるのを堪えることで精一杯だった。
やがて憔悴しきった彼は私に縋り付いて言う。友人ではなく死神としての私にたった一言。殺してくれ、と。
彼から漂うあまりにも濃密な死の気配。もはや放っておいてもいずれ衰弱死することは避けられない。
他の死神に彼を取られてしまうくらいならばいっそのこと……。
じっとりとした衝動に誘われるようにして、彼の痩せ細った首に手をかける。
これは私の業が招いた結末なのだから。彼の人生に私が入り込む余地はきっと今しかないのだから――
揺れている。揺れている。揺れている。
彼岸花が。彼の体が。私の心が。
どれほど永遠を感じる瞬間であったとしても、やはり終わりは来る。動くものは既に何もなく、強く吹き荒んでいた風はとうに収まっていた。
無縁塚に咲き広がる彼岸花。曼珠沙華とも言うし、地獄花とも言う。
私を笑っていたのだろうか。それとも嗤っていたのだろうか。祝福されているにせよ、嘲られているにせよ、全く良い気分ではない。
無茶苦茶になってしまった思考回路の果てに、これは門出だと私は結論づける。
そう、最初から何も厭うことはなかったのだ。二人の新しい門出に水を差す存在など、きっと気にするだけ無駄なのだろうから。
いつからか、秋の彼岸の時期になると私は決まって無縁塚で休暇を取るようになった。理由としてはこの彼岸花畑が絶景でお気に入りの場所であるのが一つ。珍しい物がたくさん落ちており、いつ来ても飽きない場所であるのが二つ。そして何よりも――『彼』に会える。
きっかけはただのサボりだった。私は心地よい風に身を任せながら彼岸花畑に身をうずめ、うつらうつらとうたた寝をしていた。すると何やらガサゴソと近づいてくる音がして、彼の落ち着いた銀髪が目に飛び込んできたのだ。
たったそれだけだ。正確には深い知性を感じさせる瞳だの、至極柔らかな物腰だの、いろいろあったような気がするが、要は一目惚れというやつである。
彼と顔を合わせた途端、崩れた服装でだらしなく寝そべっていることが急に恥ずかしくなった。柄にもなく小さな悲鳴を上げてしまったことからも相当だ。
はっきり言って初対面の時の会話はよく覚えていない。確か極度の緊張で、終始まくし立てる勢いで話をしていたような気がする。どこぞの天人に口が下手だと指摘された時は全く共感できなかったが、こと恋愛においては的を射ていたのが実に悔しい。私自身の名誉の為にも、あまり振り返るべきではない苦い思い出だろう。さすがに今ではそのようなことはないが、あの時は兎にも角にも必死だったのである。
沸騰した頭で何とか彼から聞き出せたことと言えば、彼は外界の道具拾いの為に無縁塚に来ているというただの世間話であった。それでも私は、またこの地に来れば彼と会えるという事実に胸が一杯だった。
以降足繁く無縁塚に通っては作業をする彼の様子を横で覗き込み、少しずつではあるが言葉を重ねていった。始めは、面倒そうな顔をされるたびにいちいちショックを受けていたものだ。
また上司の癖が移って説教臭くなったと評されることが多い自分だが、一方で、伊達に三途の川の一級案内人を名乗ってはいない。人の身の上話を聞くことは得意分野であり、好きな相手の話ならば尚更だ。そう思っていた。
彼の蘊蓄は幅が広いが故に途中で話題が二転三転することが多く、更には外の世界の話まで混ざってくる為、理解することは困難を極めるのだ。はっきり言ってあまり理解できない内容も多かったが、少しでも話を合わせる為に鈴奈庵に足を運んでしまったのは誰にも言えない秘密であった。
無縁塚に来れば、彼のいる場所はすぐに分かる。私は大抵、無数に落ちている道具の中から良さそうなものを見繕っては彼の所へ持っていっている。故に出来上がってしまった、一箇所だけ明らかに高いガラクタの山がそびえ立っている地点が目印だ。彼との逢瀬の積み重ねを晒していると思うと、未だに顔から火が出るほどに赤くなる。鬱陶しいほどに厄介な恋愛脳には全く困ったものだ。
軽く咳払いをしてから彼の下へ降り立つ。
「よう、相も変わらず元気そうだね」
今となっては彼と毎日会う間柄にまでなった。これには彼の挙動には危なっかしい所があり、どこか変な所へ行ってしまわないよう、側で監視する必要性に気付いたことも多少関係している。
「今日はあんたに特別な土産を持ってきたんだ。……ほら! 仙人も思わず唸ると噂のお団子さ。里で代々団子屋を営んでいる名店の一品でね、一日限定五食だそうだ。ここに来る途中でたまたま買えたよ」
実を言うと以前、彼の食の好みを博霊の巫女に尋ねていた。何でも彼が人里に現れるのは大層珍しいので、この限定団子を絶賛していたことが印象に残っているとか。
「このくらい苦労の内にも入らないよ。え? 久しぶりに食べたいと思っていたからとても嬉しい? そ、そうかい」
普段はどこか捻くれている所もある彼の素直な一面を独り占めしていると思うと、あまりに面映ゆくてつい下を向いてしまいそうになる。
「それじゃあここに置いておくから。他にも要望があったら遠慮なく言いな」
それから日課のごとく、彼と他愛のない話をする。以前と変わったことがあるとすれば、彼がながら作業での会話をしなくなったことだろうか。嬉しいことに面と向かって対話をしてくれるようになり、より話に華が咲くことが多くなった。
「そういえば、この辺りは道具についてる霊気やら念やらで土地そのものが大分汚れちまってるねえ。こいつは一度掃除をしないといけないね。……私を誰だと思ってるのさ。巷ではお掃除小町として有名よ!」
焦ると変に誇張しちゃう癖ほんとやめたい。
ともかく。道具の山そのものを片付けるという選択肢は私達にはない。ならばここで一肌脱いで女性らしさをアピールするという策なのだ(掃除の意味が違うことは気にしてはいけない)。
「……ああ、河童が便利なアイテムを持っていると耳にしたことがあるけど。そうか、それが掃除機ってやつなのかい。物理的な物以外も掃除可能たあ、奴らの技術力には目を見張るものがあるね」
さらには、河童の技術が足されているとはいえ元々の由来事態は外の世界にあるという。
外の世界の道具というのは本当に多種多様だ。外界の死神が、早すぎる変革の流れに適応するのがさぞかし大変だと愚痴っていたことを思い出す。
幻想郷内外問わず、死神の仕事そのものが危ぶまれる時代とはなんとも世知辛い。
「ん、よく見ればあんたも少し汚れているじゃないか。拭いてやるよ」
もはや己には関係がなくなった世情に思いを馳せていると、彼の細かい所に土が着いてるのを見つける。
いつの間にか持ち歩くようになったハンカチで汚れを隅々まで丁寧に拭った。私の動きに連動してくすぐったそうに身を捩らせる彼がおかしくて、つい笑いが漏れる。そして彼の為に尽くせていることが何よりも嬉しくて、この暖かな感覚にずっと身を浸していたいと改めて思ってしまうのだ。
誰にも邪魔されない二人の空間という何にも代え難いものが、どんな犠牲の上に成り立っているとしても。
日が暮れそうになってきていたので、名残を惜しみながらも彼に別れを告げる。
私はあの日から夜になるとずっと、彼に近付いて食い物にしようとする妖怪やら怨霊やらがいないかを見回っては撃退している。本当は片時たりとも離れたくはなかったが、彼を自由にさせるわけにはいかない以上、仕方がないことだ。
そうして自分を納得させながら歩き出した私の前に、突如、草陰から行く手を阻む者が現れた。相手の素性を認めてから、なんとも間の悪い女だと内心で舌打ちをする。
「こーんな寂れた場所で何をやってるんです? 小野塚先輩」
「私はもうお前さんの先輩じゃあないよ」
逢魔ヶ時に一体誰かと思えば、死神時代の後輩だった。とは言っても、死神という種族の中で典型的な仕事至上主義である彼女とは折り合いが非常に悪く、進んで話をしたい相手ではない。急いでいる時ならば尚更だ。
「そんなつれないこと言わないでくださいよお。突然退職した誰かさんの穴埋めでとっても忙しい中、間隙を縫って会いに来たんですから」
彼女の厭味ったらしい口調と軽薄な仕草からは敬意を感じることはおよそ不可能である。鬱陶しいにもほどがあるので、早々に会話を打ち切りたい。
「そりゃあ三途の川から遠路はるばるご苦労さん。言いたいことはそれだけかい?」
「んなわけないでしょう。我々死神としての崇高な使命を放り出すなんて前代未聞な事件、一体どんな事情があるのか気になるに決まってるじゃないですか」
「そういうのを野暮っていうんだよ。出歯亀が趣味ならそのまま天狗にでも転職したらどうだい」
普段煽られることに慣れていないらしい彼女は一瞬顔を赤くしたが、どうやら平静を装って話を続けることにしたようだ。
「珍しくピリピリしていますね。異端で怠惰なあなたとはついぞわかり合うことはありませんでしたが……唯一、仕事に誇りを持っていたことだけは共通していると思っていたのですが?」
「今もその気持ちは変わってないよ。三途の渡しは絶対に誰かがやらなければならない仕事だし、やりがいもあった。だが、道を外れた私にはもう死神としての存在さえ務まらない」
私の言っている意味がまるでわからないと、後輩は露骨に怪訝な表情を見せる。
「今日一日、特にあなたに変わった様子はありませんでしたが? ……まあ、無縁塚に半日はちょっと長居しすぎな気はしますけど」
「貴重な休日を監視なんかに費やすなんて酔狂だねえ。そんなものの為に、人の大切な時間を邪魔したことは非常にいただけないよ」
「はっ、大袈裟ですねえ。たかが“墓参り”、じゃないですか」
あまりに無遠慮な一言に、腹の底からふつふつと湧いてきた怒りを無理矢理呑み込む。彼女の無神経さは今に始まったことではない。いちいち相手にしていたら、それこそ日が変わってしまうだろう。
だが何か勘違いをしたらしい彼女は、黙った私を見て勝ち誇った表情をしている。それが彼女の死神としての程度の低さを露呈しているだけだとも気づかずに。
「なんにせよ、独り言を言う癖は直したほうがいいですね~。にしても、甲斐甲斐しくお供え物に墓掃除ですか。実に先輩らしくない。本当に死神を辞めるほど大切な人だったんですかあ? さっさと人間のことなんか忘れて、仕事に……」
「恥の上塗りはその辺にしておいたらどうだい。半人前」
「私のどこが半人前だと言うのです! 戯言も大概に……」
それまで威勢よく語っていた彼女は異変を察知し、はたと私の側に視線をやる。そこには一つの霊魂が所在なさげにふよふよと漂っていた。
どうやら彼は我慢できずに様子を見に来てしまったらしい。念の為、能力で墓とここまでの距離は遠くしておいたはずなのだが。やはり縛る範囲を『無縁塚一帯』という形で設定したのは少々甘かったようだ。
こうなってしまったからには仕方がないと、静かに覚悟を決める。
「私の能力すら見抜けずに、よくもまあのうのうと死神をやってられるもんだ」
ようやく全てを悟ったたらしい彼女は、一転しておよそこの世のものを見たとは思えない顔つきで私を凝視する。
「この霊魂の性質は……まさか地縛霊!? あなた気は確かですか! よりにもよって船頭の死神が死者の魂を縛るなど!」
およそ死神としての在り方からは考えられない所業に、嫌悪感をむき出しにして彼女は吠える。
自身にとって常識の埒外にある相手を見ただけでこの慌てようだ。続けていても、彼女にこの仕事は長続きしなかっただろう。
「彼を彼岸に向かわせるわけにはいかないのさ。輪廻転生してしまえばそれはもう、彼と同一の存在ではない。……私は彼のものだし、彼は私のものだ。邪魔をするならば誰であろうと容赦はしない」
最後通牒を突きつけるも、火に油だったようだ。既に彼女は髪を振り乱しながら武器をその手に構えている。正気を失ってしまっていることは明白だった。
「この外道があッ! 貴様は死神の面汚しだ、恥さらしだ! 今、この場で粛清してやる!」
激昂した彼女の目つきは、もはや怨敵を相手にしているものと大差がなかった。おそらく仕事熱心なだけではこうはならない。私に対して日頃から何か強く思う所があったのだろう。仕事中にもう少し相談に乗ってやるべきだったかと後悔するも、後の祭りだ。
彼女もまた私と同様に、何か妄執に囚われている。だが、私は彼との新たな道を歩む為に一切の情は捨てると決めた。きっとそれが何者でもなくなった私の唯一の矜持と呼べるものであり、死に至るまでの過程なのだ。
冷徹に相手を見据えながら、私はただただ鎌を振るった。
それは紫桜が悲壮げに散りゆくとある春から始まる、忌々しくて大切な記憶。普段仏頂面しか見せない彼が、その日は終始穏やかな笑顔を見せていた。思わぬかわいらしいギャップに心を鷲掴みにされていたのは事実だが、同時に嵐のような不安が私を襲っていた。
道具拾いの最中も、彼は心あらずといった様相で拾っては度々道具を取り落とした。いつもと集める道具の種類も大きく異なっている。というより、道具本体よりもその中から何かしらの金属を抽出する作業が圧倒的に多かった。
強烈な違和感。私にとってだけの何か不都合な事実が生じたことを認識する。
足が震えて仕方がない。喉から出かかっている疑問を口にすることは、パンドラの箱を開けることに等しい。
それでも突き上げるような衝動に抗いきれず、気づけば彼に何があったのかを尋ねていた。
彼は恋人が出来た、とはにかみながらもそうはっきり口にした。目の前が真っ白になって何も言えなくなる。何もかもを放りだして、ただ逃げ出したい気分だった。それでも僅かに残された狡猾な理性が、彼に嫌われてはならないと私に囁く。
溢れ出る涙を嬉し涙と偽って、継ぎ接ぎだらけの祝いの言葉を彼に送った。すると彼は心底安心した様子で、女心がわからないので、友人である自分に今後は色々と相談させてほしいと頭を下げる。
愛する彼の頼みだ。断れるわけがない。何より、このまま疎遠になることの方がよっぽど耐えられなかった。
彼はどうやら、恋人には実用性を兼ね備えたマジックアイテムの指輪を手作りして贈ろうと考えているらしい。
相手は一体どのような徳を積んだというのだろう。初めて覚えた嫉妬という感情が、こんなにもべったりと濁ったものであることなど、知りたくなかったというのに。
彼が向ける寵愛を少しでもいいから分けてほしい。己の内から鎌首をもたげた浅ましい欲望が、全ての運命を決定づけることになった。
先に試作品を作ってみてはどうか、と提案したのである。せっかくなら最高の性能を追求しよう、と。
最もらしい言い分を取り繕ってはいるが、その実はおこぼれを期待しただけだった。彼の女心に疎い点は私という邪魔者に対して有利に作用した。彼を騙したその先にある、偽りの優越感が手に入る日を、その時は愚かにも待ち望んでいたのだ。
季節は巡り、また無縁塚では彼岸花が人を出迎える季節が訪れた。
彼とは既に季節関係なく会うような間柄ではあったのだが、それは無縁塚限定の話である。初夏を迎えた頃から、どういうわけか彼はパタリと道具集めに来なくなってしまった。
あの間、私は一体何度彼の家を訪ねようと決意しただろうか。臆病な己に嫌気が差した回数と同一なのは間違いない。
恋人との幸せな日々を送っている彼の様子が脳内にありありと浮かんできては、頭を振って必死にかき消すのだが日常となる有り様だった。
そうして迎えたある秋寒の日。『彼と私』にとっての運命の日。私はいつものごとく勇気が出ずに、肌を差す冷気に追われて無縁塚を去ろうとしていた。
しかし、無縁塚に通ずる鬱蒼とした森の小道の奥から彼が歩いてくるのを見つけてしまう。慌てて駆け寄った所で、彼の様子が異様であることにようやく気づいた。
髪は幾度も掻きむしった跡が残り血に塗れ、服は元の色が全く想像できないほどに正体のわからない汚れだらけ。さらには顔つきにも目にも生気が全く感じられない。元々痩せ型ではあったが、骨がくっきりと浮き出ている様は明らかに栄養失調の域を超えている。
ひび割れた声で彼は事の顛末を語った。もっとも、最初に一言、指輪で事故があったと苦しげに言葉を吐き出す様を見ただけで私は全てを察することができてしまったが。
恋人は試作品の指輪を誤って使用したのだ。彼の下手な隠し事を恋人は見抜いていたのだろう。彼が不在の時を狙って起こったあまりにも不幸な事故。
彼は自責の念に耐えられないと叫ぶ。どうしてこうなった、どこで間違ったと嘆き悲しむ。
違う。決して、決してこんな光景が見たかったわけじゃない。ちっぽけな己を慰めることさえ出来れば、身を引くはずだったのに。
喚く彼を必死に抱き支えるが、私も足元から全てが崩れそうになるのを堪えることで精一杯だった。
やがて憔悴しきった彼は私に縋り付いて言う。友人ではなく死神としての私にたった一言。殺してくれ、と。
彼から漂うあまりにも濃密な死の気配。もはや放っておいてもいずれ衰弱死することは避けられない。
他の死神に彼を取られてしまうくらいならばいっそのこと……。
じっとりとした衝動に誘われるようにして、彼の痩せ細った首に手をかける。
これは私の業が招いた結末なのだから。彼の人生に私が入り込む余地はきっと今しかないのだから――
揺れている。揺れている。揺れている。
彼岸花が。彼の体が。私の心が。
小町のやり場のない悲しみが見ていてつらかったです