紫色の髪の少女が、本のページを破き、それをむしゃむしゃと食べていた。
何かに取り憑かれたかのように咀嚼していた彼女は、自分のやっていることの異常さに気づくと、驚きでそのままページを飲み込んでしまった。
「またか……」
薄暗い図書館の中、パチュリー・ノーレッジは頭を抱えた。
ここ最近、気がつくと本を食べてしまっていた。食べたくて食べているわけではない。無意識のうちにそうしてしまうのだ。
原因はわからないし、こんな狂人のような真似をしてしまうなど、他の誰にも相談できるわけもない。
一昔前なら異常者、つまり魔女として処刑されるかもしれない。いや自分は実際魔女なのだが、とつまらない冗談が彼女の頭をよぎる。
外へ出てこんなことをすれば、幻想郷中で噂になるだろう。万一外で本を食べてしまうことを考えると、いつも以上に図書館に引き篭もるしかなかった。
「あら、書食症ですか」
「ひあっ」
後ろから覗き込むように、彼女の従者である小悪魔が声をかけた。
完全に油断していたパチュリーは、虚をつかれてびくりと少し飛び上がった。そのことはなかったことにして、彼女は小悪魔に話しかけた。
「何それ。氷食症みたいな……」
氷食症とは、主に鉄分不足などが原因で、無性に硬いものを齧りたくなり、強迫的に氷を口にしてしまう病のことだ。
「まあそんなところですね」
「ふぅん。じゃあ私は鉄分とかが不足してるわけ?」
「いえ、症例は氷食症と似ていますが、原因は全く別とされていますね」
小悪魔はぴっと人差し指を立てた。
「原因は独占欲にあるとされています」
「……はぁ」
胡乱な話になってきた。パチュリーはそう思い、どこまで真剣に話を聞くべきか思い悩んだ。
しかし自分でも調べてみたが、解決方法がわからない。このままではページの破れた本が増える一方だ。
一旦小悪魔の話に耳を傾けるしか選択肢はなかった。
「独占欲ってどういうこと?」
「書食症は本が病的に好きな人が稀に罹患する病です。本が好きすぎるが故に、本を食べてしまうんですよ」
「好きだから食べるってどういうことよ。本が好きなのと、食べ物としての好きなのは全く別の話でしょ」
別に美味しいから食べているわけではない。口の中の水分は持っていかれるし、僅かに甘みのようなものは感じるが、色で例えるなら灰色の味だ。
とりたて吐くような不味さがあるわけではないが、好んで口にしたい味でもない。
「まあ聞いてください」
小悪魔はこほんと、わざとらしく咳払いする。
「書とはそもそも知識や物語を共有するための偉大な発明です。しかし本が好きすぎるあまり、他の人間に読ませたくない、この物語は自分のためだけにあって欲しい……そういった書への執着から、書を口にしてしまうのです。食べてしまえば他の人は読めません。完全に自分のものになるのです。さらに言えば、愛する本を自らの内に取り込めるのですから、愛情表現の行き着く先としては当然の帰結かもしれません」
パチュリーは「ホンマかいな」と訝しんで、眉間に皺を寄せた。
「ましてやこの図書館は、魔理沙さんの盗難被害をしばしば受けています。パチュリー様が書を独占したくなるのはやむを得ない話かと」
「……まあ新しく仕入れた魔導書を先に盗まれて読まれるのはムカつくけども」
魔理沙の盗癖について、パチュリーは寛容な方であった。死ねば返ってくるので財産的な意味合いでは気にならないし、何なら後輩に知識を恵んでやっているというような気持ちもある。
しかし新しい書物を先に読まれるのは非常に腹立だしい。ましてや内容をネタバレされたときにはスペルの一つもぶち込みたくなる。
だからといって、食べてまで本を独占したいとは思わなかったが。
「それで……仮に書食症とやらが本当だとして、どうしたら治るのよ」
書食症の話を信じたわけではなかったが、この病が治るのなら何でも良い。そう思いパチュリーは彼女に先を促した。
「主に対策は二つありますっ」
小悪魔は得意げに胸を逸らせ、指を二本立てた。
「原因は心因性のものですから、ストレスは良くありません。書食症が厄介なのは、書をつい食べてしまい制御できない自分に対し、ストレスを感じてしまう点です」
「つまり悪循環にあると」
「はい。ですから一つ目の対策としては、書を食べてしまうことを受け入れることです」
「はあ」
「つまり逆転の発想です。食べるための本を用意してしまうんです!」
「……ああ、なるほどね」
認めたくないが案外にしっかりとした対策であったので、パチュリーは少し驚いた。
強迫観念に囚われてしまう病には効果的な手法であった。どうしてもペンや爪を噛んでしまう子供に、単にやめろと言っても効果は薄い。いっそ代わりのになるものを用意してやった方が良い。
「これは後ほど私の方で用意しますね。苺味の紙にチョコのインクで良いですか?」
「味は何でも構わないわ」
「本の内容は最近私が推してる恋愛小説を写本しますね!」
「……まあ何でも良いけれど」
しれっと布教しようとする小悪魔に、パチュリーは少しだけ内心反発を抱いたが、今はそんな細かいことはどうでも良い。
「で、もう一つは」
「はい。書食症に罹るのは、決まって四六時中本のことを考えている、本に異常な執着を持つ人です」
少し引っかかる言い方だったが、事実だったのでパチュリーは彼女の言葉を特に否定はしなかった。
「ですから、外へ出たりして、書以外の楽しみも持つことが有効な対策なんです。特に適度な運動はストレス解消と、自律神経を整えることによる強迫観念の抑制に繋がります。
「……何と言うか、何事もそうよねぇ」
うんざりした声色で、パチュリーは肩を落とした。
病気への対策を調べていくと、大概適度な運動とバランスの良い食事に行き着く。喘息ですらそうだ。
運動はパチュリーの苦手とする分野であるため、この結論が出るたびにうんざりする。
「というわけで、早速人里で服でも買いに行きましょう!」
「はぁ……」
パチュリーのため息ともつかない曖昧な返事を、小悪魔は勝手に承諾だと解釈した。
彼女はどこからともなくパチュリーのよそ行きの服をいくつか取り出した。そして主人を無理やり立ち上がらせ、どの服が今日は似合いそうか検討する。
「久々のパチュリー様とのデート、楽しみだな〜」
小悪魔は軽やかにステップを踏んで外出の準備をする。放っておけば歌の一つでも歌い出しそうだ。
これまでの説明は、自分をデートに連れて行くためのホラ話なのではないか。そんなことも考えたが、自分一人では手詰まりであったため、大人しく彼女に従うしかないだろう。
パチュリーは大袈裟にため息をついたが、表情は柔らかく、満更でもなさそうだった。
その後人里へ出かけた二人だったが、図書館に帰ってくると、パチュリーの書食症はぱったりと治ってしまった。
小悪魔の「治療」の効果だったのかどうかは、結局わからずじまいだった。
何かに取り憑かれたかのように咀嚼していた彼女は、自分のやっていることの異常さに気づくと、驚きでそのままページを飲み込んでしまった。
「またか……」
薄暗い図書館の中、パチュリー・ノーレッジは頭を抱えた。
ここ最近、気がつくと本を食べてしまっていた。食べたくて食べているわけではない。無意識のうちにそうしてしまうのだ。
原因はわからないし、こんな狂人のような真似をしてしまうなど、他の誰にも相談できるわけもない。
一昔前なら異常者、つまり魔女として処刑されるかもしれない。いや自分は実際魔女なのだが、とつまらない冗談が彼女の頭をよぎる。
外へ出てこんなことをすれば、幻想郷中で噂になるだろう。万一外で本を食べてしまうことを考えると、いつも以上に図書館に引き篭もるしかなかった。
「あら、書食症ですか」
「ひあっ」
後ろから覗き込むように、彼女の従者である小悪魔が声をかけた。
完全に油断していたパチュリーは、虚をつかれてびくりと少し飛び上がった。そのことはなかったことにして、彼女は小悪魔に話しかけた。
「何それ。氷食症みたいな……」
氷食症とは、主に鉄分不足などが原因で、無性に硬いものを齧りたくなり、強迫的に氷を口にしてしまう病のことだ。
「まあそんなところですね」
「ふぅん。じゃあ私は鉄分とかが不足してるわけ?」
「いえ、症例は氷食症と似ていますが、原因は全く別とされていますね」
小悪魔はぴっと人差し指を立てた。
「原因は独占欲にあるとされています」
「……はぁ」
胡乱な話になってきた。パチュリーはそう思い、どこまで真剣に話を聞くべきか思い悩んだ。
しかし自分でも調べてみたが、解決方法がわからない。このままではページの破れた本が増える一方だ。
一旦小悪魔の話に耳を傾けるしか選択肢はなかった。
「独占欲ってどういうこと?」
「書食症は本が病的に好きな人が稀に罹患する病です。本が好きすぎるが故に、本を食べてしまうんですよ」
「好きだから食べるってどういうことよ。本が好きなのと、食べ物としての好きなのは全く別の話でしょ」
別に美味しいから食べているわけではない。口の中の水分は持っていかれるし、僅かに甘みのようなものは感じるが、色で例えるなら灰色の味だ。
とりたて吐くような不味さがあるわけではないが、好んで口にしたい味でもない。
「まあ聞いてください」
小悪魔はこほんと、わざとらしく咳払いする。
「書とはそもそも知識や物語を共有するための偉大な発明です。しかし本が好きすぎるあまり、他の人間に読ませたくない、この物語は自分のためだけにあって欲しい……そういった書への執着から、書を口にしてしまうのです。食べてしまえば他の人は読めません。完全に自分のものになるのです。さらに言えば、愛する本を自らの内に取り込めるのですから、愛情表現の行き着く先としては当然の帰結かもしれません」
パチュリーは「ホンマかいな」と訝しんで、眉間に皺を寄せた。
「ましてやこの図書館は、魔理沙さんの盗難被害をしばしば受けています。パチュリー様が書を独占したくなるのはやむを得ない話かと」
「……まあ新しく仕入れた魔導書を先に盗まれて読まれるのはムカつくけども」
魔理沙の盗癖について、パチュリーは寛容な方であった。死ねば返ってくるので財産的な意味合いでは気にならないし、何なら後輩に知識を恵んでやっているというような気持ちもある。
しかし新しい書物を先に読まれるのは非常に腹立だしい。ましてや内容をネタバレされたときにはスペルの一つもぶち込みたくなる。
だからといって、食べてまで本を独占したいとは思わなかったが。
「それで……仮に書食症とやらが本当だとして、どうしたら治るのよ」
書食症の話を信じたわけではなかったが、この病が治るのなら何でも良い。そう思いパチュリーは彼女に先を促した。
「主に対策は二つありますっ」
小悪魔は得意げに胸を逸らせ、指を二本立てた。
「原因は心因性のものですから、ストレスは良くありません。書食症が厄介なのは、書をつい食べてしまい制御できない自分に対し、ストレスを感じてしまう点です」
「つまり悪循環にあると」
「はい。ですから一つ目の対策としては、書を食べてしまうことを受け入れることです」
「はあ」
「つまり逆転の発想です。食べるための本を用意してしまうんです!」
「……ああ、なるほどね」
認めたくないが案外にしっかりとした対策であったので、パチュリーは少し驚いた。
強迫観念に囚われてしまう病には効果的な手法であった。どうしてもペンや爪を噛んでしまう子供に、単にやめろと言っても効果は薄い。いっそ代わりのになるものを用意してやった方が良い。
「これは後ほど私の方で用意しますね。苺味の紙にチョコのインクで良いですか?」
「味は何でも構わないわ」
「本の内容は最近私が推してる恋愛小説を写本しますね!」
「……まあ何でも良いけれど」
しれっと布教しようとする小悪魔に、パチュリーは少しだけ内心反発を抱いたが、今はそんな細かいことはどうでも良い。
「で、もう一つは」
「はい。書食症に罹るのは、決まって四六時中本のことを考えている、本に異常な執着を持つ人です」
少し引っかかる言い方だったが、事実だったのでパチュリーは彼女の言葉を特に否定はしなかった。
「ですから、外へ出たりして、書以外の楽しみも持つことが有効な対策なんです。特に適度な運動はストレス解消と、自律神経を整えることによる強迫観念の抑制に繋がります。
「……何と言うか、何事もそうよねぇ」
うんざりした声色で、パチュリーは肩を落とした。
病気への対策を調べていくと、大概適度な運動とバランスの良い食事に行き着く。喘息ですらそうだ。
運動はパチュリーの苦手とする分野であるため、この結論が出るたびにうんざりする。
「というわけで、早速人里で服でも買いに行きましょう!」
「はぁ……」
パチュリーのため息ともつかない曖昧な返事を、小悪魔は勝手に承諾だと解釈した。
彼女はどこからともなくパチュリーのよそ行きの服をいくつか取り出した。そして主人を無理やり立ち上がらせ、どの服が今日は似合いそうか検討する。
「久々のパチュリー様とのデート、楽しみだな〜」
小悪魔は軽やかにステップを踏んで外出の準備をする。放っておけば歌の一つでも歌い出しそうだ。
これまでの説明は、自分をデートに連れて行くためのホラ話なのではないか。そんなことも考えたが、自分一人では手詰まりであったため、大人しく彼女に従うしかないだろう。
パチュリーは大袈裟にため息をついたが、表情は柔らかく、満更でもなさそうだった。
その後人里へ出かけた二人だったが、図書館に帰ってくると、パチュリーの書食症はぱったりと治ってしまった。
小悪魔の「治療」の効果だったのかどうかは、結局わからずじまいだった。
パチュリーならきっと消化できたんでしょうね
すっきりと話が纏まっていてとても良かったです
というか前にもデートしたことあるってことですよね?
パチェこあ
おいしげな本を用意したりデートを楽しんだり図書館生活にいろどりを与える小悪魔がかわいかったです
日々を全力で楽しんでいそうな小悪魔がかわいかったです。