同じ夢を見る。
薄暗い廊下を歩いている。見慣れたLEDの白く無機質な光なんてどこにもない。リノリウムとも少し違う床材は、ここでしか見たことがない。一般的な床材と何が違うのか、説明は難しいけれど。
右手側にステンドグラスが等間隔に並んでいる。ヨーロッパの古典的な教会で見るような、ともすればそれそのものが信仰の対象になりそうな、巨大なもの。なのに次々現れる色グラスのパターンは、何の物語性も神秘性も孕んでない。ただただ、ランダムなマーブルの色彩の群れ。まるで意味を持つこと自体を忌避するみたいに。
私は歩いている。そこに理由は無いけれど、歩くことを辞めようとは思わない。でも、夢ってそういうものでしょう? 夢の中でさえも論理的(ロジカル)な整合性を求めるほど野暮じゃないつもり。
廊下に終わりはないように見える。果ては見えない。後ろを振り返ったことは無いけれど、きっと背後も同じように、永遠に続くかのような直線が続いてるのだと思う。闇の中からステンドグラスが朧に浮かび上がって、視界の端を通り過ぎていく。単純なループと退屈なコントラスト。
「――こんにちは。風変わりなアナタ」
声を掛けられる。私の隣を誰かが歩いている。視点のハレーションを掠めるように、衣服や手、足らしき残像が過るけれど、それは具体的なイメージを描くまでの情報を私に与えてくれはしない。何者なのかは判らない。姿の見えない彼女。きっと少女なのだろうとは思う。語り掛ける声には、いつもあどけなさが感じられる。まるで、出来立てのマーマレードみたいに甘酸っぱい、声。
「こんにちは。いつものアナタ。アナタは誰?」
何回目になるか判らない問い。いつも同じ質問を、いつも同じ声音で、私は投げかける。
「水色のネズミが、ジンジャーシロップの海で溺れたわ。私は彼が甘ったるくなる前に、塩と胡椒をかけたの。くしゃみが出ちゃいそうになった。きっと明日の朝ご飯は目玉焼きね。私はサニーサイドアップが好き。それよりも、夏の日の輝くセミの抜け殻は幸せだと思わない?」
意味のある返答が得られたことはない。でも、それを残念に感じたことはなかった。彼女が嬉しそうに語る理解不能な言葉の羅列は、中身が確定しない宝石箱を開けるような新鮮さを感じて楽しい。
そう。隣を歩く彼女が誰であるのかなんて、本質的にはどうでもいい。今は拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ)を通せば誰にでも何にでもメタデータのタグ付けがされていて、デバイスの検索機能はありとあらゆる人類の集合知にアクセスできて、正体不明を許容する余地がない。それそのものは間違いなく偉大なる人類文明の進歩の結果だけれども、人間は理性のみで生きるにあらず。何もかもが素因数分解される現代社会において、他愛のない夢の中の事象にまで意味を見出してしまえば、きっと疲れてしまう。
いつもいつも冒険に塗れた夢だけ見続けたりしたら、脳のメモリがいつか焼き切れちゃうかも。私だって人間なのだから、たまには休息も必要。蓮子はつまらないと言うかもしれないけれど。
意味がないことを楽しむ余裕があったっていいでしょう?
私は歩いている。傍らで正体不明の少女も歩いている。
そんな夢を何度も見る。
◆
『――オルタナティブ・シークエンスを終了します。お疲れさまでした』
微睡みが急速に晴れていくのを感じる。華やかなオーケストラの演奏が、首元のスピーカーから流れていた。私の身体はソファの上にあった。微睡みに落ちる前と同じ。だけど方向が違う。窓に頭を向けていたのに、逆方向を向いている。
ソファから起きて、身体をグッと伸ばす。あちこちが筋肉痛。なので、寝起きながら快適な目覚めとは断じて言い難い。
「……でも、効いてるってことよね」
グッと両腕のストレッチなんてしながら、カーテンの隙間に切り取られた夜の街並みを眺める。天蓋の星々に対抗するみたいに瞬く地上の明かり。人智の灯火。曖昧な空の境界を挟んで、神話と文明が世界の主導権を巡る綱引きをしている。そんな妄想。センチメンタルな思い付きが突飛な方向へ飛んでいくのは、きっと夢遊制御意識(オルタナティブ)な私が見る夢のせいなんだろう。姿の見えない少女の語る、突拍子もない戯言の群れ。
夢遊制御意識(オルタナティブ)。
つい最近、人口に膾炙したこの概念を説明するためには、まず人類がある一定の社会性を獲得した時点から、生物学的な進化を放棄したという仮説を受け入れる必要がある。
何と言うことはない、ダーウィンの進化論を人間に応用した当然の帰結。生物の進化は自然淘汰に対する適応の結果であって、神が与えたもうた秘跡ではないとする説。この辺りは個人的な信仰や宗教観にガッツリと踏み込むので、自然科学的見地というより文化的、信仰的立場に応じて仮説の受け入れを拒否する自由は個人に委ねられている。科学的な真実はいつもひとつかもしれないけれど、世界の在り様(ゲシュタルト)は一様じゃない。昨今の科学世紀は非常に寛容なので、ニーチェみたく神は死んだなんて残酷な結論を強要しない。
ともあれ人類社会が多様性を許容し、生存競争から脱落する個体に救いの手を差し伸べた結果として、人間の肉体的な進化は停止したという意見を肯定したとする。そうすると、私たちを構成する肉体は、私たちが生み出した社会に全く追いつけてない不完全なものであるはずだという仮説に辿り着く。我が愛すべき科学世紀は音速を超えて、光の速さも視野に入れるほど叡智の進化を速めてきた。ドッグイヤーもびっくりするくらい。それに比べて人間の身体の進化はもう頭打ちで、とても追いつけたものじゃない。ウサギと亀の競争どころか、アキレスを追いかける亀くらい置いていかれてる。
魂と肉体の乖離。
それに悩むのは思春期の女の子の専売特許じゃなくなったってわけだ。ただし問題は、おっぱいやおしりが充分に大きくなって、ホルモンを分泌する脳下垂体との上手な付き合い方を覚えるだけでは解決しないこと。
発展していく社会に人類種が適応するためのアンサーは幾つかあった。俗に言うトランスヒューマニズムの流れ。試験官に詰め込んだ受精卵のDNAを弄るところから始まり、コールドスリープやら機械再生医療(サイバネメディック)の適用範囲を拡大させて電脳化に至るための試行錯誤、脳波転写による個人の意識のAI再現なんてものも流行った。どれもこれも所詮は他愛のないSFの延長線で、言ってしまえば机上の空論。人類の進化でござい、と大手を振って受け入れられるまで到達することはなかったけれど。
夢遊制御意識(オルタナティブ)もまた、社会と人間の齟齬を埋めるためのアイディアのひとつ。
とはいえ、そこまで大仰な技術じゃない。
とっても単純に言うと、寝ている間に身体を運動させてくれるテクノロジー。全身に微弱な電気刺激を流すと、筋肉が収縮する。それを応用して、たとえ意識がなくとも全身運動ができるようAI調整(チューニング)した代物。それそのものは目新しくも何ともないはず。電気的筋肉刺激(EMS)の概念自体は二十世紀には既に存在していたし、リハビリテーションなどの医療分野で使われてきた実績もある。
ブレイクスルーになったのは、電気刺激による制御の対象を脳にまで拡大させたこと。
それによって、使用者の意識の覚醒レベルを調整可能にしたこと。
夢遊病を患っている人は、ノンレム睡眠の最中に意識のないまま彷徨うことがある。夢遊制御意識(オルタナティブ)は、それを電気刺激によって意図的に発生させる技術。もちろん、意識を失っている間の肉体は電気的筋肉刺激(EMS)によって制御されているから、転んだり何かを壊したり、箪笥の角に小指をぶつけて悶絶したりすることもない。
夢遊制御意識(オルタナティブ)を導入するメリットは大きく分けて二つある。ひとつは、脳の休息と身体の休息を分離できること。もうひとつは、睡眠のタイミングや時間を完全にコントロールできること。
とかく現代社会において、人類種の運動不足は逃れることのできない宿痾のようなもの。もともとは日に何十キロも歩いたり走ったり、武器を投擲したりすることに特化してきた人間の肉体は、レンジでチンすれば食事にありつける現状に満足してくれない。ジムに行って運動すれば済むのだけど、そんなご立派な正論を実行し続けられる人間がどれほどいるのかって話。楽ができるのなら、それに越したことはない。人間は概して怠惰な生き物だ。むしろその怠惰を追及する姿勢こそが、今の便利な生活を生み出したと取ることもできる。
もうひとつのメリット。私たちの身体は夜になったら八時間近く眠るようにデザインされていて、その原理が淘汰されることはない。ベッドに入ってもすぐに眠れないこともあるし、原始的(プリミティブ)な目覚まし時計が私たちを予定の時刻に叩き起こすことに絶対の保証がなされたことなんて一度もない(おかげで私は何度も辛酸を舐めさせられている)。
特に、自然に眠ることが難しい人にとって、それは革命的だった。睡眠薬の需要は前世紀から右肩上がりに上がる一方で、まったく頼ったことがない人の方が少ないくらい。けれど夢遊制御意識(オルタナティブ)を導入すれば、不眠に悩まされることは無くなる。副作用に苦しんだり、薬剤耐性がついて負担が増えていったりすることも無くなる。夢遊制御意識(オルタナティブ)は、利用者を安楽に夢へと誘ってくれる、まさに夢のテクノロジーというわけ。
メッセージアプリのアイコンが視界の端でポップする。中空に縫い留められた拡現(オーグ)の便箋を指先でドラッグすると、フォン・リンクがオンコールになり、相棒の喧しい声が耳小骨をピリピリ振るわせて。
『時間ピッタリにお目覚めのようね。まったく、待ちくたびれちゃったわ』
「どうして予定通りの行動に苦言を呈されなくちゃいけないのかしら?」
『予測可能性が高い人間なんて退屈だもの。行動のすべてが合理的なら、未来のすべてが決まってしまっているのと同義よ。罠に嵌めるのも容易いわ』
「罠に嵌るのを回避したいの? 蓮子は。予定通りなら、十三秒ほど前にアナタは西洞院通に差し掛かっているはずだけど?」
フォンを拡張して、位置情報の連携を申請する。チェスボードのような京都の概念図に、蓮子の位置を示す赤いピンが立った。
ピンは時速四キロほどの速度で、高倉通に差し掛かろうとしている。評価予測座標から五百メートル近くずれていた。京都中の住民がみんな蓮子のように行動したら、全世界道路交通評価局(WorldTrafficEstimateDivision)の役人が泡を吹いて倒れるに違いない。四半世紀近くかけて組み上げられた交通予測システムがデタラメな値を弾き出し、京都のど真ん中にもかかわらず道路が渋滞して、消防も救急も機能しなくなってしまうだろう。私は髪の毛の先が少し湿っていることに気が付いて洗面所に向かいつつ、
「まぁ、いいわ。蓮子だもの。それで? どうかした? あと十分も歩けば私の下宿先に着くでしょうに」
『あら、まるでどうかしないとフォンを繋いではいけないかのように言うじゃない』
「どうもしてないことが判ってるから言ってるのよ。様式美ってやつ?」
『こだわりね。そういうの好きよ。人間臭くて』
「蓮子こそ、あとたった十分も待てなくてフォンを繋いでくるところ、可愛くて好きよ」
『エマ・ルフェーブル教授の論文、読んだ? 【s-ECT(超修正型電気痙攣療法)に伴う夢遊制御意識(オルタナティブ)様相の比較生物学的見地における現状と課題】』
「また、新しい論文の紹介?」
鏡に映る自分を眺めながら、小さく嘆息する。今度は比較生物学からのご意見か、なんて。
「蓮子は私を、ちっちゃな全書籍図書館(ボルヘス)にでもするつもりなのかしら? もう今月に入ってから八つめよ? 夢遊制御意識(オルタナティブ)に関する論文を読むの。確かに相対性精神学の専攻範囲ではあるけれど、まるで担当教授がひとり増えたみたいね」
『アナタが頑固なのが悪いのよ。メリー』
「蓮子。それ、アナタが言うの?」
思わず鼻を鳴らしてしまう。ドライヤーで髪の毛を乾かしつつ。
夢遊制御意識(オルタナティブ)に対して、世論は容認派と否認派の真っ二つに割れている。
容認派に曰く、新技術の恩恵に預かって生活が便利になるなら積極的に使うべき。
否認派に曰く、本当に安全なのかどうか判別できない新技術の使用は控えるべき。
私は容認派。そして蓮子は否認派。夢遊制御意識(オルタナティブ)に対する秘封俱楽部の姿勢は世論と同じく綺麗に分断されてしまっている。まぁ、二人しかメンバーが居ないので、私と蓮子の意見が割れれば秘封俱楽部の意見が分断されてしまうのは道理なのだけど。
今日、蓮子が私の下宿先に来るのも、夢遊制御意識(オルタナティブ)に関する議論のため。と言っても、私は蓮子が夢遊制御意識(オルタナティブ)を使うことに対しては好きにすればいいと思っているので、必然、蓮子が私の夢遊制御意識(オルタナティブ)の使用を控えるように説得する形となる。
結論は出ない。どこかに存在する科学的な正解を探究するのとは違って、これはイデオロギーの対立だから。それが初めから判っているのだから、議論したところで無駄という思いもなくはないけど、蓮子が私のために少なくない時間を費やしてくれるのは気分が良いので、蓮子のしたいようにさせているのが現状。
『覚悟しなさいね。今日こそ宗旨替えさせてあげるんだから』
「あいにく、紹介されたばかりの論文をあと十分足らずで読むことを期待してるんなら、買い被り過ぎよ」
『私は七分二十六秒で読んだけど』
「私の脳はプランク並みの処理能力なんて積んでないわ」
『ところでメリー。アナタ、いま髪を乾かしてるでしょう?』
「あら? 音、入ってた?」
ドライヤーを棚に戻しながら首を傾げる。昨今のノイズキャンセリング機能が、そんな初歩的なミスをするかしら? すると、蓮子がニヤリと不敵に笑う気配がした。フォンにVオプションをつけていたわけでもアバターを表示させていたわけでもないのに、蓮子の口角が何ミリ上がったのか判るほど濃厚に、蓮子のドヤ顔が目に浮かぶ。
『初歩的なことだよ、ワトソン君(My Dear)』
「あら、手解き願いたいわね。探偵さん」
『私はアナタのオルタナティブ・シークエンスが完了する時間に合わせてフォンを繋いだわ。シークエンスはリビングで完了するはず。目覚めたメリーは時間感覚を取り戻すために窓から外を見るでしょう。そこから寝室までの距離は4.5mほど。洗面所までの距離は7mくらいで、玄関に繋がる廊下までの距離は概算で12m程度かしら? メリーの歩幅が72.9cmだから、寝室まで約六歩、洗面所まで約十歩、玄関まで約十七歩。アナタは私と話しながら歩いた歩数は十一歩。そのことから、メリーが向かったのは洗面所だと判るわ』
「うん、とーっても言いたくて堪らない台詞があるんだけど、いったん飲み込んでおくわね。それで?」
『現代日本人が洗面所でできることは限られているわ。手を洗う。歯を磨く。うがいをする。鏡でメイクをチェックする……話し言葉が不自然に途切れたりしなかったから、口に水を含む系統の行動は除外。メリーは下宿から出ない限りメイクしない合理主義者だから、メイクチェックも無し。手を洗いたいならキッチンでいいから、それもない。口にも顔にも手にも洗面所へ向かう理由がないなら、髪の毛だろうと思ったのよ。髪の毛が抱え得る問題なら、乱れているか濡れているかの二択。メリーの髪はくりくりだけど、暴れ回るほどワガママじゃないから、髪の乱れを直すくらいならすぐ終わるはず。なのに、まだ洗面所に残ってるってことは、アナタの髪は濡れてたんだろうって』
「うーん、ここまで言い当てられると、やっぱり純粋に気持ち悪いわね」
『私からすれば、自覚もないのに気付いたら髪が濡れてるなんてシチュエーションの方が気持ち悪いけどね。シークエンス中にシャワーか何か浴びたってことでしょう?』
「えぇ、そうね。そういう設定にしていたわ。蓮子が来るって言ったから」
『無意識のうちに運動して、無意識のうちに服を脱いで、無意識のうちにシャワーで汗を流して、無意識のうちに身体を拭いて、無意識のうちに服を着てるってことよね。そして、その一連の行動を、メリー、アナタ自身は一切認識してないってことよね』
「えぇ、そうなるわね」
『どうかしてるわ』
「そろそろ着くでしょう? 続きは私の部屋でしましょうよ」
吐き捨てられるような理解不能を軽くいなして、フォン・リンクを切る。程なくして来客を知らせる通知が届き、私はその通知で蓮子が来たことを知る。今日の秘封倶楽部の活動も、きっと深夜まで続くだろう。そう思った。
せめて、何か美味しい物でも食べましょう。
キッチンの合成調理鍋にコマンドを入力して、うんと凝った料理を出力させるように設定した。
◆
同じ夢を見る。
薄暗い廊下を歩いている。永遠に続くかのような直線は今回も健在。闇に溶け込んだ行き先。浮かび上がるステンドグラスの無秩序な極彩色。私は歩いている。やがて不意に気配がする。姿を見ることの叶わない誰かが、私の隣を歩いているのが判る。
「――こんにちは、風変わりなメリー」
ここ最近、私の隣を歩く彼女は私の名前を呼ぶようになった。名乗った覚えはないし、やる気のないマーケットの店員よろしく名札をぶら下げてるわけでもないのに。
私の名前?
違う、それは渾名だ。パパやママは子猫(Kitty)と呼ぶ。PrimaryやJunior Highでは、邪視(Jessy)と陰口を叩かれてた。High Schoolでの私は、ハーンさん(Ms.Hearn)だった。メリー。私をそう呼ぶ人間は、世界でただ一人だけ。
「こんにちは。いつものアナタ。アナタは誰?」
何回目になるか判らない問い。いつも同じ質問を、いつも同じ声音で、私は投げかける。
「消えることのない文明の光は、終わることのない善と仮定できるのかしら? 拝火教は善の象徴として光を、それをもたらす炎を崇めたわ。光あれ、と神は言った。そうして光があった。これは旧約聖書だけど。善と光は切っても切れない関係にあると私は思う。でもそれは単純に、夜目の利かない人間が、自らの生命を脅かす危険のある闇夜を恐れる傾向にあるからに過ぎない。もしも人間が夜行性の動物で、日中は何も見ることが出来ない感覚受容体しか持ち合わせてなかったら、光こそが悪性で、甘い常闇こそが聖なる善であったはず。つまり神聖も善性も、汚穢も悪性も、何もかもが相対的な概念に過ぎないの」
意味のある返答が得られたことはない。けれどその性質が少しずつ、少しずつ変化しつつあることには気付いていた。
もっと支離滅裂で、単語を曖昧に継ぎはぎした、鵺みたいな言葉だった。
ずっとチグハグで、詩的に感じる瞬間さえある、詠唱めいた台詞だった。
会話は成立しない。それはずっと同じ。情報の有意な交換が成功しない以上、戯言であることに変わりはない。だけどその変質が、何故だろう。私には空恐ろしく感じられてならなかった。天使の羽のように軽やかな調子で唱いあげられた無意味には、どう足掻いても悪趣味なメタデータが乗る余地は無かったのに。
あぁ、認めましょう。
私は怖いのだ。
この夢の中で私の隣を歩く、顔も知らない少女の言葉にいや増していく、知性らしきモノの片鱗が。それが何か、今の私には見当もつかない何かの変質を予兆させて。
私は歩いている。傍らで正体不明の少女も歩いている。
そんな夢を何度も見る。
◆
『――オルタナティブ・シークエンスを終了します。お疲れさまでした』
微睡みが急速に晴れていくのを感じる。穏やかなボサノヴァの演奏が、首元のスピーカーから流れていた。私の身体はソファの上にあった。微睡みに落ちる前と同じ。
ソファから起きて、身体をグッと伸ばす。最近は起き抜けの筋肉痛を感じないようになってきた。健康的な肉体を維持するのに必要な運動をすることに、私の身体が慣れてきた証左。
オルタナティブ・シークエンスを二時間。ベッドの上での睡眠を六時間。
私にとって適度な肉体を維持するための黄金比。
睡眠不足で肌荒れや隈に悩まされたり、運動不足でお腹がたぷっとしたりしない程度のバランス。頭もすっきりしている。睡眠による休息と、運動によるセロトニン分泌を同時に得られるのだから、然もありなん。適度な運動と適度な睡眠による恩恵だ。
適度、というのがとっても重要。
夢遊制御意識(オルタナティブ)は便利だ。人間社会は些細な議論を経て、そのことを徐々に受け入れつつある。でも、それが妙な方向に持ち上げられつつある気がしていて、古参ユーザーとしてはちょっぴり憂鬱。
昨今の技術発展速度はあまりに目覚ましく、日進月歩のバージョンアップはたったの数カ月で小型化、廉価化、多機能化を可能にしてしまう。私が使っている夢遊制御意識(オルタナティブ)導入機器は重さ十五キロ、付属アタッチメントを手首と足首に装着する必要があって、お世辞にもお手軽だなんて言えやしない。でも、最近のトップセールスモデルとなると総重量は三キロにも満たないし、首輪みたいなアタッチメントをひとつ付ければ(脳幹に信号を送るらしい)それで充分な機能を提供できるようになっている。買って一年もしてないのに、もう私の夢遊制御意識(オルタナティブ)デバイスはアンティーク扱いされ始めてる。スマートフォンと肩掛けタイプの携帯電話が、あまりにも違うものとして扱われた(らしい)ことと同じように。
そう、夢遊制御意識(オルタナティブ)は、ほんの少し前までは考えられなかったくらいに手軽になっている。デバイスを携帯できるほどに。値段もどんどん手頃になっていって、そんなに背伸びをせずとも買えるようになっている。
それが何を生み出したか?
まず、移動時間に夢遊制御意識(オルタナティブ)デバイスを気軽に装着する人が増えた。自律輸送六輪(ハニカム・キャブ)を始めとする公共交通機関で。乗り合いの無人運転(オートマ)バスで。そして、ただ単に京都の街並みを歩く時にさえ。
夢遊制御意識(オルタナティブ)には、それが出来た。退屈な移動時間を人生から消し去ってしまうことが出来た。目的地に辿り着くまでオルタナティブ・シークエンスを起動するだけでいい。それがタチコマ=自律輸送六輪(ハニカム・キャブ)の中であれ、ちょっと目的地まで歩くだけであれ、変わらない。むしろ本来の夢遊制御意識(オルタナティブ)の用途を考えれば、数キロメートルくらいの距離ならば公共交通機関を使うよりも夢遊制御意識(オルタナティブ)で歩いた方が合理的だった。
そこら辺を歩けばいくらでも、目を閉じたまま歩き続ける人々を目にする。
彼ら彼女らは無意識だ。無意識のまま行動している。
自分が誰とすれ違ったのか、その誰かが自分をどんな目で見ていたのか、知りもしないし知ったことでもないのだろう。
私は、そこまで自分を最高効率化させる気には、ちょっとなれない。
メッセージアプリのアイコンが視界の端でポップする。中空に縫い留められた拡現(オーグ)の便箋を指先でドラッグすると、フォン・リンクがオンコールになり、相棒の喧しい声が耳小骨をピリピリ振るわせて。
『時間ピッタリにお目覚めのようね。まったく、待ちくたびれちゃったわ』
「アナタはいつも待ちくたびれてるわね。蓮子。ちょっと生き急ぎ過ぎじゃない?」
『速度なんて相対的な評価でしかないわ。思うに私は回遊魚なのよ。泳ぎ続けないと酸素を身体に取り込めない。そうじゃないと退屈で窒息してしまう』
「なーに? 蓮子がマグロだって話?」
『ち、違いますけどぉ?』
「そんなに声を上ずらせなくてもいいじゃない。単なる冗談よ」
『笑えないわよ、メリー。寝起きで頭が低俗なの? やっぱりそのポンコツ、ぶっ壊した方が良いかしら』
一瞬で立て直した蓮子が、それこそ笑えない調子でポツリ。あんまりからかいすぎると本気で有言実行しかねないので、早々に話題を切り替えてしまうことにする。
「今日は来るんだっけ?」
『いいえ、無理ね。レポートをやっつけないと』
「あら残念。私にフォン繋いでていいの?」
『舐めてもらっちゃ困るわね。いま書いてる最中よ』
「マルチタスク? 記述と会話の?」
『これくらい、お茶の子さいさいね』
「あら、心外ね。私との会話を片手間で済ませられるとでも?」
『寝起きのメリーなんて恐れるに足りずよ。夢遊制御意識(オルタナティブ)に現を抜かしてばっかりで、歯ごたえが無いったら』
蓮子がフンと鼻を鳴らす。舐められてる。ムッとする。最近の蓮子は挑発を多用する傾向にある。そりゃ、戻ってきたばかりで意識のスイッチングがうまく行ってないことは自覚しているとはいえ。
社会が大手を振って夢遊制御意識(オルタナティブ)の実運用に乗り出しても、蓮子は相変わらずだ。相変わらず、夢遊制御意識(オルタナティブ)に対しては懐疑的。今となっては蓮子のような強硬派はすっかりレアケースになってしまったというのに。
原因ははっきりしてる。私が夢の中で意図せず境界を越えてしまう機会は有意に減少している。蓮子はそれが面白くない。
まるで王国の衰退を嘆く老いた賢王のように。
でもそれはあまりに杞憂だ。だって蓮子にはまだ言えてないけど、私は――。
余計なことを口走る前に、私は大きく息を吸って、
「最新の学説を紹介してあげるわ。蓮子。プサンメティコスの言語実験を知ってる?」
『言語剥奪実験? 最新の学説って話じゃなかった? 紀元前五世紀のことじゃないの。産まれてから一度も言語を聞いたことのない赤子が、最初に話す言葉こそ人類最古の言語に違いないってやつ』
「えぇ、典型的な誤謬に基づく実験よね。でも、そうじゃない可能性が出てきた、と言ったらどう思う?」
『ありえないわね。まず詭弁の可能性を疑うわ。因果の逆転よ。言語は後天的に獲得される技術であって、遺伝子に刻まれるわけじゃないでしょうに』
「その逆。言語が遺伝的形質を獲得するために、人類という外付けの生殖器を使うことを覚えた、という説。仮にその説を真とすると、フリュギア語が繁殖するために人類が生まれたことになるから、人類最初の言語であるという命題と矛盾しなくなるの」
『へぇ』
蓮子の声が数分の一オクターブ、私にしか判らない程度に上がった。彼女が知的好奇心をつんつん刺激されたとき特有の現象。
『言語学の生得説なんて、イデオロギーに散々もみくちゃにされた挙句、潰えたと思ってたけどね。相対性精神学にもちょっかい出してたんだ?』
「むしろ言語学は科学世紀の現代こそが最先端かつ最盛期だと思うわ。数式で定義できない観念を思考し、解釈するための灯火として、これ以上のものは無いわよ。私たちは言語で思考するもの」
『ラマヌジャンは数式をイメージとして獲得したらしいけどね』
「数式を言語の対義語に据えるのは、前時代的な悪しき風習の名残よね。どうやら蓮子もそのバイアスに囚われてるみたいだけど」
『仮説を立ち上げるのは誰にでもできるわね?』
「はいはい」
思わずほくそ笑む。本格的に今日の乗った蓮子は、言葉を省略する癖が出る。本人も気付いていないようだけど。
「根拠が聞きたいって言うんでしょ」
『私じゃなくてもそう言うわ』
「全天球エミュレータ、知ってる?」
『ロンドン碩学都市のマトリョーシカ・プロジェクトね。ビッグバンの再現を試みてる。まだ成果は出てないけど』
「出てないわね。でも闇雲にやってるわけじゃない」
『曰く、既に証明は完了している。観測できる限りの天体情報を量子イントラネット上に構築した仮想現実上でエミュレートして、それを逆行演算した。結果、仮想現実内ではビッグバンを観測することに成功している。その仮想現実の呼称が全天球エミュレータ。むしろその話題は、私の分野だと思うけど?』
「全天球エミュレータの出力した物理演算データは四次元座標にマッピングした状態で公開されているわね。とある言語学ワーキンググループが、その物理演算データにおける地球上の音波データを解析したの。すると興味深い結果が得られたわ」
『前提の共有。全天球エミュレータに登録されたのは天文学、物理学、量子力学エトセトラの宇宙空間における力学的相互作用を引き起こし得る情報だけで、人類文化関連のデータはインプットされていないはずね?』
「えぇ、私もその認識」
『なら、けっこう。続きをどうぞ?』
「量子イントラネット上で再現された地球の音波データに特定の波形を示すパターンが混じっていたのよ。それは天文単位の相互力学では説明できないほど微かなノイズ。ノイズは地球誕生後の数億年から発生していることが判ったの。パターン解析の結果、そのノイズが言語である可能性は極めて高いと判断された。もちろん、地球上に生物なんて影も形もないときから」
『生物に先んじて言語が存在するってこと? それは発想の転換が過ぎる気もするわね。ノイズの発生源は何なのよ?』
「まだ解明されてないわ。ダークマターと同じ。発生源はまったく特定できないけれど、それを地球そのものと仮定すれば事象に説明がつく」
『ふーん。いいわ。それを前提として仮定しましょう。それで? 地球は何と言っているの? その言語が最新の言語学の生得説に、どんなパラダイムシフトをもたらしたのかしら?』
「蓮子、言語はどんな時に使うと思う?」
『自らの意思や主張を他者に連携するときかしらね?』
「えぇ、そう。発する言葉と何かしらの相関を見出せる事象がセットじゃないと、その意味を外部から観測することはできない。つまり、何を言ってるかはさっぱり判らないわ」
『判らないんじゃない。せっかくの地球からのメッセージだというのに』
「メッセージの宛先が人類とは限らないけどね。ノイズの発生と相関関係にある物理的事象は判明してないから、寝言や独り言のようなものなのかも。言語学ワーキンググループはそのノイズを地球のイドの発露と仮定して研究を続けてる。生物に先んじて地球そのものに意識や自我と呼べるものがあるのなら、それに付随するものとして神や妖怪の存在が証明されるかもしれないし、現代に生きている人間ひとりひとりのイドと繋がっているのかも……と考えるのは、相対性精神学的過ぎるかしら?」
『集合的無意識の源泉が、地球のイドかもしれない、ね……』
「――どう? 手は止まったかしら? 蓮子?」
ふふん、と鼻を鳴らしてやる。確実な手ごたえがあった。ここまで語れば、いくら蓮子と言えど話半分とはいかないはず。私を甘く見た罰だ。これで蓮子がレポートを落としても知らない。私とのお喋りよりも楽しいことなんて無いことを今一度、蓮子に思い出させてやる。
ここまで丁寧に好奇心を刺激してあげた蓮子に我慢が聞くわけもなく、当然私の思惑通り、
『メリー、今からそっち行っていい?』
ほら来た。
「えぇー? レポートをやっつけちゃうんじゃなかったかしらぁー?」
『まぁ、白々しい。私をその気にさせておいて、じゃあねで済むと思った?』
そんなわけはないでしょう? 言外に蓮子が告げてくる。フォンの向こう側で慌ただしい気配。外出の準備。いまの蓮子の様子を想像するとニヤニヤが止まらない。
「どう? 私が夢遊制御意識(オルタナティブ)で鈍ってるなんて、蓮子のバイアスから来る思い込みだったわね?」
『……これで私が翻意したなんて思わないでよね』
「はいはい、待ってるわよ」
『もう充分に無意識は堪能したでしょう? メリー。アナタ最近、健康的かつ模範的な市民過ぎるわ。今夜は寝かさないから』
「あらそう? 期待してるわ。真白な私を染める甘美な悪徳は、果たしてどんな色をしてるのか」
何ともワクワクする言葉の応酬じゃないかしら! 舌の先が震えるようなゾクゾクが脊髄を走る音。今宵の秘封倶楽部は、久しぶりに核融合みたいに燃えそうで何より。
蓮子はきっと走って来るだろう。日々の活動に疲れ、躊躇なく夢遊制御意識(オルタナティブ)を使い、ゾンビのような無意識のまま動く人の群れを突破して。肢体を流れる汗。弾む呼吸。軋んで乳酸を蓄える筋肉。そのベクトルの先にいる自分が堪らなく誇らしかった。
キッチンに向かって、うんと濃いエスプレッソを淹れることにする。
明けない夜はない。カフェインをお供にして、太陽を迎えるまでめくるめく意識活動の興奮に溺れるとしよう。
◆
同じ夢を見る。
薄暗い廊下を歩いている。
闇に溶け込んだ行き先。
浮かび上がるステンドグラスの無秩序な極彩色。
私は歩いている。
――この廊下が永遠に続く直線なんかじゃないことに気付いたのは、いつだっただろう。
判らない。覚えていない。
けれどそれは、永遠なんてこの世には存在しないことに気付いたのと同じ頃。
明けない夜はない。永久に振り続ける雨はない。
そんなの単なる錯誤でしかない。太陽が死ねば夜は明けない。何もかもが水没すれば雨なんて現象さえ存在しない。
私が突き進むこの廊下は螺旋回廊だ。
下へ、下へ。羽根をもがれた天使が地獄に堕ちるように、ただ下へ降りてゆく道程だ。人間には、人類には、気付くことはできないだろう。
現にできなかった。自分たちの進む道が何もかもどん詰まりの終焉へ向かうだけだと。
もう今さら手遅れではあるけれど。
「――こんにちは。諦めの悪いメリー」
いつの間にか隣を歩いていた誰かが、意地悪く囁いてくる。
顔をあげて、私はその誰かの方を見た。
黒い帽子を被っていた。黄色いシャツを着ていた。緑色のスカートを履いていた。コードのように触手を伸ばす第三の目を携えていた。そこまでディテールが判るのに、顔だけはまったく見えなかった。まるでその部分だけ宇宙からすっぽりと欠落しているかのように、顔だけは漆黒に沈んで。
「こんにちは。無貌のアナタ。アナタはいったい何?」
「私は祝福するものよ。愚かなメリー。いいえ、アナタは愚かではないかもね? けれどアナタが所属する人類という生物種は、堪らなく愚かだわ」
顔のない誰かは、けれど確かに笑った。嗤った。
それはおよそ人類には理解不能な嘲笑。それを理解できる時点で、私も大概なのかもしれない。それは石のように月のように、あるいはチクタクと時計のように嘲り笑うのだ。
「ずいぶんな驕りようだこと。かく言うアナタは人類よりも賢くあるのかしら?」
「驚いた。人間よりも阿呆な生き物が存在するとでも? お前たち人間は面白いわ。面白くて、可笑しくて、哀れよ。あまりにも哀れで、いっそ愛おしくさえある。はは、はは。まさか星の言葉を受け継ぐべく造られたモノが、自らその耳を塞ぐなど!」
「判るように言いなさいよ。そうじゃなきゃ、壁にでも話してるのね」
「これまで私は、お前たち人間の様々な終焉を見たわ。幾万、幾億の並行宇宙の狭間から、幾万、幾億のお前たちの終焉を見た」
クスクスと笑いながら、それが言う。
「私は幾万、幾億のお前たちの終焉の姿を形取り、お前たちの終焉を最前線で眺めてきた。あるとき、私は疫病だった。あるとき、私は核爆弾だった。あるとき、私は宇宙人だった。そんな私の此度の姿がコレだ。無意識なるモノ。小賢しい機械で強引に閉じた意識の果て。お前たちの歴史は類を見ないほどに発展したが、お前たちの歴史は類を見ないほど愚かな理由で終焉を迎えた。夢遊制御意識(オルタナティブ)だと? はは、はは。認めてやろう。お前たちは永遠に覚めない夢に引きこもり、緩やかに衰退した愚か者の群れだわ!」
顔のない誰かが笑う。嗤う。息も絶えんばかりに。私は黙ってその嘲笑を浴びていた。私には言い返せるだけの資格が無いと判っていた。
たとえ今の私が、顔のない誰かの言が自分の内心を代弁しているように思えても。
かつて何も知らなかった私が夢遊制御意識(オルタナティブ)を持て囃していた過去は消えない。
「もう見切りを付けてしまうつもりかしら? 私たちの歴史に? ただ、人類のたった99.9998%が夢遊制御意識(オルタナティブ)から覚めなくなっただけで?」
「私としては負債が小さいうちに諦めることをオススメするわ。メリー。アナタたちに何ができると言うの? 幾万、幾億もの世界の終焉を見た私が告げるわ。この世界はもう終わったのだと。アナタたちの努力は無駄なのだと」
「お生憎さま。どこの誰かも判らない、顔のない誰かに言われただけでスパッと踏ん切りがつく程度じゃ、秘封倶楽部なんてやってられないわ」
私は言う。今なお、ただただ堕ちていくだけの道程の中にあって、それでもなお前を向いて。いつか、いつか、この螺旋回廊から抜けられるいつかを夢見て。
夢の中で、夢を見てと言うのも変かしら? でも、希望を持ち続けるためには夢の存在も不可欠だ。待て、しかして希望せよ。この目に光を宿している限り、無限の夢幻を切り拓いて、この夢が違える日はきっと来るはずだから。
私は歩いている。傍らで正体不明の少女も歩いている。
そんな夢を何度も見る。
◆
『――オルタナティブ・シークエンスを終了します。お疲れさまでした』
微睡みが急速に晴れていくのを感じる。
穏やかなハレルヤが、首元のスピーカーから流れていた。
薄暗い廊下を歩いている。見慣れたLEDの白く無機質な光なんてどこにもない。リノリウムとも少し違う床材は、ここでしか見たことがない。一般的な床材と何が違うのか、説明は難しいけれど。
右手側にステンドグラスが等間隔に並んでいる。ヨーロッパの古典的な教会で見るような、ともすればそれそのものが信仰の対象になりそうな、巨大なもの。なのに次々現れる色グラスのパターンは、何の物語性も神秘性も孕んでない。ただただ、ランダムなマーブルの色彩の群れ。まるで意味を持つこと自体を忌避するみたいに。
私は歩いている。そこに理由は無いけれど、歩くことを辞めようとは思わない。でも、夢ってそういうものでしょう? 夢の中でさえも論理的(ロジカル)な整合性を求めるほど野暮じゃないつもり。
廊下に終わりはないように見える。果ては見えない。後ろを振り返ったことは無いけれど、きっと背後も同じように、永遠に続くかのような直線が続いてるのだと思う。闇の中からステンドグラスが朧に浮かび上がって、視界の端を通り過ぎていく。単純なループと退屈なコントラスト。
「――こんにちは。風変わりなアナタ」
声を掛けられる。私の隣を誰かが歩いている。視点のハレーションを掠めるように、衣服や手、足らしき残像が過るけれど、それは具体的なイメージを描くまでの情報を私に与えてくれはしない。何者なのかは判らない。姿の見えない彼女。きっと少女なのだろうとは思う。語り掛ける声には、いつもあどけなさが感じられる。まるで、出来立てのマーマレードみたいに甘酸っぱい、声。
「こんにちは。いつものアナタ。アナタは誰?」
何回目になるか判らない問い。いつも同じ質問を、いつも同じ声音で、私は投げかける。
「水色のネズミが、ジンジャーシロップの海で溺れたわ。私は彼が甘ったるくなる前に、塩と胡椒をかけたの。くしゃみが出ちゃいそうになった。きっと明日の朝ご飯は目玉焼きね。私はサニーサイドアップが好き。それよりも、夏の日の輝くセミの抜け殻は幸せだと思わない?」
意味のある返答が得られたことはない。でも、それを残念に感じたことはなかった。彼女が嬉しそうに語る理解不能な言葉の羅列は、中身が確定しない宝石箱を開けるような新鮮さを感じて楽しい。
そう。隣を歩く彼女が誰であるのかなんて、本質的にはどうでもいい。今は拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ)を通せば誰にでも何にでもメタデータのタグ付けがされていて、デバイスの検索機能はありとあらゆる人類の集合知にアクセスできて、正体不明を許容する余地がない。それそのものは間違いなく偉大なる人類文明の進歩の結果だけれども、人間は理性のみで生きるにあらず。何もかもが素因数分解される現代社会において、他愛のない夢の中の事象にまで意味を見出してしまえば、きっと疲れてしまう。
いつもいつも冒険に塗れた夢だけ見続けたりしたら、脳のメモリがいつか焼き切れちゃうかも。私だって人間なのだから、たまには休息も必要。蓮子はつまらないと言うかもしれないけれど。
意味がないことを楽しむ余裕があったっていいでしょう?
私は歩いている。傍らで正体不明の少女も歩いている。
そんな夢を何度も見る。
◆
『――オルタナティブ・シークエンスを終了します。お疲れさまでした』
微睡みが急速に晴れていくのを感じる。華やかなオーケストラの演奏が、首元のスピーカーから流れていた。私の身体はソファの上にあった。微睡みに落ちる前と同じ。だけど方向が違う。窓に頭を向けていたのに、逆方向を向いている。
ソファから起きて、身体をグッと伸ばす。あちこちが筋肉痛。なので、寝起きながら快適な目覚めとは断じて言い難い。
「……でも、効いてるってことよね」
グッと両腕のストレッチなんてしながら、カーテンの隙間に切り取られた夜の街並みを眺める。天蓋の星々に対抗するみたいに瞬く地上の明かり。人智の灯火。曖昧な空の境界を挟んで、神話と文明が世界の主導権を巡る綱引きをしている。そんな妄想。センチメンタルな思い付きが突飛な方向へ飛んでいくのは、きっと夢遊制御意識(オルタナティブ)な私が見る夢のせいなんだろう。姿の見えない少女の語る、突拍子もない戯言の群れ。
夢遊制御意識(オルタナティブ)。
つい最近、人口に膾炙したこの概念を説明するためには、まず人類がある一定の社会性を獲得した時点から、生物学的な進化を放棄したという仮説を受け入れる必要がある。
何と言うことはない、ダーウィンの進化論を人間に応用した当然の帰結。生物の進化は自然淘汰に対する適応の結果であって、神が与えたもうた秘跡ではないとする説。この辺りは個人的な信仰や宗教観にガッツリと踏み込むので、自然科学的見地というより文化的、信仰的立場に応じて仮説の受け入れを拒否する自由は個人に委ねられている。科学的な真実はいつもひとつかもしれないけれど、世界の在り様(ゲシュタルト)は一様じゃない。昨今の科学世紀は非常に寛容なので、ニーチェみたく神は死んだなんて残酷な結論を強要しない。
ともあれ人類社会が多様性を許容し、生存競争から脱落する個体に救いの手を差し伸べた結果として、人間の肉体的な進化は停止したという意見を肯定したとする。そうすると、私たちを構成する肉体は、私たちが生み出した社会に全く追いつけてない不完全なものであるはずだという仮説に辿り着く。我が愛すべき科学世紀は音速を超えて、光の速さも視野に入れるほど叡智の進化を速めてきた。ドッグイヤーもびっくりするくらい。それに比べて人間の身体の進化はもう頭打ちで、とても追いつけたものじゃない。ウサギと亀の競争どころか、アキレスを追いかける亀くらい置いていかれてる。
魂と肉体の乖離。
それに悩むのは思春期の女の子の専売特許じゃなくなったってわけだ。ただし問題は、おっぱいやおしりが充分に大きくなって、ホルモンを分泌する脳下垂体との上手な付き合い方を覚えるだけでは解決しないこと。
発展していく社会に人類種が適応するためのアンサーは幾つかあった。俗に言うトランスヒューマニズムの流れ。試験官に詰め込んだ受精卵のDNAを弄るところから始まり、コールドスリープやら機械再生医療(サイバネメディック)の適用範囲を拡大させて電脳化に至るための試行錯誤、脳波転写による個人の意識のAI再現なんてものも流行った。どれもこれも所詮は他愛のないSFの延長線で、言ってしまえば机上の空論。人類の進化でござい、と大手を振って受け入れられるまで到達することはなかったけれど。
夢遊制御意識(オルタナティブ)もまた、社会と人間の齟齬を埋めるためのアイディアのひとつ。
とはいえ、そこまで大仰な技術じゃない。
とっても単純に言うと、寝ている間に身体を運動させてくれるテクノロジー。全身に微弱な電気刺激を流すと、筋肉が収縮する。それを応用して、たとえ意識がなくとも全身運動ができるようAI調整(チューニング)した代物。それそのものは目新しくも何ともないはず。電気的筋肉刺激(EMS)の概念自体は二十世紀には既に存在していたし、リハビリテーションなどの医療分野で使われてきた実績もある。
ブレイクスルーになったのは、電気刺激による制御の対象を脳にまで拡大させたこと。
それによって、使用者の意識の覚醒レベルを調整可能にしたこと。
夢遊病を患っている人は、ノンレム睡眠の最中に意識のないまま彷徨うことがある。夢遊制御意識(オルタナティブ)は、それを電気刺激によって意図的に発生させる技術。もちろん、意識を失っている間の肉体は電気的筋肉刺激(EMS)によって制御されているから、転んだり何かを壊したり、箪笥の角に小指をぶつけて悶絶したりすることもない。
夢遊制御意識(オルタナティブ)を導入するメリットは大きく分けて二つある。ひとつは、脳の休息と身体の休息を分離できること。もうひとつは、睡眠のタイミングや時間を完全にコントロールできること。
とかく現代社会において、人類種の運動不足は逃れることのできない宿痾のようなもの。もともとは日に何十キロも歩いたり走ったり、武器を投擲したりすることに特化してきた人間の肉体は、レンジでチンすれば食事にありつける現状に満足してくれない。ジムに行って運動すれば済むのだけど、そんなご立派な正論を実行し続けられる人間がどれほどいるのかって話。楽ができるのなら、それに越したことはない。人間は概して怠惰な生き物だ。むしろその怠惰を追及する姿勢こそが、今の便利な生活を生み出したと取ることもできる。
もうひとつのメリット。私たちの身体は夜になったら八時間近く眠るようにデザインされていて、その原理が淘汰されることはない。ベッドに入ってもすぐに眠れないこともあるし、原始的(プリミティブ)な目覚まし時計が私たちを予定の時刻に叩き起こすことに絶対の保証がなされたことなんて一度もない(おかげで私は何度も辛酸を舐めさせられている)。
特に、自然に眠ることが難しい人にとって、それは革命的だった。睡眠薬の需要は前世紀から右肩上がりに上がる一方で、まったく頼ったことがない人の方が少ないくらい。けれど夢遊制御意識(オルタナティブ)を導入すれば、不眠に悩まされることは無くなる。副作用に苦しんだり、薬剤耐性がついて負担が増えていったりすることも無くなる。夢遊制御意識(オルタナティブ)は、利用者を安楽に夢へと誘ってくれる、まさに夢のテクノロジーというわけ。
メッセージアプリのアイコンが視界の端でポップする。中空に縫い留められた拡現(オーグ)の便箋を指先でドラッグすると、フォン・リンクがオンコールになり、相棒の喧しい声が耳小骨をピリピリ振るわせて。
『時間ピッタリにお目覚めのようね。まったく、待ちくたびれちゃったわ』
「どうして予定通りの行動に苦言を呈されなくちゃいけないのかしら?」
『予測可能性が高い人間なんて退屈だもの。行動のすべてが合理的なら、未来のすべてが決まってしまっているのと同義よ。罠に嵌めるのも容易いわ』
「罠に嵌るのを回避したいの? 蓮子は。予定通りなら、十三秒ほど前にアナタは西洞院通に差し掛かっているはずだけど?」
フォンを拡張して、位置情報の連携を申請する。チェスボードのような京都の概念図に、蓮子の位置を示す赤いピンが立った。
ピンは時速四キロほどの速度で、高倉通に差し掛かろうとしている。評価予測座標から五百メートル近くずれていた。京都中の住民がみんな蓮子のように行動したら、全世界道路交通評価局(WorldTrafficEstimateDivision)の役人が泡を吹いて倒れるに違いない。四半世紀近くかけて組み上げられた交通予測システムがデタラメな値を弾き出し、京都のど真ん中にもかかわらず道路が渋滞して、消防も救急も機能しなくなってしまうだろう。私は髪の毛の先が少し湿っていることに気が付いて洗面所に向かいつつ、
「まぁ、いいわ。蓮子だもの。それで? どうかした? あと十分も歩けば私の下宿先に着くでしょうに」
『あら、まるでどうかしないとフォンを繋いではいけないかのように言うじゃない』
「どうもしてないことが判ってるから言ってるのよ。様式美ってやつ?」
『こだわりね。そういうの好きよ。人間臭くて』
「蓮子こそ、あとたった十分も待てなくてフォンを繋いでくるところ、可愛くて好きよ」
『エマ・ルフェーブル教授の論文、読んだ? 【s-ECT(超修正型電気痙攣療法)に伴う夢遊制御意識(オルタナティブ)様相の比較生物学的見地における現状と課題】』
「また、新しい論文の紹介?」
鏡に映る自分を眺めながら、小さく嘆息する。今度は比較生物学からのご意見か、なんて。
「蓮子は私を、ちっちゃな全書籍図書館(ボルヘス)にでもするつもりなのかしら? もう今月に入ってから八つめよ? 夢遊制御意識(オルタナティブ)に関する論文を読むの。確かに相対性精神学の専攻範囲ではあるけれど、まるで担当教授がひとり増えたみたいね」
『アナタが頑固なのが悪いのよ。メリー』
「蓮子。それ、アナタが言うの?」
思わず鼻を鳴らしてしまう。ドライヤーで髪の毛を乾かしつつ。
夢遊制御意識(オルタナティブ)に対して、世論は容認派と否認派の真っ二つに割れている。
容認派に曰く、新技術の恩恵に預かって生活が便利になるなら積極的に使うべき。
否認派に曰く、本当に安全なのかどうか判別できない新技術の使用は控えるべき。
私は容認派。そして蓮子は否認派。夢遊制御意識(オルタナティブ)に対する秘封俱楽部の姿勢は世論と同じく綺麗に分断されてしまっている。まぁ、二人しかメンバーが居ないので、私と蓮子の意見が割れれば秘封俱楽部の意見が分断されてしまうのは道理なのだけど。
今日、蓮子が私の下宿先に来るのも、夢遊制御意識(オルタナティブ)に関する議論のため。と言っても、私は蓮子が夢遊制御意識(オルタナティブ)を使うことに対しては好きにすればいいと思っているので、必然、蓮子が私の夢遊制御意識(オルタナティブ)の使用を控えるように説得する形となる。
結論は出ない。どこかに存在する科学的な正解を探究するのとは違って、これはイデオロギーの対立だから。それが初めから判っているのだから、議論したところで無駄という思いもなくはないけど、蓮子が私のために少なくない時間を費やしてくれるのは気分が良いので、蓮子のしたいようにさせているのが現状。
『覚悟しなさいね。今日こそ宗旨替えさせてあげるんだから』
「あいにく、紹介されたばかりの論文をあと十分足らずで読むことを期待してるんなら、買い被り過ぎよ」
『私は七分二十六秒で読んだけど』
「私の脳はプランク並みの処理能力なんて積んでないわ」
『ところでメリー。アナタ、いま髪を乾かしてるでしょう?』
「あら? 音、入ってた?」
ドライヤーを棚に戻しながら首を傾げる。昨今のノイズキャンセリング機能が、そんな初歩的なミスをするかしら? すると、蓮子がニヤリと不敵に笑う気配がした。フォンにVオプションをつけていたわけでもアバターを表示させていたわけでもないのに、蓮子の口角が何ミリ上がったのか判るほど濃厚に、蓮子のドヤ顔が目に浮かぶ。
『初歩的なことだよ、ワトソン君(My Dear)』
「あら、手解き願いたいわね。探偵さん」
『私はアナタのオルタナティブ・シークエンスが完了する時間に合わせてフォンを繋いだわ。シークエンスはリビングで完了するはず。目覚めたメリーは時間感覚を取り戻すために窓から外を見るでしょう。そこから寝室までの距離は4.5mほど。洗面所までの距離は7mくらいで、玄関に繋がる廊下までの距離は概算で12m程度かしら? メリーの歩幅が72.9cmだから、寝室まで約六歩、洗面所まで約十歩、玄関まで約十七歩。アナタは私と話しながら歩いた歩数は十一歩。そのことから、メリーが向かったのは洗面所だと判るわ』
「うん、とーっても言いたくて堪らない台詞があるんだけど、いったん飲み込んでおくわね。それで?」
『現代日本人が洗面所でできることは限られているわ。手を洗う。歯を磨く。うがいをする。鏡でメイクをチェックする……話し言葉が不自然に途切れたりしなかったから、口に水を含む系統の行動は除外。メリーは下宿から出ない限りメイクしない合理主義者だから、メイクチェックも無し。手を洗いたいならキッチンでいいから、それもない。口にも顔にも手にも洗面所へ向かう理由がないなら、髪の毛だろうと思ったのよ。髪の毛が抱え得る問題なら、乱れているか濡れているかの二択。メリーの髪はくりくりだけど、暴れ回るほどワガママじゃないから、髪の乱れを直すくらいならすぐ終わるはず。なのに、まだ洗面所に残ってるってことは、アナタの髪は濡れてたんだろうって』
「うーん、ここまで言い当てられると、やっぱり純粋に気持ち悪いわね」
『私からすれば、自覚もないのに気付いたら髪が濡れてるなんてシチュエーションの方が気持ち悪いけどね。シークエンス中にシャワーか何か浴びたってことでしょう?』
「えぇ、そうね。そういう設定にしていたわ。蓮子が来るって言ったから」
『無意識のうちに運動して、無意識のうちに服を脱いで、無意識のうちにシャワーで汗を流して、無意識のうちに身体を拭いて、無意識のうちに服を着てるってことよね。そして、その一連の行動を、メリー、アナタ自身は一切認識してないってことよね』
「えぇ、そうなるわね」
『どうかしてるわ』
「そろそろ着くでしょう? 続きは私の部屋でしましょうよ」
吐き捨てられるような理解不能を軽くいなして、フォン・リンクを切る。程なくして来客を知らせる通知が届き、私はその通知で蓮子が来たことを知る。今日の秘封倶楽部の活動も、きっと深夜まで続くだろう。そう思った。
せめて、何か美味しい物でも食べましょう。
キッチンの合成調理鍋にコマンドを入力して、うんと凝った料理を出力させるように設定した。
◆
同じ夢を見る。
薄暗い廊下を歩いている。永遠に続くかのような直線は今回も健在。闇に溶け込んだ行き先。浮かび上がるステンドグラスの無秩序な極彩色。私は歩いている。やがて不意に気配がする。姿を見ることの叶わない誰かが、私の隣を歩いているのが判る。
「――こんにちは、風変わりなメリー」
ここ最近、私の隣を歩く彼女は私の名前を呼ぶようになった。名乗った覚えはないし、やる気のないマーケットの店員よろしく名札をぶら下げてるわけでもないのに。
私の名前?
違う、それは渾名だ。パパやママは子猫(Kitty)と呼ぶ。PrimaryやJunior Highでは、邪視(Jessy)と陰口を叩かれてた。High Schoolでの私は、ハーンさん(Ms.Hearn)だった。メリー。私をそう呼ぶ人間は、世界でただ一人だけ。
「こんにちは。いつものアナタ。アナタは誰?」
何回目になるか判らない問い。いつも同じ質問を、いつも同じ声音で、私は投げかける。
「消えることのない文明の光は、終わることのない善と仮定できるのかしら? 拝火教は善の象徴として光を、それをもたらす炎を崇めたわ。光あれ、と神は言った。そうして光があった。これは旧約聖書だけど。善と光は切っても切れない関係にあると私は思う。でもそれは単純に、夜目の利かない人間が、自らの生命を脅かす危険のある闇夜を恐れる傾向にあるからに過ぎない。もしも人間が夜行性の動物で、日中は何も見ることが出来ない感覚受容体しか持ち合わせてなかったら、光こそが悪性で、甘い常闇こそが聖なる善であったはず。つまり神聖も善性も、汚穢も悪性も、何もかもが相対的な概念に過ぎないの」
意味のある返答が得られたことはない。けれどその性質が少しずつ、少しずつ変化しつつあることには気付いていた。
もっと支離滅裂で、単語を曖昧に継ぎはぎした、鵺みたいな言葉だった。
ずっとチグハグで、詩的に感じる瞬間さえある、詠唱めいた台詞だった。
会話は成立しない。それはずっと同じ。情報の有意な交換が成功しない以上、戯言であることに変わりはない。だけどその変質が、何故だろう。私には空恐ろしく感じられてならなかった。天使の羽のように軽やかな調子で唱いあげられた無意味には、どう足掻いても悪趣味なメタデータが乗る余地は無かったのに。
あぁ、認めましょう。
私は怖いのだ。
この夢の中で私の隣を歩く、顔も知らない少女の言葉にいや増していく、知性らしきモノの片鱗が。それが何か、今の私には見当もつかない何かの変質を予兆させて。
私は歩いている。傍らで正体不明の少女も歩いている。
そんな夢を何度も見る。
◆
『――オルタナティブ・シークエンスを終了します。お疲れさまでした』
微睡みが急速に晴れていくのを感じる。穏やかなボサノヴァの演奏が、首元のスピーカーから流れていた。私の身体はソファの上にあった。微睡みに落ちる前と同じ。
ソファから起きて、身体をグッと伸ばす。最近は起き抜けの筋肉痛を感じないようになってきた。健康的な肉体を維持するのに必要な運動をすることに、私の身体が慣れてきた証左。
オルタナティブ・シークエンスを二時間。ベッドの上での睡眠を六時間。
私にとって適度な肉体を維持するための黄金比。
睡眠不足で肌荒れや隈に悩まされたり、運動不足でお腹がたぷっとしたりしない程度のバランス。頭もすっきりしている。睡眠による休息と、運動によるセロトニン分泌を同時に得られるのだから、然もありなん。適度な運動と適度な睡眠による恩恵だ。
適度、というのがとっても重要。
夢遊制御意識(オルタナティブ)は便利だ。人間社会は些細な議論を経て、そのことを徐々に受け入れつつある。でも、それが妙な方向に持ち上げられつつある気がしていて、古参ユーザーとしてはちょっぴり憂鬱。
昨今の技術発展速度はあまりに目覚ましく、日進月歩のバージョンアップはたったの数カ月で小型化、廉価化、多機能化を可能にしてしまう。私が使っている夢遊制御意識(オルタナティブ)導入機器は重さ十五キロ、付属アタッチメントを手首と足首に装着する必要があって、お世辞にもお手軽だなんて言えやしない。でも、最近のトップセールスモデルとなると総重量は三キロにも満たないし、首輪みたいなアタッチメントをひとつ付ければ(脳幹に信号を送るらしい)それで充分な機能を提供できるようになっている。買って一年もしてないのに、もう私の夢遊制御意識(オルタナティブ)デバイスはアンティーク扱いされ始めてる。スマートフォンと肩掛けタイプの携帯電話が、あまりにも違うものとして扱われた(らしい)ことと同じように。
そう、夢遊制御意識(オルタナティブ)は、ほんの少し前までは考えられなかったくらいに手軽になっている。デバイスを携帯できるほどに。値段もどんどん手頃になっていって、そんなに背伸びをせずとも買えるようになっている。
それが何を生み出したか?
まず、移動時間に夢遊制御意識(オルタナティブ)デバイスを気軽に装着する人が増えた。自律輸送六輪(ハニカム・キャブ)を始めとする公共交通機関で。乗り合いの無人運転(オートマ)バスで。そして、ただ単に京都の街並みを歩く時にさえ。
夢遊制御意識(オルタナティブ)には、それが出来た。退屈な移動時間を人生から消し去ってしまうことが出来た。目的地に辿り着くまでオルタナティブ・シークエンスを起動するだけでいい。それがタチコマ=自律輸送六輪(ハニカム・キャブ)の中であれ、ちょっと目的地まで歩くだけであれ、変わらない。むしろ本来の夢遊制御意識(オルタナティブ)の用途を考えれば、数キロメートルくらいの距離ならば公共交通機関を使うよりも夢遊制御意識(オルタナティブ)で歩いた方が合理的だった。
そこら辺を歩けばいくらでも、目を閉じたまま歩き続ける人々を目にする。
彼ら彼女らは無意識だ。無意識のまま行動している。
自分が誰とすれ違ったのか、その誰かが自分をどんな目で見ていたのか、知りもしないし知ったことでもないのだろう。
私は、そこまで自分を最高効率化させる気には、ちょっとなれない。
メッセージアプリのアイコンが視界の端でポップする。中空に縫い留められた拡現(オーグ)の便箋を指先でドラッグすると、フォン・リンクがオンコールになり、相棒の喧しい声が耳小骨をピリピリ振るわせて。
『時間ピッタリにお目覚めのようね。まったく、待ちくたびれちゃったわ』
「アナタはいつも待ちくたびれてるわね。蓮子。ちょっと生き急ぎ過ぎじゃない?」
『速度なんて相対的な評価でしかないわ。思うに私は回遊魚なのよ。泳ぎ続けないと酸素を身体に取り込めない。そうじゃないと退屈で窒息してしまう』
「なーに? 蓮子がマグロだって話?」
『ち、違いますけどぉ?』
「そんなに声を上ずらせなくてもいいじゃない。単なる冗談よ」
『笑えないわよ、メリー。寝起きで頭が低俗なの? やっぱりそのポンコツ、ぶっ壊した方が良いかしら』
一瞬で立て直した蓮子が、それこそ笑えない調子でポツリ。あんまりからかいすぎると本気で有言実行しかねないので、早々に話題を切り替えてしまうことにする。
「今日は来るんだっけ?」
『いいえ、無理ね。レポートをやっつけないと』
「あら残念。私にフォン繋いでていいの?」
『舐めてもらっちゃ困るわね。いま書いてる最中よ』
「マルチタスク? 記述と会話の?」
『これくらい、お茶の子さいさいね』
「あら、心外ね。私との会話を片手間で済ませられるとでも?」
『寝起きのメリーなんて恐れるに足りずよ。夢遊制御意識(オルタナティブ)に現を抜かしてばっかりで、歯ごたえが無いったら』
蓮子がフンと鼻を鳴らす。舐められてる。ムッとする。最近の蓮子は挑発を多用する傾向にある。そりゃ、戻ってきたばかりで意識のスイッチングがうまく行ってないことは自覚しているとはいえ。
社会が大手を振って夢遊制御意識(オルタナティブ)の実運用に乗り出しても、蓮子は相変わらずだ。相変わらず、夢遊制御意識(オルタナティブ)に対しては懐疑的。今となっては蓮子のような強硬派はすっかりレアケースになってしまったというのに。
原因ははっきりしてる。私が夢の中で意図せず境界を越えてしまう機会は有意に減少している。蓮子はそれが面白くない。
まるで王国の衰退を嘆く老いた賢王のように。
でもそれはあまりに杞憂だ。だって蓮子にはまだ言えてないけど、私は――。
余計なことを口走る前に、私は大きく息を吸って、
「最新の学説を紹介してあげるわ。蓮子。プサンメティコスの言語実験を知ってる?」
『言語剥奪実験? 最新の学説って話じゃなかった? 紀元前五世紀のことじゃないの。産まれてから一度も言語を聞いたことのない赤子が、最初に話す言葉こそ人類最古の言語に違いないってやつ』
「えぇ、典型的な誤謬に基づく実験よね。でも、そうじゃない可能性が出てきた、と言ったらどう思う?」
『ありえないわね。まず詭弁の可能性を疑うわ。因果の逆転よ。言語は後天的に獲得される技術であって、遺伝子に刻まれるわけじゃないでしょうに』
「その逆。言語が遺伝的形質を獲得するために、人類という外付けの生殖器を使うことを覚えた、という説。仮にその説を真とすると、フリュギア語が繁殖するために人類が生まれたことになるから、人類最初の言語であるという命題と矛盾しなくなるの」
『へぇ』
蓮子の声が数分の一オクターブ、私にしか判らない程度に上がった。彼女が知的好奇心をつんつん刺激されたとき特有の現象。
『言語学の生得説なんて、イデオロギーに散々もみくちゃにされた挙句、潰えたと思ってたけどね。相対性精神学にもちょっかい出してたんだ?』
「むしろ言語学は科学世紀の現代こそが最先端かつ最盛期だと思うわ。数式で定義できない観念を思考し、解釈するための灯火として、これ以上のものは無いわよ。私たちは言語で思考するもの」
『ラマヌジャンは数式をイメージとして獲得したらしいけどね』
「数式を言語の対義語に据えるのは、前時代的な悪しき風習の名残よね。どうやら蓮子もそのバイアスに囚われてるみたいだけど」
『仮説を立ち上げるのは誰にでもできるわね?』
「はいはい」
思わずほくそ笑む。本格的に今日の乗った蓮子は、言葉を省略する癖が出る。本人も気付いていないようだけど。
「根拠が聞きたいって言うんでしょ」
『私じゃなくてもそう言うわ』
「全天球エミュレータ、知ってる?」
『ロンドン碩学都市のマトリョーシカ・プロジェクトね。ビッグバンの再現を試みてる。まだ成果は出てないけど』
「出てないわね。でも闇雲にやってるわけじゃない」
『曰く、既に証明は完了している。観測できる限りの天体情報を量子イントラネット上に構築した仮想現実上でエミュレートして、それを逆行演算した。結果、仮想現実内ではビッグバンを観測することに成功している。その仮想現実の呼称が全天球エミュレータ。むしろその話題は、私の分野だと思うけど?』
「全天球エミュレータの出力した物理演算データは四次元座標にマッピングした状態で公開されているわね。とある言語学ワーキンググループが、その物理演算データにおける地球上の音波データを解析したの。すると興味深い結果が得られたわ」
『前提の共有。全天球エミュレータに登録されたのは天文学、物理学、量子力学エトセトラの宇宙空間における力学的相互作用を引き起こし得る情報だけで、人類文化関連のデータはインプットされていないはずね?』
「えぇ、私もその認識」
『なら、けっこう。続きをどうぞ?』
「量子イントラネット上で再現された地球の音波データに特定の波形を示すパターンが混じっていたのよ。それは天文単位の相互力学では説明できないほど微かなノイズ。ノイズは地球誕生後の数億年から発生していることが判ったの。パターン解析の結果、そのノイズが言語である可能性は極めて高いと判断された。もちろん、地球上に生物なんて影も形もないときから」
『生物に先んじて言語が存在するってこと? それは発想の転換が過ぎる気もするわね。ノイズの発生源は何なのよ?』
「まだ解明されてないわ。ダークマターと同じ。発生源はまったく特定できないけれど、それを地球そのものと仮定すれば事象に説明がつく」
『ふーん。いいわ。それを前提として仮定しましょう。それで? 地球は何と言っているの? その言語が最新の言語学の生得説に、どんなパラダイムシフトをもたらしたのかしら?』
「蓮子、言語はどんな時に使うと思う?」
『自らの意思や主張を他者に連携するときかしらね?』
「えぇ、そう。発する言葉と何かしらの相関を見出せる事象がセットじゃないと、その意味を外部から観測することはできない。つまり、何を言ってるかはさっぱり判らないわ」
『判らないんじゃない。せっかくの地球からのメッセージだというのに』
「メッセージの宛先が人類とは限らないけどね。ノイズの発生と相関関係にある物理的事象は判明してないから、寝言や独り言のようなものなのかも。言語学ワーキンググループはそのノイズを地球のイドの発露と仮定して研究を続けてる。生物に先んじて地球そのものに意識や自我と呼べるものがあるのなら、それに付随するものとして神や妖怪の存在が証明されるかもしれないし、現代に生きている人間ひとりひとりのイドと繋がっているのかも……と考えるのは、相対性精神学的過ぎるかしら?」
『集合的無意識の源泉が、地球のイドかもしれない、ね……』
「――どう? 手は止まったかしら? 蓮子?」
ふふん、と鼻を鳴らしてやる。確実な手ごたえがあった。ここまで語れば、いくら蓮子と言えど話半分とはいかないはず。私を甘く見た罰だ。これで蓮子がレポートを落としても知らない。私とのお喋りよりも楽しいことなんて無いことを今一度、蓮子に思い出させてやる。
ここまで丁寧に好奇心を刺激してあげた蓮子に我慢が聞くわけもなく、当然私の思惑通り、
『メリー、今からそっち行っていい?』
ほら来た。
「えぇー? レポートをやっつけちゃうんじゃなかったかしらぁー?」
『まぁ、白々しい。私をその気にさせておいて、じゃあねで済むと思った?』
そんなわけはないでしょう? 言外に蓮子が告げてくる。フォンの向こう側で慌ただしい気配。外出の準備。いまの蓮子の様子を想像するとニヤニヤが止まらない。
「どう? 私が夢遊制御意識(オルタナティブ)で鈍ってるなんて、蓮子のバイアスから来る思い込みだったわね?」
『……これで私が翻意したなんて思わないでよね』
「はいはい、待ってるわよ」
『もう充分に無意識は堪能したでしょう? メリー。アナタ最近、健康的かつ模範的な市民過ぎるわ。今夜は寝かさないから』
「あらそう? 期待してるわ。真白な私を染める甘美な悪徳は、果たしてどんな色をしてるのか」
何ともワクワクする言葉の応酬じゃないかしら! 舌の先が震えるようなゾクゾクが脊髄を走る音。今宵の秘封倶楽部は、久しぶりに核融合みたいに燃えそうで何より。
蓮子はきっと走って来るだろう。日々の活動に疲れ、躊躇なく夢遊制御意識(オルタナティブ)を使い、ゾンビのような無意識のまま動く人の群れを突破して。肢体を流れる汗。弾む呼吸。軋んで乳酸を蓄える筋肉。そのベクトルの先にいる自分が堪らなく誇らしかった。
キッチンに向かって、うんと濃いエスプレッソを淹れることにする。
明けない夜はない。カフェインをお供にして、太陽を迎えるまでめくるめく意識活動の興奮に溺れるとしよう。
◆
同じ夢を見る。
薄暗い廊下を歩いている。
闇に溶け込んだ行き先。
浮かび上がるステンドグラスの無秩序な極彩色。
私は歩いている。
――この廊下が永遠に続く直線なんかじゃないことに気付いたのは、いつだっただろう。
判らない。覚えていない。
けれどそれは、永遠なんてこの世には存在しないことに気付いたのと同じ頃。
明けない夜はない。永久に振り続ける雨はない。
そんなの単なる錯誤でしかない。太陽が死ねば夜は明けない。何もかもが水没すれば雨なんて現象さえ存在しない。
私が突き進むこの廊下は螺旋回廊だ。
下へ、下へ。羽根をもがれた天使が地獄に堕ちるように、ただ下へ降りてゆく道程だ。人間には、人類には、気付くことはできないだろう。
現にできなかった。自分たちの進む道が何もかもどん詰まりの終焉へ向かうだけだと。
もう今さら手遅れではあるけれど。
「――こんにちは。諦めの悪いメリー」
いつの間にか隣を歩いていた誰かが、意地悪く囁いてくる。
顔をあげて、私はその誰かの方を見た。
黒い帽子を被っていた。黄色いシャツを着ていた。緑色のスカートを履いていた。コードのように触手を伸ばす第三の目を携えていた。そこまでディテールが判るのに、顔だけはまったく見えなかった。まるでその部分だけ宇宙からすっぽりと欠落しているかのように、顔だけは漆黒に沈んで。
「こんにちは。無貌のアナタ。アナタはいったい何?」
「私は祝福するものよ。愚かなメリー。いいえ、アナタは愚かではないかもね? けれどアナタが所属する人類という生物種は、堪らなく愚かだわ」
顔のない誰かは、けれど確かに笑った。嗤った。
それはおよそ人類には理解不能な嘲笑。それを理解できる時点で、私も大概なのかもしれない。それは石のように月のように、あるいはチクタクと時計のように嘲り笑うのだ。
「ずいぶんな驕りようだこと。かく言うアナタは人類よりも賢くあるのかしら?」
「驚いた。人間よりも阿呆な生き物が存在するとでも? お前たち人間は面白いわ。面白くて、可笑しくて、哀れよ。あまりにも哀れで、いっそ愛おしくさえある。はは、はは。まさか星の言葉を受け継ぐべく造られたモノが、自らその耳を塞ぐなど!」
「判るように言いなさいよ。そうじゃなきゃ、壁にでも話してるのね」
「これまで私は、お前たち人間の様々な終焉を見たわ。幾万、幾億の並行宇宙の狭間から、幾万、幾億のお前たちの終焉を見た」
クスクスと笑いながら、それが言う。
「私は幾万、幾億のお前たちの終焉の姿を形取り、お前たちの終焉を最前線で眺めてきた。あるとき、私は疫病だった。あるとき、私は核爆弾だった。あるとき、私は宇宙人だった。そんな私の此度の姿がコレだ。無意識なるモノ。小賢しい機械で強引に閉じた意識の果て。お前たちの歴史は類を見ないほどに発展したが、お前たちの歴史は類を見ないほど愚かな理由で終焉を迎えた。夢遊制御意識(オルタナティブ)だと? はは、はは。認めてやろう。お前たちは永遠に覚めない夢に引きこもり、緩やかに衰退した愚か者の群れだわ!」
顔のない誰かが笑う。嗤う。息も絶えんばかりに。私は黙ってその嘲笑を浴びていた。私には言い返せるだけの資格が無いと判っていた。
たとえ今の私が、顔のない誰かの言が自分の内心を代弁しているように思えても。
かつて何も知らなかった私が夢遊制御意識(オルタナティブ)を持て囃していた過去は消えない。
「もう見切りを付けてしまうつもりかしら? 私たちの歴史に? ただ、人類のたった99.9998%が夢遊制御意識(オルタナティブ)から覚めなくなっただけで?」
「私としては負債が小さいうちに諦めることをオススメするわ。メリー。アナタたちに何ができると言うの? 幾万、幾億もの世界の終焉を見た私が告げるわ。この世界はもう終わったのだと。アナタたちの努力は無駄なのだと」
「お生憎さま。どこの誰かも判らない、顔のない誰かに言われただけでスパッと踏ん切りがつく程度じゃ、秘封倶楽部なんてやってられないわ」
私は言う。今なお、ただただ堕ちていくだけの道程の中にあって、それでもなお前を向いて。いつか、いつか、この螺旋回廊から抜けられるいつかを夢見て。
夢の中で、夢を見てと言うのも変かしら? でも、希望を持ち続けるためには夢の存在も不可欠だ。待て、しかして希望せよ。この目に光を宿している限り、無限の夢幻を切り拓いて、この夢が違える日はきっと来るはずだから。
私は歩いている。傍らで正体不明の少女も歩いている。
そんな夢を何度も見る。
◆
『――オルタナティブ・シークエンスを終了します。お疲れさまでした』
微睡みが急速に晴れていくのを感じる。
穏やかなハレルヤが、首元のスピーカーから流れていた。
秘封世紀の未来技術の話はいくら読んでも良い物です
私だったら迷わず24時間寝たままにすると思いました